目を開けるとそこには白い世界が広がっていた。
全身がけだるい。かろうじて首は動かせるが、手は全く動かせない。頭では必死に動かそうとしているのだが、手がその命令を拒否しているような。そんな感じ。
足は・・・なんか浮いてる。浮いてるというかつられてる。
どうなってるんだこれ。どうしたんだ俺。
とりあえず自分の状況を把握したい。そう思った俺は、かろうじて動く首を必死に動かし、周囲を確認する。
足が、太い。包帯でぐるぐる巻きにされた足は、普段の1.5倍ほどの太さになってつられていた。
白い世界かと思ったけど、ただの病院だったのね。
ていうか俺、骨折・・・してるのか?手にも点滴みたいな管通ってるし・・・。
なんでこんなことになったんだっけ俺・・・・・・・そうだ、確か犬が車にひかれそうになってそれで・・・・
「あれ?八幡。起きてたんだ」
そんな俺の回想を中断させる声とともに、病室に入ってくる女性。
ゆったりとした白いニットソーにスカート。数年前と比べるとずいぶん大人っぽくなり、大学生然としたファッション。そして重力に逆らってぴょこんと立つ、俺と同じアホ毛。
「八幡が暇しないように、漫画とかゲームとかもってきてあげたからね。あっ今のお姉ちゃん的にポイント高いかも」
何だそのポイント制は。ポイントカード持ってないんですけど、なんてツッコミは、しても無駄だからしない。
昔から何かと俺の世話を焼いてくれた。昔は何もわからずに「お姉ちゃんと結婚する」とかなんとか言ってた気がする。思い出すだけでも恥ずかしい。
そう。彼女こそ、俺の最愛の姉。
比企谷小町である。
「あぁ。ありがとう。姉貴」
漫画本やらゲームやらを持ってきてくれた姉貴に礼をいう。こういう時は普通、親が来るものかもしれないが、おそらく両親は仕事なのだろう。昔からそうだった。まぁ両親の頑張りで飯を食べている身としては特に文句はない。
持ってきたものを、枕元の台に置いた姉貴は、自分も、ベッド横に置いてある、お見舞い用の丸椅子に腰かけた。
「あーあ。八幡、またやっちゃったね」
全くその通りだ。今日は高校の入学式。しかし、けがの具合からして俺が入学できるのはいつになるかわからない。つまり、入学ボッチ確定である。いや別にいいんだけどさ。
「あ。今入学ボッチになってもいいや、とか思ったでしょ。そういうのお姉ちゃん的にポイント低いよ」
なんでわかるんだよ。いやまぁ17年も姉弟やってれば、意思疎通くらいできるか。
「いいんだよ、ってか姉貴は今日大学はいいのか?」
「いいの、いいの。大学より弟のお見舞いのほうが大事なんだから。あ、今のお姉ちゃん的にポイント高い」
「・・・・うぜえ」
「はうっ。最愛の弟にうざいって言われた。お姉ちゃんショックだよ」
そういいながら姉貴は目元に手をあて、泣く仕草をする。
「昔は『小町お姉ちゃん』っていいながら、トコトコ小町のこと追いかけてたのに、今では・・・」
ちらりとこちらを見てくる。というかたぶん俺の目を見ているのだろう。
「腐ってて悪かったなっ」
たはは、とひとしきり笑った後、姉貴は場を整えるためか、椅子に浅く座りなおした。
先ほどと違い、少し真面目な雰囲気になる。
「でも、けがした時くらい、お姉ちゃんに頼ってくれたほうがお姉ちゃん的にはポイント高いかな」
そう言った姉貴の顔は少し寂しそうに見えた。
いつからだろう。姉の呼び方を『小町お姉ちゃん』から『姉貴』へと変えたのは。変えた理由は今となってはうまく思い出せないけど、初めて『姉貴』と呼んだときの姉貴の寂しそうな顔は今でもはっきりと思い出せる。そして時々見せる姉貴の寂しそうな顔を見るたび、俺は気づかないふりをしてしまう。
そして俺は今回も、寂しそうな顔をする姉貴を見ていられなくて、目を落とした。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
沈黙が病室を包み込む。
普段の俺は沈黙が嫌いじゃない、というかむしろ大好きだが、今は少し胸が苦しい。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
そんな沈黙を意図的に遮るように、姉貴が声を上げた。
「・・・・・・・・どうしたんだ、姉貴」
「お姉ちゃん、大学いかなきゃ。今日の授業サボったら、留年するかもなんだよ。大ピンチなんだよ」
そう早口でまくしたてて、姉貴はせわしなく椅子から立ち上がる。
「じゃ、じゃあねー八幡」
そういって姉貴は、チャームポイントのアホ毛をぴょこぴょこ揺らしながら、病室を出ていった。
傍らには姉貴が持ってきた漫画やらゲームやらが積まれている。どれも俺の好きなタイトルばかり。俺の好みを姉貴に教えた覚えはないんだが・・・。
姉貴は気を使ってくれたのだろう。
姉貴は何かと俺に気を使ってくれる。昔から面倒見のいい性格だったけど、ある出来事が起こってからはより一層気遣うようになった。
姉貴はたぶん俺に対して罪悪感を感じているのだろう。俺は全く気にしていなんだが。
まぁ、その話はまたの機会にするとして。ひとまず俺は姉貴に礼を言わなければいけない。本を届けてくれたことだけじゃなくて、気を使ってくれたこととかいろいろと。でも面と向かっていうのはまだ無理そうだから、これで許してくれ。
「ありがとう。小町姉」
そんな俺の独り言は、病室に吹く風に乗って消えた。
やばい。めっちゃ恥ずかしい。