しかし相手の力は強く、龍人は龍哉から安易に使うなと言われていた【奥義】を繰り出す。
「――グオオアアアアアァアアァァァッ!!?」
凄まじい悲鳴と吐血を繰り返しながら、異形の者は一瞬で屋敷から吹き飛ばされた。
今にもバラバラになってしまいそうな凄まじい衝撃と激痛を絶え間なく受け続けながら、異形の者は屋敷の壁だけでなく近くの家屋の壁すら破壊しながらも…尚止まらない。
爆撃めいた音と共に吹き飛び続け、既に右腕と左足は衝撃で捻り切れ、残る左腕と右足も既に折れ曲がっている。
だがそれでも異形の者は止まれない、龍人が放った一撃はそれだけの破壊力を持っていたのだ。
「ギイィィィィィィィィイイイイィィィィィ――――!?」
何故、どうして。
相手は自分よりも格下だった、とるにたらない相手だった筈だ。
だというのに、今こうして自分はその格下相手の一撃を受け――命の灯火が尽きようとしていた。
「おのれ……おのれおのれおのれオノレェェェェェェェェェェェェッ!!!!!」
怒りと憎しみを際限なく増幅させ、しかしそれが晴れることは決してなく。
数百メートルという距離を家屋を破壊しながら吹き飛ばされ続けた後、異形の者は破裂音と共に爆散した。
それで終わり、藤原不比等を殺め惨状を生み出した異形の者は、この世界から跡形もなく消滅した。
「…………」
「は、あ、あ……」
腕を突き出したままの体勢で立ち尽くす龍人。
一方、紫はその瞳を限界まで見開かせながら、無言で大穴が開いた屋敷の壁へと視線を向けていた。
(なんて、デタラメ……)
龍人が放った一撃は、それこそデタラメ以外の何物でもなかった。
相手は自分達よりも遥かに上の存在であった、故に紫達の攻撃はまともに当たった所で致命傷になるわけがない。
だというのに、龍人が放った一撃は致命傷どころか相手の命を五度奪っても足りぬ程の破壊力を秘めた一撃だったのだ。
驚愕しないわけがない、今の龍人が放てる一撃ではなかったのだから。
「――――、ぁ」
ぐらりと、龍人の身体が崩れる。
そのまま彼の身体は背中から地面に倒れようとして。
「――チッ、やっぱり使いやがったのか」
そんな彼の身体をしっかりと支えながら、上記の言葉を呟く第三者が現れた。
「龍哉……」
「すまぬな紫、遅れてしまった」
「マミゾウ……」
現れたのは、龍哉とマミゾウであった。
遅すぎる増援に紫は表情を強張らせつつも、ここで緊張の糸が切れたのかその場に座り込んでしまった。
格上との戦闘による緊張感と死の恐怖が、終わった事により一気に彼女の身体に襲い掛かったのだろう。
すぐさま紫を休ませてやりたいと思った龍哉とマミゾウだが、まだ彼女にはやってもらわねばならない事がある。
「紫、スキマを俺達が泊まってる宿に繋げろ。既に祓い屋達も動きを見せてる、こんな所で鉢合わせになったら面倒だ」
「……でも、妹紅が」
「あの人間の少女なら、屋敷から飛び出してすぐに他の人間に保護されたよ。それより早くしろ」
「……そう。ならいいわ」
龍哉の言う通りだ、そう思った紫はすぐさまスキマを展開させた。
龍哉は龍人を抱きかかえ、マミゾウは立ち上がれない紫を抱きかかえスキマの中へと入り――その場から消える。
スキマは一瞬で紫達が泊まっている部屋へと繋がり、今度こそ紫は心の底から安堵したかのような溜め息を吐き出した。
……生き残れた、自分より格上の相手と戦って五体満足で生き残れた。
その事実が紫に生への感謝と執着を与え、それと同時に……
「とにかく今はお前等の傷を治してやる、来い」
「…………」
「紫、どうした?」
「えっ……あ、なんでもないわ」
既に意識を失っている龍人と紫を治療していく龍哉。
傷はすぐに癒えたものの……龍人の意識は一向に戻らなかった。
きちんと呼吸はしているし生きてはいる、だがまるで死んだように眠っている姿は紫達を不安にさせた。
特に紫は龍人が目の前で致命傷を負った姿を見ている、不安はマミゾウ以上であった。
