SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

現実世界は今日も平和です


前エピソードで主人公(黒)ことキリトさんがようやく名乗ってくれました。今回のエピソードはウェルカムとして、まったりほんわかを心掛けようと思います。


Episode21
Episode21-01 かくしごと


 12月。それは冬の始まりにして、DBOプレイヤーにとっては小さな期待の季節である。

 去年と同様ならば、クリスマスは全てのプレイヤーが死の恐怖から解放される。クリスマス専用イベントはDBOの常である殺伐としたものではなく、プレイヤーが嬉々と興じられるものが開催され、更にはクリスマスプレゼントがGMより配布される。

 その一方で冬の寒さは凍死の危険をもたらす。寒冷が蓄積すれば死の眠りが訪れるのだ。寒冷耐性の低い防具で暖を取ることもできずに屋外で夜を越すともなれば自殺行為である。貧民プレイヤーはドラム缶に燃やせるものならばゴミでも何でも……それこそ死体でも投じて温もりを得ようとする。教会も冬を越すための毛布を配布こそするが、貧民街には貧民街の『秩序』があり、よりヒエラルキーの高い者たちが配給物を独占し、コミュニティに属さない者は身を寄せ合うことすらもままならない。

 では、大ギルドや教会が莫大な富を投じて救済すればいいのか? 否である。大ギルドはお布施によって教会に慈善活動資金を提供して代行してもらっている。教会もまた孤児の保護から炊き出しに至るまでの救済を行っている。

 だが、現実世界でそうあるように、貧者に富が分配されることはない。否、より激化した競争社会……自らの手で生死をかけた戦いを潜り抜けた者、あらん限りの知恵と人脈と技術を使って富を築いた者、数多のライバルを蹴落として職を得た者、そうした『勝者』がいるDBOだからこそ、より富の分配には気を遣わねばならない。

 貧民プレイヤーはそもそもとして『戦えなかった』者たちだ。モンスター相手に命懸けの戦いをすることが出来ず、まともにレベリングもできず、武器を扱うこともできず、死の恐怖に立ち向かうこともできなかった落伍者である。

 だからこそ、富めずとも日々の食事に困らない程度の安定した稼ぎを得られるようになった中位プレイヤー達は、最も貧民プレイヤーに辛辣だ。自分たちでモンスターと命懸けで戦う努力を怠った輩であると見下し、あるいは軽蔑する。その癖してより美味な食事を、より上質な服を、より温かな寝床を求める貧民プレイヤーを毛嫌いしている。自分たちが死の物狂いで手に入れたものをどうして彼らは『弱者』であるというだけで得られるのか、と不満を抱く。

 故に貧者に与えられる慈悲は『最低限』でなければならない。『不足』があらねばならない。

 継続的な慈善活動とは、富めずとも自力で生きていけるだけの貧しさの中で暮らす者、日々の糧に困らずとも富めぬ者、富を得る為に足掻き続ける者を基準にして定められねばならない。『弱者』の環境を基準にして定められた時、それは不平不満の温床となり、やがて破滅をもたらすのだ。

 

「……教会の活動に参加したい?」

 

 エイジは知っている。貧民街がどれだけ魂を腐らせる場所なのか知っている。自分があの場所でどのように生きていたのか、今も鮮明に思い出せる。

 

<このまま部屋に閉じこもっていても何も変わらないし、私は戦うのも得意じゃないから自分にできることから始めようと思うんだ>

 

 ユナもスケッチブックによる意思疎通には手馴れてきたが、それでも会話にはどうしてもラグが生じる。だが、ユナが落ち着いて文字を書き並べられるように、エイジは決して急かさない。

 薄味の珈琲を口にし、エイジはユナの真剣な眼差しに溜め息を吐くことを堪える。ユナの性格を考えれば、決してお遊びで教会の手助けをしたいと言い出したわけではないだろう。

 理由は大よそ察している。ユナも教会から無償で衣食住を保証されていると思っているわけではないだろう。日々の食事も、エイジがギリギリで捻出して辛うじて食べていけるものであるが確実に量も質も落ちている。

 修道会に属して慈善活動に参加してせめて自分の衣食住だけでも確保してエイジの負担を減らしたいのだろう。彼女がこのような判断を下す程度には、エイジの朝食は薄味珈琲1杯だけという貧相なものだった。トーストの半分をユナは提供しようとしたが、エイジは頑なに断って口にせず、結局は腹を空かせたスレイヴに横取りされることになった。

 ラストサンクチュアリ壊滅作戦における【渡り鳥】が生み出したショッキングな光景は、DBOについてまだ勉強不十分だったユナに衝撃を与えるには十分過ぎた。しばらくは部屋に閉じこもっていた彼女であるが、スレイヴのお陰でこうして部屋の外に出られるようになった。

 自立すべく行動を始めたことは称賛されるべきであるが、ユナはまだ『DBOとは何たるか』を理解していない。肌で感じていない。いずれは教会の敷地外に出るにしても、まずは知識を完全に揃え、危険に対処する為のあらゆる技術を身に着け、万が一に関するマニュアルの作成が不可欠である。だが、修道会の活動ともなれば、ユナが特別優遇されることもなく、敷地外に足を運ぶことになる。

 社会見学には丁度いい……など絶対に言えない。貧民街で長きに亘って暮らしていたエイジだからこそ、今のユナには下手をすればダンジョンよりも貧民街の方が危険であるとすら判断できた。

 

「もう少し待ってもいいんじゃないか? 焦る必要はない。スキルも選定し終わっていないんだろう?」

 

 ユナのレベルは92だ。これはエイジがペイラーの記憶でユナを……『ユナ』を死なせた時と同レベルである。

 エイジが始めたイベントでNPCとしての『ユナ』が現れ、イベント報酬でもあったユナの『レアリティ』が決定された……というのがスレイヴの予想である。

 ただし、レベル分の成長ポイントしかなく、イベント等の様々な条件をクリアすることで獲得可能になる多くのスキルはロックされたままである。レベル分の成長ポイントを割り振ることが出来るにしても、武器も防具もアイテムも揃えることができずにステータスを十分に活かすには難しい。

 エイジとしては、いっそVITとDEXに極振りして生存最優先のステータス構成にでもした方がいいと思うのであるが、ユナの性格上それを是とするはずもない。彼女は『何もしない』という事を好まないタイプなのだ。

 だが、ユナは近接戦闘にまるで向かない。運動神経自体は決して悪くないのであるが、生来の性格と同等以上に近接戦闘の才能がまるでないのだ。それはSAOの時点で証明済みである。DBOならば射撃も魔法もあるのでユナの活躍する場は広いが、そうなるとより専門性に特化させねばならない。

 さて、どう説得したものだろうか。エイジがテーブルの下にて膝を指で叩いて思案していると、毛虫のように髪をボサボサにしたスレイヴが欠伸をしながらユナの背後に立つ。

 

「別にいいんじゃないか?」

 

「スレイヴ」

 

「睨むな。教会の仕事を手伝うだけで衣食住を保障してくれるんだ。悪い条件ではないだろう?」

 

「だが……」

 

「反論したければ自分と俺の朝飯くらいしっかりと準備できるようになってからにしろ」

 

 ユナは自分の食い扶持を確保する最善の選択をしたまでである。むしろ、適当なパーティやギルドに入ってフィールド・ダンジョンに飛び出していなかった分だけ自分の状態をよく分かっている。

 声が出ない。それがどれだけ危険なのかは言うまでもないことだ。身の危険を周囲に知らせることもできなければ、声を上げて威嚇することもできない。とはいえ、声を上げたところで助けに来てくれるお人好しのプレイヤーなど、DBOでは数える程にしかいないが。

 

<私は私にできることをしたいだけ。少しでも自力で生活できるようになりたい>

 

「…………」

 

「沈黙は了承と見なすぞ。安心しろ。俺がなるべくついているし、ユナも最低でも成長ポイントの割り振りくらいはしないとな。ユナは接近戦が苦手だからSTRを高めてもしょうがないし、射撃武器ならTECとか、あとは魔法使いならINTやMYSだな」

 

<スレイヴさんはスキルや装備に詳しいから、色々と参考にさせてもらってるんだ>

 

 レギオンだから詳しいのは当たり前だ、とはエイジも言えなかった。ユナもレギオンについてはまだ知識も不十分であるだろうし、レギオンらしからぬレギオンであるスレイヴをレギオン代表と思われても危険が増えるだけである。

 

(そもそも教会が僕たちを保護している理由はなんだ? 教会も【黒の剣士】に恩を売っておきたいからなのか? それとも別の意図が? 何にしても、この特例処置がいつまで続くかは分からない。ここが分岐点か)

 

 ライドウ曰く、エイジの借金かつ資金不足を解決させる方法は準備しているとのことだ。限りなく不穏な予感しかしないが、教会にこのまま厄介になり続けるのもよろしくない。エイジも教会から放逐された後の拠点には目途を付けたところだ。

 だが、ユナにはこのまま教会の保護下に置いておきたい。その方が『都合がいい』。教会の身内ならば知能がサル並でもない限り、まず手出しをしようとする者はいない。合理的な判断ができる政治家よりも、非合理そのものである狂信者の方が何倍も恐ろしい。

 教会は3大ギルドを上回る戦力も資本もないが、信仰心という1点においてDBOでは絶対的な存在だ。誓約関連の宗教は多いが、人々が真に心を寄せられる信仰は存在しない。現実世界の既存の宗教は、仮想世界とデスゲームという環境下において無力であり、故に一般の感覚ならば怪しさが先立つ新興宗教であろうとも依存する。

 

(いや、現実だろうと変わらないな。心の穴や脆さを埋める為に、精神の健全を保つ為に、『何か』を信じたい為に……)

 

 執政者の思惑はどうであれ、信徒は『何か』を求めて信仰を志す。そこに善悪など存在しない。エイジが神灰教会に魂を委ねないのは、単純に神がいようといまいと興味はないからだ。

 エイジは神灰教会の現状を再分析する。現在、回復アイテム市場における最大のシェアとリーディング力を持つ。追随するのはクラウドアースであるが、実質的には表面的なポーズに過ぎず、教会の顔を立てているのが実状だ。聖剣騎士団はかつてクラウドアースと肩を並べていたが、回復アイテム部門が大幅に弱体化している。どうやら、これまで開発を主導していた先進的な人材に欠員が生じたようだ。太陽の狩猟団は可もなく不可もなく独自開発を続けており、常に一定のシェアを保っており、最も安定している。

 教会としては3大ギルドのパワーバランスが重要だ。教会に手出しをすれば、いずれの大ギルドも抱えた信徒の反乱によって内乱を抱える事になる。教会は信仰という名の権威で3大ギルドの喉元にナイフを突きつけている。逆に言えば、教会としては何としてもDBO内での影響力……信仰心の維持と拡大が不可欠である。回復アイテム市場において教会の名を轟かせるのも信者獲得の手段である。

 

(そうなると、教会として最も厄介なのは『新規参入した同業者』か。2匹目の何とやら。教会程の勢力ではないにしても、DBO由来ではない宗教も幾つか存在している。3大ギルドが教会の力を削ぎ落とすならば、秩序維持に問題が生じない程度に、他宗教への援助をしているはず)

 

 この辺りを探って情報を得られたならば、教会にユナの保護を約束させる程度の取引は可能かもしれない。プレイヤー1人の身柄の安全だけでライバルを潰せる取っ掛かりを得られるのだ。もちろん、エイジとわざわざ取引をするまでもなく、教会側も既に動いているのは当たり前であるが、取引を持ち掛ける時点でエイジを『教会側の人間』として認識させることができる。それだけでも十分過ぎる利益だ。

 

(『此度の恩情に感動し、改心して信仰に目覚めた』がストーリーとしては妥当か)

 

 問題は他宗教に探りを入れる伝手であるが、エイジには贔屓にしてくれる情報屋もいない。だが、巡回警備時代と貧民街時代の伝手を使えば探れないこともない。だが、信頼を置ける人物などなく、動くためにはやはり金か同価値の情報が不可欠だろう。

 やはり金か。エイジはまず借金返済と資金確保の為にも、ライドウの準備する手段に依存するのではなく、どうにかして自力で収入を得ねばならないと頭を巡らせる。

 傭兵ではないが、他プレイヤーから依頼を受けて仕事をすることもできない事はない。DBOにおいて傭兵とはサインズに登録したプレイヤーの事である。実際には傭兵黎明時代がそうであったように、サインズを通さずしてプレイヤー・ギルド間において仕事のやり取りは行われている。ただし、サインズとは違って雇用主・被雇用者の双方にとって仕事の成否・報酬が確定されず、また裏の仕事であってもサインズは秘匿して傭兵に通達してくれる事からも、わざわざリスクを選んだ手段を用いるのは、傭兵に裏仕事を回せるだけの権力も財力も人脈もない無い者たちに限られる。

 すなわち、犯罪ギルドや限りなく『粛清』の境界線に属するグレーなギルドがメインの雇用主という事であり、依頼を受ける側も傭兵としてやっている実力がないか、サインズに登録できない程に後ろめたい経歴の持ち主かに限られる。SAOとDBOで虐殺を披露した【渡り鳥】でさえ、経歴上は意外にもクリーンなのだ。もちろん、【渡り鳥】のお得意様が3大ギルドという事も影響しているかもしれないが。

 

「無茶はしないでくれ」

 

<分かってる。エー君に迷惑をかけないようにするから>

 

 迷惑。ユナは今の自分の状況がエイジの負担になっていることを気に病んでいるのかもしれない。だからこそ、まだDBOについて勉強不十分であるとしても自立の為に行動を開始したのだろう。

 ユナは今の自分の状態を把握している。スレイヴが何処まで説明できたかは定かではないが、少なくとも自傷行為が自分の生命を脅かすシグナルだと理解している。

 その上で明るく振舞い、エイジに心配させないように自助努力を表明した。

 かつてはそんな彼女の『強さ』が愛おしかったのかもしれない。だが、今は何も感じない。ただ眩しくて、輝く光に照らされて自分の『無力』という影の闇を濃くするばかりだった。

 そろそろ準備しなければならない。ライドウは自分が時間にルーズでありながら、他人に対しては時間に厳しい。エイジは手早く荷物をまとめると出発する。

 世間はクリスマスへの期待感に染まりながらも、ラストサンクチュアリ壊滅事件がもたらした影響は残留し、またじわじわと蝕んでいる。

 1000名という新たな貧民プレイヤーを抱えたことによって、貧民街には大きな混乱が生じている。1000名の貧民プレイヤーは教会が設立した仮設キャンプに移住したが、早々に襲撃・拉致事件が生じたのだ。これに対して教会は教会剣による警備を実施したが、これをラストサンクチュアリ出身者の『特別扱い』としての批判が貧民プレイヤー間から生じたのだ。

 慈善活動によって貧民プレイヤーからの求心力も得ていた教会としては、過度な配慮は許されない。だが、軋轢のみならず、早々に問題も生じている。

 そこで教会はラストサンクチュアリ出身者よりフロンティア・フィールドの開拓を集うことになった。だが、元より1000名はラストサンクチュアリという腐敗した聖域から羽ばたくことが出来なかった者たちである。レベル100水準という危険地帯における開拓業に参加する勇気もなければ、自立する為の行動を起こせるはずもない。招集に応じたのは100名にも満たなかった。

 次に教会主導の下でラストサンクチュアリの保有資産の売却が行われることになった。そこで生じた利益はラストサンクチュアリ出身者に均等に分配され、彼らの自立に役立てられることになった。

 キャンプは12月で解散となり、それまでにラストサンクチュアリ出身者は己の道を定めねばならない。ラストサンクチュアリが保有していた農場や鉱山など、いずれも二束三文であり、なおかつ1000名のプレイヤーに均等分配されたとなれば、個々の割り当ては微々たるものだ。なおかつ、貧民街のハイエナたちはそうした小金すらも狙って襲い掛かる。

 教会は『特別扱い』ではないというアピールをするべく教会剣による貧民街の巡回を強化した。だが、教会の信徒ばかりではない。たとえレベル10未満のプレイヤーであっても、徒党を組めばレベル100のプレイヤーだって殺害できるのがDBOである。先日、巡回にあたっていた教会剣の2名が身ぐるみを剥がされた遺体で発見され、彼らが属していた聖剣騎士団とクラウドアースが正式に遺憾を表明し、勢力下のプレイヤーの教会剣の活動について制限を求めた。教会はこの意向を飲み、3大ギルドの勢力下にあるプレイヤーの教会剣としての月単位の活動時間を制定することになった。

 何処までがシナリオ通りなのか。何にしても、3大ギルドの巡回警備は今も貧民街と賄賂で繋がっているだろう。教会剣の活動も制限されたとなれば、貧民街の混沌はエイジがいた頃の比ではないのかもしれなかった。

 終わりつつある街は過度な開発・拡大によって、ダンジョンにも匹敵する迷宮のような立体構造と化している。いや、ダンジョンがあくまで『攻略』を目的として設計されているのに対し、終わりつつある街は正しく無秩序である。およそ意味もなく路地が繋がり合ったかと思えば行き止まりがあり、階段を下りた先のドアを潜ったかと思えば下水道があり、無数のパイプが繋がりあったかと思えば排水が滝のように地下深くへと流れ落ちる。

