そして、最後は妖怪一の名工と会うという妖忌の目的を残すのみとなったが……。
――場に、冷たい空気が流れている。
どうしてこんな事に、最近溜め息を吐くのが多くなってきたと紫は嘆き、そんな彼女を慰めるように足元で藍が小さく鳴いていた。
彼女の隣に立つ絶鬼はやはりこうなったかと言わんばかりの表情のまま、けれど何もせず傍観を決め込もうとしている。
一方、龍人と自分達についてきた文は、この空気を感化され動けないでいた。
そして、この冷たく漂う空気の中心には――2人の男が対峙している。
1人は妖忌、そして1人は……年老いた鴉天狗の老人であった。
しかし老人といってもその身は鋼のように鍛え上げられており、また纏う覇気はただ凄まじく、見るだけでも圧倒されてしまう“凄み”を感じられた。
――何故このような一触即発の空気になったのかは、少し前まで遡る。
「――なあじいちゃーん、まだ着かないのかー?」
「もう少しだと何回言えばわかるんじゃ」
「だってさー……」
「龍人、黙れねえならさっさと帰れ。目障りだ」
「なんだとー!?」
「……なんだか彼、苛立ってますね」
龍人と妖忌から少し離れながら、文は紫に話しかける。
「仕方ないわよ。妖忌がこの山に来たのは妖怪一の名工に会うためだもの。だっていうのにあんな戦いに巻き込まれ、挙句に宴に無理矢理付き合わされて酔い潰されればね……」
意外にも、妖忌は酒に弱かった。
だから今の彼は間違いなく二日酔いに苦しんでいるだろう、元々物言いが乱暴な彼だから、いつも以上に苛立っているのはある意味当然と言えた。
しかし、漸く彼の目的を果たす事ができそうだ。
現在紫達は、絶鬼の案内でその妖怪一の名工と謳われる鴉天狗が住む場所へと向かっている。
その名工は天狗でありながら里に住む事はせず、山の中でも辺鄙な場所に暮らしている変わり者らしい。絶鬼曰く「妖怪一の名工なのは確かじゃが、妖怪一の頑固者でもあるからのう」との事だ。
……なんだか嫌な予感がする、そんな思いを胸に宿しつつ紫達は絶鬼についていき、やがて二つの小屋が見えてきた。
「――おお、ここじゃここじゃ」
変わらないのうと懐かしむような呟きを零す絶鬼。
見えてきた小屋は、何の変哲も無い木造の小屋であった。
特徴らしい特徴など微塵もない、けれど大きめに作られた方の小屋からは……金属と鉱石が僅かに焼ける匂いが漂ってきた。
おそらく大きい方が工房で小さい方が住居なのだろう、住居と呼ぶにはあまりにも小さくみすぼらしいが。
「おい
乱暴に住居であろう小屋の扉を叩く絶鬼、ミシミシと軋みを上げながら小屋が揺れている。
程なくして扉が開き、出てきたのは不機嫌そうに眉を潜める鴉天狗の老人。
「……絶鬼、お前は相変わらず加減というものを知らないんだな」
放たれた言葉の中には絶鬼に対する不満さがありありと滲み出ており、同時にその態度は天狗が鬼に対して放つものではなかった。
しかし絶鬼は気にした様子もなく、鴉天狗の老人へと言葉を返す。
「お主も相変わらずじゃな刀一郎、宴を開いたというのに何故来なかった?」
「騒がしいのもお前の酌に付き合うのも御免だ。――ところで絶鬼、後ろの餓鬼共はなんだ?」
刀一郎と呼ばれた鴉天狗の視線が、紫達に向けられる。
まるで鋭い刃物を喉元に突きつけられたかのような視線に、紫と文はおもわず一歩後ろに下がってしまう。
明らかに歓迎されてはいない、寧ろ敵意すら向けられているかのようだ。
「――お前が、妖怪一の名工か?」
そんな視線を向けられながらも、妖忌は刀一郎へと問いかける。
