~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

14 / 112
『ノスタルジア』

 

 

 

 結局、寄航先の〝アルテミス〟で補給を受けられなかった〝アークエンジェル〟は、深刻な水不足に直面していた。

 月本部へと赴く前に、艦内で餓死者を出すわけにもいかない。この問題は早急に解決しなければならない案件であるが、〝アルテミス〟が崩壊した今となっては、月本部への航路近隣に当てになる補給口などありはしない。

 補給が受けられないのであれば、迅速に月本部へと向かう他ないが、デブリベルトに入ったことで、ムウが提案したことがあった。

 

 宇宙に漂う〝廃棄物〟の漂着場──「塵の墓場」たる、デブリベルト。

 

 そこで、セルフサービスのように「補給」を受けよう、という妙案である。

 と云うのも、当のデブリベルトに漂う廃棄物の中には、宙域での戦闘によって駆逐された戦艦の残骸なども存在し、それらがすべて、地球の引力に惹かれてこの宙域に集まっているのだ。つまり、ムウはここから、今の〝アークエンジェル〟に必要なものだけを、失敬しようと言うのだ。

 みずからが、ゴミを漁る盗掘者(カラス)となって──。

 だが、補給とは詭弁であり、やっていることは略奪に近しかった。

 

 このデブリベルトには……三年前、血のバレンタインで崩壊した〝ユニウスセブン〟の残骸が、多く流れ着いているのだ。

 

 〝プラント〟は天秤棒(ヨーク)型と呼ばれる、植民衛星の形状を取っている。──宇宙に浮かんだ、砂時計といってもいい。

 その砂時計が、支点から真っ二つに叩き折られ、崩壊した残骸(だいち)が、このデブリには流れ着いている。

 遺体すら残らない殺され方をされた、死者たちの墓標。何百万人もの人々(コーディネイター)が永眠する、悲劇の大地。ナチュラルにもコーディネーターにとっても、この場所は、自戒のための遺跡であり続けるだろう。

 だが、そこでは唯一、凍り付いた何万トンもの水が発見されていた。

 それは今の自分たちが、喉から手が出るほど必要としているものだ。荒廃した〝ユニウスセブン〟に立ち入ることに、キラの抱いた心理的な抵抗は甚だしいものであったが──これも〝生きるため〟に必要なことである。

 キラは〝ストライク〟を駆って、ユニウスセブンの残骸へと、足を踏み入れた。

 まるで不可侵の聖域を侵しているような罪悪感を憶えながら、暗んだ顔を浮かべている。

 同時に、こんなことを思った。

 

「ステラは眠っていて、良かった」

 

 我ながら、不謹慎な発言をしている。

 〝ユニウスセブン〟は────ステラの母が、地球軍によって殺された場所だ。

 そしてそのステラは今、無事ではないからこそ、医務室で眠っているというのに……。

 キラの心境はこの時、とても複雑だった。

 

 ──ステラには、いつも元気で、そして「健康」であり続けてほしいと思っていた。

 

 昔から純粋で、無垢で、無邪気な女の子だった。

 だから本当は、モビルスーツになんて乗ってほしくない、戦争になんて巻き込まれて欲しくない、というのがキラの本音だ。

 でも今の現実には、そのような切な願いは、簡単には受け入れてもらえないようで。

 だから最低限、ステラのことは────「守ってあげたい」と思っていた。怪我をするようなことだけは防いであげたいと、決めていたのだ。 

 〝アルテミス〟では、そうしてやれなかった自分を悔いたこともある。

 ──でも。

 今だけは、怪我でもなんでもいい、眠っていて欲しい。

 

「それでも今だけは、起きないでいて欲しい」

 

 目の前に広がる光景を、突きつけるようにして見せたくないから。

 彼女の母が殺された、この忌まわしき凄惨な景色だけは、絶対に……。

 

 ──今は大人しく眠っているのが、正解だよ。

 

 キラがそう考えていると、〝ストライク〟のコックピット内に、電子音が響いた。

 敵影か? 

