神剣が、うねりを上げて神弧へと襲い掛かる。
剣戟の速度は決して速くはない、だがその破壊力はまともに受ければ神弧の肉体はおろか魂すら両断する破壊力を秘めていた。
そしてその一撃は、紫が振るう神剣が放つものだけではない。
彼女の式である藍が放つ拳や炎もまた、神弧の命を狩り取る程の破壊力が込められていた。
――如何なる奇跡か。
今の紫と藍は、妖怪と妖獣という領域の遥か先へと辿り着いている。
それぞれの攻撃に込められているのは妖力ではなく、神々の域に達した者だけが扱える絶対的な力、神力であった。
肉体ではなく魂そのものにダメージを与えるその力は、黄金の輝きを放ちながら火山の噴火のように2人の身体から噴き荒れている。
「…………はっ」
2人の力を前にしても、神綺の内側から現れるのは……歓喜。
自分の命を奪える程の領域に達した2人と戦える事を、彼女は心の底から悦んでいた。
「はは、ははははははっ!!」
「何が可笑しい!!」
怒鳴りながら右の拳を放つ藍に、その一撃を受け止めながら神弧は興奮した面持ちで返答を返す。
「可笑しいわけではない、嬉しくて嬉しくて堪らんのだ!! 一手先にちらつく死の恐怖、それを乗り越え戦い続ける事はまさしく生を謳歌していると言えるではないか!!」
だから喜ばしいと神弧は言い放ち、それを聞いた藍は一気に内側にあった怒りを爆発した。
九尾は総毛立ち、彼女の表情は憤怒によって獣のように変貌していく。
……こんな理解できない存在のせいで、龍人は消えてしまったのだ。
挙句の果てには今のこの状況を愉しんでいる姿を見せられた、それが藍の憎しみを増大させる。
「ふざけるなぁっ!!」
藍の怒りの声を現すかのように、炎が巻き上がった。
超高熱の獄炎が地面を溶かし、大気を燃やし、周囲のモノ全てを焼き尽くしていく。
「貴様の、貴様のせいで龍人様が……!」
「それがどうした? 消えた者にいつまでも執着する必要などあるまい?」
「っっっ、貴様ぁぁぁっ!!」
「――どきなさい、藍」
静かに、けれど地の底から放たれたかのような紫の声を聞いた瞬間、藍は溢れ出していた怒りを霧散させた。
獣の本能が警鐘を鳴らす、この場に居たら死ぬと訴えかけており、藍は全力でこの場から跳躍して。
――神弧の肉体を幾重にも貫く、紫の光弾を目にした。
「ぐぅ……!」
全身に風穴を開けられながらも、神弧はすぐさま肉体を再生させていく。
その再生スピードは異常の一言に尽きる、秒を待たずに全ての傷を再生させる神弧であったが。
「ぬっ!?」
「…………」
既に間合いを詰めていた紫の斬撃を受け、左腕を斬り飛ばされていた。
返す刀で横薙ぎに神剣をを振るう紫、それを神弧は残る右腕で受け止めようとして……その腕ごと横一文字に斬り裂かれる。
「な、に……?」
「もう喋らないで、耳障りよ」
あくまで冷静に、けれど声に藍以上の怒りを秘めて、紫は言った。
もはや語る事などなにもない、あるのは目の前の存在を完全に滅するという感情だけ。
彼を失った悲しみは今だけ忘れよう、泣く事なら全てが終わった後いくらでもできるのだから。
「――風龍気、昇華」
龍人から受け継いだ力を使い、紫は左手に高圧縮された風を生み出す。
「
左手を地面に叩きつける、すると神弧を中心に凄まじい轟風が猛りを上げて出現した。
その凄まじさは神弧を風の塊の中に封じ込め、一瞬とはいえ動きを封じてしまうほどであった。
たかが一瞬、されどその一瞬だけで充分。
「炎龍気、昇華!!」
「っ」
神弧の表情が、深刻なものに変わる。
