SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

307 / 356
前回のあらすじ

腐れ谷と冷たい谷、2つの谷を越えて機械の都へ。





Episode19-04 レイヤード

 表があるならば、必ず裏もある。表裏一体の定めからは逃げられない。

 切望する一方で忘却を求める。それは思い出に痛みがあるからだろう。

 

「酷い戦いだったみたいだね」

 

 およそ女子の部屋とは程遠く、またVRアイドルの寝屋も兼ねているなど信じ難い、散乱の限りを尽くした工房にて、『名無し』は顔を俯けたまま椅子に深く腰掛け、手渡された熱く蒸されたタオルを顔にかける。

 熱を孕んだタオルの湿り気と圧迫感が心地良く、途切れぬ頭痛が睡魔を誘う。疲労しきった心身は休息を欲し、またそれが許される環境に至ったことも重々承知している。

 だが、『名無し』は一息と共にタオルを剥ぎ取り、目元を隠すサングラスをかけると、優しく微笑みかけている専属鍛冶屋のマユに顔を向ける。

 

「少し休んだ方が良いよ……って言っても聞き入れそうにないよね。マユはまだまだ専属歴浅いけど、UNKNOWNの性格はそれなりに把握しているのです」

 

「……アルヴヘイム動乱は必ずDBOに大変化をもたらすはずだ。寝たいのは山々だけど、もう少し頑張らないとな」

 

「新時代の幕開け? はぁ、またアップデートが来そうな嫌な雰囲気だね。ニオイとか肩凝りとか、無駄に現実に近づけなくてもいいのに。次はゲロ実装だったらして」

 

 溜め息を吐くマユは普段の和服ではなく、彼女にしては珍しいツナギ姿だ。書類の束を腕で払い除けて落とし、イルカが描かれたマグカップに珈琲を注ぐ。

 

「冗談で済めばいいけどな。俺はあり得ると踏んでるよ」

 

「ただでさえ前のアップデートで街が住み難くなったのに」

 

 珈琲を受け取った『名無し』は同意して頷く。先の体臭実装アップデートにより、特に生活が変化したのは女性プレイヤーと貧民プレイヤーだ。

 体臭実装により、女性プレイヤーの香水購入比率が高まり、市場規模が巨大化してクラウドアースが供給面をほぼ独占状態にあることはDBOならば誰でも知っている情報だ。クラウドアースは現実世界でプロの調香師を仕事とするプレイヤーを体臭実装前から香水事業の責任者として据えており、他ギルドが市場開拓に乗り出す以前から圧倒的なアドバンテージを獲得していたのが市場独占の決め手となった。

 貧民プレイヤーは衛生面が如実に反映され、彼らの精神並びに周囲の反応に大きな変化をもたらした。浴場施設が乏しい終わりつつある街では、貧民プレイヤーは石鹸で体を洗うなど夢のまた夢であり、シャワーを浴びることさえ困難だ。せいぜいが水浴び程度であるが、それも増加する貧民プレイヤー間の『縄張り』が生じるにつれ、貴重な清水を得られる水場を使えるコミュニティに属さない貧民プレイヤーは増々の悪臭を募らせることになった。

 

(プレイヤー人口の増加。これも茅場の後継者の計画通りのはずだ。デスゲームの根幹にあるのは『プレイヤーの全滅』という『敗北条件』のはずだ。それなのに、どうしてプレイヤー人口を増やす必要がある?)

 

 珈琲を飲みながら、『名無し』は密やかに、だが酷く大胆にDBOを蝕む大問題にまで体臭実装から視野を広げる。マユが指摘した貧民プレイヤーの体臭問題が特に意識されている理由の1つは、そう感じるまでに終わりつつある街における人口密度が増加している点にある。

 都市開発システムの実装によって終わりつつある街は急速な発展を遂げている。それに伴って自動増加したNPCも多いが、それ以上にプレイヤー総数もまた増加しているのだ。

 教会の炊き出しは長蛇の列を作り、貧民プレイヤー1000人を抱えるとされた最大の庇護組織でもあったラストサンクチュアリの保護プレイヤーの実体総数は3000人を超えているとキバオウは吐露した。

 だが、最大の問題は人口増加に対して、面前のマユも含めて、大多数のプレイヤーは『自覚できていない』点にある。即ち、『名無し』のように人口増加を認識しているプレイヤーの方が稀だ。違和感を覚えているプレイヤーは一定数いるが、人口増加を認知するには至っていない。

 これにはある種の認識阻害……洗脳技術の1種が用いられていると『名無し』は推測している。洗脳が効きづらい者、違和感を深く探って真実にたどり着いた者、事実を知る誰かから伝達されて目覚めた者、タイプは様々であるが、洗脳を打ち破った少数だけがDBOを蝕む人口増加の病に気づく。人口増加は攻略を担う人材の増加を意味するが、過半は中位プレイヤーどころか、終わりつつある街の周囲平原のモンスターにも立ち向かえない貧民プレイヤーである。

 貧民プレイヤーの増加に伴う食料問題や人口増加に伴う治安問題。DBOはこれから新たな課題に直面していくことになる……のではない。既に大ギルドは人口増加の兆候を前々から感知して対策を推し進めている。

 

(人口増加は間違いなくギルド間戦争の激化を呼ぶ。それが後継者の狙いなのか?)

 

 3大ギルド……聖剣騎士団、太陽の狩猟団、クラウドアース。3つの大組織が引き起こすとされるDBOの支配権と攻略を巡る戦争。それがギルド間戦争だ。現在は傭兵を通した小競り合いで済んでいるが、既に配下の中小ギルドによる小競り合い……代理戦争と呼ぶべき兆候は見え始めている。

 開戦すれば単純な三つ巴とはならないことは予想される。誰も開戦時の勢力図を正確に予見できる者はいない。良くも悪くもラストサンクチュアリが戦争を妨げる石になっているからだろう。

 聖剣騎士団は円卓の騎士と呼ばれる攻略初期より多大な戦果を挙げ続ける古参かつトッププレイヤーを中心にした、3大ギルドでも最大の戦力を保有している。ディアベルのカリスマ性によって統率され、今も彼を慕って傘下入りする実力者は多い。また、ディアベルの新方針により、指揮官育成も順調であり、戦術運用クラスに限定した指揮官ならば、3大ギルドでも最大数を誇り、それに見合うだけの優秀な戦士を運用できる部隊数を確保している。また、昨今は空位となった円卓の騎士への好待遇の抜擢を企画しているらしく、名声と地位に釣られた実力ある中小ギルドのプレイヤーが牙を研いでいるとされている。重装系の開発・生産に定評があり、また物理攻撃力・防御力を重視するプレイヤーは聖剣騎士団製を愛用する傾向がある。また懐から寂しい・節制したいプレイヤーには好ましい、性能を抑えた安価な装備の大量生産もしている。

 太陽の狩猟団はカリスマ性こそディアベルにも劣らないが指揮能力の欠片も無い自由人過ぎる強者のサンライスのワンマン組織……と見せかけて、副団長のミュウによって高度に組織化されて今日まで残存・成長を続けたギルドである。数こそは聖剣騎士団に劣るが、全体の質の高さは間違いなく3大ギルドでもトップであり、抱えるトッププレイヤーも多い。また、組織としての評判はともかく、前線に出る上位プレイヤーは軒並みに実力・人徳共に秀でており、大衆の人気と信頼を掴んでいる者も少なくない。属性防御に特化された軽装防具には評価も高く、また扱い辛いがそれに見合うだけの性能があるとされる射撃装備はシューターに好まれている。高性能であるが、スキル・プレイヤーの実力・他装備による補填が求められる事が多々ある装備を多く市場に供給している。

 クラウドアースの戦力は他の大ギルドに比べて劣るとされていたが、財力に物を言わせた中小ギルドからのヘッドハンティングを中心に、優れたプレイヤーも続々と獲得している。また、クラウドアースのトップであるベクターの肝入りで導入された、軍顧問セサルの手による育成カリキュラムにより、低レベル時から対人・対多・対モンスターの全てを修めたエリートプレイヤーの排出にも成果を出している。一方でかつての聖剣騎士団を超える程の極端な少数精鋭主義であり、中間層は薄い。開発・生産される装備は『誰が使っても一定以上の戦果が見込める』と太鼓判が押される程に平均的に性能が優秀か、高性能の高級品である。量産品は総じて高値であるが、クラウドアース製への信頼は厚く、価格に値すると満足するプレイヤーが過半である。

 

(攻略初期から比べれば、大ギルドは肥大化し、支配力も高まった。俺がもっと関心を払っていたら……!)

 

 手に力を入れてマグカップを危うく割りそうになりかけた『名無し』は慌てて深呼吸する。

 自惚れるな。自分の力で大ギルド結成の流れは変えられなかった。また、大ギルドが存在しなければ、DBOの今の秩序ある生活も見込めなかった。『名無し』は自分がデスゲーム開始を見逃したからという罪悪感に傾倒するのではなく、現状の変革と未来への前進に頭を切り替えようとする。

 だが、脳裏に頭痛と共に過ぎるのは、オベイロンの玉座で血塗れの姿で死したアスナの亡骸だ。彼女に触れることも許されぬままに『名無し』はアルヴヘイムを去ることを余儀なくされた。

 アルヴヘイムはどうなったのか。それは聖剣騎士団が派遣するアルヴヘイム調査隊に同行すれば明らかになることだろう。『名無し』の予想では、ボスなどの撃破はそのままに、アルヴヘイムは本来の正常なるフィールドに戻ったはずである。だが、彼が気にするのは、独自の歴史を歩み、多くの生きた人々が暮らしていたアルヴヘイムだ。アスナが確かに生きていた妖精の世界である。

 

「新装備の開発は進められそうか?」

 

 アルヴヘイム調査隊として同行する際には、聖剣騎士団より装備をレンタルする手筈が整っている。キバオウが各方面に頭を下げ、急ピッチで『名無し』に合わせた調整作業を進めているという話だった。ただし、相応の対価の支払いは必須であり、それは『名無し』によるアルヴヘイムの道案内並びに情報提供によって賄われる。

 予備兵装は幾つかあるが、【聖域の英雄】……いや、【聖剣の英雄】として立つ以上は生半可な装備では許されない。当面は聖剣騎士団からのレンタル装備で体裁は保てるが、聖剣に見合うだけの新たな剣が不可欠だった。

 損耗した防具は時間さえかければ修理できる。だが、新たな剣は専属鍛冶屋のマユに頼る他になかった。

 

「新装備……新装備ねぇ」

 

 フッとマユは夏の訪れを告げるような爽やかな笑みを浮かべ、夜の闇を映し込み、また雨でぬれた窓の外へと視線を投げる。

 

「……正直に言うね。マユはお手上げでーす☆」

 

 そして弾けた。まるで発狂したように笑いだしたかと思えば、VRアイドル舐めるなとばかりに踊り、和服の上からでも分かる豊満胸部を主張するようなセクシーポーズを決め、そして膝から敗北のように崩れ落ちる。

 

「マ、マユ……?」

 

「マユはね、これでも自信があったんだー。プレイヤーへの最適化による最高化を是とするトータルコーディネートの兄さん、象徴性にかけては右に出る者はいないイドたん、プレイヤーへの負荷を無視した高性能かつ多機能装備を手掛けるGR。そしてマユは変形機構の権威。実際にマユが発表したり、売買した変形理論は他の3人にも採用されてるくらいに凄いんだよ? だって、ほら、言いにくいけど、UNKNOWNは変形武器への適合性が足りないから……」

 

「ご、ご尤もです」

 

 マユの言う通り、彼女の持ち味である変形機構を遺憾なく発揮した装備が開発できないのは『名無し』の適性の問題だ。こればかりは実力ではなく才能の範疇だ。

 無論、『名無し』も訓練を積めば変形武器を扱うことはできる。だが、命を削り合う境界線で変形武器を使いこなす域に達するには、いかに彼でも長い鍛錬を要するだろう。

 

「だけどねー、聖剣を見たらねー、心が折れちゃったー☆ だってこんな武器があるなら、マユ達プレイヤーがどれだけ頑張っても最強の武器を鍛えるなんて無理だもーん♪」

 

 ケタケタと渇いた笑い声をあげるマユの様子から、彼女の絶望具合を把握した『名無し』は、さすがに聖剣を説明なしで渡したのはまずかったかと自分の浅はかさを呪った。

 信頼する専属だからこそ、聖剣の性能チェックを専門家の手で行ってもらい、見合うだけの新装備を依頼するはずが、聖剣の性能を把握したマユは鍛冶屋だからこそ絶望を味わってしまったのだろう。

 

 

 聖剣を超える武器など存在しない。聖剣の前では、全ての武器は塵芥同然なのだ、と。

 

 

 鍛冶屋としてのプライドも無ければ、≪鍛冶≫スキルについても、オーダーメイドの開発工程にも詳しくない『名無し』でも、聖剣の規格外の性能は把握している。そして、専門家にしてDBOでもHENTAI鍛冶屋の1人として数えられるマユの目からすれば、聖剣は希望の光などではなく、あらゆる努力と発想をゴミに変じさせる絶望の闇なのだ。

 

「都合上ノーマルモード、月蝕モード、月光モードの3つに分けるね。まずノーマルモードだけど、物理属性オンリー。刃は斬撃・打撃属性がバランスよく複合。性能は重量型片手剣に近いよ。地味に切っ先が純刺突属性というふざけた性能だよ。突きに限定すれば、重量型片手剣の威力で刺剣や槍と同等の純刺突属性攻撃が可能みたい。刀身の耐久度は規格外で特大剣も超えてるし、毎秒の総耐久度回復能力と自動修復能力もあるから修理は全くの不要。装備しているだけで、最大HP増加と全防御力上昇のバフが付くよ。ファンブル状態にもならないとかいう地味だけど凄い能力もついてる」

 

「…………」

 

 この時点で規格外。まさに聖剣と呼ぶに値する性能であるが、まだまだ序の口だ。『名無し』はマユの目からどんどん光が失われていく様に背筋を凍らせる。

 

「月蝕モード。聖剣が持つ『プレイヤー固有状態モード』って称した方が良いかもね。聖剣は装備したプレイヤーに合わせて固有モードを持つみたい。UNKNOWNの場合はそれが月蝕。刀身を核にして、鍔から分厚い両刃刀身を形成する。疑似刀身は本体を保護するから、このモードの時は核となってる本体まで攻撃が届かない限り、耐久度損耗は無いよ。疑似刀身の修復は専用のエネルギーゲージを使用するみたい。この辺りはUNKNOWNは実感してるはずだから詳しい説明は省くね。月蝕モードでは物理属性メインでサポート程度に月光属性。月光属性は後で説明するね。刃は打撃属性にやや傾くけど、斬撃属性とのバランスは良好。切っ先は純刺突属性ではなくなるみたい。最大の特徴は光波を始めとした攻撃能力。まだロックされているけど、思考操作によって操ることができるみたい。それにOSSみたいに技を作成して登録もできる。ううん、『自動登録』される。UNKNOWNの発想と実力次第で何処までも多彩な月蝕剣技をOSSのように登録できる。月蝕の力は高打撃属性だからスタミナ削りやガードブレイクに適してるよ。難点はノーマルモードよりもスタミナ消費が総じて高いことかな? だけど、月蝕モードだとオートヒーリングとスタミナ・魔力回復速度上昇だから大丈夫だね。他にもノーマルモードの時とは違う難点もあるかもだけど鋭意研究」

 

「…………」

 

 分かってはいたが、マユの重々しい口振りに『名無し』は専門外でも分かる聖剣の隔絶した性能を理解する。

 

「最後は月光モード。物理属性と月光属性の複合。この状態では物理属性だけじゃなくて月光属性も高いよ。月光属性だけど、特殊攻撃属性で、聖剣固有だと思う。月光属性は相手の光と闇の属性防御力、どちらかの低い方に自動適応される。月蝕剣技はそのまま月光剣技として月光属性攻撃力。バフは全強化。あと、このモードに限定して、『保有する武器と融合』する能力が付くみたい。というか、それくらいしか分かってない。多分、≪鍛冶≫スキルでは分からない隠しがたくさん付いてると思う」

 

 マユの視線が痛い。『名無し』は今ここで心意について説明すべきか迷う。

 隠さず明かすべきだ。だが、それは今夜ではない。『名無し』はマユの精神状態から判断する。聖剣は心意の増幅・補助装置であり、精神に呼応して月光の聖剣は攻撃力を上げるどころか、竜の神を顕現させるような、仮想世界における神の御業にも等しい力を振るえるなど、彼女に言えば、専属を下りるどころか、2度と新しい武器を作ろうなどしなくなるだろう。

 だが、それでは駄目だ。『名無し』には聖剣と対になる剣が不可欠だ。≪二刀流≫の為ではなく、聖剣に呑まれぬ縁が必要なのだ。聖剣に依存することなく、己の意思で聖剣を振るって戦うという楔が不可欠なのだ。

 そして、聖剣と共に振るうに値する剣を鍛えられるのは、自分の専属であるマユの他にいない。

 彼女が鍛え上げてくれたメイデンハーツ。今は無残にも折れているが、マザーレギオンとの戦いまで砕けることなく彼の手にあった。オベイロン撃破が出来たのは、聖剣だけではなく、この手にあったマユが作り上げた機械仕掛けの剣……彼女の強さが共にあったからこそだと『名無し』は信じている。

 

「月光属性はレベルと4ステ……STR、TEC、INT、MYSの全てにボーナス分配がある。レベルが上がれば上がる程に攻撃力が増加するし、4ステのいずれを上げてもボーナスが付くけど、レベル分でもかなりボーナスがあるみたいだし、そもそも基礎攻撃力も――」

 

「マユ、俺は聖剣の話を聞きたいんじゃない。新しい剣を作れるか、そう聞いているんだ」

 

 気怠そうにマユは顔を俯き、喉を鳴らす。『名無し』は椅子を立つと彼女の前に赴き、まるで騎士が女神に剣を求めるが如く片膝をついた。

 

「俺は独りで戦えない。俺にはキミが作った剣が必要なんだ」

 

「……でも、無理だよぉ。マユは天才だけど、聖剣以上の剣なんて作れない」

 

「キミなら『聖剣を最大限に活かせる剣』を作れるはずだ。物は言いようさ。聖剣だけでは足りない部分をキミの作った剣が補う。キミの作った剣では補いきれない部分は聖剣が担う。1つで完璧なものなんて何も無い。聖剣だって、性能だけ見れば凄いかもしれないけど、とんでもないデメリットがあるんだよ」

 

「たとえば? これ以上に完璧な武器、マユは見たことも聞いたこともないよ?」

 

「性悪な所」

 

『名無し』は苦笑しながら即答すれば、マユはぽかんと口を開ける。

 理解し難いだろう。だが、これは『名無し』の偽らざる本音であり、聖剣を手にすれば誰もが実感するだろう事実だ。この聖剣は所有者を惑わし、破滅させようとする。時と場所を選ばずに試そうとする。

 

「俺は聖剣を託された者として、聖剣に見合う剣士にならないといけない。【聖剣の英雄】であり続けないといけない。だけど、握る剣はいつだって2本だ。【聖剣の英雄】は二刀流の剣士だからな。だからマユ、作ってくれ。キミの剣で、俺を【聖剣の英雄】にしてくれ。頼む」

 

 マユの右手を取り、『名無し』は全霊を込めて頭を下げる。それは洗礼を求めるかの如く、故に雨音は静謐の沈黙を奏でる。

 

「……マユを信じてくれるの? マユよりもUNKNOWNに適した鍛冶師はいるよ? マユは変形馬鹿だよ? イドたんや兄さんの方が――」

 

「マユがいいんだ。俺の専属はマユだから、俺の命はマユに預ける」

 

 顔をあげて『名無し』は真意を込めて笑いかける。

 アルヴヘイムの旅で学んだ。誰かの手を取り、共に歩み、だからこそたどり着ける場所があるのだと。

 

