SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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病み村の名物その1
『ワンワン動力エレベーター』

病み村にあるエレベーターはすべてワンワンが担っています。
このワンワンは無敵で、どんなに矢を射ても死にません。




Episode11-2 病んだ地に住まう者達

 祈れ。

 祈れ。答えの為に。

 祈れ。答えの為に。救いの為に。

 祈れ。答えの為に。救いの為に。守る為に。

 

「お主、行くのか」

 

「ああ。どうせ、また何処ぞの業突く張りが死肉喰らいのカラスを送り込んできたのだろう。しばらく留守にする」

 

 それは繭。あるいは卵。壁にも天井にも、その白き球体が張りついていた。男はその内の1つに腰かけ、愛剣を火に照らす。元より切れ味を求めぬような棘だらけの刀身は火の温もりを浴び、緩やかに殺意を目覚めさせていく。

 

「その間の警護はどうするつもりだ? ワシも戦うが、お主ほどには腕は立たんぞ。それに先に入り込んだ鼠も随分と深く潜り込んできておる」

 

 男の傍で黄味がかかった、壁や天井に張り付いた卵とは種が異なるだろう、静かに蠢く卵を背負って虫のように這うしかできない老人は問う。

 

「鼠共か。ヤツらは思いの外に手強い。だが、今の調子でいけば戦力は削れ、疲弊させれば潰すのも容易いだろう。それに、仮にこの地までたどり着いたとしても『あの御方』ならば今入り込んでいる鼠共に、ましてや疲労困憊しているならば尚の事に後れを取るとは思わん。だからこそ、追加戦力は何としても排除する必要がある」

 

「……外の世界にいるという『傭兵』か。ワシには分からんな。忠義でも恩義でも信念でも探究でもなく、金の為に命を奪う事を生業とする輩など」

 

「私も同感だ。だが、外の世界の更に『外』では、人の命など黄金どころか紙切れよりも安い。そういう考えが生まれるのも仕方なかろう。それに、傭兵とは娼婦と同じくらいに古く歴史ある職だと私は思う。人類史とは闘争と略奪の歴史だ。傭兵のような下賤な者も俗世では必要なのだろうよ」

 

「ふはははは! またその話か。お主が生まれ育った世界、神ではなく人が支配する空と大地と海か。まったく、『姫様』を楽しませる良い与太話だわい」

 

 与太話か。男は兜の内側は僅かに笑む。そうだ。この老人も真実を知らず、幻の世界で生まれた命なのだ。だが、真実が織り込まれた現と命が育まれた幻、そこに境界線が果たして存在するだろうか。むしろ、老人のようにこの世界で生まれた者にとって、現こそが幻想ではないのか?

 

「そうだな。また面白い話を『姫様』に聞かせてやらねばなるまい。次は『新幹線』の話をしようと思うのだが、どうだろう?」

 

「地を走る鋼の蛇、矢よりも速く、遥か遠くまで駆けるという『しんかんせん』か? ワシもその話には興味がある」

 

 ならば、次はその話にしよう。男は老人に修理の為に預けていた盾を受け取る。剣同様に棘が表面にびっしりと生えたそれは、血を啜ったかのように赤色を帯びている。

 男は甲冑を鳴らし、老人に見送られながら戦いへと赴く。鼠退治以上にカラスの駆除は手間がかかる。この前屠ったカラスもなかなかに厄介であり、思わぬ手傷を負ってしまった。油断は許されない。

 

「お主の武の誉れ、とくと下郎共に見せてやるが良い。武勇を祈っておるぞ」

 

「祈ってくれ。全ては我らが『姫様』の為に。私も『姫様』が健やかであらん事を祈ろう」

 

 祈れ。

 祈れ。答えの為に。

 祈れ。答えの為に。救いの為に。

 祈れ。答えの為に。救いの為に。守る為に。

 

 

Δ    Δ    Δ

 

 

 病み村は地下へ地下へと、深く潜っていくタイプのダンジョンである。

 あばら家のような木造建築が幾重にも繋がり合い、立体的な迷路を作り出している。加えて視界も悪く、何処からモンスターが奇襲を仕掛けてくるか分からないダンジョンである。

