アシューの体躯は大きい。
初対面で見た時の感想がそうであったように彼女の身長は二メートル近い長身である。
人間であれば十分巨体と表現しても差し支えないそれほどの大きさだ。
そんな彼女が小さく見えるほどの眼前の存在。
『397.8cm』
龍歴院が発表したギギネブラの平均全高。
巨体であるアシューの倍近い大きさという確固たる現実である。
人間と竜。
種族が違うということは体の構造が根本的に違うということ。
その種族の差をどれだけ埋められるか。
それが俺たちが生き残るために越さなければならない命がけの「試練」である。
――――!!
刹那。
洞窟内の空気が振動した。
女性の叫び声。
ギギネブラの咆哮を聞いたものは皆、口をそろえまるでそんな鳴き声だとそう表現する
そしてその咆哮は同時にギギネブラの明確な攻撃意思の表れだった。
来るっ……!!
アシューもそう感じたのだろう、大きな体を小さく畳み盾を構え臨戦態勢をとった。
――しかし。
そう『しかし』である。
俺たちの目に信じられない光景が飛び込んできた。
「なん……だと」
アシューの口からそんな言葉が漏れ出た。
それもそのはず、致し方なかったと言わざるえない。
突如ギギネブラが『逃走を計った』のだ。
俺とアシューはその洞窟深部の暗闇に姿を消していくギギネブラの姿をただただ眺めるしかなかった。
逃げた?
なぜこの場面で?
ギギネブラは圧倒的有利な状況だったはず。
薄暗い閉所で退路も断ち獲物の逃げ道を完全に奪い、あとは狩るのみとなったこの場面で逃げるだと?
なぜ逃げる。
もしも、本当に逃げたのならば解せない疑問が山ほど残ることになる。
一つの疑問の尾が脳裏をかすめ俺は「……はっ!!」として後ろを振り返った。
「……ギィギが逃げていない」
そんな俺のつぶやき。
母体であるギギネブラが逃げたにもかかわらず、夥しいギィギの群れは変わらず俺たちの退路を埋め尽くし逃げ出すそぶりを全く見せようとしていなかった。
「抜かった!! ダンディ公!! すぐさまギギネブラを追いかけるぞ!! このままでは取り返しのつかないことになってしまう!!」
アシューの叫び声。
アシューはこの不可解な現状に一足先に結論にたどり着いた。
焦燥をまとった顔色を見る限りやはりギギネブラは逃げたわけではなかった。
『取り返しのつかないこと』
その言葉を聞いて俺はギギネブラの特徴の一つを失念していたことに気がついた。
「……まさか」
自分でも顔が青冷めていくのを感じた。
この後に予想される状況はそれほどまでのことだった。
今この現状こそが最悪だとばかり思っていた。
この期に及んでまだ楽観視していた己のおめでたい頭に憤りを感じる。
駆け出す。
もうすでに暗闇に姿を消したギギネブラを追ってただただ一心不乱に。
間に合え。
手遅れになる前に。
だがそんな思いとは裏腹に現実は無慈悲にも目の前に広がる。
「間に合わなかった……」
この洞窟は人の手によって運搬経路として掘り進められた人工の洞窟。
人の都合で作られた洞窟である。
ならば当然人間の都合のいいように作られている。
こういう洞窟には利用者が道を塞ぎあわないように道が大きく作られる。
その一環として竜車でも通れるよう必ず『広い拓けた場所』が設けられるものだ。
目の前に広がるだだっ広い空間。
天井までの高さは地面から目測十メートルほど。
それが意味することが一体何なのか。
いや考えるまでもない。
どうしようもない現実を見るしかない。
すでに洞窟天井に張り付いているギギネブラ。
狡猾で獰猛。
ギギネブラの生物としての生態。
アシューの武器は片手剣。
機動力の代償というべき殺傷力の低さ。
それは片手剣の『リーチの短さ』にも起因する。
アシューとギギネブラとの距離は高低差四メートル。
それはギギネブラに『制空権』を取られたことを意味する。
いや、もうまどろっこしい言い方はやめよう。
攻撃手段を奪われた。
結論だけ述べれば俺たちはもう。
――まともに戦闘すらすることができなくなってしまったのだ。
ギギネブラの『ネブラ』とは『霧』という意味である。
その名を体現するようにギギネブラは口から毒の霧をまき散らし始めた。
退路を断ち、攻撃手段を奪い、毒で獲物が弱るまで高所での高みの見物。
口と鼻を咄嗟に覆う。
やばい。
これ以上ママイト村の子供に毒が回ったら本当に取り返しのつかないことになる。
強行突破。
それ以外選択肢はない。
できるのか……?
