聖なる扉とムシのウタ   作:蒼ヰ海介

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この小説での大助はきっと控えめに違いない(何がとは言わない)


レイディー・バード

 憂鬱なままに一階部分が半壊した宿屋へとそっとお邪魔した大助。どうやら既に実行犯のシルフとミドリは店主に奥に連れて行かれ、説教を受けているようだ。

 だが、その瞬間宿屋の中から驚愕に満ちた声が大助に飛んだ。

「薬屋!? え、な、なんでアンタが此処に!?」

 その声の主を一瞬で悟り、大助は恐る恐る目をそちらへと向ける。そして、カウンターに見知った顔があることをはっきりと認識し絶望とも希望とも言えない微妙な表情を浮かべた。

 彼女は勢い良く立ち上がると美しい髪を靡かせて大助へと一直線に近づいてくる。その辺りでノビているチンピラらしき男らや一人だけ様相の違う赤い髪の少年などには目もくれない。

「アンタがいるような場所じゃないでしょ!!」

 きつい表情で大助を睨むのは、立花利菜。大助のクラスメートでもあり『かっこう』としての大助の監視対象。美術部員ではないが、趣味で絵を書くのを大助も目撃している。はっきりとした顔立ちで、間違いなく可愛い、いや、綺麗というべき容姿である。

 だが、その裏の顔は特別環境保全事務局――特環に対抗する組織『むしばね』の唯一無二のリーダー『レイディー・バード』。大助と同じく火種一号指定の『敵』だ。

 だが、相手は大助を敵と認識していない。監視対象の前で軽々しく素の自分を出すようなヘマはしないのが大助だ。

 彼は言い返した。

「そっちこそ何でこんな異世界にいるんだよ……大丈夫だったのか?」

「生憎と薬屋に心配されるまでもなく無事よ。寧ろアンタのほうが怪我してるじゃない! 鼻とか」

 利菜の視線が大助の鼻に張られた絆創膏に注がれる。実際は近日の虫憑きとの戦いで怪我しただけなのだが、まぁ鼻を怪我しているには違いない。ただ、心配してくれていることは素直に嬉しかった。敵とは言え、彼女のことを悪しく思っている訳ではない。

 つい頬を染める大助を横合いからからかう者がいた。

「ひゅうぅ。中々熱そうで何よりじゃ、仲睦まじき相手がおるのう」

 古風な言葉。声の感じからして間違いなく女性、かつ大助よりも年下のような感じを覚える声である。

 カウンターへと目を向けると、そこには頭に暗い赤色のターバンを巻いた女性が傲岸不遜に腰掛けていた。まるでアラビアンナイトの登場人物のような服装で、所々に絢爛な宝石が散りばめられた腕輪などを幾つも身につけていた。ただ、ブラウンの髪は漉いていないようで、手入れを怠った竹箒のように毛先が飛び跳ねている。

「……誰だよ、利菜、知り合いなのか?」

「ええ、今まで一緒に来た人……ううん、精霊王だって」

「如何にも。妾は精霊王。炎精王イフリート也」

「イフリート……あいつはシルフ……成程ね」

 きっと水の精霊王がいるならウンディーネなのだろう、という予想が的中するのはそう遠くない未来である。

 イフリートは燃える炎のように豪快に笑ってみせる。

「ま、妾が利菜と会ったのはほんの一時間前じゃ。だが、確かに心配せんでも良いじゃろうなあ。何せそいつは虫――」

 その瞬間、大助の視認できる限界速度以上の速さで利菜がカウンターを飛び越えた。飛び越え様に何かを言おうとしたイフリートの口を掴み、カウンターの向こう側へと引きずり込む。人間超えてるな、ととりとめもなく思う大助である。

 何かをしゃべっているようだが、大助にはよく聞こえなかった。

 

 ――虫とか言うの禁止。あいつには知られたくないの。あいつの前で虫の話は一切なし。良いわね?

