SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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最近の病院食って美味しいですね。
味気は少し物足りませんが、健康になりそうな良い感じの味付けです。

皆様にはいろいろとご心配をおかけして申し訳ありません。
体調が戻るまでは、更新が少し不定になるかもしれません。何卒ご了承ください。


Episode11-11 怪物の胎動

『1番になるって何だろうな?』

 

 真夏の熱気が籠る教室に乾いた涼風が駆け抜け、じわりと染み出す汗と気怠さを吹き飛ばす。

 支倉 颯斗(しくら はやと)は問題集を解く手を止め、机で頬杖をつく友人の脱力した顔を睨んだ。

 

『まだ悔やんでるのか?』

 

『当たり前だろ。青春だぞ、せ・い・しゅ・ん! 俺の3年間は何だったんだよぉって気持ちになるだろ?』

 

 颯斗と友人は陸上部だった。短距離走の選手だったのだが、県大会に出場してあっさりと敗退し、引退して受験戦争へと本格的に身を投じることになった。とはいえ、それは昨日一昨日の話ではない為、颯斗の中では既に決着がついてた事だった。

 

『未練なんて持つだけ無駄だろ? 部活に3年間打ち込んだ。それが将来的には役立つんだよ』

 

『どういう意味で?』

 

『就職……とか? ほら、履歴書とか面接とかで役立つだろう?』

 

 我ながら薄っぺらい意見だ。颯斗は我が身を嘲笑いたくなる。だが、友人は何となく納得したように腕を組んで頷いた。

 

『確かに』

 

 コイツが馬鹿で良かった。再び問題集へと意識を傾けた颯斗であるが、長々とした英文が頭の中で日本語に変換されない。先程まで切れる事無く続いていた集中力は友人の茶々入れで霧散していた。

 いや、違う。本当に集中したいならば、冷房が利いた図書館にいるはずだ。わざわざ空調が壊れた学校の教室にしがみついて受験勉強に励むなど、自らやる気が無いと宣言しているようなものだ。

 

『それと、1番になるってのは怖いものだと思うぞ。だって、1度トップに立った人間はもう落ちることができないんだ。1番より上が無いから、ずっと1番であり続けないといけないんだ。僕はそんなのご免だ』

 

『颯斗は相変わらず夢が無いなぁ。昔はもっと熱血だったじゃん』

 

『そりゃ3年生にもなれば現実くらい見るさ。模試の結果見た時の親の顔とか、もうアレだよ、アレ。絶望だね』

 

 部活馬鹿だった自分に非があるのだから親の小言に歯向かう事もできない。そんな我が身に屈辱が無いわけではない。だからこそ、こうして形だけでも受験に向けて取り組んでいた。

 思えば、あの時の友人が言いたかった事は別の事だったのかもしれない、と颯斗は今更になって思い返す。

 情熱を失ったわけではない。現実を言い訳にして、冷めたフリをしていた方が気楽だっただけだ。目の前の壁を消化しようと、自分の胸の中で燻っていた火の種を灰で覆い隠してしまっただけだ。

 結果、親が期待6割を達成して相応の評価を守れるだけの大学に進学し、特に学びたいと思っていた事でもない講義を受け、単位を稼ぎ、アルバイトをして適当に知り合った女の子と付き合い、夏が終わる頃に別れ、時間を淡々と浪費し続けた。

 自分は何をしているのだろう? そんな空っぽの自我が現実から目を背けたいと訴えたかのように、颯斗はVRゲームへと興味を示した。SAO事件で千人単位の死者を出したにも関わらず、世界はVR技術の進歩を止めず、今やゲーム業界はVRゲームの盛隆時代だった。

 あまりゲームに関心が無かった颯斗は僅か数時間の初プレイで仮想世界の魅力に呑み込まれた。

 仮想世界では……ゲームの世界では何にでもなれる。自らの力で何でも演じることができる。まさに中毒だった。

 小さな反逆だった。何処かで熱意を置き去りにしてしまった現実の自分への当て付けだった。何も意味を成さないと分かっていながら、現実世界よりも仮想世界の方に愛着が湧くようになった。