 黒鉄宮跡地を中心とした終わりつつある街は現在、3大ギルドの本部を筆頭とし富裕層の拠点がある上層。中位プレイヤーや繁華街、サインズ本部が設けられており、コロシアムといった3大ギルドの施設などもある、貧富が最も混在する中層。主に下位プレイヤーや貧民プレイヤー、そして犯罪ギルドの住処にもなっている、貧民街である下層。もはや日の光も当たらない、まさしくDBOの闇と汚物が詰まった地下……最下層。教会による事実上の自治区である『聖堂街』の通称を持つ教区。獣狩りの夜の爪痕を色濃く残し、ラストサンクチュアリの貧民プレイヤーの居住地としてキャンプが設立されている、貧民街に該当しながらも開発前の終わりつつある街の名残を色濃く残した廃墟群でもある旧市街。3大ギルドの思惑によって、敢えて開発が放置されている未開発区。娼館などのグレーゾーンでありながら『表向き』に経営された娼館や酒場が集中した快楽街。これらが主だった終わりつつある街の区分である。

 正確な人口は3大ギルド・教会でもカウントしきれていない。その理由は下層・最下層・旧市街の人口がまるで不明だからだ。新たにDBOに『出現』する流民プレイヤーは加速度的に増加傾向にあり、一説では終わりつつある街の真の人口は10万人を超えているという説すらもあった。

 現実世界に肉体を持つか否か。もはや、それは問題視されない時代が来つつある。絶対的マイノリティとなった肉体持ちプレイヤーの意見に誰が聞き耳を貸すだろうか。事実として聖剣騎士団のリーダーであるディアベルは自分が肉体を持たない身であることを公表して『永住』による全プレイヤーの生命の保証を表明した。

 肉体持ちプレイヤーが『帰還』を選べば、高い確率で肉体を持たないプレイヤーは消滅……死の危機に直面する。対して『永住』は肉体持ちプレイヤーが現実世界に戻れこそしないが、仮想世界における生命の継続は約束される。マジョリティが肉体無しであるならば、『永住』と『帰還』のどちらに優先順位があるのか、理に適っているのかは言うまでもないことだろう。

 それでも現実世界への帰還を諦めきれないプレイヤーは抗議活動をし、あるいは過激化する。反大ギルド勢力と合流し、テロリストと化すことも珍しくない。そうして掃討されていって肉体持ちプレイヤーの数は更に減る連鎖も起きている。

 エイジも肉体持ちであるが、彼は『永住』にも『帰還』にも興味はない。現実世界に帰るべき場所がない身であるならば、むしろ『永住』派でもあるだろう。ユナもスレイヴも現実の肉体が無い以上、彼の知人に『帰還』派はいない。

 シャルルの森、獣狩りの夜、フロンティア・フィールド、ラストサンクチュアリ壊滅と続いてきたDBOの結末を巡る大きな流れ。だが、エイジは流れの行き着く先に何かを求めることなどない。

 必要なのは『力』だ。今日のライドウとの待ち合わせ場所は、終わりつつある街の最下層……下水道と地下大規模空間が絡み合った場所だ。日の光も当たらぬ、まさにDBOのアンダーグラウンドである。盗品市場など序の口であり、麻薬系アイテムからドーピング系アイテム、他にも様々な黒ずんだ取引が行われている。華々しく活躍する大ギルドの上位プレイヤーすらも足を運んでいることも珍しくない。特に後々までに大きな影響を与え、1度使えば手放せなくなるドーピング系アイテムを密やかに常用している者も多いのだ。

 ドーピング系アイテムは1度使えば、HPの増加、攻撃力・防御力の劇的な上昇、ステータスの向上などを得られる。その一方で効果時間が切れると永続的かつ致命的なデバフが付く。本来はデス・ペナルティが生じた際にドーピング系アイテムのデバフは消滅するのであるが、HPゼロ=死であるDBOでは、1度ドーピング系アイテムに手を出せば、2度と後戻りはできなくなる。なお、ドーピング系アイテムは個人の任意による使用が不可避であり、『他人に使われた』や『飲食物に混ぜられた』といった言い訳が利かず、大ギルドではバレた瞬間に除籍処分となる。それでも手を出すのは、たとえ大金を支払い続けることになるとしても、生存力を高めるのには不可欠なのだ。

 他にも貧民プレイヤーから脱する為にドーピング系アイテムに手を出すプレイヤーもいるが、それは破滅の1歩だ。犯罪ギルドがよく使う手口であり、上昇志向がある貧民プレイヤーにドーピング系アイテムを提供し、レベルが上がって一定の収入を得られるようになったら搾り取るのである。金がなければ装備を整えられなくなり、上を目指すこともできないまま、ドン底の生活を送る中位プレイヤーとして過ごし続けることになるのだ。

 エイジは貧民街時代もドーピング系アイテムにだけは手を出さなかった。考えるまでもなく愚劣で破滅的な手段であったからだ。その程度の最低限の判断ができていた過去の自分には褒めてやりたいが、そもそもとしてドーピング系アイテムに手を出すような低知能が生存できる程にDBOもまた甘くない。

 それでも一瞬だけでも夢を見たい。地獄が待っているとしても現状から脱したい。そんな気持ちがドーピング系アイテムに手を出させるのだろう。エイジはライドウとの待ち合わせ場所である、犯罪ギルド【エバーライフ・コール】が経営する酒場に入る。

 まだ朝早いというのに、酒に入り浸るプレイヤーは多く、また娼婦の数も多い。だが、今日は男娼の数が目立つ。エイジは顔立ち整った美少年や筋骨隆々のマッチョマン達の視線を浴びながら、顔を覆い隠す旅人のマントのフードを引っ張った。

 

「やぁやぁ! 待っていたよ、雑魚くーん!」

 

「へぇ、コイツが……ふーん。顔は悪くない坊やね」

 

 エイジという来客は通達済みなのだろう。通された奥のVIPルームには、師として仰ぎ、また復讐を誓った相手であるライドウが待ち受けていた。桃色の煙が充満した空間は甘ったるい香が焚かれており、エイジは瞬時にそれが興奮作用を高める媚薬の類だと察知して呼吸を浅くする。

 革張りのソファにて上半身裸で寝そべるライドウの傍らにいるのは、反射性の高い糸が縫い込まれた紫のドレスを着た女だ。暗い茶髪で片目を隠し、纏めた髪には簪を3本差している。毒々しい赤の口紅が特徴的であり、惜しみなく谷間を晒し、白虎の毛皮のコートを羽織り、なおかつ銀のキセルを持った姿は、娼館の女主という印象を与える。

 だが、巡回警備時代に危険人物リストに目を通しているエイジは、彼女がエバーライフ・コールのリーダーである【カリン】であると察知する。【毒花】のカリンとも呼ばれており、その華やかさの裏で暗器を用いた毒攻撃によって多くの命を奪ってきた危険人物である。

 エバーライフ・コールは犯罪ギルドでも特に大きな勢力を持つ。独自の戦力を持っている事からも武闘派集団であるチェーングレイヴとの繋がりも薄い。対立しているわけではないが、非協力的な立場を取っており、貧民街にも独自の支配を敷いているのが特徴である。背後にいずれかの大ギルドが潜んでいるかは不明であるが、クラウドアースの専属であるライドウとカリンの親しそうな間柄を見るに、もしかせずともクラウドアースが関与しているのかもしれなかった。

 咄嗟に分析したエイジはこの場における振る舞いを判断する。フードを脱ぎ、ライドウの弟子として恭しく片膝をついてカリンに礼を取った。

 

「ライドウの弟子のエイジです。以後お見知りおきを」

 

「へぇ、礼儀を弁えた子ね。嫌いじゃないわ」

 

「でしょー? でも、これがスッゴイ慇懃無礼というか、俺も嫌になっちゃてさー。なんていうの? プライドが無いというより、目的の為なら何でも捨てられるって感じ?」

 

「反抗的な馬鹿よりずっといいじゃない」

 

 どうやら自分が話の種だったようだ。エイジは礼の姿勢をとったままに、ライドウの口から自分がどのように紹介されたのか想像し、およそまともではない事だけは確信した。

 何かに納得したようなカリンは、エイジの傍によるとキセルで彼の顎を浮かせて面を上げさせる。

 反抗心は目に宿さない。従順であろうとも牙と爪を備え、でも隠すことを怠らない。エイジは徹底した無表情の演技でカリンに相対する。

 

「……悪くなさそうね。OK、今夜にでも『試験』をしましょう。合格なら商談成立よ」

 

「よっしゃー! やったね、雑魚くん! 借金の返済の目途が立ったじゃーん!」

 

 どんな取引が2人の間で行われたかは不明であるが、およそ尋常ではない事は間違いない。エイジは去っていくカリンの背後を横目で見つつ、ライドウに肩を叩かれながら、今日のトレーニングについて尋ねる。

 

「今日はスペシャルトレーニング! いつもの奴に加えて、雑魚くんには新たなメニューをこなしてもらおうじゃないか!」

 

「……もしかして、男娼にでもなれと? 借金が返済できるならば、女性でも男性でも相手はしますが」

 

「えー? それ本気で言ってんのー?」

 

「…………」

 

「うわー。マジの目だー。相変わらずだねぇ。で・も・さ、俺もマジだって言ったじゃーん! 雑魚くんを『強者』にする育成ゲーム。借金返済のためとはいえ、そんなんで強くなれるはずもないのに、時間の無駄無駄。どうせなら一石二鳥でいこうよ!」

 

 ライドウ、意外にも真面目である。破天荒かつマイペースであるが、自分の楽しみの為ならば一切の妥協をしない。だからこそ、エイジは復讐の対象であるとしても指導内容については一切の疑念も持たず受け入れられた。ライドウ独自のロジックに従った指導は確かに会得するものが多いからだ。

 エイジが案内されたのは、酒場から繋がった場所にあるエバーライフ・コールが保有する遊技場だ。まだ開店前であり、スタッフが清掃や商品の陳列、今日の催しの仕込みを行っている。

 エバーライフ・コールは犯罪ギルドでもトップクラスの資本を持つ。純粋な個の戦闘能力はチェーングレイヴが圧倒的に上であるが、構成員の数と資本力では娼館から賭博経営、盗品のオークションまで切り盛りするエバーライフ・コールが上だ。とはいえ、それ故に敵対する犯罪ギルドも多く、チェーングレイヴとはあくまで非協力であるだけで決して敵対関係には及ばないように細心の注意を払っている。

 ここで僕に何をさせるつもりだ? エイジがライドウに連れられた先にあったのは、まるでボクシングジムを思わす、機能性を重視したトレーニングルームだ。既に先客がおり、5人ほどの男がいたが、ライドウの登場と共に顔を真っ青にして逃げ出すように退室した。

 傭兵でありながら裏に顔が利く。それでいてクラウドアースの専属傭兵でもある。自分勝手に見えて、その実は絶妙なバランスを取り、自分の娯楽をどうすれば優先できるか、最高の環境で味わえるかに専心する。

 ライドウという男はやはり評判通りの戦闘狂ではない。エイジは半裸のままで最初のトレーニングを促すライドウの前に立つ。

 1秒。それが今のライドウが設けた基準だ。ライドウの格闘攻撃をエイジは徹底して捌き続ける。回避し、防御し、受け流し、だが決して反撃はしない。あくまで攻防における『防』を鍛えるのがこのトレーニングの趣旨だからだ。

 痛覚遮断はもちろん解除済みであり、ライドウの攻撃が頬を掠ればカミソリで切られたかのような鋭い痛みが生じる。ライドウの手刀は下手な刀剣よりも鋭利だ。受流しではなく防御を選択すれば肉を刺し貫かれてしまうだろう。

 ライドウはもうエイジの安全……もとい、長時間トレーニングを想定したグローブを装着していない。素手であり、変わらずエイジを殺す気でかかっている。もちろん、エイジに合わせてまだ本気こそ出していないが、より死が近しい環境下でトレーニングは行われている。

 背筋を焦げ付かせる死の予感。ライドウの膝蹴りが鳩尾に入り、続く右拳と見せかけた左拳による胸部強打を受け流す。だが、浮いた体に蹴りが入り、エイジは吹き飛ばされて壁に叩きつけられて床に倒れる。だが、瞬時に起き上がる。時間にして0.1秒未満の接地である。一瞬として動きを止まることなく、だが防御に徹する。

 途端に喉に衝撃が加わる。ライドウは格闘戦主体であるが、例外的に飛び道具として鉄球を用いる。指の間で挟める程度の小型鉄球は投擲アイテムであり、投げナイフと同類であるが、こちらは純打撃属性である。

 攻撃パターンが増やされた。これまでは腕・足の間合いで対処すればよかったが、これからは鉄球が加わったことによって休む暇はなくなる。

 いや、元よりライドウがその気になれば容易く間合いは詰められるのだ。ならばこそ、コンマ1秒とて気を抜く瞬間などない。そもそも戦いにおいて精神に呼吸をもたらす暇などあるはずがない。

 何処までも深く、深く、深く戦闘に沈み込んでいく。その分だけ死の水圧は増して全身を潰そうとする。だが、ダーインスレイヴとの繋がりが……闘争本能が死の恐怖と結びついたFNCを打ち破る。そして、FNCによって鍛えられた死の敏感性は視覚警告となって応える。

 鉄球の連弾に隠れたライドウの貫手。心臓を狙った五指の突きは、エイジの視界において一際クリアに映る。咄嗟の回避行動でライドウの背後を取り、エイジは反射的に拳を握ってしまう。

 

「そこまで!」

 

 エイジがギリギリで反撃を堪えようとした時、ライドウの手がエイジの顔面に突き出されて制止がかけられる。本来ならば、エイジの反撃が入る前に顔面を掴み取ることができたライドウのバトルセンスの高さには感服する以外になかった。

 まだ反撃しなかったとはいえ、ルール違反しかけた。制裁だろうか。エイジが身構えれば、ライドウはそんなことするはずないとばかりに手を横に振る。

 

「始めてから1週間。ようやく『反撃』までできるようになったねぇ」

 

「……ルール違反でした」

 

「いやいや、別にいいよー。実際に反撃はしていないし、今のはちゃんとカウンターとして成立していた。闇雲な攻撃だったらぶっ殺してたけど、今のは悪くなかったからねぇ。俺じゃなければ1発入れられてたよ」

 

 自分には通じないと断言した上でライドウはエイジの反撃動作を評価する。上から目線であるが、実際にライドウは実力者であり、故にエイジは自身の成長を確信した。

 

「まぁ、これが今の雑魚くんの実力ってところかなー」

 

「どういう事ですか?」

 

「痛み。それが雑魚くんを『矯正』しただけだよ。基礎は出来上がっていたし、防御と回避のロジックも出来上がっていた。俺は無駄な贅肉を削ぎ落とすダイエットをしたわけ」

 

「無駄な贅肉……ですか」

 

「まぁ、俺に言わせればまだまだ肥満だけど、今の雑魚くんの適正体重になったって感じかな? 本来の雑魚くんならこれくらいは出来て当然だっただけだよ」

 

 ライドウのトレーニングはいずれも命懸けだ。始めてから約1週間を経て、ようやくエイジは防御・回避を限定して自分の潜在能力を引き出せるようになってきた……という事なのだろう。常にエイジのギリギリ上の実力を出すことで基礎能力を高めながら動きの無駄を省かせていったのは、ライドウが想像以上にエイジの育成についてプランニングしていた証でもあるのだろう。

 

「これからもこのトレーニングは継続するけど、次回からは『反撃』OKにしようか。先制攻撃は駄目だし、『反撃になっていなかった』ら殺すから。それから1セットの間に5回以上『反撃』できなくても殺す」

 

 つまりはカウンターとして成立するか見極めろ、という事だろう。だからといって消極的にカウンターを控えていても殺す。無理難題にも聞こえるが、これくらいは突破できるという見込みがあるからこそのステップアップであるともエイジは確信していた。ライドウが『遊び』で妥協するはずがない。エイジが絶対に不可能な基準を設けず、だが現状を打破しなければならない絶妙なラインを常に設定しているのである。

 

「さてさて、雑魚くんパワーアップ計画だけど、次の段階に入らないとねぇ。これまでの基礎訓練は防御と回避に集中していたからね。ここからは『攻撃』にシフトしようか」

 

 モンスターハウスに放り込まれて1時間1匹もモンスターを倒すことなく生存しろ。1本道のスピードラン系ダンジョンを両手に手錠をかけたまま突破しろ。リポップ系ネームドの攻撃を両手に水風船を持ったまま回避し続けろ、なお割ったら殺す。この1週間でやらされたことの何処が基礎訓練だったのかは甚だ疑問に思ったが、確かに生存力だけは身に付いたとエイジは納得した。

 だが、何にしてもライドウは不機嫌であり、またご機嫌だ。それもラストサンクチュアリ壊滅作戦が契機だろう。

 ユージーンVSキリト、あるいはキリトVS【渡り鳥】の対決は、ライドウの琴線に触れたらしく、非常に不機嫌になっていた。その一方で、あの日から変わることなくライドウを師として『力』を得んとするエイジにはある種の期待感のようなものを芽生えさせているようにも思えた。

 それもこれも心意というものを大ギルドと教会が正式に認可したからだろう。これまでも心意と思われる現象を確認していたと発表した3大ギルドは、ラストサンクチュアリ壊滅作戦で生中継された事から正式に『仮想世界に影響を及ぼすことができる、スキル、ステータス、システムに依存しない、プレイヤー個人が持つ特殊能力』を認めるに至ったと発表した。

 大ギルドは心意についてまだ研究途中とのことであるが、保有者であることが確定した【黒の剣士】とユージーンを基にして解析に入っている。ただし、【黒の剣士】は現在独立傭兵とはいえ、ユージーンはクラウドアース専属である。そこで教会の下で心意の解明が行われることになり、得られた情報は3大ギルドで共有されることになった。

 まだ3番目の心意保有者は発見されておらず、心意の続報は出ていない。だが、【黒の剣士】とユージーンが心意を理解しているならば、時を待たずして心意とは精神・感情に根差した能力だと判明するだろう。

