~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『ルーシェと呼ばれた少女』

 

 

 

 戦いは終わった。

 アスランはステラに挑み、そして敗れた。結論から云えば、それは実に彼らしい挑み方であり、同時に彼らしい負け方でもあったのだろう。

 立ちはだかる障害を、実力でもって押しのける。これまでと何ら変わらない武断と強硬の姿勢をもってアスランは事態の収拾に努めた。そして、いつもと違って結果にのみ裏切られたのだ。

 

 ──負けたのか、オレが……?

 

 このときのアスランはしかし、不思議と屈辱や無力感を抱くことはなかったという。抱いたとすれば、それはやはり疑問──何故、自分が敗けたのかという。

 そもそも、アスラン・ザラは決して弱い戦士ではない。それどころか、コーディネイターの中でも頭抜けた能力を持つ戦闘の鬼才であって、戦場で〝力〟を奮うことに関して云えば、おおよそ彼の右に出る者はいない程度には他と隔絶した実力を持っている。

 にも関わらず、アスランは今回、ステラには敗れた。キラですら疵ひとつ付けることの敵わなかった〝ジャスティス〟に、彼女は決定的な損害を与えてみせたのだ。

 ──その敗因は何だったのか?

 みずからの妹に敗れたという現実は、かえって彼を冷静にさせた。結論から云えば、アスランは致命的な勘違いをしていたのだろう。それは今回、彼を負かしたステラの境遇について──

 

『地球連合の生体操作によって、ステラは戦闘能力を人為的に強化されているんだ』

 

 ──「強化人間」

 その言葉を耳にしたとき、多くの者はこれを字義どおりに解釈し、おおよそ〝凡人より強かに調整された人間〟を連想する。誤りではないし、実際に強化人間の大半がそのケースであることを考えれば、それはやはり間違った解釈というわけではない。

 

 ──ステラは強化人間で、その力は不正な手段(ドーピング)によって培われたものだ。

 ──だから彼女がオレより優れていたとしても、それは仕方のないことではないか。

 

 士官学校における正当なカリキュラム、文字どおり血の滲むような研鑽と努力によって培われたアスランの能力は正道であって、一方で、不正と無法に手を染めて押し上げられた(ドーピングでブーストされた)ステラの能力は邪道である。

 ──その二人の能力値は、やはり、天秤に掛けられるものではない。

 勿論、その言い分は正しい。ステラがこれまで、兵士として何の努力もしてこなかったかのように嘯くことを除けば、であるが。

 それは当時のアスランにとって正当な言い訳であり、けれどもビクトリアにおいて〝力〟に目醒めた後の彼は、そんなステラさえも凌駕する〝力〟を手に入れた。

 

 そのときのアスランは、たしかに一度、ステラを越える〝力〟を手にしたのだ。

 

 だからこそ、彼は今回、自分がステラに負けるとは夢にも思わなかったし、自分が勝利する未来を信じて疑っていなかったのだ。それが自己過信であったかはともかく、負けると思って戦いに挑む奴はいないし、勝てると信じ、勝たなくてはならないと誓って戦いを仕掛けたのは事実だ。

 ただでさえ、ステラは尋常のコーディネイターを圧倒する能力を持つ。元はコーディネイターを殲滅するための兵士だったと云うのだから、ある意味それも当然なのだろう。さりとて、アスランなら──彼ならば、決して抑えられない相手ではなかった。……その筈だったのだが……

 

(これがアイツの、本当の〝力〟だとでも──?)

