その根底となる博麗大結界の為に、紫達は疾走するが……。
「――ヘカーティア様、一体何の用でしょうか?」
「あらん、映姫ちゃんったらそんな嫌そうな顔をしなくてもいいのに」
「い、いえ……そのような事は」
あの世に存在する、地獄の裁判所。
そこでいつも通り閻魔として忙しなく働いていた映姫の前に、にこやかな笑みを浮かべたヘカーティアが現れる。
この忙しい時に、内心ではそう思いながらも絶対的な上司であるヘカーティアを一応迎え入れる映姫。
「紫ちゃん達が、遂にあの“結界”を幻想郷に展開するみたいよ?」
「えっ!?」
ヘカーティアの言葉に、映姫はおもわず勢いよく椅子から立ち上がる程の衝撃を受けた。
「いえ、ですがそれはまだ……」
「
「…………」
「やっぱり龍人の存在が影響しているのかしらねん、それとも……神弧と名乗ってるあの変な女のせいかしら」
「それは……わかりません、ですがヘカーティア様」
「わかってるわかってる、干渉しないでって言いたいんでしょ?」
「……ヘカーティア様の力は強力過ぎます、それこそ簡単に世界を消し飛ばしてしまうほどに」
ヘカーティアは、龍人を気に入っている。
そんな彼が消えるという事態に陥った場合、手を貸してしまう可能性があるので映姫は改めて釘を刺したのだ。
こちらの存在は本来現世に干渉して良い存在ではないのだ、たとえ世界に何が起ころうとも……。
「随分と歴史が変わっているようだけど……助けてあげないのかしらん?」
「できるわけがありません。私達にはその“資格”がない、それにこのまま消えてしまうのならば……それもまた、運命なのです」
言いながら席に座り込む映姫、だが言葉とは裏腹に浮かべる表情は悲痛なものだ。
映姫の顔を見てやれやれと肩を竦めるヘカーティア、けれどその態度は呆れから来るものではなく、慈しみの込めたものであった。
地獄の閻魔、私情に左右されず死した者をただただ平等に裁く彼女だが、本質はこのように甘いと言えるほどに優しいものなのである。
「でもなー、あの神弧と戦ったら龍人の魂をとられちゃうし……やっぱり勿体無いなー」
「ヘカーティア様」
「はいはい、わかってるわよん。だけど映姫ちゃん、あの子が誰の加護を持っているか知ってる?」
「……知っていますよ。まったく、何故“あの方”は現世に干渉するのか」
大きく溜め息を吐き出す映姫。
「仕方ないじゃない。あの人も幻想郷には思い入れがあるのだから、それにハッピーエンド大好き主義者だから」
「だからといって龍人族に自らの加護を施すなど……」
「まあそのおかげで今の今まで生きてこれたんだけどねん」
尤も、その加護も
如何に龍人に加護を施した存在が規格外だとしても、千を超える年月を生きその間での戦いで彼の肉体は確実に疲弊してしまっている。
これ以上、命を懸ける戦いを繰り返せば……特に、神弧のような強大な力を持った存在と戦った場合は……。
「あーあ、本当に残念ねえん」
「…………」
軽い口調で、けれど本当に残念そうにへカーティアは。
「――龍人、きっと保たないわね」
残酷な、決して逃れられない運命を口にした……。
■
「……そうか。いよいよなのか」
「ええ、貴方の意見も聞かずに実行に移そうとしたのは……」
「いや、それは別にいいんだよ。紫のする事なら間違いなんてあるわけないしさ」
そう言って龍人は、入っていた布団から出て立ち上がる。
……少し飲みすぎたか、龍人は痛む頭をトントンと叩いた。
と、中庭からスキマが開き藍が紫の命を終え屋敷へと戻ってきたのが見えた。
「おかえり、藍」
「ただいま戻りました。あ、おはようございます龍人様」
「おはよう、藍」
軽い挨拶を交わし、3人は居間へと移動する。
藍にお茶を用意してもらい、一息ついてから……報告を開始した。
「地底世界、および妖怪の山の面々は大結界について概ね同意を得る事ができました」
「概ね、というのは?」
「……永遠亭からは反対意見は出ませんでした、ですが地底世界と妖怪の山の一部の妖怪達は……今回の件に、納得を示しておりません」
苛立ちを見せつつ報告する藍であったが、紫自身この事態は充分に予測できたものであった。
大方反対する者達は「こちらが隠れ住むような真似をする必要などない」と思っているのだろう、気持ちはわかるが既にそんな体裁を保っている余裕など妖怪達にはないというのに。
「その者達の事はそれぞれの組織の代表者が対処すると言っていましたが……」
「それなら任せるとしましょう、それで決行の日だけど……4日後に博麗神社で行なうわ」
「4日後? 早過ぎないか?」
「これから博麗神社に大結界を起動させる為の巨大な陣を書いて最短で術の発動開始を考えると、4日後が一番早い時間なのよ」
