SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

信じた先に何があるのかなんて、誰にも分らないものだとしても、進むしかない。



Episode20-04 黒霧の塔

 黒霧の塔。かつて存在した『鉄の王』が建造した製鉄所であり、城の1つでもあった。

 名も残らぬ鉄の王は、金属にソウルを吹き込む力を持っていた。言うなれば、自律兵器を製造することが出来たのである。命を持たず、注がれたソウルによって動く軍団によって鉄の王は覇権を握った。

 だが、それだけではない。鉄の王には多くの優秀な臣下がいた。彼らの武勇が玉座を支え、またその技術の一端を鉄の軍団に受け継がせることによって、不動の支配を手に入れたのだる。

 ならば、鉄の王の治世は如何様にして終わったのか? それは聞くも堪えぬ愚かなものである。虚栄心のままに増築し続けた鉄の城は自重で大地に沈み、またソウルを吹き込んだ鉄の巨兵の暴走によって蹂躙されたのだ。端的に言えば自滅である。末期には優秀な臣下のほとんどが離れていたことも終焉に拍車をかけたと言えるだろう。

 見栄と御しきれぬ『力』で破滅を招く。それは実に人間的な物語である。人々は愚王と嘲うかもしれないが、それは誰しもがあり得るかもしれない未来の姿であることを恐れねばならない。それが教訓というものである。

 

(今更になって黒霧の塔の探索任務とはな)

 

 太陽の狩猟団のエース【若狼】の異名を持つラジード。繰り返された再編を経て、ラジードの率いる太陽の狩猟団の3番隊は少数精鋭部隊として憧れの対象となった。

 多くの高難度イベント、強力なネームドやボスの撃破に貢献し、あのアノールロンドを生還した猛者。教会剣としてのレギオン狩りと治安維持活動も合わさり、ラジードの名声はもはやDBOで名前を知らぬ者を探せぬ程まで高まっている。また、敵対勢力である聖剣騎士団の団長であるディアベルをアノールロンドのボス戦では命懸けで守った事も、彼の人望を大きく高めた。

 ラジードが架け橋となって、聖剣騎士団と太陽の狩猟団が和解するかもしれない。大ギルドの争いに疎いプレイヤー達がそのような夢見てしまう程に、彼は『英雄』と呼ぶに足る知名度と実力を得た。

 そんな誉れあるラジードが率いる少数精鋭の3番隊は【赤狼隊】とも呼ばれている。ラジードの2つ名である【若狼】にあやかり、防具には3番隊のエンブレムとして赤色の狼が採用されているからだ。ラジード本人は威圧的過ぎる上に恥ずかしいと不満を持っているが、隊員と周囲には概ね好評である。

 サンライス団長が率いる最強の1番隊。【雷光】のミスティアが公式では隊長を務め、他の隊の任務に合わせて人員が送り込まれる2番隊。そして、少数精鋭の3番隊。これらが太陽の狩猟団の有名部隊だ。

 太陽の狩猟団は、今や聖剣騎士団どころかクラウドアースに次ぐ、3大ギルドでも最も劣ると酒場では揶揄されている。そうした不評を払拭する為に、太陽の狩猟団はより華々しい戦果を求めていた。

 だが、時代はフロンティア・フィールドだ。これまでとは一味も二味も違う。故に過去に放置したダンジョンやイベントの再攻略やアルヴヘイムの未探索ダンジョンの発見に努めているが、今のところは目立った功績はない。

 そうして3番隊に回ってきたのが黒霧の塔の再探索だ。まだフロンティア・フィールドの探索の方がマシである、と3番隊でもラジードに次ぐ実力者であるマダラは不満を抱く。

 いずれはラジードを蹴落とし、太陽の狩猟団のエース……いや、サンライス団長すらも超えてギルド最強の座を手にする野心を持つマダラとしては、より大きな報酬と名声を得られる任務が好ましい。

 無論、ギルドからの命令ならば黙って従事する。だが、内心の不満を打ち消せるような忠誠心は持ち合わせていないマダラとしては、旨みのない任務にやる気を出すのは難しかった。

 体調不良を言い訳にして不参加でも良かったのだが、マダラが任務に参加した理由は3つ。

 1つ目は急遽として【雷光】のミスティアが同行することになったことだ。ミスティアの地獄の特訓を受けた経験があるマダラは、彼女に強い苦手意識を持っていた。ラジードの顔を潰すように不参加となれば、パワハラでまたも地獄の特訓を味わわされるかもしれないという恐怖心が勝った。

 2つ目はジェノサイド・モンスターと恐れられる【渡り鳥】が探索任務に参加するからだ。実力に関してはバトル・オブ・アリーナでラジードを破ったように疑う余地もないが、それでも傭兵としての実力は中間程度……というのが概ねの見解だ。アノールロンドを含めた多くの激戦を経て成長したラジードの方が今では強い、というのが巷の評価だ。

 だが、当時のバトル・オブ・アリーナを生で見ていたマダラは、【渡り鳥】の実力は『デュエル』という枠組みでは見切れるものではないと考えていた。故に噂の最凶の傭兵の真の実力を測れるかもしれないこの機会は逃したくなかった。

 

 

「へぇ、サボるって言ってたくせに、参加するんだ~」

 

 

 そして、3つ目はこの女のせいだ。マダラの参加に心なしか普段よりも上機嫌に見えるのは、3番隊の紅一点であるミリアだ。魔法による後方援護を得意とする貴重な魔法使いプレイヤーである。強力な魔法を放つ大砲型ではなく、要所の魔法攻撃で近接プレイヤーにチャンスを作る支援型は、ヒーラーと同等に貴重な人材だ。

 元は小さなギルドのメンバーだったが、偶然にも発見してしまったイベントダンジョンに踏み入り、徘徊型ネームドに遭遇してミリアを残して全滅。彼女は何とか生き延び、情報を太陽の狩猟団に譲渡し、仲間の敵討ちを願い出た。これを成し遂げたのが当時まだ存命だったベヒモス率いる部隊であり、少なからずの活躍をしたのが彼の部下だったラジードである。

 初期より魔法を使用し、高い支援技術を持っていたミリアを太陽の狩猟団はスカウトし、下積みを経て3番隊に配属されることになった。ベヒモスに直訴して敵討ちの代行を所望し、徘徊ネームドを討伐した旨を直接報告したラジードは、ミリアにとってまさにヒーローである。尤も、当時のネームド戦で最も活躍してラストアタックも決めたのは亡きベヒモスであるが故に、ラジード本人は自分の功績とは思っていない。

 だが、ミリアにとっては実際の戦果よりも、ラジードの訴えでネームドが速やかに討伐された事実の方が重要だ。

 おさげの暗めの茶髪と属性防御に特化されたローブ姿のミリアは、まさに由緒正しき魔法使いのようである。背中には3番隊のエンブレムである赤狼を大きく描いており、それは彼女にとって誇りなのだ。

 

「ご機嫌だな」

 

 ラジードの話によれば、初期からの仲間を喪ったばかりの頃は、部屋から1歩も出ない程の引き籠もりだったらしいが、今では想像できない。口うるさい同僚に、マダラは今にも鼻歌を奏でそうな彼女を嗜めるように睨む。

 

「【渡り鳥】さんが来るからね。私のこと、憶えてくれていたらいいけど」

 

「へぇ、知り合いだったのか」

 

「知り合い……って程でもないけどね。初期の頃に少し。キャッティさんっていう凄く強いプレイヤーがいたんだけど、看取ってくれたんだ。他の人は悪く言うけど、私は凄く優しい人だって信じてるから、ずっと応援してたんだ。『目指せ、ランク1』ってね!」

 

 独立傭兵である限り、ランク1はそれこそ他の傭兵が全員死なない限りは無理だろう、とはマダラも情けで言わなかった。この同僚は政治に疎過ぎるのである。

 あの【渡り鳥】を応援しているとは奇特な人物もいたものだ、とマダラは珍獣を見るような目でミリアを見つめる。他で言えば、クラウドアースのマダム・リップスワンが気に入っているとの事であるが、『優しい』という評価は初めて耳にしたとマダラは微かな驚きもあった。 

 

「だからショック。女装好きだったなんて、本当にイメージ崩れちゃった」

 

「実は女って噂は本当なのか?」

 

「さぁ? 私が出会った時は、髪型とか、雰囲気とか、口調とか……どちらかと言えば無理して悪ぶってる子ども……うーん、男装少女に見えないことも無かったし、正直言って交流したなんて言える程でもないし、むしろ最悪の出会い方だったし……」

 

 何かやらかしてしまったのか、ミリアは乾いた笑い声と涙を目に溜めた。この目は決まって過去を……死んだ仲間を思い出している時だとマダラは分かっている。

 

「マダラ、またミリーを泣かせたのか」

 

 と、マダラが泣かせたと勘違いしたのか、他のメンバーと探索ルートの再確認をしていたラジードが近寄る。ちなみにミリーとはミリアの愛称である。

 

「いいえ、この泣き虫が勝手に――」

 

「女の子に酷い言葉遣いはするな。隊長命令だ」

 

「……了解」

 

 どうして俺が怒られねばならない!? 理不尽に怒りを堪えながらも、多少は尊敬するラジードの命令ならば、今日くらいは注意しようと、ミリアを横目に嘆息する。

 まだ泣いているミリアであるが、ラジードを見る目は僅かに熱が籠もっている。それがマダラに苛立ちを覚えさせる。

 マダラは名誉ある3番隊を個人的に『鈍感隊』と蔑称している。どう見てもミリアはラジードに恋しているが、そのことにミリア本人も含めて、マダラを除いて誰も気づいていないからだ。

 

「…………」

 

「あ、あれ? なんかミスティアさんが睨んでる? 私、何か悪いことしたかな!?」

 

 自分のカレシに他の女が色目を使ってたらカノジョとして見過ごせないのは当たり前だろう!? マダラは髪の毛を引き千切る程に頭を掻きたい衝動を堪える。

 いつもそうだ。マダラはラジードの部下となってからそれなりの月日は経ったが、この男は呼吸をするように女を口説いていることに気づいた。

 本人にはそんな気などないのだろう。むしろ、マダラを積極的に飲みに誘うように、男同士の砕けたコミュニケーションの方を好んでいる。だが、女が介在した瞬間に、とんでもない確率でオトす。その度に不機嫌となるミスティアにマダラは殺気を感じ、必死のフォローに奔走していた。

 

(だが、今日は何処か雰囲気が違うな)

 

 ラジードに色目を使う女が現れたら、恐ろしい笑顔に変じることが多々あるミスティアであるが、今日の2人は互いに視線を合わせようとせず、話す内容も探索に関しての事務的な内容ばかりだった。

 痴話喧嘩は犬も食わぬ。関わり合いたくないマダラであるが、些細な不和で連携が乱れて死ぬのもつまらない。だからといって、あの2人の間に割って入って仲を取り持つなど出来るはずもない。

 今日の探索任務を終えたら、それとなく最近評判の夜景が美しいレストランを紹介し、仲良くデートしてくるように誘導する程度で良いだろう。そこまで考えて、マダラは思わず項垂れた。最近はこんな気配りばかりに心を砕いている自分は何なのだと叫びたくなる。

 

(そろそろか。傭兵は時間にうるさいからな)

 

 黒霧の塔の入口である、白い煤が積もった旧玉座の間。ラジードが率いる3番隊とミスティアは既に集結している。先日1人戦死し、3番隊はパーティ登録最大数に1人足りない6人だ。その穴をミスティアが埋めている。

 特大剣・両手剣・片手剣の3種類を使いこなすラジードと両手剣1本で適確にソードスキルを使ってダメージを稼ぐマダラがアタッカーだ。ミリアが支援の魔法使い。【ジャイロ=ジャイロ】、通称JJは大盾と斧を装備したタンクであり、後方支援組の護衛が仕事だ。探索系スキルによる支援と後方射撃をメインとした【ハニーソルト】は、ベヒモス戦死によって太陽の狩猟団のミスター・ブ男の称号を継いだ口数の少ない人物であるが、口を開けば『漢』であり、『太陽の狩猟団・抱かれたい男ランキング』でトップ5にランクインしている。蛇足であるが、ラジードは2位、マダラはランキング外である。

 もう1人、貴重なヒーラーだったメンバーもいたが、任務中に死亡した。ヒーラーはいずれの大ギルドでも不足した人材だ。単純に回復系奇跡やスキルを揃えればいいだけではなく、戦略的に回復ペースを分配しなければならない。単純に片っ端から回復させるだけは誰でも出来る。だが、それではすぐにガス欠してしまう。自己回復できる場面では仲間を信じて回復せず、緊急性の高い場面では刹那の遅れも許されずに回復を施す。

 回復せずに死なせれば見殺し扱いで責められ、過ぎた回復はここぞという場面で魔力切れを起こして全体を危機に陥れる。ヒーラーの称号を得られる優秀なプレイヤーとは、仲間のHPのみならず、精神疲労なども正確に把握する全体を見通す目、どれだけ文句を言われても回復分配を狂わせない戦略性、そして万が一の悲劇が起きても心折れない強い精神力を持っていなければならない。そんな人材はそう簡単に見つからないのだ。

 DBO最高のヒーラーは、アノールロンドで戦死したウルベインだった。目立たないが、彼が他のヒーラーを統括したからこそ、アノールロンドのボス戦は『順調』の部類だったと言えるだろう。彼無しでは阿鼻叫喚どころか地獄の底だったことは間違いないはずだ。

 ウルベインの後継と目されるヒーラーは今のところ現れていない。教会の秘蔵っ子である【バーサーク・ヒーラー】がそうなのではないかと噂されており、大ギルドは獲得を目指しているが、今のところは正体も割れていない。

 仮に太陽の狩猟団が【バーサーク・ヒーラー】を獲得したならば、まず間違いなく3番隊に配属だろう。ヒーラーとしての全体管理の目ならば、この鈍感隊の問題点にもすぐ気づくはずだ……と期待したマダラであるが、そもそも戦死したヒーラーも鈍感隊の1員だったと勝手に絶望する。

 

「お待たせしました」

 

 今にも表情に暗い感情が滲み出そうだったマダラは、時間ピッタリに表れた【渡り鳥】を見て、思わず息を呑んだ。

 以前に雑誌の表紙で、バトル・オブ・アリーナでは観客席から遠目で、先の生放送で、幾度となく【渡り鳥】を目にしたことはあったが、こうして直接対面するのは初めてだった。

 最初に抱いたのは、これが本当に同じ人間なのかと思うほどの美貌だった。現の穢れに染まらぬような白髪。神秘的な程に赤が滲んだ黒の瞳。穏やかな微笑みを描いた顔立ちは、天使や天女という表現では足りない。女神……いや、もっと概念的な『神』という存在なのではないかと思うほどの、もはや魅惑を通り越した、人間の精神を狂わす冒涜的な領域にまで達しているのではないかと思うほどだ。妖艶にして清廉であり、美麗にして可憐であり、男女といった性別すらも意味を成さない完成された中性美は、いかなる芸術家でもたどり着けない神性そのものだ。

 まるで幼さ残る少年のようにも聞こえるが、耳を擽るのは無垢な少女のような吐息を含んだ声。華奢な肩や喉仏が本当にあるのかと疑いたくなる首元。その一挙一動全てが、深窓の令嬢すらも野を駆ける村娘に堕としてしまう程に気品に満ちている。生まれ持った品格と培われた教養、まさに生まれた時から住んでいる世界が違うと思い知らされる振る舞いだった。

 

「サインズより派遣されました、傭兵ランク42のクゥリです」

 

 右手を心臓に添えるように胸に手をやり、可愛らしく礼を取る姿は、無条件での平伏をもたらす程の狂気的な信仰心を芽生えさせそうになる。

 なるほど、YARCA旅団が執着したのも納得だ。死天使として狂信する輩がいるのも理解できる。なんとか正気を保てたマダラは、所詮は同じ人間だと初対面の印象を拭い去ろうと足掻く中で、ラジードはまるで無二の友人に接するような気軽な足取りで近づく。

 

「やぁ、昨日ぶり! 今日はよろしく頼むよ! あ、それと今日はイイ店を予約してるんだ。これが美味しい焼き鳥を出してくれるんだよ! 期待してくれ」

 

「オマエなぁ、もう少し雰囲気をだなぁ……」

 

 馴れ馴れしく握手したかと思えば、そのまま引き寄せて肩を組んだラジードに、マダラは思わず『不敬が!』と怒鳴って殴りつけそうになる。だが、拳を握った瞬間にミリアに訝しまれ、我に返って頭を振って『然り! 然り! 然り!』という頭で響く謎のYARCA合唱を払い除ける。

 ラジードの態度に会わせるように、【渡り鳥】も幾らか砕けた口調となる。親しみやすさは増したが、先程の神秘と気品に溢れた姿の方に魅入られていたマダラには、言い知れない不満の方が大きかった。

 

「ラジードくん」

 

 ゴホン、と咳をしたミスティアを前に、ラジードは【渡り鳥】から離れる。

 

「お久しぶりです。こうして貴方と肩を並べるのはクラーグ戦以来ですね」

 

「……そうだったでしょうか?」

 

「ええ、そうです。貴方の実力は副団長のお墨付き。期待させていただきます」

 

 ミスティアの態度は普段通りだ。特に警戒らしい警戒もしていない。むしろ、リラックスしているとも言えるはずだ。だが、マダラの目は見抜く。ミスティアが交わす握手に、全STRを……それこそ高出力化さえもしているのではないかと思うほどのパワーを送り込んでいる事実を見抜く。

 だが、恐るべきは【渡り鳥】。HPが減ってもおかしくないフルパワーに対して、彼もまたにこやかに応じている。並々ならぬSTR出力を発揮して対抗している証拠だ。

 

「む……むむ……むむむ!?」

 

 やがてミスティアの肩がプルプルと震え、顔は赤くなっていく。どれだけSTRを振り絞っても表情1つ変えない【渡り鳥】に対して、彼女の方の疲弊が表に出始めたのだ。いよいよ限界だったのだろう。ミスティアは、無駄にスタミナを消費した証拠のように息荒く手放した。

 対する【渡り鳥】はノーコメントかつ無反応。キッと睨むミスティアの視線を躱し、ラジードが展開した黒霧の塔のマップを覗き見ている。今回の探索任務に参加する【渡り鳥】にも当然ながらマップデータは渡されているが、個々人が付け加えた情報までは記載されていない。

 

「ここはランダムトラップ密集地帯だから避けていこう」

 

「だが、こっちはモンスターのリポップ率が高いんだろう?」

 

「短時間で突破しないといずれ数で包囲されるね。だけど、僕たちなら問題ない。そうだろう?」

 

「オマエがそれでいいなら、オレは構わない。傭兵は依頼主に従うだけだ」

 

「だったらオーダーだ。好きに意見してくれ」

 

「……程々にしておく」

 

 完全無視。ミスティアに目も向けない【渡り鳥】は、この程度の嫌がらせは慣れているといった様子だ。対するミスティアは、自己嫌悪と敗北感で、太陽の狩猟団の美人プレイヤーの評判を落とすほどに、顔を真っ赤にして頬を膨らませて俯いて涙目である。

 ……帰りたい。マダラは今すぐ180度方向転換して帰宅を望む。だが、それを許さないとばかりにミリアが興奮した様子で彼の袖を引いた。

 

「す、すごい! 久々に生で会ったけど、雰囲気が全然違う! 顔も少し大人っぽくなってる気がするのに、なんか幼さマシマシで、なにこれ!? 本当に人間!? 同じ人間!?」

 

「同じホモサピエンスだと思うぞ」

 

 少し自信はないがな。生の【渡り鳥】にテンションを上げて、まるで憧れのアイドルに駆け寄るようにミリアは白の傭兵に接近する。

 

「あ、あの……!」

 

「何か?」

 

「私、ミリアです! ほら、ラーガイの記憶で、その……色々と酷い出会い方になったけど、キャッティさんの件でお世話になったミリアです!」

 

「……あ、ああ、キャッティさんの! お久しぶりです」

 

 少し考える素振りをして、思い出した様子でミリアに挨拶する【渡り鳥】であるが、マダラの目では演技だとバレバレだった。

 

(傭兵がどれだけの依頼をこなしてると思ってるんだ。お前程度の小物を憶えてるはずもないだろう)

 

 だが、このままミリアを絡ませて不機嫌になってもらっても困る。【渡り鳥】は冷酷・冷徹・冷淡であり、人の命を何とも思わない殺戮者であり、3度の飯より殺しを好むジェノサイド・モンスターであり、女装趣味を持ったド変態であり、実は性別・女性疑惑がある最凶の傭兵なのだ。後々に報復されても困るのである。

 

「大変失礼しました。ミリア、こっちに」

 

「ちょ、マダラ!?」

 

「……お前、職務怠慢でミュウ副団長に鉱山送りにされたいのか?」

 

「ひぎゅ!?」

 

 マダラはミリアの手を握って引き離し、期待度ゼロの探索とはいえ、ギルドから受けた任務なのだと、失礼な態度を取らないように耳元で脅しつける。

 

「【渡り鳥】か。噂以上だ。生で見たのは初めてだが、俺もYARCAになっちまいそうだ」

 

 マダラ同様に【渡り鳥】の美貌に気圧されたのだろう。お道化た調子のJJは問題ない。普段は無口のハニーソルトの唇は真一文字のままだ。

 

 

 

 

 

「………………【渡り鳥】たん」

 

 

 

 

 

 いや、違った。微かに動いたかと思えば、『漢』と知られるブ男プレイヤーから出たのは、ねっとりとした情熱の吐息。

 聞いてない。俺は何も聞いていない。ハァハァと鼻血を垂らし始めたハニーソルトを見てミリアがマダラの肩を叩くが、全力で現実逃避する。

 YARCA旅団の残党は何処に潜んでいるか分からない。ギルドの枠さえも超えた彼らの実態は謎に包まれている。背中を預けるに足る戦友が実は……という事も十分にあり得るそれがYARCA旅団なのだ。

 帰ったらミュウ副団長にハニーソルトの内偵を依頼せねばならない。冷たい決意を胸に、マダラはいよいよ出発した黒霧の塔の探索に意識を切り替える。

 いざ探索となれば、誰もが真剣だ。たとえレベルも武器も水準を大きく上回っているとしても、些細なミスで死を招くのがDBOであり、ダンジョンなのだ。

 黒霧の塔で主に出現するのは鉄兵だ。黒く煤けた鉄鎧の兵士である。中身は煤であり、自律行動して防衛する人形という設定である。素早い連撃が特徴の片手剣タイプと大斧二刀流タイプの2種類が存在し、更に各々で炎属性をエンチャントしたタイプがいる。

 また、雷爆発を起こす雷球を放ち、瞬間移動で背後を取ったかと思えばナイフで突いてくる黒霧の術師。自由自在に飛行し、大弓で狙撃してくる鉄の弓兵。一定数攻撃するか炎属性攻撃を受けると自爆攻撃を仕掛けてくる油兵。巨大な火薬樽を抱えた鉄の運搬兵。そして、高い耐久度と火力を誇り、巨大メイスを振るうだけではなく、両肩から炎をランダムで垂れ流して張り付きを阻む強敵の鉄の巨兵が最大の脅威だ。

 他にもモンスターはいるが、総じて物理属性防御力が高く、炎属性を除けば属性防御力は軒並みに低い。特に魔法属性と雷属性の利くのが特徴だ。

 鉄兵は見た目の割に耐久度もスタン耐性も低い。だが、攻撃力はやや高めかつ数で攻めて来るので注意が必要だ。マダラは頭に叩き込んだ黒霧の塔の資料を参照しながら、ショートカットまでの道のりで出現する敵を次々と倒す。

 マダラのレベルは100だ。長期休養していたラジードを超えている。今回の黒霧の塔の探索は、ここ最近で後れを取り戻そうとして無理を重ねるラジードに骨休めをさせようという意図もあるのだろうとマダラは認識していた。

 

(やはりラジード隊長は強い)

 

