SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

ほんわか九塚村での休日でリフレッシュ! さぁ、お仕事だ!


Episode20
Episode20-01 新時代


 大きく開けた城門の前。騎士たちが出征すべく列を並び、王の激励を受けるに相応しい広場は四方を城砦の壁で覆われている。

 戦いとは、如何にして自軍の被害を最小限に抑え、敵軍に打撃を与えるかに終始する。その極致が遠隔操作や自律行動を可能としたAI搭載による無人兵器であり、皮肉にも人命優先の到達点こそに人類は嫌悪感と危機感を募らせる。

 人類最古の自軍の人命優先にして敵に打撃を与える戦法とは遠距離攻撃である。投石から始まり、弓矢やクロスボウに発展し、銃が主力となり、ミサイルが開発された。そして、それらに対する者は常に防御策を講じねばならなかった。

 DBOにおいても射撃攻撃は常にプレイヤーにとって大きな脅威となり、故に対策も充実している。スキルの≪射撃減衰≫は戦いに身を置くならば必須スキルとしても数えられる。射撃属性防御力を高め、またヘッドショットに備えて兜を装備するのも単なる防御力の底上げ以上の意味を持つ。また、射撃攻撃を行う側にも制限や多大なコスト、デメリットが生じる。

 だが、モンスター側はそうではない。プレイヤーにあるべきデメリット……射撃攻撃前後の防御力やスタン耐性の低下はほとんど見られない。また、魔力も無尽蔵に近しく、矢数や弾薬に縛られることもほぼ無い。プレイヤーが背負う枷が無いという特権を有しているのだ。

 射撃攻撃への対策は怠れない。だが、万全など何処まで行っても得られるはずがない。ならばこそ、何処かで線引きしてリスクを背負うしかない。

 

「こんなの……どうしろと!?」

 

 だが、何事にも限度がある。聖剣騎士団所属の【オプコーン】は、悲鳴にも似た不条理に絶望を覚える。

 四方八方より要塞の壁から身を乗り出す兵士たちはクロスボウを構え、文字通り雨のようにボルトを放つ。クロスボウ用に使用される太矢……ボルトは、矢に比べれば短く、また太めなのが特徴だ。

 現実世界においては、クロスボウとは弓矢以上の破壊力を秘め、中世ヨーロッパにおいて猛威を振るった歴史がある。騎士のプレートアーマーを容易く貫くことから『過剰な殺傷能力』として使用を控えられたほどだ。また、クロスボウの特徴として弓矢ほどの鍛錬を必要とせず、誰でもその破壊力を手に入れられた。言うなれば現代における銃のポジションでもあったとも言えるだろう。中国でも『弩』として似た構造の兵器は開発され、また日本にも渡来したが定着はしなかった。構造上の生産性の悪さ、環境、文化の違いなど多数の理由はあるが、何にしても主力の座を得られなかったことは日本人にとってクロスボウや弩が他の武器に比べても認識が乏しい原因に数えられるだろう。

 DBOにおいてもクロスボウとは、特殊なポジションにある武器だ。それは使用にスキルを必要としない点にある。

 プレイヤーに与えられた射撃攻撃は多種あるが、そのほとんどにスキルが必須だ。≪弓矢≫・≪銃器≫・≪光銃≫はもちろん、魔法・呪術・奇跡の使用にもスキルは不可欠だ。無論、これらのスキルの代用となる指輪や能力を有した装備はあるが、あくまで例外であり、そのほぼ全てがユニーク系である事からも、容易く入手できるものではない。

 そんな事情も合わさり、スキルを必要としないクロスボウは多くのプレイヤーに愛用されている。射撃サークルが生じず、肉眼による目視で狙いを付けねばならないが、それを超えても得られる射撃攻撃手段の獲得は大きな魅力だ。普段は剣を振るうことしかできない純粋培養の近接ファイターも、クロスボウを持てば射撃攻撃ができるのは大きなメリットだ。また、弓矢と同じく武器枠を1つ消費で済むお手軽さもある。盾の代わりにクロスボウを装備する両手武器使用者も少なくない。

 だが、当然ながらクロスボウには大きなデメリットが幾つも存在する。

 1つ目は固定火力であること。これは銃器や光銃と同じであるが、そもそもとして全般的に火力が抑えられている。距離減衰も総じて酷く、射撃精度も乏しく、また目視でしか狙いも付けられないともなれば、個人の運用では射撃攻撃として有用性を発揮できる相手と場面は限られる。

 2つ目は連射性の乏しさ。アヴェリンなどを代表に連射機構を備えたクロスボウもあり、また大ギルドが生産しているのはいずれも連射機構がデフォルトとなっているが、それでも装填数も連射速度も圧倒的に劣る。また再装填にも時間を要する。人力の場合は使用者のSTR次第であり、自動再装填機構はインターバルがいずれも長過ぎて実用性を大きく損なう上にコストが増加する。

 3つ目は装備条件だ。スキルに依存しないが故に、より強力なクロスボウの装備には多くの制限がかかる。これは低レベルプレイヤーに大火力のクロスボウを使用させない為にあると推察されている。装備条件のSTRはクロスボウの火力から見たレベル水準でも高めであり、またクロスボウは例外的に使用必須レベルが設けられている。ステータスの装備条件を満たすだけでも安易に装備できないのだ。

 これらの弱点を補うために、火炎壺のように爆発する爆裂ボルトなども存在するが、そうした特殊なボルトは総じてコストが高く、また装填できるクロスボウも限られる。DBOの世知辛さを教えてくれる武器、それがクロスボウなのだ。

 だが、敵……モンスター側がクロスボウを使用するとなると話は違う。クロスボウの固定火力は変わらずとも、その射撃精度も威力も連射速度も段違いだ。人力の装填速度は恐ろしく速く、撃てば真っ直ぐに飛んで射程距離もあり、なおかつ威力も高い。相手はモンスターだと諦める他にない程に隔絶した性能差がある。

 そうしたモンスター準拠のクロスボウを構えた兵士が100人以上。途絶えることなく戦場にボルトを放つ。しかも見た目は完全にアイアンボルト……最弱のウッドボルトよりも1つ上のランク程度だ。だが、その火力も衝撃もスタン蓄積も尋常ではない。

 四方八方から放たれるボルトによって、このボスフロアに挑んだ聖剣騎士団の戦力43人は、早くも12人が戦死していた。遮蔽物はなく、また要塞上部から狙い撃ってくる兵士を遠距離攻撃で倒しても倒しても補充されるのだ。要塞上部に乗り込もうにも、階段は崩れ、通路は埋まっている。≪歩法≫スキルがあれば常時発動のウォールランによる補正も加味すれば壁を駆け上がって乗り込めるかもしれないが、それをした1人は到達する前にボルトでハリネズミにされ、何とかたどり着いた1人は待ち伏せしていた兵士と騎士によって斬り殺された。無限湧きする100人以上の兵士と警護の騎士がいるのだ。当然である。

 そうした圧倒的に不利な状況で始まるボス戦であるが、そのボスもまた尋常ではない。軽く20メートルにも達するだろう巨体の騎士だ。右手には分厚い刃の穂先を有した槍を有し、左手にはその巨体すらも覆う大盾だ。

 その名も【塔の騎士】。北の大国ボーレタリアに忠誠を誓った、決して揺るがぬ盾の騎士の伝承。その伝承を基にして、ボーレタリアに謎の滅びをもたらしたとされる色の無い濃霧と共に生じた巨人である。これらもまたデーモンであるが、混沌の火より生じたデーモンとは区分され、霧のデーモンとも呼ばれている。

 巨体はパワーばかりの愚鈍で懐に入れば倒すのは容易い。多くのゲームのセオリーがDBOに通じるはずもない。塔の騎士は走ることも出来れば、軽やかに跳ぶことも可能だ。槍を振るえば突風が生じ、突きを穿てば数メートル級のソウルの槍も放たれる。大盾も≪盾≫のソードスキルを使用可能とし、そのシールドバッシュやスタンプは巨大さも相まって絶望的な打撃属性攻撃と化す。

 何よりも尋常では無いのは防御力の高さだ。物理属性攻撃はほぼ無効化にも等しい程に減衰される。雷属性と魔法属性は効くが、巨体に相応しいHP量を削るには松脂エンチャント程度では足りない。ヤスリでは効果時間が短く、とてもではないが塔の騎士にダメージを与えることは出来ない。

 何よりも巨体を覆う盾はあらゆる攻撃を完全に防ぐ。高い貫通性を誇るソウルの槍すらも突破できないガード性能は、まさしく盾の英雄より生じた霧のデーモンに相応しいだろう。

 対する聖剣騎士団は、お世辞でも精鋭揃いとは言い難い。いずれもレベルは90以上を超えているが、大半はせいぜいがリポップ型ネームドくらいしか強敵との対戦経験は無い。ボス戦の経験者は4人だ。その4人の内の1人だった指揮官も戦死し、今はレベルと装備ばかりが整ったボス戦処女のオプコーンが指揮を引き継いでいる。

 聖剣騎士団での指揮官としての育成を受け、パーティメンバー5人の指揮経験はあるオプコーンだが、ボス戦における集団戦の指揮を引き継げるだけの経験も実力もない。その育成も情報が全て揃ったダンジョンでの訓練ばかりであり、未知が常のボス戦において応対できるものではなかった。

 それでも生存者を纏め上げ、まるでファランクス陣形を取らせて防御に徹する指揮を跳ばせたのは、オプコーンに指揮官の才覚があったからこそだろう。彼の指揮によって、辛うじて聖剣騎士団のボス攻略部隊は31人も生存しているのだ。

 ボルトは盾で防げる。だが、守るばかりでは勝ちを拾えず、また塔の騎士に押し潰される。それでもなお、絶望しようとも生にしがみついて足掻くのは、勝機という名の希望が奮戦しているからこそだ。

 

 

「足だ! 足首を狙うんだ! 恐れるな! 塔の騎士の動きは大振りで読みやすい! 安全圏を十分に確保して、1発入れたら離脱するんだ!」

 

 

 翻るのは黒衣。描かれるのは2つの刃の軌跡。その素顔を隠す銀仮面は掠るボルトで大きく傷つきながらも、咆える一声には恐怖への屈伏はなく、敗北という迫りくる死を覆さんとする闘志が籠り、故に聞く者たちを鼓舞する。

 サインズ傭兵ランク9にして、最強の傭兵候補であるUNKNOWN。右手に有するのは青にして碧の光によって輪郭を縁取られた、白銀の刀身を核にして漆黒の大刃を形成する片手剣……月蝕の聖剣だ。その左手に有するのは聖剣騎士団製の重量型片手剣【赤真珠の鉄剣】である。赤土の如き刀身には赤い宝珠が3つ埋め込まれており、炎属性攻撃力を有し、また打撃属性に傾いた片手剣である。重量型片手剣でも特に重く、使い手を選ぶ聖剣騎士団が提供した聖剣騎士団製の『宣伝用』装備だ。

 炎属性は魔法属性や雷属性ほどではないが、塔の騎士にも効いている。属性攻撃全般が撃破の鍵になる。だが、聖剣騎士団は属性武器の作成技術において他2つの大ギルドに比べても差を広げられている。その分だけ物理属性関係は最も先進的であるが、塔の騎士の弱点を攻めるには不足を生じる。ならばこそ、赤真珠の鉄剣は聖剣騎士団が属性武器においても決して覆せぬ程の差を広げられているわけではないというアピールの役目も担っていた。

 だが、そんな些細な政治背景など意味を成さないばかりに、UNKNOWNは個人の技量の高さ、ユニークスキル≪二刀流≫の隔絶した性能差、そして聖剣の存在感を知らしめる。

 全方位から迫るボルトの雨。それを踊るように避け、また両手の2本の剣で次々と叩き落とす。ボルトを捉え、軌道を正確に見抜き、なおかつ反応して行動に移す。高い知覚能力、予測能力、反応速度、剣技が合わさらねば無茶な芸当だ。

 そんな神業を実行しながら、ほぼ単独で塔の騎士の相手をしている。大盾を使ったスタンプの範囲から逃れ、続く槍の回転薙ぎ払いを左右の剣をクロスして防ぐ……いや、受け流す。そのまま月蝕の聖剣は漆黒の奔流を纏い、巨大な漆黒の剣刃……光波を飛ばす。

 大きな衝撃と破壊力を伴った月蝕光波を右足首に直撃を受け、塔の騎士は怯む。そこに突撃するUNKNOWNに続々とボルトが放たれる。背後まで見る目は無い彼は回りながら視認して避け、あるいは叩き落とすが、塔の騎士への接近を優先して肩や背中、腹にボルトが突き刺さる。

 それでも止まらない。体勢を立て直す前に右足首に迫ったUNKNOWNは、≪二刀流≫のお株たる連撃系ソードスキルを発動させる。そのスピードたるや、もはや単発系ソードスキルの発動時間にも匹敵する。自らモーションをなぞることで火力増幅のみならず、ソードスキルの剣速を飛躍的に上昇させ、モーション時間を大幅に短縮させているのだ。

 オプコーンの目では数えることも許されない連撃系ソードスキルからそのまま足技の≪格闘≫の単発系ソードスキル【月歩円脚】にスキルコネクトし、大きく後ろに跳びながらも蹴り上げによって離脱する。それだけではない。滞空時間を利用し、塔の騎士の足踏みから生じる地上を揺さぶる衝撃蓄積による怯みを避けたのだ。

 

(こ、これがトッププレイヤー! これが【聖剣の英雄】か!)

 

 圧倒的大多数のプレイヤーはどれだけソードスキルを使いこなせていないのか、それをまざまざと見せつけられる。それだけではない。塔の騎士を翻弄し、なおかつボルトの雨でも攻撃し続けられる技量の高さと胆力は、まさしく人間の高みと意地を感じさせる。

 戦える。人間は負けない。まだこの世界に屈伏していない! そう魂に訴えかけられるように、オプコーンは兜に隠れた顔を勇気で歪める。

 

「援護するぞ!」

 

 俺達は聖剣騎士団だ! 傭兵に甘える木偶の坊ではない! オプコーンはファランクス陣形を変化させる。3人1組のグループを作らせ、防御に比重を置かさて点在させることによって、要塞上部からのボルト攻撃を拡散させる狙いだ。

 

「UNKNOWNを狙わせるな! 武器は捨てろ! 壺を使え! 投げまくってヘイトを稼げ! 彼を狙わせるな! 前に出れる奴は俺についてこい!『英雄』を援護するぞ!」

 

 塔の騎士のHPバーは2本。最初は20体の【ボーレタリア近衛騎士団】という集団型ネームドだったのだ。それらを倒した後に出現した塔の騎士は、幸いにも2本しかHPバーを持っていなかったが、同時に出現した100体以上のクロスボウ兵士との連携によって窮地に陥っていた。

 何よりも酷いのは、塔の騎士は友軍のボルトを浴びてもダメージを受けないことだろう。その表面にはバリアのようなものが張られているのか、直撃の際に分厚い鎧の表面に波紋が生じてボルトによるダメージが大幅に減衰され、結果的にノーダメージになるのだ。射撃属性防御に対する特殊防御能力だろう。

 

「俺に付いてこれるか?」

 

 仮面の口元がスライドし、UNKNOWNの不敵な笑みがオプコーンを挑発……いや、鼓舞する。

 

「無理だ。だが、それでも出来ることは……ある! 各自散開! 安全圏を確保し、UNKNOWNの指示通りに一撃離脱戦法を取るぞ! ボスのヘイトを集め過ぎず、注意を引いて彼を跳び込ませるんだ!」

 

『了解!』

 

 全員の声が重なり、オプコーンは誇らしく前に出る。ここにいるのは、ボス戦すらも経験したことがない、レベルと装備ばかりを取り繕った者ばかりだ。上位プレイヤーとは名ばかりの、今の聖剣騎士団を象徴する粗製騎士だ。

 だが、粗鉄も経験という炉を経て鍛えられたならば、何にも折れぬ鋼鉄の剣となり、仲間を守る鋼鉄の盾となるものだ! オプコーンは全身を纏う鈍色の鎧を震わせる。

 徹底的に物理属性防御力を重視した、スピードを殺す重装甲甲冑。中世の鎧どころか、現実世界ではまず見かけないだろう、余りにも分厚過ぎる金属の塊。複数の小さな穴が開けられたタイプの覗き穴は、兜の常として視界の制限をもたらす。更に大盾ともなれば、その姿はタンクそのものだ。

 だが、これこそが聖剣騎士団を支える新たな装備。『グライド・アーマー』……通称GAである。足首に備えられた噴出孔よりソウルの粒子が漏れ、地面を滑るような動き……グライド・ブーストを可能とする。

 無論、それでもDEX重視や軽装プレイヤーと比べれば雲泥の差だ。だが、GAの最大の特徴は、本来は歩くので精一杯である程の重装甲冑でありながら、ある程度の機動力を確保できる点にある。

 独立傭兵において最高ランクにして、四騎士の長たる【竜狩り】オーンスタインを単独撃破したスミスの専用装備ラストレイヴンの模倣を目指した、聖剣騎士団の工房が生み出した新装備体系……それがGAだ。これはその試作から作成された量産1号【ヘビィメタル】シリーズである。

 かつて【黒鉄】のタルカスが率いた、DBO最高のタンク集団はいない。ならば、誰もがタンクの如き防御力を有せばいい。全身の超重量甲冑が高い防御力を与え、グライド・ブーストがそれを可能とする。DEXに大幅な補正をかけ、地面を滑るような機動を可能とするのだ。

 弱点があるとするならば、背中の魔力チャージコアだ。魔力の充填が不可欠であり、工房設備が無い現場では長時間のチャージを有し、なおかつ使い捨てである。またPOWが低ければ低い程にチャージ時間が伸びてしまう。加えてグライド・ブーストは、現在のように目に見えたエフェクトが生じている大出力モード以外でも、通常移動時にも補正をある程度かけている。エネルギー切れすれば、ただでさえ歩くので精一杯のヘビィメタルシリーズは、更に速度を落とすことになる。その様はまさに亀だ。

 

(グライド・ブーストは、魔力だけではなくスタミナも使う! 出力を微調整しなければエネルギーは枯渇し、スタミナも切れる! だが、使い方を熟達すれば……!)

 

 力こそパワー。それが亡きタルカスの主張だった。聖剣騎士団はSTR重視でヘビィメタルシリーズを開発し、当然ながらこれ程の重装備ともなれば装備重量を圧迫する。故にこの場の彼らは個人の成長プランを棄て、聖剣騎士団にレベルアップもステータスも管理され、量産された戦士だ。

 分厚い大盾と頑強な鎧であらゆる攻撃を耐え凌ぎ、高火力の一撃を入れる。ヘビィメタルシリーズとの併用で開発された武装は、いずれも重量型だ。分厚い【重鉄の大盾】は物理属性のガードに秀でたタワーシールドである。そして、オプコーンが装備するのは貫通性能の高いランスである【重鉄のランス】だ。

 オプコーンと共に攪乱に参加するのはたったの5人。だが、いずれもオプコーンが直接指揮を執っていたパーティメンバーだ。部下であり、最も信頼する仲間でもある。彼らは塔の騎士を翻弄するギリギリの間合いを保って動き回る。

 回復アイテムは十分にある。UNKNOWNの援護に徹し続けれるのだ。狙い通り、塔の騎士はUNKNOWNばかりを攻めるわけにはいかなくなり、オプコーンたちにも攻撃を割り振る。その比率は英雄に5ならば、彼らは1程度であるが、それでも黒衣は風と1つとなるように塔の騎士を苛烈に攻める。

 2つの刃が振るわれる度に火花が散る。塔の騎士が確実に怯む。ついに右足首へのダメージは蓄積しきったのか、塔の騎士は背中から地面に倒れる。衝撃波を伴った土煙が舞うも、こんな時こその重装防具によって難なく受け止める。

 

「今だ! 攻撃を集中しろ! 俺は頭を狙う!」

 

 倒れた胴体に攻撃を入れると、これまでの超防御力が嘘のようにダメージが通る。ダウン状態によって防御力が低下するボスやネームドがいるのは知っていたが、それを体感するのは初めてだった。

 だが、自分たちの攻撃など児戯だとばかりに、ソードスキルの連撃を弱点だろう頭部に叩き込むUNKNOWNは、そのHPバーを瞬く間に1本消失させる。天地を開くほどの火力差に驚きを隠せず、それは塔の騎士も同様であるとばかりに跳ね起き、周囲を薙ぎ払うバースト攻撃を放つ。

 物理属性ならば耐えられる! 全員が大盾で防ぎきるも、幾人かはバランスを崩す。ガードブレイクにはなっていないが、甘いガード技術が露呈する。それを見抜いたとばかりに、塔の騎士は槍の突きを放つ。

 バランスを崩した1人を串刺しにするはずだった一撃を、オプコーンがカバーに入ろうと動く前に、既に間に身を投じていたUNKNOWNが引き受ける。

 

「おぉおお……おぉおおおおおおおおおおおお!」

 

 溜めを入れた雄叫びでクロスさせた2本の剣でガードしたかと思えば、そのまま月蝕の奔流が溢れ出す。そして、その踏ん張りが巨体の一撃を止める。

 高いSTRだけではない。あれこそがアバターの潜在能力を引き出すシステム外スキルであるステータスの高出力化だろう。一般プレイヤーはせいぜいが3割前後がフルパワーであるのに対し、高出力化を会得したプレイヤーはよりパワーとスピードを引き出せるのだ。しかも引き出す割合が高ければ高い程に、より僅かな出力上昇でも恩恵は大きくなる。

 高出力化自体は偶然に引き起こされる時は少なくない。瞬間的にリミッターが外れる『火事場の馬鹿力』と似たようなものだ。それを自在に使用し、また恒常的に維持することこそが高出力化なのである。

 噂ではUNKNOWNは常にSTRとDEXを5割引き出していると聞く。片手剣でありながら高い火力は、≪二刀流≫と聖剣のみならず、STR出力の高さによって、モーション値が大幅に増加しているからこそだ。そして、そこにDEX出力上昇のスピードを乗せれば、突進攻撃はもはや片手剣どころか両手剣の次元すらも追い抜く。

 塔の騎士の一撃を防いでからの、まるで特大剣二刀流を見たかのような突進斬りのカウンター。×印がくっきりと塔の騎士の左足首に刻まれる。

 だが、塔の騎士も負けていない。そもそもとして、左足首は盾に守られているので攻め難いのだ。1度破壊した右足首は、鎧が溶解して塞ぎ、より堅牢になっている。あれを破壊するにはUNKNOWNでも先程の倍の時間がかかるだろう。それでは犠牲者の増加は免れない。だからこそ、彼は危険を承知で左足首を狙うことを選んだのだ。

 お荷物になるわけにはいかない。攪乱を続けるオプコーン達であるが、塔の騎士は強敵と見定めたUNKNOWN以外に狙わない。加えて、HPバーが2本目に移行したことによって新たに能力も加わった。

 それは皮肉にもGAと類似した能力だ。全身の甲冑の隙間からソウルの粒子を放出し、スピードを得たのだ。あろうことか、一瞬でUNKNOWNの背後を取り、大盾のスタンプを狙う。回避しきれずに、だが直撃を脱したUNKNOWNであるが、仮面に亀裂が入り、右側から破片が零れ落ちる。

 隠された素顔が見れるのか。そんな不謹慎な好奇心を抱くも、仮面を傷つけられたことが癪に障ったように、UNKNOWNは傷ついた額から流れる血を振り払うように構えを切り替える。

 

「悪いが、この仮面を割っていいのはお前じゃない」

 

 聖剣を握った右拳を地面に叩きつけたUNKNOWNは、ここからが本番だとばかりに『黄金の雷』を生じさせる。

 

 

 

「【天雷装具スローネ】」

 

 

 

 UNKNOWNが四肢に装着する、鈍く黒ずんだ金色の籠手と具足。それらは金属製とは思えぬ身軽さを示しながらも、今こそ真の力を解放すると咆えるように、黄金の雷を発生させていく。

 四肢を起点として金雷をオーラの如く纏ったUNKNOWNのスピードが飛躍的に上昇する。もはやオプコーンに見えるのは、動いた軌跡として残る金雷の残滓ばかりである。巨体に相応しいパワーを持ち、なおかつスピードすらも得たはずの塔の騎士は、UNKNOWNを追いきれず、一方的に攻撃を喰らうばかりだ。反撃してもテンポが合わず、既に離脱されており、逆にカウンターの月蝕の奔流を纏った突き……月蝕突きを受ける。

 格闘装具なのだろう。ラスト・レイヴンを模倣しようとし、だが全く別の形になりながらも、スピードの確保を目指したGAとはコンセプトとしては似通っている。だが、こちらは純粋にスピードを引き上げているのだ。

 

「遅い!」

 

 それだけではない。我武者羅に槍を振り下ろした塔の騎士だが、その一撃は難なく受け流される。右腕に纏う金雷が大きく唸った様子からも、あの瞬間にSTR補正が高まったのだろう。

 奇跡ではなく、純粋に雷を操る神族。それはグウィンの直系とその縁の者に限られる。彼らでも1部の優れた戦士は、自らに雷を付与して強化を施す。その代表がオーンスタインだ。それと全く同じことをUNKNOWNは成しているのだ。

 果たして、これだけのスピードを得られても、自分はアバターを操り切れるか? 否だ。オプコーンは正面から否定する。DEXを高め過ぎてアバターが出すスピードを操り切れず、割り振ったポイントを無駄にしてしまったプレイヤーは決して少なくない。結局は装備重量を増やし、防御力とのトレードで従来のスピード……自分に操れる限界に落とすのが通例だからだ。

 直線に前進だけならば誰でも出来る。転倒も厭わないならば尚更だ。だが、それは等しくカウンターの餌食だ。スピードを操れる精密なアバター操作、超速の世界でも追いつける知覚と反応速度が無ければ意味が無い。

 だが、代償無しの強化ではないはずだ。魔力にしろスタミナにしろ消費は増すだろう。制限時間もあるのかもしれない。発動条件もあるのかもしれない。そうでもなければ、最初から思う存分に使っているはずだ。だからこそ、ここで攻め切るのだとオプコーンは、もはや肩を並べることも出来ない英雄の足跡を追うように、意味が無いと分かっていながらも、積み重ねの1つ1つが勝利に繋がるはずだと足掻く!

