ムルタ・アズラエルは、地球連合軍内において、非常に高い発言力を持った人物である。
彼はもともと、国防産業連合の理事を務め、デトロイトに本拠を置く大手軍需産業の経営者を兼任している。この上、ブルーコスモスの盟主を担っている人物でもあり、主義者達の頂点に君臨する人間でもあった。
このブルーコスモスの支援母体として〝ロゴス〟なる名称の組織が実在しているが──、この組織の実態について、ここでの言及は避ける。
そもそも、ブルーコスモスはあくまで「自然環境保護」を訴えた結社であり、大元の形は現在のような反コーディネイター運動を訴求する過激組織ではなかった。が、そういった主義結社が現在の体制のように変遷したのは、戦争の中で過剰に肥大化して行った
あるいは、盟主ムルタ・アズラエルの、抜本的なコーディネイター嫌いが根底にあるのかも知れない。
これはアズラエルの幼少時代の話になるが、ひょんなことから同世代の少年と喧嘩を起こした彼は、同年代のコーディネイターにどうしても敵わず、軽くあしらわれた経緯を持つ。殴ってやりたいと思った相手に、拳を届けることもできず、あまつさえ反撃ばかり被った彼は、顔を真っ赤に泣き腫らした後、屋敷に戻り、駄々を捏ねるようにみずからの母親を糾弾していた。
『どうしてボクを、コーディネイターにしてくれなかったの!?』
アズラエルは、幼少の頃から聡い男児だった。成績が高く、周囲よりも優秀な優等生。勿論、それは遺伝でも過信でもなければ、努力ゆえの賜物だった。ゆえに彼は──すこし増長がかった性格があったにせよ──自分の能力には自信と自負、そして自覚を持っていたし、そうであることに誇りさえ持っていた。
そんな彼でさえ、コーディネイターの同級生には叶わなかったのだ。悔しくて、腹立たしくて、まだ幼かった当時の彼は、みずからの出自について母親を糾弾した。アズラエルの母は、そうして泣き叫ぶ彼の頬を引っ叩いた。
『
──と、ヒステリックを起こして。
遺伝子操作を忌み嫌い、コーディネイターを
とはいえ、成人し、次第に経営者として頭角を現して行った彼は──「すべてのコーディネイターを殲滅すべき」──などという極端な発想に帰着したわけでもなかった。
無論、地球に害を為した〝プラント〟のコーディネイターに対しては、過剰な嫌悪感を顕す節はある。
が、一方で有能な人材を拒絶するほど蒙昧ではなく、彼は自身が経営する事業の中にコーディネイターの登用を認める柔軟性は持ち合わせていたのである。
『元はブルーコスモス内でも、穏健派の立場にあったのでは?』
〝ロゴス〟幹部、アズラエルと同僚のロード・ジブリール氏はこう陳述し、氏は全コーディネイターの徹底的な撲滅を望む自身の価値観との対比を取り上げ、アズラエルの姿勢を痛烈に批判していたほどだ。
もっとも、結果として戦争が起きた今、アズラエルはブルーコスモス盟主と〝ロゴス〟の代表を兼任するようになり、利益を度外視したコーディネーターの排除を実行するようになっている。今回、彼が宇宙へみずから上がって来たのも、前線に立って軍を指揮するためであり、その最終目標がザフト──ひいては〝プラント〟の壊滅であることに間違いはなかった。
(そう、問題なのは〝
名が表す通り、結局〝プラント〟は「工場」「植民地」の意味から逸脱してはならない。
そう断じるのが、アズラエルの感覚である。
大元を辿れば、複数の国家が資本を出資して建造したもの──それが〝プラント〟であり、あくまでも「理事国による国営工場地帯」としての意味合いを超えたものではない。
にも関わらず、宇宙に派遣された作業員──コーディネイターは、これをいつしか自分達の祖国のように謳い出した。
理事国は〝プラント〟に自治権を認めてないにせよ、独自に力を増幅していく宇宙のコーディネイターに対し、いつか脅威を感じ取ったのだろう。調子に乗った作業員達の食料源を絶つため、農業拠点であった〝ユニウスセブン〟へ報復の核ミサイルを放てば、連中は黒衣の宣言と地球への徹底抗戦を明言し〝プラント〟を奪取、地球に対して独立戦争を仕掛けて来た。
──『〝プラント〟は我等コーディネイターの国である』……? 馬鹿馬鹿しい。
いつ、誰が、そのようなことを認めたというのだろう? 宇宙のコーディネイターは『けがらわしい』存在なのだから、徹底的に思い知らせてやらなければ……。
感傷に浸っていたアズラエルの耳に、ナタルの声が響いた。
「間もなくL4です。──しかし、本当に意味があるのでしょうか……〝アークエンジェル〟追撃の任などに」
いま〝ドミニオン〟は、脱走艦〝アークエンジェル〟の追撃のために、二隻の随伴艦を連れてL4へ向かっていた。
かつての母艦を撃つこと──そこに、個人的な躊躇がないと云えば嘘になるだろう。
しかしナタルは、あくまでも口実を付け加えて続けた。
「何の根拠も無しに、L4へ向かうと云うのは……」
「ボクの情報は確かですヨ。──それが根拠だ。別になんの確証もないわけじゃない」
「しかし、それは〝プラント〟からもたらされた情報なのでしょう? 迂闊に信じるべきものでは……」
ナタルの懸念は、それだけではない。
「それに、既に〝レムレース〟が我々の手にある以上、あなたが気にかけていた例の二機を追う必要もない。我々はもうNジャマーを無効化する術を手にしたのでありましょう?」
「そうですヨ? けどね、そんな危険なモンが目的も定かじゃないような組織の中で大事に飼育されていることの方が、ボクにはよっぽど大問題に見えるんデス」
第三次ビクトリア侵攻戦において、〝レムレース〟は〝デストロイ〟の陽電子リフレクターを容易に切り裂いて見せた。それは、〝エクソリア〟が〝フリーダム〟と〝ジャスティス〟に撃破されたときの光景とよく似ていた。
オーブにはそもそも、ザフトからの技術が多く入っているようだし、例の二機が〝レムレース〟の兄弟機である可能性は非常に高い。
「あのオーブが自国を滅ぼしてまで宇宙に逃がした〝虎の子の軍勢〟──野放しにしてちゃあ、あとあと面倒になるんじゃないかって、ボクの勘が云ってるんです」
気に掛かる禍根は、そうそうに摘み取っておいた方が良い。それは彼なりの判断であったが、云い方にはナタルに対する戦闘屋への見下しがあった。
そのとき、オペレーターの声が上がる。
「コロニー〝メンデル〟港内に戦艦の艦影を確認しました。数、三隻です! うち一隻を〝アークエンジェル〟と確認しました」
「──さ、それじゃあ、ちゃっちゃと始めちゃいましょう。敵を撃たなきゃ、戦争は終わりませんからネ?」
ナタルはいちいち鼻につく上官への不満を押し殺し、命じた。
「総員、第一戦闘配備! 本艦はこれより、戦闘態勢に入る──」
戦いの火蓋が、開かれる。
〝メンデル〟への爆撃が確認され、〝アークエンジェル〟は第一戦闘配備を発令した。
またもザフトからの行軍が迫って来たのかと思えば、港外に確認された艦影は、〝アークエンジェル〟と寸分違わぬ戦艦であった。木馬のようなデザインをした黒い宇宙艦──これを見て、ノイマンが思わず声を挙げた。
「〝黒いアークエンジェル〟──同型艦か?」
「敵艦からの通信です。──これは」
ミリアリアの報告と同時に、モニターが切り替わり、敵艦の艦長が映り込んだ。
そこに映っていた、かつての副長の姿に、一同は言葉を失った。
〈こちらは地球連合軍宇宙戦艦〝ドミニオン〟──〝アークエンジェル〟聞こえるか?〉
その通信は、あまねく〝エターナル〟のモビルスーツ・デッキまで広報されていた。
既にコクピッドへと乗り込んでいたキラは、思わず声を挙げる。
「この声、ナタルさん……!?」
「連合……っ!」
ステラは茫洋として、事実をひとり反芻した。──オーブへ攻め込んで来た奴等が、またも宇宙まで追っかけて来たのだろうか?