その問いに答えるつもりはないという様子だった刀一郎だったが、妖忌の腰に差されている桜観剣と白楼剣を見て僅かに表情を変えた。
「……ほぅ、桜観剣と白楼剣。魂魄家の者か」
「そうだ。――頼みがある、この刀を超える刀を俺に打ってほしい」
矢継ぎ早にそう言い放つ妖忌、すると刀一郎は一瞬だけ驚いた表情を浮かべ。
「っ、ぐ――!?」
一瞬にも満たぬ速さで、妖忌を蹴り飛ばしてしまった。
反応が遅れた妖忌はそれをまともに受け、地面を滑るように吹き飛んでいく。
「妖忌!?」
「何すんだ!?」
すぐさま龍人が刀一郎に食って掛かる。
「すまんな。この餓鬼があまりにくだらない事を言ったから反射的に足が出てしまった」
「くっ……テメエ……!」
立ち上がる妖忌、蹴られた腹部を右手で押さえながら苦しげな表情を浮かべている。
それだけ刀一郎の蹴りの威力が凄まじかったのだろう、そして同時に妖忌ですら反応する事ができなかった程に速い蹴りであった。
「まあ落ち着け刀一郎、話だけでも聞いてはどうじゃ?」
「聞く意味などない。桜観剣と白楼剣を超える刀を作れなどという戯言を口にする愚か者の話などな」
冷たく吐き捨てるようにそう言い放つ刀一郎からは、凄まじい怒りと憎しみが放たれている。
それを間近で感じ取った龍人は、刀一郎を責め立てる事も忘れてしまい口を閉ざしてしまった。
――そして、話は冒頭へと戻る。
「魂魄家も堕ちたものだ、こんな半人前以下の小僧に桜観剣と白楼剣を渡すとはな」
「何だと、貴様……!」
「帰れ。お前程度に打つ刀などこの世には存在しない、桜観剣と白楼剣が泣いているぞ?」
「……なら、試してみるか?」
桜観剣の柄を掴む妖忌、腰を深く落としいつでも切り込める体勢へと入った。
それを見ても刀一郎の表情は微塵も変わらず、妖忌に対して益々失望の色を濃くしたように見える。
これは拙い、今にも飛び掛ろうとしている妖忌を止めようと紫はおもわず大声を張り上げようとして……その前に刀一郎の姿が場に居た全員の視界から消え。
「――――」
「――そんな程度の実力で、よくオレに新しい刀を打てとほざけるものだな」
気がついた時には、妖忌の首筋に刀一郎が持つ刀が突きつけられていた。
(は、速い……)
まるで見えなかった、刀一郎の声が聞こえるまで紫はまったく反応する事ができなかった。
龍人も文も同じなのか、その顔は紫と同じく驚愕に包まれていた。
「…………」
首筋から刀を離された瞬間、妖忌はそのまま崩れ落ちるように地面に座り込む。
情けない姿だが、それも無理からぬ事である。
直接刀を向けられたからこそわかる、自分との実力差を。
絶対に敵わないと身体に叩き込まれてしまったのだ、既に妖忌の中には一欠片の闘志も覇気も消え失せてしまっていた。
その姿を冷たく見下ろしながら刀を鞘に収める刀一郎、そして絶鬼へと視線を向けた。
「絶鬼、お前ほどの男がこんな小僧達を連れてくるとは……歳か?」
「そう言ってやるな刀一郎、それにこの子等はまだまだ未熟じゃが将来性はある。だからこそ妖怪一の名工であり天狗一の剣豪であるお前に会わせてやりたいと思ったのじゃ」
「ふん……確かにこの小僧はいずれ類稀なる力を持った剣士に成長するだろう、だが今のようにただ力だけに囚われ振るうべき剣すら見失っている愚か者のままでは到底その領域には辿り着けんさ」
そう妖忌に告げる刀一郎の言葉は、ただ冷たい。
「小僧、お前は一体何のために剣を振るう? 力を誇示するためか? それすらもわからぬお前に……その刀は重過ぎる」
「っ」
ギリ、と折れんばかりの力で歯を食いしばり、妖忌はその場から逃げるように走り去っていく。
