~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『ディア・シスター』A

 

 それは、大西洋連邦による攻撃が再開されるより前のこと。

 ステラは〝アークエンジェル〟のデッキにて、キラと久々に談話の時間を持っていた。彼女達のすぐ脇ではマードックを初めとするメカニックが、急ピッチでモビルスーツの補修や整備を行っている。

 ステラはこれまでに自分が辿ってきた経緯について、キラに打ち明けていた。ザフトに連行された後、第二次ビクトリア攻防戦に参加したこと。アラスカへの侵攻戦に参加したこと、やがて〝クレイドル〟を与えられたこと──その中で、アスランのことについても。

 

「──アスランが?」

 

 具体的には、第二次ビクトリア侵攻戦を期にアスランの人となりが豹変してしまったことだろうか。アスラン本人は気が変わった、と述べていたが、それでも以前を知るステラから云わせれば、それは気が触れたような変わりようにも思える。

 けれどもステラには、そんなアスランをなんと表現すればいいのか、よく分からなかった。その変化というものが、以前の彼と見比べたときに、果たして善いものであるのか、悪しきものであるのかも含めて。

 

「〝ストライク〟にキラは乗ってないって嘘ついたり、ビクトリアで暴れ回ったり──なんだか、ヘンになっちゃったんだ」

 

 呟くステラに対し、キラもまた──なんとなくだが──その変化は感じ取っていたらしい。

 

「アスランは昔から頭が良くて、頼りになったよね。そんなアスランに、何があったんだろう……?」

 

 キラは伏し目がちに考えた。

 ──ステラの云う通り、確かにアスランが変わったと感じるのは地球に降りてからだ。

 切欠はビクトリア侵攻戦にあったとステラは云う。だとすれば、果たしてそこで何があったというのだろう──何が、彼をあそこまで変えたのだろう?

 

「それからのアスランは、〝ストライク〟に乗ったキラのことを絶対に『キラ』って呼び方はしなかった。ずっと兵器の名前で──『〝ストライク(・・・・・)〟』って呼び名を使って」

「──そうやって、きみを騙してた?」

「ううん、自分を。──アスランは〝ストライク〟って呼び方を使って、自分で自分を騙してた」

 

 あれはキラじゃない──「敵」だ。

 あれは親友なんかじゃなく──倒すべき「敵」だ。

 そうして自分に言い聞かせる心理が、そのときのアスランには働いていた。

 

「だから今のアスランは、理屈で自分を隠してるんだとおもう」

 

 偉大な父の存在に重圧を感じ、寄せられる全幅の期待に応えようとするあまり、人間的な感情を隠した。

 だとすれば、今のアスランはただ父が望むままに命令をこなす〝戦士〟だろうか。戦いの中では私心を捨て、大義の前では倫理さえ意味を果たさない。

 けれど、そうなってしまったのは、むしろ彼が優しすぎる性格をしていたから、なのかもしれない──?

 

(地球軍……ナチュラルに母親を殺されて、妹を辱められたと知れば──平穏ではいられない)

 

 キラが思うに、アスランは共感力の高い人間だった。たった一度でも受け入れてしまったものを、どこまでも許してしまう寛容さがあった。

 それは生来、損をする性格ということでもある。親愛なる者に対しては、その者の立場に寄り添い過ぎるのだ。友のためなら自分の首を絞めることも厭わない──そんな優しさを、たしかに持っている人だった。

 

(だから余計に、地球軍が許せなかった)

 

 母と妹、アスランの家族を傷つけた心ない者達が、彼には許せなかったのか。

 勿論、元の性格を考えれば戦争などを平気でできる人間でもなかった彼は、実際に戦争の中では傷つき、焦り、そして疲弊していった。そうして確実に弱っていた彼の心を解放したのは、不幸にも「ナチュラルを滅ぼせば戦争は終わる」という、パトリックの強引な論理だった。

 ナチュラル殲滅を目論むパトリック・ザラと、そんな父に従う自分こそが「正義」と信じて疑わない。今の彼が〝ジャスティス〟というモビルスーツを駆っているのは、今となっては偶然には思えない。

 

「アラスカで〝ジャスティス〟と対峙したとき。あのときも、アスランは僕を許してはくれなかった」

 

 太平洋上で〝ストライク〟と〝イージス〟が対峙して、戦った。互いに傷つき、傷つけ合いながら、互いに機体を乗り換えてなお、アスランはアラスカで、キラと再び対峙しようとした。

 それは、まるで成長していないというべきか。

 しかしそんなことを繰り返すのは、キラにとっては嫌なのだ。

 

「あんなに一緒だったのに、言葉のひとつも通らないんだ」

「…………」

 

 それから、ふたりの会話は続いた。

 キラは、目の前に聳立する〝クレイドルを〟見上げて云った。

 

「──〝アレ〟も、〝ジャスティス〟や〝フリーダム〟と同系統のモビルスーツ?」

「うん、お姉さん」

 

 つまり姉妹機であると云いたいのだろうが、どちらかと云えば兄弟機ではないだろうか?