 そして、颯斗は出会った。アミュスフィアⅢ待望のファーストタイトル『ダークブラッド・オンライン』に。

 あの日、何故ログインしてしまったのか。現実と向き合わなかった事へのツケがデスゲーム参加ならば、何と重たい代償だろうか? 貧民のように、腹を満たされず、いつ訪れるかも分からない凶刃の日に怯えるのは嫌だった。

 だから颯斗は同化した。いや、あの日『手鏡』によって理想のアバターが砕かれ、現実世界の自分自身を仮想世界で構築してしまった瞬間に、既に颯斗と理想の垣根は取り払われていたのだ。

 それが支倉 颯斗が【ラジード】として生きる事を決意した始まりだった。

 

(随分と遠回りしたな)

 

 最重量の刀剣カテゴリーである特大剣、その中では軽量の部類であるツヴァイヘンダーを振り回し、ラジードはクラーグの炎の刃と鋼の刃を激突させ、火花と火の粉を周囲に撒き散らす。

 理想を腐らせたくなくて戦う事を選び、その先にあったのは天乃岩戸でのパシリに甘んじた日々。

 危機を乗り越えて太陽の狩猟団に属し、才能を買われたは良いが実力に自信が持てなかった毎日。 

 だが、こんなにも毒と病に溢れ、仲間達の死が積み重なった暗闇の奥底で、ラジードは自身の内側から際限なく忘れていた炎が炉の中で盛っている事に気づく。

 クラーグは曲剣を振るう。その度に炎の刃が縦横無尽に形を変えて周囲を薙ぎ払いながら、ツヴァイヘンダーを盾代わりにして迫るラジードを弾き飛ばす。だが、その程度で立ち止まりはしない。

 クラーグの弱点は女体の上半身だ。だが、普段は炎の結界によって守られ、あらゆる攻撃が通じない。これを解除させる為には一定のダメージを与える必要があるのだが、動き回る上に下半身の大蜘蛛である為に近接攻撃では狙い辛い。下半身の大蜘蛛は刺突属性以外のあらゆる物理属性に対して高い防御力を持つ。

 だが、特大剣の利点は大槌と同様の、その重量に見合う圧倒的な攻撃力だ。1度振るう為だけに必要なスタミナ量も多いが、支払ったコストに見合うだけのリターンを叩き出す。

 たとえ刃が潰れ、亀裂は入り、刀身は焼け爛れ、煤で黒く汚れようとも、特大剣の最大の売りである『線』で撒き散らされる絶大な破壊力は衰えない。

 半ば体を回転させながらツヴァイヘンダーを操り、炎の刃を潜り抜けて大蜘蛛の脚の1本に斬りかかる。その硬質な外皮に阻まれるも、生半可な鎧装備でも耐えきれずにスタンする威力、下手すれば大盾のガードすらも崩す攻撃だ。クラーグが僅かにたじろぐ。

 

(ソードスキルは無暗に使うな! スタミナ配分に気を配れ! 相手から目を逸らさず、攻撃はギリギリまで引き付けて回避する! 何よりも攻撃を欲張らない!)

 

 心の内で習得した戦いのいろはを復唱し、ラジードは僅かに動きが止まった瞬間をチャンスとみなさずに攻撃範囲からの離脱に費やす。それと入れ替わる様に、銀色の雷がクラーグの背後に回り込み、大蜘蛛の胴体を貫く。

 ミスティアだ。動きのキレは見る影もない程に劣っているが、ラジードが隙を作る事によってDEXを活かした高速攻撃のみに集中することが可能となった。

 即座に反転したクラーグが左手に炎の塊を生み出し、まるでドラゴンのブレスのように炎を放出する。だが、ノイジエルが間に入って盾でミスティアを守る。その間に大蜘蛛がマグマを口内から吐き出そうとするが、その間にツヴァイヘンダーを叩き込んでマグマのブレスを中断させる。

 

『闇の血を持つ者よ、何故貴様らは平穏を奪う? 私達はただ静かにこの地で生きていきたいだけだというのに』

 