 ――ちょっ、苦し――

 ――もしも口を滑らせたら、二度と夢を見られないような体にするわよ。相打ちだとしても精霊王とか関係なく、心の奥までトラウマ刻んであげるわ。言っておくけど本気よ。

 ――わ、わ、分かったぞい……。

 

 非常に物騒な会話によってイフリートに何か変えがたい決定的で絶対的な序列というものを叩きこんだ利菜は何食わぬ顔でカウンターを飛び越えて大助のところへと戻る。幸い、大助は利菜の端々に見える夜叉に気づいていない。

 イフリートのほうはただ何食わぬ顔でカウンターの椅子へと座り直し、何事もなかったかのように大助と利菜から顔を背けた。ただし、良く見れば膝がガクガクと震えているはずだ。

 精霊王と言えど死ぬときは死ぬ。流石に利菜を怒らせて今死ぬほどイフリートは生き急いでもいないようだ。

「とにかく、あたしも妙な扉に吸い込まれて、気づいたら此処にいたって訳。ま、まあか弱いあたしだけど幸い直ぐにあの人達に見つけてもらったから問題はなかったけどね!!」

 イフリートと大助は内心で突っ込みを入れる。

(……妙な虫で纏わりつく妖精を虐殺していた奴が言う言葉じゃないわい……か弱い訳がなかろう)

(こいつ、多分虫を使ったな……)

「薬屋はどうなのよ。アンタも扉に吸い込まれたクチ?」

「そうだね……。まぁ、教室の扉を開けたら此処に繋がっていたんだけどさ」

「あら、あたしもそうよ。……まさか、教室の扉が此処に繋がってるのかしら。だったら皆が危ないじゃない!」

 まだ全員が登校し終わったわけではなかった教室。まだ少なくとも十五名程度は来るであろう事実を思い出し、大助の背筋に寒気が走る。あの人数が、更には自衛手段もなくこの世界に来たら何がおきるかも分からない。下手をすると全員が魔物とやらに襲われて殺害されるかもしれないのだ。

「薬屋、いくわよ! 見回りでも何でも、誰かがこっちに来てないか探すのよ!」

「あ、ああ!」

 二人は慌てて森へ向かおうと駆け出す。が、それはあっさりと止められた。

「待て待て待て! おい、行く必要はないぜ!」

 床から声がした。いや、床に倒れた一人の少年から。

 真紅の燃えるような髪をショートカットにし、両手に機械らしき手甲をつけた年若い少年だ。恐らく大助よりも若いに違いない。どうやら利菜の顔見知りのようで、彼女はと言えば「あ、起きた?」と極めて雑な扱いだったが。

 だが口調は勇ましく、若干奇妙な物を見るような目の大助にも構わず言った。

「俺はアカネ! よろしく! アンタは?」

「薬屋大助。……割とアクティブな自己紹介だな……ちょっと面白いと思ったよ」

「褒めなくても良いぜ」

「褒めてはいないからな、皮肉だ」

 実際、今さっきまでアカネと名乗った少年は気絶していた。宿屋内でシルフが巻き起こした風に煽られ、テーブルの角に頭をぶつけてそのまま沈むというなんとも情けない原因で。ただ、それを敢えて告げようとも思わなかったが。

 後頭部を摩りつつアカネは言った。

「ま、そういうのは心配要らないと思うぜ。少なくとも扉は入れる奴を選別しているって話を聞いたことがある」

「選別? ちょっと、それは初めて聞いたわよ。第一、あたしみたいなか弱い女子まで入れるなら誰でも入れそうだけど。

 利菜の言葉に笑いをこらえきれず、アカネが噴出す。

「お前がか弱いとかありえないだろ! ははは、あの天道虫――」

 刹那、また利菜が高速で床を蹴りアカネの懐へ潜り込む。余りの速度に反応すら出来ず固まるアカネの首にアッパーカットの要領で右腕を絡ませ、体勢を崩した瞬間にすかさず足を払う。かなり型崩れしているが元は柔道の技のはずだが――それをコンマ一秒で終わらせると言う利菜の力量にただただ大助は呆然とし、瞠目するしかない。宿屋の床全体を揺らす勢いでアカネが床に倒されたことも、どこか遠い世界の出来事のように思われた。