 

 かつて、大西洋連邦は強化人間を自軍の指揮下に置くために、いくつかの細工を施していた。

 ──ひとつは最適化装置による定期的な記憶操作。

 ──ふたつは洗脳と暗示による精神支配。

 こうした技術を用いることによって、彼らは『ステラ』が持つ本来の自我を抑え込もうとした。つまり、生来の『ザラ』とは異なる別の人格──『ルーシェ』の人格──を定期的に用意することで、彼女の本来の人格が目醒めることを防いでいたのだ。

 齢十四歳にもなる彼女が、いまだ幼子のような精神性であり続けたのも、おそらくはこの精神支配の弊害であるのだろう。彼女の自我が順当に成育し、発達に伴い、ひとりでに本来の自我が目醒めるような事態を非道な研究者達は恐れていた。

 だから定期的に彼女の記憶を空白の状態(ブランク)に差し戻し、その精神が発達することを意図的に禁じていたのだ。

 逆に云えば──『死』という単語を耳にしたとき、彼女が著しく恐慌状態に陥ったのは、それまで暗示によって抑圧されていた『ザラ』の人格が、半ば目を醒ましかけていた証拠なのではないか。これは推論とも云えない妄想の類だが、だからこそ研究者達は、その言葉を彼女に対する『ブロックワード』として、彼女の前では二度と使わせぬように心掛けたのだ。

 

 勿論、それだけでは、ステラに薬物が投与されていた説明にはならない。

 

 そもそも、何故コーディネイターである彼女に薬物が投与されていたのか? アスランとしても、それは常々疑問に思っていたことだった。

 大西洋連邦が得意にしているらしい生体強化とは、本来、後天的に高度な能力の開花を見込むことのできないナチュラルを純粋に〝強化〟するためのものだ。つまり、生まれる前から遺伝子調整によって強化されているコーディネイターに対し、それを施す理由というのは余りないのである。

 にも関わらず、彼女には薬物が投与されていた。

 それは、精神操作だけでは彼女の自我を抑え切ることができなかったからではないか? コーディネイターの高度な自然免疫力は、洗脳や暗示に強い耐性を持つ。だからこそ彼らは、あえて依存性の強い薬物を彼女に投薬することで、彼女を肉体的にも支配下に置こうと考えた。つまりは何が云いたいのか──

 

 ──精神操作と薬物投与。これらはステラにとって〝拘束具〟だった。

 

 精神と肉体──

 それぞれに不可逆的な枷と鎧を取り付け、大西洋連邦は意図的に彼女を〝弱体化〟させた。そうでなければ、屈強なコーディネイターである彼女の自我を支配し、指揮下に置くことができなかったから。

 要するに、ステラは元から強い(・・・・・)のであって──精神的に成長した面はあるにせよ──

 

(以前までが、弱すぎた(・・・・)──のか?)

 

 少なくとも、その可能性の方が高いように、アスランには思える。そしてそれこそが、おおよそキラやアスランとは決定的に異なる、ステラの経緯でもある。

 キラやアスランは、戦場を重ねるごとに戦い方を学習し、パイロットとして卓抜としていった。それこそが〝正常〟であり〝普通〟でもあるのだが、ステラの場合はそうではない。彼女は戦場を重ねるごとに戦い方を思い出し、本来なら発揮できていた筈の力を、戦場を重ねるにつれて取り戻していったに過ぎないのだ。

 

(ならば今、あいつを縛り付けるモノは何もない──)

 

 精神操作と薬物投与、本来不可逆であるはずの制約から奇跡的に解放された今のステラは、ある意味で全ての封印が解かれたような状態にある。数々の制約や抑制、それらによって拘束されていたであろう〝力〟が全て解き放たれ、文字どおり全力で戦うことが出来るようになったのである。

 ビクトリアにおいて、アスランは当時ハンデを背負っていたステラを越えたに過ぎず、そうとも知らずに今になって戦いを挑み、強かな逆撃を被る形になったのだ。

 

「……ッ」

 

 言葉が、出なかった。

 戦いにおいてアスランが臆病になることは久しいが、このときばかりは慄然とした表情を隠せなかったという。今まで愛して来たであろう目の前にいる少女のことが、恐ろしく見えて堪らなかったのだ。それは、初めて敗北という体験をした今の彼だからこそ、知覚できる感覚だったのかも知れない。

 

「アスラン──っ!」

 

 戦慄していたアスランの頭に、キラの呼びかけが被さった。

 ──これ以上、戦い合う必要はない。

 放たれる言葉には、懇願にも似た響きが含まれていた。

 

「もう終わらせよう、こんなことは!」

 

 キラ達から見たこのときの〝ジャスティス〟は、単に右腕が損壊しただけだ。抵抗しようと思えば、それでも見苦しく抵抗することはできるはずだ。それでも茫然としているのは、アスランの中で、何かが折れてしまった証拠ではないのか……?

