幽々子は妖怪に対しても人懐っこい変わった人間だと認識した紫であったが、彼女はまだ知らなかった。
ただの人間である幽々子の内側に宿る、呪いの力に………。
「――ああ、お茶が美味しい」
「……あなた、まだ若いのに随分年寄り臭いのね」
「紫には言われたくないですよー」
広い中庭を一望できる縁側にて、隣り同士に座る紫と幽々子。
一歩下がった場所には、まるで見守るように佇む妖華の姿があり、紫と幽々子の手には彼女が淹れた緑茶が入った湯のみが握られている。
山奥に存在する屋敷ではあるものの、流れる空気は先程とは違いすっかり春のそれだ。
暑いわけでも寒いわけでもないちょうどいい暖かさは、生きる者の心を弾ませていた。
なんて穏やかで和む時間だろうか、ずずずとお茶を啜りながら紫達は中庭へと視線を向け――全然穏やかではない光景を視界に入れた。
――鋼がぶつかり合う甲高い音が、空気を震わせる。
刀と長剣、2つの刃が幾度と無くぶつかり合い、龍人と妖忌の身体が縦横無尽に駆け巡っていく。
紫と幽々子はのんびりと縁側でお茶を飲みまったりと過ごしているというのに、龍人と妖忌は互いの獲物を振るい合い打ち合いを行っていた。
要するに鍛練である、事の発端は妖忌が。
「少しは腕を上げたのか?」
と言ってきたので、「じゃあ試してみようぜ!」と龍人が乗り気になり――今に到る。
「でも凄いわ。あの妖忌の剣についてこれるなんて……龍人って、強いのね」
「幽々子様、まだまだ妖忌は未熟者。剣に迷いが見られますので、あまり過大評価してはなりません」
「もう、妖華は妖忌に厳しいんだから。あの人が毎日頑張ってるって知っているでしょう?」
「あの刀の持ち主ならば日々の鍛練は当たり前ですよ。――ですが、確かに龍人さんの剣はなかなかのものです」
荒削りで真っ直ぐ過ぎるところはあるものの、少年とは思えない程に力強い剣戟だ。
無論妖忌にすら及ばないが、あと数十年もすれば一人前と呼べる領域に達するかもしれない。
魂魄家最強の剣士だけが持つ事を許される【桜観剣】と【白楼剣】の前任者である妖華にここまで言わせるのは、剣士として誉れある事だ。
尤も、それを龍人に言った所で理解できるとは思えないが。
「っ、……っ!!」
「…………」
特別甲高い音が響き、妖忌が後方に吹き飛ばされる。
凄まじい衝撃に襲われたのか、妖忌の顔に苦悶の色が浮かんだ。
一方、妖忌を剣戟で吹き飛ばした龍人は、右手に長剣を持ったまま不動の体勢で妖忌を見据えている。
「……お前、二年間眠っていたんじゃなかったのか?」
「そうだよ。けど……ずっと寝てたからか、身体がすげえ軽いんだ」
だからこんなに動けんのかな、そんな呑気な事を言う龍人に妖忌は眉を潜め…そして、それは紫も同じであった。
(どうして、いきなり力が増したの……?)
彼は二年間眠り続けていた、だというのに目覚めて早々人狼族の実力者である今泉士狼を圧倒した。
そして今も、二年前ではまるで歯が立たなかった妖忌の剣に、食らいついているばかりか僅かに圧しているのだ。
疑問に思わぬわけがない、一体彼の身に何が起きたというのか。
それに彼がいつの間にか持っていた剣にも謎が残る、誰が彼に渡したのか当の本人すら覚えていないというのだ。
急激に彼の力が増した事と何か関係があるのだろうが、いくら考察しても結論には至らない。
「妖忌、大丈夫ー?」
「……大丈夫ですよ、幽々子様」
心配そうな声を掛ける幽々子に、妖忌は視線を龍人に向けたまま返事を返す。
(なんと情けない……幽々子様にご心配を掛けるなど……!)
