~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『シャウト・トゥ・ザ・ワールド』A

 

 

 

 戦況は、ザフト軍の優勢へと傾きつつある。

 地球軍は〝ドミニオン〟や〝ドゥーリットル〟と云った旗艦を失い、全軍の指揮権を握っていたムルタ・アズラエル氏の戦死も、情報系統が瓦解した今は伝達されることはない。

 客観的に見れば、地球軍は撤退すべきであった。エルビス作戦における当来の目標である「核攻撃隊による〝プラント〟総攻撃」が頓挫した時点で、彼らはそれ以外の選択肢を選んではならなかった。

 この判断をし損ねた時点で、余計な被害が増え、戦力は疲弊していくばかり。だが、撤退を指示する者もいないから、彼らは最終的な目標も──そのために何をすべきなのかも──よく分からないまま、取っ散らかってザフト軍を迎撃することしか出来ないでいた。

 そしてこれは、大西洋連邦に所属する地球軍艦の艦橋でで交わされた会話である。

 

「──『核攻撃(ピースメイカー)隊が全滅した』と連絡が入ったら、今度はアズラエル氏との交信まで途絶した!」

 

 先刻から、艦橋には救援を求める通信が引っ切り無しにかかって来ている。

 艦長の男は焦りのあまり、ぐしゃり、と粗野な仕草で戦闘帽を脱ぎ捨てる。反対の手は、さっきから喧しいアームレストと一体型の通信器を毟り取っている。

 

「さっきから云ってるでしょ! ちょい前から〝ドミニオン〟がどこにも見当たらないんだよ──〝ドミニオン〟が!」

 

 通信機からは〈だれか、誰か救援を──!〉と、悲鳴ばかりが響いている。

 

「我が軍の兵士どもはみな取っ散らかって、編隊を整えることもままならない! それで調子づいたザフトがそこら中を跋扈してるんだ! 戦況はズタズタだ!」

〈──! ……命令を──ッ!〉

「ええッ!? 聞こえない!」

〈………………ッ!〉

「〝プリンストン〟のシグナルロスト! 撃沈を確認しました!」

「まったく!」

 

 受話器を叩きつけ、回線を閉ざす。

 艦橋窓からは、次々と撃沈させられてゆく艦影が映るばかりだ。対してザフト軍艦隊──ナスカ級などは、続々とこちらに押し寄せて来ているらしい。

 ──前線が作れない……!

 地球軍にとって敵地攻略のために必要不可欠なライン──〝ジェネシス〟および〝ヤキン・ドゥーエ〟へ攻め込むための『足場』──が、一向に作れない。戦況は壊滅的で、勝算は絶望的と云っていい。そんなとき、オペレータが声を挙げた。

 

「ユーラシア所属艦、および第十七艦隊が戦線を離脱していきます!」

 

 ぎょっとして向けた視線の先に、たしかに、後退を始めている艦隊が映る。

 ──目立った損傷を受けている……わけでもない(・・・・・・)

 管制官のひとりが、失調したように云い咎める。

 

「ユーラシアのヤツら……! 混乱に乗じて、ザフトを大西洋連邦(おれたち)に押っ付ける気か!?」

「分かるな……! これ以上国力を削ぎたくないんだ、経済的な都合でさ!」

「勝てるかどうかも怪しいのに、もう戦後の心配かよ!」

 

 副長が問う。

 

「地球連合軍と云うのは、こういうときこそ団結し合うものじゃないんですか!?」

「団結? 馬鹿な、そんなもの今さら出来るはずあるまい……」

 

 思うに、彼らが帰属する「地球連合軍」という組織名称は、欺瞞である。

 たしかにユーラシア連邦は、連合軍加盟国の中でも、とりわけ大きな発言力を持った共同体(ネイション)であった。国家戦力に限った話、それこそ大西洋連邦と肩を並べたほどだ。ここで過去形を用いているのには理由があって、そんなユーラシア連邦であるが、ある折を持って大きな失墜を経験している。

 アラスカ──〝JOSH-A〟防衛戦だ。

 大西洋連邦が仕組んだ〝サイクロプス〟が原因で、ユーラシア連邦は国家戦力の七割以上を減殺されることになり、当然それ以降は窮乏に喘ぐ羽目になった。白々しい大西洋連邦はかの悲劇を「ザフト側の破壊兵器使用によるもの」と対外的に報じたが、愚直に信じたのは買収されたマスメディアと、これに踊らされた世論くらいのものでしかない。要するにユーラシア連邦は、盟友であったはずの大西洋連邦に人柱にされたばかりか、国力の窮乏をいいことに従属まで強いられたのだ。

 このような関係を、どこをどう見れば〝友〟と呼べるのか? どうして結束し、団結などできようか? その事実を踏まえれば、こうして腹癒せのように戦線を放棄し、ユーラシア連邦が一切の責任を大西洋連邦に丸投げしても不思議ではないのだ。

 

「なにが地球連合軍(・・・)だ! 一枚岩になれないのは、連合軍だからじゃないか!」

 

 戦争を通し、組織の中には内輪揉めの醜悪な部分だけが露骨に表面化して行ったから、こうした最終局面において、都合よく統率など取れるはずもないのである。

 

(こうも混戦が続けば、誰だって逃げたくもなる。……組織まで瓦解している!)

