SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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いよいよ七転八倒の依頼の解決編です。
ここまで提示した情報から真実を解き明かしていきたいと思います。


Episode12-15 One day~ある傭兵の場合5~

 現在時刻は午後3時。オレとクレナイはエレインの住居に踏み入っていた。

 クレナイが信用できる諜報員に入手させた娼館側が保有していたアイラの情報は、彼女がどうして娼館で働くに至ったのかの経緯、そして身請けに関わる全てが記載されていた。

 現実世界と同じように情報管理が行き届いているというのも考え物だ。何故ならば、それは逆に言えば外部から情報を奪われるリスクも生み出されるからだ。ファイルはコピーされたものであるが、娼館側は諜報員に侵入されていた事すらにも気づいていないだろう。

 さて、件のアイラだが、どうやらギルド解散後には、仲間を殺してしまった責任で気狂いし、酒と麻薬系アイテムに溺れ、雪だるま式に借金を重ね、娼館に売り飛ばされたと言う『良くあるケース』のようだ。

 その後は客を取りつつ、同じ娼婦仲間の手助けもあって少しずつであるが、精神を持ち直し、回復に向かっていたようだ。そんな折にエレインと再会し、2週間前に身請けされた。当時、エレインはアイラの借金残額51万2000コルをキャッシュで全額支払ったらしい。後の顛末はご存知の通りだ。

 その際には、アイラが所持していた衣服や家具が運び出され、指定された住居へと運び屋専門傭兵のRDによって届けられた。これにはサインズの依頼受託証明書も発行されている事から間違いない。ご丁寧に運び出した家具や衣装の目録まである。

 ちなみにクレナイによれば、娼婦はメシ、衣服、家具を娼館側から借金して購入せねばならない。つまり、これらはアイラが娼婦になった段階で購入したものであり、彼女の私物だ。良く分からんが、クレナイ曰く、現実世界でも珍しくないシステムらしい。むしろ普通のようだ。レンタルで済ませられねーのかよ。

 その後、チェーングレイヴが3日前の事件を契機にエレインの新居を訪ねたが、既に彼らの姿はなく、行方を暗ませていた。そして、今現在にはオレとクレナイで足取りを追いつつ、チェーングレイヴもまた捜索の手を広げているという事になる。

 エレインの住居は終わりつつある街の南東にある、古ぼけた家だ。1階建てであり、屋根には修復が施された痕跡がある。鍵は開いており、≪ピッキング≫対策のチェーンロックは切断されているお陰でボロボロの木製のドアは難なく開いた。

 部屋に踏み入ったオレは腐ったように埃っぽい空気に眉を顰めつつ、肩の雪を払いながら見回す。暖炉には火がなく、凍えた空気を蓄えた室内はまるで夜逃げにしたかのように家具1つない。現在はどうやら空き部屋である事を良い事に、貧民プレイヤーが夜になって身を寄せ合っているのか、汚らしい毛布が数枚隅で丸められていた。

 

「これでは手掛かりを得るのは難しそうだな。この様子だと貧民プレイヤーに全て簒奪されて換金されたか」

 

 食器1枚残されていないエレインの住居に、クレナイは無念そうに声を漏らす。

 だが、オレは小さな違和感を覚えて手で口元を覆い、これまでの情報を整理する事にした。

 

「クレナイ、確認して良いか? クラウドアースの内部調査員が殺害されたのは3日前。これに間違いはないか?」

 

「ああ、間違いない」

 

「じゃあ、エレインが終わりつつある街に潜伏しているという根拠は何だ?」

 

「エレインの目撃情報だ。2日前、エレインらしき人物を見たという確かな情報が入った。その頃には事態を把握したクラウドアースが想起の神殿を24時間監視していた。他のステージに脱出するならば、我々の目を逃れる事は出来ない。終わりつつある街の四方の出入口にも同様に監視の目がある。街の外にも逃げられん」

 

 吟味する。少女は地下街の闇市で目撃情報があったと言っていた。恐らく、これとクラウドアース側の目撃情報は限りなく類似したものと考えて良いだろう。そうなると、エレインはわざわざ目撃されるリスクを冒してまで人目に我が身を晒したという事になる。

 それだけのリスクを背負う意味とは? たとえば、エレインには共犯者がいて、そいつを庇う為に自分に追跡を一身に集める為か? あり得ないな。あくまでエレインは単独で内部調査員を殺害したと見るべきだろう。

 

「エレインは本当に内部調査員を殺害したのか?」

 

 ならば、まずは前提から疑いをかけるべきだ。今回の1件の発端である内部調査員の殺害は、本当にエレインの犯行によるものなのか?