 両手剣の扱いに関していえば、太陽の狩猟団でも5本指に入ると自他が認めるマダラは、ラジードの象徴でもある特大剣……イヴァの剣が振るわれる様に心躍る。

 一撃の高火力と高いガード性能が売りの特大剣をここまで気持ちよく操れるプレイヤーは少ないだろう。一撃で3体の鉄兵を纏めて吹き飛ばし、援護に現れたもう1体を頭から半ば叩き潰すように切断する。飛び散る破片と煤の中から飛び出したかと思えば、腰を入れての回転斬りで更に現れた4体を同時に粉砕する。

 ここ最近のラジードはより攻撃的だ。アノールロンドの経験の影響か、以前の慎重に攻防を見極めるスタイルから、より攻撃に傾倒していた。自らが傷つくことを恐れずに敵を撃破する姿は、まさに飢えた狼のようである。

 だが、今日のラジードはかつてと同じような慎重さを見せながらも、野性的な苛烈さを据え置きしたバトルスタイルだ。アノールロンド前後が合体した理想的な姿である。

 ほんの数日前とは別人だ。それは恋人であるミスティアが最も理解しているらしく、嬉しそうに笑っているも、何処か認めたくないようにラジードと目が合いそうになると視線を逸らす。それを見て、ラジードはショックを隠せないように唇を噛む。

 

「「……面倒臭い」」

 

 思わず零れた小言。それは意外にも【渡り鳥】と重なる。彼もまたあの2人の間に渦巻く痴話喧嘩の雰囲気に頭を悩ましているのだと、マダラは強い共感を覚えた。

 と、そこでラジードの肩を弾丸が掠める。ハニーソルトが装備する重ライフルだ。普段とはテンポが違うラジードに合わしきれず、危うくフレンドリーファイアを引き起こしそうになったのである。

 冷たい目をしたミスティアがハニーソルトを睨むも、最後の鉄兵を倒したラジードは、青い顔をして黙ったままのハニーソルトの肩を叩く。

 

「すまない。僕のミスだ。ソルトさんの射線を把握しきれていなかった。次からはお互い気を付けよう」

 

 ハニーソルトのミスを被るラジードに、マダラは甘い男だと舌打ちを堪える。あれは完全にハニーソルトのミスだ。戦いは楽譜の通りに弾かれる演奏ではない。攻撃のテンポなど状況によって容易に崩れる。それでも即座に合わせるのが一流であるが、ハニーソルトはラジードの急激な変化……いいや、成長に対応しきれなかったのだ。

 これが【魔弾の山猫】ならば、ミリの誤差もなく、近接プレイヤーの首を撫でるように弾丸を通して援護できただろう。幾ら精鋭部隊とはいえ、トッププレイヤーの集団ではないのだとマダラは改めて認識する。

 

「クゥリには悪いけど、探索といってもやることないし、どうしようもないんだよな」

 

「別にいい。楽な仕事に越したことは無い。それよりも『アレ』はどうした? なんで特大剣なんだ?」

 

「……さすがに『アレ』を人前ではね。取って置きの切り札にさせてもらうよ」

 

「そうか。だったら強敵に期待だな。徘徊ネームドとかいないのか?」

 

「いないよ」

 

「リポップ型でもいいぞ?」

 

「だからいないって」

 

 断言するラジードに、少し退屈そうに目を細めた【渡り鳥】を見てマダラは呆れる。マダラもトッププレイヤーとなる為にネームドやボスとの対決は望んでいるが、この少人数で挑みたいとは思わない。ネームド撃破ともなればボーナスを請求できるチャンスなのかもしれないが、それでも発言が物騒過ぎた。

 無事に黒霧の塔の内部に侵入すれば、炉に火が入っていないせいで止まったままのリフトが目に入る。塔の内部は巨大な吹き抜けになっており、中心部に上下で動くはずだろうリフトがある。これらに鉄や石炭を積んで運搬していたのだろう。

 かつて製鉄所だった黒霧の塔。だが、中心部の炉に火が入らなければ動かない。このリフトを動かすギミックこそがボス発見の鍵だと太陽の狩猟団は睨んでいるが、肝心要のギミックの解除方法が分からないのだ。

 黒霧の塔の外縁には複数の小さな塔がある。その内の1つが火吹きの塔だ。その名の通り、煌々と炎を吐き続けている塔である。まだ炉が動いており、太陽の狩猟団はそこで【大熱の鉄杖】というキーアイテムを手に入れた。いよいよ深部に行けるのかと思われたが、運搬用の上下可動リフトがある吹き抜け部の炉心に差しても起動しなかった。確認すれば、アイテム説明欄には『古き火は強過ぎるが故に封じられたが、それは大炉を動かすには逆に弱過ぎるだろう』と注釈があった。

 何処かで大熱の鉄杖の封印を解かねばならない。それが黒霧の塔の攻略の鍵なのだ。

 

「まだ解除していないギミックがあるはずです。未探索の離れの塔に行く方法を探しましょう」

 

 モンスター侵入不可エリアの、牛の石像が四方を囲う部屋にて休息を取りながら、探索の方針が改めて話し合われる。

 

「マッピングはし尽くしているんだ。もう道が無いよ」

 

「マップデータは絶対じゃない。あくまで探索したプレイヤーが得た情報以上は反映されないんだよ? 与えられたモノを信じ過ぎるのはラジード君の悪い癖なんだから。全く、本当にそういうところが――」

 

 いつの間にか肩を寄せ合ってマップデータを見ながら意見交換をしていたラジードとミスティアは、自分たちの距離に気づいた様子で、申し訳なさそうに離れると顔を逸らし合う。

 

「「……面倒臭い」」

 

 またも呟きが重なり、マダラは【渡り鳥】と無言で握手を交わす。どうやら、互いに似たような星の下で生まれたようだと微かに理解し合えた気がした。

 

「クゥリの意見を聞きたい。太陽の狩猟団ではない、独立傭兵であるキミはどう見る?」

 

「……そうだな。マップデータを見る限りでは探索エリアはない。リフトが動かないと最深部の地下に行けないらしいが、ロープは?」

 

「駄目だった。垂らしていたら途中で勝手に切れたよ」

 

「なるほどな。制限がかかっているエリアか。そうなるとギミックを解除するしかないのは確かだな」

 

 マップデータと睨めっこしていた【渡り鳥】は、離れの塔の1つを指差す。

 

「この塔は? マップデータが他に比べても杜撰だが」

 

「ああ、そこか。塔の屋上までは太い鎖で繋がっていて、それを橋代わりにすれば進めるけど、内部はレベル1の呪いの蓄積ゾーンなんだ。効果は『最大HP減少』。それも効果が重なるタイプだし、蓄積値も高い。どれだけ耐性が高くても100秒もいれば最大HPは1割まで減ってるよ」

 

「そういえば、シノンはレベル1の呪いの無効化が可能だったな。彼女が探索を?」

 

「らしいよ。彼女が内部を調査したけど、モンスターの波状攻撃でじっくり探る時間は無かったってさ。リポップ率が異常どころか、倒しても倒しても自動復活するんだ。何かしらのギミックを解除しないと探索不能の部類だと思う」

 

 傭兵は情報が命だ。太陽の狩猟団が誇るランク3の情報はしっかり揃えているということだろう。当然のように【魔弾の山猫】の持つレベル1の呪い無効について言及した【渡り鳥】に、やはり傭兵としては一流の部類なのだろうとマダラは評価した。これでランク42とは、ランク詐欺だとも滅入る。

 

「マップデータが大雑把だ。もしかしたら見落としがあるかもしれないな。オレが潜って探って来る」

 

「反対です。我々も依頼主として、報酬に見合わないリスクを傭兵に背負わせることはできません」

 

 願ってもない【渡り鳥】からのラジードへの提案だったが、ミスティアが間に入って拒否する。

 

「そうですか。依頼主の意見には従いますよ」

 

 既にマップデータが集まった黒霧の塔の探索。得られる報酬は決して高くないだろう。単独ではなく、ギルドが派遣した部隊も同行するのだから尚更だ。傭兵の報酬を計算した上で、不必要なリスクを一方的に背負わせないというミスティアの判断は、道徳的には正しい。

 だが、その一方でマダラは惜しいとも思った。黒霧の塔はもはやボス発見も期待されていないダンジョンだ。今後、上位プレイヤーはフロンティア・フィールドの攻略がメインとなるだろう。黒霧の塔はマッピング済みダンジョンとして、新人育成に使用される程度になるはずだ。

 ここでボスを発見することができれば、3番隊は大きな功績を挙げることになる。マダラとしても、トッププレイヤーとなる為によりネームドやボスとの対決を欲していた。ボスを発見したとなれば、3番隊は優先的にボス攻略に配属されるはずだ。

 ラジードの表情を見れば分かるが、ミスティアと同意見だろう。いや、そもそもラジードは他人に無暗にリスクを背負わせられない性格だ。いかに傭兵……それも態度からして個人的交流のある相手を、確証も無いギミック解除の為に死地へと送り込めないはずだ。

 野心はある。だが、上司2人の不興は買いたくない。【渡り鳥】の意見をやや支持するような補足を述べて却下されるのが理想的だろうとマダラは判断した。

 

「あ、あの……【渡り鳥】さんの意見に賛成です」

 

 だが、意外にもここで挙手して賛成を表明したのはミリアだ。

 

「前に見たバトル・オブ・アリーナでも、【渡り鳥】さんの回避力は凄かったし、敵を突破して内部をちゃんと確認できるかもしれません。ギミックを解除してボス部屋を発見すれば――」

 

「発見すれば、隊の功績になる。そう言いたいのですか?」

 

 思っても口にする馬鹿がいるか! 普段はラジード任せで意見を述べないミリアの行動力を読み切れず、止められなかったことをマダラは悔やむ。

 ミスティアの睨みに、ミリアは肩を震わせて縮こまる。

 

「探索と戦闘を同一視しているのですか? 回避はあくまで戦闘技術。探索技術ではありません」

 

 これが少数精鋭の3番隊か、と呆れるようにミスティアは溜め息を吐く。

 

「そ、それは……それの……」

 

「功績を重視する姿勢は批判しません。ですが、傭兵は消耗品ではありません。1つしかない命を持った人間です。貴女は確証も無い希望的予測で彼を危険地帯に単身で向かわせるつもりですか? それとも、貴女が同行を?」

 

「あの……私……そういうつもりじゃ……」

 

「ミスティア、それくらいでいいだろう。ミリーも悪気があったわけじゃないんだ」

 

 責めるミスティアに、ラジードはやんわりとフォローに入る。涙を溜めたミリアは救いが入ったとばかりに顔を上げる。だが、マダラは余計に焦りを募らせる。

 

「ラジードくんは黙ってて!」

 

 予想通りだ。マダラはここがモンスター侵入不可エリアで助かったと安堵しながら、同時に最悪の展開だと奥歯を噛む。

 いついかなる時代であろうとも、人間関係こそが組織を崩壊させる要因だ。感情と思惑と欲望がある限り、決して切り離せない問題である。

 ミリアは馬鹿正直過ぎた。恐らく、密やかに応援していた【渡り鳥】に活躍の機会を与えたかったのだろう。なにせ、ここまで【渡り鳥】がしたことと言えば、せいぜいがミリアに接近してきたモンスターを軽く斬り払ったくらいだ。それもJJが十分にカバーできた範囲である。ハッキリ言えば、仕事らしい仕事は全くしていない。

 このままでは傭兵として顔が立たない。そんな危惧を覚えたミリアは、隊の功績=【渡り鳥】の貢献と考えたのだろう。また、隊の功績は隊長であるラジードが最も栄誉を得る。自覚無き恋心を持つミリアとしては、ラジードにも華を持たせたかったのだろう。

 何にしても、ミスティアが考えている程に黒い計算があったわけではない。

 愚かである。馬鹿である。阿呆である。どうせなら上手くやれとマダラは腹痛を覚える。

 

「死人が出て『悪気はなかった』では済まないの! そもそもラジード君は甘過ぎ! 隊長ならもっと厳しく彼らを統率して! さっきの態度も何!? 危うくラジード君に当たりそうだったじゃない!」

 

「僕も皆も人間なんだ! ミスは誰だってする! 大事なのはカバーし合うことだ!」

 

「カバーし合う? へぇ、それをラジードくんが言うの? ちょっと前と言ってることが正反対じゃない!」

 

「その件はちゃんと謝ったじゃないか!」

 

 徐々にヒートアップしていく2人に、JJは口笛を吹いて距離を取り、ハニーソルトは先程のミスを思い出してか渋い顔をし、ミリアは両目に涙を溜める。

 隊内で揉め事は日常茶飯事だ。これは3番隊だけではなく、いずれの隊でも……いいや、人間が集まれば必ず生じる問題なのだから逃れようはない。ましてや、どれだけ死闘の経験を積んでいても、彼らは長年を訓練に費やした軍人ではない。

 軍人にとって訓練の意味とは、単純に鍛錬を積んで技能を獲得するだけではなく、組織として効率化を目指す意味もある。

 統率の取れた凡人の集団が、突出した才能を持つ個人を駆逐する。DBOでは優れた個人の実力こそ求められる場面も多いが、それでも天才に依存せずに集団の進歩を追い求めるのは、この理屈は揺るがぬ絶対であると人類が証明しているからだ。

 どうする? どうすればいい? 唯一の部外者である【渡り鳥】に仲介を求めたいが、彼は腕を組んでマップデータと睨めっこしている。どうやら、ラジードとミスティアの本気の喧嘩よりも黒霧の塔の探索を優先するつもりのようだ。

 互いに引き下がらぬ言い争いを終わらせたのは、耳を擽った爆発音だった。また火薬樽を持った運搬兵が炎に突っ込んで爆発したかとマダラは思うも、その音色の違いを耳聡く聞き分ける。

 

「隊長」

 

「ああ、爆発音だ。火炎壺系だね」

 

 黒霧の塔の所有権は太陽の狩猟団にあり、何人もギルドの認可なしで立ち入ることが出来ない。

 考え得るとするならば、過疎化していることに目を付けた中小ギルドが漁りに来たか、それとも他の大ギルドによる強奪を目的とした傭兵の派遣、あるいは下部組織や支援先ギルドによる狼藉か。

 どちらにしても聞き流せる音ではない。休憩、もとい喧嘩を終わらせる口実が出来たとラジードは、折れぬ眼差しで睨むミスティアから逃げるように出発を告げる。

 

(意外だ。てっきりキレて止めるかと思ったが)

 

 仕事において手抜かりはしないタイプだろう【渡り鳥】にとって、呑気な痴話喧嘩はともかく、連携に支障がある本物の大喧嘩には何かしらの介入があるだろうとマダラは踏んでいた。だが、意外にも手出しはなかった。

 やはり噂通りの冷酷・冷徹・冷淡だったということか。マダラはまだ泣き止まないミリアだけでも慰めるべきかと思うも、どう声をかけるべきか迷う。

 

「隊長には俺からフォローしておく」

 

「……ありがとう」

 

「礼を言う元気があるなら、次からはもっと考えて発言しろ」

 

「……ごめん」

 

 元気づけることはできないが、少なくとも泣き止んでくれたか。マダラは鼻を鳴らす。これも自称・副隊長としての務めだ。

 

「間違いなく火炎壺……それも改良されていますね。この爆発痕は聖剣騎士団製の【延焼壺】かと」

 

 痕跡からJJが使われたアイテムを特定する。クラウドアースが販売する焼夷手榴弾を真似て、廉価かつ劣化した性能で聖剣騎士団が販売している攻撃アイテムだ。見た目は火炎壺よりも少し大きい程度であるが、投げつけるとまず油がばら撒かれ、続いて内部にある小さな火炎壺によって着火するという簡単な構造だ。

 威力こそ低いが、高性能・高威力の焼夷手榴弾よりも使いやすく、なおかつ値段もお手頃。資金に余裕が無い中小ギルドが特に好んで購入する傾向にある。だが、太陽の狩猟団としては敵対する聖剣騎士団製を使うわけにもいかず、仕方なくクラウドアース製の焼夷手榴弾を使用しているのが現状だ。

 即ち、自分たちの後に派遣された太陽の狩猟団の探索部隊ではない。マダラは背負う両手剣の柄に手をかけ、JJはミリアを守るように大盾と斧を構える。

 

「ソルト」

 

「もう≪気配察知≫と≪千里眼≫を使ってるが、プレイヤーは確認できない。隊長の≪聞き耳≫は?」

 

「駄目だな。何も聞こえない」

 

「隊長の耳とソルトの目を欺くとなると、かなり高い隠密ボーナスか、≪隠蔽≫を使っている確率が高いかと。どちらにしても姿を見せないということは、友好的な相手ではありません」

 

 マダラの指摘にラジードは同意見だと頷く。

 ここ最近はプレイヤーを狙った殺人事件が多発している。ディアベルが掲げた新たな完全攻略の定義を巡り、現実世界への帰還を掲げる過激派テロリストも増加した。太陽の狩猟団憎しで動き、知名度の高い3番隊を狙うことも十分にあり得る。

 

「……帰還しよう。部隊の安全が最優先だ。クゥリもそれでいいよね?」

 

「オレは報酬が払われるならそれで構わない。依頼は探索であって攻略でも護衛でもないからな」

 

 傭兵らしい回答だが、粘られないで助かる。マダラも対テロリストで殺人した経験はあるが、気持ちいいものではないからだ。

 慎重に帰路を目指す。ラジードはモンスターと遭遇するリスクを避け、遠回りでも安全な道を選ぶ。モンスターと戦闘中にプレイヤーから攻撃を受ければ、全滅は免れたとしても死人は出るかもしれないからだ。

 

「だが、侵入者がいるとして、どうして延焼壺を?」

 

「モンスターに囲われて仕方なく使った。それが自然だろう」

 

 JJの疑問にマダラは素っ気なく回答するが、すぐにおかしな点に気づく。

 黒霧の塔のモンスターはいずれも炎属性防御力に秀でている。黒霧の塔について少しでも資料があれば分かる事だ。

 

(延焼壺は油を撒いて爆発を起こす。だが、攻撃力はハッキリ言って低い。それに音が大きいから周囲のモンスターを引き付けやすい)

 

 爆発型の攻撃アイテムに共通していることであるが、攻撃で大きな音が出てしまうので隠密行動には不向きだ。周囲のモンスターを引き寄せ、余計な窮地を招く危険性もある。特に聖剣騎士団製の延焼壺は、元の焼夷手榴弾と違って安価の分だけ対策も施されておらず、やや距離があったラジードたちも耳にするほどの広範囲に音を響かせてしまう。

 そう、広範囲に音を響かせて引き寄せるのだ。モンスターだけではない。『プレイヤー』もだ。

 

「隊長、ストップだ。加圧式トラップのようだな。先ほどは設置されてなかったし、ランダムトラップだな。これだからダンジョンは……」

 

「危なかった。助かったよ」

 

 奇襲され難い開けた屋外に出て数メートル。ハニーソルトが先頭のラジードの足を止め、足下の煤を軽く手で払い除ければ、中心部にガスが詰まった球体が嵌められた地雷が出現する。ハニーソルトは≪罠感知≫の熟練度も高い。マダラも辛口に評価こそしたが、腕前ではあくまで【魔弾の山猫】に劣るだけで、十分に優れていることは認めている。対ネームドで暴れ回る近接プレイヤーの動きを把握して銃弾を撃ち込んでいるのだ。それだけでも十分に高い技量の持ち主であることは言うまでもない。

 こうしたダンジョン攻略でもハニーソルトは役立つ。彼の≪罠感知≫で免れた危機は1つや2つではないからだ。

 

「隊長、離れろ!」

 

「ラジード、下がれ!」

 

 マダラと【渡り鳥】がほぼ同時に叫ぶ。だが、今は互いにそれを意識する暇はない。

 飛来したのはクロスボウのボルト。マダラが反応する暇もなく、それはハニーソルトが暴いたトラップを起動すべく迫る。

 だが、それは寸前で【渡り鳥】が投擲した投げナイフによって阻まれる。飛来するクロスボウを投げナイフで迎撃して叩き落とすという人間業とは思えぬ神業。≪投擲≫の補助でプレイヤーはここまで出来るのかと驚嘆したマダラは、油断しないとばかりに更に投げナイフを放つ【渡り鳥】を目にする。

 1本目は囮。油断したところで更に2本目、3本目が迫っていた。それらもまた同様に迎撃した【渡り鳥】だが、4本目のボルトは今までとは異なっていた。先端が膨らんでおり、飛来速度も遅い。

 炸裂して鉄球がばら撒かれる。教会が開発した散弾ボルトの改造型だ。これは投げナイフでも迎撃しきれず、鉄球はトラップに命中して起動させる。

 途端に放出されたのは緑色の煙。それは瞬く間にマダラ達を呑み込む。

 

(毒!? いや、違う。これは……!)

