──ヒトは何を手にいれたのだ! その手に! その〝夢〟の果てに──!?
己を戒めるために身に付けたであろう仮面──
これによって己を隠し、己を殺して生きることを選んだ男。
彼の言葉が、脳裏から焼き付いて離れない。
──全てにおいて完璧ならば、人はおのずと幸福になれるのか?
──キラ・ヤマトくん、きみには答える義務がある!
義務? いったい、何の?
──僕が、最高のコーディネイターだから……?
だから僕は、生まれた時から無条件に幸福だったとでも云うのか?
──誰もがきみのようになりたいと願い、求めたのだよ……!
人が求めた〝夢〟の果て。
数多の犠牲の上に生まれ出た、唯一無二の成功体。
それが、キラ・ヤマトという名の自分。
──だけど僕は、本当に幸せだったのだろうか?
仮り初めの平和の中、居住先である〝ヘリオポリス〟が崩壊したことは、確かに不幸と云わざるを得ない。だがそれはあくまで切欠に過ぎず、モビルスーツに乗ったときから、自分の運命は変わってしまった気がしていた。
戦場に身を置くことで、はじめて発掘された才覚──
戦場においてこそ……いや、戦場においてのみ真価を発揮する異能──
無論、それだけの素養があったからこそ、これまで自分自身や友人達を護り抜くことが出来た。だが現実は、いつだって〝力〟が伴う苦悩に苛まれていたのだ。その圧倒的な能力のために疎まれ、利用され、傷つけられてきたように。
キラ・ヤマトの繊細な心に、あまりに釣り合わない凶暴な力──
本当は戦いたくない。しかし戦うことでしか友達を、そして自分すら守れない現実が彼を困窮させてゆく。
強いられたまま戦い続け、勝利することを繰り返す内に、彼は不思議と
──戦ってくれるだろ? 大丈夫、やれるさ、キラなら……
──私達を守ってね。だってあなた、コーディネイターじゃない……
戦うことでしか
──僕は、何のために此処にいる……?
そうして崩れかけた心を繋ぎ止めるために、少年の少年的な生理はひとりの少女に慰めを求め、それはまた別の──結果的にややこしい──問題へと発展していった。
(
本当はもっと純粋に、ひとりの人間として周りに扱われたかった。
もっと違う自分──力だけが全てではない自分があると信じたくて、それを認めてくれる誰かを、心の底から探していたのだ。自分の弱さや、もっと人間らしい所を見つけてくれる誰かを。
──より多くの人を殺せる才能なんて、最悪だ!
開き直って鬼のような人間に変わってしまうことが厭で、今までは可能な限り敵機の戦闘力だけを奪うよう留意した。
けれど、だからと云って対峙して来た人すべてを生かして来たわけではない。そういう意味では、自分の力が他者から憎しみを買っていることに変わりはないのだ。
持てる力が強大すぎるがゆえに、恨みも辛みも、憧れも嫉みも一身に浴びてゆく中では、彼──ラウ・ル・クルーゼが云ったことは、決して間違いではないのかも知れない。
──真実を知り、常軌を逸したその
何が、最高のコーディネイター?
何が、人類の素晴らしき結果?
──そんなもの、僕は欲しくなかった。
「後方のナスカ級、進攻を開始しました! 〝メンデル〟に向け、進軍を開始しています!」
恐れていた事態がサイの口から告げられる。
バルトフェルドが状況を判じて続ける。
〈ザフトの目標はあくまで本艦だろう。〝
現状、三隻同盟が整える布陣──つまりはMS部隊において、〝フリーダム〟と〝クレイドル〟の二機は希望である。この際だからハッキリ云うが、この二機がいなければ──
だからこそ、その二機を今後も万全状態で送り出すために、これ以降は絶対的に〝エターナル〟が不可欠になるのである。
こうした運用上の弱点をザフトは理解していて当然で、だからこそ彼らは〝エターナル〟を最優先で墜としに掛かるだろう。一騎当千の怪物、馬鹿正直に〝フリーダム〟と〝クレイドル〟との決闘を執り行う必要はない。その母艦さえ沈めてしまえば、二機の整備と補給はすぐにでも立ち行かなくなるのだから。
「モビルスーツ来ます! 熱紋照合、〝ジン〟十二、〝デュエル〟、〝バスター〟! マーク十八デルタ!」
〈クルーゼ隊か……!〉
已むを得まい、とバルトフェルドは号を飛ばす。
〈〝エターナル〟と〝クサナギ〟で迎撃に出る! 〝アークエンジェル〟は〝ドミニオン〟を!〉
「わかりました!」
既に〝ブリッツ〟と〝ストライク〟は出撃し、港の後方で迎撃態勢に入っていた。一方〝クサナギ〟からもM1部隊が防衛線を展開しているようだが、しかし、今回ばかりは状況が悪い。
(アマルフィはともかく、ルーキー達にコーディネイターの相手が務まるとは思えんが……!)
