SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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続々シノンのターンです。
彼女に優しくない展開ですが、狙撃特化が接近戦を挑む事が無謀なのです。


Episode12-8 One day~シノンの場合3~

 スタミナは危険域。HP残量は2割弱。武装は短剣1本。シノンは今の自分が足手纏いであると自覚する。

 UNKNOWNは背中に白の剣を残し、右手の黒の剣を構える。【火葬の秘剣】と呼ばれる黒の剣は、隠し性能で炎エンチャント効果を持ち、アンデッド系に特効ダメージを与える事が出来る。背中に残す白の剣は【静謐の剣】だ。魔法防御力を高めるバフがあり、また敵を斬れば斬る程にその効果は短時間であるが飛躍的に上昇する。

 どうしてUNKNOWNが? 遠声の人工妖精の声の主、オペレーターと名乗った人物によれば保護対象を守る為に派遣されたようであるが、仮に保護すべきがイワンナならば、対応が余りにも遅過ぎる。

 シノンが疑問を膨らませる間にも場の緊張は炉に石炭が放り込まれたかのように加熱される。HPが半分のレグライドはチャクラムを両手に防御の構え、スキンヘッドのマクスウェルは杖を手に1歩後退する。

 

「保護対象だと? どの口でそのような戯言と虚言を並べ立てるつもりだ。全てのプレイヤーの守護者を気取るつもりか、政治屋が」

 

 吐き捨てるようにマクスウェルが戦いに逸るレグライドを牽制するように、まずはラスト・サンクチュアリの真意を問う。

 援軍はありがたいが、シノンとしてもいきなり【聖域の英雄】とさえ謳われるUNKNOWNをラスト・サンクチュアリが派遣した意図が分からない。と言うのも、ラスト・サンクチュアリはその規模こそ最大級のギルドであるが、実態は弱者の烏合の衆であるからだ。

 そもそもラスト・サンクチュアリの成り立ちは他の3大ギルドとは大きく異なる。

 聖剣騎士団と太陽の狩猟団がそれぞれディアベルとサンライスというトッププレイヤーを御旗に結成された、最もスタンダードな経緯を持つギルドだ。そして、クラウドアースはこの2大ギルドに対抗すべく実力ある中堅ギルドが連合を組んで設立された。

 だが、ラスト・サンクチュアリの場合、多くの右も左も分からぬルーキーを教育していたSAO生還者にして再度デスゲームに囚われた者、リターナーの1人が門下生を纏め上げた事に端を発する。

 当初こそリターナー率いる門下生は与えられた知識と訓練で培った戦法で『全プレイヤーによる一致団結した攻略』を理念に順調な攻略を推し進めていたが、3大ギルドの妨害、そしてSAOの知識が通じないDBOの様々な新システムや醜悪かつ陰湿な罠、強力無比なモンスターに阻まれ、その成長速度を著しく落としてしまった。

 それだけではなく、いずれ主力を担うだろう優秀な門下生プレイヤーが次々に出奔・独立・他のギルドのヘッドハンティングなどで流出してしまったのだ。余談だがこの工作行為を張り巡らせたとされる主犯がクラウドアースであり、以降クラウドアースとラスト・サンクチュアリの確執の一端ともなっている。

 そこでリターナーは方針を大きく変更する。即ち、下位プレイヤーの積極的な保護に乗り出したのである。貧民プレイヤー総数は不確かであるが、2、3000人は確実に存在すると言われている。それだけのプレイヤーを受け入れるだけのキャパが終わりつつある街にあるわけがなく、またステージ周辺のリソースで賄いきれるはずも無い。だからと言って、命懸けの戦いに挑めるのは限られたプレイヤーだけだ。更にそのプレイヤーの半分以上がメッキが剥げれば簡単に無様を晒す。

 なおかつDBOではモンスターの撃破報酬で得られるコルが全体的に少ない傾向がある。ドロップアイテムを売却する事で得られる収入の方が高い。また食材や回復アイテムも割高である。戦闘を行うだけかかる武器や整備、回復アイテムのコストを考えれば、常にギリギリの生活を強いられるのだ。

