戦っても生き残れない。
だったら戦うしかない!
そんなストーリーですが、これからもどうぞよろしくお願いします。
「そうか。キミはDBOでも傭兵をやっているのだね」
こんな場所で、という話になるが、オレはグリムロックとひと時の休息に浸っていた。
白い靄を放つ青い光。それの発生源である球体からは熱が放出され、やや肌寒かった巨人墓地に温もりをもたらしてくれる。
辛うじて知人と呼べるかどうか。グリムロックとオレの関係はその程度のものだ。だが、グリムロックの敵意の無さとオレの思い出補正によって一応の警戒は解いている。
これで2杯目になる珈琲だが、グリムロックのお手製ブレンドというそれは、ディアベルには悪いが、ハッキリ言って彼のブレンドは珈琲の味を完璧に再現している。オレは珈琲の味が分かるような人間ではないが、飲んだ瞬間に『あ、これ珈琲だ』と呟ける味がするのだ。
「アンタこそ、無事に生き残ってたんだな」
「お陰様でね」
やや苦々しそうにグリムロックは頷く。
アインクラッドが95層攻略と共に消失した安全圏だが、それによって真っ先に被害を被ったとされるのは鍛冶屋や商人のプレイヤーだ。次々と錯乱した他プレイヤーの強盗などに遭い、多くが命を失ったとされている。
「でも意外だな。アンタみたいな支援系プレイヤーが最前線のサブダンジョンに……それもこんなに深く潜ってるなんてさ。それとも戦士に鞍替えしたのか?」
「いいや、今も変わらず鍛冶屋をやらせてもらっているよ。ただ、私は今ソロで活動していてね。鍛冶屋というのは技術者だ。常に最先端を追い求めねばならない。だからこうして最前線のダンジョンに潜ってでも素材集めをやらせてもらっているわけさ」
鍛冶屋でソロなのはSAOでも珍しくなかったが、DBOでは意外と異色だ。というのも、単身で鍛冶屋を営むプレイヤーが少ないからである。太陽の狩猟団がそうであるように、優れた鍛冶屋ほどスカウトされて組織の中に組み込まれる。そうでなくとも、何処かしらの組織の援助を受けている場合が多いのだ。
個人の資金力ではどう足掻いても限界が来る。NPCが無制限に販売する素材系アイテムは低ランクの物がばかりであり、かといって商人プレイヤーが市場に出回らせる量は限界があり、また高値で取引される。
細々とソロで鍛冶屋を営むよりも安全で資金力豊富な組織の庇護下で鍛冶屋を営むのは、ごく自然の事だろう。
「とは言え、今回はそれが裏目に出てしまってね。まんまとパッチに騙されてしまったわけさ」
その割にはグリムロックの表情にパッチに対する怒りは無い。オレの記憶が正しければ、神経質でプライド高そうな男だったと思うのだが、どういう心境の変化だろうか。
まぁ、人間は1年どころか1時間程度で心変わりする事もできる生物なのだ。5年以上も時間が経過していれば変化があって然るべきだ。オレだって5年前に比べれば、多くの物が変化してしまっている。
「グリムロック、1つ確認しておきたいことがある」
「何だい?」
「グリセルダさんは……どうなった?」
オレの問いに対し、グリムロックの眼に暗い色が落ちる。
想像はしていたが、やはりか。オレは数秒黙祷を捧げる。それなりの頻度で黄金林檎からは依頼があったのだが、ある時期を境にして一切の依頼が来なくなった。もちろん催促する訳にもいかなかったのだが、それからしばらくして黄金林檎の解散を耳にした。
死者の碑石……アインクラッドでは生命の碑石と呼ばれていた場所に赴き、彼女の生死を確認すると言う手段もあった。だが、オレは心の何処かで彼女ならば元気に生きているだろうと信じたかったのかもしれない。結局1度として確認しないまま、オレは現実世界へと帰還した。
「彼女は死んだよ」
重々しいグリムロックの口から吐息と共にグリセルダの死が伝えられる。だが、どうやらまだ続きがあるらしく、グリムロックは数度自分の膝を指で叩くと、再度口を開いた。
「私が殺した。私がグリセルダを……ユウコを……妻を殺した」
