その事実は、紫達の心を傷つける。
そして、彼女に更なる追い討ちとなる出来事が訪れる事に……。
「――――」
幽々子の身体が、西行妖に倒れ込む。
その光景は紫にとって酷くゆっくりしたものに映り……。
「――――、ぁ」
掠れた声を出した時には、もう何もかも手遅れになっていた。
――もう、彼女は二度と目覚めない。
自らの意志で紫達を助けるために、幽々子は己の命を犠牲にして西行妖を封印するという選択肢を選んでしまった。
……彼女の身体が、淡い光に包まれる。
その光は彼女だけでなく西行妖も包み込み――その光が収まった時には幽々子の身体は消え、あれだけ満開だった西行妖の花弁全てが枯れてしまっていた。
それと同時に、紫達を蝕んでいた呪いの力も消え去った。
たった十七年という短い年月しか生きられなかった少女の、文字通り総てを賭した行動によって、紫達の命は助かったのだ。
「…………幽々、子」
名を呼んでも、返事は無い。
当然だ、彼女はもうこの世にはおらず、紫の声に応える事は……もう永遠にありえないのだから。
「――よもや、このような結末になってしまうとは思いませんでしたわ」
息を切らしながら、そう言い放つアリア。
そんな彼女の足元には、刀を握ったまま倒れている龍人の姿があった。
アリアは暴走した龍人すら倒したようだが、その身体には決して浅くは無い刀傷が無数に刻まれていた。
妖力の大半も消費し、目に見えて余裕の色を無くしているアリアだったが。
それでも――彼女の優勢は変わらない。
西行妖の呪いが消えたとはいえ、蝕まれた今の紫達に対抗する力は残されてはいない。
対するアリアは大きなダメージを負っているとはいえ、死に体の彼女達の命を奪う事ぐらいは可能だ。
つまり、幽々子が己が命を賭してまで西行妖を封印したとしても、紫達の未来は変わらなかった。
「西行妖に西行寺幽々子、貴重な魂を回収できなくなったのは残念ですが……せめて、あなた方の魂は貰っていくとしましょう」
「…………っ」
無慈悲なアリアの言葉。
だが紫には、彼女に反撃する力は残されてはいない。
それが悔しくて、情けなくて……彼女はその金の瞳から大粒の涙を流していく。
己の弱さ、相手の強さをただ呪い、憎しみを募らせる。
……それしか今の自分にはできなくて、それが紫の心を締め上げていった。
「――悔しいのですね、でもこれが現実ですわ八雲紫。
あなたはいつだってそう、己の力すらまともに扱えず、誰かに支えられてもらいながらも何もできない。愚かで弱い、憐れな女」
「ぐ、ぐうぅぅぅ……!」
唸り声しか、紫には返せなかった。
アリアの言葉にそれは違うと返せない現実が、一層彼女を苦しめる。
「このまま生き続けても同じ事ですわ、あなたは誰かを犠牲にしても何も得られず、何も返せず、大切な者達を喪うだけ。
――だったら、今この場で消えた方があなたの……いえ、周りの為ですわ」
アリアが紫に歩み寄っていく。
そして倒れたままの紫のすぐ傍で立ち止まり、心底見下すように冷たい視線を彼女に向けた。
「幽々子を守れなかったのも、龍人達の命が失われるのも、全てはあなたが弱いから。
そんなあなたに、一体どうして生きる意味があると言えるのかしら?」
「―――――」
音を立てて、紫の心が壊れていく。
否定できない現実、そして数秒後に訪れる自らの死から逃れられない事を悟り、彼女の心は壊れかけていた。
(私、は……)
――ずっと、1人のまま生き続けるのが正しかったの?
――龍人達や幽々子に会わなければ、彼女達の命が奪われる事もなかった?
(ああ……もう、いいや……)
瞳を閉じる。
もうこれ以上、目の前の現実を見ていたくない。
何もかもから目を背けて楽になろうと、紫は全てを諦める。
「……そうよ八雲紫、全てを忘れて……楽になりなさい。それがあなたの為なの」
先程とは違う、どこか慈悲の感情を孕んだ声色で、アリアは紫に告げた。
そして彼女を楽にさせてやろうと、アリアは宝剣を天に掲げて振り下ろし。
「――――」
何故か。
紫の身体を斬る寸前に、アリアはその刀身を自らの意志で止めてしまった。
「………………?」
いつまで経っても来ない衝撃と痛みに、紫は目を開け顔を上げる。
すると、自分ではなくある場所へと視線を向けているアリアの姿を捉え、誘われるように紫もそちらへと視線を向け。
「――そこまでです。剣を収めなさい」
特徴的過ぎる変わった帽子を被り、両手で棒状の物体を握っている緑髪の女性が、この惨劇の場に現れていた事に気がついた。
(あれは……誰?)