 攻性に富んだ〝フリーダム〟も〝ジャスティス〟も、仮に擬人化させたとして、とても女性には見えない剛胆な印象を受ける。〝クレイドル〟は元々守性のモビルスーツであるためか、全体的に柔和な印象を受け、女性と考えても違和感はないが……。

 キラは聞き咎めて、小さく訊き返す。

 

「お兄さん、じゃなくて?」

「お姉さん」

「そ、そっか」

 

 この際、どちらでも良かった。

 ──僕らからすればステラは妹なのに、モビルスーツはお姉さんなんだ……?

 それが、なんだか奇妙に思えて、キラは少しおかしそうに笑った。

 

「ラクスに会ったの。キラが──〝フリーダム〟がオーブにいるって、聞いて」

「そっか。ステラも、あのお姫様に会ったんだね……?」

 

 キラは、遠い目をした。 

 

「僕の〝フリーダム〟も、彼女がくれた。びっくりしたけど、強い人なんだって知ったよ……」

 

 戦争とは無縁の世界で、穏やかに活動している国民的アイドル。キラにとって、ラクス・クラインの第一印象など、せいぜいそう云った所だ。

 だが、現実はそうではなかった。歌姫という立場上、表向き愛らしい偶像を演じていても、彼女は戦争について終結する方法がないか、ずっと考えていたのだ。平和への祈りや願いは人一倍強く、しかし、自分では戦えない。だからそれを託せる人間を、彼女はずっと昔から捜していた。

 そして見つけたのだ、キラ・ヤマトという人間を──。

 みずからの意志を持ち、何と戦わなければならないのかを明確化できる『自由の戦士』を──。

 ラクス自身の想いと信念を託せる人間に、彼女はみずからを重ねようとした。

 だからこそキラに〝フリーダム〟に明け渡し、みずから叛逆者となってまで、平和を実現させようとした。以前、〝アークエンジェル〟艦内でラクスを保護したとき、ステラもまた、彼女に訊ねられたことがある。

 

 ──あなたはこれから、どうなさいますの?

 

 あのときから、ラクスはきっとステラを試していて、そのときステラはすぐに答えることができなかった。できなかったから、ラクスはその時点ではステラを頼ろうとしなかった。ステラがまだ、自分の意志で動くことができないから──。

 けれど、それ以降のステラは、帰属する軍を替え、彼女自身の見識をさらに広げていった。地球軍兵として、ザフト兵として、さまざまな角度から世界を見た。

 そうして両軍を渡り歩いたからこそ、本当に戦うべきモノがなんなのかを見出し始めていたステラが、自分を捕らえに来ることも承知の上で、ラクスはあの屋敷で待っていた。それだけステラに伝えたかったことがあるのだろうが、同時に、彼女自身は既に死を覚悟していたのかもしれない。

 

「ラクスもそうだし──中立を訴え続けているオーブの立場だって、正直、かなり難しいよ」

「……うん……」

「地球軍の側につけば、ザフトは敵。逆にザフトの側についても、同じことだ。立場を変え、敵を変えるだけで。──でも、それじゃあしょうがない」

 

 ステラは、あらためて思い知る。

 ラクスが見込んで、平和のために使役した者──

 それがキラ・ヤマトであり〝フリーダム〟なのだということを。

 

「そんなのはもう嫌だから。……だから、僕は戦うんだ」

 

 その主張は、ラクスのそれとよく似ていた。

 ステラは直感的になって、人ひとり分空けて座るキラの顔を覗き込む。じいと見つめられ、キラはきょとんとして、そのまま二人の間に沈黙が流れる。

 

「なっ、なに?」

「ラクスのこと、すき?」

「えっ……!?」

 

 キラは、その脈略もへちまもない発言にぎょっとした。

 

「なっ、なんでっ」

「……なんとなく」

 

 キラは口籠って、返事を出さなかった。

 沈黙が流れる。ステラは、ちがうの、とアテレコを当てても良いような顔を浮かべたのち、ふいっと視線を外してしまった。まるで訳の分からないキラは、まさか彼女がそんな言葉を投下して来るとは思わず、硬直していた。

 

 ──すき? 今のは一体、どういう意図の質問だ?