 

 煙の中で宙を浮き、まるで竜巻に巻き込まれるように体は回転する。このトラップはプレイヤーの間でも特に凶悪として知られる類のものだ。

 

「転移トラップだ! 全員、手を握り合うんだ!」

 

 ラジードが叫ぶ。マダラは咄嗟に周囲を見回すが、既に他の面子とは引き離されていた。ギリギリ間に合いそうなのはミリアくらいであるが、腕3本分の距離はある。

 

「ミリア! 杖を使え!」

 

「む、無理! 体が流されて……! いや……ヤダ! 助けて、隊長!」

 

 泣き叫ぶミリアに、マダラはどうにかして彼女の元に行けないかと足掻くも、無重力空間に囚われたようにどれだけ動いても彼女には近付けない。

 

「ハァアアアアアアアアアア!」

 

 だが、マダラが無理と思ったミリアの窮地を救ったのはミスティアだ。彼女は≪槍≫の突進系ソードスキル……それも滞空発動型を使用し、その推力でミリアの元にたどり着いたのだ。

 ミスティアとラジードの距離は拳1つ分だった。トッププレイヤー2人ならば、何処に転移されようとも生存はほぼ確実だ。だが、ミスティアは自分たちが固まるよりも近接個撃手段が無いに等しいミリアを単独する危険性を把握していた。だからこそ、この混乱を免れない状況下においても迷うことなく彼女の安全性を高める事を優先したのだ。

 

「ラジードくん! 彼女はアタシが! 後で合流を!」

 

 緑の煙の中にミスティアとミリアが消える。

 

「ぐぉおおおおおおおおおお!?」

 

 次にハニーソルトが単独で消える。何とか手を取り合ったJJとラジードもまた緑の煙に溶ける。

 自分も単独か。だが、生き残ってみせる。マダラは両手剣の柄に手をかけ、仮にモンスターハウスに放り込まれても切り抜ける覚悟をするも、腕に巻き付いた何かによって強引に緑の煙から引きずり出される。

 煤に尻餅をついたマダラがみたのは、巨大な緑の煙が圧縮して弾けた光景だった。呆然とする彼は、腕に巻き付いたワイヤーが脱出不可能であるはずの転移トラップから引きずり出したのだと理解する。

 どうしてワイヤーが? 混乱するマダラは、ワイヤーの先端には、先端に鏃のような返しが付いた小型の投げナイフがあるのに気づく。そして、ワイヤーを辿った先にいるのは【渡り鳥】だ。

 

(先程使っていた投げナイフは刃が鋸のようなギザギザのタイプだった。だが、こちらは鋭利で形状も違う)

 

 袖から伸びるワイヤー。恐らく籠手の手首側にギミックが施され、専用の投げナイフの柄尻とワイヤーを接続して投擲出来るのだろう。こんなギミックを仕込めるなど聞いたことがない。純粋に手作業でパーツから組んで開発したならば、素材の選定も含めて地獄の苦行の如き忍耐が試されるはずだ。間違いなくHENTAIの所業である。

 マダラが手首に巻き付けたワイヤーを緩めれば、【渡り鳥】は腕を振るって生き物のようにしなるワイヤーを収納し、投げナイフごと袖の奥に隠す。

 このギミックを知っているか否かで対【渡り鳥】戦は大きく変化するだろう。ワイヤー付きナイフを投擲、あるいは射出できるというだけで、どれだけの脅威かはマダラにも分かる。

 

「申し訳ありません。近くにいたアナタしか間に合いませんでした」

 

「いえ、こちらこそ、感謝……します」

 

 マダラしか助けられなかったことを謝罪する【渡り鳥】に、マダラは言い知れない恐怖心を覚えた。ギミックも異常であるが、何よりも恐ろしきは対応力だ。

 マダラと同時にトラップの真意を察知して敵の狙いが射撃攻撃による加圧でトラップを起動させることだと見抜き、射線を予測して投げナイフで迎撃。それだけではなく、更に続く2射、3射も同様に防衛。狙撃手の万が一に備えた詰めだっただろう、散弾型ボルトは防ぎきれないとみるや、トラップの範囲外に離脱し、なおかつ袖に隠されたワイヤー付きナイフを投擲。マダラの手首にワイヤーを絡めさせて強引に救出した。

 トッププレイヤーのラジードやミスティアすらも対処しきれなかった一瞬の出来事だ。マダラが気づいても警告しか出来なかったのに対し、【渡り鳥】は迎撃・離脱・救出の行動を実行していた事になる。

 人間ではない。慄くマダラに、【渡り鳥】は穏やかな微笑みと共に右手を差し出しているが、そこにバケモノの姿を見て生唾を呑む。

 

「自分で立てます」

 

「そうですか。それは結構です」

 

 少し傷ついたように苦笑した【渡り鳥】は、発動済みとなってポリゴンの欠片となるトラップを静かに見据える。

 

「今のは転移型トラップですね。パーティを強制分解させ、ダンジョン内の何処かにランダムで転移させる凶悪トラップの1つです。ですが、ダンジョンの水準に対して看破難易度は低めです。≪罠感知≫があれば、まず見落とすことはありません」

 

 それくらいは分かっている。だが、マダラは自分を落ち着かせる為にトラップについて解説してくれていると悟り、理解したと示すべく【渡り鳥】に頷いて見せた。

 そして、マダラはそれぞれがどのように転移したのかを伝えた。1番危険だったミリアがミスティアと一緒に転移したのは、まさに【雷光】の異名に負けぬファインプレーだろう。

 

「敵が『偶然』このトラップを利用したとは考え難い。間違いなく≪罠設置≫で仕掛けられたものでしょう。転移トラップともなれば、かなりの高熟練度……それこそDBO初期から使い続けていなければ設置は不可能でしょうね。延焼壺でこちらに危険察知させ、安全ルートを通ることも読んでトラップを設置したはずです」

 

「つまりはPKの常連ということですか?」

 

「……殺し慣れているプレイヤーなのは間違いありません」

 

 対モンスターでは無効化されるトラップも多く、≪罠設置≫はどちらかと言えば対人向けスキルである。イベントをクリアしなければ獲得できないEXスキルの類であり、その危険性から大ギルドも獲得者は厳しく管理している。

 だが、大ギルドがイベント管理する以前のDBO初期ならば、誰にも知られることなく≪罠設置≫を獲得済みのプレイヤーもいるだろう。そうでなくとも、大ギルドの子飼いや暗部ならばPK用で≪罠設置≫を入手していてもおかしくない。

 

「鮮やかな手口です。トラップとしては看破され易い転移トラップを上手く利用しています。逆に発見させたところで加圧式を逆手に取って狙撃で発動させて分散。ここは開けた場所で狙撃には持って来いの場所です。狙撃ポイントは大よそ割れていますが、既に移動されているでしょう」

 

「ですが、敵の狙いは何でしょうか? まさかパーティを分解して各個撃破を?」

 

 今のトラップはダンジョンの何処かにランダム転移させるものだ。確かにダンジョンで孤立すればモンスターにやられる確率は高くなるが、近接戦を得意としないミリアとハニーソルトを除けば、十分に窮地を切り抜けられる。JJはやや不安こそ残るが、ラジードとミスティアはまず間違いなく単独でも問題ないだろう。マダラも自分ならば単独脱出は可能だと自負している。

 

「……さぁ、どうでしょうね。ですが、状況はかなり不味いことになっているのは間違いありません。この手のトラップの怖いところは、マップデータを初期化してしまう点にありますからね。皆さんも黒霧の塔のマップを全て頭に入れているわけではないでしょう? だからこそ、手書きの地図がこういう時に有用なのですが」

 

 確認すれば、マダラのマップデータも初期化されていた。煙に巻き込まれた時点でマップデータの初期化は発動してしまったのだろう。そんな彼を前に、【渡り鳥】はマップデータをそのまま写し書いた地図が入っているのだろう記録媒体クリスタルを見せる。

 

「これは万が一に備えて、過去に黒霧の塔の探索をしたことがあるカイザーの兄貴から購入したもの」

 

 カイザーの『兄貴』? 思わず首を傾げそうになったマダラは、とりあえず聞き流そうとするも、【渡り鳥】にクリスタルをを押し付けられる。

 

「それはアナタに渡しておきます。オレのマップデータはコピー不可のロックがかけられているので譲渡できませんからね」

 

 黒霧の塔のマップデータの流出対策なのだろうが、それが裏目に出たのだろう。だが、【渡り鳥】は専属傭兵と事前に交渉して手書きのマップデータを準備していた。

 傭兵はただ実力が高いだけではない。個人で多くの局面に対処しなければならない。そこが大ギルド所属のトッププレイヤーとの決定的な違いだ。

 

「幾らで譲っていただけるんですか?」

 

「……ふぇ?」

 

「いや、タダで譲ってくれるわけではないのでしょう?」

 

「…………」

 

 マダラが当然のように支払いを申し出れば、【渡り鳥】は目を白黒させ、視線を波のように揺らし、ダラダラと汗を垂らす。

 

「も、もちろん。えーと……1万コル! 1万コルで如何ですか!?」

 

 安過ぎる。売りつけるなど考えてなかったのか。マダラは思わずプッと吹き出してしまえば、【渡り鳥】は耳まで真っ赤にして背中を向ける。まるで尻尾のように1本に結われた長い三つ編みが踊る様は、恥ずかしがる乙女のような可憐さだ。

 

「……今のは無かったことに。後でそちらの副団長様に請求しますので」

 

「了解しました」

 

 これまでダンジョンで傭兵にアイテムや情報を譲ってもらったことはあったが、いずれも高額で売却してきたものだ。だが、【渡り鳥】はどうやら取引や交渉の類において、致命的に才能が無いようだ。

 マダラは知っている。そういう人間は底なしの考え無しか、極度のお人好しか、そのどちらかだ。はたして【渡り鳥】がどちらなのか、マダラには判別がつかなかった。

 

「まずはダンジョンを脱出して太陽の狩猟団に救援を申請しましょう。この広いダンジョンでバラバラになった4名を探すには人手が要ります。彼らも馬鹿ではありません。下手に動いて個人で脱出を目指すよりも、≪気配遮断≫や≪隠蔽≫を使って、なるべくモンスターが出現し難い場所に隠れて……ああ、そういうことですか。本当にPK慣れしている御方のようだ」

 

 何かに勘付いたように、【渡り鳥】は小さく溜め息を吐く。

 

「敵は分解されたパーティメンバーが何処に隠れるのか大よそ把握しています。敵は黒霧の塔の緻密なマップデータを所持しています。そして、索敵スキルやアイテム、武器の能力などでダンジョン内にいるプレイヤーの居場所をある程度は把握できると見るべきです。大雑把で構わない。転移したプレイヤーの居場所さえ分かればいいんです。資料から隠れて救援を待つにはうってつけの場所もリサーチ済みならば、あとは孤立して疲弊している所を狙えばいい」

 

「ですが、それでも成功率は低いのでは? なにせ、ダンジョン内にランダム転移させるトラップです。つまりはダンジョンの出入口に転移することも十分にあり得る。それに敵の目論見通りに救援を待つなんて……」

 

 いいや、違う。マダラは思い出す。ダンジョン内で転移トラップが起動した場合の対処マニュアルだ。『孤立してしまった場合、モンスター侵入不可エリア、あるいはモンスターとエンカウントし難い隠れられる場所に身を潜めて救援を待つ』のが鉄則だ。

 特に黒霧の塔は深部程にモンスターの水準レベルは高い。分散した隊員は、マニュアルに従って無理に脱出を目指さず、救援を待つことを優先するはずだ。

 敵がマニュアルを逆手に取っているとしたら? ここまで策を弄する相手だ。十分にあり得る。そして、マダラの至った危惧に、既に【渡り鳥】が行き着いているのは明白だ。

 

「ですが、それでも狙いが杜撰過ぎるのでは?」

 

「ええ、そうですね。ですが、ターゲットは特定の個人ではなく、『誰でもいいから1名』ならば如何ですか? たった1人でもいいから暗殺する。そんな任務を請けた敵だとしたら?」

 

 今回転移したのは5名だが、本来ならばマダラや【渡り鳥】も含めた全員が転移させる計画だったはずだ。

 7人の内の1人。転移トラップをしようとした賭けでもあるが、悪くない確率だ。さすがに7人全員がダンジョンの出入口近くに転移させられるとは考え難い。

 だが、仮に【渡り鳥】の仮説通りならば、敵の狙いがまるで分からない。3番隊に強い恨みを持つ者ならば、象徴たるラジード個人か全滅を狙ってくるはずだ。

 

「敵のターゲットの優先度は恐らくラジード、ミスティア、3番隊の誰かといった順番でしょう。しかも熟練度の高い≪罠設置≫を多用してくる相手。ダンジョン自体が敵の武器のようなものです」

 

 心底うんざりするといった口調でありながら、【渡り鳥】の口元は何処か楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 まるで蜘蛛を思わす無機質で冷たい殺意に浸された【渡り鳥】の目に、マダラは思わず後退る。この傭兵の傍にいるよりも、見えぬ暗殺者を警戒しながら単身でダンジョンを脱出する方が何百倍もマシだと生存本能が警告している。

 

「我々に与えられた選択肢は2つ。ダンジョンを速やかに脱出して救援を呼ぶか、それとも合流の為にダンジョン内を捜索するか。幸いにもオレとアナタにはマップデータがあります。これは敵にとっても誤算のはず。オレ個人としては、前者をお勧めします。姿を見せない暗殺者を相手にするには、アナタはお荷物ですから」

 

「……言ってくれるじゃないか」

 

「事実です。アナタの実力は高い。いずれはラジードと同格に成長する可能性がある。ですが、これは対人戦です。それも敵はPK慣れしている。アナタがこれまで潜り抜けた戦いとは全く勝手が異なります」

 

「そうだとしても! 隊の皆を放っておけるか!」

 

 挑発するかのように淡々と述べる【渡り鳥】に、マダラは激昂してその胸倉をつかむ。だが、【渡り鳥】は冷ややかに目を細めるだけだ。

 

「オレの依頼は黒霧の塔の探索。護衛でも救助でもありません。この状況下で、アナタの死に対しては何ら責任を持てません」

 

「だったら遺言書でも準備すればいいか!? 好きなだけ書いてやる! 俺が死んでも【渡り鳥】の報酬は減額しないでくださいってな!」

 

 以前のマダラだったならば……野心だけを抱えていた頃ならば、このように感情を露にして部隊の救出を優先しなかっただろう。だが、3番隊に少なからずの愛着がある今は違う。大切な仲間だったヒーラーが戦死した時は動揺した。こんな事は2度と御免だと涙を堪えた。

 特に脳裏を埋めるのはミリアだ。あの泣き虫女を泣かせていいのは俺だけだ。そんな傲慢な怒りがマダラで渦巻く。

 

「俺は助けないといけない奴がいる。見捨てられるか。お前が何と言おうと、救助を優先する」

 

 宣言したマダラに対して【渡り鳥】は微かに嬉しそうに微笑む。

 

「……ギンジ」

 

「なんだって?」

 

「いえ、何でもありません。ギンジ……ギンジ……どういう意味だ? マダラに何か……いや、どうでもいいか」

 

 マダラの手を振り払ったかと思えば、額を押さえてフラフラと【渡り鳥】は後退って一呼吸を置く。左足のつま先で地面を叩き、抜いたカタナの反りで右肩を叩く。まるでリズムを切り替えるように、その眼差しも変わっていく。

 

「オレも復帰したばかりで悪評を高めたくありません。太陽の狩猟団とも良好な関係を築きたい。ここは彼らの救助を優先しましょう。どうしますか? アナタが単独行動を望まれるのならば、オレはそれで構いませんが?」

 

「……二手に分かれる方が捜索の効率はいい」

 

「そうですか」

 

「だが! 対人戦の経験が不足しているのも確かだ。ご一緒させてもらいたいし、力も借りたい」

 

「それは『依頼』ですか?」

 

 やはり金を取るつもりか。先ほどマップデータを売り込まなかったのは、ケアレスミスだったのだろうとマダラは判断する。やはり傭兵だ。ここぞという場面で足下を見て来る。

 

「ああ、そうだ。金なら後で支払う。サインズなら後付け依頼も可能なんだろう?」

 

「ええ。ですが、オレにとって重要なのは『アナタの依頼』である事です。アナタの意思がそこに介在するか否か。アナタは『暗殺者の撃破』をオレに依頼する。そうですね?」

 

「そうだと言っている!」

 

 途端に【渡り鳥】の雰囲気が変わる。マダラの全身の毛が逆立つ程に、殺意としか言い表すことが出来ない何かが【渡り鳥】より溢れ出していく。

 

「了解しました。では、ご要望通り、見えぬ暗殺者……狩らせていただきます」

 

 狩り。そう称した【渡り鳥】に、マダラは怪物の顎を幻視する。まるで飢えたバケモノがようやく獲物にありつけたと歓喜するような、人間として許容することができない、おぞましい殺意に恐怖する。

 自分はとんでもない過ちをしてしまった。そんな後悔を抱くも、仲間の救助の為にも暗殺者を撃破して安全確保は不可欠だとマダラは拳を握って堪える。

 

「それと報酬ですが、サインズを通してもらわないで結構です」

 

 サインズを通さないということは、サインズの基準以上の要求をする腹積もりということか。身構えるマダラに、暗殺者を狩るべく歩き出した【渡り鳥】は、酷く優しい微笑みと共に振り返った。

 

「ミリアさんにちゃんと想いを伝えてあげてください」

 

「は?」

 

「好きなんでしょう? 見てたら分かりますよ」

 

「……はぁあああああ!?」

 

 俺がミリアを!? 絶対にない! 反論しようとするも衝撃の余りに言葉が出ず、マダラは顔を硬直させる。これでは肯定したようなものだ。そんな彼に、寂しさを滲ませるように【渡り鳥】の視線が俯いた。

 

「オレにもよくわかりません。ですが、アナタと似たような誰かを知っているような気がします。報われぬ恋をして、それでも命懸けで戦って、そして散った……優しい『英雄』を知っているような気がするんです」

 

 思い出したくても思い出せない。それに苦しむように、【渡り鳥】は胸を右手でつかむ。

 

「アナタには、その『誰か』と同じ末路を辿って欲しくない。ミリアさんはきっとラジードに恋心を抱いている。でも、それに気づいていない。報われないと分かっているから。そして、アナタもきっと同じだ」

 

「お、おい、勝手に話を進めるな! 俺は……ミリアのこと……なんか……なんか……っ!」

 

「でも、好きなんでしょう?」

 

「……ぐっ、ぐぅうううう!?」

 

 違う。絶対に違う! 反論したくても喉と舌が動かないだけだ! マダラは否定を述べようとするが、どうやっても口は動かない。

 

「だったら、後悔しないでください。ちゃんと言葉にすれば、アナタの想いはきっと届く。彼女はアナタの気持ちを受け止めてくれる。結果はどうなるか分かりませんが、ちゃんと気持ちを伝えてください。それが報酬で結構です」

 

 何なんだ? 本当に【渡り鳥】って何なんだ!? 理解不能となり、マダラは唇を噛んで叫びたい衝動を呑み込む。

 

「よくお節介って言われないか?」

 

「いいえ、全く」

 

「……そうかよ」

 

 先を歩く【渡り鳥】の何処か楽しそうな足取りに苛立ちながら、マダラはともかく救助……もとい暗殺者の撃破を請け負ってくれた【渡り鳥】に感謝する。

 かつてSAO事件で虐殺者として名を馳せた【渡り鳥】だが、200名以上のプレイヤーを殺害した彼にはもう1つの本性があるからだ。

 

 

 

 PKK専門。SAOにおいて、人殺しを狩るのは【渡り鳥】の傭兵業において、最も繁盛した仕事なのだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 煤のニオイ。ミスティアは雪のように白く降り積もった煤の絨毯に寝そべっていた。

 転移の衝撃で意識が飛んだ? フラフラの体に芯を通すように起立して周囲を見回す。酷く光が乏しいが、≪暗視≫スキルを持っていないミスティアでも最低限の視界は確保できているが、有効視界距離に制限がかかっている。

 

(半減ってところかしら)

 

 戦えないことはないが、暗がりからの不意打ちに対処し難くなる。特にミスティアの得物は槍だ。迎撃に適しているとは言い難い武器である。

 携帯ランタンを装備したいが、光源はモンスターを引き寄せる。クラウドアースが販売している梟ランタンのように使用者だけに目視できるタイプもあるが、ミスティアは持ち込んでいない。パーティである以上は自分だけの光源を確保してもしょうがないと判断したからだ。

 

(野宿セットはあるし、保存食込みなら5日は耐えられる。回復アイテムも十分。無理に動かずに救援を待つべきかしら)

 

 黒霧の塔は深部程に高難度化するダンジョンだ。モンスターと戦えば、大よその深さも分かるが、無用なリスクは避けたい。ミスティアは改めて周囲を見回すも、煤ばかりが積もった空間であり、特に目ぼしいものはない。あるとするならば、悪趣味な巨人像ばかりだ。

 黒霧の塔を建造した鉄の王は、鉄に命を吹き込む力があった。故に鉄人形の巨兵を作るのは理解できるが、横たわっている巨人像はいずれも石像だ。

 石像を動かすことが出来ないならば権力誇示の為だろう。心理は分かるが、もう少し趣味の良いものはなかったのだろうかと、ダンジョンを彩るオブジェクトに過ぎないと頭では分かっていてもミスティアは駄目出しをしてしまう。

 

「……っ! そうだ。ミリアさんは何処に?」

 

 転移の衝撃で混乱してしまったが、確かに手を掴んだはずだ。ミスティアの知る転移型トラップならば、一緒にいるはずだ。だが、ミリアの姿は何処にもない。

 まさか手を掴んだのは錯覚で、実際には……と血の気が引いたところで、煤から突き出た生気のある女性の手を見つけ、ミスティアは慌てて堀り起こす。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 窒息ダメージが入り始めていたミリアを救出したミスティアは、大したことはないと首を横に振る。

 

「貴女が無事で結構です。まずは安全地帯を確保し、野営を張ります。理想はモンスター侵入不可エリアですが、そう簡単にはいかないでしょう」

 

「え? 皆と合流しないんですか?」

 

「それでも誉れある3番隊の1員ですか? ダンジョン内で想定外の事態で単独・少数になった場合、無理に脱出・合流を目指さず、まずは安全地帯を確保して野営を張ること。今回の任務は日帰りですから、帰還が遅れたらギルドが察知して救助部隊か傭兵を派遣するはずです。ダンジョン探索マニュアルにも書いてあるでしょう?」

 

「そう……ですよね。すみません」

 

 ミリアは申し訳なさそうに俯く。ミスティアも分かっている。彼女は混乱しているだけだ。人為的に作動された転移トラップで仲間と離れ離れになったのだ。不安で正常な判断を下せない方が普通である。

 

(PK目的にしては雑過ぎる。敵の狙いは何? ラジード君も無事だといいけど)

 

 仮に≪罠設置≫でPKを狙うならば、まだ地雷で即死を狙った方が確率は高い。火薬樽を運搬するモンスターもいるのだ。場所と状況次第ならば一撃必殺も不可能ではない。だが、敵は転移トラップによってパーティを分解することを選んだ。

 

(仮に分散したパーティメンバーの各個撃破を狙うならば、敵は複数人でダンジョン内の各所に潜んでいるはず。下手に野営をすれば危険を増やすだけかもしれない。でも、このまま少人数で動き回るのも同じくらいに危険。どうすればいいの?)

 

 ミスティアは槍と奇跡のコンビネーション戦法を得意とする。槍による一撃離脱と雷系奇跡による範囲攻撃の2つを武器にしてトッププレイヤーとなった。だが、対人戦の経験は決して多くない。

 むしろ対人戦は苦手だ。ミスティアも人殺しの経験はある。テロリストの『捕縛』任務の際に、余りにも大き過ぎる抵抗を受けてしまって殺害してしまったのだ。

 手が震えて槍を握れなかった。誰かを殺した重みに耐えようとする心に反して体が命令を受け付けなかった。己の精神の脆弱さを自覚した。

 2ヶ月前のアップデートによってダメージエフェクトがより生々しくなったのは、彼女の精神をより追い詰めていた。ただのモンスターでさえ、槍で突けば血が零れる。その度に殺人の記憶がフラッシュバックしてしまうのだ。

 戦えるのか? 自分の首を狙って来るプレイヤーを……人間を殺せるのか? ミスティアが思い出すのは、ラジードとの関係の始まりとなった病み村だ。多勢に無勢の戦い。【棘の騎士】カークに追い詰められ、あともう少しの所で死ぬところだった。【渡り鳥】の参戦がなければ、ミスティアもラジードも命を落としていただろう。

 死にたくないなら殺すしかない。頭では分かっている。だが、どうしても不安がある。殺しを割り切れない己をミスティアは恥じる。

 

「大丈夫です。隊長が必ず来てくれます」

 

 震えてしまっていたミスティアの手を、そっとミリアは握った。

 

「隊長はいつも言ってるんです。『仲間のピンチには必ず駆けつける』って。恋人の危機なら尚更ですよ!」

 

 責任感の強いラジードくんらしい。ミスティアはすっかり自分を追い越してしまった恋人の背中を思い浮かべる。

 ミスティアは自分の隊を持たない。他人の命を背負いたくないからだ。責任に耐えられないと分かっているからだ。臨時で組めば隊長を務めるはあるが、正式な部下は1人として持っていない。

 親しくなった人間が死ねば、その分だけ心は大きく揺さぶられる。死の恐怖は感染する。そして、耐えられないだろう。恐怖に屈して動けなくなるだろう。

 程々の距離を維持したかった。より距離を詰めた相手をギルド内で持とうとはしなかった。だからこそ、ギルドの外で出来た友人とは積極的に交流を深めた。

 ただ1人……ラジードを除いては、ギルドで心を開いた相手はいなかった。

 

「でも、ラジード君もマニュアル通りなら助けに来れませんけどね」

 

「隊長はマニュアル通りに動くよりも自分の気持ちを優先する人だから必ず来ます!」

 

 本当ならば叱るべき場面なのだろうが、ミスティアは笑って同意した。ダンジョンに単身で潜ってレベリングすることもあるラジードならば、それくらいの無茶は何でもないだろう。だが、ミスティアはそれでも彼に動いて欲しくないと願う。特に今回の離散は人為的に図られたものだから尚更だ。

 周囲を見回るもモンスターはいない。ミスティアは前衛として先に進みながら、煤が積もった道を進む。黒霧の塔の内部であることは間違いないが、ミスティアが知るよりも暗く、また製鉄設備もより朽ちているような印象を受けた。

 

「なんか雰囲気が違うような……ここって本当に黒霧の塔ですか?」

 

 ミリアも遅れて同じ意見を抱いたのだろう。声に出して尋ねる彼女に、ミスティアは不安を煽るとしても隠すべきではないだろうと嘆息する。

 

「ここは黒霧の塔の下層……最深部かもしれません」

 

「ええ!?」

 

「転移トラップによって、ギミックを解除しなければ進めないはずの深部に転移してしまうことが稀にあるそうです」

 

「そんな!? だったら救出は……!」

 

「落ち着いてください。転移トラップでギミックが未解除の状態で深部に飛ばされた場合、戻る為の転移ポイントも同時に形成されるそうです」

 

 転移トラップにも複数のタイプがある。今回のようにパーティを分解してランダム転移させるものもあれば、モンスターハウスやダンジョンの入口、更には通常では決してたどり着けない宝物庫などの固定の場所に転移させるものもある。また、ランダム転移でもマッピングしている場所に限定して転移させるものが大半だ。

