『近道を使いましょう』
それが俺が真っ先に出した湿原ギルド駐屯地までへの帰還ルートだった。
言わずもがな、アシューがママイト村に来る際に提案し、そして俺たちが使うことのなかったあの洞窟のことである。
アシューと件のママイト村の子供を背負った俺は、雨でぬかるみが増した真夜中の大地を一心不乱に駆けていた。
体力の消耗が激しい。
雨のせいで視界が悪く、足場の悪くなったこの悪環境である。
子どもの体力の問題、雨にさらされているゆえの体温の低下。
それらすべてが時間が、猶予がないと俺の思考にまとわりついてくる。
村を出る前、近道の件を俺がそう提案してもアシューは一言も反対意見を口に出さずただ頷いてくれた。
近道である洞窟には『イーオスのコロニー』が形成されている。
当然そのことを忘れているわけではない。
人命を優先するため、自らの命を危険にさらしてでも時間を短縮しなければならない現状。
それで一番の負担を担うのは当然、護衛をするアシューであり最も危険にさらされる役目にある。
一番の外れくじ。
そう言えるだけの責任を負わせてしまうことになる。
俺はこと戦闘に関しては完全に役立たずであり、足手まといにしかならない。
そんな俺を守りながら危険なルートを使うのだ。
場合によっては通常ルート以上の時間を取られる可能性もある選択。
それ以前に全滅する可能性だってある。
不安要素にあふれた意見を信じて引き受けてくれた。
彼女には感謝してもしきれない。
「はっ……。はっ、くそっ……」
顔面にまとわりつく水滴を乱雑に拭う。
雨具を身に纏っても完全には防げない雨粒が視野を狭め続ける。
いくら拭っても変わりがなく、天はまるでその姿をあざけ笑うかのように降水をもたらした。
体にまとわりついているのが汗なのか雨なのかそれすらも、もうわからない。
眼前を走るアシューに焦点を合わせる。
竜車に乗っていた俺とは違い彼女は昨日からずっと動き続けている。
そしてろくに一息もつけずにこの騒動での駆り出し。
俺なんかよりもよほど疲れているはずだ。
弱音を吐いてなんていられない。
子供を担ぎ支える腕に力を入れる。
己を鼓舞するように。
「――!!」
そんな時アシューが何かに気が付いたように勢いよく後ろを、俺のほうを振り向いた。
「――ろぉ!! ……ディ公!!」
雨音による雑音で何を言っているのかわからなかった。
ただ感じたのは背筋が凍りつくような冷たい気配。
前を走っていたアシューは勢いをそのまま、右足を軸に円を描くよう半身を返し――。
殴りかかってきた。
裏拳。
盾を用いた『バックナックル』。
その拳の軌跡は無様に倒れこむように屈む俺の頭上を掠めた。
聞こえてきたのはまるでハンマーで殴ったような鈍く重い耳障りの悪い「ピキッピキ」とした亀裂音。
そして鳥竜種特有の甲高い断末魔だった。
前のめりに体勢を崩す体を大きい手が支えてくれたことで俺とママイト村の子供も倒れることなく事なきを得た。
「はぁ……、はぁ……」
後ろを振り向く。
自分を襲おうとしていたモンスターに目を向ける。
横たわるイーオスは意識が朦朧としているのか、痙攣をしているのか起き上がろうとせず弱弱しく鳴くだけだった。
「……急ごう。今ので……仲間が集まってくるかもしれん」
「……はい、行きましょう」
時間がない。今はただそれだけだ。
再び駆け出す際、今まで走ってきた道ともいえぬ道を振り返る。
「くたばってる場合じゃないよな……そうだろ?」
聞こえるはずのない己のオトモにそう問いかけた。
***
不可解。実に不可解。
なぜだ。
そんな疑問の色が徐々に濃くなっていく。
近道の洞窟には近づいているはずだ。
それはつまりイーオスの住処にも近づいているということと同義のはず。
なのになぜ、こんなにも……。
「見えたぞダンディ公、洞窟の入口が」
その不安を具現するかのように深い洞穴が顔をのぞかせた。
「ここを抜ければ……あと半分。……もうひと踏ん張りだ」
アシューに伝えるべきか悩みあぐねる。
この違和感を……。
「童子の様子はどうだ……?」
「お世辞にもいいとは言えないです……。雨に晒されたせいで体温も下がってしまっています。これでは抵抗力も損なわれ合併症の危険も……」
もしもそうなれば解毒ができても体力が回復することなく衰弱死という展開もありうる。