陣を書き終わるまで少なくとも数日は掛かる、4日後というのもあくまで“最短で陣を書ければ”可能という話なのだ。
……そこまで急ぐ必要などないのではないかとは紫自身も思っている、だが急がなければならないと自分自身が訴えていた。
やはりあのユメの影響なのか、どうにも嫌な予感が消えてくれない。
「大結界の発動は今代の博麗の巫女と私で行うわ」
「俺と藍はどうする?」
「龍人達は屋敷で待機していて頂戴、この結界術はあまり大人数で発動させるのは得策ではないの、それに藍はともかく龍人は結界術が苦手でしょう?」
それにだ、2人に待機してもらうのにはきちんとした理由があった。
「……博麗大結界の発動にはどれほどの時間が掛かるのかわからない、その間は当然私も博麗の巫女も神社から一歩も動く事はできないわ」
「成る程、その間に2人を守るのが俺達の役目か」
龍人の言葉に、紫は重々しく頷きを返す。
……前述の通り、大結界の存在を好ましく思わない妖怪も存在している。
その隙を狙って幻想郷を奪い取ろうとする輩は現れるだろう、それも……前のような雑魚ではない、強い力を持った妖怪が。
しかし博麗大結界の発動は少なくとも丸一日以上は掛かってしまうだろう、そして途中で術を中断させられれればこの土地の霊脈が傷ついてしまう。そうなってしまえばこの地はいずれ死ぬ、それだけは絶対に阻止しなければならない。
「大丈夫だ。人里の方は慧音や妹紅、それに白蓮達が居る。そして紫達は俺と藍が守るさ」
「龍人様の仰る通りです、命を懸けて守ってみせます」
「ありがとう2人とも。でも藍、命を懸けるのはやめなさい。そんな事は私が認めません」
「……勿体無きお言葉です、紫様」
話は済んだ、ならばすぐにでも準備に取り掛からなければ。
紫は立ち上がりスキマを開く、繋げた先は当然博麗神社だ。
「藍は陣を書く手伝いをして頂戴、その間龍人は少しでも力を温存しておいて」
「わかった」
「それでは龍人様、いってまいります」
頑張ってくれ、龍人に見送られ紫と藍はスキマで博麗神社へと向かっていった。
そして、屋敷には龍人1人だけが残り、2人を見送った後にすぐさま彼も行動に移った。
向かう先は――迷いの竹林の中にある、永遠亭。
「永琳、いるか?」
勝手知ったるなんとやら、玄関を抜け中庭を通り、龍人は真っ直ぐ永琳の研究室へと足を運んだ。
沢山のラベル付き瓶に囲まれたその部屋では、今日も今日とて八意永琳が新薬の研究を行なっていた。
龍人の礼儀を知らぬ来訪にも、永琳は気にした様子もなく液体の入ったフラスコを机の上に置いてから、彼を迎え入れる。
「いらっしゃい、でも次からはノックしてくれるかしら? 危険な薬を取り扱ってる時もあるから」
「ああ、悪い。次は気をつける」
「結構。それで……そんな鬼気迫る顔をして、どうしたの?」
「藍から聞いてるだろ?」
「大結界の事? それは聞いているけれど正直興味ないの、協力すべき事は協力したしね」
だから、後は好きにやってちょうだいと本当に興味なしと言った様子で永琳は言う。
「わかってる。だけど、できる事ならもう少し力を貸してほしい」
「大結界の発動は紫と今代の博麗の巫女が行なうのでしょう? だったら私のする事なんて何もないでしょうに」
「大結界を望まない妖怪達が、徒党を組んで幻想郷に侵略してくる可能性がある。それは永琳だって判っている事だろう?」
「ええ、でもそれはあくまであなた達の問題よ。薄情かもしれないけどいくら友人だからってなんでもかんでも協力するつもりはないわ」
永琳の最優先すべき事は、あくまでも輝夜の安全を守る事。
龍人達は確かに友人ではあるが、必要以上に手を貸すつもりなど毛頭ない。
それにそんな事をすればバランスが崩れてしまう、永琳は自らの力と知識の大きさを理解しているからこそ、必要以上の干渉を行なわないのだ。
「それはわかっているさ。今回の事は俺達だけでなんとかしてみせる」
「なら、何に対して力を貸せばいいというの?」
「…………ある薬を作って、俺に投与してほしい」
「ある薬? それって………………待ちなさい龍人、あなた何を考えているの?」
龍人の瞳に浮かぶ、強い決意に満ちた色を察知し、永琳の表情が変わる。
彼女は気づいてしまった、彼の望みに。
「――“アイツ”は、絶対にこの機を狙って目覚めてくる。わかるんだ俺には」
「…………」
「でも、きっと今の俺じゃ勝てない。かといって時間がない」
千を超える年月を生きている今の彼は、まさしく大妖怪と呼べる力を身につける事ができただろう。
――けれど、それだけでは届かないのだ。