 

「前に出過ぎだ!」

 

「ここで無理をしなければ、仲間が死ぬ!」

 

 UNKNOWNの警告に、オプコーンは味方に犠牲を出すわけにはいかないと前に出続ける。エネルギー残量が少ない。フルブーストで動き回れば満タンでも3分で動けなくなるのだ。

 

『我が聖剣騎士団の新たな1歩。新装備の基準となるGAを纏う諸君の健闘に期待する。聖剣騎士団の威信と未来はキミ達にかかっているんだ。期待しているよ』

 

 ディアベルからの激励が蘇る。これからの聖剣騎士団を背負うのはこのGAなのだ。それを体現する自分たちがボス戦で何も出来なかったでは、聖剣騎士団に暗い影を落とす。

 いよいよ左足首にも亀裂が大きく広がり、塔の騎士は勝敗を覆すべく、槍に膨大な光を集める。それは槍に魔法属性をエンチャントさせたように発光させる。

 

「まずい!」

 

 UNKNOWNが下がり、聖剣を掲げて漆黒の奔流を竜巻の如く大きく広げる。それを1つに束ね、凝縮させる。

 塔の騎士の破壊の一撃。正面全てを吹き飛ばす巨大なソウルの槍。それは射線から外れていたオプコーンはともかく、クロスボウ兵士たちのヘイトを集めていた散乱する友軍を簡単に吹き飛ばすだろう。

 膨大な月蝕の奔流が解き放たれ、真正面から巨大ソウルの槍と激突する。だが、勝っているのは塔の騎士が放つソウルの槍だ。巨大月蝕光波は少しずつ突破されていく。

 

「ぐっ……ぐぉおおお……おぉああああああ!」

 

 UNKNOWNが咆えれば、放出されていた月蝕の奔流は形を変え、巨大な拳を模る。それはかつて終わりつつある街に災厄をもたらす寸前だった竜の神の右拳であり、その掌がソウルの槍をつかんで握り潰す。

 顕現した竜の神の拳と塔の騎士のソウルの槍は相殺され、月蝕の黒とソウルの青の爆発が生じる。だが、それが誰も呑み込まないように月蝕の奔流で空へと追いやったUNKNOWNは、息切れしながら歯を食い縛っている。

 対して塔の騎士は突撃体勢だ。あの巨体で突っ込まれたならば、それだけで甚大な被害が生じる。

 

「やらせるものかぁあああああああああ!」

 

 グライド・ブースト全開! 土煙を舞わせながら地面を滑るように突進したオプコーンは、大盾を放り捨て、両手で持ったランスを構える。

 放つのは≪槍≫突進系ソードスキル【シングルライト】。愚直に前進して突くだけの単調なソードスキルであり、≪槍≫の基本のソードスキルだ。

 ソードスキルの扱いは決して上手くなかった。それが大きな心残りだ。オプコーンは亀裂が入った足首にランスを突き立てる。だが、塔の騎士はまだ倒れない。エネルギーが切れて鈍重な動きしか出来なくなったオプコーンは、大きく掲げられた大盾を見上げ、それが振り下ろされる様を見守った。

 吹き飛ばされた。ダメージフィードバックで意識が明滅しながら、地面を転がるオプコーンは、雄叫びと共に刹那の遅れで駆けつけてくれたUNKNOWNの雄姿を見届ける。その聖剣は、まるで月蝕を振り払ったように青にして碧の光を放っている。

 ああ、あれこそが聖剣の真の姿か。恍惚にも似た感情でオプコーンは、まさしく月光と呼ぶに相応しい身と化した聖剣の軌跡を見つめる。

 聖剣の一振りが塔の騎士の左足首を薙ぎ払う。転倒するべく倒れる最中に、UNKNOWNはその体に乗って舞うように刻む。聖剣から放出された月光の粒子を纏った赤真珠の鉄剣と共に繰り出される斬撃は、塔の騎士を深々と抉っていく。

 倒れたままの塔の騎士は、宙を舞うUNKNOWNに右手を伸ばす。だが、それさえも吹き飛ばすように月光の奔流を纏った振り下ろしは巨大光波を生み、頭部から塔の騎士を縦に両断した。

 中身はドロドロのスライムであったかのように、塔の騎士の傷口から飛び散るのは血ではない。着地したUNKNOWNは四肢の金雷を収め、2本の剣を背負うと仰向けになって倒れたオプコーンに駆け寄る。

 ボルトの雨も止んだ。勝ったのだ。初めての大勝の甘美にオプコーンは酔う。

 仲間たちも動けぬオプコーンを見下ろしている。嗚咽すらも聞こえる。どうしてだろうか、とオプコーンはぼんやりと考えた。

 

「しっかりしろ! これを飲め!」

 

 オプコーンの兜を剥ぎ、UNKNOWNが差し出したのは、貴重な女神の祝福だ。聖剣騎士団も10個と保有していない貴重な完全回復アイテムである。彼はオプコーンの上半身を抱き上げながら、早く飲めと急かすように蓋を開けた小瓶を口に近づける。

 そして、ようやくオプコーンは気づく。視界の端に自分の下半身があった。塔の騎士の大盾の側面で押し潰され、そのまま切断されてしまったのだろう。今は血と肉を零す死を待つ身なのだ。

 プレイヤーのアバターは攻撃によって損壊するが、幾つかの制限がある。四肢などは欠損するが、首と胴体が切断されるのは『死亡確定のダメージを受けた』時だけだ。もはや減り続けるHPを止める手段は無い。

 

「もう……いい……」

 

「諦めるな!」

 

「もう、いい……んだ」

 

「駄目だ! 死ぬな! 死ぬな! 死なないでくれ!」

 

 何故泣く? 大して話をした間柄でもない。このボス攻略で会ったばかりのはずだ。割れた露になった仮面の右目から零れる涙を頬に受け、泣き虫な英雄だとオプコーンは笑う。

 ああ、最期にいいものが見れた。あれが聖剣か。きっと……きっと……この絶望に満ちた世界を切り開いてくれるに違いない。

 

「英雄よ……どうか……未来……を……」

 

 そして、オプコーンは死の暗闇に呑まれ、そのまま帰ることはなかった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 塔の騎士の撃破。被害は13人死亡。『予定』よりも少ない人数でボスを撃破することが出来た。報告を満足した面持ちで聞いたディアベルは、光差す窓辺に立ち、外の風景を眺める。

 場所は終わりつつある街にある聖剣騎士団支部の執務室だ。室内にいるのはディアベルとラムダだけである。赤い絨毯が敷かれ、調度品として武具が飾られた、まさに高位の騎士に相応しい空間は、ディアベルが淹れた珈琲の香りで充満している。

 

「攻略部隊ですが、やはりボス戦では目立った戦果は出せませんでした。機動力をある程度確保できるとはいえ、使いこなすには熟練の技術が必要となるようですし、まだまだ未完成の技術。むしろ、ボス戦で援護できただけでも上等かと」

 

 珈琲を堪能するラムダの評価通り、GA量産モデル1号であるヘビィメタルは、ボス戦に投入するには不十分な装備だった。また、派遣した攻略部隊は熟達した、才能ある者は除外した、『損耗』しても問題ない戦力で構成した。目的はヘビィメタルの『対ボスの実戦データ』であり、それ以上もそれ以下も成果を期待していない。

 

「今回で得られたデータは量産モデル2号の開発に大きく貢献するはずだ。彼らの犠牲も無駄ではないよ」

 

「ええ、仰る通りです。GAは今後の聖剣騎士団の主力にして目玉商品。ヘビィメタルのダウングレード版は、塔の騎士の撃破の報を受けて売上もご覧の通りです。教会からも正式に20人分の追加注文が入りました。是非とも聖堂の警備に使用したいとか」

 

「もちろんさ。代金は要らないとエドガー神父に伝えてくれ。大聖堂の警護に使われたとなれば、それだけで大きな価値がある」

 

 被害者の名簿をデスクに置き、名前だけを見たディアベルは冷徹に彼らの死を値踏みする。

 たった13人で塔の騎士の撃破のみならず、UNKNOWNの情報収集も出来た。仮面の二刀流剣士の実力と聖剣は、やはり筆舌に尽くしがたいものがある。

 依頼条件に則り、塔の騎士のソウルは聖剣騎士団が所有する。それに見合うだけの莫大な報酬をUNKNOWNは入手するだろう。だが、大部分は彼に寄生するラストサンクチュアリが持っていくはずだ。結果として、UNKNOWNは増々の聖剣騎士団の支援を受けることになる。

 ラストサンクチュアリが壊滅した時に、世間はUNKNOWNは聖剣騎士団の専属になるはずだと噂している。そうなるように聖剣騎士団が誘導したのだ。

 

(もうひと押ししておきたいね。俺とキミの関係を利用させてもらおうか)

 

 記憶は不鮮明であり、これ以上は思い出せる余地もないが、死ぬ間際に『彼』を見たのは間違いない。ならば、自分の死を利用して『彼』に圧力をかけるのも悪くないだろう。SAO事件を解決に導いた英雄と第1層で死んだ愚か者。それが今では大ギルドを率いるリーダーと弱者の聖域と偽った汚泥を守る英雄だ。相応に出来る語らいもあるというものだ。

 問題はクラウドアースがラストサンクチュアリ壊滅に何処まで『本気』なのかにもよるだろう。UNKNOWN殺害まで視野に入れているならば、クラウドアースの手に聖剣が渡るかもしれない。それだけは何としても避けたいところだ。保険はかけるべきだろう。

 

「塔の騎士のソウルは予定通りに教会の工房へ搬入しました。イドの手により、ソウルの火種を『加工』し、GA専用の火種がいよいよ完成します」

 

「さすがはイドさんだ。ユニークソウルのワンオフ性。それを量産に利用する為に、ソウルの種火自体をソウルで加工してしまうなんてね」

 

「その分だけ得られる恩恵も小さくなりますが、より高性能なGAの開発が可能となるでしょう。既に完成予定図はこちらに。やはり塔の騎士に似たものがベストかと」

 

 ファイルを手渡され、聖剣騎士団の工房でスケッチされた完成イメージを見たディアベルは、塔の騎士に類似したデザインをラムダ同様に推す。

 GAの試作モデルを開発し、ソウルの火種を専用加工する。それが教会との契約だった。後は塔の騎士の火種を利用してGAの更なる進化を目指すだけである。

 今回、攻略部隊は塔の騎士について何も知らされていなかった。あくまで集団型ネームドであるボーレタリア近衛騎士団と思って派遣された。それはUNKNOWNも同様である。だが、聖剣騎士団側は真のボスが塔の騎士だと情報を掴んでいた。

 目的はGAの対ボス戦性能テストのデータをより多く集める為だ。完全に未知なるボス戦において、『実力が低く、ボス戦経験もない、レベルと装備ばかりが整った戦力』だからこそ、GA量産モデル1号ヘビィメタルの性能テストが出来たのだ。

 結果は上々だ。UNKNOWNがほぼ単独で撃破したとはいえ、高防御力と高衝撃耐性、高スタン耐性によってボス戦でも生存を可能とした。塔の騎士の火種を用いた次のシリーズを、GA専門に訓練を積んだ部隊ならば、大いに活躍を期待できるだろう。

 

「ですが、ラスト・レイヴンの装備換装能力までは獲得できないかと。それにイド曰く、ブースト技術は再現率3割程度ということです」

 

「これで十分さ。あれは1人であらゆる状況に対応する万能性を獲得する装備だからね。GAは高防御力とそれなりの機動力さえあればいい。だが、バリア技術は何としても欲しいね。ヘンリクセンさんとの交渉は?」

 

「難航しています。他大ギルドや教会、それに鍛冶屋組合も頻繁に足を運んでいるようですが、首を縦に振る気配はありません」

 

「どれだけ対価を払っても構わない。何としても聖剣騎士団と独占契約を結んでもらうんだ。太陽の狩猟団はもちろん、クラウドアースに出し抜かれるわけにはいかない」

 

「心得ています。GAにバリアを搭載は必須です。なにせ、今の我々は『質』で劣ります。これを覆すのは『数』しかありません」

 

 これこそが聖剣騎士団の現状を端的に示してもいるか、とディアベルは内心で嘆息する。

 今の聖剣騎士団にはかつての『トッププレイヤー集団』という輝かしい栄光は無い。円卓の騎士でも真にトッププレイヤーと呼べるのは真改とアレスくらいだ。他は指揮能力の高さなどの別の分野で評価された者ばかりだ。ペイトなどがその典型だろう。

 今でも聖剣騎士団は3大ギルドでも最大規模の戦力を誇る。だが、その大半はレベルと装備こそ整っていても、実力には首を捻る者ばかりだ。今回の攻略部隊がその証拠だろう。

 だからこそ、聖剣騎士団は方針を変えねばならなかった。質よりも数だ。その数の戦力価値を底上げする手段こそがGAなのである。

 

「新型のロールアウトまで最低でも3ヶ月は必要かと。その間はヘビィメタルに頼るしかありませんか」

 

「あれも十分な性能だと今回実証されたじゃないか。汎用性も合格水準だ。さすがはレベル100相当の装備だよ。ラムダさんは心配性だね」

 

「ですが、団長も楽観視はされていないはず。クラウドアースはともかく、ここ最近の太陽の狩猟団は形振り構っていませんからね」

 

「今や『1番は聖剣騎士団、次点でクラウドアース、後を追うは太陽の狩猟団』なんて酒場で歌われているからね。彼らも目ぼしい未踏破ダンジョンは聖壁のサルヴァと黒霧の塔くらいしか残っていない。分かりやすいポイント稼ぎが欲しいのさ」

 

 また護衛もつけずに隠れて飲みに行かれたのですか、とラムダが視線で訴え、ディアベルは肩を竦めて誤魔化す。

 アノールロンド攻略から2ヶ月が経過した。今回の塔の騎士の撃破によって、聖剣騎士団にはもはや未クリアのステージもダンジョンも残っていない。太陽の狩猟団もクラウドアースも似たり寄ったりだ。

 想起の神殿から赴ける新ステージはもはや残っていない。まだ解放されていないにしても、大ギルドは情報を確認できていないのだ。既存のダンジョンを洗い直し、見落としていたイベントダンジョンなどの捜索も行っているが、今のところ芳しい報告は受けていない。なにせ1つ1つのステージが緻密なのだ。イベント解放条件も分からぬ上に割ける人員も限られている。

 だが、停滞の時期かと言えば、全く違う。むしろ、今のDBOは最たる冒険の時代が到来していると言っても過言では無いのだ。

 想起の神殿から赴けるのは、DBO史における人物の『記憶』や組織の『記録』の世界という設定だ。そして、終わりつつある街とその周辺は、色の無い濃霧によって世界を奪われた、人類最後の生存の土地……DBO史の最前線という設定でもある。

 王の器を捧げた時、終わりつつある街に大きな変化が生じたのだ。大聖堂より光の柱が立ち上がり、空を突き破ったかと思えば、大々的なアナウンスメッセージが全プレイヤーに送信されたのだ。

 それは新エリアの解放だ。大聖堂で隠匿されていた王の器より転送することによって新エリアに移動できるのである。

 

 

 

 通称『フロンティア・フィールド』。まさしくプレイヤーの開拓精神が試される巨大エリアだ。

 

 

 

 

 王の器から転送できるのは4つのフィールド。

 砂漠のオアシスの都。廃棄された軍港。雪原の資源基地。山岳地帯の神殿だ。神殿を除けば、いずれも文明レベルの高い、終末の時代だろう景観である。だが、それぞれの拠点の周辺は完全に未開となっており、大きく退廃してしまっており、先に何があるかは十分な装備を整えて探索せねば危険だ。

 それぞれのフィールドの探索は困難を極めている。なにせ、いずれも『レベル100、あるいはそれ以上』という水準が極めて高難度かつ曖昧なのだ。住民は1人して存在することなく、無人施設やゴーストタウンは発見できてもNPCすらいない。

 フロンティア・フィールドでは、『楔の標』と呼ばれる特殊なポイントが存在する。これがフロンティア・フィールドを分割しており、これにフロンティア・フィールド専用アイテム『オーナーフラッグ』を使用することにより、そのエリアを支配……即ち『領土』として登録することができる。

 メタ的な視点で語れば、ダンジョン攻略を主とした想起の神殿、GvGなどの対人戦をより重視したい場合は領土戦のフロンティア・フィールドといった位置づけなのだろう。

 特徴として、フロンティア・フィールドで出現するモンスターは『楔の断片』と呼ばれるアイテムをドロップする。これを楔の標で使用することによって『発展度』が上昇して支配エリアの充実ができる他に、捧げた分だけプレイヤーの開拓貢献度は上昇し、様々な報酬アイテムも得られる仕組みだ。当然ながら支配エリアのギルドはより恩恵を得られ、他勢力が攻めた場合の迎撃に有利になる。

 ディアベルはフロンティア・フィールドをこう考えている。完全攻略の末に得られる無限のフロンティアにして新世界。その『体験版』であると。フロンティア・フィールドの出現によってプレイヤーが可能となった事は更に増え、この世界に適応できた者だけが栄光を手にする仕組みが増々強くなった。

 また、フロンティア・フィールドには多くの有用な資源もある。これらを確保することは大ギルドにとって何としても推し進めねばならない最優先事項だ。

 だが、同時にレベル100以上相当のモンスターが跋扈し、なおかつ尋常ではない強さを誇るものばかりであるフロンティア・フィールドの探索は容易ではない。これらを請け負うのは大ギルドの探索チームだ。また傭兵も多くがミッションを引き受け、同行、あるいは単独でフロンティア・フィールドに足を運んでいる。その中でもダントツの成果を出しているのは、意外にもランカーではなく、単独での探索において抜きん出た『理想の傭兵の1人』とされる太陽の狩猟団の専属傭兵であるカイザーファラオだ。ランクは決して高くない彼だが、太陽の狩猟団の無茶ぶりを次々とやってのけ、ギルドの支配エリア拡充に大きな貢献をしている。単純な実力だけが傭兵の評価ポイントではないという分かりやすい例だ。

 他にも独立傭兵であるRDは、フロンティア・フィールドでこそ【運び屋】という異名の価値を知らしめた。広大なフロンティア・フィールドにおいて、彼の≪騎乗≫スキルと腕前は何にも勝る価値があったのだ。

 現在、教会の下で3大ギルドは合議し、それぞれの『拠点』を決定し、そのエリアは不可侵とする約定を結んでいる。

 聖剣騎士団は砂漠のオアシスの都『ピースシティ』。太陽の狩猟団は廃棄された軍港『サンシャイン軍港』。クラウドアースは雪原の資源基地『EDEN』。それぞれ命名することによって絶対的な所有権をDBOに知らしめた。

 そして、残る山岳地帯の神殿を教会の所有領土とし、ここは誰もが使える自由な探索口という体裁を保った。無論、使用には教会への『お布施』はマナーである。

 それぞれの大ギルドは急ピッチでこれらフロンティア・フィールドへの本拠地移転を進め、並列して周辺エリアの開拓を行っている。それぞれ拠点は異なり、今のところは衝突は避けられているが、それも時間の問題だろう。フロンティア・フィールドが1つに繋がっているのは明白だ。いずれは領土と資源の奪い合いに発展するだろう。

 だが、敵は大ギルドだけではない。フロンティア・フィールドには特定のダンジョンこそ今のところ発見されていないが、強大な徘徊型ネームドが発見されている。好戦的なタイプからプレイヤーを感知すれば逃亡するタイプ、群れを率いるタイプまで多種多様であるが、いずれも生半可なボス以上の強さを誇る。

 

(それにフロンティア・フィールドには、過去の遺物……DBO史で存在した都市なども出現している。それもあらゆる時代の遺物だ。それはとても不自然だ)

 

 フロンティア・フィールドは、まだ謎が隠されている。そして、それは『記憶』と『記録』を渡り歩く想起の神殿とも深く関係しているはずだ。フロンティア・フィールドの開拓を進めた者こそが、完全攻略に王手をかけるのだ。

 

(王の器の『真の発動条件』は『偉大なソウルで満たすこと』だ。そうすれば、ラスボスへの最後の道が開けるはずだ)

 

 偉大なソウルとは、使用することができないキーアイテムとしてのソウルの事だ。そして、それらの保有者は分かっていないが、少なくとも複数の偉大なソウルを捧げねばならないと王の器の説明には記されていた。

 そこで聖剣騎士団が目星をつけたのは、未だ遭遇していない、DBO史において強大と呼ぶほかない存在だ。

 

 

 

 最初の薪の王にして、神族の長たる太陽の光の王グウィン。

 

 謎の滅亡を巡ったとされる、いつの歴史に登場したかも分からぬ北国ボーレタリアの王オーラント。

 

 栄光の極みに達しながらも巨人に滅ぼされた大国ドラングレイグの王ヴァンクラッド。

 

 

 

 ボスとして登場するならば、間違いなく偉大なソウルを有しているはずだ。これらのボスが潜むダンジョンを見つけ出し、撃破してこそ完全攻略の道……ラスボスへの挑戦が許される。もちろん挑戦権を『保有』するのは、王の器の所有者に他ならない。

 即ち、このまま聖剣騎士団以外が偉大なソウルを得ても、聖剣騎士団が完全攻略する為の礎にしかなれないという事だ。他2つの大ギルドが屈すれば別であるが、それが出来るならば今日まで争うはずもなく、プレイヤーは一致団結して攻略に精を出していたはずだ。

 たとえ危機に直面しても、私欲や自我を捨てて1つになるなど、元より人類には不可能なのだ。それを何よりも証明するのが現実世界の歴史である。そして、それを悪だとディアベルは思わない。むしろ、人間の好ましい闘争の顔であると考えている。血を流しても競い合う。それこそが人類の真価にして真骨頂なのだ。

 

(だけど、仮に人類が1つに纏まるとするならば、それは種としての存亡がかかる程の絶対的な恐怖をもたらす『何か』に遭遇した時なのだろうね)

 

 たとえ隕石が落ちて来るとしても人類はハリウッド映画のように1つに纏まらず、いや、そのフリをして足を引っ張り合うのだろう。隕石落下を『防いだ』後の主導権争いの為に競い合うのだ。ならばこそ、天地を揺るがすだろう曖昧な災害などではなく、人類の個々に直接訴えかける恐怖でもなければ、人類種が真に1つになることはない。

 無駄に大き過ぎる妄想だな、とディアベルは嗤う。恐怖そのものに等しいバケモノが存在するならば、それは人類全てと対等以上でなければおかしいのだ。そんな存在は、やはり天災以外にほかならず、それさえも人類は文明の発展と共に克服の道を進んでいるのだから。

 

「ですが、口惜しいですね。我々はアルヴヘイムの利権争いでクラウドアースに大きく後れを取りました。あそこのリソースを得られていれば、フロンティア・フィールドの探索は捗ったものを……!」

 

 残念がるラムダの気持ちに、ディアベルも同意するべく頷く。聖剣騎士団はアルヴヘイムの利権獲得に大きく出遅れた。半分以上はクラウドアースに独占され、残るエリアを太陽の狩猟団と競おうにも当時は戦力再編に追われ、結局は確保できたのは僅かばかりだ。

 アルヴヘイムで得たレベル100相当のリソースを基にクラウドアースはいよいよ本格的に大軍を完成させ、フロンティアフィールドの探索に乗り出した。この差は如何ともし難いものがあり、ようやくGAの性能も確信が持てた今だからこそ、聖剣騎士団はより熱を込めてフロンティア・フィールドに集中できるのだ。

 

「それはそうと、やはり内務人員の増加が求められますね。私も先日部下を10人増やしましたが、とてもではありませんが足りません」

 

「スカウトマンの報告は?」

 

「目ぼしい人員はクラウドアースに引き抜かれています。やはり商魂逞しい彼らの方に魅力を感じるのかと」

 

「戦力を得たとはいえ、クラウドアースはまだ不十分なはずだ。まずは太陽の狩猟団を叩く。今はクラウドアースと手を組みたいからね」

 

 そういう意味でもラスト・サンクチュアリは邪魔だ。早々に潰れてもらわねば困るのだが、トップのキバオウの恥も外聞もない土下座外交によって、何とか衝突を避けている状況であるが、腐敗した聖域は先のアルヴヘイムの利権主張でクラウドアースと大激突し、もはや滅びを免れない。

 

「……30万人か。随分と増えたね」

 

「ええ。エドガー神父によれば、まだまだ増加するペースだとか。これも王の器の使用、それにコンソールルームを解放した影響でしょう」

 

 今やDBOのプレイヤー人口は30万人を突破したという見方だ。毎日のように『流民』と呼ばれる新規プレイヤーが増えている。プレイヤー人口の増加に食料生産も追いつかず、フロンティア・フィールドの確保は死活問題だ。

 スラムは拡大し、人心は荒れている。早急な法整備を進めているが、なにせ専門家が限られている上に、国家としての歴史が存在しないDBOにおいて、それを拡充させるのは手間がかかる。加えて反大ギルドを掲げるテロリストも活発化している。

 そんな時代において、『たかだか1000人』を満足に食べさせることもできない弱者の聖域など、誰が認めるものだろうか? もはや不要なのだ。時代に合わぬ遺物は、歴史的価値も無いならば、せめてバラバラに分解して利用価値を見出すのがリサイクル精神というものである。

 

「……不謹慎だが、心躍る自分がいるよ。この世界が人間のものになる。本当の世界になる。人間が増えれば増える程に、そこから生じる混沌が深ければ深いほどに、来たる新時代に期待が持てる」

 

「団長は前向きですね」

 

「そうでもなければ、破滅を待つだけの世界で未来を切り開く馬鹿にはなれないさ」

 

 帰るべき肉体の無い者たちに生きる場所を。新たな世界を。未来を。

 ディアベルは揺るがぬ決意と野心を秘めて、ラムダと珈琲で乾杯する。

 

「「人類に黄金の時代を」」

 

 その為にも敵となる全てを倒す。かつての友だろうと何だろうと関係ない。背負うと決めた仮想世界の人間全ての未来の為に、冷徹を貫き通す。

 

「ところで団長。お忍びで遊びに行かれるのは結構ですが、キャバクラで羽目を外されるとイメージ問題が……」

 

「……何のことかな?」

 

 気を抜いた瞬間に、今週の『週刊』サインズの『ディアベル団長、まさかのコスプレキャバクラで豪遊! 黒髪少女に膝枕を要求!?』という特集記事をラムダに見せつけられ、ディアベルは今日も良い天気だと空を眺めて怒声を聞き流した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

(俺の名前はRD。サインズで今日も元気にミッションを引き受ける独立傭兵ッス)

 