 キラが慌てて周囲を見渡せば、メインカメラには、曳航している救難ボードが捉えられていた────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝ザラ〟────。

 その名を聞いてまず浮かび上がったのは、プラントの初代評議会国防委員長である────パトリック・ザラなる人物であった。

 すくなくとも、ステラの本名を知ったマリューの頭の中では、その人物が浮かんだのだ。

 

 パトリック・ザラは────かつてより、ザフトの設立を主導した中心人物で、つまり、極めて軍事に深い関わりを持つ〝プラント〟側の人間だ。

 

 実際に、ザフトと戦う自分のような地球軍の者であれば、その名を知らぬ者はいないのではないだろうか?

 また、パトリックの「ナチュラル嫌い」も相当有名であり、コーディネーターこそが新たな種とする「選民意識」の高い人物像として、地球軍から持たれている印象はきわめて悪いことも確かだ。

 

 ──そのような人物に、よもや「娘」がいたというのか?

 

 この事実は、マリューの口から、あくまで内密にムウと、ナタルにだけ報告された。

 〝アークエンジェル〟のクルーの中には、おおよそ、コーディネーターに対する激しい敵愾心を抱いている者はいない。みなが平和を目指している、などと形容すれば、それは陳腐な言い草でしかないが、すくなくとも「コーディネーターを滅ぼせば戦争は終わる」などという野蛮な考え方を持っている人間はいないだろう。

 キラの存在も認められている。──それは彼が「戦ってくれているから」という理由があってのことかもしれないが、そんな恐ろしいことは考えたくない。

 

 だが、だからといって「ザラ」という名を全員の前で公表するのは、あまりに危険すぎる。

 

 民間人もいまだ乗り合わせている今、その名前に恨みのある人間とて、いるかもしれない……。

 マリューはひとまずこの件を保留にし、ヘリオポリスの学生達にも、この一件についての口外を憚るように伝えていた。

 医務官もまた、ステラの名前が「サラ」だろうと「ザラ」だろうと、ひとりの患者として、彼女を手当てすることは心に決めていたようで、懸命な治療の結果、なんとかステラは、一命をとりとめたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──つくづく君は、落し物を拾うのが好きなようだな」

 

 ステラ・ルーシェ(・・・・・・・・)のことですら大問題だというのに、これ以上、厄介ごとを持ち込まないでくれ。

 恨めしそうな目でキラを斜めに見るナタルの口調には、苦々しさと、ほんの少しのあきらめが混じっていた。

 〝ストライク〟は────〝ユニウスセブン〟付近の宙域で曳航していた救難ボードを拾って、帰投していた。

 ──また、だ。

 キラは、ヘリオポリス崩壊の折、フレイ・アルスターの乗っていた救難ボートもまた、このようにして平然と戦闘艦であるこの〝アークエンジェル〟に拾って来た。

 道徳的には決して非難できるような行為ではないのだが、ナタルが指摘したいのはその件についてだろう。

 

「しょうがないでしょう、あのまま放っておけっていうんですか」

 

 以前聞いたことがあるような返事をそのまま返されると、呆れたようにため息をついて、ナタルはそれ以上を言及しなかった。

 

「開けますぜ」

 

 マードックが言うと、救難ボードのドアロックが、音を立てて解除された。

 念のため、周囲に構えた兵士たちが銃を構える。

 中から出て来たのは、キラにはどこか見覚えのあるような、ピンク色の球体だった。

 

〈ハロ・ハロ〉

 

