それに感謝しつつ、紫は輝夜からある未来を告げられる。
満月の夜、自分が月に帰らなければならないという未来を―――
――では、開始します。
――我自らが行ければいいのだがな、すまぬ。
――お気になさらず、こちらとしても正常に動くのか試してみたい所でしたので。
――うむ……頼むぞ。
――畏まりました、吉報をお待ちくださいませ。
満月が地上を照らす。
その地上に存在する都の中にある輝夜の屋敷は、夜だというのに喧騒に包まれていた。
広く美しい屋敷の中庭には、数多くの武装した男達が忙しなく動いている。
屋敷は殺気立った空気に包まれ、男達を少し遠目で見ていた輝夜は……そっと溜め息をついた。
(気持ちはわかるんだけどねえ……)
今宵は満月、そして……その月から輝夜を迎えに来ようとする者達が来る日。
彼女はこの地上の人間ではない、地上の遥か上空に浮かんでいる月に住まう“
とある事情により彼女は地上へと堕とされ、そこで竹取の翁――輝夜が“おじいさん”と呼び慕っている男に拾われた。
その瞬間、輝夜は地上の人間として生きる事を決め、それは未来永劫変わらない…筈であった。
だがあろう事か、他ならぬ月人から十五夜の日に彼女を迎えに行くという連絡が入ったのだ。
黙っているわけにもいかず、輝夜は育ての親である竹取の翁達にその事を話し……この状況が出来上がってしまった。
武装している男達は翁が雇い入れた武士達、翁は輝夜を守る為に月からの迎えと戦う道を選んでしまったのだ。
無論輝夜としてはその気持ちは嬉しく思っている、自分を本当の娘のように思ってくれたからこそ、守ろうとしてくれるのはわかる。
だが……残念ながら、翁の心遣いは徒労に終わってしまうだろう。
腕に覚えのある武士をおよそ百人近くも雇ったようだが、それでも無意味なのだ。
だって、自分を迎えに来るのは――
「輝夜」
名を呼ばれ、輝夜は横へと視線を向ける。
そこに居たのは、“あの事件”の唯一の生き残りとなった藤原妹紅であった。
妹紅は現在輝夜の屋敷で保護され、翁達に可愛がられている。
親兄弟を一度に喪ってしまったものの、妹紅は決して悲しむ様子を見せずに気丈に振舞っていた。
無理しちゃって、そう思いながらも輝夜は妹紅の心の強さに感嘆しつつ、同時に尊敬の念を向ける。
まだまだ小さな少女でしかないというのに、その心の強さはかなりのものだ。
……きっと自分が居なくなっても、翁達を支えてくれる事だろう。
「……輝夜?」
「あ、うん……どうかしたの?」
「さっきから呼んでるのに……やっぱり不安?」
「別にそういう訳じゃないわよ、それより何か用があったんじゃないの?」
「うん、輝夜にお客様よ」
「客……?」
はて誰だろうか、首を傾げながら輝夜は妹紅と共にその場を後にする。
そして客間へと足を運ぶと、そこに居たのは……紫達であった。
だがその中に龍人の姿は存在しない、紫から話を聞いていたが……5日経った今でもまだ目覚めていないようだ。
「あら、皆さんお揃いで」
「ごめんなさいね輝夜、こんな時に」
「別に構わないわよ。でもそれなりの祓い屋も来ているから、長居していると変化の妖術を見破られてしまうわよ?」
「大丈夫ですよ輝夜姫様、それよりも……どうか私達にも貴女様を守らせてはいただけないでしょうか?」
そう言ったのは、恭しい態度を見せる龍哉であった。
彼の言葉を聞いて輝夜は目を丸くする、突然の申し出なのだから当然だ。
しかし……一体どういう風の吹き回しなのだろう。
彼等は人狼族に命を狙われる身、だというのにこんな所で道草を食っている場合ではない筈だ。
だが龍哉の瞳は嘘を言っているものではない、彼は本気で自分を月の使者達から守りたいと思っているようだ。
尤も、後ろで壁に背を預けて腕組みをしているマミゾウという妖怪は、乗り気ではないようだが。
「一体、何が目的なのかしら?」
「特に何も。ですが私の息子である龍人にとって姫様は大切なご友人、親として息子の友人を守りたいと思う親心で御座います」
「…………」
白々しい話である、全てが偽りではないが……それが本音ではあるまい。
何を企んでいるのかはわからないが、輝夜はその申し出を受ける事にした。
「ありがとう。でも少し離れた位置で待機していた方がいいわ」
「それは承知しております。それでは」
輝夜に頭を一度下げてから、龍哉は部屋を後にする。