 心の中で自己紹介をしながら、RDは感慨深いものがあるとサインズ傭兵ランクボードの前で腕を組む。

 傭兵の新規参入もあり、更新された傭兵ランクであるが、RDは自分がランク19とは、随分と出世したものだと擽ったい気持ちになる。

 サインズ傭兵ランクは、ミッション難度や実力のみならず、人気や期待度も加味され、何よりも政治的配慮が働く。

 現在の登録傭兵は48人。新規で登録しては戦死したり、除名を懇願したり、借金地獄に嵌まって連行されたり、と増えたり減ったりが激しい傭兵業界であるが、こうしてランクが与えられるのは、それなりに仕事をこなした傭兵だけである。

 48人の傭兵でも独立傭兵の数は決して多くない。独立傭兵を名乗っていても、実は背後で支援を受けている実質的専属の独立傭兵というのも存在する。そんな奇々怪々な傭兵業界において、RDはいずれの大ギルドからも支援を受けていない由緒正しき独立傭兵なのだ。

 ランク1は相変わらずのユージーンだ。ランク3は変わらずシノンであり、ランク4にはライドウが入っている。ライドウのランクダウンは、アノールロンドで『クラウドアースの了承を得ずに聖剣騎士団の依頼を引き受けた』懲罰的な意味合いが強いというのが主な見方だ。ちなみにグローリーは功績こそ素晴らしいが、相変わらず『ウザい』という評価が抜けず、ランク5のままである。

 抜けたランク2には、クラウドアース専属である、レーザーブレードの使い手であるアンジュがランクインした。クラウドアースの政治的配慮による捻じ込みという意見もあったが、サインズが新たに始めた『傭兵ランクマッチ』なる次回のランクにも『影響するかもしれない』という名を打ったデュエルにおいて、彼女のランキングに異を唱えた竜虎コンビを同時に相手取って勝利するという桁違いの実力を公衆の面前で証明し、誰も彼女のランクに文句を言うことは無くなった。

 ランク6には太陽の狩猟団専属の【トーマス】という男がランクインしている。かつてシャルルの森で戦死した呪術使いの太陽の狩猟団専属だったフレンマの盟友であり、元々は傭兵ランクになど興味を持たぬ自堕落な独立傭兵だった。だが、フレンマの遺志を継ぐべく太陽の狩猟団の専属となり、両手に呪術の火を装備する奇抜な戦闘スタイルで数々のミッションで功績を挙げ、太陽の狩猟団を認めさせてランク6を得た人物だ。

 ランク7は『元』聖剣騎士団の円卓の騎士にして副団長とも揶揄されていた実力者であるアレスだ。アノールロンドでの精鋭損失の責任を取り、後継に席を譲るとした彼だが、突如としてディアベルより電撃離籍の発表があり、傭兵業界へと舞台を移した。だが、これは関係悪化による離脱ではない事は、彼が聖剣騎士団専属であることからも自明だ。その目的とは、よりフットワークが軽い傭兵となり、聖剣騎士団が出遅れたフロンティア・フィールドの探索に注力する為である。円卓の騎士時代の高い実力・指揮能力、傭兵登録後の複数のネームド戦における功績、そして聖剣騎士団からの圧力もあったのだろう、彼がランク7となった。

 そして、ランク8は独立傭兵のトップであるスミスだ。政治的配慮を除けば、彼が1桁ランクに相応しいことは誰もが認めるところだ。最も理想的な傭兵であり、また同時に【竜狩り】オーンスタイン戦は、彼の抜きん出た実力の高さがある種の恐怖と共にDBO中に広まっている。

 ランク9は言わずもがな、UNKNOWNだ。ラストサンクチュアリの専属であるが、もはや実質的に聖剣騎士団専属であると誰もが疑いもなく認識している程に、聖剣騎士団の依頼を数多く引き受けている。だが、それでもあくまでラストサンクチュアリ専属である為に、政治力が強いクラウドアースによってランク9に押し止められている。だが、彼がユージーン、そしてスミスと並ぶ最強の傭兵候補であることは疑いようもない。

 ランク10はクラウドアース所属の傭兵であるブルーアイズがランクインしている。アンジュと同時期に傭兵業界入りしたかと思えば、特大剣を縦横無尽に振り回す戦闘スタイルで周囲を圧倒した。特大剣による大物食いのみならず、対人戦においても近接系呪術とのコンビネーションで隙らしい隙は無い。礼儀正しく、何かと『自分は執事ですから』と口にするのは、彼が現実世界では執事が本業だったからでは、と推測されている。UNKNOWNを敵視する節があり、彼とのランクマッチを望んでいるが、それぞれの専属先の意向によって叶っていない。

 ランク11以降は新進気鋭の期待の新人からお馴染みの面子まで様々だ。ランク12にはクラウドアースが誇る巨乳美女魔法使いのエイミー。ランク13にはシノンを猛追する聖剣騎士団専属の女射手【メルディ】。ランク14にはシャルルの森で肉食系に転職して以来苛烈な攻撃スタイルで有名となった太陽の狩猟団専属のジュピター。チェーンブレード二刀流で打倒UNKNOWNを誓う聖剣騎士団所属の新人【マイクオン】がランク15。2人揃えばランカーも超えるという評判はアンジェ敗北で傷がついたが、今なお実力は健在の竜虎コンビことレックスはランク16、虎丸はランク17だ。ランク18は傭兵団を率いるアラクネである。

 

「俺達みたいなのがランク10台とか、御上は何を考えてるんかねぇ」

 

 と、ランクボードをニヤニヤしながら見ていたRDの元に、飲まずにはやってられないとばかりに大ジョッキを手に現れたのは、ランク11に上がったカイザーファラオだ。テンガロンハットがトレードマークの、探索専門と自称する太陽の狩猟団の専属傭兵は、酔って赤くなった頬を擦る。

 

「俺は嬉しいッスよ。やっと俺も評価してもらえたってことじゃないッスか!」

 

 この喜びは独立傭兵ならば尚更だ。専属傭兵には分からないだろうと口を尖らせるRDに、今にも死にたそうな目でカイザーファラオは彼の肩を揺さぶる。

 

「呑気な事言ってやがって。俺を見てみろよ。上は全員ネームド単独撃破とかやらかしちゃいそうな吃驚人間揃いだし、下は下で下克上する気満々のコワ女3人衆だぞ?」

 

 確かに言われてみれば、カイザーファラオは絶対に挟まれたくないポジションに絶妙に位置している。

 ランク1~10までは、全員がネームド単独撃破級どころか、何人かは単独撃破を実際にやらかしている方々だ。ユージーンはもちろん、UNKNOWNはボス単独撃破でデビューしている。スミスは3大ギルドとサインズの合議で人型最強の評価を受けた【竜狩り】オーンスタインを撃破。グローリーはアノロン攻略後のインタビューで、スミスの戦果への感想を請われたら自分もネームドの単独撃破経験があると爆弾発言をし、全く知る由もなかった聖剣騎士団が慌てて事実確認をすると発表する始末だ。

 他の面子も尋常ではない。ボス戦においてほぼ単独でHPを削り尽くした実績を持つアンジェとトーマス。シノンは協働でこそ真価を発揮し、この2ヶ月間でUNKNOWNと組んで『強過ぎるので攻略延期』という評価を受けていたネームドを4体もたった2人で撃破している。あのグローリーを正面から互角で渡り合えるライドウも桁違いだ。唯一後れを取りそうなのはアレスくらいであるが、彼が元とはいえ円卓の騎士というトッププレイヤーの称号を持つ者であることを忘れてはならない。

 そして、ランク12、13、14のそれぞれの女傭兵は、それぞれがランカー入りを目指す輩ばかりだ。目の上のたん瘤であるカイザーファラオに、早々にランクマッチでも仕掛けて敗北者の烙印を押しそうな危険臭しかしない。

 

「お前も他人事じゃないぞ。いいか? お前はランク19だ。ランク10台の末席だ。ランク20位以下の連中からすれば、どう思われてるか……分かるな?」

 

 そこでようやくRDは浮かれ過ぎて、彼を【運び屋】としてのし上がらせた危機察知能力が、サインズ本部中から届く殺気に警報を響かせていると気づく。

 

 

 

 

 なんで【運び屋】風情がランク19なんだよ?

 

 

 

 

 妬みと怒り。2つが混ざった視線は数知れず。仮に竜虎コンビよりも上だった場合、血の気の多いレックスに虎丸が引き摺られる形でランクマッチを挑まれただろう。

 確かに傭兵でも実力は最下位だ、とRDは自負する。せいぜいがネームド相手に1分と耐えられるかどうかだ。傭兵の最低基準がネームド相手に耐える事ならば、辛うじてクリアしている程度である。だが、そもそもとして、ネームドと正面からソロで対峙すれば10秒耐えられたならば良い方とされるので、1分粘れるだけでもRDもまた抜きん出た実力者である。だが、それも『その程度か』で済まされるのが魔境たる傭兵業界だ。

 カイザーファラオは探索向けの傭兵だ。フロンティア・フィールドで多大な功績を挙げたとはいえ、彼自身の戦闘能力は傭兵業界でも下から数えた方が速い。ランカー相手にすれば即時に土下座敗北宣言である。それはRDも変わらない。

 2人はランカー入りを狙うランク10台の傭兵たちからすれば場違いであり、ランク20以下の傭兵たちからすればさっさとランクダウンして席を空けろと狙われる立場なのだ。

 

「だ、だけど、もう傭兵も戦闘だけが取り柄じゃいけないって時代なんッスよ! これから俺達のように多様性に富んだ――」

 

「RD、傭兵業界は?」

 

「弱肉強食」

 

 ……ハッ!? 優しく問われ、即座に感情変動ゼロの心が死んだ声で実感を込めて即答してしまったRDは、自分の現状を再認識する。専属傭兵のカイザーファラオはともかく、RDは独立傭兵だ。ランクマッチを断るならば土下座以外にない。

 

 

 

 

「サインズが受理しないとランクマッチは出来ないからご安心ください」

 

 

 

 

 と、そこに現れたのは、多くの独立傭兵の窓口となっている受付嬢のヘカテだ。

 

「ランクマッチで武器が損壊したり、最悪死亡するようなことになれば、傭兵の皆様のお陰で成り立っているサインズは潰れてしまいます。あくまでランクマッチは、宣伝程度に捉えていただければ結構です。……本当に、上も傭兵を何だと思ってるんですか? 見世物にするなんて……!」

 

 それはきっとクラウドアースがコロシアムの集客狙いに捻じ込んだと思うッスよ、とはRDも怒りを表明するヘカテには言えなかった。

 

「だから、戦闘向けではないカイザーファラオさんやRDさんは、そもそもサインズとして安易にランクマッチを開催しません。どうしても、と言うならばセッティングしますが?」

 

 にっこりと威圧ある笑みを向けられ、男2人は並んで仲良く首を横に振る。

 意気地がないと嗤われるだろうか。項垂れるRDに、ヘカテは小さな背丈で無理して背伸びをすると彼に耳打ちする。

 

 

 

「……今日は6時でオフです。実はコロシアムのいい席が取れたんです。一緒に見に行きましょう」

 

 

 

 ……了解ッス! RDは拳を握って雄叫びを堪え、ご機嫌の様子のヘカテの背中を見送れば、酔いが醒めたらしいカイザーファラオに頬を指でつねられる。

 

「あのヘカテ嬢をオトすとは、どんな手を使いやがった?」

 

「イタタタタ!? べ、別に俺とヘカテさんは――」

 

「嘘を吐くな! あの糞野郎のスミスにルシア嬢を奪われ、残るはヘカテ嬢だけだったんだぞ!? サインズの男傭兵は誰も彼もが狙ってたんだ! それなのにお前はぁああああ!」

 

 く、首……首は止めて! ギリギリと男の嫉妬で締め上げられたRDは1本釣りされたかのように足をジタバタと暴れさせ、窒息によるHP減少が始まる前になんとか解放される。

 ぜーぜーと息荒いRDは、自分も秘密という甘いベールに包まれたヘカテとの恋人関係に、言い知れない優越感があるのも事実だと認識する。その上で、カイザーファラオの間違いを指摘する。

 

「3大受付嬢はもう1人いるッス。ラビズリン嬢はフリーのはずッス」

 

「馬鹿野郎! 他2人に比べて『地平線』だろうが! 男の憧れが無いだろうが!」

 

 く、苦しいッス……! またも首を締め上げられたRDは、受付嬢が並ぶカウンターで、カイザーファラオの背中へと静かに中指を立てるラビズリンを見て、この男も遠からず暗殺依頼を受けた傭兵に押しかけられそうだな、と哀れんだ。

 

「合法巨乳ロリを捕まえやがって! この野郎! この野郎! 羨ましいぞ、この野郎! 盛大に祝ってやる!」

 

 解放されてぐったりしたRDを前に、カイザーファラオは本題だとばかりに呼吸を整える。

 

「それで、お前は『知ってる』のか?」

 

「……『知らない』ッス」

 

 この会話だけで2人にとって何を意味するのかは自ずと決まる。

 48人の傭兵。その中でもランク42に位置する傭兵の話だ。ランク43以下はいずれもまだ実績を積めていない新人であることを加味すれば、実質最下位という不名誉な称号こそが相応しいだろう。

 冷酷にして冷徹なる血も涙もない傭兵。人殺しの為に傭兵になったと噂されるシリアルキラー。敵も味方も関係なく惨殺するジェノサイドモンスター。あらゆる厄災をもたらす死天使。女装好きのド変態。傭兵紹介文に『彼女募集中』と大文字記載した猛者。SAOにて、あらゆるパーティやギルドを渡り歩き、その全てに破滅をもたらしたとされる経歴から付いた異名にして悪名は【渡り鳥】。

 実質最下位、サインズ傭兵ランク42のクゥリだ。8月末に対応したラビズリンの目撃情報を最後に消息を絶っている。いよいよ11月ともなれば、サインズとしてもこれ以上の傭兵登録を残すわけにもいかず、行方不明……『死亡』したとして傭兵登録を抹消することを検討している。

 何処かで野垂れ死んだ。大ギルドに暗殺された。ついに復讐の刃に討ち取られた。憶測は様々であるが、大多数は【渡り鳥】が死んだとは到底信じられず、最初の1ヶ月はどうせすぐに顔を出すだろうと気にもしていなかった。

 だが、10月に入った頃からさすがにおかしいと感じ始め、【渡り鳥】死亡説が真実味を持ち始めた。サインズは【渡り鳥】のマネージャーと協議を続け、彼が生存しているならば本人による傭兵登録の更新を要求しているが、これに応じる素振りは無い。だが、【渡り鳥】の死亡は認めていないらしい、というのはヘカテからRDが聞いた情報だ。

 生きているならば姿を見せれば良いだけの話だ。だが、マネージャーも【渡り鳥】もそれに応じない。ならば、やはりマネージャーが死亡を認めないのは、【渡り鳥】の行方をサインズや大ギルド同様に知らないからではないか、というのが大筋の予想だ。

 

「べ、別に寂しいわけじゃないぞ!? 【渡り鳥】との協働は美味しいからな。アイツは腕もいいし、何よりも協働の時は我を出さないからやり易い。他の独立傭兵は報酬優先で足並みを率先して崩すからな。スミスは例外だが、奴は気に食わない。俺が狙ってたルシア嬢を奪いやがったからな!」

 

「男の嫉妬は見苦しいとして、俺も寂しいッス。ヘカテちゃんもかなり気にしてるみたいでしたし。無事なら顔を見せて欲しいッス」

 

 死者の碑石が消滅した事により、プレイヤーの生死を判別する方法は限られるようになった。

 アノールロンド攻略後、教会の名の下で3大ギルドはDBOを満たす『嘘』を暴いた。それはプレイヤー人口の途絶えることのなく増加していること。そして、肉体を保有するプレイヤーと、そうではないプレイヤーが混在していることだ。

 これによって人々は『人口が増加している』と認識し、自分たちが認識を操られていたのだと悟った。DBOという仮想世界においてそれは可能だと薄々勘付いていたとしても、それを瞬間的に悟ってパニックに陥ったのである。だが、これを予期しない3大ギルドではなく、教会がカウンセリングに務め、混乱は速やかに鎮まった。

 日々増加するプレイヤーは『流民』と呼ばれる。彼らはレベル1が大半だが、中には装備がそれなりに整ったレベルの者もいる。最初からDBOにいたという認識から、いつの間にかDBOにいたと困惑する者まで様々だ。彼らは自分の生き方を探し、どう足掻こうともDBOに定着していく。

 教会は現実世界における肉体の有無を確認できるリストを有しており、プレイヤーはいつでも自分の真実を確認できる。だが、大半のプレイヤーはそんな勇気を持たてなかった。

 やがて聖剣騎士団は完全攻略を『現実世界への帰還』から『仮想世界という新世界の獲得』へといち早くシフトさせた。これに他2つの大ギルドは聖剣騎士団を追随しないながらも、決して肉体を持たないプレイヤーを蔑ろにはしないと表明を出すという対応に留まった。

 聖剣騎士団は方針を明確にした分だけ人心を集めた。現実世界に帰れない者、肉体の有無を調べる勇気もない者、この世界でのし上がりたい者。瞬く間に聖剣騎士団を支持するプレイヤーは数を増した。

 逆に聖剣騎士団を敵視する『帰還希望者』は続々と反大ギルドに吸収された。やがて10月に起こしたテロで複数名の犠牲者を出し、肉体持ちプレイヤーはただでさえマイノリティであるにも関わらず、立場を追い詰められることになった。

 教会はこの事態においていち早く動き、『宣誓』という形で肉体の放棄の誓いを立てる儀式を執り行うと発表した。これを行ったプレイヤーは、来たる日には肉体を棄て、仮想世界で生きるという誓いをかざすのだ。

 肉体を持たぬプレイヤーの中には『新人類』と自称し、肉体を持つプレイヤーを『旧人類』と差別する者もいる。逆に肉体持ちとバレたプレイヤーは迫害を受け、テログループへの合流が促されている。

 他にも増えた貧困層を『ハンティング』と称して殺害する事件も増加し、傭兵の仕事は多岐にわたるようになった。

 プレイヤー人口は30万人を突破し、既に終わりつつある街のキャパシティは限界を超え、3大ギルドはフロンティア・フィールドへの都市建設を進め、戦闘能力もレベルも低い生産職プレイヤーの移住を進めている。ボスフロアまでダンジョンに潜って記憶の余熱を得ることが不可欠な想起の神殿のステージは移住には難易度が高いのだ。だが、肝心要のフロンティア・フィールドもレベル100以上が水準ともなれば、下位プレイヤーは抵抗する手段も無く惨殺されるだろうリスクもある。また、彼らを移住させるだけのコストも決して馬鹿にはならないのだ。

 それでもフロンティア・フィールドで一山儲けることを夢見て、低レベルでも開拓に同行する下位プレイヤーは後を絶たない。既に終わりつつある街の下層はスラムと化している。せいぜい治安がいいのはサインズや教会本拠地、各ギルドの支部や娯楽施設が集中した上層くらいだ。繰り返された増設で終わりつつある街が複雑な立体構造と化してしまったのも大きな原因だろう。

 

(【渡り鳥】さん。貴方がいない間に、DBOはこんなにも変わってしまったッスよ)

 

 少し治安の悪いエリアにいけば、物乞いが列を並べ、裏路地に入れば、弱者は弱者でヒエラルキーを形成し、残飯と暴力と麻薬アイテムを巡る縄張り争いが生じている。上位プレイヤーが集団で囲われて、逆に殺害されるという事件も起きた。レベルが絶対差ではなく、むしろ数の暴力で覆されることが多々あるDBOらしい事件である。無論、そこまで油断する方も悪い、とも言い換えられるが。

 

「俺も肉体の有無を確認しちゃおうっかな。いい加減に悩むのも疲れたしよ」

 

「え? まだしてなかったんッスか!?」

 

「お前は確認したのかよ」

 

「もちろんしたッスよ。俺もヘカテちゃんも――」

 

「それ以上は口にするなよ。何処で誰が聞いてるか分かったもんじゃないからな」

 

 カイザーファラオの言う通りだ。RDは無言で頷き、男2人揃ってサインズ本部から出て夕暮れの大通りを歩く。

 治安がいいエリアという事もあり、わざわざ武器を装備しているプレイヤーも少ない。いや、非戦闘職を志したプレイヤーからすれば、使えぬ武器などそれだけで重石なのだ。

 

「俺は今の世界も嫌いじゃないッスよ? 嫌いじゃないッスけど……」

 

「その気持ちは分かるぜ? だけどよ、俺達はこの世界でも生きていくしかないんだ。大ギルドはもう『ギルド』なんて枠組みを超えた連中なんだ。この流れには抗えない」

 

「じゃあ何ッスか? 国? 軍隊? それとも企業ッスか?」

 

 RDの問いかけにカイザーファラオは答えない。答えたくないのだろう。口にしてしまえば、ここは仮想世界などではなく、今まさに『現実』に置き換わろうとしている新世界だと認めてしまいそうで怖いのだ。

 

「で? ヘカテ嬢とデートした後は何処でメシにするんだ? ホテルの予約は?」

 

「ほ、ホテルぅうう!?」

 

「おいおい、ヘカテちゃんは『合法』ロリだろうが。お前も大人だろ? そろそろ男としてキメる時だぜ」

 

「で、でも、俺達はまだ互いのことを十分に――」

 

「傭兵は明日死ぬかも分からない仕事だ。童貞のまま死にたいのかよ!?」

 

 何で童貞ってバレてるんッスか!? 赤面して動揺したRDは、確かに明日は我が身が骸かもしれないだと思えば、生存本能が刺激されたように『気分』も出来上がる。

 

「勝負をかけられないなら、俺が協力するぜ? 3人で仲良くメシと行こう。そして、俺がさりげなくムードを作り、お前が『お持ち帰り』し易いようにしてやる」

 

 お、お持ち帰り……! 興奮して目を見開き、ゴクリと生唾を飲んだRDに、悪の道に誘うかの如くカイザーファラオは笑顔で親指を立てる。

 

「い、いやいや、俺は――」

 

「ヘカテ嬢はお前のヤる気を待ってるのかもしれないぞ? ドエロ下着シリーズを装備して準備万端かもしれないぞ? それでもお前は退却を選ぶのか?」

 

 据え膳食わぬは男の恥か。カイザーファラオの力説に洗脳され始めたRDは、今日は『ヤる気』に燃える。今夜で2人の関係を前進させるのだ!

 

「……しかし、俺達がこうして笑っていられるのもいつまで続くのやら」

 

「急にどうしたんッスか?」

 

「クラウドアースのガイア。ほら、【仮面巨人】の……」

 

 ああ、彼か。ガチガチの重装甲で身を固めて両手剣を振るゴリ押しスタイルで有名な傭兵だとRDは思い出す。実力が備わったゴリ押し戦法は侮れず、その勇猛はRDも耳にしている。だが、その戦闘スタイル故に武器や防具の破損も激しく、またボスやネームド戦ではイマイチ活躍できないでいた為に、ランクはなかなか上昇せず、今回も古参にしてはランク31と低めで抑えられていた。

 

「さっき聞いた話だが、どうやら現場で偶然にも新人傭兵と激突しちまったらしい。相手はかなりあくどい真似をしていたギルドの護衛を引き受けたルーキーだ。クラウドアースが探索中のエリアだぜ? このまま激突すれば、そのギルドはクラウドアースに牙を剥いたって事になっちまう。だが、依頼主はガイアに斬りかかっちまったらしい。これにルーキーも馬鹿で乗っかっちまった。ガイアを倒せば株が上がると思ったんだろうさ。袋叩きにされる前にガイアは何とか撤退したが、クラウドアースはお怒りだとよ」

 

 傭兵同士の激突は珍しくない。だが、大ギルド同士の小競り合いはともかく、中小ギルドでは話が違う。なにせ、潰すのに何の躊躇も要らないのだ。むしろ、ガイアが生還したともなれば嘘で誤魔化すことさえ出来ない。

 

「……ここからは小耳には挟んだ『噂』だが、どうにもその中小ギルドのバックにはラストサンクチュアリがいたらしい。だが、あの貧者の肥溜めに、デカくないとはいえギルド1つを操れる影響力があると思うか? 傭兵を雇う資金力だって何処から捻出した? あそこのギルドの貧民共が毎日どんなメシを食ってるか知らないわけがないだろ?」

 

 ラストサンクチュアリは1000名規模のプレイヤーを抱えるギルドだ。数だけならば中小ギルドと呼べるものではない。だが、その実態はレベル10未満のプレイヤーの巣窟だ。日々の食事にも困り、食糧生産できるのはせいぜいがスポンジのような食感をした味のしない芋やらほとんど白湯のような粥ばかりだ。まだ教会の配給の方が味気はあるだろう。

 貧者の庇護を謳っておきながら、その立場を使って利権ばかりを主張し、挙句にクラウドアースに喧嘩を売り、お題目さえも教会に奪われた。UNKNOWNはどうしてラストサンクチュアリを見限らないのか、誰もが不思議がっている程だ。なにせ、彼の報酬の半分はラストサンクチュアリに吸われてしまうのだから。

 

「つまり、ラストサンクチュアリの背後には――」

 

「おっと、それ以上は口にするなよ」

 

 カイザーファラオは探索型という事もあってか、独立傭兵寄りの考え方で動いている。依頼主とはドライかつビジネスライクな付き合いを望んでいるのだ。だが、それでも彼は専属だ。専属元の情報を漏洩すれば、サインズ傭兵規約に則り、全傭兵から狙われる賞金首にされてしまうのだ。彼からこうして情報提供を受けるにしても、それはあくまで世間話の範疇で済ませねばならない。

 

「まぁ、それで……だ。どうにも、ウチとしてはクラウドアースとの関係良化の為に、是非とも件のギルドの『捕縛』作戦に協力させて欲しいって事らしいぜ。今後のフロンティア・フィールドの『秩序ある開拓』の為にも……な。クラウドアースもこれを快く了承したって話だ」

 

「『捕縛』……ッスか?」

 

「『大ギルドに攻撃したから死刑』なんてわけにはいかないからな。まぁ、原始的なルールに則って暴力至上主義もDBOならまかり通るだろうが、大ギルドとしてもそれは少々都合が悪いってことだ。何事にも建前は必要だからな」

 

「……似たようなものッスよ」

 

 大ギルド相手に仕掛ければどうなるのか、もはや知らない者はいない。大ギルドの相手が出来るのは大ギルドだけだ。小競り合いで相手の資源を奪っては取り返され、また戦力調査の如く襲撃しては防衛に回る。そうした仕掛け合いの裏には、緻密な政治的配慮があるのだ。何処かで一線を越えた時こそが戦争の始まりである。