 それは間抜けな音、いや、声を発しながら、ぱたぱたと耳ではばたくように漂っている。

 その後方から、波打つようなピンク色の長髪が特徴的な────優艶で、それでいて、またどこか幽艶な、浮世離れした少女が姿を現した。

 キラと同世代くらいの少女だ。その姿、佇まいはとてもふんわりとしていて、不思議と質量に欠けている。白く透明な肌が、シャボン玉のように儚く見えた。

 「おつかれさまです」と周囲のみなに声をかけた少女は、しかし、そこで自分が銃を向けられていることに気付いたのだろう。いや、少女の信じられないほど可憐な姿に見とれているのか、兵士たちもぽっかりと口を開けて、既に銃など構えてはいなかったが、すくなくともその手に握られた機銃が、自分に向けられていたものであることを理解したようで、「あら? あらあら?」と声を漏らした。

 

「まあ、ここはザフトの船ではありませんの?」

 

 容姿に見合ったおっとりとした口調で、少女はキラの制服を見据えながら言った。

 銃を構えられていると理解した上でこの柔らかな応対は、ある意味で畏敬できるものがあった。

 

「え、あの……きみは?」

 

 彼女を救助した張本人である、キラが訊ねていた。

 怯えることもなく、その少女はなおも、おっとりとした声で答えた。

 

「わたくしは────ラクス・クラインですわ」

 

 解答に、一同の沈黙が流れる。

 一泊おいて、ナタルがため息をついたのがわかった。

 その隣にいたムウは、

 

「なんだ? この艦は〝プラント〟側の大物を引き寄せる、特殊なマグネットでも搭載してんのか?」

 

 と、冗談っぽく、どこか皮肉ったようにこぼした。

 ラクス・クライン────

 キラが拾ったその少女は────現〝プラント〟最高意思決定機関である、最高評議会の議長を務める男の、その娘であった。

 

 

 

 

 

 

 さて、ここに来て〝アークエンジェル〟は────政治的な意味で、世界の均衡さえ崩しかねないほどの大物の娘を、ふたりも乗艦させていることに気付いた。

 ひとりは、中立コロニー〝ヘリオポリス〟で偶然保護し、モビルスーツに乗せて戦わせてしまった少女──名をステラという、最高評議会国防委員長パトリック・ザラの娘。もうひとりは、〝ユニウスセブン〟の追悼慰霊の事前調査にやって来た民間船に乗っていたが、地球軍の船に臨検され、危機を感じて救助ボートで脱出させられたところを、偶然保護されたた少女──名をラクスという、最高評議会議長シーゲル・クラインの娘だ。

 不思議なもので、この娘たちには「ぽんやりしている」という、意外な共通点があげられた。政治的に重要な責任を持つ議員達の娘だ、凛然とした佇まい程度は装えるよう、普通であれば教育されていそうだが……。

 だが、ステラの方は負傷の度合いが激しく、今もまだ、医務室で眠っている。

 

 ──どうすればいいのだろう……。

 

 マリューは最近、この言葉に悩まされることが多いのではないかと思えていた。

 こんなことを考える時点で、自分は決断が遅い。艦長には向いていないのではないかとも思えるのだが、彼女が悩んでいるのは、

 

「彼女たちをこれからどうしていくか」

 

 の、問題についてだ。

 〝アークエンジェル〟はこの先、月本部以外への寄港予定はない。そのため、彼女達をどこか途中で、匿うように脱出させることはできない。

 だからといって月本部へと連れていけば、悪い意味で大歓迎されることは明らかだ。

 あのふたりの身柄が地球軍へと渡れば、プラントと地球の外交上の────これ以上ないほど(・・・・・・・・)強力なカードとして利用されることは、疑いようがない。

 

「つらいわね……」

 

 それが戦争で、それが軍人がやるべき行動だと割り切ればそれまでだが、そんな大義より、人間としての苦悩が先に立つ、マリュー・ラミアスであった。

 

 

 

 

 

 

 ラクス・クラインを保護したキラは、展望デッキへとやって来ていた。そこは〝アークエンジェル〟艦内から、宇宙(そと)の様子を一望できる空間だった。 

 静かな青色のライトと、暗闇の外から差し込む月の穏やかな光が──その空間を、神秘的に彩っている。宇宙に散らばる星のひとつひとつが照明のように輝いて、キラの立つ場所を映えさせている。