 所々に設置されている松明は一見すれば道標のようであり、事実として目印としても有用なのだが、それ以上にモンスター達はこちらを松明の光に寄せ集められた蛾を駆除するかのように待ち構えている。

 オレの腰には【夢火のランプ】が付けられている。これは火を点けたプレイヤー以外には見えない光を発することができるアイテムだ。ただし、有効範囲が周囲数メートルしかなく、松明に比べれば光源としての能力は格段に低い。だが、それでも足下を最低限確認することができる為、落下死を防ぐには十分過ぎる。

 鼻を擽るのは悪臭であり、生物の死骸が腐敗したまま放置されている。それは人の形をしているようにも思えるが、骨や内臓が中途半端に露出し、また大半が頭部を失っている為か、正確な判別が付かない。

 梯子を下りては入り組んだ木造建築を進む。その繰り返しは精神を否応なく削り取り、集中力に途切れを生み出すようになる。だからこそ、適度に息を抜いて感覚を研ぎ澄ます必要がある。

 と、ピンク色をした、まるで表皮が禿げたような人影を発見し、オレは黒い液体がたっぷり入った壺の陰に隠れる。

 胴体や手足は人間に近く、腰巻き以外はほぼ裸体だ。頭部だけはやや縦長である。後ろ姿である為それ以上の判別はできないが、大きさは人間とほぼ同じだ。

 確か【病み村の住人】というモンスターだっただろうか。意思疎通はほぼ絶望的であり、プレイヤーを見るとほぼ確実に襲い掛かって来る。それ以外の情報はなく、攻撃手段や弱点などは不明だ。

 よくよく見れば鋭い爪を持っている。だとするならば格闘攻撃が主かもしれない。

 忍び足で近寄り、オレは銀光の斧を右手に持つ。病み村の住人はまだオレの存在を察知していない。幸いにも1体だ。ここで仕留めるとしよう。

 勢いよく後頭部に銀光の斧を振り下ろす。それは病み村の住人の頭を半ばまで潜り込む。人と獣の中間にあるようなうめき声をあげて倒れた病み村の住人の背中を踏みつけ、オレは更に連続で、何度も何度も頭部へと斧を振り下ろす。想像していたよりもHPが高く、8回目の振り下ろしで病み村の住人は赤黒い光となった。

 攻撃の通りは悪くないが、HPの多さは病み村のモンスターの特徴かもしれない。言うなれば、VITは高いが防御力は低いといったところだろうか。

 先程の病み村の住人のうめき声のせいか、足音が四方八方から響き始める。最も近い梯子を見れば、骨を削った杖を持った病み村の住人が上って来ているところだ。

 そして、オレは初めて病み村の住人の顔を目撃する。それは人間をベースにして爬虫類と魚類を程よくブレンドしたような、丸く濁った赤い目をした、鋭い牙を持った、凶暴な顔立ちだった。特に口の大きさが異常であり、あれならば人間など頭部など簡単に丸齧りできてしまうだろう。

 梯子を上り終える寸前でオレは病み村の住人の喉に蹴りを入れる。その一撃で叩き落とされた病み村の住人は数メートル落下し、背中を打ち付ける。オレは梯子を使わずに跳び下りるとカタナを抜き、起き上がろうとしていた病み村の住人へと斬りかかる。

 手応えが重い。カタナは病み村の住人の頭部を縦に割るが、カタナ特有の鋭さを以って斬り裂いた感覚が薄い。やはり羽織狐は既に最前線で通じなくなってきているようである。

 だが、ダメージソースとしてはまだ十分に有効だ。情報通り、斬撃属性のカタナは病み村では存分に威力を発揮できる。起き上がる前に口内へとカタナの切っ先を突き刺して捻じ込む。そのまま串刺し状態にして、オレは骨の槍を持った病み村の住人の連撃を左手の籠手で弾く。

 今度は近くの壺が突如として割れ、中に潜んでいたのか、無手の病み村の住人が爪で襲いかかる。オレは再度突きが放たれた骨の槍を回避し、逆に槍をつかんでその勢いを利用して壺から飛び出した病み村の住人の胸へと槍の穂先を誘導する。槍は無手の病み村の住人を貫き、そのまま木の柱まで突き刺した。

