それと今回から前話より月日が流れていますのでご了承ください。
第40話 ~変わらぬ幻想の日々~
――夢を、見た。
それはとても幸せで、楽しい夢。
少しだけ寂れた神社の中で、私は様々な種族に囲まれていた。
人間、妖怪、妖精、半妖、神々、種族が異なる者達が……楽しい宴を開いている。
私もその中で楽しく笑っていて、本当に幸せそうで。
……でも、何故だろうか。
隣に居るはずの、隣に居なければならない筈の“あの人”の姿が、何処にもない。
夢の中だけど、“あの人”が居ないのは違和感があるし、寂しい。
あの人は、一体何処に……。
「――様、紫様!!!」
「……んん……?」
「紫様、起きてください! 朝ですよ!!」
まだ幼さを残す少女の声が聞こえ、同時に紫はその声の主に身体を揺さぶられている。
寝ぼけ眼のまま上半身を起き上がらせると、「わっ」という短い悲鳴が聞こえた。
顔を左方向へと向ける、そこに居たのは黄金色の髪を短めに切り揃え導師風の衣服に身を包んだ少女が居た。
あどけなさを残しつつも成長すれば間違いなく絶世の美女になるであろう顔立ちだが、頭部に生えた黄金色の耳と四本の尾が少女を人間ではないと示していた。
ふぁぁ……と大きな欠伸を一つしてから、紫は少女の名を呼び朝の挨拶を交わした。
「おはよう、藍」
「おはようございます、紫様」
恭しく紫にお辞儀をする少女。
この少女は藍、かつて妖怪の山にて友人となった茨木華扇から譲り受けた妖狐である。
当初は獣の姿であったが、今では人の姿になれるまで成長を遂げていた。
「朝食の準備がもう少しで終わりそうなので、起こさせていただきました」
「そう、ありがとう藍。……彼は?」
「あの御方でしたら、人里の畑の手伝いをすると朝早くに――」
「――ただいまー!!」
縁側の方から、元気が有り余っている少年の声が響く。
どうやら帰ってきたようですね、そう言って藍は縁側へと向かい、遅れて紫もその後を追う。
縁側方面の中庭に居たのは、小柄な黒髪と金の瞳を持った少年であった。
右手には鍬や鋤などといった農具を持ち、動きやすいアンダーシャツとズボンは土ですっかり汚れてしまっている。
それを見て紫は苦笑し、藍は少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
「“龍人”様、人間の手伝いをするのは良いのですが、そんなに汚れるまで手伝っていたのですか?」
「それがさ、いつも手伝ってる農家のおっちゃんが腰を痛めちまったみたいで、つい」
「はあ……それはお疲れ様でした」
「腹減ったー、メシはー?」
「もうすぐできますから、龍人様は汚れを落としてきてください」
藍の言葉に「へーい」と返しながら、少年――龍人は井戸のある場所へと向かう。
と、立ち止まり彼は紫へと視線を向け。
「おはよう、紫」
優しく微笑み、朝の挨拶を告げた。
■
『――いただきます』
居間にて、3人は朝食を食べ始める。
藍が用意してくれた焼き魚、お浸し、白いご飯、味噌汁といった和食の朝食。
「……ふーん、藍ってばすっかり料理が美味くなったわねー」
「あ、ありがとうございます紫様」
嬉しそうに微笑みつつ、少しだけ気恥ずかしいのか頬を赤らめる藍。
「んぐっ、ん……うめえぞ、藍!!」
「あ、ありがとうございます龍人様。ですけどもう少し味わって……」
「おかわり!!」
「……あ、はい」
肩を落としつつ、龍人の茶碗を受け取りご飯を盛っていく藍。
彼はいつも美味しそうに沢山自分の作った料理を食べてくれる、それは嬉しいのだがもう少し味わってほしいというのが藍の本音だったりする。
「龍人、幻想郷の様子はどうだった?」
「相も変わらず平和だったよ。そういえば
「阿爾……二代目稗田家当主ね、わかったわ。――ごちそうさま藍」
「お粗末さまでした」
「じゃあ早速阿爾の所に行ってくるわ」
「俺も里に行ってくるよ、藍」
「いってらっしゃいませ紫様、龍人様、お気をつけて」