 

 艦長の男は口内に唾棄すると、クルー達に命じた。

 

「もういい! 我々も撤退するぞ!」

 

 その命令は、統率力の無さが招いた弊害である。

 艦橋の中が、どっとする。艦長は操舵士に回頭を命じ、クルー全員に撤退を促した。

 

「こんな貧乏くじを、いつまでも……!」

「ですが、それでは〝ジェネシス〟を排除できません! 地球が根本的に脅かされたままです!」

「云いたいことは分かるがな? 核もない、指揮官もない、挙句の果てには前線すら作れない──こんな状況でどうして勝てるか!?」

 

 半ば逆切れのような形で癇癪を起こす艦長だが、云っていることは間違っていない。

 用兵戦術を噛んでいなくとも、明らかに勝算がないことは判るだろうが! 男はそう云わんばかりの形相だ。もはや奇跡でも起きない限り──いや、戦場では神頼みを行った者から先に死ぬ。であるなら、現実的に戦場を見て、撤退(それ)を遂行するしかないのだ。

 だからこそ彼らは、こっそりと戦線を離脱した。

 その独断的な行動が、さらに地球軍の戦列に穴を空け、艦隊の破滅を招くことになるのだが、このときの彼らは知る由もなかった。

 やがて脆くなった戦列を突破したザフト機──〝ゲイツ〟の一機が、後退する彼らの艦影を見つける。艦橋に向けてライフルが放たれ、その艦は進退もままならず、戦場に置き去りにして来た者達と同じ末路を辿った。

 

 

 

 

 

 

 

 〝プロヴィデンス〟を討ち取った〝アークエンジェル〟は、束の間の安堵と休息の中にいた。

 また、口惜しくも地球軍旗艦である〝ドミニオン〟が撃沈したことで、地球軍全体の指揮系統が麻痺し、今や敵前逃亡を行う艦も続出している。大義を優先し〝アークエンジェル〟に挑むよりかは、自分達の命を優先したいという判断だろう。

 こうして〝アークエンジェル〟は、まったく予期していない──そしてそれ以上に嬉しいことはない──誰とも戦わずにいられる時間を持つことができていた。

 艦蹄部、左舷発進口が開き、

 〝ゼロ〟

 〝フリーダム〟

 〝ストライク〟の順で、モビルスーツが帰投する。中破した〝フリーダム〟の右脇には〝ルージュ〟の残骸(コクピッド)が抱えられ、パイロットはいずれもが生還を果たしていた。

 そんな中、トールが操る〝ストライク〟が、ドッグへと着艦した。両腕には、一隻の救命艇が抱えられている。

 

〈──〝ドミニオン〟からの脱出艇、回収しました!〉

 

 トールの声だ。拡声器を通じ、格納庫一帯に響き渡る。

 既に〝フリーダム〟から降りていたキラは、カガリと共に、そちらに足を向けた。

 マードックが返す。

 

「ラミアス艦長からの指示かい!」

〈そうです!〉

「ようしわかった! 降ろしていいぞーっ」

 

 と、そのとき整備士のひとりが慌ただしそうに格納庫に駆け戻って来た。

 ──両手には、ライフルを握っている……?

 そう思えば、そのライフルの片方を、近隣にいたキラに押し付けて来た。

 

「えっ?」

 

 キラの頭に疑問符が浮かぶ。

 

「念のためだ、持っとけ!」

「でも、僕に銃なんて……」

「構えてりゃいいの!」

 

 物凄い剣幕に、思わず目を瞑ってしまったキラである。

 ──しかし、なるほど。

 いくら救命艇とは云え、中に危険人物が潜んでいないとは限らない。警戒するに越したことはないし、ましてや敵艦(ドミニオン)からの脱出艇となれば、この艦(アークエンジェル)に恨みを持つ者も少なからずいるだろう。

 だからこそ、武装兵が同席することに意味がある。

 片膝をついた〝ストライク〟が、脱出艇を横たわらせた。船艇のハッチが開き、キラは格好だけ銃を構えて、出口を狙った。安全弁(セーフティ)だけは外していた。

 すると、まず最初に出て来たのは、両手を挙げ、投降サインを示す中年の男性だった。

 

「ハリーさん!?」

 

 キラは、思わず声を上げた。最初に出て来たのは、元〝アークエンジェル〟の軍医だったのだ。

 それを見たマードックが──いや、誰もが驚いた。それを見るや「銃を降ろしていい」と指示が飛び、警戒が色は薄まってゆく。信頼できる男だからだ。

 

「まさか、きみたちが回収してくれるなんて。……ありがとう、我々にはもう、抗戦の意志はない」

「ハリーさん、よく……!」

「ああ、随分と懐かしい顔が」

 

 救命艇の中から、次々と投降兵達が下ろされてゆく。

 するとそこへ、ムウ・ラ・フラガが顔を覗かせた。

 

「──〝ドミニオン〟に配属されていたので?」

 

 その男の顔を見て、ハリーがぎょっと目を開く。

 

「フラガ少佐? なぜ〝アークエンジェル〟に? カリフォルニアへ異動になったのでは……」

「……あー」

 

 懐かしい頃の話だな、とムウは思った。

 

「こっちにも、色々とありましてね」

「色々か……そうですね、わたしはロドニアまで飛ばされました。それからは御覧のとおり──〝ドミニオン〟への転属だ」

「ロドニアって、まさか──」

散々な研究(・・・・・)を、そこで。拒否権はない」

「……。察します」

 

 ムウは、気を利かせていった。

 

「積もる話もありますが、それは追々に。ひとまず収容者(かれら)は食堂に集めます。マーカット医官も、今はゆっくり休んだらどうですかね」

「ありがとう。そうさせてもらえると、みな助かるよ」

 

 軽く会釈を交わす二人であるが、脇から、マードックが入って来た。

 

「お取込み中、失礼しますぜーっ」

 