 ガラスに手を当てて、キラはひとり、茫然と外の様子を眺めていた。

 

 ──ひどい景色だ。

 

 綺麗な景色のはずなのに、キラの視線の先には、核ミサイルによって壊滅した〝ユニウスセブン〟の大地が広がっている。

 三年前までは、ここに何百万人という人間が、平穏に暮らしていたはずなのだ。

 緑が豊かな、平和な農業プラントのはずだったのだ。

 

「………………」

 

 キラが物思いに耽っていると、背後の廊下から、こつ、こつ、と小さく近づいてくる物音が聞こえた。

 訝しんだようにキラが背後を振り返ると、そこには、

 

「ステ、ラ…………!?」

 

 松葉杖をついて歩く、痛々しいまでに包帯を巻いた、ステラの姿があった。

 キラはぎょっと目をむいて、慌てて彼女の元へと駆け寄った。

 

「ちょ、何やってんの! ダメじゃないか、医務室で寝てなきゃ!」

 

 アスランならこう言っただろうな、なんてことを考え、咄嗟に兄の代わりに怒鳴りながら、ステラが松葉杖を握る手とは逆の方の肩に、キラは自分の肩を貸した。

 肩を貸した瞬間、ステラがその場に崩れるように倒れ込むのがわかった。キラはその場に踏ん張り、二人分の体重を支えた。

 ──ほら、言わんこっちゃない……!

 ゴトン、という音を立てて、ステラの腕から離れた松葉杖が、床に横たわった。

 

「ダメだよステラ、医務室に戻ろう、ね?」

「やだ」

 

 即答され、わがままな妹分に、キラは思わず額を抑えた。

 

「あの医務室のひと、おおげさなだけ。ステラ、大丈夫だから」

「大丈夫なもんか、ほら、早く」

 

 たしかに、コーディネーターはナチュラルに比べれば、身体のつくりは頑健だ。病気にもかかり難いし、自然治癒力も高い。

 どうやら、あの医務官は心配性の過ぎる部分があるらしい。松葉杖が必要なのは、あくまで身体が疲労しているからであって、特段彼女が足をどうにかしているわけではない。そこまでは配慮の言葉で済むのだが、いくぶん包帯を巻き過ぎだ、というのはキラもパッとステラを見た時に同意した。

 だが、この時のキラは焦っていた。

 まさかステラが──「ここ」に来るとは予想もしていなかったのだろう。

 色々な思惑があって、キラはステラを医務室に返そうと必死になった。

 その時、

 

「…………見せて」

 

 ステラから放たれた言葉に、キラは──ハッと息をのんだ。

 

「〝ユニウスセブン〟を────ステラに、見せて」

 

 沈黙が流れ、キラは言葉を失った。

 すると、ステラはキラの肩を鬱陶しがるよう強引に離れると、弱々しい足取りで、自力でデッキへと跛行(はこう)していく。

 ステラ……

 キラは呆然と、弱々しいその背中を目で追った。

 ステラがデッキへと辿り着き、外の様子を見ている。

 キラは思い出したように、床に落ちた松葉杖を拾い上げると、恐る恐る、彼女の隣に位置どった。

 

「……………………」

 

 何も言えなかったわけではない。キラは、何も言わなかった。

 

 第三者の言葉とは────時に軽率だ。時に当事者の機微や感情を切り裂くようにして飛び去ってゆくこともある。

 被害などに出会って、その本人にしか理解できない、他人には、むしろ同調なんてして欲しくないことだって存在する。

 だからキラは、何も言わなかった。

 外を、母の消えていった場所を眺め、涙すら出て来ないステラの横顔を見て、言葉をかける気にはなれなかった。

 

「知らなかったの」

 

 突然、ステラが告白した。

 キラは驚いて、彼女の横顔を見据えた。

 

「え?」

「ステラ、お母さんのこと…………忘れてたの」

 