ひとりでに詮索していると、ナタルの声が通信機から滔々と紡がれた。
〈本艦は反乱艦である貴艦らに対し、即時の無条件降伏を要求する! 速やかに武装を解除し、投降せよ。この命令に従わない場合は、貴艦を撃破する──〉
それは冷徹にして事務的な、ナタルらしい口調であった。
バルトフェルドが通信越しに嘆息つき、それをステラは〝クレイドル〟から聞き届けていた。
〈連合にしちゃ、こちらの潜伏先を掴むのが早かったな……ザフトが来るかと思ったが、よもや連合の艦隊とはね〉
人気者は辛いね、と軽薄に付け足す。
なおもステラの耳には、マリューとナタルの通信が響く。
〈──お久しぶりです、ラミアス艦長。このような形でお会いすることになって、残念です……〉
〈……そうね〉
〈アラスカでのことは、自分も聞いています。ですが、どうかこのまま降伏し、軍上層部ともう一度、話を! わたしも及ばずながら、弁護致します〉
ナタルも、きっとマリュー達に同情しているのだろう。それは憐憫という類のものではなく、純粋に心から共感を憶えているのだ。
ゆえに、便宜を図ると申告するナタルであったが、マリューからの返答は硬い。
〈ありがとう、ナタル。でも、アラスカの事だけじゃないの。私達は地球軍そのものに対して、疑念があるのよ。──よって降伏、復隊はあり得ません〉
〈ラミアス艦長──〉
交渉が決裂し、ステラは出撃の準備を整えた。
脇から、キラの声がかかる。
「──敵は例の四機だ。落ち着いて行こう、ステラ」
「うん……」
事態が急変したのは、そのときだった。
通信先から、かすかに笑い上げる男の声が響いたのだ。
〈ふふ、ははっ……! どうするものかと聞いていれば、呆れますね、艦長サン?〉
それは、聞き慣れない男の声だった。
キラとステラはそれぞれにハッと顔を上げ、通信機から響いて来る、誇らしげな声に耳を傾けた。
(──誰、だ……?)
立場上、今のナタルは〝黒いアークエンジェル〟改め〝ドミニオン〟の艦長なのだ。その艦長よりも上の立場に在って、苦言を呈すような真似を出来る人間……? そんなことが許される人間……?
キラは咄嗟に、男の正体を悟った気になった。
ウズミが云っていたように、今の連合はブルーコスモスの傀儡なのだ。──だとすれば、この声は? この男は……!
〈云って分かれば、この世に戦争なんてなくなります。わからないから敵になるンでしょう?〉
すらすらと言葉が出て来る辺り、男は本気でそう考えているのだろう。
さらに男は、女性達に対する嘲りを隠そうともせず、云い捨てる。
〈そして敵は…… 撃 た ね ば ──ッ!〉
強調しつつ、手を上げる。
それは、狼煙を上げる合図だった。
〈〝カラミティ〟〝フォビドゥン〟〝レイダー〟〝レムレース〟出撃です。不沈艦〝アークエンジェル〟──今日こそ沈めて差し上げる……!〉
〈アズラエル理事ッ……!〉
それきり、敵方からの通信は切れた。ついで〝ドミニオン〟から、例の四機が飛び出して来た。
二隻の随伴艦──ドレイク級からは数多の〝ストライクダガー〟が出撃し、切って開かれた会戦の合図に、応えるように〝アークエンジェル〟からも〝ストライク〟〝イージス〟〝ブリッツ〟が出撃する。
キラもまた出撃準備を整えながら、反芻した。
「ムルタ・アズラエル……? ブルーコスモスの盟主……ッ!?」
艦橋で会議をしたとき、話に持ち上がった主義結社──その実質上の盟主たる男が、あの〝黒いアークエンジェル〟に乗っているのだ。
──ブルーコスモス……!