いくら鍛練とはいえ、この刀を託された剣士として同じ剣戟で圧されるなど屈辱だ。
憎々しげに龍人を睨む妖忌、すると彼は徐に白楼剣を鞘に収め桜観剣を両手で握りなおした。
「……やれやれ、これだからまだまだ未熟なのですよ。妖忌」
“それ”に最初に気がついたのは、妖華。
続いて紫が、桜観剣に妖忌の霊力が集まり出したのを察知する。
「妖忌、何を……?」
「んん……?」
妖忌が何をしているのかわからないのか、龍人が首を傾げると――桜観剣の刀身が輝き出した。
その輝きは霊力によるもの、圧縮されたそれは瞬く間に臨界へと到達する。
「っ、龍人、逃げなさい!!」
「ん……?」
「――悪いが、決めさせてもらうぞ!!」
叫ぶようにそう告げ、妖忌が龍人に向かって吶喊する。
「っ………!」
そこで漸く龍人も気づき、左手を剣の刀身に這わせ龍気を注ぎ込む。
「
「――“炎龍気”、昇華!!」
桜観剣の輝きが一際大きくなり、同時に龍人の持つ長剣に黒い炎が纏わりついた。
そして、互いの一撃が入る間合いへと詰め寄った瞬間。
「――
「
互いの一撃が繰り出され、爆撃めいた轟音と衝撃波が中庭全体に巻き起こった。
「きゃあ!?」
「っ、く………!」
瞬時に幽々子を守る妖華、紫も結界を張り衝撃を軽減させる。
その甲斐もあって幽々子は驚きはしたものの、怪我一つなく紫と妖華はほっと胸を撫で下ろす。
そして、ただの鍛練にしては明らかにやりすぎた2人へと視線を向けると。
「…………ぷはぁー、効いたー」
「…………ちっ、くそったれ」
龍人も妖忌も、衣服の所々を焦がしながら、地面に倒れ込んでいた。
「…………」
「はぁ……まったく……」
大きく溜め息を吐いてから、立ち上がり中庭に向かう妖華。
紫もそれに続き、倒れたままの龍人と妖忌を見下ろしながら。
「…………」
「ぐっ……っ!?」
妖華は無言で妖忌の額にとんでもなく力の入った平手打ちを叩き込み。
「――龍人!!!」
「いてえっ!?」
紫は右の拳に妖力を込め、龍人の顔に拳骨を叩き込んだのであった。
■
「――まったく、幽々子様に被害が及んだらどうするつもりだったのかしら?」
「うっ……」
「龍人もやり過ぎよ。反省しなさい」
「だってさ、なんかお互いに負けたくないって思ったら……」
「何か言ったかしら?」
「……なんでもないです」
縁側で小さくなる男達にガミガミと説教する紫と妖華。
それにより更に小さくなっていく2人だったが、突如として幽々子の笑い声が場に響く。
「あはははっ、なんだか2人って兄弟みたいね!」
「……俺と妖忌が、兄弟?」
「ご冗談を。こんな小僧が弟などと俺は許容できません」
「なんだよー。っていうか俺が弟なのは確定なのか?」
「当たり前だ、阿呆が」
「阿呆って言った方が阿呆なんだぞ!!」
「なんだと!?」
睨み合う龍人と妖忌。
息子の子供じみた態度に妖華は溜め息を吐き出し、幽々子は再びからからと笑い出す。
するとさすがに大人気ないと思ったのか、ばつの悪そうな表情を浮かべる妖忌。
……和やかで穏やかな空気が、再び戻ってきた。
「…………」
(? 妖華……?)
