***
『アシュー、あなたはとても正しいわ』
懐かしさも感じることもない、一度として忘れたことのない元戦友の言葉が頭の中に流れる。
『でもね、正しいだけではどうしようもないことだって世の中にはあるの』
忘れることなどできるはずもない。
『私たちはあなたみたいに強くはいられないの……。ごめんなさい、アシュー』
我は強くなどない。
強くなんて決して……。
***
雫の滴る薄暗い洞窟内部。
その地にて対峙するハンターと竜。
地上に引きずり降ろされた毒怪竜を前にアッシュは落ち着いていた。
意識不明な非戦闘員二名、己も毒に侵され、武器であるハンターカリンガも未だ毒怪竜ののど元に刺さったまま。
手元にある武器は殺傷力の乏しい剥ぎ取りナイフと片手剣の盾のみ。
この圧倒的不利な状況を前に彼女は落ち着いていた。
諦めたわけではない。
頭にあるのはただ一つ。
『これでまともに戦える』
その一言のみ。
天井に張り付かれてしまえばアッシュには手の出しようがなかった。
その焦りがあの感情に押された野性的な攻撃として猛威を振るった。
だがその結果は毒怪竜に致命傷を与えるには至らなかった事実。
己自身も毒を浴びるという醜態を晒した。
今のこの状況は己の雇い主の機転に助けられた形である。
雇い主に守られた。
護衛専門ハンターを名乗るアッシュがその事実により冷静さを取り戻したのも必然と言えた。
冷静になったことで己の本来の狩猟スタイルを存分に振るえるとそう確信もしていた。
一方、もだえ苦しんでいた毒怪竜はゆっくりとその体躯を起き上がらせる。
毒怪竜自身なぜこのような状況になっているのかわかるはずもない。
圧倒的有利な状況のはずだった。
洞窟内に迷い込んできた生き物は全てこの方法で捕食してきた。
徐々にギィギの数も増やしていきこの洞窟内の生態系の中では己が頂点だろうという確固たる自信もあった。
それが今覆ろうとしている。
たった一人の人間の手によって。
――――それだけはあってはならない。
まるでそう叫ぶが如く毒怪竜は一際大きな咆哮を洞窟内に轟かせる。
その咆哮に呼応するかのように毒怪竜の体皮がみるみるどす黒く滲み始めた。
毒怪竜ギギネブラの身体的特徴。
『興奮状態下における一部体皮の硬質化』
一部とは『頭部』のことである。
生物共通の弱点『頭』。
その硬質化。
現時点殺傷力のない武器しか持たないアッシュにとってそれは果たして絶望であろうか?
その答えは……。
――――コンッ。
『否』である。
もしもこの場に目撃者がいたとすればその者は先ほどのアッシュの一連の流れを攻撃とは表現しないだろう。
派手さもない、勢いもない、当然威力もない。
そんな盾を用いた懐に潜り込んでからの下から打ち上げるような緩い一撃。
その一撃は打ち上げるというよりは押し上げると表現したほうがしっくり当てはまるほどの迫力に欠けたもの。
当然、毒怪竜に外傷はない。
そう、『外傷』はない。
『内部』を除いては。
「――――!!」
頭部は全生物の弱点である。
その最大の理由こそが生物の中枢器官。
『脳』の存在である。
『脳震盪(のうしんとう)』
ハンターたちの間では『スタン』と呼ばれる高等技術である。
先ほどのアッシュの一撃はこの脳震盪を狙った一撃だった。
一見威力のない一撃に見えた攻撃は緩やかであるがゆえに力が分散することなく内部へと伝わる。
結果ゆっくりと打ち上げられた毒怪竜の頭部内部には「慣性」が働く。
その場にとどまり続けようとする力「慣性」。
その慣性により毒怪竜の脳は前方に大きく揺れる。
起きた現象としてはただのそれだけ。
だがそれだけのことで生物の脳は甚大なダメージを負うこととなる。
前方に揺れるということは脳の前方、『前頭葉』へ障害をもたらすということ。
前頭葉の異常は深刻な『意識障害』へと繋がる。
脳震盪を引き起こすために必要な要素は二つ。
一つは脳への大きな衝撃、そしてもう一つが『意識外からの刹那的一撃』である。
つまり、激昂状態になり柔軟だった頭部が硬質化し『衝撃を吸収できなくなったこと』、興奮状態に陥り毒怪竜が『怒りで我を忘れた』こと。
この二つは脳震盪を引き起こす条件を見事満たしていた。
まさに針の穴を通すような繊細な技術が必要な一撃である。
そして。
脳震盪は軽度だったとしても十数秒の意識混濁を引き起こし生物を『完全無防備状態』へと誘う。
みるみる体ににじみ出ていたどす黒い色が引いていく毒怪竜。
それは対象の意識消失を物語っていた。
完全無防備状態。
言葉通りの防御もできない状態。
もしも。
もしも、この状態でもう一度『同じ衝撃』を脳へ与えた場合、果たして生物は一体どうなるのであろうか?