今回のステージにおいて、敵は地球連合だけではない。バルトフェルドは実感しているが、ザフト、つまりコーディネイターの部隊というのは言葉以上に脅威的な集団だ。
ナチュラルから見れば、それは誰もが頭抜けた能力を持った兵士であって、これまでにオーブが経験したであろう戦いとは──
「──けッ、ごちゃごちゃだぜ」
クロトは他人事のように吐き捨てるが、確かに戦況は混乱していた。
コロニー〝メンデル〟を係留地に定める三隻同盟を挟み込むように、地球軍の〝ドミニオン〟とザフトのナスカ級三隻が進軍を開始している。入り乱れる、と云えば正確ではないが、少なくとも三陣営が同じ宙域に介在していることは事実だ。
現在、クロトはザフトと戦う意味はなく──だからこそ、彼は馴染みの二機を相手にしていた。どういうわけかオルガが〝フリーダム〟の方へ突っ込んで行ったため、クロトとシャニは残された〝クレイドル〟を相手にしている状態だ。
──後衛の〝カラミティ〟が、前に突っ込むな、バーカ!
同僚を胸中で罵りながら、しかし、クロトはオルガの援護には向かわなかった。それもこれも〝レムレース〟がその役割を買って出たためであり、そうしたフレイの申し出に対して、オルガはこうも云っていた。
『〝フリーダム〟はオレの獲物だ。フレイ、オマエは手ェ出すんじゃねえ!』
──オルガは果たして、いつからあの女を名前で呼ぶようになったのだろう?
そのときばかりはクロトも疑問に思ったが、秒でどーでもよくなったため、改めて〝クレイドル〟の方に武装を構え直す。子供っぽく無邪気に嗤いながら、シャニに向けて楽しげに云った。
「〝アレ〟やるよ? 白いの」
「あーはん?」
「どっちが先に仕留めるか、ゲームでもしようぜ!」
「オレがやっちゃうけど、いいの?」
一匹の白兎を前に、舌なめずりをする猛獣の如く、クロトとシャニは余裕の笑みを浮かべ合いながら〝クレイドル〟を挟撃してかかった。
「ゲームと来れば、ボクは負けないヨ!」
「じゃあ競争だねー」
落とした『ホシ』を競う。彼らはまるでテレビゲームの感覚で、それより戦闘行為を開始した。
飛び来たる二機の機影を認め、ステラはくっと歯噛みする。あの〝G〟に搭乗しているパイロット達は、おそらくステラにとって先達に当たる生体CPUなのだろう。エクステンデッドが完成するより前に、実戦投入されていた者達──
──それが、どんな調整が施された生体なのかは知らない。
しかし、こと戦闘力において、彼らのそれはエクステンデッドを凌駕しているように思えた。いや、所詮は強さ比べなど無意味であり、いま重要なのは、ステラが〝レイダー〟と〝フォビドゥン〟を前に追いやられているという事実であり、現実だった。
(──追い込まれる!)
それは、自分を表しただけではない。すぐにでも後退しないと、M1部隊が後方の〝ジン〟に撃滅される怖れだってある。
だが現状、彼女に現場を振り切るだけの力はなく、彼女はそれを、ひたすら歯がゆく思った。
「バルトフェルド艦長」
しばらく黙って戦闘の様子を見守っていたラクスが口を開き、バルトフェルドが振り返った。
「〝クサナギ〟と共に、すべての火線を〝ヴェサリウス〟に集中してください。あの艦を突破し、現宙域を離脱しましょう」
一瞬、怪訝そうな表情を浮かべたバルトフェルドであるが、よくよく考えてみれば、喰えぬ作戦ではない。
勿論、方角としては単艦である〝ドミニオン〟の方へ突破した方が容易いだろう。だが、そうすれば後方のザフト艦からの追撃は免れず、結局は〝ドミニオン〟を突破した先で、ザフトによる延長戦に持ち込まれる可能性が高い。
だからこそ、仮にナスカ級方面へ突っ切ることができれば、いくら〝ドミニオン〟とてナスカ級を踏み越えて追撃に出ようなどとは思わないだろう。
「今は状況回避が先です。このまま総力戦に持ち込まれれば、我々に活路はありません」
──何より、無用な戦闘行為は私達の本意ではありません。
毅然としてラクスが云い、バルトフェルドは承諾したように不敵に笑った。
「了解。──その作戦、いただきましょう」
獣の如き咆哮を挙げながら、オルガ・サブナックは〝フリーダム〟へ砲火を撃ち放つ。〝フリーダム〟はぎりぎりの所で全ての火線を捌いてみせが、そこへ〝レムレース〟が援護のビームを一射した。結局はシールドで防がれたようだが、オルガは咄嗟に熱り立ち、そんな僚機に向けて声を放った。
「手ェ出すなって云っただろ!?」
これは、男の喧嘩だ。
これはオルガなりの、己の生きる意味を見出すための決闘なのだ。
──これまでオレは、ずっと諦めていた……!