「大丈夫だ。いずれ目を醒ます」
「……そう、それならいいのだけれど」
「しかし龍哉、傷を治療したというのに何故龍人は眠ったままなんじゃ?」
「力を使い過ぎたんだよ。正確にはこの馬鹿は今の自分に耐えられる以上の【龍気】を一度に放出したんだ」
「龍気……
「正式な名称じゃないがな。尤も、この力に正式な名称なんぞ無いが」
前に龍人から聞いた話を思い出す。
自然界の力というのは凄まじいものであり、これを取り込む事ができる【龍気】を扱えるからこそ龍人は並の妖怪では敵わない力を発揮できる。
だが紫が知っているのはそれだけ、だからこそこの機会に訊いておきたいと思った。
「ねえ龍哉、【龍気】を使った影響なのはわかったけど……それだけで、あれだけの破壊力を持つ攻撃を生み出せるものなの?」
「待て紫、その口振りから察するに……あの状態は、龍人がやったのか?」
マミゾウが言ったあの状態とは、龍人が放った一撃が原因で生まれた一直線に伸びる巨大なクレーターの事だ。
始まりは藤原の屋敷からであり、まるで蛇のように真っ直ぐなクレーターが都に生まれていたのだ。
当然そこにあった建物は粉々に砕け散っており、そこだけ天変地異が起きたと錯覚できるかのような惨状であった。
てっきりマミゾウは紫と相手によるものだと思っていたのだが……。
「紫、コイツ……
「
「あれはな、圧縮した【龍気】を右腕一本に集めて相手に叩きつけるって単純な技でな。例えるなら妖力を右手に込めてそのまま相手をぶん殴ると同じ原理なんだよ」
「何を言っておる。そんな単純なものであれだけの事を……」
「それができるんだよマミゾウ、それだけ【龍気】……正確には自然界の力が凄まじいんだ」
それから龍哉は、【龍気】の――自然界の力について話し始めた。
自然界とは即ち、
つまりその力はこの世界が存在する限り、際限なく取り込める無限の力だそうだ。
それを聞いて紫とマミゾウは当然ながら唖然としてしまった、あまりにも出鱈目なのだから当然である。
しかしあれだけの破壊力を見せ付けられてしまえば、強ち間違いではないとも思った。
神々すら打ち倒す事ができる力、それが龍人が扱える【龍気】という力だった。
「まあ当然と言えば当然なんだけどな。龍人は
デタラメなのは当然だし、寧ろあれでもまだ優しいもんだ」
「…………なんというか、夢のような話じゃの」
「だが無尽蔵に力を取り込めるという事は、同時にその負担も無尽蔵という事だ。
だから俺は龍人の身体が成熟するまで
呆れたように呟きながら、眠っている龍人を軽く睨む龍哉。
だが彼が怒るのも無理はない、初めて龍人が
それだけ【龍気】を使用した際の負担が膨大という現れであり、欲を言えば【龍気】自体の使用も禁じたいくらいだ。
元々は神々――龍神だけが使う事ができる力なのだ、肉体が神々よりも脆弱な者には負担が大き過ぎる。
「それで、龍人はいつ目を醒ます?」
「さてな……まあ一生なんて事はないだろうが、あれだけの破壊力を持つ
「何じゃと……!?」
「俺が禁じた理由が判るだろ? とにかく今はおとなしくしていた方がいいだろ、あんな事件が起こっちまった以上人間達の警戒心が上がる。
そんな中で人間じゃねえ俺達が下手に動けば面倒になる、そうだろマミ?」
「じゃな……わしの変化の妖術を見破れる人間がこの都に居るとは思えんが、おとなしくしているに越した事はない」
「…………」
今後の事を話し合う龍哉とマミゾウ。
その中で、紫は無言のまま俯いていた。
……先程彼女の中で生まれた
それを振り払いたくて、彼女は勢いよく立ち上がりそのまま外に出ようとした。
「紫、何処へ行く?」
「……少し、夜風に当たってくるわ」
マミゾウの問いに視線を合わせないまま答え、紫は改めて外へと出ようとしたが……今度は龍哉に呼び止められる。
「おい、紫」
「…………何かしら?」
「わかっていると思うが、龍人が今こうしているのは他ならぬコイツが未熟だからだ。
