〝ヤキン・ドゥーエ〟内部は、人員と情報が錯綜した混乱状況にあった。格納ブロックでは損傷したモビルスーツが続々と係留され、整備、あるいはコックピットから負傷兵が降ろされ、応急手当が始まっている。
ステラとニコルは、これらの混乱に乗じ、要塞内へと潜入していた。
坑道の内側に掘削された〝ヤキン〟の通路は、各種メンテナンス用に広がる隔壁ブロックになっている。微かな照明だけが照らす空間だが、僅かな光が差し込んでいれば、ステラには充分だった。
半重力帯に設定された廊下は、生身での移動が容易である。とはいえそれは、運動が容易であることを意味しない。すこしでも体重の操作を誤れば無防備になる瞬間を断続的に生み続け、こればかりは人間の意思でどうにかなる問題ではないからだ。
けれど、そういった不便さも意に介さず、ステラとニコルは瞬く間に〝ヤキン〟の奥へと滑り込んでゆく。それは訓練を徹底して経験した兵士だからこそ発揮できる、洗練された無駄の無さだ。
「ステラさん、アスランが追って来ます!」
云ってから、これほどに最悪な報告はないだろうとニコルは思った。
訓練生時代から、アスラン・ザラという男はあらゆる戦技科目──「MS戦」「射撃」「ナイフ」「情報」──で首位を総嘗めにした怪物だった。ニコル自身は次席のイザークに次ぐ卒業であり、1位と3位、数字で見れば僅差に思えるが、ここにある兵士としての総合的な格差は大きい。ニコルがアスランより優れていた分野などは、せいぜい「爆弾処理」くらいのものであるからだ。
そのような過去を思い出してしまえば、このときのニコルが気後れしてしまったのも無理のない話だった。アスランを迎え撃つ自信などなく、相手取ることを畏怖したと云ってもいい。
「ニコルは前に。
しかし、そもそも色眼鏡を掛けることを知らないステラには、そのような偏見や前情報はどうでもいいらしい。彼女はニコルの声音の中に弱気を見抜き、勇ましくもそう云った。
「すいません、心強いです」
「ステラもだよ」
ある折を以て、要塞内部に敵侵入の報せが広まったらしい。前方の通路から、武装したザフト兵がドッと迎撃に現れた。
硬質な光に薄暗く照らされただけの空間では、施錠銃のスコープなど充てになるものでもない。無造作にばら撒かれた銃弾を、ふたりはT字路の角に身を潜めてやり過ごした。隙を見てニコルが前方へ反撃の銃弾を放ち、後方へステラが牽制の射撃を仕掛ける。
「──ぐあッ」
「ちッ──」
進路前方のザフト兵は肩を撃ち抜かれて後退する一方、後方のアスランは即座に壁を蹴りつけ、物陰に飛び込んで銃弾をやり過ごす。
そんなアスランが隠れた側、後方の暗闇からステラ達に逆撃が発砲される。ステラは咄嗟にニコルの襟を掴んで物陰に隠れ、これから逃れた。
幾つもの跳弾が暗闇を照らし、間髪おかず、ステラは相手の|発火炎が閃いた方角に幾発か銃撃を放った。アスランもまた、咄嗟にこれを避けてみせた。
(正確……!)
(無比な……!)
それは、たったいま撃ち合った兄妹の感想である。アスランは即座に拳銃の弾倉を交換し、ふたたび物陰から銃を構える。
しかし、そのとき既に銃口の先には気配がない。
──さらに奥へ……!?
横っ飛びしたアスランは、追うように暗闇の中を突っ切った。頃合いの柱に身を寄せると、気配を察して牽制の射撃が飛んでくる。
(ニコルが進路を確保し、ステラが追跡を喰い止めているのか? この人数差では、父上の許へ簡単に辿り着かれてしまう……!)
アスランは、自分自身を叱咤した。
「くッ……!」
まともな援護は見込めない。この〝ヤキン・ドゥーエ〟は軍拠点であり要塞でもあるが、連戦による疲弊と人材不足が統制を緩くしている上、そうそうの腕利きが警護に就いているわけではないのだ。
要塞内にいる人員は、殆どが管制官であり技術者であり、たとえば『赤』と認められた能力の持ち主であれば、とっくにモビルスーツパイロットとして戦場に駆り出されているだろう。
勿論、中にはレイ・ユウキのような指揮官級の有力な将兵も居るだろうが、たった二名の侵入者のために、わざわざ彼等が下に降りて来ることもない。
──しかし、その「たった二名の侵入者」というのが、尋常ではないんだ。
それは例によって、アスランが追撃に及んでも蹴散らすことができずにいる二人なのだから。
「オレはいったい、何をやっている……ッ!」
現状、アスランは思うように侵入者達へ距離を詰められず、攻めあぐねていた。
原因は分かっている。それは先行する敵兵の牽制射撃が、アスランにとって絶妙に厄介なポイントを撃ち込んで来るからだ。正しく云えば、ステラの放つ銃弾の悉くが、逐一アスランの進路を阻み、彼に膠着状態を強いる。後方から敵の背を追う立場でありながら、アスランは常に狙撃に遭うような
しかし、だからと云って、アスランが自分を罵る必要はないのだろう。
アスランを相手に膠着状態を強いる──これを実現できるのが、ステラという兵士の能力なのだ。それが可能なのは、彼女だからであり、相手取るのが彼女でさえなければ、アスランは僅かな隙から
(しかし、そんなのは妄想だ!)