 ステラはぐっと息を呑みながら、そんな彼からの応答を待った。彼が今、何を考えているかなど、所詮は通信越しに察知できるようなことではなかったのだから。

 

「共に手を取り合い、道を捜しましょう……アスラン?」

 

 何もかも手遅れになる前に、彼の目を覚まさせなければならない。ラクスの言葉は、祈りのように、優しく差し出された手だった。アスランは辛うじて、返す。

 

〈ラクス──あなたが云った通りだった……〉

 

 肯定され、ラクスはほっと、表情を綻ばせる。しかし、その手が取り返されることはない。ラクスが意図した言葉は、アスランには伝わらなかった。伝えたいものは、伝わるものとイコールではなかった。

 

〈あなたが仰った通り、オレはザフトの(・・・・)アスラン・ザラ(・・・・・・・)です! 自分の意志でザフトに志願した──! ならば、最後まで〝プラント〟と共に戦う!〉

 

 今、明確に分かった。なまじ迷いを知らず、その身に強大な力を秘めた者ほど、敵にして厄介な存在は他にない。

 それは自分自身に当てて良い評価であったが、今の彼にとっては、目の前にいる妹こそがそうだった。このとき、彼は自分のことをすっかり棚に上げて物を云っていたのだが、自覚がないのは、それだけ動揺が先行していたからだろう。

 

 ──こいつらを野放しにしたら、ザフトは敗戦する……!

 

 予感ではない、確信だ。

 仮にも、自分が父を裏切るような真似をすれば、戦局は一気にザフトの不利に傾いてしまう。テロリスト達が望んだ結末を迎え入れてしまう! 義務感や使命感から、だからこそアスランは叫ぶ。

 

〈道を違えた以上、無理に手を取り合う必要はない! 許せないんだッ──強化人間だなんだって、もっともらしいこと云って! 人体を引っ掻き回して! そんなみっともないナチュラル共と、どうして手を取り合える!?〉

 

 キラ達にとって、アスランは一歩、遠い。

 その一歩は小さいが、手を伸ばしても届かないだけの距離があった。

 

〈オマエ達を越えなければ、おれは前に進めないッ……!〉

 

 まだ、足りない。

 まだ、自分には足りない力がある。

 ──もっと、力を……!

 ──もっと、強い力を……!

 求め、願い、望み、もはや何のために力を欲したのかすら忘却し、アスランは声高に叫ぶ。

 自己完結して、暗澹な思念ばかり増幅させていく今の彼は、ぐるぐると車を回すハツカネズミのようだった。どんなに必死に走っても、考えても、何処へも行き着けはしないのに。

 途端、アスランは機体を転進させる。その動作を見て、ステラが声を挙げた。

 

「アスランッ!」

〈聞けないな! 次は、こうは行かない──!〉

 

 言葉では分かり合えず、云い捨て、深紅の閃光が戦域から飛び去ってゆく。

 ステラはそれを追おうとしたが、しかし、キラに手で制されてしまった。彼女は唖然として〝フリーダム〟を見た。

 

「あれが、アスランの生き方なんだ……。僕等は、それを否定できない……」

 

 否定してはならない。人の生き方を、同じ人が否定することは許されない。少なくともそれは、融和による平和を望んだ、自分達が行うべき所業ではなかった。

 

「アスランは一歩、遠い(・・)よね──」

 

 悲しげに、寂しげにそう云ったキラの言葉に、ラクスが言葉以上の反応を示す。ステラにはその意味の全てを理解することはできなかったが、遠い──その形容の仕方は、なんとなくステラにも分かる気がした。

 

