治療を受けるために、彼女はこの親子の暮らしている家へと赴いた……。
「――着いたぞ」
「………ここが?」
秘境とも呼べる程の山奥の中で出会った龍哉と龍人という親子についていく紫。
暫し歩き続け……一際大きい大樹の前で、紫は龍人達が暮らす家へと辿り着いた。
しかしそれは家というよりは小屋であり、大樹の太い枝の上に建てられたそれはお世辞にも安全性が確立されているようには見えない。
ほら来いよ、そう言いながら縄梯子をさっさと登っていく龍哉。
「紫、登れるか? もし無理そうならおぶろうか?」
「大丈夫よ。それくらいならできるから」
妖力の殆どを消耗している今では、空を飛ぶ事も出来ない。
しかしかといってそこまで体力が無いわけではない、龍人の提案を断り紫は縄梯子を登っていこうとして――動きを止めた。
「紫?」
「……龍人、貴方が先に登って頂戴」
「? 何で?」
「いいから」
「………?」
紫に強い口調で言われ、首を傾げながらも龍人は先に登っていく。
詮索しない彼に感謝しつつ、改めて紫は縄梯子を登り始め――小屋の中へと赴いた。
中はこれまた殺風景で、生活に必要な最低限の物しか置かれてはいなかった。
2人分の布団に弓、釣竿といった借りの道具。
起きて寝るだけのための小屋、それが紫のこの家に対する率直な感想だった。
「適当な所に座れ、すぐに治療してやる」
「ええ……お願いするわ」
「あ、でもその前に服を脱げ」
「―――――」
空気が凍りつく。
龍哉の言葉を理解できない紫は、おもわず思考を停止させてしまった。
ちょっと待て、目の前の男は服を脱げと言ったのか?
だんだんと鮮明になっていく思考と共に、紫の表情が僅かな羞恥と怒りの色で染まっていく。
「や、やはり最初からそのような目的があったのね………!」
「何言ってんだお前、身体中傷だらけなんだから服を脱いで治療するのは当然だろうが」
「……本当に、それだけかしら?」
「おい、俺は別にお前みたいなガキを治療しなくても一向に構わないんだぞ? 人様の厚意を素直に受け取らん可愛げの無いガキはさっさと出てってもらおうか?」
睨み合う紫と龍哉。
「とうちゃん、でも女の裸を無闇に見たらダメだって前に俺に言わなかったか?」
「ああ確かにそうだ。けどな龍人、父ちゃんは純粋に治療をしてやろうとしているだけだ。だっていうのにこの嬢ちゃんが変に色気づいてるだけなんだよ」
「世の中には、特殊な性癖を持つ者もいらっしゃいますから、警戒するのは当然ではなくて?」
「っ、本当に可愛くないガキだなお前さんは、冷静に考えて後で困るのはお前じゃねえのか?」
「……………」
それを言われてしまうと、紫としては何も言えなくなる。
だが見ず知らずの男に自分の身体を見られるというのは、やはり抵抗感があった。
ましてや今まで自分はずっと狙われ続けていたのだ、そう易々と油断した姿を見せれるわけがない。
「おい龍人、この女はやめとけ。お前の性格が歪むから」
「失礼な物言いね。こんな子供妖怪に大人気ないと思わないの?」
「野郎……もういい、お前さんみたいな可愛げの無くて弱い下級妖怪を助けようとしたのが間違いだった」
「えー、そう言わずに治療してあげてよとうちゃん」
「父ちゃんもそうしてやりたいが、そっちの嬢ちゃんが頑固なのが悪い」
「……………」
よく言うと、紫は心の中でそう毒吐いた。
確かに自分の言動も理由の1つだろう、だが龍哉にとってそんなものは些細な事だ。
……彼は紫を警戒している、否、警戒というよりは“警告”を送っている。
紫を助け、今も心配してくれている少年――龍人に少しでも不穏な事をすれば、容赦なく殺す。
そんな警告を、龍哉は紫にだけわかるように目で訴えている。
息が詰まる、先程から重圧を込めた警告を向けられ続ければ、物言いだって乱暴になるのは当然だ。
「……じゃあさ、せめて腕や足だけは治療してよ?」
「…………しょうがねえな」
本当に仕方ないと言わんばかりの表情を浮かべ、龍哉は何か用意し始めた。
用意したものは複数の葉や花、そして擂鉢……どうやら薬草を調合するようだ。
「龍人、悪いが近くの川から水を汲んできてくれ。ゆっくりでいいぞ?」
「わかった!」
桶を持ち、小屋を後にする龍人。
「――さて、と」
「……………」
小屋の空気が、龍人が居なくなった事で変化する。