 死者の碑石で確認できるのは死因だけである。詳細な死因も確認できるが、他殺の場合は殺害したプレイヤーネームまでは明かされない。では、どうやってエレインに殺害の容疑がかけられたと言うのか?

 

「内部調査員の殺害の判明後、我々は彼の足取りを確認し、≪追跡≫スキルからは派生して得られる≪高度分析≫で殺害現場を特定した。その後、殺害現場周囲の貧民プレイヤーから死者の碑石で確認した死亡時刻前後に目撃されたプレイヤーの情報を集め、それらからエレインであると判断した。チェーングレイヴに問い合わせたところ、事件後からエレインが借金の支払いをせずに行方不明になったという情報もあり、スパイとして諜報部の子飼いだった事も加味し、クラウドアースは諜報部の不正を暴こうとしたムーココナッツをエレインが金欲しさに殺害したと判断した」

 

「……OK、分かった。つまり、エレインは借金を残したまま逃亡した。目撃情報もあった。だが、殺害現場自体は誰にも見られていないんだな?」

 

「肯定だ」

 

 やはりおかしい。オレは唇を舐め、思考を加速させ、情報と情報を繋ぎ合わせ、疑問と疑問を混ぜ合わせていく。

 まず、エレインはクラウドアースの諜報部がチェーングレイヴを……より正確に言えば、犯罪ギルドの情報を得るべく買収したスパイだった。恐らくだが、エレインはアイラと再会し、彼女を身請けすべく、より大金を欲したのだろう。

 だが、ここで前提が1つおかしくなる。黒紫の少女によれば、チェーングレイヴは戦闘特化の犯罪ギルドであり、大半の業務は他の犯罪ギルド任せという事だ。エレインは麻薬バイヤーとして働いていた事から、チェーングレイヴは麻薬売買に関連する犯罪ギルドにエレインを紹介し、働かせていたのだろう。

 恐らくだが、チェーングレイヴの組織構造はピラミッド型ではなく、衛星型だ。自分達が強力な武力を持つ集団として君臨し、専門性こそはあるが戦力に不安がある犯罪ギルドを取り纏めているのだろう。たとえば、フォックス・ネストは娼館や地下街での酒場などを仕切っているので、経営系のノウハウがあるのかもしれない。そして、チェーングレイヴの人間であるマクスウェルは新しい娼婦を連れて来る。そこには同盟などではない、密接な相互関係がある。

 だとするならば、エレインの動向は全てチェーングレイヴ側に漏れていたと考えるべきだ。身請けに関しても秘密裏にではなく、半ば公然の秘密としてエレインは実行していたという事になる。

 オレが酒場で仕入れた情報は既にチェーングレイヴの手の内にあった。つまり、オレが前提として立てていた『エレインはクラウドアースの諜報部より金を貰ってスパイ活動をし、その金を秘密で運用すべく他の犯罪ギルドを利用していた』という条件が崩れる事になる。

 考えろ。考えろ考えろ考えろ! 何かがおかしい! 歯車の噛み合わせが『エレインは内部調査員を金の為に殺害した』という結果と合わない!

 

「内部調査を始めたのは何日前からだ?」

 

「10日ほど前からだと聞いている」

 

 エレインがアイラを身請けしたのは2週間前だ。つまり、殺害依頼の報酬としてアイラの身請け金を得たわけではないのだ。恐らくはクラウドアース側からのスパイの報酬として得られたコルを貯め、自身の生活を切り詰め、寝る間も惜しんでダンジョンに潜り、ようやく稼いだ身請け金だったのだろう。

 ならば、エレインは何の為に内部調査員を殺害せねばならなかった? チェーングレイヴ側にスパイだとバラすとでも脅されたのか?