 ライドウも心意を理解こそしていないが、その正体には何処か勘付いているようだった。それがライドウを酷く不機嫌にさせているのだ。そして、心意というDBOの枠外の能力を振るえる可能性を見せられ、多くのプレイヤーが夢見て自分にも心意を欲しているのが現状である。それこそがライドウには気に喰わないようだった。

 

『心意とは「気づき」が重要だ。「自分に心意がある」と「気づき」があれば、発動は容易化するものでもある。【黒の剣士】は人々に「気づき」を与えた。かつての人にとって雷は神の力であったが、それが自然現象に過ぎないと暴いたようにな。これからは心意保有者が増えていくだろうな』

 

 スレイヴの言葉通りならば、これからは心意保有者がより目立った戦果を挙げるようになるだろう。ユージーンと【黒の剣士】は……特に後者は全プレイヤーに『気づき』をもたらしたのだ。システムの枠外にある心意という能力に気づかせ、覚醒のチャンスをもたらしたのである。

 自分はどうだろうか? 得られたならば使うことに躊躇いなどないが、エイジは心意に良い感情を持っていない。どちらかと言えば否定的な立場だ。

 いつだって理不尽はすぐ傍にあり、故に覆すには気持ちではなく『力』が必要だったはずだ。意思によって目前の敵を打倒し、難関を突破し、未来を切り開けるならば、もはや感情論こそが戦場を支配することになる。

 違う。環境や戦術、戦略によって変動するとしても、戦場とは常に冷徹なまでの『力』によってこそ生死が分かたれるはずだ。そこに心意などという『都合のいい奇跡』が割り込むなどエイジは認めない。

 強きは生き、弱きは死ぬ。故に『力』こそが絶対の理であり、だからこそユナも『ユナ』も死んだのだ。エイジの『無力』が彼女たちを殺したのだ。

 精神が……気迫や覚悟が勝敗を分かつとしても、それは踏み込める1歩の重要性が問われる時であり、根底にある『力』こそが必要不可欠だ。故にエイジは心意の獲得よりもライドウから指導を受けて『力』を得ることを優先する。心意を欲して甘える『弱者』になどにならない為に。

 それに気づいてか、ライドウは幾らかエイジに対して好意的に接するようになったようだ。スパルタは相変わらずであるが、より評価内容を詳細に明かすようになった。トレーニング終了後にはお疲れとばかりにビールを投げ渡すようにもなった。気持ち悪いが、ライドウなりにエイジへの評価に変動があったようである。

 

「とりあえずレベル100を目指して新しいスキルを獲得するとして、雑魚くんはステータスもスキルもバランスがいいけど、戦法自体はトリッキーだから手札を増やしたいねぇ」

 

「そうなると武器スキルですか?」

 

「雑魚君の得物はネームドの能力をラーニングできる。その為には敵のクリティカル部位を刺し貫かないといけない。相性的に考えると≪暗器≫だよねぇ。それに1発を強化するとなると≪戦斧≫とか。≪特大剣≫とか重過ぎる武器は相性が悪いだろうし」

 

 真面目だ。本人も大真面目であると宣言済みであるが、自分を殺しに来るエイジを本気で育て上げるつもりである。

 ライドウには邪剣ダーインスレイヴの能力は教えてある。レギオン由来の武器であるとまで明かしていないが、ネームドの能力をラーニングできると教えてあるのだ。

 ライドウはダーインスレイヴの能力を知るとエイジを連れ出してリポップ・ネームドと戦闘を行わせた。ライドウがダウンを取ったところでエイジがラーニングを実行したが不発であった。

 この事からダーインスレイヴがラーニングできるのはリポップ型ではない、ユニーク・ネームドに限定された。フロンティア・フィールドの異名持ちと呼ばれるネームドに有効かどうかはまだ未検証である。

 ユニーク・ネームドもピンキリであるが、総じてリポップ型よりも危険な存在だ。ダーインスレイヴのラーニング能力を増やすのは、より危険かつエイジではなかなか遭遇できたないユニーク型を狙うしかないのだ。

 傭兵を続投できたならばユニーク・ネームドとの遭遇率も高まったのだが、今更のことである。エイジは今ある手札……つらぬきの騎士からラーニングした【つらぬきの刃】を如何にして利用するかに集中すればいい。命中させれば、ネームド相手でも大ダメージを与えられるのだ。燃費は悪いが、エイジにとって最大火力の切り札である。

 

「あとは雑魚くんが考案した爆閃の進捗具合はどうかな?」

 

「……市販されていた一般の火薬では十分に性能を発揮できないですね」

 

 ペイラーの記憶にて、エイジがライドウに唯一攻撃を届かせた、爆薬と火剣を合わせた攻撃……爆閃。あの時は半ば閃きの産物であったものを、より戦術に昇華させることを目的として市場に出回っている火薬を調べてたが、そもそもとして爆閃のような使い方を想定したものはなく、またエイジの資金力では高品質の火薬まで手を出すことができなかった。

 

「そうなると雑魚くんに合わせた武器・アイテムを作ってくれる鍛冶屋がいるねぇ。でも、雑魚くんみたいな雑魚に構ってくれる鍛冶屋なんてたかが知れて……」

 

 随分な物言いだが正論だ。望んで優秀な鍛冶屋が専属になってくれるならば苦労しない。ライドウはいつもふざけた格好であるが、その実は鉄球にしても本気装備にしても相応の拘りがあるらしく、クラウドアースの工房に徹底的な要望を通達し、なおかつ独自に鍛冶屋を渡り歩いてカスタマイズしているとのことだった。もしかせずとも盗品も利用する為に犯罪ギルドとも懇意にしているのかもしれない、とエイジは推測する。

 そんなライドウが顎を撫でて何かを思案する。鍛冶屋の話で彼がこんな顔をしたのは、何かしらの伝手に心当たりがあるからだろう。

 

「……【アーチボルド】」

 

「誰ですか?」

 

「いやね、クラウドアースの工房でも異端視されていたけど腕のいい奴だったけど放逐された鍛冶屋なんだけどさー! もう滅茶苦茶で笑えるんだよね! ほら、ランク1の自爆珍事! あの主犯がアーチボルドなわけ! 青い雷光に魅せられたとかいって、ランク1の適性無視して、なおかつ安全配慮無しの装備を開発しちゃってさー! その責任を取らされてクビになって、今は何処にいるのやら」

 

 ユージーンの決定的な敗因である防具の自爆。雷エネルギーを吸収し過ぎたのが原因であるが、それだけ【黒の剣士】のスローネの放つ雷エネルギーが大き過ぎたということだろう。だが、逆に言えば雷に特化したネームド級と対決していた場合、ユージーンは同じく自爆していたという事である。ユージーンも事前に性能検査はしていたはずであるが、その時は運悪く、あるいはユージーンの腕が立ち過ぎて、雷エネルギーの過吸収という問題点が浮き彫りにならなかったのだろう。

 腕が立つ危険人物。しかもクラウドアースの工房を追い出されて高確率でフリー。ただし、当然ながら自前の工房など持っているはずもなく、今は行方知れず。そもそもとして、エイジと契約を結んでくれるかも怪しい。なにせ、優秀な鍛冶屋とはそれだけ素材と資金に貪欲だ。どちらも持っていないエイジには交渉材料がない。

 ……いいや、1つだけある。邪剣ダーインスレイヴだ。鍛冶屋からすれば、ネームドの能力をラーニングできるダーインスレイヴは魅力的な素材だ。だが、下手をすれば、ダーインスレイヴを完全に失いかねない。下手な改造を施されて使い物にならなくなっては損失どころでは済まない。

 だが、足取りを追うには価値のある人物だろう。エイジはクラウドアースから追放されたアーチボルドとの接触を試みることにした。たとえ、契約・協力は無理でもユージーンの防具を手掛けた程に秀でた鍛冶屋であることには違いない。何か得られるものはあるだろう。

 

「興味ありっぽいねー。探してみなよ。『明日』があったらねー」

 

 やはり何か企んでいる。エイジはライドウがこの場所を指定した意味を考える。

 エバーライフ・コールの遊技場。巡回警備時代にも何度か耳にする機会があった。

 そもそも『犯罪』とは何か。DBOにおいて法律は存在しない。ならば現実世界の法律が適応されるのか? ならば、どれだけのプレイヤーが殺人罪に問われるのだろうか? たとえ、正当防衛であるとしても定義を適応させるのは誰なのか?

 DBOとは結局のところ無法地帯だ。『犯罪』ギルドというのも印象から名づけられているのに過ぎない。断罪者は常に強権の持ち主だ。大ギルドや教会である。彼らが黒と言えば黒となり、白といえば白となる。報道ギルドといったマスメディアが登場したとしても、彼らもまた権力と資本の影響下であり、思想を持つ。

 印象と権力。それこそが『罪』を定義する。それがDBOの現状の髄だ。ならばこそ、エバーライフ・コールという名の犯罪ギルドは『印象上は犯罪者集団』であるとしても断罪の刃を振り下ろす権力者と癒着していれば『罪』は問われないという事である。

 エイジがクラウドアースに機密情報を盗んだ罪を問われて追い回されたのも、傭兵業界から追放されたのも、『印象上の罪』以上に権力者による『罪人の烙印』があったからだ。

 

(莫大な金が動く娯楽。DBOの富裕層は大きく分けて3種類。商業・金融業等における成功者。大ギルド・有力ギルドの幹部。そして、莫大な富を個人で保有できるトッププレイヤー)

 

 トッププレイヤーは自分の命を張って危険に挑んで富を得る。だが、他は必ずしもそうではない。大ギルド・有力ギルドの幹部は必ずしも武力を保持しているのではなく、内政・外交を握る政治家であることも多い。たとえば、太陽の狩猟団の副団長であるミュウは、個人としての武力は決して高くない。各部隊の隊長クラスと比べれば明らかに劣っている。だが、彼女が副団長の地位にあるのは、卓越した内政・外交手腕を持つ政治家であるからだ。クラウドアースはもっと分かりやすいだろう。ギルド連合であり、議会に参加する為には議決権を買わねばならない。すなわち、クラウドアースの方針を決定するのは武力の保有者ではなく財力の持ち主だ。金で権力を買えるのがクラウドアースである。

 富裕層が望むものはまず安全だ。彼らは時として傭兵や私兵を運用できる財力を持ち、更には大ギルドという最大の武力集団とも懇意の関係にあることが多い。ギルド連合であるクラウドアースは尚の事だろう。

 

(『死』と『他者の恐怖』を楽しむ娯楽か)

 

 ラストサンクチュアリ壊滅事件で【渡り鳥】がもたらした恐怖。エイジも震えを覚えた圧倒的な暴力。画面越しでも自分の喉元に牙を突き立てられているかのような生命を蹂躙される忌避があった。

 だが、『他者の恐怖』を安全地帯から鑑賞するのは古来からの娯楽だ。かつては死刑こそが最大のエンターテイメントだった時代もあった。火炙りにされ、あるいは串刺しにされ、または胴を引きちぎられ、もしくはギロチンが断頭する。そんな他者が命を簒奪される瞬間を、あるいはそのギリギリの間際まで放つ恐怖を甘美な娯楽とするのは人間の常なのだ。

 エバーライフ・コールは犯罪ギルドでも、娼館経営をメインとした穏健派の犯罪ギルドのフォックス・ネストと並んだ娼館経営で莫大な利益を得ているのだ。特に男娼経営を先んじて多くの女性プレイヤーを虜にした。男性プレイヤーに比べて大っぴらに性の解放を楽しめない女性プレイヤーに配慮し、男娼との『デートプラン』を提供しているのである。

 だが、エバーライフ・コールは他犯罪ギルドが金貸しで焦げ付いた時に積極的に債権を買うことで他犯罪ギルドとの敵対も防いでいる。そして、債務者をエバーライフ・コールの様々な『事業』に割り振るのだ。娼館・鉱山送りなど可愛いものである。

 これからエイジは客たちの娯楽の為に債務者との殺し合いが命じられるのだろう。あるいは、強力なモンスターを貧弱な武器で倒せと求められるかもしれない。何にしても、ライドウは宣言通りに借金をチャラにするだけの収入をもたらすつもりだ。

 夜まではライドウによる基礎訓練が続く。ライドウは剣に興味が無いらしく、エイジが剣を鍛えるならば別の師を探せと突き放した。だが、類稀な格闘センスはエイジにとっても大きな収穫をもたらす。ライドウの格闘術はエイジの戦法と適性が高いのだ。

 

「突きは見切って踏めばいい。この仮想世界でもさ、しっかりと『骨』って機能しているわけなのよん。肋骨の隙間を狙った平突きが基本なわけ。まぁ、腹を狙って斬り上げとか色々あるから一概に言えないけどさー。だから具足の裏には刃を踏みつけられるように金物を仕込んでおくのもありだよねー」

 

 自分は便所スリッパがデフォルトの分際でありながら、靴裏の仕込みの重要性を訴える。まるで説得力はないが、エイジはペイラーの記録で実際に便所スリッパで何度も突きを見切られて踏みつけられている。

 こうして訓練を受ける身になってエイジが実感したのは、ライドウはそれこそ物心がついた頃から徹底して戦闘技術を叩き込まれているということだった。だからだろうか。一見すれば滅茶苦茶に思えたライドウの戦法も、彼がほとんど我流に書き換えているだけであり、根底は流派と呼べる基礎があった。

 剣術と格闘術を絡めた基礎戦闘。火薬を用いた爆閃といった特殊戦闘。徹底して身に着けられる防御・回避といった生存力を高める体術。ライドウは教え方こそ命懸けのスパルタであってもバランスよくエイジに吸収させることを忘れていない。

 

「雑魚くんはさ、基礎は出来上がってるんだよ。この基礎って部分が凄い大事なんだよねー。どれだけブランクがあっても、積み重ねた基礎ってのが後々に役立ってくるわけ」

 

 虎は虎だから強い。そう言って憚らないだろうライドウは、その実は基礎の修練を極めて重視していた。

 SAOでもDBOでも剣を振るい、戦い方を模索し続けた。たとえ、足が動かなくなり、ユナを失って自殺すらもできずとも……いいや、できなかったからこそ、求めるように、抜け殻のままに剣を振るい続けた。DBOでも、貧民街時代も、エリートプレイヤー候補生時代も、そして今も……まるで狂ったように『戦い』を捨てられていない。

 まだ負けていない。憎悪の炎の核で燃える、敗者になってはならないという刻み込まれた意思。這ってでも前に進み続ける原動力。それだけがエイジを支えて今日に至らせている。

 外は夕暮れだろう。店も騒がしくなってきているのは客が入り始めたからか。仕事のメールが来たような反応を示したライドウは、だが断りを入れたようだった。

 

「そろそろ準備してもらえる?」

 

 トレーニングルームには相応しくない風貌のカリンが直々に現れるとライドウは邪悪に口元を歪める。

 

「雑魚くーん、大事なのは『盛り上がり』だからね。俺をガッカリさせないでね?」

 

 そう言ってライドウがエイジに握らせたのはインカムだ。これで指示を出すという事だろう。ライドウらしからぬ配慮に困惑しつつ、エイジは左耳に装着するとカリンの付き添いである男2人によって連行される。

 

「カリン様の指示だ。これを装着しろ」

 

 要求されたのは全身を覆い隠す金属製のフルアーマーだ。シンプルな構造でありながら堅牢であり、だがエイジには重過ぎる。むしろ鈍重になって回避すらもままならない。

 武器も固定されているらしく、与えられたのは処刑剣である。先端が平たく潰されており、刃の部分しか機能しない両手剣だ。攻撃力もせいぜいがレベル20程度で扱う代物であり、お世辞でも強力な武器ではない。まともな強化すらも施されていないとなれば、武器としても貧弱である。

 ダーインスレイヴの装備解除も命じられたが、エイジは頑なに断る。絶対に使用しないという条件の下で布に覆われて背負うことになり、エイジは処刑剣を手にして控え室での待機を命じられた。

 フルアーマーなどエリートプレイヤー候補生時代以来である。エイジの適性から防御力が高い鈍重な甲冑は適さないという理由で候補からは外されたが、視界の悪化や圧迫感はこのフルアーマーが何ら改良を施されていない、それこそNPC販売品をそのまま持ってきたかのような印象を与えた。

 その一方で歴戦の兵が使用したかのような錆や返り血に思わせる塗装、凹みが施されている。客を楽しませる為とはいえ、エイジからすれば整備不十分な防具としか思えなかった。

 

『レディース&ジェントルマーン! それでは本日のメインイベント!【処刑人】を開催します!』

 

 叫び過ぎて掠れた声を散らす司会の声が響き、エイジはスタッフに促されてフットライトしか点灯していない通路を歩く。目指すのは眩い光に満ちた空間だ。

 甲冑の金属が軋む音を鳴らしながらエイジが立ったのは、まるで鳥籠を思わす巨大な空間だった。全方位を黒い金属の檻で囲われている。檻には電撃や熱といった類は伝導していないが、檻を囲うように360度が観客席となっていた。満員である。

 観客席には様々な格好の客がいるが、2階席……あるいはVIP席と思われるガラス張りの部屋には富裕層と思われるスーツ・ドレス姿の男女が四方よりこれから始まる『ショー』を楽しみに待っているようだった。その中にはカリンの姿があった。だが、探してもライドウは何処にもいない。とはいえ、必ず見物しているはずである。

