SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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久しぶりにリンクスに戻ってみたところ、まさかのワンダフルボディに敗れるという大失態を犯してしまいました。

……少しAMS適性を磨き直すとしましょう。


Episode9-6 脱出

 指先に残る僅かな熱がオレを苛める。

 少々やり過ぎた。オレは額に手をやり、少しばかりやり過ぎたかもしれないと自省する。頭から水筒の水を浴び、あれだけ冷水に浸って冷え切ったはずなのに、頭の芯で燃え続ける『何か』を冷却する。

 ボス部屋から出たオレ達は16階に続く階段の前でボス戦後の休息を取っていた。基本的にボス部屋付近はモンスターが登場しない為、モンスター侵入禁止エリアみたいなものである。もちろん、トラップや突然のモンスターの襲撃も無くは無いのだが、そこまで恐れておくべきものでもない。

 心身共に疲労が蓄積したユイは階段で横になっている。彼女の傍らにはオレが作った、ダークライダー曰く『人間の文化的産物とはここまで個人によって荒廃するものなのか』と言わしめた野菜スープがある。もちろん中身は半分以上残っていた。そこまで不味いかよ。

 オレはややユイから距離を離しつつ、彼女を視界に収められる場所で壁に背中を預けていた。もちろん自前の野菜スープは完食済みだ。……やっぱり≪料理≫スキルは必須だな。

 

「あー、糞。やっちまったな」

 

 人間と獣の違いは理性によって本能と欲望を制御できる点にあり、社会秩序に著しく反する性質は厳に慎まねば、いずれ異物として排除される。

 今回のオレは間違いなくオーバーヒート気味だ。『素』を出し過ぎたとも言える。少しばかり箍が外れてしまい、ずっと無視し続けていた自分の一面を露出させてしまった。その様がコレだ。

 ずっと前から考えていた。オレは何故あれ程までに仮想世界を嫌悪するようになったのか。

 オレはアインクラッドで多数のプレイヤーを殺害した。現実世界に戻った時、オレ自身によって大好きだったおじぃちゃんを変えてしまった。それらが原因で仮想世界を毛嫌いするようになったのだと思い込みたかった。

 だが、本当は違う。オレは拒絶したかったのだ。あのアインクラッドに自分の居場所を追い求めていた事を。小さい頃から胸の奥にあった、狩り、奪い、喰らう事への執着心。現代社会では満たされる事が出来ない欲求が満たされる感覚にある種の依存症になっていたのだ。

 仮想世界……いや、デスゲームという殺し合いの世界だからこそ、オレは水を得た魚のように、自分の狩人としての姿を否定しないで済んだのだ。この世界は良くも悪くも自由に生きられるのだから。

 現実世界だったら確実に精神病院行きだな。下手しなくともサイコパス認定とかでぶっちぎりの危険人物扱いされかねない。むしろオレがそんな人間を見つけたら牢屋に一生ぶち込んでおけと豪語するだろう。

 とはいえ、既にオレは『オレ』だと認める事が出来たので悩みの種になる事も無い。オレはディアベルのような人を導く者でも、シノンのように心の強さの探究者でも、キャッティのような平等なる救済者でも、クラディールのような自死すら許容できる善人でもない。オレは『オレ』として、節度を持って自己を制御すれば良いだけの話だ。その為の傭兵業とも言える。

 本能に頼り過ぎるオレの戦い方は、より本能が加熱すればするほどに自制が利かなくなる。今後はいかに本能と理性のバランスを保たせたまま、高いパフォーマンスを発揮できるかが鍵になる。

 そうでなければ、オレを待っているのは排除だ。人は羊よりも恐ろしく、白い羊の群れから黒い羊を排除しようとする。オレは白いペンキが落ちないように、日々毛皮に気を配りながら、『牙のある羊』として有用性を証明せねばならない。

 イルガの首を刎ねた時も、成り損ないの苗床を貫いた時も、オレは異常だった。特に最後など、もはや狩人ですらない狂人だった。あれではまるで、本当にヤツメ様のようではないか。