龍哉の目つきが僅かに鋭くなり、紫もまた上手く動かせない身体で身構え始めた。
「そう身構えんな、それにお前さん程度の下級妖怪が何をしようと俺には痛くも痒くもないからな」
「では、彼を遠ざけてまで私と2人だけになった理由は、一体何なのかしら?」
「たいした用事じゃない。少し訊きたい事があるだけだ」
どかっと地面に座り込む龍哉。
紫に向ける視線は鋭いまま、おもわず紫は身体を強張らせてしまう。
そして龍哉は、その視線を紫に向けたまま問いかけた。
「――お前さん、何故あんな妖怪の群れに狙われてた? お前さんみたいな下級妖怪を中級妖怪が追い掛け回すなんて、普通は無い筈だ」
「…………」
「喧嘩を売った……というのならわかるが、どうもそうは思えなくてな。
一応こっちはお前さんを助けた身だ、狙われた理由を訊ねる権利はある筈だぞ?」
そう告げる龍哉だが、彼の瞳は話さねば許さぬと告げていた。
「龍人はお前がどこの誰だろうとも関係ないと思うだろうが、あいつの父親である俺はそうもいかん。
あいつに危害が及ぶ可能性は……少しでも消しておきたいんでな」
「……随分と、あの子を可愛がっているのね。それだけの力を持っているあなたが、人間のような子育てをするなんて意外だわ」
「質問に答えろ小娘。龍人はじき戻ってくる、わざわざ水汲みに行かせた意味が無くなる」
「……察しの通り、私はあの妖怪達に一方的な危害を加えたわけでも縄張りを侵したわけでもないわ。――私はまだ生まれて十五年足らずの妖怪だけど、生まれた時から既にこの姿だったわ」
「……なんだと?」
妖怪の誕生には、2つのパターンが存在する。
人間と同じように子を成すものと……紫のように、無から生み出されるものの2つだ。
しかし紫のようなパターンの場合、強い力を持って生まれる傾向が強いのだが、少なくとも龍哉には紫が見た目通りの下級妖怪にしか見えない。
……その場合は、妖力とは違う力が宿っている場合があるのだが。
「お前さん、何か……特別な力を持って生まれたな?」
「……ええ、そして“これ”が下級妖怪である私が狙われる理由よ」
妖力は少しは回復した、
パチンと紫は右手の指を鳴らす。
「っ、こいつは………!」
刹那、空間の一部が裂け……中に多数の目玉が見える不気味な穴が空中に開いた。
「私はこれを“スキマ”と呼んでいるわ。そして……これが私の持って生まれた能力」
「……コイツは驚いた、お前さん――
「境界?」
「なんだ? お前もしかして、自分の力の正体すらわかっていないのか?」
「仕方ないじゃない。この力の事を教えてくれる人なんか今まで会った事は無かったんだから……」
今まで妖怪に追われる日々を過ごす中で、紫は自分が持っている能力の考察などできる余裕など無かった。
これはこことは違う次元の亜空間であり、離れた場所に一瞬で移動できる程度の認識でしかない。
紫がそう告げると、龍哉は何故か苦笑を浮かべていた。
「参ったなこりゃ……龍人のヤツ、とんでもない拾い物をしたもんだ」
「……あなたは私の力の事を知っているようだけど」
「知っているというのは語弊があるな。ただ俺はちょっと特殊でね……お前さんのような異端中の異端を認識できるんだ」
「異端、ね……。どうやらこれは、相当恐ろしい能力のようね」
「恐ろしい、なんて言葉で片付けていいものじゃない。いいか? お前さんの能力は……それこそ天を左右するほどの力だって認識を持っていろ。
全ての事象を根底から覆す能力だ、何せお前さんはありとあらゆる境界を操る事ができるんだからな」
「その境界というのは、一体何なのかしら?」
「説明するのはなかなか難しい、何故ならそれは本来見えるものじゃないからだ。
全ての物事には“境界”が存在している、生き物だけじゃなくこの世に在るもの全てに存在しているんだ。そしてその境界がそれぞれのモノに存在していなければそれは1つの大きなものってわけだ。
物凄く簡単に言うとな、お前さんに出来ない事はそれこそ何にも無い。数多の神々すら超える力―――それが境界を操る能力だ」
「――――――」
全てを理解できたわけではない。
しかし、自分の持つ力が自分の想像を遥かに超えた能力だと言う事は、理解できた。
「例えば、俺という存在とそれ以外を分ける境界を消せば……俺はこの場で消える。それこそ一瞬でな。