 そうであるというのに、食べていけない多くの貧民プレイヤーを賄う。不味い固焼きパンと豆だけの薄味スープの生活だけでも200コルだ。1000人のプレイヤーを食べさせるならば、20万コルだ。それが1回の食事で吹き飛ぶのだ。朝夕の2食に限定しても40万コルが日々消費される事になる。

 これを1部のプレイヤーだけで補うなど土台不可能だ。そこでラスト・サンクチュアリは徴税を行う事にした。保護対象の貧民プレイヤーから税を取り、そして終わりつつある街の西方の開拓に乗り出したのである。

 クラウドアースが実証したように、≪耕作≫スキルさえあれば土地を耕し、種や苗を植えて食材を入手する事ができる。これらのノウハウはクラウドアースが最先端だったのだが、形振り構わない諜報活動によって件のリターナーはこれらの知識を獲得し、開墾に成功したのである。だが、これこそがクラウドアースとの決定的な対立を招いたとも言えるだろう。

 最初は上手くいっていた。モンスターの脅威を払い除け、荒野を開拓するという、ゲーム的フロンティア精神がプレイヤーに力を与えていたのだろう。そして、終わりつつある街周辺のエリアは、元からそのような意図として広大な土地が準備されていたのかもしれない。

 西方にある『湖の古遺跡』を根城にした件のリターナーは、周辺一帯を自分たちの『領土』と主張し、ギルドとして発足する宣言をした。以降は湖の古遺跡を土台として、白蝋石という安価で入手可能な粗末な素材系アイテムを建築資材に周囲を都市化させていく。それは資金難のラスト・サンクチュアリにとって苦肉の策だったのだろう。そうして湖上の白の都、ラスト・サンクチュアリのギルド本部とも言うべき『都市』が開発された。

 張りぼての白の都『聖域都市』。皮肉そのものだ。そうして農地を獲得したラスト・サンクチュアリは安定した食料供給が可能になったように思えた。それは1000人を賄えずとも、200人ならば救えるはずだった。

 だが、ラスト・サンクチュアリは拡大を続けた。クラウドアースという『肥料系アイテム』最大の売り手との火種を残したままに。当時はクラウドアースも3大ギルドとして頭角を示し出した程度であり、他2大ギルドとも見劣りしていた。それが油断を生んだとしか言い表せないだろう。

 1000人どころではない貧民プレイヤーを喰らい、大ギルドの名分を得たラスト・サンクチュアリが次に乗り出したのは安定した収入源だ。彼らは他ステージの鉱山やサブダンジョンの確保を目指した。3大ギルドと不相応も甚だしい戦力差を知りながら、数の力に酔いしれていたのだろう。

 ようやく得た鉱山に多額の『税』を投入したが、それは僅か1日の間に傭兵によって壊滅した。当時はまだ傭兵全盛期ではなく、傭兵とは1人の白髪プレイヤーを指し示すものに他ならなかった。

 そして、この時期からクラウドアースによる攻撃が始まる。まずはこれまで卸していた肥料系アイテムの値段を吊り上げたのだ。そして、農地への妨害工作、戦力の切り崩し、更には小競り合いを仕掛けるようになった。

 1000人単位の貧民プレイヤーは大ギルドと衝突している事実を知り、ラスト・サンクチュアリから逃亡を図った。だが、ギルドメンバーに1度なってしまえば、リーダーの承認が無ければ脱退はできない。強制脱退させてくれるNPCもいるが、低レベルの彼らがそもそも想起の神殿までたどり着くことも、脱退の為に必要な多額のコルを準備する事も出来なかった。彼らは他の協力者を求めることもできず、終わりつつある街で再び貧民生活へと戻った。その方が安全だったからだ。

 もはや腐り落ちるのみを待ったラスト・サンクチュアリだが、それでも主張たる『全プレイヤーによる一致団結した攻略』を掲げ続けた。形骸化した理念に誰も寄り付くはずが無く、またその主張こそが数だけを揃えたラスト・サンクチュアリへの帰属を意味する他ギルドへの牽制と知ってか知らずか。

 そんな時に突如として現れたのがUNKNOWNである。彼は単身でボス撃破するという伝説的なデビューを果たし、傭兵業界に震撼をもたらすだけではなく、ラスト・サンクチュアリに多額の報酬資金をもたらした。