意識の朦朧とした毒怪竜の頭部へとゆっくり歩み寄るアッシュ。
鉱石でできた盾という名の『鈍器』を強く握りしめ、渾身の力を籠め足を大地へと踏み込んだ。
もう一度問おう。
脳震盪を引き起こしている対象への再びの脳への衝撃は一体どうなるのであろうか。
その答えは……。
『死亡率50%』
この現象のことを『セカンドインパクト症候群』と呼ぶ。
盾との接触により頭部が鈍い音とともに跳ね上がりさらなる静止しを見せる毒怪竜。
注釈をするとすれば、さきほどの数字はあくまで対象が人間だった場合の数値である。
生物としての規格が違う飛竜に対し必ずしもこの数値が当てはまるとは限らない。
恐らくは、5割の確率で死亡するケースは稀にしか存在しないだろう。
アッシュもそのことは当然理解していた。
だが、ここで彼女が追撃をしなかったのは『これで十分だ』とそう判断したためでもあった。
無益な殺生を好まない。
それがアッシュの狩猟信条。
そのような信条を持つ彼女は言い替えれば『撃退のスペシャリスト』ともいえた。
撃退。
それは、モンスターに諦めさせる行為。
違う言い方をすれば『モンスターの心を挫き降伏させる』技術である。
意識が混濁し、平衡感覚も失われ、まともに動くこともできない毒怪竜。
避難したくとも何故か天井に張り付く力も失われてしまっている。
唯一の頼みの綱である毒ですら、未だ目の前の生物の生命活動を停止させるほどの効果が出ていない。
狩る側だったはずの己が今初めて『狩られる立場』にあるのだと気が付く。
気が付いてしまったが最後、毒怪竜の頭の中に残るのは生物としての原始的な感情。
『死への恐怖』である。
「……――――!!」
それは明らかな逃走だった。
あの罠に嵌めるために図った時とは違う、命惜しさからくる逃亡。
それはだれの目から見ても明らかなそれだった。
柔と剛の戦闘技術合わせ持ち。
モンスターの心を折ることに長け、無益な殺生を好まない心優しきハンター。
それこそが護衛ハンター『アッシュ=イャンクルフ』の真骨頂であった。
***
それは過去の記憶。
『待て!! 護衛ハンターを辞めるとは一体どういうことだ!?』
『アシュー……お前もわかるだろう。もう俺たちみたいな護衛ハンターは必要とされてなんかいないんだよ。行商人たちからすれば俺たちはいい金儲けの道具でしかないんだ』
遠くもない、だが近くもないそんな記憶。
『詐欺の話か!? だがそれは一部の商人の話であろう!! 中には我らを必要としている者だっているのだぞ!!』
『アシュー、わかって頂戴。私達はあなたみたいに正しくはいられないの……。これはみんなで決めたことなの』
『対処法ならあるだろう!! モンスターを狩らなければ奴らも悪さをできないのだ!! そうすれば……!!』
この時からだろう我がモンスターを狩らずに生かすようになったのは。
『……無理だよアシュー。君ほどの人物がその理由が何かわからないわけでもないだろう? 護衛ハンターを続けたいなら悪いけどもう君一人だけで続けてくれよ、僕らはもう疲れた……』
そう言って同業者たちは我の元から去っていった。
――――我は間違ってなどいない。
『おいあんたふざけるなよ!! こちとら、きちんとギルドに金払ってあんたを雇ってるんだ!! モンスターを狩ってくれなきゃ困るんだよ!!』
『我が請け負ったのは貴殿の護衛だ。モンスターの討伐ではない。依頼通り仕事はこなしているつもりだが?』
『……!! ああ、そうかい。あんたがそう言うつもりならこちらにも考えがあるよ』
その依頼主から職務怠慢による護衛不十分だという苦情がギルドへ通達された。
その日からギルドからの我への依頼数が激減した。
信用を失ったのだろうとそう思った。
信用を失わぬよう怠けることなく真摯に努めようと心掛けた。
――――我は間違ってなどいない。
『おい見ろよ。あの三人組の装備、ありゃ全員リオレウス装備じゃねぇか?』
『うお!? 本当だ。あいつらってこの間まで護衛ハンターをやっていた連中じゃないか? あいつらそんなに実力があったのか。へぇ……今度狩猟行くとき同行させてもらおうかな、俺』
『あれ? っていうかあいつら四人組じゃなかったけか? もう一人はどうしたんだ?』
『っあ……。おい』
『ん? なんだよ? あ……』
集会場に顔を出す回数が減った。
依頼量も減っていたのでちょうどよかったと己に言い聞かせた。