 

 ひと言で「好き」といっても、その意味はまちまちである。

 そこには、友情(Like)恋情(Love)の紛らわしい差があるわけで。

 勘違いすると、死ぬほど恥ずかしい雲泥の差があるわけで……。

 いや、ステラのことだから、きっと前者の意味で訊ねたのだろう。そもそも、彼女が後者の概念自体を持っているか分からない。

 

 ──ステラって、そういう感情(・・・・・・)、あるのかな……?

 

 淡い恋愛感情を、持つことはあるんだろうか?

 そう考えてから、馬鹿なことをと思う。勿論、当たり前にあるはずだ、彼女だって女の子なのだから。

 しかし、以前は恥じらいもなく自分の前で衣類を着替え始めたことがあったりと、あまりに性に無関心なことしでかすものだから、ついそのことを失念してしまう。幼馴染みというのは心が触れすぎているのだろう。もっと遠慮を持つべきだとキラは自分達を戒めた。

 

「ん」

 

 が、段々と、ステラの行動に理不尽なものを感じ始めた。

 ステラはいま、すっかり気を逸らして明日の方向を見ている。──人に尋ねるだけ尋ねておいて、期待から外れたら失望まじりに顔を背けるのもどうかと思うのだ……。

 良くいえば切り替えが早く、悪くいえば無頓着な一面である。

 

(そういうところあるんだよな……)

 

 しかし。

 ──そういうステラは、どうなんだろう?

 ──誰が好きとか、誰が恋しいとか……。

 無論、興味はあった。

 そのときキラを、いっそ訊ね返してやろうかなと、えげつない感情が支配する。

 キラはステラの方を向き直し、彼女が見せる横顔に目を遣った。

 

「そういう君は」

 

 が、次の瞬間には、掛けようとしていた言葉を忘れていた。

 彼女の見せる横顔が、あまりにも、切なげだったからだ。

 

「…………」

 

 目に映ったのは、様々な感情の入り混じった複雑な表情────。

 彼女はじっと、証人のように目前に聳え立つ〝フリーダム〟を見上げていた。キラは彼女への不満も忘れ、しばしその横顔に見入っていた。

 ステラの目は、ひどく憂いを帯びて、どこか気色ばんだ表情に、揺れる目元が印象的だった。

 東洋の血が入っているキラの中で、その儚げな面持ちは「(いき)」という感覚的な嗜好(たしなみ)と相まって、彼の中に感動を与えた。

 謙虚で静淑。哀愁の漂うその憂いを帯びた横顔は、まるで虚飾のない人情絵──絵葉書を思わせ、白い肌に金髪という異邦の人間が溶け込むには、あまりにも難しい一幅の肖像画(ポートレイト)を連想させた。

 すみれ色に揺れる眸は、まるで、以前からその機体を知っていたかのように〝フリーダム〟を映している。

 

「──〝フリーダム〟?」

 

 思わず沈黙を破り、そう訊ねていた。

 問いかけに、ステラはこくりと頷いた。

 

「うん……」

「……乗ってみたいの?」

「!?」

 

 途端、ステラは信じられない、と云った風な顔をした。ぶんぶんと激しめにかぶりを振り、キラの顔をぎょっと見返して来る。とてつもなく愕然としている。

 ──えっ、そんなにまずいこと云ったのかな……?

 全く身に覚えのないキラは、ステラから見て、すこし無神経に映った。仕方がないこととはいえ。

 

「──。キラは、戦争をやめさせたいの?」

 

 間を置いてから、ステラは、あらためてキラの真意を問うように訊ねた。

 

「そうだね……。戦いのない世界があればいい──そう思っても、戦いは広がるばかりで。今の僕には、戦うことしかできないけど」

「戦わなきゃ、守れないものもある……?」

「うん……。結局、その場しのぎの考え方にしかならないとは思うけどさ」

 

 ステラは、ベルリンで犯した自分の罪が消えるとは思っていなかった。

 何万という逃げ惑う人間を灼き殺し、破壊の限りを尽くした自分を。──そうしなければ自分自身を守れなかったとしても、たとえ、それが他人を傷つけていい免罪符になどならないのだ。