それだけじゃない、この力は破壊だけじゃなく創造だって可能だ。それこそ世界を作る事だって…な」
「――――――」
「自分が作り出した世界とそれ以外の境界を操作すれば、こことは違う世界が生まれる。現にお前さんがスキマと呼んでいるそれも世界の境界を操作した事によって生まれた世界の1つだ。
――狙われるのは当然だな。なんせ自分の境界を操作される事に対しての対処法は存在しない、つまりお前はその気になれば誰にだって負けないし、神々だって消し去れる」
「……私の力は、そこまでの」
「もちろん何でも出来るからって安易に能力を用いればそれ相応の対価を支払う必要がある、そのスキマ程度なら対価は必要ないが……自分より上位の存在を消し去ったりする事なんかできないし、できたとしても命を削る行為だ。
お前さんは神々ではなくあくまで妖怪だからな、尤も――そうだとしてもお前さんの力は本来あってはならないものだ」
「……………」
言葉を発する事ができない。
自分の力が何処か普通ではないと紫も分かっていた、けれど……ここまでのものだとは思わなかった。
龍哉は嘘偽りを話しているわけではないだろう、そもそもそんな事をする意味も理由もない以上……彼の言葉は全て事実と認めざるおえない。
……こんな能力があるから自分はこの十五年間妖怪や人間に追われ、そしてこれからもそういった生き方を強いられるのか。
笑えてくる、自分は一体何のために生まれてきたというのだろう……。
「今後お前が成長を続け妖力と知識を身につける度に、境界を操作できるものが増えていくだろう。
お前を狙う連中はそれを危惧しているんだろうな、だからまだガキの内に始末しようと―――」
「………………」
「……悪かったな。俺はどうも口が悪いんだ」
ポロポロと紫の瞳から零れる涙を見て、龍哉はすぐさま口を噤んだ。
しかし当の紫は龍哉の謝罪の言葉も耳に入れず、声を押し殺して泣き続ける。
――生まれて間もなく、妖怪に命を狙われ始めて。
――人間の里に隠れ住んだ時も、霊力を持つ退魔師に見つかり殺されかけた。
必死に逃げ続けた十五年間、これがいつまで続くのかと思わない日はなかった。
自分が一体何をしたというのか、当然ながら答えを得る事などできるわけもなく……ただ生に執着する毎日。
いつかこんな日が終わるとどこか懇願するようになっていたというのに――自分の力の正体を知って、その儚い願望は決して叶わないと思い知らされた。
磨耗していた精神にはその事実を耐えれる力は残されておらず、溜まっていた感情が静かに涙となって流れ始める。
「―――ただいまー!!」
「お、おぅ……は、早かったな」
「あれ……お前、なんで泣いてんだ!?」
家に戻ってきた龍人は、涙を流す紫を見て驚愕し、乱暴に桶を地面に置いてから慌てた様子で彼女に駆け寄る。
「……とうちゃん、まさか紫になんかしたのか!?」
「そうじゃねえって、落ち着けよ……」
「じゃあ何で泣いてんだ! 女を泣かせる男はダメだってとうちゃん言ってたじゃねえか!!」
「あー……まあ、それはだな……」
「――龍人、大丈夫。貴方の父が悪いわけじゃないの、そうじゃないのよ……」
「だったら、なんで泣いてんだ……?」
「……………」
言えない、というより言いたくもなかった。
自分にとって呪いに等しいこの力など、話したくもない。
だが、自分を真っ直ぐに見つめる龍人を前に、沈黙を貫く事など紫にはできなかった。
「――龍人、私ね……呪われた力を持って生まれた妖怪なの」
「呪われた力……?」
その後、ぽつりぽつりと紫は龍人に自分の力がどういったものか話した。
途中何度か龍哉によってくだいた説明も入ったからか、龍人は紫の能力を完全ではないが理解する。
そんな彼が浮かべた表情は―――驚愕。
(――当たり前、か)
その気になればお前達などいつでも殺せる、そう言っているようなものなのだ。
そして境界を操作する力がどれだけ凶悪であってはならないものなのかを理解したのだから、驚くのは当然と言える。
……胸の内側が、チリチリと痛んだ。
「……じゃあさ、紫はこれからもさっきみたいなやつ等に狙われるって事か?」
「そう、ね……私が死なない限りは」
「……………」
もう、どうすればいいのか、自分がどうしたらいいのかわからない。