 加えて、ラスト・サンクチュアリが保有する鉱山などの収入源への攻撃が成されたと判断すれば急行し、これを迎撃。また軽くではあるが報復攻撃にも出た。これにより、ラスト・サンクチュアリは念願の安定した収入源を得たのである。

 弱者の烏合の衆というレッテルが貼られ、事実としてラスト・サンクチュアリはその様相だった。だが、UNKNOWNがラスト・サンクチュアリとパートナー契約を結んだ事により、貧民プレイヤーに希望がもたらされ、貧民プレイヤーの求心力を取り戻したのだ。

 だが、それによって更なる暴走が引き起こされつつあるものもまた現実だ。ラスト・サンクチュアリは何とか1000人に最低限の食料を与えられる土台を作れた。それはUNKNOWNの驚異的な戦闘能力に由来するものであり、また彼の戦力を傭兵としての『商品』として魅力を感じている3大ギルドという雇用主のお陰である。彼が失われれば瓦解する。そうであるにも関わらず、ラスト・サンクチュアリは『自分達が貧民プレイヤーの多くを守っているのだから相応の権益を寄越せ』と3大ギルドに要求し始めたのだ。

 聖剣騎士団と太陽の狩猟団の不仲は有名であるが、それ以前にクラウドアースがラスト・サンクチュアリを滅ぼす方が先ではないだろうか? そんな噂が囁かれる程度には事態が逼迫している。

 そして、そのガス抜きとしてラスト・サンクチュアリが『治安維持』の名目で現在対立しているのがチェーン・グレイヴを始めとした犯罪ギルドなのだ。

 

「イワンナは貴様らの傘下にない事はリサーチ済みだ。言葉巧みに騙せると思ったか」

 

『信じるも信じないもそちらの判断ですが、我々は先も申しました通り、保護対象の安全を守る義務があります』

 

「ならば不信が答えだ」

 

 マクスウェルの回答に、レグライドはやれやれと言った感じで首を横に振る。

 オペレーターの嘆息が重々しい沈黙を破る。それが意味するのは交戦開始という事だ。

 先に動いたのはレグライドだ。まずは右手のチャクラムを投擲する。それは犬の頭部を纏い、牙を剥きながらUNKNOWNに迫るが、黒の剣であっさりと弾き返される。もちろん、それを見越していたレグライドは鋭く踏み込んで仮面に顔を隠した頭部へと連続ジャブを放つ。

 

「…………」

 

 沈黙を保つUNKNOWNはそれを首を左右に振って回避し、逆に空いた左手の拳を風切り音を散らしながらレグライドの胸を打たんとするも、咄嗟に両腕を交差させてガードしたレグライドを僅かに後方に押し戻すに限る。

 接近戦をする両名の内にマクスウェルは黒い球体を生み出し、UNKNOWNへと放つ。それはシノンを襲ったものと違い、追尾性能が無い直線的な魔法攻撃である。それはレグライドを巻き込みかねないコースであるが、元から魔法攻撃を見越していたレグライドは身を屈めて黒い球体を回避する。

 直撃する。まさにその寸前で、UNKNOWNの右腕が『消えた』。

 いや、正確に言えば、余りにも反応速度が神速の域に達し過ぎてシノンの目が追い付けなかったのだ。

 

 

「は?」

 

 

 そして、マクスウェルが呆けた声を漏らすのも仕方あるまい。

 黒の球体がUNKNOWNに直撃する寸前、彼は黒の剣を振るい、魔法を『消した』のだ。何の比喩表現でもなく、斬撃を浴びて拡散したのである。

 これが矢や銃弾ならば理解できる。シノンが知る限りでも矢や銃弾を剣で弾いたプレイヤーはいた。だが、エネルギー体である魔法を斬り払ったプレイヤーはいない。

 

(まさか……『当たり判定』を斬ったの?)