なぜなら相手が、ステラであるから。
そうしている間にも、彼女達の前方に、また新たなザフト兵達が立ちはだかる。ステラがアスランを喰い止めている間は、ニコルが一方的にそれを蹴散らして行った。
「──ごめんなさぁいっ!」
ニコルの放った銃撃が、ザフト兵達の肩を撃ち抜く。
負傷した兵達は、怯んだあと尻餅をついた。
「口先だけは謝って! あいつ何なのっ!?」
アスランは、絶叫していた。
「──下がるんだ! きみたちで勝てる相手じゃない!」
「そうするよ! ……もっと早く云えよ!」
そうしてふたりの侵入者達は、なおも要塞の奥深くへ侵入して行った。
ひとえに、パトリック・ザラのいる管制室を目指して。
大天使の艦前方で、翼を広げた〝フリーダム〟と〝プロヴィデンス〟が激闘を繰り広げている。容赦なく浴びせかけられる光の雨を前にして、キラは辛うじて全ての車線を捌いてゆく。
ラウ・ル・クルーゼという男の思惟を受けて飛び回る誘導砲台の群れが〝フリーダム〟を押し包み、光弾が四方に噴き出される。同時に〝プロヴィデンス〟本体からも間断なくビームが斉射され、核エンジンから生み出される莫大にして半永久的なエネルギーは、一切の余すところなく嵐のように〝フリーダム〟に襲い掛かる。
戦闘の様子を見ていることしかできない──あるいは見入ってしまっているミリアリアが心配の声を挙げ、マリューが厳然と指示を出す。
「〝フリーダム〟を援護して、生きている武器システムを使うのよ!」
ぎょっと目を見開いたのは、ノイマンだ。
「そんな、無茶です! 下手に敵のモビルスーツを刺激したら、この艦にすっ飛んで来ますよ!」
「ひとりでは戦わせられないわ……!」
「艦隊戦じゃないんですよ!」
「やるの!」
目の前で交わされる至高のモビルスーツ同士の戦闘を目撃しつつ、このときにマリューが憶えたのは熱望や期待ではなく、ひとえに焦燥だった。
──〝フリーダム〟が、一方的に圧されている……!
キラをひとりで戦わせ続ける選択が、明確に過失と思えるほどの形勢。言葉にはしなくとも、傍らのサイ・アーガイルもまた同じように危惧していたらしい。
友情による身内贔屓。憧憬による美化。多少の色眼鏡が含まれているとしても、少なくともサイにとって、キラはモビルスーツを操縦させれば最強の友人である。
しかし、そんなキラの放ったビームでさえ、敵機をまともに捉えることはできていない。対して多重的・多角的に放たれるドラグーンによるビームカーテンに、常にキラは翻弄され続けた。
…………とはいえ、そうしてドラグーンが漁る光の〝雨〟を避けることだけでも、サイの目には充分に神業に思えてしまうものなのだ。現実にそのような芸当ができるのは、おおよそキラとムウくらいのものであるのだろうが。
「〝イージス〟と〝ストライク〟の回収は?」
「完了してます! ムウさんは医務室へ」
報告を聞き、不覚にもマリューは安堵した。だが気を抜いてなど入られない。彼女はすぐに視線を前方に戻し、毅然として命じた。
「〝バリアント〟〝ゴットフリート〟照準、敵モビルスーツ!」
そうして後方に控えた〝アークエンジェル〟が、〝フリーダム〟へ援護の砲火を放つ。
──と、放たれた〝ゴットフリート〟の一撃が、奇しくも〝プロヴィデンス〟のドラグーンに直撃した。それはひとえに、幸運だったと云えた。
〈足つきめ〉
舌を打ったラウは、牽制のためドラグーンを二基ほど〝アークエンジェル〟に遣わせる。それを見たキラはぎょっとして、これを阻害するようなビームライフルを撃ち放った。しかしビームはぬらりとしてドラグーンに回避され、出し抜けに〝アークエンジェル〟へと押し迫る!
「小型ユニット、接近!」
「対空砲火、撃ち落として!」
マリューの叫びは、全ては聞こえなかった。突き抜ける被弾の衝撃が、艦を揺らしたからだ。
──ラミネート装甲がなければ、とっくに沈められていた……!
格納庫をも、激震は襲う。中に控えていたトールやマードック達が鉄骨に擦り寄って、衝撃から身を護った。
「うわわ……! マードックさん、〝ストライク〟はまだ出せないんですか!?」
トールが見上げる先には、バッテリーが尽きた〝フォートレス・ストライカー〟を外し、人の形で直立する〝ストライク〟の姿がある。見たところ目立った外傷はないが、いまはメカニックが総動員して整備作業を行っている最中だ。
キャットウォークの上から、マードックは怒鳴る。
「左腕の動作不全だよ! 肩のアタッチメントがバカにやってやがんだ」
「なんでです!」
「無茶な使い方したんだろ!」
陽電子破城砲を受け止めた影響だろう。
衝撃を真っ向から受け止めたため、肩の部分が
「フラガ少佐だって医務室で治療してるし……! できるだけ急いでください!」
「おうよ!」
(キラ、がんばれ……!)
戦闘が繰り広げられているであろう方角を見遣りながら、トールは祈るようにそう云った。
──もうすぐ、みんなで駆け付けるから……!
──それまで、何としても持ち応えてくれよ……!?
そんなとき、上から違う怒声がかかった。
「おいこら、メットの
キラが負けるようなら、みんな死ぬかも知れない──
誰に云ったわけでもないが、トールは不意に、そんなことを思った。
幾億もの星辰が背景になっている宇宙空間において、背景に溶けるような黒銀色に鈍く輝く飛行物体を捉えるのは容易なことではない。
現実の戦場は、アニメや映画のように注目する対象がズームアップされるような仕組みにはなっておらず、パイロットはあらゆる対象を目視する必要を迫られる。
が、いくらスーパーコーディネイターと云っても、人間を超えるほどの眼力の類を持っているわけではない。勿論、常人より遥かに優れた洞察力や深視力を秘めていることに変わりはないが、それを本人の意志によって自在に使えるかどうかは別問題である。
何が云いたいのかと云うと、宵闇の中で蜂の子のように飛び回るドラグーンを見つけ、これをことごとく撃ち落とすことができるほど、キラ・ヤマトの能力はバケモノ染みていないのである──このときは、まだ。
(早くこの人を倒さないと、みんな殺される!)
