妖怪でありながら人間と仲良くするという事に違和感を覚えつつも、紫はそんな自分自身を完全に肯定した。
そんな中現れる謎の集団を軽く降し、紫は現れた者達が幽々子の命を狙う西行寺家の刺客だという事を知ったのだった……。
「――もう、我慢の限界だ!!」
屋敷中に響き渡っているのではないかと思えるほどの妖忌の怒声が、部屋に木霊する。
「妖忌、落ち着きなさい」
「これが落ち着いていられるのかよおふくろ! 西行寺の連中がまたしても幽々子様のお命を狙ったんだぞ!?」
幸いにも、紫によって幽々子は守られた。
だが、幽々子の命を狙ったのが同じ西行寺家の人間だと知った瞬間、妖忌は激昂したのだ。
というのも、西行寺家の連中が幽々子の暗殺を企てたのは、一度や二度ではないのだ。
「幽々子様をこのような場所に軟禁しておきながら、命まで狙うなど……もはや勘弁ならん!!!」
勢いよく立ち上がり、桜観剣と白楼剣を腰に差す妖忌。
その瞳には明確な殺意が見え、それを見た妖華はため息混じりに妖忌を呼び止めた。
「妖忌、短絡的な行動は慎みなさい」
「だがおふくろ……!」
「――妖忌、私からもお願い。気持ちは嬉しいけど落ち着いて、ね?」
「っ、幽々子様……」
主である幽々子にまで止められてしまい、妖忌は苦々しく顔を歪めながらもおとなしく座り込んだ。
「妖華、今回の事は不問にします。いいですね?」
「畏まりました」
「幽々子様!?」
不問、つまり幽々子は自分の命を奪おうとした西行寺家の者達を許すというのか。
……だが、これもいつもの事、幽々子は何度も自分の命を狙われようと一度たりとも報復を行わなかった。
妖忌が何度も進言しても、幽々子は「大丈夫だから、ごめんね?」と返すのだ。
争い事を好まぬ彼女だからこその判断なのは妖忌とて理解している、だがこれでは一向に問題は改善しない。
しかし、主の言葉を何よりも優先する妖忌には、それ以上何かできる筈も無く。
「………すみません。少し剣を振るってきます」
けれど腹の虫が収まらないので、剣を振って鬱憤を晴らそうと客間を飛び出すように出て行ってしまった。
「……妖忌には、後で謝らないとね」
「いいえ、あの子はまだまだ子供なのです。幽々子様が気にする事はありませんよ」
「でも幽々子、報復しろとは言わないけど……何もしないで居たら、問題は解決しないわよ?」
いずれまた幽々子は狙われるだろう。
西行寺の連中は、彼女の能力を恐れている、いつ自分達がその能力によって自ら命を絶つかわからないからだ。
無論幽々子はそのような事はしない、しかし連中はそれを信じることができないのだ。
「うん、それはわかってはいるんだけど……」
「…………」
何故幽々子は頑なに報復する事を拒んでいるのか、その理由を紫はなんとなく理解できた。
元々彼女は穏やかで争い事を好まない優しい性格だ、それも理由の1つだろう。
だが何より――己の能力によって親しい者達の死を見てきたからこそ、“死”というものに敏感で恐れを抱いている。
だからこそ彼女は何もしない、否、何もできないのだ。
妖華はそんな幽々子の心中を理解しているから必要以上に何も言わないし、妖忌も納得できなくてもおとなしくしている。
「――別にいいじゃねえか。幽々子が仕返ししたくないって言ってるんだから」
「龍人……」
先程まで会話に参加していなかった龍人が、口を開いた。
「何度襲われようとも俺達が幽々子を守ればいいだけだろ? ただそれだけの話だ」
「龍人……」
「幽々子は俺の友達だ。そして友達は何があっても守るもんだ、そうだろ紫?」
「……ええ、そうね」
なんと単純な考えか、そう思いながらも紫は龍人の言葉を肯定した。
そう、ただそれだけでいいのだ。
友である幽々子を守ればいいだけ、何度命を狙ってこようとも返り討ちにすればいいだけの話。
単純で短絡的、でも……彼らしい答え。
変わらぬ彼の言葉に、紫は自然と笑みを浮かべていた。
「じゃあ、俺も妖忌と一緒に剣を振ってくるなー!!」
そう言って、龍人は長剣を持って妖忌の元へと向かった。
「――優しい子ですね。彼は」
「ええ、少し……優しすぎる所があるけど」
「紫、大切にしてあげないと駄目よ?」
「わかっているわ幽々子、彼は私の最初の友達だもの」
「……友達、ねえ」
「……?」
突然悪戯っぽい笑みを浮かべる幽々子。
「何かしら?」
「ねえ紫、あなたと龍人って……只の友人なの?」
「そうだけど……どうしてそんな事を訊くのかしら?」
「だって、私だって女だから“そういう”話をしてみたいと思って」
「…………ああ」
成る程、つまり彼女は恋の話をしたいらしい。