途端にオレの脳裏に過ぎったのは、グリセルダの温かな微笑みだった。
傭兵という異端のソロプレイヤーだったオレを色眼鏡無しで見てくれた女性。何かと気にかけてくれた恩は今も忘れていない。
そのグリセルダが殺された? それも自身の夫に? 何かの冗談だろうと笑い飛ばしたいが、グリムロックがこの場面でオレに偽りの告白をする理由は無い。ましてや、こんな誰が死んでもおかしくない、最前線のダンジョンの地下奥深くで、だ。
「理由は聞いた方が良いか?」
オレの静かな問いに、グリムロックは了承するように事の顛末を語り出す。
それは1人の男の罪の告白だった。現実と仮想世界でのズレ、妻の変化、ラフィンコフィンを利用した強盗殺人に見せかけた暗殺、グリセルダの死を不審に思った元黄金林檎のメンバーによる捜査、更に2人組のプレイヤーによって暴き出された真実と自身の歪んだ本性。
淡々とグリムロックは自身の所業をオレに、まるで物語でも聞かせるようによどみなく語り続けた。
1時間程度だっただろうか。グリムロックが全てを語り終えて沈黙している事に気づき、オレは我に返る。
グリセルダとグリムロックの2人を見た瞬間に感じ取った軋轢が、まさか夫による妻の殺害という果実を生らすとは思わなかった。
仮想世界だろうと現実世界だろうと殺意が生まれる理由に大差はない。重要なのは、心の内に留められるか、それとも行動に移すかという点だ。アインクラッドでは、この垣根が現実世界よりも低かった。だからグリムロックは越えてしまった。それだけの話だ。
「ユウコはキミを可愛がっていた。キミも彼女に恩があるはずだ。ならば、私はキミにとっての仇になる」
「…………」
「殺したければ殺してもらって構わない。殺す価値もないなら好きなだけ殴りつけても良い」
グリムロックの眼は静かだった。凪の海のように、まるで感情に起伏が見られない。
オレはカタナの柄頭に触れる。グリムロックの外観から察するに、武器らしい武器は装備していない。暗器を装備している危険性もあるが、オレと彼との距離は2メートル未満だ。この距離ならばオレの方が先制攻撃できるだろう。
「グリセルダさんは……オレの恩人だ。オレが傭兵として名を馳せる事が出来たのも彼女のお陰だ」
「そうだね。ユウコはよくキミの話をしていたよ。まるで年が離れた弟か我が子のように」
抜刀し、オレはカタナの切っ先で地面を叩く。硬質の岩場と金属は触れ合い、小さな殺意の音を響かせる。
だが、それでもグリムロックの眼差しは揺るがない。オレが斬らないと確信しているからではない。これから我が身に何が起きても受け入れる準備がある覚悟が決まった、薄暗い闇を湛えた目だ。
オレはカタナを鞘に収め、グリムロックに珈琲のお替わりを無言で求める。彼はポッドをアイテムストレージから取り出し、金属製のマグカップへと注いでオレに渡した。
「私が憎くないのかい? 殺したくないのかい?」
「憎いとか殺したいとか、そんな感情以前の話さ。アンタは罰を求めている。殺されたがってる。そんなヤツを斬っても意味が無いだろ」
オレの断言にグリムロックの目が見開かれたが、それも一瞬の事だ。彼は自嘲的に唇を歪める。
「なるほど。キミは……本当に彼女が言う通り『優しい子』なのだね」
「ゲロ吐きたくなるから止めろ。折角の珈琲が不味くなる」
これでこの話は終わりだ。オレは珈琲を腹に流し込んで体を温めると、頭を切り替える。
優先せねばならない事は2つ。1つはこの場からの脱出。もう1つは依頼の完遂だ。オレはグリムロックにこの崖下にどれくらい前からいるのか尋ねた。
「3日程前からだよ。この辺りで取れる白いクリスタル【白の楔結晶】はとても貴重な素材系アイテムでね。巨人墓地に多く採掘ポイントがあるとNPCから聞いて、ダンジョンを占有するクラウドアースに立入料金を支払って潜らせてもらっていたのさ」