思わずキラは、咄嗟にステラをモニター越しに見つめ、それをすぐに後悔した。彼はブルーコスモスという単語から、思わずステラの出生を連想してしまったのだ。ステラが地球軍によって操られていた
「
通信越しの少女は、無意識に、無自覚に、そう溢していた。
次の瞬間、ギリッと歯を喰い縛り、その面持ちに、云い知れぬ怒気を滲ませた。
「
すべての元凶を──彼女は今、漸くにして見つけたのだ。
血のバレンタインをきっかけに、ブルーコスモスが自己を誘拐したこと。その上で生体強化と精神操作を施し、記憶すら奪い取って、戦うための駒として来たこと。そして、連中の首魁がいま、こうして目の前にやって来たこと。
どうやら当の本人も、とうに気付いていたようである。
「──! ハッチ開けてッ!」
普段は無口で無邪気なことが多い彼女が、怒気を結晶化させたような口調と表情を浮かべ、艦橋に向けて怒鳴った。余裕の色が吹き飛び、その瞬間、ステラは文字通り、人格が一変していた。
そんなステラの直情的すぎる変化に気付いたのは、これを向けられたアズラエルでも、そのとばっちりを喰らったバルトフェルドでもなかった。
彼女を脇から見守っていた、キラである。
咄嗟に急かされ、バルトフェルドも驚いたのだろう。一瞬呆けた表情を浮かべたのち、すぐに指示通りにカタパルトを開放させた。
星の海が眼前に広がるのを捉えた途端、ステラは失調したように、
「〝クレイドル〟出す!」
そう云って、即座に飛び出して行ってしまった。
星屑の戦場に飛び出した〝
ブルーコスモス──その名は聞いたことがある。
特殊部隊〝ファントムペイン〟と同様に、〝ロゴス〟が支援母体となっている組織だ。その実質的な指導者が、あの〝黒いアークエンジェル〟に乗っているのだ。
──そいつ等のせいで、わたしはみんなを……ベルリンのみんなをッ!
そこに直接アズラエルの手が及んでいたかどうかは、定かではない。
だが、ブルーコスモスの存在そのものが、彼女の運命を狂わせたのは事実である。
真っ白な雪原を、一刻で真っ黒な焦土に豹変させる〝デストロイ〟──忌むべき破壊者を造り出し、これにみずからを搭乗させ、遣わせた。
──何百万もの無辜の人々を、ステラに殺させた……!
勿論、すべての責任が連中にあるなんて思っていない。
実際に引き金を引いていたのはステラ自身であり、多くは自分自身の責任だったのかも知れない。
──ステラの心が、弱いせいだった……!
だが無辜を撃てと──そう命じたのは誰だ? 散々、ステラを利用して来たのは誰だ? 実際にトリガーを引き、罪もない人間を撃ってしまった事実は、彼女の中から薄れることも、消えゆくこともない──たとえ、歴史の上から消えようと。計り知れない悔いと痛みは、今また彼女の胸の奥に渦巻いて、小さな心を食い破ろうとしていた。
「う、うぅッ──!」
自分が獣のような唸り声を挙げていることを、このとき、彼女は自覚していた。
──云って分かれば、この世に戦争などなくなります。分からないから敵になるンでしょう?
達観したような口調が、小さな獣の逆鱗に触れる。
──じゃあ「分からないから」と云って、自分達がしたことは何なのだ?
敵に対しては報復を。──そう謳い上げた結果に〝ロゴス〟は何をした?
言葉を聞かないから、相手が分からないから、手を取り合えないからと──彼等はその結果、ユーラシア西側を一方的に壊滅させ、戦争を吹っ掛けたのだ。それ以前には〝ユニウスセブン〟への核攻撃をして……!
云っていることがどれだけ正しく聞こえようと、ステラはもう、そんな言葉には二度と騙されない。
遺伝子操作が間違っていると声高に叫び、にも関わらず、未来を望んだ子ども達を薬漬けにし、異物を埋め込み、戦い方のみ教え込み──死んだ後すら葬ってやることもせず、保存液に付けて並べることが正しいのか? ロドニアの研究所でやっているように。そんなはずがない……!
──死を
研究所という名の監獄に閉ざされた数多の仲間たち──
実験という名の地獄の中で、死んで逝った者達の残念や無念が、身体に乗り移ったような錯覚を憶える。
「オマエ達は、人に、やっちゃいけないことをして来たッ……!」
胸の奥から湧き上がる感情──それは彼女が、かつて〝アルテミス〟で覗かせた「それ」とよく似ていた。
感動ではない、衝動。
感情ではない、激情。
敢えて云うなら、凶暴な残虐性、とでも云うのだろうか? 普段の彼女から想像もつかないほど、それはドス黒く、真っ黒な情緒だ。
──やっと見つけた……!
──本気で『
このときのステラは、復讐の相手を見つけたのだろう──目隠しの自分を操り、同じく強化人間の隣人達を虐げ続けた悪者達の長──『ブルーコスモスの盟主』という肩書きを持つ生き仇を。
激情が噴火し、怒りに沸騰した溶岩が、激流となって溢れ出す。
ステラは内に秘めた感情を爆発させ、野獣──そう、殆ど野獣のような
(違う、違うよステラ──! それは純粋な気持ちなんかじゃないッ……!)
今のステラからは、常軌を逸したものを感じる。
少女の内面に巣食っていた〝闇〟が、一気に矢面に顕現したかのような──。
それはまるで、別人格がステラの意識を乗っ取ったような豹変で。いや、この際
鮮やかにチャンネルが切り替わり、怒気や狂気、そして殺気が、彼女を
キラは思わず、これを不気味だと感じてしまい、すぐに後悔した。
──ばか野郎っ!
自己を叱咤し、慌ててかぶりを振りる。
『──ステラ、薄気味悪いよね……キラもやっぱり、そう思ってるよね……』
キラは数分前に、ステラの言葉を否定した。ならば自分には、彼女の言葉を『否定し続ける義務』がある。
本当のあの子を、僕たちは知っている……!
「だから僕たちは、きっと、その言葉を否定し続けて行かなきゃならないんだ!」
ステラを、薄気味悪い存在なんかにしちゃだめだ。
義務感に突き動かされたキラの耳に、ラクスから通信が入る。
〈キラっ──!〉
「わかってる、あの子を止めなきゃ! キラ・ヤマト──〝フリーダム〟行きます!」
ラクスも同じことを感じていたのか、託すようにキラへ呼びかける。
そうして〝フリーダム〟もまた出撃し、突貫して行った〝クレイドル〟の後を追った。
激しく逆上し、ステラは編隊を離れ、単機で敵部隊の中心へ突っ込んで行った。
彼女の後方に、支援機の姿はない。単独で、彼女はひとえに〝ドミニオン〟を見据え、その艦内にいるであろう標的に殺意を定めた。
「ああいうヤツがみんなをッ、みんなをおかしくするんだ……だからッ!」
〈〝クレイドル〟! 前に出過ぎだ! 後退して連携を──〉
「うるさいッ!」
誰の声に勧告されたのかも分からない。
いまのステラには、余計なことに気を遣う余裕などなかった。
──初めから強化人間なんてものが存在しなければ、アスランもフレイも、あんなに変わっちゃうことはなかったんだ!