壊して、殺して、その結果、自分がどうなろうとも構わない──今まではただ、漠然とそんなことを考えながら生きていた。どのみち本当に戦争が終わってしまえば自分達は破棄されるのだ。だったら、生きている間くらいは、精いっぱいに愉しんでいたいじゃないか。
──どれだけ
攻防の中で相手を制圧し、徹底的に破壊してやる優越感。命を賭した駆け引きにおいて勝利する瞬間は、他では得られない快感と興奮を自分に与えてくれた。
けれど、そのような攻防の過程において、仮に自分が打ち負けて殺されようとも、それはそれで後悔はない気もしていた。──だって仕方がないだろう? 他にやりたいことも、行きたい場所もないのだから。
──それは、ある種の自殺願望じゃないのか?
バジルールって女艦長の言葉が、ふいに脳裏に蘇る。
──ああ、そうとも……。
苦痛も恐怖も、もう嫌だ。いつからか、全てを終わりにしたいと思うようになっていた。この窮屈な現実世界から、逃れたいと思うようになっていた。
──死っつう境地に、救いを求めてたんだ……!
現実の一切に絶望していた青年の心理は、空想によって描かれる世界への熱望となって、彼の中で読書の趣味へ結びついていた。オルガが小説を通して幻想世界に焦がれていたのは、その分だけ、自分を救ってはくれない現実世界に幻滅していたからだろう。
──そんなときに、ようやく欲しいものができた!
だからもう、本も、死も必要ない。この〝フリーダム〟をぶっ潰せば、アイツは、オレのことを見てくれるようになるだろうか……?
思考と共に、オルガは〝カラミティ〟を急速前進させ、左腕の
「! キラ──ッ!?」
その様子を遠巻きに目撃していたステラが、悲鳴にも近い声を挙げる。すぐさま〝クレイドル〟を転進させ救援に向かおうとするも、これに覆いかぶさるようにして〝レイダー〟の
ステラは慌ててシールドを掲げ、鉄球を弾き返す──が、間髪置かず〝フォビドゥン〟の
(どうしたの……!? なんでっ──!)
遠目に見る〝フリーダム〟は、しかし、明らかに本来の機体性能を発揮し切れていなかった。それどころか、注意散漫といった様子で戦闘を続けており、そのそそっかしさ、危なっかしさというのは、明確にステラが心配になるほどであった。
──しっかりして!
縋るような思いで、ステラはキラに呼びかけようとした──が、そうして接続させたモニターの向こう側、映り込んだキラの顔を見、ステラは絶句していた。
青白く、血の気を喪った顔。誰のものであるのか、べっとりとして血液が付着しているヘルメット。その
(コロニーの中で、なにが……っ)
それでも、自分のために戦い続けるだけの覇気だけは辛うじて残っていてくれたらしい。そこでようやく〝フリーダム〟はビームサーベルを抜き放ち、敵対する〝カラミティ〟が不得手とするであろう格闘戦を仕掛けに向かう。
焦りが一瞬、オルガを支配する。
その瞬間に加速した〝フリーダム〟の光刃が突き上げ、オルガは一瞬のうちに右腕にグリップしていたバズーカ砲と、両肩から張り出した長射程ビーム砲を削ぎ取られていた。
〈オルガ!?〉
「ちィッ!」
武装だけを奪おうなんて、どうかしているとオルガは思う。
こっちは死にもの狂いで戦いを挑み、望んでいるのだ。それなのに──!
