さて、今回の物語は……。
人里が、楽しげな声に包まれている。
人と妖怪、異なる種族が思い思いに酒を飲み、つまみを口に含み、騒ぎに騒いでいる。
今日は里全体を巻き込んでの花見の日、その中には当然ながら紫達の姿があった。
わいわいと楽しんでいる者達に視線を向ける紫の口元には、優しげな笑みが浮かんでいる。
今日も幻想郷は平和なようだ、皆を見ているとそれを改めて認識できた。
だが、一部の者は遠巻きに紫を見て怪訝な表情を浮かべている。
おそらく紫が恐いのだろう、龍人はよく人里に出入りしているし、藍も買い物等で里の人間には認識されている。
しかし紫は基本的に里へと赴く時は稗田家に用事がある時だけだ、里の者達にとって紫は得体の知れない妖怪だと思われているだろう。
それに関して何か思うところなど紫にはない、ないが……せっかく酒を楽しんでいるというのに、興が削がれてしまうではないか。
とはいえここで何かしらのアクションを起こせば余計に事態が拗れてしまう、なので紫は何も知らない風を装う事にした。
「――紫さん、楽しんでいますか?」
紫の隣に座る一人の少女、明るい薄紫色の髪を持つ少女、稗田阿爾。
見知った人物を見て少しだけ紫の気分が良くなった、が、何やら向けられる視線が多くなったような気がする。
「……どうやら、龍人さんと違って純粋に楽しめていないようですね」
視線に気がついたのか、呆れの含んだ苦笑を浮かべる阿爾。
彼女とてこうなるとは想像できていた、しかし実際に目にすると気分が良いものではない。
見慣れぬ妖怪が花見の席に居るという事実が不安を呼ぶのは理解できるが、彼女はこの幻想郷にとってなくてはならない存在だというのに……。
そう考えると阿爾の表情がどんどん強張っていき、そんな彼女の頭をあやすように紫は撫でた。
「別に私は気にしていないわ。仕方がない事だってあるのだから」
「……それはそうかもしれませんけど、このような場だというのにあれは」
「まだまだ人と妖怪の間にある溝は大きいという事ですわ、両者が共に生きる幻想郷の中でもね」
だがいつかは、今よりも歩み寄る事ができる筈だ。
紫はそう信じている、この幻想郷ならばきっと。
「阿爾も楽しみなさい。まだ酒は飲めないでしょうけど」
「……はい。わかりました」
漸く笑みを浮かべてくれた阿爾に、紫も笑みを浮かべる。
改めて酒の味を楽しもうと持っていた盃に入っている酒を口に含む。
僅かな苦味、けれど喉をするりと通っていく喉越しの良さがもう一度飲みたくなるような味わいを見せてくれる。
「そういえば阿爾、里に変わりはないかしら?」
「ええ。ただ……最近性質の悪い悪戯妖怪が時折里に現れるようになったそうで」
「悪戯妖怪?」
阿爾の話によると、作物を荒らされたり道の真ん中に落とし穴を仕掛けられたり……。
まあ幸いにも命に関わるような事態には発展していないようだが、ある農家の男が足の骨を折る事件が発生してしまったらしい。
里の者達はその事をすぐさま阿爾に相談し、阿爾もその妖怪の正体を調べている最中なのだそうだ。
「紫さんは何か心当たりとかはありませんか?」
「そうね……ただその程度の被害で済んでいるのなら、あまり力のない妖怪なのでしょう」
「やっぱりそうですか……」
「ですがあまり好き勝手をされては困りますわね」
幻想郷で生きる者達に危害を加える、それはすなわち自分に喧嘩を売っていると同意なのだから。
何処の誰かは知らないがそれ相応の報いを受けてもらわねば、知らず紫の口元に妖怪らしい不気味で恐ろしい笑みが刻まれる。
それを見て、阿爾は僅かに身体を震わせたのは余談である。
「紫様」
紫の前に跪く女性、紫の式になった妖狐、藍だった。
僅かに表情が強張っている、どうやら何か問題が発生したようだ。
どうしたのかと藍に問う紫、すると彼女はこの花見の場に見慣れる妖怪が居ると告げた。
今の所周りに危害を加える様子を見せないというが、かといってこのまま放っておくわけにはいかないだろう。
そう思った紫は立ち上がり、阿爾に一言告げてから、藍の案内でその妖怪の元へと足を運んだ。
そこは花見の場では隅の方、しかし先程までは賑やかな喧騒に包まれていたのだろう、周りの転がる盃や猪口がそれを物語っていた。
だが今はそんな空気など微塵も存在せず、人間達が怪訝な表情のままある方向をチラチラと盗み見ている。
その視線の先には、里の中にある一番の桜の木の幹に身体を預け、静かに酒を嗜む1人の女性が居た。
背中まで伸びるやや癖のある緑の髪が風に揺れ、真紅の瞳は見たものをおもわず硬直させてしまうほどの力強さが感じられる。
成る程、確かに少々厄介な問題が発生してしまったようだ、紫は女性を見て内心舌打ちをした。