「──でも、よくあのアスランに勝てたね……?」

 

 一瞬にして一度。本当に一度の交錯だけで、ステラとアスランとの決着はついた。たったの一度で格付けを済ませようとすること自体がナンセンスであり、別に感心しているわけでもないことは彼の口調から明らかだったが、キラは単純に意外に思えたのだろう。ステラに訊ねていた。

 

「勝ったんじゃないよ」

 

 ステラは飛び去っていく深紅の機体を最後まで見届けながら、たんとして云う。

 アスランは、なんだか色々と小難しそうなことを考えていたようであるが、この結末がなぜ齎されたのか、ステラには単純明快にして、よく分かっていた。

 

「アスランが、目を瞑ってただけ」

 

 無感情に発されたステラの言葉の意味が、そのときのキラには分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 随伴艦を裏切った〝エターナル〟は、そうしてL4の港に着けるようにして着艦した。

 港施設に、三隻から降り立った者達が会合する。

 

「初めまして──というのも変かな? アンドリュー・バルトフェルドだ」

「マリュー・ラミアスです。しかし……驚きましたわ」

「お互い様さ」

 

 薄く笑った男は、隻眼を巡らすと、傍らに立ち尽くしているキラを見た。

 複雑な表情を見せるキラは、視線を合せるのを躊躇しているようだった。そう、彼等は以前、リビアにて死闘を繰り広げた間柄だったのだ。

 

「いよう、少年。助かったよ」

「僕は……どうやって、あなたに」

 

 気さくに挨拶するバルトフェルドに対し、キラは躊躇いがちに顔を上げる。

 バルトフェルドは喉をならし、改めて問うように云った。

 

「……償いたいと思うかね?」

「ええ……あなたには、僕を撃つ理由がある──」

「分からないな……。今は戦争をしているんだ。そんな理由、誰にだってあるし。誰にだってない」

 

 公明正大な戦争など存在しない。戦争には、いつだって理不尽が伴うのだ。

 不意にアスランの言葉が、キラの脳裏に過ぎった。

 

「撃っては撃たれ、撃たれては撃ち返す──そういう連鎖を終わらせたいからここに来たんだ。きみも、ボクもな──違うか?」

「……はい」

 

 肩を叩くバルトフェルドに、キラは泣き笑いのような頷きを返した。

 

 

 

 

 

 大人達が情報を交換し始めると、その場からすこしばかり離れた場所に、キラはラクスの姿を認めた。アラスカの作戦が始まる前から、彼女とは久しい。

 キラは何気なく彼女の方へと寄って行き、ラクスもキラの姿を認め、可愛らしくにっこりと笑った。キラは穏やかな笑顔を返され、自分も柔和に微笑む。

 

「……まさか、あの人にまた会えるなんて思わなかった」

「ええ、生還なされたことが奇跡のように謳われておりました。ですが、あの方がこうして同じ道を選んでくださったこと、わたくし達にとっては喜ばしいことですわ」

 

 元々、マーチン・ダコスタはクラインよりのザフト兵であり、副官として、シンパに引き入れられないかと何度か探りを入れたことがあったらしい。

 

「なんでも、『一度は失われた命だから、オマケの分は思いっきり好きなことをやろう』──そう仰られたとも、聞きました」

「……バルトフェルドさんらしい」

 

 少しずつ、自分達の志に賛同してくれる者が増えている。

 そう考えると、キラの胸に、明るい希望が差し込んだ。同じ地平の上に立ち、これから共に戦場を駆けてゆく。少しずつであっても、段々と自分達が望み、目指した場所へ近づいて行っている気がした。

 ──アスラン……。

 分かり合える可能性が、人にはある。ナチュラルもコーディネイターも関係ない。互いに手を取り合い、同じ場所に向かって進むだけの足が、自分達はあるのだ。

 アスランはしかし、可能性を拒絶した。

 惑うようにキラが沈鬱な表情を浮かべると、ラクスの表情にもまた、深い陰りが落ちた。

 

「……ラクス?」

 