「逃げんじゃねぇよ──ッ」
──戦い……いや、男同士の
彼にとっては顔も知らない『キラ』に対し、オルガは激昂して叫ぶ。
──
「──この軟弱者がァッ!」
武装を削り落とし、すぐさま後退しようとする〝フリーダム〟を、彼は逃さなかった。敵機が離脱するより前に、上方へ飛び立とうとするその右脚を掴み止めたのである。
──引きずり落としてやる!
力任せ。ほとんど力任せに腕を引き、〝フリーダム〟を思惟通りに引きずり落ろす。『キラ』とやらも、この行動には虚を突かれたのだろう──退こうと思って出来ず、一瞬完全に無防備になった。オルガはすかさず
──馬鹿な! この距離で、何考えて!?
キラは驚愕する。まさか、接近戦の手段に乏しい〝カラミティ〟で、自分のことを至近距離に引き留めてくるなど予期しなかったのだ。それだけに留まらず、敵はあろうことか〝スキュラ〟を臨界させ、零距離で砲を撃ち放とうとしている。
勿論、正気の沙汰ではない。下手をすれば、自分すら吹っ飛ぶぞ──!
「じょ、冗談じゃない!」
キラは敵パイロットの蛮勇に慄然とするしかない。慌ててビームシールドを展開、それと同時に撃ち放たれた高エネルギー収束砲を、殆ど零距離で受け止めた。
しかし、流石に距離が近すぎる。砲圧を消し切れず、エネルギー放射はシールド表面で拡散しながら、〝フリーダム〟の右足や各部、それを掴み取る〝カラミティ〟の左腕を融解させてゆく。
このままじゃ押し切られる──! そう判じたキラは、咄嗟にシールドを引くのではなく、敵機の胸部へ叩き付けていた。
刹那、胸部砲口が爆発し、一拍置いて凄まじい閃光が迸る。二機の機体は爆圧と衝撃に弾き飛ばされ、〝カラミティ〟は〝スキュラ〟を破損、〝フリーダム〟は握っていたシールドを吹き飛ばされた。
しかし、オルガはなおも噛みつくような追撃を敢行した。残された唯一の武装、〝ケーファーツヴァイ〟を乱射して、執拗なまでにキラへ迫ったのである。
「も、もう嫌だ! 下がれよ!」
それはキラの、あまりにも哀しい叫びだ。当然のように、その言葉は届かない。
──なんで、そこまでして挑んで来る!?
勝負の結果は、もう出たも同然なのに──と、そこまで考えたとき、ずきりと胸が痛む。僕はやっぱり、この戦いにも勝ってしまった──いや、勝ててしまった、というべきか? おそらくは、ラウが云っていた『最高のコーディネイター』とやらの、その天才的な能力のために……。
──もう、やめてくれ!
相手が退かないのなら、退くしかない状況を作り出す。
そうした望みに賭け、キラは意を決し〝カラミティ〟へ突撃した。すれ違いざま〝カラミティ〟の
しかし、決して──そのとき〝カラミティ〟は退こうとはしなかった。
いきなりのこと。全武装を失った〝カラミティ〟は、しかし、突如として〝フリーダム〟の右腕に掴みかかった。ビームサーベルをグリップしている〝フリーダム〟の右の手首を、強引に折り下したのだ。柄を握る掌があらぬ方角を向き、刀身状に固定された光の刃が、そのとき危うく〝フリーダム〟のコクピッドを掠める。
「こいつ──っ!?」
まさかとは思うが、自決させようというのか。
抗い、もがき、見苦しくもジタバタと暴れ回ったキラは、咄嗟に〝カラミティ〟を蹴り飛ばしたが、それでも敵機は手を離そうとはしなかった。
「オルガ……ッ!」
それは彼に残された、実に最後の手段である。
仮にもビームサーベルを〝フリーダム〟から奪ったところで、規格が合わなければそれが通電することはあり得ない。だからこそ、彼はそれを奪おうとはせず、あえて〝フリーダム〟に握らせたままでいることを強いるのだ。
息を呑むフレイの目の前で、二機のモビルスーツはそれぞれに暴れ出す。
もはや二機は武装を無視した取っ組み合いになり、あまりにも鬼気迫る〝カラミティ〟の暴走に、このときのキラは完全に気圧されていた。繊細な心が、執拗にして獰猛なる野心に圧倒されようとしていた。
「うッ、うわァ──!?」
悲鳴を上げたのと、キラの心が折れたのは、ほとんど同時だった。
その瞬間、出力で勝っているはずの〝フリーダム〟が力負けを引き起こし、〝カラミティ〟に折り下ったサーベルが、そのままキラのいるコクピッド目掛けて振り抜かれる! そのとき──
────キラの中で、何かが弾けた。
兵器として研ぎ澄まされたキラの反射神経は、しかし、己の刃が己に降りかかることを決して許さなかった。
刹那のこと、それまで意識が持て余していた〝フリーダム〟の左腕が、腰部にマウントされていた〝
切断された〝フリーダム〟の右腕は同時に電炉線が遮断され、瞬時にビームの発心が止まる。これにより〝カラミティ〟が繰り出した斬撃は空を切り、パイロットは断ち切られた〝フリーダム〟の右腕と、その掌に握られた
その一瞬が、最大の命取りである。立ち尽くす〝カラミティ〟の急所──コクピッドを過たず、キラは左手の光刃で斬り抜いた。それは窮地に追い詰められた鼠が、本能的に発揮する動きや力と、よく似ていた。
紅蓮の炎が溢れ出して、青碧色の〝カラミティ〟を包み込む。
前面からとてつもない熱が襲い掛かり、自分自身の肉体が、迫り来る気体と同化して行った。
──あ……?