 

 エネルギー系の射撃攻撃全般には中心部に『直撃命中』を判定するシステム取り入れられている。これは聖剣騎士団に属する『魔女』と呼ばれる不詳のプレイヤーが綿密な研究によって解明したものだ。

 エネルギー部分にもダメージ判定はあるが、これらの部分は命中しただけでは『掠り』と判定されて本来の威力を発揮されない。そこで極めて微小なドットで当たり判定部分が設けられ、そこがアバターやオブジェクトに接触して『直撃』と判定されるのだ。

 もちろん、ドラゴンの火球ブレスなどの巨大なものであれば当たり判定は複数あったりするが、プレイヤーが使える魔法は大半の当たり判定は1つだ。そこを意図的に攻撃する事によってシステムに『直撃した』と誤認させる。

 これをALOでの呼び名に則り、システム外スキル【魔法破壊】と名付けられた。かつてALOに出現した、あのユージーンを撃破したインプの剣士が披露したとされる絶技であり、偶然以外で使用できたプレイヤーはいない。

 それをUNKNOWNは、少なくとも数多の戦いを潜り抜けたシノンですら未知である闇術の魔法に対して実行したのだ。

 

「ぐぅうう! ならば!」

 

 我を取り戻したマクスウェルが杖を振るい、魔法発動モーションを取る。それを妨害すべくUNKNOWNが駆けるが、それをレグライドが壁となって妨害する。

 続いてマクスウェルが使用したのは、小型の黒い球体が複数扇状に解放される闇術だ。その速度は先程の単体の黒い球体とはまるで比較にならない。それ故に単調である魔法攻撃にUNKNOWNは背中の白の剣を左手で抜いて自分に直撃しそうな2つの魔法だけを魔法破壊する。

 だが、1度披露されれば2度目は驚くに値しない。レグライドは2つのチャクラムを投げる。片方は足下からもう片方は左上方から接近し、その間にレグレイドが真正面からUNKNOWNを肉薄する。

 

「…………」

 

 囮のテレフォンパンチをレグライドはUNKNOWNの腹を狙って打つ。回避は容易いが、逃げれば2方向から襲うチャクラムの餌食である。

 だが、UNKNOWNは迷うことなくレグライドのテレフォンパンチを身を捩じって回避し、同時に迫るチャクラムと応対する。

 高速で迫る2つのチャクラム。それをあろうことか、UNKNOWNは左右2本の剣で、チャクラムの中心の穴に突き通した。犬の頭部を貫いた切っ先はそのまま針の穴の中に通される糸のようにチャクラムの中心部に吸い込まれ、同時2方向攻撃のチャクラムを捌くだけではなく、運動を阻害してレグレイドから武器を奪い取った。

 動揺しつつも対応に移れるのはレグレイドが一流だったからこそだろう。チャクラムを失って尚、レグレイドは小鉄球でUNKNOWNを放つ。それは1度壁を狙い、その反射でUNKNOWNの側面を狙うという奇襲攻撃だったのだが、それを彼は単純な反応速度だけで剣で弾き、逆に小鉄球を投げる動作で隙を作ったレグライドの左腕へと斬撃を繰り出す。

 小鉄球を握ったままの左腕の肘から先が舞う。レグライドのHPが3割も減少し、更に欠損ダメージによってHPの自動減少が始まる。

 

「そんな馬鹿な。レグライドが……こうもあっさりと」

 

 信じられないと言った表情のマクスウェルへと、左腕を押さえて膝を着くレグライドの隣を通ったUNKNOWNが悠然と喉元に剣を向ける。魔法使いプレイヤーであるマクスウェルに前衛たるレグライドを失って、最強プレイヤーと名高いUNKNOWNを相手にできるはずが無い。

 屈辱に塗れたマクスウェルは顔を歪める。いかにレグライドがダメージを負っていたとはいえ、2対1をあっさりと、それも無傷で覆されたのだ。プライド高そうなマクスウェルには耐えられないだろう。

 そして、それはシノンもまた同じだ。

 いかに武装が貧弱だったとはいえ、シノンが死闘に持ち込んだレグライドが2対1という状況でもあしらわれ、軽々と膝を着かされたのだ。

 ならば……自分はいったい何なのだ? ただの傍観者ではないか。シノンは拳を握り、歯を食いしばる。

 最強のプレイヤーと自分の間に、これ程までに実力差があったとは思いたくなかった。仮にシノンが万全な状態だとしても、UNKNOWNに勝てるビジョンが浮かばない。

 

「どうした? トドメを刺せ。私もレグライドも負けた身だ。敗者は死あるのみ」

 

「…………」

 