 そんな彼女を、止めるために〝フリーダム〟は舞い降りた。

 戦ってでも、これ以上の犠牲を止めるために。もしくは多くの人の命を守るために。そう思うと、ステラの中にひとつの感情が湧き出して来た。

 

 ──生きていて、良かった……。

 

 あのとき、自分は死ななくて良かった、と。

 彼女に命を奪われた何万の者達からすれば、なんて傲慢な考えだろう。けれど、奪ったからこそ、今度は救っていかなければならない。生きているから、こうして昔の自分を見つめ直すことができる。生きているから、こうして彼とも歩み寄ることができた。

 そう思うだけでも、ステラは今ここに生きている意味があるのではないかと、暖かい気持ちになるのだ。

 自分の中が満たされていくような想いに駆られ、ステラは、自然と頭を傾けていた。すとん、と音を立てて、その小さな頭がキラの右肩に乗る。

 かすかに甘い金髪の香りが鼻先を掠め、キラはぎょっとした。

 

「えッ!?」

 

 真意を探るような目で、キラが慌てて右肩の感触へと視線を落とす──と、委ねるような、あどけない眸がきょろりと見つめ返してくるだけだ。

 しかし、それも束の間、ステラはうっとりと両目を閉じてしまった。その顔がゆっくりと安らいでいき、キラは、なんだか遠まわしに「あなたは無害」と宣告されたような気分になった。

 

(この子、これ素でやっちゃうんだよなあ)

 

 なんとなく居た堪れなくなって、キラは指先で自分の頬をかく。

 先にも云ったが、彼女はやはり、幼馴染みというのをすこしばかり舐めてないだろうか? ひとりの幼馴染みである前に、自分はひとりの男なのだ──何が「無害」であるものか。

 

 ──お互い良い年齢(としごろ)なんだし……いや、それだけ信頼されている証拠なんだろうけど……。

 

 彼女の場合、この行動に他意の「た」の字もあるはずがない。

 舌足らずゆえのスキンシップ。これは彼女なりの意思伝達(コミュニケーション)手段のひとつだ。彼女は無知や無垢を通り越して、いっそ神聖なのだから。

 そういうところは、出会った頃とまったく変わってない。

 キラが身体を硬直させていると、そのとき、遠方にチェックボードを抱えるムウの姿が見えた。どうやら〝イージス〟の整備ログのチェックをしに来たらしい。

 キラはムウ・ラ・フラガという人物がどういう男か、なまじ把握できていたがために、今の状況を見られたら起こるであろう厄災をすぐに直感することができた。慌ててムウから目線を逸らそうとしたが、時すでに遅かった。

 何を思ったか、次の瞬間、ばったりムウと目が合ったのである。

 ムウは、ぽかんと口を開けて硬直した。

 ムウの目が、キラに体重を委ね安息するステラに留まる。次にすっかり赤面したキラに留まり、ふたりはしばし見つめ合う。沈黙が流れ、やがてムウの口元がにやにやりと緩み始めた。──ほら見ろ、やっぱり誤解された!

 ──バッ!

 耳を真っ赤にしたキラが、弁明しようと条件反射に立ち上がる。

 ──ゴンッ!

 支えを失くしたステラが、ベンチのアームレストに横頭から突っ込んだ。

 

「ああッ!?」

 

 キラは、悲鳴を挙げた。

 慌てて振り返る──と、ステラが思い切りぶつけたであろう左頭を押さえながら、「? ? ?」と顔に疑問符を浮かべまくっていた。

 キラは顔面を紅潮させたり、蒼白にさせたり、表情を二転三転とさせる。その絵面があまりにも可笑しくて、ムウはぶっと噴き出して笑うと、けらけら抱腹しながら彼等の前を通り過ぎて行った。

 ──何しに来たんだ、あの人……!?