 違う違う違う! 推理を組み立てる為の情報を別視点から観測しろ! 先程オレ自身が気づいたではないか! チェーングレイヴ側はエレインが本来以上の収入を得ていたと情報を持っていた確率が高い! ならば、全てがひっくり返る!

 

 

 

 

 

 

 まさか…………二重スパイか?

 

 

 

 

 

 これだ! オレは会心の笑みを浮かべ、ようやく全てが繋ぎ合わされたと確信する。

 エレインは堅実な男だ。仮にアイラの為と言えども、チェーングレイヴへの裏切り行為がいかなるリスクをもたらすのか、それを理解しない訳がない。彼ならば、更なる働きを約束してチェーングレイヴにアイラの身請け金の借入を申し込む方を選ぶはずだ。娼館はチェーングレイヴの衛星犯罪ギルドとも言うべきフォックス・ネストが取り仕切っているのだ。チェーングレイヴ側からすれば、それは容易いはずだ。もちろん、チェーングレイヴはそんな甘い顔をしないだろうが。

 だが、そんな折にクラウドアース側からエレインに接触があった。恐らく、エレインの経歴から犯罪ギルドへの忠誠心が低く、また裏切らせるのも容易いと判断したのだろう。ところが、エレインは堅実な男。即座にチェーングレイヴ側にクラウドアースからスパイをするように頼まれたと報告したはずだ。無用なリスクを取るなど無価値なのだから。

 犯罪ギルドからすれば、大ギルド側の情勢を……厄介な諜報部の手の内を読み、また情報も引き出せるかもしれない絶好の機会だ。エレインに二重スパイをするようにチェーングレイヴは要求したに違いない。二重スパイになる事によって、エレインはクラウドアース側からスパイとしての報酬を得られる。

 エレインはチェーングレイヴにとって痛くもなんともない情報を諜報部に渡し、諜報部はエレインに様々な情報を取って来るように要求する。その要求内容からチェーングレイヴ側はクラウドアースが犯罪ギルドの何を探っているのか、何を欲しているのかを察する。エレインは通常のスパイよりも遥かに安全にアイラを身請けする為の金を稼げたはずだ。

 そうしてアイラの身請け金を稼ぎ切ったエレインは、後は自分の借金を堅実に返すだけだ。そうなれば、彼らは自由の身になる。

 そして、ムーココナッツは諜報部の不正を探っていた。

 諜報部のスパイであり、犯罪ギルドの人間でもあるエレインにも接触した確率は高い。そもそも殺人というリスクを背負ってまでコルを稼ぐ必要が無いエレインがムーココナッツと接点を持つには、これ以外にあり得ない。

 ならば、やはりエレインは無罪? いや、それは早計だ。恐らくだが、エレインはこれ以上スパイを続けるメリットが無いと判断した。何故ならば彼は堅実な男だからだ。危険性の残る二重スパイ業よりも、まだ比較的安全な麻薬バイヤー1本に絞った方がリスク管理にはできる。

 チェーングレイヴにスパイである事がバレそうだ。これ以上は危険だから手を引く。そんな作り話で良いだろう。チェーングレイヴ側からすれば惜しい話であるが、エレインは決して組織に忠誠を誓っている訳ではない。ならば、この辺りが手頃だと判断してもおかしくないだろう。特に、既にエレインはムーココナッツという内部調査員との繋がりを新たに得ていた。

 大ギルドの諜報部が犯罪ギルドと癒着だ。そんな大スキャンダルをチェーングレイヴが利用しない手は無いだろう。恐らくだが、その癒着の真偽を明らかにし、上手く諜報部を傀儡にしようと目論んでもおかしくない。

 だが、その時既に諜報部がスパイを辞めるという話を聞き、エレインはもはや不要と判断したならば? そして、自分たちの不正を探る内部調査員の始末に利用しようと考えたならば?