そう思うからこそ、ステラは単身で〝ドミニオン〟まで突っ込んで行こうとした。
当然、突出した〝クレイドル〟に無数の〝ストライクダガー〟が襲い掛かる。編隊に向けて〝クレイドル〟は矢のように飛び込んで行き、敵部隊からのビームの驟雨を浴びることとなった。
「──邪魔だあぁッ!」
驟雨の中を駆け抜けながら、みずから応戦する。
二挺のリンクス・ビームライフルを応射しつつ、一拍遅れて、浮遊する二基の〝エンドラム・アルマドーラ〟が本体に追従した。
白銀に反射するドラグーンシールドは、それ自体が意志を持った生物のように、滑らかに〝ダガー〟隊を撃滅してゆく。多くの〝ストライクダガー〟は、迂闊にも単独で迫って来た〝クレイドル〟に注意を向けたままだ。よもや、背後から自機を狙うビーム砲塔が存在するなど、予想だにしない。四方からビーム砲を浴びせられ、常人は何が起こったのかも把握できずに被弾し、撃破されてゆく。
発射と同時に目標物を捉えるビーム砲塔は、宇宙空間において、驚異的な武装だ。
見たこともない兵装に凝然とし、〝ダガー〟隊は一方的に虐げられてゆく。
宙を自在に飛び回る〝エンドラム・アルマドーラ〟は、一般兵達の視覚が追いつく機動力ではなかった。まして目が追いついたところで、これを狙い撃つことなど出来はしない。あるいは狙撃したところで、表面部にビームシールドを展開する以上、傷ひとつ付けることも出来ないのが関の山だ。
撃墜したいなら、ビームシールドの及ばない背面部を正確に狙撃するか、接近してビームサーベルを直接叩き込むしかない。もっとも、目標物が高速で動き回る以上、どちらも化け物でもなければ無理な選択肢であろうが。
このとき〝エンドラム・アルマドーラ〟は、展開するごとに射撃精度を増していた。これはドラグーン・システムの使用者が、兵装の扱いに小慣れて行った証拠でもあった。
全方向からの間断のない砲火に、〝ダガー〟の編隊は乱されつつあった。攪乱され、翻弄され、あろうことか、たった一機のモビルスーツを仕留めることすら出来ない。
「ステラ──!」
そこへ、遅れて高機動スラスターを展開した〝フリーダム〟が追いついた。
キラは咄嗟に全砲門を開き、敵部隊への
為す術を喪い、大人しく後退してゆく機影──しかし〝ソイツ〟は、次の瞬間、自律運動を重ねる〝エンドラム・アルマドーラ〟によって撃墜された。先端からビームジャベリンを発心したビットによって、コクピッドを貫かれたのである。内部の者は灼熱の刃に貫かれ、宇宙の藻屑と化す。
「逃げ惑う者を……!?」
キラは、自然とそう云っていた。
露骨に云えば、酷薄が過ぎる追撃だった。愕然として、通信先に叫ぶ。
「ステラ! 戦う意志がない者を、撃たなくていいんだ!」
「邪魔だと云った! 目障りなんだッ!」
人を人とも思わぬ云い方に、キラは寒気を憶える。
そう、今のステラにとっては、ただ障害物をどけている認識でしかないのだろう。進路を塞いだ雑魚の群れを掃除しているだけ、と云ってもいい。
「落ち着いて……! 今のきみは冷静じゃないんだ!」
「云ったでしょ、わたしはこういう人間なんだ……! 戦うためだけに、あいつらに育てられて──!」
一人称がすり替わっていることに気付き、キラは唖然とする。
こうした少女の二面性に気付いてやれなかったキラは、たしかに、すこし迂闊な発言をしたのだろう。その事実が一瞬、彼を心理的に怯ませた。
「でも、だからわたしは、アイツを討たなきゃいけないんだ!」
もう二度と、自分のような存在が生まれてこないように──。
そう信じ、みずからが魔道に堕ちようとした少女を、キラは引っ張り上げるように呼び掛ける。
「それは嘘だよ! きみは──」
「地獄に墜ちる人間なんだから……!」
容赦なしに人殺しを繰り返す自分は、地獄に墜ちるに値する人間だと、ステラはそう自負していた。
何がコーディネイターだ。何が強化人間だ。
偉そうな風に呼ばれたって、結局、出来ることは人を殺す程度のことなのだ。
「──違うッ! 本当のきみは、そんな人間じゃない!」
「だから、薄気味悪いって云ったの! わたしはそういう子!」
「戦争の中じゃ、誰だってそう思うさ……! だからこんなこと、もう終わらせなきゃいけないんだろ……!?」
「……!?」
ステラが、すこし怯んだ。
────と、そのとき、二機の脇からひとすじのビーム砲が飛んで来た。
ふたりは突発的にそれを回避し、散開する。
途端、キラの目に、オーブ沖で対峙した四機の〝G〟が映り込む。おおかた〝ドミニオン〟から出撃して来たものだろう。
〈──キラ! こっちは任せろ!〉
キラの耳に、トールの
──ぼく達の相手は、あの四機だ……!
キラは気を引き締め直し、〝クレイドル〟に向けて云う。
「今は冷静になって……! 自分を見失っちゃ、だめだよ」
「……わかった……」
そうして二機は、迫り来る〝レムレース〟達と相対した。
高機動型〝テンペスト・ストライカー〟を装備した〝レムレース〟の中、フレイは目当ての〝
その機体を捉えた途端、哀れよね、と自虐的な笑みを浮かべる。
(あなたの苦しみが、今なら、すこし分かる気がするわ──)
集中したいと願っても、意識を保つことすらままならない今──フレイは、強化人間が持つ特有の欠陥に苦しんでいた。
出撃前に、いくつもの投薬を済ませて来た彼女であるが、どだい、度重なる薬物投与によって支えられた生体が、いつまでも尋常でいられるはずがないのである。
うら若き乙女の身体に施されたのは、強烈なGに耐え得るだけの生体強化。血管を収縮させ、遠心力で押し下げられる血流を引き締める強化筋肉は、脳に血を安定させるために機能している。覚醒剤による認識力の拡大と共に、神経の伝達系は著しく増強され、そうした恩恵の反動か? 薬物の効能が切れた途端、彼女は糸の切れた傀儡のように、力無く地に臥せってしまうのだ。
──この哀れな道を、彼女もまた、同じように通ったの……?
自身の容姿に対する無関心であったり、戦闘に集中することもできない意識の散漫──。
今のフレイは、奇妙なほど、かつてのステラと置かれた立場が似通い始めていた。……だからだろうか? フレイは今、こうして目の前に映り込む〝クレイドル〟に対し、ある種の
──なんて
神聖なまでの〝
──それに比べて、こっちは何……?
