SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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続・シノンのターンです。
スミスさんのターンが戦いばかりだったけど、シノンの方もバトル真っ盛り。

……一応言いますが、彼女の場合は休日を描いています。


Episode12-7 One day~シノンの場合2~

 犯罪ギルド。その名称から犯罪行為に手を染めた集団であると見做される事が多々あるが、厳密には異なる。

 彼らは言うなればインモラルな活動をする反社会的存在である。盗賊団などのプレイヤーに直接的な実害を及ぼすギルドは駆逐されるが、現実世界でも暴力団やマフィアが蔓延っているように、彼らは共存する悪と言えるだろう。

 もちろん、彼らは犯罪ギルドという呼び名からも歓迎される存在ではない。その中でもチェーン・グレイヴは大型犯罪ギルドの代表とも言うべきギルドだ。

 NPCやプレイヤーの人身売買、依存度や快楽をもたらす麻薬系アイテムの販売、個人を対象とした金融業、一時的に高い効果をもたらすと引き換えに副作用があるドーピングアイテムの取り扱いなど、チェーン・グレイヴの活動は多岐に亘る。

 構成員数不明。リーダー不詳。活動拠点は終わりつつある街であるが、事実上すべてのステージに手広く範囲を広めている。3大ギルドとも繋がりがあるともされ、彼らが排斥される動きは今のところない。

 シノンも末端の構成員とは遭遇した事があるが、なるべく関わりを持たないように努めていた為、こうして対峙するのは初めてである。

 

(どうする? 時間稼ぎに終始すれば、騒ぎを聞きつけて助けが来る? 期待しても無駄ね。都合よく『善人』が通りがかるわけない)

 

 太腿から広がる痛覚代わりの不快感に顔を歪めながら、シノンは武装を再確認する。

 現在の装備は短剣とハンドガンのみ。ハンドガンの残弾数は48発。クイックアイテムとしてセットしている中には火炎壺、燐光紅草、深緑霊水、投げナイフ、それに紫毒の苔玉だ。

 武装も貧弱ならば、アイテムにも1発逆転を狙えるものはない。せいぜい火炎壺が命中すればそれなりのダメージが狙えるかもしれない程度だ。

 だが、厄介なのはレイライドのチャクラムだ。デフォルメ化された犬の頭部を纏ったチャクラムは、シノンの知識を探る限りでは該当するものが無い。≪円剣≫は≪カタナ≫と同じエクストラスキルである為か、習得するプレイヤー数が少ない。また、癖が強い武器でもある為、サブウェポンで仕込む事はあってもメインウェポンとして運用しているプレイヤーは更に限られるだろう。

 

(武器の特性? ソードスキルの類? それとも別の何か? 駄目ね。見当つかない)

 

 あっさりとシノンは異形の武器の考察を停止する。解答はレグライドを倒した後に彼から聞き出せば良いだけの話だ。

 今必要なのは、レグライドという脅威をどう退けるかという1点である。幸いにもレグライドはイワンナよりも先にシノンを排除する方を優先しているようである。下手に余力を残させ、追跡されても面倒だからなのだろう。

 まずは異形の武器の動きを見極める。レグライドは右手のチャクラムを投擲し、犬の頭部が牙を剥きながらシノンに迫る。シノンはそれに弾丸を浴びせるも、チャクラム本体にはエネルギー体の犬の頭部に阻まれて届かない。

 危うく肩を食い千切られそうになるも、間一髪でシノンはステップを踏んで回避する。それを見越して動いていたレグライドの蹴りを左腕でガードし、腹部を狙ってナイフで突くも、それはレグライドの膝蹴りで手首を跳ね上げられて届かない。

 逆に襟首をつかまれてそのまま背負い投げされる。テーブルに叩き付けられたシノンは衝撃がアバターを突き抜ける感覚を味わうも、それで思考と意識を停止させるわけにはいかない。追撃の踏みつけを転がって回避しながらハンドガンを連射するが、2つの犬の頭部がそれを迎撃する。

 

(格闘戦は不利か。最近狙撃ばかりのツケが回ってきたかな)

 