 突然の割り込みに、「ん?」とムウが怪訝な顔を作った、次の瞬間──

 ドッ! と複数の整備士達が現場に駆け付け、彼らは一斉にムウを取り囲んだ。その内のひとりが、ムウを背中から羽交い絞めした。ぎょっとするムウであるが、屈強な力に縛られ、抜け出すことができない。

 

「え? ちょちょちょ、何すんのっ!」

「ラミアス艦長からですね──『フラガ少佐が返って来たら、医務室に縛り付けておけ!』と云われたらしいんで、命令に従っているまでです」

「なんでだよ!?」

「ゆっくり休むのは少佐だって同じってことですよ。怪我人でしょ?」

 

 それを聞いたハリーの目の色が変わる──「怪我人? そうなのか?」と問い、「そうですよ!」とマードックが云った。

 ムウは、そんなことしてる場合じゃない、と云わんばかりに屁理屈を云った。

 

「いまこの艦に、船医なんていないでしょーが。放せって!」

「ベッドに縛り付けておくだけでも、治療にはなりますぜ」

「粗療治って云わない? そういうの……」

「船医ならいるじゃないか。目の前に」

「……えっ?」

「この艦の医務室、もともと誰の担当だったと思ってるんだ。……もちろん勝手は出来ないから、ラミアス艦長からの許可が下りれば、の話だが」

 

 そう云えば、マードックは簡潔に「下りるでしょうなァ」とぼやいた。

 理由は訊かなかった。

 

「──なら、医務室に連行だ」

「うべっ」

 

 屈強な整備士にヘッドロックされ、ムウが医務室まで連れ去られてゆく。

 それとは別の船員のひとりが、監視、兼、付き添いという形で、ハリー・ルイ・マーカット医師に同行した。

 

 

 

 

 

 それからややあって、〝アークエンジェル〟艦内に放送が響き渡る。

 これは、マリューからの命令である。

 

〈本艦はこれより、〝エターナル〟および〝クサナギ〟との合流に向かいます〉

 

 急ピッチで補修作業を終えた艦が、〝ジェネシス〟に向かった者達の許へ駆けつけようと云うのだ。 

 

〈激しい戦闘の直後ではあるけれど、今なお戦っている仲間を見捨てるわけにはいきません! 各科員とも疲れていると思うが、鋭気を持って持ち場に戻れ──っ!〉

 

 厳粛な指令を受け、全乗員が弾かれたように動き出す。

 そんな中で、しかし、キラは歯噛みしていた。

 

 ──ラクスやステラは、まだ向こう側(・・・・)で戦ってるんだ……!

 

 それなのに──

 そんな感情、悔恨がキラを苛む。

 たった今マリューは「持ち場に戻れ」と云った、しかし今のキラには、その「持ち場」がないのだ。

 持ち場であるはずの〝フリーダム〟は中破──いや、これを望む角度次第では大破──しており、とても再出撃ができるような状態にはない。武装の大半は〝プロヴィデンス〟との戦闘で破壊され、四肢という四肢も、いまや右腕しか残されていない。両脚は膝上で砕け散ってるから、格納庫に乗り上げるのも、殆ど座礁したような形であった。

 

 ──モビルスーツがなければ、ぼくは、なんて無力なんだ……!

 

 さっき持たされたライフルの件も含め、結局キラ・ヤマトという少年は、モビルスーツがなければ一般人でしかない。

 何もできない歯痒さに、迷い、焦るキラ。

 そんな彼の耳に、とある声が響いた。

 

「キラ!」

 

 トール・ケーニヒである。

 〝ストライク〟から降りて来たトールが、脇から声を掛けて来てくれた。

 その顔には何かを見通すような──それでいて、柔和な表情が浮かんでいる。

 

「悩んでばっかいないで、相談しろって! おまえのことだから……出て行きたいんだろ?」

 

 どこへ──

 という、補語をトールは口にしなかった。それは、彼なりの気遣いである。

 キラは俯きがちに返す。

 

「……でも、ぼくにはもう、モビルスーツが」

「そんなことだろうと思ったよ。だからさ──〝ストライク〟、貸してやるよ!」

 

 晴れ晴れしいほどに、トールは、きっぱりとそう云った。

 キラの目が、見開かれる。

 

「え……!?」

「正直、おれが〝コイツ〟で出て行っても、二度も(・・・)生き残る自信なんてないし」

 

 だからと云って、トールは、キラに〝ストライク〟を押し付けているのではない。

 あくまでも、親友の機微を汲み取った、その結果である。

 

「機体の使い勝手は……まあ違うところもあるだろうけど──心配ないよな? だって元はおまえの搭乗機(のりもの)だし」

 

 トールはいつもながら飄々として、そして、どこか緊張の和らぐような口調で続けた。

 

「あっ、でも型落ちだからって文句云うなよ? 〝フリーダム〟をお釈迦にしたのは、おまえの責任でもあるんだからな!」

「トール、ありがとう……!」

 

 このときのキラは、百万の味方を得たような心持ちでいた。

 だからこそ、ふたりは親友なのである。

 

「でも、本当に気をつけろ。質を落とす(・・・・・)っていうのは、思ってるより簡単じゃないぜ」

 

 たしかに〝フリーダム〟を手にしたとき、キラは、その機体の総出力(パワー)に舌を巻いた。単純計算で云って、それまで乗っていた〝ストライク〟の四倍以上の性能があったからだ。

 ──そんな当時と、今は真逆の状況にある。

 キラは従来の〝フリーダム〟より、遥かに性能の低いモビルスーツに乗ろうとしているわけだ。〝ストライク〟より高性能なザフト機は、次々と戦場に台頭している──少しでも過信や傲慢があれば、それが一瞬でキラの命を奪うだろう。

 念を押すトールの叱咤に、キラは声を張って答えた。

 

「──なんとかする……!」

 

 シートに着座したキラは、凄まじい速度でキーボードを叩き始めた。トールのため──語弊を恐れずに云えば、ナチュラルのために簡易的に設定されていたOSを、独自(キラ)用に書き換え始める。

 ──初めて〝ストライク〟に乗ったときも、こうだった……!