邪悪なまでの〝
フレイはこのとき、知らないのだ──ステラもまた、かつては〝黒いモビルスーツ〟を乗り継いで来たことを。
知らないからこそ、その白色の輝きが眩しい……いや、恋しいのだ。
そして同時に、忌々しい──自分がどれだけ欲しても、それは決して、手に入れることが出来ないものだから。
一度でも、投薬を甘受してしまった彼女だから。もう二度と、後戻りはできない彼女だから──。
〈──おい、大丈夫かよ、オマエ〉
感傷に浸っていたフレイを、オルガの声が現実に呼び戻した。
睡眠病のことを云っているのだろう──が、まさか彼は、自分を心配してくれているのだろうか? フレイはそう思った瞬間、なぜだか妙に、気味が悪く感じた。掛けられた一言に気分を害し、フレイは憮然として返す。
「必要ないわ──そういうの。慣れ合いなんて、わたし達には不要でしょう?」
関心も、興味も、自分達には不要なものだ。
強化人間には、情欲も睡眠欲も必要ない──ただひとつ、戦闘欲だけを残していれば良いのだから。
〈……そうか。そうだなっ〉
オルガは啓発されたように、フハッ、と嗤った。
そう、自分達には『慣れ合い』なんて必要ない。
虫唾が走るような、表面上の付き合い──それがどれだけ不毛なことか、フレイはとうに知っていた。
──
忌々しい過去が脳裏を過ぎり、振り払うようにフレイは意識を切り替えた。
そうして、みずからの反存在とも云える〝白銀〟のモビルスーツを見据える。
「あまり長くは持たないからね……。今度こそ沈めてあげるわ、〝クレイドル〟……ッ!」
そうしてフレイは、ひとえに〝クレイドル〟へ襲い掛かって行った。
〝ドミニオン〟を旗艦とする連合軍艦隊より、モビルスーツ大隊が出撃。
これに対し、三隻(〝アークエンジェル〟〝クサナギ〟〝エターナル〟)同盟は、モビルスーツ一個小隊と云える戦力で善戦していた。
オーブより積載された〝クサナギ〟のM1部隊が出撃する他には、すべて、専用機が出撃している。太平洋上にて大破した〝ストライク〟の予備パーツを流用し、この模造機である〝ストライク・ルージュ〟も完成に漕ぎ着け、これにはオーブの姫、カガリ・ユラ・アスハが搭乗した。
したがって、出撃した機動兵器は
〝ストライク〟
〝ヴィオライージス〟
〝ブリッツ〟
〝ストライクルージュ〟
〝フリーダム〟
〝クレイドル〟となり、以上の六機の活躍により、戦況は見事に拮抗した。
連合側の〝ストライクダガー〟大隊の多くは〝クレイドル〟や〝フリーダム〟に撃滅、あるいは撃退され、残された戦力を、ムウを筆頭としたトールやニコルによって削られている状況にあった。
暗黒の亡霊〝レムレース〟には〝クレイドル〟が当たり、これを〝カラミティ〟が援護する形になっている。
一方で〝レイダー〟と〝フォビドゥン〟は獲物を見つけたように、蒼い翼のモビルスーツ──〝フリーダム〟の機影を認めた。
「アレ、壊しちゃって良いんだよね……?」
「そーゆーことでしょ? バラバラにしてやるよぉっ!」
シャニとクロトが、それぞれに勢いよく〝フリーダム〟へ襲い掛かる。
甲羅のような装甲を背負った〝フォビドゥン〟が、胸部より
キラはついで、ビームサーベルを抜き放ち、矢継ぎ早に吐き出されるビームをかわしながら〝フォビドゥン〟へ急接近する。すると〝レイダー〟が猛烈な速度で飛び来たり、
が、次の瞬間、脇から飛来した〝ヴィオライージス〟の
そうして四機は、激しく撃ち合いを重ねて行った。
(──上手くないな……)
一連の戦況を眺め、ナタルが不意に、そう溢すのにも無理もなかった。
ブースデットマン三名と、リビングデッドのフレイ──。
ナタルは
今回がアズラエルないし、強化人間達との初めての共同作戦とは云え、ナタルは迂闊にも判断ミスをしていた。
強化人間は、戦士としては一流であったが、兵士としては無能にも近しかった。
彼等自身はそんな他人の評価など気にすることもないだろうが、彼等はあくまで、自己本位での戦闘を好む傾向があったのである。周囲の用兵を軽んじ、味方との連動を怠るほどには。
三隻同盟──つまり、ナタルによって『敵』に相当するテロリスト船団の機動兵力は、おおむね六機のモビルスーツ部隊だ。
〝クレイドル〟と〝フリーダム〟を除けば、その他のモビルスーツ強化人間にとって敵ではなく、むしろ圧倒できる相手でもあったはずだ。しかし、それはあくまで強化人間ほどの実力者の場合であって、
強化人間ほど勇猛でも獰猛でもない〝ダガー〟隊は、現に〝クレイドル〟に撃滅され、辛うじて
挙句の果てに編隊は瓦解し、秩序をなくした素人達は、精神的にも逃げ惑うことしか出来なくなっていた。こうなる事態を本来は阻止すべきだった強化人間たちは、みずからに課せられた責務を全うできなかった。というより、全うしようともしていなかったのかも知れない。
「ケッ、役に立たねぇ連中だな!」
眼前の敵よりも、次々に敗走して行く味方を罵りながら、オルガは〝クレイドル〟が抜き放ったラケルタ・ビームサーベルを回避して見せた。
彼はかくして、次々と〝ストライクダガー〟を撃砕した〝クレイドル〟と渡り合って見せている。それはオルガが戦士として如何に優れているかの証明であったが、戦場において何を最優先とするのか認識できていない、兵士としての致命的な弱点でもあった。何が云いたいのかと云うと、彼等ブーステッドマンは、戦場において非常に無秩序であったのだ。
そうして強化人間部隊に見捨てられた一般兵達は、数々の攻勢を弾き返して生存する能力を持ち合わせておらず、散々に打ちのめされた挙句に敗走してゆく。
が、それを不味いと判断できる人格が、辛うじて残っていたのはフレイであった。
軍事教育も真っ当に受けて来ていない彼女ではあるが、量産機部隊が壊滅すれば、それまで視野の外にいた〝ストライク〟や〝ブリッツ〟が、援護のためこちらに向かってくると安直に判断していたのである。ブーステッドマンの連中は、目の前の『強敵』との闘争を愉しもうとするあまり、この事実を蔑ろにしている。
(味方の潰走を防ぐしかない、けど、どうやって?)