 だが、元より転移トラップが出現しない、それもギミックを解除しなければ先に進めないタイプのダンジョンにて、ランダム転移トラップを使って深部に飛ばされてしまった事例が報告されている。悪知恵を働かせたプレイヤーが、転移トラップでギミックを無視して深部に侵入しようとしたのだ。

 もちろん、成功率は低い。ランダム転移であるとしても高確率でマッピングされたエリアへの転移に限られる。また、わざわざ未攻略のダンジョン深部で単独になりたがる奇特なプレイヤーが多いはずもない。件の悪知恵プレイヤーは、ギミック未解除のダンジョン深部を漁ることで先んじてレアアイテムをゲットしようとしたらしいが、余程の怖い目に遭ったらしく、懲りて2度とすることはなかったとミスティアは聞いている。

 だが、話を聞いた怖いもの知らずのプレイヤーの何人かが挑戦して成功し、そのほとんどが帰ることは無かった。いや、そもそも死者は語る口を持たないならば、本当に深部に飛ばされて死んだとも限らない。僅かばかりの自称成功者が帰還用の転移ポイントがあったと語っただけだ。

 

「つまりはバグじゃなくて仕様ってことですか?」

 

 説明を受けたミリアは怖がった様子で杖を握る両手に力を込めた。ミスティアは曲がり角から少しだけ顔を出してモンスターの影が見えないことを確認する。やはりモンスターはいないようだった。

 

「あるいは、本来はバグだったものを、帰還用の転移ポイントを準備することで解決を図ったのかもしれません」

 

 真相は茅場の後継者だけが知る。そもそもとして、自分で設置したトラップを踏もうという神経自体がミスティアには考えられなかった。

 

「仮にここが本当に未踏の最深部であった場合、我々が脱出する方法は1つだけ。帰還用転移ポイントを発見することです」

 

 状況は最悪であるが、同時に懸念事項の1つだったPKのリスクは減った。まだ誰も立ち入ることが出来ていない黒霧の塔の最深部であるならば、少なくとも敵プレイヤーもまた同じ手段でしか到達できないからだ。

 

(モンスターが出現しないのはギミックが解除されていないから? 不自然に静かで気味が悪い)

 

 何にしてもマニュアル通りに救出を待つことは出来ない。ミスティアが先導して探索を進めるが、転移ポイントと見られる場所は見当たらない。

 かつての製鉄設備の成れの果て。煤ばかりが積もったそれらは過去の栄華の名残を感じさせ、また寂れた墓場を想像させる。この地で何があったのかは知らないが、DBOの常がそうであるように、悲劇によって滅びたのは間違いなかった。

 

「あ、あの……!」

 

 と、そこでミリアが立ち止まり、ミスティアは何かを発見したのかと振り返る。

 頬を赤らめたミリアは、何度も深呼吸をして気を落ち着かせ、勇気を振り絞ろうとしているようだった。

 

「わ、私! 隊長とは何ともないですから! ただの上司と部下ですから!」

 

「……はい?」

 

「本当です! 確かに隊長は優しいし、頼りになるし、結構カッコイイし、ご飯食べる時は凄い子供っぽくて可愛くて、実はおにぎりよりもサンドイッチ派で――」

 

「全部知っていますが何か?」

 

「ひぎゅ!? えと、つ、つつつ、つまり! 心を整理したら、私は隊長に惹かれてる部分はあると思います。でも! 略奪しようとか考えてません! 泥棒猫になろうとか全く思ってません! だ、だって、隊長が1番優しい顔になるのは……ミスティアさんの話をしている時だから。だから……その……私のせいで隊長と喧嘩なんかしないでください!」

 

 今にも煤の山に顔面から突っ込みそうな勢いで頭を下げたミリアに、しばしの間はどう発言するか困ったミスティアだったが、たっぷり30秒後に自分がラジードと喧嘩した理由を彼女なりに分析して謝罪しているのだろうと理解した。

 全身の疲労を浸らせた溜め息を吐いたミスティアは、今回の探索において最もチームワークを乱していたのは自分かと反省する。

 

「ごめんなさい。アタシの方こそ、皆さんに迷惑をかけてしまったみたいで……」

 

 ここはモンスターの気配もない。ゆっくりと話をしても問題ないだろう。ミスティアは野営用のシートを敷き、携帯食をミリアに差し出す。2人並んで座り、塩味のビスケットを齧りながら、ミスティアは己の情けなさを吐露する。

 

「最近のラジードくんは凄い荒れていたのは、隊員である貴女も知ってると思う。アノールロンドの戦いでかなり無茶したみたいで、アバターも上手く動かせなくなってたんだ」

 

 まともに立っていることが出来ない程の消耗だ。何があったのか尋ねてもラジードは答えなかった。心配させたくなかったのか、それとも教える事も出来ない程に危うい真似をしたのか。両方だろうとミスティアは確信している。

 

「ラジードくんはね、出会った時からそうなんだ。自分に自信がなくて、いつも強い人たちの背中を見て、追いつこうとして、どれだけ打ちのめされても諦めない。助けたい。守りたい。救いたい。そんな真っ直ぐな心根で戦い続けた人」

 

 だからこそ、愛おしくなったのだろう。彼の傍にいたいと望んでしまったのだろう。そして、自分の弱い心も守ってもらいたいように依存してしまったのだろう。

 少しでも恩返しがしたかった。彼に心を守られている分だけ、その苦しみを取り除いてあげたかった。だが、ミスティアのどんな言葉も行動も彼の焦りと悩みを打ち消すことは出来ず、むしろ言い争いの温床となった。

 そして、先日はその挙句に大喧嘩だ。飛び出していったラジードの背中を追えなかったミスティアは、ショックで立ち尽くしていた。きっと帰ってきたら別れ話をされるに違いないと枕を抱えてベッドの中で震えていた。

 だが、帰って来たラジードはまるで憑き物が落ちたように冷静さを取り戻し、また己を客観視してこれまでの暴言と態度の詫びをした。一切の非は己にあるとして、ミスティアの謝罪の言葉すらも受け取らずに頭を下げ続けた。

 ラジードの苦悩を取り除いたのは、ずっと傍にいたミスティアではなく、DBOで最も恐れられる傭兵だったと分かった。

 

「ただの嫉妬。【渡り鳥】さんはあっさりとラジード君の悩みを吹き飛ばしてしまったのに、アタシは何も出来ないどころか、怒鳴って、泣いて、余計に苦しめただけ。それが……悔しくて……悔しくて……堪らなかったの」

 

 胸に溜まっていたドロドロとした嫉妬の情念を吐き出し、ミスティアは黙って聞いてくれていたミリアに感謝を示すべく力なく笑い掛けた。

 

「私は隊長に心を救ってもらいました。仲間を死なせて1人だけ生き延びた私に、頑張って生きることの素晴らしさを教えてくれました。死者に後悔の念を抱くのではなく、前を向いて生きることの誓いを立てる。私が今日まで頑張って来れたのは隊長のお陰です。JJも、ソルトも、マダラだって同じはずです。私達は少数精鋭の3番隊なんて言われてるけど、結局は隊長の下じゃないと纏まることも出来ない爪弾きにされた人ばかりですから」

 

 最終的な隊員の配属は隊長と副団長の合議によって決定する。ミュウならば、複数の推薦されたメンバーの中から、ラジードの下でなければ活かせない程に癖のある人物を選出してもおかしくない。なお、ミスティアが裏から手を回して女性隊員の配属を徹底的に妨害していたのは言うまでもないことであるが、彼女は敢えてミリアにそうした事情を伝えまいと決心した。

 

「でも、私はあんなにも助けてもらったのに、隊長の悩みを掬い上げてあげることも出来なかった。だけど、ミスティアさんはちゃんと気づいて、必死になって隊長を助けようとしたじゃないですか。行動しなかった私達よりもミスティアさんの方がずっと尊いに決まってます。ミスティアさんが隊長に寄り添ってくれていたから、きっと隊長も変わることが出来たはずです。私は……隊長はそういう優しい人だって知ってますから」

 

 ミリアが両拳を握り、ミスティアを励ますように笑顔を咲かせる。自分には決してできない純粋無垢な笑顔だ。戦いの日々の中で手放してしまったものだ。

 笑うよりも泣く日が増えた。それに気づいた時には遅く、自分をより大きく、より強く、より勇ましく周囲に見せるべく振る舞わねばならなかった。自分の一挙一動に多くのプレイヤーが関心を寄せているのだから。

 

『僕はどんなミスティアでも好きだけど、やっぱり笑顔が1番かな。好きな女の子には、ずっと笑顔でいてもらいたいんだ。だから、僕はキミを守る。キミがいるからこそ、僕も笑うことができるはずだから』

 

 胸で反芻するのは、いつとも知れぬラジードの言葉だ。ミスティアは締め付けられる胸に両手をおき、嗚咽と共に笑顔を作る。

 

「アタシ……ラジードくんが好き。好きなの! だから、役に立ちたかった! 彼の心を少しでも軽くしたかった! アタシだって……アタシだってラジードくんを笑顔にしたかった!」

 

 泣き続けるミスティアに、ミリアはポッドから注いだ珈琲を差し出す。

 一口飲めば、温かさが染み込んでいく。それが余計に涙を誘う。

 どれだけの時間が経っただろうか。ミスティアの嗚咽を黙って聞いてくれていたミリアに、彼女は袖で目元を拭ってから微笑みかけた。

 

「本当にごめんなさい。貴女みたいな優しい子が隊にいたら、ラジード君も無理してでも強くなろうとするのは当たり前かもね」

 

「ミスティアさんも隊員になったら、それこそあのUNKNOWNやユージーンさんも超えるくらいに隊長は強くなるはずですよ。あ、本当に隊に入ってくれませんか!? マダラはいつも『自分が副隊長だ』って顔をしてウザいんです。私のこと、いっつも虐めるし! 脅すし! 怖いし!」

 

 マダラ……あの三白眼の青年か。ミスティアの目には、それとなくミリアをフォローする姿が光る優秀なファイターに映っていた。隊員の配置をほぼ完璧に把握し、自分が最も効果的に動ける位置取りをし、なおかつ後方支援の要であるミリアが攻撃されるリスクを下げるような動きが目立った。

 実力はラジードにこそ及ばないが、並べるだけの素質はある。場数をもっと踏めば遠からずトッププレイヤー入りするだろう原石だ。ミュウも期待を込めてラジードの部下として配属しただろう人物であることは間違いないだろう。

 

「でも……時々凄い優しくて、どうしても憎めないんです」

 

 本気で嫌ったことはない。そう伝えるようにミリアは苦笑した。

 

「ねぇ、アタシもミリーって呼んでいい?」

 

「もちろんです!」

 

「ありがとう。アタシのことも呼び捨てでいいから」

 

「そ、それはちょっと……遠慮しておきます。あ、親愛の情が無いとかじゃなくて、私ってマダラの言う通り空気読めないところもあるから、礼儀が必要な場面でも呼び捨てにしちゃいそうで……」

 

 頭を掻いて恥ずかしそうなミリアに、ミスティアは肩の力を抜いて笑う。ギルドの外の友人に見せる時と同じような笑みを描く。

 そろそろ出発だ。早く帰還用転移ポイントを発見しなければならない。そう思いながら先を目指す。

 

「でも、皆は大丈夫かな。隊長は強いし、マダラも癪だけど腕は立つからソロでも脱出できると思うけど、JJとソルトはソロでダンジョンなんて初めての経験だろうし」

 

「【渡り鳥】さんもどう動くか分からないし、何よりも敵の真意が分からない。アタシたちよりも彼らの方が危険なのは間違いないわね」

 

「…………」

 

「どうしたの?」

 

「あ、ごめんなさい。あのミスティアさんがこんなにもフレンドリーなんて、正直驚いちゃって……」

 

「……アタシは普段の自分が嫌いだけどね。いつも他人を威圧して、そうして自分を守ってばかり。本当に駄目ね」

 

 幼い頃から友人には恵まれなかった。どれだけ優秀でも心を許せる相手はいなかった。厳しい両親の前で優等生を演じ続けることだけが全てだった。

 皮肉なことに、日々に死が溢れるDBOでこそ人間として価値のあるものを得たとミスティアは確信していた。

 どれだけ歩き続けただろうか。ミスティアはようやく開けた場所に出たとホッとする。そこは地上からの明かりが差し込む地の底だ。幾重も積もった煤が層となり、もはや本来はどのような場所だったのかも分からない。石像の残骸が散らばり、また鉄骨のようなものが重なり合ってドーム状の籠のようなものを形成していた。

 

「うわぁ、広いですね」

 

「気を付けて。煤からモンスターが出現するかもしれない」

 

 余りにも広々としていて、なおかつ遮蔽物も少ない。黒霧の塔では煤に埋もれたモンスターが突如として飛び出して攻撃してくることも多々ある。こうした広いフロアこそ最大の注意が必要だ。

 だが、ミスティアは先程から肌をヤスリで擦るような空気に顔を顰める。まるで何者かが侵入を警告しているかのようだ。

 

「ここから出ましょう。嫌な予感がします」

 

「え? でも、まだ奥がありますよ? 転移ポイントがあるかもしれません」

 

 確かに奥には闇に満ちた道が続いている。だが、この広さ……何よりも幾度となく経験して本能に刷り込まれた危機感……予想通りならば早急に引き返さねばならない。

 そして、ミスティアの目は……フォーカスロックは捉える……『捉えてしまった』。広々としたフロアの中心部に突き刺さる『それ』を見てしまった。

 敢えて言うならば『板』。黒鉄の岩盤をそのままくり貫いて削ったかのような分厚い大剣。だが、プレイヤーが所有するには余りにも大き過ぎる。

 煤が……いいや、黒い『煙』が大剣に集まっていく。『煙』は凝縮して瞬く間に人の形を作る。

 それは朽ちた黒い甲冑。フルフェイスの兜は、DBOに登場するドラングレイグという亡国の意匠によく似ている。だが、菱形のフェイスカバーは精巧な金彫が施されており、その者の位の高さを示す。

 身長は3メートル超という人間よりも一回り以上大きい体格。右手にはその巨体からすれば片手剣サイズだろう、黒く汚れた銀の剣。左手にはその巨体すらも上回りかねない程の、黒い岩盤を削って作り上げられたかのような大剣。

 

 

 

 

 

 

<煙の騎士>

 

 

 

 

 

 

 

 3本のHPバーに関された名前。それはネームドである証明であり、黒霧の塔の最深部に待ち構えていたならば、まさしくダンジョンのボスであることの証左だ。

 

「ミスティアさん。出口が……!」

 

「アタシの後ろに!」

 

 ミリアの悲鳴は出口が封鎖されたからだろう。進路上にあった暗闇の道にも煤が集まって壁を成している。

 

「……若い娘2人か」

 

 何処か渋るような発言と共に、左手の大剣を軽々と振るって肩に担ぎ、右手の細身の片手剣を構える煙の騎士は、理性に富んだ、熟達した戦士の風格が滲む声音だ。

 

「不服ですか?」

 

 ミスティアは頭上で槍を回転させて構える。生存する方法は2つ。僅かな可能性にかけてボス戦を長引かせ、ボス戦の撤退認可条件が時間経過であることを願って防御重視で粘る。もう1つは言うまでもなく煙の騎士の撃破だ。

 前者は論外だ。確率は低くはないが、そもそも撤退認可に至るまで防戦をするにしても戦力が足りない。ならばと撃破を望もうにも、ネームドの単独撃破は偉業の1つとして数えられる程に難関だ。

 

(それでも……倒すしかない!)

 

 ミスティアの得物は銀色の長槍だ。放浪の銀騎士【流浪のウィーグランド】よりドロップしたユニークウェポンである。TECボーナスによって物理属性が、MYSのボーナスによって雷・光属性攻撃力が上昇する。まさに神族の武具である。また特有のEXソードスキルも使えるのも強みである。

 だが、対ネームドでは些か以上の不安がある武器だ。≪槍≫は長いリーチの反面、どうしても攻撃力が控えめだからだ。

 基本的に≪槍≫は長槍・短槍・ランスの3つに区分される。長槍は特にリーチに秀でており、短槍は火力が低い代わりに取り回しに優れている。ランスは重量の高さと扱い辛さがネックである代わりに火力は申し分ない。

 ミスティアが好んで使うのは長槍だ。スタミナ消費量に対して火力にはどうしても不満が出る。ソードスキルや雷系の奇跡で火力不足を補おうにも、ソロでは対ネームド相手に何処まで通じるかは不明だ。

 何よりも煙の騎士は強い。これまで幾度なく死闘を経たミスティアには、煙の騎士が人型ネームドでも上位の存在であることを感じ取れた。生半可なタイミングで使用したソードスキルは逆にカウンターの餌食となるだろう。

 まずは火力を上げる。様子見の煙の騎士を前に、ミスティアは左手に絡まった【雷花のタリスマン】で奇跡の【轟雷の武器】を発動させる。近接戦でも邪魔にならない、手に持つタイプではなく、鎖や糸で腕に巻き付けるタイプである。雷花のタリスマンは雷系奇跡を特に高める効果がある。ただし、魔力消費量も高まる為に長期戦には不向きのタリスマンだ。

 POWにも成長ポイントを割り振っているミスティアは、魔力総量も回復速度も申し分ない。戦闘中でも乱発しなければ、魔力回復は相応に期待できる。だが、CONに関しては近接戦をメインにするにはやや不足が生じるだろう。

 一撃離脱戦法とスタミナを消費しない奇跡による攻撃を主とするミスティアは、『集団で戦う』限りではスタミナを回復させる時間を十分に稼げるからである。だが、常にスタミナ消費が強いられるソロにおいては、対人戦はともかく、対ネームドにおいてCONの低さは致命的な弱点になる。

 また、長槍は衝撃・スタン蓄積性能が乏しく、チャンスを作り難い武器でもある。槍を装備するならば、潔く片手持ちして空いた手に盾……特に大盾を装備した方がいいのだ。だが、ミスティアは軽量性の長槍でも十分にダメージを引き出せる突進攻撃を得意とする。相手の攻撃を見切れる目と高い反応速度、そして仲間の動きを把握して突撃できる彼女だからこそ長槍でも高いダメージを与え続けることが出来る。

 だが、対ネームドをソロともなれば、助走を稼げる距離をそもそも確保することが難しく、また相手もこちらを真っ直ぐに見据えてくるが故に逆にカウンターを狙われ易い。知性が高い人型ネームドならば、まず距離を取っても余程のスピードが無ければ回避されるだろう。

 分が悪過ぎる。そもそもソロでネームドに……それも人型ネームドに挑むなど無謀の極みだ。ミスティアとは違い、徹底した近距離戦闘に特化し、なおかつ呪術によるコンビネーションも可能とするユージーンでさえ、人型ネームド……それも煙の騎士と同じくボスだったヴェルスタッドにギリギリで勝利をもぎ取ったのだ。

 人型ネームドと単独、あるいは少数で対峙した場合に待つのは『死』のみ。自分が物言わぬ骸となって煤の上に倒れ伏す姿を想像し、ミスティアの手は震えそうになる。

 

「わ、私が援護します!」

 

 だが、死の恐怖に屈しそうになったミスティアを鼓舞したのは、先程まで涙目だったミリアだ。彼女は杖を構えるとミスティアに魔法をかける。

 回復や援護は奇跡の分野であるが、攻撃できる奇跡が豊富であるように、援護魔法がないわけではないのだ。ミスティアにかけられた魔法は、物理防御力と衝撃・スタン耐性を高める【強い魔法の鎧】だ。似たような呪術の鉄の体はより効果が高い代わりにDEXに下方修正をかけるが、こちらは効果が低めである代わりに何のデメリットも無い。

 そうだ。ソロで戦うのではない。仲間がいる。頼もしい後方支援がいる。見た目も振る舞いも気弱な女の子だとしても、彼女は少数精鋭と名高い3番隊の1員だ。ミスティアよりも余程に覚悟が決まった表情で、だがやはり今にも泣きそうな目で、ブレることなく杖を構えている。

 

「ヘイトを稼ぎ過ぎないで。生きて……2人で必ず生きてラジードくんの所に帰りましょう!」

 

「はい! 隊長を泣かせるなんて、絶対に嫌ですから!」

 

 心を立て直したミスティアは、エンチャント時間が惜しいと煙の騎士へと真っ直ぐに駆ける。応じるように煙の騎士は、左手に持つ大剣を盾のように構える。分厚く幅広い大剣は、煙の騎士の体格からしても特大剣である。特大剣は高いガード性能を誇り、半ば盾のような運用もできるのが強みだ。このネームドの大剣によるガードは容易に崩すことは出来ないだろう。

 だが、元よりガード崩しには秀でていない長槍だ。ミスティアは最短距離で最大攻撃を当て続ける以外に勝機が無いならば、それを成すまでだと煙の騎士に挑む。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「転移トラップとはやられたな」

 

「ああ。皆も無事だといいけど」

 

 鉄兵による包囲網を突破したラジードは、負傷と疲労で息の荒いJJを休ませながら、額の汗を拭う。

 ラジード達が転移した先はよりにもよってモンスターの群れの中心だった。しかも黒霧の塔で最も手強い鉄の巨兵が2体もいる危機的状況である。鉄兵も10体以上いる上に、援護射撃に徹する鉄の弓兵が3体もいたのだ。

 絶望したJJを鼓舞しながら、ラジードは特大剣を縦横無尽に振り回してまずは鉄兵と弓兵の撃破を優先した。その間に大盾を装備したタンクであるJJが鉄の巨兵2体を相手取ってくれていた。

 だが、さすがのJJも鉄の巨兵2体が相手ではガードに徹しても守り切れず、右腕は無残にも潰されてしまっていた。だが、挟撃されてもなお存命し、なおかつラジードにヘイトが向かないようしつつ遠ざけたのは、タンクとしてのプライドであり、また成せるだけのJJの技量の高さがあってのこそである。

 

「我慢してくれ」

 

「ああ、頼む」

 

 兜の奥でJJが奥歯を噛む気配が伝わり、ラジードは太陽の狩猟団製のアバターの修復促進剤を使用する。塗り薬タイプであり、粘性の高い黄色の薬が潰れた右腕に塗られれば、JJは耐えきれずに悲鳴を漏らす。痛覚は無くとも腕を潰されたダメージフィードバックは相当なものだ。また塗り薬による刺激も追加されたとなれば、歴戦の猛者であるJJも動けなくなるほどである。

 だが、腕をこのまま自然回復に任せて修復されるまで放置するよりもマシだ。今や回復アイテム関係は教会が確固たる地位を築きつつあり、クラウドアースの市場独占に待ったをかけた。聖剣騎士団は元より薬関係に力を入れておらず、教会の台頭はむしろ好ましく、また裏で援助していたとも噂されている。一方の太陽の狩猟団は、たとえトップの座は得られずとも、独自開発して供給体制を作ることこそに意義があるとし、影は薄いながらも常に新しいアイテムを市場に発表している。

 

「ぐっ……かっ……ハァハァ……このダメージフィードバック……本当に嫌になる!」

 

「痛みよりはマシじゃないか」

 

「これが痛みだったら、今頃は気絶してるだろうさ」

 

「軽口が叩けるなら大丈夫だね」

 

 神経をミキサーにかけられたかのような不快感。ビンタなどの軽い痛みは感じられるが、ダメージが与えられる程となればDBO特有のダメージフィードバックが生じる。

 ラジードは現実世界に置き去りにした痛覚がたまに懐かしくなる時もあったが、戦いの中で本物の痛みが生じれば、はたして意識を保てるだろうかという不安もあり、システムウインドウのカスタム画面の奥に隠された痛覚遮断機能を弄ることが出来なかった。

 

「ミリーにはミスティアが付いているから大丈夫だろうけど、ソルトが心配だ」

 

「俺達と同じ状況だったら、射撃攻撃だけで切り抜けるのは難しいだろうな。アイツは≪朋友感知≫もあるし、無事だといいんだが……」

 

 ハニーソルトは≪武器枠増加≫で3つの武器枠を所有する。サブウェポン用に≪短剣≫を装備しているが、黒霧の塔で戦うには貧弱だ。そもそもとして、射手はソロで戦えば容易に距離を詰められて死ぬのが定めだ。現実世界では銃の登場で戦場は一変したが、DBOではあくまで近接戦こそが主役なのだ。

 

「修復にはもう少しかかりそうだが、ジッとはしていられない」

 

「分かった。でも、僕が前に立つ。良いね?」

 

「タンクとしては不本意だが、仕方ないだろうな」

 

 修復促進剤の効果でJJの腕の治癒は順調だ。流血システムによってアバターが傷つく程に防御力はダウンする。JJの潰された右腕は流血のスリップダメージこそ生じさせないが、防御力低下は免れないはずだ。

 流血システムの追加によってプレイヤーは新たな戦略・戦術・対策が求められる。DBOの悪意の増強は、プレイヤーがコンソールルームを使用したからこそである。ラジードはそこに矛盾を覚えずにはいられない。

 確かに流血システムはプレイヤーのみならずモンスターにも適応される。流血のスリップダメージや防御力低下は小さくない魅力だ。だが、そうしたメリットを差し引いても、大多数のプレイヤーからすれば、決して歓迎できるシステムではない。

 

(『帰還』と『永住』。両立できる方法はないのかな? きっと……きっとあるはずなのに、どうして諦めてしまうんだ?)