気のせいだろうか。
龍人達のやりとりを見て、正確には楽しそうに笑っている幽々子を見て、妖華が瞳に涙を浮かべた気がしたのは……。
「…………おなかすいた」
幽々子がそう呟いた瞬間、彼女の腹部からきゅ~という可愛らしい音が響いた。
当然その音はこの場に居た全員に聞こえており、幽々子は羞恥で顔を紅潮させる。
「では、そろそろ夕食の支度を致しましょうか。妖忌、あなたは幽々子様の傍に居なさい」
「ああ、わかった」
「お2人も食べていってください」
「やったー!!」
「ふふふ……」
穏やかな笑みを浮かべてから、妖華はその場を後にする。
夕食の時間が待ち遠しいと言わんばかりの反応を示す龍人、それを見て呆れる妖忌、そんな2人を見てまたしても楽しげに笑う幽々子。
紫も3人の輪に入ろうとして……ふと、先程の事が気になり妖華の後を追う事にした。
「紫、何処行くんだ?」
「少し席を外すわ」
龍人に短くそう告げ、紫は急ぎ足で妖華の後を追う。
広い屋敷の廊下を歩き、紫が妖華の姿を視界に捉えた時には、既に屋敷の台所に辿り着いていた。
「紫さん? どうかしたのですか?」
「……少し、気になった事があって」
「気になった事、ですか? それは一体なんでしょうか?」
訊ねながら、妖華は早速夕食の仕込みに入る。
その後ろ姿を眺めながら、紫は先程の事を訊ねた。
「幽々子が楽しそうに笑っているのを見て、泣きそうになっていなかった?」
「…………」
野菜を刻んでいた包丁を持つ手が、止まる。
その反応は肯定の証、すると妖華は料理の手を止め紫へと振り返った。
「……良い観察眼ですね。あなたはまだ若いですがいずれ大妖に成り得る器の持ち主です」
「それはどうも。――気づいたのはたまたまだけど」
「だとしても見事なものですよ八雲紫さん、ですが私もまだまだ未熟のようですね」
ふふふと笑う妖華。
「幽々子様があのように笑う姿を見たのが十年振りでしたので、つい嬉しくなって感極まったのですよ」
「…………十年?」
「そう、十年……幽々子様はずっと己を憎み続け恨み続け……十年間、心からの笑みを浮かべた事はないのです」
何処か吐き捨てるように、妖華は言う。
だが、紫にはその言葉の意味をよく理解できなかった。
「あなた達には本当に感謝しています。まさか会って早々に幽々子様があそこまで心を開き、尚且つ昔のように笑ってくださるとは思ってもいませんでしたので……」
「……妖華、あの子は普通の人間じゃないの?」
「人間ですよ、幽々子様は。穏やかで心優しく……本当に優し過ぎる人間です」
「じゃあ、どうしてこんな人も動物も寄り付かないような山奥で暮らしているの? あの子の親は一体何処に居るの?」
「…………」
妖華の雰囲気が変わる。
しまった、そう後悔してももう遅い。
安易に深入りし過ぎた、今の問いはおいそれと訊ねてはいけない類のものだ。
緊張で無意識の内に喉を鳴らす紫、一方の妖華はただじっと紫に視線を向け続け。
「――幽々子様のご両親は、既にこの世にはおりません」
あっさりと、紫の問いに答えを返した。
「母君様は幽々子様をお産みになってすぐに、父君様は幽々子様が七つの時に」
「……ごめんなさい、このような質問はするべきではなかったわね」
「いいえ。構いません、私はただ事実を口にしているだけ、幽々子様もお許しになる事でしょう」
「……なら、あの子がこんな所で暮らしている事に対する答えも、いただけるのかしら?」
――不思議と、気になっている。
会ったばかりの少女、それも人間である幽々子を紫は何故か知りたいと思った。
理由は紫自身もわからない、でも初めて彼女を見た時に……何かを感じ取ったのだ。
普段の自分とは違う態度に驚きつつも、紫はそれ以上何も言わずに妖華の言葉を待つ。
……すると、彼女は。
「幽々子様がこの屋敷で暮らしているのは、幽々子様ご自身の“能力”のせいなのです」