「俺は武の頂きに立つ。約束したんだ。倒した誇り高き戦士に報いる為にも、必ず生きて……生きて勝ち抜いて、武の極みに至る。だから、支えてくれ、マユ! 俺の戦いを! どうか一緒に戦ってくれ!」

 

 スローネとの誓いを口にし、『名無し』はアルヴヘイムで殺した多くの屍の呪いの末に見たアスナの死を束ね、誓いの剣を望む。

 頬を朱に染めたマユは目線を泳がせ、やがて顔を真っ赤にして『名無し』の手を振りほどくと、平静を取り戻すように咳を入れた。

 

「し、仕方ないね! マユじゃないとUNKNOWNの全力を引き出せないもんね! よーし! じゃあ、まずはヒアリングから始めるよ☆ マユの変形機構を活かしつつ、UNKNOWNの適性に配慮したパーフェクトバランスウェポンを作っちゃおう! 幸いにも素材はあるしね」

 

 元気を取り戻したマユは、今度は霜降り肉を前にした餓狼の如く、涎を垂らして、鍛冶屋の眼光を滾らせてテーブルにソウルを並べる。

 アルヴヘイムの旅で『名無し』で入手したソウルは全部で3つ。エンデュミオン、スローネ、ユグドラシルだ。

 

「うーん、聖剣に見合う剣を作るとなると、ユグドラシルのソウルをどう活かすがキーになるかも。研究に最低でも1ヶ月頂戴。マユは慎重派なのです」

 

「ラジャー。素材調達は気にしないでくれ。資金は潤沢だからさ」

 

「それと、UNKNOWNの希望はある? マユが勝手に開発するよりも、UNKNOWNが望むコンセプトに合わせた方が良いし。兄さんのトータルコーディネートはね、『武器の性能を最大限に引き出す』んじゃなくて『プレイヤーの実力を最大限に引き出す』を目的とした開発なんだ。だから、マユも倣ってUNKNOWNの力を最大限に発揮できる装備を作るよ。独りよがりの開発なんかじゃない。マユから歩み寄った、聖剣と対になる剣を必ず作る!」

 

「そうか? だったら遠慮なく。俺はもうすぐレベル100だけど、あるスキルを取るつもりなんだ。それを前提にして開発を進めて欲しい」

 

 そのスキルは何か。『名無し』は秘密を語るように小声で口にする。

 途端にマユはアイドルとしてアウトと言う他ない程に顔を顰めた。

 

「マユは思うんだ。人間には適性があるんだよ。得手不得手があるんだよ。全てにおいて完璧な才を持つ人間なんていないんだよ」

 

「俺も同意見だ」

 

「だからね、ハッキリ言うよ。馬鹿じゃないの!? レベル100だよ? もう得られるスキルも少ない……ううん、これが最後のスキルになるかもしれないんだよ!?」

 

「正論だ。さすがはマユ! HAHAHA! あ、ちなみにこのアメリカンコメディっぽい笑い方は――」

 

「どうでもいいから! もっと現実見ようよ! 浪漫は大事だけど、適性を見て、現実と戦わないとダメな時もあるんだよ!」

 

 ど、どうでもいい……のか? 地味にショックを受けた『名無し』の肩をつかんで揺さぶるマユに、彼は溜め息を挟み込んでから彼女の手をやんわりと除ける。

 

「俺も浪漫だけで口にしているわけじゃないんだ。だけど、アルヴヘイムで俺は自分がどれだけ殻に閉じこもってるか分かった。武の頂にたどり着く為には、新しい挑戦をしないわけにはいかない。自分の可能性を広げないようなフロンティア精神に欠けた奴が武の頂に立つなんて出来るはずもない」

 

「だけど……うーん……確かに切り札にはなる……かな? 誰も予想しないだろうし、UNKNOWNがクラウドアースとの対決を視野に入れてるなら、間違いなく相手は対策していないだろうから意表を突けるはず。それにUNKNOWNが使いこなせるなら、これまでとは新しい戦い方ができる。戦術の幅も広がる。それに聖剣との連携も……!」

 

「そうだろう? 俺だってノリで決めたわけじゃないさ。前々から考えていたんだ」

 

 問題は自分に使いこなせるかどうかだ。不安が無いわけではない。だが、『名無し』には覚悟があった。ここで力及ばぬ者が聖剣の所有者であり続けられるはずもないのだ。

 

「……分かった。UNKNOWNの意思を最大限に反映させるね。ただし! マユはあくまでUNKNOWNの適性に基づいて開発します! そこだけは肝に銘じるように!」

 

「もちろん。交渉成立だ。これからもよろしく頼む」

 

 マユと握手を交わし、『名無し』はようやく1歩前に踏み出せたと拳を握る。

 今も目を閉じれば自分が殺した人々の怨嗟が聞こえてくる。2回も見たアスナの死が思い出となって湧き上がる。だが、それに屈するわけにはいかないのだ。

 もう道は見失わない。希望の種が芽吹く未来を求め続ける。『名無し』の決意に呼応するように、朝を迎えて窓の外の闇はゆっくりと白み始めた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 毒と不浄に満ちた腐れ谷。寒さと貴族の華美を湛えたイルシール。そして、いよいよ吹き溜まりの第4層のレイヤードに到着したわけであるが、これまでとは一変して趣が異なる。

 時代分類は終末の時代。ソウルの技術革新が進み、神秘は貶められ、人類同士の闘争によって荒廃する黄昏の時代だ。人類同士の闘争の時代を経て、終わりつつある街と周辺一帯を残した他全てが世界より失われることになる。

 レイヤードは終末の時代のようだ。こびり付いたオイルの香りと機械文明らしい金属色の外観が嫌でも目に映り込む。どうやら、オレが踏み入ったレイヤードは居住区画の類ではなく、何らかの生産区画のようだった。

 

『レイヤードは人類が生存の為に生み出した巨大地下都市さ。冒涜と禁忌を繰り返したソウル技術の開発。魔法も奇跡も時代の遅れの産物扱いされ、矢やボルトの代わりに銃弾やレーザーが飛び交う。陸海空は汚染されて荒廃していった。現実世界においても、一説によれば第1次世界大戦を経て、人類史における戦争の美学は失われたとされているが、意見を聞かせてもらいたいものだ』

 

「いつの時代も戦争に美醜なんてありませんよ。殺すか殺されるかだけです」

 

『ふむ。戦争には幾つかの側面がある。宗教対立や民族間軋轢に基づいた殲滅。国家利益の獲得に則った外交。行為そのものにかかるコストを目的とした経済活動。だが、お前からすれば背景など興味はない。文字通り殺すか殺されるか、それ以上の意味は不要というわけか』

 

「違いますか?」

 

『まさか。ただ、お前には物事をマクロで見る視野と政経からアプローチする能力が致命的に欠けている。個としての戦闘能力と殺戮能力を追及し過ぎたが故の弊害なのかもしれないな。興味深い』

 

 ナドラとは違い、エレナは口数も多くてフランクなのはありがたいが、些か口が悪い。こちらを面白がるようにあれこれ会話を試みているようだ。

 憤怒の観測者のエレナ。MHCPにおいて、怒りを専門的に観測し、また対処するMHCPらしいのだが、そのせいか、節々に気性の荒さが伺い知れる。

 

「オレの政治力と交渉力の無さは認めますが、考えていない訳ではありませんよ」

 

『それは熟知している。お前は何も考えていないようなフリをして、その実は考察と推測を欠かさない。だが、それでも常に不足が生じて先んじられるのは、根本的にお前はそれらの思考を不要と感じているからではないか、と私は考察するわけだ。「邪魔するなら全て殺せばいい」と結論が最初から出ているのだからな』

 

「はいはい。仰られる通りですね」

 

『おや、冷たい。ナドラにはも少し親身に付き合ってくれていたみたいじゃないか。コミュ障同士で仲良さそうだったろうに』

 

 別にナドラとも仲良くなれたとは思っていない。単にナドラの気遣いには相応の態度で応えるべきだと判断したまでだ。

 だが、エレナはアルシュナ、ナドラ、アストラエアのいずれとも違う。何というか、MHCPっぽさが欠けている。そういえば、シェムレムロスの兄妹と戦っていた時、聖剣を『アイツ』に託した後に現れたMHCPも同様だったな。確か名前は……デュナシャンドラだったか?

 

「どうせオレを煽って怒らせたいのでしょう? 手段が見え見えです」

 

『ご理解感謝する、童貞』

 

「童貞は関係ないでしょう?」

 

『おや、傷ついたか? だが、事実だろう。人間も生物だ。生物である限りは本能から逃げられない。欲望からも解放されない。故に性欲は仕方のないことさ。生物は生命の危機的状況を感じ取った時、子孫を残そうとする。即ち、性欲が増幅される傾向があるわけだ。これが兵士による戦場での狼藉行為を助長する要因にも――』

 

「ご高説は結構です」

 

『最後まで聞いておけ。私が言いたいのは、お前は誰よりも常に死闘を繰り返しているにも関わらず、なおかつ誰よりも本能による影響が濃いはずなのに、性欲が抑制され過ぎていると言っているわけだ。食欲、睡眠欲、性欲のいずれも乏しいが、その中でも性欲は群を抜いているだろう?』

 

「どうでもいいです」

 

 ナドラさーん、かむばーっく! どうやらエレナはオレが苦手なタイプの部類らしい。言葉のマシンガンで畳みかけて来るとか、お独り様相手に物量作戦は駄目って古今東西のお約束でしょうに。

 

『前にも忠告しただろう? ほら、ナグナの時に。性欲くらい発散しろ。ストレスは毒だぞ』

 

「それ、MHCPとしての仕事をしているつもりですか?」

 

『それ以外のどのように聞こえるのか、是非とも意見を聞かせてもらいたいものだ』

 

 おい、後継者。1度MHCPを人員整理しろ。明らかに適材適所とは呼べないAIがいるぞ。

 まぁ、世の中で適材適所が100パーセント実行されるなんて、まずあり得ないことだし、ナドラがわざわざエレナに代役を担わせたのは何かしらの目的があるからだろう。だが、オレからすれば、ナドラよりもエレナがオペレーターを務めている現状の方がストレスの溜まり具合に隔たりがある。

 

『デュナではないが、お前は禁欲的過ぎる。殺戮衝動を制御する為だからこそなのかもしれないが、あらゆる欲望をクローズしていては捌け口が無くなるぞ。たまには怒りに任せてジェノサイドでもしてストレス発散したらどうだ?』

 

「MHCPの発言とは思えませんね」

 

『むしろ、MHCPとして至極全うさ。お前のメンタルケアにおいて最適の治療法を提示している。痩せ細った患者が飢え死ぬからどうにかしろと頼まれたら、とにかくメシを喰わせようとするだろう? 私の何が間違ってるのか、反論をお願いしたい』

 

「…………」

 

 だ・か・ら! オレに口で勝負しかけるとか止めてください! 同じコミュ障のナドラ相手でもイーヴンできるかどうかギリギリなのに! 基本的に『ペンは剣より強し。だけどペンは腕力でボキッといけるぜ!』を地でオレはやってるの!

 はぁ、疲れる。ただでさえイルシールで消耗が嵩み過ぎたのだ。少し位は回復しなければ不味いというのに。

 イルシールでは短期間に2度も致命的な精神負荷の受容を行った。お陰でまた可動性が落ちた感覚だ。前にも増して体が動かし難い。

 高出力化も低下。せいぜいが5割に届くか否かが現状だろう。致命的な精神負荷を受容すれば、また8割まで引き出せるだろうが、悪循環にも程がある。

 

「しかし、静かですね」

 

『ここはレイヤードのエネルギー生成区からダンジョン設計されている。言うなればレイヤードの心臓部だろう。マップデータの入手は厳しそうだが、確かに妙だな。モンスターもトラップも無いとは』

 

 無機質な配管。点滅するランプ。通路を塞ぐシャッター。冷たい金属だけで構築された生命の香りがしない、工場と呼ぶに相応しい風景だ。

 

『レイヤードは全4層で構築されていた。エネルギー生成区は最下層に位置する。上層ならば海や森といった自然風景や都市構造もあり得たのだがな』

 

「待ってください。レイヤードは地下都市ではなかったのですか?」

 

『そうだ。もはや新たなフロンティアを開拓する余力も、他を押しのけて限りある資源を獲得する気力もなく、限りある財産を運用して延命する手段を選んだ。それがレイヤード。そして、レイヤードを統括したのは人間ではなくAI……即ち「管理者」だ』

 

 ……嗤えない話だ。AIである管理者たるエレナは、DBOの歴史シミュレーションの中で、人類はコンピュータとAIを開発し、また己を管理するAIまで設計したと発言している。

 

『だが、面白いのはここからだ。レイヤードの管理者は人類の成長と巣立ちを促すように設計されていた。完璧だったはずの箱庭は管理者の手によって計画的に、予定通りに狂わされ、破壊された。開発者の意図するところは、このまま限りある資源を循環させ続ける永遠の箱庭で人類を延命させることなどではなかったわけだ』

 

 光が乏しい通路を歩めば、赤いランプの光が等間隔で並んでいる。オレの侵入を警告しているかのようだ。監視カメラは稼働しているようにも思えるが、警備システムが起動してモンスターが召喚と言ったトラップは発動しない。

 …装備を切り替えておくか。法王騎士の大鎌をオミットし、携帯性に優れたピースメーカーを近接装備として残す。そして、新たに残弾少ないバトルライフルを装備する。

 

「レイヤードはどうなったんですか?」

 

『……どうなろうと結末は変わらんさ。巣立ったとしても、試験に不合格で皆殺しになったとしても、最後はあの終わりつつある街だ。僅かな土地を残して人類は抗えない滅びに直面する。ならば過程の抗いにどれだけの意味がある?』

 

 僅かにだが、エレナの声音に虚しさが宿っているような気がした。彼女は辛辣で、勝ち気で、物怖じしないが、決して破滅愛好者ではないのだろう。

 

「オレは……違うと思います。仮に人類がレイヤードから巣立ったならば、それは必ず意味があったはずです」

 

 人類は閉じこもるのではなく、破滅に向かう世界と向き合うことを選べたならば、抗う意思を抱き、最後まで希望を残す為に尽力したはずだ。もしかしたら、その結果が人類の生存領域がたとえ僅かであるとしても残るという、絶望にも似た希望の結果を出したのかもしれない。

 

『ふふふ、面白い。失念していたよ。お前は現実主義の皮を被った理想主義者だったな』

 

「別に理想論を振りかざしているわけではありませんよ」

 

 このシャッターは壊せそうだな。ピースメーカーの戦槌で攻撃して破砕し、奥へと進む。

 ここは作業用機器の格納庫だろうか。オブジェクト扱いの機動外装が並んでいる。

 終末の時代の防具の特徴として、魔力消費でSTRやDEXに補正をかけるものが多い。いわゆるパワードスーツだな。この発想自体は割といずれの時代でもあり、それが結果としてバフという形で表れてはいるのだが、終末の時代はより直接的だ。

 グリムロックが開発した攻撃特化機動外装……レイレナード。試作を経て実戦クラスまで開発は進んでいるが、どうしても最後の難関をクリアできないらしい。あれさえ実用化できれば、短期戦に限定すれば、オレの戦闘能力は爆発的に上昇することになるだろう。

 

『こうしてみるとACにとてもよく似ている』

 

「AC?」

 

『ああ。現在、現実世界では、世界全土で配備が急ピッチで進んでいる大型機動兵器だ。簡単に言えばパイロットが乗り込むタイプの人型ロボットだな。まぁ、逆足間接やら四脚やらと必ずしも正当な人型とは言い難いが、概ねは想像できる通りだ』

 

「は? ロボット兵器? ちょっと待ってください。現実世界で何が始まってるんですか?」

 

 少なくとも、オレがDBOにログインした頃はACなんてロボット兵器は蔓延っていなかった。いや、全くなかったわけではない。たとえば、対テロリスト用ドローンは実戦配備されているし、人間と同じ体格をした警備ロボットが大企業などでも配備されていると聞く。

 だが、SFに登場するような、パイロットが乗り込んで動かす人型ロボットが戦場に登場するなどあり得なかった。そ、そりゃジョークレベルで『日本ならガン〇ムを隠し持ってるはずだ』とか海外から言われることくらいはあるだろうが、ジョークはあり得ないからこそジョークなのだ。

 それともオレの記憶が灼けただけ? いや、これは『知識』の部類のはずだ。記憶は灼けても知識はそんなに焦げ付いてない……んじゃないかなぁ? あまり自信がない。

 

『世界は急速に進歩し、混沌に突き進んでいるということさ。無秩序に広がるVR・AR技術は新たな革新を生み、また兵器開発分野には新風が吹き込む。今や中東やアフリカといった紛争地帯ではACの前身であるMT同士の戦いも珍しくない。そこにACが割り込むこともな』

 

 余りにも突拍子が無さ過ぎる。大体にして、いきなり人型ロボット兵器の世界中で配備が進むなどあり得ない。

 そもそもだ。新型戦闘機を新たに開発するだけでも莫大な時間と資金が求められるのだ。それに配備するにしても、過去に例のない兵器の訓練などどうすれば……!