倒さねばならない相手、決着を着けねばならない相手は更に先の領域に居る。
できる事ならばもう数百年時間が欲しかった、だが龍人も紫と同じくこの時期に博麗大結界を展開しなければならないと思っていた。
しかしそれは、アレと決着を着けなければならないという事に繋がる。
この世全ての破壊を望む、世界にとっての“絶対悪”。
それが目覚める時がやってきたのだ、龍人にはそれが不思議と理解できていた。
アレはやろうと思えばこの世界に受肉した時点で簡単に全てを滅ぼす事ができた、けれど“自我”を持つが故にすぐさま行動に移らなかったのだ。
ただの破壊ではなく、強者と戦い、勝利し、その上で全てを蹂躙するという歪んだ願いを抱いて誕生したからこそ、まだこの世界は存在していられる。
アレは生物の絶望を善しとする殺戮者だ、だからこそこの時期に……博麗大結界を展開し、幻想郷を楽園にしようとするこの時期に目覚めると確信できた。
それを阻止すれば凄まじい絶望が生まれる、少なくとも紫達から得られる絶望はそれこそ無尽蔵だ。
「……そう、あなた達が戦っていた正体不明の存在が、博麗大結界を阻止しようと動き出すと?」
「阻止なんてアイツはきっと考えない。ただ大結界そのものを消滅させれば強い絶望と悲しみを得る事ができる。アイツにとってはただの“愉しみ”なんだ、それこそ愉しめるのなら過程なんて必要じゃない」
「悪趣味ね、まあ精神生命体ならば魂に気質が引っ張られるのも致し方ないけど……」
「永琳、アレはただ肉体を破壊すれば倒せる相手じゃない。俺の……いや、龍神の力を使わないといつかアイツはまた蘇る」
だが、今の自分の“龍気”ではおそらく届かない。
相手はあの時よりも力を増している、負けるつもりはないが勝てる保証など存在しない。
「だから永琳、この腕を……この腕の力を完全に引き出せる薬を、作ってくれないか?」
そう言って、龍人は自らの右腕を永琳へと見せる。
……彼の右腕は、魔界での一件である龍人族の男の腕を移植しており、彼本来の腕ではない。
そしてこの腕は彼以上の“龍気”を扱う事のできる腕だ、彼も必死にこの腕に相応しい実力者になろうと努力を続けてきたが……まだその領域には達していない。
それだけの力がこの腕には存在する、故にこの腕の力を完全に使えるようになれば……アレに対抗できる筈だ。
「……龍人族の腕、それも“龍神”の領域に達しようとしていた程の腕、ね」
「一時的でもいいんだ。どうにかできないか?」
情けない話ではあると重々承知している、本来ならば自らの努力で辿り着かなければならない領域に反則技を用いて辿り着こうとしているのだから。
「できるわよ。だってあなた達の種族に力を与えた龍神の身体の構造を知っているんだもの」
「本当か!?」
顔を上げ、ぱっと表情を明るくさせる龍人。
「じゃあ頼む。いつ頃完成するんだ?」
「一日もあれば」
「そっか……よし、それならなんとか……いや、なんとかしてみせるさ」
龍神が扱える力を使用できるのならば、対抗できるかもしれない。
後は自分次第だが、希望が見えた事に龍人は嬉しさを隠しきれなかった。
……だが、彼は当たり前の事を忘れている。強い力には、それ相応の代償が必要なのだ。
「――龍人、わかっているの?」
「何がだ?」
「あなたの身体は半妖、“龍神”の力は上位の神々の領域。力の次元が違うのよ」
それが何を意味するのか、あなたにはそれがわかるのかと永琳は問う。
その問いで彼は思い出した、強すぎる力を扱った先に待つものが何なのかを。
「……正直、言われるまで忘れてた。勝てる手段を見つけて舞い上がってたんだな俺は」
「…………」
「けど、俺の選択は変わらない。勿論使わないのが一番良いけど……きっと、そうはいかないだろうから」
「……あなたは、本当に」
呆れてしまう、迷う事なく困難に立ち向かうその心に、真っ直ぐさに永琳は心の底から呆れ返った。
限界を超えたその先の力に手を伸ばす事に、彼は何の躊躇いも見せないのだ。
「いいわ。すぐに作ってあげる」
「ありがとう、永琳。それとさ……この事は」
「誰にも言わないわ。特に紫にはね」
「うん……」
■
「――さあ藍、始めるわよ」
「はい、紫様!!」
「あのー……私も居るんですけど……」
――博麗大結界を作り出そうとする紫と藍、そして今代の博麗の巫女。
「……八雲達が、例の結界を作り出すそうだ」
「ならば、あの地を我等にする好機!!」
――そしてその機を狙い、幻想郷を狙う者達も動き出す。
「――龍人、妾も行くぞ。愉しみにしておくといい」
最後の戦いが、すぐそこまで迫っていた……。
To.Be.Continued...