この女性は藍の言う通り妖怪だった、それも力のある妖怪だ。
暴れられては面倒な事になる、なので紫はなるべく刺激しないように女性へと声を掛けようとして、その前に女性が先に口を開いた。
「――綺麗ね」
「えっ……」
「もうすぐ枯れてしまう運命だけど、まるで最期の輝きを見せ付けているようだわ。そう思わない?」
身体を預けている桜へと顔を上げながら、女性が問う。
突然の問いかけに面食らいそうになりながらも、紫は努めて冷静な表情を崩さず言葉を返す。
「あなた、あまり見かけない顔のようだけど、一体どんな用事があってここに居るのかしら?」
「先に質問をしているのはこっちなのに、それを無視して問いかけるなんて礼儀の知らないのね」
「貴様……」
「藍、構わないから。――確かにそうだったわね、だけど花は咲いているから美しいのは当然ではないの?」
「……わかっていないのね。咲く前でも花は変わらず美しいわ、表面上の美しさしかわからないのは視野が狭い証拠よ?」
少し小馬鹿にするような口調と笑みを向ける女性を見て、藍は一瞬で己の妖力を解放させた。
主である紫を侮辱されたのだ、式として許せないと思うのは道理であった。
しかし、そんな彼女の怒りは女性に向けて放たれる事はなく、他ならぬ主人である紫に制止させられてしまった。
「それで、あなたは一体何者かしら?」
「ただの花が好きな妖怪よ。ここの花達が随分と楽しそうだったから気になったの」
「……花達が、楽しそう?」
「私は花達の声が聞こえるの。それでこの里に咲く花達があまりにも楽しそうな声を出していたから、気になったってわけ」
「…………」
花達の声が聞こえる、一見するとふざけているような言葉だ。
だがおそらくこの女性は嘘など言ってはいないだろう、妖怪であるが故に紫は同じ妖怪である女性の言葉をすんなりと受け入れていた。
しかし、だ。敵意が無いとはいえこのままでは周りの迷惑である。
とはいえ相手も力のある妖怪、軽く追い出すという事はできないし、力ずくでいこうにも里に被害が及ぶだろう。
さてどうするか、思案に暮れる紫であったが、1人の少年があっさりとその問題を解決してしまった。
「紫、藍、どうかしたのか?」
「龍人……」
「龍人様……」
「ん? お前、誰だ? 見ない顔だけど……妖怪か?」
無遠慮ともとれる態度で女性に話しかける龍人、さすがの女性も彼の態度に僅かに驚きを見せていた。
「俺は龍人、お前の名前は?」
「え、あ……か、
「幽香かあ……よろしくな、幽香!!」
笑顔で握手を求める龍人に、女性、風見幽香は面食らった様子でそれに応じた。
先程とはまるで違う幽香の様子が面白くて、紫が苦笑を浮かべていると……彼女は、周囲のある変化に気がついた。
――周囲の喧騒が、元に戻っている。
周りの人間や妖怪達は再び花見を楽しみ出していた、先程まで幽香を遠巻きに見ては戦々恐々していたというのに……。
一体何故、そう思った紫だがすぐさまその理由に思い至った。
なんてことはない、周りの者達は彼が、龍人が来たからもう大丈夫だと判断したのだ。
彼は半分は妖怪である半妖であるが、幻想郷に生きる者達からは絶大な信頼を置かれている。
この二百年、彼は暇さえあれば里へと顔を出し周りの者達との親睦を深め、家族のように生きてきた。
他者との繋がりを得たいと強く願っているからこそ、彼は幻想郷の者達の助けになってきた。
そんな彼に周りの者達は信頼を向けるのは当然であり、それを考えれば今の状況も理解できた。
(……私には、できないわね)
龍人には人や妖怪といった隔たりは存在しない、だが紫は違う。
過去の出来事が、彼女に人や妖怪に対し心から信頼を置かすまいとしている。
おそらくこの考えは一生変わらないだろう、悲しいが致し方ない事なのだから。
だから紫は違う方法で幻想郷に貢献する、龍人が心で幻想郷に生きる者達を支えるのなら……自分は“力”で支えよう、と。
■
「んがー……」
「もぅ……騒ぎに騒いだって感じね」
時は流れ、夕刻。
楽しかった花見は終わりを迎え、既に皆は片づけを終え家に戻っていった。
紫と藍も屋敷へと戻り、2人と違い里の者達と騒いでいたために寝入ってしまい、藍に背負われた状態だ。
幸せそうに眠ってる龍人を見て、自然と紫達の口元には笑みが浮かぶが。
「――へえ、なかなかいい屋敷ね」
「……どうしてあなたまで一緒に居るのかしら? 風見幽香」
屋敷を見渡すように視線を動かしている幽香に、紫は溜め息交じりの問いかけを放つ。
紫達の屋敷はスキマを用いてしか入れない、だから幽香は紫がスキマを開き屋敷に戻ろうとした所を素早く入り込んだのだ。
気づいた時には既に遅し、さすがにスキマの中に閉じ込めておくわけにもいかず、現在に至る。