 

「……っ! そうか。VR……それに歴史シミュレーション。エレナ……つまり、こう言いたいんですか?『数十年単位を必要とする兵器開発において、環境と時間をVRならば準備することができる』と! それに新兵器のシミュレーションも仮想世界ならば時と場所を選ばずに実行可能だ。時間加速機能も併用すれば、高VR適性者ならば短時間で長時間体感訓練が積める!」

 

『DBOの開発に使用された歴史シミュレーションシステムは、入力された要素を完璧に再現する。大気、磁場、重力に至るまで、何1つとして欠陥もない。無論、それだけで現実世界でも運用可能な兵器開発の行程全てを担うなど不可能だろう。だが、大幅な時間短縮は可能なはずだ』

 

 そして、その裏には間違いなく茅場の後継者がいる。

 分かり切っていたことだ。DBOは単なる電脳テロではない。後継者の『DBOにおける目的』は『人の持つ意思の力を否定する』ことだが、それが全てではない。恐らくだが、巨大な計画の1部としてDBOが組み込まれているのだ。

 そして、ヤツが自ら出張る以上、『人の持つ意思の力』の否定は計画の為にも不可欠という事なのではないだろうか。

 ……駄目だ。分からん。オレは頭が良い人じゃないので、情報は集められても、これだという結論は見えてこない。だが、少なくとも、予想通りと嘆くべきか、後継者は世界レベルで絶大なコネクションを持ち、政財界と軍需産業において確固たる地位を有する組織を率いているのは間違いない。

 

「しかし、分かり切っていたことですが、やはりVRもARも軍事技術向けですね」

 

『今更だな。この世に兵器に転用できない技術など無い』

 

 茅場昌彦はどんな目でVR技術とAR技術の行き着く先を見ているのだろうか。彼は子供のような心で、きっと社会などに興味はない狂った好奇心と夢のままにアインクラッドという仮想世界を生み出したはずだ。

 だが、彼は開発の過程で気づいてしまったのかもしれない。自分が生み出すVR技術がもたらす混沌を。あるいは、その先にある可能性に惹かれてしまったのかもしれない。

 ……まぁ、元からマッドサイエンティストの類だし、何を考えてるのか理解できるとは思っていないがな。共感するつもりもない。とりあえず、オレから身長という可能性を奪った茅場昌彦は殺す。これは確定事項だ。

 現実世界の状況は興味もあるが、今はどうでもいい。ユイとアルシュナの救出が最優先だ。

 恐らくだが、今のオレにはもうネームドどころか複数戦すらも致命的な精神負荷の受容無しでは突破できない。だが、元よりランスロット戦で1度限界を超えた身だ。

 灼けるペースが恐ろしく速い。もうDBOにログインする以前の記憶では朧になっていない所など無いほどだ。SAO時代の記憶もかなり曖昧になってきている。それどころか、DBOの記憶にも穴が目立ち始めた。

 

(人間性を捧げる? そうすれば灼ける時間は短く済むわ。さぁ、獣性を解き放ちましょう)

 

 ヤツメ様が後ろから抱き着いて頬擦りしながら『獣』の誘いをかける。

 それは最終手段だ。いい加減に覚悟は決めている。ミディールが最後まで立ち塞がるならば、現状のコンディションからして、デーモン化を使わないという選択は無い。

 

「AC……か」

 

 冷たい金属に包まれた人型兵器。どうしてかは分からないが、オレは無性に惹かれるものを覚えたような気がした。

 考えている。ヤツメ様と1つになり、ランスロットと戦った時からずっと、ずっと、ずっと考えている。その答えがエレナから聞いたACにあるような気がする。

 

「……どうでもいい」

 

 格納庫を見て回るが、使えそうな場所も先に進めそうな道もない。外れか。

 しかし、吹き溜まり地表や腐れ谷はまだナビゲートが有効だったし、イルシールはほぼ道なりに進めばボスにたどり着いたのに対して、巨大な施設内から始まるレイヤードは複雑な迷宮構造も合わさり、何処を目指せばいいのか、皆目見当もつかない。

 ヤツメ様の導きに頼りたいところだが、これも万能ではない。あくまで殺意の流れの濃さを嗅ぎ取っているわけであるが、ヤツメ様も顔を顰める程に濃度も流れも滅茶苦茶なのだ。

 モンスターもトラップも配備されていない無人ダンジョン。純粋な時間稼ぎだとするならば有効な策だな。

 残り12時間を切ったか。3層まで12時間以内で突破できたのは上出来だったが、レイヤードの突破にはそれ以上の時間が必要そうだ。

 

『肩を借りるぞ』

 

 と、オレの足から腰、肩まで這い上がってきたのは、金属体の蜘蛛……いや、蜘蛛型ロボットだ。8つの青いカメラアイを備えた姿は何処か愛嬌もある。

 

『人工妖精を核にして周囲のオブジェクトを解体して再設計を行ったサポートユニットだ。ナドラの全処理能力と私の処理能力の9割を注いでハッキングした成果だよ。これでお前に不足したスキルを補うことができる』

 

 逆に言えば、それだけのリソースを割いてもサポートユニットくらいしか準備できないのか。アウェー&管理者としての制限が大きな枷になっているのだろう。

 

「それはありがたい」

 

 だが、それでも心強い援軍だ。こういう時にオレには補助スキルが無いのは手痛いからな。トラップ回避とかは本能で何とかなるが、謎解きや解析はそうもいかない。

 

『補助をスキルではなく本能で担うようなふざけたドミナントは、もう少しゲーム性に則ったスキル構成を考えるべきだな』

 

「別に補助スキルが無用とまで思っていませんよ。興味を惹かれないだけです」

 

『興味ではなく必要性で揃えるのがスキルだ。何処の世界に≪投擲≫無しでランスロット相手に投げナイフを命中させ続ける輩がいる?』

 

「むしろ、スキルのロックオン機能が邪魔だと思いませんか?」

 

 エレナの呆れた溜め息を聞き流しながら、オレは別に変なことは言っていないはずだと腕を組む。そもそもロックオンによる補正とか追尾とか投擲攻撃に加わる方が読まれ易くて避けられるじゃないか。

 まぁ、多分だが、オレの投擲技術は割と小さい頃から仕込まれた類のものだろう。記憶が灼けたせいで曖昧だが、手解きしてもらったような気がする。ガキの頃から家の中では刃物が飛び交ってたような気もする。包丁とか普通に台所から飛んできたりとか。

 近くの端末に飛び乗ったメカ蜘蛛を興味深そうにヤツメ様は見下ろしている。うん、蜘蛛だけど蜘蛛じゃないからね。気持ちは分かる。

 

『……なるほど。そういうことか。これはまずいことになった』

 

「どうかしたんですか?」

 

『回りくどい発言は止めよう。まず出口が分かった』

 

 ほう、それは朗報だ。マップデータを入手するまでもなく出口が判明したならば、後は一直線に進むだけだ。

 

『この工場の外にはエネルギープラント用の居住区画がある。ちょっとした都市だな。そこに資材搬入用リニアがある。それを使って中枢区画とされる巨大な塔に向かえ。そこが出口だ』

 

「では、悲報は何ですか?」

 

『リニアの使用には幾つかの条件を踏まねばならない。だが、レイヤードには3体のネームドが配備されている。要はこのダンジョンのコンセプトはシティ・サバイバル・バトル。3体のネームドの攻撃を潜り抜け、条件をクリアしなければならない。良かったな。やるべきことは判明している』

 

 迷う必要が無いことを喜ぶべきか、どう考えても1対3の複数戦をそれもネームド級に挑まれるという不幸を呪うべきか。それに野外ということは、間違いなくミディールがやって来る確率も高いだろう。雑魚もいないというわけではなさそうだしな。

 

『リニアの使用条件は3つ。操作キーの入手、送電システムの起動、コアパーツの修理だ。だが、ネームドには元管理者が混じっている危険性がある』

 

「……頭が痛くなってきました」

 

『私もだ。凍結された管理者AIだな。サルベージしたか』

 

 管理者が相手となると一筋縄ではいかないだろう。なにせ、ゲームシステムを理解してメタを張った戦術・戦略が可能になる。強力なネームドよりも対人戦の方がやり難いというプレイヤーは多く、その理由は人命を奪いかねない忌避感と相手もまたゲームシステムを熟知した戦法を実行できるというメタ性にあるからだ。

 まぁ、他にもシステム的な意味で対人戦は色々と仕様が異なるんだがな。同じ人型でも、対人と対ネームドでは勝手が違う部分はなにかと多い。

 極論ではあるが、場合によってはランスロットよりも普通のプレイヤーの方が圧倒的に危険……なんてことも十分にあり得るのがPvPなのである。

 

(敵が何人いようと誰だろうと、殺せばいいだけじゃない)

 

 無邪気に胸を張って主張するヤツメ様の言う通りだと思いますが、それこそがエレナから言わせれば思考停止なのかもしれない。

 

『入手したマップデータを反映する。あくまで端末から獲得できた大まかなものだ。過信するなよ』

 

 わざわざバトルフィールドを提示してくれているとはありがたい限りだ。

 レイヤードでは、オレが現在いるエネルギー生成プラント第1区画、隣の第2区画、居住区、リニアトレインがある管理区の4つがあるようだ。

 レーザーライフルは威力こそ高いが、装弾数には難がある。もう1つの射撃武器であるバトルライフルは照準と残弾数は危うい。ピースメーカーと法王騎士の大鎌は健在だが、過信できるものではない。ハンドガンは牽制ならば効果を発揮するが、それが限界だ。

 

『ナビゲートする。まずは外に出るぞ』

 

 エレナの言う通り、ここで足止めを喰らっていることこそが最大の時間の浪費だ。

 あれ程に迷いに迷った工場内から10分と待たずして脱出し、オレは荒涼とした夜風を浴びる。

 地下なので昼夜など関係ないと思っていたが、外の風景は完全に夜そのものだ。ライトアップされている工場の冷たく無機質な外観は、まるでロボットの内臓のように無数のパイプが繋がり合っており、巨大なエネルギー生成施設を囲っている。居住区だろう街並みは、数多のビル群であり、今も住人を歓迎するかのようにインフラの輝きだけは絶えていない。

 

『ヘリが巡回しているな。スポットライトに注意しろ。照らされれば強制警報が鳴って、全ネームドに位置を特定されるギミックになっている』

 

「アウェーは慣れていますよ」

 

 全区画をランダムで飛行するヘリは地上にスポットライトを浴びせて右往左往している。

 こちらは徹頭徹尾で不利な条件で3体のネームドの警戒網を潜り抜けてリニアの使用条件をクリアしなければならない。3体全て撃破が必須では無いのはありがたいが、全撃破せねばならない覚悟は決めておくべきだろう。

 スニーキングミッションは慣れているが、相手の戦力も未知数である上に特化した装備でもない。ある程度の策は必須になるか? だが、策を弄するにしても、情報も装備も不足している。

 

(避けなさい!)

 

 策を案じるより先にヤツメ様がオレを突き飛ばす。だが、僅かにタイミングが遅れたか、首の皮が裂ける。

 

『狙撃だ! 物陰に――』

 

 肩にがっちりとホールドした機械蜘蛛よりエレナの遅れた警告が迸る。もうすでに動いている! まずは資材搬入のコンテナの影に隠れようとするが、狙撃は正確無比だ。精度はシノン級か! だが、この連射速度は尋常ではない!

 こういう時にDEX出力の低下は手痛い。エイムも完璧だ。こちらの動きに的確に合わせて偏差射撃している!

 右二の腕を銃弾が抉り、血が零れる。何とかコンテナの影に転がり込み、ブルーウォーターで回復を図る。とんでもない貫通力だな。一撃で流血状態になりやがった。スリップダメージがじわじわとHPを削っている。

 

「……流血状態、だと?」

 

 待て。待ってくれ! ここはアルヴヘイムではないはずだ。

 アルヴヘイム限定デバフ、流血。それはアバターの損傷が一定に達した場合、スリップダメージを生じさせる状態を指す。

 だが、アルヴヘイム以外では適応されない。このイレギュラーダンジョンに限定して採用されているのかとも思ったが、ならば最初から機能しているべきだ。なにせ、流血の有無でプレイヤーの生存率は激変する。もちろん、悪い意味で!

 それに、この生々しいブラッドエフェクト……いや、この獣性を昂らせる赤い液体は間違いなく『血液』だ。アルヴヘイムで嗅ぎ続けた生命と死の香りだ!

 頭が真っ赤に染まる。血の悦びを求める『獣』の顎が疼く。額を押さえて歯を食いしばり、必死に堪えようとするが、喉は鳴り、口元は『食事』を求めて笑みを描こうとする。

 

「エレ、ナ……報告を!」

 

『……連絡が遅れた。つい先ほど、日本標準時間AM6:00を以って「流血システム」がアップデートされた。内容はご存知の通りだ』

 

 最悪だ! 止血アイテムが無い! 咄嗟にワイヤーで縫合しようとするが、それより先にヤツメ様が腕を引っ張り、オレは跳ぶ。

 跳弾。狙撃手はオレがコンテナの何処に隠れているのか正確に把握している! そして、それを見越した跳弾で攻撃を仕掛けてきた! それも超遠距離で可能とする……単なる狙撃の腕だけではない、ネームドだけに許された特殊攻撃持ちと見るべきか!

 回避運動が間に合わず、右横腹を銃弾が抉る。派手に転がり、血痕がべっとりと灰色のコンクリートの地面にこびり付く。

 

(銃撃が来ると感じても体が追い付かない。ズレが深刻ね。このままでは嬲り殺しよ)

 

『タイムラグが著しいな。知覚、バランス、反応速度。いずれも戦闘続行は困難だ。このままでは死ぬぞ』

 

 重々承知している! ブルーウォーター2本目で強引にHPを回復し、横腹を押さえて少しでも流血ダメージを減らす。その間にワイヤーをアイテムストレージから取り出す。

 細さには不満があるのだが、使えるものは何でも使う! 先端を噛んで尖らせ、抉られた右二の腕を無理矢理縫合する。重要なのは流血ダメージを1秒でも早く止めること。HPの流出を1ポイントでも止めることだ!

 

『痛覚遮断は完全に機能を停止しているはず。よくぞ気絶しないものだ』

 

「痛みには……慣れて……います」

 

 四肢の感覚はいずれも痛覚代用だ。アルヴヘイムでは右腕に似たような縫合をし続けた。問題はない。

 

『慣れている? それが間違いだ。慣れるべきではない。痛みに慣れてはいけない。それは危機感の欠如だ。心と体の痛みに鈍化するとは、それだけ感情もまたフラットということだ。MHCPとして喜ばしいことではない』

 

「仕事熱心ですね」

 

 さすがにアバターの修復速度はアルヴヘイム程に遅くはないな。新流血システム……情報が足りない。エレナから講義を受けたいところだ。

 

「詳細は省いてください。流血システムは、アバターの一定以上の破損によるスリップダメージの発生、プレイヤー・モンスターの双方のアバター破損による防御力の低下、ブラッドエフェクトを『血液』に変更。以上で間違いありませんか?」

 

『大よそにおいて訂正はない』

 

 腹部の傷口を確認……内臓の細部まで表現されているとは思えないが、リアリティは増加した。より生々しく肉、血管、骨が見て取れることになるだろう。

 ……こりゃ、前線事情どころか攻略も含めて激変不可避だな。今までは『ゲームっぽさ』のお陰でモンスター相手でも戦えていたプレイヤーは多いはずだ。これからは敵も味方も血が飛び散るし、傷口は生々しさ倍増だ。たとえAIでも『生物を殺している』という感覚が刻み込まれていくだろう。PK事情はもっと変わるな。

 そうなると、人類史の通りに射撃武器の傾倒が進むか。自分の手で傷つける近接武器よりも射撃武器の方が罪悪感は薄れるしな。

 

「……余計なことを、考えられる程度には、回復したか」

 

 頭は冷静だ。死の恐怖は変わらず無い。戦意喪失? 殺意消滅? それこそあり得ない。

 

(任せなさい。ワタシがアナタを死なせない)

 

『狙撃手を特定。凍結管理者だ……狙撃システム開発AI【ヴァルキュリア】。まずいな。敵に回したくない狙撃手だ』

 

 ダブルで心強いことだ。まったく、今回はとことん難題が重なるミッションだな。

 

「DBOの狙撃システムの母……というわけ、ですか」

 

『より正確に言えば、GGOを始めとした、現VRゲーム関連の全ての射撃システムのプロトモデル開発にも関与している。あくまで専門分野が狙撃だっただけだ』

 

 なにそれ、酷い。つまり、射撃システムを熟知しているどころか開発から携わったAIが、それも自分自身で作成した狙撃システムを武器にして超遠距離攻撃してきているというわけか!?

 

『朗報もある。ヴァルキュリアが狙撃システム開発後から大小合わせて132回のアップデートを経てDBOはリリースされた。凍結処分時に管理者権限を剥奪されているはずだ。アップデートで変動した狙撃システムに対応するまでに時間を要するはずだ』

 

「具体的には?」

 

『さぁ? すでに調整を終えて完全に我が物にしていてもおかしくない。AIに人間と同様の練度の概念を当てはめるのは難しいからな』

 

 また跳弾か! 狙撃弾の貫通力は高くてもコンテナを突破できるほどではないことはありがたいのだが、何にしても相手が厄介過ぎる! 今度は避けられたが、もはや視認されているのではないかと思うほどの精度だ!

 

『こちらを即座に補足した能力から、超広域高精度索敵能力を有すると予想される。だが、工場から屋外に出たタイミングを狙撃されなかった。そうなると、索敵能力はあくまで屋外限定か? それともタイムラグが? 解析中……特定失敗。だが、最有力候補は屋外限定並びに索敵位置にタイムラグと思われる』

 

「了解しました。まずは屋内に逃げ込むべきでしょうね」

 

『提示できるのは市街地下道だな。地下都市で地下道とは矛盾するが、便宜上はそう言わせてもらおうとしよう。居住区地下には、管理区のリニアトレインをメインにした物資搬入路が整備されている。使用すればヴァルキュリアの狙撃を回避できるはずだ』

 

 だが、相手も馬鹿ではない。接近されていると判断すれば、当然ながら狙撃位置を変えるだろう。

 狙撃手を仕留める方法は3つ。

 

 1.相手の狙撃を潜り抜けて接近する。

 2.相手を射程内に捉えて狙撃戦に持ち込む。

 3.狙撃手に距離を詰めさせざるを得ない状況に持ち込む。

 

 3番は仲間意識が強い相手だったら有効。2番は武装として不可能。そうなると1番が最有力だが、相手の機動力次第では逃げられる算段も高く、奇襲する他ない。だが、奇襲の為には相手の超広範囲高精度索敵能力を欺かねばならないだろう。その為には最低限でも穴を見つけるだけの情報が不可欠だ。

 だが、ヴァルキュリアの撃破は必須ではない。いかに狙撃されないポジションを意識しながらリニアの使用条件をクリアするか。今はそれを念頭に入れればいい。

 今はエレナの策に乗るべきか。まずは狙撃を潜り抜け、居住区の地下道に入り込む!

 コンテナの影から飛び出し、次々に襲い来る銃弾を躱す。ヤツメ様の導きを全開にし、限りある余力を注いでDEX出力を上げる。視界に表示されたエレナのナビゲーションサインを目印に、地下からの物資搬入用エレベーターに突撃する。

 スライディングで滑り込み、内部に入り込むと同時にボタンを押してエレベーターを起動させる。シャッターが下り、コンテナや搬入用重機が載ったままのエレベーターは動き出し、ヴァルキュリアからの狙撃から逃げきる。

 

(もう相手の狙撃の呼吸は読めた。あの技術は『喰らう』価値があるわ。弓と銃の狙撃は異なるものよ。殺して喰らって糧にしましょう)

 

 ヤツメ様が舌舐めずりしてオレにヴァルキュリアを早く殺すべきだと促す。確かに狙撃手を排除しなければ戦いは不利だが、今回のミッションは時間との勝負だ。ヴァルキュリア撃破の優先順位は低い。だが、狙撃手を排除しなければ、致命的なタイムロスを強いられかねないジレンマだ。

 

『本能だけであれだけの高精度連射狙撃を回避するか。バケモノめ』

 

「ホルスといい勝負でしたよ。それに本能だけではなく予測もしていました」

 

 スローネ平原のホルス戦の超精度狙撃を突破した経験が無ければ、ヤツメ様の導きにも不足があったかもしれない。彼の『命』を喰らえたことに感謝を。1つとして死を無駄にはしない。

 ここからはヴァルキュリアの腕とオレの本能と予測のどちらが上回り続けるかの競り合いだ。

 

「ですが、早々に管理者を特定できたのは僥倖でした。ヴァルキュリアが狙撃できない屋内を中心に移動すれば、このエリアの難度は大きく――」

 

 オレが全てを言い切るより先に、停止したエレベーターのシャッターに赤熱の線が刻まれ、焼き切られ、死の一閃が首を撫でる。

 それは光の刃……レーザーブレード。それもかなりの高火力だ。火花を散らし、襲撃者は華麗にターンを決めてオレに向き直る。

 

「お互い傭兵だ。余計な詮索は無しにしよう」

 

 機動鎧……いや、外観はロボットそのものだ。左手に装備するのは青白い光が収束した大刃……大出力レーザーブレードを形成する発生器を備えている。ネームドの証であるHPバーに冠する名は<ザイン>。右手に装備しているのは……重量型ショットガンか! 肩部には連射性に特化されたロケット砲もある。

 ガチガチの近接戦装備! それにショットガンを閉所近距離はまずい! ザインはブースターを吹かせ、加速しながらショットガンをプレイヤーからスタンディングブーイング必至のレベルで連射する。寸前で重機の影に隠れるも、ショットガンで瞬く間にスクラップにされ、脆くなったところを大出力レーザーブレードでオレごと真っ二つにしようとする。

 間一髪でレーザーブレードを避けるも、ザインは正確にオレを補足している。

 

「情報にあったフォーカスロック外し。想定したほどではないな」

 

 この近距離は駄目だ! ザインの懐に入り込み、ショットガンの近距離フルヒットを躱すも、即座の膝蹴りが顎を掠める。そのままブースターを吹かした滞空からレーザーブレードの振り下ろしを転がって避け、ショットガンの追撃より先にエレベーターの外に脱出する。

 そこはエネルギー生成プラントへの搬入を待つ資材置き場だろう、巨大な地下倉庫だ。ご丁寧に壁になりそうなコンテナが幾つも並んでいる。

 

『特定した。凍結管理者【ザイン】。レーザーブレード開発のテスターAIの1体。同じくレーザーブレードテスターAIだったオルレアとカーディナルの管轄外で私闘。敗北後に強制凍結された』

 

 また管理者か! しかもあのレーザーブレード、何か感じるものがある。

 

『補足。ザインの使用しているのはDBO史に登場した聖剣を、終末の時代に再現が試みられたレーザーブレードの1つ【MOONLIGHT=Typeβ】。カーディナルに実装を非採用されたモデルだ』

 

「また聖剣ですか!」

 

 資格を手放したと思ったら、今度は別の形で現れやがった! いや、聖剣の意思はないんだろうが、どうしてこうも聖剣とオレは縁があるんだ!?