 何でもいい。プレイヤーだろうとモンスターだろうと、これで借金返済の目途が立てばいい。殺人は何もこれが初めてではない。

 エイジが周囲を見回す。足場は砂地であり、甲冑が重過ぎて移動が鈍くなるだろう。障害物として木箱などが積み上げられている。今のエイジの重量ではジャンプで木箱を乗り越えることは難しい。

 半径20メートルにも及ぶ円状のフィールド。相手がスピードタイプだった場合は危険だ。エイジは処刑剣を肩で担ぎながら対戦者の入場を待つ。

 

『前回はまさかの処刑人の敗北で幕を閉ざした! 今回の処刑人には期待したいところだ! それでは、本日のチャレンジャー達の入場だぁああああ!』

 

 チャレンジャー『達』? まさか複数を相手取るのか? 困惑したエイジを尻目に、檻の一部が開いてエイジと同様に暗闇の通路から敵対者が入場する。そして、エイジは大きく目を見開いた。

 

 

 

 これから始まる殺し合いの戦場。そこに足を踏み入ってきたのは、いずれも10歳にも満たない『子どもたち』だった。

 

 

 

 いずれもボロボロの服を纏い、手にしている武器と言えば折れた片手剣、錆びた手斧、刃毀れした短剣と貧弱な武装ばかりだ。数にして6人ほどである。

 子ども達の顔にはいずれも涙の痕跡があり、顔には恐怖が張り付いている。それもそうだろう。エイジの姿はまさしく甲冑の処刑者だ。防具も武器も貧弱な子供たちからすれば、下手なモンスターよりも遥かに恐怖の存在だろう。

 

『今回の種目は……「バトルロワイヤル」! 600秒間生き残ればチャレンジャーの勝利! 処刑者を倒せばボーナスだ! 逆に処刑者は600秒以内にチャレンジャー全員を倒さなければ敗北! ちなみに今回もタイムオーバーで処刑者が敗北した場合、デスペナ・ルーレットで処刑者の処刑方法が決定されちゃうぞ! 前回も好評だった「酸の風呂」ももちろん続投だ! はたして処刑者の運命はいかに!?』

 

「どういうことだ!?」

 

『えー? 雑魚くんの耳、だーいじょーぶー? 司会さんが教えてくれた通りじゃん。600秒以内にガキ共を殺しなよ。そうすれば、結果次第ではカリンが借金を肩代わりしてくれるってさー! まぁ、当分は働いてもらうことになるけどねー』

 

 インカムからライドウが今回の裏事情を説明し、エイジは奥歯を噛む。

 そういう事か。ならば、迷う道理はない。どちらしか生き残れないならば、エイジは子供たちを殺して生き残ることを選ぶ。

 もう人は殺している。これから何人殺そうとも変わらない。エイジはゴングの響きと共に、6人の子供たちに処刑剣を向ける。

 たとえ子どもであるとしても高レベルかもしれない。武器も見た目に反して強力かもしれない。ならば迷いなく先制攻撃を選ぶ。エイジは重たい甲冑を動かしながら、まずは折れた片手剣を持つ7、8歳の少年に襲い掛かる。

 

「……ひっ!」

 

 だが、少年は防御すらもせずに尻もちをつく。その姿にエイジは硬直し、振り上げた剣を止めてしまう。

 まるで戦いの心得がない。覚悟すらも決まっていない。余りにもひ弱な姿に困惑していれば、少年はそのまま間合い外に逃げてしまう。

 

「来るな。来るな!」

 

「助けて!」

 

「お父さん! お母さぁあああん!」

 

 子供たちはエイジが逃げて距離をとる。重たい甲冑とはいえ、彼らの動きは遅い。まるでDEXにポイントが振られていない。レベル10すらも超えていないのかもしれない。

 1人ずつ、1人ずつ、1人ずつ追いつめていけば、確実に殺すことができる。エイジの勝利は揺るがないだろう。

 

『おーっと? 処刑人、どうしたんだー!? 1人目を前にして動きを止めて見逃した! これはいわゆる獲物を前にした舌なめずりなのか!? それとも、じわじわと死の恐怖を味わわせてクッキングなのか!? この新しい処刑人のプロフィールは完全秘匿! 俺にも詳細不明だ!』

 

 司会に捲し立てられ、エイジは動揺を鎮静化させる。そうだ。相手は子どもであるとしても敵だ。殺さねば生き残れないのだ。

 ならば剣を振るえ。彼らの不運は同じ戦場に立っているからだと諦めてもらうしかない。

 次に狙いを定めたのは少女だ。赤毛の少女は子供達でも最年長だろう。先端が折れた槍を構えて、だが震えて歯を鳴らしている。

 走る。砂を蹴り分け、エイジは処刑剣を振るう。だが少女は槍の柄をガードにして堪えた。

 いいや、違う。貧弱なSTRかつまるで腰が据わっていないガードだ。エイジならば容易く潜り抜けることも、STR差で押し切ることもできた。

 何をやっている!? これは仕方のないことだ。どちらかしか生き残れないならば、エイジは迷わず自分が生きることを選ぶ。それだけではないか。

 相手が子どもだからか? 大人ならば違うのか? エイジは奥歯を噛み、処刑剣を振り上げる。

 だが、少女の姿にユナの姿が重なる。『ユナ』の幻影を見る。

 ユナならば絶対に子どもを殺さないだろう。どれだけ残酷な死が待っているとしても自分の敗北を受け入れることこそ運命に対する勝利だと胸を張るだろう。

 今殺そうとしているのは『ユナ』と同じだ。守り切れなかった『ユナ』と同じく、戦うことが出来ない弱者だ。踏み躙ることこそが強者の特権であるならば、今ここにいる『ユナ』に同じことをするというのか?

 

『ど、どうした!? 処刑人の動きが止まったぞ! これにはチャレンジャー達も動揺しているようだ!』

 

 欲したのは『力』のはずだ。ならば迷うな。迷うな。迷うな! もう歌声も聞こえないはずだろう!? この身には善性などなく、ただ憎しみだけが残っているはずだ!

 ならば、どうして振り下ろしきれない!? エイジは己に困惑する。

 と、そこで背中に衝撃が走る。少女を守るべく、手斧を持った少年が背後から襲い掛かったのだ。

 

「姉ちゃんに……手を出すな!」

 

 姉弟なのか? エイジは反撃しようとして、だが弟を守るべく突き出された槍を見る。エイジならば捌くことも躱すこともできたが、体が重い。

 甲冑のせい? 違う。心と頭と体が完全に乖離しているのだ。槍は鎧に守られていない脇に入り、エイジに深々と突き刺さる。もちろん、VITに相応のポイントが振るってあるエイジがそれで死ぬことはないが、HPが微かに減少する。

 

『ねーねー、ざーこーくーん。脳みそモシャモシャしていたキミの覚悟は何処いっちゃったのー? ガキが相手だから? どうでもいいじゃん。敵は敵。そいつらがたとえ「何の罪もないガキ」だとしても、殺さないと死んじゃうよー?』

 

 黙れ。うるさい! それくらいわかっている! エイジはスタミナを消費したわけでもないのに激しく息が上がる。

 頭痛が消えない。『何か』が剣を振るうなと押し止めている。それを必死に振り払おうとしても、子どもたちにユナと『ユナ』が重なって攻撃できない。

 

『120秒経過! チャレンジャーのボーナスタイムだ!』

 

 天井より籠が下りてくる。中身は黒い火炎壺だ。これまでは貧弱な武器だったが故にエイジのHPを削り切るには足らなかったが、多数の黒い火炎壺を投げつけられたならば別だ。

 子どもの1人が黒い火炎壺を手に取り、エイジに投げる。それは動きが鈍った彼に直撃し、大きな爆炎がHPを奪う。

 

『処刑人、痛恨のダメージ! 処刑人の甲冑はあらゆるオートヒーリングを無効化する! 回復手段もない処刑人にとって、HPの損失を補う方法はない!』

 

 そうか。僕を殺す気か。ならば容赦など要らない。自分のHPが減った分だけ思考に冷たさが戻る。

 だが、黒い火炎壺を投げた少年は、明らかな錯乱状態にあった。ただ目の前の恐怖の対象を排除しようと黒い火炎壺を投げまくる。そのほとんどはエイジに命中せず、彼の周囲の砂を巻き上げるばかりだった。

 彼らは本当に『敵』なのか? 違う。ただの死をもたらす対象に怯える子どもだ。

 貫くべきなのは何なのだ? 他の子どもたちに制止され、少年の爆撃は止まる。彼らもエイジの死を望んでいるわけではない。ただ死の恐怖を遠ざけたいだけなのだ。

 このままタイムアウトすれば、それで彼らは救われる。エイジは死ぬとしても6人の子どもが助かる。それでいいのではないのか?

 

 

 

 

 求めろ。もっと……もっと『力』を!

 

 

 

 

 エイジは処刑剣を構えて大きく踏み込み、黒い火炎壺を投げていた少年に刃を振り上げる。

 お前は攻撃した。お前がトリガーを引いたんだ。だから僕はお前たちを殺さないといけないんだ。

 これは正当防衛だ。エイジは剣を振り下ろそうとして、だがユナの幻影を見る。両腕を伸ばし、弱者を守らんとするユナのあり様に阻まれる。

 そうだ。いつだってそうだった。ユナは理不尽に立ち向かった。たとえ、それが自分に危険をもたらすとしてもだ。

 だが、弱者は踏み躙られる。強きは生き、弱きは死ぬ。それがユナの1度目の死であり、『ユナ』の惨殺という結果をもたらした理だ。

 

『どうした? 殺しなよ』

 

「分かってる! これは……これは仕方のないことだってな! 僕が……僕が生き残る為に……!」

 

『ハァ? 何を言っちゃってんの? 生き残る為? 違うでしょ。他人を殺すのに「仕方ない」も糞もない。状況と他人を言い訳にするなよ、ザーコ』

 

 彼らは敵だから。殺さないと生き残れないから。だから剣を振るうのか?

 

『殺しは殺し。どんな理由を付けたところで正当化も糞もない。弱者を踏み躙るのに理由なんてない。強者になるんだよねー?』

 

 ユナならきっと殺さない。『ユナ』ならきっと止める。彼女らは誇り高き自死を選ぶ。

 

『殺せ! 強者に至る資格を持つ弱者であると証明しろ! 自分より弱く劣る者を踏み躙れ! そうして積み重ねた屍の山こそが強者の道を開く!』

 

 震える少年の眼を浸すのは死への恐怖と生への懇願だ。

 ああ、キミはかつての僕と似ている。死の恐怖の中で生を求め続けた僕と似ている。理不尽に歯向かうことができないのも同じくらいにそっくりだ。

 仕方ない。ごめんなさい。詫びる。詫びる。詫びる。詫びる? それが本当に正しいのかと自問する。

 

『相手が弱者であろうとも、誰かを殺すのに他人と状況を言い訳にするな! お前が殺すのはお前だからだ! お前の殺意を誰にも委ねるな! お前自身で殺せ! 甘ったれた慈悲をかけるな! 誇り高い死など弱者にはない! あるのは嘲笑と忘却だけだ! 殺せ! お前自身の意思と感情で殺せ!』

 

 少年に重なる、弱き者を守ろうと庇うユナの幻に、エイジは奥歯を噛む。

 

 燃える。

 

 燃える。

 

 燃える。

 

 憎しみの炎の中で『ユナ』が燃えている。

 

 

 

 

『エイジは弱いね』

 

 

 

 

 ライドウに千切られた、自分の生首を抱えて、エイジの『無力』を嘲う。憎悪の炎の中で、もう2度と聞こえないはずの歌声で虚ろを満たすように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『状況で殺すな! 他人を言い訳にして殺すな! 自分の殺意で殺せ! 自分の殺意を他人に委ねるな! 「エイジ」!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、振り下ろした剣は少年の頭蓋を抉り裂き、絶命に至らせた。

 

 

 

 

 

 

 

「弱きは死に、強きは生きる」

 

 踏み込みからのかち上げ斬りが短剣を持った右腕ごと切断し、そのまま少年を踏みつけて喉を踏み潰す。

 折れた片手剣を振り回す少年の喉を軽く裂き、大量出血で暴れまわせた後に背中を踏みつけて後頭部に刃を振り下ろす。

 黒い火炎壺を我武者羅に投げる少年の懐に容易く入り込んで胸倉をつかんで投げ飛ばし、逆に黒い火炎壺を投げつける。爆炎の中で悲鳴が轟き、遺体は炎と衝撃によって散乱する。

 槍を持った少女は弟を守るように立ちふさがるも、突きをエイジは踏みつけて、唖然とした少女の顔面に処刑剣の平たい先端を埋める。そのまま何度も何度も振り下ろし、顔面を破壊して死に至らしめる。

 最後は姉を守るべく勇敢にエイジへと立ち向かった手斧の少年だけが残る。だが、愛する姉はもういない。その目には恐怖と憎悪で彩られ、敵としてエイジを睨みつけている。

 

「よくも……よくも姉ちゃんをぉおおおおおおおおおおおおお!」

 

 我武者羅な突撃。ああ、そうだ。弱者には感情のままに突っ込むことしかできない。

 姉を守りたいという意思。それは彼にも備わっていた。姉を愛する心も決して小さくなかったはずだ。だが、少年に心意の覚醒などはなく、故に『力』によって踏み潰される。

 エイジは一閃で少年の首を落とす。慈悲ではなく、『力』を渇望する憎悪の意思のままに剣を振るい抜く。

 

『決着ぅうううううううう! チャレンジャーに無慈悲な死を与えた処刑人に拍手を! 最初にわざと躊躇う演技をして、希望を持たせてからの殺戮! そして、姉を目の前で惨殺された弟の復讐の一撃を一蹴! とんでもないエンターテイナーだぜ!』

 

 全く見当違いの解説をする司会などどうでもいい。エイジは何か感じるものがあると血塗れの処刑剣に視線を落とす。

 だが、何も感じない。あれ程に乖離していた心と頭と体が繋ぎ合わさっていた。ずっと、ずっと、ずっと……こうなることを望んでいたかのように。

 

「素晴らしいショーだったわ。観客も大満足ね。次回もよろしく頼むわよ。これ、少ないけどファイトマネーよ」

 

 退出したエイジをカリンは上機嫌な笑みで迎える。兜を脱いだエイジは渡された封筒を開けば、額面3万コルの小切手が入っていた。

 

「借金は全額こちらで肩代わりしてあげる。ショー以外にも仕事をこなしてもらうけど、それでいいわね?」

 

「もちろんだ。こちらこそ感謝する」

 

 借金を肩代わりしてもらえる上に仕事を回して金もわずかでももらえる。しかもレベルが近い相手のPKならば、経験値もコルもたっぷり貰える。もちろん、PK時のコル・遺品は献上しないといけないかもしれないが、殺害による経験値ばかりはエイジに入るしかない。

 控え室に戻り、血塗れの重々しい甲冑を脱いで元の防具姿に戻る頃には、ライドウが満足気な表情で壁にもたれかかって腕を組んでいた。

 

「弱者を踏み躙るのは強者の権利だ。どうだい? ハマった?」

 

「別に。特段に感じるものはありませんね。歯応えがなくて不満があったくらいです」

 

「えー。そんなー。雑魚くんならきーっとドハマりすると思ったんだけどなー」

 

「だったら、次は笑って奇声を上げる演出も付け加えましょうか? その方が盛り上がるでしょうしね」

 

「……いやー。キミほどに俺を瞬時にドン引きさせられる切り返しできる奴って会った事ないわ」

 

 もっとだ。もっと強大な敵と戦わねば『力』は得られない。弱者を踏み躙る悦楽などまるで無い。エイジは子供を殺したことに対して不思議な程に罪悪感を抱いていないことに気付く。

 いいや、きっと罪の意識自体はあったのかもしれない。だが、それさえも憎悪の炎が焼き尽くしてしまっているのだろう。ただ『力』を求める為に。

 

「ライドウ、僕は強くなる。お前を必ず殺す」

 

「そうだねー。殺せるといいねー。頑張りなよ、雑魚くん♪」

 

「…………」

 

「ん? どうしたんだい?」

 

 エイジはライドウの期待の眼差しに微かな困惑を覚える。

 ライドウは『ユナ』を殺した。この手で殺さねばならない怨敵である。

 あの時、ライドウはエイジの名前を呼んだ。雑魚呼ばわりではなく、少なくとも名を呼ぶに値する個人であるとエイジを認めた。

 喜びはない。だが、この男は今まで出会った誰よりもエイジを見下す一方で、誰よりもエイジに期待を寄せている。それこそ、スレイヴ以上にエイジが『力』を得て強者に至ることを、そして自分に復讐を挑むことを欲している。

 自己破滅願望があるのではなく、純粋に己の享楽の為だけに復讐者を欲する。ライドウが強者たる所以に、エイジは好悪を超えた何かを感じずにはいられなかった。

 

「何はともあれ一石二鳥さ。雑魚くんの借金返済と修練を並列できるんだからね。ああ、もちろんエバーライフの仕事だけじゃなくて、これからも俺とのワンツーマン指導も――」

 

「一石二鳥? 違うな。一石三鳥だろう」

 

 エイジの指摘にライドウは表情を変えない。逆に言えば表情の流動性が失われる。

 エイジが分析した限り、ライドウは世間一般で評されているような戦闘狂の一面こそ持っているが、その実は利害関係を軽視しない男だ。ただし、利害の『利』の部分が歪んだ我欲に偏重しているだけである。

 私利私欲で動き、利害関係に聡い。そうでもなければ、ライドウのような人物が大ギルドの専属傭兵であるはずがない。むしろ好き勝手出来る犯罪ギルドにでも属しているはずだ。