 

『随分と沈んでいるようだな、【渡り鳥】よ』

 

 そしてコイツはいろんな意味でタイミングを誤らずに出現してくれる。主に悪い意味で。

 鈍い金色を帯びた黒の甲冑を纏い、ダークライダーは先程までボス戦だった事など微塵も感じさせない程に疲労感を雰囲気に混ぜていない。相変わらず不気味なヤツだが、もうコイツは規格外なのだと大人しく諦める事にした。

 

「ちょっとな。自己反省してるだけだ」

 

『ククク。誰しもがどす黒い願望や澱んだ本性を潜ませているものだ。別に気にする程でもないだろうに』

 

「オレはお前ほどにオープンキラーじゃねーんだよ。人間は自分を制御できてこそ『人』であり続けられるんだ。知性も自我もあるお前なら分かるだろ?」

 

 オレの意見に対し、一考の価値ありと腕を組む。分かってはいたが、コイツって願望と本性を丸出しだったな。ある意味でストレスない生き方してるな。

 だが、オレはたとえ仮想世界であろうとも人間社会を生きていかねばならないのだ。ただでさえ【渡り鳥】の悪名のせいでハードモードなのを、人ですらない獣のように暴れ回る存在だと危険視されては本気で殺しに来る討伐隊が組まれかねない。

 

「それに……ユイも怖がらせたからな。さすがにあの反応はオレも『身から出た錆』って諺を思い知ったさ」

 

 オレの差し出した手を取らなかったユイは、必死に恐怖を抑え込もうとしていた。本人は気づかれていないと思っているかもしれないが、残念ながらオレは昨今流行の鈍感属性は持ち合わせていない。むしろ他人の感情を見抜くのは得意分野だ。お陰で幾度失恋した事やら。両手の数じゃ足りないぞ。

 ユイはオレを慕ってくれていた。オレの『人』の部分に好感を抱いてくれていた。だが、オレの『獣』の部分は彼女の心を抉ってしまった。もう以前のような関係には戻れないだろう。ユイが戻ろうと望んでも、彼女の心に付けられた傷がそれを許さないだろう。

 たとえ傷が塞がっても、それはかさぶたのように残り続けて苛み続ける。

 

「自業自得さ。やっぱりソロの方が気楽で良いな。オレは誰かと組むのは向いてねーよ」

 

『今更だな』

 

「ああ……本当に、今更だ」

 

 不思議な話だ。オレはダークライダーに対してある種の信頼を覚えてしまった。

 コイツとは必ず殺し合いをする事になるだろう。だが、そこには微塵の憂慮もなく、ただひたすらに『自分』である事ができる戦いになるに違いない。そして、コイツはそんなオレを恐怖せず、歓迎して全力で叩き潰しに来てくれるに違いない。己の存在証明の為に。

 理解者とは違う……純然たる敵として互いに認識できるからこそ、オレ達はきっと訪れる決着の日が来ると確信しているからこそ、こうして殺気も戦意も隠さぬまま、穏やかに語らうことができるのかもしれない。

 決着の日が来るからこそ、ダークライダーには背中を預けられる。最凶の好敵手として肩を並べられる。オレはそれこそがコイツとの関係の真実だと思うに至る。

 だからこそ、オレは問わねばならない事があった。

 

「ダークライダー……お前は何であんな『嘘』を吐いた?」

 

『…………』

 

「お前はオレとの殺し合いが望みのはずだ。確かにお前は戦いが好きだろうさ。だが、だからと言って、わざとボスと戦おうなんて腹積もりは絶対に起こさない。ましてや、お前はユイを助けると明言した。ボス戦ともなればユイも死ぬ確率が高い……いや、謎解き型のボスじゃなければ、きっと……」

 