藍に見送られながら、紫はスキマで幻想郷へと向かう。
スキマの中で龍人と別れ、彼は人里の中心地へ、紫はそのまま稗田家の屋敷の中庭へと出る。
中庭には美しい桜が芽吹いていた、もう季節は暖かな春が到来している。
――紫達が幻想郷に辿り着いて、二百年という月日が流れていた。
藍は紫の式となり、主を支えるよう日々修行や雑用に精を出している。
紫と龍人も彼女の境界を操る能力を活用して作った異次元空間の中に建てた屋敷で暮らしながら、少しずつ力を付けてきている。
無論まだ大妖怪と呼べる程の力はないだろう、それでも紫達はこの二百年で確実に成長していた。
幻想郷は二百年前と変わらず、人と妖怪が共に暮らす隠れ里のまま、平和な時を刻んでいる。
願わくば、この平和がずっと続けばいいのだが……紫はそう願わずにはいられなかった。
「――おはようございます。お早いですね紫さん」
「あなたを待たせては、色々と煩そうですからね。阿爾」
わざとらしい皮肉の言葉を放たれ、薄紫色の髪を短く切り揃え鮮やかな色の着物に身を包んだ少女――稗田阿爾は苦笑する。
彼女は先代である稗田阿一の転生体であり、まだ齢十でありながらその立ち振る舞いは大人のそれだ。
転生によって阿一の記憶が残っているからだろう、とはいえ阿一とは違い好奇心旺盛な面はなりを潜めたおとなしい性格に変わっているが。
自室へと招かれ、阿爾と向かい合わせに座る紫。
早速とばかりに用件を訊くと、阿爾は小さな溜め息をついてから自らの要件を告げた。
「実はですね、里の者達から人間側の“守護者”となる者を見つけてほしい、と頼まれまして」
「…………成る程」
「私としては、紫さんと龍人さんがいらっしゃれば充分だと思っているのですが、一部の人間が幻想郷の守護者が妖怪だけでは……そう思っているようなのです」
言って、阿爾は湯飲みに入ったお茶を一口飲んでから再び溜め息をつく。
この内容は妖怪である紫にとってあまり気分の良いものではない、それがわかっているが故のものだろう。
とはいえ紫も二百年生きた妖怪、そんな程度で気分を……多少悪くしたものの、決してそれを表に出す事はしない。
「この二百年で、幻想郷にも人間が増えました。外から住人が増えればそういった考えを持つ者が現れても仕方ありませんわ」
寧ろそれが一般的な考え方なのだ、この幻想郷に生きる人間達の考え方が変わっているだけなわけで。
「幻想郷において絶対的な人間の味方、いざという時に妖怪に対する抑止力となるべき人間……単なる祓い屋を用意しても意味はありませんわね」
「……本来ならば、紫さんに相談する事ではないのですが」
「そんな事ありませんわ。この幻想郷の未来を考える者同士として、こういった相談をしていただけるのはありがたいですわ」
というより、人間達だけで勝手に物事を進められれば色々と面倒になるのだ。
ここは人と妖怪が共に暮らす世界であり、これからもそうであってほしいと願っている。
どちらか一方の種族だけが動いてしまえば、それも叶わない。
「わかりました。少し考えてみましょう」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。それでは、私は少し里の方を見てみますわね」
そう言って、稗田の屋敷を後にする紫。
里を歩くと、目に映るのは……楽しげな笑顔。
畑仕事に精を出す男達、川で洗濯をしながら談笑する女性達、元気一杯に走り回る子供達。
ただこの光景の中には、人間だけでなく妖怪の姿も見られる。
協力して生きている、人間と妖怪という異なる種族など関係ないと言わんばかりだ。
……ただ、子供達と混ざって遊んでいる龍人が違和感なしなのは如何なものか。
「――相変わらず、ああやって見ると龍人さんは子供みたいですねー」
一瞬突風が吹き、紫の隣に1人の少女が降りてきた。
背中に黒く大きな羽根を持った黒髪の少女、鴉天狗の射命丸文だ。
「文、今日はどうしたの?」
「暇潰しですよー、それにしても……相変わらず人と妖怪が共存してる面白い場所ですよね、ここは」