 死を望むマクスウェルに、UNKNOWNは武器たる杖を剣で弾き飛ばすだけだった。命を奪うまでも無い小物扱いされたと思ったのだろう。マクスウェルの目に怒りが滲む。

 それが直接的な攻撃になるより先に、止血包帯で欠損ダメージを抑えたレグライドとマクスウェルの間に別の遠声の人工妖精が飛んでくる。

 

『2人とも生きてる?』

 

 それは少女とも言うべき声だった。鈴を鳴らしたような透き通った声音と活力に満ちた張りが特徴的である。

 

「……貴様か。何の用だ?」

 

 不機嫌なマクスウェルの声とは対照的に、少女の声は無邪気そのものだ。それがより少女の印象に恐ろしいものを感じさせる。

 

『えとね、ボスが「さっさと帰って来い」だって。お仕事終わりだよ。エレインさんの「処分」は別の人が済ませたんだって。あとイワンナさんは正式にラスト・サンクチュアリの保護下に入ったから手出ししちゃ駄目だよ。ボスは全面戦争には乗り気じゃないからね』

 

「いやぁ、それはよかったですねぇ。ボスのお墨付きなら無様な撤退も許されますから。ああ、生きてるって素晴らしい」

 

 立ち上がったレグライドはマクスウェルの肩を叩く。渋々といった様子で殺気を解いたマクスウェルは慎重に1歩後退すると、UNKNOWNもまた剣を下ろした。

 恐る恐るといった様子で今回の事の発端でもあるイワンナがカウンターから顔を出す。

 

「エレインは……死んだんですか?」

 

『まだ未確認だけど、ボスは「死んだ」って言ってるよ。誰が殺したのかは知らない。ごめんね、お姉さん』

 

 レグライドたちの仲間とは思えないように、少女の声は素直に答える。

 エレインという男のせいでシノンは激戦を繰り広げ、UNKNOWNが介入し、挙句に何処かで元凶のエレインは死んだというわけか。頭痛がしてくるような気分になってシノンは額を押さえる。

 

『ねぇ、そう言えばだけどさ! お兄さんが【黒の剣士】って本当なの?』

 

 だが、事が終わっても留まっていたレグライド側の人工妖精がUNKNOWNの元へとふよふよと向かう。遠声の人工妖精である為、声しか届かないはずである。一般的に人工妖精系はプレイヤーに付随させる設定なのだが、これは手動操作されているのかもしれない。

 だとするならば、自分たちを監視できる場所の何処かに人工妖精の操作主がいる事になる。シノンは周囲を見回すが、それらしい人影は見当たらない。いるのはせいぜい野次馬のNPCと貧民プレイヤー程度だ。逆に言えば、それらに偽装した誰かという確率も高い。

 

「…………」

 

『本当に【黒の剣士】なら、ボスから伝言があるよ。「99層、あの日を忘れない。忘れていない」だって』

 

 それを最後に人工妖精は去っていく。

 まるで嵐のような出来事だった。シノンはずるずるとその場に座り込み、イワンナは壁の大穴から夕焼けの空に何かを思うように望み、UNKNOWNは全てが些事であったかのように剣を背負う。

 

『お疲れ様でした。現在ラスト・サンクチュアリ警備隊がそちらに急行しています。到着まで想定10分。それまで護衛をお願いします』

 

 UNKNOWNが連れた人工妖精に、シノンは一体全体何が起こったのか尋ねようかと思ったが、これ以上の厄介事はご免だと疲れた身に鞭を打って立ち上がろうとする。だが、それよりも先にUNKNOWNが無言で彼女に手を差し伸ばした。

 理不尽だとは分かっている。だが、シノンの誇りに小さな亀裂が入ったのも確かだった。

 

「助けてくれた事は感謝するわ」

 

 手を払い除け、シノンは自身の力で起立する。今のシノンにできる反抗はこの程度だ。

 

「さすがはDBO最強プレイヤーさんね。あの2人を簡単にあしらうなんて」

 

「…………」

 

「私は無力だった。大口叩いて喧嘩を売って、その挙句に【聖域の英雄】様に助けられるなんてね」

 

「…………」

 

 ただの八つ当たりだ。これ以上は口を紡ぐべきではない。だが、シノンの中で怒りのマグマは熱を蓄え、地を割って吹き出すように感情を激化させていく。

 