 ダークライダーは無言を貫く。だが、それはオレの問いを吟味し、どう応えるべきか思案しているからだろう。

 オレは更に畳みかける。ユイがこちらの会話に気づいていないか、横目で彼女の反応を見ながら、小声で慎重に言葉を選ぶ。

 

「他にもある。お前はわざわざオレの前でユイの右目を確認した。そして、わざとらしくユイの『正体』に言及した。まだオレも『正体』が何なのか分からねーけど、明らかにヒントを提示した。何かしらの意図があったはずだ」

 

 記憶喪失の少女。プレイヤーよりも更に長きに亘ってDBOに閉じ込められているプレイヤー。多くの権限を剥奪された存在。恐らく、ユイの右目が失われているのは、ダークライダーが言っていた『記憶ファイルの破損』とも因果関係があるのだろう。

 そして、ダークライダー自身もまたプレイヤーアバターを用いて、自身をダウングレードしてDBOに顕現している。これらからも、ある程度は『正体』も推測する事は可能ではあるが、所詮は推測だ。根拠が乏し過ぎる。

 何よりも……ユイは生きている。ならば『正体』など関係ない。彼女は自らの望みを叶えるべく地上を目指す、純粋に両親との思い出を取り戻したいだけの少女だ。

 

『278秒。間に合っていたはずだった』

 

 そして、ダークライダーは忌々しそうに吐露する。

 

『そもそもの疑念だが、貴様がこのC05エリアに侵入できた事自体がおかしい。セカンド・マスターは確かにファースト・マスターに比べれば『ゲームクリエイター』という点では後塵を拝する。だが、それでもファースト・マスターが自らの後継者として認める程の才覚の持ち主だ。そんな男が重要な区画への非正規ルートからの侵入を許すというミスを犯すと思うか?』

 

 セカンド・マスターとは茅場の後継者の事だろう。確かに、茅場の後継者は悪辣で、凶悪で、狂人だ。だが、それでもクリエイターとして本気で真摯にDBOの製作を行った事だけは微塵も疑いようもなく、またある種の尊敬の念も覚える。

 確かにオレが侵入できたのは偶然と思っていたが、非正規ルートからの侵入から何かしらの陰謀が蠢いていたと疑った方が適切かもしれない。そう考えれば、1つの疑問にも納得がいくからだ。

 人肉花。オレが排水路を逆走している間に出会ったモンスターは、オレが単身で奇襲をかければ撃破できる程度の強さだった。だが、地上から地下へと下りる形式のダンジョンならば、下層であればある程にモンスターは強力化する方が当然ではないだろうか? ソードスキルを無効化するという能力とステータスが見合わないのだ。

 ならば、自然と意図的な弱体化が図られていたと結論が出る。

 

「つまり、オレもお前も踊らされてたってわけか? この仮想世界に干渉できる『誰か』に」

 

『確定だろう。その「誰か」は貴様を利用してユイを地上へと連れ出す手筈だった。貴様が外縁から底に到着したのを確認した「誰か」は格子を破壊不能オブジェクトから通常オブジェクトに切り替えた。モンスターも弱体化させたのだろうな。そして、お前をユイの元に導いた』

 

「オレはまんまと『誰か』の策略に乗ってユイを地上に連れ出そうとした」

 

『そして、我々は非正規ルートから侵入した貴様を一方的に排除することはできない。以前に述べたが、このダンジョンをスキャンされたくない手前、セカンド・マスターの手を借りて強制転送させるわけにもいかない。ならば、必然と誰かしらの救援が派遣される事になる』

 

「それがダークライダー……お前ってわけか。後はお前っていう強力な護衛を得られれば、『仕掛け』に過ぎないオレは不要。いや、むしろ知り過ぎてるオレは邪魔者ってわけか」

 

『そうだ。あとはボスに貴様を殺害させれば良い。私も同時に排除しようとしたのかは分からんが、少なくとも結界を自由に発動できるならば解除も可能のはずだ。貴様が死んだ段階で私とユイはボス部屋から逃げ出せる配慮はされていたかもしれんな』