 気遣ってキラが訊ねると、ラクスはふと、顔を上げて微笑みを浮かべようとした。神聖な微笑みを返そうとして、しかし、失敗した。震えた声が先に漏れてしまったのである。

 キラは労しげな表情になって、ラクスは観念したように、云った。 

 

「父が、死にました……」

 

 キラは思わず、返す言葉を失った。

 そう、彼女もまたカガリと同じように、道半ばで愛する父親を失ったのだ。

 

「〝プラント〟の市民は知りません……誰も……。わたくしたちも、どうやって死んだのかさえ」

「ああ、ラクス……」

 

 ラクスは気丈に振る舞おうとしたが、堪えきれずに大きな涙を目に溜め、泣き出した。

 キラが傷ついたとき、彼を収容し、癒したのはラクスだった。

 

「…………」

 

 キラはそんな彼女に恩返しをするように、そっと胸を貸す。ラクスはキラの胸で泣きじゃくり、したたかに震えていた。

 それは聖女などではない──たったひとりの、まわりと何も変わらない──儚い少女の弱さだった。きっと今まで、斃れた父に代わって、みんなを率いて来たに違いない。そんな彼女の涙だから、キラは黙って受け止めた。かつて彼女が、傷ついた自分にしてくれたように、その髪を撫でながら。

 キラ・ヤマトは、心の優しい少年だった。

 優しいがゆえに、少年は、泣き晴らすまで震え続ける少女の身体を、黙って受け止めることしか出来なかった。これを突き放す勇気も度胸も、持ち合わせていなかったのは事実だった。

 

「────」

 

 ステラはすこし離れた場所で、そんな二人の様子を目撃していた。

 このとき彼女は、泣き崩れたラクスを見るのが、おおよそ初めてのことに思えてしまった。あんな表情のラクスを、ステラは事実、これまで見たことがなかったのだ。

 きっと、彼女が誰にも──おそらくはアスランさえ──これまで見せたことのない、泣き姿であろう。にも関わらず、ラクスはキラに対して、あるがままの姿を晒け出していた。

 それがステラには、少し意外に思えた。

 

(仲、いいんだ)

 

 嫌というわけではなかった。

 ただ、自分が慕っている者同士が仲睦まじいというのだから、それに越したことはないだろう。間違いない。

 そういうキラも、ラクスには胸を貸し、優しく対応している。ああ、キラらしいな、とステラは漠然と思って、ついで、トールが云っていた言葉が脳裏に浮かんだ。

 

『女の子のありのままを受け入れてあげるのも、男としては、大事なことだと思うんだよな……!?』

 

 あのとき、トールが何を云おうとしていたのか、ステラにはよく意味が分からなかった。

 しかしキラは今、トール曰く「大事なこと」というのを、ラクスにしてあげているような気がした。ありのままに泣いている女の子を、彼は優しく受け入れてあげているのだから。

 

 ──あのふたり……。

 

 ステラは、しかし、その先を思惟しないようにした。

 と云うのも、咄嗟に、なんとなく気まずいような、なんとなく面白くないような感覚が襲って来たのである。

 何故だかは、全然わからない。

 けれど、そのとき「場を離れよう」という心が彼女の中に働いていたのは、否定しようのない事実であった。

 ステラはそのとき、一歩として身を引いていた。

 

 

 

 

 

 

 更衣室で衣類を着替えた彼女は、制服に身を改めたあと、〝クサナギ〟の展望室へ向かっていた。

 訪れた先で、ひとりの先約を見つけた。車椅子に乗り、やって来た〝エターナル〟を見つめている、マユ・アスカである。

 負傷しておきながら、同伴者もつけずに展望室を好むなんて、まるで昔の自分を見ているようだと、錯覚がステラに流れた。彼女は背後から寄って行き、そんなマユの右脇に位置づいた。

 

「……どうしたの?」

「あっ、ステラお姉ちゃん」

 

 マユはびっくりしたように目をぱっちりと開け、ついで、小さく笑った。

 