 銀光の斧を手にしたオレは槍持ちの病み村の住人の腹を薙ぐ。赤黒い光が飛び散り、槍を手放した病み村の住人がその手を大きく広げ、その大口を開けてオレに飛びかかるも、咄嗟に抜いた茨の投擲短剣で喉にカウンターを決める。

 だが、そうしている間に口内にカタナを突き刺したまま、倒れていた病み村の住人が復帰する。壁がほとんどない病み村の木造建築だ。オレを道連れに落下するつもりか、突進してくる病み村の住人に対し、オレはカタナの柄頭へと蹴りを入れ、更にカタナを奥深く押し込む。ファンブル状態とは、武器を手で所持できないのであって、蹴りや拳による接触ができないわけではない。これもシステム外スキルなのだが、どうやらオレ以外にこんな武器泣かせの技を使うヤツはいないらしく、まだ名前は無いようだ。

 そうしている間に胸に突き刺さった骨の槍を抜いた、無手の病み村の住人が近くの壺を投げつける。モンスターまでこんな攻撃をしてくるのかと度肝を抜かされるが、オレは何とか不意の攻撃を屈んで回避するも、その間にも喉に茨の投擲短剣を突き刺した病み村の住人が性懲りも無くオレに飛びかかる。

 崖までは1メートルを切っている。オレは咄嗟にスプリットターンを発動させて飛びかかった病み村の住人の背後を取る。飛びかかった病み村の住人は勢いのままに落下し、そのまま闇の中へと消えた。

 だが、スプリットターンの代償としてオレは残り2体の病み村の住人に背を見せてしまった。それを見逃さないはずがなく、カタナが口内に刺さったままの病み村の住人の爪が横腹を抉る。

 そして、1体の病み村の住人の喰らい付き攻撃が、その牙が頭皮に食い込むより先に右腕を盾にして何とか攻撃を防ぐも、牙が右腕に食い込み、そのまま肉を抉り取らんとする。オレは突き刺さったままの茨の投擲短剣をつかみ、強引に横へと薙いで喉を引き裂く。

 悲鳴を上げてオレの右腕を解放した隙に左手の鋭い爪を利用した手刀でその心臓を貫く。そのまま痙攣する病み村の住人を振り飛ばし、襲い来るもう1体を銀光の斧で迎撃する。その胸に斧の刃が深く食い込むと同時に、それが決定打となって赤黒い光となって拡散する。

 心臓を貫かれた病み村の住人が起き上がろうとするが、その頭部を蹴りつけ、強化スナイパークロスを額に押し付けてトリガーを引く。鋼のボルトは病み村の住人の額を貫通し、そしてその身は破裂するように赤黒い光となった。

 さすがは最前線級だ。モンスターの強さも並ではない。オレは右手を押さえながら、柱の1つにもたれかかる。幸いにも欠損状態ではないが、まだ傷は癒えていない。アバターが受けたダメージは様々な形でフィードバックされるが、こうして傷の治りが遅い場合もある。この状態は準欠損デバフ【出血】だ。ダメージは無いが、アバターの運動アルゴリズムに大幅な下方修正を受け、また欠損時に似た神経を滅茶苦茶にされるような痛覚よりもある意味で酷い不快感が貫く。またスタミナ回復量も減る為に侮れない。

 どうやら病み村の住人の噛みつき攻撃には高い欠損能力があるようだ。仮に頭部を齧られれば、大ダメージは免れず、下手すれば即死もあり得る。オレは出血状態が収まるまでの間に肥える指輪を撫で、その場に神に祈るように跪く。

 周囲に温かな山吹色の光の円が現れ、まるで恩寵を授けるかのように温かな光がオレを包み込む。肥える指輪の擬似的な回復の奇跡だ。

 出血状態が消えたオレはカタナを回収し、再出発する。途中で門番だった太った人型を見つけたが、火炎壺の爆発音で崖際まで誘導し、その背中を蹴飛ばして落下死させて難を逃れる。

 太った人型の先に広がっていたのは、人工的な縦穴だ。下りる為の梯子や板の足場が設けられている。縦穴の傍には依然として迷路のような木造建築があるが、ミュウから提供されたマップデータによれば、この縦穴を下りるルートを通る必要があるようだ。