そう言ってグリムロックが叩いたのは彼の傍らにある大きめのリュックサックだ。確か【探索者の背嚢】だっただろうか。アイテムストレージを外部に持つ事が出来る為にアイテム収集に向く装備だ。パーティで1人でもいればアイテムストレージを圧迫する事なくアイテムを持ち運びできたり、アイテムドロップした時にアイテムストレージの容量と相談しながら取捨選択する手間暇をかからずに片っ端から回収できたりと、何かと便利な装備だ。
ただし、1度装備すると中身が空になるまで外すことができない為、装備者は事実上貴重な装備枠を1つ失う事になる。故にソロでは滅多な事が無い限り装備する事は無いはずだ。
次いでオレは調査員らしき者達を見なかったかと尋ねると、グリムロックはしばし考える素振りを見せた。どうやら何か心当たりがあるようだ。
「私は戦いに関して才能が無いみたいでね。臆病者らしく鼠みたいにコソコソと隠れながらここまで来たが、パッチ以外の誰かと会わなかったな。だが、崖下に落とされた時に幾つかアイテムを拾ったよ。装備品の類のようだったね。3人分くらいだったかな?」
つまり、調査員もまたパッチに騙されて崖下に落とされ、オレやグリムロックと違って死に至ったというわけか。オレは自らの無能っぷりを嗤いたくなる。オレはパッチに情報を求めていたが、そのパッチ自体が事件の犯人だったとは。
ならば、後はパッチをさっさと斬ってダンジョンを脱出する事がさえできれば依頼達成だ。
「ここから脱出する方法に心当たりはあるか? パッチは殺したあとオレ達の遺品を回収しようと狙ってるはずだ。だったら、アイツが崖下に来るルートが何処かにあるはずだ」
「出口という訳ではないが、ここから左へと進む道はある。ただ、どうやらモンスターが道を塞いでいるみたいでね。私1人ではどうにもできないんだ」
グリムロックは温かな青の光を放つ球体を腰にぶら下げ、出発する意思を見せる。それに従い、オレは珈琲を残さず飲み干すと黒魔女の蝋燭が刺し込まれた松明を手に彼の後に続く。
巨人骨が転がる意外は岩肌ばかりであり、虫1匹這わない世界。静寂の中ではオレと彼の足音だけが妙に大きく聞こえる。それがパッチの耳に届かないか心配であるが、今はそれを気にするよりも脱出が優先だ。
立ち止まったグリムロックが指差したのは、狭い1本道に群がるあの脊椎に似た外観をした骨の柱だ。数は軽く10体は存在し、ゆらゆらと揺れている。
「攻撃しては来ないのだが、不気味でね」
グリムロックの言う通り、確かにあの骨の柱を排除しなければ先には進めそうにない。オレは試しに足下の小石を手に取ると骨の柱へと投げつける。だが、接触の瞬間にムカデの足のような無数の人間の骨の腕が暴れ出し、周囲を攻撃し始める。
「積極的じゃねーみたいだけど、接近したり攻撃してきたら敵対するタイプだな。何か遠距離攻撃の手段は持ってるか?」
「壺系のアイテムならそれなりに在庫があるが、かなり音が響くからどんなモンスターを引き寄せるか分からない。使うべきではないだろう」
グリムロックの言う通りだ。スケルトン系のモンスターは音に反応する。火炎壺ならば安全に骨の柱を排除できるかもしれないが、元より火力が高めではない火炎壺では10体もの骨の柱を排除するにはかなりの数を投擲せねばならない。数が足りるかも分からないし、爆発音で下手に強力なモンスターを呼び寄せてしまいかねない。何よりもパッチにオレ達の生存を勘付かれて逃げられる確率も高い。
パッチが使っていたような誘い頭蓋骨があれば誘導して通り抜けることもできそうなのだが、オレは在庫が無いし、仮にグリムロックが持っているならば既に脱出しているはずだ。
さすがのオレも10体もの骨の柱に突撃して生き残れる自信は無い。そもそも巨人スケルトン1体で手一杯なのだ。10体同時など自殺行為である。
「別ルートを探すぞ。他に何か心当たりはないか?」
「そうだな。『あれ』を道と呼んで良いならば、1つだけ」