 キラはその言葉に、耳を疑った。

 ステラは外を眺めながら、切れ切れにしかうまく話せない自分のその言葉を、必死で、キラに伝えているようだった。

 

「知らなかった。ステラに、お母さんがいること…………ステラはずっと、無駄なことはぜんぶ忘れるように(・・・・・・・・・・・・・・・)されてたから…………」

 

 涙など、出ないのではない。──出せないのだ。

 〝ユニウスセブン(あそこ)〟に「母」がいた実感が沸かないから。────ステラに「母」という存在がいたことを、これまで忘れてしまっていたから。

 キラは愕然として、ステラの方を向いた。

 

「無駄なことって、なんだよ……! お母さんのことが、無駄だっていうのか!?」

 

 そんな悲しいこと──。

 

「ステラに必要だったこと。戦うために必要だったこと。必要でないものは、全部、いらないもの」

 

 ステラの頭には、ひとりの少年の姿が、いまも鮮明に残っている。

 それは偶然の出会いで、でも、たしかに自分を「守る」と言ってくれた少年だった。

 でも、気が付いた時には、自分は、その少年の存在を忘れていた。

 だからわかった。

 

 忘れるはずのない暖かな記憶を、これまでの自分は────他人によって、勝手に奪われていたのだ、と。

 

 戦うために必要のない記憶はすべて、頭から消去されていたのだと…………。

 少年のこともそう。

 母のこともそう。

 自分に家族がいたなんて、気づかなかった。

 

「だから涙も、出て来ない────」

 

 幼いころは、レノアはたしかに──触れ合ってくれた存在のはずなのだ。

 彼女は農学の研究者だった。ロールキャベツが好きで、性格は控えめな、でも、まぎれもない愛情を彼女にふりそそいでくれた。

 〝ユニウスセブン〟で暮らしていたステラは、ずっとレノアと共にいて、パトリックよりも、アスランよりも、家族の中の誰よりも、レノアと共にいた時間が長かった。

 ──なのに、その死を想った時、涙すら出て来ないなんて。

 あんまりじゃないか……。

 キラは、沈痛な顔を浮かべている。その拳は、固く握られていた。

 

「だれが。……なんで、そんなこと……」

 

 無駄なことは全部、忘れるようにされてたから。

 キラの脳裏に、ステラの言葉が蘇る。

 ──されてた?

 誰かに、頭をコンロトールされていた、とでもいうのか? 「薬」のこともある。

 分からない、理解してあげられないことが多すぎる。

 ──キラにとっては、この空白の三年間に、この子にいったい、何があったんだろう…………?

 キラにはそれが、わからなかった。

 

「怖い……」

 

 ステラの横顔が途端にひずみはじめ、肩が震え出す。

 

「怖いの…………」

 

 母なんて、いないと思っていた。

 ステラ・ルーシェは──〝ガイア〟ならびに〝デストロイ〟を操るための──〝パーツ〟に過ぎない人の形をした消耗品(・・・)だ。

 いくらでも替えが効くはずの──地球軍の適合パイロット、エクテンデット。

 それが、ステラ。

 それが、当たり前だと思っていたのに、ステラには母がいた。ザラという名前もあった。

 ステラの知らない「わたし(ステラ)」が────そこに在る。

 〝ユニウスセブンを〟見ていると───ステラが、ステラの知らない「わたし(ステラ)」に染められていくようで、怖くなる。

 

『まるで感情や慈悲のない、冷酷な殺戮兵器のようではないか!』

 

 男の言葉が蘇る。

 ステラが怯え出した。

 その胸に、自身の両手を当てた。

 ──痛いところには、手を当てるといいの。

 ステラが以前、自分に、そう言ってくれたことを思い出すキラであった。

 いま痛むのは、心だろうか。

 

「ひとを殺した。たくさん殺して来た……!」

「ステラ……!」

「容赦なんてできないって、そんな風に育てられて来たから……たくさん殺した……〝アルテミス〟の……」

 

 ジェラードに捕まった時、気が付けば自分は、それを取り囲む六人もの武装兵を手にかけていた。何も考えず、何も躊躇わず、本当に、標的を与えられたロボットのように殺していた。

 ──そう育てられて来たからか?