「ええ。このままの関係を維持できればいいのだけれど……」
「紫さんって妖怪らしくないですよねー、進んで人間と共存しようとするなんて」
「私はただ平穏が好きなだけよ。それに龍人が人との共存を望んでいるなら、私もできる限りそれを協力しようとしているだけ」
まだ、紫の中で人間に対するわだかまりは消えていない。
おそらく一生消えることはないだろう、だが消えることはなくても小さくする事はできる。
事実、紫はこの二百年で人間に対して負の感情を抱く事は少なくなった。
これも幻想郷の、ひいては彼のおかげだろう。
「むふふふ……」
「何よ、その気味の悪い笑みは」
「いやあ、紫さんは龍人さんが本当に好きなんだなーっと」
「はいはい。言ってなさいよ」
またこれだ、文は紫が龍人の話をするとすぐこういった事を言ってくる。
初めの頃は少し強めの口調で否定していたが、あまりにもしつこいので今では軽く受け流すことができるようになっていた。
……それが良い事なのかはわからないが。
「つまらないですねー。――で、実際はどうなんです?」
「はいはい」
「いいじゃないですか。ここだけの話にしますから」
「嫌よ、どうせ話したら山全体に誇張するのは目に見えてるもの」
「当たり前じゃないですか」
「…………」
「おごおっ!?」
素直でよろしい、だから紫は無言で文の鳩尾に拳を叩き込んであげた。
もちろん妖力を込めてだ、妖怪の頑強な肉体にも確かなダメージを与えられるぐらいの力加減で。
おかしな悲鳴を上げながら倒れ込み痙攣する文、その無様な姿を見てちょっとだけスッキリしたのはここだけの話。
「げほっ、ごほっ……乙女の柔肌に何てことを」
「今度余計な事を言ったらこんなものじゃ済まないわよ?」
「残念ですねー、今日こそは紫さんと龍人さんの熱愛発覚! と思ったんですがごぼおっ!?」
再び文の鳩尾に突き刺さる紫の拳、自業自得である。
「うぐぐぐ……」
「もう帰りなさい。このままだとあなたの羽根を一本一本毟り取る事態になりかねないから」
「そこまで怒ります!?」
やばい、ふざけているわけではないがこれ以上彼女の機嫌を損ねたら本当にやられる。
本能的にそう察知した文は慌てて呼吸を整えて、本来の目的を果たす事にした。
「あ、あのですね紫さん、実は少しお話したい事がありまして」
「やっぱり毟られたいの?」
「違いますって、しかも毟られたいわけないじゃないですか! そうじゃなくって、最近妖怪の一部がおかしな動きを見せているそうなんです」
「……妖怪が?」
「ええ、基本的に徒党を組まない妖怪達が集まって何かをしようとしているらしいんですけど、何をしているかまではちょっとわからないですね」
「…………」
「人間の世界を侵略しようとでも考えているんですかね?」
「さあ……ただ、少し調べた方がいいかもしれないわね」
何もなければいいが、妖怪達が集まって何かを企んでいると聞けば黙ってはいられない。
「文、ありがとう。わざわざ教えてくれて感謝するわ」
「いえいえ、一応友人ですからね。紫さんは」
「一応は余計よ、それで妖怪達が集まっている正確な位置はわかる?」
「そう言ってくると思いまして、今個人的に動ける天狗達で調べていますよー」
「えっ、わざわざ動いてくれているというの?」
思わぬ話に、紫は驚いてしまう。
山の天狗達が率先してそのような事をするなど、普通はありえないからだ。
驚く紫に、文は少しだけ気恥ずかしそうにしながらその理由を話す。
「ま、まあ……紫さん達は、私の友達、ですからね……」
「文……」
「それにあなた達とは二百年前、盟約を交わしています。山を救った英雄でもありますから」
「…………英雄、ね」
なんとも、大袈裟な話だと紫は内心苦笑する。
「助かるわ。けれど無茶だけはしないでね?」
「おおっ? なんだか紫さん、優しいですね?」
「…………」
「……すみません。謝りますから無言で拳を握り締めるのはやめてください」