 

 もしも太陽の狩猟団が攻略方針を正式に『永住』と表明した時、ラジードははたしてギルドに留まることが出来るのか、不安でしょうがなかった。聖剣騎士団は敢えてリスクを背負うことによって、絶対的マジョリティである、『永住』するしかない現実世界に肉体を持たないプレイヤー達の心をつかんだ。

 最終的な判断はサンライスに委ねられるかもしれないが、より多くを救う道として『永住』を選ぶのは明白だ。サンライスは我が身大事で『帰還』を選ぶような男ではない。たとえ、現実世界に家族や友人が待っているとしても、今もDBOで『生きている』何十万というプレイヤーを犠牲にする選択はしないはずだ。

 だが、現実世界に帰ることだけを心の拠り所にしていた、自分の帰りを待つ人々がいるプレイヤーはどうなる? 確かに初期に比べれば、秩序も敷かれ、また文化的な生活も営めるようになった。しかし、それとこれとは別の話だ。自分たちが生まれた世界を目指す『帰還』は否定されていいものではない。

 ラジードは考える。ミスティアが『帰還』と『永住』のどちらを選んだとしても悔いはない。彼女の居場所が自分の帰るべき場所なのだから。だが、己のエゴだけを押し通して犠牲を強いることを是とすることも出来ない。

 ならば話は単純ではないだろうか? どちらかを選択するのではなく、両立させる手段を模索する。まずは考えて、探して、試すべきなのではないだろうか? 完全無欠のハッピーエンドは死者が出た時点で無理だとしても、完全攻略の日まで生き抜いた人々が幸福になれる結末を目指すべきなのではないだろうか?

 

(余計なことは考えるな。今は皆の無事が最優先なんだ。こんな悩み、帰ってから幾らでも出来る!)

 

 頭を振るい、自分の精神を蝕む苦悩を遠ざけようとする。今この場で集中すべきなのは、無事に全員が揃ってダンジョンを脱出することだ。不注意の事故ではなく、計画されたPK狙いならば尚更だ。

 

「だが、敵の狙いが杜撰過ぎないか? 転移トラップを起動させてパーティを分散させるまでは分かる。だが、その後はどうするつもりだったんだ?」

 

 JJの疑問は尤もだ。ラジードも今回の狙いがまるで読めないのだ。

 

「ミスティアなら何か分かるかもしれない。僕と違って彼女は全体をちゃんと見てるからね」

 

「……まぁ、隊長が関わると周りが見えなくなるみたいだけどな」

 

「それは言わないでくれ。僕が悪いんだ。ミスティアは……本当は凄い寂しがり屋で、怖がりで、先陣を切って戦う真似なんてしたくない女の子なんだ。それなのに、他のプレイヤーよりも腕が立つから責任を背負わされた。押し付けられた重荷を誇りに思って、頑張って、無理して……それなのに、気遣ってくれていた彼女に僕は酷いことを言ってしまった」

 

 1度謝ったくらいで水に流せることではない。ラジードは自分がどれだけミスティアの優しさに甘えていたのか、痛烈に自己批判する。

 だが、悩み苦しんで迷わない。ラジードにはすべきことが見えているからだ。ミスティアともう1度ちゃんと話し合うのだ。互いの感情をぶつけ合い、理解できなかった部分を知り合う。そうした言葉の積み重ねの末に新たな信頼が生まれると彼は信じている。

 その為にも全員で無事に帰らねばならない。ラジードは残るマダラとクゥリについても考える。

 マダラは強い。両手剣の扱いに長け、実力も抜きん出ている。また、隊長である自分も顔負けなくらいに全体を見る目がある。やや強過ぎる向上心のせいで曇ることもあるが、冷静さが欠けない状況ならば、隊内で指揮官としての才覚を持つのは間違いなくマダラだ。

 あの転移トラップも、ラジードやミスティアよりも先に敵の真意にたどり着いて警告を発した。自分には勿体ない逸材であるとラジードは常々感じている。だからこそ、彼の隊長としてより強く、勇ましく戦わねばならないとも自身に課している。

 

「強者には強者の悩みがある、か。俺には分からんよ」

 

「ははは。JJも十分に強いじゃないか」

 

「ネームドどころかモブ相手で腕を潰されるような雑魚だよ。あのタルカスが率いていたタンク部隊に比べれば、俺なんて赤子みたいなものさ」

 

「そうかな? 僕には近いものを感じるけどね」

 

「そこで『同等』と言ってくれないのが隊長の生真面目さだと涙が出るよ。近くて遠い。半歩詰めるだけでも幾星霜……ってね」

 

「意外と詩人だね」

 

「DBOにいたら、現代人の感性なんて磨り潰されちまうよ」

 

「それもそうだね。ははは、小さい頃の僕が見たら驚くだろうなぁ。こんな大剣を背負ってダンジョンを命懸けで冒険するなんてさ」

 

「俺はずっと夢見てたぞ? 最悪の形で願いが叶っちまって泣きたいけどね」

 

 こうして無駄にも思えるウィットに富んだ会話を重ねるのも、合流しようと焦って窮地を招かない為の、JJなりのフォローであることはラジードも承知している。

 やはり僕は『独り』じゃない。皆と一緒に戦うんだ。ラジードは昨日のクゥリとのデュエル、そして語らいを思い出して改めて決心する。たとえ、自分だけで戦わねばならない時が来たとしても、この心には……魂には共に戦ってくれる仲間がいる。

 孤独の心のままに踏み出す1歩。仲間に背中を押されて踏み込む1歩。どちらも同じ1歩かもしれないが、決定的に違うものだ。ラジードは後者を選びたい。常にそうありたい。だからこそ、仲間の窮地には必ず駆けつけるという意思を抱く。

 

「マニュアル通りならば、安全地帯を確保して隠れているはずだが、マップデータも消去されてしまってはな」

 

「それに敵が各個撃破を狙ってるなら、むしろ孤立した状態で隠れている方が危険かもしれない。マニュアル違反だけど、僕たちは合流を目指そう。それにクゥリなら――」

 

 そこまで考えて、ラジードは目を見開く。

 そもそもとして、何かがおかしかった。

 転移トラップによる各個撃破。順当に考えるならば、ターゲットはラジードかミスティアだ。あるいは、3番隊の人員を減らして太陽の狩猟団にダメージを与えることなのかもしれない。

 だが、転移トラップが発動した場合、ほぼ間違いなくダンジョンの脱出を目指さず、3番隊の救助の為に単独でダンジョン内を探索する人物がいる。

 それはクゥリだ。普段は何処か抜けている……いいや、傍目から見ても危なっかしい程にぼーっとしている所が多々あるが、傭兵としては間違いなく超一流だ。単純な戦闘能力だけではなく、確実にミッションを遂行するだけの能力と技術を併せ持っている。

 そして、クゥリは復帰したばかりだ。ここで分解された隊員を置き去りにしてダンジョンから脱出すれば、更なる悪評が待っているだろう。救助要請を外部に求めることは最も冷静な判断であるが、クゥリの場合はブランクと元よりある悪評が邪魔をする。『血も涙もなくダンジョンに部隊を置き去りにした』という悪意ある噂が流れてもおかしくない。

 加えて普通のプレイヤーならば脱出優先は非難されないが、傭兵は単独でもダンジョンに潜ることが多々ある立場だ。PK狙いと思われる敵を放置したままダンジョンから脱出したともなれば、最悪の場合は犯人と共犯で3番隊を嵌めた……などと謂れなき批判もあるかもしれない。

 

(敵の狙いは『クゥリ』だ! 彼をダンジョン内で暗殺するつもりなんだ!)

 

 駄目だ。確かにクゥリは強いが、ダンジョン内でモンスターと戦いながらプレイヤーキラーに狙われたとなれば、勝ち目は薄い。ラジードは焦りを覚えて拳を握る。

 だが、ここで逸っては駄目だ。敵は3番隊を傷つけることなく脱出させようなんて考えていない。ラジード達が死んでも構わないという非情さでクゥリの暗殺を企んだ輩だ。

 

「少し急ごう」

 

 大事な友人を死なせて堪るか。ラジードは立ちはだかる鉄兵たちを睨みながら、背負う特大剣を抜いた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 さて、敵の狙いは3番隊の『誰か』だとして、真っ先に狙われそうなのは、接近戦に乏しいだろう魔法使いプレイヤーであるミリアか、援護射撃専門のハニーソルトだろう。マダラの話だとミリアはミスティアと一緒に転移したようだし、最も危ないのはハニーソルトか?

 だが、MPKも十分にあり得るので誰もが危ないか。上半身だけで這って動く太った男のような外観をした油兵は炎属性攻撃を受けると燃焼して最後には爆発するし、火薬樽を持った運搬兵はちょっとした火で大爆発だ。こうした危ないギミックモンスターの多い黒霧の塔は、MPKを狙う輩からすれば火炎壺1つで大ダメージを与えられるチャンスの宝庫だ。HPや炎属性防御力次第では即死もあり得るだろう。

 本来ならば、敵の狙いが何であれ、救助を求めてダンジョン脱出の一択なのだが、オレとしても悪評は高めたくない。そこでマダラを転移させずに救出させ、彼に救助を呼ばせようと企んだのだが、どうやら彼は情に篤い……悪く言えば、感情で冷静な判断力を鈍らせるタイプのようだ。嫌いではないし、むしろ好意を抱くが、オレとしては彼には素直に脱出を選んでもらいたかったところだ。

 ……まぁ、ここまで用意周到な奴らだ。出口に待ち伏せを配置していてもおかしくないし、マダラだけを脱出させるのも悪手だっただろうな。これはこれで仕方ないとしても、マダラがあんなにも怒ったのは、やはりオレの言葉のチョイスミスなのだろう。やっぱりステータスでコミュ力が欲しい。成長ポイントを割り振ってパワーアップさせたい。オレのコミュ力は使っても使っても熟練度が全く上がる気配がしないのだ。

 ともかく、最低でも1人でも発見してマダラに『お守りをしてくれ』と脱出を促すのも手段か。でも、ラジードの隊だしなぁ。全員が脱出よりも合流を優先しそうだ。いやね、そういう熱いヤツらは嫌いじゃないよ? 本当に好きな部類なんだよ? だけど、最高に面倒臭い。大人しく脱出してください、お願いします。

 

「どうかしましたか?」

 

 鉄兵を始末して道を開きながら、戦わずにオレの背中を見てばかりのマダラに問いかける。仲間……もとい、愛しのミリアちゃんの救出を志したならば、もう少し参戦して欲しいのだがな。DEX任せでダンジョンを突っ走ったらモンスターがトレインしまくる以前に包囲不可避なので、せいぜい早歩きくらいしか出来ないのだ。せめて戦闘時間の短縮のためにも腕の立つ彼にも存分に剣を振るってもらいたいところである。

 だが、マダラは何か苛立つように頭を掻いている。そんなにボリボリと掻いてると禿げるぞ。DBOにいつ禿げが実装されるか分からないんだからな。ちなみに、オレは次のアップデートは待望のゲロではないかと想定している。うん、酒場の周辺が地獄になるな! 是非とも止めてもらいたい!

 

「……ランク詐欺だ。アンタの何処がランク42なんだ!?」

 

「まぁ、2ヶ月間も休業していましたし、ランクは戦闘能力だけで決定するわけではないので、オレは妥当だと思ってますよ」

 

「何処がだ!? これだけの……30体以上の鉄兵を一方的に倒せるのがランク42なら、1桁ランカーは人間止めてるだろ!?」

 

「人間を過小評価し過ぎです。人間はやればもっと出来る生物ですよ。現実でもヒグマくらいなら素手で倒せますって」

 

「倒せるか!」

 

 キレキレのツッコミだな。だけど、ぼんやりとした記憶であるが、割と身近に森のクマさんを素手で普通に倒している連中がゴロゴロいたような気がするんだよなぁ。もう家族関係も随分と灼けてしまったので曖昧なのが残念だ。

 まぁ、それでも故郷の風景は微かに残っているがな。神楽で見た火や月明かり、ヤツメ様の森、そして深殿。うん、ちゃんとまだ憶えている。

 やはり自覚症状がないだけに、何を忘れたのかが分からないのは本当に面倒だな。やっぱり少しでもメモに残しておくべきかとも思うが、万が一でも見られた場合に記憶喪失なんてバレたら面倒臭いしな。

 

「しかし、モンスター召喚トラップとシステム外スキルの組み合わせですか。それも1つ作動すれば連鎖発動。なかなかに歯応えがありましたね」

 

「それをハンドアックスだけで倒すアンタも大概だがな」

 

「経験上、武器の消耗はなるべく抑えたいんですよ」

 

 オレが使用しているのは、ラジードとのデュエルで使用した軽量型ハンドアックスだ。レベル100以上でも通じる聖剣騎士団製の良質素材であるイジェン鋼の可能性を探って開発されたサブウェポンである。特に目立った能力は何もなく、火力にはやや不満もあるが、使い捨ての武器としては有用だ。黒霧の塔で壊すくらいの勢いで使わせてもらっている。

 もう1つのサブウェポンである高純度のイジェン鋼製の大剣はそれなりに気に入った。日蝕の魔剣よりもかなり重いが、純物理属性でこの火力は悪くない。打撃属性にやや傾ているので、黒霧の塔のモンスターとも相性がいい。だが、剣速がどうしても出ないのは仕方ないか。

 

「次は引っ掛からないでくださいね?」

 

 ちなみに連鎖トラップに引っ掛かったのはマダラだ。システム外トラップは経験不足のようで注意が疎かだ。フォーカスロックをしまくれば≪罠感知≫無しでもトラップは看破でき易くなるが、その分だけ周囲への注意が疎かになり易いからな。

 

(あ、そこに何か危ないのがあるわよ。ここにも。ここにも。ここにも! ねぇねぇ、やっぱりワタシの方が有用よね!?)

 

 ヤツメ様が先行して煤が積もった大地のあちらこちらを指差して警告してくれる。うん、そうだね。そんなに吹き溜まりでMHCPのナビゲートが優秀だったのを根に持っているんだなんて、オレも吃驚だよ。

 だが、さすがに2ヶ月も眠っていたせいか、ヤツメ様はまだ寝惚けているようだ。トラップ探しも飽きたのか、大きく欠伸をしてしまっている。

 

「何でアンタはトラップに引っかからないんだ?」

 

「直感です」

 

「獣かよ」

 

「……ええ、『獣』かもしれませんね」

 

 そうだよな。普通はスキルやフォーカスロックに頼って探知するものだよな。まぁ、ヤツメ様もたまに見落とすし、相手が上手だったら見抜けずに引っ掛かることもあるから、頼りっきりというわけにはいかないがな。

 

「テクニックで言えば、フォーカスロックを一々合わせるのではなく流し見することを心がけてください。その時、フォーカスロックに少しだけ強く反応する時があります。100パーセントではありませんが、トラップを見抜く手伝いになりますよ」

 

「……違いか。具体的には?」

 

「さぁ? 直感ですね」

 

「…………」

 

 ほ、本当だぞ!? これは傭兵では割とメジャーなトラップ探知だぞ!? オレだって普段から心がけているぞ!? だから、そんな馬鹿を見るような目をしないで!

 

(ワタシが信用できないの!? だったら獣性解放しなさいよ! 発見率10割にしてあげるわ!)

 

 そして、ヤツメ様! 泣きながら胸倉をつかまないでください! あと、さりげなく『獣』に誘う余念の無さのせいで、狩人が後ろで……あ、だから言ったのに。胴から真っ二つにされちゃったじゃないですか。

 

「違和感を覚えたら注意を。10回感じて9回は外れても、1回でも当たるならば、アナタの窮地は救われます。存外、人間の危機察知能力とは馬鹿にならないものですよ。踏んだら発動する加圧式トラップも、普段から足裏に注意しておけば、微かな感触の違いでギリギリで気づけるかもしれません」

 

「……憶えておく」

 

 ふむ、マダラの態度から察するに、オレに対しての警戒心は少しくらい薄れているのかもしれない。良いのか悪いのか、少し困るな。

 しかし、ラジードたちは何処にいるのやら。こういう時に義眼のソウルの眼が使えなくなったのは手痛い。あれは優秀な索敵能力だったのだがな。おのれ、ランスロット。まぁ、回避しきれずに斬らせたオレが悪いんですけどね。いやぁ、まさかあそこまでバッサリといかれて大破するとは思わなかった。義眼のオートヒーリングが残っていれば、吹き溜まりはもう少し楽だったんだけどな。

 修復に利用されたソウルで視覚に関する能力は備わっているとはいえ、使用可能な状況が限定的過ぎる。グリムロックには悪いが、性能重視も結構であるが、もう少し汎用性に富んだ能力を実装してもらいたいものだ。オレだって戦闘関係の能力だけがあれば良いってわけじゃないザマスわよ?

 ……まぁ、考えれば考える程に、補助系能力は最終的には使わなくなっていく自分が容易に想像できて嫌になるんだがな。

 

「だけど、気になるな。敵はどうしてクロスボウを使ったんだ?」

 

「最後の散弾ボルトの為では?」

 

「あれはあくまで保険。敵は最初の狙撃で決めるはずだったはずだ」

 

 マダラの指摘は鋭い。オレもまるで考えていなかったが、スナイパーワロスも昨今ではすっかりスナイパークロスとして活躍するようになったと言っても、弓矢やスナイパーライフルに比べれば射撃精度に劣るのは否めない。

 クロスボウは≪弓矢≫や≪銃器≫といった射撃攻撃手段を持たないプレイヤーからすれば有用である。だが、逆に言えばそれだけだ。

 敵に≪弓矢≫や≪銃器≫を持った仲間がいなかったとは考え難い。そんな詰めの甘い作戦を立てるだろうか? そうなると、敵は余程の高精度のスナイパークロスを所有し、なおかつクロスボウに思い入れのあるヤツだ。

 ……まぁ、拘りなんて人それぞれだからな。性能重視で思い入れの無い武器を使うよりも、下位互換でも好みの武器を使ってる方が精神には良い影響を与えるものだ。

 そういう意味では武器毎に熟練度が設定されていて、使い込む程に性能が上昇し、また時には隠された能力などが明らかになるDBOの武器は興味深い。この辺りには茅場の後継者の拘りを感じる。

 

「敵にとって、最後の散弾は保険ならば、最初の1発は防がれるのを想定しているとしても、2発目、3発目で決めるつもりだった。拘りとプロ意識の両立というわけですか」

 

 狙撃で決まれば良し。決まらないならば保険で確実に遂行。どうやら、敵は情熱と冷静の2つを矛盾することなく両立できるプロフェッショナルのようだ。

 

「しかし、こうも広いとなるとたった4人のプレイヤーを探すのは手間ですね」

 

「≪朋友感知≫さえあれば、もっと効率よく見つけられるがな。ソルトが持っていたはずだ」

 

 マダラの言う≪朋友感知≫とは≪気配察知≫の上位スキルの1つだ。フレンドリスト登録のプレイヤーをダンジョン内でも一定範囲内は感知することができる。ただし、相手側で感知を拒絶設定もできる相互任意で価値を発揮するスキルだがな。故にフレンドリストに登録したままの敵対したプレイヤーをダンジョン内で探し出して仕留める……といった真似はできない。逆に言えば、友好関係を演じたまま、相手を騙して狩る……ということは出来る。使い方1つで友人の救助にも暗殺にも使えるスキルだ。

 まぁ、ダンジョン内でしか使えないし、効果範囲も決して広いわけではない。例外的にフロンティア・フィールドでは使えるらしいがな。だが、現状においてあると無いとでは合流難易度は全く異なるだろう。もしかしたら、誰も彼もが暗殺者の各個撃破の思惑に気づいて、自力で脱出しようと動き回ってるかもしれない状況ならば尚更だ。

 

「誰も来ていませんね」

 

 ラジードとミスティアが喧嘩したモンスター侵入不可エリアにたどり着くも、誰も避難していなかった。少し位は期待していたんだがな。この手の分野でヤツメ様の導きはまるで役立たずだし、地道に探すしかないか。

 

「1つ訊いていいか? どうして隊長たちの喧嘩を止めなかった?」

 

 出発するとマダラは質問を飛ばし、オレは呆れをたっぷりと含んだ溜め息を吐く。

 

「あんな砂糖たっぷりの痴話喧嘩に口出ししようとは思いませんよ。甘いモノは大好きですが、あの時ばかりは是非ともブラック珈琲が欲しかったくらいです」

 

「あれは本気の喧嘩だろ?」

 

「どう見ても熱愛カップルのじゃれ合いですよ。本気の喧嘩はもっと殺気立つものです。あの2人には互いへの確固たる愛情があるからこそ、互いが傷つくと分かっていても発言を躊躇わなかった。それだけです」

 

 それに今頃は2人も互いに酷い事を言ったと自己嫌悪でもしているのではないだろうか。もう予定調和ですわよ、奥様!