紫の記憶の中に、あの女性は存在していない。
しかしこのような場に現れたのだ、人間というわけではないだろう。
では妖怪? それは否、何故なら妖怪特有の妖力をあの女性からは感じ取れない。
「…………何故、あなたが現世にいらっしゃるのかしら?」
(アリアは、知っているの……?)
口調からして、アリアは現れた女性の正体を知っているようだ。
だが決して上記の言葉からは友好的なものは感じ取れない、そればかりか憎しみすら感じられた。
「わたしはただ、“盟約”を果たすために参上しただけです。
それでどうしますか? おとなしくこの場を去るというのなら追いませんが?」
静かに、けれど重く威圧感溢れる口調で話す女性。
直接それを向けられていない紫でも、女性の凄みを感じられるほどだ。
「…………流石に、まだ“十王”を相手にするのは少々骨が折れますわね」
(十王……?)
「わかりましたわ。今回はおとなしく引き下がる事にしましょう」
「賢明な判断ですね」
「ですが……いくらあなた様でも、これ以上の邪魔をするというのならば……容赦は致しませんわよ?」
「愚かな……そこまで堕ちたというのですか?」
「堕ちた……? いいえ、成るべくして成ったと言ってほしいですわね」
無音で持っていた刀を消し去るアリア。
そして、彼女はもう一度紫に視線を向け。
「――あなたはいずれ後悔する。孤独で居なかった事に、自らの歩む道に大切な者達を巻き込んでしまう事に」
意味がよくわからない言葉を言い放ち、霞にように消えてしまった。
■
「…………」
「妖忌……」
「…………」
枯れた西行妖の下に簡易的ではあるものの建てられた墓――幽々子と妖華の墓標を、妖忌は黙って見続けている。
掛ける言葉など見つける事はできず、紫はただ黙って僅かに震えている妖忌の背中を見つめる事しかできなかった。
命を懸けて守らねばならなかった幽々子を守れず、師であり母である妖華を失った妖忌。
そんな彼が負った悲しみと傷は、決して他者では理解できぬほどに大きいものだ。
それでも妖忌は意識を取り戻してその事実を知った時も、今だって一度たりとも子供のように泣きじゃくる事はしなかった。
ただ黙って現実を受け入れようとしているその姿は、ひどく痛々しく……同時に強く映った。
「――八雲紫、少し宜しいですか?」
「…………」
先程の女性に声を掛けられ、紫は返事を返さないままそちらへと振り向いた。
「龍哉が、貴女に話があるそうです」
そう告げる女性の口調に、紫に対する同情や憐れみの色は見られない。
事務的に話す彼女の言葉はしかし、今の紫にとってありがたいものだった。
半壊した屋敷へと足を運ぶ紫、そこには座り込んだ龍哉と……横になっている龍人の姿が。
「安心しろ。龍人は眠ってるだけですぐに目覚める」
「…………ええ、わかっているわ」
いつも通りに応えたつもりだったが、紫の口から放たれた声は彼女自身もわかる程に覇気がないものだった。
だがそれも当たり前だ、友人である幽々子を目の前で失って、他の者達も傷つけられたのだ。
まだ心が成熟していない紫がこのような状態になるのは、無理からぬ事であった。
「――紫、悪いな。正直今すぐにでもゆっくり休ませてやりたいが、どうしても話さなけりゃいけねえ事があるんだ」
「……話さなければ、いけないこと?」
それは一体何だというのか、疑問に思いつつも半ば自暴自棄になっている紫に否定する気力は無い。
そんな紫の心中を理解して龍哉は苦々しい顔になるが――更なる非情な現実を彼女に告げなくてはならなかった。
「――俺はもうすぐ死ぬ。だから……お前に龍人を頼みたい」
「――――」
その言葉を耳に入れ、意味を理解するのに約七秒。
「………………は?」
そして意味を理解し、間の抜けた声を出すのに二十秒掛かった。
混乱の極みに陥っている紫に構わず、龍哉は言葉を続けた。
「龍神王様が俺の身体を妖怪のそれに変える際に、罰として明確な寿命を決めたんだ。
そしてその寿命が尽きようとしている、それに……四季映姫様との“盟約”も果たさなきゃならねえ」
「…………」
「まだ名を名乗っていませんでしたね。わたしは四季映姫・ヤマザナドゥ、死者を裁く【閻魔】です」
「閻魔……!?」
――閻魔。
地獄にある
しかし、ここで疑問が生まれた。
閻魔である彼女が、何故現世の存在である紫達を助けたのか。
本来そのような事は許されない筈、だというのに何故……。
「――あなた方を助けたのは、龍哉と交わした“盟約”があるからです」
「盟約?」
「彼はいずれ近い将来、己の寿命が尽きる事を悟っていました。故に彼は死した後に己の魂を我々に捧げる事を条件に、一度だけ龍人と八雲紫……あなた方を助けるようにという盟約を交わしたのです」