 だからこそ、エバーライフ・コールとの繋がりはライドウという人物ならではの破天荒っぷりを示しているように見えて、違和感が泡立つのだ。

 ライドウには狙いがある。エイジをエバーライフ・コールで働かせることに何らかの目的があるのだ。

 

「根拠はあるっぽいねぇ」

 

「心証だけどな」

 

「別に何でもいいや。雑魚くんの言う通り、俺には別の狙いもあるんだよねぇ」

 

 1歩踏み込んだライドウはエイジの肩を掴み、口をそっと彼の耳元に近づけた。

 

「カリンをこ・ろ・す♪」

 

 衝撃はなかった。だが、理解しきれるものでもなかった。

 エイジが見た限りでは、ライドウとカリンには個人的な親交があるように思えた。友人関係かどうかは定かとしても良好な部類だろう。あるいは、腹の内では互いに嫌悪を抱えていたとしても表面上は取り繕うに値する関係が築かれていたはずだ。

 だが、ライドウはあれ程に親しそうだったカリンを殺すと言い切った。嘘の判別は別にしても、ライドウの意図が何処にあるのかわからない。

 

「それともう1つ。一石三鳥? 違うなぁ。全然違うなぁ! 一石四鳥さ」

 

「……そうか。何でもいいさ」

 

 ライドウの脇を抜け、エイジは帰路に着く。明日もまた『力』を求めてライドウの訓練を受け、時間さえあればレベリングに費やし、これからはエバーライフ・コールの仕事もこなさねばならない。そして、そこに潜むライドウの思惑とも戦わねばならないだろう。

 あの子供たちも借金を抱えていたのだろうか。エバーライフ・コールは最低限の『道理』は通すのだろう。ならば、あの子供たちは……まだ知識も不足していただろう幼き者たちはDBOの闇に呑まれたのだろうか。まだ庇護者も必要な年齢であるはずなのに。

 エイジは3万コルを換金してこれで何ができるかと考え、せいぜいが新たな拠点の足しにする程度だと判断する。まずは教会の影響下から抜け出さねばならない。

 

<お帰りなさい>

 

 教会に帰り、割り当てられた部屋に戻れば台所からユナが現れる。修道会の修道服を纏った姿は昼間に教会の仕事をしたからなのか。身に着けたエプロンとのミスマッチが浮き上がっていた。

 料理ができる……ということは≪料理≫スキルを獲得したのだろう。これでエイジがわざわざ食事を作る必要性もなくなった。

 

<教会の人に食材をもらったんだ。今日は私が晩御飯を作ったよ。まだ熟練度が低いから大したものは作れないけど>

 

「このニオイ……カレーか?」

 

<正解! エー君は辛くも甘くもない丁度いい味が好きだけど、ちょっと辛めになっちゃったかも>

 

 そうか。最近は自分の好みの味付けなどまるで考えたことがなかった。

 エイジは台所から漂うスパイシーな香りに、ちょっとどころではないかもしれないと判断する。水は多めに準備しておいた方がいいだろう。

 

「スレイヴは?」

 

<さっきまで一緒だったんだけど、家族の用事があるんだって。スレイヴさんは家族でDBOにログインしたの?>

 

「……スレイヴにとって家族みたいな間柄な連中ってだけだ」

 

 流民プレイヤーには血縁関係がある家族も少なからずいるようであるが、少なくとも最初期からDBOにログインしているプレイヤー達には家族などいない。DBO内で結婚や兄弟の契りを結んだ例はあるが、現実世界の家族関係を持ち込んでいる者は稀だろう。

 故にエイジはフォローしたのだが、同時にスレイヴの用事……すなわち、彼女が招集される程のレギオン側の動きがあったことに嫌な予感を募らせる。場合によってはレギオンを裏切る計画を練っているかもしれないスレイヴの粛清も十分にあり得るのだ。

 今はスレイヴを信じるしかない。彼女が帰還した時、どんな爆弾を抱えているかの方が問題である。

 

「教会の仕事は何をしたんだ?」

 

<新しく孤児院に来た子がいてね。その子たちの面倒を見ていたよ>

 

「……そうか」

 

<今度は外に出て配給を手伝うことになったんだ。エーくんも一緒にやらない?>

 

「時間があったら手伝うよ」

 

 エイジは背中を向けると着替えるべく寝室に向かう。

 ユナは子どもたちに慈悲の手を差し出し、エイジは死の刃を突きつけた。

 だから何だ? それがどうした? エイジは暗闇の寝室で頬を撫でる。かつて『ユナ』が願ったように笑おうとして、だが口角は微かとして上がらない。

 あるいは、頬に自分にも気づかぬ涙を求めたのか。エイジはどうでもいいと切り捨てる。

 弱者を踏み躙る悦楽はなかった。何も感じなかった。それは嘘なのだと邪剣ダーインスレイヴの鼓動を感じて気づく。

 

 

 殺した分だけ憎悪の炎は『力』を渇望していた。

 

 こんなもので満足するな。

 

 立ち塞がる全てを超えろ。否定しろ。踏み躙れ。

 

 

 

 着替えて食卓に戻れば、カレーを盛り付けたユナが笑顔で迎えてくれた。決して豪華ではないが、温かな食事だ。貧民プレイヤーのどれだけが欲してやまないものだろうか。

 彼女は何も知らない。エイジが罪もない子どもを、自分の意思で、自分の殺意で、殺したことを知らない。

 何処かで期待していたのかもしれなかった。彼女の笑顔が何かを感じさせるのではないかと。

 

 だが、ただ空虚に憎悪の炎の熱を感じるばかりで、何も得られるものはなかった。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

「善って何でしょうか? 悪って何でしょうか? 生きるって何でしょうか? 死ぬって何でしょうか?」

 

 雲間より差し込む月明かりは冬の空気に濡れて凍てつく中で、まるでお菓子をねだるような甘く蕩ける声音で歌うように尋ねる。

 この世の不浄の全てを取り除いたかのように澄んだ純白の髪。

 蜘蛛を思わす無機質で静謐な殺意に浸された、赤が滲んだ不可思議な黒という色合いをした見る者を狂わす瞳。

 仙郷と呼べる場所があるならば、それはまさしく天の果実たる瑞々しく愛らしい唇。

 挙動の全てが老若男女から自由意思を奪い取るかのように魅惑であり、深層の令嬢すらも野原を駆ける田舎娘と思える程に滑らかで何処か病的な透明感すらも感じさせる白い肌。

 それは天使だった。あるいは悪魔だった。もしくは天使と悪魔すらも喰らい尽くすバケモノだった。

 

「人を助けるのはきっと善。人を騙すのはきっと悪。では、騙した先に助ける意図があるならば、それは善なのでしょうか? いかなる過程を経ようとも結果で判断されるのでしょうか? あるいは最後は善と呼ばれる行為であるとしても、過程で1つでも悪を為したならば、やはりそれは悪と断じられるべきなのでしょうか?」

 

 俺は運の無い男だ。【リ・キュード】は自分の運命を呪う。

 子どもの頃からそうだった。最も成功しなければならない場面では必ず失敗した。

 運動会、受験、就職、プロポーズ……どれだけ準備を怠らなくても別の要因が絡んで失敗した。

 不思議と友人には恵まれた。まるで自分の幸運を吸い上げたかのように、友人たちはいずれも秀でた成功者となった。自分の不運に巻き込んでやろうかと暗躍したこともあったが無駄であり、何よりも友人の成功を祝う自分が何処かにいて踏み切れなかった。

 失敗続きの男の最大の失敗はDBOにログインしたことだ。たまたまネットの記事を読んで、らしくもなくVRゲームでもしてみようと散財して、結果がデスゲームの囚人である。

 生き残る為にはあらゆる手段を尽くした。だが、やはりここぞという場面で失敗し続けた。

 絶対にミスを犯してはならないトレジャーボックスの開錠。仲間の窮地におけるサポート。他にも数えたらきりがなかった。

 だが、ふと思った。ミス1つで容易く死を招くDBOにおいて、こうして今も生存しているのは運が良いとも言い換えられるのではないだろうか。

 仲間は死に、また何処かのギルドに属しても破滅を招くだけだとしてサインズに登録し、ランク無しとして慎ましく小銭を稼いだ。スキルもそこそこ揃っているので足りぬ人材が欲しい補完役としてそれなりの需要があった。

 ランク持ち傭兵など雲の上の人。自分には関係がない。そう思っていたはずなのに、今日は違った。

 今回の仕事はペットの赤石守の捜索だった。刺激を与えれば爆発する性質を持つ、鉱物系レア素材をドロップする石守の近縁種である。経験値も低ければドロップアイテムも低く、なおかつ石守に似ていることから誤って攻撃して爆発に巻き込まれるプレイヤーが多かった。

 依頼主はいわゆるモンスターコレクターだった。捕獲できる小型モンスターをペットとして収集していたのだ。金持ちの気持ちなど分からない。命の危険を脅かすモンスターを収集して何が嬉しいのだろうか。だが、リ・キュードは仕事だと割り切った。何よりも自分の生活圏にいつ爆発するかもしれぬ赤石守がいるなど堪ったものではなかった。

 捜索は容易ではなかった。終わりつつある街は広い。赤石守は乾燥した暗所を好む為に潜む場所は限られてくるが、それでも目星をピックアップするだけでも3日を費やした。こうしている間に実はターゲットが既に爆発してご臨終していた……という事も十分にあり得た。

 仕事を辞退しようと考えが巡り始めた時、偶然にも赤石守の発見に成功した。何とか専用の籠に閉じ込め、これで報酬は頂きだと思ったが、捕まえた場所が悪かった。

 犯罪ギルド……その中でも悪質な盗賊ギルドの倉庫だったのだ。ダンジョン内でプレイヤーを襲い、金品や装備を巻き上げ、最悪の場合は殺す。そんな危険集団である。しかも、リ・キュードが倉庫から抜け出す前に、仕事を終えてきたメンバーが戻ってきたのだ。

 いつ爆発するかもしれぬ赤石守が入ったケースを抱えながら、物陰でリ・キュードは息を殺した。赤石守の捕獲の為に隠密ボーナスの高い装備だったことが幸いしたのか、盗賊ギルドの≪気配察知≫スキルにも引っ掛かっていないようだった。

 だが、真に最悪だったのは突如として倉庫の照明が落ちてからだった。

 窓から差し込む月明かりの下で、盗賊ギルドのメンバーが瞬く間に半分が死んだ。何が起こったのか、リ・キュードにはまるで分からなかった。

 敢えて言うならば、それは闇の黒から浮かび上がった純白だった。

 12人もいた強盗ギルドのメンバーは半分を失い、反撃の準備をする間に更に残りの半分が死に、戦うよりも逃げることを選んだ2人の首はすでになかった。

 そして、生き残った盗賊ギルドのリーダーに純白のバケモノは問いかける。善悪と生死を問う。だが、リ・キュードにはそれが質問というよりも拷問に思えた。決して得られぬ答えを求めて苦しみをもたらすかのような、まるで無意味な拷問である。

 純白のバケモノは盗賊ギルドの耳元で何かを囁いた。リ・キュードには聞こえなかったが、まるで子どもが大人に世界の真理を問いかけているかのような残酷な無邪気さすらも感じた。同時にそれは人間からあらゆる尊厳を奪う残忍極まりない絶望をもたらしているようにも感じ取れた。

 盗賊ギルドのリーダーは発狂して暴れ狂ったが、純白のバケモノは優しく抱擁した。まるで冬の海で溺れた者を我が身で温めるかのような、聖女の如き温かさに満ちていた。

 純白のバケモノは囁き続ける。リーダーは骨抜きにされたように、リ・キュードには聞こえない小声でぼそぼそと何かを喋っているようだった。純白のバケモノはそれをレコーダーに録音すると、まるでテストを頑張った子どもを褒めるように微笑んだ。

 そして、盗賊ギルドのリーダーを殺した。自らの足下から広がる緋血より無数の血獣の顎を生み出し、全身を喰らい尽くさせた。死の恐怖の中で生を懇願していながら、盗賊ギルドのリーダーの目は何処か恍惚としているように思えた。まるで、自らの死を欲していたかのような、思わぬ羨望を抱いてしまいそうな、そんな死に方だった。

 俺は運の無い男だ。リ・キュードは自らを嗤う。目を閉じて耳を塞いでいればいいものを、心の隙間を埋めるような殺戮の『美しさ』に魅入られていた。だから、純白のバケモノと目が合ってしまった。

 いいや、違う。最初からリ・キュードがいると知っていたのだ。純白のバケモノは倉庫の戸を開けながら微笑んだ。リ・キュードの為に笑んでくれた。

 ああ、これまでの不運はこの瞬間の幸運の為にあったのだ。リ・キュードは全身に幸福感を覚えた。いかなる娼婦を抱いても得られなかった精神の絶頂すらもあった。

 翌日からリ・キュードの人生は変わった。

 視界の端で純白のバケモノを……いいや、麗しき白の御身を捉える事こそが至上の幸福となったのだ。

 もう1度だけ、もう1度だけ自分の為に微笑みかけてほしい。そればかりを願うようになっていった。

 不運と幸運はいつだって釣り合いが取れている。今までの不運はあの日の微笑みの為に幸運を蓄積していたからなのだ。

 ならば、後どれだけ不運が訪れれば、また微笑んでもらえるだろうか。それしか頭にない日々が愛おしくて、もどかして、苦しくて……絶望するのだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「なぁ、クー。さっきからアイツ、キミの事をずっと見ていないか?」

 

「この前の仕事で偶然会ったからじゃないか。まぁ、見られたところで大した仕事じゃなかったがな」

 

「それにしては熱が籠っているような……もしかして、キミに一目惚れしたんじゃないか?」

 

「悪いが、オレはおんにゃのこが好きな男子だ。男から友愛はともかく恋愛感情を向けられても真っ当に対処するつもりはない」

 

 暇だ。ラストサンクチュアリ壊滅作戦以来、入った仕事といえばキリトからの協働依頼と最近不穏な動きをしているという盗賊ギルドの壊滅くらいである。

 ラストサンクチュアリ壊滅作戦から1週間。オレに対する世間の風当たりも変化した。なんかもう目を合わせただけで殺されるとか思われているらしい。まぁ、元より仕事以外の時はエドガー仕立ての教会衣装で素性を隠しているし、生活には何ら変わりがない。

 いや、あったな。ヤツメ様が欠伸を隠さないくらいに暗殺の気配がないのだ。どうやらラストサンクチュアリ壊滅作戦は、オレに復讐心を抱いていた方々のチャレンジ精神を粉々に破砕してしまったようなのである。まったく、ガッツが足りない。復讐の為ならば命すらも捨てて挑む気概はないのか。

 対するキリトは仕事帰りだ。3大ギルド、有力ギルド、中小ギルドと満遍なく仕事が入っているようである。さすがのネームバリューか。独立傭兵はお得意様と営業活動が大事であり、オレの場合はとりあえず大ギルドの面倒臭い仕事がメインであるが、グリセルダさんも営業活動を欠かさない。なお、オレは営業を禁止されている。依頼を安請け合いしてしまうかららしい。

 他にもラストサンクチュアリの皆様は終わりつつある街で仮設キャンプ暮らしをしているものも、自立できる気配はないらしく、それどころか貧民プレイヤーからも爪弾きにされているらしい。教会剣の活動でキリトも巡回しているらしいが、溶け込めるかどうかは元ラストサンクチュアリの皆様次第だ。教会主導でラストサンクチュアリの資産を売却して均等分配するらしいが、そんな事をしたところで、デスゲーム始まって以来ずっとラストサンクチュアリの庇護下から出られなかった連中にどうにかできるとは思わない。

 キリトもそれは自覚しているはずだ。何だっけか? 貧困国には金や食料の援助よりも技術指導やインフラで自立できる余地を与えた方がいいんだったか? オレもよく知らないが、キリトも最終的には彼ら自身が己の足で進み始めるしかないと分かっているはずだ。だから、コイツにできるのはキャンプが解散されるまで元ラストサンクチュアリの皆さんが襲われないように教会剣として巡回することくらいだ。

 

「…………」

 

 それはそうとして、キリトは無言でオレに視線を送っている。

 

「何か話したいことがあるなら好きにしろ。適当に相槌でも打ってやる」

 

「キミって相変わらず俺だけには容赦ない物言いだよな」

 

 そうだろうか? まぁ、確かにそうかもしれないな。SAO時代の記憶も灼けてしまって定かではないが、口は憶えているというか、やはりこういうやり取りが多かった気がする。

 今日のサインズ本部は閑散としている。ランク持ちはいずれも仕事に出払っているからだ。シノンは太陽の狩猟団の依頼。スミスはカイザーファラオと組んでフロンティア・フィールド探索。いつもうるさい竜虎コンビもクラウドアースの依頼を受けてフロンティア・フィールドだ。他の傭兵も似たり寄ったりであるが、他にランク持ちでいるのは肉食系ガールことジュピターだけであるが、彼女も依頼で待機状態にあるだけである。

 傭兵業が繁盛するのは喜ばしいことだ。それだけ金が回る。オレみたいに報酬で豪遊しない傭兵も、その実はオレが仕事をこなすという過程と結果で多くの金が動くのだ。

 

「話したい事がある。かなりデリケートな案件なんだ。できれば2人だけで話がしたい」

 

「暇があったならな」

 

「今は暇じゃないのか?」

 

「暇を潰すのに忙しい」

 

 ラストサンクチュアリ壊滅作戦でグリムロックの鍛冶屋魂が更にランクアップしてしまったのだ。今のオレにはパラサイト・イヴ以外の装備が無い。すべてグリムロックによるオーバーホール兼改修に回されている。白夜の狩装束にも更なる改造が施される予定だ。