そう言ってグリムロックが案内したのは骨の柱が塞ぐ道の反対側にある崖下に存在する崖、暗闇の海だ。
ふざけているのか? オレの睨みに対し、グリムロックは慌てるなと言うように七色石を取り出す。
「よく耳を澄ませておいてくれ」
そう前置きしてグリムロックは七色石を投げる。7つの色で輝く事から目印として活用されている七色石であるが、この特殊な闇の中では十分にその効力を発揮できない。だが、七色石には目印の他にもう1つの役割がある。
それは落とした時の割れた音によって大よその高さを測れる点だ。もちろん、幾度となく七色石を落として割れた音の差で高さを測る経験が必要になる為、余程七色石を多用する者でもなければ聞き分けられないだろう。
七色石が割れる音が響く。甲高い悲鳴のような音だが、オレの経験からすればそこまで高音でもない気がする。だが、やはり確証はない。
「仮想世界の重力加速度を現実世界の9.8メートル毎秒毎秒として、音が聞こえるまでにかかった時間は約3秒。およそ44メートルといったところだね」
だが、グリムロックは平然と仮想世界ではなく現実世界の物理知識で高さを割り出す。
驚くオレに対し、グリムロックはこんな事なんでも無いと言った……だがそこには嫌味の欠片も無い笑みを浮かべる。
「私は臆病者だ。キミのように勇敢に戦う勇気が無い。だから、ゲームと現実両方の知識を活かして生き残るしかないのさ。嗤いたければ嗤うが良い」
「……オレはカッコいいと思うけどな」
素直にグリムロックを褒めてオレは改めて崖下の暗闇の海を覗き込む。グリムロックに敵意は無いが、2度も蹴り落とされるのはご免なので十分に背後には注意する。
44メートルか。素で下りたら落下死は確定だな。だからと言ってロープを垂らして下りるには、何が待っているか分からない以上危険過ぎる。下りた先で2桁のモンスターが待ち構えてでもしたら目も当てられない。
仕方ない。オレは溜息を吐き、最終手段を用いる事にした。できれば温存したかったのだが、これ以外に崖下の状態を調べる方法は無い。
虎の子の火竜の唾液。その最後の1個を崖下に落とす。それは七色石に比べれば小さいが、確かにガラス瓶が砕ける音を響かせる。それを確認した上で、オレは黒魔女の蝋燭を1本取り出すと火を点け、同じ場所へと落下させる。
黒魔女の蝋燭の黒い火は火竜の唾液と混ざり合い、盛大に黒い炎を立ち上げる。火炎壺ではないので大爆発は起こさないが、そこ火の勢いは見ているだけで内臓まで焦がされそうな程に猛々しい。
火竜の唾液が燃え尽くされるまでの10秒間。大火となった黒い火によって闇は消し飛ばされ、崖下を明るく照らす。モンスターの類は確認できない。これならばロープを垂らしても大丈夫だろう。
オレとグリムロックはそれぞれ適当な岩にロープを括り付けると同時に崖下へと降下する。前回のレイフォックスとツバメちゃんの1件以来、アイテムストレージの容量を食おうともオレは100メートルのロープを持ち歩くようにしている。今回は経験がまさしく活きたというわけだ。
崖下に下りたオレはグリムロックを守るようにカタナを抜きながら前に立ち、黒魔女の蝋燭を差した松明で周囲を改めて照らす。
水溜まりが幾つかあり、人骨が複数転がっている。頭上からは1滴2滴と水滴が落ち、小さな波紋を幾つも作り出していた。どうやら崖下の先には鍾乳洞の洞窟があったようである。
「頭上に気を付けてくれ。現実でも鍾乳洞が折れて頭に刺さって死亡する事故は起きているからね」
「ご忠告どーも。アンタこそオレから離れるな」
グリムロックの獲物なのだろう。鍛冶屋に好まれる戦槌を装備しているが、それは戦闘用のメイスというよりも鍛冶屋の使う大型の金槌だ。火力はそれなりにありそうではあるが、戦闘向きではないだろう。