 接近戦にはそれなりの心得があるも、シノンは中・遠距離に特化した銃撃及び狙撃戦特化だ。ステータスもスキルも戦闘スタイルに合わせた構成にしている。その為か、クゥリやディアベルと共に戦っていた初期に比べ、近距離戦の機会は大幅に減った。

 格闘戦やナイフには相応の経験を積んでいるが、それでも常に敵の間合いの中で攻防する近接戦プレイヤーには及ばない。

 既に戦いは始まった時点で間合いが詰められて不利だったのだ。これがある程度の近距離戦を想定とした、弾をばら撒くマシンガンを装備していたならばシノンでも十分に戦えるのだが、ハンドガンとナイフだけで、トッププレイヤー級の動きをするレグライドを相手にするのは不利を通り越して負け確定のようなものである。

 シノンの現在のレベルは43だ。レグライドは40台には到達してないだろうが、最低でも30半ば程度のレベルには到達しているだろう。だとするならば、レベル差で覆すには厳しい。

 普段のシノンならばDEX任せにして距離を取るのだが、そうすればレグライドはシノンをあっさりと諦めてイワンナを攫っていくだろう。それではシノンが介入した意味がなくなる。

 

「1つ訊いて良い? イワンナさんをどうするつもり? 話を聞いた限りでは、貴方達の狙いは別の人物の誘き寄せる為の人質にする腹積もりみたいだけど」

 

「それを知ってどうしますか? そもそもですねぇ、これはあなたには関係のない、『貧民の日常』でしょう?」

 

「折角見つけた美味しい料理の店を潰されたくないのよ」

 

「確かにそれは一大事ですねぇ」

 

 シノンの問いに、レグライドは演技染みて肩を竦める。どうやらシノンと少しくらいはお喋りする気ではあるようだ。その間にシノンはレグライドの武器の攻略法を立てる。格闘戦ではシノンに分が悪く、射撃攻撃は犬の頭部に迎撃される。

 せめて、あのチャクラムさえ封じることができれば勝機がある。レグライドにダメージを与えることができる。

 

「エレインというプレイヤーが借金を残したまま雲隠れしましてねぇ。それ自体は珍しくないんですが、どうやらボスの逆鱗に触れる真似をしでかしたみたいなんですよ。彼は稼ぎが無いから我々が『仕事』を斡旋していたのですが、どうやらトラブルがあったみたいですねぇ。お陰で私が出張る羽目になったというわけですよ」

 

「エレインの友人のイワンナさんを人質にしたとして、本当に現れると思ってるの?」

 

「まさか! 友人の悲鳴の1つや2つで顔をひょっこり出す真っ当な人間ならば、そもそも借金を放りだして逃げたりしませんよ。まったく、我々は別に暴利を貪っているわけではないのに。イワンナさんなんて固定金利10パーセントですよ? 80万コル借りて、金利はたったの8万コル! なんとお手頃! これが審査無しで通るんですから、期日を守れない御方には相応の報いを受けてもらうのは当然ですよねぇ?」

 

 残念ながらシノンに、それが妥当なのかどうか判別する知識はない。だが、レグライドの言う通り暴利ではない事は何となくであるが理解できる。

 現在、クラウドアースだけが銀行業を営み、ギルドへの融資業務を行っている。だが、いつ死ぬかも分からないDBOにおいて、個人に融資する事は金を溝に捨てるのと同意義だ。これがある程度実力が付いたプレイヤーならば話は違うが、低位プレイヤーが商売や生活の為にコルを貸すことはまずあり得ない。

 その点でチェーン・グレイヴは貧民プレイヤーからすれば、最後に縋る事が出来る悪魔の果実なのかもしれない。イワンナのように商売が軌道に乗れば、真っ当に借金を返しながら、その日の食事にも困ることなく、安全圏のある家で屋根と壁に囲まれながら生活することができるのだから。

 だが、そんな夢物語を達成できることができる人間はほんの一握りだ。そして、チェーン・グレイヴはそれを重々承知した上で、『審査無し』という餌で釣って貧民プレイヤーを誘き寄せているのだろう。

 期日まで支払えなければどうなるのだろうか? 最初は金利が膨らむ程度のペナルティで済むかもしれない。だが、そうして膨張を続けた金利に押し潰され、返済できなくなったプレイヤーは、最終的に『担保』として何を持って行かれるのだろうか?