何かを思い出したのか、少しだけ辛そうに紫の問いに答えを返した。
「能力……?」
「はい。本来生きとし生ける者が持つべきものではない能力……幽々子様は、無意識の内に他者を“死を誘う”能力を持って生まれてしまったのです」
「死を…………誘う?」
その言葉はあまりに曖昧で、象徴的なものだった。
死を誘うとは一体どういう事なのか、紫はもう少し詳しく訊く事にした。
「文字通りの意味です。幽々子様の傍に居る生者は、幽々子様ご自身の能力によって無意識に自らの命を絶ってしまう」
「なっ――!!?」
「幽々子様の父上も、その能力によって自ら命を絶ち、そしてその弟子や使用人達も後を追うように……」
「――――」
言葉が、出なかった。
当たり前だ、ただそこに在るだけで死を与えるなど死神と、否、死神以上に恐ろしい。
そんな能力をあんな少女が、それも人間が持ちうるなど……。
「幽々子様はご自分の能力を制御しようと努力なさいました、ですがそれは叶わず……」
「当たり前よ、そんな能力大妖怪でも制御する事なんてできるわけが無い。ましてや人間の幽々子では絶対に不可能よ」
「ええ。ですが自身の能力によって亡くなった者達に涙を流す幽々子様を見てしまえば、諦めろなどとは言えませんでした」
結局、幽々子の能力によって屋敷の者達は全員自ら命を絶ってしまった。
後に残ったのは、半人半霊故に彼女の能力が効き難かった魂魄家の者と……沢山の墓標だけ。
幽々子の親族も幽々子の能力を恐れ、彼女のこの人里離れた山の中へと隔離した。
その際にその親族達から次々と呪いの言葉を吐き出され、彼女自身も己を強く呪ったらしい。
……それでも、彼女の能力は他者の命を奪っていく。
「怨霊が人も獣も存在しないこの場所に現れるのも、幽々子の能力が関係しているというわけね……」
「はい。その通りです」
「…………」
なんとも、笑えない話だ。
だが、紫はここでどうして自分が幽々子の事を知りたいと思った理由を理解した。
……似ているのだ、彼女は自分に。
自らの能力によって周りから疎まれ、憎まれ、呪われる。
そして自らも自身の能力を憎み、呪っている。
人間と妖怪、種族は違えど……紫と幽々子は同じ傷を持って生きている者達だったのだ。
だから紫は半ば直感めいたもので幽々子が己と同じだと悟り、彼女を知りたいと思ったのかもしれない。
――放ってはおけないと、そう思った。
「妖華、私と龍人を暫くこの屋敷に居座らせてはくれないかしら?」
「えっ……」
「正直、私にだって幽々子の能力を制御するなんて芸当ではできないわ。でも彼女の能力は私には通用しない」
自分自身の境界を操作すれば、死を誘うという幽々子の能力を遮断する事はできる筈だ。
同様に龍人にもそれを施せば、少なくとも彼女の能力によって命を奪われる事はない。
「――あの子には友人が居ない。あなたも妖忌もあくまで従者だもの、だから……私達があの子の友人になる」
「…………紫さん」
「妖怪の私が人間の幽々子の友人になるのは、ご不満かしら?」
「……いいえ、いいえ紫さん。ありがとう」
深々と頭を下げ、心からの感謝の言葉を口にする妖華。
……ああ、本当に自分は甘くなったと紫は内心苦笑する。
妖怪の自分が人間の幽々子に、少しでも力になろうとするなど……実に妖怪らしくない。
今更な気はするが、甘ったるくなった自分にはいつも苦笑させられる。
だが――それも構わないだろう。
妖怪らしくなくて結構、ただ自分の心の赴くままに行動して何が悪いというのか。
人間と仲良くしてはいけないなどという理など存在しないのだ、これもまた1つの答えなのだから……。
To.Be.Continued...
これから全体的に展開が速めになっていくと思います。
見返すと無駄な場面が多いと思いましたので、もう少し適度な感じを心掛けようと思いましたので。