その焦燥は、キラの邪念である。
視線の先の〝プロヴィデンス〟が、一旦、光背までドラグーンを呼び戻す。光背から突き出した砲塔にムラが出て、如何せん不恰好な姿になっている──〝イージス〟に減らされたドラグーンと、奇跡的に〝アークエンジェル〟が破壊したドラグーンを除いて、残る砲塔は
〈厄介なヤツだよ、きみは!〉
「──あなたこそっ……!」
〈知れば誰もが望むだろう! キミのようになりたいと──キミのようでありたいと!〉
「そんなこと!」
〈ゆえに許されない、キミという存在を!〉
接近を掛けようとしたキラの進路を、ビームの驟雨が切り刻む。射出されたドラグーンが〝フリーダム〟を押し包むようにビームを浴びせかけ、キラは必死に攻撃を往なす。だが回避した先に〝プロヴィデンス〟が待ち受けていて、キラはシールドを掲げて〝ユーキディウム〟の一射を防ぎ止めた。
「云うほど、ぼくは出来た人間じゃありませんよ!」
自虐的なことを云えば、ドラグーンすら撃ち落とせない
「なのにあなたは、ぼくがまるで、最高の人間であるかのように云う!」
〈真実だよ、キラくん! きみこそスーパーコーディネイター、人類が永きに渡って夢見続けた欲望の結実なのさ!〉
「そんなの、捻くれた大人の理屈だ! あなたたちは自分を卑下して、他人をやっかんでばかりで──!」
顔を上げ、反論を飛ばす。
「悲観主義に溺れてばかりで、他人を恨んだり、妬んだりすることしかやろうとしない!」
〈ハ! なぜ悪い? この救われようのない人生を与えられたわたしには、そうするだけの資格がある!〉
「それしか知らないあなたが!」
〈知らぬさ。所詮ひとは、己の知ることしか知らぬ!〉
「だから! あなたは不幸だと云うんだ──」
キラの放ったビームの一射が、ドラグーンを貫かんとする。
が、ユニットは機敏に身を翻し、その一射を回避した。
「人間の価値は、遺伝子や才能なんかじゃ決められないんだ……! 現にあなたはナチュラルなのに、それだけ〝優れた力〟を持っている……ムウさんと同じだ!」
才能に溢れ、才能に優れた人間こそが、最高の人間?
そんなことはないのだ。人間には、みずからに課せられた運命から脱却する力がある。分相応の人生から逃れようと、あがきもがくだけの力がある。
──『努力』だ。
しかし、それを証明しているのは誰だろうか。他ならぬラウ・ル・クルーゼではないか? ナチュラルでありながらザフトに入隊し、周囲のコーディネイターと何ら遜色のない働きを見せ続け、いつしかトップガンとして実力を認められるようになった。
──彼自身が、その壮絶な人生の中で勝ち取り、体現して見せたこと……!
──つまり彼の人生には、死に物狂いの『努力』があったんじゃないのか……?
たしかに、コーディネイターはナチュラルに比して半分の努力で一人前になってしまうケースが多い。そういう見地に立てば、
「だからあなたは、僕よりも強いでしょう!」
〈なに……!?〉
ラウは、不覚にも一驚してしまった。
──
しかし、キラの指摘は、おそらく事実だった。それを恥ずかしげもなく云えるのが、今のキラであった。
「たしかに僕も、戦いの中に
キラの戦闘技術が圧倒的に高まっていたのは、フレイ・アルスターと歪な恋仲になったときだ。
その才能を利用しようとした彼女に唆され、愛撫されることで、キラは『戦士』として覚醒していった。あの頃の〝ストライク〟は『
それは生まれながらの天才……いや、生まれる前から天才としての人生を確約された、スーパーコーディネイターだから紡ぐことの出来た常勝の伝説。数多のザフト兵、同胞であるはずのコーディネイター達にまで畏怖された不敗神話。
〈そうさ! 戦闘の鬼才、至高の天才であり続けることが、キミの運命なんだよ。キラくん!〉
「いや、違う! 今の僕は、天才である必要がないんだ!」
──だからキラは、天才なんかじゃなくたっていいんだよ。
コロニー〝メンデル〟──みずからの分水嶺で、少女はキラにそう伝えてくれた。自分は無理をして天才ぶる必要はないのだと、彼女はそう教えてくれたのだ。
〈……! 必要ならあるだろう……?〉
ラウは静かに動揺し、僅かに調子の外れた声音で怒鳴り返す。
〈きみが天才でなければ、わたしは倒せぬ! きみは誰ひとり、護れぬ──!〉
叫びながら、ラウはこのとき、キラの言動に明確な違和感に抱いていたという。何故なら、このときのラウは『スーパーコーディネイターと戦っている』という手応えを──それによって本来得られるはずの熱狂と興奮を──殆ど実感できなかったというのだから。
意地になり、必死になり、ラウは再び光背からドラグーンを分離して使役する。解き放たれたビーム砲塔が次の瞬間〝フリーダム〟の片翼を吹き飛ばし、これに対して反撃に出た〝フリーダム〟がビームを撃ち掛けるも、銃火はあっさりと空を切った。ラウの対応速度が、ここに来てキラ・ヤマトの反応速度を越え始めていたのだ。
(鈍いな!?)