「おい、妖忌!!」
「龍人、追うべきではない。余計にあやつの自尊心を傷つけるだけじゃ」
「…………」
絶鬼にそう言われ、龍人は追いかけようとした足を一度は止めるが。
「――やっぱり、放ってはおけないよ!!」
そう言って、今度こそ妖忌を追いかけていってしまった。
■
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が、龍人と妖忌の間に流れる。
すぐに妖忌に追いつけた龍人だったが、彼に掛ける言葉が思いつかない。
かといって1人にはしておけず、こうしてただ沈黙するだけの時間が流れていた。
「…………俺を、笑いに来たのか?」
「なんでそうなるんだよ?」
「そうじゃないなら消えろ、目障りだ」
「嫌だね。今のお前、なんか今にも泣きそうだし」
「何を馬鹿な……」
皮肉を返そうとして、妖忌は押し黙る。
……非常に癪な話だが、龍人の言葉に否定する事ができなかったからだ。
妖忌は自分が最強の剣士だと思っているわけではない、自分より優れた剣士が居る事ぐらいは理解していた。
だがそれでも、この桜観剣と白楼剣に選ばれたという自信と自負はあった。
けれど、先程のやりとりで妖忌は自分が思っている以上に弱く……桜観剣と白楼剣を持つに値しない男だと否が応でも理解させられてしまったのだ。
だというのに自分の未熟さを刀のせいにしていた、その事実に漸く気づき……恥ずかしさと情けなさで一杯になってあの場から逃げ出し、1人になりたかったのだが……。
現在自分と背中合わせに座っている龍人は、そんな自分の心中などまったく気づいてくれないらしい。
「――弱くたって、いいじゃねえか」
「…………」
「これから強くなればいいだろ? そうすれば……」
「簡単に言うな、俺が弱かったから……未熟だったから、幽々子様もおふくろも……!」
守れなかった、守らねばならない主を、そして師であり剣士として目標であった母を。
その事実は妖忌の心に大きな傷を残し、この先も決して癒える事はないだろう。
だから彼は力を求めた、自分の未熟さから目を逸らして力だけを求めてしまったのだ。
……それが間違いだと気づけたが、気づいた所で、否、気づいたからこそ妖忌は焦りを覚える。
強くなるためにはどうすればいいのかわからない、ただ鍛錬を積めばいいわけではないと、彼が討たねばならぬ存在――アリアの力を見れば一目瞭然だ。
これではいつまで経っても、幽々子達の仇を取る事など……。
「少しずつ、前に進むしかねえんだ。俺達は」
「何……?」
「もう喪ったものは戻らない、取り返せない。それにいつまでも縋っていたら……前には進めない」
「っ、俺に幽々子様達の事を忘れろっていうのか!?」
「違う。でもそれだけに囚われてたら、もっと色々なものを喪うことになるだけだ!!」
「…………」
「俺だってアリアは許せない、幽々子達やとうちゃんの命を奪ったアイツだけは。
だけど今の俺じゃアイツには勝てないし、きっと俺1人の力じゃ敵わない。
だから少しずつでもいいから前に進んで、いつかアイツを止められるようにしないといけないんだ」
それは、途方もない話かもしれない。
数年で辿り着けるものではなく、数十年、数百年経とうとも無理かもしれない。
でも、だからといって駆け足で追いつこうとすれば結果的に何も変わらないと龍人は思っていた。
もうこれ以上何も喪わないためにも、力だけに固執せずに強くなっていかなければ。
「…………お前は、ガキのくせに物分りが良過ぎるな」