 錆びて今にも折れそうな梯子を下り、底抜けしそうな木の板の足場にそっと足を下ろす。それを数度繰り返すと底……というよりも、骨が多量に散乱する、まるでゴミ捨て場のような円形の場所に到着する。

 

「ここから右に進めば良いのか? いや、下り過ぎたのか? 糞、分からん!」

 

 途中で何回か横穴があったのだが、とりあえず底まで下りてみようという考えでここまで来たが、やはり失敗だったようだ。

 と、そこでオレの首筋に以前味わった事がある悪寒が駆け抜ける。まるで自分の領域を侵されるかのような、土足で新築マイホームに盗人が入り込んだような、露骨な嫌悪感を押さえられない感覚だ。

 そして、1つのシステムウインドウが表示される。

 

 

〈闇霊【人食い】ミルドレットに侵入されました〉

 

 

 無数の骨が散らばる中で、一際大きい山盛りの骨の上に、かつてオレの前に立ちはだかった混沌の三つ子のように、全身が赤黒いオーラによって構築された女が出現し始める。

 だが、その恰好はお世辞でも尋常とは言い難い。というのも、胸には革製のブラ(?)、腰には下着代わりの役目を果たしているかも怪しいボロ布を纏っているだけであるからだ。頭部にはずた袋を被っており、装備も左手にはDBOでも最低性能の木板の盾である。

 ただし、その右手の得物だけは別格だ。オレもNPCの情報でしか聞いた事が無いレアの中のレア、ユニークウェポンの【肉断ち包丁】である。その効果とは、敵を斬れば斬る程にHPが回復し、また火力ブーストがかかるというものだ。武器分類は外見と違って【戦斧】である事もユニークウェポンならではと言ったところか。

 

『あら。新しい「ごはん」が来たと思ったら、これまた可愛い子じゃない』

 

 やや高めの女の声だ。しかも美声である。せいぜい20代半ば、あるいは後半か。ふくよかな外見のせいか、オレは彼女に何となくオペラ歌手を重ねる。

 未だに謎に包まれる闇霊。その目撃例は少数であるが、いかなる条件で出現するのかは全くの不明だ。オレはカタナを抜き、人骨の山から跳び下りたミルドレットを睨む。

 ミルドレットのマーカーはNPCのものだ。ならば、プレイヤーうんぬんの道理関係なく襲ってくるだろう。彼らの役割は出現した時点で敵対であると定まっているのだから。

 

「おいおい。人様をご飯とか、悪食にも程があるんじゃねーか?」

 

 互いに間合いを測り合い、オレとミルドレットは円を描くように横歩きする。ミルドレットは外見通り防御力は低いだろう。だが、肉断ち包丁の性能が解明されていない以上は迂闊に飛び込めない。

 

『人間って意外に美味しいのよ? 特にあなたみたいな若い女の子はお肉がぷりぷりして病みつきになっちゃいそう』

 

 途端にオレは弾けたように間合いを詰める。その感情的な踏み込みをミルドレットは見抜けなかったのだろう。オレのカタナの一閃を避けきれず、腹を浅く裂かれる。

 ミルドレットは木板の盾でシールドバッシュを仕掛けるが、オレはサマーソルトキックで手首を弾き上げて攻撃を反らし、着地と同時に背負っていた強化スナイパークロスを構えてトリガーを引く。高速で放たれたのは鋼のボルトだ。それはミルドレットの右肩を貫き、その威力でノックバックさせる。その間に強化スナイパークロスを捨て、オレは銀光の斧を投擲した。回転しながらそれはミルドレットの額に突き刺さる。

 

「誰が『女の子』だって? 糞アマがぁ!」

 

『あらあら。意外と! 情熱的な! 坊やだったのね! 濡れちゃいそうだわ』

 

 ボルトと斧を引き抜き、赤黒い光を血のように垂れ流しながら、嬉しそうにミルドレットはずた袋の中で笑う。そのHPはあれだけの攻撃を受けたのに4割しか減っていない。どうやら病み村のコンセプトに合わせたVIT強化型のようだ。肉断ち包丁の重量も考えれば、STRも高そうだ。

 今度は自分の番とばかりにミルドレットは足下の頭蓋骨を蹴飛ばす。だが、オレはそれに意識を取られることなく、肉断ち包丁を振り上げて突進するミルドレットへとカタナを振るう。