 まるで魂まで魅了するような美貌を悲しげに歪めながら、クラーグはラジードに問う。

 耳を傾けるな。ラジードは思わず立ち止まりそうになった足を叱咤し、突き出された曲剣から生み出された炎の風の直撃を免れる。炎の刃と違い、物質化していない炎の風はツヴァイヘンダーでは弾けない以上回避するしかないのだ。

 だが、回避したところにめがけて大蜘蛛が跳び、その顎を開く。先程首を食い千切られた弓矢装備のプレイヤーを思い出し、ラジードは咄嗟にツヴァイヘンダーを突き出した。それは跳びかかった大蜘蛛の口内に侵入し、内部の柔らかい肉を貫く。しかし、大蜘蛛と違って怯むことなくクラーグは曲剣から炎の刃を派生させてラジードの胸を貫いた。

 

「ぐぅ!?」

 

 HPが急激に削られるが、一撃死する程ではない。火竜のレザーアーマーは物理防御力も高いが、何よりも火炎属性に対する防御力が桁違いだ。防具に救われたラジードは大蜘蛛の口内へと更にツヴァイヘンダーを押し込む。

 クラーグの意思に反するように大蜘蛛が痙攣しながら後退する。炎の刃が胸から抜けるも、追撃の炎の風をまともに浴びたラジードは数メートル吹き飛ばされて地面を何度か跳ねながら転がる。

 今が攻撃のチャンスだ。明らかに異常をきたした大蜘蛛を見て風霊の双剣を抜いたラジードは突撃しようとするが、彼の前にミスティアが立ちはだかる。

 

「無茶しないで。あなたが抜けた穴はもう誰にも埋められない」

 

 事務的にミスティアはラジードに警告しながら深緑霊水を手渡す。

 

「分かってる。僕も死にたくないからね。それよりもミスティア、ヤツの炎の結界は破れるかい?」

 

 深緑霊水を含んだラジードのHPは回復するも全快には至らない。最後の燐光紅草を食したラジードは今にも片膝を付きそうなミスティアに尋ねる。

 

「厳しい……かな。もう随分と薄くなってるけど、せめてソードスキルを1発でも入れることさえできれば可能だと思うけど」

 

 クゥリがカークと奥の塔の遺跡に消えて間もなく5分が経過する。クラーグはどうやら塔の遺跡の方を警戒しているらしく、ラジード達3人を決して通させまいとしている。はたして塔の遺跡の方に何があるのかは定かではないが、少なくともカークがわざわざ追跡せねばならない理由があるはずだ。そして、クゥリはそれに気づいたからこそ分断作戦を実行した。

 任されたのは5分間耐え抜く事。だが、耐えるだけでは勝利は訪れない。クラーグのHPは2本目がようやく2割を切った所だ。HPバーは全部で3本である為、総HPも残り4割といったところだろう。

 だが、クラーグは人体部分が大蜘蛛に比べて極端に防御力が低い。恐らくラジードの≪特大剣≫のソードスキルを浴びせれば勝機も見えるはずである。だが、その為には炎の結界を剥ぎ取らねばならない。

 

「何か使える奇跡は?」

 

「もう打ち止めよ。せいぜい残された魔力は雷の槍1発分。炎の結界を破壊するには1歩足りない」

 

 苦々しくミスティアは我が身の苦境を伝える。分かってはいたが、やはり魔法の援護がない現状は追い込まれる一方だ。

 回復アイテムの在庫も尽きかけている。クラーグのHPの減り具合から、あと2回ほど炎の結界を破壊させてチャンスタイムを生み出すことができれば斃すことができるはずである。だが、その2回が余りにも遠い。

 呼吸を2度挟み、ラジードは風霊の双剣を手にクラーグへと迫る。それを確認したノイジエルはクラーグの正面に移動し、大蜘蛛の顎とマグマ攻撃がラジードに向かわないように誘導する。必然的に大蜘蛛の背中から生えたクラーグ本体がラジードの相手をする事になる。

 だが、ラジードは今までのように側面に回り込まず、まるでノイジエルに突撃するかのようにクラーグの正面から突進する。その行動を見たノイジエルは彼の意図を察し、僅かに膝を落とす。

 跳躍、そしてノイジエルの肩に乗り、更に跳ぶ。宙を舞いながらラジードは振るわれた炎の刃を風霊の双剣で防ぎつつ、二刀流で炎の結界を剥いでいく。だが、2本で1つである双剣では単発火力が足らず、僅かな攻撃時間ではクラーグの炎の結界を破壊することができない。

 

(これで良い! 少しだ! 少しで良いんだ! 炎の結界を弱まらせることができれば……っ!)