「だって、俺が勝手な事ばかりしたら紫が困る」
「……単純な理由だ」
だが龍人にとっては、それだけで充分なのだろう。
紫が傍に居るからこそ龍人は歩みが遅くとも前を向いて歩いている、紫という存在が龍人を強くしているのだというのがわかる。
……それを、妖忌は羨ましいと思ってしまった。
でも、そうか……と、妖忌は穏やかな呟きを零しつつ立ち上がる。
「……悪かったな、龍人」
「えっ?」
「お前をガキだガキだと思っていたが……ガキだったのは、俺の方らしい」
「? 妖忌はもう百歳近いんだろ? じゃあ俺よりずっと大人じゃん」
「そういうわけじゃ……いや、お前がそう思っているのならそれでいいさ」
「あーっ、なんで笑うんだよー!」
くつくつと笑う妖忌に、抗議の声を上げる龍人。
しかし妖忌の笑い声は暫し周囲に響き、止まった時には拗ねる龍人の姿があったとさ。
■
「――もう行くのか? 忙しない子供達だ」
「俺と紫は幻想郷に戻るだけだよ、絶鬼のじいちゃん」
「龍人さん、紫さん、色々とありがとうございました!」
「文も元気でね?」
妖怪の山の麓付近。
山を離れる紫達に、絶鬼を始めとした妖怪達が別れを惜しんで見送りに来ていた。
それぞれ、知り合った者達と一時の別れを交わす紫達。
その中で、妖忌と刀一郎は再び睨み合っていた。
とはいえ先程のような殺伐としたものではなく、寧ろ睨んでいるのは妖忌だけなのだが。
「次に会った時は、もう少しマシな剣士になっている事を願うぞ。そうでなければ桜観剣と白楼剣は返してもらおうか?」
「言ってろ、老いぼれが」
「その刀は全てを斬る。物質だけではなく霊のような精神的なものも、そして時すらも斬れる刀だ。この刀を持つのならその領域まで辿り着け」
「フン……」
小さく笑い、それ以上は何も言わずに妖忌は歩き始めていく。
それを見て紫達も慌てて彼の後を追いかける、皆へ挨拶を告げながら。
「もぅ……もう少し話をしたかったのに」
「だったら俺に合わせる必要はなかったんじゃないのか?」
「そういうわけにはいかないわ。彼女達にはまた会えるけど……魂魄家に戻るあなたとは、そうそう会えなくなるでしょう?」
そうなのだ、妖忌はこれから魂魄家へと戻る事に決めていた。
妖華の事を魂魄家の者に話さねばならないし、何よりも妖忌自身が一度家に戻り自らを見つめ直すと決めたからだ。
魂魄家は妖怪退治も行っている、妖怪である紫達がおいそれと行ける場所ではないのだ。
つまり、暫く妖忌とは会えなくなってしまう……最後の最後まで別れを惜しむのは当然と言えた。
「――いずれ、また会える。いや……お前達の歩む道に、きっと交わる時が来る」
「…………」
「それまで俺は少しずつ歩みを進める。誰よりも強い剣士になってやるさ」
そう言って、妖忌は笑った。
その笑みは今までのような粗野なものではなく、柔らかく優しい笑みだった。
「お前達も、強くなれよ?」
「勿論! 力がなくちゃ、守りたいもんも守れないからな!」
「さようなら妖忌、また」
「ああ、またな」
手を振り、妖忌の姿が消える。
「さてと……幻想郷に戻るか?」
「ええ、そうね」
「きゅん!」
藍を肩に乗せ、紫は幻想郷に向けてスキマを開く。
そして、最後にもう一度妖怪の山へ視線を向けてから、龍人と共に幻想郷へと帰還したのだった―――
To.Be.Continued...
これにて第三章はおしまいです。
次回からは少し時間が流れます、次は……二つルートがあるんですが、どちらにしようか迷い中です。
楽しんでいただけたでしょうか?もしそうなら幸いに思います。