 火花が散り、肉断ち包丁とカタナが接触したのは一瞬だ。元より耐久能力が低いカタナで戦斧系を正面から受け止めるなど愚の骨頂だ。そのまま受け流し、逆にミルドレットの頭を狙う。だが、ミルドレットは体を後ろに反らして斬撃を回避し、逆に先程のお返しとばかりにオレの横腹へと蹴りを放つ。アンバランスな状態で放たれた軽い蹴りだったにも関わらず、大型モンスターの尾の一撃を浴びたかのようにオレは吹き飛ばされて壁に叩き付けられた。

 

「ぐっ!? 馬鹿げたSTRしやがって! 最近のトレンドは怪力女子じゃなくておしとやか系だって知らねーのかよ!?」

 

『パワーこそ女子の神髄。それが分からない坊やはお勉強が足りないわね』

 

 軽い蹴りでHPが2割消し飛んだか。STR特化とかのレベルじゃねーな。ほとんどDEXにもTECにもポイントを振っていない、正真正銘の脳筋だ。

 ミルドレットが肉断ち包丁を両手で構え、大きく振り上げる。それはソードスキルの立ち上げモーションだと直感すると同時に『跳び込め』とオレの本能が咆える。

 放たれたのは≪戦斧≫の突進型ソードスキル【オーガ・スライサー】。その特徴は馬鹿馬鹿しい程の高火力の突進振り下ろしだ。あえてその間合いに入り込んだオレはオーガ・スライサーが脳天を割るギリギリでミルドレットの脇を駆け抜け、その脇腹を左手の爪で抉る。

 叩き付けられた肉断ち包丁が床を弾けさせ、周囲の人骨が衝撃波で舞い上がる。その中でオレとミルドレットは反転し合い、最後の攻防を始める。

 

『お馬鹿さんね! 私に接近戦を挑むなんて!』

 

 その通りだ。ミルドレットの攻撃はいずれもオレを一撃で吹き飛ばす威力がある。パンチ1発、膝蹴り1発が致命的なダメージになりかねない。

 だが、今までの攻防と会話から分かった。コイツは『命』あるNPCだ。ならば、その柔軟な思考と発想力は驚異的ではあるが、同時に付随する人間的な『油断』もまた存在する。

 どんな捕食者だって自分のフィールドでは過信し、慢心する。自分の巣で蜘蛛は王の如く振る舞い、獲物を捕らえ、貪る。だからこそ、そこには致命的な隙が生まれる。

 グリムロック謹製コートの裏地には茨の投擲短剣が仕込まれている。オレはそれら手に取り、肉断ち包丁ではなく、至近距離戦での格闘戦の為に木板の盾を捨てたミルドレットの左腕へと、渦巻くように茨の投擲短剣を突き刺す。

 合計にして7本。それらが肘を合わせた左腕にあらゆる方向から突き刺さる。

 唖然とするミルドレットはまともに動かなくなった左腕を垂れ下げ、1歩後ろに下がったオレへと右手の肉断ち包丁を振り下ろす。だが、オレはまだ十分近距離でありながら間合いを詰める為の≪歩法≫スキルであるラビットダッシュを使用する。その推力のままにオレは左手を突き出し、爪の手刀で以ってミルドレットの喉を貫く。

 オレは重心を前方に傾け、ミルドレットの喉を貫いたままに彼女を押し倒し、更に爪を立てて胸まで一気に引き裂く。だが、その時点で彼女の膝蹴りが腹に炸裂し、オレは軽く5メートルは宙を浮いた。

 オレが着地すると同時にミルドレットは緩慢に起き上がり、肉断ち包丁を構えようとする。

 

『ふ、ふふ、ふふふ! ほんと、うに、活きの良い、子ね』

 

 だが、ミルドレットの手から肉断ち包丁は零れ落ちる。そのまま前のめりに倒れたミルドレットを見て、オレはようやく効いたかとカタナを抜刀しながら彼女に歩み寄る。

 病み村の住人はデバフ攻撃に異常に耐性がある為に効果が薄いが、左手の爪撃の籠手は暗器であり、レベル2の麻痺薬が仕込まれている。あれだけ派手に爪の連撃を浴びれば、防具を装備して各種耐性を上げていない彼女ではデバフ攻撃に耐えられるはずがない。