 だが、マダラはどうやらそこまで頭が回っていなかったようだ。まぁ、隊員として距離が近い分だけ2人の関係を分析しきれていなかったという事だろう。

 ふむ、しかし記憶が灼けるとなると、こうした対人関係の重要なソースも失われていくわけか。それはそれで困るな。面倒臭い場面に出会った時の対処が困難になるかもしれないな。

 

「……色々と見てるんだな」

 

「仕事に手抜きはしません」

 

 コミュ力が低いからって対人関係を疎かにしたら仕事に支障が出るかもしれないからな。オレにヘイトが集まる分には問題ないが、他で人間関係トラブルが発生して巻き添えは勘弁だ。

 さて、ここから1番近い他の探索場所は……例の呪いの塔か。仮に呪いエリアに転移してしまった場合、生存は絶望的だろう。まぁ、死体くらいは回収できるか。

 

「解呪石はお持ちですか?」

 

「1つ。アンタは?」

 

「同じく1つ」

 

 互いに無傷を前提にすれば、塔の内部を探索は可能か。100秒でHP上限が1割……まぁ、オレの場合は普段とあまり大差ないか。掠りも許されないというハードルが追加されるだけだ。特に問題はない。

 マダラは厳しいかもしれないな。やはりオレが単独で探索すべきか? だが、彼だけを残した場合、暗殺者に対処できるかどうか。

 

「しかし、数に物を言わせて攻略は出来なかったのですか? 解呪石を連続使用すれば、HP減少効果はそこまで恐れる必要はないはずです」

 

 敵が無限復活するとはいえ、ギミック解除の可能性がある場所の探索をおざなりにするとは思えない。数の暴力で駆逐しながら進むという手段もあるはずだ。

 

「人数が増えれば敵も増える。無限復活のモンスターがただでさえ波状攻撃してくるんだ。数を頼りに進んでもどれだけの犠牲が出るか分かったものじゃない」

 

 なるほどな。オレみたいなお独り様ではなかなか至らない思考だ。

 困難に直面する程に犠牲は増える。ラジードの悩みはまさにそこだったな。

 呪いの塔までは太い鎖が橋の代用になっている。横幅は80センチほどであり、風もややあるな。狙撃や爆撃を受ければ落下死は免れない……か。

 

「誰かいるな」

 

 どうやって進んだものかと悩んでいれば、マダラが何かに気づいて双眼鏡を取り出す。オレも同様に望遠鏡で確認すれば、塔の屋上……呪いエリアに通じる階段からやや離れた場所に誰かが倒れ伏している。

 姿恰好からしてハニーソルトに違いないだろう。既に殺されて遺品を奪われていなければ、という注釈は付くがな。まぁ、あの状態から察するに、それは無いだろう。

 

「負傷しているようですね」

 

「かなり酷い怪我だな」

 

 ハニーソルトの両腕はなく、雪のように白い煤には赤い染みが広がっている。ここからではHPバーは確認できないが、流血のスリップダメージは生じているはずだ。両足も膝から捩じれており、あれでは立つこともままならない。

 奥歯を噛んだマダラは感情任せに動かない。それでいい。ここで飛び出したら腕を折って止めるくらいは予定していたところだ。

 

「罠ですね」

 

「ああ、ふざけた奴だ。ソルトを餌にして罠に嵌める気だ」

 

 ハニーソルトの両腕は上手く煤を被せて誤魔化してあるが、止血包帯が巻かれている。経過した時間次第だが、流血や欠損によるスリップダメージも既に止まっているかもしれない。ハニーソルトが音声起動でシステムウインドウを開き、何とか自力で止血包帯を使用したとも考えられるが、そうだとするならば、もっと安全な壁際まで這ってでも移動しているはずだ。わざわざ屋上の中央付近で倒れているのもおかしな話だ。

 敵の作戦は幾つか考えられる。橋にトラップを仕掛けている。狙撃による落下死狙い。ハニーソルト周辺に地雷などの攻撃トラップ。救出時の奇襲。あとはハニーソルト自身がグルという危険性も考えていないといけないがな。

 同じく犯人とグルという意味ではマダラも疑いの余地はあるが、彼のミリアを心配する気持ちは本物だろう。彼女の無事を確保できない転移トラップを使ったとは考え難い。まぁ、オレの目が節穴だった時は、マダラを殺すまでの事だ。

 

「あの橋にトラップがあった事は?」

 

「少なくとも聞いた限りはない」

 

「ならば、≪罠設置≫でセットできるかどうか、ですね。トラップと狙撃の組み合わせとなると、1本道なので少々危険があります」

 

 こういう時は≪罠感知≫スキルが欲しくなるな。だが、オレもマダラも未所持だ。そうなると方法は自然と正面突破しかない。

 前方の呪いの塔の方から攻撃か、それともオレ達がいる本塔の方から狙って来るか。どちらにしても、2人で行くならば、互いに正面と背後を守らねばならない。

 

「オレが単独で先行しても構いませんが、どうしますか?」

 

「俺の仲間を前にして、アンタだけにリスクは背負わせられない。それに、アンタにお願いしたのは『暗殺者の始末』であって『仲間の救助』じゃない。ソルトを助けるのは俺の役目だ」

 

 ……ご尤もだ。だが、呪いの塔に暗殺者がいる以上は、オレもマダラを先行させる判断は出来ない。

 

「オレが背後を。アナタには正面をお任せします。トラップを踏んで吹き飛ばされた場合、救出は少々困難ですのでご注意を」

 

 散弾ボルトはショットガンと違って衝撃はさほど大きくない。仮に面攻撃されたとしても耐えられるだろう。だが、念には念を入れておくか。アイテムストレージから厚めの布を取り出しておく。獣血侵蝕を使えば即席の布製盾の出来上がりだ。まぁ、何処まで耐えられるかは分からないがな。

 

「行きましょう」

 

「ああ」

 

 マダラが両手剣を手に先行する。こういう時は盾持ちがいると助かるんだがな。だが、ここはマダラの手腕に期待するしかない。

 意外にも前後からの狙撃もトラップもなかった。元より橋にはトラップを仕掛けられなかったのか。だが、狙撃がないとなると、少し妙だな。

 呪いの塔の屋上は、木箱や鋼材がずらりと放置されたまま煤を被っている。やや見通しは悪く、この形状からすると、元は屋上ではなく最上階であり、屋根が別にあったのかもしれないな。

 

「ソルト。ソルト、無事か!?」

 

 ハニーソルトの周囲にトラップが仕掛けられている以上は安易に近づかない。冷静さを失っていない。仲間の救出を優先する情の篤さを見せた時は感情で冷静な判断が欠けるタイプかとも思ったが、なかなか出来るヤツだ。好意を抱くよ。殺したくなってきたな。

 慎重に手で煤を払い、トラップの有無を確認しながらソルトへとマダラは近づく。

 

「ソルト! 返事をしろ!」

 

 ハニーソルトのHPは2割程度だ。HPバーは黄色に変じているが、まだ存命である。流血や欠損のスリップダメージもない。そうなると話せないのは何故だ? デバフの沈黙でも受けたか?

 マダラは無事にハニーソルトの元まで辿り着き、オレはその後に続く。僅かに震えるばかりで声を発さないハニーソルトをマダラが起こそうとした時だ。

 オレの目に映ったのは、恐怖で表情が歪んだハニーソルトだった。その口は頬が裂けんばかりに大きく開けられ、手榴弾が強引に詰められていた。そして、既にピンは外れている。ハニーソルトを起こせばピンが外れるように細工が施されていたのだろう。起爆を押さえるレバーも無い。クラウドアース製の手榴弾ではないな。

 仮にグリムロック級のカスタマイズが施された強化手榴弾ならば、このままではハニーソルトの頭部は吹っ飛んで死亡。マダラも近距離の爆発で相応のダメージを受ける。それだけではなく、仲間の死と血肉を浴びるショックは精神を変調させるはずだ。そこを暗殺者は狙って来る。

 させるものか。オレはステップで瞬時にハニーソルトとの間合いを詰める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 贄姫、抜刀。居合による斬り上げでハニーソルトの下顎を切断し、手榴弾に刃が接触する寸前で刀身を捩じり、カタナの側面で弾き飛ばす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 獣血侵蝕発動。布で覆って爆発からオレ達を守るつもりだったが、オレのHPは全く削られていない。どうやら、予定以上に爆発圏外まで弾き飛ばせたようだ。

 だが、攻撃はまだ終わらない。布を突き破って迫るのは巨大な棘を思わすランスの先端。贄姫で受け流し、そのまま襲撃者の腹に蹴りを入れようとするも巨大な金属板……直方形のタワーシールドで防がれる。更に背後の本塔からの狙撃。距離は十分だ。鋸ナイフで迎撃して弾く。だが、先程の狙撃よりも高威力のボルトを使っているようだな。完全には止められず、軌道を歪めた程度だ。

 面倒だ。続く2射を左手でつかみ、ランスと大盾装備の輩に投じる。これは予想できなかったのか、襲撃者の右肩に突き刺さった。

 

「えーと、アナタは……何処かで見覚えがありますね」

 

 次々と飛来するボルトを贄姫で片手間に弾きながら、頭部に騎士のようなフルフェイスの兜。軽量性を重視した鎧と籠手、具足を装備し、肉厚のランスと大盾を構える相手に微笑みかける。

 いかんな。記憶が灼けているせいで曖昧だ。コイツは……誰だっけ?

 

「【暗殺者】マルドロ……貴様か!」

 

「ああ、マルドロ。マルドロさんじゃないですか」

 

 そうだ。マダラ、ありがとう。お陰で少しだけ思い出せた……気がする。確か【暗殺者】の異名でそこそこ殺しに秀でた傭兵がいたな。主にターゲットは大ギルドが処分を下した犯罪者やテロリストだ。後はオレと同様に粛清のような汚れ仕事も引き受けていたはずだ。

 

「よう、【渡り鳥】。お前とは協働は1度もしたことがない間柄だが、お互いに殺しばかりを請け負っていた者同士で仲良くできると思ったんだがな。まさかこんな形とはなぁ」

 

「それは光栄です。ですが、傭兵にとって暗殺任務とは、相手が犯罪者やテロリストではない限り、基本はご法度のはず」

 

 故に粛清任務などは表に出ない。出すわけにはいかない。本来、弱みでもある粛清任務は身内の暗部にさせるのが常だ。あるいは暗殺者を後々処分するのがセオリーである。実際にオレもSAOでは……って、あまり思い出せないな。割と数が多かったような気もするのだが、2、3回しか思い出せないぞ。SAOの記憶も随分と灼けてるからな。仕方ないか。

 汚れ仕事だとしても、サインズを通している以上は、傭兵が守秘義務を果たす限りはサインズの保護の対象だ。だが、暗殺を1度でもした以上は、自分が暗殺されるリスクを常に背後に感じ続けねばならない。どんな『事故』に見せかけて殺されるか分からないからな。だからこそ、信用は大事だ。依頼主を絶対に裏切らないという印象を深く植え付けねばならない。そうしなければ、暗殺ミッションも舞い込まないからな。

 それと、仮にこちらの暗殺に失敗した場合は、断固たる決意で報復するという意思表示も必要だ。まぁ、この点で言えば、この前の復讐者をけしかけたのも含めて大ギルドは上手い。なかなか尻尾を見せてくれないからな。まぁ、あの場面では皆殺しにしたオレも悪いが、どうせ『お喋り』したところで蜥蜴の尻尾の根元くらいは追えても、本体にはたどり着けなかっただろう。本当に大ギルドは厄介なお得意様だ。

 マルドロも粛清関係の暗殺で大金を稼いでいた口だが、逆に始末される側に転落して、サインズを通していない裏仕事を引き受けてしまった……といった所か。まぁ、今では大ギルドも暗部をしっかり準備して、多少の粛清任務は自前で何とかなるからな。確実性や『情報収集』が問われる場合はオレの出番であるだけだ。

 

「暗殺者にルールも何もないだろ。ちょいと大口の仕事が入ったもんでね。まぁ、ここで死んでくれや」

 

「それは困りました。オレの仕事はアナタの始末なんですよ」

 

「……何だと?」

 

「嘘ではありませんよ?」

 

 む? この会話だとマルドロは自分が嵌められたと勘違いしているかもしれないな。それは少し哀れなような気もする。というか、この狙撃手は本当に鬱陶しいな。射程距離の関係上で特殊なボルトは使えないので、狙撃用のボルトなのだろうが、いい加減に諦めて欲しい。

 

「ああ、失礼しました。依頼主はこちらのマダラさんでして、自分たちを嵌めた相手をぶち殺したいと請われたのですよ。なので、なるべく派手に抵抗して死んでくれると助かります」

 

「そりゃ困った。こっちは目撃者全員殺さないといけない……なーんて制約も無いんだよ!」

 

 おや、それは予想外だな。マルドロが投げたのは先程と同じ手榴弾だ。既にピンは外してる。このタイミング、間合い、贄姫では弾き切れないか。

 手首からグリムロック謹製【アンカーナイフ】を射出して手に収めて投擲。アンカーナイフの側面を叩き付けるようにワイヤーを操って手榴弾を弾き返しながら、足下にいるマダラとハニーソルトを巻き込む形で回転蹴りを穿つ。マダラの腹にクリーンヒットし、そのままハニーソルトごと鎖の橋まで蹴り飛ばす。

 

「うごぁあああああああああああああ!?」

 

 マダラの悲鳴を聞きながら防性侵蝕を発動。完全には逃れきれなかった爆発によるダメージを最小限に防ぐ。

 ふむ、落ちかけ寸前だが、無事に2人は鎖の上で倒れているな。ヤツメ様の導きの通りだ。爆発でよろめいたオレの心臓を真っ直ぐと狙うランスを左手の裏拳で弾いて軌道を歪め、頬を掠らせる程度で済ます。

 

「ヒュー♪ 情報通りのバケモノっぷりじゃん。やるねぇ、【渡り鳥】!」

 

「そちらも、なかなかの搦め手で楽しませてくれてありがとうございます」

 

 狙撃による援護が切れた。マダラたちを狙うつもりか。だが、既にマダラはハニーソルトを背負って全力疾走中だ。ボルトが何本か突き刺さっているが、ヘッドショットだけをギリギリで躱し、それ以外は足だろうと肩だろうと胸だろうと……何処に突き刺さろうとも最短距離で駆け抜けている。

 それでいい。これで邪魔者はいなくなった。再び狙撃による援護が鬱陶しくなるが、それは問題ない。むしろ、少し心配なのはマルドロの仲間が狙撃手以外にいるかもしれない点だな。これだけ用意周到なヤツだ。他の駒を準備していてもおかしくない。負傷したハニーソルトを背負いながらでは、通常モンスターの相手すらも危ういだろう。ここからモンスター侵入不可エリアは比較的近いとはいえ、無事にたどり着けるかどうか。

 

(彼らのせいで手傷を負ったわ。むしろ盾に使えば、最短距離で狩れたのに)

 

 どうやらヤツメ様は余計な傷を負ったことが気に食わないようだ。まぁ、ハニーソルトを見捨てていれば、手傷は追わなかったし、むしろ爆炎を防ぐ盾にしながら接近してマルドロの首を落とすという選択肢もあった。まぁ、助からないならば有効利用させてもらうが、あの場面では2人を爆発範囲外に離脱させる方法はあったからな。ハニーソルトはラジードの仲間だし、マダラがミリアに告白するのはオレの依頼報酬だ。どちらも死なせるメリットは乏しい。

 

(そうやって『嘘』を重ねる。別にいいわ。狩りの全う。そして、アナタが『彼女たち』の願いの通りに『幸せ』を探すというならば、ワタシはそれでいい)

 

 それは意外だ。てっきり、もっと怒っているのかと思ったよ。

 背中合わせのヤツメ様の笑みが感じ取れた。少しだけ嬉しそうだな。何か良いことがあったのか?

 

(他の誰でもない、『アナタの幸せ』を探すのでしょう? ワタシはアナタ、アナタはワタシ。いつもそう言ってるでしょう? どんな道だとしても、ワタシだけは最後まで一緒にいるわ。ワタシだけは裏切らない。何があろうともずっとずっと一緒だから……)

 

 ヤツメ様の導きが張り巡らされる。最速でマルドロを『狩る』。それが現状における最優先だ。

 

「しかし、報酬も安い仕事だと思いましたが、これは良い『お土産』が出来ました。この傷からの感触……『毒』ですね?」

 

「ご名答。猛毒と称されるレベル5の毒だ。低VITのお前には弱点のはずだ。死ぬぜぇ?」

 

「レベル5の毒でしたか。それはそうと、専属が『≪暗器≫のキメラウェポン』を欲しがっていまして。アナタを殺して奪わせていただきます」

 

 加速ステップを使い、マルドロの背後を取る。そして、その首めがけて贄姫を振るうも、寸前で反応したマルドロはランスでガードする。フォーカスロックを欺き、なおかつ上昇した隠密ボーナスで確実に見失っていたはずだ。それなのに反応したか。さすがだな。場数を踏んでいる。

 

「……っ!? なんだ、そのスピードはぁ!?」

 

 そのまま連撃に繋げようとするも、クロスボウとは思えぬ正確な狙撃が邪魔をする。ふむ、やはり腕が良い狙撃手だ。シノン級だな。

 

「ランク40のマルドロさん。お仕事があまり無いせいでランクが落ちたマルドロさん。ついには傭兵を止めて本格的に暗殺者にジョブチェンジしたマルドロさん。1つお伺いしてもよろしいですか?」

 

「おお、煽る煽る♪ だが、こっちはランクが落ちて仕事が無い上に大ギルドからも始末されそうになったお陰で、こうしてデカい仕事につけたんだ。むしろ感謝してるくらいだぜ。それで何が知りたい? ここは【暗殺者】らしく冥土の土産で答えてやるかもしれないぜ?」

 

「アナタの暗殺ターゲットはオレなのではありませんか? ほら、アナタの最初の攻撃はオレを狙ったじゃないですか。アナタのターゲットが3番隊なら、一撃死を狙えるハニーソルトさんを攻撃したはずです」

 

 まぁ、敢えてハニーソルトを残して足枷にする、という策もあり得たんだがな。だが、マルドロの発言が正しいならば、目撃者は皆殺しにする必要はない。ターゲットだけを確実に殺せばいい。だったら、マルドロが狙ったオレこそがターゲットということになる。

 

「その頭のキレと直感……もう少し交渉事に利用できれば、もう少し生きやすい人生になるんじゃねぇの?」

 

「オレもよくそう思います。では、当たりでよろしいですか?」

 

「ビンゴ! こっちの狙いはお前の首1つだけだ。他の連中は生きようが死のうが関係ない。お前さえ死ねばいい。そういうお仕事さ」

 

 ふむ、マルドロが余程に追い詰められていない限り、依頼主はかなり信用できる相手のようだな。マルドロに破格の報酬を準備しているようだ。

 しかし、まさか狙いがオレだったとはなぁ。これは予定外だ。どうやらマルドロの依頼主はオレがどう動くのか、完全に読んでいたようだな。マダラに自信満々に敵の狙いを答えたオレは赤っ恥ではないか。

 ……まぁ、別にいいか。結果的にハニーソルトの死は免れたし、他の連中もどうせオレが狙われたとは思っていないだろう。

 

「しかし、実に回りくどい。こちらは復帰したばかりで仕事は穏便かつ確実に済ませたかったんですがね」

 

「策を練ったと言ってくれ。それだけお前を危険視しているって事だからな」

 

 ふむ、確かに。まさかレベル5の毒まで準備しているとはな。対ランスロットで使用したレベル5の麻痺薬も、グリムロック秘蔵のユニークアイテムを使ってヨルコが作らなければ得られなかったものだ。そうなると、マルドロも同等のコストを支払ったことになる。

 確実にオレを仕留めるという殺意を感じる。どうでもいいか。心地良いが、優先すべきはマルドロの殺害だ。

 

「今ので十分理解したぜ。お前に真っ向勝負では勝てない。天地が引っ繰り返ってもな。だから、ここは【暗殺者】らしくやらせてもらうぜ!」

 

 マルドロが1歩踏み込めば、トラップの姿が露になる。事前に設置していた加圧式トラップか! 

 ダメージを与える大爆発が生じる地雷化と思えば、発せられたのは奇跡のフォースのようなダメージを与えない衝撃波だ。だが、範囲が広い! それにこの方向は……!

 

「さぁ、呪いエリアにご招待だ!」

 

 マルドロと一緒に、半ばから床が抜けた、呪いエリアが広がる塔の内部へと落ちる。中央が吹き抜けとなった巨大な螺旋階段であり、中央には柱こそあるが、最下層までフロアのようなものはない。どうやら、本当に螺旋階段だけの塔のようだ。

 呪いの蓄積が開始。デバフは種類やレベルにもよるが、一定割合の蓄積がされるまではアイコン表示されない。システムウインドウを開いてステータス画面で一々蓄積状況を確認するしかない。故にプレイヤーはダメージフィードバックの差異でいずれのデバフが蓄積しているのかを察知するが、ダメージが伴わない場合は判別が遅れる、ないし察知できないまま蓄積させる事になる。

 今回の場合、オレは事前に呪いエリアだと教えられていたので問題ないが、この異様な暗闇と無限復活のモンスター、そしてHP上限減少の呪い。勇敢なる初見さんは確実にパニック&死亡だっただろうな。

 壁にイジェン鋼の大剣を突き立て制動をかけながら落下し、無事に螺旋階段の踊り場に着地する。落下ダメージは無し。マルドロは……更に地下か? だが、ここではオレもマルドロも最大HPが減少し、またモンスターに襲われるはずだ。より下層にいるマルドロは放っておいて、オレはさっさと階段を上って戻るという選択肢がある。

 だが、出口を塞ぐように多量のモンスターが出現する。なるほどな。一定まで階段を下ると出口を塞ぐようにモンスターが出現するわけか。

 

「良いでしょう。乗ってあげますよ」

 

 どうせボス攻略の為には呪いの塔の探索は不可欠だっただろうしな。マルドロを狩るのと同時に済ませてしまうとしよう。

 

「出番だ、ホルス」

 

 眼帯を外し、青血の義眼を起動させる。

 グウィン王の四騎士の異端。巨人でありながら騎士の栄誉の極みにたどり着いた【鷹の目】ゴー。彼の弟子だったとされるホルスもまた、竜狩りにこそ参じなかったが、最高峰の射手であることに疑う余地はない。あの平原の狙撃はいつ死んでもおかしくなかった。あの戦いがあったからこそ、オレの『血』は狙撃により対処できるようになった。

 彼の眼は夢見た竜こそ捉えることはなかったが、スローネの塔を侵すあらゆる敵を見通した。

 広大な平原を見通したホルスのソウルが組み込まれた義眼は、有効視界距離を伸ばす。これによって義眼でありながら、ほぼ肉眼と同じだけの有効視界距離を確保できるようになった。まぁ、それはホルスのソウルで得た視覚の基礎性能の上昇に過ぎないがな。

 だが、ホルス。オマエの『力』も喰らった。ならば、オレが見せてやるよ。オマエが求めた竜狩りの空を……いつか必ず!

 左右から鉄兵。空中に弓兵か。地上戦しか出来ない鉄兵はともかく、浮遊能力かつ無限再生の弓兵は邪魔だな。しかも大弓で使える大矢の類だ。一撃でも命中すれば大ダメージは免れないし、掠っても衝撃で体勢は崩される。

 

「関係ない。全て磨り潰す」

 

 左手にイジェン鋼の大剣を、右手に贄姫を。壁を蹴り、大剣で弓兵を叩き落とし、胸部に贄姫を突き立てる。溢れるのは煤を纏ったソウルの塵。これがコイツらの体液のようなものだ。

 鉄の王は金属の人形にソウルを与え、生命を吹き込む術を持っていた。コイツらは半分生命体のようなものだ。リゲインと血刃ゲージ回収の対象になる。

 

「もっとだ。もっと寄越せ」

 

 贄姫を振るう度に血刃が舞う。居合ほどの広範囲でなくとも刀身以上の斬撃範囲を可能とする上に、カタナでは実現が難しい高衝撃を備えた血刃は鉄兵を揺るがす。そして、イジェン鋼の大剣は打撃属性に傾いた刃で鋼の鎧を磨り潰し、その刃は内部まで深く抉り込む。

 再生するならば、より派手に破壊して時間をかけさせるまでだ。螺旋階段を一気に下りて行く過程で、次々と放たれるのはボルトだ。着弾と同時に爆発……爆裂ボルトか。この連射速度……連射改造が施されたクロスボウを使っているな。

 モンスターではない。マルドロか。ようやくたどり着いた煤で埋まった呪いの塔の下層にたどり着けば、ランスから5連射クロスボウに切り替えたマルドロがいた。

 

「とんでもねぇ突撃力だ。だが!」

 

 鉄兵が10体以上。いずれも大斧二刀流か。攻撃力重視の突撃は確かに骨が折れる。無限再生の強みをこれでもかと活かしてくる。だが、それよりもどうしてマルドロを攻撃しない?