既に先程まで浮かんでいた歓喜の表情は消え去り、自らの生命を脅かされた事を自覚した彼女はすぐにこの風の中から抜け出そうとするが、もう遅い。
「ぐ、おぉぉ……!?」
風を突き破り、神弧の身体に突き刺さる九本の尾。
その全てに宿っているのは、龍の炎。
肉体ではなく魂を焼き尽くす黄金の炎は、瞬く間に神弧の身体に燃え広がり彼女の命を確実に削り取っていく。
「終わりだ、神弧!!」
「ぐ、ぅ……おおおおおおおっ!!」
「何……!?」
致命傷を与えたというのに、神弧は瞬時に斬り飛ばされた両腕を再生させ、自身を貫く藍の尾を全て抜き取ってしまった。
それだけでは終わらず、自身を焼く炎すら強引に吹き飛ばしてしまう。
……化物だ、初めから理解していたが藍は改めて目の前の存在をそう認識する。
魂を直接攻撃しているというのに、その一撃一撃が本来ならば致命傷である筈だというのに、神弧はまだ生きているばかりか戦う意志を見せている。
その瞳には強い命の輝きと生に対する執着のみが見え、自分達に対する悪意などは見られない。
「そうか、お前は……」
そこで藍は理解する、神弧という存在を断片的ではあるが理解する事ができた。
彼女は普通の生物ではない、負の感情から生まれた破壊の権化だからこそ、生を謳歌する事に執着する。
そして彼女にとって今のこの瞬間こそが“生きている”と尤も実感できる瞬間なのだ。
だがだからといって認める事などできない、所詮相容れぬ存在であり彼女の所業は決して許されないのだから。
「どうした、もう終わりか!?」
「――ええ、もう終わりよ神弧」
振るわれる斬撃。
藍と入れ替わるように間合いを詰めた紫の神剣が、神弧の身体を斬り裂く。
舞い散る鮮血、服や顔が汚れるのも構わずに紫は更に間合いを詰め剣を振るった。
「っ」
固い感触、斬撃が神弧に掴まれ両者は拮抗したまま互いを睨み合う。
「終わりとは随分と大きく出たな紫、もう勝ったつもりでいるのか?」
「……負けられないのよ、あなたと私達では背負うものが違うのだから」
「そんな言葉で己を誤魔化すな、お前達はただ龍人を失った悲しみと憎しみを妾にぶつけたいだけだろう?」
「…………」
「曝け出してしまえばいい。それが心を持つ生物の本質だろう?」
そう言い放つ神弧の言葉に、紫は反論も否定もしなかった。
ああ、その気持ちがまったくないと言うつもりはない、現に今だって神弧に対する抑え切れない憎しみをぶちまけてやりたいと思っている。
……けれど、紫が戦う理由はそんなものではない。
「そんなものではないのよ、今の私が戦うのは」
「また奇麗事か?」
「いいえ違うわ。破壊しか能の無いあなたにはわからないでしょうね、憎しみも怒りも……今の私には必要ないものよ」
託されたのだ、龍人に幻想郷の未来を。
後を頼むと、そしてまたいつか共に生きようと彼は言った。
その言葉を信じている、その未来を信じている。
だからこんな所で負けるわけにはいかないし、神弧に対する怒りも憎しみも抱く必要などない。
「私は幻想郷の賢者として、私と私の仲間達が愛する世界を守る。その為は……あなたの存在は許されない!!」
龍人から託された力も、もう残り少ない。
この力が消えてしまえば勝機は無くなってしまう、だから――紫は最後の勝負に出た。
“能力開放”を発動、境界を操る力を神剣の刀身に流し込んでいく。
「っ、貴様……!」
紫が何をしようとしているのか気づいたのか、神弧の表情が変わるがもう遅い。
赤黒く変化した恐ろしい瞳を神弧に向けながら、紫は自身にとっての最強剣を解き放つ。
「境界斬!!」