力もまともに使えないくせに格上の相手に挑むなんていう愚かな事をしたからこその結果にすぎねえ、だから……お前が責任を感じる必要も意味もないんだからな?」
「…………私が、そんな女に見えるのかしら?」
嘲笑しながらそう返し、紫はその場を後にする。
だがその嘲笑は、自分自身に向けられているように2人には思えた。
「……ったく、これだからガキは」
「致し方あるまい。紫は龍人を何処か弟のように思っているようじゃからな」
「確かにアイツもまだまだ未熟だ、だがこうなったのは龍人が弱いからでしかない。
自分と相手の力量も測れないもんが、遥か上の領域に手を伸ばした結果……こんな醜態を晒してるだけだ」
「手厳しいのう……」
しかし、残念ながら龍哉の言葉は正しい。
龍人の行動は愚か者でしかない、相手が自分より格上だとわかりながらも立ち向かったのだから。
そんな事ではこの世界で生き残る事などできない、それだけ龍人達が歩んでいる世界は厳しいのだ。
……だが、それでも。
自分にとって大切な友を守ろうとした龍人を、マミゾウは心から責める事はできなかった。
■
「…………」
静寂に包まれた都を、紫は彷徨うように歩いていく。
目的があるわけではない、ただ今は……何も考えたくなかった。
(私は、なんて……)
弱いのだろうと、紫は己の弱さに憎しみすら覚えた。
何もできなかった、先程の戦いで自分は足手まとい以外の何者でもなかった。
その事実が紫のプライドを砕き、そして……自分より弱いと思っていた龍人の力を見て、彼女の心は傷ついていた。
だがその傷は決して龍人に対する劣等感から来るものではなく、命を懸けて戦う彼の力になれなかったという事実から来る傷であった。
未熟なのはわかっている、だがそれでも……境界を操る能力という力を持っている以上、そこいらの者には負けないと思っていた。
そして龍人の事は、危なっかしくて自分が見ていないと駄目な弟のように思っていた。
だが現実は違う、彼は紫よりも強い力を持ち、そして……決して相手が誰であろうとも立ち向かえる勇気を持っている。
笑えない話だ、自分の傲慢さにもはや笑いさえ浮かばない。
「――辛気臭い顔ね、せっかくの美人が台無しよ?」
「えっ……」
突然掛けられた声に驚きつつ、紫は視線をそちらへと向ける。
視線の先には……自分に対して怪訝な表情を浮かべた、輝夜の姿があった。
「輝夜……?」
「何やっているのよ、こんな所で」
「それはこっちが訊きたいわ」
「わたしはねえ、ちょっと散歩よ」
「…………」
貴族の娘が護衛も付けずに、夜の都を散歩。
明らかにずれている彼女の行動に、紫は呆れを通り越し…つい苦笑してしまった。
「そっちこそ、そんな辛気臭い顔してどうしたのよ?」
「…………」
「……言いたくないなら別にいいけど、暇ならちょっと付き合いなさい」
そう言って、紫についてくるように命令する輝夜。
強引な物言いだったものの、拒否する理由もなかったので紫はおとなしくついていく事に。
そのまま輝夜は紫を連れて、自分の屋敷へと戻る。
いつもの縁側に腰掛け、紫も輝夜の隣に座り込んだ。
しかし輝夜は何も言わず、ただ黙って月を見上げるだけで紫に問いかけたりはしない。
紫も紫で何も言わず、2人の間に暫し静寂が訪れていたが……我慢できなくなったのか、輝夜が先に口を開いた。
「――妹紅なんだけど、今わたしの屋敷で保護しているわ」
「えっ……!?」
「だってしょうがないわよ。妹紅以外の親族はもちろん、使用人全てが殺されていたんだから」
「…………」
やはりあの屋敷に妹紅以外の生き残りはいなかったようだ。
わかっていたが、輝夜から改めてその話を聞いて紫の表情が僅かに歪む。
「……妖怪なのに、人間が死んだのがそんなに悲しいのかしら?」
「えっ?」
「そんな顔していたからよ。まあ別にいいけど」
「…………」
悲しい? 妖怪の自分が、罪の無い人間が死んで悲しんでいる?