 奇妙な郷愁感が、キラを押し包む。トールは改めて、キラのその指捌きに惚れ惚れとし、畏敬の表情を見せた。脇からは、事態を把握したマードックが顔を覗かせる。

 

「モビルスーツが出払っちゃ〝アークエンジェル〟だって持たねぇ! 坊主(ぼーず)には露払い──というか、艦を牽引してもらう形になるが、それでもいいか!?」

「わかりました! ──みんなで〝ジェネシス〟へ!」

 

 マードックが、サインを作った。

 その意を受けたトールが、ゲートを開放していく。深淵に包まれた星の海が、視界に大映しになる。キラは改めて、どこか懐かしい〝ストライク〟のシートに身を埋めた。

 

〈そいつぁバッテリー駆動だ! それだけは忘れんな!〉 

〈──キラ機、〝ストライク〟発進、どうぞ!〉

 

 ミリアリアからの号令が呼ぶ。

 赤い翼を広げた〝エール・ストライク〟が、矢のように飛び立つ──

 

「キラ・ヤマト──〝ストライク〟行きます!」

 

 彼方には〝ヤキン・ドゥーエ〟と〝ジェネシス〟という、ザフトの二大拠点が映る。

 それらがまだ小さく見えるのは、距離が遠いからだ──しかし、その周辺でははっきりと、ビームや爆発の光芒が明滅を繰り返している。それだけは、はっきりと見える。

 ──ステラたちは、無事なのか……!?

 出撃後の〝ストライク〟は〝アークエンジェル〟を牽引する。

 その中でキラは、今もなお戦い続ける、仲間達の安全を祈願した。

 

 

 

 

 

 〝ヤキン・ドゥーエ〟の司令室では、着々と〝ジェネシス〟ミラーブロックの換装作業が進められている。

 パトリックは司令席に坐し、階下に据える管制官たちを厳然と怒鳴りつけていた。

 

「急げ、もうじきすべてが終わるのだぞ!」

 

 そんなパトリックの後方には、何やら赤い水滴が浮遊し、無重力に漂っている。

 それは、先ほど射殺されたレイ・ユウキの残滓──鮮血である。凶弾を受けた遺体は既に、管制室から放り出されたものの、飛び散った体液までは回収できず、こうして宙を漂っているのだ。衛生的に非常に問題がある光景だが、パトリックは構おうとすらしない。

 パトリックの血に飢えた目は、もはや前方──〝ジェネシス〟の照準シミュレータしか映してないのだから。

 

〈照準入力を開始します。目標、北米大陸東岸地区──大西洋連邦首都、ワシントン〉

「射線上の全部隊を下がらせろ。軍本部のエザリアに通達──!」

 

 ──これで終わりだ、ナチュラルども……!

 パトリックが溜飲を下げるそのとき、別の方角から、別の報告が上がる。

 

〈──〝エターナル〟接近!〉

「!? ……小娘風情が……!」

〈ラクスさま……〉

 

 ──さま? 

 パトリックは、テロリストに対し尊称を用いたその管制官を、愚かに思った。その管制官は、戦後(あと)で首を飛ばそう──そんなことを考えながらも、彼は苛立ちを露わに怒鳴る。

 

「あんな小娘やナチュラルどもの艦、さっさと叩き落さんか……!」

 

 パトリックは云ってから、いや……と思う。

 

「だがもう遅い。こちらの準備も完了する……〝ジェネシス〟を止めることなど不可能だ!」

 

 管制官たちが、作業を完遂させようと最終シークエンスに突入していく。

 ミラーブロックの交換作業が終わり、照準がワシントンにポイントされる。そこに住む何億の命に何の懸念も持たず、みずからの勝利に固執した男は、厳然と命じた。

 

「みな、しかと見届けよ! この一撃により、大西洋連邦は滅び──最大の指導者を失ったナチュラルどもが、我らの足元に屈服する時代がやって来る!」

 

 ラウ・ル・クルーゼが生きていれば、間違いなく嘲弄を漏らしたであろう宣言──

 ──そんなことはさせぬよ、と。彼ならば、そう云っただろうか。

 草葉の陰で嘲笑する男の掌の上で、パトリックは最後まで何も知らず、何も疑わず、己の勝利に酔いながら続けるのだ──第三射目()のボタンを押したとき、みずからまで吹き飛ぶことに気付かずに。

 

「コーディネイターが地球圏を支配する時代が訪れる! 創世の光は我らと共にある──変革に怯え、後れを取るな!」

 

 発射装置が、押される──

 そのときだった。

 

「──まってっ!!」

 

 透き通って、儚げな──ひどく少女めいた〝声〟が、司令部に木霊した。

 ──若い、女……!?