何かを思惟することもなく、オルガは熱の中で、身体が溶けてゆく感覚に陥る。
ミンチより酷く、粉々になるような感覚だ──
──オレ、死ぬのか?
やっと、欲しいものを見つけたのに。
まだ、これからだと思ったのに。
──これが、オレの『
顔も知らない『キラ』──キラ・ヤマト。
あいつは、俺よりも凄い『性能』を持っていた?
だから俺は、負けたのか。
──だから俺は、ここで死ぬのか。
悔しさ。
哀しさ。
しかし不思議と、オルガの中では、それ以上に安らぎが溢れた。
──やっと、逝ける……?
それは、本人が決して口に出したことのない切望。
──やっと、苦痛から解放されるのか。
戦うことを強いられ続ける、人生という名の不幸から。
──もしも来世ってものがあるんなら、魔法の国に……。
行ってみたいと、そう思う。
願わくば。そう、願わくば小説の中に夢見た穏やかな世界へ。
戦争だらけの
そうすれば、オレはもっと、マシな人間に生まれ変われるんじゃないか──?
──あなたも、わたしを置いていくの。
最後の最後に、女の声が聞こえた気がした。
答えようとしたが、意識が熱の中に消え、何も考えられなくなっていった。
「──オルガぁぁァっ!?」
僚機であった〝カラミティ〟が爆散し、クロトが狂おしく声を挙げた。
別段、彼の死に情を寄せたわけじゃない。ただ、彼にとっては自分達三人がやられるなんて未来を、想像にもしていなかっただけ。
「うわー、綺麗なひかりぃ」
シャニに至っては、何が起きたかすら正確に理解していない様子であり、フレイもまた、一見すると花火のようにさえ見えてしまう爆発を前に、言葉を噤んでいた。
──不思議と、悲しくはなかった。
──寂しくも、なかった。
むしろフレイも、クロトと同じように何も感じていない、と云って良かった。ああして、自分の目の前で散っていった男に向けて、絞り出せた言葉と云えば、精々、
(馬鹿な男……)
呆れにも似た、哀れみの一言でしかなかったのだから。
──戦うことしか、できないくせに。
最後の最後に、戦うことをアイツは望んだ……。
「ほんっと、馬鹿みたい」
フレイはそっと瞼を閉じる。視界が暗がりに包まれたその瞬間──体の中で何かが目まぐるしく昇華されていく感覚に陥る。頭の先からあらゆる神経が刺激され、しかし、それは薬物による弊害などではない──神経のひとつひとつが過敏になった感覚は、苦痛を伴う薬物のそれとは明らかに違う反応のように思える。
すっと眸を開いたとき、見える景色が違って見えた気がした。彼女はいつもより凄惨な目つきで、決闘における勝者となった〝フリーダム〟を睨む。
──彼らの戦いに、水を差そうと思えば不可能ではなかった。
勝ち残った男を選ぼうなんて、傲慢な考えを持っていたわけでもない。それでも、フレイが二人の殺し合いに割って入ろうとしなかったのは、やはり彼女自身が、心のどこかでキラとオルガの決着を望んでいたからなのだろう。
勿論、立場から云えばオルガに勝って欲しかったわけであるが、結果的に彼は敗北した。死に急ぎが本当に死んでしまったという解釈も間違いではないのだが、それでもフレイは、彼には勝って欲しかったのだ。
──涙すら出ないのは、どうしてだろう……?
