そして彼の目覚めは、紫の心に漸く平穏を齎したのであった。
第22話 ~友との再会~
――子供達の声が、紫の耳を少しだけ騒がしくさせる。
春の息吹をその身で目一杯感じながら、子供達が走り回っている。
誰もが笑顔を浮かべ楽しげで、幸せそうであった。
そしてその中心には、子供達の相手をする龍人の姿があり、彼もまた周りの子供達と同じく無邪気な笑みを浮かべている。
無邪気で、未熟で、けれど愛おしい。
周りの大人達は誰もがそう思い、紫もまた同様に彼等を見守っていた。
「――幸せそうですね。やはり龍人さんが目覚めたのが嬉しいんですか?」
紫の耳に、子供達とは違う声が聞こえてきた。
声の主は稗田阿一、この隠れ里――幻想郷にて妖怪に関する書物を書いている人間の青年だ。
少しだけからかうような声色を混ぜた阿一の問いに、紫は皮肉を込めながら否定をしようとして。
「…………そう、ね。思っていた以上に嬉しいわ」
すんなりと、阿一に対して己の正直な心を曝け出した。
……そう、自分は今嬉しく確かな幸せを感じている。
龍人が目覚めてくれた、二年という妖怪にとって短く、けれど紫にとっては長い二年という月日の果てに。
彼は眠る前と何も変わらない無邪気さと優しさ、そして純粋さを紫に見せている。
たったそれだけで紫の心は弾み、彼の笑顔を見るだけで小躍りをしてしまいそうになった。
それと同時に彼女は気づく、龍人という存在が自分の思っている以上に己が心を占めていると。
でも、それも悪くないと彼女は思う。
たった1人の少年の存在によって一喜一憂するなど、まるで恋をする童女のようではないか。
なんと未熟で情けない姿か、妖怪の山に帰った友人である伊吹萃香が今の自分を見れば、きっと笑い転げるだろう。
――それもまた悪くないと、それでも彼女は己の心を笑わない。
と、龍人から「紫ー」という無邪気な声が聞こえてきた。
見ると彼が自分に向かって手を振っており、紫も右手を振ってそれに応えた。
たったそれだけ、それだけの反応で彼の表情は瞬く間に笑みに溢れる。
なんて単純なのだろうか、彼の反応を見て苦笑しつつも…紫の心は再び嬉しいと弾んでいた。
「――稗田様、御客人がお見えになられました」
「客? はて……今日、誰かが来訪する予定はありましたっけ?」
屋敷の使用人にそう告げられ、首を傾げる阿一。
そもそも隠れ里であるここに来訪してくる者など、数えるほどしか存在しない。
では誰が来たのだろうと思考に耽る阿一に、別の女性が声を掛けた。
「――お久しぶりですね、稗田阿一さん」
「おや、あなた達でしたか」
どうやら声の主は阿一の知り合いらしい、いつもの友好的な声を発している。
紫も阿一と同じくその女性へと振り向いて……意外な人物を視界に捉えた。
「――妖忌?」
「……紫、か?」
女性の隣に立つ青年、それはかつて都で出会った魂魄妖忌であった。
相変わらずの仏頂面だが、知り合いが前と変わらぬ姿なのは安心できた。
「妖忌、今紫と言いましたが……この子が?」
「ああ。こいつと……向こうで子供と遊んでるのが、紫と龍人だ。“おふくろ”」
「おふくろ……?」
おふくろ、妖忌は隣に立つ女性を確かにそう呼んだ。
つまりこの妙齢の女性は妖忌の母なのだろう、妖忌と同じく緑を基調とした着物で身を包んだ白に近い銀髪の女性。
穏かな表情はおとなしめな印象を与えるものの、着物から出ている腕や首筋に刻まれた刀傷が、ただの女性ではないと訴えている。
尤も、そんなものを見なくても女性から感じられる鋭い刃のような覇気が、只者ではないという証になっているが。
「前に息子がとんだ迷惑を掛けたそうですね……八雲紫さん」
「ええ。でも一番迷惑を掛けられた龍人が気にしていないから、私もこれ以上彼を責めるつもりはないわ」
「ありがとうございます。この子には私自らがしっかりと罰を与えておきましたので」
「…………」
ぶるりと、妖忌の身体が震え上がっていた。
……何をされたのかは知らないが、相当な目に遭わされたのは確かなようだ。
訊いてみたい衝動に駆られつつも、世の中には知らない事もあった方がいいと紫は自己完結させる。
そんな彼女の心中はさておき、女性は改めて紫へと視線を向け、自らの名を明かした。
「私は【
「八雲紫よ。……成る程、前の【桜観剣】と【白楼剣】の持ち主なら、その覇気も納得できるわ」
「ふふふ、このような老いぼれを捕まえて……光栄ですね」
上品な笑みを浮かべる妖華、妙齢ながらもその笑みはただ美しかった。
「妖華さん、せっかく来られましたし私の屋敷に参られませんか?」
「ありがとうございます阿一さん、ですが今回はあまり屋敷を空けたくはありませんので次の機会にしてはいただけないでしょうか?」
「わかりました。ではすぐにいつものを用意してもらいますので」
言って、阿一は使いの者に指示を出し始める。
「……ねえ妖忌、あなた達はどうして幻想郷の事を知っているの?」
「幻想郷?」
「この隠れ里に付けられた名前よ。それよりどうしてこの里の人と交流があるの?」