 大勢の管制官達も、その声を聴いた。

 それは、少女であるにしては、尋常な叫び方ではなかった。……だからだろうか? 人員と音声が混濁する管制室の中でも、明瞭に聴き取ることができた。

 もうひとつ理由がある。それは、オペレータ特有の無機質で事務的な発声ではなかった。内から湧き出した感情にを吐き出し、腹の底から紡がれた絶叫だった。

 だから、パトリックにも聞こえたし、彼を猜疑させていた。……いや、それだけではなかったのかも知れない。パトリックはその声を聴き、明らかに戸惑っていた。

 それは、彼の記憶にもまだ新しい少女の〝声〟であったから──

 

「侵入者だ!」

 

 誰かが叫び、これを皮きりに、司令部全体が次のアクションを起こす。ある者は立ち上がり、ある者は逃げ出し、ある者は銃を構え出す──

 いずれにせよ、その時点を以て、すべての発射作業(シークエンス)が中断されていた。管制官達はみずからの座席と持ち場を離れた。作業よりも身を護ることを優先した──それは人間として、当たり前の対応であったが。

 

「なんだ…………っ!?」

 

 パトリックも、立ち上がっていた。その姿勢から、侵入者を見下ろす。その者のバイザーには硬質な光が反射して、顔までは見えなかったが。

 ──桃色のパイロット・スーツを着ている? 地球連合軍の兵士か?

 それに……どういうことだろう? その傍らには、赤いパイロット・スーツを着たザフト兵まで随伴している。

 

(あれでは、まるでザフト兵が案内したようではないか……!)

 

 いくつかの憶測を並べていると、侵入者が動きを見せた。重たげなメットを脱いで、その素顔を晒したのである。気密されたメットの中から、ゆるやかな金髪がふわりと浮かび──うす暗い室内で、その金色は、嫌でも際立って見えた。

 パトリックが、ハッとして息を呑む。

 そんな彼に関わらず、武装兵達はどっとして銃を構えた。それは、兵士として原則的な行動だった。

 

「撃つな!」

 

 だから、パトリックは武装兵達にそう叫んだ。

 が、彼はなぜ、自分がそのような命令を出したのか、よく理解できていなかった。

 

「──そっち(・・・)の者は……!?」

 

 なし崩しに次の指示を出すと、敵の傍らにいる随伴員もメットを脱いだ。

 ザフト製のメットの下から、黒い髪と、端正な顔立ちが現れる。そこから現れたのは、パトリックが何よりも大事に重宝している息子──アスラン・ザラだった。

 そうして並んでいる、ふたりの姿が識別できると、

 

(……よくも、来られたものだ……!)

 

 賞賛もある──が、どちらかと云えば、それは皮肉である。

 パトリックが見据える階下には、ステラとアスランが──

 彼にとって、血を分けて生んだふたりの家族が立っていた。

 

 

 

 

 

 話は、数分前まで遡る────

 後に置いて来たニコルから、未来を託されたような形であったアスランであるが、ステラを追いかける中で、やはり自分の中に疑念があった。

 

(ニコルには、ああ云ったが……!)

 

 ──やはり大西洋連邦を討つことでしか、救われない未来もあるのではないか?

 アスランの心の中には、そういった疑念が根強くある。

 そもそも話のはじめ、パトリック・ザラを代表とする現〝プラント〟政権は、目的こそ「〝ジェネシス〟を嵩に地球圏を掌握すること」であるものの、地球の経済が立ち行かなくなるほどに〝それ〟を乱用した無差別攻撃行うつもりはない。

 なぜなら、現在〝プラント〟は食糧問題など経済的な部分では地球を依存している傾向にある。食糧源が絶たれることは〝プラント〟としても絶対に避けなければならず、地球がその環境を維持できないほどに汚染されてしまえば、〝プラント〟までが窮地に立たされることになる。

 その意味では、まだ〝プラント〟が独立可能になるまで、環境が整備されていないのである。

 この理解を行えば、かつて放たれた「ナチュラルを根絶すれば世界は平和になる」というパトリック・ザラの発言は、微妙である。ナチュラルを全滅したいのであれば、地球を取り潰せばいい──が、そこまでやってしまうと〝プラント〟まで道連れになる。すべてのナチュラルを根絶させることは、時代的に不可能なのである。

 

 ──それでも、旧弊に取り憑かれた大西洋連邦の野蛮人どもは、撃ち滅ぼす道理がある……!

 

 時代が成熟していないのなら、新たな時代に進めて行かなければならない。そうではないか? なのに、世界が変わってしまうことを頑なに拒絶する者達がいる。

 ──大西洋連邦だ。

 彼らは大国の威光を嵩に地球圏を支配し、さらには宇宙に上がった〝プラント〟から豊富な資源を無心する、まるで節操のない連中だ。みずからの古巣と利権を守るためなら、変革を求める声の一切を黙殺し、友軍すら平気で裏切り、人間を狂気の産物へと貶める──〝ユニウスセブン〟を破壊し、アラスカを爆破し、若者を薬漬けにするような。

 ──やつらは旧弊のために、腐っていると云っていい。

 そんな連中に母を殺され、妹を辱められた。アスランとしては、彼らを生かしておくわけには行かないのだ。

 たしかに、平和的解決を望んでいたニコルの言い分も分からないわけではない──が、実際に平和的な解決に臨むのは、大西洋連邦を吹き飛ばしてからでも良いではないか。

 

「──待てっ、ステラ!」

 

 前を行くステラを、後方から追うアスラン──

 そんなアスランが呼びかけると同時に、一発の銃弾が飛んでくる。牽制だ、さすがに直撃コースではないものの、ステラが冷静さを欠いていることの証明にはなる。

 

 ──あいつは、父上と対話がしたい……!

 

 結局のところ、ステラの目的はザフトの指導者(パトリック・ザラ)との交渉なのだろう。であるなら、彼女は三隻同盟に派遣された『使者』だ──かねてより「〝ジェネシス〟の停止」を訴求していた三隻同盟が、直接交渉をするため〝ヤキン・ドゥーエ〟に送り込んだ。

 ──勿論、ここに至ってそれが許されるかと云うと、そうではない。

 要塞内に駐屯するザフト兵を攻撃することを前提に、あるいは、攻撃せざるを得ない状況下で『使者』を送り込むことは、平和的交渉術として明らかに過失があるからだ。

 

(和平の使者なら槍は持たない──これは鉄則のはず!)