「だって眠いのだもの、今夜は泊まらせてくれるわよね?」
「そんな勝手が許されると思っているのか?」
「私は紫に訊いてるのよ。式風情の駄狐は黙っていなさい」
「貴様……!」
藍の尻尾が逆立つ、幽香も迎え撃つつもりなのか笑みを浮かべつつ拳を握り締めた。
「藍、よしなさい。龍人が起きてしまうわ」
「ですが紫様……!」
「それと幽香、泊まらせてあげるからさっき藍に放った暴言を謝りなさい」
「…………わかったわ。ごめんなさい藍、少し言葉が過ぎたわ」
素直に藍に向けて頭を下げる幽香、藍も不満そうな顔だがおとなしく引き下がる事に。
一触即発の空気が霧散したのを確認してから、紫は藍に龍人を部屋に連れて行くように指示し、その後幽香を連れて客間へと足を運ぶ。
「悪かったわね、生真面目そうだからついからかってしまったの」
「別に構わないわ。あんな挑発に乗ってしまう藍が悪い、でもあまり馬鹿にすると私も黙っているわけにはいかないからそのつもりで」
「随分可愛がっているのね、式は主にとって道具なのでしょう?」
「あの子は私にとって式だけれど、それ以上に家族でもあるのよ」
「家族、ね……まるで人間みたい」
その口調は、先程のような小馬鹿にするようなものだった。
だが紫は動じない、自分が妖怪として変わった考えを持っているとわかっているからだ。
「紫は変わっているわね、式を家族と言ったり人間と花見を興じたり……妖怪らしくないわ」
「そういうあなただって、花見に乱入していたじゃない」
「私は花達の楽しげな様子が気になったから見ただけだし、人間なんか眼中に無かったわ」
事実、幽香はあの場で一度たりとも人間達に視線を向けることはなかった。
遠巻きに自分を見ていたのは知っていたし、あからさまに迷惑顔を向ける者だって居たことも気づいている。
だが幽香にとってそんなものはそれこそ無意味なものであり、人間などそこらに落ちている小石のような存在なのだ。
それでもあの場に居たのは花達の様子が気になったのと、あの無駄に自分に友好的だった少年、龍人が面白いと思ったから。
「あの子、龍人って言ったわよね? 彼、半妖でしょう?」
「ええ、そうよ」
「あの子もあなたにとって家族なのかしら?」
「愚問ね」
「ふーん……」
「…………?」
幽香が、いたずらっぽい笑みを向けてくる。
碌でもない事を考えているのだろう、しかし関わりたくないので紫は無視して自室へと戻ろうとする。
しかし、次に幽香が放った一言で彼女は動きを止めてしまった。
「――彼の事気に入ったわ。私が貰ってもいいかしら?」
「…………」
「半妖だけど、彼の内側にある力はとても大きい……それに花や植物達にも凄く好かれている。だから気に入ったの」
だから、貰ってもいいわよね?
真紅の瞳に獲物を狙う狩人のような色を宿し、幽香は再度問いかける。
紫からの反応は無い、しかしその心に動揺の色を宿している事に気づき、幽香は内心ほくそ笑む。
他者をからかうのが好きな幽香は、紫のような存在が動揺するのが堪らなく好きなのだ。
もっとからかってやろう、悪戯心に火の点いた幽香は再び口を開こうとして……何も言えなくなった。
「……悪いのだけれど、彼はこの幻想郷に必要な存在なの。あなたの退屈を紛らわせる玩具じゃないのよ?」
静かに、けれどいやに耳に響く紫の声。
その声に込められているのは、明確な敵意と絶対零度の如し冷たさ。
見縊っていたわけではない、だが今の紫を見て幽香は己の軽率な行動と言動を後悔した。
「……悪かったわ。もう言わないから」
「…………」
場の空気に緩みが生じ、幽香は知らず知らずの内に安堵の溜め息を零していた。
戦って負けるなどとは思っていないが、ここは彼女の屋敷、つまり彼女の土俵だ。
実力が拮抗していると判断できた以上、ここで戦うのは得策ではない。
「本当に大切なのね、彼が」
「……約束を交わしているのよ、彼を守り支えるという約束を」
「私にはそれだけには思えないけど、まあいいわ」
言って、幽香は布団に潜り込んでしまった。
そんな彼女を一睨みしてから、紫は今度こそ部屋から出ようとして。
「でも、彼が気に入ったのは本当よ?」
「いいから寝なさい!!」
まだそんな事を言ってくる幽香を一喝して黙らせるのであった。
「――暫く厄介になるわ。宜しくね?」
「はあ!?」
「ああ、よろしくな幽香!」
「龍人様!?」
「紫、藍、いいだろ?」
「…………」
「…………」
(本当に、彼には弱いのね……)
To.Be.Continued...
少しは暇潰しになりましたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。