少女らしい話題を出してきたものだと思いつつ、紫はそっと溜め息を吐いた。
何故か? 紫がそういった話は苦手だからだ。
いや、苦手というよりも理解できないと言った方が正しい。
人間は異性と恋に落ち、夫婦となり、子を産み育てる。
無論それは妖怪にもあるが、今まで人間と妖怪から逃げてばかりいた紫にはそんなものを考える余裕など無かったのだ。
故に紫にはわからない、というより色恋沙汰を考える余裕ができても興味が無い。
そう告げると、幽々子は何故か大層驚いたのか可笑しな顔になった。
「勿体ないわね。紫って凄い美人なのに」
「あらありがとう。でもだからと言って恋をしなければいけないってわけではないわ」
「龍人とは?」
「どうしてそこで龍人が出てくるの? 彼はただの友人よ」
「そうは見えないけどなあ……」
「……そういう幽々子は、恋をしてるのかしら?」
「…………」
反撃したら、黙ってしまった。
しかし紫は逃がさない、散々質問をしてきたのだから。
あからさまに視線を逸らされても、瞬時に移動して無言の圧力を向け続ける紫。
すると幽々子は、先程から傍観していた妖華に助けを求めるという卑怯な手段を決行。
だが妖華はニコニコと微笑むだけで、幽々子の助けを無視。
……彼女も楽しんでいるのだろう、生真面目そうに見えて結構お茶目なようだ。
さすがに可哀想になってきたので――紫は更に責める事にした。
「その反応は……しているのかしらねえ?」
「……黙秘するわ」
「却下」
「ええっ!?」
「先に訊いてきたのは幽々子よ? そして私はちゃんと質問に答えたのだから、今度は幽々子の番ね」
「あうう……」
しまった、完全に愚行だった。
しかしこちらとて安易に暴露するわけにはいかない、というより暴露したら妖華が怒る。
だから幽々子は紫の視線から眼を背け続け、懸命に黙秘を貫くのであった。
■
「――なあ、まだ怒ってんのか?」
「…………怒ってねえよ」
場所は変わり、中庭。
桜の花弁が宙を舞う中で、妖忌は一心不乱に剣を振り続ける。
それを近くで眺めながら、龍人は上記の問いを投げ掛け、妖忌はそれを不機嫌そうに返した。
「やっぱ怒ってるだろ、まあ気持ちはわかるけどなー」
「……幽々子様は、甘過ぎるのだ」
剣を振るのを止め、妖忌は吐き捨てるように呟く。
主の命は絶対だ、それに異議を唱えるわけにはいかない。
だが、それでも妖忌は幽々子の考えに完全には賛同できなかった。
「そもそも幽々子様をここに軟禁させているのはその者達なんだぞ? このような事をしておきながらあまつさえ命まで狙うなど……何様のつもりだ!!」
風が舞う。
妖忌の怒りが形になったかのように、彼の身体から溢れた霊力が空気を震わせた。
「幽々子様はただ静かに、平和に暮らしたいだけなんだ。そんな小さな願いすら西行寺の連中は踏み躙っているんだぞ!?」
それが、妖忌には許せなかった。
幽々子は本当に優しい人間だ、どんなに辛い事があっても自分達の前では明るく務めようとする。
そんな彼女が、何故このような仕打ちを受けなければならない?
そう思うと、妖忌の中に際限なく怒りと憎しみが湧き上がってきてしまう。
「でも、幽々子がそれを望んでない」
「我慢してるだけだ。幽々子様はすぐ辛い事も苦しい事も俺達に言わずに己の内に溜め込む方だからな」
「よく見てるな。妖忌って幽々子の事が本当に大切なんだな」
「当たり前だ。俺にとって幽々子様は“総て”なんだ。命を懸けて守ると誓ったあの時から」
妖忌が幽々子と出会ったのは、彼女がまだ四つの頃だった。
無邪気で可愛らしく、でも何処か陰のある幽々子を見て、守りたいと無意識の内に妖忌は誓っていた。
その誓いは共に居る時間が増えれば増えるほど大きくなっていき、いつしか彼女は妖忌にとっての“総て”となっていた。
彼女の喜びは自分の喜び、彼女の悲しみは自分の悲しみ。
故に妖忌は幽々子の幸せを一番に考えている、そしてそれを奪う者を決して許しはしない。
「……まあ、結局こうは言っても俺は幽々子様の考えを覆す事はできないんだかな。それに幽々子様は存外に頑固者だから」
「あー、今の幽々子に言ってやろ。頑固者だって」
「あっ、てめっ、変な事言ったら斬るぞ!!」
「やってみろ。二年前とは違うんだからな?」
「……上等だ。前回の決着を着けてやろうか!?」
刀を持ち身構える妖忌、龍人も口元に愉しげな笑みを見せながら長剣を抜き取った。
そして、2人は前回の続きを行おうと互いに踏み込もうとして。
「――ふふっ、仲がよろしいですわね」
第三者の楽しげな声が、2人の耳に入った。
「――っ!?」
「ん……?」