 それでもレベルアップ事に耐性は上がるし、ステータスの振り方やスキル構成次第では裸体でも十分に耐性を持てるのだが、ミルドレットの性格からして攻撃偏重である事は見えていた。

 

『ぼう、や……とってもぉ、良いわぁ。今度会った時は……』

 

「次なんてねーよ」

 

 全てを言い切らせるより先にオレはミルドレットの首を刎ねる。途端にミルドレットを構成していた赤黒いオーラは霧散して消え去った。

 混沌の三つ子と同じパターンならば、ミルドレットの本体は無事なのだろう。今度は生身で襲い掛かって来るかもしれないと思うと憂鬱であるが、その前に太陽の狩猟団の攻略部隊と合流したいものである。

 これで2回目。オレは肥える指輪で回復を済ませる。充填した魔力はあと1回で尽きる。戦闘を繰り返せば魔力も回復するのだが、この高難易度ダンジョンでわざわざ魔力を溜める為に戦うわけにもいかない。大人しくあと1回で終わりと見切りをつけるべきだろう。

 

「で、ここからどう進めば良いんだよ。とりあえず下に降り続ければ何とかなるのか?」

 

 ミルドレットと戦った縦穴の底、そのすぐ傍には木造建築の立体迷路に続く横穴がある。せめてギルド拠点の場所程度のマップデータを提供してくれれば目星を付けて移動できるのだが。

 愚痴を零しても何も変わらない。武器を回収し、何はともあれ横穴から再び立体迷路に戻る。

 何やら壺の中で黒い水に浸って気持ち良さそうな病み村の住人が3体もいたが、攻撃する意思が無いようなので無視する。やがて木造建築の土台を担っているのか、苔生した大樹の太い枝が現れた。

 まだまだ底は見えず、松明の光だけが点々と輝いている。枝を渡る最中に血を撒き散らす羽虫に襲われたが、茨の投擲短剣1本で仕留めることができた。だが、血を浴びるとレベル1の毒が蓄積した上に強制ノックバックして枝から落下しそうになった為、今後は優先的に撃破するべきかもしれない。

 枝を渡り終えた先にはトレジャーボックスがあった。幸いにも≪ピッキング≫スキルは必要ないらしく、オレは乱暴に蹴りで開ける。中身には1冊の本が収納されていた。

 

「これは魔術書か。オレには無縁だな。ちなみに中身は……【治癒】か。既製品じゃねーか」

 

 治癒は魔法の1種であり、レベル1の毒・麻痺・睡眠のデバフを治すことができるのだが、NPCが無条件販売している為にありがたみは薄い。レベル2系を治せる【大いなる治癒】は今のところはレアドロップ品である為、魔術書は高値で取引されているのだが、こんな魔術書を持ち帰っても二束三文で売れるかどうかと言ったところだろう。

 魔法・呪術・奇跡などは習得する為に魔術書を使用するか、NPCに直接教えて貰わねばならない。だが、NPCから提供してもらえる物は大半がレア度が低い物だ。大抵はレアドロップ品の魔術書から習得する必要がある。

 ちなみに使用した魔術書は失われるのだが、習得した術を【魔術書作成】で削除する事によって魔術書に戻すこともできる。ただし、1度削除した術は熟練度もゼロに戻る為に、余程金銭面で困窮したプレイヤーか、賭け試合で負けた場合でもない限り、魔術書作成を行う事は無い。

 最近は【ソウルの槍】のような貫通型高火力魔法や【ソウルの剣】といった近接魔法が高値で取引されている。だが、ソウルの槍は【賢者ローガンの記憶】にいるローガンに弟子入りせねば教えて貰えず、この偏屈爺さんの無理難題イベントをクリアする必要がある。ソウルの剣はレアドロップであり、ローガンの記憶に登場する亡霊魔法剣士を虐殺しなければ入手困難なのだが、この亡霊魔法剣士が大量ポップするサブダンジョンをクラウドアースが占有している為、事実上クラウドアースの商品としてソウルの剣は高額商品として流通している。

