2人の力によって人狼族の群れは呆気なく倒されたが、彼女達の前に【今泉士狼】と名乗る人狼族の戦士が現れる。
今までの相手とは違う事を察知しながら、2人は士狼との戦いを開始した……。
――閃光が奔る。
「――――!」
迫る死の一撃、動かねば死ぬと本能に訴えられ紫は回避行動に移った。
刹那、先程まで彼女の居た場所に閃光が通り過ぎる。
回避したと紫が認識する前に、追撃の光が彼女に迫った。
「っ………!」
目で追えず、半ば勘を駆使して紫は首の皮一枚の状態を維持し続ける。
だが光が通り過ぎる度に、彼女の衣服は貫かれ僅かに肌を裂いていく。
(速い………!)
凄まじく速く、一撃一撃がまさしく必殺の領域。
今泉士狼と名乗った青年の槍は、紫の想像を遥かに超えた領域の業であった。
並の妖怪より身体能力も動体視力も優れている紫であるが、士狼の放つ槍を光としか認識する事ができない。
それでも今までの戦闘経験と彼女自身の力量によって致命傷を避けているものの、士狼の槍は確実に彼女の身体を傷つけていた。
「はあああああっ!!!」
士狼の攻撃は止む気配を見せず、寧ろ一撃が放たれる度に際限なく激しく速くなっていっているようにも思えた。
反撃に移る事など到底できない、今の紫にできる事はこうして致命傷を避けるために見苦しく攻撃を避け続ける事のみ。
「っ!?」
士狼の攻撃が突如として止んだ。
その理由は、紫の前に出てきた萃香が彼の槍を自分の手首に付けられている鎖で巻き取るように受け止めたからだ。
「よっ」
すかさず萃香は巻き付けた鎖を力一杯引き寄せる。
鬼の剛力は容易く士狼の身体ごと槍を自身の元へと引き寄せ、その無防備となった身体に反対の拳を容赦なく叩きこんだ。
――だが不発。
萃香の拳は士狼には当たらず、その前に士狼は自身の槍を持ち替えあっさりと鎖による拘束を解除。
そればかりか、萃香が突き出した拳を引っ込める前に彼女の額を貫こうとその槍を突き出した――!
「甘いっ!!」
だが流石は鬼というべきか、迫る槍を拳で弾き軌道を変え難を逃れる。
そのまま追撃の一撃を放とうとした萃香であったが、その前に士狼は後ろへと跳躍し離れていってしまった。
「……助かったわ、萃香」
ほっと息を吐き出しつつ、紫は本心からの言葉を口にする。
「…………」
一方、萃香は何故か槍を弾いた拳をじっと眺めていた。
相手との距離が離れたとはいえ、あれだけの実力者ならば一息で間合いを詰められる距離でしかない。
だというのに、今の萃香の行動はあまりに愚行であり……そこで紫も、ある事に気がついた。
(これ、は……)
紫の視線が、自身の身体に向けられる。
既に衣服の到る所は彼女の血で赤く染まっており、けれど妖怪である彼女にとっては致命傷にはならない。
しかし、しかしだ――
高い再生能力を持つ妖怪の身体である筈だというのに、
「――やられたね」
自分の拳――先程槍を弾いた際に刻まれた傷を眺めながら、萃香は忌々しげに呟いた。
「萃香……?」
「紫、もうこれ以上くらってやるわけにはいかなくなったよ。――あの槍、“呪い”が掛けられてる」
「っ」
呪い。
呪術とも呼ばれるそれは、闇に生きる妖怪にすら届く事のできる力の1つ。
優れた呪術者ならば、音もなく命を奪えると謳われるその強大な力を、萃香は士狼の持つ槍から感じ取っていた。
言われて紫も気づく、あの槍に妖力とは違う力――しかしまごうことなき闇に属する力が付与されている事に。
「さすが鬼、もう気がついたのか」
「さっきから傷が治らないからね、嫌でも気づく」
「――この槍は
この槍で傷つけられた者は、たとえ強靭な妖怪であっても治らぬ傷を刻み込まれる」
「たいした逸品だよ、鬼の秘宝にも届くんじゃないかな? だけどこの呪いは完璧じゃない、傷に妖力を流し込めばゆっくりとだけど治るよ」
言いながら、萃香は自身に刻まれた傷に妖力を流し込んでいく。
すると、確かにゆっくりとした速度ながらも、彼女の傷が癒えていった。
萃香の強大な妖力が、刻まれた呪いの力を中和しているのだ。