 無論、手加減はしている利菜。音が大きいと言うのは即ち衝撃を音として逃がしているに他ならない。アカネにも思うほど痛みもないはずだ。

 だが大助は勿論、意識が薄らいだアカネも思う。

 ――この女、ヤバイ。

(こいつ……徹底的に自分が虫憑きだって事実を隠すつもりだ……)

 大助の背筋が薄ら寒くなる。立花利菜、という少女についての新たな見解を得ると同時、僅かに憮然とした心境だった。原因は大助自身も分からなかった。

 

 閑話休題

 

 宿の主人に命じられて店内の掃除を(チンピラはさっさと逃げた)全員でさせられている最中、利菜と大助はお互いの状況についてある程度情報交換を終えた。流石は才媛であり、利菜の説明は簡便かつ要所を的確に捉えており、且つ不必要なことは一切もらさない。大助のほうもシルフとミドリに緘口令を敷いてから、此処に来てやったことを利菜へ伝えた。誤魔化しの上でのみ成り立つ、歪んだ真実の応酬にお互い内心で自嘲的に笑った。

 暴風で吹き飛んだ椅子には足が折れているものも多い。それを積み重ねるたび、渋面の主人の額に青筋が浮かび、視線が更に鋭さを増す。

 彼は言った。

「あのさぁ……困るんだよねえこういうの。やっぱり、お客様にこういうのも何だけど、俺は決して善意で商売してるわけでもないんだからさぁ、こうもぶっ壊されると怒りも湧きすぎて逆に湧かなくなってくるよ」

「ごめんなさいアル。反省してるアル。もうしないアル」

「そ、その、済みません……」

 壁に空いた大穴を木の板で補修するミドリとシルフが正反対の態度で謝罪の言葉を述べる。シルフの明らかに口先だけと分かる謝罪の分も含め、ミドリが深く謝罪しているのだろう。

「ま、チンピラと揉め事になったのは俺達だ。ミドリがいたってのは予想外だったけど、主人さんもミドリも、すいませんっした」

 アカネはというと、フランクだが怒りを上手く鎮める程度には真摯に頭を下げた。主人も、余りにも率直に謝られては言葉を失う。

 最後の一つの椅子を片付けたとき、宿の食堂らしきスペースに置かれた机と椅子は半分程度まで減っていた。

「……ともかく。俺としては弁償してくれればいい。過ぎたことを悔やんでも仕方ない」

「物分りが良い人でよかったアルな、ミドリ」

「うん、良かったよねえ。でもね、一つだけ悪い知らせがあるんだよシルフ。大助も」

 そっとミドリは財布を取り出した。その時点で大助はミドリの言わんとせんことが何となく読めてしまった。

「おいミドリまさか……」

 にこり、と苦笑とも微笑とも冷笑とも取れない微妙な笑みを浮かべ、ミドリは言った。さらりと、この場に於いて一番マズイ真実を。

「流石にお金ないよ」

 その瞬間に取った行動は三者三様であった。

 カウンターに座っていたイフリートは誰よりも早く動き、叫ぶ。

「アカネ行くぞ! 妾らは急用を思い出したが故、これにて退散じゃ!」

 だが、それを見越していたシルフが風の力でイフリートを押しとどめる。その隙にミドリが素早く状況を飲み込めずにいるアカネを羽交い絞めにした。イフリートが苦々しげに舌を打つ。

「逃すかアル! 此処で会ったが一蓮托生! 助け合いとはすばらしいアル」

「いけしゃあしゃあと抜かすな! 妾は関係ないわい!」

「ごめんアカネ! きっと六人いれば早く終わるよ!」

「は――? お、おいミドリどういうことだよ! いや、俺金はないぜ!?」

 死なばもろとも。そんな言葉を大助が連想するような光景であった。数秒遅れ、大助も利菜も『逃げなかったこと』を後悔した。呆然としているうちにいつの間にか背後に忍び寄っていた主人に腕を掴まれていたのだ。