そのとき、フレイの上方より、出所の知れないビーム砲が襲い掛かった。
コクピッド内にアラートが響き、音を知覚するとほぼ同時、反射的に機体を操り、脳天より降り注いだ光条をかわす。フレイは何が起きたのかも分からず、ビームが飛来した上方を見遣ったが、視線の先には何も映らなかった。
胡乱げに思索していると、今度はまったく別の方角からビームが放たれ、回避すると同時に、フレイは自律飛行するビットのようなシールドを捉えた。
漆黒の宇宙空間においては、奇妙に目立つ白銀の兵装──〝クレイドル〟の特殊装備だろうか? ──が、命を吹き込まれたように飛び回っている。自機に対して四方から砲撃を浴びせかける〝それ〟は、おおよそ〝クレイドル〟本体とはまったくの別運動ができるようで、この武装による攪乱は、脅威的な実用性を誇っているように見えた。
「宇宙でしか使えない兵装ってわけね」
次の刹那には脳内が閃き、フレイはひとり、会心の笑みを浮かべていた。
ステラ・ルーシェもまた、生来より持ち合わせていたものか、強靭な肉体を駆使し高速の戦闘を繰り広げていた。
余人には、目に余る戦闘──。
砲撃戦を取柄とする〝カラミティ〟からの掩護射撃を警戒しつつ、漆黒の空間において、何度も〝レムレース〟と衝突しては、交錯していた。そうしている間にも、ドラグーン・システムへの指令は怠らず、〝カラミティ〟を牽制する目的で、二基のビットを操縦していた。
が、一方で何度も激突を繰り返すうち、彼女は〝レムレース〟の動きに、目が慣れ始めていることを自覚していた。
いくら生体強化を施されようと、根本的な操縦の経験値までが底上げされるわけではないらしい。素人臭い〝レムレース〟の直線的な動きは、オーブで対峙した時から、大して進歩していないように見える。
──それどころか、時折、急に動きが鈍くなる……?
このとき彼女は、不思議とそう直感していた。
あくまでも一瞬──本当に一瞬の出来事だが、時折、突如として〝レムレース〟の挙動に鋭さが失われる瞬間があった。それはステラが〝モンドゴメリ〟──いや、正確にはフレイ・アルスターの父親を救えなかった時の現象と、よく似ている気がした。
当時のステラは
居た堪れなくなり、ステラは確信したように叫ぶ。
「だから云った! 戦えば戦うだけ、あなたは自分を苦しめるって!」
それみたことか、という口調ではないにせよ、言葉には、あからさまな憐憫が含まれていた。
二基の〝エンドラム・アルマドーラ〟を召喚し、ステラはこれを〝レムレース〟へ使役した。二挺のドラグーンシールドが弾かれたように動き出し、自動砲台として律動するそれが、一心に〝レムレース〟を取り囲む。
──可哀相だけど……ッ!
片方のドラグーンがビームジャベリンを出力し、勢いよく〝レムレース〟へ飛び込んで行く。暗黒の機体は半身になってこれを回避したが、態勢を崩したそこへ、もう一基のドラグーンがビーム砲を撃ち放った。
〝レムレース〟は〝トリケロス〟を翳し、射撃を受け止めたが、ステラは一発目のビームジャベリンを反転させ、一気に手許まで手繰り寄せた。
白色にして灼熱の光刃が、まるで無防備な〝レムレース〟の背後から襲い掛かる。
──これで終わり!
口内に叫び、ステラは勝利を確信する。
だが、
次の瞬間────血色に似た燐光が、周辺に迸った。
〝レムレース〟の特異な形状をしたVアンテナ、前方に突き出した黄金の触角──そこから〝真紅の波動〟が吹き荒んだのである。
ステラの中で、まるで時間が止まったかのように────目に映る景色が
彼女が使役した〝エンドラム・アルマドーラ〟が、二基とも行動を停止したのだ。
不審に思ったステラは慌てて、攻撃指令を再送信する。が、ドラグーンシールドは微動だにしない。
力無く漂流するドラグーン端末を証拠として、現実に裏付けられた怪奇現象に、ステラはひたすら困惑した。
「な、に……」
呆然としていると、視界に映る〝レムレース〟の右腕が、ゆらり、と持ち上がる。
黒き亡霊の紅眼が、嗤うように揺れた。
──と、右掌の五指全体が、ゆったりと押し広げられた。
まるで何かを操るように蠢き出すと、次の瞬間、静止していた〝
「!?」
刹那のことだった。
それまで漂流物と化していた〝エンドラム・アルマドーラ〟が、明確な敵意と共に、白銀の〝クレイドル〟に向けてビーム砲を吐き出したのである。
弾かれたように動き出した二基の特殊兵装──ステラは複数の、それでいて、二方から容赦なく浴びせかけられる射線を、愕然として、そして悄然としながら回避した。
それは、子鳥より唾を吐き返された、親鳥に似た挙動だった。
(
慌ててステラは、ドラグーン・シールドの制御権を奪い返そうとキーボードを叩く。
が、それから一刻も立たぬ内に、シールド
己の空間認識能力を持ってなお、ドラグーン端末が、何処に在るのかが分からない。先に放出された〝真紅の波動〟が、ドラグーンへの通信を完全に
──さっきの〝波動〟に、システムを『
我をなくした使徒達が、光の矢を放ち、敵は内にあり、と云わんばかりの逆撃を仕掛けて来る。
ステラは四方から迫る光条に対し、激しい動揺を湛えるように
「どうしたの……! わたしが分からないの──ッ!?」
動揺を隠せず、ステラは喚いた。
だが、すかさず
繭の中から〝親鳥〟が姿を現し、〝小鳥〟の嘴が、ふたたび親鳥を啄んでゆく。
「今度こそ終わりよ、〝クレイドル〟──ッ!!」
光の帯が斬り裂かれ、ステラはふたたび自機の武装──〝エンドラム・アルマドーラ〟による、無数の砲撃に曝されることになった。
フレイの口元に、下剋上を成し遂げた逆者の笑みが浮かんでいた。
〝レムレース〟が搭載する『バチルスウェポンシステム』は、量子コンピュータに対して、特殊なコンピュータ・ウイルスを送信する、極めて独創的な兵装である。
このウイルスの送信は、真空中のコロイド粒子を媒介にして行われ、〝レムレース〟の持つ前方に突き出したツインアンテナは、これらの粒子の発心装置としての役割を持っている。汚染物質とはいえ、性質的には〝ミラージュコロイド〟と同質の微粒子を放出するため、無重力空間でしか発動することはできないが、結果としてウイルスに感染した機体──正確には量子コンピュータ──の操作系統を、自在に強奪できるようになっていた。