「あのピンク色の艦が入って来るところ、見てたんだ」

 

 円らな眸が、ステラを映したあと、ゆっくりと展望室の直面に向けられた。

 視線の先には、たった今、来航した〝エターナル〟の船体がある。

 

「あの艦、お姉ちゃんが守ったんだよね?」

「……みてたの?」

「うん、映像で」

 

 意外そうにステラが訊ねると、マユは可愛らしく小さく笑った。

 

「すごいなあ」

 

 何と云うわけでもなく、マユの口から、言葉が零れていた。

 それはある種、ステラを神格化でもしているような言い分だった。

 

「守れる力があって。みんな、お姉ちゃんが守っちゃうんだ」

「まもる……」

 

 が、ステラは自分を人間として扱って欲しいのが実際のところだった。

 それゆえ、敢えて釘を刺すような叱責を云ってしまった。

 

「でも、ステラは何でもできるわけじゃない。自分のお兄ちゃんすら、説得できなかった子どもだよ」

 

 それは、ステラ自身の迷いだった。

 『まもる』

 ふと、自分を根底から変えてくれた、その言葉を教えてくれたのが誰であるのか、いま、この子に云っても信じてはもらえないのだろう。

 ステラは不意に、そんなことを思った。

 

「お兄ちゃんが、いるの?」

「ふたつ、年上の」

「そうなんだ、マユと同じだね」

「……シン?」

「え、どうして、名前知って──」

 

 すると、マユは「むむ?」と覗き込むような顔をして、ステラの顔を眇め始めた。彼女は車椅子に座っているため、上目遣いで見つめられた形になったのだが、ステラはひとえに呆けた表情をし、頭には疑問符を浮かべている。

 ──なに?

 そう云いたげな視線を返すが、一方でマユは、金糸を紡いだように輝くステラのガーリーボブの髪を注視していた。肩上で切り揃えられ、決してロングとは云い難いヘアスタイルに思うところがあるのか、思案顔を浮かべている。

 ややおいて、マユは私服のポケットのからおもむろにヘアゴムを取り出した。本人は至って真剣そうな顔で、それをステラへと差し出した。とある要求と共に。

 

「ちょっと、ポニーにしてっ!」

 

 唐突に、訳の分からない要求を突き付けられ、ステラは物も云えずに絶句した。マユはいきなり、髪型を変えてくれ、と云い出したのだ。

 なんだか良からぬことを企んでいるのではと思い、ステラはなんとなく、殆どなんとなく、

 

「やだ」

 

 とだけ、答えた。

 それは、間が悪いという問題でもあった。

 今の彼女は、こと自身の髪型(ヘアスタイル)について繊細(ナイーブ)であったのだ。

 確かに、最近の彼女は自分の髪型を変えてみたい──より正確を期すれば、もっと女の子っぽく、ラクスのように御淑やかな印象のあるロングヘアーにしてみたい──と以前から願望を持っていた。そういう意味では、マユはロングヘアーでありながら、どちらかと利発的なイメージが先に立っているが、なんにせよ、丁寧に結われた編み込みが年齢相応に可愛いと思う。

 が、しかし、今のステラには、ヘアアレンジできるだけの髪の長さがなかった。

 不思議と質量を感じさせないふんわりとした金髪は、どちらかというとミディアムロングであり、アレンジのレパートリーは限定されている。いっそポニーテールに束ねようものなら、ボーイッシュではないにしろ、厭が応にも男の子みたいな風貌になってしまうのだ。それは女の子として、ステラとしても嬉しくない所であり、今の彼女に悩ましい部分であった。

 初めてロングヘアーにしたいと思ったきっかけは……何だったろうか、よく思い出せないが。

 

「んー、じゃあふたつ編みでも良いの! やってあげるから、すこし屈んで欲しいな」

 

 いったい何故、そこまでステラの髪型にこだわるんだろう? ステラは怪訝に思いながらも、それなら……と姿勢を屈めた。

 マユは、やはり女の子だ、無駄のない手際でステラの髪をまとめ、ツインテールを作って見せた。

 