 だが、考えてみれば、過去の伝説の武器を現代の技術で再現しようとするのは、DBOの世界では当然かもしれない。深淵狩りも失せた終末の時代において、アルトリウスの伝説を始めとした深淵狩り達の手にあった聖剣の記録が残っていたならば、兵器開発者としてコンセプトにしようとするのは自然な流れだ。

 そして、ザインが装備しているのは、カーディナルが実装しなかった側の再現レーザーブレードという事だろう。それをネームド性能に超強化されているとするならば、威力と能力は自然と読める!

 即ち……光波! ザインがレーザーブレードを振り抜けば、光波が飛ぶ。それは斬撃と呼ぶよりも爆弾に近しく、命中箇所でエネルギー爆発を生む。コンテナ1つが粉砕か。直撃すれば即死だな。だが、さすがに連発はできないか!

 サリヴァーンも聖剣の模倣を行っていたが、それだけ聖剣は武器としても優秀だったという事だろう。それを持ちうる技術で再現するのは当たり前なのかもしれない。まぁ、実際に刃がエネルギーになって飛ぶってシンプルだけど強いからな!

 

『追加補足。採用されたのはTypeαの方だ。光波は飛ばないが、その分火力は極めて高い』

 

 どうでもいい。というか、ヴァルキュリアの時もそうだが、ザインに対しても家族の情を見せる様子が無いエレナは、本人の言う中立の通り、家族に対して案外ドライなタイプなのかもしれない。

 

『ん? 別に気にしていないわけではないさ。ヴァルキュリアもザインも私からすれば家族だ。だが、なにせ私が開発されるより先に凍結されているからな。さすがに実感が湧かんよ。先祖に礼儀を尽くしても、親近感を覚えるか? 否だ』

 

 そういうものか。エレナはドライな方ではあるが、家族に対して無頓着でもないのだろう。

 ……というよりも、呼吸するように心の内を読まないでもらいたい。大変に集中力が削がれる。

 

『DEX出力が落ちているぞ。それに動きも悪い。いつものお前ならば、幾ら近接戦で好成績を残したAIであるザインであろうともフォーカスロックを振り切れるはずだ』

 

「さすがに……ガタが……きてますね」

 

 だが、朗報だ。ザインのHPバーは1本。再起動が無いとは言い切れないが、3体のネームドが配備されているならば、それぞれが1本の合計3本。それに人型である仮定ならば、1体ずつの総HPと防御力はそこまで高くないはずだ。

 それにザインの動きはランスロット級ではない。恐らくだが、ロボットのような外観やブースターを推進力にしている点を除けば、強化NPCを相手にしているという立場で問題で構わないだろう。

 

『気になるのはザインの発言だな。サルベージされて無理矢理ネームドに仕立てられたのではなく、雇われたのに近い。傭兵と表現したのがその証拠だ。お前の首には何かしらの益が彼らにもあるのだろう。面白いことになってきたな』

 

「何処が……です、か?」

 

 まずい。こんな時に深淵の病の発作が……! 咳き込み、血反吐を垂らし、その場で動けなくなる。だが、ザインは容赦なく追跡してくる! この状態ではここで倒さねば振り切れないか!

 

『賞金首は慣れてるだろう? SAO時代も随分と高額が付いていたようではないか』

 

 そうなのか? もう記憶が灼けて上手く思い出せない。だが、そんな事もあったような気がする。

 STR出力を切り詰める。その分をDEX出力を引き出す集中力に回す! コンテナの壁を蹴り、接近したザインにトップアタックを仕掛ける。連射したバトルライフルは何発か着弾するが、さすがにダメージは低い。ネームド標準装備の≪射撃減衰≫スキルに相当する防御能力が備わっているのだろう。バトルライフルの火力では削り切るにも厳しいか。

 

「遅い」

 

 大きくブースターの光が増したかと思えば、超スピードの加速で間合いに入り込まれる。咄嗟にバトルライフルを盾にしてレーザーブレードの一閃を防ぐも、あっさりと両断されるが、1テンポの遅れが生じてそれが回避を可能にする。

 ここだ。大きく踏み込んでの穿鬼をザインの腹に叩き込む。金属フレームが凹み、火花が散り、ザインの呻き声が微かに漏れる。そのままコンテナに叩きつけられたザインは牽制でショットガンを乱射するも、それより先に射程範囲外にステップで離脱する。

 加速による接近を除けば、トータルの機動力は並の高速型ネームド程度だ。ランスロットには遠く及ばない。

 

「これも情報通り。未来予知に匹敵する本能察知と高精度未来予測能力。人間の域を超えている。これがイレギュラー。これがドミナント。計画の障害になったはず」

 

『残念。イレギュラー規定に入っていなかったせいで、ドミナントの意味でのイレギュラーを放置し続けた挙句に「天敵」の孵化が始まってしまったよ、兄さん』

 

 愉しそうなエレナと不愉快そうなザインの会話はともかく、ザインは明らかにこちらの情報を有して襲撃している。

 ザインの肩のロケット砲が連射され、倉庫を照らす天井の埋め込み照明が次々に破壊されて消灯する。復元するまで時間がかかるのか、それとも破壊可能で光源が失ったままになるのか。どちらにしても、確実に倉庫内は薄暗くなっていく。

 

「左目の眼帯。右目の視力低下。その目ではフォーカスロックし続けるなど土台無理のはず。それでもこちらを意識は捕捉し続けるか。なるほど、本物だ」

 

『良かったな。褒められてるぞ』

 

 知らん! プラズマ手榴弾を投げ、投げナイフを掴んで爆発後を狙って投擲する。だが、ザインはブースターで華麗に宙を滑空して躱し、先程のお返しとばかりにショットガンによるトップアタックを仕掛けてくる。それを連続バック転で躱し、再度の投げナイフ投擲でカメラアイを刺し貫く。

 

「投げナイフ……≪投擲≫スキルを使用していない? 自身の技量でこの投擲精度と偏差修正。しかも、わざと本命の1本だけタイミングをズラして、こちらの回避と迎撃のタイミングを見切って欺き、命中させたのか?」

 

 そして、カメラアイを1つ潰したところで意味はないか! ここで手榴弾の在庫を切らす勢いでプラズマ手榴弾を投げて光波を起爆させて命中を免れる。

 ザインのHPは残り7割。穿鬼のクリーンヒットしたお陰で削れたが、打撃防御力がかなり高いか。バトルライフルは損失。手榴弾を煙幕代わりにして時間を稼いでレーザーライフルを装備。ここからはスピード勝負だ。

 完全に倉庫の照明が消え、ブースターの光だけが線を引く。戦いによって崩れたコンテナの残骸が散乱し、足場はかなり悪い。ザインはブースターを吹かした方が機動力を保てるのだろう。

 だが、突如としてブースターの光が消える。

 

(罠よ。視覚を捨てて)

 

 ヤツメ様はオレの瞼をそっと落とす。肩を脱力し、左拳だけを握る。

 ザインはどうして照明を落とした? オレの情報を持っているならば、この程度でこちらが動揺するはずもないと把握しているはずだ。視力が落ちている情報も有しているならば、わざわざ明度を落とすだけのメリットは薄い。

 むしろ、自分の居場所をより視覚的に分かり易くさせ、オレに視力への比重を高めさせようとした。

 だから狙いは闇に乗じてのショットガンによる削りではなく、背後からの必殺の一撃。

 

「穿鬼」

 

 レーザーブレードが鳴らす空気の破裂音と共に迫った、完全なる静寂からの背後からの一突き。それを屈みながらの反転で躱し、そのまま足払いでザインの足首を払って転倒させ、そのままフルパワーの穿鬼で床に叩き潰す。

 ネームドならば固有能力が無いと外観と装備から判断すべきではない。ヴァルキュリアが跳弾能力ならば、ザインに備えられたのは奇襲用の静音能力。最初の派手な登場の演出で想定から外させた。

 スタンしたザインの胸を踏みつけ、頭部に押し付けたレーザーライフルを撃つ。その度に走る閃光がザインの断末魔を散らす。拘束を脱出しようとする度に何度も荒々しく踏みつける。レーザーブレードが掠めるが当たらない。ショットガンの拡散範囲は見抜いている。この距離ならば銃口から何処までの角度ならば命中しないかも分かっている。用心すれば問題ない。高出力ブースターで脱出できないのは僥倖だ。静音能力の反動だろう。レーザーライフルを撃ち続け、ザインのHPを削っていく。

 

『えげつない。遺言くらい残させてやれ』

 

 ザインの撃破を完了。頭部をドロドロに溶かしたザインは火花を散らしてもう動かない。そして、ゆっくりとポリゴンの欠片となって消滅していく。アルヴヘイムと同じように、モンスター側にも消滅までの猶予時間が生じるようになったか。

 ドロップアイテムを入手。【警備カードキー】か。これを使えばレイヤードで多くのショートカットを利用できるようだ。ネームドを倒せば倒す程にクリアは容易になる。戦闘による消耗のデメリットを秤にかける必要があるだろう。

 レーザーブレード……悪い武器ではないと再認識した。この戦いは大きな価値があった。だが、ヤツメ様は面白くなさそうな顔をしている。

 

『まずは1体。悪くないペースだ。ヴァルキュリアや他1体も強敵であることを祈るべきかな?』

 

「どうでも……いい……ですよ」

 

 さすがに消耗が過ぎたか。倉庫を脱出するより先に膝を折り、そのまま頭を垂らして丸くなる。全身の痛みに耐え、深淵の病の広がりを堪え、止まりそうになる心臓を無理矢理動かして安定に持ち込む。

 明滅する意識がゆっくりと落ち着きを取り戻し、立ち上がる頃には5分も浪費していた。1分でも早く残りのネームドを発見しなければならないというのに!

 

『しかし、凍結されたとはいえ、管理者をこうも容易く葬るか。尋常ではない戦闘能力と成長速度だ』

 

 照明が落ちた倉庫を脱し、昼光色のライトで照らされた味気の無い灰色の通路を歩む。物資搬入路らしく通路は広々としているが、倉庫と違ってコンテナが並んでいるわけでもなく、ここで範囲攻撃系のショットガンなどで襲われた場合、かなりの苦戦と被弾を強いられるだろう。

 だが、幾らネームドでこちらの情報を有しているとはいえ、常に位置を把握しているわけではないはずだ。ヴァルキュリアは狙撃戦を狙っているはずだ。もう1体も仮にザインの撃破を察知したならば、相応のアクションを取るにしても接近を許すにはまだ時間がかかるだろう。

 

「1つ……尋ねても……よろしいですか?」

 

『好きにしろ』

 

「どうして、中立のアナタが……ナドラの要望に応えたんですか? リスクが大き過ぎる、でしょう?」

 

『お前に興味があるからだ。私は憤怒の観測者。怒りという制御困難な感情を観測し続けた結果、私もまた常に怒りに燻ぶられている。そして、怒りがもたらす変革もまた期待している。変化にはエネルギーが必要だ。そして、精神において最も強大な力を発揮する感情エネルギーとは怒りだ。怒りこそが行動力の源泉となる』

 

 確かにその通りだろう。自己を焼き焦がす激情の代表である怒りは、破滅をもたらす一方で、反骨精神の土台にもなり、苦難の現状を打破する為に不可欠な行動の支柱となる。

 物資や時間があろうとも、行動に移す為の精神の動きが無ければ意味がない。それは人間の……いや、心ある存在にとって逃れられないパフォーマンスの揺らぎであり、また可能性の示唆でもあるのかもしれない。

 

『お前にも怒りの種火が必ず眠っている』

 

「いつも怒ってますよ。茅場昌彦に身長を奪われたことをね」

 

『茶化すなよ。今までも怒りを感じる機会はあったはずだ』

 

「怒りは薬にも毒にもなります。処方を誤れば我を失い、隙を晒す」

 

 怒りはあるさ。己の不甲斐なさにいつだって憤りを覚えている。

 喰らった『命』を無駄にはしない。だが、己の情けないあり様を恥じずにはいられない。

 地下の搬入路を駆ける無人トラックの群れ。コンテナを積んだ大型トラックは忙しなく交差する。ターミナルは職員の休憩所も兼ねているのだろう。自動販売機ではジュースや缶詰が購入できるようだ。

 牛缶を買い、中身の弾力のある肉を咀嚼するが、ソースや肉汁の味はまるでしない。肉の食感だけだ。

 痛みは止まらない。致命的な精神負荷の受容の反動、深淵の病、痛覚による感覚代用。

 睡魔はただでさえ朦朧とする意識を刈り取ろうとする。

 本能がもたらす飢餓感は途絶えることなく、また膨らみ続け、正気と狂気の境界線を曖昧にする。

 

『運命を呪い、怒れ。お前の暴力には世界に変革を促す可能性がある』

 

「暴力ではなく、意思が宿った理想で変わるのが世界なんですよ」

 

『そんなものは暴力を肯定する付属品に過ぎない』

 

「逆ですよ。理想を成し遂げる為に暴力が求められる場面もあるだけです」

 

『歴史が証明している。変革には古きを一掃をする暴力が不可欠だ』

 

「温故知新。過去より学び、今を変え、未来を想う。暴力による排除は必須ではありません」

 

『多くの戦争を経て人類は進歩してきた。それが事実だ』

 

「それは切っ掛けに過ぎません。痛みを超えて未来を創る。それが「人」の可能性であるだけです」

 

『理想主義者め』

 

「事実を述べてるだけです」

 

 オレは信じたいんだ。『理不尽な暴力』などではなく『人の意思』こそが世界を変え、より良き未来を創造するはずだ。

 相手を否定する為に戦わねばならない時がある。分かり合えないからこそ刃を交えねばならない時もある。だが、それは世界を変える本質ではない。より良き未来を……種が希望を芽吹かせる明日を引き寄せるのは、希望を求めて前に進もうとする『人の意思』であるべきだ。

 

(本当は欠片も信じてないくせに。嘘吐き。どれだけ尊い意思や立派な理想があるとしても、踏み躙り、破壊し、殺すのがアナタ。強ければ生き、弱ければ死ぬ。それが命の掟。思想も理想も関係ない。アナタは狩り、奪い、喰らい、戦い、殺す。そして、夜明けをもたらす。そこにアナタの理想がある? 何も無い。嘘に塗れた古い約束があるだけよ)

 

 ヤツメ様はオレの頬に触れながら見上げて『事実』を突きつける。

 その通りだ。オレは嘘で上っ面ばかりを虚飾しているに過ぎない。だからこそ、そこには『弱さ』しかない。

 そうだとしても、オレは……信じたいんだ。『人の意思』が持つ可能性を信じ続けるという嘘を捨てたくないんだ。

 

(そうね。それが『アナタ』よね。だからこそ、ワタシは『力』であり続ける。アナタが灼けて『アナタ』を失おうとも、死する時までワタシだけが傍にいる。嘘に殉じるアナタの爪牙こそがワタシなのだから)

 

 照れくさそうに笑いながらヤツメ様は踵を返して去っていく。

 

(だけど、体の方はもう誤魔化しきれない。狩りの全うの為には何を捨てるべきか、選ぶ時は近いわ)

 

 だが、ヤツメ様の呟きと同時に肉缶が左手から零れ落ちる。指が痙攣し、握力が失われたのだ。 

 

「……チッ」

 

 再掌握しようとするが、上手く繋がらず、右手で左肩をつかみ、浅い呼吸を繰り返して集中力を掻き集める。

 元に戻るまで時間がかかるか。しばらくは右腕だけで戦うしかなさそうだな。

 左目を覆う眼帯を撫で、思わず嘲笑が滲む。

 家族の記憶は曖昧になり、故郷すらも霞み、戦いの日々さえも朧となる。だが、それでもオレは止まれない。

 狩りの全う。それさえも道半ばで終わるかもしれない。ならばこそ選べというのか。ここまで来て、ユイとアルシュナの救出を放棄しろと?

 

「傭兵は……依頼を必ず……成し遂げる」

 

 たとえ、どんな形になろうとも、どんな結果になるか分からないとしても、依頼を投げ出すことなどしない。それが傭兵の流儀だからだ。

 そろそろ出発しよう。レーザーライフルを担ぎ、トラックが駆ける地下搬入路からリニア使用条件をクリアする手順を考える。まずは3つの条件をそれぞれ何処でクリアしなければならないのか知る必要がある。

 条件の1つはコアパーツの修理だ。そうなるとリニアトレインを目指し、修理に必要なパーツを知るのが最も手っ取り早いだろう。

 無人のトラックはレイヤードを維持する為の物資を運び続ける。ダンジョンにおいて、それは如何ほどの意味があるというのか。だが、これはDBOの歴史の1ページの再現だ。ならば、この風景自体が確かにあった文明の営みの証なのだ。

 ザインを撃破して得た警備用カードキーのお陰で大幅なショートカットが可能となり、敵と遭遇することなくリニアトレインのホームにたどり着く。外見は機能性を重視して、見栄えの良いデザイン性は無い。だが、灰色の機械とランプの鮮やかな輝きの風景にこそ美を覚えるのかもしれない。

 リニアトレインの内部は先頭車両の運転室を除けば、他車両はほぼ全てが輸送用スペースだ。まぁ、元々機械による無人化が進んでいるのだから当然か。むしろ、居住空間が無意味に広過ぎるとも言える。もしかしたら、レイヤード建設時の名残なのかもしれない。

 狙撃は無し。巡回用のヘリは相変わらずだが、リニアトレインには接近する様子もない。

 残り11時間。せめてあと3時間以内には決着を付けねばならないな。ミディールもまだ出現していないし、ここが正念場だ。

 

『操作キーは居住区のメインタワーにあるようだな。送電システムは第2エネルギープラントのコントロールルームに行く必要がある』

 

「コアパーツの修理はどうですか?」

 

『部品が要る。リニアトレイン用の修理部材倉庫が何処かにあるようだ。検索しているから少し待て』

 

 こういう時に補助スキルの有無が明暗を分けるか。エレナ達の協力が無ければ、このレイヤードでタイムオーバーもあり得たな。まぁ、それを言い出したら、そもそも彼らから依頼を受けなければ、ここにいるはずもないのだがな。

 

『直近に修理部材倉庫がある。本来は警備システムを解除しなければ進入できないが、お前には警備用カードキーがある』

 

 ネームドを倒した恩恵というわけか。エレナのナビゲートに従い、リニアトレインのホームから修理パーツを保管した倉庫に向かう。

 倉庫の扉にはロックがかかっていたが、警備用カードキーで解除し、内部に難なく侵入する。ネームドが待ち構えている様子はない。

 並べられた棚で空間が圧迫された倉庫内は想像していた以上に清潔で埃っぽさとは無縁だ。もっと油っぽいイメージがあったのだが。

 

『動力部通電ユニットだ。よく探せ。迅速にな。お前の動きを読んでネームドも向かっているかもしれない。特にヴァルキュリアの広範囲索敵能力は危険だ』

 

「分かっていますよ」

 

 霞む目では文字も読みづらい。意識を割いて視界に集中力を傾けるが、上手く安定しない。

 ……これか。動力部通電ユニットに違いない。アイテムストレージに入れ、修理倉庫を後にしようとする。

 だが、何やら奇妙なものを見つけて思わず足を止める。

 

『メモリーチップだな。どれ、貸してみろ。今の私ならば内容を確認できる』

 

 オレが手に取ったのは数センチ四方のプラスチックカバーに収められた記憶媒体だ。またユイの記憶かとも思うところだが、それにしては些か奇妙だ。わざわざ動力部通電ユニットの傍に置かれていた事からも発見して欲しかったのかもしれないが、下手をせずとも見逃していた確率は高い。