――――我は間違ってなどいない。
『護衛ハンターのあなたが苦労しているっていうのはわかるわ。そういう商人がいるのも事実だし。でも普通の商人からしてもあなたの護衛の仕方は迷惑以外の何物でもないの。大事な商品を任せられるとはとてもではないけど思えないのよ。そこのところわかっていただけないかしら?』
『我は無益な殺生は好まん。我のやり方に不満があるのならば申し出るがいい。今すぐ我を解雇してくれても構わんからな』
『……』
依頼を最後まで任せてもらえることが少なくなった。
これは己の信条なのだからと自分を信じ込ませた。
――――我は間違ってなどいない。
『なあ、聞いたか? 狂竜化したモンスターの話のこと』
『ああ、聞いた。何でもここいらのモンスターでも発症した奴がちらほらいるみたいだぜ。とてもじゃないが俺、狩れる気がしねえよ』
『同感だ。命あっての物種だからな。だがまあ……なんだ』
『……ああ』
『――遺体が残ってたことが唯一の救いだよな』
元戦友たちと再び会ったのは彼らの墓の前だった。
焼きちぎられた装備が供えられた彼らの墓が今でも目に焼き付いている。
その景色を思い出すたび己に幾度となく問いかけてきた。
我は本当に……。
本当に間違っていなかったのだろうか……と。
『いえ、不満はありません。とても素晴らしい信条だと思います』
ある日の雇い主は言った。
『改めてよろしくお願いします、アシューさん』
『ヒャッハァァァァァ!! アシューの姉御ぉぉぉぉぉ!!』
この時我は思ったのだ。
恐らくこの男は呆れるくらい頭が悪く、そして……。
お人好しなのだろうと。
***
「はぁ……はぁ……」
体勢を崩しかける。
足がもつれる。
呼吸が荒い。
目が虚ろで焦点が合わない。
体中に汗がにじみ出ているにもかかわらず体は嘘のように寒さに震えている。
ママイト村の子供と己の雇い主を支える腕に力が入らず幾度となく落としそうになりながら薄暗い洞窟内を歩き続けた。
最大の危機は去った。
親であるギギネブラが逃げ出したのを受けてギィギの群れもその姿を消していた。
脅威が過ぎ去ったのは確かである。
だが、その傷跡はあまりにも大きかった。
毒怪竜の毒は確実にアッシュの体を蝕み始めていた。
村長から渡されていたという解毒薬を飲みはしたものの一向に効果が表れる様子もない。
本当に気休めにしかならなかった。
どのくらいの時間歩いた?
今洞窟のどのあたりだ?
そもそも今自分は本当に進んでいるのか?
考えないようにしていることがふとした拍子に脳裏をかすめる。
考えてしまうえばその先まで考えてしまうから。
洞窟を抜けられたとしてもあくまでも彼女らの目的地は湿原ギルド駐屯地であり洞窟の出口よりずっと先にある場所。
そんな果てしない道のりを思うと心がくじけそうになる。
それはていの良い現実逃避。
ただ現実逃避をするたびにある一つの選択肢が頭をよぎるのだ。
『どちらか一人を置いて行けばもしかしたら一人は助けられるのではないのか』
と。
「……――!!」
岩盤の凹凸に足を取られ体勢を崩す。
たまらずアッシュはその場に膝をついた。
もともとこれはママイト村の子供を救うための依頼だった。
この雇い主もママイト村の子供を救うために毒怪竜に対し命を張った。
ここでこの子供を助けられないことは彼の覚悟への裏切り行為ではなのではないだろうか。
そう考えたりもした。
「はっ……。知ったことか……」
だがそれは考えただけ。
「ここでこの者を救えなければ我は一体……!! 何のために……!!」
――何のためにこんなつらい思いをこらえてこなければならなかったのだ。
「あ゛ぁぁぁぁぁ!!」
叫ぶ。
全身を奮い立たせるために。
諦めたくなかった。
無駄ではなかったと証明したかった。
自分の貫いた道が間違いではなかったと。
間違いではないと認めてくれた人物が間違ってなどいないということを。
だが、それはやはり現実逃避でしかない。
根性論にも限界がある。
根性で毒を克服することはない。
道のりが短くなることもない。
体力が爆発的に回復することも。
すべてあり得ない。
それが現実である。
救助の望みも薄い。
「クフゥ……クフゥ……」
行けるところまで。
自分はどうなっても構わない。
できるだけ近く、一歩でもギルド駐屯地へ。
少しでも、人目の付く場所へ……。
頭にあったのはすでにそれだけ。
可能性はどれだけあったのだろうか?