だから感覚的な話をすると、このときのラウはキラと戦っていても何も愉しくなかった。互いを殺し合う行為に享楽を求めるのも不健全な話かも知れないが、ラウにとっては重要な意味を持っていた。失敗作として破棄された素体が、人類の夢たらん唯一の成功体に立ち向かうことには、それなりの意義もあったらしい。
──弱者を嬲り、蹂躙したいわけではなく。
──狂乱し、覚醒した最強の個体と正面から滅ぼし合いたいだけ……!
だというのに、嘆かわしくも目の前の個体からはラウがこれまで〝プロヴィデンス〟で一方的に叩き潰してきた凡庸の者達と同じ迫力しか感じられない。
まったくもって役者が足りないし、彼がラウに大して抱えている隔意や敵意は本物だろうが、それは人一人を絶対に滅ぼすという覚悟──殺意と同列であることを意味しない。
機体性能はともかくとして、キラ・ヤマトは以前より明らかに腕が落ちていた。パイロットとして、スーパーコーディネイターとして、今の彼は堕落していた。
(何故だ!?)
それからしばらく、ラウは『スーパーコーディネイターと戦っている』という高揚や興奮を、まるで体感できずにいた。むしろ、ムウの方が善戦していたのではないか? 本気でそう考えるほどに、キラとの戦闘に物足りなさを抱懐し続けた。
勿論、本人の名誉のためにひとつだけ断っておくが、それでもキラ・ヤマトは充分に「強い」と云えるだけの力量を持ち合わせている。ファーストステージのうち〝フリーダム〟は特に凡人の手に余るMS──これを手足のように駆使できる時点で、やはりキラ・ヤマトは天才の名に恥じない少年と云えた。
しかし、そのような事実は、この場でキラとの闘争を愉しみたいと欲望するラウにとっては何の慰めにもならない。現に〝フリーダム〟は〝プロヴィデンス〟に翻弄され、そうでもなければ、MS同士の交戦下に
──キラ・ヤマトの『SEED』は、既に発現している……!
であるなら、自分を圧倒するような、それこそ天才的な操縦を見せてくれなくては
にも関わらず、ラウは〝ユーキディウム〟を鋭角的に放った。それは〝フリーダム〟の右足に直撃してしまった。
〈…………!?〉
──わたしは、勝ってしまうかも知れないな……?
ラウは、動揺した。不思議とそこに、喜びの感情はなかった。
彼にとっては皮肉なことに、これはもしかしなくとも、ムウと戦っているときの方が戦いになっていた。
(起爆剤が、足りなかったか)
ラウとキラはその先も決着をつけないまま、互いに砲火を交わし合っていた。
いまいち享楽を感じ得ない、刹那にも思える長い時間の中で、ラウは不思議と、そのように直感した。無論、それはフラガ家に伝わる直感力ではなく、単純にそう思っただけだ。ぼっそり呟いただけに、キラには聞こえなかったようだが。
──しかし、どういうことだろう?
キラ・ヤマトにとって親愛なる仲間達──〝イージス〟に〝ルージュ〟そして〝アークエンジェル〟──は、既に充分に痛めつけている。これを目撃したキラ自身も、激怒しているはずだ。
にも関わらず、彼はまだ『戦士』として覚醒していないように思える。──連中を痛めつけるだけでは、まだ足りなかったというのか?
(ステラのせいか? やはり彼女を事前に殺しておくべきだった──そういうことか)
そんなとき、気を抜いていたらしい。遠方の〝フリーダム〟の
頭上の通信機からは、なおも逞しい反論の言葉が響いて来る。
〈今のぼくには、力だけが全てじゃないことを認めてくれる人が、大切な人たちがいるんだ……!〉
「ステラ・ザラのことか……!?」
〈それが融和なんです! 人間って、偏見とか、先入観とか、立場や思想の違いから、互いを誤解することから始めてしまうんだ! でも、ナチュラルもコーディネイターも関係ない──そういうのをぜんぶ乗り越えていけば、分かり合うことだって出来るんです!〉
その瞬間、キラの放ったライフルが、シールドを持つ〝プロヴィデンス〟の左腕と、頭部を貫いた。
「叶わぬ夢や希望を未来に託すのは、人間の怠惰がなさしめる宿業だ! いつかは──やがていつかはと、そんな甘い毒に踊らされ、いったいどれほどの時を戦い続けて来た!?」
機体を損傷してなお、ラウは愉悦に満ちた声で叫ぶのをやめない。
〈人間は戦うことしかできないって云いたいんでしょう!? 今はそうだ──でも、違う! 人間はいつか、そんな時代だって終わらせて行ける!〉
勇ましい言葉だが、それが叶うなら時代はとっくに平和になっている。
「それをやれと云っている! 人類の叡智が生み出したものなら、人類くらい救ってみせろ!」
〈ぼくは普通の人間だ! どこもみんなと変わらない──ステラと一緒に、真っ当に生きていく!〉
極めて人間的な発言は、しかし、ラウにとっては到底容認できるものではなかった。
「ひと言で云う、それは色ボケというものだ!」
云ってからラウは、それこそがキラの堕落であることに気が付いた。
「──そんなでは、このわたしを止められはせぬ!」
次の瞬間〝プロヴィデンス〟の放った〝ユーキディウム〟が、残された〝フリーダム〟のライフルを撃ち抜いた。この時点で〝フリーダム〟は、〝プロヴィデンス〟に対抗できうる全ての武装を失った。
(こ、この程度なのか……!?)