 

 背中から地面に落下したラジードに大蜘蛛がのしかかるより先に、ミスティアの放った雷の槍がクラーグに直撃する。それと同時に炎の結界が消し飛び、火の粉となって周囲に散る。

 待っていたと言わんばかりにノイジエルが踏み込み、≪戦斧≫のソードスキルであるパンプキンペインを発動させる。乱雑な連撃である、『カボチャ砕き』の愛称通りの、片手で振るわれる大斧はクラーグを刻み、赤黒い光を撒き散らす。

 まだ終わらない。両手で明星の槍を構えたミスティアは弓の弦に張られた矢のように体を反らし、そしてソードスキルの光を纏った槍と共に、半ば飛ぶように突進する。≪槍≫の突進型ソードスキル【スカルライン】だ。≪槍≫のソードスキルは全体的に突進型の数が多く、またその分発動させるまでに時間を要する場合が多々ある。また直線的な攻撃が多いため、対人では不向きとされているが、発動させればDEXが高ければ高い程に加速する為に、使いどころさえ間違わなければ無類の強さを発揮する。

 高い光属性を持つ明星の槍はクラーグの胸を貫く。クラーグは曲剣で直接ミスティアを斬りかかるが、それを風霊の双剣を交差させて防ぐ。

 まだだ。まだ終わらせない。ラジードはシステムウインドウを操作して再装備したツヴァイヘンダーを手に、脚を折って倒れた大蜘蛛の頭を踏み台にして特大剣を振り上げる。それを見たミスティアとノイジエルは退避し、クラーグに鈍い分厚い刃が振り下ろされる。

 それは≪特大剣≫の単発ソードスキル【ホエール・テイル】。単純極まりない、特大剣を振り下ろすだけのソードスキルなのだが、両手で高々と掲げられた特大剣は青のソードスキルの光を纏い、周囲を吹き飛ばす衝撃波を放つ上段斬りとなってクラーグを脳天から叩き割る。

 たった1回のソードスキルの使用でラジードのスタミナは危険域に達する。使いどころが難しいが、超高火力を引き出せる≪特大剣≫のソードスキルはスタミナ消耗が激しいのだ。ホエール・テイルも≪特大剣≫の中では低クラスのソードスキルなのだが、それでもラジードのスタミナは1回の使用で3割近く失われたはずである。

 3人の上位プレイヤーのソードスキルを弱点に浴びたクラーグのHPは急速に減少し、ついに最終バーの残り6割まで失われる。

 もう1発入れられるかもしれない。そんな浅はかな欲がラジードの中で芽吹く。ラジードはホエール・テイルの硬直時間の中で迷った。既にスタミナは危険域だが、スタミナ切れを覚悟すればもう1発だけソードスキルを浴びせることができる。そうすれば、炎の結界を剥がさずとも倒せるかもしれない、と。

 迷う必要など何処にもない。この場面でスタミナ切れを起こすのは死と同じだ。

 だが、迷いは僅かに初動を鈍らせ、退避のタイミングを1テンポ、ほんの1歩分だけ遅れさせる。それはクラーグが炎の結界を張り直す爆発攻撃の直撃範囲から逃げ出せても、十分な殺傷力を持った余波に吹き飛ばされるには十分過ぎる距離にラジードを留めた。

 殺られる! ラジードの中で死の旋律が奏でられる。だが、それは突如として顔面に放られた火炎壺によって遮られた。

 火炎壺の爆発はラジードとクラーグの顔面を襲う。結果的に火炎壺の爆風がラジードをクラーグの爆発攻撃の範囲外に脱出させる。

 一体誰が? そんな疑問を抱く必要は無かった。

 空気が変わるというのはこういう事を言うのだろう。仮想世界という電子情報の海の中で、精神的な産物である感情が何処まで感知できるものなのかは定かではないが、少なくともラジードはその身に始めて『それ』を覚えたさせた。