「阿一の……今の稗田家の当主の父親と、“
昔、随分と世話になったという話は聞いた事はあるが、その名残だろ」
「……幽々子御嬢様?」
「俺達【魂魄家】が代々仕えている【
「ええ、そのつもりだけど……」
紫がそう答えると、妖忌は少しだけ考える素振りを見せてから。
「――幽々子御嬢様に会ってはくれないか? 前にお前達と出会った事を話したら、会いたいと仰られてな」
そんな提案を、紫に告げてきた。
■
「――都で大きな事件が遭ったと聞いたが、そんな事があったとはな」
「ええ。本当にいろいろあったのよ……」
幻想郷を離れ、紫、龍人、妖忌、妖華の4人はある山中を歩いていた。
先頭は妖華、その後ろに龍人と紫と妖忌が並んで歩いており、妖忌は野菜や果物、米といった食糧を積んだ荷車を引いている。
幻想郷で作られた作物達だ、妖忌達が幻想郷に訪れたのもこの作物達を購入するためであった。
そして現在、ゆっくりと歩を進めながら紫達は二年前の都での騒動を妖忌に話していた。
「二年も眠るとはな……。
「でも、俺が一番驚いたのはとうちゃんが本当のとうちゃんじゃなくて、しかも元々龍神様だったって事だなー」
――龍人が目覚めた後、龍哉は彼に自らの正体を明かした。
本来は話すつもりは無かったのだが、やはりいつまでも隠し通せる事は難しい……そう判断した龍哉は、話す事にしたのだ。
そうなれば当然彼が龍人の本当の父親ではないという事も理解してしまい、当たり前だが彼は驚きを隠せなかった。
しかし、彼の驚きはすぐさま消え、実の親ではないという事実にもまったく悲観した様子は見せなかった。
だがそれも当たり前だった、龍人にとって親は龍哉だけであり、血の繋がりが無くともその事実は彼の中で確固たるものになっているのだから。
―――とうちゃんが本当のとうちゃんじゃなくても、俺にとってとうちゃんは本当のとうちゃんだ!!
そう告げた龍人の言葉に、龍哉が不覚にも涙ぐみそうになったので、ここぞとばかりに紫が弄り倒したのは余談である。
因みに彼は妖忌達と同行していない、なんでも幻想郷の者達と酒盛りする約束をしてしまったらしい。
……通算何度目の酒盛りだろうか、まったく興味ないし知った事ではないのでどうでもいいが。
「それで妖忌、幽々子ってヤツはどんなヤツなんだ?」
「幽々子御嬢様だ。せめて様ぐらいは付けろ」
「妖忌、龍人にそんな事を言っても無駄よ」
「……それもそうだな。とにかく無礼な態度だけはするな、それさえ守れればそれでいい」
「へーい。それでどんなヤツなんだ?」
「優しく穏かな方だ、ただ……少し悪戯が過ぎる時もある」
「子供なんだな」
「少なくともお前よりは年上だ」
そんな会話をしつつ、紫達はどんどん山を登っていく。
……だが、ふとした疑問が紫の中で生まれた。
(こんな山奥で暮らしているのかしら……?)
幻想郷も山に囲まれた里であったが、紫達が歩いている場所は更に山奥の秘境とも呼べる場所だ。
妖怪のような人外でなければ荷車は運べず、人どころか動物の姿すら見られない。
御嬢様、と呼ばれているのならば位の高い人間なのだろう、だというのにこのような山奥の先に暮らしているのは何故だろうか。
それに――もう春になる季節だというのに、周囲が冬のような空気に包まれているのも疑問に拍車を掛ける。
山奥だからという理由ではあまりに弱いほどに、肌寒い空気が張り詰めているのだ。
否、肌寒いというよりも……これは悪寒だろうか。
この先に行くなと、内なる自分に訴えられているかのような錯覚に陥り、自然と紫の歩を進める速さが遅くなった。
「紫、どうかしたのか?」
「……いいえ、なんでもないわ」
龍人にそう返しつつ、紫は再び歩を進める速さを元に戻す。
……だが、小さな警鐘は先程から鳴り続けている。
「――もうすぐですよ」
先頭を歩いていた妖華が紫達に声を掛ける。
ただ山道を歩いていただけだったからか、龍人は「やっとか」と言わんばかりの表情を見せている。
前方を見ると、長い階段が見え始めてきた。
たまには歩いて移動するのも悪くないかもしれないと思いつつ、紫は皆と共に階段へと足を運ぼうとして。
――この世の者ではない気配が、周りから漂い始めたのを感知した。
「っ」
「なんだ……? この空気……」
「……妖忌」
「わかっている。――またか」
刀を抜く妖忌、それと同時に――紫達の周りに煙のようなものが複数現れる。
否、それは煙ではなく……煙のように不確かな薄さの頭蓋であった。
カタカタと音を鳴らしながら、人間の頭蓋が宙に浮き笑い声を上げる。
普通の人間ならば卒倒してもおかしくはない不気味な光景だが、人外である紫達には通用しない。
「…………怨霊、ね」
冷たい視線を向けながら、紫は現れた存在の正体を口にする。
――怨霊。
人間の負の感情によって構成された、成仏できずに現世を彷徨う霊の一種である。
元の人間の記憶や精神は存在せず、ただ生きとし生ける者を狙うある意味では妖怪よりも恐ろしい存在だ。
(でも……どうしていきなり現れた?)