すぐさま身体を声が聞こえた方向へと向けながら、身構える妖忌。
そこに居たのは――背中に純白の翼が生えた見慣れぬ女性。
優しげに微笑み、桜の花に囲まれるその姿は不思議な美しさがあった。
「……何者だ?」
構えは解かず、妖忌は問うた。
「そのような殺気を向けられてしまっては、話せるものも話せなくなりますわ」
対する女性はまるでからかうような口調で返しながら、くすくすと笑う。
その小馬鹿にした態度に苛立ちを覚えつつも、妖忌は飄々とした女性の薄気味悪さに先手を取れないでいた。
突然現れたこの女の素性は知れないが、妖忌自身が目の前の相手が敵だと訴えている。
主である幽々子にとっての敵だ、そう認識しているのだ。
しかし、ならば斬らねばと思っているのに……不思議と妖忌は動けなかった。
否、その理由はわかっている。
……恐れているのだ、彼自身がこの女性を。
「……お前、誰だ?」
妖忌が冷や汗を流している中、龍人はいつもと変わらぬ態度で女性に話しかけた。
「ワタシはアリア。アリア・ミスナ・エストプラムと申しますわ」
「アリアだな、俺は龍人だ」
「こんにちは龍人、以後よろしく?」
「ああ、よろしくなアリア」
笑みを浮かべ合う龍人とアリア、まるで久しぶりに会う友人同士のようなやりとりだ。
「おい、なに悠長に話してんだ!!」
「いや、けどさ……」
「――そうでした。さっさと用件を済ませてしまいましょう」
女性――アリアの纏う空気が変わる。
友好的な空気は一瞬で消え、張り詰めた空気によって息をするのすら躊躇ってしまいそうだ。
「用件ってなんだ?」
だが、それでも龍人の態度は変わらない。
この空気を察知できないわけではない、寧ろ
現に今だってビリビリと痺れるような威圧感を身体全体で感じている。
……でも、何故だろうか。
彼自身わからないが、目の前のアリアという女性がどうしても自分にとって敵だとは思えなくて……。
「――西行寺幽々子を、渡していただけませんか?」
「な、何だと……!?」
「…………」
「正確には彼女の魂をいただきたいのです。死を操る力を持った程の魂……それは人間を大きく超えた純度の魂ですから」
「わけのわからん事を……! 貴様も西行寺家の手の者か!?」
「いいえ。あのような虚栄心と家柄以外に誇れる事がない輩達は関係ありませんわ、それより……お返事をいただきたいのですが?」
そう言いながらも、アリアが放つ覇気が際限なく大きくなっていく。
返事を貰いたいと言っておきながらも、彼女は本気で言っているわけではない。
ここで了承しようとも断ろうとも、邪魔をするならば殺すとその瞳が告げていた。
「ふざけるな!!」
当然、そのような要求など妖忌には呑めるわけがなかった。
桜観剣と白楼剣を手に持ち、今度こそ明確な殺意をアリアに向け彼は叫ぶ。
「…………残念ですわ」
さして残念でもなさそうに呟き、アリアは薄く不気味な笑みを浮かべる。
――刹那、銀光がアリアに向けて奔った。
「っ……!」
突然の衝撃に驚きつつも、アリアは右の掌から防御結界を展開。
銀光を受け止め、けれど衝撃によって数メートル後退した。
(この力は……)
予想を大きく超える威力に、アリアは表情にすら出さないものの、内心では驚いていた。
今の一撃は妖忌が繰り出したものではない、自分に向かって長剣を振り下ろしたままの体勢になっている龍人によるものだ。
「――なんでかわかんないけど、俺……お前が悪いヤツだとは思えないんだ」
「…………」
「それに、どこかで会ったような気がするし、戦いたくないと思ってる」
言いながら、龍人の身体から龍気が溢れ出す。
「――でも、お前が幽々子に何かしようって言うなら、それを黙ってみているわけにはいかねえんだ」
だから今すぐここから消えろと、龍人の瞳がアリアに告げる。
ここからいなくなってくれれば、こっちもこれ以上何もしないと彼はそう訴えているのだ。
「…………優しい子、ですわね」
だが、そんな言葉で引き下がるアリアではなかった。
「…………」
「おい龍人、お前まさか戦えないって言うわけじゃねえだろうな……?」
「そんなわけないだろ。友達である幽々子を殺すって言ってるヤツを、このままにしておくわけにはいかない!!」
「ならいい。――遅れんなよ!!」
「わかってる!!」
同時に駆け出し、アリアに向かっていく龍人と妖忌。
それを見つめながら、アリアは徐に両手を天に向かって広げ。
「――致し方ありませんわね。では……彼を呼ぶ事にしましょうか」
そう言って瞬時に召喚術を展開し、ある存在をこの場に招き入れた………。
To.Be.Continued...