 魔術書をトレジャーボックスに戻して閉じる。これだけデバフが多いダンジョンだ。治癒の魔法も土壇場で役立つかもしれない。運よく見つけた魔法使いプレイヤーの為に残しておくとしよう。

 渡った枝を逆走して戻ったオレは下に続く梯子を見つけて下りる。やや開けた場所には多量の死骸が転がっている。いずれも解体された人間のようであり、フックで引っ掛けられた人肉には黒い藻のような物が塗されており、腐敗した汁が滴っては下に置かれた壺の中身を満たしていく。

 どうやらオレが散々見た壺の中身はこれのようだ。ならば、ここは病み村の住人の『薬』か『飲み物』の製造所といったところだろうか。

 松明の灯りにして、痙攣する新鮮な『肉塊』を骨の包丁で捌く病み村の住人を発見する。背後からの奇襲も良いが、先程のように悲鳴をあげられても仲間を集められては困る。ならば太った人型のように火炎壺で誘導して落下死を狙うべきかと問われれば、あの太った人型に比べれば幾分か賢い病み村の住人を簡単に騙せるとは思えない。

 一撃で喉を裂き、黙らせてから始末する。カタナを抜いて忍び足で近寄り、病み村の住人を背後から喉を斬り裂く。赤黒い光が散る喉を押さえた病み村の住人は、想像通り悲鳴をあげない。その隙にオレは病み村の住人の右目に狙いをつけて突きを放つ。

 だが、それよりも先に病み村の住人の陰で何かが蠢き、オレのカタナを弾いて突きの軌道をズラす。

 同時に繰り出されたのは3連撃の突き攻撃だ。胴体を狙いつつも、最後の1発だけは右腕の肘を狙った攻撃であり、オレはカタナで迎撃して何とか防ぎきる。

 

 

「さすがは死肉喰らいのカラスか。少しはできるようだな」

 

 

 転がる松明の光で照らし出されたのは、痛々しい程に棘だらけの甲冑に身を包んだ騎士だ。

 その右手に持つのは刀身にびっしりと、刃の機能に支障がでるのではないかと思う程に棘がついた片手剣。

 その左手に持つのは表面に棘が付き、防御の為よりも攻撃の為に存在するような盾。

 

「今の内に逃げろ。ヤツは私が相手をする」

 

 喉を裂かれた病み村の住人を労わるように、騎士はオレと病み村の住人の間に立つ。まるで感謝するように病み村の住人は何度か頭を下げ、背を向けて暗闇へと逃げ去っていく。

 一瞬だが、ミルドレットのような敵対用NPCではないかとも疑ったが、騎士の頭上にあるのはプレイヤーカーソルだ。

 

「【棘の騎士】カークだな?」

 

「いかにも。そういう貴様は白髪で女顔……あの悪名高い【渡り鳥】か?」

 

 オレはニッと笑って肯定する。さすがは元聖剣騎士団幹部、円卓の騎士の1員だっただけはある。容姿だけですぐにオレと見当を付けたか。最近はあまり暴れ回っていなかったし、ミュウの情報操作もそれなりに効いていると思っていたのだが、この様子だとやはり大ギルドの上層部には情報操作も余り効果が無いらしい。

 

「アンタを殺すのが依頼だ。殺してるんだ。殺されるもするだろ? だからこの辺りで死ねよ。投降して弁明したいってなら考えてやるけどさ」

 

 カタナの反りで右肩を叩き、オレは一応の確認を取る。だが、予想通り、カークは戦意を緩めることない。

 

「その言葉、そっくりそのまま返すとしよう。死肉を漁る無粋なカラスなど、この毒と瘴気に満ちた地にすら不要だ。この地の肥やしとなれ」

 

 カラスとは傭兵に対する蔑称だ。皮肉にもグリセルダさんが祈りを込めた『ワタリガラス』は、そのまま傭兵達への侮蔑の事へとなったわけである。

 

「全ては我が祈りの為。ここで果てるが良い!」

 

「そりゃ上等な事だな。だが、オレも依頼だ。ここで朽ちろ」

 

 そして、オレのカタナとカークの棘の直剣が激突した。




次回は棘の騎士との戦いです。
なんかカークさんが無駄にカッコいいキャラになってしまいました。
むしろ主人公の方が悪役染みているのは通常運転です。

それでは70話でまたお会いしましょう。

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