ママイト村村民はアッシュたちを信じて密猟の証拠を消している最中だろう。
援助もアッシュ自身が拒んだ。
運よく道中の旅人に救助してもらえる可能性は?
普段から旅行者の少ない土地でしかも豪雨であるこの天候でそんな偶然が果たして起きるだろうか。
やはりいくら考えても望みは薄かった。
彼らが窮地に立たされるていると知り、この豪雨の中駆けつけることができ、この三人を助けることができる人物なんて果たして存在するのだろうか?
一際大きな影がアッシュの目の前に現れる。
いや。
存在する。
たった一人だけ。
「貴殿は……」
アッシュの目じりから一筋の涙が零れ落ちる。
彼女はその現れた存在のことを思い出していた。
「ああ……そうか。そう……であった、な。貴殿等のやり取りを見ていれば分かりそうなものであったな……」
道中これでもかというほど見せられてきた光景。
そんな数々の彼らのやり取りを思い出していた。
「なんだかんだ言って貴殿も、この男のことが大切なのだよな……」
そう言って抱えていた雇い主の顔を見る。
さきほどの『一人』という言い方には少々語弊がある。
そう、正確には……。
「そうなのであろう……? ……なぁ?」
「『皇帝閣下』殿……」
『一羽』である。
「グワァ」
嘴の生えたツンデレ天使「皇帝閣下」爆誕。
***
因みにギギネブラの体色変化についてですが前回説明したヤモリも皮膚の色が変化するということ皆さんご存知でしょうか?
ヤモリの皮膚には『黄色素胞』『黒色素胞』『虹色素胞』という三つの色素を含んだ細胞があります。
このうち『黒色素胞』がヤモリの皮膚を黒くしている要因ですね。
ここで面白いのがギギネブラ亜種について。
ギギネブラ亜種の体皮の色は『黄色』ですね。これが興奮時には『赤色』になるのはご存知な方も多いと思います。
これの何が面白いのかというとヤモリの『黄色素胞』これはヤモリの皮膚の色を『赤色に染める色素細胞』です。
モンハンの製作スタッフこれ完全に狙ってるでしょというほどヤモリの生態系にギギネブラはぴったり当てはまるんですよね。
ちなみに『虹色素胞』には色はありません。
その代わり日の当たる場所では光の影響で『青色』に代わるという特性があります。
今後、ギギネブラ本作復帰とともに青色のギギネブラが出てくる日があるかもしれませんね。
という感じのちょっとした余談でした。
***
はい。
ということで第二章もようやくクライマックス。
伏線もだいぶ回収できてきてますが今回の皇帝閣下が助けに来る伏線を至る所に笑いに紛れさせて隠していたのですが気が付いた人はどれだけいるのかな? なんて思ったりする物書きの屑です。
ご主人と馬鹿やっていたのにもきちんと理由があった。
今回の話が少しでも皆様の感情の針に触れてたのならばいいなあと思っている今日この頃。
さあ、次の更新あたりで第二章はおそらくラスト(たぶん)。
一体、ママイト村とつながっていた闇ギルドのバイヤーは誰なのか。
まあ、わかりますね。
といわけで作者四十三からの挑戦状!!
問題!!
「今回の事件の首謀者闇ギルドのバイヤーの真の目的は一体何なのか?」
正解したからって別に何もありませんが、まあお遊びとして。
第二章中に必要な情報は置いてきました。
ヒントは三つ。
『行商人とハンターの間で行われていた詐欺』
『護衛ハンター、アッシュの狩猟信条』
そして最大のヒントが
『原作のモンスターハンターのゲーム内で皆さんがよくやること』
です。
当然私もよくやります。
一つのお遊びとしてどうぞお暇があれば考えてみてください。
以上!!
『モンハン×商業ミステリー×謎解き』=『モンハン商人の日常』
今後ともどうぞよろしくお願いします。