ラウは、有効な武装を失った〝フリーダム〟を見遣り、相手のパイロットセンスに慄然とした。
──勝ってしまったのか? わたしは、
自分でも意外なくらい、それはラウにとって、ショックな事実であった。
しかし──
〈──
その瞬間。
通信機から、第三者の声が響き渡った。
ハッとして巡らせた目に、朱色い機影が映る。一機のモビルアーマーが、こちらに向かって猪突して来ていた。
尖鋭な胴体に、上下左右合わせて四基の誘導兵器を携える──
ラウはその見憶えのある……いや、見るだけで懐かしんでしまうような機影を認め、声を荒げた。
〈──〝メビウス・ゼロ〟だと!?〉
ラウは動揺した。まさか、今になって前時代のモビルアーマーが整備され、あろうことか〝それ〟が出撃して来るなどとは、夢にも想定していなかったからである。
──あの
負傷させたはずが、治療を終えて来たというのか? その動揺が、致命的な対応の遅れに繋がったらしい。突進して来る〝ゼロ〟の主武装──単装リニアガンの一射が、次の瞬間〝プロヴィデンス〟の主武装である
〈ムウめッ! しかし──!〉
ラウは丸腰の〝フリーダム〟から、標的を〝ゼロ〟に切り替えた。
──しかし、今さら〝メビウス〟など
〝プロヴィデンス〟の全身にはPS装甲が採用されている。それに対し〝ゼロ〟の武装は、リニアガンを始めガンバレルまで全てが実弾兵器だ。
たしかに〝ユーキディウム〟を破壊できたことはムウにとって僥倖だったかも知れない──が、そのような旧式では、まともに戦うことなど不可能だ。
残されたドラグーンを〝ゼロ〟へ遣わすラウ。しかし、そんな彼の目論見は潰え、そのドラグーンはさらなる遠方から伸びて来たビームによって撃ち落とされた。
「──キラ!」
「と、トール!?」
〝フリーダム〟の通信機に、キラにとって親友の声が木霊する。
それは、ムウと同時に再出撃した〝ストライク〟だ。背部に四基の
〈次々と──! なに!?〉
睨んだ先の〝ゼロ〟が、四基のガンバレルを一斉に解き放った。
一方の〝プロヴィデンス〟は最後のドラグーンを叩き落とされ、全ての武装を失っている。動くものがあるとすれば、残された右腕くらいだろうが、これにしたって何ができると云うわけでもない。
──〝アークエンジェル〟に続き、〝ゼロ〟や〝ストライク〟までもが邪魔をする!
朱色いボディの〝ゼロ〟の母体から──視認できるかどうかも怪しいような──細長く、それでいて頑丈なワイヤーが際限なく伸縮する。有線の先にある筒状の誘導兵器が、文字通り、四方から〝プロヴィデンス〟を付け狙う!
〈ハッ! 扱い慣れたものだな、ムウ! しかし、実体弾ごときに何ができるというのだ……!〉
だからラウは、周辺を飛び交うガンバレルを無視することにした。
──キラ・ヤマトを守るために、こんな……!
マリューやムウ、それにトール達は、必ずしもラウの邪魔をすることが目的ではない。ただ彼らは、キラ・ヤマトを守り、支えようとしているに過ぎない。今は結果としてラウを妨害しているのであって、それもこれも、キラ・ヤマトという少年が頼りなく、戦士として情けないがゆえの連携……!
この体たらく、流石のラウも毒づかずにはいられない。
〈揃いも揃って邪魔をする──! ……なんだッ!?〉
丸腰の〝プロヴィデンス〟が、後退しようとスラスターを噴かせたところ、何か衝撃のようなものが機体を揺らした。
ラウはすぐにその正体を探ったが、一拍置いて、シュルシュルと何かが機体に絡まるような音を知覚し、それと同時に全てを悟る。
〈これは、ガンバレルの
ラウはてっきり、〝メビウス・ゼロ〟がガンバレルを用いて攻撃を仕掛けて来るものだと想定していた。
しかし、ガンバレルには〝プロヴィデンス〟の装甲を突き破るだけの威力がないから、彼はその兵装を脅威だと思えず、真実これを無視していたのだ。
(──それが傲りだクルーゼ! 機体性能に、頼り過ぎた……!)
ムウが操る〝ゼロ〟のガンバレルは、有線誘導式である。この誘導兵器を母機へ繋げているのが、強靭なワイヤーであり、いつの間に〝プロヴィデンス〟の全身に巻き付けられていたものだ。
ムウ・ラ・フラガの、空間認識力の為せる業であろう。
誘導兵器による「攻撃」だけが全てではない、全身に巻き付いたワイヤーは幾重にも絡まり合い、それ自体が強固に結ばれた「拘束具」になって変わった。右腕まで封じ込まれた〝プロヴィデンス〟には、これを引き千切るだけのパワーが残されていない。
次の瞬間、ガグンッ! と急激に引き上げられるような衝撃が〝プロヴィデンス〟を襲う。身体に強烈なGがかかり、ラウは呻いた。
〈ぬおォッ!?〉
拘束された〝プロヴィデンス〟を、〝ゼロ〟がワイヤーごと引っ張り上げる。
どだい、一機のモビルアーマーではモビルスーツを引きずり回すパワーが足りないが、ワイヤーを牽引するのは〝ゼロ〟だけではない──〝ストライク〟もガンバレルを抱え持って〝ゼロ〟に協力しているのだ。
そこに自然な動作で〝フリーダム〟が合流し、三機はそれぞれの
ムウは怪我を押して、通信機まで手を伸ばす。
「マリュー、
〈ムウッ、貴様……!?〉
「ここで終わりだ、クルーゼ! オマエは殺し過ぎた──」
少なからず、ムウの中にも、ナタル・バジルールへの弔いの気持ちはあったのだろう。
ラウが〝ドミニオン〟の陽電子砲を発射させ、
(──ならば、陽電子砲はオマエが喰らえ……!)
