一方、魔界都市に残った零と永琳は……。
「――ねえ、えーりん先生」
「何かしら?」
「まだ終わんないの……?」
魔界神が統治する魔界都市。
その都市部は喧騒に包まれており、その中を歩く零は自分の前を歩く永琳に抗議の声を放っていた。
「まだよ。こんな短時間で根を上げるなんて情けないわね」
しかし永琳は上記の言葉を返し、零の抗議を軽々と跳ね除けてしまった。
こんな短時間という発言はこの際目を瞑ろう、実際彼女に強引に連れられこの都市を散策してからそんなに時間は経っていない。
だが、彼女の両手には数え切れない数の薬草毒草が入った袋が握られている。
重いわけではないがこれ以上荷物が増えるとなると、彼女が抗議するのは当然であった。
そもそも、零は魔界城にてのんびりと休むつもりであったのだ。
だというのに、永琳に無理矢理起こされ朝食にもありつけないまま小間使いのようにこき使われる。
こんな状況では彼女でなくても、文句の1つや2つや3つぐらい言いたくもなるというものである。
「魔界になんてそうそう行ける場所ではないもの、可能な限り買い込んでおくのは当然でしょ?」
「じゃあ1人で行ってよ、この間の戦いで疲れてるのに……」
「霊力も体力も平常まで回復しているでしょう? 薬師の目は誤魔化せないわよ」
「…………おばあちゃんは厳しいなあ」
「零、次そんな言葉を吐き出したら……新薬の実験台になってもらうからそのつもりで」
「あ、はい……」
にっこりと、まったく目の笑っていない微笑みを向けられ、零は戦慄しながら頷きを返した。
ダメだ、彼女に対してもこの手の発言は禁忌らしい。
軽く命の危機を感知しながら、早く買い物が終わってくれとひたすらに願っていると。
「………………ん?」
その場で立ち止まる零。
周囲を見渡す、見えるのは通行中の魔界人のみ。
……別段おかしな光景ではない、幻想郷と同じような平和が広がっている。
その筈だというのに……突如として零には、この平和な光景に何処か綻びのようなものが生じているように見えてしまっていた。
何か悪しき力を感じたわけでもない、しかし零には――博麗の秘術を扱える巫女、通称“博麗の巫女”には天性的な直観力を持っている。
生まれ持って備わった力が、決して無視してはならない警鐘を鳴らしていた。
「えーりん先生、何か感じない?」
「何か? 随分と象徴的な問いかけね」
「ごめん。でも私も直感で言ってるから上手く説明できないの」
「……別に、おかしな力は感じられないけど」
「そう……」
ならば、自分のこの違和感は気のせいという事なのだろうか。
永琳は自分よりも遥かに優れている、その彼女が何も異変を感じないという事は……。
――否、決して思い過ごしなどではない。
「……ごめんえーりん先生、ちょっと急用思い出した」
「えっ、ちょ……!?」
放り投げるように持っていた袋を永琳に押し付け、その場を駆け出す零。
すぐさま飛翔し、永琳の声にも反応を返さずに魔界都市を一望できる高さまで上昇した。
周囲に意識を向けながらめまぐるしく視線を泳がす、しかし違和感はあれど正体は掴めない。
だがこの行動により、零はより一層己の直感が正しいと無意識の内に自覚する。
「っ」
暫くして、彼女の感覚は“異常”を感じ取る。
僅かな力の揺れ、一瞬であったが間違いない。
この魔界都市にて、何者かが何か力を使用した。
それだけならば気に掛けることではない、しかし巫女である零はその力に邪悪なものを感じ取ったのだ。
「ホントに、私の勘って嫌な事だけはよく当たるんだから……!」
悪態を吐きつつ、全速力で力の感知した場所へと向かう。
辿り着いた先は都市部の中でも端に位置する、人通りの少ない路地裏。
とはいえこういった場所特有の嫌な空気はなく、所謂ならず者といった存在も見られない。
「チッ……」
だが、巫女としての感覚が先程よりも更に大きな警鐘を鳴らす。
一気に路地裏へと入っていく零、一度曲がり角に差し掛かった後、行き止まりに差し掛かったが。
「っ!?」
「…………」
その行き止まりには、気を失っているのかぴくりとも動かない小さな少女を抱えようとしている。
人形のような無機質な表情を見せる、雪のような白い髪とそれぞれがまったく同じ顔を持つ3人の少女の姿があった……。
■
――金糸の髪を持つ少女、アリスは不満であった。
滅多に来ない地上からの来訪者、しかも純粋な妖怪に人間、果ては半妖で龍人族が来たというではないか。