 そして、代わりのように使われているのはそれぞれの勢力下にある中小ギルドやギルド連合、コミュニティだ。3大ギルドは下部組織入りしたとはいえ、『独立運営の自由』の合議を取っている。あくまで下部組織入りしていようとも、事実上の勢力下にあろうとも、それぞれの大ギルドは『あくまで支援している立場』に留まり、それぞれの自由意思を尊重するという立場を守っている。

 要は代理戦争だ。大ギルドは傷つかず、むしろ戦う分だけ自分たちの開発した武器やアイテムを消費させて儲ける。また、傭兵を派遣する事によって調整を取るのだ。使われる側も使われる側であり、甘い汁を啜りたい者から裏取引など打算に満ちている。

 テロリストに裏から支援もしているだろう。特定の大ギルドにのみ反旗を翻したテロ集団は少なくない。彼らを言い逃れできるように巧妙に支援することによって、これまた敵対勢力の損耗に利用しているのだ。そして、邪魔になりそうになったら、正規部隊の演習の如く殲滅する。もちろん、そこには傭兵が投入される事も珍しくない。

 今回の場合、ラストサンクチュアリはまんまと利用されたのだろう。背後にいる大ギルドは、カイザーファラオの言葉通りならば、太陽の狩猟団だ。聖剣騎士団がラストサンクチュアリ寄りの態度を示しているのは、UNKNOWNの扱いからも明らかであり、ラストサンクチュアリは聖剣騎士団製の装備を多く保有していることからも『お得意様』なのだろう。だが、もはや搾り取れない残り滓だ。捨てるタイミングを窺っている聖剣騎士団を見越して、太陽の狩猟団が先んじて動いたのだろう。

 聖剣騎士団VS太陽の狩猟団で開戦するだろうことは見えているギルド間戦争。問題はクラウドアースをどちらの陣営に引き寄せるかだ。三つ巴の戦いになるにしても、各々に喧嘩を売るのはよろしくない。

 勝利の鍵を握るのはクラウドアースだ。最大戦力は依然として聖剣騎士団であるが、太陽の狩猟団とクラウドアースが手を組めば、無論それを上回る。逆に聖剣騎士団がクラウドアースと同盟を結べば、太陽の狩猟団の敗北は決定的だ。

 特にクラウドアースはDBOに娯楽関係や金融業で多く支援している。クラウドアースを敵に回すとは、あくまで自陣営寄りを表明している中立ギルドの多くを失いかねないことにもなる。

 クラウドアースはどちらにつくか。ギルド間戦争は今まさにその段階に移行しつつあるのだ。クラウドアースが腹を決めれば戦争前夜である。それまでは聖剣騎士団と太陽の狩猟団による綱引きが目玉となるだろう。もちろん、クラウドアースも戦争の脇役に甘んじる気などなく、この2つの大ギルドをいかに利用して戦争の勝者になるかを目論んでいるはずだ。

 

「どうして傭兵が政治にまで頭を悩まさないといけないんッスか!?」

 

「そりゃ、実働する俺達もそれなりに配慮して動かないとヘイトを集めちまうからな。特に俺は専属だからな。太陽の狩猟団を憎んでる連中からすれば、俺も立派なターゲットってわけだ。お前も独立傭兵だからって気を抜くなよ。後ろ盾が無いって事だからな」

 

 フロンティア・フィールドの出現。ギルド間抗争の激化と新展開。新人類を始めとした思想と主義。そして、現実世界への帰還という最後の心の拠り所さえも小さく萎んだ。

 終末の時代。その最果てが終わりつつある街だ。ならば、今まさにここにいる自分たちも終末の経験者であるとも言えるのかもしれない。RDはそんな退廃的な思考に囚われそうになる。

 

「だからこそ『愛』だよ、『愛』! 誰か俺に愛をくれ!」

 

「大声出さないでください! 恥ずかしいッスよ!」

 

「カノジョ持ちだからって余裕持ちやがって! 俺だってな! 俺だってなぁ! 娼館に行けば毎日愛を囁いてもらえるんだよぉおおお! 何処の誰だよ!? 傭兵になったらモテモテとか無責任な事言いやがったのは!?」

 

「そんな性格だからモテないんッスよ! あと、傭兵がモテモテとか誤解されているのは、遺産目当てが多いからッス!」

 

「知ってるんだよ、それくらいよぉ! 畜生! こうなったら俎板ラビズリンで我慢するしか――」

 

「誰が俎板じゃぁああああああああ!?」

 

 だ、だから首! 首は止めて! 宙で足をジタバタと暴れさせたRDは、サインズ本部から飛び出してきたラビズリンの、見る者の心を奪う美しいシャイニングウィザードがカイザーファラオの顎を粉砕したことにより、ようやく解放されたのだった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 中小ギルド【風花隊】は、クラウドアースへの出頭を拒否し、逃亡を続けていた。

 専属の宿命とはいえ、厄介な仕事を押し付けられてしまったものだ。シノンはDEX上昇効果のある太陽印の【脱兎薬】にストローを差し、フルーティな味わいを堪能しながら、件のギルドが立て籠もっている砦を見守っている。

 場所は≪薬師ツォーの記憶≫。全体的に小高い山が連なるステージであり、出現するモンスターはレベル50級であり、レベル90が水準となった上位プレイヤーからすれば、十分に安全マージンは取れている。

 だが、舐めてはいけない。DBOはレベルが高まれば高まる程に、レベル差は容易に引っ繰り返せるのだ。あくまで水準レベルとは『一撃即死はあまり無いだろう』程度の基準だ。レベル50水準とはいえ、受けるダメージは決して侮れない。相性、油断、数の差によってあっさりと死ぬのがDBOなのだ。

 とはいえ、訓練を積んだ大ギルドの正規部隊ならばまず遅れは取らない。クラウドアースとの合同部隊ともなれば猶更だ。加えて、今回のシノンの協働相手はクラウドアースが惜しみなく派遣したランク1のユージーンである。

 

「ランク1がこんなしょうもないミッションに駆り出されるなんて、クラウドアースは人手不足なのかしら?」

 

「そう言う太陽の狩猟団もランク3を出張らせるとは、まさに猫の手も借りたいようだな」

 

 トレードマークの燃えるような赤髪と鎧を纏ったユージーンは、間もなく日暮れとなって夜が訪れる空を見上げながら、シノンの挨拶に応じる。

 それぞれのトップランカーが駆り出される理由を、2人は熟知している。これは八百長なのだ。太陽の狩猟団はクラウドアースを引き寄せたがっている。クラウドアースもまた太陽の狩猟団と組むメリットを計っている。そんな政治的打算によって、最高位ランカー同士の協働ミッションという演出を行っているのだ。その証拠に2人の協働を撮影すべく、複数の報道ギルドが同行している。

 

「どうも、報道ギルド【サニーネットワーク】です! 此度はランク20入りした【エイリーク】さん! 今回のミッションへの意気込みをお願いします!」

 

「ハン! 所詮は粋がった馬鹿共さ。この俺に任せな。1桁ランカーの出る幕はねぇよ!」

 

「おお、凄い自信ですね! ですが、風花隊は規模12名。まだ裏取りは出来ていませんが、財団の新型販売NPC【ドール】を、NPC保有規定に違反して、ギルド規模で許された保有数を大幅に超過して配属しているとか。それに財団製の中型ゴーレムもここ最近で裏市場に出回っていると聞きます。エイリークさんは先のミッションで財団製ゴーレム【スカベンジャー】に深手を負わされ、ランク8のスミスさんが救援に来られなければ敗北は濃厚だったとも噂されています。此度のランク20止まりなのも――」

 

「人形如きに後れを取る俺じゃねぇ! スカベンジャーにはしてやられたが、スミスが来なくても倒せたさ! まぁ、見てな。今回スカベンジャーが現れようと、俺だけでビシッとぶっ倒してやるぜ」

 

 相変わらずのビッグマウスね。取材を受けているのは、聖剣騎士団が無理矢理捻じ込んできた独立傭兵のエイリークだ。多くの過酷なミッションで生還した……と聞けば猛者とも捉えれるが、実際には幸運なだけ、というのが傭兵たちの彼への評価だ。無論、実力は決して低いわけではない。だが、【鋼の決闘士】という異名は、彼の後先見ない突撃馬鹿という欠点を端的に示している。

 身長190センチオーバーの巨漢であり、STRとDEXを重点的に成長させている。武器は盾と一体になった特徴的なキメラウェポンを好んで使い、接近戦では魔力消費で炎属性をエンチャントさせるヒートアックスを使用する。

 特に盾と銃器の一体型キメラウェポンは複数種製造することによって、あらゆるミッションに柔軟に対処できるという侮れなさを持つ。だが、そんな専属の気配りがありながら、戦略性もなく猪突猛進する無駄っぷりは涙を誘うだろう。

 今回は対人制圧に長けたガトリングガン型だ。事前のミッションプランの擦り合わせでは、ガトリングガンの強みの1つである装弾性を落とし、連射速度に特化してあるとエイリークが自慢げに暴露した。

 連射特化のガトリングガンならば、集弾性も火力も元々の乏しさに輪がかかるだろうが、弾幕は確実な削りと戦意喪失には有効だろう。これまた彼の専属鍛冶屋の細やかな配慮なのだろうが、エイリークはまるで気づいていないようだった。

 

「だが、突破力だけならばランカークラスだ。調子に乗れば手に負えない典型だ」

 

「高く評価してるのね」

 

「過大も過小もする気はない」

 

「問題は戦術性も戦略性も無い所ね。あれでどうやって今まで生き延びてきたんだか」

 

「それを加味すれば、やはりランク20が妥当だろう」

 

 アルヴヘイムの体験は何にも勝る経験だ。だが、だからといって慣れ合う程に親睦を深めた間柄ではない。シノンとユージーンはリラックスして肩を並べながらも、確かな線引きをした関係を保っている。その理由の1つは、来たるラストサンクチュアリ壊滅作戦にて、ユージーンと『彼』は間違いなく激突するからだろう。UNKNOWNと交流を深めているシノンとしては、彼に心を許すのは抵抗があった。

 それはユージーンも同様だろう。そもそもとしてアルヴヘイムでは最終決戦を除いて交流した覚えはない。だが、それでも翅を失った妖精たちがいたアルヴヘイムを冒険していたからこそ、拭えないシンパシーがあるとばかりにシノンを横目で見る。

 

「クラウドアースが掴んだ情報だが、UNKNOWNは無事に帰還したそうだ。塔の騎士というネームドをほぼ単独で撃破したらしい。攻略部隊はお荷物だったようだな」

 

「そう」

 

「淡白だな」

 

「『彼』は負けられない。背負ってる重荷が違う。相手がどんなネームドだろうと勝つに決まってるわ」

 

 シノンは太陽の狩猟団の専属だ。表向きはラストサンクチュアリ専属とはいえ、実質的に聖剣騎士団が支援しているUNKNOWNと組める機会は乏しい。彼女が協働できるのは、UNKNOWNが協働打診をした時だけだ。太陽の狩猟団もこれに応じることを認可している。

 もちろん、打算あってのことだ。ラストサンクチュアリ壊滅後のUNKNOWNの奪い合いを見越しているからこそシノンと組ませ、対外的に『UNKNOWNは太陽の狩猟団とは良好な関係にある』とアピールしているのだ。

 

「……『負けられない』か。それはオレも同じだ」

 

「そう。でも貴方は負けるわ」

 

「下馬評は耳にしているが、オレの勝ちに賭けてる輩も多いそうだ。オッズは五分五分。これが世間の評価だろう」

 

「自信満々ね」

 

 ユージーンは武人として、傭兵として、男として、全てを尽くしてUNKNOWNの撃破に赴くだろう。協働相手はまだ決まっていないが、シノンも太陽の狩猟団ルートから、ラストサンクチュアリ壊滅は11月以内……早ければ3週間後には実施されると聞いている。

 今回のミッションも、クラウドアースがラストサンクチュアリを壊滅させる大義名分を改めて大っぴらにする為の、太陽の狩猟団との事前協議が纏まってのことだろう。そこまで読めていながら、ミッションプランに従うしかないのは専属傭兵の常だ。支援を受けている以上は、独立傭兵のようなミッションの選択権は制限される。尤も、依頼を選り好みするような独立傭兵は美味しい仕事にはありつけないのもまた常であるが。

 

「ちなみに、オレも先日ネームドを単独撃破した。巷の噂になっていただろう?」

 

「ネームドで一纏めにできるものではないでしょう? 聞いてるわよ。未確認とはいえ、リポップ型だったみたいじゃない」

 

「フッ、やはりオレには辛辣だな」

 

「そうでもないわ。羨ましいわよ。私は協働依頼が中心だし、戦闘スタイル上そういう機会は乏しいわ」

 

 ネームドの単独撃破を巡る会話であるが、彼女たちの話を聞いた者たちは『これがランカーか……!』と驚嘆する。たとえリポップ型であろうとも、未知なるネームド相手に単独撃破出来るなど、まさに次元が違うからだ。

 

「しかし、レベル100以降は必要経験値が多過ぎて困る」

 

「それよねぇ。やっぱり、レベル120が上限って噂は本当かもね。フロンティア・フィールド……『レベル100~120水準』らしいし、装備的にもレベル的にも、これからはよりプレイヤーそのものの実力が試されることになりそうね」

 

 20の壁。レベルが20の倍数に達する度に、以後のレベルアップに必要な経験値は大幅に増加する。そして、レベル100以降必要経験値はもはや目玉が飛び出る程に別次元なのだ。シノンもまだレベル104であり、レベル105までに必要な経験値を見て立ち眩みを覚えた程だ。

 ユージーンが無理してでもネームドの単独撃破に拘ったのは、ネームド撃破で得られるボーナス成長ポイント目当てとレベルアップの為だ。彼もまたUNKNOWNを倒す為に全力の下準備をしているのだと実感する。

 UNKNOWNもまたここ最近で聖剣騎士団寄りと見られてでもミッションを引き受けて積極的にネームドなどの強敵と対峙するのは、対ユージーンに向けての事だ。1ポイントの成長が、レベルアップ分のHPが、時として勝負を分かつのだ。

 共に殺したいとは思っていないだろう。だが、勝敗の結果でどちらかが死ぬことはあり得る。むしろ、互いに敗北を認めぬならば、片方が死ぬまで斬り合うことは容易に想像できる。そして、2人ともそれを語らわずとも承諾し合っている。

 

(『負けられない』のはどちらも同じね。認めるわ)

 

 だが、シノンもまた自分に出来る限りで『彼』の勝率を上げるつもりだ。太陽の狩猟団はまずラストサンクチュアリ防衛にシノンを派遣しないだろう。だが、その日が来るまでに『彼』の為に出来る全てを行うつもりだ。

 

「ところで……『奴』はどうした?」

 

「『奴』? ああ、クーのことね。相変わらず行方不明みたいよ。『彼』も元々連絡手段なんて持ってないし、太陽の狩猟団も掴んでないみたい」

 

「よもや本当に死んだのではあるまいな?」

 

「その口ぶりだと、クラウドアースも行方をつかんでないみたいね」

 

『彼』がラストサンクチュアリ経由で聖剣騎士団に行方を問い合わせた限りでは、同じく安否も分からないようだった。太陽の狩猟団もクラウドアースも同様だ。

 クゥリの最後の目撃情報は8月末のサインズ本部だ。クラウドアース製の装備を纏った彼がサインズを通していないミッションに赴いたことを、当時対応したラビズリンとルシアが確認している。他にも複数の目撃情報があり、間違いないだろう。

 ならば自然と依頼主はクラウドアースと考えらえるが、ランク1のユージーンすらも行方を掴めないならば、サインズを通さない、余程の裏仕事に従事したという見方もできる。だが、そもそもとしてクラウドアースで装備を整えたからと言って、クラウドアースの依頼を引き受けたとも限らない。

 いずれかの大ギルドが行方を把握しながら隠匿している。あるいは3大ギルドの共謀とも捉えられる。

 シノンは意を決して、『彼』からの要望もあってフレンドメールを飛ばしてみたが、やはり応じる気配はない。フレンドメールを開けないダンジョン内にいるのか、それとも死亡しているのか。死者の碑石が無い今となっては判別できないのだ。

 クゥリのマネジメントとプロデュースを行っていた黄金林檎も、死亡は認めずとも、行方に関しては黙秘を続けている。これでは事実上の彼の死を認めたようなものだ。

 

(クーが死んだ。あり得なくはない。だけど……認められない……認めたくない)

 

 ディアベルとクゥリと3人で過ごしたDBO初期から随分と時間も経過した。時の流れの分だけ立場も変わった。

 だが、アルヴヘイムを経験した今だからこそ、シノンはもう1度彼と会いたいとも望んでいた。だが、それは叶わぬまま2ヶ月が過ぎてしまった。

 

「シノンさん、お時間です」

 

 と、そこに太陽の狩猟団の派遣部隊に声をかけられ、お喋りはここまでだとユージーンと無言で別れる。仕事の時間だ。

 ギルド風花隊が隠れている砦は、周囲を林に囲われた小山をくり貫いたものである。ステージに元からある施設であり、特に目ぼしいアイテムもなければ、モンスターが隠れ潜んでいるわけでもない、イベントの拠点にもならない、典型的な『置物』だ。

 だが、迎撃するには十分な立地だ。財団製レンタルNPCドールも侮れない。

 ドールとは、まるでマネキンのような姿をした素体を元にしたNPCだ。従来のギルドNPCと違ってレギオン化しないという売り文句で発売されており、大小ギルド問わずに売れ行きはいい。

 その最大の特徴は高いカスタム性だ。コルをかけた分だけ水準レベルが上昇するだけではなく、よりオペレーションを組み易く設定されており、人手不足になりがちなフロンティア・フィールドの防衛の要にもなっている。

 あくまで戦闘用であり、採掘や農業には使えないのが難点であるが、それを除いても、獣狩りの夜以降はギルドNPCの増産を出来ずにいた各ギルドからは喉から手が出る程に欲しい新戦力だ。

 各大ギルドは既にドール用のオペレーション作成部まで準備しており、先の週刊サインズでは『ドールはいずれ傭兵を不要にする』とまで豪語する開発者まで現れた程だ。

 だが、シノンに言わせれば、人形では勝てない。DBOで常に強敵として立ち塞がったのは、自らの意思で行動し、感情を持ち、生命の限りを尽くして戦うAIだった。アルヴヘイムで特にそれを実感したのだ。ドールがその領域に到達することは決して無いだろう。よくてDBOの標準的な……それでも他ゲームに比べれば狂ってる程に高性能なAI程度だ。トッププレイヤーの域には達しない。

 むしろ危ういのは、中型……規模にして4~6メートルほどの財団製ゴーレムだ。こちらは甘く見れない。エイリークではないが、全力を注がねば危ういのは明白だ。最初からオペレーションを組まねばならないドールとは違い、こちらは財団が最初から組んだオペレーションを搭載しており、その強さは段違いだ。耐久力・火力・優秀なAIが揃えば、傭兵とて負けかねないのである。

 

「とは言っても、今回は問題ないわね」

 

 傭兵3人に加えて、太陽の狩猟団とクラウドアースの正規部隊が揃っているのだ。風花隊はレベル90に近づく程の、上位プレイヤーに匹敵するほどのレベルが高い集団だが、対人戦の経験は乏しい。ダメージエフェクトがより生々しくなり、仲間の遺体が転がる現DBOにおいて、何処まで覚悟を示せるかは興味のあるところだ。

 風花隊自体は実力者もいるが、素行がよろしくなく、かなりあくどい真似をしてギルドを成長させたようだった。大ギルドは今回の捕縛において、リーダー以外は殺害しても構わないとオーダーを出している。シノンが得た事前情報の限りでは、捕縛後に少なくとも4件のMPKの疑惑が追及される予定だ。冤罪が含まれているにしても、それを立証するのは絶望的だろう。

 

「経験の差って奴を教えてやるぜ」

 

 エイリークはこげ茶色に塗装された甲冑を身に纏っている。無駄に変形ギミックが備わっており、背中にマウントされていた兜が頭部に自動で装着されるという浪漫機構だ。これもまた、HENTAI勢に追いつこうとする彼の専属鍛冶屋の努力の賜物なのだろうが、その技術力の高さに気づいていないのは、やはりエイリークだけである。

 牛の角を思わす、だが片方が欠けた兜のデザインは彼の異名たる【鋼の決闘士】に相応しい。どうせ突撃馬鹿なのだ。こんなミッションに本気になるなど、それこそ馬鹿らしいとシノンは彼に全てを任せてやろうかと考える。

 だが、シノンも性能実験をしたい所なのだ。アルヴヘイムで破損した義手は、繰り返された修復と改造により、新たに蘇ったのだ。

 

「援護するわ。好きにして構わないわよ」

 

 シノンが構えるのは『レーザーライフル』にして『アサルトライフル』だ。これこそが古獅子のソウルを使用して開発された新装備だ。

 

『マユ謹製! 慄け、「換装型」超合体ライフル【Ω・Σ・Zero=ハイメガツインライフルLove&Loveカスタム】!』

 

 名称が余りにも酷過ぎたが、マユが断固として改名を拒否したため、シノンが『特殊2連装ライフル』と呼称して絶対に正式名称を知られまいと誓ったこの新装備は、レーザーと実体弾を同時運用できる特殊火器だ。

 上下に2つの銃口があり、下部銃口は実体弾のアサルトライフル用だ。安定した火力・連射速度・弾速・射程距離が追求されている。対して上の銃口はレーザーライフルなのであるが、合体できる専用アタッチメントによって、現地で状況に合わせてタイプを切り替えられるというものだ。

 何のアタッチメントも装備していない状態は『アサルト』、連射性と弾速に秀でたレーザーライフルだ。実体弾との同時運用を可能としており、実体弾とレーザーの同時射撃によって、近・中距離で一気に削り取るというコンセプトだ。

 シノンのSTRではダブルトリガーを活かしきるのは難しい。そこで1丁で事実上のダブルトリガーが可能となるようにマユが設計したものだ。また、レーザー・実体弾の同時射撃を仕掛けるならば両手持ちが必須であるが、反動がほぼ無いレーザーライフルに限定すればギリギリ片手持ちが可能である。

 2つ目は火力と弾速に特化させた『スナイパー』だ。シノンが義手化によって諦めていた狙撃を少しでも可能にしようとしたマユ渾身のアタッチメントである。合体による銃身の長大化によって下部銃口のアサルトライフルは使用できなくなるが、代わりに高火力・高弾速・高射程のレーザーを放てる。その威力はチャージ無しでもハイレーザーに1歩劣る程度であり、フルチャージならば完全に上回ることも可能だ。距離減衰の低さも合わせれば、近接適性と連射性を除けば、ハイレーザーライフルを上回るスペックだ。

 DBOにおいてレーザーとは、ソウルの矢・槍系の魔法の汎用化を求めて終末の時代に作成されたという設定である。ステータスに左右されない威力と多くは反動がゼロ、ないし小さいのは魅力であるが、重量がある傾向を持ち、弾薬を変更できない為に対応力が乏しく、なおかつレーザーは弾速において実体弾に劣るという欠点がある。

 だが、スナイパーアタッチメントを装備したスナイパーレーザーライフルは、弾速に秀でた実体弾スナイパーライフルにも匹敵するレーザー射撃が可能だ。反動も実体弾ほど無く、義手化したシノンの狙撃のハードルを下げた。ただし、高重量化によって機動力の低下は免れない。

 3つ目は『ショット』だ。低威力・低射程ではあるが、面射撃のレーザーを可能とする。レーザーにしては反動がきつく、軽量ショットガン級の反動がネックとなり、下部銃口のアサルトライフルと併用すれば更に厳しいものもあるが、シューターと見て接近を図る相手への牽制や至近距離でのフルヒット狙いなど、戦術の幅を大きく広げるだろう。

 だが、問題なのはシノンがPOWを高めていない点だ。これを解決する為に、マユはほぼ全壊に等しかった義手の本来の火炎放射機構の復元をすっぱり諦めた。

 

『シノのん! GRはかつて死んだ魚のような目でこう言ったそうです!「復元できないなら生まれ変わらせちゃえばいいじゃない」! はい、魔力ジェネレーター! 百足のデーモンのソウルなら適性バッチリだし、義手に搭載できるよ! でも、兄貴が作ってるラスト・レイヴンと比べてかーなーり不安定だから、次に義手が壊れたらシノのんは大☆爆☆発に巻き込まれること確定だから! たぶん、破壊力的に近距離で受けるシノのんは即死だね! 大丈夫! 義手の強度アップに巨鉄のデーモンのソウルを使ったよ! 特大剣の連撃系ソードスキルを何度もガードしない限りは壊れないから安心して!』

 

 フラグをこれでもかと立てて、自分は対策したから責任は無いと予防線を張られ、自分諸共周囲を吹っ飛ばす爆弾を勝手に義手に搭載されたシノンは言葉を失い、無言でマユに義手チョップを繰り出した。

 このジェネレーターから供給される魔力はシノンが自由に扱えるものではなく、特殊2連装ライフルのように調整された専用火器に限定される。義手との同時運用を想定しており、マユ曰く、ヘンリクセンのトータルコーディネートを真似た結果とのことだ。1つの武装で完結させるのではなく、他の装備と連携させて活かすという彼女なりの兄のリスペクトである。

 だが、爆弾を押し付けられる側は堪ったものではない。シノンは別の戦闘用の義手の開発を願ったのだが、一瞬でマユの目から光が消えて『ねぇ、シノのんはマユを殺すつもりなの? ねぇ、殺すつもりなの? ねぇ。ねぇ。ねぇ!?』と迫られ、しばらくは日常用を除けば、別の義手の手配は絶望的となった。

 

(合体機構の浪漫は認めるし、強力なのも確かだけど、やはりHENTAIの武器ね。使い難いわ)

 

 そして、スキル≪武器枠増加2≫によって新たに増やした武器枠には、マユ試作のヒートサブマシンガンだ。ハンドガンとサブマシンガンは武器枠1つで済むのが特徴だが、性能面では大きく劣る。特に火力は顕著だ。ハンドガンには教会式連装銃なる恐るべき威力の武器もあるが、あれは反動と射程距離の関係上、とてもではないがプレイヤーがまともに運用できる代物ではない。

 

『弾速・火力で劣るならば、属性攻撃でカバーすればいいじゃない☆ ヒート系といっても弾薬がちょぉおおおっと特別でね、通常の炎属性じゃなくて、教会製の光属性弾を改造したものなんだ。ちなみに1発当たりの単価はこちらだよ♪』

 