 渋面のまま笑むと言う器用な真似をしながら、彼は視線で言った。

 ――強制労働だ手前ら。

 俺は違う! と叫びかけた大助だが、それよりも早くミドリが機先を制した。

「大助、命令だよ。一緒に働こう! 残念だけど、私にはもう弁償できるほどのお金がないから!」

「んぐっ!?」

 ミドリとかわした取り決め。

 彼女には大助を存分にこき使う権利がある。そして、大助はそれに従う義務がある。

 大助は悟った。諦めるべきだと。

 一方の利菜も、

「離してよ! あたしは関係ないわよ!」

 と往生際悪く叫んでいるが、イフリートはそんな彼女へ暗い笑みを向ける。

「利菜よ……お前は逃げても良いぞ?」

「ほら、ああ言ってるじゃない! 離しなさい――」

「だが、もし逃げたらお前のツレに、お前が秘密にしておきたいらしいことを言わせて貰うぞよ」

「ッ!?」

 唐突な脅迫。既に自棄になったイフリートの心中に渦巻くのは唯、どうせなら巻き込んでやれ、という死なばもろともの精神。完全な足の引っ張り合いであり、自己犠牲の精神などと言う美しいものはこの六人の間には存在しないようだ。この様な場において人間の本質が露になると大助は本で読んだ覚えがあるが、この現状を鑑みるに絶望的になるほどに酷い本質の人間ばかりであるらしい。いや、正確に言えばそれはシルフとイフリートの二人に限定される気もするが。

「アンタ、さっき言った通りにするわよ!?」

「別にいいぞよ? 何せお前は逃げるんじゃから幾ら妾が何をそやつに吹き込んだところでお前が手出しできはせぬ。……利菜。妾らは一緒に旅をした仲間じゃ」

「一時間だけよ!?」

 利菜の言葉には耳を貸さないスタイルのイフリートは続ける。

「……仲間なら、ともに堕ちようぞ」

「……くっ! 仕方ないわね……」

 ついに利菜が折れた。中々どうして、利菜も苦労するらしい。同じような立場だからこそ大助は利菜へ同情した。似たもの同士だな、と。

 だが、大助と決定的に違うのは。

 利菜はイフリートに逆らうということであった。まるで、燃え盛る炎のような気性の激しさとともに。

 彼女が猫なで声で、無駄に勝ち誇るイフリートへと囁く。傍で聞く大助の肌が無意識に粟だった。

「ねぇ、イフリート? あたし、仲間だから余計な手心を加えないことが一番だと思うの」

「ん? 何のことじゃ? ……ちょっと待つのじゃ。何故壊れかけの椅子を手に取る? 何故近づいてくる? 何故振り上げる……?」

「地獄には一人で堕ちろ」

「えっ、あっ、やめっ……!!」

 ゴッ、ガッ、ゴッゴッゴッ。ガンガンゴン。

 その後に起きたことを誰もイフリートに語ろうとはせず、またイフリート自身もその日にあった出来事を綺麗さっぱり忘れていると言う。ただ、大助に床に飛び散った大量の赤い液体を拭く作業が命じられたことだけは確かだった。

 また、その日以来、イフリートは何故か利菜だけは絶対にからかえなくなり、またその場にいる全員が、利菜だけは激昂させまいと心に決めることとなった。

 

続く

 




「わらわは『えんせーおー』イフリートです」
「わらわはなぜか『せーれーおー』なのにやどやのキッチンではたらいています」
「だれにきいてもりゆうをおしえてくれません」
「みんなわらわからめをそらします」
「りなさまはみんなにやさしいいいひとです」
「でもわらわはりなさまをみるとすごくあたまがいたくなります」
「ふるえがとまらなくなります」
「なみだがでます」
「りなさまがこわいわけないのに」
「あれ?」
「なんでわらわはりなさまのことをりなさまとおよびしているのでしょうか」
「わらわはばかだからよくわかりません」
「たぶん、りっぱなひとだからです」
「やさしいりなさま」
「こわいわけない」
「です」

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