「何か言いなさいよ。あなたからすれば、私は話すにも値しない路傍の雑草ってわけ?」

 

 慰めの言葉は要らない。同情も要らない。ならば、欲しいのは強者としての言葉か。

 UNKNOWNは無言を貫くだけだ。それが余計にシノンにとって侮辱に感じ取れてならない。

 

「もう良いわ。感謝しているのは本当だから。私じゃ……イワンナさんを守れなかった。それだけは事実だから」

 

 これから到着するラスト・サンクチュアリの警備隊と面合わせして、また揉め事が起きても面倒である。ラスト・サンクチュアリと太陽の狩猟団の関係は特別悪いわけではないが、それでも3大ギルドと対立関係にある以上、パートナー契約を結んで看板傭兵となっているシノンが場に居合わせていては色々と問題が起きる。

 情けない。シノンは嘆息を呑み込んで去ろうとするが、UNKNOWNが彼女の肩に触れてそれを引き留める。

 

「…………」

 

 振り返ったシノンが見たのは、身振り手振りでシノンに待ってくれるように訴えるUNKNOWNの姿だ。

 訳が分からないシノンを置いて、UNKNOWNはインスタントメッセージをシノンに送る。インスタントメッセージとは、フォーカス中のプレイヤーに送信する事ができる短文だ。フレンドメールのように長文を遠距離からは送れないが、至近距離で簡易的な短文を送るのに適している。その利用方法は様々だが、フレンド登録する程では無いプレイヤーに交換希望アイテムリストなどを通達する時などに役立つ。

 

〈キミがいなければイワンナさんは理不尽に遭っていたはずだ。救ったのは俺じゃない。キミの善意だ〉

 

「言いたいのはそれだけ? でも、結果を見れば明らかでしょう? 私は負けただけ。敗北に意味は無いわ」

 

〈そんな事無い。キミの行動が無ければ、俺は間に合わなかった。キミは弱くない。誇るべき強さがある〉

 

 苛立つ。シノンは拳を握り、UNKNOWNの仮面を剥ぎ取りたい衝動に駆られる。いかなる傲慢な面をしているのかと暴きたくなる。

 そもそも、正面から向かい合っているのだ。インスタントメールではなく、直接口で言えば良いではないか。それとも、シノン程度は話すに値しないというのか。

 

「私を馬鹿にしているの? 私は勝手に挑んで、勝手に敗れた負け犬。それを認められない程に弱くないわ」

 

〈負け犬じゃない。キミはこの世界の勝者だ。誰もが残酷に、優しさを失っていくこの世界で、キミは人間らしい善意を持っている〉

 

「そんなもの役立たない。力によって捻じ伏せられる。それがこの世界の真実でしょう。私がしたのも、この世界の理不尽を力で覆そうとしただけの事よ」

 

〈だとしても、キミは負けていない。この世界に勝ち続けている〉

 

 不毛な応酬だ。シノンの求める『強さ』とは程遠いものをUNKNOWNは彼女に見出しているようだが、そんなものは言葉遊びの産物に過ぎない。

 

「私は……私はもう負けたくないだけ。誰にも……何にも……。今日のところは助かったけど、傭兵として……敵として出会った時は容赦しないわ。必ずあなたを倒す」

 

 いかなる理不尽にも揺るがぬ『強さ』。それこそがシノンの求めるものだ。彼女が『朝田詩乃』として欲するものだ。

 

「…………」

 

 シノンの宣戦布告を受け取ってもUNKNOWNは黙ったままだ。受けて立つとすら言い返せない男なのか。シノンはある種の失望を抱く。

 と、いきなりUNKNOWNはシノンの左手をつかむ。やはり言いたい放題されて癪に障って実力行使に出たのかと、やはり先程の言葉は口先だけだったのだろうとシノンは嘲笑う。

 だが、UNKNOWNは自身の仮面にシノンの左手を触れさせる。それは仮面を外せという意図だと1拍遅れて気づいたシノンは、指に力を込めて仮面を外す。

 UNKNOWNの肌に張り付くように密着していた仮面は外れ、それと同時に彼は仮面をシノンから引き継ぐ。仮面こそ剥いだが、それを翳してあくまで素顔を見せないようにする。