通信先のキラは、フレイとは対照的に瞳の色を取り戻していた。憑いていた悪霊でも祓われた事後のように、その顔は繊細なキラらしい顔つきに戻り、そして、その繊細さゆえの昏い恐怖で塗られていた。
「殺したかった、わけじゃない……っ」
その独白は今さらなものであり、何を云ったところで最早言い訳にしかならないのだろう。ただそれでも、このときのキラには、彼を殺したという自覚が本当になかった。気付いたときには〝フリーダム〟の振るったサーベルが〝カラミティ〟の急所を捉えていた。何時の間にか〝カラミティ〟が視界の中から消えていた──その程度にしか、キラは事態を正しく認識しかできていなかった。
「あなたがいけないのよ」
悠然として、フレイはキラにビームライフルの銃口を向けた。……何故だろう? そのとき不思議と、撃てば〝フリーダム〟がどこに逃げるのか、彼の呼吸が見えるような気がした。
──穏やかなキラ。
──優しいキラ。
戦うことを厭い、戦えてしまう自分を嫌悪しているキラ。
だからこそ今、苦しんでいるキラ……。
「全部あなたが、そんな〝力〟を持っているから……! 持って、しまっているから」
──だから、あなたは戦わなければならなかった。
戦うことを厭いながら、周りに利用されなければならなかった。
──だからあなたは、あの男と殺し合わなければならなかった!
「だから私も、あなたを利用してしまった──」
今なら分かる。
──とても素直に、あなたが見える。
今なら、理解してあげられる──
「本当のあなたはそんなにも優しいのに、そのことに気付かないまま、傷つけて、戦わせて!」
フレイ・アルスターにとって、キラ・ヤマトはナチュラルもコーディネイターも関係なく、ひとりの人間として好意が抱ける人間のはずだった。
しかし、それをするには、彼が持つ強大な力が、あまりにも邪魔をしていた。
〈僕だって、欲しくなかったんだ……! こんな、こんな力……!〉
「あなたがそんな風だから、あなたには敵ばかり増えるのだってこと、わかってよ!」
そしてあなたは今、オルガを殺した。
──だから、私はあなたを許さない。
だからこそ私は、今からこうして、あなたの敵になる!
「もっと、違う形で出会えていれば良かった! あなたとは、もっと違う形で知り合いたかった!」
トリガーに引いた指に、力が籠る。
「──そうすれば、わたしはあなたを」
好きに、なれたかも知れないのに。
最後の呟きは言葉にならず、次の瞬間には〝レムレース〟からレーザーライフルが乱射されていた。放たれた赤色の光条が〝フリーダム〟を捉えんと襲い掛かる。既にシールドを失ったキラにこの砲火を防御する手段はなく、彼はこのとき、回避運動を取ることすらできなかった。
だからこそ──ステラの中で、何かが弾けた。
目は据わり、表情という表情を失った瞬間のステラは、咄嗟に二挺のビームシールドを全霊で
キラの鼻先に舞い降りた〝盾〟は、次の瞬間にキラを飲み込むはずだったビームを正確に跳ね返す。それと同時に、もう一挺のシールドが〝レムレース〟本体にビーム砲を放ち、フレイは対処のためにキラへの攻撃を中断するしかない。
「ええい……っ!」
そのときになって、脇目から〝レイダー〟が〝クレイドル〟に突撃を敢行した。僚機をやられた報復か、ありったけの熱線が乱射されるが、ステラは背部
砲身が射抜かれると同時に爆散し、この煙幕に目を奪われた〝レイダー〟の死角から〝クレイドル〟は逆に迫ってみせる。ビームジャベリンを一閃させ、右腕を斬り落とされた〝レイダー〟は、やむを得ず後退してゆく。
それすら確認しないまま、〝クレイドル〟は電磁砲を〝フォビドゥン〟に斉射。
かくして二機を振り切った〝クレイドル〟は、直ちに〝フリーダム〟の援護に向かう。ドラグーンに翻弄されつつあった〝レムレース〟に更なるライフルを撃ち放ち、可能な限り〝フリーダム〟から引き剥がしたのだ。
「キラさがって!」
ステラにも、分かっているつもりだ。
──キラにはできない……っ!
心が一度でも受け入れてしまった相手──フレイ・アルスターと戦うことなんて……!