状況は相変わらず好転はせず悪くなる一方だ。
「一刻の猶予も許しません、急ぎましょう」
そう言って俺はアシューに小瓶を一つ手渡した。
『ホットドリンク』
原材料トウガラシから作られる発汗作用を促し外気の寒さから身を守るために開発された飲料薬である。
「すまない、代金は後で払おう」
「あ、いえ。これは村長から渡されたものなんです。俺の商品じゃありません、なので代金は結構ですよ」
『こんなことしかできない儂らを許してくだされ……』
村長はそう言って色々なものを手渡してくれた。
「他にも砥石やペイントボール……と気休めの解毒薬などをもらいました。必要になったら渡しますのでどうぞおっしゃってください」
「そうか……翁がな」
そう思いをはせるアシュー。
数刻前までのやり取りのことを思えば複雑な心境なのだろう。
だが実際アシューは一度も俺にママイト村が行ってきたことの真相を聞いては来なかった。
もう察しているのかそれともあえて聞かないようにしているのかはわからないが、話題に出さないのは彼女なりの気遣いのなのだろう。
そこからはまた俺たちは洞窟内を駆け出した。
洞窟内は思いのほか広く人工のものにしてはかなり大きい部類だった。
おそらくもとは行き止まりだった自然の洞穴を掘り進めつなぎ合わせたのだろう。
洞窟内に毒素性分の強い沼が発生したのもその掘り進める過程で発生源を掘り当ててしまったことに起因しているのかもしれない。
毒沼には気をつけなければならないが雨の心配がない分よほどこちらのほうが進みやすい。
そんなことを思いながら走り続けた。
結局抱いていた疑問に関してアシューに伝えることはしなかった。
タイミングを損ねたというのもあるが、下手に不安を煽ることはしないほうがいいだろう。
杞憂ならばそうであったほうがいい。
そんな思いのもと、言葉を飲み込んだ。
そう。イーオスの住処付近にもかかわらず『イーオスの姿が全く見えない』ことになんて……。
だが俺のそんな楽観的な考えはあっさりと後悔へそして「絶望」へと変わることとなる。
その絶望の片りんはすぐさま俺たちの目の前に現れた。
紅い体皮。発達した毒爪。通常種より一回りも大きな体躯。
そして最大の特徴。
群れの中での『長』。それを象徴する突起のようなトサカを有したモンスター。
「『ドスイーオス』……」
アシューがそう口に出す。
しかし、そのドスイーオスが一目で普通でないことがわかった。
「ドスイーオスの……『死体』だと?」
そう、ドスイーオスはすでに絶命していた。
そんな死体を見て真っ先に頭をよぎったのは、ママイト村の人々。
密猟という可能性。
だがその可能性はすぐに払拭される。
彼らがやったのならばそもそも死体は持ち帰っているはず、こんな大物を置いていくはずがない。
彼らではない。
何よりこの亡骸は人間がやったとは思えない決定的な証拠があった。
「はぁ……はぁ……。食われていますね……」
はらわたを食いつくされているドスイーオス。
猛毒を持ったイーオスの体皮を食うなんて人間には決してできない所業だ。
ならば次の可能性は共食い。
イーオスがドスイーオスを襲い、そして食したという可能性。
「いや、それも違う……」
ドスイーオスの食われた肉の断面がそれを物語っていた。
これはイーオスよりも『小さく』そして『無数』の生き物が食らいつかない限りこんな断面にはならない。
だとすれば……?
だとすれば一体何がこの死体を作った?
考えろ。
『住処にもかかわらず姿を消したイーオス』
『ドスイーオスの毒をものともせず食せる小さな存在』
そして……『ドスイーオスを倒すことのできるほどの強さを有するモンスター』
これらの条件に当てはまるモンスターは……。
「いや、まさか……でも生息域が違う」
そこまで考えが及んで「はっ!?」とした。
「くそっ!! これもゴア・マガラの影響か……!!」
俺の思考はある一匹のモンスターの存在を導きだした。
最悪だ。
もしもこのモンスターも生物濃縮で解毒不可能な毒を有してしまっていたら……。
「姉御!! ここから出口まであとどのくらいですか!!」
俺の血相を変えた詰問にただならぬ雰囲気を感じ取るアシュー。
「ま、まだ半刻はかかるが……」
引き返すか?