これからの自分の未来を知ってしまった今、紫の生への執着は薄れていた。
命を狙われ続ける生き方をするくらいなら……そこまで考え、悲観する紫に。
「――だったらさ、これから俺らと一緒に暮らせばいいじゃん!!」
龍人の、無駄に明るい声と提案が聞こえてきた。
「……………は?」
「そうだよそうすればいい! とうちゃんもそう思うだろ!?」
「………あー」
「そうしろよ。どうせ行く場所とか無いんだろ?」
「ちょ、ちょっと待って!!」
勝手に話を進めようとする龍人を、慌てて制する紫。
「なんだよ?」
「……貴方、本気?」
「ああ。紫だってここで暮らせば狙われなくて済むぞ? とうちゃん凄く強いから」
「だ、だけどそんな………」
ちらりと、紫は龍哉へと視線を向ける。
だが、龍哉の答えは予想とは違ったものであった。
「……俺は一向に構わん、お前さんの好きにしろ」
「……………」
「決まり! じゃあこれから宜しくな?」
「で、でも私の力は――」
「――関係ねえよ、そんなの」
「…………えっ?」
「お前の力が凄く危険なものだろうと何だろうと、俺……一回お前を助けようとしたんだ。だったら途中でそれを諦めるなんて、男らしくねえ。そんなの……俺は御免だ」
「―――――」
真っ直ぐな瞳。
子供の瞳とは思えない、力強く……強い覚悟を秘めた瞳。
「それに助けられるのがそんなに嫌なら、誰にも負けないぐらい強くなればいいだけじゃねえか」
「ちげえねえ、お前さんも悲観してる暇があるなら自分を鍛えればいいじゃねえか。……ここに居りゃ、俺が強くしてやる」
「……………」
馬鹿げている、どうかしている。
自分の力の本質を知っているというのに、それでも歩み寄ろうとするこの親子こそ異端だと、紫は思った。
――だけど、それでも。
――たった一時だとしても、安らぎを得る事ができるのなら。
「――そうね。向かってくる輩はみんな倒せばいいだけ、それだけよね」
「でも無闇に力を振るうのは悪い事だぞ?」
「わかっているわ。――本当に、いいの?」
「龍人が言った事は基本叶えてやりたいんでな、それにお前さんが自分の力の制御ができないと困る」
「………それじゃあ、これから厄介になるわ」
「ああ!!」
無邪気な笑みを見せる龍人に、紫も笑みを浮かべる。
その笑みは子供っぽく、そして彼女が初めて見せた純粋な笑みであった―――
■
「―――逃がした?」
「す、すみません……あと少しだったんですが、見知らぬガキと男が邪魔を」
龍人達が暮らす山奥から、遠く離れた場所にある洞穴内、そこに――紫の命を奪おうとした大男が居た。
しかし今の大男からは紫達と対峙したような傲慢な様子は微塵も感じられず、顔には恐怖の感情が張り付き身体も震えている。
そんな大男の前で座るのは、大男よりも小柄ながらも引き締まった肉体を持つ男が1人。
銀の髪を無造作に長くし、血のように赤い瞳は自分以外の存在は全て餌だと認識している獣の瞳。
「……まあいいさ。オレがあんな下等妖怪に直接出向くのも癪だ、それに
「じ、じゃあ……放っておくんですかい?」
「あの妖怪が持つ力はそう簡単に制御できるもんじゃない。早めに始末するのが手っ取り早いが……こうなってしまった以上、今は放っておく」
近い内に殺すがな、口には出さず……けれど男の瞳はそう物語っている。
その瞳を見て大男の身体は再び大きく震えるが……すぐに、そんな事など気にならなくなった。
「さて―――じゃあ、仕上げだ」
「えっ、仕上げって―――」
瞬間、大男の首が胴から離れた。
一瞬すら霞む速度で男が右腕を振るい、容易く大男の首を吹き飛ばし粉砕したのだ。
「あんな下等妖怪一匹始末できねえヤツなんざ必要ねえんだ。消えてろ雑魚が」
大男の亡骸を冷たく言い放ち、男は洞穴を出る。
「にしても、八雲紫を助けた男二匹か……何者だ?
まあいいか……会った時に殺せばいい、それだけだからな」
呟きを零した後、男の姿がこの場から消えた。
後に残るのは大男の首のない亡骸と、据えた血の臭いだけだった―――
To.Be.Continued...
境界の力の設定は原作とは微妙に違います。
原作自体曖昧な部分が多いので、ここでは「基本なんでもできるけどそれに比例して代償を払わなければならない」という設定にしました。
だってそうしないと物語終わってしまいますからね……。