「突破するぞ! ──ラミアス艦長!」
〈わかりました! キラくん達にも打電します!〉
〝エターナル〟と〝クサナギ〟が連携し、〝メンデル〟後方のザフト艦──中でも〝ヴェサリウス〟に向けて艦砲を一斉発射している。そのうちの一射が〝ヴェサリウス〟の右舷に直撃し、姿勢制御を失った〝ヴェサリウス〟は瞬く間に編隊から脱落してゆく。こうして空いた抜け穴へと〝エターナル〟と〝クサナギ〟が最大戦速で駆け抜けていく。
「あとは〝アークエンジェル〟だ! どうした!?」
〈〝フリーダム〟の着艦を確認! でもまだ──〝クレイドル〟が!〉
ステラに後退を促されたキラは、自失しながらも〝アークエンジェル〟甲板へ着艦していた。
残るモビルスーツは、〝クレイドル〟のみ──
「サブナック少尉……!」
モビルスーツの爆発は、〝ドミニオン〟からも悠に確認できていた。突如としてGAT-X131のシグナルが
──また、ひとりの少年を失った……。
そんな彼女の逡巡を踏みにじるように、無神経な言葉が傍らから響く。
「ちッ、最期まで役立たずなッ」
アズラエルである。
確かに上層部の人間にとってみれば、生体CPUはあくまで「モビルスーツの部品」でに過ぎず、そこに彼等を人間として扱うだけの認識はない。それゆえに、成果の上げられない素体は単純に云えば粗悪品でしかなく、まして、勝手に突っ込んで撃破されるなど言語同断なのだろう。
しかし、それでも故人を愚弄するようなアズラエルの発言に、ナタルは反感を憶えずにはいられない。アレ──いや、彼にもひとつの人格があり、そこにも数々の苦悩があったはずなのに。アズラエルは、毛ほども理解しようとしないのだから。
もっとも、オルガを人間として認識していないのだから、ある意味では、それも当たり前のことではあったが。
「〝アークエンジェル〟、戦線を離脱していきます! ──このまま突っ込めば、本艦がザフト艦隊と鉢合わせになります!」
ナタルは即決して
「ここでザフトとやり合っても何にもならない。信号弾撃て! こちらも現宙域から離脱する」
そのとき、オペレータが声を挙げた。
「〝フォビドゥン〟〝レイダー〟の帰投を確認! しかし──〝レムレース〟が!」
「なに?」
目を眇めて見れば、いまだ暗黒色の機体は、白銀のモビルスーツと戦っているようでもあった。
残るモビルスーツは、〝レムレース〟のみ──
「──ちょこまかと動いて!」
キラを逃がすことに成功していた〝クレイドル〟だったが、今は〝レムレース〟に捕捉され、宙域を離脱中の〝アークエンジェル〟や〝エターナル〟に向かえずにいる。その〝レムレース〟もまた、戦況が動転したため──あるいは〝カラミティ〟を目の前で喪ったため? ──母艦である〝ドミニオン〟の撤退の信号弾に気付けずにいた。
戦いにのめり込んでゆくフレイであったが、しかし、それはステラも同様だったのかも知れない。沈着冷静に二基のドラグーン・シールドを制御し、さらには護衛すべき〝フリーダム〟を離脱させた彼女の手腕には凄まじいものがあったが、冷静な頭に反して気持ちは〝レムレース〟との『決着』を望んでおり、それはステラ本人もこのとき自覚している感情と高揚であった。
次の瞬間、ステラはみずからに向け突貫して来た〝レムレース〟のビーム・サーヴァーを真正面から受け止めていた。叩き込まれた斬撃は、軌道こそ読み易いものの、遥かに重い一撃だ。そこから二撃、三撃と連続して叩き込まれた刃であったが、やはり、純粋なパワーで云えば〝レムレース〟が上を往く。次を浴びれば態勢を崩される! ──咄嗟に予見したステラは機体を後退させ、またも両腕から〝エンドラム・アルマドーラ〟を射出した。
そう来ると思った──! フレイは据わった目つきで、射出された二基のドラグーンをせせら笑う。
「嗤え! 〝レムレース〟」
暗号のような言葉が呟かれ、それと同時に〝レムレース〟の紅眼が明滅し、さながら嗤ったようだった。次の瞬間には〝レムレース〟の「角」に当たるツインアンテナから〝バチルスウェポンウイルス〟が散布され、真紅色に色づいた汚染粒子が〝クレイドル〟を飲み込まんと、大きな波濤となった。
──ドラグーンが奪われる!?