 

 喰われる。何処までも純粋な、生物として備わった本能の警告が全身を麻痺させる。

 

 それは引き摺る音。刃が地面を抉り、石に当たっては跳ねる音。

 左腕は半ばから失われ、そのアバターの半身は焼き焦げて火傷のようになっている。デバフ【熱傷】だ。高い火炎属性のダメージを受けた際に生じるデバフであり、HPの時間経過によるオートヒーリングが大幅に減少する他、回復アイテムによるHP回復量が減少する効果がある。

 白髪を揺らした傭兵の帰還。塔の遺跡の階段を下りてくる姿は、彼がカークに勝利した事を意味する。本来ならば喜ぶべき事である。

 だが、ラジードは何故か震えが止まらなかった。

 先程まで会話していたクゥリという人間と、今目の前にいる傭兵は本当に同一人物なのだろうか? とてもではないが、ラジードには2人の姿が重ならない。

 動く。傭兵は残された右手に持った、刃毀れして今にも折れそうなカタナを握りしめ、クラーグとの距離を詰める。再び炎の結界を纏ったクラーグは万全だ。大蜘蛛はマグマを吐いてまずは牽制を仕掛ける。

 だが、躊躇なく、突進のスピードを僅かと緩めることなく、傭兵はマグマを渡る。そのHPはマグマを踏む度に減り続けるが、全てを奪うには至らない。だが、HPが減った状態でクラーグの間合いに入れば、下手をすれば一撃死も免れないはずだ。

 だからこその突撃。元よりクラーグが牽制でマグマを放ったと見切ったからこそ減速せずに突破したのだ。クラーグは僅かに反応が遅れて曲剣を振るう。炎の刃は枝分かれして四方八方から傭兵を攻撃する。

 この時の光景をラジードは決して忘れないだろう。それは鮮烈と呼ぶには余りにも血生臭く、そして『バケモノ』とは何たるかを思い知らされた。

 まるで逃げ場がないような全方位から迫る炎の刃の切っ先。それを傭兵は……その口元を三日月のように歪めながら、まずは最速で接近する炎の刃をカタナで絡め、背後から迫る炎の刃にあえて自ら蹴りを入れて宙を飛び、そして炎の刃をレール代わりにしてクラーグまで迫る。

 炎の刃は全てクラーグの手元にある曲剣から派生している。逆に言えば、炎の刃をたどれば必ずクラーグ本体に通じる。だが、それをダメージを受けると分かっていながら足場にする者がいるだろうか?

 HPがレッドゾーンに到達する寸前に傭兵はクラーグへと刃を振り下ろす。それは炎の結界に防がれてクラーグ本体にまで届かない。だが、今度はカタナの反りに頭突きをして威力を増幅させ、炎の結界を強引に削って刃をクラーグの柔肌に触れさせる。

 そこで左手から放った大発火で傭兵を追い払う事に成功したクラーグであるが、今度は前転しながら大蜘蛛の脚の内側に潜り込まれる。大蜘蛛は脚を踏み鳴らして傭兵を踏み潰し、また発生する炎で焦がそうとするが、まるで全て読み取られているかのように傭兵はそれらを潜り抜け、逆に一閃を光らせる。

 飛んだのは大蜘蛛の脚の1本だった。ラジードは唖然とする。それは自分のみならず、斬られたクラーグ本人も訳が分からないと言った顔だ。

 考えれば簡単な話だ。今までラジード達は堅牢に守られた脚の外側から攻撃し、強引にバランスを崩そうとしていた。だが、傭兵は言うなれば内側の膝裏、可動の関係上硬質ではない関節部分へとカタナを振るっただけの話だ。抜け出す際にカタナがソードスキルの光を纏っていたところを見ると、恐らく足の踏み鳴らしを回避する中で≪カタナ≫のソードスキルである斬鉄を発動させたのだろう。