鍾乳洞の中へと侵入したオレ達だが、特にモンスターが襲ってくる気配もなく、また鍾乳洞の棘が落下する様子もない。拍子抜けではあるが、それでも警戒を解くことなく奥へ奥へと進む。どちらにしてもこれ以外に道は無いのだ。あの骨の柱を最悪強引に突破するという方法もあるが、それは鍾乳洞の探索をしてからでも遅くはない。それに打算的な考えとして、この辺りのマッピングデータをネイサンに高く売りつけることができる事もある。
「何故、私が罰を求めていると分かったんだい?」
先導するが故にオレはグリムロックの表情が見えない。だが、彼の穏やかではあるが、何処か刃物のような冷たさを覚える声にオレは足を止める。
グリムロックの声に込められていたのは殺意だ。だが、それは排他的な外部に向けられたものではなく、自傷のような内向の殺意だ。
「勘だ。アンタの目が罰を求めているように思えただけだ。それ以外にねーよ」
それに何より、オレは本心からグリムロックを斬りたいとは思わない。
確かにグリセルダの仇であることには違いない。だが、彼女は依頼の最中によくオレに話しかけてくれたが、彼女自身の話の内容の大半が夫との思い出だった。
彼女はきっと幸せだったのだ。夫が……グリムロックが傍にいるだけで安心できたのだ。だからこそ、デスゲームでも強くあり続けることができた。そうでなければ、彼女はきっと大多数のはじまりの街で怯えて暮らす1人だったのだろう。
大人の恋愛模様とか、夫婦関係とか、オレにはまだ理解できない。だが、月並みに言えば、グリムロックはあまりにもグリセルダが自分のことをどれだけ大切に思っているのか知らなさ過ぎた。そして、グリセルダもまたグリムロックの歪みに気づいてあげられることが無かった。それだけだ。
どちらが悪いかと言われれば、それは殺害を企てたグリムロックだ。罰せられるべきも彼だ。だが、全ては終わった事であり、オレは法の番人でもなければ、罪を裁く事ができる断罪の執行者でもない。グリムロックに罰を下すべきなのは、罰を下したいと望む者であり、それはオレの役割じゃない。
「私がDBOにログインしたのはね、ユウコに罰せられたいからなんだ」
だが、船の帆はどうにもオレの想像していたとは違う方向からの風をつかんだようだ。
罰を受けたいというグリムロックの贖罪願望はそれなりに理解できる。だが、それとDBOへのログインとどう関係しているというのだ?
「現実世界に戻ってから、私は抜け殻の様だったよ。リハビリを終えて家に帰ってもユウコはいない。当然だ。私が彼女を殺した。罪を暴かれてから延々と考えさせられた。自分の醜さと傲慢さを。だが、罪を贖いたくても彼女は死んでしまった。法に罰せられたくとも、それすらも叶わない。できるとすれば、ユウコの家族に罵られる事くらいだった」
グリムロックの眼差しは相変わらず静かなままだが、声には微かな憤りが滲み始めている。それは彼自身も気づいていない、自身への耐えがたい憤怒なのかもしれない。
オレは周囲を警戒しながら、黙ってグリムロックの話に耳を傾ける。本来ならばこのような場所ですべき事ではないのだが、彼が望んだ告白の中には、オレが探し求めていた答えも隠されているような気がしてならなかった。
「いっそ自殺して彼女の元に行って、その手で地獄に叩き落としてもらおう。そんな考えが頭を巡っていた時だ。ユウコの名義で荷物が届いたんだ」
「荷物?」
「ああ。中身はアミュスフィアⅢとDBOのソフト。それに1本のメモリースティックだ。手紙も添えられていたよ。『もう1度【グリセルダ】に会いたければ、DBOサービス初日にログインしろ』とね。しかも文字はユウコの物だった。夫の私が言うんだ。見間違うはずが無い」
途端にオレは息を止める。
まるで何処かで聞いた事がある話ではないか。そう、オレ自身に起きた出来事だ。オレの場合は『彼女』からの手紙であり、理由は異なるがDBOにログインするように促された。生者と死者の違いはあるが、方向性は似ている。
だが、今は衝撃で呆けている場合ではない。グリムロックの話には続きがある。