続いてマミゾウも無言で彼の後を追い、部屋には紫と輝夜、そして妹紅が残された。
「紫は行かないの?」
「私は中であなたの傍に居るわ」
「そう。……ところで、龍人はまだ目を醒まさないのね」
「…………」
しまった失言だった、紫の顔が曇った事に気づき輝夜は少しだけ後悔する。
しかも顔を曇らせたのは紫だけではない、彼に助けてもらった妹紅も同様の表情になってしまった。
なんとも微妙な空気になってしまった、苦笑しつつどうしたものかと輝夜が考えていると。
「き、来たぞーーーーーーーーーーーっっ!!!」
遂に、その時は訪れた。
その声に反応し、すぐさま屋敷の外に出る紫と妹紅。
一方の輝夜はのんびりとした動きでそれに続き、全員空を見上げた。
――光が、ゆっくりと地上に降りてくる。
その中心には複数の人型の姿が見えた、肉眼で確認できる限りでは10人程だろうか。
向かってくる先は勿論この屋敷であり、けれどその姿はあまりにも無防備であった。
弓矢で狙ってくださいと言わんばかりの姿に、人間達は一斉に矢を構えた。
そして射る瞬間、紫は一瞬だけ奇妙な感覚に襲われたと思った時には。
――翁達、そして輝夜と妹紅以外の人間達が、地面に倒れ伏していた。
「えっ――」
「――まあ、当然か」
わかりきっていたと言わんばかりの口調で、輝夜が呟きを零す。
翁達と妹紅は突然の事態に混乱しており、その場に立ち尽くす事しかできない。
「一瞬で意識を奪ったんだろうな、それも後遺症が残らない程度の力で。
妖怪である俺達が効かなかったのもそのせいだろ」
いつの間にかこの場に居た龍哉が、今の状況を説明する。
「でも、妹紅達は……」
「意図的にあいつらの意識だけは残したんだろ、ただそれだけの話だ」
あっけらかんと説明する龍哉だが、その事実を紫はすぐさま信じる事はできなかった。
そのような限定的な術など聞いた事がない、これだけの範囲に居る者達の意識を一瞬で奪うだけならばともかく、ごく少数を意図的に術から外れさせるなど……できるというのか。
しかし龍哉の言葉に偽りの色はない、そればかりか「できて当然」と言わんばかりの口調であった。
そして――月から降りてきた者達が、紫達の前に着地した。
改めてその者達を見やる紫、最初に思ったのは――珍妙な格好だなという感想であった。
全員が白づくめの服に身を包んでおり、見た事のない鈍い光沢を放つ物体を抱えるように持っている。
そんな珍妙な集団の中心には、長く美しい銀の髪を三つ編みにした女性の姿が。
おそらく彼女がこの集団のリーダーのようなものなのだろう、立ち振る舞いだけでなく……内側から溢れ出す力は、ただただ強大だ。
銀髪の女性が輝夜に視線を向け、片膝を地面に付け頭を垂れた。
「――お久しぶりです、姫様」
成熟した見た目に相応しい、美しくそしてよく響く声で銀髪の女性は輝夜に話しかける。
「ええ、本当に久しぶりね……“
対する輝夜は、少しだけ嬉しそうに銀髪の女性の名を呼んだ。
だが苗字にであろう八意という言葉は聞き取れたものの、下の名前がよく聞き取れなかった。
いや、聞き取れなかったというよりも、理解できなかったと言った方が正しいかもしれない。
と、八意と呼ばれた女性が紫達に視線を向ける。
「お、お願いします! この子を…輝夜を連れて行かないでくだされ!!」
瞬間、翁達は上記の言葉を放ちながら、八意達に土下座をした。
「おじいさん、おばあさん……」
「わ、私からもお願い! いえ、お願いします!!」
「妹紅……」
妹紅まで頭を下げ、八意達に懇願する。
その光景を見て輝夜は嬉しく思う反面、胸が苦しくなった。
こんな自分の為に、ここまでの事をさせておきながら……自分はそれに応える事ができない。
……もう自分は、こんなにも優しく暖かな人達の傍に居る事ができないのだ。
「…………」
八意は何も言わない、ただ黙って翁達を見下ろしている。
その瞳には何の感情も感じられず、代わりに白づくめの男の1人が声を荒げた。
「気安いな、穢れた地上の民。貴様等程度の懇願に我々が頷くと思っているのか?」
放たれた言葉は、傲慢さが滲み出ている拒否の言葉だった。
他の白づくめの男達も口には出さないものの、明らかに翁達を見下したような視線を向けていた。
「この人達はわたしの地上での育ての親であり、親友よ。――見下すことは、許さないわ」