刀身を神弧に掴まれたまま、紫は両手に力を込め境界斬を繰り出した。
瞬間、神剣の刀身は掴んでいた神弧の両腕ごと彼女を両断する。
それだけではない、斬撃を受けた神弧の魂の境界が“変化”を遂げていく。
「ぎっ!? が、ぐぁぁぁ……!?」
「魂とその肉体の境界を断ったわ、それに魂の境界も……」
「ぎ、があああぁぁぁぁっ!!」
「ぐっ!?」
苦しみながらも、神弧は消滅した両腕を再生しながら、紫の首を掴み上げる。
ミシミシと紫の首が悲鳴を上げる、今にも握り潰されてしまいそうだ。
「は、がっ……」
「紫様!!」
「邪魔、だぁっ!!」
紫を助けようとする藍に、神弧が叫ぶ。
言霊が呪いと化し、まるで鎖のように彼女の身体へ纏わりつき、動きを封じてしまった。
「ぐっ……ははっ、たいしたものだな。いくら龍人の力を分け与えられたとはいえ、こうも龍人族の力を扱い妾の魂と肉体を切り離そうとするとは……」
「あ、ぁ……」
意識が、薄れていく。
残り少ない力の殆どを境界斬で使ってしまった、結果として神弧の魂と肉体を切り離す事だけはできた。
だがそれまでだ、龍人の力と紫の力を合わせても尚、彼女の消滅までは到らない。
「ぐっ、ぅ……この肉体はもう保たんか、だが……妾の魂は消えぬ。勝負あったな……紫ぃっ!!」
「は、ぁ……が」
神剣を地面に落としてしまう。
視界は掠れ、呼吸はとうに止まっていた。
抵抗する意志はおろか、命の灯火すら消えかけている。
歯を食いしばっても、抵抗する気力が湧いてくる事はなく、やがて紫は完全に意識を闇の中へと沈ませようとして。
――貴女は、託されたのではなくて?
呆れたような、蔑むような自身の声を、聞いた気がした。
「…………ぁ」
思い出せ、自分は何を託されたのかを。
ここまで共に歩んできた彼から、幻想郷の未来を託されたのではなかったのか?
そしてそれは紫にとっても心からの願いであり、それを守る為にこうして戦ってきたのではなかったのか?
「……っ、う、ぁ……」
ならば、こんな所で終われない。
まだゴールは遠く、漸くスタート地点に辿り着いたばかりだ。
止まるわけにはいかないし、そんな事は許されない。
「ぁ、あ、ぐ……」
「……まだ、死ねないのか? ならばすぐにその首をへし折ってやろう」
紫の首を掴んでいる神弧の手に、更なる力が込められる。
……そんなもの、今の紫にとってどうだってよかった。
この瞬間にも襲い掛かる激痛も苦しみも、関係ない。
今にも消えそうな程に儚い命だけど、まだできる事があるのなら……彼女の心に浮かぶのは、ただその感情のみ。
――両手が、とある形を形成させる。
――それはまごうことなき、
「…………この、一撃は」
「何……?」
「この一撃は……龍の、鉤爪。あらゆるものに……喰らいつき、噛み、砕く……」
紫から放たれた言葉を聞いた瞬間、神弧の背筋が凍りついた。
次に襲い掛かったのは、明確な死の恐怖。
今まで感じた事のない、感じる事などありえないと思っていた“死”が、神弧の脳裏に浮かび上がった。
「貴様、まだ……!」
一秒後に迫る死を認識し、神弧は全力で紫の命を奪おうとするが……時既に遅し。
紫の両手には黄金の光が宿り、消えかけていた彼女の瞳には未だかつてない程の強い意志が込められた光が宿っていた。
相手に対する勝利への渇望、未来の平和を願う祈り。
瞳から見えるその真っ直ぐな想いを見た瞬間、神弧は何を思ったのか僅かに動きを鈍らせ。
「
それが、勝負を決める決定打となり。
一瞬先に放たれた龍の牙が、神弧の身体へと叩き込まれた……。
To.Be.Continued...