ギギネブラは天井にいる。
出口につながる道への出入り口は今空いている。
隙を見て逃げ出す。
そうすれば……。
「……クソッ」
駄目だ。
もしもうまく懐をかいくぐって逃げ出せたとしても、後を追いかけられればアシューが応戦しなければならなくなる。
閉所での戦闘ではいくらプロのハンターであろうと分が悪い。
アシューが応戦して時間を稼いでくれたとしても俺一人ではおそらく逃げ切るのは厳しい。
ここでギギネブラを倒すのが理想的。
そのためには奴を地上に引きずり降ろさなければならない。
――方法はある。
だがその方法は誰か一人犠牲にならなければならない。
ふっ……。
いや、もったいぶるのはやめよう。
――俺しかいないだろ。
俺はママイト村の子供を地面にゆっくりと寝かせた。
そして、前に歩を進める。
「ダンディ公……?」
振り返らず落ち着いた声音を装いアシューの言葉に返事を返す。
「ギギネブラを地上に引きずり下ろしてきます」
「待て!! 貴殿一体何をする気だ!!」
俺はできる限り笑った。
「後は頼みましたよ……アシューの姉御」
一瞬、一匹のアイルーの背中が見えたような気がした。
その姿を振り切るように俺はギギネブラの方向、出入り口まで駆けだす。
「やめろぉぉぉ!! ダンディ公ぉぉぉ!!」
俺に合わせるようにギギネブラも天井を駆け出す。
獲物を逃す気のない捕食者の習性。
上等だ。
抗ってやる。
最後まで。
心臓が激しく脈打つ。
うまく呼吸ができない、やり方を忘れてしまったかのように空気が肺に入ってこない。
足音が大きくなる。
――――来たか。
顔を上げる。
一面に覆いかぶさる、すり鉢状の口。
伸縮性に優れた奴は首を伸ばし俺に食らいつこうとしてきた。
結局やはり、地面に降りてくることはなかった。
予想はしていた。
ここまで狡猾な奴が地面に降りて出口を塞ぐような愚行をするとは思っていない。
ここで俺は食われる。
だがただではやられんぞ。
俺はポーチの中から『あるもの』を地面にばら撒く。
そしてギギネブラに食われる瞬間最後の力を振り絞って叫んだ。
「――ご主人スキル『漢のこやし玉達人』発動じゃボケェェェ!!」
***
『ヤコブソン器官』
生物の中でも特に爬虫類が所有している『口内に存在しながら嗅覚をつかさどる嗅覚器官』のことである。
このヤコブソン器官は中でも有鱗目の生物が優れた性能を持っており匂いの粒子から発生源をたどれるほどの感度があると言われている。
両生類、鳥類、哺乳類も所有している器官ではあるがほとんどが退化しておりここまでの感度を有するのは爬虫類だけである。
この鋭敏な感覚は時にはマイナスに働く場合がある。
毒を操り毒に対する抗体がある毒怪竜ではあるがあくまでも「こやし玉」は臭いの塊であり、毒ではない。
毒ではないこやし玉ではあるが毒でないからこそ毒怪竜には有効であり、言い方を変えればこやし玉は毒怪竜に唯一影響がある毒だともいえる。
必然、その臭いの爆弾を口内に受けた毒怪竜は……。
――暴れ狂う。
「ダンディ公ォォォォォ!!」
この時アッシュの目の前には悶え苦しんだ末、天井から剥がれ落ちてゆく毒怪竜とその拍子に口内から放り出される己の雇い主。
その二つが写っていた。
体勢を崩し地面に叩きつけられた毒怪竜。
放り出された後、身じろぎ一つしない雇い主。
アッシュがどちらに向かったかというのは言うまでもない。
彼女はわき目も振らず『毒怪竜』を獲りに向かった。
無情か?