『
モルゲンレーテの技術者が溢した言葉である。
云い換えれば、当世において『バチルスウェポンシステム』は、あらゆるコンピュータをハッキング可能な有用性を持っていたのである。
どだい〝テスタメント〟との連携運用が想定されていた姉妹機──〝クレイドル〟への影響は少ないようだが、限度はあった。恐らくは〝クレイドル〟本体に、あらかじめ
『乗っ取られる』
という、失態を犯してしまったのである。
制御権を強奪された二基のドラグーン・シールドは、それと対極的な輝きを放つ〝レムレース〟の兵装となって、今度は〝イージス〟の方へと飛び立って行った。
ステラは愕然として、通信越しに叫ぶ。
「いけない! ムウ、よけてっ!」
しかし、既に遅かった。
敵機との激しい交戦状態にあった〝イージス〟であるが、よもや、味方の武装に狙撃されるとは予想しなかったのだろう。この場合、予想している方がどうかと思うが、察し物のムウも〝クレイドル〟の武装が相手では警戒心も抱けず、放たれたビーム砲に左腕を撃ち抜かれてしまった。それでもコクピッドを免れたのは、彼自身が、咄嗟に反応して見せた賜物であった。
被弾した〝イージス〟より、短い悲鳴が聞こえ、ステラはぐっと歯を食い縛る。
〈なんだッ……!?〉
〈うわっ!?〉
次の瞬間には、カガリの悲鳴も聞こえた。どうやら〝ルージュ〟もまた、ムウと同じように
ステラはすぐさま後退し、彼等の護衛に向かおうとした。
が、進路には〝カラミティ〟が立ち塞がり、ありったけの火力をぶつけて来る。
「あは? アイツ、もう終わりじゃん?」
被弾した〝イージス〟を見据えながら、シャニが、人が遠ざかるような冷笑を浮かべた。
左腕を肩口からもぎ取られた〝イージス〟は、既にシールドを失っている。防御手段が皆無に等しければ、もはや、シャニの敵ではなかった。
──今まで散々、振り回してくれたな……! 旧式のくせに……!
思惟した言葉を口にするほど、饒舌な彼ではなかったが、珍しく昂った気概と共に、シャニは〝イージス〟へ襲い掛かった。
胸部〝フレスベルグ〟を乱射し、ある折を以て屈折する高エネルギー砲が、変形もままならない〝イージス〟を着実に追い詰めていく。隻腕の状態の〝イージス〟では、変形しても重心移動が困難になる弊害があった。いくら熟練のモビルアーマー乗りといえど、ムウはモビルスーツ形態での後退に専念していた。
が、周到に散らされた射線が、いつしか、ムウの退路を完全に閉鎖していた。
行き場を失った〝イージス〟が目にしたのは、胸部に光を臨界させる〝フォビドゥン〟の姿だ。鎌を背負ったその姿は、まさに〝死神〟と諷するに相応しい風采をしていた。
(やられる──!)
そう危惧した瞬間、何かが〝イージス〟の前に、矢のように飛び込んで来た。
〝フォビドゥン〟と同じく、甲羅のようなバックパックを背負った──〝ストライク〟だ。装備しているのは、粗悪品として扱われた〝フォートレス・ストライカー〟を、オーブが、改めて修復した代物である。
トールは、ムウをシールドで庇った後、ビームサーベルを引き抜いて〝フォビドゥン〟へ突進を仕掛けた。
旧式とは思えない、圧倒的な加速──シャニは見慣れない装備を背負った〝ストライク〟へ、真っ向からレールガンとビーム砲を立て続けに撃ち込む。その火力に〝ストライク〟のシールドは耐えきれずに破壊され、機体は、もろに砲撃を浴びて爆散したように見えた。
爆発の明光が〝イージス〟を照らし、ムウは悄然とした。
「馬鹿野郎ッ……!?」
──おれの代わりに、身代わりになって……!?
悲嘆したムウであるが、次の瞬間には、爆風の中から〝ストライク〟が飛び出していた。
多くの者の虚を突くように、そのまま〝ストライク〟は、〝フォビドゥン〟へ猪突してゆく。──その腕に、籠手型の光波防御帯を敷設しながら。
「!」
そう、
トールは腕部に光波防御帯を展開し、敵の火力砲を防いで見せたのだ。これは余談になるが、今まで実体盾を掲げていたのは、バッテリーを節約するための必要措置に過ぎず、あるいは、決して器用ではない
「やああっ!」
爆発の中から躍り出た〝ストライク〟は、一気にビームサーベルを構え、〝フォビドゥン〟のコクピッドを貫こうとした。
しかし、あまりに慣れない突貫行為だったためか、トールの中で、緊張が手許を
「あーあ、やっちゃったー……」
気が抜けたように喚きながら、シャニは〝フォビドゥン〟を後退させてゆく。
トールは荒れた息を整えながら、深呼吸した。そうして背後を振り返り、隻腕の〝イージス〟を見つめる。
「少佐、無事ですかっ」
「……無茶しやがる、このバカ!」
「でも、やれることはやれましたよ!」
仕留め損ねたけど。
と、落胆するトールであったが、確かに今の一撃は、ムウから見ても見事と云う他になかった。
「それより、〝クレイドル〟の武装──ありゃあ、乗っ取られたのか……!?」
これ以上、味方に甚大な被害が出る前に何とかしなければ。
そう判断したムウに対して、トールは指摘する。
「〝イージス〟は補給に戻ってください! その状態じゃ、思うように動けないでしょう!?」
「しかしだなっ……!?」
「──ここは僕達で抑えます! 少佐とカガリは撤退してください!」
キラの声が通信機から飛び込んで来て、ムウはハッと顔を上げた。
バッ! と凄まじい音が響くと、次の瞬間、キラば信じがたい挙動を見せた。
視界に映った〝フリーダム〟が二刀のビームサーベルを構え、高速で飛び回る〝エンドラム・アルマドーラ〟のスラスター部分だけを、正確に切り込んだのである。推進装置を破壊された自律兵装は、もはや自力航行が不可能となり、宇宙を漂流するだけのデブリと化した。
まさに神業としか云いようのない御業だった。高速で飛び回るビットに追いつき、僚機の損傷を極力まで減らすため、最低限スタスターだけを破損させるなど。
(〝レムレース〟、やる……!)