「も、申し訳ありません……」
輝夜に睨まれ、一気に萎縮する白づくめの男達。
「――あなた達の意識を奪わなかったのは、お礼を言うためよ」
頭を下げている翁達を黙って見下ろしていた八意が、静かな口調で口を開く。
頭を上げる翁達、その顔には困惑の色が浮かんでいた。
「竹取の翁とその妻、あなた達は姫様を正しく育ててくれた。
そして藤原妹紅、当初は身勝手な敵意を向けていた事に対する粛清をしようと思ったけれど、その後あなたは姫様の言葉を真摯に受け止め親友となってくれた。
――礼を言います。ありがとう」
そう言って、八意は翁達に向けて頭を下げる。
その行動に白づくめの男達は驚き、対する翁達は……その顔を絶望の色に染め上げていた。
……わかってしまったのだ、彼等は。
もう輝夜は自分達の前から消えてしまうと、そしてそれを止める事はもうできないと。
俯き、肩を震わせる翁達を一瞥してから、八意の視線は紫達へと向けられる。
「……あなた達も、姫様の帰還を邪魔するつもりなのかしら?」
「…………」
身構える紫。
だが――たとえ戦ったとしても、勝つ事はできないだろう。
八意から溢れ出そうとしている力は、自分よりも遥かに大きい。
しかも無意識の内に身体から出している力なのだから、本気を出せば今以上の力を発揮できる。
それがわかってしまうから、紫は身構えるだけで何もできなかった。
「いやあどうでしょうね、でも……輝夜姫様が本当に帰還を望んでいるとでも?」
「貴様、地上の妖怪の分際で……!」
「よしなさい」
手に持った物体の先端を龍哉に向ける白づくめの男。
それを手で制しつつ、八意は視線を輝夜へと向けた。
「姫様、今のは一体どういう意味なのでしょうか?」
「あなたなら、言わなくてもわかると思ったけど?」
「…………」
試すような、何処か期待するような口調で輝夜は言う。
それだけで――八意は輝夜の心を、彼女の願いを理解する。
だが本気なのだろうか、理解はしたが……納得したわけではない。
彼女の願いは八意にとって意外なものであり、正直な所……理解に苦しむものでもあるのだから。
「――それが、今の姫様の願いなのですね」
しかし、八意は自分の心中を決して表には出さない。
自分の考えなど関係ない、今の八意にとって輝夜の願いこそが自分の願いなのだ。
かつてある理由から輝夜を地上に堕とす原因を作ってしまった今の自分は、輝夜の願いを叶える事こそ存在意義なのだから。
だから、八意は迷う事無く輝夜の願いを叶えようと、部下である白づくめ達へと振り返り。
――突然、何の前触れもなく彼女の首が胴から離れた。
『―――――』
突然の事態に、誰もが反応できなかった。
宙に飛ぶ八意の首、それを呆然と眺めつつ……全員の視線が、一点へと注がれる。
その視線の先に居るのは、1人の少女。
雪のように白い髪と、血のように赤い瞳をもった少女が、いつの間にか八意の眼前に存在しており、右手に持つ刀で彼女の首を跳ねていた。
瞳に無機質な色を宿す少女は、無表情のまま首と胴が離れた八意を見つめており。
「――いきなり、ご挨拶ね」
命を奪った筈の八意の声を、耳に入れた。
「え――」
無機質な、けれど何処か驚愕を含んだ呟きを零す少女。
しかし次の瞬間、少女の身体は一瞬で細切れにされた。
そしてそれを行ったのは――首を跳ねられた筈の、八意の身体であった。
一瞬で生物を細切れにした早業も理解できなかったが、首を跳ねられたというのに動くという事態も、誰もが理解できない。
しかし八意の身体は未だ動きを見せ、地面に落ちた自分の首を掴み上げ、まるでくっ付けるように元の場所へと添える。
すると、離れた筈の首と胴が何事もなかったかのように元に戻ってしまった。
「な、なんじゃ……一体何が起きた?」
突然の展開に、マミゾウはおもわずそんな呟きを零してしまう。
だが紫も彼女と同様に混乱しており、人間である翁達と妹紅はショックな場面を連続で見てしまったせいか気絶してしまっている。
その中で、龍哉と輝夜、そして八意だけはいつもと変わらない様子で――“来訪者”を迎え入れた。
「――失敗?」
「奇襲、失敗……」
「ならば、次は正攻法で……」
そんな声と共に、再び音もなく現れる第三者。
まるで最初からそこに存在していたかのような登場にも驚くが、何より驚いたのは……。
(同じ顔……!?)