先程の拳は本当に痛かった、というか今も痛い。
おふざけはこれくらいにしないと本当に危ないと判断し、文は素直に謝罪した。
「それでは、私はこれで」
「もう行ってしまうの?」
「紫さんに先程の話を伝えるために来ただけですからね、それでは龍人さんにもよろしく伝えておいてください!」
言うやいなや、文は翼を広げ一瞬で紫の視界から飛び去ってしまった。
その影響で周囲に突風が吹き、一部の者達が何事かと視線を向けてきたが、紫を見て何故か納得したのかいつもの日常に戻っていった。
(……何かの前触れでなければ、良いのだけれど)
文の話を思い返し、自然と紫の表情が強張っていく。
この幻想郷は確かに平和だ、しかしそれは人の世から外れた場所に位置する隠れ里だから。
外では人間と妖怪の関係は二百年前と変わらず、寧ろ悪化の一途を辿っている。
憎しみと悪意の環は広がるばかり、このままでは人間にも妖怪にも取り返しのつかない事が起こりそうな気がして……。
「――紫、大丈夫か?」
「っ、龍人……」
我に返ると、自分を心配そうに見つめている龍人の顔が視界に映った。
そんな彼の周りには、彼と遊んでいたであろう子供達の姿も。
「……大丈夫よ。心配しないで」
「そうか? なんか悩んでるように見えたんだけど……」
龍人の眉が八の字に下がり、ますます心配そうな視線を紫に向けてくる。
すると周りの子供達も同じような表情をするものだから、紫はおもわずぷっと噴き出してしまった。
「あ、笑った!」
「ご、ごめんなさい……で、でも別に龍人を馬鹿にしたわけじゃないのよ?」
「? 何言ってんのかよくわかんねえけど、紫が元気になったみたいでよかった!」
「…………」
よかったよなー、と周りの子供達に訊ねる龍人。
子供達もよかったー、と笑顔で返事を返している。
二百年という月日が経っても、彼は変わらぬ心で今を生きていた。
それが紫には嬉しく、その心がいつまでも変わらないようにと密かに祈った。
「紫、元気ならみんなと一緒に遊ぼうぜ?」
「えっ?」
「みんな、前から紫と一緒に遊びたかったみたいでさ、いいだろ?」
(私と遊びたい? 龍人と違って人間に対して友好的な態度を見せなかった私と……?)
視線を、子供達へと向ける紫。
やはりというか、中には紫に対して怯えや恐怖の色を見せる子供も居る。
だが、それ以上に紫に対する興味と……“一緒に遊んでみたい”という子供らしい欲求の色が見えた。
物好きな子供達だと、内心では皮肉を述べつつも紫の口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
じゃあ遊びましょうか、紫がそう返事をしたら子供達は我先にと一斉にその場から駆け出していく。
どうやら鬼ごっこを興じたいらしい、龍人まで逃げ始めているから紫が鬼役なのだろう。
「それー、こわーい紫ばあちゃんに捕まったら大変だぞー!」
「っ、龍人、誰がばあちゃんですって!?」
「だって俺もお前も二百歳超えてるから、人間からすればじいちゃんばあちゃんだろ?」
「……龍人、貴方はもう少し言葉を選んで口を開いた方がいいって事を教えた方がいいみたいね」
「あれ? なんでそんなに怒ってるんだ?」
その後、のどかな筈の鬼ごっこは龍人にとって地獄と化した。
先程の失言でそれはもう怒りに怒った紫によって散々追い掛け回され、時には容赦のない攻撃をされ。
夕暮れになる頃にはボロ雑巾のような状態になってしまった龍人を見て、子供達が紫に対し強烈なトラウマを抱く羽目になり。
それが阿爾の耳に入り、2人がこっぴどく叱られたのはまた別の話。
「藍、紫に“ばあちゃん”は禁句だな。それがよくわかった」
「……龍人様、それは当たり前だと思うのですが」
「なんで?」
「はぁ……」
To.Be.Continued...
楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら幸いに思います。