みずからの影とも云える男の処刑執行書に、ムウはハッキリとサインを施した。
徐に〝アークエンジェル〟の右舷蹄部の砲門が開き、ラウが利用した〝ドミニオン〟のそれと、まったく形状を同じくする陽電子砲がその砲口を覗かせる。
射線上まで〝プロヴィデンス〟を運び出した〝ストライク〟と〝フリーダム〟は、握るワイヤーのひとつひとつを〝ゼロ〟と連携し
〈ムウ、いいのね……!?〉
「終わらせてやってくれ、マリュー……!」
不完全な自己を産み出した世界を呪うことでしか、生きる希望を見出せなかった哀れな男──。
その壮絶な人生には、どこまでも深い闇が付きまとい、負の感情で塗り固められていた。この男は遂に、自分自身すら愛することが出来ず、自分さえも恨んでしまっていた。なぜならその「自分」という者が、彼を暗黒の中に生み出した最悪の男と、同一の存在であったから。
生れ落ちる前から己を縛り付けていた運命から脱却しようとしても、テロメアという名の絶望がそれを許さず、彼はとうとう、世界を道連れにすることを決めた。
信任、信頼、信用……その言葉をとうに捨て、彼は生まれてから今日──この日に至るまで、たったひとりで戦い、たったひとりで、抗い続けた。
「だからおまえは、勝てなかったんだ──」
陽電子砲の光が、臨界に達する。
ムウが──トールが──マリューが──キラが、ぐっとして息を呑み、砲口から迸る閃光が、一直線に〝プロヴィデンス〟へと押し迫る!
迫り来る白熱光を目の当たりにしながら、ラウは夢想した。
〈これが、わたしの──ッ〉
次の瞬間──黒鉄の〝プロヴィデンス〟が、陽電子砲に呑み込まれた。黒い装甲が溶けて細かい泡に覆われ、機体は忽ちに炎を上げて爆散してゆく。
白い光に包まれる中で、死を確信しながら、ラウ・ル・クルーゼ──世界の破滅を望んでいた男は、奇妙な満足感に包まれて散って行った。
友人、仲間──
それら温かな者達に囲まれたキラ・ヤマトの戦いは、このときに、終わったのだった。
────ステラとニコルが〝ヤキン〟の中を突き進み、如何ほどの時間が経ったろうか? 『外部侵入者』の報せが入り、にわかに慌しくなった要塞内は、よりいっそう混乱した状態に陥っていた。
ステラにとってみれば、武装したザフト兵が遥かに多く押し寄せてくるわけで、多勢に無勢の状況が悪化したわけである。が、時間と共に通路内に充満する噴煙は濃くなって来ていた。視界が悪くなっている、という意味だ。それが、唯一の幸いなことであった。
アスランはなおも、そんなふたりを後方から狙撃し続けていた。ステラ達が追手を振り切って前に進むのを認めると、彼もまた慌ててその後を追う──そんなときだった。
「──! 手榴弾!?」
金属片の筒のような形状をしたものが、アスランの視線の先で炸裂した。
突風が狭い通路内を突き抜け、アスランは反射的にガードをしたが、爆発の余波で後方まで吹き飛ばされる。
噴煙が一帯に立ち込める。アスランは慌てて爆発地点まで身体を戻したが、今の衝撃で、完全に敵を見失ってしまった。
「どこへ……!?」
一方で追撃を撒いたニコル達は、背後への気配りを減らした分、注意を前方に向けて進軍していた。
非常灯の緑がかった光の下、あらゆる
「司令室まではもう少し、この先です!」
そうしてステラの顔を覗き込んだニコルであるが、バイザー越しに見るステラの顔色は青かった。
──無理もない。
彼女は、人より他人の感情に敏感なのだ。生身での銃撃戦を繰り返せば、それだけ相手の〝痛み〟を直に受け取ってしまう体質をしている。ニコルは不安げに訊ねた。
「大丈夫ですか?」
「なんで、アスランと撃ち合ってるんだろうって……」
「……それは」
云いかけて、云い終える前にニコルの口は止まった。ニコルの視界の隅に、キラリと光るモノが入ったからだ。
背を向けるステラは気付いていない。ニコルがぎょっとしてそちらを見ると、そこにはさっき撃ち斃した
その光りは間違いなく、銃口の照り返しだった。
「──!? 危ないッ!」
絶叫と共に、ステラも敵の存在に気付いた。だが遅い──その頃には銃声が二発として高らかに鳴り響き、ニコルは咄嗟に、ステラの身体を突き飛ばした。
発砲音──と、衝撃!
押しのけられたステラの目の前で、ニコルの身体を二発の銃弾が貫いた。
「──ニコル!?」
気を抜いていたらしいステラの表情は、それを認めたきり、小鳥のようであった表情から一転した。山猫のように猛々しい形相となり、そして激情に支配されるまま稲妻のように敵に銃を翳し、撃って来た兵士を射斃す。
「う、ぐっ……!」
「ニコル、ニコル……!?」
周囲を一瞥したあと、ステラは周囲に別の敵の追手がいないことをすぐに確認した。束の間の安全を確かめた後、すぐにニコルの許へ駆け戻る。
──被弾箇所は、右の脇腹。そして……左肩だ。
灼け付くような激痛がニコルを襲い、負傷した彼はその場に倒れ込んでいた。そんな彼をステラは半ば引きずるような形で遮蔽の影に移動させる。ひとまずは、敵の視界をやり過ごせる場所まで移動させたのだ。
──でも、いつまでもじっとなんてしてられない……!
物陰とはいえ、所詮は通路だ。安全な場所ではない以上、同じ所に停頓していてはいずれ敵兵に発見され、包囲される。そもそもアスランだっているのだ──彼の追撃から本気で逃れようと思うなら、ニコルをここではない、もっと安全な場所へ────そこまで考え、ステラは己の浅慮を呪う。
「だめだめだめ、立って! 動かなきゃやられちゃう!」
だから彼女は、みずからの身代わりとなってくれた少年の傷を労わるのではなく、むしろ叱ってでも奮い立たせようとした。そうするしか、他にしている余裕がなかったのだ。
「だ、だめだ……! 僕は……っ、ここまでみたいです……」
ニコルの心は、気力は、このとき既に折れていた。生身に受けた銃撃は、少年の身体を二箇所として食い破るだけでなく、精神までをも撃ち砕いたらしい。
──でも兵士なら、それなりの修練を受けたはずじゃ……!