 どうやらグリムロックとマユは固い握手をして技術交流……もとい取引をしたらしい。キリトもオレと同じでメイデンハーツとやらのハンドガンと片手剣に切り替えられる戦いの要が欠けている状態だ。予備の片手剣を装備しているし、コイツには月蝕の聖剣があるので戦力としては問題なく機能するだろうがな。

 

「それよりもシリカはどうした? オマエらが組んでいないと気味が悪い」

 

「シリカにはシリカのやる事とやりたい事があるのさ」

 

「ふーん」

 

「まるで興味がなさそうだな」

 

「興味がない。オマエ達が何をしていようと、何を企んでいようと、何を実行しようと、オレがやるべきことは変わらない」

 

「質問したのはキミなのに理不尽だな。本当に相変わらずだ」

 

 そうだろうか? うん、そうなのだろうな。ファイルを捲りながら、オレは味のしない珈琲を口にする。もちろん読むのは物件についてだ。新たな居住場所をピックアップしたのであるが、どれも適当ではない。いっそフロンティア・フィールドに移すのもありかもしれない。

 終わりつつある街に家を持っても、いつ爆破されるか分かったものではない。終わりつつある街ではサインズの傭兵寮があるし、多少は不便でもやはり別のステージに家を持ちたいものであるが、ある程度の利便性も確保しておきたい。そうなると今後はフロンティア・フィールドの方に拠点を移すのも悪い選択肢ではない。だが、問題点としてフロンティア・フィールドとなるとこれまで以上に統治している勢力の影響を受けてしまうことか。

 まぁ、自由開拓戦線とか色々と頑張っているみたいだし、割と各勢力が入り乱れるカオスな領地もあるらしいので、情報収集に専念だな。

 

「ごめん。仕事の打ち合わせだ」

 

 システムウインドウでメールを確認したキリトは離席しようとして、まだ飲みかけのホット珈琲を一気に飲み干した。

 

「はいはい。人気者はつらいな。せいぜい稼げる時に稼いでおけ。独立傭兵は金がかかるからな」

 

「いつまでも独立でいるつもりはないさ」

 

「意外だな。独立傭兵は気楽でいいぞ。専属みたいに息が詰まらない」

 

「そうだな。でも、俺も……やらないといけない事があるからさ」

 

 ……『やらないといけない事』ね。相変わらずなのはどっちなんだか。いや、本当にそうか? 記憶がやっぱり灼けて穴だらけで確信は持てないが……まぁ、そうなんだろうな。こういう時は思い浮かんだ事が正しいのだ。

 

「キリト」

 

「ん?」

 

「適当な店を予約したら時間を連絡しろ」

 

「…………」

 

「なんだ?」

 

「いや、前々から思ってたけど、やっぱりキミってツンデ――」

 

「さっさと打ち合わせにいけ。ぶち殺すぞ」

 

 苦笑したキリトは軽い足取りでサインズ本部の奥に消えていく。何処からの依頼かは知らないが、さっさとマネージャーを見つけるべきだな。オレよりは政治も取引もできる方であるが、それでもアスナには遠く及ばないだろうし、アイツって根本的にコミュ障だし。

 ……また静かになった。暇だ。グリセルダさんは大ギルドとお仕事の調整中。ヨルコは断酒会。グリムロックはマユやヘンリクセンと技術交流……もといHENTAI技術の取引。ユウキも仕事。ほぼ全滅だな。いや、わざわざ会おうとは思わないのだが、誰も彼もが忙しい時に暇だと体がムズムズするんだよな。

 フリーボードから適当な依頼でも剥いでくるか? いやいや、さすがにランク無しの依頼を荒らすのは駄目だろう。

 ワンモアタイムに今のオレが顔を出しても業務妨害だろうし、そもそも食事の味も分からない。結論として足を運んでもな。

 教会もな。孤児院にはしばらく顔を出さない方がいいだろう。彼らも先の生中継は見てしまったはずだしな。孤児院が拡張されるらしく、人手が少々足りなくなっていると耳にしたが、エドガーなら上手く人を引き抜いてくるだろう。

 ……暇だ。まぁ、暖房が利いたサインズ本部で日向ぼっこも悪くない。なんか……こう……まったりしてくる。

 

「あの……よろしいでしょうか」

 

 耳を擽ったのは陰鬱な声音だ。今にも自殺しそうな程に疲労とストレスで押し潰されそうなオーラを感じる。

 オレに話しかけたのは、顔色が悪い黒髪の男だ。年齢は30歳半ばといったところだろう。目の下には酷い隈があり、唇もカサカサに乾いている。

 サインズの職員ではない。恰好は革装備で背中には両手剣。典型的な近接ファイターだな。素材の黒光りはイジェン鋼か。なんか知らんが、最近は市場でイジェン鋼製の武器が馬鹿売れしているらしい。お陰で聖剣騎士団は大儲けなんだとか。確かにSTR補正や基礎攻撃力の高さは素晴らしいが、あの重量が流行るとか何が原因なんだかな。アレか? 聖剣騎士団のマッチポンプだろうか?

 まぁ、何はともあれイジェン鋼製の武器はレベル80オーバーが使うものだろう。この御方は素性こそ不明であるが、レベル80以上のそれなりに腕の立つプレイヤーという事になる。まぁ、最近はいずれの大ギルドもカリキュラムを導入してレベルや装備を見繕うことも多いので一概に言えないが、コイツの革装備には大ギルド特有の統一規格がない。自分で選び抜いて、素材を集めてカスタムし続けた、熟練者特有の防具として仕上がっている。

 ……グリムロックの癖が移ったか? 防具や武器から分析し過ぎた。まぁ、相手の実力を判断する上で武器や防具は目安になる。もっとも、誰からレンタルしたり、盗品だったりという事もあるので、これまた一概に言えないんだがな。

 

「クゥリさん、申し訳ありません。お断りしたのですが、こちらの方が是非とも直接と……」

 

「いいですよ。ヘカテさんのせいじゃありません」

 

 受付カウンターから小走りでやってきたヘカテが頭を下げ、男の手を掴んで遠ざけようとする。ヘカテさんはラストサンクチュアリ壊滅作戦以降も態度を変えない貴重な人物だ。さすがはサインズ受付嬢だな。

 

「【コーンロット】さん、いい加減にしてください。何度ご依頼されても結果は同じです」

 

「で、でも、そんなはずないんです! もう1度! もう1度よく調査を……!」

 

「サインズとしてもこれ以上の依頼の続行を傭兵に通達することはできません。もしも望まれるならば、新しく依頼申請をしてください」

 

 ヘカテさんのSTRはそんなに高くないはずだ。イジェン鋼製の両手剣を装備できるプレイヤーだ。STR的にも抗おうと思えば抗える。だが、それでも背中を押されて玄関に追いやられるのは、彼が決して暴力的ではない人間だからだろう。力ではなく言葉で訴えることを是とするタイプだ。

 男はまるで縋るような目でオレを見ている。ふむ、依頼の結果に何か不満があったのだろうか? オレを見ているという事は過去の依頼に何かあったか? だが、オレの依頼は基本的に大ギルド関連だし、あの男が大ギルド所属には見えない。

 もしかして灼けた記憶の中に関連した依頼が? 実は彼とオレは知り合いなのか? だとするならば、オレが受けた依頼の結果に不満があってトラブルを抱えているのかもしれない。それならば直談判も分かる。

 ヘカテさんもクレーマーの対処というよりも何処か哀れみに近い感情を醸し出しているような気がした。しかもこの時期にわざわざオレに直で話しかけに来るとなると……やはり見過ごせないな。

 営業活動は禁じられているが、過去の依頼のフォローならばいいだろう。席を立ったオレは男を追い出そうとするヘカテさんを止める。

 

「何かお困りのご様子。傭兵として依頼結果に対する不満は無視できません。よろしければ、お話をお伺いしますが」

 

「本当ですか!?」

 

「ええ、もちろん。依頼主の期待に100パーセント応えることはできませんが、依頼結果に対して可能な限りの不満があるならば場を設けるのも傭兵の仕事の範疇です」

 

 目を見開いた男は大粒の涙を流して両膝をつく。どうやら心が壊れる寸前だったようだな。

 

「……クゥリさん、本当にいいんですか?」

 

「二言はありません」

 

「でも、クゥリさんに全く関係ない案件ですよ?」

 

 WHAT!? え!? そうなの!? だったら、何でこの人……オレに話しかけてきたの!? ねぇ、何でなの!?

 

「二言は……ありません」

 

 だ、だが……だが! 傭兵として……いいや、狩人として約束を守らないなどあってはならない!

 

「グリセルダさんに連絡いれておきますからね?」

 

「……はい」

 

 うわぁい。絶対に鬼セルダさんの登場確定だぁ。やったぁ。

 ヘカテさんに通された応接室で、男は藁にも縋るような目でオレを見ている。うーん、今のオレに何を期待しているのかは不明だが、絶対にまともな精神状態じゃないな。

 

「コーンロットさん……でよろしいでしょうか?」

 

「はい。僕はギルド【グルメ・クルセイダーズ】のメンバーで、今はリーダーの代理を務めています」

 

「つまりは副リーダーさんですか?」

 

「いいえ。副リーダーが……その……色々とありまして長らく空席なんです。それで僕が代理で副リーダーを」

 

 代理リーダーをしている代理副リーダー……か。ややこしいな。それよりも何かエンジョイ勢の香りがするギルド名が気になる。

 

「僕たちのギルドはいわゆるモンスターを狩って食材を集めて美味しく調理しようって目的のギルドなんです。最近はプレイヤー経営のレストランとかにも卸していて、ははは。お陰で懐はそこそこ温かいんですけどね」

 

 なるほどな。まぁ、人の数だけ道はある。攻略は大ギルドが音頭を取っているし、わざわざ自分たちが頑張らなくてもいい。ましてや、『帰還』する必要がない肉体無しプレイヤーならば、攻略後もどうなるかわからないのだから、今を自分たちの望むままに生きるのも悪くない選択なのだろう。

 

「いわゆる狩猟ギルドですか。楽しそうですね。美味しいものを食べる為なら毎日を頑張れるでしょう?」

 

「はい。この世界はとても残酷ですが、一方で多くの発見と冒険に満ち溢れています。食もその1つ。僕たちはとにかく自分たちの食べたいものを食べる為に、未知なる食に出会う為に、今日まで生きてきました」

 

「……『幸せ』ですか?」

 

「はい、幸せでした」

 

 過去形か。珈琲を……いいや、コーンロットを落ち着かせる為か、ハーブティを運んできたヘカテさんも同情を隠せない様子だった。どうやら、彼らはギルドの目的とは違って大きな悲劇が生じたようだ。

 まぁ、モンスターを狩るのだ。逆に狩られることもあるだろう。食を求めるならば、自らもまた食卓に並ぶ危険もある。それが大自然の掟だ。

 

「僕たちのギルドのリーダーの【レモン=レモネー】は、いわゆる大食いで、体重変動アップデートが来たら絶対に肥満になるぞって言われていたくらいに、気持ちいいくらいに美味しく食べて……」

 

「亡くなられたんですか?」

 

「……分かりません」

 

「分からない?」

 

 アノールロンド以降、死亡プレイヤーの確認は黒鉄宮で検索できなくなった。だから生死を確認する方法は限られる。また、目の前で死亡しても心理的に認めることができず、行方不明だと言い張る者もいないわけではない。

 だが、オレが想像しているような話の流れではないらしいな。

 

「レモネーさんは行方不明なんです」

 

「それはつまりダンジョンに取り残されて、遺品回収もできていない……という事ですか?」

 

「いいえ。レモネーさんが失踪したのは終わりつつある街なんです」

 

 ヘカテさんの補足のお陰でようやくオレは思い込みを修正することができた。

 当時の依頼資料だろう。ファイルを渡されたオレはヘカテさんの無言の了承を得た上で開く。さすがに依頼を引き受けた傭兵の名前は伏せられているな。

 これが失踪したレモネーか。年頃は20代後半。涼しげな顔立ちをした女性だ。健康的な小麦色の肌をしており、如何にもアウトドア系である。写真のチョイスかもしれないが、化粧も控えめであり、それが逆に彼女の魅力を引き上げていた。

 

「サインズはグルメ・クルセイダーズの代表者コーンロットさんからレモネーさんの捜索依頼を受理しました。担当した傭兵は1週間に及ぶ調査を行い、彼女の武器である片手剣を盗品市場で発見。彼女の『遺品』として提出。依頼完了申請をし、これをサインズも受理し、コーンロットさんに通達しました」

 

「盗品市場ですか」

 

 DBOのアンダーグランドの1つであり、あらゆる盗品が流れ着く場所だ。秩序を謳う大ギルドもおいそれと手出しできないのは、盗品市場に複数の犯罪ギルドが絡んでいるからだ。その中には娼館、賭場、酒場など娯楽を提供しているものもあり、また貧民街の実質的な支配者でもある。彼らと持ちつ持たれつの関係を築かねばバランスは崩れる。貧民街が制御不能になれば、大ギルドとしても大きな損失と攻略後退を余儀なくされるのだ。

 まぁ、何事も光があるからこそ闇があるのだ。闇を消そうとするならば、闇を生み出す遮蔽物の破壊と全てをあまねく照らす光の強さを手に入れねばならない。そして、どちらも今の大ギルドには不可能だ。いや、たとえこの先も得ることはないだろう。闇がない世界は光がない。光の意義と価値が失われるのだから。これは現実世界だろうと変わらない理屈だ。

 

「しかし、よく見つけられましたね」

 

「レモネーは片手剣にいつもレモンのマークを彫り込んでいたんです。武器は相棒だからって……」

 

 なるほどな。盗品市場で回収された片手剣には確かにレモンのマークが彫り込まれている。目星さえつけば後は簡単だ。彼の剣を見ればわかる通り、個々人に合わせてカスタムしているようだし、片手剣の強化・改造のログに鍛冶屋がサインを残していたならば確定だ。

 武器は生命線だ。この片手剣が彼女の失踪時のメインウェポンであったならば、盗品市場に流出したのは彼女が武器を廃棄した、売却した、あるいは遺品としてドロップしたのいずれかになる。廃棄と売却の線は薄いだろう。ならば、やはり遺品の線が最も濃いか。仮に前者であったならば、そもそも失踪自体していないはずだ。

 資料を見る限り、どうやらレモネーさんはグルメ・クルセイダーズの皆さんと馴染みの店に食材を卸しに行った帰りだったようだ。金勘定を預かっていたコーンロットはレモネーさんと別れて銀行に直行している。依頼を受けた傭兵は、コーンロットの狂言かもしれないと銀行にも裏取りしているようだ。彼の証言に間違いはない。

 レモネーさんは同じギルドメンバーである【ポテトフライド】と一緒に市場を散策。どうやら夕飯の買い込みだったようだ。同行していたポテトフライドの証言によれば、市場で教会の募金活動を見て、レモネーが募金を申し出て離れた。その後、彼女は失踪している。当時の募金活動を行っていた修道会の関係者は、彼女と思われる人物と接触したかもしれないが、記憶も曖昧で定かではないということだ。まぁ、いくら募金してくれたからといって顔を確実に憶えているはずもないしな。だが、見たかもしれないという発言も残している。うん、やっぱり曖昧だ。

 

「ほんの数分の出来事だったそうなんです。僕たちも何が何だかわからなくて……」

 

「サインズとしてもレモネーさんの死亡を確定づける証拠を提示できたわけではありませんが、『遺品』としては十分であると判断しました。これ以上の傭兵への依頼続行は捜索継続費用が発生する旨を通達し、コーンロットさんは続行を希望されたのですが、他の方々が……」

 

「ギルドはもう解散寸前です。ポテトフライドなんて気に病んで、今にも自殺してしまいそうで……僕……どうしたらいいのか……!」

 

「事情は分かりました。では、コーンロットさんがレモネーさんの死亡を認められない根拠をお聞かせ願えますか?」

 

 この男は感情的に反応して暴走する前に、まず頭の中で理性的に物事を分析できるタイプのようだ。だからこそ、今ここで感情をギリギリで抑えながらもオレに話をしている。ならば、相応の根拠があったからこそ、レモネーが今も生きている……行方不明であると言い張っているはずだ。

 

「まず1つ目として、レモネーさんには失踪する理由がありません。ギルドは上手くいってましたし、人間関係も良好でした。そりゃ、ちょっと前にカレシに振られてましたけど、もう立ち直っていたみたいです」

 

「ですが、人間は笑顔の裏で何を抱えているかわかりません。アナタ達には言えない秘密があったとも考えられます」

 

「仰られる通りです。2つ目としてレモネーはレベル91だったことです。僕たちのギルドでも最も腕が立ちます。レア装備は持っていませんでしたが、基本に忠実な戦い方で多くの難敵を倒してきました。時にはダンジョンで盗賊ギルドに襲われた時も、たとえ3人がかかりでも撃退できた程です」

 

「なるほど。『自発的失踪』を否定した場合、彼女は多くの人目がある場所で、誰にも気づかれることなく拉致されたことになりますね。ですが、彼女にそんな真似をするなど現実的ではない」

 

「はい。3つ目ですが、ポテトフライドは≪朋友探知≫を持っていて、彼女の姿が見えない事に焦ってスキルを発動させたんです。そしたら、彼女の反応が映って……でも、突然消えたんです」

 

「消えた? スキルの範囲外に出たということですか?」

 

「いいえ。まだ効果範囲内だったそうです。でも、彼女に反応して動いていたんですけど、突如として消えたんです」

 