 

 少なくともアスランにはそう思えるのだが、彼はステラを咎めなかった。

 結局、ステラのような一介の兵士にできることは「上の命令に従う」──あるいは「戦う」ことでしかないののだから。

 アスランは物陰に跳び込み、叫ぶ。

 

「──聞くんだ!」

 

 諭せば、銃撃が止む。

 アスランは物陰から、相手に届くように大声で続けた。

 

「次の〝ジェネシス〟の照準はワシントン、大西洋連邦の拠点だ! そこが吹き飛べば、戦争は終わる!」

 

 可能な限り、聞き心地よい言葉で叫ぶ。

 

「それに……大西洋連邦が滅びることは、きみにとっても本意になるはずだ!」

「本意……!?」

「きみを辱めた連中を、まとめて始末できるんだ! そうなれば、きみたちが護っていたオーブも、連合の支配から脱することだってできる──」

 

 アスランは、自分の舌がよく回っていることに、感動していた。

 

「──和平を考えるのは、それからだっていいじゃないか!」

 

 大西洋連邦が滅びれば、旧来の世界のバランスが崩壊する。

 そもそも三隻同盟というのは、大半がオーブからの脱国者ではなかったか? かの国を属国として支配している大西洋連邦が滅びれば、彼らはふたたび、国家の主権を奪い戻すこともできる。

 云いながら、アスランは本当にそう思った。彼らにとっても、メリットになるのである。

 

「きみはいま、その邪魔をしているんだ……! きみたちのおかげで、地球を牛耳るナチュラルどもを粛正できない!」

「ワシントンを撃ったら、大勢の人が死ぬ! 戦争だからって、民間人まで虐殺していいと思うの……!?」

 

 そのことは、ステラが誰よりも深く理解していた。

 それだけは絶対に侵してはならない、人としての掟であるはずなのだ──

 

「それをやったら……! それを、やったら……!」

 

 ステラの脳裏に、とある〝荒野〟が映像として浮かび上がる。

 …………いや、元々は荒野などではなかった。立ち並ぶ街並みも、もともとは廃墟などではなかった。

 そこは白雪に覆われた、古の都市──

 たとえば、古から優れた彫刻文化を持っていて、先代より紡がれて来た伝統産物を、人々が保守しながら穏やかに暮らしていた街だった。

 その真っ白な雪原が、気付いた頃には、真っ黒な焦土と化していた。その凄惨な光景を造り出したのが誰であるのか、彼女はよく……痛いほどに知っていた。

 

「ザフトだって、大西洋連邦と一緒になる──!」

 

 ステラは、血を吐くような思いで叫んだ。

 ──虐殺っていうは、人が人としてやっちゃいけないことなんだ!

 かつて民間人を踏み潰して回ったステラにとって、それは、もっとも人類に繰り返させてはいけない歴史上の過ち。

 

「──では、どうしろと云うんだ!?」

 

 ナチュラルに対する期待も希望も、全てを絶やした今のアスランには、ステラの発言が分からない。

 

「〝プラント〟で暮らす人々には、ヤツらの核攻撃に怯えながら、それでも逞しく生きていってくれ、とでも伝えろと云うのか!?」

「ちがう!」

「母上は、殺されたんだぞ!」

 

 レノア・ザラ──彼女こそ、歴とした民間人だった。

 プラントの農業博士で、キャベツを好んで栽培していた。軍組織になど一切関与せず、平和に暮らしていたのだ──そんな女性を殺したのは、大西洋連邦だ。

 奴等こそが、先に禁忌を破ったのだ!

 

「ヤツらには報いを受けさせる! ……でなければ、死んで行った者達が浮かばれない!」

「アスラン……!」

「目を醒ませステラ! きみだって、被害者じゃないか……ッ!」

 

 それでも、ステラは答えた。

 

「そう、被害者……! でも、だから同じことを繰り返さないようにやってるんだ……!」

 

 蹂躙された〝デストロイ〟──

 そのコックピットが砕け散り、無数の鋼鉄片が、身体中に突き刺さった当時の感触を憶えている──劇的な痛みが走り、やがて何も感じなくなっていった、当時の感触を。

 今になって思えば、あのとき身体に突き刺さった破片のひとつひとつが、彼女自身が都市を潰して歩くうち、散々にしてかき集めた無辜の復讐と憎悪の念であったのではないか。

 

「何の罪もない人達を殺したら、反感を集めるだけだ! それでいつか、自分達が殺される!」

 

 ──涙と悲鳴が、新しい戦いの狼煙になる……!

 ステラは、純粋にそう思った。

 

「戦争をしているときは、みんな、そういうことに気付けないで! ……でも、だって仕方ないよね。みんな生きるために必死なんだもの、誰だって『死』ぬのが怖いんだもの! ……だけどね、それでも誰かが教えてあげなきゃいけない。そういう見方ができる誰かが、みんなに教えてあげなきゃいけない──それはステラがやる!」

 

 たとえ、人柱になってでも──。

 ステラはこのとき、相手と論争をしながらも、そのじつ相手を振り切ろうと確実に算段を立てていた。抜かりがないのである。進行方向に改めて視線を向けると、薄暗い廊下を突っ切った先に、中枢へ繋がる昇降機を見つけた──ステラはハッと息を呑んだ。

 ──エレベーター……!