 確かにDBOのAIは優れている。プレイヤーの陣形を素早く解析し、行動パターンから最適解を算出して攻撃を仕掛けてくる。戦闘を繰り返す度にアップデートが施され、同じタイプのモンスターでも後期程に手強くなる。これは『命』の無いAIであろうともDBOにおいては十分に脅威になる証明だ。

 だが、モンスターにはプレイヤーを攻撃するという大原則がある。もちろん、専守防衛のモンスターなどは攻撃したプレイヤー・パーティ以外は狙わないなどの行動パターンは確認されている。また、ヘイト値を管理することで、守りたい後衛に攻撃を向かわせ難くすることもできる。ちなみにヘイト管理が余り効果を発揮しないのは『命』を持つAI特有の反応だ。無論、彼らも影響は受けるが、せいぜい『コイツを狙いたい』くらいの誘導にしかならず、的確に弱所を攻めて来る。これもまた『命』あるAIの特徴だ。

 ここにいる鉄兵たちからは『命』を感じない。手当たり次第にプレイヤーを襲う存在だ。だが、明らかにマルドロと連携を取っている。

 この感じ……憶えている。『血』が知っている。血が熱くなる中で何かが形を成す。

 

「病み……村」

 

 そうだ。オレは病み村で『誰か』と殺し合った。『誰か』はモンスターと連携を取っていた。マルドロもその類か? 黒霧の塔の何かしらの誓約を結ぶことで、モンスターやデバフ・エリアの影響を受けなくなっているのか。

 早計だな。どんなカラクリだろうと関係ない。マルドロを殺せば済む。

 

「とんでもねぇ切れ味のカタナだ。だが、カタナの弱点は……『コイツ』だぁあああ!」

 

 鉄兵を切断していくオレにマルドロが黄ばんだ壺を投げる。それは空中で割れる。中身の液体は回避に成功するも、贄姫は浴びてしまう。途端に炭酸が弾けるような音ともに刀身から湯気が昇る。

 

「どんなに切れ味が良くて、達人級の腕前だろうが、耐久度は貧弱! 紙だ! たとえ、ユニークウェポンだろうと破損は――」

 

「ああ、【酸の壺】の改良品ですか。直撃ではなく空中で炸裂させるタイプとは、手の込んだ真似を。申し訳ありませんが、対策済みです」

 

 酸の壺は命中させて中身の液体を浴びせることで耐久度を削る対人向け攻撃アイテムだ。モンスターの武器や防具は耐久度という概念がプレイヤーとはやや異なる。甲冑を着たモンスターは防御力が、武器を持っていれば攻撃力が一時的にダウンする。だが、当然ながら効果はかなり低い。たとえプレイヤー相手に命中させても、1度や2度で防具にも武器にも目立った損壊を与えることなど出来ない。

 だが、耐久度が最も低いカタナは違う。故にカタナには特効、同じく低めの部類の曲剣や刺剣にはそこそこ効果ありの攻撃アイテムだ。マルドロが使用したのは、空中で炸裂させて中身の液体をばら撒く改良型だ。

 贄姫の刀身は水銀の被膜で守られている。戦闘、ガード、受け流しによる耐久度減少を抑えるコーティングだ。旧贄姫の水銀発生機能はほぼ失われたが、たとえ乏しくとも贄姫にはまだ備わっている証拠だ。

 

「チッ! だが、この数の前で!」

 

 面倒だな。薙ぎ払うか。わざと包囲させ、居合の構えを取る。発動させるのは≪カタナ≫の回転系ソードスキル【円水】。居合から繰り出される単調な回転斬りのソードスキルであり、出の速さによる全方位へのカウンターを目的としたソードスキルだが、血刃居合と組み合わせれば、全く別の意味を成す。

 360度全方位に繰り出される、まるで波紋の如き円の血刃居合。囲んだ鉄兵は全て切断し、間合い内にいたマルドロにも届く。フルチャージでは無かったが故に貫通効果は最大ではなかったが、大盾の上からでも十分に削れたようだ。

 さすがの反応だ。咄嗟にガードして踏ん張って体勢を崩すのを堪えたか。マルドロはクロスボウをオレに向けて放つ。それはオレとマルドロの間で炸裂し、白い煙幕を張る。煙幕ボルトか。鉄兵の包囲を突破される場合の対処も準備済みとはな。

 呪いの塔の下層からは更に扉が1つ。マルドロが逃げ込んだのだろう、暗闇の細道だ。プレイヤー1人がギリギリで通れるか否かだな。

 鉄兵はすぐに復活する。血刃居合では奇麗に切断し過ぎて復活までのラグが短い。切れ味が良過ぎるのも考え物だな。

 梟ランタンを装備し、闇の細道に入り込む。先は迷路のようになっていて、幾つも分かれ道がある。マルドロの策略か。各所に淡い光を放つ七色石が放ってある。攪乱のつもりか。

 

(見つけたわ)

 

 だが、ヤツメ様の導きからは逃れられない。オマエは蜘蛛の巣に捕らわれた。わざとらしく七色石が多量に配置された通路に跳び込めば、ハルバートを装備した鉄兵が待ち構えている。

 

「この細道ではカタナも大剣も満足に振るえねぇ!」

 

 連射クロスボウから再び暗器ランスに戻したマルドロが叫ぶ。更に背後から片手剣持ちの鉄兵。この細道では突きと縦振り以外の攻撃は制限されてしまうだろう。

 悪くない。だが、経験済みだ。格闘攻撃で解決しても良かったが、ここは別の武器で対処するとしよう。後ろ腰に差した大型の投擲短剣……かつて使用していた茨の投擲短剣を更に改良した、大鋸ナイフを使う。

 鋸ナイフ程に細かい返しは刃についておらず、より間隔が広く持って返しが備わった短剣だ。刺突特化の形状の為に、死神の剣槍や日蝕の魔剣同様に長い鏃のような形状をしている。だが、最大の特徴はその重量に見合った耐久度だ。

 投擲武器としては重過ぎる上に、速度も出なければ飛距離も無い。更に攻撃力も目立って高いわけではない。≪投擲≫によるボーナスが付けば、攻撃力に関してはまた変わってくるのだが、わざわざ貴重なスキル枠を潰さずとも強化する方法はある。

 獣血侵蝕開始。逆手の二刀流で持った大鋸ナイフは、投擲武器としては完全に産廃級であるが、獣血侵蝕で暗器にしてしまえば、≪短剣≫の如く運用が可能だ。

 素材は純度高めのイジェン鋼。獣血侵蝕による疑似耐久度上昇効果も含めれば、剣戟にも十分に耐えきれる。

 背後の片手剣持ちの鉄兵の突きを弾き、ハルバード持ちの振り下ろしを受け流す。前のめりになった片手剣持ちの喉に左手の大鋸ナイフを突き立て、捩じり、鎧の内部に突き入れる。怯んだ隙に順手持ちした右手の大鋸ナイフを胸に突き立て、刃の返しで火花を散らしながら削り、抉り斬る。

 体勢を立て直し、突きに変じたハルバードをクロスさせた大鋸ナイフでガードし、強引に弾き上げて懐に入り込み、連続突きで穴だらけにして膝蹴りで撃破。そのタイミングを見計らって突撃していたマルドロのランスをバックステップで躱す。

 だが、瞬間にランスの先端が伸びる。なるほど、伸長ギミックがその暗器の特徴か。瞬時に間合いを伸ばして突き攻撃のリーチを広げる。相手に突き立て、肉を刺し貫けずとも、更なるリーチ延長で強引に刺し貫く。≪暗器≫で急所を正確に刺し貫く……≪槍≫のお手本だな。ギミックもシンプルであるが故に強力である上に汎用性も高い。グリムロック程とは言わずとも、かなりの腕の鍛冶屋の1品だな。

 急激な間合いの延長。それを大鋸ナイフを再度ガードに利用して凌ぐ。さすがに連続ガードで亀裂は生まれたが、まだ使えるな。さすがは1本1500コル。そもそも武器や防具に使用する高純度のイジェン鋼を使い捨ての投げナイフの素材にするという非経済的な発想、グリムロックめ。オレの資金は無限じゃないんだから少しは自重しろ。

 ……まぁ、使った分だけ稼げばいいか。マルドロを殺して武器や防具を剥いで、要らないものは売ってしまおう。そうすれば十分に黒字だ。

 

「これも防ぐとか。お前、人間やめてんじゃねぇか!」

 

「『アイツ』なら見てからでも防げますから、オレの方がまだ有情だと思いますよ」

 

 ユウキや『アイツ』クラスの反応速度になるといわゆる『見てから回避、超余裕でした』状態だからな。オレの場合は先読みしているだけだ。

 驚くマルドロに加速ステップで間合いを詰める。この細道では動きが制限されるのはお互い様だ。当然ながら、マルドロも大盾を構えたまま攻撃など出来ない。マルドロは火力重視で大盾を背負い、両手持ちでランスの突きを放った。

 オマエを守る盾は無い。その両肩に大鋸ナイフを突き立て、喉に右拳を打ち込む。呼吸音が押し潰され、マルドロの呻きが聴覚を優しく擽る。

 鉄兵が復活する前にさっさと仕留める。だが、マルドロのランスから紫色の煙が噴出される。これは……毒霧か! セットした薬品を霧状に噴出するギミックとはな!

 逃げるマルドロの足は速い。毒霧から逃れる為に退いたオレをかなり引き離している。DEXにかなりポイントを割り振っているな。

 どうやらマルドロは火力を≪暗器≫のクリティカル部位へのダメージボーナスで補い、≪罠設置≫などで相手を翻弄して仕留めるタイプのようだ。素の攻撃力は大して出ないようだな。

 毒霧は長く滞留しない。こういうギミックはオレも欲しいな。グリムロックに提案しておくか。

 鉄兵が復活する前にマルドロを追う。こちらも対ランスロットでDEXは引き上げている。

 マルドロは細い通路に設けられたドアの1つを蹴破る。それを追えば、内部では炎を剣にエンチャントさせた鉄兵が3体待ち構えた小部屋。戦うにはやや手狭であるが、動けないことはない。

 DEX出力……7割。鉄兵3体の斬撃を潜り抜け、そのまま小部屋の最奥で兜のバイザーを上げて液状の回復アイテムを使用していたマルドロに迫る。

 

「まだまだぁ!」

 

 マルドロが足下を強く踏む。またトラップか! 途端に部屋の四方から出現したのは穴だらけの円柱。射撃攻撃トラップか。この位置……鉄兵を無視してマルドロの首をオレが狙うと読まれたか!

 放たれるのは無数のニードル。4つのトラップによる全方位攻撃面攻撃。回避ルート無し。最大HPは既に1割まで減少。防性侵蝕によるガード……不可!

 回復アイテムを使用したのも、わざと隙を晒したと見せてトラップを使う為か。

 開脚して限りなく背を低くし、左手で床を掴み、右手の贄姫より血刃を放出しながら手の力だけで回転斬りを繰り出す。血刃の壁がニードルを弾き飛ばす。

 ダメージ無し。少しは楽しめたが、ランスロットの黒剣にもアルテミスの結晶の秘術にも劣る。所詮はトラップか。

 

「に、人間じゃねぇ……人間じゃねぇよ、お前!」

 

「生物学上は人間ですよ」

 

 回避したところできっちりとランスで追撃。口の割に冷静な対応だ。ニードルを受けながらも迫る鉄兵による挟撃狙いか。贄姫でランスを受け流し、背後に左袖から出したアンカーナイフを投擲。ワイヤーで鉄兵の1体を絡め捕り、そのまま振り回して残る2体ごと壁に叩き付ける。

 マルドロのシールドバッシュに合わせて穿天を放つ。穿鬼の蹴り版に耐え切れず、マルドロもまたガード体勢のまま壁に叩きつけられる。

 だが、マルドロの復帰は早い。またも高DEXに物を言わせて部屋のタイルの1枚をランスで突けば、簡単に崩れて階段が露になる。隠し階段か。

 叩き付けらてもすぐに起き上がって迫る鉄兵を始末する間に、マルドロは階段を下りて逃げる。

 

「シノンが気づかないわけだ」

 

 強く踏めば感触や反響音などで分かるかもしれないが、戦闘中では判別が難しいだろう。そうなると、無限復活の解除ギミックが別にあるのかもしれないな。まぁ、面倒だし、マルドロを逃がすチャンスを与えないためにこのまま追うとしよう。

 階段を下りた先にあったのは、中心部に炎を封じ込めたオーブが安置された空間だ。製鉄所にして王城といった雰囲気の黒霧の塔において、どちらかと言えば、祭壇に近しいような気もするな。

 あのオーブを破壊すれば良いのだろうか。炎のオーブを安置した台座を挟んで、オレとマルドロは対峙する。

 

「とんでもねぇバケモノだ。だがな、まだ……まだ想定内だ!」

 

 マルドロはランスで炎のオーブを破壊する。どういうつもりだ? 解放された炎が一瞬だけ煌いて消える。これで黒霧の塔の最深部に到達できるギミックは解除されたことになるが、マルドロにどんな利点がある?

 と、そこでマルドロが右足を強く床に踏み込む。途端に彼の周囲に円陣が生じる。

 また転移トラップ……それも場所を入れ替えるタイプか! もう1つの転移トラップを別の場所に事前設置していたか! 本当に用意周到なヤツだ!

 逃がすか。加速ステップで生み出されたエネルギーを御し、曲線を描いて台座を挟んで位置するマルドロに迫る。左手に持つバトルアックスの一撃は大盾で防がれたが、これでオレも一緒に転移できる。

 オレはバトルアックスを押し付け、マルドロは防ぐのに全力を注ぐ。だが、彼は喉を鳴らして笑う。

 

「分かってたぜ。お前なら必ず俺を追ってくるはずだってなぁ!」

 

 オレ達は同時に浮遊して転移する。光の先にあったのは、大きな炎の光が輝かしく照らす本塔だ。オーブを破壊したことで炉を動かすだけの火力が備わり、鉄材や石材を載せたままのリフトが忙しなく動き始めている。

 逃がすか。ステップで距離を詰めるも、マルドロは大盾を構えたまま後退り、そのまま動き回るリフトの1つに跳び乗る。オレも追って別のリフトに乗れば、空中浮遊の弓兵に襲撃される。だが、やはりマルドロは狙われていない。

 無限復活しないならば倒すだけでいい。バトルアックスを投げて、先に上に進んでいたマルドロから投擲された手榴弾を迎撃して炸裂させる。ダメージはない熱風を浴びながら、2体の弓兵から次々に放たれる大矢を躱す。こちらの剣の間合いには入って来ない。倒す手段はあるが、ここは堪えるか。

 黒霧の塔は、巨大な本塔と複数の離れの塔で構成されている。本塔は中央が巨大な吹き抜けとなっており、リフトが動くことによって、より大胆なショートカットが可能になる仕組みのようだ。リフトから各フロアに容易に移動できるようになっている。だが、跳び下りるタイミングを間違えれば落下死か。こんなショートカットは、時間に余裕が無いヤツしか使わないのではないだろうか?

 ……いいや、違う。リフトを使わなければ入れないフロアがあると考えるべきか。黒霧の塔は炉に火が戻ったことによって、これまでとは違う顔を見せるはずだ。

 先行するマルドロがフロアの1つに跳び下りる。同じタイミングで跳ぶより先にもう1つのバトルアックスを投擲する。やはり手榴弾を投げていたか。手榴弾を切断し、その後の爆発を受けて加速したバトルアックスの分厚い刃がマルドロの右肩に深々と突き刺さる。

 

「ぐがぁ!?」

 

「もうアナタの戦法は『喰らい』ました」

 

 よろめき、血を流すマルドロから数メートル離れた場所に着地する。ノンストップで追いかけ続けたせいでHPはまだ1割状態だ。これもマルドロの作戦の内なのだろうが、いい加減にやり口は分かってきている。

 MPK、トラップ、攻撃アイテムによる弱体化や削り、そして暗器ランスによる急所狙い。大盾は恐らくかなり軽量化されていて、ガード性能は低い。あくまで1発2発を大きな面で防げれば良いといった考え方か。大盾の高いガード性能を落とす代わりに、DEXの下方修正をマイルドにし、速度を確保する。

 こういう戦法はなかなかに興味深かった。だが、狩りとしては落第だな。トラップに嵌めきれなければ、結局は本人の技量次第になる。

 

「へ……へへ……ここまで準備して殺せないとか、本物のバケモノだ。だがな、HPもがっつり減った状態で……こいつに耐えられるか!?」

 

 自爆覚悟の地雷踏みか? 地雷の爆発範囲は頭に入っている。幾ら高熟練度の≪罠設置≫でも、トラップそのものの性能はそこまで弄られない。

 

 

 

<闇霊【彷徨う者たち】に侵入されました>

 

 

 

 

 だが、予想に反してマルドロの背後にある横幅5メートルはあるだろう大階段に、赤黒いオーラを纏った闇霊が出現する。

 まるでドレッドヘアのような飾りがついた骸骨のような兜が特徴的な、チェインメイルの上から胸部や肩、籠手、具足などの鉄板を取り付けたような印象を与える甲冑の剣士だ。右手に持つのはやや刃渡りが短いカタナか。

 闇霊の頭上には、彷徨うものたちという名前が表示されている。複数形とは……そういうことか。同じような姿をした闇霊がぞろぞろとマルドロを追い越して整列する。その数は8人だ。恐らくは8人で1人扱いの闇霊なのだろう。

 

「これまでの雑魚じゃねぇ! 今度こそ死ねや!」

 

 まぁ、リフトに乗って逃げるという手もあるが、そうなるとマルドロを生かして逃がすことになる。オレの暗殺が狙いならば、コイツを野放しにするのは少々面倒だ。なにせ、コイツはオレ以外でも平気で巻き込む。

 そうなれば、『オレの獲物』を横取りされるかもしれない。それは嫌だしな。

 流れるような動き。完全に統制が取れている。だが、『命』はない。彷徨う者たちは華麗とは程遠い、叩き付けるような剣技を披露する。よくよく見れば、彼らのカタナは非常に分厚く、刃も鈍いように思えた。扱いもカタナよりも片手剣としての運用に近しいようだな。

 他にも弓を装備しているヤツもいる。全部で3体か。弓使いが3体、カタナ使いが5体。それにマルドロだ。この数を今のままで凌ぐことは出来るが、ラジードたちが気になる。やはり決着は急ぐべきだな。

 マルドロが投擲する手榴弾の爆発と矢を逃れ、カタナ装備の彷徨う者の斬撃を潜り抜ける。解呪石は使用から10秒はDEXに大幅な下方修正が入る。10秒を稼ぐにはこの状況では難しいならば、火力とスピードで圧倒して狩る。

 オレの四肢の防具は、コートと同じく灰色を帯びた白色だ。籠手は軽量性と指の可動性を重視し、ブーツも同様に金属パーツは最小限だ。だが、これはコイツの本性ではない。

 コートを含めた防具一式……白夜の狩装束。コイツには2つのソウルが使われている。白木の偽竜のソウルとデーモンの王子のソウルだ。

 既に四肢の感覚は半ば失われつつある。グリムロックはそれを予見してか、あるいは単純に強化作用だけに目をつけたのか、白木の細い根は針のように四肢を貫く。戦闘時は自動でアバターにより深く根を張り、アバター強度を高め、またスタミナ消費量に応じて魔力回復速度を高める。

 だが、そんなものはグリムロックが開発した白夜の狩装束の基礎に過ぎない。

 グリムロックが開発した最高傑作はどれなのか? それは大いに悩むところだが、『最悪』の装備といえば、オレは間違いなくコイツを選ぶ。

 

「限定解除」

 

 籠手やブーツが変形する。内部に張られた根は蠢き、アバターと防具の一体化を促進する。もはや身に着けているのではなく、皮膚の上に新たな皮膚が形成されたかのようだ。指まで白木が覆い、指先は爪のように尖る。防具の侵蝕を受け、四肢は防具と一体化して完全に可動範囲を拡張させている。

 金属のような光沢とも違う。かといって木材のような温かみとも違う。竜のような神秘の鱗の輝きとも違う。何処までも中途半端で不完全な艶を持った、生を帯びた白木の装具。そして、それらは火の粉が散り始める。

 獣血侵蝕開始。白木の籠手と具足に緋血の血管模様が浮かび上がる。いいや、それは獣血による凶暴な囁きだ。

 

「マルドロ、アナタに敬意を表しましょう。ここで死ね」

 

 1歩。途端に熱風が生じ、それは速度を飛躍的に上昇させる。

 もう止まらない。一方的に殺すだけだ。マルドロも彷徨う者たちも完全にオレを見失った。

 まずは1人。弓持ちを贄姫の居合で胴を薙ぎ、そのまま背後を取って後頭部から縦一閃、よろめきながら振り返ろうとしているところで左拳を顔面に入れ、そのまま床にたたき付ける。拳と床に挟まれた頭部が兜ごと破裂する。

 白夜の狩装束、限定解除能力【デーモンの息吹】。スピードにSANの補正も追加する。専門であるSTRやDEX程の補正は得られないが、それでもSANに高めにポイントを振っているオレならば、得られる恩恵は決して小さくない。そして、ステータスの高出力化が出来るオレならば、速度の上がり幅はかなりのものだ。

 ようやく1人狩られたことを察知した彷徨う者たちが斬りかかる。だが、全てヤツメ様の巣の中だ。熱風で加速し、彷徨う者たちの間を抜けながら贄姫で斬り刻む。血飛沫が散る中で、放たれた矢を掴み、マルドロが手榴弾を投擲するより先にその右肘の内側を投げた矢で刺し貫いて妨害する。

 マルドロの手から手榴弾が零れ落ち、ピンが抜けたそれは彼自身を爆発で呑み込む。

 

「獣血侵蝕」

 

 白夜の半獣装具を獣血侵蝕する。四肢とコート、そして体内に張り巡らされた白木の根にも獣血侵蝕が広がる。皮膚には血管が浮かび上がるように、緋血の血管模様が生じる。籠手や具足、コートも同様だ。

 防具である以上、格闘補正は格闘装具に劣る。だが、それを補う為の≪暗器≫スキルの付与がある。彷徨う者たちの波状攻撃を贄姫で受け流しながら逆にカウンター斬りを重ね、肘打と蹴りで2体を吹き飛ばし、左手で抜いたイジェン鋼の大剣を投げる。壁に叩き付けられていた1人の心臓部に命中して絶命させる。やはり群体だけに1体ずつのHPは決して高くはない。だが、頭を潰したヤツはゆっくりと復元されている。早急に全滅させなければ、すぐに8体揃ってしまうだろう。

 

「なんだよ!? なんだよ、それ!?」

 

 マルドロが狂乱しながら、ひたすらに手榴弾を投げる。だが、爆発はオレを傷つけない。彼の目はオレを捉えていないから、常にオレが通り過ぎた場所に手榴弾が放り投げられているからだ。逆に彷徨う者たちに余計なダメージを与えている。

 

「獣血覚醒『血獣の魔爪』」

 

 左手の血管模様が膨張し、緋血がコートの袖まで呑み込んで形成されるのは、禍々しい獣爪の籠手だ。手の五指の爪はより鋭くなっている。

 獣血侵蝕は、以前の武装侵蝕と違って攻撃範囲拡張効果はない。だが、獣血覚醒は侵蝕対象に応じて血獣を憑かせる。

 彷徨う者たちの1体が踏み込みからの突きを繰り出す。それに対してステップで懐に入り、心臓に禍々しい血獣の爪と化した左手の五指を胸部に突き入れる。

 獣爪撃……発動。心臓を引き千切り、吹き飛ばされた彷徨う者を見送りながら心臓を握り潰す。リゲインの回復は欠かせないからな。

 残り5体。次々に放たれる矢を躱し、残る3体の近接型を見据える。

 1体目の袈裟斬り、2体目の突き、3体目の横薙ぎ。それらを潜り抜けて背後を取り、反転しながら滑りつつ血刃居合で纏めて背中を薙ぐ。重ねられたダメージで1体が倒れる。残る2体が振り返るも、その隙に右手のアンカーナイフで喉を射抜いて殺しきる。

 アンカーナイフは一定の加圧がかかると刃の1部が押し出される仕組みだ。1本700コルの作成料……消費アイテムでこれは泣けてくる。

 アンカーで捕らえた遺体を振り回し、もう1人に激突させて押し倒す。ステップで踏み込み、斬り上げで顔面から頭部を深々と断って殺しきる。

 

「なんで!? なんで!? なんでだ!?」

 

 マルドロの絶叫が響く。ランスを手にオレを攻撃するが、余りにも遅すぎる。搦め手に頼り過ぎたな。素の実力は傭兵でも最低クラスのようだ。ステップで背後を取るも、弓使いの矢が邪魔をする。先にあちらを始末するか。

 抜刀、血刃長刀。緋血を纏わせた贄姫を手に、加速ステップを駆使して翻弄しながら、弓使いの1人の背後を取る。振り返るのを待たずに頚椎を刺し貫き、捩じり、心臓部まで強引に斬り裂く。血飛沫をあげながらよろめくところを、左手で抜いた獣血侵蝕済みの大鋸ナイフで側頭部を貫き殺す。

 残る弓使いは1体。倒した彷徨う者たちの復元も進んでいる。最初に殺したヤツが復活するまで猶予はない。矢の連射を血刃長刀で弾きながら最短距離で詰める。マルドロがルート上に割り込んで邪魔しようとするが、それより先に左手に挟み込んだ4本の鋸ナイフを放つ。大盾をしっかり構えず、速度優先だったマルドロの右膝を装甲が無い側面から刺し貫く。膝の異物でマルドロがバランスを崩した間に弓使いへの接近を果たし、贄姫で腹部を刺し、獣爪のまま左手で顔面を掴む。

 STR出力全開。HPが減少する彷徨う者の声にならぬ悲鳴に浸りながら、頭部を『引っ張る』。

 

 

 

 そして、頚椎まで伴った頭部を胴体から引き千切り、掲げた首から血を浴びた。

 

 

 

 足りない。まるで駄目だ。所詮は『命』無い人形だ。血の悦びが得られない。

 

「あ……あひ……あひゃ……」

 

 ランスも大盾も手放し、腰を抜かして倒れているマルドロが震えている。彷徨う者たちの撃破メッセージが流れているが、どうでもいい。

 

「お腹が空いたんです。とても……とても、お腹が空いたんです。ねぇ、マルドロさん。アナタは……『美味しい』?」

 

 ステップで間合いを詰めてマルドロの正面に立ち、目線を合わせるように屈みながら微笑みかける。

 

「ヒィ……ひぃああああああああああああああああああああ!?」

 

 ああ、下品な悲鳴だ。まるで家畜じゃないか。あ、そうか。だから『餌』なんだ。だったら食べてあげないと! 家畜は食べられるためにいるんだから、しっかり余さず食べてあげるのが礼儀だ。

 右膝から血を垂らしながら、マルドロは階段を上って逃げる。

 あらあら。まぁ、追えばいいだけか。今の内に解呪石を使って、ナグナの血清も、と。

 

「お菓子。お菓子。あま~いお菓子♪ キラキラ金平糖が食べたいな♪ 真っ赤な、真っ赤な、真っ赤な金平糖♪ 赤いソースでピチャピチャ濡れた、サクサクのフレークたっぷりのパフェも食べたいな♪ 蕩ける甘々ジュース♪ ごくごく♪ ごくごく♪ はぁやぁくぅ食べたいなぁあああ♪」

 

 階段を1つ1つジャンプで上がって追いかける。

 ああ、心躍る。もうずっとずっとお腹が空いていたんだ。

 毒はオレの弱点! 低VIT型だから仕方ないよね! 空腹は体の毒だから、さっさとお腹を満たさないとね! 低VIT型として対策をするのは当然だよね! いっぱい、いっぱい、いぃぃぃぃっぱい食べて、毒耐性を高めよう。

 階段を上り終えれば、仰々しい両扉が開いている。内部に入れば、東洋風の甲冑と長巻が飾られたドーム状の空間だ。ほほう。ここは鉄の古王のコレクションルームだろうか? だが、この東洋風であって、中華でも日本風でもない、欧米人が想像したようなイーストアーマーみたいなデザインは何だろうか?  DBOの歴史、摩訶不思議である!