「混乱したよ。大体あり得ないだろう? どうしてDBOにログインすればユウコに会えるんだ。手紙には証明が欲しければメモリースティックにあると書いてあった。アミュスフィアⅢに接続して私は中身を確認したよ。メモリーの中には……ユウコがいたんだ。あれは外見だけそっくりに作られたアバターなんかじゃない! 彼女の魂を感じたんだ!」
自分の息と声が荒くなっている事に気づいたのだろう。グリムロックは深呼吸を挟み、冷静さを取り戻す。
中折れ帽を深く被ったグリムロックは喉を鳴らして笑う。自分を嗤う。
「メモリーの中のユウコは私を見てくれなかった。話もしてくれなかった。ただの映像の塊だった。だが、それでも『本物の彼女』を映したものだった。ならば私に迷いはない。たとえ、いかなる意図であろうとも、もう1度デスゲームに挑もうとも、私はユウコを探し出す。そして問わねばならないんだ」
何を? オレはそう尋ねることはできなかった。この哀れな贖罪者がグリセルダに何を求めているのかは、既に彼が幾度となく告白しているのだから。
「『私をどう罰したい?』とね」
贖罪願望。それは自己愛の象徴とも人は言う。我が身が可愛いからこそ、罪から逃れたいが故に罰を求めるのだと。
だが、彼の場合は違うのだろう。どうしようもない位に、自分自身を痛めつける程度では足りないくらいに、罪の象徴である自分が殺した妻に罰せられなければ、自分の罪に見合わないと本気で思っているのだろう。そうでもなければ、デスゲームの中で、それも最前線のダンジョンで、自分を『臆病者』と自虐しながらも生き抜き続ける事などできるはずがない。
オレが思い出したのはクラディールだ。自分の善性を信じ、悪なる『自分』を終わらせる為に、罪を感じた善人である自分でいる為に死を選んだ男。
クラディールが『潔白を欲する善人』であるならば、グリムロックは自分を悪と断じ、悪であるが故に罰せられねばならないと考える『真摯なる罪人』と言えるだろう。
「その過程で、私が誰かに罰せられたならば、それはユウコの意思だ。全てを甘んじて受けよう。いかなる暴力でも、屈辱でも、たとえ……この命が奪われるとしても」
この男の決意はオレが何を言っても崩れる事は無いだろうし、いかなる手段を用いても折れる事は無いだろう。彼の魂が求めるのはグリセルダの評決であり、その先にある罰なのだから。
そして、この男の贖罪願望を『誰か』は正確に見抜き、DBOへと誘導した。もちろん『誰か』とは茅場の後継者に他ならないだろう。
ずっと考えていた。どうしてSAO生還者であるリターナーがDBOに多くログインしているのか。恐らく茅場の後継者はそれぞれのプレイヤーに餌をちらつかせたのだ。それは名誉であり、富であり、そしてグリムロックのように現実では決して叶わない『死者との再会』だ。
ああ、それならば納得だ。オレの最大最高の難解だった問題もこれで答えが出た。
茅場の後継者が宿敵と望む【黒の剣士】……『アイツ』をどうやってDBOへと誘ったのか、ずっと疑問に思っていた。もちろん、仮想世界を愛する『アイツ』の気を純粋にゲームの面白さとして惹くという方法もあるが、オレが連絡した段階でアミュスフィアⅢに疑いを持っていた『アイツ』が毒餌にまんまと引っ掛かるはずがない。VR犯罪対策室のオブザーバーでもある『アイツ』ならば、多くの人間が危険に曝される事態を考慮すれば、何が何でもデスゲーム開始を阻止しようと奮闘したはずだ。
ならば茅場の後継者が『アイツ』用に準備した餌は何か? それくらいならば、今のグリムロックの話を聞けば嫌でも思い付いた。
そうか。お前はやっぱり癒されてなかったんだな。シリカでも……アルゴでも……お前の痛みを取り除く事はできなかったんだな。
お前は今でも【閃光】に……アスナに会いたくて堪らないんだな。もう彼女の命は失われてしまったというのに。
???「罪を償いたい? すべからく、罪は私の領分だよ」
今日もベルカの信徒と男の娘の信徒は大忙しです。
それでは59話でまたお会いしましょう。