ステラは瞬時に二基のドラグーンを手許まで引き戻し、防衛策として機体の『全方位防御帯』──〝アリュミューレ・リュミエール〟を機体周辺に展開した。放散された光波粒子が〝クレイドル〟を取り囲み、繭となって外部からの干渉──真紅色の汚染粒子の浸食を喰い止める。
──と、そのように思われたときだった。あらゆる物質の干渉を跳ね返す〝アリュミューレ・リュミエール〟が、一刻おいて
「え──!?」
その瞬間、聞き捨てならない駆動音を〝クレイドル〟が内側から響かせた。異常を察知したステラの目の前で、展開された全方位防御帯が、翡翠色から真紅色に変色してゆく。
あえて可笑しな表現を用いるなら、このときの〝クレイドル〟は、
「な、なに……? どうしたの〝クレイドル〟──!?」
しかし、そうして真紅の〝炎〟を纏い始めた〝クレイドル〟の中、ステラは手許に計器類に叩き出されている数々のパロメータ──それら「異常」とも云える暴走した値に戦慄するしかない。
(こ、壊れる──!?)
パイロットであるステラが正しくそう予感してしまう程に、このときの〝クレイドル〟はおかしくなっていた、暴走していたのだ。駆動系が自壊寸前の激音を轟かせ、機体のステータスはどこもかしこも事故としか思えない異常値を導き出している──!?
ステラはその末恐ろしい感覚が、実働実験中のMSに乗っているときのそれに近しいものであるように思えた。何がどこでおかしくなって、どういった事故を招くかも分からない──胃がきりきりと締め上げられるような不安感と恐怖感は、テストパイロットを拝命された者達が日頃から苛まれている恐怖感覚だ。
──何の、イレギュラーなの!?
疑念に思った次の瞬間には、完全に〝クレイドル〟は狂っていた。本来青色であるはずの双眼は既に真っ赤であり、半月状の六枚の羽根もまた、爆炎を放出しているかの如く真紅にはためき、揺らめている。
フレイは目前で巻き起こった突然変異に驚愕しつつも、できるだけ冷静に対応を行おうとした。左腕の〝トリケロス〟からタクティカルランサーダートを抜き放ち、敵機が全身に纏う『真紅の光波防御帯』を掻き消そうとしたのだ。
────そしてそれは、全く無意味な行動だった。
接近を仕掛けたその瞬間、槍を構えた〝レムレース〟の腕が、半ばから断ち切られ、爆散したからだ。
「!?」
──近づいただけで……!?
「
検証するようにビームライフルを応射したが、砲火はすべて、赤色の防御帯に弾き飛ばされてしまった。
「──くッ」
そこでようやく、さすがに分が悪いと判断したのだろう。
それきり〝レムレース〟は猛撃を中断し、大人しく〝ドミニオン〟に撤退して行った。
(何なのあの機体……! 今まで、あんな力を隠してたの……?)
フレイの憶測は完全に見当違いだったのだが、そうして〝レムレース〟が現場から離脱すると、不思議と〝クレイドル〟の防御帯も翡翠色に戻って往った──白銀のメインカラーに、穏やかなシアンブルーが駆け抜けた鮮やかなカラーリングだ。
──なん、だったんだろう……?
極限の中で、未知なる反応を起こした〝クレイドル〟を、ステラは疑わしく思った。
本当に、今のは一体何だったのだろう? と──。
「……〝アークエンジェル〟、今から帰投する──」
その声に答えたのは、ミリアリアだ。
〈良かった、無事だったのね。ザフト艦に気を付けて、帰って来るんだよ〉
「……うん」
そう云った、矢先のことである。
突如として、ステラの耳に警告音が鳴り響く。ステラが瞬時に機体を後転させると、それまで彼女がいた空間に、数発のビームが撃ち込まれた。数発の光条が空間を薙ぎ、
(新手?)
思惟した彼女は、すぐにビームライフルを構えた。
確認された反応は────ふたつだ。
熱紋照合を行えば、そこには、見慣れたような反応が映し出された。ステラは、きゅっと歯噛みした。
「…………!」
遠方より現れた敵機は二機。
GAT-X101〝デュエル〟と、GAT-X102〝バスター〟──ザフトの部隊だ。
既に〝ヴェサリウス〟は突破されたというのに、仕掛けて来たというのか?
「イザーク、ディアッカ……!」
〈見つけたぞォ、〝クレイドル〟──!〉
大人しく、とはいかないようだ。
ステラは〝アークエンジェル〟への帰還を断念し、ひとまずは、迎撃の姿勢を取った。
クレイドルの発光現象については、これまで守性しか持たなかったエネルギーフィールドが、「近づくだけで敵を爆散させる」攻性を備えるように変化したものとなっています。多少の強引さはありますが、原作にも登場する現象が関係しているので、オカルト的なものではないということだけお断りしておきます、詳しいことは今後。