 

 杜撰ではあるが、筋は通るシナリオ……か。あるいは、本来ならば混沌の三つ子が闇霊として侵入した段階でオレを排除しようと狙っていたのかもしれない。ボス部屋後のエリアで、ボス部屋より上層にいる混沌の三つ子が攻撃を仕掛けてくる事自体が『区分』に反する気もする。もしかしたら、ここにも何かしらの意図があったのかもしれないな。

 恨まれる事は多々した覚えはあるが、管理者側からも目の敵にされるような真似をした記憶は無い。オレは思わず天を仰ぐ。

 プレイヤーに殺しに来られるなら対策も立てられるが、管理者側からの攻勢など仮想世界では常に背後からナイフで斬りかかられているようなものだ。ルールブレイクにも程がある。

 

「……疲れる」

 

 思わずオレは心の底から本音を吐き出した。他人の掌の上で踊らされていたというのが、これ程までの疲労感を生むとは知らなかった。

 

『ククク。そう言うな。その「誰か」は今頃唖然としているだろうからな。貴様はまんまと罠を潜り抜け、こうして生き延びてしまったのだからな。しかも、スキャンが禁じられているのはこのダンジョンだけだ。他のエリアやステージならばセカンド・マスターも見逃さんだろうさ。私の兄弟姉妹の目もある上に、何よりも恐ろしい「熾天使」の目からは逃れられん。このような仮想世界の秩序と法則を破壊する真似はさせんだろうさ』

 

 ダークライダーの兜の覗き穴から漏れる赤い光が楽しげに踊っているようだった。コイツの事だ。その『誰か』には見当が付いているのかもしれない。

 だが、何にしてもオレの苦労の大部分は何処かの誰かが仕掛けた脚本通りだったというのは苛立ちを隠せない話だ。とはいえ、それは問題にしなくても良い。ここで重要なのは、何故そこまでして『誰か』はユイを地上に連れ出したかったかだ。

 もしかしたら、ユイは地上に連れ出すべきではないのかもしれない。そんな考えすら浮かんでくるが、オレはだから何だと考えを踏み潰す。ユイが地上に行きたいと望んだのならば、オレが止める権利など無い。たとえ、そこに『誰か』のシナリオが介在しているとしてもだ。

 

「そろそろ行くぞ。この話は終わりだ」

 

 ユイの前では無用。そう視線で確認を取り、ダークライダーは頷く。やっぱり、コイツは少しユイには甘いのかもしれないな。何か思う所があるのだろうか。

 階段で横になっていたユイはオレ達を見ると出発だと把握したのだろう。魔女の三角帽子を被り、失楽園の杖を数度振るって手を馴染ませる。

 

「クーさん……その……」

 

「気にするなよ。オレもちょっとばかりハイになってただけだ」

 

 オレが鈍感でないように、ユイもまた自分の態度をどのようにオレが受け取ったのか、察知できないような娘ではない。彼女の申し訳なさそうな顔に、オレはどうでも良いと言わんばかりに笑って見せた。

 まだ複雑な顔をしているユイだが、問題点自体であるオレが何を言っても無駄だ。オレにできるのは、何も気にしていないという態度を見せる事だけだ。

 階段を上り、オレ達はついに地下16層に到着する。後は強制脱出トラップを利用すれば、この短くも濃かった奇妙な3人組も終わりである。

 ダークライダーが案内したのは書庫だった。ボス部屋よりも上層という事もあってか、根や植物の侵蝕はなく、どちらかと言えば想起の神殿に近しい雰囲気を保っている。それでも荒れ果て、また神殿の景観を破壊する改造が成されているのは、このダンジョンのコンセプトを事前に伝える役目を成しているようだった。

 書庫の中央部には、美しい翡翠でできた、いかにも高級そうな林檎が置いてある。

 

『これが強制脱出トラップだ。接触したプレイヤーに発動するように設定されている』

 