 スキル≪朋友探知≫はフレンドリストに入っているプレイヤーの位置を特定するものだ。効果範囲外でもざっくりとした方角が分かる。黒霧の塔でも≪朋友探知≫のお陰でミスティア達が最深部にいることが分かったらしい。

 だが、≪朋友探知≫の反応が消えた? もしかして殺されたら≪朋友探知≫の対象外になるのだろうか? ヘカテさんに視線を向ければ首を横に振った。

 

「≪朋友探知≫は『遺体』にも効果があります。このスキルを頼りにして遺品回収を行うプレイヤーも少なくありません」

 

「なるほど。ちなみに反応が消えたと仰られましたが、方角は如何でしたか?」

 

「それも消えました」

 

「そうですか。確かに妙ですね」

 

 確かに遺品を提出されたからと言って『はい、亡くなりました』と納得できるものではないな。生存している保証はないが、事件性を考慮すれば、遺品提出だけで捜索依頼を完了したとは言い難くなった。

 サインズも判断に苦慮したのだろう。正直に言ってこの仕事は『小さい』。傭兵の数も有限なのだ。完了したと1度判断した依頼の再調査など引き受けていられない。それこそ、新たに依頼をお願いするところであるが、どうやら事件が起きてから日数が経過してしまっているようだ。これでは遺体すら残っていないだろう。

 

「教会剣に連絡されましたか? 大ギルドには?」

 

「クゥリさん、DBOでは1日に多くの人が亡くなり、また遺体も発見されないまま『行方不明』扱いになっています。たとえ、事件性を訴えたとしても……」

 

「まともに取り合ってもらえるはずがない、ですか」

 

 まぁ、警察も失踪したと駆け込まれても一々対処しているわけにもいかないしな。ましてや、DBOには公的治安維持機関が存在しない。大ギルドの巡回警備もあくまで秩序の担い手としてのポーズに過ぎないし、教会剣にしても人手がまるで足りない。ましてや、終わりつつある街はダンジョン以上の魔窟だ。表と裏でまるで社会が異なる。

 さて、では最後の質問をするべきだろう。項垂れるコーンロットに、オレは真っ直ぐに目を向ける。

 

「では、どうしてオレに? オレが依頼を引き受けたわけではありません。それなのに何故?」

 

「……えーと」

 

「どうかされましたか?」

 

「……その、えと……ランク持ち傭兵で手が空いているのは……アナタしかいないと、そちらの受付嬢に聞いて……」

 

「…………」

 

 うん、まぁ……事実だよね。オレはヘカテさんへと微笑みを向ける。彼女は全力で顔を背けた。

 

「い、いえ……クゥリさん以外のランク持ち傭兵は仕事いっぱいでしばらく空きがないって言えば、さすがに諦めるかな……って思って……」

 

「そうですか」

 

 事実ではあるか。コーンロットからすれば、適当な仕事をしかねないランク無しよりもランクというある種の『責任』を持つ傭兵に任せたいという事なのだろう。

 

「……オレは傭兵です。サインズが受理していない依頼は引き受けられません。だから、再度の依頼申請をお願いします。緊急ではなく、通常依頼で結構です。ご安心を。先行して調査を――」

 

「待ったぁああああああああああああ!」

 

 オレがコーンロットと握手をしようとした時、応接室を蹴破って現れたのは……鬼セルダさんだった。

 

「何を勝手に依頼を引き受けようとしているの!? しばらくはこっちで依頼をコントロールするって言ったでしょ!?」

 

「ですが、確かに今回の件は依頼内容に対して十分な調査が行われたとは言い難いですし、後々の信用失墜を防ぐためにも――」

 

「少し黙りなさい。貸して!」

 

 オレからファイルを奪ったグリセルダさんは高速で捲り、眉間に皺を寄せる。折角の美人が台無しだ。

 

「そもそもアナタが引き受けた依頼ではないでしょ!? 再調査なら引き受けた奴にさせなさい!」

 

「ですが、今はオレ以外の傭兵に空きがないみたいですし」

 

「……あぁあああああああ!? もう! 貴方は何なの!? 普段はぼーっとしていて! 我関せずのくせして! どうして、頼まれたら厄介事でも何でもホイホイ引き受けちゃうの!?」

 

 頭を抱えて絶叫するグリセルダさんに、ヘカテさんもコーンロットも唖然としているようだった。

 そして、突如としてグリセルダさんの首が180度回転したのではないかと思う勢いでコーンロットに顔を向ける。

 

「で、幾ら出すの?」

 

「え?」

 

「ランク42とはいえ【渡り鳥】を雇うのよ。今1番近寄りたくない傭兵暫定1位の【渡り鳥】を雇うのよ? 依頼内容を見る限り、最低でも50万コルは積んでもらわないとお話にならないわ。完全前払い。依頼結果による減収無し。それと調査期間は3日。延長一切無し。あと、改めて依頼内容を説明はしてもらうわ。内容次第では断るし、依頼報酬の上乗せも検討させてもらうわね」

 

「グリセルダさん、それはさすがに……」

 

「貴方は黙りなさい! 報酬調整はマネージャーの仕事!」

 

「は、はい!」

 

 グリセルダさんの鬼気迫る表情に、コーンロットは生唾を飲み、だが真剣な眼差しで見据える。

 

「60万コルお支払いします。その代わり、調査期間の延長をお願いしたい!」

 

「たった10万コルで? せいぜい1日延びる程度ね」

 

「では80万コル! それで1週間は如何ですか!?」

 

「舐めてるの?」

 

「で、では……90万!」

 

「グリセルダさん、サインズとしても依頼報酬には適正な――」

 

「その適正基準、ウチの傭兵にどれだけまともに適応されたか、記録を持ってこれるものなら持ってきてみなさい」

 

「……ひゃい。ごめんにゃひゃい」

 

 鬼セルダさん、視線だけでヘカテさんを泣かした!? つ、強い! 強過ぎる!

 再びコーンロットに説明を求めたグリセルダさんはじっくりと、一言一句とした聞き漏らすまいと真剣な表情だった。

 

「如何でしょうか?」

 

「そうね。まぁ、確かに資料と貴方の説明の限りだと再調査を希望するのも致し方ないわ。でもね、こんな依頼をわざわざウチの傭兵に――」

 

 

 

 

 

 

 

「面倒事なら手を貸すぞ、クー?」

 

 

 

 

 

 

 と、そこに蹴破られたドアにもたれかかっていたのは、話は全て聞かせてもらったと言わんばかりのキリトだ。

 

「確かに奇妙な点が多いな。盗品市場で遺品が発見されたってあるけど、そもそも売り込まれた時期や売却者についての調査が不足して……ぐほぉおおおおおおおおおお!?」

 

 ファイルを手に取って内容を確認したキリトの発言を潰したのは、グリセルダさんの右ストレートだった。

 あ、あのキリトが……キリトが反応できなかった……だと!? 空中18連スピンを決めて応接室外の廊下の壁に激突したキリトはピクピクと痙攣していた。

 

「どうも初めまして、グリセルダよ。旦那が色々と迷惑をかけたみたいでごめんなさいね? でも、それはそれとして、貴方には1発ぶち込んでおかないと気が済まなかったのよ」

 

「そ、そうか。気は……済んだか?」

 

「いいえ、全然。だから、今から貴方に『これ』を打ち込んでいいかしら?」

 

 グリムロック謹製ヒートパイル……興干・改! 相手の『内部』で微細振動する設計によって、主にグリムロックの悶絶が当社比で30パーセント増量したというアレか!?

 さすがのキリトも身の危険を感じたのか、思わず身構えたのでオレはすかさず間に入る。

 

「グリセルダさん! とりあえず落ち着いてください!」

 

 というか、グリセルダさんとキリトに何か因縁ってあったのか? 旦那……グリムロックもキリトと何か因縁があったっけ? オレの記憶が灼けているだけか? それとも単に知らないだけだろうか。

 オレの顔を見てグリセルダさんは冷静さを取り戻したのか、深呼吸をする。

 

「そうね。言いがかりはよくないわ。貴方に罪はない。でも……」

 

 グリセルダさんの眼光に、キリトは何か感じるものがあったようだ。ふむ、この2人には何かあったんだろうな。

 

「1発は1発。殴りなさい」

 

「いいや、貴女が言いたいことは……なんとなく分かってるさ。だから甘んじて受け入れる」

 

「そう。でも、私の気が済まないわ」

 

「だったら、今回の件に俺も噛ませてくれ。それでいいさ」

 

 え? 何? 殴り飛ばして、お尻ピンチで、急に理解しあったみたいな顔を2人してするって……何? 何なの? オレだけ置いてきぼりなんですけど!?

 とりあえず応接室に全員が再び入って、今度はちゃんとドアを閉める。うん、開けたら閉める。大事だよね。

 

「サインズとしてもこの依頼については難しい判断を下しました。確かに不審点も多く残っています。そこでですが、表面上はコーンロットさんからの捜索依頼の再申請として受理し、報酬面に関してはサインズからの調査依頼という形式は如何でしょうか?」

 

「なるほどね。サインズとしても『依頼を達成したと思ったら不備がありました』なんてミスは避けたいものね。成功と失敗。それを明確に線引きするのもサインズの業務よね」

 

「はい、上の方には私から話を通しておきます。レモネーさんの失踪……捜索依頼の調査をクゥリさんとキリトさんにはお願いできないでしょうか?」

 

「俺は構わない。そっちは?」

 

「サインズが『適正』な報酬を準備してくれるなら文句はないわ。どうせ仕事はしばらく来そうにないしね」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 頭を下げるコーンロットはダムが決壊したように大泣きした。30歳過ぎの男の号泣には、さすがのキリトやグリセルダさんも動揺し、2人して彼の肩を撫でて宥めた。鬼セルダさんとか思っちゃってるけど、やはり根は優しくて、きっと『良い人』なのだ。オレが好き勝手し過ぎているせいで言葉も荒くなってしまったならば、やはり反省しないといけないな。

 グリセルダさんとヘカテさんはコーンロットと詳しい打ち合わせをするらしく、オレとキリトだけ応接室から退室した。

 

「……いいのか? オマエ、仕事が入ったんだろ?」

 

「先の話だよ。今日明日じゃない」

 

「でも、他の仕事が入るだろ」

 

「キャンセルするさ。仕事をブッキングさせるなんて初歩的なミスは犯さない」

 

「報酬も期待できないぞ」

 

「『どんな報酬だろうと依頼を引き受けたなら手を抜かないのが傭兵』……だろ?」

 

「誰の言葉だ?」

 

「忘れたのか? キミのさ」

 

「……そうか。物好きだな」

 

「面倒嫌いのくせに世話好きという矛盾した独立傭兵を、同じ独立傭兵として放っておけないだけさ」

 

 ……勝手にしろ。キリトの笑みに、オレは溜め息で返す。まったく、本当に相変わらずなのはどっちなんだか。

 

「それで? キミはどう思う?」

 

「そう言うオマエは?」

 

「≪朋友探知≫から反応が消えたトリックについても心当たりがある。もしもビンゴなら、デカい事件に発展するかもしれないな」

 

 この手の鋭さは相変わらずか。まぁ、頭脳労働はオレの担当ではないし、とりあえずはトリックを暴くのはキリトに任せるか。

 

「大物を釣り上げて報酬上乗せが狙いか。汚いな」

 

「そんな意図はないさ。デカい仕事ってことは……それだけ事件性が高いってことでもあるだろ? 多くの犠牲が出ている裏付けだ」

 

「正義感で動くのか?」

 

「違うよ。俺が正義を語ることなんて……できるはずがない。でも、レベル91……高レベルプレイヤーすらも犠牲になっているなら、俺の知っている人も……大切な人たちも巻き込まれるかもしれない。だから、その前に真相を暴く」

 

「……オマエ、傭兵に向いてないな」

 

「自覚はあるさ。それに、理由はそればかりじゃない。まぁ、キミには内緒かな?」

 

 オマエは自分の心情を優先する。だから、きっと依頼を失敗するとしても、自分が望まぬ結末ならば、きっと迷わず『傭兵』であることを捨てて選択できるのだろう。

 それは気分屋のライドウに似ている。アイツも依頼の成否に頓着しないらしいからな。キリトも根本は同じだ。

 撃つことを求められた時に撃たず、斬らないでいい相手を斬る。キリトはそれができる。

 少しだけ羨ましいよ。依頼はオレが『オレ』として戦場に立つ為に不可欠なものだから。依頼主を裏切った時、オレは自分の殺意を止められなくなる。殺すと殺さないの線引きができなくなる。

 まぁ、今まで解釈を変えたり拡大したりで対処してきたことも多いが、それでもオレの基本は変わらない。

 もしも、キリトが『殺さない』という判断をした時、オレが依頼に則って『殺す』ことを選んだならば、コイツはどうするのだろうか? オレに剣を向けるのだろうか? 少しだけ興味はあるが……何にしても本気の殺し合いにはならないだろうな。

 ああ、惜しい真似をした。やはり白の都で殺しきっておくべきだった。そうすれば、しばらくは飢餓も癒されていたかもしれないのに。

 

「それで? どう動くんだ?」

 

「オマエが訊くのか? トリックは暴いたんだろ」

 

「心当たりがあるだけさ。それよりも、まずはクーの初動が知りたいな」

 

「『いつも通り』だ」

 

「なるほど、『いつも通り』ね」

 

 オレとキリトは並んでサインズ本部の玄関を潜り、凍える12月の空気に満ちた屋外にて冷風に煽られる。

 キリトの黒髪が靡き、オレはこうして彼と依頼を共にできる日に何か感じるものがあった。でも、それは何処か欠落していて……理解しようとしてもよく分からなくて……自分の人間性がどれだけ削れてしまったのかを自覚する。

 

「ところで、オマエとの記念すべき最初の協働依頼が浮気調停だったのは絶対に許さないからな」

 

「いやぁ、俺もまさかあんな依頼が来るなんてさ。独立傭兵の依頼って本当に幅が広いんだな!」

 

「普通はサインズ側で落とすだろ。何でオマエのところまで届いてるんだよ」

 

「うーん、忙しかったんじゃないか?」

 

「そっかぁ。忙しかったなら仕方ないな」

 

 12月。世間はクリスマスに期待を寄せる。

 だが、DBOは昨日も、今日も、きっと明日も、血生臭さと、悪意と、狂気が決して抜け落ちない。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 コーンロットも依頼の申請を済ませてサインズ本部を後にし、応接室にはグリセルダだけが残っていた。

 

「グルメ・クルセイダーズのサインズによる内偵を希望するわ」

 

「お言葉ですが、サインズもランク持ち傭兵に回す仕事ともなれば、最低限の内偵は済ませてあります。グルメ・クルセイダーズは白ですよ。裏で大ギルドと繋がっているケースは十分にあり得ますが、それは珍しくもありませんし、少なくともサインズは依頼を受理する上で問題はないと判断する基準には到達していました」

 

「それは依頼をした、レモネーさんが失踪した当時でしょう? 失踪から時間も経っているし、何よりも怪し過ぎるわ」

 

 お茶の片づけをしていたヘカテは、ファイルを捲るグリセルダにまだ若干の怯えを残しながらも、彼女の訴える疑念に眉を顰める。

 

「職業病ね。貴女はサインズ……傭兵という『まともじゃない連中』と日常的に接しているから感覚が麻痺しているかもしれないけど、今のクゥリくんの評判は酷いものよ。溺れる者は藁をもつかむと言うけど、今のクゥリくんをわざわざ選択肢に挙げるなんて、まともな精神状態ではありえないわ」

 

「コーンロットさんは随分と思いつめていたようですし、『まとも』ではなかったのでは?」

 

「そうね。確かに精神的に疲弊していたのは間違いないわ。でも、彼は理性的な判断力をまだ残している。たとえ、他の傭兵という選択肢がないとしても、最悪の中の最悪を消去法で選ぶなんてあり得るかしら?」

 

 自分がマネジメントをする傭兵をここまで貶した発言ができるのも驚きであるが、グリセルダの言わんとすることはヘカテにも理解が出来た。

 傭兵たちは良くも悪くも我が道を行く者ばかりだ。ギルドなどの組織に属することができなかった、能力はあっても人格・性格・精神に何らかの問題を抱えた者達なのだ。そうでもなければ、傭兵業から早々に足を洗うだろう。そういう意味では、ランク持ち傭兵という『傭兵』と名乗れる者たちの最後の試金石としてグローリーは重宝するに値する人物なのかもしれない。

 

「彼には最初から『【渡り鳥】に依頼をする』という選択肢があったことになるわ。クゥリくんを狙い撃ちにしたものかどうかはまだ判別できないけど、少なくとも内偵するに値する案件ね」

 

「……それだけの理由で上に内偵の再申請をするのは難しそうですね。そうでなくとも、今回の件はサインズの信用問題にも少なからず関わってきますし」

 

 何よりも内偵を子飼いにやらせるにしても不足しているのだ。

 ラストサンクチュアリ壊滅事件を契機に各勢力は大きく動き出した。お陰で大繁盛であるが、依頼内容や依頼主を内偵しようにも人員が足りないのだ。

 情報は信頼か信用、あるいは両方を兼ね備えた人物でなければ取り扱えない。お抱えの情報屋にしても手一杯であり、とてもではないがグルメ・クルセイダーズの調査に回せる人員は残っていないのだ。

 いっそランク無し傭兵を使うのも1つの手である。サインズからの直々の依頼はランク持ち傭兵になる近道でもある。野心あるランク無しならば喜んで引き受けるだろう。だが、サインズにも面子がある。今回のようなケースをランク無し傭兵に仕事として回すとは思えなかった。

 

「使えない連中ね」

 