馬鹿げた話だと、紫は一笑し思考を切り替えた。
「とにかく妹紅の事は心配しなくて大丈夫よ。だけど……さっき辛気臭い顔をしていたのは、それが原因じゃないんでしょ?」
「…………別に、あなたには関係ないわ」
「そうね、でもわたしって結構あんたの事気に入ってるのよ? だから訊きたいわ、話してくれない?」
「…………」
有無を言わさぬ物言い。
だが決して輝夜は急かさず、ゆっくりと紫の言葉を待っていた。
……そのせいだろうか、人間に弱みなど見せたくないと思っていた紫であったが。
「――龍人との力の差を思い知って、自分自身に愛想を尽かしただけよ」
気がついたら、己の心を輝夜に吐き出してしまっていた。
「? 意味が分からないんだけど?」
「ちゃんと説明するわよ」
それから紫は、輝夜に妹紅の屋敷であった事を全て話した。
あの騒動の原因の1つが紫達だと予想していたせいか、それを聞いても輝夜の反応に驚きの色は無かった。
「龍人の力は私を大きく超えていたの。それなのに私はそれに気づかず、あの子を何処か見下していたわ」
「ふーん……」
「それが恥ずかしくて、同時に情けなくて……」
一度恥ずべき姿を見られてしまったからか、紫は自分でも驚くぐらいあっさりと心の内を輝夜に明かしていた。
人間である輝夜に、妖怪である自分の弱さを吐露する。
なんと情けない事か、本来ならば恥ずべき事だが……不思議と、紫の心は穏やかだった。
「でもさ、そんなのすぐに追い越せばいいじゃない」
「……簡単に言ってくれるのね」
「悩んだ所で強くなるわけでもないわ、悩み続ける事には意味があるけど…紫が今やっている事は無意味でしかない」
「…………」
「歩みを止めれば成長しない、だったら立ち止まらずに歩み続ければいい。
妖怪は……というか紫は物事を難しく考えすぎなのよ、そんなんだからすぐそうやって歩みを止めちゃうんじゃない?」
そう言って、輝夜はからからと笑う。
こっちの事情も知らないで……そう思いながらも、紫は輝夜の言葉を心の底では受け入れていた。
そうだ、彼女の言っている事は正しい。
難しく考えず、ただ歩みを進めて……今度こそ龍人より強くなればいいだけ。
とはいえ、そういった考えに到るまでが大変なのだ、特に精神に影響を及ぼしやすい妖怪では尚更である。
「でも龍人って強いのね、普段の姿からは想像もできないけど」
「だからこそ、私も彼の力を見誤ったのだけどね」
「それだけ強いなら、わたし専属の護衛として雇おうかしら」
「やめておきなさい、龍人がそんな器用な真似できると思う?」
無理ね、即答しながら再びからからと笑う輝夜。
それに釣られて紫も笑ってしまい、2人の笑い声が縁側に響き渡る。
一頻り笑い、それが収まった時には……紫の心は軽くなってくれていた。
そんな彼女の様子を見て、輝夜はそっと微笑みながら……再び空を仰ぐ。
「月を見るのが、そんなに楽しいの?」
「楽しいわけないじゃない。それにわたし……月はちょっと嫌いなのよね」
「? じゃあ、どうして見ているの?」
「…………」
紫の問いには答えず、ただ黙って月を見やる輝夜。
その様子に怪訝な表情を浮かべながらも、なんだか話しかける事ができず、紫も輝夜と同じように空を見た。
少しだけ欠けた月が浮かぶ、満月まで……およそ5日といった所だろうか。
月は巨大な“魔の塊”、満月になった夜は妖怪が最も活動を活発化させる夜になる。
「――もうすぐ、ね」
「えっ?」
「満月、あと…5日ぐらいかしらね?」
「そうだけど……それがどうかしたの?」
人間である輝夜には、満月になろうとどうでもいい事の筈だ。
そんな事を考えつつ、紫は輝夜の次の言葉を待ち。
「――次の満月の夜にね、月から迎えが来るのよ。
そうしたらわたし、もうここを離れなければならなくなるの」
その言葉を聞いて、端正な顔に驚愕の色を浮かばせた。
To.Be.Continued...