「ねえ、もこたん」
「なんだ輝夜? それともこたんって言うな」
迷いの竹林の中にある、永遠亭の中庭にて碁を打ち合う輝夜と妹紅。
暫く無言で打っていたのだが、突如として輝夜が口を開き妹紅は碁盤に視線を向けながら彼女の声に耳を傾ける。
「永琳みたいな完璧超人が喜ぶ事って、なんだと思う?」
「えっ?」
顔を上げ、輝夜へと視線を向ける妹紅。
「どういう事?」
「わたし思ったんだけど……いくら姫だからって、永琳に対して過保護にされ過ぎじゃないかな?」
「うん、そうね」
「即答!?」
コンマ一秒の早さで返され、輝夜は驚きを隠せない。
対する妹紅は「何を今更」とばかりに輝夜へと向かって呆れた視線を向けていた。
永琳が輝夜に対して過保護なのは周知の事実である、そんな当たり前の事を言われて何故驚かれるのか理解できない。
「だって輝夜、たまーに里に散歩する時があるけど……仕事もしてないし、身の回りの世話は永琳や妖怪兎達に任せっきりじゃないの」
「うっ……そ、そういうもこたんはどうなの?」
「だからもこたん言うな。私はこの竹林で採れる筍を里の人達にお裾分けしたり、妖術を用いて炭を作ったりしてるけど?」
「…………」
まさかの返答に、輝夜は何も言えなくなった。
てっきり妹紅も自分と同じくただただ日々を過ごしているだけかと思っていたのに……なんだか裏切られた気分になる。
「まあそれはそれとして、いきなりどうしたのよ?」
「うん、その……えっとね、たまにはわたしが永琳に対して色々としてあげたいというか……もうちょっとこう、アウトドア精神を開拓した方がいいと思ったというか……」
「その『あうとどあ』っていうのが何なのかは判らないけど、とにかく永琳に日頃の感謝をしたいと?」
こくんと頷く輝夜。
……珍しい事もあるものだと、妹紅は内心割と本気で驚いた。
少なくとも再会してそれなりに永い年月が経つが、彼女がこんな事を言い出したのは初めてである。
「良い心掛けね、きっと永琳も喜ぶわ」
「そ、そう? それでなんだけど、もこたんはどうすれば永琳が喜んでくれると思う?」
「もこたん言わないでってば。でも、そうね……」
軽く考えてみる妹紅だったが、やはりすぐには思いつかない。
そもそも永琳が何かをされて喜ぶ姿が想像できなかった、彼女には強い欲というものが見当たらないからだ。
一般的な考えから出る贈り物をした所で、永琳は輝夜から貰えるものならばなんでも喜ぶだろう。
しかしそれでは駄目だ、せっかく輝夜が珍しく行動を起こしたというのに中途半端な事はしたくない。
御人好しな妹紅はそれこそ自分の事のようにうんうんと考え始め、そんな彼女の様子を見て輝夜は苦笑しつつ小さく「ありがとう」と感謝の言葉を述べた。
「とりあえず、里に行きましょうか? 実は今日、慧音に頼まれて寺子屋の課外授業に参加しないといけないのよ」
「あらそうだったの。ちなみに内容は?」
「この時期に収穫される野菜の観察だと」
「……それって、楽しいのかしら?」
その光景を想像してみる2人だったが、どうにも楽しそうなイメージが湧いてこない。
「……慧音の授業って、あまり楽しくなさそうね」
「…………それ、本人の前では言わないでね?」
あんまりな輝夜の言葉であったが、妹紅は決して否定する事はなかった。
しかしそういう事なら仕方がないと、輝夜は一人この場で考える事に……。
「ほら、行くわよ?」
「……もこたん、もしかしてわたしもそれに手伝えと?」
「次もこたんって言ったら灰にするわよ。当然じゃない、まず輝夜は行動力を養わないとね」
「えぇー……」
露骨に嫌そうに表情を歪ませる輝夜であったが、妹紅にそんな抗議は通用しない。
首根っこを掴まれ、強引に動きやすい恰好に着替えさせられた彼女は、これまた強引に妹紅に里へと連れて行かれたのであった。
■
「エンヤーコーラ、ドッコイショー」
「……ねえ輝夜、一々変な掛け声出して作業するのやめてくれない? 気が散るんだけど」
「無理矢理テンション上げていかないとやってられないわよ、はぁ……なんでわたしがこんな事をしなきゃいけないの?」
黒い上着と妹紅と同じ赤いもんぺ姿になった輝夜が、愚痴を放ちつつ鍬を持って畑を耕していく。
姫である自分がなんで農業なんかせにゃならんのじゃとは思いつつ、割と様になっている彼女の姿を眩しそうに見つめる子供達の期待を裏切る事もできず、文句を言いつつも新たな作物を育てる為の畑を耕していた。
なんだかんだ言いつつも輝夜も御人好しなのだ、尤もそれが表に出るのは本当に稀だが。