ステラはそう訴えんばかりの泣き顔を浮かべる。しかし、この場にあっては見当違いな信頼だった。むしろ彼は、兵士として状況判断が早かったとも云えるのだから。
被弾箇所を思えば、それは決して致命傷ではない。早急に手当てが必要なことには変わりないが、しかし、そんなことをしている余裕はない。だからこそ、ニコルは次のように言い切った。
「
「──!」
簡潔的に述べられたその言葉が、何を意味しているのか、ステラもまたよく知っていた。
「でも、貴方は……!」
「いっ、いやだ……!」
「貴方は! まだ……終わってない……!」
目指して来た司令部は、既に目と鼻の先にあった。血を流し、血の気の失せた青色の顔で、それでもニコルはステラを見上げ、懸命にして云いつける。
「僕に構わず、貴方は先を急ぐんだ……! 司令室は──
見上げた先のステラは、大きな眸に目に大粒の涙を溜めていた。
心外そうに、顔をふるふると横に振るばかりだ。
「でも──でも……っ!」
「いいから行くんだ! それが、貴方の任務でしょう!?」
柄にもなくニコルが怒鳴ったのは、そうする必要があると判断したからだろう。
──この戦争を、やめさせるんだ……!
束の間の沈黙が流れる。
ニコルが口内に叫んだ祈りが、通じるかのように、やがてステラが、意を決したように立ち上がった。バイザー越しには、彼女は涙を拭うことも出来ないだろうが、ステラはまたも、顔を横に振った。
しかし、それは拒絶を意味するものではない──目に貯まった水滴を振り払い、決意を固めるための宣誓だ。
彼女は負傷し、遮蔽物に倒れかけたニコルを見下ろし、云う。
「──後でかならず、助けに来る!」
掛けられたのは、力強い言葉。
ニコルは全身から響いて来る痛みを押して、微かに笑った。
「ステラ、まだニコルのピアノ、聴いてないから……!」
云うと、彼女はその場にニコルを置いて、司令部まで駆け抜けて行った。
──桃色のパイロット・スーツが、遠ざかっていく……。
たくましいお嬢さんだと思って、フッとニコルは気弱に笑った。ただひとり敵陣の真ん中に、その孤立した身を置きながら──。
それから暫くして、ニコルの朦朧とした視界に、赤いパイロットスーツの人物が映った。銃撃戦の影響で、既に廊下の電灯は落ちているが、うっすらと差し込む光に照らされただけでも、その姿はニコルの目にははっきりと映っていた。そいつは向こうの廊下から駆け寄るように、みるみる大きくなってゆく。
やがて、ニコルの目の前で立ち止まった。
──アスランだ。
顔を上げると、やはりそこには黒い髪──端正な顔立ち──見慣れた同僚の、中性的な顔立ちがあった。
「撃たれたのか」
ニコルが負傷した箇所を、発見したのだろう──
「──死ぬのか」
アスランの無機質な声が、頭上から降りかかる。
「どうでしょう……。でも、ここで倒れても、悔いはないですね……」
「同情はしないな。当然の報いだと思うべきだ、ニコル──」
久しく……いや懐かしく思えるほどの、アスランと会話を交わした瞬間だった。
──あなたは、変わらないな……。
ニコルは咄嗟に、そんなことを思った。すると、ガチャリ、とヘルメットに音がして、アスランが拳銃をこちらに向けているのを認めた。
「死ぬ前に答えるんだ、なぜこんな真似をした? 元はザフトとして戦っていたきみが、なぜ今は、おれ達の邪魔をする──!?」
ニコルは、顔を上げて答えた。
額に銃口を突きつけられていながら、その表情には、怯えがない。
「アスランは知っているんですか。あなたの名前──『アスラン』という名に込められた、言葉の意味を」
「なに……?」
「あなたに次いで生を受けたステラさん──彼女の名にも意味があって、願いを込められて名付けられたということを」
アスランは、ニコルが何を云っているのかが理解できなかった。
──名前?
そんなこと、考えたこともない。自分はザフトのアスラン・ザラであり、それ以上でもそれ以下でもないのだ……いや、待てよ。
「両親がくれた名だ、恩義でもある。しかし、その父上に逆らっているステラに、大義があるとは思えないが」
ザラの名を継ぐパトリックの息子と娘──
であるなら、自分や彼女が、父のために戦うのは当然のことではないか?
ニコルは、弱々しく云った。
「あの
「この世界を席巻できるのは、父上だけだ! おれたちのようなコーディネイターが主導する世界──それだけの〝力〟も、現に持っていらっしゃる……!」
創世の〝ジェネシス〟はまさに、その理想を実現させる結実だ。
「それを間違っていると云うのか、きみは……!?」
「武力で脅して、ナチュラルを黙らせることが正義ですか。彼等だって、同じ人間でしょうに……!」
「なにッ……」
「あなたは〝太陽〟なんだ! 分け隔てなく世界を照らす、光のはずなんだ!」
「ニコル、いったい何を云ってるんだ……!?」
前に太平洋上で、輸送機が墜落したとき──ステラは云っていた。
──〝暁〟はね……『アスラン』って意味を持ってるんだって。
混沌とした闇の世界に、大いなる光が昇る。夜を照らす太陽は、世界を導く光。
そんな祈りを込めて、パトリック・ザラはアスランに夜明けの名を与えたのだと。
「あなたがやるべきことは、ナチュラルを虐げることじゃないはずです。盲目的になっているのは、あなたの方だ!」
しかし、では、どうしろと云うのだ? ニコルの言葉を受け、アスランは懐疑する。
──ナチュラルなんて、妹を苦しめ、母を殺した蛮族ではないか……。
むしろ、それを『人間』と呼ぶ方がどうにかしている。連中は知性的にも劣悪で、聡明なコーディネイターと比較するまでもない野蛮人ではないか……!