 おそらく、司令部へ繋がっているものだ。距離は目測にして……三〇メートルと云ったところか? 彼女の脚力なら数秒で走り抜けられるだろう──が、なまじ直線距離(コース)のため、狙撃されたら厄介だ。銃弾をやり過ごす場所がない。

 ──迂回している時間なんてない……!

 だからこそ、ステラは壁に身を寄せていた姿勢から、僅かに腰を浮かせた。アスランに気取られないよう、物音や気配を消したのだ。

 その消音術のせいで、アスランは彼女の挙動を察知できなかった。

 

「誰もがきみのように純粋(したたか)であれると思うな! 憎しみだって、生きる力だ! その者を支える力だ!」

「誰かが、やめさせなきゃダメなんだ!」

 

 その瞬間、バッ、と気配が動く感触がして、

 

「なにっ!?」

 

 アスランは慌てて、物陰から飛び出した。中枢に繋がる昇降機が、彼の目にも映る。

 ──エレベーターへ……!?

 駆け抜ける少女に、彼は慌てて銃撃を放つ──が、捉えることができない。照準が甘いのではない、相手の脚が早いのだ、まるで疾風だ。

 そうしている内に、ステラはエレベータまで駆け抜けてしまった。間髪おかず操作盤を押し、自動ドアを閉じてゆく。アスランはこれを追いながら銃を斉射したが、悉くが、防弾扉に弾き返される。

 

「──ええいッ!」

 

 銃を降ろしたアスランは、その腕まで大きく振って、全速力で廊下を駆け抜けた。

 

「へぁぁっ!」

 

 ただ走っているだけなのに、稲妻のような速さだ。そして彼は、今にも閉じようとしている扉を目掛け、殆ど飛び込むような形でダイブした。

 運が良かったのか、アスランは電撃のように、籠室の中に侵入していた。

 それに驚いたステラが拳銃を構え、トリガーを引く。

 が、ステラの拳銃は、何の動作もしなかった。

 

(!? ジャムった!)

 

 瞬時に銃身を投げ捨て、ステラはホルスターから短刀を抜き放った。尖鋭な刃を、みずからの顎先に翳す。

 対するアスランは体勢を立て直したあと、拳銃を掲げ、これをステラの額に突きつける──!

 

「────ッ!」

 

 沈黙が流れ、やがて戸が閉まり──

 短刀と拳銃、互いに凶器を構えた兄妹。

 ふたりを乗せたエレベーターは、管制室まで上昇を始めた。

 

 

 

 

 

 

 籠室の中は非常に狭く、逃げ場はない。

 どちらかが動けば、どちらかが穿たれるであろう究極の局面。武器だけを見れば、銃を手にしているアスランの方が有利であった。

 

(しかし、これはステラの勝ちだ……!)

 

 少なくとも、アスランはそう思った。

 ──ステラは、拳銃を捨てた……!

 それが、理由である。

 もとより──「なぜ彼女は拳銃を捨てなければならなかったのか」を考えれば、自分達の置かれた条件は公平(フェア)ではない。現在地に至るまでに幾多のザフト兵を迎撃したステラの拳銃は、いつ排莢不良(ジャム)を引き起こしても不思議ではなかったからだ。

 

(おれの方が、はるかに恵まれた環境にいた。と云うのに……)

 

 ここに至るまで、ステラは「常に複数」の敵を相手取る必要を迫られたが、アスランは「たったひとり」を警戒するだけで良かった。迷路のような〝ヤキン・ドゥーエ〟を「手探りで進んだ」ステラと違い、アスランは彼女を「追いかけるだけ」で良かった。

 この過程で奪われた、ふたりの体力差は大きい。つまり、ステラは集中力や精神力を比にならないほど摩耗しているはずであり──その証拠に、このとき喘ぐように息急き切っていた。アスランは大して疲れていなかった。

 その不公平さ(・・・・)が、アスランを迷わせた。

 肩で大きく息づいているステラを見て、アスランはトリガーを引く気になれなかった。そこまで図々しくなれなかったのだ。

 

(結局おれは、こうも疲弊したステラを、互角の形勢に持ち込むことしか(・・)できなかった……ッ!)

 

 しかし、アスランが落ち込む必要はないのだ。

 ステラは元より特殊部隊の出身だから、こうして互角に渡り合えただけで、アスランは充分に特別なのである。しかし、ビクトリアから散々「妹を越えた」と豪語していた身としては、やはり耐え難い結末だったらしい。

 ──もし、ステラが疲れていなければ。

 ──もし、アイツの拳銃が正常に動作していたら。

 状況が違えば、いずれせよ自分はやられていたはずだ──確信めいたそういう自覚が、彼のプライドを撃砕する。物理的には勝敗は決していないが、アスランはこのとき既に、精神的に敗北者だった。

 アスランはこの時点で、みずからの敗北を認めていたのだ。

 

「父上に会って、どうするつもりだ……?」

 

 だからこそ、相手の真意を問う。

 どのみちエレベータは管制室に向かっている、扉が開けば、そこには父パトリック・ザラの姿がある。

 

「もう終わりにしてもらう。これ以上、人が死ぬことに意味なんてない」

 

 ふたりは睨み合うだけで、動かない。

 かたや額に銃口を向けられ、かたや喉元に刃を翳されている。

 

「もう、たくさんの人が死んだ……今だって──! 戦いはもうザフトが勝ったようなものなのに、どうしてまだ〝ジェネシス〟を使う必要があるの……? なんで、まだ殺そうとするの……?」

 

 アスランは、沈鬱な表情で答えた。

 

「……『誰もがきみのようではない』──と、云ったろう」

 

 ウィー……。

 エレベータが上昇する機械音だけが、静かに響く。

 

「きみと違って、状況も判断できないナチュラル共は、自分達が敗戦したとも気付かずに無秩序な抵抗を続けている──それを鎮めるためには、ヤツらの本拠地(ワシントン)を撃ち、いよいよトドメを刺してやらなきゃ示しが付かない」

「方法は他にあるよ……。地球軍にはもう、戦う力が残ってないんだ。みんながみんな、わけが分からないまま戦ってる──」

 

 ──みずから育てた闇に喰われて、人は滅ぶ。

 ラウはそう云った。しかし、本当にそうなのだろうか?