 

「すまない。やっぱり、こうして声にしないと伝えられないと思って」

 

 まだ若い、シノンと同年輩だろう男の声だった。謎に包まれたUNKNOWNの正体の一端が明かされたのだが、シノンは特段驚きもしなかった。分かった事と言えば、話せるくせにインスタントメールという遠回しの手段で会話を望んだこの男の真意の不明さに対する怒りだけだ。

 

「この仮面なんだけど、各種耐性が上昇する代わりに『沈黙』のデバフが付くんだ。しかも呪い付きだから自分じゃ外せなくて……」

 

「は?」

 

 だが、あっさりとUNKNOWNのミステリアスな側面のネタ明かしがされ、シノンは愕然とする。

 

「いや、だからさ。【沈黙者の仮面】って言うんだけど……」

 

「そうじゃなくて! 何? あなた、話さないんじゃなくて……話せなかったの?」

 

 だとするならば、シノンは勝手な勘違いで怒っていただけではないか。増々の脱力感を覚えたシノンは思わず嗤ってしまう。これでは道化以下だ。

 

「それで、わざわざ仮面を外した英雄さんは私を馬鹿にしたいわけ?」

 

「違う。俺は……俺はキミに忘れて欲しくないだけなんだ。キミはまだ誰も殺していないはずだ」

 

 図星だ。シノンは盗賊討伐などを請け負っても、なるべく殺害しないように心掛けている。

 そして、その殺意の不足こそが今回の敗北に繋がったと実感した。あの時、レグライドと再度対峙した時、シノンはようやく必殺の意思に届いたのだ。それを我が物にしなければ、シノンは『強さ』を手に入れる事はできない。

 

「私は殺すわ。これからどんな敵が立ち塞がろうと必ず。傭兵として今までが甘かったのよ」

 

「そうじゃない。キミはこの世界に抗っているだけだ。誰もが呑まれていく。まるで最初からDBOで生まれ育ったかのように、モラルを失い、命の大切さを忘れ、本当の自分を見失っていく」

 

「傭兵の貴方が言っても説得力が無いわね」

 

「俺は誰も殺したくない。その意思は持っているつもりだ。大切な者を守る為ならば……きっと人を殺すと思う。でも、奪う必要が無い命は限りなく手にかけない。『その方が簡単だから』と言って殺してしまったら……後悔するだけだ。ずっとずっと、心の中で重石となり続ける」

 

 悲痛な実感がこもった声音にシノンは気圧される。威圧されている訳でもないのに、UNKNOWNの言葉に揺るがされる。

 思い出したのは、あの日、トリガーを引いて1人の命を奪い取った感触だ。今もこびり付いて離れない人殺しという現実だ。それを乗り越える為の『強さ』を追い求めているシノンに、『人殺し』を経て得た力は必要ないと言う。

 ふと蘇ったのは、かつて仲間として時間を共有した白髪の傭兵だ。

 彼が人を殺そうとした時、シノンはそれを必死になって止めた。殺されて当然のPK野郎だったが、シノンにはその命を奪う事を禁忌とした。2度目はボス戦後の騒乱で、彼を殺そうとしたプレイヤーを救う為に共に剣を向けた。

 人の命の重さを知っていたはずだから。1度奪えば取り戻せないと知っていたから。だからこそ、シノンは友を止めた。

 

「……勝手な事ばかり言うのね」

 

 いつしかシノンも変わってしまっていた。この世界の狂気に呑み込まれていたのかもしれない。

 

「勝手さ。そうじゃないと、『英雄』なんてものに祭り上げられたりしないよ」

 

 だが、嫌いではない。今日のところはシノンが『敗者』だ。ならば、UNKNOWNの言葉を胸に留めておくとしよう。

 今度こそ、その場を後にしたシノンは、沈みゆく夕日を見て、いつの間にか分厚い灰色の雲が去り、雪と夕闇の中の星光が交わっている事に気づく。

 最悪の休日だった。シノンは僅かに笑みながら、やはり休日の使い方を考え直そうと心の中で呟いた。




今回でシノンのストーリーは終了です。
いわゆるUNKNOWNとの遭遇編とも言うべきでしょうか。

それでは90話でまた会いましょう。

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