 レアアイテムかと思って安易に手を出したプレイヤーをまんまと罠にはめるってわけか。実に分かり易い、欲張りが馬鹿を見るトラップだな。オレとか綺麗に引っ掛かりそうだ。

 ようやくだ。オレは隣のユイを見て、思わず苦労して良かったと口元を綻ばせる。これから待つ地上への切符を前に、ユイは緊張して顔を引き攣らせていた。だが、その目には期待と希望で溢れている。

 

「あんまり高望みするなよ」

 

「嫌です。私、地上に着いたらやりたいことがたくさんありますから!」

 

「そうかよ。まぁ、着いたらメシくらいは奢ってやるさ」

 

 翡翠の林檎にオレが手を伸ばすと同時に、ダークライダーとユイもそれに続く。

 誰が1番乗りだったかは分からない。だが、ほぼ全員が同時が不気味な緑の光に包まれる。そしてオレを襲ったのは、慣れ親しんだ転送の感覚だ。まるで自分が分解され、何処か遠くへと運ばれていくような異質の浮遊感である。

 

 

 そして、オレが次に味わったのは『重力』だった。

 

 

 そういえばこんな事が前にもあったなと、オレは顎に手をやって思い出す。そうだ。腐敗コボルド王戦後、恰好を付けて1人転送したら、こうして頭から真っ逆様に落下していたのだ。

 そして、今オレはあの時とは異なって暗闇ではなく、想起の神殿の内部と思われる場所、女神像や様々なレリーフが彫り込まれた円形の壁を目にしながら、重力によって下へ下へと落ちていた。

 

「……って、冷静に分析してる場合じゃねーぞ!?」

 

 落下しながらオレは慌てて周囲を見回す。安心すべきと言うべきか、悲劇と言うべきか、同じく落下状態にあるダークライダーとユイをすぐ傍で見つける。完全に思考停止したユイの虚ろな目がオレを見ているが、何も返す言葉が無い。

 

『落ち着け。トラップ後は想起の神殿1階まで、天井の吹き抜けを通して落下する。途中で天秤を持った大きな女神像がある。その前で減速が始まるはずだ』

 

「それって……アレか?」

 

 平静を保つダークライダーの声音は安心感を与えてくれるが、そんな事はどうでも良いくらいに彼の説明の最中に、件の女神像の眼前を通り過ぎる。もちろん、オレ達が減速する気配は微塵と無い。

 さすがのダークライダーもこの事態には驚いたのか。腕を組み、やがて納得したように頷いた。

 

『やはりガルの情報は当てにならんな』

 

「じゃねーよ! 糞が! オレは可愛いおんにゃのこをカノジョにするまで死ねねーんだよ!」

 

 双子鎌を取り出し、女神像の一つに投げて引っ掛けようとするが、破壊不能オブジェクトの紫の光によって弾き返される。どうやら攻撃と判断されて引っ掛けることすらできなかったようだ。

 そろそろ落下点が見えてきた。そこはサチがよくいる半壊した女神像の台座前にある、ガラスのように半透明の床だ。自己主張しない程度の金色の魔法陣が相変わらず重なり合い、回っているが、そんな事はどうでも良い。

 

「ユイ! 実はお前に伝えないといけない事がある!」

 

「は、はい!?」

 

 思考停止からオレの声で引き戻されたユイに、オレは極めて真剣かつ真顔で、彼女に1つの胸の内を伝える事にした。

 

「実はな、落下しているからお前のスカートが……!」

 

「見ないでください! というか、見たんですか!? 見たんですね!?」

 

 顔を真っ赤にしてユイがオレの胸襟をつかむ。いや、見たというか、いろいろと絶対防御が働いていて惜しかったというか、だな。

 オレの微妙な顔に何を勘違いしたのか、ユイは涙目になっている。だから、オレは安心させるべく、フッと笑っておくことにした。

 

「やっぱり……やっぱりクーさんは『良い人』じゃないです!」

 