「―――――」
「まあそういう事だ。都で右腕を斬り飛ばされた時に確信した、あの女――アリアは俺より強いってな」
だから、彼は仮死状態になってまであの世に赴き、閻魔である映姫と盟約を交わした。
彼女達に魂を捧げる――輪廻転生の環から外れ、二度と転生できずに消滅するとしても……守りたかったのだ。
そして盟約は無事果たされた、ならば……今度はこちらの条件を果たす番だ。
「……どうして、そんな」
「遅かれ早かれ俺は近い内に死ぬ。だったら――」
「そんな事龍人は望まない!! 私だって……」
「だが、映姫様との“盟約”が無ければ今頃お前達は殺されていた」
「――――っ」
現実を突きつけられ、紫は押し黙った。
そう、彼の言う通り映姫が現れなければ全滅していた。
それぐらい紫にだってわかっている、わかっているが……納得できるわけがないのは道理であった。
「龍人はどうするの!?」
「お前さんが居る。お前に……龍人を託す」
「無理よ。私は何も守れない、そんな私が龍人を支える事なんてできない!!」
友である幽々子を守れなかった、その事実が紫を尚も責め立てる。
そんなお前が龍人を守る事も支える事もできはしないと、内なる自分が言い放つのだ。
「……確かに今のお前は弱いさ。それは事実だ」
「っ」
「だから強くなれ。お前はいずれ誰よりも強くなる妖怪になる、五大妖すら超えるほどの潜在能力がある。だからこそお前になら龍人を託せられると思ったんだ」
「……無理よ。私には……何もできない」
――誰かに支えられてもらいながらも何もできない。愚かで弱い、憐れな女。
アリアに言われた言葉が、もう一度紫の脳裏に浮かぶ。
そうだ、こんな弱くて憐れな自分に、守れるものなど何も………。
「――過去は戻せない、起きた事を無かった事にする事だってできない。ならば先の未来の事を考えるのが正しい選択ではありませんか?」
そう言い放つのは、四季映姫。
先程のような機械的なものではなく、厳しいながらも優しさが含まれる声色で紫へと告げた。
「八雲紫、あなたは弱いままで、何もできないままで終わりたいのですか? ただそうやって後悔だけして生きていくつもりですか?」
「…………」
「それは正しい選択ではない。まだあなたに歩む力が残されているのなら、今はただ前に進むことだけを考えなさい。
過去だけに囚われず、未来を信じて歩を進めていく。それが今のあなたにできる善行に繋がるでしょう」
「……四季、映姫……」
「――時間です。龍哉」
「はい」
立ち上がる龍哉。
その顔は、これから死に到り消滅する未来が待っている者とは思えない程に、穏やかなものだった。
当たり前だ、何故なら既に彼は現世に心残りは無いのだから。
息子である龍人には紫が居る、そして2人ならばきっとこの先の未来も生きていけると信じているから。
……ただ、敢えて心残りが存在するとしたら。
龍人に、最愛の息子に別れの言葉を言えない事ぐらいか……。
「――紫、最期に1つだけ忠告しておくぞ」
龍哉の身体が、光の粒子に変わっていく。
「これから先、お前と龍人には数え切れないくらい理不尽で納得できない光景が待っているだろう。
その度にお前達は人間に、妖怪に、そして世界に怒りや憎しみを抱いていくかもしれん。怒りや憎しみを抱くなとは言わない、だがな……それに己を呑みこませる事だけはするなよ?」
「龍哉……」
「怒りや憎しみは新たな憎しみを生み、その憎しみは争いを生み、そしてその争いは罪の無い者達の命を蝕んでいく。だからこそ、憎しみに囚われずに生きていけ。そうすりゃきっと……世界だって変えられるさ」
言いながら、無茶苦茶な事を言っているなと龍哉は内心苦笑した。
そんな事を簡単にできるわけがない、できるのならば人間と妖怪が憎み合う世界など生まれない。
だが、龍哉はこの2人ならばそれができると信じていた。
この2人ならば、きっと異なる種族の橋渡しになってくれると信じているからこそ……願いを託したのだ。
「今の言葉、龍人に伝えておいてくれ」
「………………ええ、わかったわ」
「おう。――じゃあな」
最期の言葉は、そんないつもと変わらぬ軽い調子で放たれ。
龍哉の身体が光の粒子となって――この世から消滅した。
「…………」
託された想いを、願いを、もう一度紫は脳裏に蘇らせる。
はっきり言って、このような小娘に託すようなものではない。
無茶苦茶で、でも……大切な想い。
それを無駄にするわけにはいかないと、紫はその金の瞳に強い決意を抱かせるのだった………。
To.Be.Continued...
次回で第二章が終わります。
最後までお付き合いしていただければ幸いです。