いや、彼女は理解していた。
雇い主がとった手段が二度目がないことを。
あの手段は一度しか使えない。
もしももう一度毒怪竜が天井に張り付いてしまった場合、自分には打つ手がないとそう理解していた。
この機を逃せば終わり、ならここで仕留める。
「ぐがぁぁぁぁぁ!!」
雄たけびを上げる。
助走をつけ、勢いそのまま毒怪竜の頭部めがけハンターカリンガを振り下ろす。
切れ味の決していい武器ではない。
「あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ!!」
刃の勢いが外皮に食い込み止まる。
歯と歯を勢いよく嚙合わせる。
そして欠けんばかりに食いしばる。
「だらぁぁぁぁぁ!!」
断ち切る。
そう表現したほうが正しい野性的な力技。
鮮血が舞う。
強引な袈裟切りは毒怪竜の頭部に深い傷を刻んだ。
――止まるな。
左手の盾を握りしめる。
「あ゛あぁぁぁぁぁ!!」
顔面を打ち上げるように繰り出されるシールドバッシュ。
直撃した頭部は跳ね上がり毒怪竜の視界を天に仰がせる。
――止まるな。
盾を投げ捨てる。
空いた左手でハンターカリンガの柄を支え、剣先を標的の喉元に突き上げる。
「――――!!」
比喩ではない液体の混じった悲鳴の咆哮が洞窟内を反響する。
――止まるな。
喉に突き刺さったハンターカリンガを手放す。
空いた両手で毒怪竜の頭部を固定。
そして今も突き刺さったままのハンターカリンガの柄目がけ蹴りを――『ティー・カウ(組み膝蹴り)』を繰り出した。
膝蹴りによりハンターカリンガはなお深く喉元に食い込む。
どす黒く濁った血が滝のようにあふれ出た。
空気を吸う時間すらも惜しい。
「あ゛……あ゛ぁぁぁぁぁ!!」
腰から剥ぎ取り用ナイフを抜き眼前の巨体めがけ体当たりをかます。
ナイフをハンターカリンガが刺さっている傷口に突き立て、力の限り傷口を広げた。
そしてハンターカリンガを引き抜こうと柄をつかむ。
しかし。
「……クソォォッ!!」
抜けない。
血で濡れているせいでうまく引き抜けなかった。
もう一度ナイフを突き立てようと逆手に振り上げる。
刹那。
毒怪竜の腹部から毒霧が勢いよく噴出した。
風圧はアッシュの体を吹き飛ばすに足りる勢いで襲った。
吸ってしまった……。
被毒した。
ここにきてアッシュも毒を浴びてしまった。
ハンターカリンガもまだ刺さったままである。
手放した盾を拾い上げる。
――止まるな。
「止まるなぁぁぁぁぁ!!」
そう己を鼓舞し駆け出すアッシュ。
無駄にはできない。
今回の件で全くの無関係であった雇い主を。
自身の『故郷』の不祥事を正そうとしてくれている人物を。
自分を信じて任せてくれた雇い主の犠牲を決して無駄にはできない。
だが。
だがその隙はあまりにも大きかった。
無情。
それがすべて。
彼女の思いを乗せた一撃は対象にあたることはなく空しく宙を泳いだだけだった。
まるで吸い上げられるように天井めがけて飛び上がる毒怪竜。
万策尽きた。
もう、アッシュには毒怪竜を地面に引きずり下ろす手段はない。
二人を担ぎながら毒怪竜から逃げることも不可能。
時間がたてば毒が回り全員ギィギの餌になるだろう。
救助の望みもない。
もうあとはゆっくりと死を待つのみ。
「すまない……」
膝から崩れ落ちた。
その拍子に頭装備も地面に転げ落ちる。
まとめていた白髪がはらりとほどけ瞳に影を差す。
「すまない……ダンディ公」
――――!!