子供達はというと、普段殆ど見ない輝夜を近くで見る事ができるせいか、いつも以上に元気な様子を見せている。
あまりに元気過ぎて慧音に注意される程のその姿は、今を生きる生物の生命力に満ち溢れるものであった。
「……少し、眩しいわね」
穢れに満ちたこの地上は、月の民にとって牢獄と同意。
地上に堕ちた輝夜もその考えに否定はしない、けれどだからこそ輝くモノがあるとここに来て理解した。
「感謝します輝夜さん、課外授業に付き合っていただいただけでなく作業まで手伝ってもらってしまって……」
「別に構わないわよ。強引に連れてきたのはもこたんだもの」
「もこたん、偉い!!」
「えらーい!!」
「こらこら、その“もこたん”っていうのはやめなさいっての!!」
やはりこの愛称は気恥ずかしいのか、僅かに顔を赤らめ子供達を戒める妹紅。
しかし子供達は満面の笑みで彼女を「もこたん」と連呼し、妹紅は居心地悪そうに唇を尖らせながら、元凶である輝夜を睨みつける。
そしてそんな彼女に、輝夜はそれはそれは楽しげな笑みを返すのであった。
「ったく……輝夜、あんまりしつこいと一回息の根を止めるわよ?」
「ねえ、もこたん」
「だから…………はぁ、もういい。それで今度は何?」
「思ったんだけどさあ、永琳って薬師じゃない?」
「そうだけど、それがどうしたっていうのよ」
「薬師って事は、貴重な薬をあげたら喜ぶと思わない?」
「はい?」
なんだかよくわからないが、輝夜が永琳を喜ばせられるかもしれない手を思いついたという事だけはわかった。
だが上記の言葉だけでは彼女が何をしようとしているのか理解する事はできず、妹紅は怪訝な表情を彼女に向ける。
一方、輝夜はいそいそと何かをし出したと思ったら……収穫したばかりの胡瓜を入れていた籠ごと背負って歩き始めてしまった。
「待て待て待て!!」
輝夜の突然の奇行に一瞬思考が停止する妹紅だったが、すぐさま我に帰り彼女の手を掴み上げる。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃない!! 何やってんのよアンタは!?」
「ちょっと“妖怪の山”に行こうと思って」
「妖怪の山って……いや、それ以前に平然と胡瓜泥棒を働かないでよ!!」
彼女から胡瓜の入った籠を引っ手繰る妹紅。
ぶーぶーと文句を言い出す輝夜であったが、当然ながら妹紅は額に青筋を浮かべ怒りを露わにした。
「まずその奇行の説明をしなさい、いやその前に一回燃やさせなさい」
「そんなに怒らなくたっていいじゃない。ただ“河童の秘薬”を貰いに行こうとしただけよ」
「河童の秘薬って……」
――河童の秘薬。
河童の腕が斬られた際に生み出されると伝えられている、どんな傷すらたちどころに治してしまうという霊薬の一種だ。
その製造方法は謎に包まれており、かつてはその秘薬を得ようと一部の人間達が暗躍し河童達と争ったという記述が残されている程の代物である。
「いくら永琳でも“河童の秘薬”は持っていないでしょうし、それをあげたら喜んでくれると思わない?」
「それはわかったけど、それと胡瓜泥棒と何が関係しているの?」
「どうせタダではくれないだろうから、これと交換してやろうかと思って」
「あのねえ……」
あまりに短絡的な行動と発想に、妹紅は頭を抱えたくなった。
薬師である永琳に秘薬という貴重な薬を渡すという着眼点は良いが、その過程で泥棒を働いては逆に彼女への迷惑に繋がるではないか。
「ねえ慧音、この胡瓜もらっても大丈夫でしょー?」
「えっ? ええ、まあ……さすがに全てというわけにはいきませんけど……」
「ちょっと慧音、いいの?」
「勿論です。輝夜さんには手伝ってもらいましたし、正当な報酬ですよ」
慧音の言葉に、子供達もうんうんと何度も頷いてみせた。
妹紅も慧音がそう言うなら……と、納得する事にした。
それから輝夜は自分の分の胡瓜だけを貰い、ふわりと浮かび上がり妖怪の山へとゆっくり向かい始める。
「輝夜おねえちゃーん、またねー!!」
「またねー!!」
「ええ、なかなか有意義な時間だったわ。今度は永遠亭に遊びに来なさいな、もこたんが案内してくれるでしょうから」
「わかったー!!」
「あ、おい輝夜待て!! 慧音、悪いが私はあいつが変な事しないか見張ってくる!!」
言うやいなや、妹紅はすぐさま輝夜を追いかけ始めた。
彼女の飛行スピードは緩やかだった為、すぐに追いつく事ができ妹紅は一言文句を言おうとして。
「……んふふー♪」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑う輝夜の顔を視界に捉え、文句を言う気が薄れていってしまった。