ニコルは、その認識が間違っていると指摘する。
「しかし、おれの知っているナチュラルに、まともなヤツなどひとりもいない!」
「あなたにナチュラルの
「うッ……!?」
「よく知りもしないまま、ただ一方的に相手を傷つける──それはあなたから大切なお母様を取り上げた連中と、
アスランの表情に、またも苦渋の色が浮かんだ。
その一言が、決定打だったらしい。アスランはそれきり、反論できる言葉を失ってしまった。
その様子を受けて、かつてのアスランの姿見出したのか、ニコルはおもむろに言葉を続けた。
「あの
「ニコル……ッ!」
「仕方のないことだってぜんぶ諦めて、彼女が『守ろう』としているもの、すべて取り上げるんですか!」
たじろぐアスランからは、どこか、ひどく頼りない印象を受ける。
そう、その姿はニコルもよく知っている。常にどこか沈鬱な表情を湛え、不誠実を許すことのできない不器用な部分──初めて士官学校で彼と出会ったときのそれと、まったく同じだったからだ。
「お……おれはっ……!」
──間違いなく、このときのアスランは迷っていた。
しかし、それも束の間、遠くからダンダンと云う忙しない足音が響き出す。
「!?」
廊下の向こう側から、武装したザフト兵が跋渉して来ていた。
緑服の警備兵だ。彼らは赤服を着たアスランの存在に気付き、徐にこちらまで駆け寄って来る。
「アスラン・ザラ、何故ここに!?」という第一声にに対し、アスランは答えた。
「……。
そう云って、ニコルを指差したアスラン。彼がそれまで握っていたはずの拳銃は、既にホルスターの中に隠されていた。
──えっ……!?
ニコルは、ただ唖然とした。だが緑服の兵士達は、アスランの指示を受けると、すぐに救急キットから医療品を取り出し、ニコルの前に膝を折って座り込んだ。
いまいち事態が呑み込めないニコルであったが、一拍遅れて、すべてに納得する。
なるほど、元からザフトの赤いパイロット・スーツを着用しているニコルは、傍から見れば、同じ赤服であるアスランの
それはニコルはまったく意識していなかった点である。にも関わらず、アスランは気付いていたらしい。こういう抜け目のないところが、最近の彼らしいところである。
しかし、それにしたって、
──助けて、くれるなんて……。
呆然とするニコルを尻目に、彼は云う。
「手当てを頼む。おれは、引き続き侵入者を追う……」
その声は、聴くからに元気がなかった。
もっとも、緑服の兵士は、疑うことなく「おうよ」とだけ答えたが。念を押すようにして、ニコルが問う。
「アスラン、どうするつもりで……!」
「……理解はできても、納得できないこともある。──おれにだって」
冷たく踵を返し、続ける。
「でも、確かに。話してみなきゃ、分からないこともある──」
ステラが向かった先は、要塞の司令室──パトリック・ザラの控える場所だ。
父と娘が対話するつもりであるのなら、兄がそこに同席することもまた、ひとつの義務ではなかろうか? そんな使命感に突き動かされ、アスランはその場を後にした。
負傷したニコルは、なおも緑服のザフト兵達に治療されている。
(あのアスラン、昔みたいな表情をしてた……)
──今の彼なら、きっと『大丈夫』だ。
ニコルは不思議と、そう思った。
「けどよ、なんかおかしいな?」
ニコルの怪我を手当てしながら、ザフト兵のひとりが、呑気な口調でそう云った。
相方のもうひとりが、怪訝そうに尋ねる。
「なにがだよ?」
「ほら、報告じゃあ『侵入者は
ニコルはその悠長な会話を聞いて、ビクリと身体を強張らせた。ザフト兵達は、手よりもむしろ口の方がよく動かしていたのだが、どちらかと云えば、早く手を動かして欲しいと切に願うニコルである。
──もし、ここでバレたら……?
そう思うと、逃げ出す必要だってあるのだ。
そんな恐怖がニコルの身体を硬直させるが、相方のザフト兵の方は、軽薄そうに返した。
「なに云ってんだよ、その通りじゃねーか」
「そうなのか?」
なにか、変じゃないか?
という男の懐疑に、ニコルは心拍数を加速させるばかりだ。しかし、相方は事務的に、淡々と返答した。
「侵入者は薄紅色のパイロット・スーツを着ている。地球連合製のヤツだ!」
ステラのことだろうと、ニコルは推理する。
だが男は、彼が予期もしなかったことを、あっけらかんとして続けた。
「──
その瞬間、時が止まった。ニコルが凝然として、その言葉に凍り付く。
──えっ……ふたり!?
反射的──ほとんど反射的に、彼は声を荒げていた。
「待ってください!? その話──」
要塞の内部に侵入したのは、自分と、そしてステラの二人だ──間違いない!
しかし、彼らの話している『侵入者』の片割れは、明らかに自分のことを形容していない。ザフトのパイロット・スーツを着用した侵入者について、彼らはまるで言及していないのだ。
──ボクは、数えられていない……?
──ならいったい、彼らは誰の話をしているんだ……!?
指揮系統が麻痺し、基地内での情報共有が遅れている証拠だ。思わず、ニコルはガバッと身を乗り出した。
そんな彼に真っ直ぐに飛んで来たのは、「おいこら、怪我人が動くな!」という、温かな叱責の一言だった。