 マルドロは床にへばり付いて必死に指を動かしている。ああ、なるほど。転移トラップを設置して逃げるつもりか。

 ここは1つ、忍び足で驚かせてあげよう。ゆっくりゆっくりと距離を詰め、息を殺しながらマルドロの耳元に背後から口を近づける。

 

「マ・ル・ド・ロさん♪」

 

「あひゃぁああああああああああ!?」

 

 そこまで驚かれるなんて、オレってもしかしてオバケ屋敷で働く才能があったりするのかな? 尻を床に張り付けたまま、四肢でゴキブリのように這って後退るマルドロは、非常に面白い。足を千切ってあげたら、もっと愉快に動いてくれるのではないだろうか?

 

「来るな! 来るな! 来ないでくれ! バケモノ! バケモノ! 人間じゃねぇ! お前は人間じゃねぇ!」

 

「え? そうですよ? 今、自分で言ってるじゃないですか。『バケモノ』って♪」

 

 そうだよ。オレは『バケモノ』だよ? 皆がそうであるように望んだんだろう? だったら、オレは『バケモノ』に決まってるじゃん。

 

「『バケモノ』♪『バケモノ』♪『バケモノ』♪ ねぇ、どうしてオレを『バケモノ』って呼ぶのですか? オレはアナタ達人類を殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺し尽くしたいだけなのに。どうして? こんなにもアナタ達を愛しているのに、どうしてそんなにも嫌うのですか? 教えてください」

 

 マルドロの上に乗り、その兜をそっと脱がす。涙と鼻水で汚れている……まぁ、フツメンかな? でも、悪知恵を働かせた悪辣な戦術を好んだ割には、なんか誠実っぽそうな顔立ちで意外だ。ふむ、詐欺師って善人面らしいし、マルドロもそういうタイプなのかな?

 

「ねぇ、教えてください。オレはアナタを殺してあげます。その命を余さず喰らい尽くして愛します。なのに、どうしてそんなにも震えているんですか? 死は生ある者にとって循環の1部。アナタの命はオレの糧となる。それは生命の摂理でしょう?」

 

 マルドロの顔面を左手でつかみ、ゆっくりと持ち上げる。もう立つ気もないのか。両腕も垂れ下げたまま震えるばかりだ。

 

「教えてください。じゃないと……苦しむように殺しちゃいますよ?」

 

 舌でマルドロの首を、頬を、右耳を舐め、そして噛む。右耳を食い千切る。

 

「ぐぎゃぁあああああああああああああああ!?」

 

「むぎゅ……むぎゅ……あれぇ? 不思議ですね。前はしなかったのに血の『味』がします♪ あま~い血の味がします。不思議♪ オレって味覚が随分前に壊れて無くなっちゃったんですよ。もしかして、パラサイト・イヴの影響だと思いませんか? レギオン系ソウルが2つも組み込まれているせいでしょうか? グリムロックったらお茶目な誤算をしてくれますよね♪ 血の悦びだけじゃなくて、血の甘さまで知れるなんて、オレって『幸せ』なんでしょうか!? ねぇ、教えてください! これが! これが『オレの幸せ』なんですか!? クヒャヒャヒャヒャ!」

 

「あひ……嫌だ……死なせて……頼む……頼む……悪い事をたくさんした。酷い殺しもした。でも、こんなの……こんなの嫌だぁあああ! 嫌だぁああああ!」

 

「オレも嫌ですよ。グリムロックの武器も防具も気に入ってるけど、この白木の根は痛くて堪らないんです」

 

 ほら、見てよ。この防具。デーモンの王子のソウルを組み込み、白木がシースを模したという性質を合わせて、肉体と同化させて強化させる防具なんだ。これでも半分……限定解除なんだ。でもね、凄く凄く痛いんだ。全身に内側から白木の根が張り巡らされてとても痛いんだよ。

 グリムロックはオレがどうなろうと知った事ではないのだろう。別にいいよ。オレは気にしない。痛みなんて慣れた。アイツの作る武器も防具も面白い。オレだけが扱える武器。いいや、違うか。最高にして最上にして最強にして最悪の武器を製造する。そんな狂気の好熱に魅せられているのだろう。

 きっと、グリムロックはオレへの負荷なんて気にしていない。それでいいさ。

 

「これね、『デーモン化』を目指した装備なんですよ。オレにはとても都合がいいんです。オレのデーモン化はとっても扱い辛いから、こうしたシンプルな強化作用はオレも願ったりかなったりですし」

 

 さて、そろそろ『食事』の時間だ。マルドロを手放せば、這って少しでも遠ざかろうとする。

 鋸ナイフを抜き、手元で遊ばせる。回復アイテムもあるし、じっくりと調理するか。やっぱり血の悦びは新鮮な恐怖で染まっているのに限る♪ 飢餓を癒すのは血の悦び。味覚の不自由を慰めるのは血の味♪ だけど、本当に必要なのは『殺す』ことだ。『命』を喰らうことでしか飢餓は抑えられない。血の悦びなんて素材への味付けのようなものだ。だって、美味しいモノの方が満足感もあって腹持ちも良いからな。

 

「殺して……せめて、普通に……人間らしく……殺してくれ」

 

「嫌です♪ だって、アナタ曰くオレって『バケモノ』みたいですし、『バケモノ』らしく、アナタの心が壊れるまで恐怖で塗り潰してから殺そうと思います♪」

 

「あ、あぁああああああ!?」

 

「それに、アナタの依頼主ってプレイヤーではありませんよね? 彷徨う者たちの出現条件は炉の起動のはず。つまり、アナタに発動後の詳細まで教えた人物がいます。つ・ま・り、大ギルドよりもDBOで影響力を持つ存在……ズバリ管理者ですね?」

 

「管理者? そ、そうだ! たぶん、ソイツだ! お前を殺せば……脱出と200万ドル! それから……それから一生の面倒を見てくれるって!」

 

 後継者か? 確かに『約束』を考えれば、オレに殺し屋を差し向けるくらいはするとは思うが、やり口がヤツらしくない。まぁ、マルドロから正体が掴めないのは分かり切っているし、どうでも良いがな。

 だが、これで納得もいった。コイツがモンスターに襲われもせず、また呪いの効果も受けなかった理由は、管理者が裏で細工をしていたからか。管理者という称号は今すぐ返上してもらいたいものだ。

 さぁ、もういいだろう。さっさと食事にするとしよう。

 

「糧となれ」

 

「嫌だ……嫌だ……俺は死にたくない! こんな死に方は嫌だ!」

 

 マルドロが足下に何かを落とす。手榴弾ではない。これは煙幕か。

 最後の悪足掻き。いいや、これは……反撃か。煌く一閃が右手の贄姫を飛ばす。

 それは短刀。マルドロの最後の武器。そうか。≪武器枠増加≫を取っていたか。最後の武器として短剣を隠し持っていたか!

 

「あぁああああああああああああああああ!」

 

 雄叫びを上げた、マルドロの全身全霊の突き。ああ、素晴らしい。『人』はこうでなくてはいけない!

 

 

 

 

 

 

 

 そして、凍り付いた刃がマルドロの短剣を右腕ごと奪い取る。

 

 

 

 

 

 

 

 何が起こったのか分からない顔で、マルドロは肩から落ちた右腕を、続く血飛沫、そしてダメージフィードバックによる痙攣で背中から倒れる。

 

「な、なんで……もう武器は……?」

 

「素晴らしい反撃でしたので、『わざと』弾かせてあげました。アナタならきっと最後のチャンスで逃げずに攻撃してくれるはずだと信じたんです。奇麗にカウンターが入りましたね」

 

 オレが左手に持つのは、冷気を固めたような青白い粒子と靄で形成された『大鎌』だ。

 冷気の大鎌の刃から滴る血を舌で受け止め、その甘さに身を震わせる。久しく味わっていなかった甘味が脳を刺激する。

 

「【氷雪のレガリア】。これは氷雪の大鎌。獲物で見るのはアナタが1人目です♪」

 

 ああ、その顔が見たかった。欠損と流血でじわじわとHPが減っていき、もう打つ手がない絶望で満ちた恐怖の顔。その為だけに贄姫を弾かせた。最後の勝機を前にして勇敢に刃を振るい、腕ごと反撃手段を奪われる。良い味付けになった。

 氷雪のレガリア。グリムロックがウーラシールのレガリアを『素材』にして、トリスタンとサリヴァーンのソウルを組み込んで完成させた指輪。

 従来のレガリアと違い、トリスタンのソウルによって『3種類』の武具のみを冷気と氷で形成する。そして、サリヴァーンは絵画世界出身であり、氷の魔法にも長けていた。これによってそれぞれの氷雪武具に更に追加能力も付与してある。もちろん、1度使えば修理は必要となるが、武具の園も残っている。

 氷雪のレガリアの凶悪さは、ウーラシールのレガリアと同じく武器枠を消費しない点にある。武器を持てない状況でも、氷雪のレガリアさえ装備しておけば、いつでも氷雪武具を手元で形成できる。そして、従来のレガリアと違って出し入れのハードルが低い。

 レガリアは従来の属性防御力上昇はやや低下したが、水属性防御力に関してはかなりの上昇をもたらす。白夜の狩装束は白木の偽竜とデーモンの王子のソウルのお陰で魔法・炎属性防御力は目を見張るものもある。金属防具ではないので雷属性防御力も決して低いわけではない。光・闇属性防御力は平凡だが、レガリアの属性防御アップもあるので問題ない。軽装なので物理防御力はどうしても低くなるが、その為のパラサイト・イヴによる防性侵蝕と獣血侵蝕だ。限定解除で白木の根が全身に張り巡らされた状態ならば、獣血侵蝕による強化作用が全身にもたらされるからな。

 素晴らしいよ、グリムロック。オレは大いに無視してくれ。オマエの理想を突き詰めてくれ。その先に何があろうと、オレは使いこなそう。

 

「あ……あが……がぁ……ひ、ヒヒヒ……ヒハハハハ! 勝てるわけねぇ! バケモノに人間が……人間が勝てるわけがねぇ! ヒハハハハ!」

 

 狂ったように笑うマルドロのHPの減りを確認する。このままスリップダメージで殺すのもいいが、やはり自分の手で狩るべきだ。

 唇を舐め、氷雪の大鎌でマルドロの首を狙いつけて、そして振るう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『クーは「優しくない」。でも、クーは「優しくあろうとする」んだよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マルドロの首を刈るはずだった大鎌が止まる。冷刃はマルドロの首の薄皮を裂く所で止まる。

 

「あ……ああ……うぁああ……違う! 違う! 違う! オレ……オレ……オレは『ユウキを殺したくない』から! だから、コイツを『食べる』しかなくて……違う! オレは……『オレ』として……うぁああ……あああ!」

 

 もう嫌だ。ユウキを殺したい。食べたい。だから『殺したくない』! そうやって『嘘』を重ねるしかないと分かっていても、キミを殺すわけには……ああ、でも殺したくて、殺したくて、愛したくて、グチャグチャになるまで壊して愛して殺して、愛したい!

 キミの血はどんな味がするんだろう!? 血の甘さを知った今は、キミの全てを愛する為に、その柔肌を抉って血を舐め取りたい。キミの全てを知って殺して愛して……違う! こんなのは……ただの……ただの!

 

「マル……ドロ……アナタは……強かった。知恵を……出し、あらん限りの罠を張り……全力で……オレを殺そうとした。その『人の意思』に……敬意をぉおおぁあああああ!?」

 

 ヤツメ様が抱き着く。もう『獣』の顎は開かれたと笑っている。

 奥歯を噛み、『獣』の上顎を踏みつける。強引に押さえつけて、1歩を踏み込んで、せめて彼が望んだ人間らしい最期を与える為に微笑む。

 

 

 

「祈りもなく、呪いもなく、安らかに眠れ」

 

 

 

 最後の瞬間だけ、マルドロに微かな安堵があったのは……見間違いでは無かったはずだ。恐怖に敗れ、せめて人間らしい尊厳ある死を欲した彼の願いは叶えられたはずだ。

 転がるマルドロの首を見ながら、氷雪の大鎌を消して贄姫を拾う。暗殺者は……もう1人いる……はずだ。クロスボウ使いを……殺さなければならない。

 

(アナタはもう止まらない。『彼女たち』は望んで『獣』の顎に自らを入れ、アナタの飢えを僅かでも満たして命を繋げた。でもね、呪いはいつだって相手を苦しめる為に存在するのよ)

 

 ヤツメ様がマルドロの遺体の前で踊る。血に波紋を生み、楽しそうに笑っている。

 そうだとしても、ザクロは……いつか呪いも祈りになると信じていた。だったら、オレは……『オレ』として探し続けるさ。『幸せ』って奴を……さ。まぁ、すぐには見つかりそうにはないから、狩りの全うと並行してやるさ。

 

(そう、だったら次も我慢できるかしら? とっても質の良い『獲物』がいるわよ)

 

 ……何? ヤツメ様が指差す先、それは東洋風の甲冑だ。それは禍々しい赤いオーラを放出している。血だ。血に反応したか?

 

「ぐっ!?」

 

 引き寄せられる! これは……まさか!?

 東洋風甲冑に激突するかに思えた瞬間に転移特有の浮遊感が生じ、オレは先程とは全く異なる場所に着地する。

 煌々と輝く炉。打ち付けられる鋼の音。そして、次々とインゴットを運ぶ人々の『幻影』。何処に行っても必ずあった雪のように白い煤はまるで存在しない。

 廃墟そのものだった黒霧の塔。それが在りし日の最盛期に引き戻されたかのようだった。

 オレが立つのは熱されて溶けた鉄がたっぷり溜まった溶鉱炉の上にかけられた鉄橋。そして、オレの前方には、2メートル半はあるだろう、人間より一回り大きい体格をした、胡坐を掻いた東洋風の甲冑の騎士。

 その兜は無数の横スリットが設けられ、視界の確保に優れている。兜の装飾か地毛なのかは不明だが、1本の細い黒髪のようなものが垂れている。そして、全体的に鈍い黄色をした配色の甲冑を揺らせば涼やかな金属音が響き、胡坐を掻いていた東洋風騎士……いや、『武士』は目前の得物である長巻を手にする。

 

「浮世など夢の瞬きに過ぎぬとしても、王に仕える誉れに偽り無し」

 

 ここが黒霧の塔の最盛期という偽りの再現だとしても、それを守るのは自らの使命であると言わんばかりに、武士は構える。

 

 

 

<騎士アーロン>

 

 

 

 ネームドか。HPバーは3本。そして、この名前は……まさかな。

 鉄の古王関係のモンスターでアーロン騎士というのが存在する。クラウドアースでもヴェニデ関係者が特に好むアーロンシリーズは物理防御力に秀でている、というプレイヤー視点は置いておくとして、アーロン騎士は鉄の人形である。傀儡である。そして、彼らにはモデルとなった人物がいる。

 それこそが目前にいる鉄の古王の懐刀、アーロンだ。東洋からやって来たアーロンは、当時は弱小だった鉄の古王に仕え、覇権を握らせた。そして、その絶頂期に人知れずに去ったと言われている。

 ここは鉄の古王の最盛期という幻影の世界。そこに立つアーロンは何なのかなど問うべきではない。

 最速最短で殺す! それだけだ。

 

「白夜の狩装束……完全解放【白夜の魔獣】」

 

 グリムロックには未完成だから『使うな』と言われていたが、知ったことか。実装している方が悪い。

 四肢とコートだけだった変質。それが全身を蝕んでいく。

 

 ユウキ、オレは……キミだけは『殺したくない』。だから……だから……だから!

 

 そして、左目の義眼が映す視界に、1つのメッセージが表示される。

 

 

 

<P-Legion Link System...START>

 

▽    ▽    ▽

 

 

 何故今ここに自分がいるのか、その理由をアーロンは問わない。

 王は権力も財力も手に入れた。それが王を増長させ、いずれは自滅を招くかもしれない。だが、それでも臣下として彼を支え続けるつもりだった。

 だが、何かが狂ってしまった。それがアーロンをこの場所に繋ぎ止めている。自分に何があったのかなど、まるで分からない。

 分かっているのは、強者と戦っていたことだ。その先で自分が生きたのか、それとも死んだのかも分からない。

 それでも成すべきことは分かる。王の城を侵す者は何人たりとも許すわけにはいかない。それが剣に誓いを立てた者の務めだ。

 

「これは……!」

 

 これまで王の命を狙った多くの暗殺者を葬って来た。

 だが、目前のそれは今まで相対したいずれとも本質が異なる。

 

 全身を覆い尽くすのは、金属とも鱗とも皮とも呼べぬ白い硬質な何か。だが、それは全身緋血の湯気を纏い、禍々しく染め上げられている。

 まるで獣皮の甲冑を纏っているかのようだ。兜は竜に近しいが、それは本質的に『獣』としか言い表せないものだ。兜の右側には7つの赤が滲んだ黒の結晶体、左側には夜空を映し込んだような、見続ければ狂気を呼ぶ天啓にも似た啓蒙を得られそうな青の結晶体だ。右側の結晶体は獣の眼のように細長く、左側の結晶体は瞳のように丸い。

 異形の姿でありながら立つ姿は限りなく人間そのもの。獣皮の甲冑を纏った人間、あるいは獣に蝕まれた者。何にしても、右手に持つカタナがその異形の姿からは余りにも異質であり、だが確かな人間の名残に思えた時、『それ』は蠢いた。

 ワイヤーに繋がった鏃のような形状をした、刃に返しの突起が複数付いた短剣だ。それが2つ。だが、それらは瞬く間に緋血に覆われ、『受肉』する。緋血は肉膜と化してワイヤーを覆い尽くす。ワイヤーの先端の短剣まで肉膜に取り込まれ、金属質の表面は禍々しい複数の突起が付いた鋸状に膨れ上がった。

 後ろ腰から伸びる2つのワイヤーという名の尾……いいや、『触手』。それは宙でうねり、まるで獲物を求めて鼻を嗅いでいるようだった。

 

 

 

 

「クヒ……クヒヒ……クヒャヒャ……クヒャヒャヒャヒャ!」

 

 

 

 

 零れる狂笑がアーロンに言い知れぬ恐怖を与えるも、歴戦の猛者として容易く振り払う。その様に喜ぶように、血霧を纏った魔獣となった人間、あるいは人間となった魔獣。どちらとも呼べぬ存在は、緋血で濡れたカタナを右手を鞘に収めて抜き放てば、鋸状に似た血刃を纏って長刀と化す。

 左手だけは肘まで異様に緋血が覆い、より野獣的な外観となっている。特に指は酷く、爪そのものと呼んでもおかしくなかった。

 魔獣の左手が地面を掴み、右手の血刃長刀が水平に構えられる。

 

 

 そして、アーロンが見失った時には背後を斬り裂かれていた。

 

 

 遅れて目が捉えたのは『バケモノ』が駆けた後だろう血霧であり、全身が感じたのは炉の熱とは違って言い知れぬ殺気が籠った熱風。散る火の粉も合わせて、火の力を帯びて超加速したのは理解できたが、アーロンに対処はできなかった。

 振り返って血刃長刀と剣戟を繰り広げる。だが、まともに剣の戦いをする気などないとばかりに、刃の間を触手が潜り込み、アーロンの腹と喉を突き刺す。そのまま強引に彼を投げて溶鉱炉に落とそうとするが、空中で姿勢制御したアーロンは縁に着地して難を逃れる。

 しかし、その時には既に鉄橋から跳んでいたバケモノはアーロンに斬りかかっていた。1歩間違えれば溶鉱炉に落ちるというのに恐れもなく、アーロンと同じ場所に立ったかと思えば苛烈に斬りかかる。その全てを捌き切れず、また触手とのコンビネーションによってアーロンの鎧と肉は抉られていく。

 この場所では分が悪い。大きく跳び、加工を行う金場に着地すれば、先んじて着地していたバケモノによって腹を薙がれ、更に触手の1つが兜の覗き穴から眼球を刺し貫こうとする。だが、分厚い刃と兜の頑丈さのお陰で入り込まれずに済む。

 人間の動きと獣の動き。剣技とも呼べぬ尋常ならざる斬撃と殺傷性だけを追究した触手。かつてない強敵にアーロンの戦士としての魂が震えた。

 武者震いなどいつ以来だろうか。アーロンは何処とも知れぬ、夢にも似た世界で、過去最強と呼ぶに相応しい敵に巡り合えたことに感謝した。

 揺るがぬ構えを取るアーロンに、感動するようにバケモノは震える。

 

 

「ああ、やはり『人』は素晴らしい。喰らい甲斐がある!」

 

 




人の子よ、剣を取れ。
今こそ勇敢の意味を示せ。


試される主人公力
・サイド:ラジード&マダラ
ヒロインの元に駆けつけ、『孤独』の使徒の騎士を超えろ。

・サイド:アーロン
古き王に仕える忠臣として、厄災の白夜の魔獣を討伐せよ。


それでは、318話でまた会いましょう!


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