 

「要はですねぇ、私もさっさと仕事を切り上げたいんですよ。私はボスのご機嫌を損ねたくない。だから『仕事をした』という証明が欲しい。だからイワンナさんにご協力を願いたい。私はハッピー、ボスもハッピー。まさにWinWinというわけです」

 

「その為にイワンナさんに犠牲になれと? 外道ね」

 

「元より外道ですよ。じゃないと、犯罪ギルドなんて誹りを受けていません」

 

 瞬間にレグライドがシノンとの間合いを詰める。≪歩法≫のソードスキル【ライジング・ライン】だ。短距離であるが、ラビットダッシュ以上の加速力を誇る。

 繰り出されたアッパーが顎を掠める。シノンはナイフで応戦しようとするが、右手首をつかまれて捻られる。だが、それは想定の範囲内だ。シノンはナイフを手放し、ハンドガンを捨てた左手でキャッチすると、≪短剣≫の単発系ソードスキル【ファット・クロー】でレグライドの肩に突き刺す。近距離からの突き刺しを想定としたこのソードスキルは低火力のソードスキル揃いの≪短剣≫の中で、瞬発的に発動できる事が強みである。

 僅かにだがレグライドの表情が歪む。そのまま刃を捻じ込もうとするが、捻られた手首により1本の棒のように右腕は伸ばされ、そのまま右肘に強烈な膝蹴りが入る。

 アバターの内側で骨が砕ける音がし、脳をミキサーにかけるような不快感が駆け抜ける。あらぬ方向に曲がった右肘を横目に退いたシノンは左手にナイフを振り払い、血のようにこびり付いた赤黒い光を払う。

 対するレグライドも、いかに≪短剣≫のソードスキルとはいえ直撃を受けたのだ。ただでは済まず、HPを2割ほど減らしている。シノンも同程度なのであるが、右腕が使用不能になった分だけ不利になったと言える。

 ダメージを与える為に無茶をし過ぎた事は自覚しているが、これ以外に状況を変える手段が思いつかなかったのも事実である。出来れば肉を切らせる事無く骨を砕きたかったのだが、賭けの代償として逆に自分の方が砕かれてしまったとは笑えない限りである。

 

「やりますねぇ。さすがは【魔弾の山猫】。名の通った傭兵だけはある」

 

「あなたこそ、それだけの腕があれば何処のギルドでも引手数多でしょう? どうして犯罪ギルドなんかに」

 

 正直なところ、シノンがレグライドを軽んじて此度の1件に介入したのも、犯罪ギルドの借金取りがトッププレイヤー級の実力を持つはずが無いという先入観からだ。だが、蓋を開けてみればレグライドは最前線でもお目にかかれない程の実力者だ。

 実力を見せつけて求人すれば、戦力補強に躍起になっている3大ギルドである。何処のギルドからでも声がかかる事は想像も難しくない。

 

「それをあなたが言いますか? 所詮は3大ギルドのパワーゲームの駒でしかない傭兵のあなたが」

 

 反論の言葉をシノンは持ち合わせていない。レグライドの指摘は尤もだからだ。

 報酬が期待できる依頼の大半は3大ギルド関連のものであり、傭兵達の多くは3大ギルドの何処かしらとパートナー契約を結んで支援を受けている。シノンとて太陽の狩猟団とパートナー契約を結んでいる身だ。

 むしろ、先日太陽の狩猟団との契約を切ったクゥリや最初からフリーを貫くスミスの方が異常なのだ。だが、彼らは自由の代償として常に資金難に悩まされている。傭兵とは単身で多額の報酬を得られる仕事ではあるが、そこには莫大なコストが必要となるのだ。

 激戦を潜り抜けるだけの装備の調達や強化。多量に使用するアイテムの準備。各種整備費用。依頼の達成率を高める為の情報収集。それらコストを報酬から差し引いて結果的にマイナス、赤字を出す傭兵も少なくない。

 特にシノンの場合は狙撃戦中心である為、前衛型の傭兵との協働が多い。協働相手が準備されているならば別であるが、そうでない場合は自費で協働相手を募集せねばならない。そうなれば報酬は更に減額される。