 それが最期の言葉で良いのか。オレがそれを言い切るよりも先に、ついに死の到着点が訪れる。

 だが、床と脳天からキスするより先に、オレ達を金色の光が包み込み、ふわりと急停止する。床先10センチ程度のところで浮いたオレ達は、その後金色の光の消失と共に改めて落下するも、10センチ程度で落下ダメージを受ける事は無い。

 ぐったりとオレ達が床で倒れるのに対し、ダークライダーは何事も無かったように着地する。

 

「死ぬかと……思った」

 

「そうです……ね」

 

 突然と落下してきたオレ達に、想起の神殿でたむろしていたプレイヤー達は何事かと集まり始めている。衆目に曝されるのは個人的に面倒事しか運んでこない為、オレはまだ死んだ魚のように動く気配がないユイを肩で担ぐとダークライダーと共にその場から迅速に逃げ出す。

 人気が無い場所まで逃げ切ったオレはユイを下ろして息を吐く。ふらふらと立ち上がったユイは、先程のオレの言動に対しては忘れる事にしたような、あるいはそんな些細な事はどうでも良いように、周囲を見回す。

 

「ここが地上なんですね。想像していたのとは少し違いますけど、人がたくさんいますね」

 

 弾んだ声で柱の陰から、今もステージ移動をするプレイヤー達をユイは眺めている。ユイからすれば、これだけの人間が行き来する場所は初体験のはずだ。だが、この程度で驚いていては、他のステージに行った時に気を失う事になってしまう。

 とはいえ、彼女に楽しい体験ばかりさせられないので、まずは現実を見てもらう為に終わりつつある街に連れて行かせてもらうとしよう。あの場所ならば、この世界の退廃具合と人心荒廃を体感できるはずだ。

 

「クーさん! ダークライダーさん! ありがと……」

 

 ユイがお礼の言葉を述べながらオレ達へと振り返るが、その言葉は途切れる。

 理由は簡単だった。いつの間にかオレの隣にいたはずのダークライダーの姿が、まるで最初から幻だったかのように消え失せていたからだ。オレは何だか今更アイツに対して驚くのも癪なので顔には出さないでおく事にする。

 現れた時と同じように、いなくなる時も突然か。だが、それでオレ達は良いのかもしれないな。どうせ殺し合う身だ。下手な感傷など不要だ。別れの言葉など尚更だ。

 寂しそうなユイの肩を叩き、オレは今後の事を思案する。

 これにてオレの恩返しは終了だ。ユイとの関係も終わりであり、今後彼女は自分の意思で自由に行動する事に対してオレは何ら口出しする気はない。だが、正直な話、世間知らずの彼女をこのまま放り出せば、明日にはどんな目に遭っているのか大よそ想像できてしまう確信もある。もちろん、それも含めてユイの自由意思を尊重すべきなのかもしれないが。

 と、そこでオレは1つ、あり得るかもしれないユイの問題点に気づく。

 

「ユイ、そう言えばお前、望郷の懐中時計持ってるか?」

 

「それって何ですか? あ、ちょっと待ってください」

 

 ユイは慌ててアイテムストレージを開くが、すぐに首を横に振る。だろうな。ユイのアイテムのラインナップはオレも把握しているが、その中に望郷の懐中時計は存在していなかった。

 だとするならば、かなり不味い事になった。というのも、想起の神殿から移動する為には望郷の懐中時計が必須だからだ。どれだけユイのレベルが高くとも、そもそも移動する手段が無ければ自由行動はできない。

 

「残ってれば良いんだけどな」

 

 まるで整理されていないオレのアイテムストレージだが、これまで殺害したプレイヤーのアイテムも幾つか残っている。特にスカイピアを殺害してから日も経っていないので、アイテムストレージの容量を喰わない特殊アイテムである望郷の懐中時計は残っている確率も高い。

 

「無い……か」

 

 だが、オレの願望は叶わず、アイテムストレージにはオレの分の望郷の懐中時計しかなかった。今からスカイピアの遺品を取りに行っても時間が経ち過ぎて消滅している確率が高い。