「な、何だよその笑み……随分と楽しそうじゃないか」
「楽しいというよりも、嬉しいのよ。
だってあんなにも純粋に慕ってくれているのよ? それも、わたしを“ただの輝夜”として」
そんな扱いを受けたのは、本当に久しぶりだった。
永琳は自分をあくまで“蓬莱山輝夜”として接してくるし、輝夜がイナバと呼んでいる妖怪兎達も同様だ。
けれど幻想郷に住まう子供達は違った、何の混じり気も打算もない澄み切った好意を向けてくれたのだ。
それが嬉しくないと、どうしてそう思えるというのか。
「……そっか」
あまりにも無邪気にそんな事を言うものだから、今まで溜まっていた輝夜に対する不満やら愚痴やらが妹紅の中から消し飛んでしまった。
嬉しさを表現するかのように、円を描くように飛び回る輝夜。
それでつい毒気が抜かれてしまったのか、これ以上彼女の行動を邪魔するのも悪いと思い、妹紅は黙って彼女と共に妖怪の山へと向かっていったのであった……。
■
「――成る程、いないと思ったらそんな事をしていたの」
「…………」
「まあ、でも……あの子が私の為にねえ……ふふっ」
事の経緯を妹紅から聞かされ、永琳は驚き少しだけ呆れながらも口元には嬉しそうな笑みを浮かばせていた。
何か贈り物をしようと考えてくれた、それもなるべく自分が喜んでくれるように一生懸命考えてくれたという輝夜の気持ちは、とても嬉しい。
――ただ、説明してくれた妹紅の疲労困憊といった表情を見るに、妖怪の山でも何かあったようだ。
ちなみに、輝夜は疲れたのか既に自室に戻っている。
小さな壷に入った“河童の秘薬”へと視線を向けながら、永琳は妹紅に問いかけた。
「妖怪の山で何があったの?」
「……危うく山の連中と敵対する所だった」
「ちょっと待ちなさい、その辺り詳しく」
どうせ輝夜の我儘に付き合わされて疲れたのだろう、そんな程度しか考えていなかった永琳だが今の妹紅の発言でただ事ではない事態が起こったというのが理解できた。
その時の事を思い出した妹紅はもう一度大きくため息を吐き出して……ゆっくりと、永琳へと説明を開始した。
「別にいきなり輝夜のヤツが天狗達に喧嘩を売ったとかそういうわけじゃなく、真っ直ぐ河童達が住む玄武の沢へと行ったんだよ……」
当初の予定通り、輝夜は持ってきた胡瓜と河童の秘薬を交換してくれるように頼み込んだ。
だがやはりというべきか、如何に河童の好物とはいえ胡瓜だけで霊薬を交換する事はできないと拒否。
そこで止せばいいのに、しつこく引き下がる輝夜に河童達も次第に苛立ちを見せ、しまいには「帰らないと尻子玉を抜き取るぞ」という脅しに出る始末。
まあ食い下がった輝夜が悪いのだが、課外授業での肉体労働があったせいなのか……宥めようとしていた妹紅を無視して、暴れ始めてしまったのだ。
「その後はもう無茶苦茶だった。河童達は阿鼻叫喚の嵐、突然の事態に現れる天狗達。最終的には天狗の長である天魔まで出てきそうになったんだ」
やはり彼女の本質は我儘な姫だと再認識した事件であった。
一触即発の空気の中、異変を察知したのか紫が介入してきたお陰で事なきを得たが……彼女が現れなければどうなっていた事か。
「……それで、紫は?」
「たぶんまだ天狗達の所に居ると思う。物凄い迷惑掛けちゃったなあ……」
「あなたが気に病む必要なんかないわよ、止めようとしてくれたんだから」
頭痛を覚え、永琳は額に手を置いて大きくため息を吐き出した。
紫に対して大きな借りを作ってしまったようだ、後日改めて謝罪に出掛けなければ。
「…………でもさ、紫や妖怪の山の連中に沢山迷惑掛けちゃったけど」
「?」
「輝夜のヤツ、凄く生き生きとしてたよ」
「………………そう」
今回の件で、多くの者に迷惑を掛けてしまった。
その尻拭いをするのは大変かもしれないが、今の妹紅の言葉で少しだけ気が晴れてくれた。
――不死であるが故に、普通の生き方ができないと思っていたけれど。
この幻想郷なら、当たり前の“生”を謳歌できるかもしれない。
「まあ、だからといって輝夜に対するお仕置きは止めないけど」
「そうしてやってくれ。……でも永琳、程ほどにね?」
怪しさ全開の薬を用意し始める永琳に、妹紅はそう言いながらそっと輝夜に合掌を送るのであった。
後日、輝夜は永琳にそれはそれはキツーーーーーーーーーーイお仕置きをされた挙句、暫く妖怪の山の奉仕活動へと駆り出されたのであったとさ。
「もこたん、協力して!!」
「嫌だよそんなの、自分が悪いんでしょ?」
「許してえーりーーーーーーーんっ!!」
To.Be.Continued...