 故に傭兵達は率先して3大ギルドの依頼を奪い合う。自分達が駒として利用されていると知りながらも、パートナー契約を打ち切られない為に、あるいは結んでもらえるように自分の価値を売り込む為に、何よりも莫大報酬に目が眩んで、ギルド間抗争の拡大に手を貸しているのだ。それが多くのプレイヤーに火の粉を撒き散らすと気づいていながらも、シノンは自分を優先して傭兵として戦っているのだ。

 だが、レグライドと自分は違う。シノンはそれを断言する事が出来る。少なくともシノンは弱者を踏み躙る真似をしない。それはシノンが求める『力』ではない。

 レグライドがチャクラムを回転させ、放つ。犬の頭部を纏ったそれは左右からシノンへと襲い掛かる。右腕が封じられた以上左右同時攻撃を防ぐには回避以外に道は無い。そして、この異形の武器の性質をシノンは見極めつつあった。

 まずは火炎壺を取り出して右側から迫るチャクラムに投げつける。それは爆発を引き起こし、犬の頭部はあらぬ方向へと飛ぶ。そして、左側の頭部をナイフで斬りつけながら回避する。

 外見のインパクトで騙されていたが、この犬の頭部はあくまでチャクラムの軌道でしか動けないのだ。恐らく、プレイヤーなどの『敵』に接近したら自動的に口を開いて噛みつき攻撃を仕掛けるのだろう。

 

(スキルや魔法じゃない。あくまで武器としての『能力』。そうと分かれば対策は難しくない。チャクラムと同じで軌道を逸らし、噛みつかれないようにチャクラムよりも大きく避ける。簡単じゃない)

 

 加えて先程の銃撃で犬の頭部に攻撃判定があるのも確認済みだ。物理属性が通るならば、火炎壺の爆風でも十分にチャクラムの軌道を変えられる。

 伊達にシノンも幾多の死線を潜り抜けた傭兵ではない。ピンチも逆境も慣れている。それらに適応し、生存の道を探れるからこそ傭兵であり、それが出来なかった者たちは淘汰された。

 投げナイフを投擲し、2つのチャクラムを手放して無手となったレグライドに迫る。投げナイフを回避したところにシノンは短剣を逆手に顔面目がけて振るう……と見せかけて左膝の蹴りを浴びせる。それは見切られてガードされるも、シノンは高いDEXに物を言わせて跳躍し、反撃の掌底を回避し、逆に踵落としを決める。

 背後から迫るチャクラムを開脚するように屈んで回避し、手元に戻ったチャクラムをレグライドがキャッチした瞬間を狙って火炎壺を放る。

 チャクラムの弱点はその強みたる『必ず手元に戻る』という特性にある。即ち、戻って来た時にキャッチする動作をしなければ自動的にファンブル状態となってしまうのだ。故に、そのタイミングだけは必ず両手を攻防から外す必要がある。

 本来ならば回避と並列しながらでもレグライド級のプレイヤーならば、戻るチャクラムの軌道を見切ってキャッチ動作を行えるだろう。だが、皮肉にもシノンが不利である状況を作る手狭な室内戦だからこそ、チャクラムも十分な軌道を取れないが故に手元に戻るタイミングを計算し辛く動き回りながらキャッチする事は困難だ。ましてや、片方のチャクラムはシノンが先程火炎壺で大きく軌道変化させたものである。

 火炎壺をまともに受けたレグライドが揺らぐ。スタン状態には程遠いが、爆風に煽られて体勢を崩したのだ。シノンはその隙を逃さず、今度こそ勝負を決めるべく、短剣を手にレグライドへと接近する。

 だが、突如として喉に衝撃を受け、シノンはあと1歩の踏み込みができなかった。

 

(な、何!? いったい何が……)

 

 続いて腹、膝、右肩に次々と衝撃が浴びせられ、シノンはスタン状態になって行動が強制停止させられる。隙を狙ったはずのシノンは逆にレグライドの眼前で無防備を晒し、その掌底を胸部に受けてカウンター席まで吹き飛ばされる。

 

「ふぅ。まさか、奥の手を使わされるとは思いませんでしたよ」

 