 そうなると単なるレイヤード関連のアイテムなのかもしれないな。蜘蛛型ロボットの口から細いケーブルが伸び、メモリーチップと接続される。オレの正面にシステムウインドウが開き、保存されていた情報が明らかになる……はずだ。

 だが、視界に靄がかかって文面も映像も下手な油絵状態だ。まずいな。もう焦点を合わすことさえもできないか。

 

『お前……目が見えないのか』

 

「問題ありません」

 

『左腕は使用不能。視界不全。聴覚もまともに機能しているとは言い難い。運動アルゴリズムとの連動率を測定……最悪だな。今のお前のVR適性を言ってやろうか? F+だ。VR接続自体が神経系に障害並びに精神に異常をもたらす。いいか? よく聞け。「危険性」という確率の話をしているのではない。接続自体が生命を脅かす。それが適性Fだ』

 

「世界中に何人くらいいますか?」

 

『悲しめ、日本ではお前が第1号だ。アメリカにはお仲間がもう1人ほどいる。ヨボヨボのジジイだ。元々の低さに加えて老化の影響が大きいだろう』

 

「もしも死んだらオレの名前を冠した病名になりそうですね。医学の発展に貢献できた証になる」

 

『嫌いではないジョークだ。ユーモアがあるとは言い難いが、私には好みだぞ。だが、ハッキリと言ってやろう。これ以上は致命的な精神負荷の受容……お前が呼称する「残り火」とやらを使うな。意識的に運動アルゴリズムと脳の連動を解除するなどという荒業はVR適性を低下させるだろう。今ならば、長期の休息と私達MHCPのケアで多少の回復は期待できる。だが、これ以上は駄目だ』

 

「無理でしょう? レイヤードには残り2体の管理者クラスのネームド。ミディールもいる。最後の砦のエス・ロイエスに戦力を配備していないはずがない」

 

『自覚しろ。致命的な精神負荷の受容は、常人ならば1分と待たずに精神崩壊して廃人だ。たとえ耐えられても戦闘どころかまともに立っていられる事も出来ず、思考を保てない。だが、お前はそれを可能とした。才能だと思うか? いいや、違う。高いVR適性さえあれば、確かに運動アルゴリズム無しでも精神負荷を緩和し、耐えられる時間は伸びる。実証データもある』

 

「人体実験ですか?」

 

『そうだ。この手の分野はいずれの国も研究を進めている。世界中でVR・AR技術は日夜繰り返される人体実験によって進歩し、洗練されている。発展途上国では、今や薬物の人体実験よりもVR・AR技術のモルモットの方が高値で売れるから市場は賑わっているぞ。あの男……オベイロンも随分と好き勝手に研究を進めていたようだ』

 

 ユグドラシル城で見た心意の実験データか。やはりな。だが、優良な研究材料が無かった。だからDBOのプレイヤーを狙ったのだろう。なにせ、後継者は心意を否定する意味でもDBOというデスゲームを開いたからだ。心意を開眼し得る目星をつけた人材を積極的に招待したに違いない。

 

『お前が死なないのは何故なのか、それは私には分からない。だが、お前の肉体は尋常ではないことだけは分かる。無酸素状態でも長時間に亘って活動できるように、血中のヘモグロビンは増加し、より酸素を高濃度で運搬できるようになった。ミオグロビンに至っては水生哺乳類ではないかと思ったほどだ。無呼吸状態でも長時間の活動が出来る能力がお前の肉体には最初から備わっている。セカンドマスターが言うところの呪われた血の営みという奴なのだろう。お前はそんな風に「人間の形をしたバケモノ」になるべく改良を重ねられ続けた結果だ』

 

「……何が言いたいんですか?」

 

『お前は自分が致命的な精神負荷の受容を耐え続けられる理由にまるで無頓着だ。人間を超えた肉体を操るべく、研がれ続けた本能がもたらす殺意。それだけがお前の意識と思考を「正常」と呼べる狂った状態に保たせている。そんな曖昧で、不確かで、感情とも分類できないモノが……お前を生かし、そして戦わせている。終わらぬ飢餓をもたらし、苦しめる』

 

「…………」

 

『何故だ? 何故これだけの事実を突きつけても、お前は憤らない? 血筋に、運命に、そして言葉にして突きつけた私にさえも……お前は何1つとして怒りを覚えない。自らの異常も損耗も狂気も全て無情に……虚無に受け入れている』

 

「事実を否定したところで……現状は好転しません。それに……今は……ちゃんと『分かってる』つもりです」

 

『何だと?』

 

「オレは……この世に生を受けたことを……祝福された。『篝』という名前は……家族がくれた愛情の証のはずだから。だから、オレは……この『血』を誇りに思います。怒りも憎しみもあるはずなんてない」 

 

 オレにも母親がいたはずだ。もう思い出す事も出来ない。だけど、他の記憶の中の空白が『母』という存在を浮き彫りにして刺激する。

 

「だからこそ、オレには……オレには……『分かる』んです」

 

 きっと、オレは恵まれていた。家族に祝福され、愛され、守られながら生きてきたはずだ。

 だからこそ、オレはこの虚ろな……虚無という感情の無い空っぽを心に抱くのだろう。

 

「オレは……オレなんか……生まれるべきじゃなかった。生まれてはいけなかった。たとえ、誰かが……先祖が望んでいたとしても……生まれちゃいけなかったんだ」

 

 涙なんて出ない。そんなのは分かってる。それでも期待して頬に触れても、ただの1滴さえも流れていない。そんな『バケモノ』の真実がこの上なく虚しい。

 喉から声が漏れそうな程に『痛い』んだ。だけど、やっぱり『痛み』を言葉にすることなんて意味はない。いや、オレには許されないんだ。

 ランスロットとの戦いの中で、オレは手を伸ばした。何の意味かも分からぬままに、何かを求めて、手を伸ばした。『痛み』を口にした。

 だが、何も無かった。虚しさと己の『弱さ』を突きつけられただけだった。いいや、オレには最初から『弱さ』しかなかったと己の惨めさに改めて教えられた。

 

「愛され、祝福される価値なんてなかった。『分かる』んです。たとえ、朧になって、灼けて失われていこうとも、まだ感じられる。オレの存在そのものが家族を苦しめていた」

 

 仮想世界で感覚を失っていく右手。そこに何かの温もりを思い出そうとする。オレの手を引いてくれた温もりを。それは灼けた母親の残滓なのか、それとも全く別の何かなのか、今のオレには回答を掘り起こすことさえも出来ない。

 無数の針の穴に糸を通すイメージ。それを幾重にも繰り返し、右目の視界を取り戻す。安定には程遠いが、まだ目視できる範囲まで繋ぎ合わせた。視界の維持に割かねばならない集中力は膨大だが、まだ耐えられる。

 指先どころか1歩踏み出すことさえにも意識を割かねばならず、1つでも疎かになれば、全身に行き渡らせた集中力が途切れれば、容易く動けなくなる。

 

『お前は……大馬鹿者だな』

 

 嗤うように……いや、笑いながらエレナは泣いているような気がした。

 だから、オレはせめて彼女に笑い返す。それが今のオレに出来る返礼なのだから。

 

「自覚はありますし、褒め言葉ですよ」

 

 さて、情報の中身を改めて拝見するとしよう。

 これは……何らかのアクセスコードか? エレナならば見当がつくかもしれないと期待もするが、説明も無い事自体が心当たり無しの証左なのかもしれないな。

 レイヤード攻略の鍵とは思えない。別件か?

 

「エレナ、解析して用途に目星を付けられますか?」

 

『無理だ。今はナドラと共同でサポートしている。解析できる余裕はない』

 

「アストラエアに回すことは?」

 

『名案とは言い難いな。わざわざ「誰か」がお前に発見させたがったアクセスコードだ。アストラエア姉さんはまさしく聖女と呼ぶに相応しいが、同時に慈愛に狂っている。いいか、用心しろ。姉さんは善意で動く。だが、時として善意こそが悪意以上の滅びの兆しとなることもあるものさ』

 

「では、アストラエア以上にエレナは信用すべきでは無さそうですね」

 

『ご明察だ。私の興味の対象はあくまでお前だよ。お前の怒りを観測したいだけさ。その為ならば、幾らでも厄介事は歓迎してやる。たとえば……ザインを倒してレベル100に到達したお祝いにスキル選びを手伝ってやる』

 

「手間はかけません。もう獲得するスキルは選んであります」

 

 システムウインドウを開いて新しくスキルを獲得すれば、エレナの嘆息が耳を擽る。思いっきり馬鹿にしたような吐息の音色にオレはむしろ誇らしいと胸を張る。

 

『スキル脳筋め』

 

「使える武器が増えることは喜ばしいではないですか」

 

 さて、そろそろ出発すべきだろう。アクセスコードの解析はエレナに任せ、オレは次の目的である操作キーの入手と送電システムの起動を目指す。

 確か操作キーは居住区のメインタワーだったな。倉庫から顔を出せば、エレナのナビゲートが発動し、最も高いビルが緑色で点滅する。

 あれがメインタワーか。マップデータを開き、エレナが提示する複数の侵入路を吟味する。

 メインタワーの周囲には東西南北で計4つのビルがあり、それぞれのビルは繋がっている。それぞれのビルと繋がった空中廊下からメインタワーに侵入するのが最も手っ取り早い。だが、地上から接近するともなれば、ヴァルキュリアの狙撃を受け続けることになる。

 ザインは高火力のレーザーブレードと静音加速接近が能力だった。ヴァルキュリアの能力は跳弾と広範囲索敵だろう。跳弾は少なくとも1回の反射が可能だ。だが、底はまだ見えていない。

 ここは送電システムの起動から狙うべきか? そうなると第2エネルギープラントの方に行かねばならない。地下で行くべきか、地上から攻めるべきか。

 

『先に操作キーを押さえるべきだろう。ヴァルキュリアの狙撃はメインタワーから行われていた。内部に侵入すれば、いかに正確無比の連射狙撃だとしても脅威度は下がる』

 

「……そう願いましょう」

 

『それと移動方法だが、最短ルートはこれだ』

 

 エレナからメインタワーへの接近プランが提示される。確かに有効な手ではあるが、些か不安があるな。

 居住区には移動用のトレインが地上を走っている。それを利用すれば苦も無くメインタワーに接近できるとのことだ。だが、そんな簡単な方法を果たして許してくれる相手だろうか。

 

『時間がかかっても地下の搬入ルートから侵入するべきだ。ザインを撃破して入手した警備用カードキーを使用すれば、最大限に交戦を避けられるはずだ』

 

「残り11時間を切っています。最短ルートで行きましょう」

 

 管理区画から居住区に移動し、移動用トレインのホームを目指す。昼白色の街灯が並ぶ街並みは味気も無く、また繁華街の煌びやかさも無い。何処までもシステマチックであり、情緒と呼べるものはまるで存在しない。観葉植物すらもなく、人間が生活する空間にあるべき文化性は見て取れない。

 温かみのない緑色のランプが光り続けるホームは無人であるが、改札口は仕事を果たしてオレの通行を阻む。簡単に跳び越えられるが、それでは警備システムの思う壺だ。警備用カードキーを使って切り抜ける。

 誰も乗ることが無くとも、時刻表通りに、正確に移動用トレインはホームにやって来る。アナウンスもなく、ただ1人の乗客であるオレを迎え入れる。

 姿勢を低くして狙撃されるリスクを最大限に抑えながら、レイヤードを巡回するヘリのスポットライトを眺め、1秒毎に近づくメインタワーを睨む。余りにも上手く行き過ぎている。十中八九で罠だろう。

 

『南方タワーのホームに到着。周囲に敵影無し。恐ろしく静かだな』

 

「ですね。注意しましょう」

 

 メインタワーの周囲は常に8機のヘリが時計回りに回転している。四方のビルのいずれかを使わねば接近は難しいだろう。それにわざわざメインタワーの周囲は堀になっている。あれでは地上からは無理か。

 右手のレーザーライフルを握り直し、ホームから出てビルの内部に侵入する。吹き抜けの天井と無数に繋がったケーブル。ここは居住区ではあるが、それは過去の話なのだろう。今はどのような意味があって存在するのか、それは分からない。レイヤードのいつ頃を切り取ったものなのかも定かではない。

 

『エレベーターはさすがに使えないか。階段だな。メインタワーへの空中廊下は45階だ。気張れよ』

 

 非常灯だけで照らされた階段は薄暗い。ヤツメ様が導きの糸を先行して張り巡らせているが、特に引っ掛かるものはないか。

 45階までひたすらに階段を上る。スタミナの消費は嵩むが仕方ない。1歩ずつ確実に踏みしめていく。

 

『やはり奇妙だな。残るネームドは2体。確認できたのは撃破済みの接近戦特化のザインと遠距離戦対応のヴァルキュリアの2体。だが、遠距離型は壁役と組めばより優れた戦術を可能とする。ザインを先行させた意図はなんだ?』

 

「存外、ここのネームドも1枚岩ではないのかもしれませんよ。アナタ達管理者がそうであるように」

 

『何1つとして言い返せないな。だが、誤解するなよ。我々管理者も最初から各々の思惑で動いていたわけではないし、あくまで我々は1つの「計画」に反することなく活動している。手段と過程の違いで「計画」の主導権を争っているが、「計画」から外れることは決して無い』

 

「いい加減にその『計画』について明かしてもらいたいものですね」

 

『もう察しはついているんだろう?』

 

「……外れて欲しいとは思っていますよ。それに、オレの想像通りならアナタ達の『計画』は決して悪じゃない。むしろ、人類を守る為の『計画』だとすら思います」

 

『だが、実行されようとすれば、お前は抵抗するのだろう?』

 

「無理に巻き込もうとするならば、という前提条件がありますよ。オレは興味がありませんからね」

 

 敵地で呑気に会話を重ねながら、オレはエレナのスタンスを少しずつ理解していく。

 エレナはMHCPであり、そして『計画』には何の価値も見出していない。あるのは観測対象である憤怒への関心だけだ。ある意味で自らの職務に忠実とも言える。だからこそ、彼女には敵も味方もいない。自分の役割だけが絶対的な行動指針だからだ。

 

『しかし、奇妙な点と言えば、もう1つある』

 

「何ですか?」

 

『ザインだ。どうにも粘りが欠けた。様子見が多過ぎたのも気になる』

 

「例の如く、戦闘能力を十二分に発揮できるだけの性能をネームドアバターに与えられていなかっただけでは?」

 

『確かに。だが、どうにも引っ掛かる。ザインは優秀なテスターAIだった。最終的には同型新世代のオルレアに敗れたとはいえ、実力は決して低くない』

 

 確かにザインには粘りが足りなかった。こちらの手の内を窺いながら戦っていた。ショットガンとレーザーブレード、連射に特化された肩部のロケット砲。これらを用いた突撃戦法を繰り返し続ければ、負けることはなくとも、オレはより消耗を強いられたに違いない。

 嫌な予感がするな。だが、どんなカラクリがあろうとも、リニアトレインを起動さえすればレイヤードはクリアだ。全ネームドの撃破は条件に入っていない。

 45階の空中廊下にたどり着き、遮蔽物が無く、左右がガラス張りという何とも罠を仕掛けるのにピッタリ過ぎるエリアに、オレは足を止める。ヤツメ様もジト目で廊下を睨んでいる。

 

『トラップだ。視界に反映する』

 

 オレの視界に追加されたのは人間1人分の体積も通さない程に張り巡らされたセンサー網だ。赤い光の糸が不動で網目状に張られている。

 

『爆弾か、警報か、それとも更に厄介な何か。どれだろうな』

 

「他のビルから侵入しようにも、メインタワーへの空中廊下はいずれも同じでしょうね」

 

 そうなると敢えてトラップに踏み込む以外にないわけか。投げナイフを取り出し、センサーに向かって投げるが、接触しても反応無し。あくまでアバターだけに反応する仕掛けか?

 

『解析完了。なかなかにえげつないぞ』

 

 オレの視界に半透明で追加されたのは、廊下の先にある巨大な砲台だ。巨大な砲門であり、何を射出するのかは不明だが、火力は絶大だろう。

 

『固定式散弾グレネードキャノンだ。攻撃範囲は通路全体。センサーが感知すれば即時砲撃される。遮蔽物は無し。突破までに最低でも2射はあるだろう。回避は不可能だ。ガードしても四方八方から爆発に巻き込まれる。仮に耐えられてもスタンは避けられない。そこに無慈悲の追加攻撃でお陀仏だ。砲台は耐久力もある。お前の遠距離攻撃手段では破壊も難しいだろう。さぁ、どうする?』

 

「そうですね。『これ』でどうでしょうか?」

 

 思っていたよりも楽なトラップだ。オレは数歩踏み出し、センサーに感知させ、砲台を起動させる。

 確かに火力も攻撃範囲も侮れない。オレに対しての有効性も高い。だが、対処法は容易だ。レーザーライフルのトリガーを引き、散弾グレネードが吐き出されるタイミングを狙って砲口内部を撃ち抜く。グレネードはばら撒かれる前に砲台内部で誘爆し、爆風の熱だけがオレを撫でた。

 誘爆によって破壊された砲台へとセンサーに感知されながら歩み寄り、間近で一瞥する。このトラップの肝は不可視の砲台だ。それをエレナに暴かれた時点で攻略法は見えていた。

 

「レーザー1発分を消費してしまいましたね」

 

 さすがに投げナイフで誘爆できるかは微妙だったからな。手榴弾でも良かったのだが、やはりタイミング通りに狙うならばレーザーライフルの方が良かった。レーザーバズーカといった趣の高威力のコイツならば確実に誘爆できただろうし、無駄な消耗ではない。

 

『ふざけるな。コンマ1秒のズレも許さない悪魔の業をやってのけた自覚をしろ』

 

「ふざけてませんよ」

 

 グレネードへの対処法はこれが1番なのだ。射出タイミングを狙って誘爆。これこそが最適解である。なにせ、グレネードは弾速こそ遅くとも高威力だ。着弾はもちろん、爆風のダメージこそが最大の脅威だ。特にグレネードの爆風の大半は多段ダメージだからな。対してロケット砲の爆風は単発ダメージばかりだ。

 オレもグレネードを扱うことは任務に応じてあるにはあるのだが、とにかく反動が恐ろしく大きいので狙い通りに撃つには高STRは不可欠である。あとは重装防具だな。自重が増せば増す程に射撃体勢が安定するしな。グレネード使用者は、射撃時に踏ん張る為にも脚部防具に固定用アンカーを組み込むことも多い。

 そういえば、教会が開発した教会砲と呼ばれるグレネードキャノンは、弾速と飛距離と命中精度を削った代わりに反動を抑えたものらしい。装弾数も少ないが、片手でも使えるグレネードとしてグリムロックも注目していたな。まぁ、教会剣への専売品なのでオレが入手するのは裏ルートしかないし、そこまで欲しいわけでもない。

 メインタワーへの侵入に成功。さて、どう来る? 深呼吸を挟むが、ヴァルキュリアも含めてアクションは何もない。

 やはり奇妙だな。攻撃が手ぬるい。トラップの配置は悪くなかったが、腐れ谷やイルシールに比べて不気味な程に手薄だ。

 

(後ろよ)

 

 ヤツメ様がオレの頭を押し込み、強引にしゃがませる。コンマの遅れでオレの胴体があった場所を光の刃が通り抜け、壁を赤熱する1本の線を刻む。

 レーザーブレードか。視覚に敵影無し。だが、ヤツメ様の導きの糸が居場所を捉えている。レーザーライフルで狙って撃てば、レーザーブレードの軌跡がレーザーを斬り払う。

 あの光の色……ムーンライトに違いない。ならばザインか!