怨霊という存在は、基本的に人が多く住まう場所に現れる。
上記の説明にもあるように、怨霊は生者を襲い自分達の仲間にしようとするからだ。
もしくは襲った人間の身体を乗っ取り、再び生を謳歌しようするのが怨霊であるが……ここは人里離れた山奥。
怨霊が現れる場所ではない、生者などそれこそ数えるほどしか居ないのだから。
では何故? 疑問は次々と浮かんでいくが…考…えるのは後だ。
「…………」
「龍人……?」
龍人が荷車に置いていた、彼がいつの間にか手に入れていた無銘の剣を鞘から抜き取る。
そしてその切っ先を怨霊達へと向け――力ある言葉を解放した。
「ここは、お前達の居るべき場所じゃないんだ。在るべき世界に――
「ギ……ッ!? ギャギャギャ……!?」
すると、怨霊達は一斉に声を荒げ龍人に向かって脅えのような反応を示す。
「龍人……?」
一体彼は何をしたのだろう、それは疑問だが……好機だ。
紫が仕掛ける……前に妖忌が動き、目にも止まらぬ速度で刀を振るい怨霊達を切り刻んでいく。
実体の持たない怨霊に物理攻撃は効かない…が、妖忌の持つ【白楼剣】は霊の未練を断ち切る妖刀。
瞬く間に怨霊達は霞へと消え、辺りに静寂が戻っていった。
「……龍人、お前……何をしたんだ?」
刀を鞘に収めつつ、妖忌が龍人に問う。
龍人も剣を鞘に収めつつ、妖忌の問いに答えを返した。
「……わかんねえ」
「はあ?」
「でも、なんか怨霊達を見てたら自然とさっきの言葉が頭に浮かんだんだ」
龍人自身も自分が何をしたのか理解していないのか、その口調には驚きと困惑の色が見受けられた。
「――言霊、ですね」
そんな彼等の疑問に答えたのは、妖華であった。
「言霊?」
「言葉の持つ力の一つです。先程龍人さんは怨霊達に「還れ」と告げたでしょう? それによって怨霊達は自分達が居るべき場所――つまり冥府へと誘われそうになった、ひどく脅えた様子になり動きを止めたのはそのせいでしょう。
無論ただの言霊に怨霊を冥府に還す力は存在しません、
とはいえ、龍人のは完璧な言霊ではなかったようだ。
もしもあれが発動していれば、怨霊程度の存在など一瞬で冥界へと送られる。
つまり先程動きを止める程度に留まったのは、龍人の言霊が不完全だったからだ。
「……
言霊というものが時折現実のものになる現象は確かに存在する。
しかし
「――妖忌?」
「っ、幽々子様!!」
突然聞こえた声に、妖忌が反応する。
遅れて紫は声の聞こえた方向へと視線を向けると……そこに居たのは、1人の少女。
背中辺りまで伸びる薄桃色の髪が何よりも目に付く特徴の、可憐な少女だ。
そして今、妖忌はこの少女を「幽々子」と呼んだか。
「妖忌、彼女が……?」
「ああ、
「……妖忌、妖華、こちらの2人は?」
「前に妖忌が話していた八雲紫さんと龍人さんですよ、幽々子様」
「この2人が……」
妖華の言葉を聞いた瞬間、幽々子と呼ばれた少女は無邪気に微笑みつつ紫達へと歩み寄った。
「はじめまして。私は西行寺幽々子よ、あなた達の事は妖忌から聞いているわ」
自らの名を明かしながら、右手を差し出し握手を求めてきた。
「よろしくな幽々子、龍人っていうんだ!」
反応に遅れた紫とは違い、龍人はすぐさま握手に応じお互いに笑みを浮かべ合う。
「よろしくね?」
「……ええ、よろしく」
ニコニコと微笑む幽々子、その顔に紫達に対する警戒心は微塵も感じられない。
なんとも無邪気で……無用心なのだろう。
でも、何故かはわからないけれど。
ニコニコと笑っている筈だというのに、その笑みが……悲壮感に溢れているものに、紫は見えてしまった。
「さあさあ皆さん、立ち話もなんですから屋敷に戻りましょう?」
「そうね。それじゃあ紫、龍人、早く行きましょ!」
言うやいなや、幽々子は紫と龍人の腕を掴み屋敷に向かって走り出した。
思っていた以上の力で引っ張られつんのめりそうになりながらも、紫達はおとなしく幽々子に引っ張られていくのであった。
To.Be.Continued...
かなりオリジナリティが強いですが、こういった作品だと割り切っていただけると幸いです。