「できた」

 

 云うと、マユはまるで、自分で創作した芸術品でも見るようにステラの顔を眺めた。

 そして、思いついたように云う。

 

「……ステラお姉ちゃん、前にわたしと会ったことあるでしょ」

 

 ぎくっ。

 ステラは、おどおどと狼狽えた。

 

(分かり易っ)

 

 突っ込みながら、マユは内心で苦笑する。

 髪型が変わって、確信したのだろう。

 

「たしかずっと前、オーブで……」

「会ってない」

「いや会ったよ! あのとき男装してた──」

「会ってないもん」

「…………」

 

 マユは、何も云わなくなった。

 ──いや、会ってるよね……。

 オノゴロの繁華街の中で、確かに出会った記憶がある。記憶違いでなければ、猫みたいにシンに抱き着いたのが彼女であったような気がするが……。

 

「……お兄ちゃんと、おともだちだったんだ?」

 

 マユはなんとなく察して、そう云った。 

 ステラは、沈黙した。

 

「……どうしてるかな……」

「──シンは」

 

 ふたたび、展望台に視線を戻したマユに、ステラは云った。

 

「シンは、きっと〝プラント〟に……ザフトに行ったんだと思う」

 

 ステラは、適当なことは云わなかった。

 少なくとも、未来の自分がザフトに所属した彼と出会っていることを知っているからだ。ニコルの話では、彼をオーブの軍人に押し付けたときにも〝プラント〟への移住を強く奨めたと云っていたし、よほどのことがない限りは、おそらく彼は〝プラント〟へ出向し、ザフトに入隊するはずだ。

 

「だからきっと──〝プラント〟に行けば……」

 

 どの道、マユの足を治療するためには、根本的に〝プラント〟における高度な医療技術が必要となる。並行して〝プラント〟内でシンを捜せば、おそらくそれが、マユにとって最良の選択になるだろう。

 もっとも、戦時下では〝プラント〟へ移住することなど不可能に近いため、どれもこれも、戦争が終わってからの話になるだろうが。

 

「じゃあ、そのついで(・・・)にマユもザフトって所に入ったら、お姉ちゃんみたいに強くなれるかな」

 

 聞き捨てならない言葉を拾い、ステラは慌てた。

 ──いま、なんて……!?

 愕然とするステラの反応を見て、マユは悪戯っぽく返した。

 

「じょうだんっ。今は、それどころじゃあないよね?」

「……生意気っ」

「えへへ」

 

 しかし、マユはひっそり、口には出さず胸の内で云った。

 ──でもね。お姉ちゃんに憧れているのは、ホントだよ……

 口だけを動かしたその呟きは、当の本人には、聞こえなかった。

 

 

 

 

 軌道衛星上にある〝アメノミハシラ〟ファクトリー内部で、とある戦闘訓練──模擬戦が取り行われていた。

 この訓練を監督するため、視察ブースの中にはロンド・ミナの姿があり、彼女の目下、透明な強化ガラスの向こう側にはゴールドフレーム〝(アマツ)〟と量産型のM1A〝アストレイ〟がそれぞれに構えながら立っている。二機共に実戦で用いるような本格的な武装は持たず、今は槍を握っているのだが、それと云っても先端が丸められた借物である。

 

「始まったな」

 

 ミナが呟き、実際に模擬戦が始まると、M1A〝アストレイ〟の方が先に地を蹴り、勢いよく〝天〟へ飛び掛かった。

 ──戦いは、先に動いた方が負ける?

 そのような陳腐な言葉を反故にするくらいの気勢と気概を抱えているM1A〝アストレイ〟の動きは、端的に云えば我武者羅だ。

 ──機先を制した者こそが、戦いには勝つ!