 違う。

 自分を育てて来たのは、優しい母、レノアなのに。

 交錯する、矛盾する記憶が、ステラを困惑させた。

 

 ステラは────あの時の、残酷な自分が認められないのだ。

 

 怒りに支配されて、眠っている「わたし(ステラ)」が抑えられなかった。

 ステラの知らない「ステラ」が現れて、アルテミスで──「ステラ(ソイツ)」は大勢の人間を、まるで躊躇いもなく殺したのだから──。

 

 キラは唖然として、しかし、震える少女の肩に、優しくその手を乗せた。

 ──誰がこの子を、こんな風にした?

 ──昔から無邪気で健気で、どこか危なっかしくて。

 でも、そんなこの子を、誰が、何が、こんな風に怯えさせているというのだ。

 

「ステ、ラ…………」

 

 〝ユニウスセブン〟を前にして、身体も衰弱して、きっと彼女は、弱気になっているのだろう。

 見たこともない、今にも崩れそうな少女の姿に、キラは戸惑っていた。

 

「さわって」

 

 キラが顔を伏せていると、正面からそんな声が聞こえ、はっと顔を上げた。

 目の前に、崩れそうなまでに震えている、ステラの顔があった。虚を衝かれたように驚いたキラに、ステラは、自身の胸を示唆していた。

 

「ここ」

「え……!?」

 

 ステラに他意はないことはわかっているつもりのキラであったが、唐突な依頼に、キラは赤面して戸惑った。

 〝そこが痛いから〟──だから彼女は、そう言っているのだろう。

 

「う、うん……」

 

 キラは内心困惑していたが、動揺している場ではないことは理性が訴えていたので、ゆっくりと、ステラの胸に手を当てた。

 鼓動は激しく、怯えるように早く鳴っていた。

 だが────しばらく時間が経つと、その小さな震動がゆっくりと、暖かくて、小鳥のように動いているのがわかった。

 

「…………あったかい」

 

 ステラが安堵したように、そこで、弱々しくも笑顔を見せた。

 その笑顔を見て、キラも微笑みを返す。

 

「恩返し、だね」

「おんがえし?」

「うん、ステラ、前に────僕にこうしてくれたから」

 

 それはキラが戦場から帰還した時、恐怖で身体が動かなくなっていた時のことだ。

 

「……ネオが教えてくれた」

「うん、だからこれで、恩返し」

 

 キラが言うと、ステラは小さく微笑んだ。

 すると、身体の力を抜き、ゆっくりとその体重を、キラへと預けた。

 突然のことに、驚きに目を見開くキラであったが、寄りかかって来たその身体は思ったよりも軽くて、そして、想像以上に柔らかかった。

 

 〝コーディネイター〟だから──。

 

 そんな理由で、ひどい目にもあって来たのしれない。

 彼女を傷つける結果を招くのなら、古傷を掘り返すような真似になるのなら、彼女が言い出したくない過去は、無理に聞かない方がいいのかもしれない。

 キラにはステラを理解してあげることは出来なかったが、それでも、彼女が抱いた苦しみや寂しさを受け止めることはできる。

 

 ゆっくりと───

 その小さな背中に手をまわし、キラはステラを────抱き止めていた。

 

 

 

 

 

 




 キラとステラの関係は、全然どうしようか決まってないです。
 連載当初は、かつて遊んだことのある兄貴分と妹分、で考えていたんですけど、こうして見ていると吊り橋効果で意識し合ってもおかしくはないような……あれ、アスランが受ける婚約者強奪事件も阻止できちゃうのか。

 ステラの恋、というのがどんな感じなのか想像がつかないので、とりあえず分からないものは分からないまま、平常運航で更新し続けます……。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。