そう、現れた第三者の顔が、先程八意によって細切れにされた少女と瓜二つだった。
顔だけではない、体格も服装も手に持った刀も、何もかもがまったく同じ。
まるで三つ子を見ているかのようだ、否、三つ子でもここまで似通った容姿ではない。
それにどういった方法を用いてこの場に現れたのかがまったくわからない。
何かしらの術を使ったのならば、必ずその術の使用した際の力の残滓を感じ取る事ができる筈である。
それは霊力も妖力も関係ない、だというのに現れた少女達は、その力の残滓をまるで感じ取れずに登場してきたのだ。
混乱が混乱を呼び思考が停止しそうになるが、紫はすぐさま懐から【八雲扇】を取り出し身構えた。
――明確な殺意が、少女達から発せられているからだ。
先手必勝とばかりに、紫は攻撃を仕掛けようとして……周りに沢山の人間達が倒れている事を思い出す。
ここで戦うのは構わない、だがそんな事をすれば気を失っている人間達にまで被害が及ぶだろう。
紫としては関係ない話ではあるものの、その中には輝夜の育ての親である翁達や友人の妹紅も居るのだ。
急ぎこの場を離れなければならない、しかし相手がおとなしくついてきてくれるだろうか……。
「――開始、します」
「まずは……こちらから」
「っ」
仕掛けてくる、紫達は一斉に身構え。
瞬間、少女達の姿がこの場から消え――同時に、白づくめ達の命も消えた。
「なっ――」
何度目になるかわからない驚愕の声が、紫の口から放たれる。
またしても見えなかった。
しかも消えたと思った時には――白づくめの男達全員の首が、先程の八意と同じように跳ねられていた。
悲鳴も上げず、間の抜けた表情のまま自分が殺された事も理解できずにこの世から消える白づくめの男達。
そして、少女達の視線が一斉に紫達に向けて向けられる。
「……妙な業を使うもんだな」
「そうじゃな。術の残滓を感じる事ができんかった……一体どんな奇怪な業を使ったんじゃ?」
(マミゾウもわからなかったのね……)
だとすると、相手は相当の実力者という事になる。
同じ顔を持ち、まるで人形のように表情一つ変えない白髪の少女達。
一体何者なのか考察したいが、そんな暇はないらしい。
「――ちょいと、協力しませんか?」
言いながら、龍哉は輝夜を守るように立っている八意へと声を掛ける。
「協力?」
「相手の能力がわからない以上、ここは協力して戦った方がいいと思いましてね」
「…………」
龍哉の提案に八意は何も答えず、代わりに行動で応える。
何かを呟き、右手で地面を叩く八意。
その瞬間、気絶した翁達を含んだ倒れている人間達と事切れた白づくめの男達…そして輝夜の姿が消えた。
「おーおー……相変わらずデタラメっすね、八意××様」
「……あなた、どうして私の本来の名前を知っているの? いえ、どうして発音できるの?」
「おや、八意様ともあろう御方が俺を覚えていないのですか? まあ……あなたにとって俺なんて記憶に値しないかもしれませんが」
「…………まさか」
「――目標、確認しました」
「っ、何を話しておるかは知らんが来るぞ。身構えい!!!」
檄を飛ばすように、マミゾウが叫んだ瞬間。
白髪の少女達は、一斉に紫達に向かって地を蹴り吶喊していった――
To.Be.Continued...