「見事。確かにお前達相手ならば我が槍の呪いに打ち克つ事は可能だろう、しかし……そんな余裕があると思うのか?」
「…………」
そう、士狼の言葉は正しい。
確かに紫達に刻まれた呪いの傷は癒す事はできるだろう。
しかしそれには余分な妖力を消耗しなければならないし、傷が治る速度だって決して早くはない。
その間は完全に無防備となる、そんな姿を曝け出しておきながら、相手が悠長に待っている意味も道理も存在しない。
故にこのまま責め続けられれば傷は一向に治らず、血を流し続け身体能力の低下を招く。
そうなれば――待っているのは確実な死。
――尤も、あくまでそれは普通の妖怪であるなら、だが。
「――残念だったわね、その呪いは私達には届かない」
「何……?」
それはどういう意味だと、士狼が問いかける前に。
紫と萃香の身体から、槍による呪いが跡形もなく消滅した。
「何だと……!?」
「あれ?」
士狼だけでなく、萃香も刻まれた呪いが消えた事に驚きつつも、瞬時に傷を塞ぎ元に戻した。
紫もすぐさま身体中の傷に妖力を流し込み、事なきを得る。
「…………何をした?」
「私の能力、あなたの主から聞いていないの? ――あなたの呪いの境界を操作して、私達に届かせないようにしただけよ」
「――――」
そのありえない回答に、士狼は目を見開いて固まってしまった。
境界を操る能力の事は、彼の主である刹那からは聞かされていたものの、ここまで出鱈目だとは思っていなかったようだ。
「本当に反則だよね、紫の能力って」
「だからこそ、今みたいに狙われるようになってしまったのだから、あまり喜ばしい事ではないわね」
それに、思ったよりも呪いの力は強かったようで。
能力により呪いが自分達に及ばないようにしたものの、そのせいで紫の妖力はかなり消耗してしまっていた。
万物すら支配できる彼女の能力でも、文字通りの万能さは発揮しきれない。
強い力には制約というものがあり、彼女が持つ能力の制約は他者の能力とは比べものにならないのだ。
「ふ――ふふふははははははっ!!!」
「…………」
突然大きく口を開き、笑い出す士狼。
それは歓喜の笑い、事実彼は喜びを感じていた。
「実に見事! その能力だけでなく、それを有効に使い我が槍の力を封じ込めるとは……お前達程の相手に巡り合う事ができた運命に、感謝する!!」
「…………それはどうも」
「だがしかし、たとえ我が槍の呪いを打ち破ったとしても、それならば我が槍術にて打ち克てばいいだけの話だ。
八雲紫、伊吹萃香、雷すら貫くと謳われる我が槍を――今一度受けてみるがいい!!」
瞬間、再び士狼は紫達に攻撃を開始した。
だがその槍の速度は更に上がっており、しかも今度は2人を相手にしてもまだ余り得る程だ。
雷すら貫くという言葉は、決して大袈裟なものではないと2人は思い知りつつも、攻撃を避け続けていく。
(とはいえ、どうしたもんかな……)
(くっ、攻撃に移れない………!)
攻撃後の隙を突いて――などという事ができない。
そもそも紫は接近戦での戦いはどちらかと言えば不得手であり、得意である萃香も獲物は己の拳のためどうしても槍との間合いが違い過ぎる。
それに何よりもだ、士狼の槍は一撃を放ったと認識した時には、既に二撃目が放たれている程に速い。
(せめて距離を離せれば………)
しかしそれも叶わない。
相手との距離を離そうと試みれば、たちまち踏み込まれ再び相手の間合いの中に入ってしまうのだ。
一撃をわざと受けながら相手の隙を突けばあるいは……そんな考えが2人の中に生まれるが、それは愚策でしかない。
士狼の槍は先程以上の速さと破壊力を兼ね備えている、如何に強靭な妖怪の身体でも風穴どころか貫かれた所から粉砕されるは必至。
(……けど、これじゃあこっちがやられるだけか)
どの道避け続けても結果は変わらない、そう思った萃香は――勝負に出た。
「――――っっっ」
左肩が弾け飛んだかのような衝撃に襲われる。
それには構わず、萃香は右の拳に妖力と鬼の剛力をしっかりと込め。
「――らあっ!!!」
彼女の左肩を貫いた槍を引き抜こうとした士狼の腹部に、重い一撃を叩き込む!!