 ステラは、気付いたように云った。

 

「エレベータは上がっているのに、こうしている間にも、アスランはトリガーを引かないでいる。ステラを殺そうと思えば、とっくに殺せてるはずなのに──それって、自分の中にやましい部分があるって、考えてる証拠だよね」

 

 図星を突かれ、アスランは、目に見えて動揺を示した。

 

「そうやって悩んでいるのは、アスランがまだ、自分の正義を見つけられてないってことでしょ……?」

 

 みずからの正義──? なんだと云うのだ──アスランは、懐疑した。

 ──正義……〝ジャスティス〟……?

 それは、アスランが手にした力だ。非力な彼の手足となり、ナチュラルを粛正する処刑代行人。彼の信じる正義を体現し、ナチュラルに制裁を加えてくれる、鮮血色の裁判官。

 ──だが、本当に〝それ〟が、おれの信じたかった理想なのだろうか……?

 絶対正義の名の許に、いつかナチュラルを滅ぼした世界を築き上げることが? そこに障害として立ちはだかるなら、最愛の妹すら平気で断罪してしまうことが……?

 ──いや、違う……。それは父上の理想であって、おれの理想ではない。

 本当は、譲りたくなかった部分がある。

 父上にだって、迎合したくなかった部分もある。

 ──おれは、できるなら妹を……! ステラを守ってやりたかった……!

 かつて、アスランの望みはひとつだった。ただ父と母と、妹と──家族全員で、平和な世界に暮らすこと。

 なのにいつから、なぜ、どうして──? こんなにも遠い場所に、来てしまったのか……?

 

「ずっと云いたかった──アスランはずっと自分で考えることをやめて、お父さんの云うことを鵜呑みにして──」

「──原因はきみだ……!? 大切な妹が、みっともない野蛮人どもに辱められたと知れば、誰だって鬼になる。……それが家族ってものだ!」

「他人の目線で考えるんじゃなくて、自分が何をしたいのか、それを云ってよ……」

 

 アスランは、ついに、自分の感情を吐き出した。

 

「おれは……おれは、どんなことがあっても、きみの家族だ……っ! だから、できることなら、きみの手助けをしてやりたかった。ずっと前から、きみを守ってやりたかったさ、キラのように──! しかし、戦争の中で個人的な感情を吐き出すことは、考えているより簡単なことじゃない……わかるか? それは軍人が為すべきことではないからだ! おれにはきみを助ける義務があって、しかし、父上のために戦わなきゃならない使命があった! なのに肝心のきみと来たら、いつの間に父上と(たもと)を分かってさ……! 残されたおれはどうすれば良い? きみたちはおれに、どうしろっていうんだ! ──ここまで云えば、おれが迷うのも分かるだろ!!」

 

 長き──とても長きに渡って封じ込めていた、みずからの本音。

 移動中のエレベータ──

 その叫びを聞いたのは、ステラだけ。

 

「すこしでいい、時間が欲しいの……! ステラには、あの人と話をする時間が必要なんだ……!」

 

 ステラは、刃を降ろした。 

 アスランが、たじろぐ。

 

「し、しかし……っ! 父上は、おれよりも遥かに頑固だ。今さらきみが現れて、何を云ったところで──」

 

 あるいはアスランには、未来が想像できてしまうのだ。

 畢竟、パトリック・ザラが息子のことを理解しているように、アスランもまた、どれだけ父親のことを理解しているだろうか? 互いの性格についてよく知るアスランだからこそ、今さらステラが介入したところで、父の意向が変わるとは思えない──。

 が、それはステラ自身も、微妙に理解しているのかも知れなかった。

 なぜならステラは、このとき何も云わなかった。アスランが喋るのに対し、彼女は一言も言葉を返さなかったのである。その沈黙が、彼女の覚悟を物語っているようで──

 

「──。五分(・・)だ……」

 

 アスランは、そう云っていた。

 

「おれが隣にいれば、父上もいきなり銃を向けることはないだろう。──ただし、五分だけだ……」 

 

 パトリックに対する信頼が、アスランにそう云わせていたらしい。もっとも結果から云えば、アスランがいなくとも、パトリックは銃を撃たなかったのだが。

 

「その間に、まともに交渉が出来なかった場合は……」

「……投降する……。ステラを人質にでもして、みんなを止めるといいよ──」

 

 この潔さこそが、彼女の正義なのかも知れないな──

 アスランは不意に、そんなことを思った。

 

(……おれはいったい、何をやってる。本当に、これでいいのか……?)

 

 五分だけ、ステラの味方になると決めたアスランであるが──

 そんな彼の中には、いまだに、自分に対する強い迷いが根付いていた。

 ────だが、現実は待ってはくれない。そうしている内に、二人を乗せた昇降機が、目的の階層まで辿り着いていた。到着の電子音が鳴り響き、グワアと、ワイヤーが引き延ばされる音が聞こえ出した。

 

(きた────っ)

 

 ぐっとして息を呑む。

 次の瞬間、重たい扉が開いた。

 

 


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