 DBOにおいて、殺人とは心臓にナイフを突き立てれば終わりではない。HPを全損させねばならない。ましてや、内部調査員ともなれば諜報員並みの隠密系スキルを保持しているはずだ。奇襲は極めて難しいはずだ。

 だが、内部調査員は油断したはずだ。エレインは重要な情報提供者だ。あの日……事件の日、エレインは確かにムーココナッツと会っていた。そして、油断した彼に飲み物でも振る舞う。そう……麻痺薬をたっぷりと仕込んだものを。あとは動けなくなった彼のHPを全て奪い取れば良い。

 

「チェーンロックは切断されていた……『切断』されていた」

 

 オレはドアの元に向かい、チェーンロックの切断面を確認する。耐久値は減っているが、未だ残る役割を果たさなくなったチェーンロックの鎖。材質は≪鍛冶≫スキルが無いので分からないが、切断面はまるで鋏のようなもので切られたのだと分かる。

 ドアを閉め、オレは呼吸1つに蹴りを入れる。ボロボロの木製のドアは蹴りの威力に耐えられずに蝶番を破損し、そのまま雪上へと飛ぶ。外開きなのだから、ドアが開くだけでも十分な気がするが、見た目がボロボロな通り、極めて脆弱なのだろう。

 

「蹴りで良いんだ。わざわざ鋏を使うか? そうでなくとも剣で済むだろ」

 

 多少頑丈でもソードスキルでも1発叩き込めばいいのだ。これではまるで……そう、まるで……

 

「……そういう事かよ」

 

 ようやくたどり着いた。オレは事の真相に至り、思わず嘆息を吐く。どうして、オレに舞い込む依頼というのは面倒な物ばかりなのだ?

 そして、ここまでの仮説。これらを総合的に判断すれば、おそらくこの依頼は……いや、今は止そう。

 

「行くぞ、クレナイ。オレの予想が正しければ、闇市に答えがあるはずだ」

 

 不機嫌に睨むオレに対し、クレナイは無言で口元に三日月を描く。それは酷薄なまでに冷たい。

 現在時刻は午後3時半。終わりつつある街は緩やかにだが夕暮れの時刻を迎えつつあり、灰色の空から降り注いでいた雪はいつしかその量を減らしていた。足早なオレの数歩後ろをクレナイが付いてくる中、再び地下街に到着したオレは闇市を目指す。

 闇市とはその名の通り、盗品や表市場では流通させられない如何わしい品々が取り扱われている。露店から店舗を構えている者まで様々であり、意外にも上位プレイヤーも発掘品目当てに正体を隠して足を運ぶ事も多い。たとえ盗品であるとしても有用なものは多いからだ。最近はゴーレムや命令初期化されたギルドNPCまで売りに出されている始末だ。

 その中でオレは露店を営む、40代ほどの男性プレイヤーの元に行く。赤いシートに並べられているのは主に髪飾りやピアス、更に武器と様々だ。オレはそれを眺めながら、男性プレイヤーに話しかける。クレナイはオレの意図を察してか、背後で他人のフリをするように黙っている。

 

「よう、おじさん。景気はどう?」

 

 にこやかに話しかけたオレに、男性プレイヤーは肩を竦めて首を横に振る。

 

「全然さ。まぁ、客入りは天運。のんびりやらせて貰っているよ」

 

「そうだよな。にしても、色々と面白いものが並んでるな。何処から仕入れたんだ……って訊くのも野暮な話か」

 

 話が分かる客。オレが演じるのは、薄暗い背景を持つ商品を取り扱う商人プレイヤーからすれば歓迎すべき理解者にして上客だ。オレの装備品を見れば、少なくとも中位以上のプレイヤーだと男の目には映っているはずだ。

 だが、オレからすればコイツは2流どころか3流の商人プレイヤーだ。その証拠に並べられたアイテムの1つ、錆びついた髪飾りは白の聖樹の髪飾りというレアアイテムである。こうした錆びたり破損したアイテムがドロップした場合、≪鍛冶≫によって修復する必要がある。だが、いざ修復してみればゴミアイテムだったでは、修復費用と素材が無駄になるだけだ。

 そこで役立つのが≪鑑定≫スキルだ。これはアイテム名が不詳の状態のアイテムを文字通り鑑定し、いかなるアイテムなのか明確にするスキルである。商人プレイヤーに取っての必須スキルだ。