 キラは、あの調子がいい上官を初めて殴りたいと思った。

 コーディネイターでも、痛いものは痛いのだ。

 

「いた、かった……っ」

「そりゃあ、そうさっ!」

 

 突っ込み、そういうつもりではなかったと弁明しようとする。

 そのときキラの視界に、ドリンクを持って来たマリューの姿が映った。両手にグラスを持ち、それを差し出すようにやって来ていたのである。

 

「? マリューさん」

 

 キラは、ごく普通に会釈を交わした。

 後でトール達に聞いたのだが、ステラに銃口を構えたオーブ兵達を、彼女が率先して制してくれたらしい。キラはそのことを今になって思い出して、すこし嬉しくなる。──彼女もまた、ステラのことを認めている、ということなのだから。

 

「お邪魔だったかしら?」

「茶化さないでください……」

 

 どうやら、マリューは話しかけるタイミングを伺っていたらしい。今の彼女の表情は、普段の彼女が絶対に見せない意地の悪さに溢れ返っていた。

 くすりと微笑むと、マリューは改めてステラの方を向きなおした。両手のグラスをふたりへ手渡すと、口を開いた。

 

「この子には、わたし達も色々とお世話になったから。お礼をね」

「?」

 

 ステラは、三つ浮かべていた疑問符をひとつまで減らした。それでも、何のことを云われているのか自覚がないようだ。

 

「あなたがいなければ、アラスカで〝アークエンジェル(わたしたち)〟はとっくに撃墜()られてた──だから、ありがとうって云いたくて」

「……。ちがうよ……」

 

 ステラは、そこで目を伏せた。

 ──ありがとうって云われる資格なんて、ない。

 確かに〝アークエンジェル〟は助けた。そのとき対峙した〝エクソリア〟が、あまりにもかつての自分と似ていたからだ。けれどそれ以前に、ステラは状況に流されて〝アークエンジェル〟に襲撃をかけたことだってある。

 

「昔から、ステラは流されてばっかりだから……」

「……。それでも、そういう何かが『おかしい』と思ったから、あなたは今ここにいる──ちがう?」

「……うん……」

「それは、私たちも同じなのよ」

 

 ただ、上から発令される命令に従って「敵」と戦うこと。それが、かつての彼女たちの仕事だった。

 しかし、従うべき命令そのものに疑念を覚えて、彼女達は今、此処にいる。そういう意味では、彼女達が出会うのは必然だったのかもしれない。

 

「──ぼうずーッ!」

 

 そのとき、遠方からマードックの声が響いた。

 「ぼうず」というのはキラのことで、呼ばれたキラは「はい?」と反応し、マードックは手で招くジェスチャーを見せた。どうやら〝フリーダム〟の整備について、機体の所有者であるキラに確認したいことがあるらしい。

 キラは「ちょっと手伝って来ますね」と、その場をマリューに預け、マードックの許へ駆け足で向かって行った。その過程でマードックがステラの姿を認め、軽く掌を挙げて会釈してくれた。ステラはにこりと笑って、そんな彼に小さく手を振り返した。その笑顔がやけに眩しくて、マードックは年甲斐もなくでれっとした後、気恥ずかしさに襟足をかき始めた。

 そんなステラを見て、マリューは不思議と、微笑ましい気持ちになった。

 

(もうすっかり、此処のみんなとも顔なじみね……)

 

 かつて、この艦の一員として乗艦していた彼女だ。クルーゼ隊に鹵獲されてからは、対峙したこともある。けれど今、相互がザフトでも地球軍でもない、個人として此処にいる。

 今のマードックが、ステラに気軽に手を振った意味が、マリューにはすこし共感できる。人間は、一度でも分かり合ってしまえば、互いを「敵」として認識することに必要性を感じない生き物なのだ。

 ──そうさせる必要を、彼女もまた、感じさせない人だから……。

 ステラは、敵を作るために戦争をしているわけではない──不思議とマリューは、そんな風に直感した。むしろ彼女は、戦争という過酷の中で、味方を増やしているのではないだろうか? あくまで本人には、その自覚はなかったとしても──。

 

「それで」

 

 マリューは、本題を切り出した。

 ステラの円らな瞳が、マリューを見上げた。

 

「あなたには難しい質問かもしれないけれど……これから、どうするつもりなの?」

 

 これから〝アークエンジェル〟がやることに、変わりはない。こうして整備や補給を必死で執り行っているのも、いつ再開されるかも分からない大西洋連邦の攻撃に備えるためだ。

 マリュー達は、オーブを守るために戦う。しかし、ステラは……?