 両手首でチャクラムを回し、自由になった両手を見せつけながら、レグライドは本当に余裕が無いといった、冷や汗を垂らした顔をしていた。

 その両手の指と指の間に挟まっているのは、小さな鉄球だ。ただし、表面には丸みを帯びた僅かな突起ががあり、殺傷能力が高められている形状をしている。

 その武器の名は暗器【小鉄球】。その名の通り、投擲する為だけの小型鉄球である。用途も単純であり、使用には一工夫必要であるが、暗器は軒並みに致命ボーナスが高い為、ここぞという時の切り札になる。

 一方で暗殺向きの武器である為、多くのプレイヤーが嫌悪する傾向にある。暗器を装備しているという時点で後ろ暗い目的があるという証左にも成り得る為、装備を見送るプレイヤーも多い。

 ふらふらと立ち上がったシノンは自身のHPが5割を切ってイエローゾーンに突入した事を確認する。小鉄球と掌底のダメージが予想外に響いたようだ。だが、暗器の致命ボーナス以外の恐ろしさ、デバフ攻撃の影響は無いようである事に安心する。

 だが、レグライドのHPは7割も残っている。いかに犯罪ギルドのプレイヤーであろうとも殺人を犯すリスクは把握しているのだろう。ならば、デュエルルールに則ってHPを5割以下になったシノンが敗北であると認めて退くべきだ。

 5割以下とは即ち一撃死もあり得るHP残量だ。VITの低さや根本的なレベル差、高火力武器などで5割以上あっても死亡はあり得るが、一般的に同等のレベル帯ならば5割が戦闘継続のデッドラインとされている。

 これ以上ならば命懸けだ。故にレグライドもシノンの判断を待っている。彼もまた犯罪ギルドとして覚悟がある人間だ。

 やるべき事はやった。人としての道理は通した。イワンナを守り切れなかったのは仕方がない。シノンは自らを納得させようとする。これは依頼では無いのだ。金にもならない気まぐれな善意だ。命を賭すべき事ではない。

 だから言ってしまえ。『今回のところは自分の負けだ』と。冷静な思考がシノンに生存を促す。そして、シノンはそれに従って深呼吸を挟んだ。

 

 

 

「さぁ、続きをやりましょう。……殺すわ、あなたを」

 

 

 

 スイッチを切り替える。シノンの中で微睡んでいた魂に火が点る。傭兵としての【魔弾の山猫】へとシノンは思考を組み替える。

 

(私は誰にも負けたくないだけ。自分にも……敵にも……誰にも!)

 

 ぬるま湯の妥協で敗北を認めるならば、勝利を追い求めて死線を潜る方をシノンは選択する。

 たとえ殺してでも生き残る。たとえ殺してでも勝ち残る。シノンが思い出したのは、かつて自分を救ってくれた仲間の目だ。

 クゥリは強かった。命を奪い取る事に何ら躊躇しない。それが自分の糧になるならば。それが生き残る為ならば。その強さをシノンは自らの求める『強さ』とはしなかった。だが、憧れに近い物を抱いた事が無いかと言えば嘘だ。

 シノンの耳にも届いている。先日のカークの1件で、クゥリは左目を潰されるというハンデを負いながら猛者として知られるカークを単身で討ち、ボス撃破にも貢献したとの事だ。彼の強さは揺るぐ事無く、今も成長し続けている。

 必殺の意思。それさえあれば、シノンは更なる高みに至れる。そうすれば、今度こそ『強さ』に届くかもしれない。

 

(クーなら死んでる右腕を捨てるはず。チャクラムを右腕を盾にして防いで近づく!)

 

 シノンから迸る殺気を感じ取ったのか、レグライドも笑みを引っ込める。彼もまた今のシノンが先程までの『じゃれ合い』とは違うと判断したのだろう。

 堪らず叫びそうになるのをシノンは堪える。殺気の内側で自分の中で新しい物が肉付き、形を成しつつある事を感じる。それに身を委ねてはいけないと分かっていても、シノンは我慢できなかった。