 

「これ良いな。雰囲気があって好きだ。こういう古くて歴史がありそうな1品が『家具』として映えると思わねーか?」

 

「んー、そうだな。俺には分からんが、お客さんが気に入ったって言うなら値札通り『3000コル』で買ってくれないかい?」

 

 ほら見ろ。白の聖樹の髪飾りは市場価格で40万コルはするレアアイテムだ。大幅にINTに上方修正をかけるこのアクセサリーは、魔法使い系プレイヤーにとって垂涎の品であり、そうでなくとも外観から女性プレイヤーに人気が高い。

 なのに3000コルで売却とは、このおっさんは商人になって日が浅く≪鑑定≫の熟練度が高くないか、そもそも知識自体が欠けているのか、何にしても金目当てに安易に闇市に潜り込んだ素人だ。

 普段ならば値切って2000コルで買いたたくところだが、今回の目的は買い物ではない。

 

「少し聞きたいことがあるんだけどよ、最近さ、家具とか女物の服とか闇市に流れてきてないか?」

 

「家具ぅ? さぁな……おじさんも忙しいし、一々同業者が何を売ってるかなんて気にしちゃいないしなぁ」

 

 ニヤニヤと汚らしい笑みを浮かべるおっさんに、オレは酒場同様に交渉用の小切手を手渡す。額面は1万コルだ。これにはさすがのおっさんも度肝を抜かしたらしく、今にも目玉が飛び出しそうな程に見開く。

 今回の依頼は情報料だけで大出費だ。傭兵の常として、経費持ちでもない限り、報酬から差分として引かねばなら無い。今回は戦闘が無いだろうから報酬20万コルを丸々もらえるかと思っていたが、どうにも上手くいきそうにないな。

 小切手をアイテムストレージに仕舞ったおっさんは顎を撫で、やがてわざとらしく思い出したように掌を拳で叩いた。

 

「2日……いや、3日前の真夜中に、変な男が家具も服も全部買い取って欲しいって頼みに来たらしいな。その後は武器やら何やら買い込んでいったよ」

 

「ありがとう。これはオマケだ」

 

 そう言ってオレは更におっさんに2000コルを握らせる。もちろん、これは口止め料だ。

 これでハッキリした。地下街を出て地上に戻ったオレは、先程から無言を貫いているクレナイに、自分でも驚くほどに雪空に相応しい凍った意思を向けた。

 

「答えろ。この街にある諜報部のアジトは何処だ? なるべく人目がなく、また寄り付かない場所だ」

 

 オレの言葉に、クレナイは満足気に拍手する。それは、まるで難題を解き明かした生徒を褒め称えるような賛美だった。

 胸糞悪い。オレはさっさと答えろと急かすように足下の雪を踏み躙った。

 

「南東にある教会だろう。屋根は半壊しているが、地下室がある。諜報部が保有するアジトの1つだ」

 

 終わりつつある街の南東にある教会……はじまりの街の時は孤児院だった場所か。アインクラッドには多くの幼い子供達がデスゲームに囚われ、生きる術を失っていた。彼らの拠り所となったのが孤児院だった。もちろん、子供たちは別に両親を失って『孤児』だったわけではない。そういう子もいたとは思うが、大半は単にデスゲームによって両親を現実世界に残した子ばかりだったはずだ。

 確か孤児院を経営していたのは……サーシャさんだっただろうか? 眼鏡をかけた優しい女性で、子供達には『先生』と呼ばれて慕われていた。最も、安全圏消失後には暴徒と化した低層プレイヤーによって子どもたちと一緒に殺害されてしまったが。

 

 

『駄目よ、クゥリ君。もうこれ以上≪軍≫の仕事を受けないで。キバオウはあなたを……あなたを利用しているだけなのよ!?』

 

 

 ……本当に、優しい人だった。少しだけアインクラッド時代の思い出が蘇り、オレは教会の方へと進む足を僅かにペースを遅らせる。始まりの街の頃の面影を残しつつ、新しい建物が立ち並び、なおかつそれらが朽ちた終わりつつある街は、やはりリターナーの記憶を刺激するには十分過ぎる場所だ。