キラは敵機の機転に対し、慄然とした。
おおよそ敵機は、量産機部隊を壊滅させてしまうこちらの戦力を減らすため、ステラの兵装を強奪したのだ。その上で自律兵装を操り、現にこちらの戦力を二機も減殺した。モビルスーツ大隊を撃滅した報復、と云わんばかりに。
──復讐の亡霊? なんてヤツだ……!
後退した〝フォビドゥン〟の抜け目を通り、キラは慌てて〝クレイドル〟の掩護に向かった。
背後から〝レイダー〟が執拗に追いかけて来たが、そのままキラは、ステラとの合流を果たした。
「──ステラ!」
「キラ……!?」
ステラの声は、強い動揺が混じっていた。無理もない。得体の知れない現象によって、みずからの武装を乗っ取られたのだ。未知なる恐怖が彼女の身体を支配していた。
そのとき、ステラはキラの名を呼んでいた。
それが、通信越しに〝レムレース〟まで届くとは、想像していなかったが。
〈──
キラの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んで来た。
通信越しに、ステラ? ──いや、違う。声質は似ているが、それは間違いなく……〝レムレース〟からの通信だった。
「え……フレ、イ……?」
あり得ない。そんなはずがない。
キラは呆然と、胸が引き裂かれるような感覚に囚われた。
──フレイ……地球にいるはずの彼女が、どうして〝あんなモノ〟に……!?
キラの脳裏に、つい先日のように、フレイとの行為が思い出される。
薄明りの室内、互いに一糸纏わぬ姿で、掌と身体を重ねた。そしてキラは、そこで聞いた〝声〟すらも──とある人物と重ねていた。
──僕が……彼女を傷つけた……。
そのことに気付いたとき、果てしない後悔が彼の胸に立ち込め、ふたりは破局を迎えたのだ。それも、あくまでキラから押し付けるような、一方的な形で。
〈うそ……っ、キラが乗ってたなんて……!〉
次の瞬間、〝フリーダム〟の通信機に、赤髪の少女の姿が映し出された。
ふわりと広がった長い髪を、照明が炎のように赤く透かしている。毛先はすこし粗末に乱れ、目元には不健康な隈が浮かんでいるように見えた。が、それは間違いなく、かつて行為を共にしたフレイ・アルスターその人の姿だった。
──傷つけて……温もりに縋るばかりで……!
モニター越しのフレイの目から、涙がこぼれた。それは、
──キラが、いま〝フリーダム〟に乗っている! キラが生きている……!?
事実を反芻した途端、フレイの中に、歓喜の情が沸き上がって来た。
「キラ……?」
そこへ、ステラが訝しげに声を発した。
通信越しに映るキラが、激しく動揺しているように見えたのだ。
──あのふたりに、何があったの……?
ザフトに移っていたステラには、何も分からない。しかし今のキラは全身の血の気が引いたような表情をしていた。
それほどのショックが、キラの心を襲っていたのだ。
「──僕が傷つけた……! 僕が
後悔がキラを押し流し、過去の痛みを抉り出す。
〝ヘリオポリス〟のキャンパスで、大輪の花のように可憐に咲き誇っていたフレイ。
暖かくて、優しい世界に暮らしていたあの少女が、今、あんな邪悪なモビルスーツに乗っている! 肉体的にも、あらゆる不調が見える──あれだけ美貌にこだわっていた彼女が、今は、やつれ切った顔をしているのだから……!
──『守って』あげなきゃ、いけない人……?
そんなキラの声に、ステラは何か、胸が詰まるような想いを抱いた。
重苦しい感情がステラの胸を灼き、左胸の辺りを強く抉り付けた。
〈キラ……本当に、キラなのね……?〉
フレイは、まるで元の彼女に戻ったように、儚げな表情で声で、キラへと呼びかける。
ステラはそれを、ただ見ていることしか出来なかった。
──あのフレイが、キラと再会して、元に戻り始めている……?
それは、ステラ自身にも体験があった──狂気に駆られた自分を、シンが救い出してくれた時だ。
だとしたら、フレイにとってキラは、ステラから見たシンのような存在なのだろうか? キラもまた、彼女には云い知れない思いを抱いているようだし……。
他人には、まるで踏み込めない『領域』がそこにあって──ステラはただ、傍観していることしか出来ない。
〈……助けてっ……〉
フレイは、そう云っていた。
ステラとキラは、ハッとして顔を上げた。
〈強化人間にされて……苦しいの……辛いの……! もうこんなの、耐えられないの……!〉
「フレイ……!」
〈お願い、キラ……わたしを助けて……。
フレイの眸から、涙がこぼれている。
傷つけてごめんね。知らなくて。何も知らなくて、何も見ようともしないで……あなたをたくさん傷つけて。
謝りたいの。だからわたしを助けて──と。
懇願にも似た響きを持ったフレイの声は、キラの胸の奥深くまで、するりと浸透して行った。
「フレイ……ッ!」
キラの胸に、悔恨が突き刺さる。
待ってて、今、そっちに行くから──。
まるで贖罪のように、キラは我を失って〝フリーダム〟の指を伸ばす。鷹揚と〝レムレース〟へ接近して行く。
──以前にも、こんなことがあった。
──守るべきものを守れなかったこと……でも、今度こそ守って見せる。
僕は、フレイも守らなきゃいけない。
その強迫観念から来る気概が、このときのキラを、完全に洗脳していた。
「──待って、キラッ!」
静止を呼びかけたステラの声も、キラの耳には届かない。
いや、正確には届いていたが、このときのキラには、ステラの声は、フレイのそれにしか聞こえなかった。
そのまま〝フリーダム〟は〝レムレース〟へと近づいて行き──
「フレイ……!」
そうしてフレイは、会心の笑顔を浮かべた。
〈──甘いよねえ、キラ!〉
黒き亡霊の紅眼が、再度、嗤うように揺れた。
狂暴な掌返しと共に、右腕から抜き放たれたビームサーベルが、蒼翼の天使──〝フリーダム〟へと振り抜かれた。
【バチルスウェポンシステム】
頭部ブレードアンテナに装備された量子コンピュータウイルス送信システム。コロイド粒子を媒介に対象の量子コンピュータにウイルスを送信し、これを掌握する事ができる。