 殴った。VR界のアイドルの右頬に思わずストレートを義手でぶち込んだ。ただでさえ火力が低く、装弾性も少なく、射程も精度も悪いサブマシンガン系。唯一の取り得は武器枠1つで連射武器を扱えることだけ。それを対策が難しいとはいえ、光属性弾でカバーしようというマユの心意気は買うべきだろう。だが、こんなものを使った日には、シノンは太陽の狩猟団から『弾薬費が高過ぎるので契約を解除させてください』と土下座で懇願される事になるだろう。

 よって、今回はもちろん炎属性弾だ。DBOにおけるバトルライフル、ヒートマシンガン・サブマシンガンは、現実世界のHEAT弾とは異なり、極めて小規模な爆発を起こすグレネードのような扱いだ。衝撃とスタン蓄積は悪くない。むしろ、ヒートサブマシンガンを試作とはいえ、実用化させるにまで至ったマユのHENTAIっぷりを褒めるべきだろう。

 だが、世知辛いことに何事にも金がかかるのだ。開発費だけでシノンは太陽の狩猟団に借入を検討しないといけない程の文無しだ。日々の食事すらも削っている。そうでもなければ、このような依頼はシノンとしても、たとえ専属であろうとも強引に蹴っていたところだ。その上で1発単価が恐ろしい額の改造光属性弾を使った日には、ミッション終了と同時に身売りを考えねばならない。

 とはいえ、ヒートサブマシンガンは近接適性が高い。義手のクローとヒートサブマシンガンによる近接戦はシノンも望むところだ。また、特殊2連装ライフルのレーザーに限定すれば、ヒートマシンガンと合わせたダブルトリガーも可能である。

 他の装備として近接・射撃を同時運用できる弓剣も新開発されているが、素材・資金不足の関係上で求められたスペック、もとい浪漫に到達していないらしく、シノンにはデータ収集用の試作品しか渡されていない。だが、それもあと1歩まで迫っている。これも完成すれば、弓剣による近接戦の対応力は増加し、また瞬時の射撃攻撃への切り替えにも繋げられる。

 ようやくシノン専用装備と呼べるものが完成しつつある。彼女に合わせた装備開発はいよいよ実りの時を迎えたのだ。その分だけ太陽の狩猟団からの情報開示の『お誘い』は厳しさを増したが、義手も含めて死守するのはシノンの務めだ。

 

「おい、まだか! 突入許可は!?」

 

「……うるさいわね。すぐに出るわよ。期待してるわよ、【鋼の決闘士】さん」

 

「お、おう! ところで山猫、今晩は――」

 

「空いてない」

 

「……畜生! おい、突撃許可はまだか!?」

 

 弾薬費は8割持ちとはいえ、経費は最低限に抑えたいのだ。傍で咆えるエイリークを突撃させ、なるべくケチって弾薬費を浮かせようという腹のシノンは、さっさとゴーサインを出せと叫びたくなる。

 だが、待っても待っても命令は下りない。何事かと思えば、クラウドアースと太陽の狩猟団の突入部隊が何やら相談し、恐る恐ると、用心しながらも内部へと堂々と歩いて入っていく。

 

「どうやら、オレ達は無駄足だったようだな」

 

 シノンも砦に走ってよれば、先に到着していたユージーンが腕を組んで壁にもたれ掛かり、内部を見ろとばかりに親指を向ける。

 砦に侵入したシノンは、トラップや奇襲に警戒しつつ、だが2つの大ギルドの部隊が『死体』を囲んでいるのを見て、事態を察知する。

 件の風花隊の面子はいずれも殺害されていた。配備されていただろう、保有規定を超過していたドールも破壊されている。

 

「凶器は弓矢のようですね」

 

 太陽の狩猟団の突撃部隊の隊長がシノンを招き、必ず生かして確保を命じられていた風花隊のリーダーの遺体の元に案内する。

 アップデートによって遺体が残るようになったお陰か、殺害の手口も残る右目から侵入した矢が致命傷だ。それも兜の覗き穴を正確に射抜かれている。

 

「狙撃じゃないわ。近距離射撃ね。犯人はわざわざ砦の内部に侵入し、彼を追い詰め、目前で射抜いた」

 

 風花隊のリーダーは砦の奥にある貯蔵庫の隅で殺害されていた。周囲の棚は奇麗なものだ。彼はここまで逃げ、追い詰められ、そして殺害された。

 

「何故わざわざ近づいて弓矢で?」

 

「他に得物が無かったのか。弓矢で殺害することに余程の執着があるのか。どちらにしても、かなり残虐な奴ね。見て。わざと両足を抉るように射てるわ。じわじわと機動力を削いでHPを減らし、ここまで追い詰めて、そして殺した」

 

 風花隊のリーダーの頭部から矢を抜けば、耐久度ゼロになってシノンの手元からオブジェクトの塵になって失われる。見た所、聖剣騎士団が量産している最新の【イジェン鋼の矢】のようだった。シノンも太陽の狩猟団の専属でなければ、是非とも使いたい、物理属性で現在最も優れた性能の矢である。だが、その分だけコストもかかる。聖剣騎士団の正規部隊や専属傭兵を除けば、まだ流通している数も少ない。

 この矢を愛用しているのは、シノンをライバル視している聖剣騎士団専属のメルディだ。傭兵としてはシノンに比べれば日も浅いが、元は腕の立つ、壊滅した中小ギルドの生き残りであり、他のギルドに移籍する気が無かったが故に、聖剣騎士団の勧めで専属として傭兵になった女性プレイヤーだ。

 狙撃手としての技量は高く、シノンとは違って弓矢に固執する射手だ。近接攻撃武器を持たず、1度だけ不覚を取って敵だったテロリスト4人に接近された際には、矢を近接武器代わりにして迎撃し、凌ぐどころか圧倒したという逸話を持つ。

 普段は物静かだが、戦闘になると激情家となり、だがあくまで冷静さは失わない。極めて厄介であり、専属先が専属先であるだけに、シノンもミッション中に狙撃戦になった事は1度や2度ではない。

 

(だけど、相手は砦の中。窓辺の連中は狙撃されたかもしれないけど、全員が即死はしなかったはず。≪狙撃≫スキルでダメージを与えられるのはせいぜい1度が限度。2度目は戦闘認識がかかって効果が無い)

 

 通常の狙撃とスキルを用いた狙撃は別物だ。幾らメルディでも砦に立て籠もる相手を弓矢だけで倒すのは無謀と判断するはずだ。そうなると近接ファイターの協働相手がいたこと見るべきだ。

 だが、そこまで考えて、わざわざ独立傭兵のエイリークを派遣した聖剣騎士団が、どうしてこちらの突入前に傭兵を派遣して始末する必要があるのか?

 元より今回の事件は太陽の狩猟団とクラウドアースによるシナリオ通りだったはずだ。ラストサンクチュアリを壊滅に追いやる為の準備だ。リーダーを生け捕りにして、ラストサンクチュアリの命令だったと公言させたかったのだ。

 ならば、このシナリオを阻もうとした『誰か』が風花隊を抹殺したと考えるのが筋だろう。最も有力なのは、追い詰められる側のラストサンクチュアリであるが、彼らに風花隊を倒すだけの戦力はUNKNOWNくらいしかいない。彼は塔の騎士の相手をしていたはずだ。また凄腕の射手を雇うだけの資金力がラストサンクチュアリにあるはずもない。

 

「犯人に目星はつくか?」

 

「傭兵ならメルディが加担してるのは濃厚だけど、腕の立つシューターは他にもいるわ。それに、わざわざ弓矢だけで殺すなんて、余程のこだわりのある奴よ」

 

「ふむ、少なくとも貴様では無いわけか」

 

「クラウドアースから見れば、私も容疑者ってわけ?」

 

 シノンが睨めば冗談だとユージーンは不敵に笑むが、その目付きは厳しいままに風花隊の遺体を見送っている。

 

「彼らは殺されるような悪事を働いたわけではない。利用されただけだ」

 

「そうね。でも、今のDBOで大ギルドに歯向かうのはどういう意味なのか、分からない程愚かでは無かったはずよ」

 

「ならば、彼らはどうして利用されることを選んだ? 気づかなかったとでもいうのか?」

 

「……私も教えて欲しいくらいよ」

 

 唯一確かに言えることがあるとするならば、彼らに死の覚悟など無かったということだ。いずれも迫りくる死への恐怖を刻み込んだ顔のまま、この冷たい仮想世界に骸を残したのだから。

 

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 酷いあり様だ。破壊された訓練用オブジェクトとドールの残骸をシリカは目にしながら、地下空間に設けられた簡素なベンチに腰掛ける『彼』に歩み寄る。

『彼』の四肢に取り付けられているのは、マユ渾身の格闘装具である天雷装具スローネだ。発動条件はあるが、使用すれば魔力を消費することによってDEXを増加させる。なおかつSTRを決して補正は大きくないが、スピード増強に使うことができる。

 またソードスキルに限定して雷属性攻撃力をエンチャントさせ、防具としても高い雷属性防御力を有する。格闘装具であるが故に、普通の防具に比べても≪格闘≫スキルによって得られるステータスボーナスも大きい。

 スローネのソウルだからこそ可能であり、なおかつ格闘装具という利点を活かした、マユの傑作の1つだ。地味に変形ギミックも備わっており、発動時に表面がスライドして発雷部が露になる。

 他にも複数の機能を備えており、熟達するには相応の時間を要する武具である。

 

「……助けられなかった。守れたはずなのに、間に合ったはずなのに、届かなかった」

 

 上半身裸体の汗だらけの体。荒い息はスタミナ切れと魔力切れになるまでスローネを使いこなすべく訓練に費やしていたからだろう。

 今日は外せない用事があるから代わりに『彼』を止めてくれとマユに懇願され、工房に駆けつけてみれば、そういう事かとシリカは納得する。

 

「聞きました。だけど――」

 

「スローネをまだ使いこなしきれていなかった。聖剣をもっと早くに解放できていれば死なせずに済んだ!」

 

 スローネはともかく、聖剣に関しては未熟を責める道理はないとシリカは感じている。

 青にして碧の光に縁取られた漆黒の大刃を白銀の刀身を核にして形成する月蝕の聖剣は、『彼』の聖剣とも呼ぶべき姿であり、その真の力を解放していない状態だ。

 この2ヶ月間、『彼』は月光の聖剣を引き出すべく訓練を積み、また戦い続けた。だが、『彼』が望んだ時に月光の聖剣は姿を現さない。その月明かりを閉ざしたままだ。

 

「やっと解放できたと思ったら、また応えなくなったよ。もう時間が無いのに」

 

「月蝕の聖剣だけでも十分過ぎる程に強力なんです。きっと勝てますよ!」

 

「いいや、駄目だ。万全を尽くさないといけない。ユージーンは強い。クラウドアースは本気でラストサンクチュアリを潰すはずだ」

 

 焦り。『彼』が今まさに抱えているのは、迫りくるタイムリミットだ。

 この2ヶ月で新装備を整え、対クラウドアースに向けて準備を進めてきた。成長ポイントを集め、レベルアップし、ユージーンといかなる傭兵が組んでも対応できるようにシミュレーションを重ねた。

 シリカはシリカでキバオウと共に傭兵達に、その時が来たならば協働して欲しいと頭を下げて回ったが、色の良い返事は聞けなかった。シノンやグローリーは協力的な姿勢を示したが、専属先が決して了承しないだろう。

 また、クラウドアースが形振り構わない手段を取った場合、それこそアームズフォートさえも派遣されるかもしれないのだ。それも複数機ともなれば、『彼』単独では守る手立てはない。

 複数のアームズフォートへの唯一の対抗手段はオベイロンとの決戦時に発動した竜の神の顕現だ。だが、竜神の拳は月蝕状態でも使えても、顕現は不可能だった。あくまで月光の聖剣の時でなければ発動しないのだ。

 

「……守りたかったんですよね。守れたはずなら、尚更ですよね」

 

「ごめん、弱音を吐くつもりは無かったんだ。俺は――」

 

 真っ白なふかふかタオルを『彼』の頭にかけ、シリカは笑顔で両拳を握る。

 

「大丈夫です! いくらクラウドアースでも、アームズフォートを派遣して一方的に攻撃して虐殺なんて非道な真似をすれば、致命的なイメージダウンは避けられません!」

 

「そうだな。少し悲観的になり過ぎてたかもしれない。ありがとう」

 

「いいえ。私は秘書ですから。愚痴を聞くのも仕事の内なんです」

 

 タオルを頭から被ったまま、シリカからドリンクを手渡されたUNKNOWNは、汗で湿った体を地下空間の冷えた空気にさらしたまま、熱の籠もった吐息を漏らす。

 

「もう1ヶ月と無いだろうな」

 

「ええ。まだ未確定情報ですが、今月中は確実でしょう。キバオウさんは聖剣騎士団に正式に長期依頼を受理しない旨を通達したそうです。期待していたフロンティア・フィールドの探索はしばらくお預けですね」

 

「べ、別に楽しみだったわけじゃないぞ!?」

 

 嘘だ。バレバレだ。すっかりアルヴヘイムで、ゲーマー魂……もとい未知なる世界を冒険する醍醐味を改めて思い出してしまった『彼』が、フロンティア・フィールドに惹かれないはずがないのだ。

 割れた腹筋を始めとした鍛えられた上半身を見て、裸は何度も見ているはずなのに、初心な乙女のようにシリカは目を逸らす。アルヴヘイムで心機一転した影響か、あれから『彼』に上手く迫ることもできず、対クラウドアースに専念することで気を逸らしていたが、それでも高鳴る鼓動をもたらす気持ちを忘れたわけではない。

 

「なぁ、シリカ」

 

「は、はい!?」

 

 名前を呼ばれて声が上ずり、シリカは恥ずかしいと頬を赤らめる。だが、『彼』は気にしないとばかりに笑う。

 

「勝っても負けても、ラストサンクチュアリは終わりだ。俺は専属先を失う」

 

「知ってます。問題は次の専属先ですね。3大ギルドはいずれも好待遇で迎えてくれるはずですが、独立傭兵をお勧めします」

 

「いいや、俺は何処かの専属傭兵になるつもりだ。3大ギルドでないにしても、有力な……教会と縁の深い勢力を選ぶつもりだ。エドガー神父は『貧者にとって英雄は不可欠だ』と言ってるが、俺も同意見だしな」

 

 それは余りにも残酷だ。1000人分の命を背負ってきたというのに、今度は不特定多数の教会に縋る人々の守護の象徴になるなど、シリカは容認できない。

 加えて教会は現実世界への帰還には否定的だ。公言こそしていないが、彼らは積極的に仮想世界への永住を推し進めている。そこに取り込まれたならば、『彼』とシリカは肉体を諦めねばならない。

 

「本当にいいんですか?」

 

「俺はずっと目を逸らしていた。アスナを救いたいばかりに、多くを見て見ぬフリをしてきた。だけど、これからは未来の為に戦いたい。俺は『帰る』。だけど『帰れない』人たちもいる。そして、茅場の後継者は完全攻略の末に、惨酷な選択肢を提示するだろうな」

 

「全員の『帰還』か『永住』。現実世界に肉体がある者は戻れますが、肉体が無い人々を待つのは消滅。逆に『永住』だと肉体を諦めないといけない」

 

「ああ。それが大ギルドの見解だ。教会も同意見のはずだ」

 

 コンソールルームを得た大ギルドの見解だ。ほぼ間違いないだろうというのは悲観的過ぎるが、最も正しいだろうというのがシリカの予想だ。だが、『彼』は異を唱えるようにベンチに置いて立ち上がる。

 

「茅場の後継者はいつだって俺達を嘲うことを優先する。『完全無欠のハッピーエンドがあるのに、気づかず無視して破滅する』。そんな姿を見て悦に浸る。だったら、必ずあるはずだ。後継者の悪意を打ち破る『帰還と永住を両立させる』方法が!」

 

「で、ですが、SAOとは違います! 全100層をクリアすれば良かったSAOと違って、DBOはラスボスにたどり着く方法さえ分かっていないんですよ!?」

 

「ああ。だから『虎穴に入らずんば虎子を得ず』さ。俺は『永住』を表明する。その裏で同志を募る。後継者の悪意に抗い、大ギルドと教会の裏を掻く度胸と実力を持った仲間を集めるんだ。その為には情報が要る。情報を得るには俺を信用させないといけない」

 

「真っ先に疑われるに決まってるじゃないですか!」

 

「だよなぁ。問題はそこなんだ。だけど、他の大ギルドだとギルド間戦争に巻き込まれるし、自由を奪われかねない。まだ教会と決めたわけじゃないけど戦争だって止めたい。理想なのは、『帰還と永住の両立』を確固たる証拠を持って公表し、なおかつ完全攻略の為の鍵を握る事だ。そうなると、どうしても大ギルドか教会のどちらか、あるいは両方から情報を抜く必要がある。発表される情報だけでは駄目だ」

 

「つまり、最終的には教会の権威も借りて、3大ギルドが協力せざるを得ない証拠と手段を突きつけて、みんなで仲良くラスボスを倒しましょう……というわけですか?」

 

「ああ!」

 

「『ああ!』じゃありませんよ!? そもそも確証もないじゃないですか!? それにどうやって同志を集めるんですか!?」

 

 シリカの悲鳴に似た反論に、『彼』は考えがあると右人差し指を立てる。

 

「確証を得られる情報源はある。知ってそうな連中には心当たりがあるんだ」

 

「誰ですか?」

 

「レギオンだ」

 

「馬鹿ですか!?」

 

「ああ、大馬鹿で大真面目だ」

 

 本気なのだろう。頭を抱えて叫びたい衝動に駆られたシリカは、深呼吸を挟んで本意を求める。

 

「レギオンにも知性と自我がある個体がいる。特にグングニルやナギとは条件さえ揃えば、コミュニケーションを取って信頼関係を築くことは不可能じゃないと思うんだ。レギオンの特性はまだ分からないけど、彼女たちはレギオンの総意だけではない、もっと別な何かで動いてもいるような気がする」

 

「それも含めてレギオンの仕組みなのかもしれませんよ?」

 

「そうだとしても、やってみる価値はあるだろ? レギオンの目的と俺達の目的。2つが両立できるならば、それに越したことは無い。出来ないとしても、取引して情報を得られるならば十分に儲けさ」

 

「仮に取引できたとしても、騙されるに決まってます」

 

「どんな取引だって騙されるリスクは付き纏う。そうだろ?」

 

 その通りではあるが、こればかりは簡単に首を縦に振ることは出来ない。今日も続くレギオンの被害もそうであるが、アルヴヘイムではレギオンがどれだけ脅威なのかを思い知らされた。

 その一方で、回廊都市の決戦では、レギオンであるナギの協力が無ければ、下手をせずとも全滅していたかもしれないのだ。

 また、グングニルというレギオンにはユージーンも救われている。ユグドラシル城でもなるべく傷つけないように、こちらを配慮した戦い方だった。

 

「わ、わわわ、分かりました。ですが、まだ決定ではありませんからね! 教会の専属になるのも反対です! もっと熟考すべきです! あと、まずはクラウドアースを退ける! それに集中しましょう!」

 

「もちろんだ。俺は負けられない。まだ死ぬわけにはいかない」

 

 髪を湿らす汗をタオルで拭い、『彼』はアイテムストレージから仮面を取り出す。

 

「まだ仮面をつけるんですか?」

 

「付けるさ。これは彼に割ってもらう約束だからな」

 

「……クゥリさん、もう2ヶ月も音信不通だそうです。死亡したかも――」

 

「いいや、彼は生きてるよ」

 

 一切の躊躇いもなく『彼』は断言し、もしや生存情報を掴んでいるのかとシリカは勘繰る。

 確かにシリカもクゥリが死ぬイメージは出来ない。あらゆる苦境をその暴力で覆してきた彼をどうすれば殺しきれるのか、全く思いつかない。だが、2ヶ月も音沙汰なく姿も現さないのはおかしいのだ。

 何故? どうして言い切れるのだ? タオルを投げ捨て、仮面を被る彼の口元の笑みを見て、ああそういう事かと嫉妬の念を覚える。

 

(本当に……男の友情ってズルいです)

 

 友ならば、その生存を微塵と疑う余地などない。クゥリの到来を待ち望むのは、交わした約束があるからこそだ。

 悔しい。彼を独り占めにしたい。シリカはムズムズとした気持ちを抑えきれず、1つ思案する。

 

「もう1つの新装備もいよいよ完成です。積んできた訓練を無駄にしない為にも、明日から頑張る為にも、今日はもう羽を伸ばしましょう。傭兵は仕事が終わったらパーッと遊ぶ! それが大正義なんです! だから、今日は私に付き合ってください!」

 

「……シリカ。ああ、分かったよ」

 

「言いましたね? じゃあ、早くシャワーを浴びてきてください。待ってますから」

 

 自分は『1番』にはなれない。そんな風に諦めていた。だから、どんな形でもいいから傍にいたいと願った。『彼』に自分を刻み付けたいと望んだ。

 だが、もう本当の気持ちに嘘を重ねたくない。『彼』と一緒に未来を見たいという意思を抱いていたいのだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ああ、また帰りが遅くなってしまう。メイド服姿で給仕をするユウキは、さっさとパーティは終わらないものかと溜め息を吐きたいのを堪えながら、今にも引き攣りそうな愛想笑いでワインを客に運ぶ。

 

「おお、ありがとう。ふむ……ねぇ、キミさ、パーティがおわったら――」

 

「朝までお仕事ですので!」

 

 本当にスケベばっかりだ! パーティが始まって早30分、かれこれ12回はお尻を触られそうになったユウキは、まだ予定では2時間以上もあるのかと涙目で絶望する。

 場所は終わりつつある街にある【ヒューイ・ツイン・ホテル】だ。終わりつつある街の景観に似つかわしいゴシック調の30階建てのホテルである。クラウドアースが誇る興行用コロシアムを一望できるロケーション、空中渡り廊下をそのまま空中庭園にしてしまうという仮想空間ならではの豪気なデザイン。そして、ホテルの最上階は1晩泊れば地上には戻れないと評判のVIPルームが設けられている。

 今日はこのホテルを貸し切って、クラウドアース主催のオークションを兼ねたパーティが開かれている。クラウドアースのみならず、聖剣騎士団や太陽の狩猟団、大ギルドに及ばずとも相応の規模を誇る中小ギルドのトップも招かれている。

 

「ユウキさん、メイドは慎みと笑顔が命です。何があろうとも感情を表に出さず優雅に。私達はクラウドアース……いいえ、ヴェニデの顔なのですからね」

 

「は、はーい」

 

 メイド長にして、その正体はヴェニデ直轄暗部でも指折りの実力者であるブリッツに咎められ、ユウキは笑顔笑顔と頬を叩く。

 ブリッツを始めとしたヴェニデのメイドたちは実力もあるが、完璧なメイドとして振る舞っている。ユウキのようにエロい考え丸出しの輩を相手にするにしても、これぞプロだと言わんばかりにやんわりと応対して場を脱している。

 レディとは何たるか。それはまさにブリッツの振る舞いにこそあるだろう。気品と教養を持ち、相手が劣情丸出しの下心を見せても話術で言いくるめる。主たるセサルの名を貶めないのが彼女達にとって最優先なのだ。

 だが、ユウキは別にメイド職を目指しているわけでもなければ、ヴェニデに所属しているわけでもない。チェーングレイヴからの出向でメイド兼戦闘要員としてクラウドアースに属しているだけだ。ならばこそ、何が悲しくてメイドの熟練度を上げねばならないのだろうかとも思う。

 無論、得られた技能は数知れない。≪料理≫スキルがあるにしても、個人の力量によって幅は大きく変わる。盛り付け方や各種お茶の淹れ方などは一生の宝にもなるだろう。自分の成長を実感して『今日こそはブリッツさんに怒られない!』を目標にして出勤する日もある。

 だが、その度に『あれ? ボクは何をやってるんだろう?』と我に返るのだ。まだクラウドアースに同行してダンジョンや各種イベントに同行するのは分かる。むしろ、レベルアップやスキルの熟練度上昇、成長ポイントの獲得には不可欠だ。

 だが、モップをかけ、窓を磨き、お茶を入れ、ケーキを切り分け、花瓶に花を飾り、1日の労働をメイド仲間と労う。そんな日々を全うする為にクラウドアース、もといヴェニデに出向したわけではない。

 

(だけど、ボクが失礼な真似したらブリッツさんにも迷惑をかけるし、仕事で来てるんだもん。完璧はまだまだ無理でも最大限に頑張らないと!)