「ぐ――が、がが……!?」
噴射しているかのような勢いで吐血しつつ、地面を削りながら吹き飛んでいく士狼。
それでも彼は右手に持つ槍を決して手放さず、それを賞賛しながら萃香は追撃に移った。
それと同時に紫も動き、自身の背後に都合八つのスキマを展開。
「――飛行虫ネスト!!!」
そこから放たれるは白銀の光、それらが必殺の速度を以て士狼に迫る。
「ぬっ――おおおおおおおっ!!!」
「えっ……!?」
それは、突然の事であった。
片膝を突き、完全に無防備であった士狼が雄叫びを上げた瞬間。
彼の妖力が爆発的に大きくなり、それと同時に彼の姿が消える。
「なっ――」
士狼の姿を見失い、萃香はおもわずその足を止め、一瞬遅れて白銀の光が虚しく通り過ぎる。
――そして。
紫の真横から、呪いの槍が迫っていた。
「――――」
避けられない。
飛行虫ネストを放った直後で、紫の身体は硬直してしまっている。
「――その命、貰い受ける」
自らの勝利を確信した士狼の槍が、哀れ紫の身体を貫こうとして。
――白銀の刃が、その槍を弾き飛ばした。
「っ、なに…………っ!?」
「――――、ぁ」
助かった、その事実を認識する事もせず、紫は固まってしまう。
それは当たり前だ、何故なら自分と士狼の間に割って入ったのは……。
「――――龍人」
右手に長剣を持ち、静かに士狼を睨んでいる、龍人だったのだから。
「……お前は」
「あんた……確か、龍人だったよね……?」
「ん? なんで俺の名前を知ってるんだ? というか、お前誰だ?」
「わたしは伊吹萃香、鬼さ……って、呑気に挨拶している場合じゃないよ」
「…………そうだな」
萃香に相槌を返した瞬間――龍人の姿がその場から消える。
刹那、彼は一息で士狼との間合いを詰め、その顔面に膝蹴りを繰り出す。
だが不発、龍人の膝蹴りは士狼に左手によって防がれ、その時には彼は二撃目を繰り出していた。
「ぐっ……!?」
振り下ろされる斬撃、それを士狼は槍で受け止め――その衝撃で後方へ吹き飛んだ。
(なんという重さだ………!)
比較的小柄な少年が放ったとは思えない一撃だった、その事実に士狼は驚きを隠せない。
そしてそれは彼女達も同じであり、萃香は楽しげに笑い紫は目を見開いて驚愕していた。
(違う……今までの龍人じゃない!!)
二年前とはまるで違う、何が起きたのかはわからないが彼の力が遥かに増していた。
如何に萃香の拳による一撃を受けていたとしても、士狼の戦闘能力に衰えは見られない。
だというのに、龍人の一撃は破壊力だけならば士狼の槍を上回っている。
そして少なくとも二年前の彼では到底辿り着けない領域だ、これを見て驚かずには居られないのは道理であった。
「……まさか、これほどの戦士だとは思わなかった」
「もう俺達に構うな」
「……八雲紫と鬼の娘だけならば、我が命を差し出せば倒しえるかもしれないが……これほどの実力者3人では、さすがに不利か」
しかし、と士狼は悔しげに紫達を睨む。
自分の使命は主である刹那の命を遂行する事、それができないという事実がただ悔しく……憎かった。
だがその悔しさなど主に対する忠義の前では無意味なものでしかない。
「――名を、教えてはくれないだろうか?」
「龍人だ」
「龍人……その名を忘れずに覚えておく、我が名は今泉士狼――次に会った時には、我が槍にて必ず貴公の命を貰い受ける!!」
そう宣言すると同時に、士狼はその場から全速力で離脱する。
元々地上において人狼族の機動力は他の妖怪より遥かに優れている事もあり、一秒も満たぬ時間で士狼の姿は紫達の前から消え去ってしまった。
しかし紫達は追おうとはしない、ここで確実に命を奪っておきたいのが本音ではあるものの、消耗している今では追撃は厳しい。
こうして戦いは終わり、場に静寂が戻った。
「紫、大丈夫か?」
「…………」
懐かしい声、懐かしい顔が紫の視界に映る。
それは紛れもない龍人の顔、しっかりと目を開いている彼の顔だ。
「……紫?」
心配そうに自身の顔を覗き込んでくる彼を見て、紫は無意識の内に――彼の身体を抱きしめていた。
「……どうした?」
キョトンとした声に、紫は呆れ返ってしまう。
今の今まで眠っていたくせに、久しぶりに聞いた彼の声はまるで変わっていなかったのだから。
でも――その声は紫の心によく響き、安心させる。
「……ありがとう、助けてくれて」
「気にすんなよ、それより怪我ないか?」
心配する声は、あくまで二年前と変わらない。
それを聞いて泣きそうになってしまったから、紫はより強く龍人を抱きしめた。
そして暫くの間、紫はただただ龍人の温もりを思い出しながら、その身を委ねていたのだった………。
To.Be.Continued...
漸く龍人復活です。
さて次回は……あの人を登場させましょう。