 教会の周辺は墓所があるせいか、野犬型モンスター【飢えた野犬】が徘徊している。飢えた野犬はHPが低いが、動きが速く、また攻撃力も高い。レベル10未満のプレイヤーが多い貧民プレイヤーは確かに近寄る事は余りないだろう。

 

「あの教会だ」

 

 クレナイが指差したのは記憶にあるのと同じ2階建ての教会であり、特徴的な尖塔は今や折れている。よくよく見れば、建物全体も若干焼き焦げているような気もした。

 思えば想像していなかったが、仮にこの終わりつつある街の正体が発展したはじまりの街が朽ちた姿であるとして、一体全体何が起こったのだろうか? 大半の建物が倒壊するか半壊するかであり、復興の目途もなく、NPC達は緩やかな滅びに絶望している。

 いや、今は余計な事へと思考を割くべきではない。教会まで10メートルほどの距離にて、オレは≪気配遮断≫を発動させながら物陰から様子を窺う。もちろん、クラウドアースの諜報員ともなれば≪気配察知≫スキルもあるだろうから有効性は低いが、無いよりはマシだ。

 幸いにも見張りらしい見張りはいない。あるいは、オレと同じように≪気配察知≫、もしくは上位スキルの≪隠蔽≫を発動させているのかもしれない。だが、オレが確認したいのはアジトにいるプレイヤーの数ではない。

 教会を中心に据えて周囲の建物の配置を頭の中で地図化する。そして、それらの中から最も教会を見張るに適した場所を割り出していく。

 

「あれか」

 

 オレが特定したのは、教会の敷地を囲むようにして立つ建物の1つ、1階高い3階建ての石造りのものだ。元は飲食店だったのか、割れたテーブルや皿の破片が散らばっている。

 無言でクレナイに1階で待つように目で支持を出し、オレはトラップに注意しながら慎重に階段を上っていく。塵が積もった床は一見すれば長年誰も立ち入っていないかのようであるが、この世界はゲームである為、環境パラメータは保存されており、一定時間ごとに変化したパラメータは元通りに修正される。故に、こうした情報は当てにならない。

 仮に≪追跡≫スキルがあったとしても、この階段にプレイヤーの足跡などを見ることはできないだろう。オレがこれから会おうとしている人間は、そんなヘマを起こすはずがないのだから。

 3階は2階までとは違い、やや上流の客をターゲットにしていた、という造りなのだろう。調度品も金や銀が使われているが、その大半は強引に剥ぎ取られた跡があり、残されているのは屑同然のものばかりだ。

 オレはわざとガラス片などを音を立てて踏み鳴らし、3階フロアへと身を進ませる。それと同時に天井を支える円柱の陰から忍び寄る気配を見逃さず、奇襲されるよりも先に口を開いた。

 

「本当に……アンタが堅実な男で良かったよ、エレイン」

 

 オレの呼びかけに対し、円柱の陰から攻撃の機会を伺っていた人影に緊張が宿る。オレはあえて武器を抜かず、言葉だけで今回の事件の哀れな主役の名前を呼んだ。

 円柱の陰から現れたのは、20代半ばだろう、やや痩せた顔をした男だった。疲れ切った眼に宿るのは断固たる強き意思であり、それこそが今回の事件をややこしいものにしたのだ。

 

「貴様、その風貌……知っているぞ。俺を殺しに来たのか、【渡り鳥】?」

 

「残念だが、今回はアンタの捜索までが依頼だ」

 

 敗色濃厚だと悟った、それでも抵抗も厭わないエレインの声音に、オレは限りなく感情を殺した声で告げる。

 そして、彼へと最後の確認を取るべく、1つの質問をした。

 

「ムーココナッツを殺したのは……アイラさんを人質に取られたからで間違いないか?」

 

 さぁ、答え合わせの時間だ。

 場合によっては協力してやるよ。それが今回の依頼の『肝』だろうからな。




まともな依頼なんてフロムの傭兵の仕事じゃない! 筆者はそう思っています。

それでは、97話でまた会いましょう。

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