 そういった気迫さえ伺える〝アストレイ〟を視ながら、ミナはその一本筋の通った姿勢に好感を抱いていた。

 

「思い切りが良い──」

 

 ミナは腕を組みながら、たったいま気迫と共に勢いよく動き出し、しかし、一瞬の内に〝天〟に蹴倒され、返り討ちに遭ったM1Aを見届けた。

 同じく模擬戦を眺めていた技術スタッフの男が、嘆息つきながら云った。

 

「結果は惨敗みたいですね?」

「あれほどの気迫と勇気は、あの者(・・・)の生まれ持ってのものだろう。あればかりは、後天的にはどうにもできん。大事な素質だよ」

 

 ────二度目の模擬戦が始まると、今度のM1Aは防戦に徹したが、構えた盾を弾かれ、〝天〟が突き出した槍により即座に一本を取られてしまった。三度目もまた再開されたが、M1Aはやはり一瞬にして敗れ去った。

 だが、全くの劣勢でありながら、M1Aから気迫の類が消えていく気配はない。何度でも立ち上がり、執拗に喰らい付いてゆくまでの獰猛さがあった。

 そうして訓練を観戦していたミナの耳に、MS同士のスピーカーからかしましいやり取りが響いた。

 

〈子どもには過ぎた玩具(おもちゃ)だ。大人しく降りて、無様に雑用でもこなしているといい、棄民の少年〉

〈もう一度! もう一度だ!〉

〈初めから無理があったのだよ、この私とデュエットを踊ろうなどとは〉

 

 そうして、模擬戦は何度でも続く──

 このとき、ゴールドフレーム〝天〟にはロンド・ギナが搭乗し、驚くべきことに、もう一方のM1A〝アストレイ〟には、シン・アスカが搭乗していた。

 

 シンには、MSを操縦する才能があったのだ。

 

 様々な贔屓目を抜きにしても、そうしたシンの能力は凄まじい伸び代を持っていた。有志であり、同じ時期にMSの操縦訓練を受けさせ始めた者達が、今なお操縦に四苦八苦している中で、シンだけは既に、MSを手足のように使ってしまう早熟さがあったのである。

 その原石とも云うべき才能を、早い段階から見抜いたミナは、みずから直々にシンの教導役を請け負い、今回は模擬戦と称し、実弟のギナと対戦させていた。

 だがギナという男は、ミナという女ほどに親切ではない──

 

〈そぉれ、踊らなければ風穴が空くぞ!〉

 

 風穴が空くはずもない先端の丸い槍でど突かれ、またもシンの機体が敗れ去る。

 ──大人げないとは、こう云った場面のために使うべき言葉でろう。

 流石に思うところがあるのか、またも技術スタッフが声を漏らした。

 

「幾らなんでも、相手が悪すぎやしませんか? ギナ様に比べ、シンはMSを操縦できるようになったばかりの素人なのに」

「いや、よいのだ。あれで」

 

 ミナは、ざっぱりとして云い切った。

 

「繊細な部分は私がみずから鑢に掛けるさ。だが、もう暫くはギナを使って粗削り(・・・)した方が、あの原石は美しく輝きそうだ。私の勘がそう告げている」

「いやぁ」

 

 ミナという女性が先見の明に優れていることはスタッフの男も承知しており、彼女の言葉に疑いを掛けるのも心外なのだが、そのやり方は本当に合っているのか?

 ふたたび視線を訓練場に戻してみるも、やはり、碌に見られたものではない。そこには少しばかり高揚しているゴールドフレーム〝天〟に、完膚なきまでに叩きのめされている〝アストレイ〟の、全くもって情けない姿と惨状が拡がっているだけ。

 というか、ギナは既に槍をおいてシンに殴りかかっており、果たしてその光景は、本当にミナが設けたかった正当で公平な教導訓練なのか? スタッフの目には、ごく個人的で一方的な、ギナによる憂さ晴らしの現場にしか見えないのだが……?

 

〈丁度いいサンドバックだ!〉

〈操縦教える気あんのかあんたはーーッ!!?〉

 

 ものの見事にボコボコにされている機体の中で、シンの絶叫が木霊した。

 

 




 シン・アスカ、魔改造中。

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