それを城のメイド長である夢子に聞いた瞬間、アリスはすぐにでもその者達――紫達に色々と話を聞きたい衝動に駆られた。
だというのに、母であり魔界神の神綺から聞いた話では、龍人族の半妖は魔界に来て早々行方不明になったそうではないか。
更に紫達とも碌に会話ができず……完全に出鼻を挫かれ、正直彼女は拗ねていた。
地上の妖怪や半妖に力や知識を研究すれば、今よりもっと自分は力を得る事ができる。
そう考えたからこそ、今のこの現状には大いに不満であった。
とはいえ向こうには向こうの事情があるとアリスとて子供ながらに理解している、だからこそ多少の不満は述べつつも引き止めたりはしなかった。
「もぅ……」
だがまあ、かといって納得できるほど彼女は大人ではない。
愛くるしい容姿を持つ彼女は、まだ齢十の子供なのだ。
それも魔界人ではなく――かつて赤子のまま地上からこの魔界へと流れ着いた、人間の子供であった。
――アリスと神綺は、本当の親子ではない。
およそ十年前、地上から魔界へと1人の人間の赤子が迷い込んだ。
着る者も与えられず、今にも衰弱死してしまいそうな程弱っていた彼女を見て、誰もが地上で捨てられた憐れな子供だと理解した。
それを不憫に思った神綺が、母親代わりとなって今までアリスを育てて来たのだ。
後に魔法使いとしての資質がある事がわかり、アリスは立派な魔法使いになる為に今も勤勉に励んでいる。
だからこそ地上から来た者達が持つ知識を得たいと思ったのだ、きっとそれが自分にとってプラスになると信じているから。
そうすればきっと、いつか自分も母である神綺の役に立てる筈なのだから……。
「あ……」
ふと我に返ると、随分と城から離れてしまった事にアリスは気づく。
気晴らしに散歩をしながら考え事ばかりしてしまったのが原因のようだ、普段来ない端のエリアにまで来てしまった。
しかしただ帰るのもつまらない、確かこの辺りには魔法薬の店があったとアリスは記憶を思い返し、せっかくだから寄ってみようと進路を変更して。
「――見つけた」
「魔界神の娘、アリス」
「確保、する」
三つの無機質な声が、背後から聞こえ。
アリスは咄嗟に、本当に無意識のまま背後へと振り返りつつ火球の魔法を声の主達に向けて解き放った。
高熱と爆音が周囲に響く中、アリスはその場から駆け出しながら両足に強化の魔法を施す。
「な、何……何なの……!?」
強化された足を必死に動かしながら、アリスは今の自分の状況を理解できないでいた。
ただ、あのままあの場所に居るわけにはいかないという事だけはわかり、相手の命を奪う勢いで攻撃魔法を放ちすぐに逃走したのだ。
自分が義理とはいえ魔界神の娘であるというのがどんな事か、子供でありながら聡明であるアリスとて充分に理解している。
だがこの魔界都市は常に神崎が施している魔力障壁と千里眼によって守られている、今まで外敵が自分に襲い掛かってきた事など一度たりともなかった。
たとえ音もなく都市に忍び込んだとしても、神綺の千里眼から逃れられる者など居なかったし、侵入者は速やかに夢子によって駆逐されてきた。
だというのに、神綺も夢子も未だ現れず、背後から自分を狙っている気配をずっと全身で感じ取っている。
この状況はアリスにとってまさしく異常であり、未熟な子供の精神で耐えられるようなものではなかった。
恐怖からか涙を流し、震えそうになる身体を必死で抑え付けながら、アリスはただ背後の気配から逃れたくて逃げ続ける。
「マ、ママ……夢子お姉ちゃん、た、助けて!!」
必死に助けを乞いながら、アリスは無我夢中で逃げ続けた。
……その逃走が、背後の気配によって誘導されている事に彼女は気づかない。
そして、アリスがその事に気づいた時には――もう全てが遅すぎた。
「あ、ああ……」
前は行き止まり、背後には先程の声の気配。
逃げられない、否、はじめから自分は逃げられてなどいなかった。
『確保、開始』
まったくの同時に、同じ声が三つ聴こえた。
それと同時に、アリスの意識が急速に薄れていく。
「マ、マ……」
自分の事を一番に考えてくれる、大切な母の悲しむ顔を思い出しながら。
アリスの意識は、闇へと堕ちていってしまった……。
■
「こ――――」
その光景を視界に入れた瞬間、零は駆け出していた。
内側からは抑えきれない程の怒りが湧き上がり、瞳に憤怒の色を宿しながら地を蹴る。