 

 ──この子となら、この先も一緒に戦っていける気がするけれど……。

 

 そう思う感情を押し殺して、マリューは第三者として訪ねていた。

 彼女をオーブに引き入れることは簡単かもしれない、しかし、この防衛戦は圧倒的に自分達が不利であり、まして彼女は出自が自分やキラとは大きく違うのだ。彼女の父親は、今や〝プラント〟を背負って立つパトリック・ザラであり、彼女が迂闊な行動を取れば、それは〝プラント〟すらも揺るがす大事になりかねない。

 しかし、割り切れない感情が、マリューに告げ口を漏らさせた。

 

あなたのお部屋(・・・・・・・)なら──まだ、そのまま残っているわ」

 

 云ってから、ステラの顔を窺ったマリューは、きょとんとした。

 ステラが口を小さく開けたまま、言葉も出ないといった風にこちらを覗き込んでいたからだ。

 

「えっ……」

 

 ステラは、唖然としていた。

 部屋がある──それは居場所がある、ということと同義だった。

 かつて、パイロットとして「少尉」の階級が与えられていた彼女には専用の部屋が与えられており、そこに飾られたプライベート──(といっても僅かなものだが)──の物品は、何ひとつ処分されることなく、整理整頓されるだけで終えられていた。だからオーブへ潜入したとき、海色のハロは健在で、コロコロとステラの許にやって来たのだろう。

 これは皮肉だが、地球軍本部(アラスカ)に到着した時ですら、追加の人員は補充されず、終日として人手不足の艦内には、常に空き部屋が存在していた。そのため、わざわざステラの部屋を撤去する必要もなかったのである。

 ──あなたが、いつ帰って来てもいいように……。

 そう訴えんばかりに、マリューは、人の好い笑みで続けた。

 

「あの可愛らしい制服もね──。あんなにフリフリなの、他に似合う人がいると思って?」

「……!」

 

 どこの世界に、改造した軍服を推奨する軍人がいるのだろう? と思ったが、今のマリューは軍人ではなかった。

 そもそも彼女達は、着ている軍服にこだわる気は毛頭ないのだろう。人間を制服で区別したり、人種で差別したりすることの無意味さと、そうすることの虚しさを知っているからだ。

 

「あなたはとても曖昧な立場にあると思うのだけれど──私達で良ければ、いつでも歓迎するってこと……それだけは、覚えておいて」

 

 その暖かな気持ちが、ステラには、痛いほど伝わった。

 マリューは鷹揚と微笑むと、表情を切り替えて行った。

 

「さっ。それじゃあ、私も作業に戻るわね。あんまりあなたを独り占め(、、、、)していると、みんなに煙たがられちゃいそう」

 

 発言の意味を図りかねる──と、物陰から、トールやミリアリア達がこちらを覗いているのが目に入った。

 どうやら、彼女達もまた、話したいことがあるようだ。

 マリューは彼等に気を配るようにして、その場から立ち去って行く。交代するかのように、トールやミリアリアが場にやって来た。

 

「ミリアリア……っ!」

 

 そうしてステラは、黄色い声でミリアリア達との再会を歓喜した。

 

 

 

 

 

「──おっ。相変わらず、あのお嬢ちゃんは人気モンだなァ」

 

 ステラの様子を遠巻きに見ていたマードックが、そのとき、感嘆するような声を漏らした。

 ──アイドルの握手会とか列作って並んで、確かあんなんだよな……、と朧気に思う。

 〝フリーダム〟の整備ログのチェックを手伝っていたキラは、その無骨な声に指を止め、もう一度、自分が走って来た方向にいるステラへと目を配った。見れば、マードックの云う通り、ステラと会話している人が次々と変わっていた。キラに始まり、マリュー、トールやミリアリア──サイやその他の艦内のクルー達と、さながら順々に交代するかのように──。

 その誰もが、ステラという来客を単純に物珍しがっているわけではない。あの様子では、本当に人気者と形容されても不思議ではなかった。それはまるで、芸能事務所に所属するアイドルと交流会でも催しているかの様相で、一輪の花、というのはこういうときに用いるべき言葉なのであろうと、不覚にもキラはそう合点してしまった。

 ステラは次々と入れ替わってゆく彼等と、素直に談笑しているようだった。時折ステラが垣間みせる純真な笑顔が──その何よりの証拠だ。

 キラはその眩いような笑顔を見て、ちくりと、内心複雑な気持ちになる。

 

(昔はもっと人見知りが激しくて……アスランと僕以外の人とは、あんまり話せなかったのに……)

 

 けれど、今の彼女は違った。

 誰とでも、辟易することなく談話している。

 それが、さながら太陽のようで。

 

「…………」

 

 それがキラには、なんだか寂しい感じがした。

 ──これはきっと、兄貴分としての寂しさだ……。

 キラは、そう自分に言い聞かせることにしていた。

 

「キラ……」

 