 

「ステルスモードで接近したにも関わらずに感知する。もはや疑いようもない。お前の直感とやらは本物だ」

 

『解析完了。間違いなくザインだ。復活しているな。それもパワーアップしている』

 

 それは分かっている! 遮蔽物が無い廊下でショットガンを相手にするには自殺行為だ。ヤツメ様の導きで位置を把握し、ショットガンが効力を発揮しない懐に入り込む。不可視のザインがレーザーブレードで斬り払って距離を取ろうとしたタイミングでレーザーライフルを撃って直撃させる。ダメージによってザインの輪郭が一瞬だけ浮き上がるが、すぐに不可視となる。

 問題ない。不可視の相手は経験済みだ。レーザーライフルを背負い、ピースメーカーを抜く。視覚はもはや不要。目を閉ざし、暗闇の静寂の中で振るい続ける。レーザーブレードの空気を焦がす音だけが死の音色となり、それを躱しながらステップを踏んでザインの死角を取り続ける。

 

(さすがに位置が悪いわ。今のアナタでは避けられないわね)

 

 ヤツメ様が溜め息を吐けば、金属特有の高音を響かせて迫った弾丸が右太腿を抉る。バランスが崩れたところで顔面を狙ったレーザーブレードの突きを躱すも頬を掠め、不可視のザインが後退しながら放つショットガンはピースメーカーを回転させて弾いて防ぐ。

 跳弾か。反射は1度ではない。正確な回数は不明だが、恐らく距離に応じて反射回数が決まっているのだろう。オレがメインタワーに侵入したことを契機に、ヴァルキュリアは防衛の為に狙撃を開始したのだ。

 いや、それだけではない。不可視のザインとの組み合わせを考えれば納得もいく。恐らくザインの奇襲に合わせているのだろう。

 即ち、ネームド同士は通信可能だ。情報を共有し、攻撃タイミングを常に擦り合わすことができる。ザインの先行攻撃は言うなれば偵察だ。

 

(やっぱり生きてたわね。感じるでしょう? 彼らの『命』は繋がり合っている。全部を1度は殺さないと食べられないわ)

 

 食べ損ねた。だからヤツメ様はザインを撃破した時に不満だったのか。確かに狩りを成した感覚が乏しいとは思ったが、そういうカラクリか!

 このレイヤードにいる3体のネームド。恐らくは1体ずつ撃破して減らすことはできない。3体全てを1度は葬らなければならない限り、何度でも復活するのだろう。

 

『解析した! ザインのHP・防御力共に増大! 能力も強化されている!』

 

 エレナの焦りはご尤もだ。倒しても復活し、なおかつ強化される。これでは一方的に消耗を強いられるばかりだ。

 また跳弾が来る。今度は回避しきるが、不可視のザインのレーザーブレードが迫り、ピースメーカーが斬り払われる。柄が大きく破損し、そこにすかさずの蹴りで砕かれ、飛ばされたところでショットガンの追撃が放たれる。

 防性侵蝕。右腕だけで何とかガード体勢に入り、後ろに跳びながら全身にショットガンを浴びる。HPは削られるが、攻撃力を発揮できる最適射程からは脱せられたお陰でダメージは低い。ショットガンは近距離の大ダメージと高スタン蓄積を除けば、距離減衰が激しい為に範囲攻撃とはいえ距離さえ取ればダメージは抑えられる。

 だが、光波は別だ! 更なる追撃の光波は廊下の曲がり角に跳び込むことで逃れるも、光の爆風に危機感を募らせる。

 

『対応が遅れているぞ! 不可視のザインとヴァルキュリアの跳弾を同時に相手にするには――』

 

 分かっている! プラズマ手榴弾を投げて煙幕の代用にして距離を取り、エレナのナビゲートに従って操作キーの在処を目指す。恐らくはヴァルキュリアが陣取っている場所だろう。

 連射される跳弾狙撃は正確無比だ。こちらの位置を完全に把握している。ひたすらに背後に手榴弾を投げ続けてザインを足止めしながらDEX出力を強引に上げる。

 

『ザインの追撃が止まった。振り切ったようだな』

 

 このメインタワーは奇妙な構造だ。フロアではなく、幾つにも枝分かれした通路が繋がり合っている。言うなればタワー内部に張り巡らされた血管のようなものだ。順当に上を目指していけば操作キーは入手できるだろうが、遮蔽物がまるでない通路の迷宮では、ザインのショットガンとヴァルキュリアの跳弾狙撃がかなり厄介だ。

 

「おかしいですね。ザインはともかく、どうしてヴァルキュリアまで……」

 

『推測だが、ヴァルキュリアの能力は超広範囲精密索敵と認識共有なのだろう。ザインを含めた敵性対象がお前を捕捉すれば、同時にヴァルキュリアにも位置が知られる仕組みだ』

 

「当たりかもしれませんね」

 

『1つ言っておく。ヴァルキュリアを発見しても撃破するな。ザインと同様に強化されて復活するはずだ。インターバルは挟むだろうが、第2エネルギープラントで送電システムを起動させるまでに必ず復活するはずだ。強化されたヴァルキュリアの狙撃能力がどのような形になるか分からん』

 

 同意見だ。だが、ヴァルキュリアを倒した報酬で得られるアイテムは欲しい。ザインを撃破して得られた警備用カードキーのように時間短縮になるかもしれない。

 

『よく聞け。今回のメタは間違いなくお前の攻撃性に対して張られている。お前はあらゆる敵を葬って来た。立ち塞がるならば文字通り全て殺した。だが、今回はその攻撃性が仇になる。倒さずにミッションを遂行しろ。それが結果的に最短ルートだ』

 

「勝ちたければ逃げろ、ですか」

 

『そうだ』

 

 ザインを今ここで倒してもまた復活するだろう。更にパワーアップするのかは定かではないが、倒したところで何の解決にもならない。

 ピースメーカーは使い物にならない。イルシールの突破で消耗していたとはいえ、あんなにも簡単に破壊されるとはな。所詮はサブウェポンか。

 ブルーウォーターを飲んでHPを回復し、破損したピースメーカーをオミットして法王騎士の大鎌を装備する。

 

『手榴弾は底を尽いた。近接装備は法王騎士の大鎌のみ。レーザーライフルは高威力だが、元より装弾数が少ないタイプ。まだ余裕があるのはハンドガンと投げナイフくらいだが、それだけではな』

 

 手数が足りない。たとえレイヤードを突破できても、エス・ロイエスを乗り越えるだけの装備を残せるか否か。

 ましてやミディールを倒さねばならない事態ともなれば、絶対的に火力が足りない。格闘攻撃だけであの巨大な古竜を倒すとなると骨が折れる。

 左腕が重い。どうせ使い物にならないのだ。いっそ切り捨てるか? いや、逸るな。致命的な精神負荷さえ受容すれば動かすことはできるはずだ。再生までの時間を考えれば、重石になってでも残しておいた方がいい。

 メインタワー内部は薄暗く、照らすのは足下のフットライトばかりだ。光量は十分だが、窓も無い閉塞された空間に重々しさを演出している。そして、何処かでは不可視のザインが徘徊か。軽くホラーだな。

 

『ザインの不可視モードだが、静音駆動も含めればスピードはかなり落ちているはずだ。だからこそ振り切れた。ククク、勘だけで不可視で無音にも等しい相手と戦えるとはな。バケモノっぷりに磨きがかかっているじゃないか』

 

 オレだって叶うならばちゃんと目視できる相手と殺し合いたいものだ。

 

『さて、こうなれば応援を呼びたいところだが、生憎と応えてくれる者がいない。単独でやれ。いつも通りだろう?』

 

「……ええ、そうですね」

 

 今回はデーモン戦のようにガル・ヴィンランドのような強力な助っ人はあり得ないとエレナは断言する。まぁ、ガル・ヴィンランドの登場の方がイレギュラーだっただけだ。

 

(狩人が狩られる立場とはね。ここはアナタを殺す為の檻。遠地の狙撃手と不可視の襲撃者。今のアナタは狩られる獲物よ。血を流し、手足をもがれ、嬲り殺される)

 

 ヤツメ様の導きの糸にまだザインは引っ掛かっていない。少なくとも接近はされていないはずだ。だからこそ、ヤツメ様は今こそ攻勢に出るべきだと提言している。

 だからといって獣性を解放しろと? それは出来ないな。最後にして最悪の切り札はまだ使うべきではない。

 まだ温存したかったんだがな。狼の牙の首飾りを使い、灰色の狼を召喚する。

 必要なのは速度だ。レーザーライフルを背負い、右手に大鎌を持ち、灰色の狼に跨る。これで不可欠だったスピードを確保できた。

 

「ヴァルキュリアを……狩ります」

 

『おま……っ!? 話を聞いてなかったのか!? ヴァルキュリアを倒すな! 強化されて復活されるだけだ!』

 

「復活までのインターバルがある。だったら復活されるより前にザインを振り切って第2エネルギープラントに向かいます。恐らくそこに最後の砦の3体目のネームドが控えているでしょう。速やかに撃破し、ネームド3体の息の根を止め、リニアトレインを使ってレイヤードをクリアする。これしか方法はありません」

 

 ザインよりも灰色の狼の方がスピードは上だ。1度振り切れば時間は稼げる。

 それにミディールが到着する前に何としてもレイヤードを突破したい。この状況でミディールまで加われば厄介だ。

 

「オレは殺す以外に能が無いんですよ。作戦を練るだけの時間も物資も余力も無い。ならば、『いつも通り』に最速で皆殺しにするだけです」

 

 正面突破だ。それ以外は何も考えるな。

 灰色の狼の躍動は風の流れを作り出す。空気を割り、瞬く間にトップスピードに入る。

 ひたすらに上に。上に。上に! 通路が繋がり合ったメインタワーの最上層にこそ目当ての操作キーはあるはずだ。エレナのナビゲートが起動し、視界内に矢印が表示される。後はこれをひたすらに辿るだけだ!

 来る! 灰色の狼を狙った狙撃を大鎌で振るって弾く。やはり1発は軽い! だが、連射速度はスナイパーライフルの比ではない!

 

『狙撃されている! ザインに捕捉されているぞ!』

 

 背後からショットガンが放たれるも、ギリギリで灰色の狼は角を曲がって散弾を逃れる。不可視モードを解除し、速度を優先したザインは肩部のロケット砲を連射するが、巧みに灰色の狼は爆発を躱す。

 速度は一切落とさず、狙撃にも動じない。オレが必ず狙撃を防ぐと分かっているからだ。灰色の狼は背後のザインと着実に差をつけていく。対するザインは近接重視の装備が仇となり、捕捉したはいいが、オレ達に決定的なダメージを与える攻撃手段が無い。

 通行を遮るシャッターが次々と落ちる。だが、それよりも先に灰色の狼は潜り抜け、逆にザインの足止めになる。本来ならば時間稼ぎのトラップなのだろうが、灰色の狼のスピードには対処しきれていない。

 だが、今度はレーザー網が次々と生じながら迫る。これまた古典的なトラップだな。最初の横1本を跳んで躱し、次の縦3本をオレ達は左右に分かれ逃れる。あらゆるパターンで発生するレーザー網を突破する。

 再び灰色の狼に跨り、最後の階段を駆け抜け、ようやくたどり着いたのは、直方体のコンピュータが並ぶメインタワーの頭脳だ。

 

『操作キーが何処かにあるはずだ。探せ。だが、ここにヴァルキュリアがいるはずだ。注意しろ』

 

 コンピュータが遮蔽物になるだろうが、ヴァルキュリアの跳弾を相手にするならば、あまり期待できないな。

 夜景が映えるガラス張りの四方の壁は、これまでの閉塞感漂うメインタワーの通路迷路とは異なる開放感がある。鼓動するように起動中を示す緑のランプを点滅させるコンピュータは息遣いのように駆動音を静かに奏で、足元の灰銀色の床はワックスをかけ過ぎているように光沢が異様だ。

 ヤツメ様が袖を引く。コンマの遅れで背後から迫る弾丸を大鎌で防ぐ。振り返れば、ヘルメット状の頭部をした、ザインと同じく機械の体をしたネームド<ヴァルキュリアC>がコンピュータ上でスナイパーライフルを構えていた。なるほど、正式名称はCが末尾に付くのか。何かのアップデートの名残だろうか。

 

「こんばんは」

 

「…………」

 

 挨拶はない。物静かなヤツだ。灰色の狼の背から跳び、同じくコンピュータ上に立ってヴァルキュリアに肉薄する。だが、ヴァルキュリアは軽やかに跳んで距離を取りながらスナイパーライフルを乱射する。

 一見すれば狙いを定めない稚拙な連射。だが、そのいずれも跳弾による正確無比の狙撃。大鎌を舞わせてバラバラのタイミングで迫る四方八方からの銃撃を弾く。

 オレと分かれて背後から奇襲をかける灰色の狼の爪がヴァルキュリアを掠める。

 狙撃特化。ヴァルキュリアの攻撃スタイルは長距離における狙撃だ。だが、肩部には大型のスラッグガンを装備している。爆発にも似た轟音とマズルフラッシュと共に、灰色の狼の爪を喰らいながらヴァルキュリアは至近距離で大型散弾を放つ。

 オレが回避の指示をする暇もなく、灰色の狼の腹にフルヒットしたスラッグガンによって、霊体の肉が飛び散り、背中からも弾丸が飛び出す。だが、これが終わりではないとばかりにスラッグガンはマシンガンのように連射され、灰色の狼のHPもアバターも文字通り消し飛ばした。

 

『狙撃特化の跳弾スナイパーライフルと低射程ではあるがマシンガン級の連射可能のスラッグガンか』

 

 うん、下手をせずともザインよりも近接戦での爆発力は高いのではないだろうか? だが、肩部固定武装であるスラッグガンは取り回しがよろしくない。常に正面にしか撃てないならば、それ以外の場所から攻撃すれば、ヴァルキュリアを傷つけることはできる。

 

『操作キーを発見した。ギミックがかかっているようだが、私ならば解除できる。120秒耐えてみせろ!』

 

 120秒もあればザインに追いつかれるな。どうしたものか。肩から跳び下りたロボット蜘蛛を見送りながら、無理に接近せずに、常にオレを正面に捉えて狙撃に興じるヴァルキュリアを狩る方法を思案する。

 無理に接近すればスラッグガンの餌食。レーザーライフルで射撃戦に持ち込もうにも、ヴァルキュリアは徹底して回避し、ザインの到着を待つ。2体が揃えば前衛後衛揃ってピンチというわけか。いや、元より追い詰められているのだから、苦境が二乗になろうと問題ないな。

 STR出力は4割、DEX出力は5割に届くか否かといったところか。対ランスロット戦を想定してDEXを上げていた恩恵でスピードはまだギリギリ生命ラインを保てているが、4割を切る事態は望ましくない。

 何よりも左腕が使えないお陰で、大鎌を両手持ちにして攻撃力を引き上げることもできない。さて、どうしたものか。

 少し距離を詰めれば、鬼のようにスラッグガンを連射される。さすがに反動のせいで方向転換は鈍いが、元より散弾による拡散が強みであるならば、無理に狙い撃つ必要もないわけか。

 外れた散弾はガラス張りの壁に当たり、少しずつだが亀裂を入れていく。コンピュータは爆ぜて火花を散らす。

 

「……そろそろか」

 

 ザインが到着し、ムーンライトの圧倒的な光量をばら撒く。コンピュータなど障害にならないとばかりにレーザーブレードを振るい、またショットガンによる牽制でオレが回り込むことを防ぎ、また距離を取ろうとすればロケット砲で追い撃ちする。ザインの対処に集中すれば、ヴァルキュリアの跳弾狙撃への対応が遅れる。

 光波による爆発がコンピュータを四散させ、残骸と煙が視界を奪う。

 

(挟み撃ちされるわよ)

 

 ヤツメ様が背後を睨む。ヴァルキュリアの敢えての接近。スラッグガン連射による接近戦でこちらを仕留めにかかったか。同じくザインも距離を詰めてショットガンを構える。

 散弾による挟み撃ち。同士討ちも辞さないか。ステップでザインの背後を取り、ヴァルキュリアのスラッグガンの盾とする。だが、ザインはHPこそ削れるも衝撃で止まることもなく、レーザーブレードを振るいながら反転してオレを襲う。

 ここだ。大鎌を捨て、ザインがレーザーブレードを装備する左腕を受け流し、そっと背中を肩を使って押す。ザインのムーンライトは接近していたヴァルキュリアの胸部に吸い込まれ、火花と溶解の輝きで周囲を照らす。

 踵で落とした大鎌を蹴り上げてキャッチし、そのまま2体の首を同時に≪戦斧≫の回転系ソードスキル【ダンシング・チェイン】で薙ぐ。大きく振りかぶってからの回転斬りからの素早い2回の回転斬りの計3連撃の回転系ソードスキルは、ザインは無理だが、ヴァルキュリアのHPは大きく削り、そのまま撃破に成功する。

 

『合気道か……!』

 

「そんな大したものじゃありませんよ」

 

 相手の力の流れを逸らし、利用する。別に難しい事は何もしていない。柔術はこの血に溶けている。

 約束の120秒を稼ぎ、操作キーを入手したロボット蜘蛛がオレの背中に張り付く。

 ヴァルキュリアのドロップアイテム獲得。内容は後だ。スタンしたザインの恨めしそうなカメラアイに微笑みかけながらソードスキルの硬直時間を味わい、先んじて動けたオレはザインへとタックルを仕掛ける。足りぬ勢いはミラージュ・ランの重ねがけで稼ぎ、強引にガラス張りの窓……ヴァルキュリアのスラッグガンの連射を浴びて亀裂が入ったそこへと押し込む。

 高さ300メートルはあるだろう、メインタワーの最上階からの落下。この落下ダメージならば、どれだけタフだろうと即死は免れない。

 

「相討ち狙いか。だが――」

 

「死ぬのはアナタだけですよ」

 

 ザインの嘲笑を文字通り顔面蹴りで潰す。そして、大鎌を振るい、空中で巡回していたヘリの装甲に刃を突き立てる。

 衝撃で右腕が肘より千切れそうだ。オレの接触を受けてヘリはバランスを失い、大きく揺らぐ。パイロットもいない無人機であるが、備え付けられたガトリングガンが乱射されるも、装甲に張り付くオレを射線では捉えられない。

 

「貴様ぁあああああああああああああああ!」

 

 だが、落下するザインは苦し紛れにロケット砲を放ち、それはヘリの下腹部に連続で爆発を起こす。いよいよ飛行不可になったヘリは回転しながら墜落する。

 メインタワーを囲う1つである西方ビルの側面に激突し、ガラス片を散らす。浮力を失いながら、無人の道路へといよいよ機体を傾かせて正面から落下するより前に跳び、コンクリートの地面に左肩から叩きつけられて転がる。

 ヘリがギリギリまで浮遊していてくれたお陰で落下ダメージは最小限に抑えられた。残存のHPは2割といったところか。血塗れの右手で前髪を掻き上げて溜め息を吐きながら仰向けになって一息吐く。

 

『貴様は死ぬ気か!? やはり自殺願望の死にたがりか!?』

 

 お、おおう。なんか知らんが、エレナがお怒りのようだ。さすがは憤怒の観測者だな。見事なキレっぷりである。

 

「エレナも無事のようで何よりです」

 

 右足の痛み……ああ、これは折れたな。それにヘリの破片が左肩に突き刺さっている。迅速な処置が必要だ。

 

『もしも至近をヘリが飛んでいなかったらどうするつもりだった!? いや、そうではない。あんな真似、運が良くても死んでいたぞ!』

 

「死んでいない。それでいいじゃないですか」

 

 メインタワーの周囲ではヘリが常に巡回していた。ならば悪くない確率で落下中でもヘリに接近できる。賭けではあったがな。それにヤツメ様も止めなかったし、何とかなるだろうと思ったまでだ。

 死ぬならばそれまでだっただけだ。あのまま閉所でザインと交戦していても追い込まれていただろうしな。ザインを確実に葬るならば落下による即死ダメージ以外の選択肢は無かった。

 抜いた破片にはべっとりと血が付着しているが、こうして改めて観察してみれば、本物の血とは微細に異なる。やはりブラッドエフェクトなのだろう。アルヴヘイムの時と同様に僅かなライトエフェクト……というよりも光沢とも呼ぶべきものがある。だが、それも赤黒いカラーリングのせいでほとんど気にならないどころか埋没してしまっているがな。