目の前に広がる状況の詳細などわからない。
ただ彼女の直感が告げているのだ、この雪のような白い髪と血のような赤い瞳を持つ3人の少女達。
まるで同一人物のように同じ顔を持つ得体の知れない少女達は、自分達にとって明確な“敵”だと訴え続けている。
何よりも、先程一瞬感じた力の奔流がこの少女達から出ている以上、黙って見逃すなどという事はできない。
「こいつ……!」
右足に霊力を込め、一番近い少女の頭を蹴り砕こうと回し蹴りを放つ。
加減など一切ない必殺の一撃、それを白の少女はいつの間にか左手に持っていた刀で真っ向から受け止めた。
「!?」
だが無意味、剣の腹で受け止めた零の蹴りの勢いは微塵も衰えず、白の少女の身体を真横へと吹き飛ばす。
硬い壁を軽々と粉砕しながら、白の少女の身体は瓦礫の中へと消え去った。
それには構わず、零は懐から“封魔針”を取り出し残り2人の少女へと投げ放った。
霊力によるブーストが施されたそれは、鉄の塊すら易々と貫通する矢と化し白の少女達へと襲い掛かる。
「は……っ!?」
僅か一秒にも満たぬ連撃、小さな少女を抱えようとしていた少女達では避ける事も防ぐ事もできない……筈であった。
だというのに、封魔針が直撃する瞬間――ふっと、まるで初めから存在しなかったかのように唐突に、少女達の姿が消えた。
おもわず声を上げる零、すかさず周囲に意識を向けるが少女達の気配は感じられない。
瓦礫の中に沈めた少女もいつの間にか消えている、どういうカラクリを用いたのかはわからないが彼女達は一瞬でこの場から移動してしまったらしい。
ならばと、零は上空に飛翔しながら意識を広範囲へと向ける。
そう遠くには行っていない筈だ、索敵範囲を広げる為に零は目を閉じ意識を内側へと追いやった。
「――――見つけた!!」
如何なる秘術か、敵はもう魔界都市を出てしまっている。
何が目的かはわからないが、あのような小さな少女を連れ去ろうとするのは阻止しなければ。
全力で敵の場所へと飛んでいく零、後の余力など考えずにただ追いつく事だけを考えて霊力を噴き出していく。
「逃がさないわよ……!」
全力で飛ばした甲斐もあり、十秒にも満たぬ速さで敵へと追いついた零。
相手もこちらに気づいた、だがその前に零は術を完成させていた。
「二重結界!!」
完成させた術を発動させる零、ただしそれは決して攻撃の為の術ではなかった。
――青白い防御用の結界が、白の少女が連れて行こうとしている少女――アリスの身体を包み込む。
それを確認すると同時に零は左手を天高く挙げ、今度こそ攻撃用の術を発動させる。
零の膨大な霊力が、球状の形へと象られていく。
やがてそれは光り輝く陰陽玉へと変化し、その大きさは小さな山ほどにまで膨れ上がった。
「――危険」
「博麗の巫女の秘術、危険」
「回避、不可能。防御、開始」
無機質な声色の中に、確かな焦りと恐怖の色を滲ませながら、白の少女達はその場に留まり結界を張り始める。
どうやら先程の転移は行えないらしい、その様子に零は口元に勝利の笑みを刻み込んだ。
相手が展開した結界では、次に自分が放つ一撃には耐えられない。
だからこそ予めあの少女には二重結界を張り、影響が及ばないようにしたのだ。
「――小さな子を連れ去るような悪者には、猛省してもらわないとね!!」
左手を振り下ろす。
光り輝く陰陽玉が、少しずつけれど決して遅くない速度で白の少女達へと振っていく。
相手の結界は既に完成しているが、そんなものなど彼女が放った博麗の秘術の前には紙も同然であり。
「くらえ――陰陽鬼神玉!!」
白の少女達が3人がかりで展開した結界と、零の秘術が激突した瞬間。
あっさりと、結界は粉々に破壊され。
光り輝く陰陽玉は、易々と少女達を呑み込み――大爆発を引き起こした。
■
「――藍、どうかしら?」
「…………ダメですね。龍人様の妖力は感じられません」
都市からだいぶ離れた紫と藍は、少しずつ移動しながら龍人の存在を文字通りしらみつぶしに捜し続けていた。
しかしどんなに意識を周囲に向けても、龍人の妖力はおろか気配すら感じ取れない。
魔界神である神綺の千里眼ですら捉えられなかったのだ、こうなるのは薄々感じ取っていたものの……進展がないという事実は、2人の心に影を落していく。
けれど諦めたりなどしない、彼がこの魔界で生きているのが確かならば必ず見つけ出すと己自身を奮い立たせた。