 そうなると、誰かから譲ってもらうか奪うかのどちらかだ。後者はあり得ないので、頼るのは前者なのだが、だとするならばどちらを頼るべきか。

 一方は太陽の狩猟団。正確にはミュウだが、あの女ならば企業スマイルでオレの要望を叶えてくれるだろう。もちろん代償は相応に払わねばならないだろうが、深く理由を追及する事はないはずだ。

 もう一方はディアベル。太陽の狩猟団程ではないとはいえ、それなりの組織を率いる彼ならば誰かしらの遺品で望郷の懐中時計をストックしている確率が高い。だが、ディアベルの事だから必ず善意で首を突っ込んでくる。オレはなるべくユイには普通のプレイヤーとして振る舞わせてあげたい。故に、彼女が地下に幽閉されていた事実は最大限に隠さねばならないと思っている。

 どちらも地雷持ちだが、どうするべきか。オレは悩んだ末、片方へとフレンドメールを送信する。

 30分後、オレ達が潜む暗がりに青の騎士ディアベルが現れる。以前と違い、銀色の鎧とサーコートを身に付けた姿はまさしく騎士である。武器は変わらずレッドローズのままだが、盾は鈍い金色で竜が描かれたブルーシールドに変更されている。

 

「久しぶりだね、クー」

 

「お、おう」

 

 正直気まずい。だが、ディアベルは相変わらずの爽やかスマイルでオレに、腐敗コボルド王戦での別れ方などまるで気にしていないようだった。いや、もしかしたら笑顔の向こう側で罵倒しているのかもしれないが、少なくとも今は敵意も悪意も感じない。

 いきなり本題というのも何なので、オレはディアベルが持参したディアベル珈琲を壁にもたれながらいただく。相変わらずゲロマズだが、香りだけは随分と珈琲に近しい物になったようだ。

 

「相変わらず不味いな。それにお前も相変わらずイケメンだ」

 

「ははは。クーも相変わらず口が悪いな。目は少し……変わったみたいだけど」

 

「そうか?」

 

「ああ。少しキツくなったかな?」

 

「疲れが溜まってるだけだ。さっきまで地獄を見てきたからな」

 

 今回の『だまして悪いが』から派生してどれだけの苦難があった事やら。命が幾つあっても足りない大冒険だった気がするが、今となっては全てが過去の出来事だ。

 過去と言えば、ディアベルならばレイフォックスやツバメちゃんの事の顛末を把握しているのではないだろうか? 自作の珈琲を渋い顔をしながら飲む彼に、オレはその事を問おうとするが、どうせ藪蛇だろうと思い留まった。

 

「そういえば、組織作りはどうなんだ? 聞いたぞ。終わりつつある街で炊き出しとかやってるんだろ?」

 

「今もその帰りさ。下層プレイヤーの生活は俺が思っていたよりも酷い。麻薬系アイテムが平然と使用されていて、そうでなくとも酒系アイテムに溺れる者ばかり。まだ未確認だけど、人攫いの情報もある。特に女性プレイヤーが被害に遭ってるみたいだ」

 

 正義感を滲ませるディアベルの横顔に、オレは何処となく安堵する。彼は何も変わっていない。オレが知るディアベルのまま……いや、より強く逞しく、己の成すべき事を成さんとする騎士として立派になっている。

 これならば安心して任せられる。オレはディアベル珈琲を飲み終えると、本題を切り出す事にした。

 

「そう言えば、持ってきてくれたか?」

 

「望郷の懐中時計かい? 持ってきたよ。強盗に襲われていたプレイヤーがいてね、助けられなかったけど……彼の遺品だ」

 

 悔しげにディアベルはアイテムストレージから取り出した望郷の懐中時計をオレに渡してくれる。見ず知らずのプレイヤーの無念、そしてディアベルの苦悩の重みがそれには詰まっている気がして、手に取った瞬間思わず落としそうになる。