 理論的に考えれば何1つとして無理な事はしていない。単に敵の懐に飛び込み、そして斬りながら離脱しただけだ。だが、その動きは僅かとして迷いが無く、また無駄と呼べるものがない。

 脚の1本を失ったクラーグは機動力を衰えさせながらも、曲剣で生み出す炎の刃を振るう。

 だが、それはもう当たらない。傭兵は時にカタナで弾いて炎の刃の軌道を変え、時に身を捩じり、時に屈み、炎の刃を潜り抜けてはクラーグ本体を刻む。その度に炎の結界が削られる。

 傍目に見ても分かる。あれは『遊び』の動きだ。クラーグの顔に焦りばかりが滲む。だが、傭兵の動きはキレを増している。

 左腕を失っている以上、クラーグの方に分があるのに何故? 簡単だ。傭兵はわざと左側に隙を作るような動きを見せて炎の刃を自らの左側に集中させるように動いているのだ。その一方で失われていない右目は大蜘蛛のマグマ攻撃と脚の動きを注視し、足はダンスでも踊るようにターンとステップを繰り返して決して止まる事が無い。

 特別に速いわけではない。特別に反応が優れているわけではない。何処までも単純に『読み』が鋭過ぎる。クラーグの攻撃全てが最初から見えているかのように、傭兵はワンサイドゲームを続ける。

 あれ程までに苦労したボスが……クラーグが成す術なく抉り取られていく。いつしか炎の結界は奪い取られ、その身からは赤黒い光が散っていた。

 

「ラジード、トドメだ」

 

 小さく、だが、鋭く命じられ、ラジードは半ば反射的にツヴァイヘンダーによる突きを、傭兵に気を取られる余りに隙だらけとなっていたクラーグの横腹にお見舞いする。

 信じられない。そんな顔をしたクラーグが誰かの名前を呼んだ気がした。だが、それはラジードの耳が言葉として捉えて理解するより先に赤黒い光の濁流に飲み込まれ消え去る。

 ボス撃破。ラジードはラストアタックボーナスのお陰か、入手した【混沌の魔女クラーグのソウル】の輝きを目にしながらアイテムストレージを閉じ、背中を向ける傭兵へと声をかける。

 

「ク、クゥリ……?」

 

 既にカタナの切っ先は欠けている。あそこまで刃毀れと亀裂が入れば修復は絶望的だろう。だが、ラジードには今も傭兵の手にするカタナが名刀のような、幾人もの血を啜った獣の牙のように、僅かとして切れ味が衰えているとは思えなかった。

 自分で名前を呼んでいながら、ラジードは振り返って欲しくないと願う。何故かは分からないが、彼の顔を今見れば叫んで剣を振るってしまいそうな衝動が膨らむ。

 

 

 

 

「ん? どうしたんだよ?」

 

 

 

 

 だが、振り返ったところにいたのは、いつもの少し皮肉っぽい微笑みを浮かべた『クゥリ』だった。

 

「何とか終わったな。3人も死んじまったが、奥に地上に通じるショートカットがあった。早く皆を呼んで脱出するぞ」

 

「あ、ああ……そう、だな」

 

 僕の勘違いだろうか? ラジードは身震いを隠す。そこにいるのは記憶にある通りの『クゥリ』だ。そのはずだ。

 だが、その目も、笑いも、何もかも……まるで自分の知っていた傭兵のものではない、別の何かのように思えてならなかった。

 

「クゥリ、大丈夫……だよな?」

 

「何がだよ。変なヤツだな。それよりも待ちくたびれた連中に、全て終わったって伝える方が大事だろ?」

 

 そう言って、『クゥリ』は……にっこりと笑った。

 それは、かつてのはにかんだ笑みとは違う、まるでこれから始まる晩餐が楽しみで仕方ないような、子どものような無邪気さを湛えた笑みだった。




シュジンコウ、ショウキニモドッタヨー

主人公、実は初の満面笑顔描写だったりします。
とても新鮮でした。やっぱり笑っている姿が1番ですよね!

それでは、79話でまた会いましょう!

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