「きっとお腹を空かせているでしょうから、戻ったら沢山の料理を用意しないといけませんね」
「そうね。その時は私も協力するわ」
「お願いします、紫様」
などという軽口を叩き合いながら、2人は山岳地帯へと踏み入れた。
生物の気配など感じられない寂しい場所ではあるが、念のためと2人は岩の大地へと降り立つ。
「紫様、確か龍人様は魔界神ですら感知できないものに守られているのでしたよね?」
「ええ、それを考えると龍人は誰かに匿われている可能性が高いわ」
「だとすると、このような人気のない場所にこそ龍人様が居る可能性があると考えた方がいいかもしれませんね」
藍の言葉に頷きを返しながら、山岳地帯を歩いていく紫。
……龍人はおろか、他の生物の気配も感じられない。
けれどそれとは違う、何か違和感のようなものを紫は感じ取っていた。
「――紫様、どうですか? 龍人様の力は感じられますか?」
「…………いいえ、藍はどうかしら?」
「ダメですね。ここにはいないと考えるべきなのか……それとも」
「…………」
この違和感の正体は何なのだろう。
無視できない、無視してはならないと訴える自分自身の直感を信じて、紫は一度龍人捜索を中断し周囲を調べ始めた。
草木など存在しない、不毛な岩肌ばかりが連なる土地の中で――紫は“それ”を見つけてしまった。
「紫様?」
「……藍、あなたにはこれが何に見える?」
そう言って、紫は目の前を指差す。
そちらへと視線を向ける藍であったが、見えるのは何もない大地だけ。
首を傾げつつ、藍は自分が見ている光景をそのまま主人へと説明した。
「そうね。何もないように見えるのは当然よ」
「? それでは、ここに何かあるのですか?」
もう一度その場所を見る藍だが、やはり赤い地面しか見えない。
困惑する藍に苦笑しつつ、紫は徐に右手をその場で伸ばし能力を発動させ。
――目の前に隠されていた地獄を、解き放った。
「な――――」
空間に歪みが生じ、境界が操作される。
何者かの手によって操作されていた境界が、紫の能力によって正常へと戻り。
――赤い大地に、死体の山が姿を現した。
「紫様、これ、は……」
掠れた声で、どうにか主人へと問いかける藍。
先程まで確かに何もなかった、だというのに紫が能力を用いて周囲の境界を操作した瞬間、百ではきかない程の死体が現れ転がっているのだ。
これに驚愕する者はおらず、けれどその中でも紫はただ冷静であった。
「ヘカーティアの予感は的中していたようね、あの世に来る者が多くなっているのは気のせいじゃなかった」
「で、ですがこれだけの死体の山……一体誰が何の目的で」
「…………」
遺体の状態は、様々なものであった。
四肢を破損した者、自らの血で真っ赤に染まっている者、逆にまるで眠っているかのような姿の者。
そのどれもが間違いなく息絶えているが、一部の亡骸――死体とは思えぬほどに綺麗な状態で事切れている者には、ある特徴が見受けられた。
「――
「魂を……」
「生物の魂は純粋な生命力の塊よ。それを喰らえば自身の力を底上げする事ができるのは藍も知っているでしょう?」
故に、その魂を自身に取り込めばその魂の力を自分のものにできる。
それが
「では何者かが、魔界で生きる者達の魂を喰らい力を蓄えていると?」
「ええ、全ての死体から魂を摂取していないのは、おそらく純度の高い魂だけを狙っているからでしょうね」
「まさか、アリアが!?」
「関与している可能性はあるわ。でも……」
紫には、この件はアリアが関与しているとは思えなかった。
確証などはない、けれど彼女は魂喰いなどという行為は行わないという確信めいた何かがあった。
だが、今は考察している場合ではないだろう。
「藍、戻るわよ」
「ですが、龍人様は……」
「龍人の事は勿論捜すわ。でもその前にこの事を神綺に報告した方がいい」
この発見は、あまり良いものではなかったかもしれない。
……紫の脳裏に、ある者の冷徹な笑みが浮かび上がる。
「…………ぁ」
「紫様、如何なされたのですか?」
「……なんでもないわ」
頭を振って、悪夢を消し去った。
とにかく一刻も早く戻らなければ、死体をこのままにしておくのは忍びないものの、紫と藍は魔界都市へと向かおうとして。
――2人の首を薙ごうとする、銀光が奔った。
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