 

「ユイ! 出てきていいぞ!」

 

「は、はい!」

 

 オレの合図と共に、隠れるように指示しておいたユイがおずおずと顔を出す。三角帽子を深く被り、スカートをつかんでオロオロしながらも、ユイは摺り足気味にディアベルの前に姿を現す。

 さすがのディアベルも魔女装備のユイに驚いたようだが、すぐに姿勢を正し、いつもの騎士スマイルで彼女を迎える。

 

「ユイ……ちゃんで良いかな?」

 

「は、ははは、はいぃ!?」

 

「緊張しなくて良いよ。俺はクーの友人のディアベルだ。よろしく頼む」

 

 120度くらい腰を折ってユイは頭を下げる。その様子を微笑ましそうにディアベルは見守り、オレの方へと向き直る。

 さて、ここからがオレの芝居と本音の交差なのだが、芝居は『建前』に過ぎないし、ディアベルも見抜いた上で追及せずに受け取ってくれるだろう。

 

「ユイはどうやら他のプレイヤーに襲われたショックで記憶が無いみたいなんだ。オレが保護したけど……ほら、オレはソロだし敵も多い。だから、都合が良い話とは分かってはいるんだが……」

 

「安心してくれ。俺の組織には魔法特化のプレイヤーが少なくてね。特にユイちゃんみたいな可愛い女の子なら大歓迎さ」

 

「頼む。あと、なるべく前線には出さないでやってくれ。コイツ、才能は有るけど、戦う事に関しちゃ、ちょいと怖い部分があるからな」

 

 勝手に話が進んでいるせいか、ユイは目を白黒させている。当然だ。オレがユイに指示したのは、隠れておく事と自分の経歴を隠す事だけだ。

 オレは混乱するユイの手に強引に望郷の懐中時計を握らせる。まだ所有状態になっていないそれは、ユイが正式にアイテムストレージに保管すれば彼女の所有物となり、以後はあらゆる世界へと運ぶ舟となってくれるはずだ。

 

「ユイ、お前はこれからディアベルの組織に入れ」

 

「な、なんで……ですか? わ、私、クーさんと一緒に行きます!」

 

 そう言うと思った。だからこそ、オレは彼女に何も伝えなかった。

 ユイは優しい子だ。誰かを思いやれる子だ。そして寂しがり屋だ。だから、コイツならきっと最初に『信頼』してしまったオレに付いて来ようとするはずだ。

 だが、それは許されない。オレは誰かと組むべきではない。一時的ならばともかく、誰かを傍に置き続けるなど、できるはずがない。

 

「駄目だ。オレはな……お前が思っているよりもずっと『悪い人』なんだよ。たくさんのヤツに恨まれている。そして……これからもっともっと恨まれ続ける。たくさんのヤツらがオレを殺しに来る。だから、オレは……」

 

 これ以上は言わせないでくれ。オレは片膝をつき、無理矢理ユイに望郷の懐中時計を握らせる。

 

「ディアベル。この馬鹿娘が何と言っても世話を見てやってくれ」

 

「……ああ」

 

 ユイが何か叫んでいた。だが、オレはそれをすべて無視し、ディアベルの脇を抜けて去っていく。

 許してくれとは言わない。むしろ、ユイ。お前が【渡り鳥】の悪名を知れば、離れ離れになった方が良かったと思うはずだ。

 だから、これで良かったんだ。そうだろう?

 

「これで良かったのさ」

 

 オレはフレンドメールに溜まった多量のミュウからの依頼を見て、一呼吸を挟む。

 そろそろ始めるとしよう。

 

 さぁ、傭兵の時間だ。オレはまだ独りでやれる。狩り、奪い、喰らい続けてやる。




これにてユイ&ダークライダー編は終了となります。

毎回のように後味が悪いエンドなのですが、今回は少し希望を持たせられたかなと思える終わり方でした。

では、54話から新展開でお会いしましょう。

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