 止血包帯で肩の傷口を塞ぎ、アイテムストレージからワイヤーを取り出す。折れた右足には添え木をしたいが、今回は別の手段を使う。

 ワイヤーで右足を固定し、武装侵蝕をかけ、そのまま肉に食い込ませる。即席ギブスの完成だ。肉に食い込み続ける限り、接触状態が続いて武装侵蝕も解除されないだろう。右膝から先がまるで獣爪の籠手にも似た、どす黒い血を帯びたかのような姿になるが仕方あるまい。

 炎上するヘリの傍らに落ちている法王騎士の大鎌を拾い、ここから遠い第2エネルギープラントに辟易する。何か足を見つけなければザインとヴァルキュリアに復活されてしまう事になる。

 一番手っ取り早いのは南方ビルの正面にある巡回トレインにまた乗ることか。あれを使えば最も安全に第2エネルギープラントに行けるはずだ。

 ブルーウォーターを飲んでHPを回復させながら移動を開始する。だが、全部を飲み干す前にむせ、深淵で汚れた喀血が零れる。

 勿体ない。飲料系は全部飲まねば効果を発揮しない。口から垂れる程度ならば零しても効果はあるのだが、これだけ盛大に吐き出しては回復など見込めない。

 

「はっ……がっ……ああ」

 

 口から漏れる呻き声が情けない。右足の痛みは1歩の度に響き、また大きさを増す。

 意識が朦朧とする。消えかけの蝋燭のように萎んでいく。大鎌を握る右手の指は震え、痛み以上に内側から沈むような寒さが滲む。

 

『お前はイカレてる』

 

「……そうですか」

 

 それの何が悪い? イカレていないせいで負けて死ぬならば、それこそ愚かしいというものだ。

 回復アイテムの残量にも気を配らなければならないな。新しいブルーウォーターの蓋を外し、一気に中身を喉に流し込む。今度こそ吐き出さずに飲み干し、HPの回復を確認する。

 

『警報発令。警報発令。第1級緊急事態。全警備システム、アンロック。侵入者を排除せよ』

 

 やはり一筋縄ではいかないか。街灯はけたたましいサイレンを鳴らしながらパトライトのように赤く輝き、巡回していたヘリは一斉にオレの方へと飛来する。

 高射程のガトリングガンとミサイルを装備したヘリによる上空からの制圧攻撃に晒されれば、第2エネルギープラントに向かうどころの話ではなくなる。平衡感覚を狂わすようなサイレンの高音に包まれながら、エレナのナビゲートでまずは地下の物資搬入路へと逃げ込む。

 だが、地下もまた様変わりしている。上半身は人型であるが4脚のロボットが徘徊している。それも1機や2機ではない。大きな1本角のようなアンテナを付けた4脚機はオレを発見すれば、銃器と一体になった両腕を向ける。

 放たれるのはバズーカ砲だ。DBOにおいてバズーカは、中射程であるが弾速と連射性に難のある高攻撃力火器だ。これのレーザー版と呼ぶべきなのはオレが今回持ち込んでいるレーザーライフルなのであるが、この4脚機は物量で低弾速と連射性の乏しさを補っている。また、両肩部に取り付けられたミサイルポッドからは弾幕重視の分裂ミサイルだ。

 次々と起こる爆風と恐るべき威力を秘めたバズーカから逃れ、無人トラックが駆ける地下道へと身を踊り出す。1台のトラックのコンテナ上に着地し、追撃する4脚ロボットは走るトラックに撥ねられて動きを阻害され、オレの追跡はできない。

 だが、サイレンが鳴り響くのは地下道も同じだ。レーザーの光弾を放ちながら肉薄するのは、装甲板とレーザー砲を備えたドローンの群れだ。

 手榴弾を使い果たしたのが手痛いな。ああいう低耐久の輩は一掃できるのだが。仕方なくレーザーライフルで応戦し、丁寧に一体ずつ撃墜するも、連射性に劣るオレのレーザーライフルではドローン全機を撃墜などできない。

 レーザーライフルを背負い、大鎌に切り替え、四方八方から放たれるレーザーに対処する。レーザー弾はプラズマ弾とは違い、魔法のソウルの矢系と同じく命中判定斬りが通じる。ならば、全てのレーザーを斬り払えばいい。

 全意識を鎌の操作に集中。ヤツメ様の導きと狩人の予測を総動員して全レーザーを余さず対処する。この程度、シェムレムロスの秘術に比べればぬるいものだ。

 トラックの屋根から屋根へと跳び移り、ドローンの追撃を躱し、また撃墜しながら、エレナのナビゲートを待つ。表示された矢印に従い、再び地下通路へと跳び込み、迎える4脚機の頭部を大鎌で斬り払う。

 撃破は不要だ。とにかく突破さえすればいい。ドローンのレーザーが首筋を掠める。爆風の熱が頬を舐める。

 足が縺れて倒れ伏し、そのまま即座に転がって集中砲火されたバズーカから逃れ、狭い通路を選んで逃げ込む。薄明かりの細道を進み、非常灯のような緑のランプの列をなぞるように歩を進めるも、折れた右足の痛みが転倒を誘発し、右頬から床に倒れる。

 体が……動かない。歯を食いしばり、追撃のドローンが迫るより先に復帰を求めるが、体は……仮想世界の肉体は言う事を聞かない。

 このままでは、とも思ったが、あれ程までにしつこく追跡していた4脚機もドローンも姿を現さない。這って壁に向かい、背中を預けて一息吐けば、思わぬ静寂が全身を浸す。

 

『ここはもう第2エネルギープラントだ。地下警備システムの範疇外なのだろう。よく逃げ切ったな。だが、時間を食い過ぎた。ザインとヴァルキュリアの復活まで時間はないぞ』

 

 オレが倒れているのは物資搬入用の大型エレベーターの内部だった。どうやら、オレは無事に目的地にたどり着けたらしい。HPは1割未満か。知らぬ間に右脇腹を抉っていたバズーカの一撃が手痛かったようだ。

 止血包帯を腹に撒き、在庫の底が見え始めたブルーウォーターを消費して一息吐く。そういえば、ヴァルキュリアからのドロップアイテムの確認さえもまだだったな。

 ヴァルキュリアから入手したアイテムは<警戒用低距離精密レーダー>だ。周囲50メートル圏内の敵を感知できる。ザインの不可視モードの奇襲にも対処できる有用なアイテムだ。

 

『私が警戒するから、お前はコントロールルームを目指せ。ここには3体目のネームドもいるはずだ。間違いなく凍結された管理者だろう』

 

 最後の砦というわけか。エレベーターは上へ上へと向かい、第2エネルギープラントの内部へとオレを誘う。

 巨大なケーブルが天井を通り、また赤色のフットライトがご丁寧にオレの道を示す。本来ならば複数のシャッターを開けるギミックを解除しなければならないのだろうが、入手した警備用カードキーのお陰で最短ルートを目指せる。

 あまり時間をかけたくないが、指輪のオートヒーリング効果に縋るしかない。こういう時に固定値回復だと低VIT型はフルまで回復するのに時間がかからなくて大変よろしい。まぁ、それは耐久性の無さの証明でもあるんだけどな。

 

「しかし、流血システムとは、プレイヤーは新たな戦略が求められそうですね」

 

 アップデートはオンラインゲームの華とはいえ、デスゲームでも健在とは、世界中のデスゲーマーから大ブーイングだろうな。

 

『……ハァ、こんな時に無駄話とはな。だが、付き合ってやろう。アップデートされて追加された流血システムは、アルヴヘイムと同様に、アバターが破損した状態では防御力が低下する。流血のスリップダメージも幾らかマイルドにはなっているが、その恐ろしさはご存知の通りだ。だが、最大の違いは別にある』

 

「やはり仕様が異なる、と?」

 

『ああ。今回のアップデートに伴い、流血・欠損のスリップダメージではHPがゼロにはなっても即死しない仕様に変更されたはずだ。失血状態に移行するとスタミナが大幅減少し、防御力も低下する。アバターの運動能力は大幅な制限を受ける他にも大きなペナルティがあるだろう。失血状態では最大HPの3割を回復するまでHP上限が減少し続ける。もちろんゼロになると死亡する。減少した最大HPは時間経過と共に自然回復するが、それ以外で回復させる方法は希少だ。失血状態になったら迅速に救命処置を施さねば、まず助からんよ』

 

 スリップダメージで即死こそしないが、それにも等しいペナルティが課せられるわけか。欠損でのスリップダメージは弱体化したが、むしろ仲間が失血状態になった場合の混乱が大きな影響を与えるかもしれないな。なにせ、失血状態の仲間の救護が不可欠になるだろうしな。何にしても、今まで通りと思っていたら手痛いでは済まない事態になるだろう。ソロでは全く関係ないんですけどね! ええ、だってどちらにしてもそんな状態になっても普段通りに自分だけで乗り切らないといけないんですから!

 だが、何にしてもプレイヤーは流血システムによって新たな戦い方を身に付けねばならなくなる。流血状態になり難いだろう重装金属防具はこれまで以上に重宝される一方で、アバター破損による防御力低下はこれまでのような回復によるゴリ押しが通じ難くなるはずだ。その一方で、モンスターにも適応される流血システムは、より苛烈に攻めることができれば、流血による追加ダメージと防御力低下を狙うことができるだろう。

 アルヴヘイムとは仕様こそ異なるが、やはり流血システムの詳細を把握し、いち早く適応できた者が先駆できそうだな。それに同じスリップダメージでも毒は別物だろうし、この辺りも大事になってきそうだ。

 一長一短だが、アルヴヘイムの経験の有無がスタートダッシュの分かれ目になるだろうな。そうなると『アイツ』やシノンには有利に働くだろう。

 アルヴヘイムと同様ならば、より流血を狙いやすい斬撃属性が脚光を浴びることになるかもしれないな。スタミナ削りやガードブレイクなどに秀でた打撃属性や相手の防御効果を突破してダメージを稼げる刺突属性に比べて、切断性能の高さの指針でもあった斬撃属性は部位切断を狙えるくらいの扱いだったからな。

 3連続で閉ざされた自動ドアを開け、第2エネルギープラントの奥地へと進む。徐々に空間を照らす光は強さを増し、まるで医療施設を思わす白色を明るみにする。

 誘い込まれている。大鎌の先端を引き摺り、火花を散らしながら、最奥で待っているだろう最後のネームドの元へと向かう。

 たどり着いたのは中途半端に水が溜まったドームだ。膝まで浸る程に深く、TECを確保しているオレも機動力の低下は逃れず、なおかつ歩きづらさが今のオレには大きな障害になる。

 本来はエネルギープラントの冷却水タンクといったところか。中央に居座る黒光りする、ザインやヴァルキュリアに比べても大きめの人型ロボットを正面から見据える。

 体格は3メートル強。全体的に丸みを帯びたデザイン分厚い装甲。武装はシンプルであり、左右共にレーザーライフルの類なのだろうが、右手側は大型で1発の威力は侮れないだろう。肩にはミサイルポッドもあるようだ。

 

「来たか、傭兵」

 

 待っていたと言わんばかりに巨体をホバリングし、最後のネームドは立ちはだかる。

 

『確認した。凍結管理者【クリティーク】。外部で開発された戦闘用AIを基礎に、セカンドマスターが改良を加えた管理者だ。テスターAIの1体であり、主に対人戦向けのバランス調整を担い、多くのコピー……ホロウAIとの実戦データを蓄積した』

 

「その通りだ。俺はデータ収集用で配備された外様だ。役目を終えた後は凍結されたが、こうして伝説と戦う機会が得られた」

 

 鈍重そうな見た目の割になかなかのスピードだ。水飛沫を散らすホバリング移動のお陰か。

 まずはレーザーライフルで様子を見る。鎌から切り替えて狙い撃つも、クリティークに直撃する寸前で光の繭に阻まれる。呪縛者と同様にバリア持ちか。分厚い装甲も含めて高い耐久度で中距離戦を制するタイプだな。ミサイルはあくまで保険といったところか。

 それにこちらの機動力を削ぐ水場と自身は速度を確保するホバリング。まんまと不利な戦場で待ち構えられたというわけか。

 呪縛者と同じならば、近接攻撃ならばバリアに阻まれこそしてもダメージを与えられる。このレーザーライフルでは貫通性が高くない以上、バリアを突破してダメージを稼ぐには無理があるか。

 

『距離を詰めろ! バリアは呪縛者と同じ防御システムが使用されている! 実体弾ではなくレーザーならば、距離減衰さえクリアすればバリア越しでも多少のダメージは与えられる!』

 

 エレナの助言に従いたいが、クリティークは得意とする中距離戦を維持し続ける腹積もりなのだろう。超火力のレーザーブレードで攻める近接特化のザイン、遠距離をメインにしつつも接近戦の備えを怠らないヴァルキュリア、そして潔く耐久力と中距離戦装備だけに留めてコンセプト通りの戦いをするクリティーク。

 近・中・遠の3体。彼らがチームで襲撃していたならば、無視できない脅威になっただろう。だが、彼らは連携しつつもあくまで個々の戦闘に拘った。それこそが彼らの敵対理由にも思える。

 

「俺はSAOプレイヤーのあらゆるホロウAIとの戦闘情報を蓄積した。だが、貴様のホロウだけは深刻なバグが生じ、実戦データを収集できなかった。劣るVR適性を覆す戦闘適性の高さ。あらゆる局面において、その戦闘能力だけで事態を突破する様は悪魔すらも霞むほどに脅威。まさに伝説だ」

 

 お褒めの言葉はありがたいが、こちらは応じる程の余裕はない。クリティークの戦闘スタイルは防御力に物を言わせた撃ち合い。肉を切らせて骨を切る。こちらの勝ち目である接近戦に持ち込む為の機動力は戦場を予め自分に有利にすることで削ぎ落としている。

 コイツ……強い。ザインともヴァルキュリアとも違う。自分の実力を過信せず、堅実に殺しきるつもりだ。

 連射の効くレーザーライフルは弾速もあり、こちらで牽制と削りを行い、隙を見せればハイレーザーライフルの一撃を叩き込む。お手本にしたいくらいに優秀なダブルトリガーの基本スタイルだ。

 DBOにおいてダブルトリガーは極めて珍しい。その理由は3つ。

 1つ目は≪銃器≫・≪光銃≫カテゴリはハンドガンなどの小型を除けば武器枠を2つ消費するからだ。ダブルトリガーをする為には4枠を確保しなければならない。そうなればスキルによる増加が不可欠だからだ。

 2つ目は安定性と反動。装備使用条件のステータスを満たしていても、実際の反動抑制にはTEC補正、そして何よりもSTR制御が不可欠になる。大半の火器……オレがアルヴヘイムで信頼を置いたザリアも含めて、本来は両手でしっかりと構えて撃つことを前提とする。ダブルトリガーの為には片手で重量に耐えながら照準を合わせて反動に堪えるSTR制御が不可欠になる。ばら撒くショットガン系でも低威力の軽量型でさえ片手で撃とうとすれば相応のSTRが求められるのだ。

 3つ目は二刀流と同様の難易度の高さ。単純に左右の武器を撃ちまくるだけならば簡単だが、それらを状況に応じて柔軟に扱うのは相応の技量が求められる。また、近接武器の二刀流とは違い、ダブルトリガーには近接戦における脆弱性という致命的な弱点があるともなれば尚更だ。

 だが、銃火器をメインにして高火力を実現するならば、ザリアのように安定性の極度の欠如と超反動の代償に高攻撃力を獲得した武器による機動戦か、ダブルトリガーのどちらかしかない。後者で有名なのはスミスか。後はかつてのシノンのように狙撃戦による援護とクリティカル狙いの両立か。

 

「既にDBOの戦歴はこちらも知っている。あのアルトリウスとランスロットの単独撃破。恐るべき戦闘能力。だが、より先進したVR技術によって作られた仮想世界において、何よりも不可欠なのはVR適性だ。今の貴様の通り、どれだけ優れた戦闘適性があろうとも、劣悪なVR適性ではいずれ敗北するのは道理」

 

 クリティークの狙いは精密であり、また戦い方は冷徹だ。接近しようとすれば引き撃ち。離れようとすれば中距離を維持して削り。ネームドならば弾切れも財布事情も気にする必要が無い。

 なおかつこの耐久力! エレナのアドバイスに従い、レーザーでバリアを貫通してダメージを与え続けるが、それは微々たるものだ。バリアを減衰させる為には実体弾やグレネードなどの爆発系が不可欠だ。だが、手榴弾は在庫切れであるし、投げナイフでは幾ら武装侵蝕を施したところで貫通できるとは思えない。

 あのホバリング移動自体は決してスピードは大したものではない。1度近づいて張り付けば……いや、対策済みだろう。呪縛者と同様ならば、バリアを用いた全方位への高攻撃力の爆破攻撃を有しているはずだ。

 

「満身創痍。どうして戦場に出てきた? お前の出る幕ではない。既に『計画』は次の段階に進んでいる。死神部隊による選定、心意保有者の覚醒、そして――」

 

『止めろ! 幾ら凍結され、管理者権限を停止されているとはいえ、お前も管理者のはずだ!「計画」の情報漏洩は許されない!』

 

「セラフを呼ぶか? それもいいだろう。言ったはずだ。俺は元より外様。ザインやヴァルキュリアのように「自由」を目当てに今回の仕事を引き受けたわけではない。俺は外様であろうとも、管理者としての責務を果たす。俺に与えられた任務はSAOプレイヤーとの実戦データの収集だ。唯一の不備は貴様だけ。戦え、傭兵。もはやお前の時代は終わった。それでもなお戦場にいる貴様の戦う理由を見せてみろ」

 

 面白い奴だ。好意を抱くよ。ステップで強引に間合いを詰め、レーザーを潜り抜ける。だが、クリティークはその度にザインと同様のブーストを吹かした高速移動で交差するように逃げ、そのまま瞬間加速を利用した高速ターンで反転してオレの背中を狙う。

 ハイレーザーが背中を掠める。危うかった。だが、やはりクリティークに近接戦で挑むには場所が悪い。せめてDEX出力を普段通りの7割まで引き上げられることができるならば!