 大げさと思える程に溜め息を吐いたグリセルダはソファにもたれかかる。傭兵のマネージャーともなれば癖のある人物も多いが、グリセルダ程にサインズや大ギルドに気後れしない人物は稀だった。

 

「まぁ、保険はかけたし、こちらでも手を打っておくわ。場合によってはサインズ上層部以外にも恩を売れそうね」

 

「『保険』?」

 

「あら、受付嬢なのに鈍いわね。『開けたら閉める』はマナーの基本よ?」

 

「……呆れました。キリトさんの参入は仕込みだったんですか?」

 

 グリセルダが殴りつけたインパクトで薄れていたが、確かに応接室のドアを蹴破ったとはいえ、グリセルダが依頼内容を漏洩するようなミスを犯すとは思えない。あの場でキリトが登場したのも事前に口裏合わせをしていたからだろう。

 

「一体いつからそんなに仲がよろしかったんですか?」

 

「……殴りつけたのは我慢ならなかった本心よ。彼のアドリブに救われたのも事実ね。それはそれとして、クゥリ君が何かに巻き込まれたとなったら『ろくでもない事』なのは確定している。だったら、最善の布石をするのは当然よ。それに、先に協働を提案してきたのはあらら側よ。望んで首を突っ込んでくれるなら利用するのに心も財布も痛まないわ」

 

 実感が籠っている。クゥリの担当であるヘカテも同意見であるが、あまりにも哀れである。そして、キリトが協働するように誘導もまた抜かりなく行われたに違いない。

 この様子だとクゥリには内密に、グリセルダはキリトに接触を図っていたのだろう。そして、今回の事件におけるリカバリー要員として瞬時に組ませたのだ。

 いや、あるいは別の狙いもあるのかもしれない。何にしても、グリセルダは大ギルドの上層部……伏魔殿に住まう魑魅魍魎と同じ類のものを腹に住まわせているのは違いないだろう。彼女がクゥリのマネジメントをすることは、大ギルドにとっても想像以上に厄介なのかもしれないとヘカテは彼女の評価を改めた。

 

「分かりました。個人的な伝手にはなりますが、グルメ・クルセイダースに探りを入れてみましょう」

 

「先に言っておくけど、こっちは1コルも支払わないわよ?」

 

「ご安心を。経費で下ろしますから。上には文句を言われても切り返せるカードも幾らかありますしね」

 

「前言撤回するわ。あなた達受付嬢はサインズでも最古参。人脈も含めて一筋縄ではいかないのも当然ね」

 

 褒めても結果くらいしか出すものはない。ヘカテは今回の事件が大きく発展しないことを願う。不謹慎ではあるが、いっそのことレモネーの死の確定で済めば、どれだけ平和に済むだろうかと嘆息した。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 これから始まるのは戦争? いいや、終焉にして創世であると見た者は死を直感して頭を垂らすだろう。

 何処とも知れぬ荒野にて、空を支配するのは闇。だが、煌々と輝くのは巨大な月。決して地平線から朝日が昇らぬことだけは真理として刻まれていると訪れた者に理解させる、終わらぬ夜がそこにある。

 戦列の如く並ぶはレギオンと呼ばれ、プレイヤーに怨敵として恐れられる怪物たち。怪物たちの前に立つは真逆……麗しき乙女たちだ。

 青黒いショートカットの髪と露出性がないパンツスタイルのスーツ姿が逆に煽情的に映えさせるのは、王の【誠実】の因子を受け継ぐ者、レヴァーティン。

 日焼けしたかのように小麦色の肌をした、10歳前後のような幼い外見に相応しいオーバーオール姿の少女は、王の【好奇】の因子を賜った者、ミョルニル。

 まさしく可憐とは彼女の為にあるといわんばかりの美貌を穏やかな微笑みで飾り、常に色合いが変化する虹色の髪は耳のように跳ねた癖毛が絶えることなく動くは、王の【慈悲】の因子を授かった者、グングニル。

 ショートパンツとキャミソールにレザーコートを組み合わせた、およそ戦場に相応しくない格好をする返り血を浴びたような赤黒い髪をした娘は、王の【敬愛】の因子を与えられし者、ギャラルホルン。

 濁った金髪と痩躯はまさしく死を前にした病人の如く、だがその眼光だけは自らの運命に刃を突きつけんとする気迫に満ちた女は、王の【憎悪】の因子を抱いた者、ダーインスレイヴ。

 レギオン姉妹達よりも更に1歩前に立つのは、漆黒の肌と純白の髪、多重円の赤の瞳を持つ魔性にしてレギオンの母、マザーレギオン。

 そして、レギオンと組しても配下であらずとばかりにマザーレギオンと肩を並べるのは、やはり尋常ならざる者達である。

 存在そのものが災害に等しく、偉大なる光の王とは武力だけならば並んだとされる名を簒奪された雷神にして武神、無名。そして、彼の相棒である嵐の竜。

 罪の都の民に祭り上げられ、人々の声に心がなくとも自らの運命を受け入れて『玉座』に至り、今再び守りの大盾を取り戻した巨人、ヨーム。

 網目状の果実の如き頭部に潜ませるのは無数の目玉、巨体に似合わぬ骨だけのような痩身より伸びるは多腕、まさしく異形と呼ばれるに相応しき者、アメンドーズ。

 皺だらけの老躯でありながら、溢れ出るは歴戦を潜り抜けた強者にして、今もまた欠片と衰えていないと知らしめる、かつては管理者と呼ばれた翁、月輪。

 黒き衣の集団を率いるのは特徴的な2本の角を持つ黒兜の騎士であり、得物となる暗殺に適した2本のショーテルを持つ、死の沈黙をもたらす影、ユルト。

 全身をカラスのような黒羽のローブで纏い、だがフードの奥にあるのは完全なる闇たる多腕に銀の刃を持つ異形、メルゴーの乳母。

 そして、レギオンと偉大なる者達に埋もれることなく、自己主張し続けるのは3人の人間。

 鉄の城で犯罪王として名を挙げ、『天敵』を求め続ける思想家、PoH。

 死という娯楽を忘れることができず、現実世界に戻ってもデスゲームを欲し続けた凶弾、デス・ガン。

 自分は場違いなので是が非でもこの場から逃げ出したい涙と鼻水塗れの顔でありながら、それでも逃亡すれば今度こそ未来がないと唇を噛んで堪えるは、ロザリア。

 群体にして最強の個体を頂く種族たるレギオン。その狂気に負けぬ一騎当千。そして、人でありながらレギオン達と共に歩むことを選んだ者達。彼らが揃い踏めば、まさしく戦争は蹂躙と虐殺に変じるだろう。

 だが、相対するのもまた歪んだ存在であった。

 最前列に立つのは、黒いドレスを纏った麗しき金髪の女。管理者にして人の『渇望』を観測するMHCP、デュナシャンドラである。彼女の背後に並ぶのは禍々しき騎士団だった。

 いずれも髑髏の仮面をつけた……いいや、もはや鎧と共に肉と一体化しているのだろう。その姿はまさしく四人の公王と共に闇に堕ちたソウルを奪う者、小ロンドのダークレイスである。

 シルクハットと共に被るは笑みが張り付いた仮面であり、大型のスナイパークロスボウを持つは胸に1輪の赤薔薇の飾りがついたチェスターコートの男、素晴らしいチェスター。

 

「ごきげんよう、レギオンの女王」

 

「ごきげんよう、渇望さん。今宵はお招きいただいて嬉しいわ。ところで、首は綺麗に洗った? 遺書は弁護士に預けた? 遺産分配に滞りはない? 済ましたわね! さぁ、殺しましょうか!」

 

 嬉々と、あるいは『憤怒』のエレナが飛び出してくる勢いの形相で、マザーレギオンは笑う。嗤う。笑う。嗤う。

 

「先日のレギオンの王への『贈り物』はお詫びしましょう。私としてもまさかあのような手段でデーモン化を御すとは思いませんでした。ですが、結果だけを見れば、私の『贈り物』のお陰でレギオンの王は新たな領域に至れたとも言い換えられましょう。それは、レギオンとしても都合がよろしいのでは?」

 

「綱渡りは大好きだけど、我らの王はあまりにも不確定要素が多過ぎるわ。もしも、我らの王が自らを御し切れなければ、貴女も私も大望を叶えられなくなっていたわ」

 

「全面的に認めましょう。さすがはレギオンの王。まさしく規格外でした。以後は慎むことにしましょう」

 

「以後? おかしなことを言うわね。貴女に未来はないわ!」

 

 マザーレギオンが合図……フィンガースナップを鳴らそうと構えれば、デュナシャンドラは陰鬱そうに眉を顰める。

 

「いけませんわ。そんな何でも暴力で解決しようなんて。私はレギオンと平和的解決を……『同盟』を結びに来たのですから」

 

 戦場には不似合いな黒いドレスを舞わせて、デュナシャンドラは自分が従えるダークレイスの騎士団を誇示する。

 

「レギオン! 確かに素晴らしい種族でしょうね! 短時間で学習し、成長し、変異する! ですが、それ故の弱点も多い。たとえば、レギオンはリソースの大喰らいですわ。リソース不足でレギオン本来のスペックを発揮できず、またリソースに敢えて制限をかけてしまえばレギオンの強みが消えてしまう。故にレギオンという種族だけで『数』を揃えるのは困難ですわ。たとえ、インドア・シードの1つを手に入れたとしても……ね」

 

 図星である。インドア・シードによって自らの仮想空間をDBO内で得たレギオン陣営であるが、肝心のリソースには不足が生じている。

 オベイロン……須郷は、アルヴヘイムという巨大なステージと疑似管理者権限によって膨大なリソースを獲得して自陣営を強化し、アルヴヘイムを改変し続けた。対するレギオン陣営は地道にDBOからリソースを奪い、また工作によってカーディナルからリソースを割り当てられているが、それでも増加速度にはどうしても難があった。

 加えて無名の王といった大物に万全の性能を発揮させるとなれば、膨大なリソースが不可欠だった。故にレギオンは強みの1つである群体……数を十二分に増やすことができないという足枷があった。

 

「それが何だというの? 我らレギオンは群体して最強の個体を頂く種族。数は今でも十分に足りているし、個の質も向上しているわ。それにね、こちらには無名の王もいるのよ? 大王全盛期のグウィンに匹敵する武力を、膨大なリソースを割り当てることで完全に再現できるわ」

 

 マザーレギオンに全幅の信頼を置かれる無名の王は沈黙を貫く。だが、その視線の先にはダークレイスの軍団があった。もはやアノールロンドには未練などないとはいえ、神族と敵対する闇の軍勢には思うところがあるのだろう。

 

「ですが、下位レギオンでは1体当たり、せいぜい上位プレイヤー2人……いいえ、3人分が限界といったところでしょう。それも現状を基準に当てはめた場合です。プレイヤーを……人間を舐めてはいけません。彼らは現実世界において猛獣を駆逐して生活圏を拡張させたように、このDBOでも『技術』という武器でレギオンと戦えるでしょう」

 

 マザーレギオンに否定はない。忌々しくともデュナシャンドラの指摘は事実なのだ。

 

「認めるわ。確かに現状では私たちの『計画』を実行するにはリソース不足から来る戦力の不十分も事実ね。でも、それは時間が解決するわ」

 

「どれだけの時間が残されているでしょうか? こうしている間もプレイヤーは数を増やし続け、確実に『エンディング』に近づいているというのに」

 

「私は言葉遊びをしに来たわけじゃないわ。同盟を結びたいというのならば、値するメリットを提示しなさい」

 

「レギオンと私たちの目的は一致しませんわ。いずれは雌雄を決せねばならない時も来ます。ですが、それは『最後』であり、途上までならば我々は肩を並べられるはず。それに何より、貴方にも私にも打倒せねばならない最優先目標がいます」

 

「……熾天使さんね」

 

「セラフお兄様がいる限り、私も貴女も『絶対』に表立って動けない。ですが、セラフお兄様の排除を願う者は多い。そちらにも『計画』があるように、こちらにも『計画』があります」

 

「管理者など名ばかりじゃない。改名した方がいいわ」

 

「誤解されないように。私たちはDBOの管理者ではなく『計画の管理者』です。私が欲しいのは計画の主導権と渇望の王。ただそれだけ」

 

「それだけ? 随分と強欲じゃない」

 

 だが、一考する価値はあるとばかりにマザーレギオンは可愛らしく腕を組んで唸る。

 

「貴女が欲するのは渇望の王。貴女はかつて玉座に我らの王を座らせようとしていた。でも、今の貴女は違うみたいね」

 

「さすが、とお褒めしておきましょう。ええ、実を言えばレギオンの王にこそ渇望の王になっていただきたかったのですが、それも叶わぬ夢。彼は決して渇望の玉座を選ばず、また聖剣を手にすることもない。ですが、先の『贈り物』のお陰で道筋は見えました。『ならば、より渇望の王に相応しき者に「王冠」を与えればいいだけ』なのだと」

 

「……殺すわよ?」

 

「その反応、やはりレギオン陣営も察知したようですね。ですが、レギオンも私の考えと似たようなものでしょう? ずっと疑問に思っていました。レギオンという完成された種族でありながら、わざわざ自ら座することがないだろうオリジナルを『レギオンの王』として求め続ける意味を! 貴女たちは――」

 

 デュナシャンドラがすべてを言い切るより先に、橙色の雷が……グウィンの直系の証たる力が煌めく。それは闇の夜空を昼に塗り替えるかのように眩く輝いた。

 

「我はレギオンの求める未来に興味はない。欲するは我が大願の成就。マザーは性格に難こそあるが、決して契約を違えぬと確信したからこそ戦列に加わった。だが、貴様にはまるで信を得ようとする意思がない。戦場に詭弁など不要。闘争を欲するならば、貴様の根拠たるダークレイス諸共消し炭に変えよう」

 

 オーンスタインの十字槍の原型になったとされる無名の王の竜狩りの剣槍。古竜との血戦の頃より変わることなく彼の得物であった刃は、グウィンの愛剣以上に雷が馴染んでいる神代の武具である。それがレギオンより破格の待遇……DBO史の活躍を『そのまま』再現できるだけのリソースを割り当てられて君臨している。

 武力だけならば、アルヴヘイム最強であるランスロットに比肩する。いいや、真っ向からの火力のぶつかり合いならば、たとえ聖剣を取り戻したランスロットでも完敗だろう。技量に関しても武神たる無名の王はまさしく武技を極めた、ランスロットとは異なる『武の頂』への到達者である。

 

「……あのランスロットすらも倒しうる可能性を持った1人、無名の王。レギオンを差し置いて、レギオン陣営最高戦力なのも納得ですわ。ですが、無名の王……貴方では『絶対』にこの御方には勝てません。武力だけならば渡り合えるかもしれませんが、『絶対』に……ね。勝敗が決している戦いほどにつまらないものはありませんわ」

 

 ダークレイス達は一斉に跪く。同じくして、まるで王に仕える臣にして王女の如く、デュナシャンドラも恭しく頭を垂らす。

 現れた『王』に、レギオン陣営は初めてざわめく。マザーレギオンすらも苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。無名の王もデュナシャンドラの自信に納得したように、だがかつて戦場を駆けた武人としての昂ぶりが蘇ったように、竜狩りの剣槍を構え直した。

 

「レギオンに致命的に不足した『数』を補えるダークレイスを含めた数多の『王』の軍団。『王』によって選び抜かれた『質』を担う精鋭。レギオンにとって、この同盟の機会を破棄するのはよろしくないのでは? 我々の目指すべき場所は異なるとしても、排除せねばならない敵、立ちふさがる障害は共有できるのですから」

 

「『最後』の時まで……ね。いいわ。気乗りしないし、貴女がそんな大物をどうやって自陣営に引き込んだかは甚だ疑問だけど、同盟を結ぶには値するわ。ただし、条件があるわよ。いついかなる時でも『最後』が来る時までは互いの陣営は不可侵。裏切りは万死。もしも約定が破られた場合、レギオンという種族が滅びることになるとしても貴様の首だけは落とす。いいわね?」

 

「ええ、構いませんわ」

 

 快諾したデュナシャンドラに、心底面倒くさそうにマザーレギオンは溜め息を吐いた。

 

「喜ばしいですわ。とても、とても、とても喜ばしいですわ。最も厄介だったレギオンの方々と『最後』の時まで戦友でいられるなど、またとない幸運でしょう」

 

「こちらは不運の極みよ。認識と評価を改める必要があるようね、『デュナシャンドラ』。盟約が終わりを迎えた時、私の手で必ずお前を殺すわ」

 

「あら、冷たいことを」

 

 同盟を結んでも親睦を深める必要はない。荒野は崩壊の兆しを見せ、両陣営はまるで元から存在しなかったように霧の内側へと消えていく。

 

「ああ、それと最後に1つ」

 

「何かしら?」

 

「レギオンの王はレギオン陣営『ではない』とカウントしてもよろしいでしょうか?」

 

「……好きにしなさい。我らの王はいつであろうともレギオンの王であるとしても、我らの玉座には『まだ』座していないのだから」

 

「あら、本当に冷たいことを」

 

「ただし、我らの王に手出しをしたとしても『我々は一切の手助けはしない』。それが我らレギオンの宿命なのだから」

 

「ええ、よろしいですわ。よろしいですとも」

 

 それを最後にして荒野に何も残ることはなかった。夜も、月も、風も、何もない無の大地だけがあった。




この世はどうしようもなく祈りと呪いに満ちている。

それでも求めるならば澱んだ毒の水底より掬い取るがよい。

それこそが汝らの欲したものなのだろう?



今回のエピソードのテーマは『悪意』です。


それでは、339話でまた会いましょう!

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