 

 悲しきは生まれ持った性質か。ユウキはブリッツからの期待の眼差しとこれまでの時に厳しく、時に優しく教えてくれたメイド修行の日々を思い出し、自然と背筋に力を入れて胸を張る。ヴェニデの看板を背負うメイドとしての振る舞いを目指す。

 

「あのような年端もいかない貧相なお嬢さんがお好みで?」

 

「いやはや、仮想世界に現実世界の法律はありませんからなぁ。ああいう娘程『仕込み』甲斐があるのですよ」

 

 と、そこで先程『誘い』をかけてきた男が別の男と、小声ながらも下卑た話をしているのを耳にして、ユウキは笑顔のまま怒りのボルテージを上昇させる。

 

(貧相で悪かったね! これでも18歳だよ! クーよりはまだ年齢相応に――)

 

 ピカピカに磨かれた円形の盆に映る自分を見て、『18歳で通る……よね?』とユウキは頬を引き攣らせる。

 

「ざーんねん。どう見ても13、4歳のガキだぜ」

 

 殺気……いや、悪意!? ユウキは不愉快な程に察知し慣れた、下心の悪意を女の勘で感じ取り、即時反転してお尻をガードする。

 

「甘い」

 

 だが、背後には誰もいない。唖然とするユウキは首筋にフーと息をかけられ、悪寒で震えながら涙目で振り返る。

 触られてしまう。撫で回されてしまう!? こうなったら、もう≪絶影剣≫で殺すしかない! ユウキはスキルを発動する0.1秒前で自分の背後を取った人物が、よく見知った男だと認識する。

 トレードマークのバンダナを付けず、スーツ姿の為に分かりづらいが、チェーングレイヴのリーダーにして、ユウキの上司でもあるクラインだ。

 

「ボス!? どうしてここに……」

 

「可愛い部下のメイド姿を拝見に……っていうのは嘘として、最近は『表』用の仕事も始めたが、これが大当たりでよぉ。代表取締役として、こうしてパーティへの出席も認可されたわけよ」

 

「なにそれ、聞いてないよ」

 

「言ってないからな。なにせエロ本屋だ。いやぁ、何処に行ってもエロは不滅だな! 娼館という実物だけでも満足できないのが男ってもんよ!」

 

 聞きたくなかった! 危うくお客様にして自分のボスを殴り飛ばしそうになったユウキは、今日はどうなっているんだと死んだ魚の目で己を嗤う。

 さっさと仕事を終わらせてクーの所に帰りたいのに、今日は間違いなく深夜コースだよ。後片付けも含めれば朝帰りかもしれないユウキは、クラインが飲めと差し出した白ワインをメイドとしてお断りする。どれだけ美味しそうな料理やお酒が並んでいても、メイドは手を付けてはいけない。お客様の相手もしてはいけない。あくまで裏方に徹するのがメイドなのだ。

 

「……そんなに業績いいの?」

 

「なんだぁ? 気になるかぁ?」

 

「別に」

 

「ははは。全くの冗談ではないんだが、お前が元気そうで良かったぜ。あれから2ヶ月、ほとんど話す機会も無かったからな」

 

 1つ間違えれば落下死確実の空中庭園の白亜の柵もたれかかり、クラインはパーティを映し込むように黒に近しい程に濃い赤ワインが注がれたグラスを掲げる。

 切り揃えられた芝生の絨毯。白いテーブルクロスに並ぶ料理。天使を模る石像たち。女神グヴィネヴィアを中心に据えた噴水。まさしく上流階級に相応しい空中庭園には、更に下々の者では手出しできないだろうコレクションアイテムが競売にかけられている。

 コレクションアイテムは、武器や防具、素材としての価値さえも無いアイテムだ。主な用途は文字通りのコレクション、あるいは売却によるコルの入手だ。大半が二束三文の販売価格になるNPCへの売却であるが、コレクションアイテムに限って異なり、高額のコルを入手できるチャンスになる。むしろ、コルを集中的に稼ぐならば、いかにしてコレクションアイテムをドロップし易いモンスターを効率的に倒すかにかかってもいるだろう。

 今回の競売の目玉は、クラウドアースがフロンティア・フィールドで入手したコレクション・アイテムだ。黄金の王冠、神々を描いた絵画、完全な球体としか言いようがない宝珠等々、攻略する上では全く価値のない、コレクションアイテムばかりだ。武器や防具もかけられているが、いずれも実用性はない、攻撃力も能力もない、ヴィジュアル性を優先したコレクション系に属するものばかりだ。これらはベース素材にしてデザインを流用することも出来る為に、全くの無価値とは言い難いが、やはりコレクションアイテムの域を出ないだろう。

 

「ボクが元気じゃないと、クーが目覚めた時に心配させちゃうもん」

 

「白馬鹿はまだ目覚めないのか」

 

「……うん」

 

「そうか。あの馬鹿……いつまで寝てやがるんだ」

 

 8月末、クゥリは何とか黄金林檎の工房にたどり着き、迎えたグリムロックに借金は幾らだと胸倉をつかんで問い質した後、保有するコル全てやアイテムを実体化すると後は好きにしろと言い残して、そのまま倒れるように眠ってしまった。

 なお、この際に黄金林檎の工房は金貨で埋まるという未曽有の災害に見舞われた。その後、借金を返した後にグリセルダが改めて集計したところ、総額で4000万超という個人が抱えるにしては頭がおかしいとしか言いようがない数字が並んだ。

 以後、黄金林檎は1度崩壊の危機を迎えている。ヨルコは高価な酒を買いまくり、グリムロックは欲しかった素材を集めまくったのだ。グリセルダはヨルコにはラリアット、グリムロックには痙攣して気絶するまでケツパイルを実施し、残額3000万まで減ったコルに、どうすれば目覚めたクゥリに言い訳できるのか思い悩んだ。

 ユウキの必死の説得で入水自殺の敢行を諦めたグリセルダは壊れたように笑い、グリムロックもヨルコもさすがに反省した。

 グリムロックはアイテム市場を分析して投資で稼ぎ、ヨルコはカジノに突撃して借金を作った。グリムロックが寝る間も惜しんで叩き出した利益は、そっくりそのままヨルコの借金返済に消えた。

 まさに黄金林檎は解散の危機。あわわわと険悪な雰囲気に言葉を失うユウキがどうする事も出来なかった時、彼らを繋ぎ止めたのはクゥリの寝顔だった。

 

『天使だわ』

 

『天使だね』

 

『天使よね』

 

 餓死しないように点滴に繋がれたクゥリの無垢な寝顔に、3人は団結の2文字を思い出し、1つの結論に至った。

 

 

 

 

 

 

 

 どうせコルを持ってても装備以外には使わないだろうし、各々で彼の為に何かに使っておいてあげよう。

 

 

 

 

 

 

 最低だ。3人が団結して出した結論に、ユウキは絶対零度の眼差しを向けた。だが、もはや3人は止まらなかった。

 団結のルールとして、クゥリが目覚めた時の為に1000万コルだけは残しておこうと決まった。残金はグリセルダが管理の下で運用されることになった。

 グリムロックはもちろん装備開発に費やした。密やかにソルディオス開発にも横流しした為に、グリセルダのケツパイルを受けた。

 ヨルコは≪薬品調合≫の為の専用設備の拡充と各種薬草などの栽培用施設の建設に資金を当て、クゥリが持っていた各薬学書を元に新たな薬の開発に勤しんだ。そして、仕事中の栄養剤と称して購入した酒代はもちろん経費で落とした。

 グリセルダは無断でクゥリの家のリフォームに乗り出した。結果、大改築によって、味気の無かったガレージのような室内は、人間が住むに足る文化度を大きく上回り過ぎたインテリアで埋まることになった。

 3人は使った。使いまくった。やれることは全てやった。グリムロックはどうしても欲しい素材が手に入らないと嘆き、ヨルコはまだお酒が飲みたいと叫びながら禁酒会に投獄された事を除けば、3人にはもはやコルの使い道が見つからなかった。

 

『使い切らずにクーに返せばいいんじゃないかな?』

 

 目覚めぬクーの傍らで、乾いた笑い声と共にユウキが告げれば、黄金林檎は我に返った。その後、禁酒会から戻ったヨルコも含めて、3人はまるで償うように、クゥリが目覚めるまでは清貧を心がけると誓い、あのヨルコさえも1日ビール1本で我慢している。

 

「ボス……お金って怖いね」

 

「年齢の割に実感籠もり過ぎて怖いぜ」

 

 ユウキは自覚こそないが、余程恐ろしい顔と目をしていたのか、3人が自分に土下座した姿を思い出し、お金は人間を狂わせるんだと人生において大切な教訓を学んだ。

 だが、余りにも多額のコルで狂ってしまったことを除けば、3人のそれぞれの使い道はいずれもクゥリを思っての投資だ。装備開発にはいずれにしても多額の経費が必要だ。薬の調合施設や栽培所も今後の彼の為になる。インテリアも、今までのクゥリの余りにも自分の生活への無頓着さを考えれば、少しでも人間らしい生活を送らせたいという気遣いだ。

 無論、ソルディオス開発に横流しや酒代に消えたことは帳消しに出来ないが、3人ともあくまでクゥリの為に投資しようという気概を持って行動したのだ。

 

「まっ、金が怖いのは確かだな。黄金林檎の金の動きがバレないように、ウチに工作をお願いしていなけりゃ、1日と待たずしてクゥリが大金持ってると大ギルドにバレてるぜ」

 

「本当にゴメン。ボクはもうチェーングレイヴの為に戦えないのに、こんなにも協力してもらって……」

 

「いいってことさ。オメェは俺達の大義に付き合わせる気はねぇが、オメェはまだウチの一員である事にも変わりはねぇんだ。それに手数料はしっかり貰ってあるしな。クゥリが持ってたというエロ本……ありゃ天文学的な価値だぜ!」

 

「……ねぇ、ボクの尊敬と謝罪の念を返してもらっていい?」

 

「嫌だね」

 

 意地悪だ。頬を膨らませるユウキの頭を笑いながら撫でたクラインは、同じく金に物を言わせてコレクションアイテムを買い漁る富豪たちを面白そうに観察する。

 

「しかしよぉ、2ヶ月も人前に出られないとなると、そろそろサインズ側は死亡認定して傭兵登録を抹消しようとしてるんじゃねぇか?」

 

「ボクはそれでも良いと思うよ。でも、やっぱりクーには戦う場所が必要なはずだから」

 

 戦えば戦う程にクゥリは傷つく。自らを追い詰めていく。ボロボロになっても止まらないだろう。だが、彼には戦場が必要なのだ。目覚めた時、自らの戦いの場が失われていた時、クゥリはどうなるかまるで分からない。

 皮肉な事にクゥリは戦場があるからこそ『自分』と呼べるものをギリギリで保てるのだ。

 だが、魂の帰るべき場所は戦場だとしても、心の帰るべき場所は違う。だからこそ、クゥリはあの日、あの場所に帰って来たはずなのだから。

 グリセルダも今日は朝からサインズに、もう少しだけ傭兵登録抹消の猶予をくれないかと交渉している。1度でも抹消されてしまえば、サインズの規定によって再登録は不可だ。いかなる理由であれ、傭兵から身を離れた者は元に戻れないのがルールなのだ。

 だからと言って、今のクゥリの状態が周知されたならば、それこそ彼は危機に陥る。クゥリに恨みを持つ者も多く、また大ギルドがクゥリの容態を把握すれば、それを弱みとして利用しないはずがないからだ。

 

「難儀な野郎に惚れたもんだなぁ」

 

「世界で1番素敵な男性に惚れたと自負しているよ」

 

「恋は盲目か?」

 

「ボクにとって恋であり、クーに捧げる愛でもあるよ。だから恋愛って言うんだ」

 

「…………」

 

「な、何か言ってよ?」

 

「いやぁ、あまりにもマジの返答過ぎてよぉ。さすがに照れくさいぜ」

 

 ボクはいつだって本気だよ! またも不貞腐れてそっぽを向いたユウキを、機嫌を直せとクラインは苦笑する。

 

「だがよ」

 

「どうしたの?」

 

「何でメイドなのにスカートの丈があんなにも長いんだ?」

 

「凄い話題転換だね。あと、ブリッツさんの前でそれを言ったら笑顔で淡々とメイド史を語られるから気を付けた方が良いよ」

 

 あ、これもボスなりの気遣いなのかもしれない。察したユウキは、今頃気づいたかとクラインのウインクに笑顔で応じる。

 

「ありがとう、ボス」

 

「お安い御用さ」

 

 オークションも順調に進んでいる。値札にひたすらに金額を上書きしていき、時間までに最高額を記載した者が落札だ。

 大ギルドは財力を示し、個人は見栄を張り合う。貧者はその日の食事すらも困るというのに、ここに集まる富豪はタダで酒も食事も楽しんでコレクションアイテムに高値を付けるのだ。

 それが間違いだとは思わない。彼らは成功するに足る努力をし、また幸運を掴み取る才能もあったのだ。だが、このホテルを見上げる貧民プレイヤー達は、華やかな光をどんな気持ちで見上げているのだろうかとユウキはぼんやりと思う。

 

「おっと、大物たちも競りを始めたぜ」

 

 空中庭園で演奏するクラウドアースお抱えの楽団の音色に紛れ、『見た目』は和気藹々と談笑するのは、聖剣騎士団のトップであるディアベルと参謀のラムダ、太陽の狩猟団の団長のサンライスと副団長のミュウ、クラウドアース評議会の議長であるベクターだ。

 3大ギルドのトップが集結する。やはりボスが来たのは単なる冷やかしではないとユウキは認識を改める。

 

「今回のオークションの本当の狙いは、ラストサンクチュアリ壊滅に向けた調整さ。オークションが終わったら、3大ギルドのお偉いさんは仲良く会議室で貧者の聖域への攻撃スケジュールの最終調整を取る。仕入れたばかりの情報だが、ラストサンクチュアリを嵌めるはずだったネタは不発だったみたいだしな。別方向で進めるんだろうよ。そこで俺の出番だ。あそこのトップの腐敗っぷりを収めたデータをベクターに渡す」

 

「そっちが本当のお仕事?」

 

「まぁな。黒馬鹿には悪いが、ラストサンクチュアリはもうどうしようもない。勝っても負けても滅びる。俺がデータを渡さずとも、別のネタでラストサンクチュアリを追い込む最後の仕上げの段階だ」

 

 もはや、ラストサンクチュアリに残された最善は、クラウドアースの攻撃を迎撃して勝利し、速やかにギルドを解体して降伏する以外にない。トップのキバオウもその方向に持っていくべく入念な根回しをしているが、最終的には腐敗したラストサンクチュアリの幹部は一掃する他にないだろう。

 

「しかし、傭兵たちも大変だな。お偉いさんの護衛とはよぉ」

 

 傭兵にとって大ギルドの護衛の仕事は華だ。人気と実力の証明であり、また経費をほとんどかけずに稼ぐことが出来るからだ。

 パーティともなれば武装解除は基本だ。武装が許可された傭兵の警護は必須である。

 聖剣騎士団は傭兵として日は浅いながらも戦果多数のマイクオン。太陽の狩猟団は肉食サバイバル系女子のジュピター。クラウドアースは竜虎コンビことレックスと虎丸。それぞれが雇っただろう傭兵は、さすがに完全武装というわけにもいかず、パーティに似つかわしい着飾った姿で各々の警護についている。

 他にも個々人が雇った傭兵も少なくない。彼らは完全武装とまではいかず、ある程度着飾って依頼主の箔を付ける形で直近で護衛につく。護衛料が高額になる高ランクの傭兵を引き連れている程に自らの財力の証明になるのだ。

 パーティ会場にはクラウドアースの有力者、リップスワンも来ている。彼女はマダムとも呼ばれ、彼女のコミュニティは膨大な情報と金が集まる。今回のオークション開催の立役者もベクターではなく、存外彼女なのかもしれないともユウキは思った。

 マダムはクゥリを贔屓していた数少ない人物だ。護衛にも選んで侍らしていたとユウキも聞いている。だが、その彼女を警護する者はなく、故にユウキはクゥリの不在を深く痛感する。

 

「護衛で思い出したが、オメェも注意しろ。最近、『肉体持ち』が次々と変死してる事件が起きてやがる」

 

「変死? もしかして新人類の過激派の犯行?」

 

「いいや、どうにもそうじゃねぇ。とにかく死に方が妙でな。単純にHPがゼロになったわけじゃねぇみたいなんだ。犠牲者は全員とも女で、遺体は全部治安の悪いスラム街などで発見されてやがる。大ギルドからも死人が出てる。クラウドアースも調査に乗り出すなら、ウチの伝手を使う為にオメェを選抜するだろうからな。犯人を釣る餌代わりにもなるだろうしよ」

 

『肉体持ち』の女性ばかりを狙った変死事件。肉体の有無の判別が進んでいるとは、教会がリストと照合しているからだろう。即ち、教会も事件解決に向けて動き始めているということだ。

 

「オメェなら大抵の輩に後れを取ることはないだろうが、身の回りの警戒を怠るなよ。最近はきな臭い事件が多過ぎる」

 

「忠告ありがとう」

 

「おう。おっと、俺も小腹が空いちまった。ちょっと摘まんでくるから頑張れよ」

 

 ひらひらと手を振って料理の並ぶテーブルに赴いたクラインの背中に深々と頭を下げたユウキは、静かにブリッツが睨んでいるのに気づき、サボっていたわけではないとアピールするように早歩きで来客を率先してもてなす。

 オークションも順調そのものだ。収益の1部は教会に寄付されるという事にもなっている。これもまた慈善活動なのだと胸を張って公言できるのだ。世に理屈と建前は常に必要なのである。

 

「可愛らしいメイドさん、葡萄酒をいただけますか? 赤でお願いします」

 

 と、そこでユウキに声をかけてきたのは、長い黒髪をした美女だ。11月の夜ともなれば肌寒い。白い毛皮のコートを纏った美女に、ユウキはメイドらしく一礼を取ると赤ワインを持ってくる。

 美女は艶やかな動作でワインを一口飲めば、美味しさを表現するようにほぅと息を漏らす。色っぽい仕草に、周囲の男たちの視線は釘付けだ。

 

「パーティというのは初経験ですが、華やかでいいものですね。それにオークションという制度も興味深いです。個々人の所有欲、独占欲、財力誇示、見栄……人間の感情がよく表れています」

 

「お客様も何かお目当てが?」

 

「ええ、お祝いの贈り物をしようかと」

 

 豊かな胸を寒そうに寄せ、美女が指差したのは1冊の本だ。

 

「ダンテの『神曲』」

 

 DBOの何処かにいるとされる【記憶作家】と呼ばれるプレイヤーは、名も残さずに、世の名作を1字1句違わずに記憶を頼りに市場へと送り出している。コピー不可であり、1度に出回るのはせいぜいが10冊前後ということもあってか、その値打ちは計り知れない。

 

「とても……とても大切な御方に贈りたいと思いまして。私も文学を嗜むのですが、彼は少々特殊で、別に好きで読んでるわけではないんです。あくまで好きなのは古典。多くの人が手を取り、想いを抱いた作品。人間性が染み付いた古典だからこそ、読めば楽しめるものもあると感じていらっしゃるのです」

 

 とても偏屈な殿方ですね、と危うく口から漏れかけ、メイドとして呑み込んだユウキは、とても近しい人物が身近にいるではないかと気づく。

 傭兵業の合間を見ては、クゥリは自室やワンモアタイムで古典小説や叙事詩を嗜んでいた。クゥリの自室には密やかに集めたこれら古典文学が収められている。

 だが、本が好きなのかと問われたらクゥリはいつも首を横に振っていた。あくまで古典文学を好んでいるのであって、別に文学そのものには興味が無いという、さすがのユウキも理解し難いものだった。

 だが、美女の説明でようやく納得する。クゥリは多くの人が手に取った作品だからこそ、多くの人が考察と感情を巡らした物語だからこそ、記された文字列に意味を見出し、楽しむことが出来たのだ。

 

(クーにとって数少ない趣味……だったのかな?)

 

 美女の想い人も大概かもしれないが、絶対にクゥリの方が偏屈な変人だ、とユウキは笑みを零す。

 

「……私の勝ち」

 

「え?」

 

 ぼそりと美女は呟き、小さなガッツポーズをする。だが、次の瞬間には優雅な笑みに切り替わっており、ユウキは訝しむ。

 

「ふふふ! ですが、やはりオークションともなると高値が付きますね。私は『こちら』で扱える資金はあまりないものでして。多くの制限をかけられているので、どうしても手持ちが少ないのです。無事に落札できればいいのですが」

 

 お小遣い制なのだろうか? これ程の美人だ。既に有力プレイヤーの夫人であってもおかしくないだろう。だが、美女のニュアンスにはどうにも引っ掛かるものを感じずにはいられないユウキは、ここで下手に問いを投げたらお客様への失礼に当たるかもしれないと堪える。

 まだ目覚めないクゥリの為にも、ユウキも許されるならばオークションに参加したいところだ。神曲についた値札を見たユウキは、余りの高額に言葉を失う。

 

(ひゃ、130万……コル? もう立派な財産だよ!)

 

 ユウキは手持ちを計算する。払えないこともないが、しばらくは節制を心がけねばならないだろう。新装備の開発に思いの外の投資が不可欠だったのだ。お財布に余裕があるとは言えないのだ。メイド業やクラウドアースとして戦いに参加して得た稼ぎを含めても、130万コルは決して容易く出せる金額ではない。

 このままいけば、この美女が神曲の落札者になるだろう。そもそもとして、客人ではなくメイドであるユウキがオークションに参加して横取りなどあってはならない。

 

「お、オークションを、おおおお、お楽しみく、くだ、くだだだだ」

 

「ええ、もちろん」

 

 何故だろうか? この美女は、敵意とも戦意とも違う、別の何かのオーラをユウキに向けているような気がする。

 これでもかと主張する満面の笑みで去る美女を見送れば、皿にローストビーフを山盛りしてきたクラインがユウキの頭に肘を置く。

 

「スゲェ美人だな。オメェの知り合いか? どれどれ、名前は……アルシュナさんか」

 

 神曲の値札に書き加えられた価格には彼女のサインも入っている。ユウキは値札に触れ、彼女の想いを計り、その上で我慢を止める。

 

「ボス、お願いがあるんだ。後でお金払うから、この本を――」

 

  

 

『紳士淑女の皆様、今宵も熱き血潮が溢れる戦いの夜がやって来ました!』

 

 

 

 だが、ユウキの声を掻き消したのは、いつの間にか運び込まれた横幅十数メートルもある巨大画面だ。そこにはスポットライトを浴びて昼間のように明るいコロシアムが映し出されている。

 

『クラウドアースが主催し、今やDBOでも1、2を争うコロシアムイベント「モンスターズ・アリーナ」! 長らく人気1位の牙城を崩されることはありませんでしたが、サインズが始めたランクマッチにやや押され気味なのはご愛敬!』

 

 コロシアムの中央で進行を務めているのは、司会業のバルサザールだ。週刊サインズのカメラマンであるブギーマンの盟友としても知られ、あの有名なバトル・オブ・アリーナでもメイン進行役を務めたDBOのトップ司会者だ。

 自分を雇ったクラウドアースの事業がトップから転落するかもしれない、という危ういネタでありながら場に笑いをもたらすのは、さすがはトップ司会者の腕前なのだろう。ユウキも思わず笑い声をあげようになり、ブリッツの睨みを感じて唇を噛む。無論、サインズの興行がトップに躍り出ようともコロシアムの使用料が入るのでクラウドアースとしては痛くも痒くもないのだが、何事にも沽券というものがある。

 プレイヤーは≪調教≫スキルで捕獲して飼いならせば、モンスターを家畜や騎獣などにすることができる。もちろん、全てのモンスターが捕獲できるわけではなく、特に人型モンスターやネームド・ボスは不可だ。

 準ユニークスキルである≪テイマー≫がモンスターとの友好を結んで仲間として連れ歩けるならば、≪調教≫はモンスターを捕獲後に飼いならし、戦力として扱うことができる。ただし、≪テイマー≫スキルでパートナーにしたモンスターとは異なり、フィールド・ダンジョンなどに同行させられるモンスターは限られている。

 だが、≪調教≫スキルには≪テイマー≫にはない大きな利点がある。それは能動的にモンスターを捕獲し、収集することができる点だ。そして、鹵獲したモンスター同士を戦わせることもできる。これこそMvMであり、大々的に興行して成功したのがクラウドアース主催のモンスターズ・アリーナである。

 自分が鹵獲・育成・交配させたモンスターを戦わせる。これは他では味わえない興奮だ。飼育設備投資や維持コストも含めれば、相応の資金力が必須となる娯楽であるが、クラウドアースは飼育小屋のレンタル事業も行っており、小型モンスターならばそれなりの資金を有するギルドや個人ならば十分に可能だ。

 クラウドアースの主催とはいえ、大ギルドや有力ギルドはこぞってモンスターズ・アリーナに自慢の調教モンスターを送り込んでいる。これもまた名声に繋がるからだ。今やモンスターズ・アリーナの優勝を目指す『調教師』は人気職だ。

 ちなみに犯罪ギルドの場合、借金で首が回らなくなったプレイヤーを、クラウドアースのような立派なコロシアムではなく、有刺の檻に閉じ込めて調教モンスターと戦わせるデスマッチを開催している。自分は安全な場所にいるからこその流血の醍醐味というものは、いつの時代でも後ろ暗い魅力を秘めているのだ。アップデート以降は残虐性が増して集客率が減るのではないかと心配されたが、モンスターズ・アリーナと同様に盛況なのは、人間の影をよく示しているだろう。

 

『本日も満員御礼! フロンティア・フィールドの開拓によって、モンスターズ・アリーナにもいよいよ「オーバー100」クラスが解禁となりました! さーて、最初から全力オーバーヒート! まずは東門から入場するのは、フロンティア・フィールド出身……【ベリアル=ライガー】!』

 

 コロシアムの東門から障害物の無い平面のバトルフィールドに入ってくるのは、体長は8メートル前後の、檻が狭く思える程の獅子に似た巨獣だ。全身の皮膚は竜のように赤い鱗に覆われている。鬣は炎であり、途絶えることなく揺らぎ、火の粉を散らしていた。黄金の2対の眼に瞳と呼べるものはなく、まるで太陽のように爛々とした輝きに浸されている。尾は異様に長く2本あり、それぞれの先端がモーニングスターのように鋭利に尖った毛で覆われていた。

 何よりも注目すべきは四肢だ。前肢はハッキリと分かれた5指であり、後肢の発達具合からして、いざとなれば2足歩行が可能だろう。即ち、高速の4足歩行と白兵戦に優れた2足歩行を自由にシフトできるモンスターだ。

 だが、ネームドではない。見ただけで強大と分かるほどのモンスターであるが、ネームドではないのだ。フロンティア・フィールドの異常な難易度はユウキも耳にしているが、まだ現地に足を運んだことはない。こんなモンスターが無数と跋扈しているとはさすがに信じたくないが、これ程に強大なモンスターとは別にネームドもまた徘徊していると聞けば、レベル100以上水準とされるフロンティア・フィールドはまさに『上級者向け』エリアと呼ぶに値するだろう。

 

『ベリアル=ライガーの「ベルベルちゃん」を調教したのは、マダム・リップスワンがパトロンを務めます調教師【ニンニク・ジャイアン】! 彼自身もまた優秀なMオペレーターだ!「自分で育てたモンスターは、自分で指示を出して勝つ。それが調教師ってものでしょう?」と強気な発言をしてベルベルちゃんを送り出した!』

 

 調教モンスターに命令を出し、戦術・戦略を提示するプレイヤーをモンスターズ・アリーナではモンスター・オペレーターの略称でMオペレーターと呼称している。調教師と並ぶ人気職である。

 

「ベルベルちゃーん! ニンニクくーん! 頑張ってねー!」

 

 空中庭園のオークションに参加していたマダムに拍手が集まる。これもまたクラウドアースお得意の、財力の高さを示す政治戦略なのだろうとユウキは辟易しながらも、メイドとして態度では惜しみない拍手を送る。

 

『対する西! 聖剣騎士団からの刺客!【青鋼砂大蠍】の「シザーズ・デビル」! モンスターズ・アリーナで2回の総合優勝を果たし、レベル100級に成長したと判定されてからは長らく試合をご無沙汰にしていた、過去12体ものモンスターを撃破して多くの調教師を泣かせた悪魔の蠍! 今回もレフリーが入る前にトドメを刺す残虐ファイトを見せてくれるのかぁあああ!? Mオペレーターはお馴染みの【ワトシー】嬢!』