 そのとき、脇からムウの声がした。キラははっと我に帰って、そちらを振り返る。

 ムウは、何やら訳知り顔で立ち、キラのことを真っ直ぐに見つめていた。

 その男は、いつになく真面目な顔をしていた。訳知り顔で、ぽん、と肩に手を置いて来た優しさが、はっきり云って気持ちが悪い。

 

「あー。その、なんていうかだなぁ……」

「はい?」

 

 ムウは、まるでキラの父親にでもなったかのように真面目な面持ちで云った────。

 

「……責任はとれよ? 彼女は大物だぞぅ(・・・・・・・・)、色々と?」

 

 ────ここに、まだ勘違いをしている馬鹿(ひと)がいた……。

 にやにやしているムウに、キラはなかば癇癪を起こした。声を荒げ、抗議する。

 

「ムウさんッ!!」

「ははっ。いやでもさ、家柄とかいろいろ──」

「どつきますよ、いいんですか!」

 

 キラがマードックの工具をおもむろに取り出すと、ムウは軽薄に「冗談だよ、冗談っ」と告げ、足早に去って行った。

 ──ほんと、何しに来たんだ、あの人……!?

 キラは、ふざけても偉く格好のいいあの上官をもう一度殴りたいと思った。

 

 

 

 

 

 色んな人が、作業の合間を縫っては、話しかけに来てくれた。

 それが、ステラには幸せなことに思えた。

 マリューさんやトール、ミリアリアと会話して、カズイだけが〝アークエンジェル〟から降りて行ったことも、サイの口から聞いた。カズイは、ステラに憧れていたんだって、好きだったんだって、サイが云ってた。ステラもカズイのことはきらいじゃなかったから、ステラもすきだったよとサイに伝えたら、きっとそういう意味じゃないんだよな……って困った顔をされた。じゃあ他にどういう意味があるんだろう。よく分からない。

 ステラがそうして首をかしげていると、そのとき、交代するように次の人が現れた。

 その人は、今のステラと同じ服装をしていた──。

 

「えっ……?」

 

 ザフトの、赤いパイロットスーツだ。ステラは愕然として、目線を上げる。

 そこには少女めいた顔立ちの、見慣れた人物が立っていた。

 

「ニコル……っ!?」

「──お久しぶりです、ステラさん」

 

 ステラは、口の前に手を当てた。──信じられない、と云わんばかりに驚いたのである。

 ニコルはその反応に苦笑して、すこし照れくさそうに頬をかいた。

 

「どうして……!」

「ずっと、この艦の中に捕まってたんです。それでその、色々あって──この艦のこと、手伝う立場になっちゃいまして」

 

 ザフト兵としての職務を放棄したことに、気まずさを憶えているのだろう。ニコルは釈然としない様子で弁解を続けるも、だからと云って、その決断と決心を後悔している様子は微塵にも感じなかった。 

 ニコルもまた、歩き始めたのだ。自分の信じる道を──。

 

「さっきの戦闘では、ずっと生身で〝ブリッツ〟を捜し回ってたんですよ」 

「そうっ、だったの……」

 

 ステラはいまだ、目の前にニコルがいることを受け入れられないのだろう。ずっと腰かけていたベンチから、彼女は驚きのあまり、立ち上がっていた。

 ニコルはゆっくりと振り返り、視線の先に聳立する白銀の〝クレイドル〟を仰ぎ見た。

 

「でも、僕も驚きました。あの新型──まさか、あなたが乗っていたなんて……」

 

 上空から舞い降りた、白銀の正体不明機(アンノウン)が繰り広げる戦闘に、ニコルは一瞬でも恍惚として、時間を忘れた。

 その鮮やかな操縦に、魅入っていたのだ。

 ──彼女は〝ディフェンド〟から機体を乗り換え、新型を授かったってことだ……!

 さすがは、あの優秀なアスランの妹ということなのだろう。

 しばらく見ない間に、彼女は、凄まじい力を身に着けていたようだ。

 ──いや、でも……?