ここは危険すぎる。
時間がないのも変わりようのない事実。
だが俺が下した決断はーー。
「戻りましょう!! この洞窟内は危険です!!」
それしかない。
奴に見つかる前にこの洞窟を抜け出すしかない。
正直、この状況は相性が悪すぎる。
時間のロスに縛られ全滅なんて事態だけは避けなければならない。
しかし洞窟内に響くほどの声量で叫び、出口まで踵を返そうとした俺の足は前へ出ることはなかった。
目の当たりにしてしまったのだ。
すくみ上ってしまったといってもいい。
洞窟内上部、天井の割れ目という割れ目からまるで容器に注がれた水が許容量をこえ溢れ出したかのような勢いで退路を埋め尽くす夥しい『そいつら』に俺はなすすべなくただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
そいつらは目のない滑らかな顔をこちらに向け大きく裂けた口から鋭利な牙をちらつかせる。
その動作はまるで罠にはまった間抜けな生き物を見て嘲笑しているようにも取れた。
『ギィギ』
――ヒタッ……ヒタ。
ふいに背筋が凍りつく。
まるで地を這うようなそんな不気味な足音が聞こえてくる。
いないわけがない。
そう。
幼体であるギィギがいる以上、その『母体』が存在しないわけがないのだ。
呼吸があれる。
体が震える。
叫びたい気持ちを奥歯をかみしめ堪える。
そうしなければ意識が恐怖心で途切れてしまいそうだったから。
やがて足音の主はその深淵より顔を『毒腺』を覗かせる。
すり鉢状の口。
鱗を有さぬ柔軟性、伸縮性に優れた真珠色の体皮。
「馬鹿な……!! このモンスターの生息地はもっと北の『凍土』のはずではないのか……!?」
そして最大の特徴『頭部と同型の尻尾を持つ』という類を見ない生態を持ち、固体、液体、気体とあらゆる毒を操るモンスター。
這いよる毒沼。
――毒怪竜 ギギネブラ。
***
進むべき道の先にはギギネブラ。
退くために戻る道には夥しい数のギギネブラの幼体であるギィギ。
前門の虎後門の狼。
選択ミス。
そんな言葉が頭に浮かぶ。
これは完全なる俺のミスだ。
洞窟にイーオスの姿が見えない時点でやはり一度考えを巡らせるべきだった。
時間がない、その思考が選択肢を狭まていたのは事実ではある。
選択の幅はなかった。
だが今それを後悔したところでそれはすべて後の祭りでしかない。
――考えろ。
焦るな。
今はこの状況を打開する方法をひねり出せ。
後悔や反省はその後でいい。
「ダンディ公!! 我が退路を確保する!! 決して離れるな!!」
そう叫ぶアシューは俺たちが通ってきた道。
ギィギが埋め尽くしている道を切り開こうと体の向きを向け戦闘態勢に入った。
「やめろぉ!! むやみにギィギの群れに突っ込むな!!」
俺の荒れた口調での制止。
強いそんな言葉は俺の余裕のなさの表れでしかない。
突然の声量でのことにアシューは驚いたように行動を止めた。
前方のギギネブラ。
後方のギィギの群れ。
道を切り開くならばどちらに進むか。
その選択で今アシューは後者のギィギを選んだ。
当然の選択だ。
成体と幼体。
これほどはっきりとした上位関係はないだろう。
幼体であるギィギの方が御しやすいと考えるのが普通の判断である。
しかし、忘れてはいけない。
ギィギはギギネブラの『幼体』なのだ。
ギギネブラの生殖方法は『単為生殖』。
それは『雌雄を必要としない生殖方法』でありギギネブラの特徴の一つ。
つまり遺伝子情報は母体に依存する。
もしも、母体であるギギネブラが解毒不可能な毒を有していた場合、その遺伝子を引き継いだギィギもまた同じ毒を生成する器官を授かっている可能性がある。
単為生殖は母体の遺伝子をすべて引き継げるわけではない。
あくまで半分しか引き継げない以上、全部のギィギが同じ毒を所有している可能性はない。
だがそれは逆を言えば今見えている群れの半分は解毒不可能な毒を所有しているという示唆に他ならない。
俺たちにその所有の有無を見分ける術などあるわけがない以上、無暗に群れの中に突っ込むことは――。
「解毒する術がない以上……ギィギが生成した毒すらも俺たちには致命傷になります。ですので……」
「……悪手だということか。……クソッ!!」
ギギネブラはその驚異的な生殖力を持つが故、ほぼ無尽蔵と言えるほどの卵巣を作り出しギィギを生み出す。
『際限なく解毒不可能な毒をもつモンスターを量産するモンスター』
それが『毒怪竜 ギギネブラ』。
その存在を一言で表すのであれば……。
「――『最悪』です」
後方のギィギは数で押し切られてしまえば対処ができない。
「そうか――ならば押し通るべきは『こちら』というわけだな」
退路はない。
時間もない。
援護や救助の望みもない。
ある物が何かなんてことを考えても答えられるものなんて数えるほどあるかどうかもわからない。
「――ダンディ公よ」
ただ……果たさなければならないことはある。
「我にしばし……命を預けてくれるか?」
失くしてしまいたくないものがある。
命を懸けねばならない理由がある。
「何を言っているんですか。俺は商人ですよ?」
モンスターが跋扈するこの世界で『武器』ではなく『商品』を持つと決めたその時に……。
「――『命』を懸ける覚悟なんて、とっくの昔にできてますよ」
こんなの俺たちにとってはただの日常茶飯事だよな。
そうだろ?
なあ……。
――『タイラン』
「そうか……それを聞いて安心した。すまない、恩に着る」
そう言って俺の前、ギギネブラの眼前へと躍り出るアシュー。
そしてあの前口上を口にした。
「毒怪竜よ。悪いが道を開けてもらうぞ」
――それが、依頼なのでな。
因みに今回出てきた『単為生殖』ですがギギネブラのような雌雄を必要とせず新個体を生み出すことを『単為発生』と言います。
ランゴスタやブナハブラ、オルタロスは産雄単為生殖、あと意外にもゴア・マガラも単為生殖らしいですね。
狂竜ウイルスに感染した個体の中から次のゴア・マガラが生まれてくるらしいですが、それってもう完全にエイリアンじゃないですか。
個人的にはジンオウガの姿をしたゴア・マガラとか海竜種の姿のゴア・マガラとか出てきてもいいような気がしてるんですが……どうでしょ。
という感じのちょっとした余談でした。