 

 西ゲートが入ってきたのは、ベリアル=ライガーに負けず劣らずの体格をした巨大蠍だ。尾の先端が錨のような形状になっており、鋏は極めて巨大。背中には大きな棘が並んでおり、全身はまるで鎧のように光沢を帯びている。

 青鋼砂大蠍は地中に潜り、プレイヤーが接近するのを待つトラップ系モンスターだ。先制攻撃の鋏によって、これまで多くのプレイヤーが犠牲になってきた。弱点は水属性であり、明らかに炎属性だろうベリアル=ライガーでは弱点を狙えない。逆に物理属性攻撃とレベル2の毒を持つ青鋼砂大蠍は、相性関係なく攻撃が可能だろう。

 

「おー、客も入ってるな。こりゃ、今日ばかりは『地下』は閑古鳥が鳴いてそうだな。で? オメェはどっちが勝つと思う?」

 

「知らないよ。どっちが勝っても関係ないし」

 

 呑気に試合観戦モードに入ったクラインの隣で、ユウキは興味が無いと嘆息する。コロシアムを見下ろすことができる空中庭園で、わざわざ巨大モニターで観戦する。これこそが贅沢だと言わんばかりのパーティである。

 

『さーて、記念すべきオーバー100の初試合! 観客の皆様はどのような試合を期待をしているのか!? マユユーン!』

 

『はーい☆ VR界に流星の如く降り立った、なんちゃって和風系アイドルことマユユンでーす☆ 早速インタビューしちゃいまーす! では、そちらの可愛らしいカップルさん!』

 

 モニターは切り替わり、和服姿で歌って踊れるアイドルことマユがマイクを向けるのは、凶悪な胸部装甲を備えた黒髪短髪の童顔美少女であり、もう1人は今まさに男性として逞しく成長する途中と言わんばかりの幼さが抜けつつある顔をした少年だ。

 

『え? 僕たち!? もしかしてカップルに見えま――』

 

『違いますよー。あたし達は友達で仲間です』

 

『これはウッカリ☆ マユユンったら間違えちゃった♪』

 

 バッサリと一刀両断される少年はレコンであり、慈悲も涙も無いのはリーファだ。2人してリラックスモード全開でモシャモシャとポップコーンを食べる姿は、まさにオフに撮影された1枚とも言うべき光景である。

 アルヴヘイムとは異なる外見であるが、こちらがリーファの本当の姿だ。レコンは変わりないが、髪は短く刈り上げてイメージチェンジしただけではなく、肩幅も少し広くなり、身長も伸びている。強い眼差しはアルヴヘイムの頼りなかった印象を払拭しており、それが体に反映されたかのように、彼もまた成長を遂げたのだとよく分かる。

 

『モンスターズ・アリーナ初のオーバー100! お客さんとして何処に注目されますか?』

 

『そうですね。あたしはあまり詳しく――』

 

『やはりベリアル=ライガーのステータスと能力でしょうね。レベル100級に成長した調教モンスターと最初からレベル100級の捕獲されたばかりのモンスター。ステータスの総合力はシザーズ・デビルの方が上ですけど、戦闘能力自体はベルベルちゃんに軍配が上がるはず。特に能力面での強化は成長モンスターではあまり期待できませんからね。毒状態にするにはベルベルちゃんの耐性が高過ぎます。まず真っ向勝負ではベルベルちゃんの勝ちは揺らぎません。これを覆すには、戦術・戦略指示を出すMオペレーターの――』

 

『はーい☆ マニアさんのありがたーいご高説はこれくらいにして、画面は実況席のGOGO☆』

 

 レコン、哀れなり。画面は再びバルサザールに映す。マユのインタビュー中に実況席へとコロシアムの中央から移動したのだろう、司会者根性を見せたバルサザールは、タキシードの皺を正しながら秋の寒気を感じる夜に相応しくない汗だらけの額を拭う。

 

『さーて、試合まであと20分を切りました! 調教師による最後のコンディションチェックが行われています。オーバー100も他の階級と同様に、モンスターのHPが3割を切ったらレフリーストップが入ります! もちろん、大ダメージや毒のスリップでHPがゼロになった場合、ショッキングな光景をお届けすることになりますので、ご観戦の皆様は覚悟をお願いします! それでは、本日のゲストを紹介しましょう! まずは聖剣騎士団の円卓の騎士、真改さん! 今回の戦い、聖剣騎士団がパトロンを務めるシザーズ・デビルの勝利を疑わない気持ちは分かりますが、勝敗を分けるのは何だと思いますか!?』

 

 突如としてマイクを向けられた、侍を思わす和装の男は、30秒ほどのたっぷりの沈黙の後に、スローモーションの如く口を開いた。

 

『不屈』

 

『えー……不屈の闘志! そういうことですね!? なるほど! モンスターと調教師とMオペレーター! 全員が不屈の闘志を燃やして勝利を手繰り寄せる! 熱いコメントありがとうございました! 続きまして、モンスターズ・アリーナを主催しますクラウドアースよりサインズ傭兵ランク4のライドウさんが……え? 来ない? 仕事放棄!? キャバクラで泥酔!? あの傭兵何やってんの!? 代理!? 代理が来る!?』

 

 空のゲスト席の前で頭を抱えるバルサザールだが、それ以上にパーティ会場で嗤いが渦巻く。謹慎解除と共に懲罰でランクダウンされたライドウに、イメージアップのチャンスを与えただろうクラウドアースは、見事に砂をかけられた展開だ。だが、この程度で怒りは示さないとベクターは苦笑で応じている。

 

『失礼致します。ランク4のライドウの代理で参りました』

 

『お待ちしておりましたぁ! さぁさぁ、こちらへ! 本当にすみません!』

 

『こちらこそ、同じ傭兵として、ご迷惑をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます』

 

『もう! そんなご丁寧にどうも! えー、こちらはランク4のライドウさんの代理という無茶ぶりの仕事を受けてくださいました、ランク42の――』

 

 途端にバルサザールは硬直する。

 あれ程の熱狂が渦巻いていたコロシアムも静まり返る。

 パーティ会場ではベクターが目を見開き、ディアベルが眉間に皺を寄せ、ミュウが眼鏡を光らせる。

 

「お、おおおお、おい、馬鹿娘? オメェ……何て言ったっけ?」

 

 動揺を隠せないクラインは、事実確認をしようと声をかけるが、ユウキより発せられた表現し難いオーラによって閉口する。

 今まさにモニターに映し出されているのは、カメラの向こうの皆様にサービスするように、だが慣れておらずにぎこちなさが目立つはにかんだ笑みで手を振る……それが逆に愛くるしさをこれでもかと助長する傭兵がいた。

 より白に近しい灰色のコート。その地味とも思える灰白色は傭兵としての質実の追求を示すようだ。だが、襟元や袖を縁取るような暗銀色の刺繍や黒真珠を思わす釦、剣帯やガンベルトの機能もあるだろう腰のベルトの金細工、胸元の小さなブローチなど、豪華絢爛とは言い難く、華美という表現も相応しくないが、洗練された気品を戦場に添えるかのような美麗さを醸し出している。

 ただでさせ見る者の心を揺るがす美貌は、片耳カフスによる、意図したアシンメトリーによって際立つ。1本の三つ編みで結われた長い白髪の先端には小さな黒のリボンであり、その姿は元より中性美の結晶の様だった容姿には何よりも相応しい。

 左目を覆うのは黒地にカラスと林檎のエンブレムを縫い込まれた眼帯。右目に鎮座するのは、赤が滲んだ黒という見る者を惑わす不可思議な瞳。その微笑みは優雅にして蠱惑であり、薄桃色の唇は見ただけで柔らかさを体感できるようだ。

 

 

 

 

『こんばんは、DBOの皆さん。今日は良い夜ですね。ゲストで参りました、サインズ傭兵ランク42のクゥリです』

 

 

 

 

 モニターのクゥリの笑顔は突如として消え、代わりに『しばらくお待ちください』の文字が並び、空中庭園は阿鼻叫喚に包まれる。

 

「どういう事だ!?」

 

「【渡り鳥】が生きていた!? 聞いてないぞ!」

 

「ベクターさん、アンタ知ってて黙ってたのか!?」

 

「事実確認急げ! 依頼を出したのは誰だ!?」

 

 怒声と悲鳴が飛び交い、もはや観戦どころではないとパーティ参加者は動き出す。

 傭兵業界において最狂のカード。使い方次第では敵に壊滅的打撃を、味方にも大損害をもたらすと危険視されるジョーカー。人知れず死んだと思われていた傭兵が、誰の情報網にも引っ掛からずに復帰したのだ。激震が走るのも仕方がない。

 だが、ユウキが黙っているのは別の理由があった。

 

(グリセルダさんは朝からサインズ。工房にはグリムロックさんとヨルコさん。そうなると、またグリムロックさんに諮られた? ううん、違うよね。サインズの仕事受けてきたんだよね。どう見てもそうだよね!? つまり、全員グルだったんだよね!?)

 

 ユウキは夜明け前に黄金林檎の工房を発った。その時はまだクゥリは眠ったままだった。その後、グリセルダが休業延長の申請を通すべくサインズに向かったとグリムロックから連絡を受けた。問題は、あの時点で既にクゥリが目覚めていたかどうかだ。

 まず間違いなく、グリセルダがサインズに赴いたのは、休業延長などではなく復帰の手続きの為だろう。そして、彼女は当然ながら劇的な復活の演出を目論んだはずだ。

 あの防具にしても、ほぼボロ布状態になったナグナの狩装束をベースにして、グリムロックがクゥリの目覚めを待ちながら仕立てたものだ。

 即ち、クゥリの目覚めを知らされていなかったのはユウキだけだ。常に酒を飲んで薬作りに興じているヨルコもまた知らぬ道理はない。間違いなく、ユウキだけが教えられていなかったのだ。

 涙目になり、絶対に泣くものかと堪え、だが耐え切れずに唇を噛むユウキに、クラインはあらゆる諦めを含んだ溜め息を浴びせる。

 

「……オメェも大変だな」

 

「き、きっと……きっと何か深い事情が……あ、ああああ、あるんだよ! ほ、ほら! ボクって結局は……結局は……ぶ、ぶぶぶぶ、部外者、だし?」

 

「自分で言っちまって、つらくねぇか?」

 

「つらいです」

 

 その後、ユウキも含めたパーティの面々は、大画面に移されるレベル100オーバークラスのモンスター同士の大激突よりも、穏やかな微笑を途切れさせることなく真面目に実況解説をするクゥリにばかり注目を向けた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 軽く300件を超えてるか。メールボックスに未読300以上という恐ろしい数字が記され、それが2ヶ月という時間の経過を感じさせる。

 コロッセオ名物のモチモチ饅頭を紙袋いっぱいに購入し、ひたすらに口に運びながら、メールを1つ1つ開封する。餅のように伸び~る生地と食感が売りの、テツヤンがコロッセオ向けで開発した新商品らしいが、これはこれで面白い商品だ。ここまで伸び~るなんて現実世界では不可能だからな。これも仮想世界ならではの料理の探究の結果というものか。

 目覚めたら2ヶ月も経過していたのは十分に驚きだが、DBOも随分と激変したようだ。大ギルドと教会は死者の復活とか人口増加とかカミングアウトしているし、完全攻略は仮想世界への『永住』に傾きつつあるし、真っ当なアルヴヘイムの利権争いもあったみたいだし、王の器とか完全攻略必須アイテムも登場したようだし、アノールロンド攻略で大損害を被った聖剣騎士団はよく分からん西洋甲冑風パワードスーツなんか開発してるし、スミスは四騎士の長である【竜狩り】オーンスタインをよく分からん新装備でソロ撃破して『アイツ』やユージーンに並んで最強傭兵候補になってるし、想起の神殿が行けるステージや目ぼしいダンジョンは新しく見つからない停滞状態みたいだし、そうかと思えばフロンティア・フィールドとか後継者の悪意しか感じないおあつらえ向きのGvGに適したステージは解放されているし、なんか上位プレイヤーの基準はレベル100になってるみたいだし、本当に何が何やらといった状況だ。

 時間とは惨酷なものだ。たった2ヶ月でこれ程までにオレを置いてきぼりにしてしまった。諸行無常だ。終わりつつある街の風景すらも大きく変わってしまったではないか。人口30万人突破とかふざけてんのか? 当初のプレイヤーの公式発表人数は約1万人だぞ? デスゲームなのに『気づけばプレイヤー数が30倍に増えてました♪』とかデスゲーム業界に謝りやがれ。

 黄金林檎の工房も、灼けた記憶と比べても明らかに違うくらいに立派になっているし、しかも各増築予算元はオレがアルヴヘイム&吹き溜まりで稼いだコルだ。あれだけダンジョン攻略してネームドを倒しまくったのだ。特に吹き溜まり……ミディールはとんでもない額だったようだ。

 だが、オレとしても装備開発への投資は不可欠だったし、工房の拡張も結果的にはオレに利益が出るものばかりだ。3人並んで土下座された時はどう反応すべきか困ったが、特に問題は無い。

 お詫びとばかりにグリムロックにケツパイルを決めるグリセルダさん……らしき女性には、絶対に逆らわないでおこう。それよりも、いきなりグリムロックにケツパイルを決めるような奥様とオレはどのように接していたのだろうか? ボロを出さないように注意しないとな。今は目覚めたばかりなので怪しまれることは無いかもしれないが、このまま時間が経過してミスを重ねれば勘付かれるかもしれない。

 ヨルコに関しても灼けて思い出せなかったが、とりあえず飲んだくれの駄目なおねーさんという認識で大丈夫だろう。あの様子だと酔っていない時間は無さそうだしな。

 グリムロックについても幾らか灼けているが、少なくとも今のところは問題ないな。だが、思い出話にはなるべく気を配らねばならないだろう。ああ見えて、周りをちゃんと見てる……見てるのかなぁ? 幾らか疑念は残るが、それなりに鋭い男だ。

 ユウキも要注意だな。今のところ灼けたと判明しているのは、ユウキとの出会いくらいか。この辺りは黄金林檎の面々にそれとなく情報収集して穴埋めをすればいいだろう。だが、とにかく記憶が灼けている事にはなるべく勘付かれないようにしないといけないだろう。

 他にも灼けた記憶は多い。そもそも灼けたことさえも自覚症状が無いので、いかなる記憶が灰となってしまったのかさえ分からない。とにかく街を散策して記憶の灼けた穴を探すのも重要になりそうだな。特に対人関係は面倒臭い。

 それにしても怒涛のメールの更新だな。各所からメールが殺到だ。未開封メールを開いても開いても数が減らない。むしろ増えていく。2ヶ月も音信不通ならば死んだと勘違いされてもおかしくない。何か知らない内に死者の碑石も撤廃されているし、尚更だな!

 

「ユウキか。まぁ、そうだよな」

 

 そして、ユウキからの10連メールが届き、彼女には悪いことをしたと溜め息を吐く。

 確かにオレも悪かった。目覚めて1発目の発言が『装備と仕事をくれ』だからな。ちなみに先のモンスターズ・アリーナの代理ゲストの依頼主はヘカテさんだ。彼女はどうやらオレを担当するサインズ受付嬢らしい。オレの生存報告を涙を流して喜んでくれたところを見るに、それなりに親しかったのかもしれないな。

 まぁ、それでだ。ユウキは朝からクラウドアース主催のオークションパーティ関係で大忙しだったらしい。そんな時にオレの目覚めを告知すれば、態度で隠しきれずに周囲にオレの復帰が認知されてしまう、とグリセルダさんは考えたようだ。限りなくセンセーショナルにオレを傭兵復帰させたいらしい彼女は、まさに鬼セルダさんとしか表現しようのない笑顔で、ユウキに通達しないことを決定した。グリムロックもヨルコも異を唱えなかった。この時点で黄金林檎のヒエラルキーにおいて、鬼セルダさんが頂点に立つのは明らかになった。うん、グリセルダさんとの接し方の糸口が1つ分かったぞぉ!

 しかし、ユウキもオレが目覚めれば動揺してくれるのかもしれないが、どうしてそれがオレの復活の前兆と直結するのだろうか? この辺りはオレの灼けた記憶に関係するのかもしれないな。ユウキ関係でも灼けた記憶は少なからずあるし。やっぱり何が灼けたのかを自覚できないのは手痛いな。

 とはいえ、グリセルダさんもユウキが帰宅したら事情を説明する予定だった。あくまでユウキを人目のある場所で動揺させない為の隠匿だった。だが、運悪く、グリセルダさんはサインズ本部にて、ヘカテからの緊急ヘルプ依頼を勝ち取ってしまった。酔い潰れたライドウに代わってコロシアムに急行したオレは、まさかのDBO全体生放送にて事実上の復帰告知をしてしまったのである。

 ……というか、生放送って何!? プレイヤーが番組を作って放送できる!? ラジオも盛況!? 何それ、ヤバい! しかも世はマスコミ戦国時代! 記者の数も倍増しているし! 隔週サインズは週刊になってるし! 中継で映されたレコンBOYはなんか身長170センチオーバーしちゃったっぽいし!? よし、レコンくんをKO・RO・SU☆

 リーファちゃんもなぁ……色々と灼けてはいるが、何とかなるだろう。『アイツ』の妹で、色々……あったのかなぁ? 何故か彼女を思い出そうとすると『ヤンデレ』の4文字が脳裏を過ぎる。どうしてだろうか? まぁ、『アイツ』もヤンヤンホイホイだし、リーファちゃんもヤンヤンホイホイなのだろう。それはそうと、レコンくんはKO・RO・SU♪

 他には『アイツ』もユージーンもシノンも大忙しのようだ。ディアベルも頑張ってるようだな。ラジードもアノールロンドで大活躍して以降は太陽の狩猟団でも大正義エースとして扱われているようだ。この2ヶ月でかなりの戦果を挙げたらしい。教会も教会で色々と動いているようだが、この辺りはエドガーと接触して探るとするか。

 本当にやることが多過ぎる。だが、これも生きているからこそ、か。だが、大して感慨も無い。ザクロ達に殴られそうだが、これがオレなのだから仕方ないのだ。

 

「まさか生きていたとはな」

 

 さて、お出ましか。オレがメールチェックしながらモチモチ饅頭を食べていたのは、終わりつつある街でもスラムに近しい治安の悪いエリアだ。あれだけ派手にやらかして、堂々と正門から退出したのだ。これでもかと尾行しろと誘ったのだ。来てもらわねば困る。

 2ヶ月経とうともオレが各所で恨みを買っているのは間違いない。そして、2ヶ月も音信不通だったオレを『試す』為に、この手の類を大ギルドは準備している。いつでもオレに差し向けられる刺客だ。問題はいずれの大ギルドの手の者か、だな。

 この『試験』に関してはグリセルダさんも渋々ながらも了承済みだ。2ヶ月も経てば、普通ならばレベル的にも武装的にも大きく劣ってしまっている。それを普通の依頼ではなく、このような形で調査しようとする大ギルドの目論見には、ある種の安心感すらも覚える。

 数は10人程か。いずれも武装している。2ヶ月も眠っていたせいで基準は分からないが、装備はかなり整っているな。

 

「何か……むぐむぐ……不都合……もきゅもきゅ……でも?」

 

「食べながら話すな!」

 

 それは無理な相談だ。なにせ、こちらは2ヶ月間も点滴生活だったのだ。とにかく腹が減っている。

 そう……とても『空腹』だ。こんな状態でユウキと会えば、どうなるか分かったものではない。それもまた、オレがグリセルダさんの秘匿指示を呑んだ理由の1つだ。

 

「忘れたとは言わさない。俺達のギルドを――」

 

「御託は結構です。ご希望は復讐ですか?」

 

 リーダー格らしき男は、痩せた頬を震わせ、眉間に皺を寄せている。装備はなかなかに重圧を感じる大斧か。鎧も分厚そうだな。場所はやや広めの裏通り。ゴミが散乱し、人気もなく、高い建物に挟まれている。下水道の汚水が流れ落ちる水音だけが微かに耳を舐める。

 ふむ、聖剣騎士団製のGAとやらの相手をしたかったのだが、この『試験』が3大ギルドの合議によって実施されているならば、何処かに監視者を忍ばせているだろうな。録画されているだろう。

 

「ちょっと……待って……むきゅむきゅ……待ってください。これ……呑み込むのが……なかなかに……大変で……」

 

 だが、このモチモチ饅頭が非常に問題だ。本当に伸び~る伸び~るなのだ。モチモチし過ぎて呑み込めない。

 

「明日に……しませんか? むぐむぐ……今日と同じ時間……ここを通りますから」

 

「馬鹿にしてるのか!?」

 

「大真面目ですが?」

 

 別に挑発する意図は無いのだがな。だって、どうせ大ギルドからの刺客だろうし。本人たちは飼われてる自覚はないのかもしれないがな。

 

「我々はお前に復讐する為に牙を研いできた。全ては仲間の無念を晴らす為だ!」

 

「…………」

 

「仲間たちの墓前で貴様の死を報告してこそ、我々は未来を生きることができるのだ!」

 

「…………」

 

 ようやく呑み込むことが出来た。食感は悪くないし、これがコロシアムで人気になるのも頷ける。さすがはテツヤンのプロデュースだな。

 

「そうでしたか。まだ少々頭が寝惚けていたようですね。どうやら、アナタたちの誇り高き復讐の信念を侮辱してしまったようですね」

 

 ああ、オレが間違っていた。目覚めたばかりで、少しばかり体調がいいからと呆けてしまっていたようだ。『人』としてオレに復讐を成さんとした彼らに対して、オレは余りにも非礼な真似をしてしまった。

 大ギルドの策謀など関係ない。彼らにとってオレへの復讐は未来を求める尊き歩みなのだ。

 これは『痛み』? よくわからない。だけど、彼らの復讐の志をとても……とても……輝いて感じた。

 紙袋をその場に置き、復讐者を見回す。彼らは一様に怒りと憎しみで猛っている。

 

「無礼をお詫びします」

 

 胸に手をやって詫びを口にすれば、何人かが困惑し、また頬を赤らめている。どういうわけだろうか。

 

「未来を求める心。意思を宿して意志を成し、それは死しても継がれる遺志となる。復讐者にとって未来とは、過去との決着でこそ得られるものならば、アナタ達の『人の意思』に敬意を払います」

 

 だからこそ、オレは彼らに伝えねばならない。『痛み』も薄らいできた。代わりにあるのは……飢餓感だ。だが、呑まれずに狩人として狩らせてもらう。

 

「さぁ、殺し合いましょう?」

 

「お望みどおりに殺してやる!」

 

 全方位からの一斉攻撃。それに左右の建物に≪気配遮断≫で隠密ボーナスを高めて潜んでいた射手たちによる同時攻撃か。なるほど。素晴らしい包囲攻撃だ。

 だが、ランスロットの黒剣包囲攻撃に比べれば、あまりにも穴だらけ過ぎる。

 ステップと同時に急加速。高まる隠密ボーナスと共に生じるのは、灰銀色の霧のようなエフェクトだ。吹き溜まりを経て、≪幻燐≫で得られるEXソードスキルは新たに増えた。それがミラージュ・ランに類似した≪歩法≫の【ミラージュ・アクセル】だ。ミラージュ・ランの瞬間的な推力と隠密ボーナスをより尖らせた性能になっており、実に1歩分だけであるが、大推力と隠密ボーナスを得られる。

 本来は近接戦において、1歩の間合いを高速で詰め、なおかつ隠密ボーナスの増加で相手のフォーカスロックを外して動揺を誘って斬りかかることを想定したソードスキルなのだろう。だが、同じ1歩でもオレの場合は少々事情が異なる。

 オレが戦闘で使うステップも基本は『1歩』だ。ミラージュ・アクセルと組み合わせたステップ……加速ステップはやはり武器になる。ちなみに、ミラージュ・ランと同様に動いた軌跡をなぞって土煙のようなエフェクトが生じる。これがより薄暗い灰銀色になっているのが特徴だ。

 目で追えた者は……無しか。ふむ、少々加速が過ぎるな。ステップと組み合わせて発動させるには時間もかかるし、ステップの動作に組み込まないといけないからVR適性の低いオレは集中力も結構割かないといけない。燃費はミラージュ・ランに比べればマシとはいえ、しっかり魔力も消費するし、常用は避けるべきか。

 

「【渡り鳥】のEXソードスキルか!?」

 

「落ち着け! 数はこちらが勝る!」

 

 ふむ、暗がりとはいえ、この人数がいて、距離を取ったオレを再度捉えるまでに3秒か。時間がかかり過ぎだ。ランスロットなら……いや、ヤツと比べても仕方ないな。

 次々と屋根上から矢と弾丸が降り注ぐ。銃撃はスナイパーライフルか。狙いが杜撰だ。左右に揺れて躱しながら、接近する槍持ち3人を見つめる。大盾と長槍、幾ら広いとはいえ、10人以上が自由に動ける戦場ではない。狭い路地ならチョイスは悪くないが、より機動力を重視した装備の方が立ち回りやすい。

 日蝕の魔剣はまだ整備中だ。どうやらグリムロックには考えがあるらしく、まだ素材収集中らしいな。あれを更に改造するとか、HENTAIは何を考えているのか、常人の頭ではとてもではないが思いつかないし、知りたくもない。どんな装備だろうと作ってくれるならば、壊れるまで酷使するだけだ。

 現状の装備は2つ。だが、何処かで戦闘を見ている大ギルドの連中には、日蝕の魔剣も含めて、全てを明かすつもりはない。

 腰にあるのはカタナ。艶やかな漆黒の鞘に収まった刀身を思い浮かべ、屋根からの攻撃が届かない死角にて、オレは居合の構えを取る。

 

「来るぞ! 水銀の居合だ!」

 

 3人の盾が輝く。≪盾≫のソードスキル【ジェイル・ブロック】だ。DEX補正を極端に下げるが、発動すれば盾のガード性能を大幅に引き上げる、言うなればガードスキルだ。大盾ならば、より効果は増すだろう。

 いずれも分厚く、粗悪品ではない大盾だ。聖剣騎士団製の正規品だな。使い手はともかく、装備の性能は悪くない。オレへの対策もしっかりとしているようだな。

 

 

 

 

 

 

 

「啜れ、【贄姫・虚ノ朧】」

 

 

 

 

 

 

 