 初めてニコルが〝ディフェンド〟と対峙したときから、彼女はずっと、自分より遥かに強かった気がしている。──であれば、絶大なまでの彼女の能力に、この〝クレイドル〟は見合ったモビルスーツなのだろう。

 ニコルは、妙に複雑な面持ちで〝クレイドル〟を見つめていた。

 すると、彼はステラへと視線を戻し、口を開く。

 

「いきなりかもしれませんが──それでひとつ、あなたの耳に入れて置きたいことがあるんです」

「うん……?」

 

 ニコルは、ステラに報告があるようだった。

 知らせなければならない、ひとつの報告が──。

 

「──以前、僕等はザフトの任務で、オーブに来たことがあったでしょう?」

 

 ステラは、食い入るようにニコルの目を見つめた。

 ニコルは渋々とした、なんだか重たい口調で口を開く。

 そこから紡ぎ出される声は、それまでの大らかで陽気な挨拶と比べると、不自然なまでに暗く、不穏なまでに潜められていた。

 

「そのとき、あなたのお知り合いだった──シン・アスカ君について(・・・・・・・・・・・)──なのですが……」

「…………えっ…………?」

 

 ニコルの口から、打ち明けられた真実──。

 作業を行うキラの耳に、何かが割れた音が聞こえたのは、それからすぐ直後のことだった。

 

 ──バリィンッ!

 

 それは、ガラスが炸裂した音だった。

 そのあまりの轟音に、マードックが「作業事故か!?」と声を荒げる。物凄い炸裂音のした方へ、多くの人がのろのろと集まり、もしくは、多くの視線が集中した。

 数多の視線の先に立っていたのは、先ほどマリューに手渡されたグラスを床に落とした、ステラ・ルーシェの姿だった。

 

「ステラ……?」

 

 キラは、そこに映る少女の表情を、思わず見紛えた。

 先ほどまで、純真に微笑みを浮かべていた少女の面影など、既に消え失せていた。そこに映るのは、硬く強張り、青褪め、強く震え出している少女の姿だけ──。

 

 ──何が、あったんだ……!?

 

 硝子の炸裂する音──その正体は、握られていた水瓶が、落ちて割れる音だった。

 それほどまでの、何らかのショックを、彼女はそのとき受けたのだろうか……?

 

 

 

 

 

 

 大西洋連邦も何らかの準備が整わないのか、地球連合軍による攻撃は、正午になっても開始されなかった。

 日没からの戦闘は、基本的に、戦略的にあり得ないことである。

 オーブ行政府は、再三に渡って会談の要請を申請しているが、大西洋連邦からの返事はない。この調子では、またいつ、問答無用の攻撃が始まるかは分からない、というのが実状であった。

 

 いつ何時、攻撃が再開されてもおかしくない──そんな折、ステラはオノゴロ島内部にある、とある医療施設を訪れていた。

 

 ニコルに連れられて、彼女が赴いた先は、オーブの医療技術が結集した病院であった。

 見るからに大型の医療施設だが、先の戦闘で、オーブ軍人の負傷者が大いに出たのだろう──今やエントランスの先で治療を受けている患者がいるほど、施設内は雑踏でごった返していた。

 それは最先端医療施設とは程遠い、野戦病院と云っても良い風であった。

 

「──こちらです」

 

 ステラは足早な様子で、ニコルに案内されるまま、彼の後に続く。

 連れて来られた場所は、一角の病室であった。

 ドアをノックし、入室する。透明のビニールカーテンに仕切られた中、ステラは、ベッドの上で誰かが仰向けに横たわっているを見つけた。治療によって呼吸器をつけ、痛ましい包帯が額の部分を覆っている。

 ステラは息の詰め、ゆっくりと、茫洋と足を進めた。

 

「…………!」

 

 ステラは、その少女(、、)に、確かな見覚えがあった。

 すぐにベッドまで駆け寄り、そのふっくらとした幼い顔を見下ろす。

 ──え……?

 ふんわりとした黒髪。噴煙をかぶったか、全身にすこし赤茶けた埃をまとわりつかせ、その少女は痛ましくベッドの上に眠っていた。

 意識が回復していないのだろう──白い布団をかぶせられ、安らかに眠っているその様は、ひどく嘆かわしい姿でもあった。

 ステラがすべてを察した後、背後のニコルが、諭すように説明した。

 

 

「彼女の名は、マユ・アスカ(・・・・・・)さん────」

 

 

 それは、まだ年端もいかない──健気な女の子の変わり果てた姿であった。

 ──アスカ(・・・)

 その名前に聞き覚えと、そして、その顔立ちを実際に見たことがあるステラは、愕然とした。

 ニコルは、震えるステラに憶えていますか、と訊ねた。

 

「オーブで出会った────シン・アスカ君の、実妹(いもうと)さんです」

 

 目に映ったのは、痛ましい少女の姿。

 ステラは血の気が引いたように、顔面を青褪めさせた。

 

 

 

 


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