 互いに弾ける寸前まで殺気が高まる。この1回の攻防で全てが決まる。レグライドがチャクラムを振りかぶり、シノンが最初の踏み込みをした時だった。

 壁を突き破って無数の黒い何かがシノンに殺到する。それは白い靄のような目を持った黒い霊魂のようであり、咄嗟に回避行動を取ったシノンにあろうことか追跡する。まさかの奇襲に対応しきれなかったシノンは、接近する5つの霊魂の内の2つを残された左腕に直撃を浴びてしまう。その衝撃が手元から短剣を落としてしまった。

 この致命的な隙をレグライドが見逃さないはずが無い。レグライドのミドルキックがシノンの鳩尾に直撃し、彼女はそのまま壁に押し付けられる。現実の肉体ならば内臓を破裂させ、押し潰されるような威力である。だが、その衝撃とダメージフィードバックの不快感は相応以上のものをシノンの脳に送り込む。

 

「何を遊んでいる、レグライド?」

 

 壁に押し付けられながら、レグライド越しに破壊された壁から店内に侵入した新たな人物をシノンは視認する。

 それはスキンヘッドの髪をした30歳半ばだろう男だ。紺色の長衣を纏い、手には魔法の触媒である杖を装備している。それは3つの手で赤い宝石をつかんだ装飾が施された杖である。シノンの記憶が正しければ【無慮の杖】だ。ユニークウェポンであり、あるプレイヤーが所持していたものであるが、そのプレイヤーの死後は行方不明になっていた。

 

「お前はこんな簡単な仕事もこなせない駄犬か? ボスのお怒りを忘れた訳ではあるまい。それを猫と遊んで貴重な時間を潰すなど言語道断だぞ」

 

「いやー、すみません。でも助かりましたよ。【マクスウェル】さんが助けてくれなかったらガチの殺し合いになってましたからねぇ。さすがに私もどうなっていたやら」

 

 スキンヘッドの男はマクスウェルというらしい。レグライドの仲間である事は会話から分かるが、先程の黒い霊魂のような攻撃は全くの未知だ。今日は厄日か、とシノンは歯を食いしばる。

 シノンの様子を見てマクスウェルはつまらなさそうに鼻を鳴らし、シノンの頬を杖で叩く。

 

「闇術は初めてかな? 先程のは【追う者たち】だ。高火力と追尾性能、それにスタミナ減少を兼ね備えた高性能の魔法でね。その分だが魔力の消費が凄まじい上に使用条件も厳しい」

 

 初耳の魔法に、まだDBOには未知なる攻撃法が存在するのかとシノンは半ば呆れに近い感情を覚える。それと同時にチェーン・グレイヴという犯罪ギルドが、3大ギルドすら入手したという情報が出回っていない謎の魔法を扱えるという事実に、自分がどれだけ『裏』について知らなかったのかを思い知らされる。

 

「悪いが、貴様のような大物を殺すと後々が面倒だ。スタミナ切れにしてしばらく動けないようにさせてもらう」

 

 杖を構えるマクスウェルの前で先程の霊魂に似た黒い塊が出現する。

 ここで負けるのか? シノンは暴れて拘束から抜け出そうとするが、STR負けしているシノンでは武器もない状態ではレグライドの足を押し退けることはできない。

 だが、黒い塊がシノンに直撃するより先にレグライドが吹き飛ばされ、シノンは解放される。1拍遅れて天井からパラパラと瓦礫が落ち、何かが天井に大穴を開けて突き破って舞い降りたのだとシノンは理解した。

 本当に今日はどうなっているのだろうか? シノンは休日の使い方を本気で考え直さねばならないと誓う。

 舞い降りたのは黒衣。白と黒の2本の剣を背負った1人の男だ。その顔には黒で紋様が描かれた白の仮面をつけ、その周囲では青白い光を纏った【遠声の人工妖精】を踊る様に浮かせている。

 遠声の人工妖精から発せられたのは、まだ若い、少女のような声だった。

 

 

『こちらUNKNOWNオペレーターです。貴方達はラスト・サンクチュアリの保護対象の安全を侵害しています。速やかに退去してください。さもなくば、実力で排除します』

 

 

 DBO最強プレイヤー。単身でボスを討伐した伝説。シノンの前には素性不詳の二刀流剣士UNKNOWNが抜剣していた。




次回もシノンのターンです。
今回の彼女は踏んだり蹴ったりですね。良い休日だと思います。

それでは89話でまた会いましょう。

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