 抜刀。彼らの想定通り、フルチャージの間合い外からの居合の斬撃。かつての水銀居合ならば、高い衝撃とスタン耐性を備えた高火力斬撃が広範囲に斬線を描いただろう。

 だが、今回の居合は水銀ではない。『血刃』だ。毒々しいまでに緋色を秘めた血の刃である。それは大盾を貫通し、使用者と背後で守られていた者たちも等しく刻む。

 

「な、なに……!?」

 

「ガードが効かない!?」

 

 困惑しながらHPを減らす彼らに、敵と仲間の血を啜り、炉を経て新たに打ち直された贄姫の刃を示す。

 贄姫の刀身には、その左右にまるで木の根、あるいは血管のような溝が彫り込まれている。そこを浸すのは、血刃居合を成した緋血だ。これこそが贄姫の新たな能力の一端である。

 ランスロットとの戦いで折れ、なおかつ水銀攻撃が出来なくなるまでに酷使されたかつての贄姫は、とてもではないが、攻撃が出来る程の水銀発生能力は取り戻せなかった。さすがのグリムロックでも、あそこまで破壊されてしまってはどうしようもなかったのだ。

 ならばどうするか? グリムロックは頭を抱えたらしい。他のソウルを使って疑似的に復活させるのも『面白くない』と感じたようだ。そこで、グリムロックは同じHENTAIの思想を借りることにしたらしい。ヘンリクセンのトータルコーディネートだ。

 

『元より贄姫に全ての機能を詰める必要はない! セットでの運用! それぞれの武装が連携し合って高める! これこそが私のトータルコーディネート!』

 

 なお、この持論を本人の前で並べた瞬間に『お前は妹と同レベルか!?』と、まるでトータルコーディネートの本質を理解していないとぶん殴られたらしい。

 

「【獣血侵蝕】開始」

 

 血管をなぞるように緋色の侵食が広がる。そして、溝を緋血が浸していく。

 カタナとは元より扱い難い武器ジャンルだ。脆く、扱いを間違えればすぐに折れる。また、ポテンシャルを発揮する為には正確に刃を当ててクリティカル補正を得ねばならない。そうでなければ同ランクの片手剣とほぼ同じ、あるいは下位互換だ。だが、純斬撃属性なのも拍車をかけ、正しく運用すれば、その軽さに見合わぬ大火力を引き出せる。また、加速ボーナスが乗る居合を使いこなすのも重要だ。

 贄姫は元よりカタナでも特に攻撃力が高く、なおかつユニークウェポンらしく耐久度も『カタナにしては』高い方だった。少なくともアルヴヘイムの終盤まで、ランスロットとの戦いまでは折れることもなく、オレと共にあった。刃毀れしても、ランスロットとの戦いでは、その攻撃力の高さとカタナとは思えぬ粘り強さを見せてくれた。

 だが、それだけでは『足りない』。グリムロックはそう考えたようだ。より火力を増強させねばならない。より『何処かの馬鹿が無茶苦茶な扱いをしても早々に折れない』ようにしなければならない。破損した日蝕の魔剣を見て、グリムロックは固く決心したのだろう。

 贄姫・虚ノ朧には、その名の通りにザクロの遺品にして不死廟の守護者アガドゥランのソウルウェポンでもあった闇朧を修復に使っている。これによって贄姫は≪カタナ≫と≪暗器≫の2つの武器スキルを有して蘇った。元より折れてしまっていた闇朧はグリムロックとしても都合が良かったのだろう。

 首や心臓などへのクリティカル部位への攻撃は、もはや一撃必殺の域にも達している。相手の防御力やVITにもよるが、その威力をその辺のカタナと同一視してもらっては困る。ステップで駆け抜ける間に、盾と槍持ちの3人の首を薙ぎ払えば、血飛沫と共に頭は落ちる。

 まるで悪夢を見るような襲撃部隊のリーダーに、オレは微笑みかける。この程度で挫かれる復讐心では無いはずだろう? この程度で心が折れる『人の意思』ではないはずだ。さぁ、全力を見せてくれ。個の力量を示せ。数を活かせ。戦術を構築しろ。戦略で撃滅してみせろ。

 奮い立つように、フルメイルの両手剣持ちが動かぬ仲間を置き去りにして斬りかかる。だが、まるで駄目だ。恐怖を踏破していない。恐慌のままに斬りかかっただけだ。

 両手剣の一撃を贄姫で受け流し、胴、右肘、首を薙ぐ。なるほど、悪くない防御力だが、頼り過ぎだ。膝をつく彼の心臓を背中から突いて絶命させる。

 贄姫の表面には、攻撃できない程に破損した水銀発生能力が使用されている。表面を薄くコーティングする水銀は、まるで揺れる水面のようにカタナの表面を妖しく映す。だが、その真髄は攻防における刀身の保護だ。カタナの耐久度減少と破損を極限まで抑える保護膜であり、またカタナの防御策である受け流しにも特化している。また、水銀表面コーティングによってエネルギー系への防護を成す。

 転んでもタダでは起きない。攻撃できぬ程に破損した水銀発生機能も使い道はある。さすがはグリムロックだ。

 そして、いかに≪暗器≫スキルを有そうとも、これだけの火力は尋常ではないと彼らも感じているだろう。それもそのはずだ。贄姫の溝を浸す緋血……これが攻撃力を高めているからだ。

 体内装備型暗器【パラサイト・イヴ=BBカスタム】。贄姫は新生パラサイト・イヴとの連動を想定している。

 破損したパラサイト・イヴもまた修復、もとい改造が行われることになった。使用されたソウルの1つが獣血のソウルだ。欠月の剣盟に聖剣を見出す資格を与えた獣血。それはレギオン・プログラムがもたらしたものだ。元よりパラサイト・イヴに使用されていた、同じくレギオン製である感染源のソウルとも親和性は高かったらしく、改造は容易だったとはグリムロック談だ。

 機能自体はほとんど変わっていない。【獣血感染】は以前の武装感染と同じくパラサイト・イヴと同一化する能力だ。獣血侵蝕は、武装侵蝕とは違って攻撃範囲の拡大効果が失われるという弱体化とも見えるだろう。

 ただし、実際には大幅な強化だ。射られた矢を掴み取り、獣血侵蝕を施す。矢には緋色の血管のような模様が張り巡らされる。だが、それは模様などではない。まさに内部から侵蝕された証であり、故に脈動している。まさに獣血による蝕みなのだ。それを投げ、片手剣と盾装備の喉を刺し貫く。

 獣血侵蝕を受けた武器・アイテム・オブジェクトは、武装侵蝕と同じく≪暗器≫スキルによる上書き効果を受けて暗器化され、獣血侵蝕は対象が持つ切断・貫通・破壊性能も強化される。そして新たな攻撃属性がエンチャントされる。

 それこそが血質属性だ。血質属性は相手の光・闇属性防御力の平均値に適応される。パラサイト・イヴが獣血のソウルで得た特殊属性攻撃力だ。

 そして、贄姫に獣血侵蝕を施した場合は、少々話が異なる。元より≪暗器≫スキルを持ち、『あるソウル』を使用された証とも言うべき刀身の溝を獣血侵蝕の印でもある緋血で満たされる時、贄姫は真価を発揮する。≪カタナ≫のステータスボーナスを残したまま、元よりある≪暗器≫のステータスボーナスは獣血侵蝕によって増強され、血質属性攻撃力が更に上乗せされる仕組みだ。

 贄姫は修復素材となった闇朧の『この世界からズレた位置にある刃』という特性によって、居合の貫通・切断性能は高まる。間合い外まで斬撃を与える血刃居合の場合、溜めによって強化作用は増し、フルチャージの血刃居合の前では大盾級のガードも頑丈なオブジェクトも意味を成さず、『透過』の域に達した血刃居合は範囲内の斬線で捉えた獲物に喰らい付く。まぁ、ガードしたヤツはちゃんとガード分のダメージ減衰作用があるので、ユージーンの≪剛覇剣≫のようなガード無効化の完全貫通には劣るがな。だが、水銀居合と違って、タンクやオブジェクトの裏に隠れてるだけでガードを怠ったヤツには減衰ほぼゼロの血刃居合が命中することになる。

 ちなみに闇朧の不可視の刃までは実装できなかったが、代わりに振るっている最中は『見えづらくなる』という地味に厭らしい効果を発揮する。剣速に応じてその効果は高まり、対する相手は正確に斬撃を見切らぬ限り、まるで見えぬ刃を相手にしているかのように体感する仕組みらしい。暗闇などの視界が悪い状況ではより効果は増す、まさに暗器らしい能力だろう。特に居合は加速ボーナスも乗れば凶悪さを増す。もちろん、この作用は血刃居合にも適応される。

 闇朧を素材として≪暗器≫スキルを持たせることでカタナとして極限まで攻撃に特化させ、なおかつ獣血のソウルで強化されたパラサイト・イヴの恩恵を最大限に発揮する。それこそが贄姫・虚ノ朧だ。

 だが、いかにユニークソウルでも、血刃を形成する程に能力干渉するのは極めて困難だ。グリムロック曰く、ジェネレーターなどを作って魔力を融通するならともかく、血の刃を形成するなどいう、侵蝕対象無しで血として形を持たせるのは難しかった。ましてや、パラサイト・イヴと贄姫はバラバラの武器であり、調整を取るのは絶望視されていた。

 

『ソウルを見て、最も魅力と可能性を感じたのはどれだと思う? 忠義のソウル? 確かにあれも素晴らしかった。だけど、この抜け殻のソウルこそが最高のソウルであるとすぐに確信したよ』

 

 贄姫には抜け殻のソウルが使用されているとグリムロックは明かした。

 鏡に映ったゲヘナの影に過ぎず、それでもアルヴヘイムで幾星霜もの間を、それこそ伯爵領を破滅に追いやるまでランスロットを想い続け、深淵の主となることも出来なかったゲヘナの影。そのソウルの説明欄にすらも能力は無く、意味はないとさえも記されていたが、グリムロックはこのソウルの特性に着目した。

 何も満たさぬ抜け殻であるならばこそ、注がれたあらゆる力の受け皿となる。他を染める色を持たぬが故に、他の色を宿し、またそれに染まることもない。

 こうして贄姫はパラサイト・イヴから供給される緋血によって血刃を成すことができるようになった。そして、虚ろのゲヘナのソウルはもう1つ、贄姫の『真の能力』にも関係している。彼女のソウルはその説明欄にあったような無価値などではなかった。グリムロックの手によって贄姫に最高の能力を与えたのだ。

 

「に、人間じゃない……本物の……本物のバケモノだ」

 

 残り3人か。歯応えがまるでないな。贄姫は素晴らしいが、切れ味が良過ぎるのも考えものだ。獣血侵蝕との併用が前提とはいえ、素の状態でも旧贄姫を上回るし、スタミナ消費を考慮した運用を考えねばならないだろう。

 地上では最後の生き残りとなったリーダー格だった男は足を震わせ、大斧は今にも手から零れ落ちそうだ。残る2人は屋根で陣取っていた射手だが、攻撃もぬるいな。

 新たに仕立ててもらった【白夜の狩装束】シリーズには色々と興味深い機能があり、それを使えば射手を効率的に仕留められるのだが、指先の痺れが少し心配だ。左手は相変わらず痛覚代用しなければならず、右手もほとんど残っていないからな。むしろ、まだ辛うじて右手に感覚が残ってるのが不思議なくらいだ。ここは投げナイフを試させてもらおう。オレが寝ている間に開発した新作ではなく、グリムロックが開発の為に取り寄せた他製品だ。左手の指に4本挟んで構える。

 獣血侵蝕された投げナイフでスナイパーライフル装備を狙う。この距離ではシノンでもない限り、スナイパーライフルは活かせない。もっと距離を取るべきだったな。1本は囮にしてわざと遅く投げて躱させ、残る3本を回避ルートに投げて喉と顔面を刺し貫く。転落したところに更に投げナイフで続々と追撃をかける。リーダー格の男が間に入って守ろうとするが、股や脇を通して落下した衝撃からまだ復帰できない狙撃手を攻撃する。

 ふむ、投げナイフでも悪くはなさそうだが、相手の『耐性』が存外高そうだな。射られた矢を掴み、獣血侵蝕を施して投げる。これで十分だろう。

 右目を獣血侵蝕された矢で刺し貫かれた狙撃手は、何とか距離を取ろうと足掻く。

 

 

 

 だが、それよりも先に狙撃手の全身に裂傷が生じ、血飛沫を上げると伏せて死した。

 

 

 

 血溜まりに沈んだ仲間を信じられないといった様子で見下ろすリーダー格の男に歩み寄る。もう弓矢使いは逃げたか。

 

「少々お待ちいただけますか?」

 

 リーダー格の男に微笑みかけ、加速ステップを使いながら壁を駆け上がり、屋根を走って逃げる射手を追う。

 射手は何度も振り返ってオレとの距離を確認しながら、必死の形相で逃げている。だが、前方注意だ。屋根から屋根に跳び移るのに失敗して落下する。

 追って着地すれば、まだ立つことが出来ていない射手に近寄り、贄姫の切っ先を向ける。

 

「アナタは射手。後方支援が担当ですね。どうして逃げたのですか?」

 

「あ……ああ……ひぃ……」

 

「まだオレに復讐したいと望んでいますか? 爪牙を研ぐ為に、今は堪えるべきだと逃げたのですか?」

 

「やめ……たすけ……タスケテ」

 

 射手の男は涙で両目を湛えながら、オレに命乞いをする。そこに『人』は宿っていない。あるべき信念も矜持もなく、死にたくないという衝動に突き動かされている。

 もう随分と灼けてしまったが、まだ憶えているパッチの命乞いには信念があった。彼の生への美学があった。だが、この射手にはそんなものはない。

 贄姫を肩に突き刺す。何処を刺せばダメージを最小限に抑えられるかは熟知している。射手の絶叫を左手で塞ぎ、ゆっくりと刀身を押し進めていく。

 そして、射手の全身に裂傷が生じる。体中の傷から流血のスリップダメージが生じ、また全身を同時に襲ったダメージフィードバックによって痙攣し、白目を向く。だが、まだHPは残っている。こうしている間にも、贄姫で刺し貫く以上は『蓄積』しているはずだ。

 血質属性が持つデバフ『劇毒』。DBOの毒はスリップダメージであるが、血質属性がもたらす劇毒は固定割合ダメージだ。パラサイト・イヴにセットした薬品に依存してデバフレベルが決定する、現在、パラサイト・イヴにはレベル3の麻痺薬をセットしているため、劇毒もレベル3だ。固定3割ダメージである。

 対象は該当レベルの毒耐性にSANの補正がかかる。SANが『高ければ高い程に劇毒耐性は落ちる』という仕組みらしい。普通は高い程に耐性も上がるはずだが、真逆というのも面白いものだ。

 また全身に裂傷が生じる事によって流血のスリップダメージで追撃し、なおかつアバター脆化によって防御力ダウンも引き起こす。だが、それ以上に凶悪なのはダメージフィードバックである。全身に、それも内部から引き裂かれるようにダメージフィードバックが生じるのだ。慣れた近接ファイターでもまともに動けなくなるだろう。

 そして、ダメージフィードバック慣れしていないシューターならば、ご覧のありさまだ。涎と涙と鼻水を垂れ流している。まだ排泄機能が実装されていなかったな。失禁していてもおかしくない状態だ。脳と全身をミキサーにかけられた上で何度もシェイク&プレスをかけられたようなものだから仕方もないか。

 オレは痛覚遮断不全のせいでご無沙汰であるが、後継者の作ったダメージフィードバックもなかなかに凶悪だからな。劇毒の効果ならばこんなものだろう。身構えてもいなかったのだから尚更だ。

 2度目の劇毒発動で死亡した射手の血を浴び、オレは気分よく残るリーダー格を『狩る』べく歩き出す。

 リゲインは発動中だ。物理攻撃力の微上昇とブラッドエフェクトを浴びれば浴びる程にHPと魔力は回復する。だが、今は別の意味もある。

 血刃ゲージは時間経過によって自動回復する他に、獣血侵蝕した武器で生物系を攻撃するか、ブラッドエフェクトを浴びることによって回復する。特に回復効率がいいのは、もちろん贄姫であるが、リゲインと並列して血刃ゲージを回復できるのは強みだ。

 なお、血刃ゲージが尽きた場合は【緊急補充】というHPを削ることによってある程度は回復させられる。これは贄姫の自傷行為で水銀ゲージを回復したデータを見て、グリムロックが実装に思い至ったようだ。ただし、インターバルを置かずに連用する程に要求HP割合が増加するので、回復アイテムと併用した補充には限界がある。

 さて、現場にはもちろんリーダー格の男は残っていない。逃げたのだろうか。数多の死体が沈む路地裏を歩みながら、じっくりと探していく。ヤツメ様の導きで発見してもいいのだが、やはり狩りの醍醐味は追跡だからな。こういう時は≪追跡≫スキルが欲しくなる。次は取ってもいいかもしれないが、それはレベル120の話だ。今のオレのレベルは105だ。上位プレイヤーが90後半~100らしい。レベル100からは必要経験値量が桁違いらしく、並のレベリングではレベルアップは絶望的との事だ。しかもレベルアップする毎に必要経験値の上がり幅も目玉が飛び出るほどらしいのだ。その分だけ、レベルアップ上昇で得られるHPと防御力上昇は高めらしいがな。得られる成長ポイントが変わらないので、レベル100以降のステータス強化をレベルアップで目指すのは難しい。

 さすがはダンジョンのリソースを貪ったミディールだ。あの1戦で大きくレベルアップさせてくれた。お陰で2ヶ月寝ても遅れは取っていない。逆に言えば、この2ヶ月間を無駄にしたとも言い換えられるがな。

 と、そこでオレの両手は動き、狭い……人間2人が並べられるかどうか程度の幅しかない路地の闇に伸びる。それは頭上から振り下ろされた大斧を白刃取りする。

 

「ば、馬鹿な……!?」

 

 あのリーダー格の男だ。逃げたのではなく、オレが探すと読んで、この闇の中で壁につかまり、オレが真下を通る瞬間を待っていたのだ。

 

(油断しないで)

 

 欠伸を掻いてヤツメ様が目を擦る。ヤツメ様の導きが無ければ、あの大斧で脳天から割られていただろう。オレの低VITでは即死もあり得たかもしれない。

 STR出力7割まで十分に出せるな。これも確認できてよかった。

 

(ここは監視の目も届いてないわ。思う存分にやったら?)

 

 それもそうか。是非とも試したい能力もあるしな。

 

「【獣血簒奪】」

 

 大斧に緋血の血管がオレが接触する部分より広がる。完全に大斧を侵食しきると、リーダーの手から弾かれた武器を奪い取る。

 獣血侵蝕は他プレイヤーの持つ武器に発揮される。これが獣血簒奪だ。相応の接触時間が必要になるが、簒奪した武器は強制ファンブル状態になり、オレの暗器として扱われる。オレのアイテムストレージに収納することはできず、また武器に備わった能力も使えないが、相手もシステムウインドウからの回収・再装備は不可となる。ただし、最長で300秒しか効果を発揮せず、以後は回収されるだろう。

 だが、そもそも相手が握っている武器に触れ続けるなんて戦闘中にわざわざ狙うことでもないので、使いどころは限られるか。こうして白刃取りしてSTR出力任せで接触し続けようにも、離れない武器ならば手放して別の武器に切り替えれば……って、普通のプレイヤーはそんなに武器を幾つも装備していないか。

 

「こんな……こんなぁ……!?」

 

 大斧を手放して目の前で捨てて見せながら、彼の戦いを称賛して拍手を微笑む。

 

「無様を晒して逃げたとみせかけ、折れることのない復讐心を支えにして戦う。素晴らしい奇襲でした」

 

 ああ、これこそが『人』の素晴らしさだ。称賛の笑みを向けるオレに、リーダー格の男は恐怖で顔を歪めて尻餅をついて後退る。

 さて、お礼をしなければならないだろう。左手を見て『アレ』を使うかとも思うが、先に実戦テストするならば『こちら』だろうと結論を出す。是非とも使ってみたい。このように素晴らしき『人』を宿す相手にこそ見せたいのだ。

 

「さぁ、次はどうやって戦うんですか? また逃げて闇討ち狙いですか? それとも日を改めて戦力を整えますか? 実力を高め、騎士の如く果し合いを望みますか?」

 

「来るな! 来ないでくれ! バケモノ! バケモノ!」

 

 だが、リーダー格の男はもう抵抗らしい抵抗もできないとばかりに、オレに叫びをぶつけるばかりだ。

 どうした? もう策はないのか? まだ戦えるはずだ。走って逃げろ。逃げ切れば、また挑戦できるはずだろう? 準備を整えて、今度こそオレを殺すべく復讐者として牙を剥いてみろ。そこにこそ、アナタの『人』としての『強さ』があるはずだ!

 それなのに彼は動かない。もう駄目だ。『人』としての『強さ』を捨てた。死と敗北の恐怖に屈してしまった。恐怖を踏破できなかったのだ。

 リーダー格の男の首を右手でつかんで持ち上げる。だが、体格差もあって宙吊りには出来ないな。コイツ、180センチオーバーか。

 

「…………」

 

 別に180センチが羨ましいわけではない。≪ソウルドレイン≫で得たEXソードスキルのエナジードレインをして魔力を奪いながら、いつかオレも夢の170センチ超えをしてやると固く決心する。レコンだって成長したのだ! オレにだって諦めなければ届くはずだ!

 

「とてもお腹が空いているんです」

 

「やめ……て……やめて、くれぇええ……」

 

「お腹が空いて空いて……瞳が蕩けて崩れてしまいそうなんです」

 

 オレが足を踏み鳴らせば、地面に侵蝕が広がる。緋血によって地面は蝕まれ、まるで血だまりのようになって泡立つ。

 パラサイト・イヴにはケダモノの顎というトラップ型の能力があった。これはその凶悪進化版といったところか。少々『残虐過ぎる』ので、グリムロックも徹底的に内緒にしているそうだ。

 パラサイト・イヴのこれだけの能力には秘密がある。あるソウルが組み込まれているのだ。

 かつてラトリアを狂気に陥れ、そしてシェムレムロスの兄妹の『永遠』の探究に与して数多の怪物を造り上げた黄の衣……そのソウルが使われている。

 わざわざ喉を掴んだのは悲鳴を潰す為だ。オレを中心にして広がる緋色の血溜まりに無数の目玉が生じ、竜とも獣とも思えぬ怪物の頭部が生じる。それは無数の顎である。そして、これらは黄のソウルの狂気の創造の業によって生み出された疑似モンスターのようなものだ。

 

「『待て』」

 

 泡立つ血溜まりより這い出た、目玉を無数と備えたケダモノの群れがリーダー格の男を赤い舌で舐める。だが、命令を受けて喰らい付くことはない。

 

 

 

【血獣ノ巣】……能力は単純明解。自ら広げた効果範囲内で血獣を生み出す。ただそれだけだ。

 

 

 

 血獣はとてもシンプルなAIで動く。『全てに喰らい付く』というものだ。レギオンプログラムが関与している獣血のソウルと感染源のソウルのせいか、凶暴性はご覧の通りだ。知性の欠片もなさそうだが、それなりに命令は聞いてくれる。

 

「1つ教えてください。『幸せ』とは何でしょうか? オレにはどうしても理解できないんです。『幸せ』とは何なのか……」

 

 分からない。『幸せ』とは何なのか、まるで分からないのだ。オレは期待を込めて、リーダー格の男の喉を緩めて声を出すことを許す。

 

「死……ね」

 

「……復讐者にとって、それこそが『幸せ』なのですね」

 

 あるいは、バケモノの死は人間にとって等しく『幸せ』なのかもしれないな。

 最後の最期で『人』として恐怖に立ち向かう『強さ』を見せたアナタに敬意を。男の喉を掴む手を離す。それが合図となり、血獣は次々とその体に喰らい付く。鎧を噛み砕き、皮を破って肉に牙を突き立て、骨を砕く。

 

 

 

「あぁああアアあああアあああアアあああ……アぁアアあ……アァ――」

 

 

 

 そして、断末魔さえも消え、野獣に集られたように凄惨なる残骸となった復讐者を見下ろす。血獣は溶けるように消えている。やはりスタミナと魔力の消費が激しいのは難点だな。パラサイト・イヴに溶けた黄の衣のソウルによって、魔力回復速度上昇作用があるとはいえ、多用すればあっさりと枯渇するだろう。

 血の悦びは得ていない。ヤツメ様は酷く不満そうだが、これでいいのだ。今はまだ飢餓に耐えられる。

 ザクロ達を喰らい、血の悦びを味わってしまった。沸き上がった獣性が『命』を繋ぎ止めた。ちゃんと自覚している。だからこそ、『命』を喰らいたくてしょうがないのだ。『獣』として殺したくて堪らないのだ。飢餓を癒す血の悦びが欲しいのだ。

 そうだとしても、『人』として恐怖を踏破し、立ち向かう者たちには、たとえバケモノと呼ばれようとも、弔いの遺志を忘れることなく殺し合いたい。傭兵としてでもなく、狩人としてでもなく、神子としてでもなく、オレが『オレ』として誓いを立てた。彼女が忘れないと言ってくれた『オレ』である為に。

 

「祈りもなく、呪いもなく、安らかに眠れ」

 

 路地裏から出て、残したままの紙袋を持ち上げる。仕方のないことだが、上に積んである分の饅頭は血で真っ赤にそまっているな。こうして改めて見ると、パラサイト・イヴが作り出す緋血がいかに鮮やかで光沢があるのかを実感する。見比べれば、より分かりやすいかもしれない。

 しかし、10人以上の死体が出来上がりだ。どうしたものか。大ギルドが何とかしてくれるだろうが、嫌な予感しかしない。

 贄姫とパラサイト・イヴの性能テストにもなった。【獣血覚醒】を試せなかったのは残念だったが、グリムロックも満足するだろう。血獣に関してはまだAIの強化の余地があるしな。『アレ』と合わせて調整を進めるとしよう。

 

「帰るか」

 

 ユウキからのメールがまた届いた。グリムロックからのヘルプメールも更に届く。どうやら黄金林檎は真夜中なのに大騒ぎのようだ。

 

「これ、美味いのかなぁ」

 

 お詫びでモチモチ饅頭を山ほど買ったのだが、味覚が無い以上はどうしても自信を持てない。

 血染めのモノを渡すわけにもいかず、殺戮の飢餓への慰みも込めて、真っ赤な伸び~る饅頭を食みながら、オレは黄金林檎の工房を目指すべく表通りへと向かった。




約束されたラストサンクチュアリ壊滅編、スタートです。
別名、各所で主人公力が試される編、スタートです。


それでは315話でまた会いましょう!

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