その瞬間、洞窟内に轟音が鳴り響いた。
アッシュにはその音に聞き覚えがあった。
その音はまるで――。
『大きな物体が地面に叩き落されたような音』。
毒怪竜は地面に叩きつけられ悶え苦しんでいた。
そう『あの時』と同様にである。
地面に悶える存在を見て唖然とした。
当然アッシュは何もしていない。
己の雇い主を見るも彼はいまだ動く気配がなく倒れこんでいる。
「そういえば、あの時……」
アッシュは思い出していた。
あの主人が不審な行動をとっていた。
毒怪竜に捕食される前彼は『何かをばら撒いていた』ことを思い出した。
『ギギネブラを地上に引きずり降ろしてきます』
もしも。
もしもあのセリフが『一度だけ』ではなく『今後一切ずっと』という意味で言っていたのだとしたら?
背筋が凍りつき鳥肌が立つ。
「ダンディ公……貴殿は一体、何をしたのだ……」
いまだ動かない己の雇い主にアッシュはそう問いかけた。
***
『ファンデルワールス力(りょく)』
別名『分子間力』と呼ばれるこの力が毒怪竜ギギネブラが壁、天井に張り付き自由自在に移動することのできる力の正体である。
ギギネブラの手足の裏側には微小な毛が生えており、さらにその毛にも微細な毛が存在しておりその毛に発生している『分子同士が引っ付きあおうとする力(分子間力)』による張力によりそこが岩だろうと木であろうと、はたまた氷であろうと分子が存在している場所にならばどこにでも張り付くことができると言われている。
この分子間力は1㎠につき150㎏の重さに耐えられる張力が発生する。
このことからギギネブラの四肢のうち一本だけでも実に80tの重さに耐えられる計算である。
逆にその力がなくなればギギネブラは張り付くことができない。
ならばどうすればいいのか。
単純に『足を覆ってしまえばいい』。
問題は何でという点だ。
インクのようなもので足の裏を塗りつぶしてしまえばこの力は失われてしまう。
では何で塗りつぶす?
結論。
あの商人がばら撒いたものが村長にもらった『ペイントボール』だということを気づける者は残念ながら――この場にはいない。
因みに今回出てきた『ヤコブソン器官』『ファンデルワールス力』ですがこの二つの特性を持つ私たちの身近な生き物といえば、おそらく見たことがない人はいないと思いますが『ヤモリ』が代表的ですね。
似てますよねギギネブラとヤモリ。
ヤコブソン器官は爬虫類の中でも食べ物を丸呑みする生き物によく残っている器官みたいですね。
亀やワニにはもうほとんど残っていないそうです。
一応人間にも残っていますがフェロモンをかぎ分けるくらいしかできないそうです。
接吻もそういう意味では口で異性に興奮するという行為にも納得できるところありますよね。
因みに因みにファンデルワールス力を使った永久的に粘着力が落ちることのないテープとして「ゲッコーテープ」という名前で商品化もされているそうですよ。
あれ本当に1㎠でボウリングの玉吊るしてました。
一見の価値ありかと。
参考までに。
以上!! モンハンで学ぶ生物の不思議のコーナーでした!!(そんなコーナーは存在しません)
最後にモンハンをしている人達に一言。
「グルニャン装備はネタ装備では決してない( ゚Д゚)ヨロシク」