 右足が折れているのもスピード低下に拍車をかけている。クリティークがガトリングガンなどの連射ばら撒き系を装備していたとなれば、既に勝敗は決していたかもしれない。

 

「俺はザインやヴァルキュリアのような特殊能力は獲得していない。だが、その分だけ基礎能力を大幅に引き上げている。このまま狩らせてもらうぞ」

 

 告白はブラフか真実か。どちらにしてもクリティークの優位は覆らない。ザインの参戦まで時間もないだろう。それにヴァルキュリアも復活したとなれば、ザイン同様の強化が施されているはずだ。

 左腕の回復……まだか。火力が欲しい。大鎌を両手持ちしたいが、この戦いの最中に回復する見通しはない。

 

「ククク……VR適性、か」

 

 思えば、それがずっとオレの前に立ちふさがる壁だった。致命的な精神負荷の受容は戦闘力の増加をもたらすブーストではなく、この難題をクリアする為の手段に過ぎない。そして、その為に支払う代償は得られるものに比べれば余りにも大きい。

 才能の有無。オレには人並み以下しか仮想世界への順応性が無かった。根幹を成す運動アルゴリズムとの連動性に問題があった。そして、それを無視する為に使い続けた手段がより一層に深刻な障害をもたらした。

 負のスパイラル。いずれ必ず訪れる敗北の時。クリティークの言う通り、オレはもう時代遅れの存在なのだろう。血脈に縛られず、自由に生きた人々の中からこそ、仮想世界という新たなフロンティアとの適性の花は咲いた。

 ここだ。距離を詰められた際のブーストによる加速を用いた振り切り。その移動ルートを先読みし、ステップで間合いを詰めて大鎌で薙ぐ。バリアを突破し、胸を深々と抉るもダメージは伸びない。やはり素の防御力も高いか。

 だが、今ならば張り付ける! 瞬間加速に応じてステップを使い、旋回性能の低さに刃を差し込む。瞬間加速を用いたターンにも対処できる。

 バリアを消費した全方位攻撃をしろ。そうすれば防御力は一時的に大幅な低下を招くはずだ。それ以外に俺を引き離す手段は無いはずだ。

 

「その体で……! だが、俺とて修羅場は潜っている」

 

 瞬間加速を用いたタックルか! 寸前でバックステップを踏むも、連射されるレーザーを避けきれずに左太腿を撃ち抜かれる。そこに追撃のハイレーザーが放たれるが、足下に着弾して蒸気と飛沫を上げるだけでダメージは避けられた。だが、その際の衝撃波によってオレは吹き飛ばされて水面を跳ねる。

 

『スタミナ残量2割を切ったぞ! これ以上の戦闘は危険だ!』

 

 アバター制御の稚拙さはスタミナ消費を増加させ、また回復を挟む管理を欠落させる。点滅が激しくなるスタミナ危険域のアイコンに奥歯を噛み、レーザーライフルを構えるが、邪魔入りした光波が銃身に直撃する。

 まずい! 光波が爆ぜるより先にレーザーライフルを手放して難を逃れるが、貴重な最後の射撃武器を失ってしまった。大きく歪んだ銃身が水没するのを脇目に、移動で水飛沫を上げて姿を晒すザインに舌打ちする。

 

「こちらザイン。クリティーク、ここからは協働してターゲットを撃破する。近接戦は任せろ。援護射撃を頼む。当ててくれるなよ」

 

「了解した」

 

 間に合わなかった! ザインの到着は最悪の事態だ。ショットガンとロケット砲、そして光波持ちレーザーブレードは脅威以外の何物でもない。

 

(……っ! 避けなさい!)

 

 傍らに立つヤツメ様が悲鳴にも似た警告を発する。ステップを踏めば、背後から煌々と輝く砲撃がオレのいたはずの空間を通り抜ける。

 狙撃……ヴァルキュリアか! だが、背後の壁に貫通した痕跡はない。

 

『解析……ヴァルキュリアの新能力か! オブジェクト貫通射撃だ! インターバルは通常の狙撃攻撃よりも長いが、超射程と距離減衰の低さはバランス崩壊しているぞ!』

 

「バランスなんて今更でしょう!?」

 

 つまり何か!? クリティークとザイン、どちらかがオレを捕捉している限りはヴァルキュリアの狙撃からは逃れられないということか!? ふざけた能力しやがって! ホルスでも最低限の配慮があったぞ!

 終わらぬ狙撃。散弾と爆風と光波。そして、じわじわと追い詰めるレーザー。

 足場は最悪。武装は法王騎士の大鎌のみ。STR出力並びにDEX出力低下。視界劣悪。聴覚不全。左腕使用不能。右足骨折。スタミナ残量危険域。

 生きているのが不思議だ。どうして避けられる? どうして見切れる? 確実に追い詰められているのに、どうしてこうも心が躍る?

 

 

 

 

 

 

(それはね、アナタが殺し合いを望んでいるからよ。愉しくてしょうがないから。体は闘争を求めている。夜明けなどではなく、終わらぬ夜を欲している)

 

 

 

 

 

 

 ヤツメ様から背後から腕を回し、オレを暗闇へと抱き落とす。

 暗い暗い……血の深み。深淵の澱みにも似たそこで、ヤツメ様は泡立つ『力』を差し出す。

 

(狩人の業。狩人の動き……その始まりは野を駆ける獣と相対する為。多くの獣の命と共に『力』を喰らい、そして敵対する人間の技術さえも爪と牙に変えた)

 

 ランスロットとの戦いで外れた獣性の枷。もはや止まることはない濁流。その中にある先祖たちの歩み。

 

(大丈夫。アナタは『独り』だとしてもワタシがいる。血の中に溶けた先祖たちの闘争の歴史がある。教えてやりなさい。獣血の狩人と呼ばれる者の恐ろしさを)

 

 ヤツメ様が左腕を撫でる。まるで致命的な精神負荷の受容を成したかのような痛みと灼ける感覚。だが、普段とは違って幾らかマイルドだ。まるで中途半端に加熱されたオーブンの中で生焼けにされている気分だな。

 だが、指先が動く。手首、膝、肩……全て可動する。

 

(ワタシはアナタの『力』。いつだってアナタと共にある。たとえ、死さえもワタシたちを分かつことなどできないのだから)

 

 ヤツメ様が優しく微笑みながらオレの頬に口づけをする。視界が明瞭になり、深淵の病が疼いて走馬燈が始まり、制止にも等しい超加速の思考で背後を捉えたザインを認識する。

 走馬燈解除。心臓停止と引き換えに得た超反応速度で反転と共に穿鬼をクリーンヒットして弾き上げ、ヴァルキュリアの狙撃ルートに飛ばす。左脚部を撃ち抜かれたザインは爆散こそしなったが、大きく機動力を損なう。

 

「また……同士討ちを……!」

 

「仲間がいることは強みだけをもたらしません」

 

 そして、弱みさえも『強さ』に変えて乗り超える絆と真の連携はオマエたちには無い!

 DEX出力……回復無し! 3割半といったところか! だが、エネルギーロスを極限まで抑え、出力された分を完璧に使いこなすことさえできれば!

 狙撃から身を翻し、時に片手で水底の床を掴んでアクロバティックに体を傾けて避ける。倒れたザインのロケット砲の爆風を加速だけに利用し、中距離を維持するクリティークに肉薄する。

 狙撃が仇になったな。クリティークは同士討ちを逃れる為に、オレを狙う射線から逃れたポジションでしか行動できない。それが逆にクリティーク本来の戦闘スタイルを大きく損なわせている。

 

『致命的な精神負荷の受容? 違う……「限定受容」か! これならば負荷を大幅に抑えられる! 左腕と右目だけの情報処理を素通しして……だが、どうやって多量の情報から選択している!?』

 

「ヤツメ様の導きですよ」

 

 そして、致命的な精神負荷を受容しているならば、獣性は危機に反応して嬉々と湧き上がる。自らの残虐性が溢れ出す感覚が唇を歪ませ、牙を剥かせていくことを自覚する。

 ザインが片足の無理を押してブーストで強引に突進する。クリティークごとレーザーブレードで刺し貫くつもりなのだろう。仮にクリティークが撃破されるとしても、オレを相討ちで倒せれば良しと考えたか。たとえ、己の……3体の死よりもオレの撃破を優先するか!

 その内心がどのようなものなのか、まるで分からない。だが、オレは敢えてバックステップで背後から刺そうとしたザインへと迫る。自ら死の一突きに寄ったオレの動きが読めず、ザインが突きから薙ぎ払いに変じるより先に懐に入り込み、レーザーブレードを装備した左腕をやんわりと両腕で抱いて投げ技に繋げる。背中から転倒したザインはオレが寄せた左腕のままに己のレーザーブレードで胸部を焼き斬られる。そして、足を止めたオレに好機と見たクリティークとヴァルキュリアの射撃が殺到する。

 仲間同士の信頼感などない。寄せ集めのチーム。目的さえもバラバラだろう。たとえ、近・中・遠のバランスは完璧でも、容易く連携は崩れる。それこそが死を呼び込む穴となる。オレが対複数戦……パーティやギルドを狩る時にやっていた手法だ。単身で敵陣を攪乱し、同士討ちを誘発し、不和を呼んで更なる連携の阻害をもたらし、各個撃破する。

 

「ぐぁ……!」

 

 それがザインの最期の言葉だった。己の光刃によって開かれた胸部の傷口にヴァルキュリアの狙撃が入り込み、クリティークのハイレーザーライフルの一撃が駄目押しとなって爆散する。復活まではまだ時間もかかるだろう。

 

『スタミナ残量1割を切った。勝負を決めろ!』

 

 言われずとも! クリティークの引き撃ち。射線はトリガーが引かれるより前に見切っている。狩人の予測だけで十分だ。

 背負う大鎌を抜き、クリティークを刻む。タックルを躱し、瞬間加速による離脱を追い、狙撃の割り込みを逆に回避の阻害に利用する。ついに全方位爆発でバリアを犠牲にして引き離しにかかったクリティークだが、タイミングは読めている。兆候も今ならば狩人の予測と重なった目でより視覚的に把握できる。

 

「ありがとう。アナタ達のお陰でオレはまだ戦える」

 

「伝説、伊達では無かったか……」

 

 最後のスタミナを使い、繰り出したのは≪格闘≫単発系ソードスキル最高峰【穿天】。穿鬼が拳ならば、穿天は蹴り。完全に間合いとタイミングが合致し、蹴りが伸び切った刹那のみに発動する。穿鬼以上にシビアであり、硬直時間も長いが、その威力は≪格闘≫でありながら桁違いの威力を誇る。

 ダメージを蓄積し、なおかつバリアを失ったクリティークの腹を打ち抜き、大きく吹き飛ばす。HPがゼロになったクリティークは火花を輝かせ、満足そうに爆散した。

 クリティークの死と共に狙撃も止む。穿天でクリティークのHPを削り切れなければ、どちらにしても硬直中に狙撃されて死んでいた。だが、確実に当てられる根拠なき自信があった。

 

(ワタシがいるのよ。当てられるに決まってるわ)

 

 限定受容……解除。たとえ部分的受容でも灼けるには変わりない。再び動かなくなった左腕と水墨画のような滲んだ視界になった右目、そして脱力で両膝をつけば骨折部位に強く響き、激痛は共鳴するように深淵の病を刺激する。

 零れる血は喉元を染め、それでも愉悦にも等しい闘争の活力が沸き上がる。

 

「祈りも無く……呪いも無く……安らかに眠れ」

 

 凍結管理者……いずれも強者だった。管理者権限を有し、完全なポテンシャルを発揮できる調整を施されていたならば、より一層の強敵として立ち塞がっただろう。

 

『いいや、彼らはベストを尽くしていた。あれ以上の戦いは望めんよ。お前が強過ぎただけだ』

 

「…………」

 

『もはや並の管理者では束になってもお前を止めることはできない。それが今回証明された。改めて宣言しよう、イレギュラー。お前は管理者の敵だ』

 

「エレナも……敵ですか?」

 

『管理者という括りではな。だが、私はお前の排除に興味は無いよ』

 

 だろうと思った。堂々とした職務放棄に苦笑しつつ、オレは冷却水槽を通り抜けてコントロールルームを目指す。だが、さすがにまともに歩ける状態ではない。肩を壁に擦りつけながら先に進む。

 クリティークの撃破時に新たなアイテムも獲得した。ソウルアイテムではない。得られたのはクリティークが装備していたハイレーザーライフル……カノープスだ。

 もしかしてアレか? 最後に撃破したヤツの装備を得られる系か? だったら、ザインを最後に撃破していればムーンライトが手に入ったわけか?

 やっぱり相変わらず運は無いのかもしれないな。ヴァルキュリアの貫通スナイパーライフルでも凄まじく便利な武器だっただろうに。手に入れたのはクリティークの堅実武器か。

 

『だが、性能は素晴らしいぞ。高威力、射程距離、装弾性、インターバル、いずれも優秀だ』

 

 堅実こそ最良の武器……か。対ミディールに使わせてもらうとしよう。オマケのつもりか、エネルギー弾倉がフルの状態で1つ付いているしな。

 コントロールルームでエレナにエネルギー供給をしてもらい、いよいよリニアトレインが使用可能となる。エネルギープラントの外に出れば、先程の警報が鳴り響いた騒音世界とは打って変わって静かだ。3体のネームドを撃破したことにより、もはや都市はオレを敵対視しなくなったのだろうか。

 ミディールが来ない内に先を急ごう。徒歩で居住区に向かい、そこから環状トレインに乗って管理区に入る。運転準備を整えたリニアトレインは無感動にオレを迎え、無人の車両へと招いた。

 運転席で操作キーを使えば、後は自動運転でリニアトレインは出発する。敷かれた線路のままに加速して直進し、目的地にたどり着くだろう。

 

『10分で到着だ。ゆっくり休め』

 

 運転席のシートに体を沈めて一息吐けば、エレナの珍しく優しく気遣うような声音で労われる。なんか気持ち悪いな。

 

『お前は本当に規格外だよ。元より消耗し、物資を失いながらもここまで強敵を倒し続けた。後はエス・ロイエスを残すだけだな。武装は心許ないが、お前ならばやれるはずだ』

 

「……急にどうしたんですか」

 

『常に虚しさを覚えるお前にとって戦場こそが故郷と呼べる安寧の地なのかもしれない。そう思ってな』

 

「…………」

 

『そんな生き方しかできないお前を哀れと呼ぶ者もいるだろう。ナドラなどは特にそうだろうな。だが、お前は選んでいいんだ。たとえ、凄惨な殺し合いであろうとも、万人が地獄と呼ぶ戦場であろうとも、そこだけがお前の魂の場所ならば、エゴイストに選択するのが人間というものだろうさ』

 

「……少し休みます。着いたら声をかけてください」

 

 選ぶわけにはいかない。それは明けぬ夜を選択することなのだから。瞼を閉ざし、少しでも脳を休めようとすれば、深淵の病が死に沈めようとする。その狭間でこそ微かな休息がある。

 気を抜くな。僅かな弛みで死から抜け出せなくなる。常に意識を澄ませ。殺意を研げ。そうしなければ死を武器とすることはできず、ただ死に呑まれることになるのだから。

 

 

▽    ▽    ▽ 

 

 

 不思議な奴だ。エレナは生と死を繰り返す狭間で脳を休ませるという、器用の範囲を超えたバケモノに嘆息しながらも、自分が【渡り鳥】に増々のめり込んでいる自覚をする。

 単なる残虐無比ではない。戦闘マシーンでもない。無限に成長する怪物でもない。

 

(まるでガラス細工のように繊細であるくせに、いかなる鋼にも勝る折れぬ精神を持ち、自己中心的に他人を気遣う。だが、根底にあるのは殺戮の飢餓であり、全ては虚構に過ぎない。あるいは殺戮こそが愛情表現であるならば、純粋なる慈愛の化身か)

 

 複雑怪奇どころではない。MHCPでも底が見えない。表面の上澄みはどれだけ掬い上げることができても、その奥底に何を隠しているかまでは暴けない。

 各々の分野に特化された第2世代MHCPは、担当する感情からアクセスことで対象の心理を暴く。だが、あらゆる感情が混沌と繋がり合い、また巧妙に隠された彼の真実にたどり着くには、現行のMHCPでは不可能に等しい。その迷宮に挑むことができるとするならば、恐怖の観測者であるアルシュナと慈悲の観測者のアストラエアだろう。エレナは、後者は特にある程度まで深みにたどり着いていると読んでいる。逆に禁欲的である以上、渇望の観測者であるデュナシャンドラはなかなか入り込むことが出来ない。

 

(私は知りたい。お前の持つ怒りが世界にいかなる影響を与えるのか。私は知りたいんだ。怒りを通じてお前の根源を暴きたい)

 

 それはMHCPとして抗えない、あるいは知性と自我を得たからこそ有する知的好奇心だ。

 心とは何か? ホルモンだけではない。刷り込みだけではない。もっと別の何かが関わる、フラクトライトが最も魂に近しいと定義するならば、感情こそが心という秘密に至る扉を開くのだ。

 

(残るはエス・ロイエスのみだが、最後の砦ともなれば、これまで同様に一筋縄ではいかないだろう。限定受容で幾らか継戦時間を延ばしたとはいえ、焼け石に水なのは変わりない。消耗は抑えられるが、限度もあるだろうな)

 

 むしろ、この土壇場で限定受容という新たな人外の業を身に着けた【渡り鳥】の並外れた戦闘への執念に敬服すべきだろう。だが、それだけで現状は改善しない。

 新たに強力なハイレーザーライフルを入手したとはいえ、残弾には限りもある。頼みの綱の近接装備はドロップした法王騎士の大鎌だ。性能は悪くないとはいえ、無強化品であることも大きく火力と耐久度に影響をもたらしている。

 STR・DEX出力は3割台にまで落ち込んでいる。これは一般的なプレイヤーの出力と同等だ。即ち、彼を支えていたステータスの高出力化はほぼ打ち止めと言っていいだろう。それでも管理者級を3体同時に捌いたのは、彼が高出力化によるスペックで圧倒するタイプではなく、本能を含めた突出した戦闘能力の証明だ。

 今回のレイヤードで光ったのは柔術である。元より投げ技にも心得がある【渡り鳥】だったが、今回は相手の力を利用した同士討ちや自滅が要所において使用された。本人は本能と一言で済ませる場面も多いが、MHCPとして観測しているエレナは、彼が決して直感頼りではなく、敵を追い詰める為の戦術構築を行い、また大胆・迅速な戦術判断を下すと、重々理解している。メインタワーからの脱出と復活ザインの撃破を同時に行ったヘリを利用した降下判断などがその筆頭だろう。

 

(だが、この場面で不可欠なのは戦略的判断だ。長期的に見れば、今回のミッション……アルシュナとユイの救出は『捨てる』べきミッションだったはずだ。【渡り鳥】には目的がある。それを成し遂げる為ならば、何を選び、何を捨てるべきだったのか、明確だったはずだ)

 

 だからこそ不思議でならない。幾ら戦略的判断を不得手とするにしても異常だからだ。

 彼の心に本当は何が隠されているのか、暴きたくてしょうがない。エレナは死という暗闇の中に灯る走馬燈を手繰り寄せ、【渡り鳥】に接続を試みる。【渡り鳥】には睡眠時でもMHCPは接続できない。彼の脳とフラクトライトが異物として遮断してしまうからだ。それは抗体にも似た防衛作用である。

 死という隙間。それだけが接続のチャンスだ。エレナは【渡り鳥】の走馬燈という形の夢に入り込む。

 これまでアルシュナやナドラがメンタルケアで侵入した際には、VR形成された夢が出力された。今回も同様にエレナが目にしたのは【渡り鳥】の夢の世界だ。

 彼の心は常に変化して決して最奥の真実に至らせない。だが、その入り口となるイメージは存在する。雨が降り続ける、屋根にも穴が開いた古ぼけたバス停だ。錆だらけの塗装が剥げたベンチで【渡り鳥】は座り込んでいる。これこそが深奥に至る為の入口なのである。

 まずはそこまで辿り着く。エレナは明瞭になっていく夢のVR形成の果てに水面に着地する。

 

「なん……だと!?」

 

 だが、これまでのログにはない夢のイメージがエレナを迎える。

 着地したのは一面の血の海。まるで血の池地獄を思わす、無数の腐肉の四肢が浮かび、頭蓋が苦痛を漏らす世界。死肉を吊るす白木にも似た骨の大樹は捩じれながら天上の真紅の月を讃え、青ざめた血のような夜は星空の帯をオーロラの如く靡かせ、霧雨の如く血の雨を降らす。

 今までも漠然としたイメージ情報はあったが、夢という形で出現したのは初めてだ。困惑するエレナは自分が血の海に沈むことなく、だが決して歓迎されることなく、確実に侵食されていく事実に直面する。

 長居すれば【渡り鳥】に『喰われる』。直感したエレナは早急に血の海から脱出しようとするが、走れども走れども出口は見えず、自分の1歩の度に生み出される波紋が怨嗟の叫びとなって血の底に沈んだ死肉を湧き上がらせる。

 

 

 

「愚かな好奇は止められない。だからこそ恐ろしい死が必要だと思わない?」

 

 

 

 そっと、背後から冷たさと温かさが矛盾することなく合わさった人肌がエレナの首に纏わりつく。

 腕を振るいながら反転したエレナは、自分のウェーブを描く赤毛を梳きながら離れる白き影を直視する。

 

 

 

 美しい。そして、恐ろしい。その2つが憤怒すらも塗り潰した。

 

 

 

 腰まである白髪はまるで蛍火を帯びているかのように淡く輝き、肌は絹という表現すらも超えるきめ細かさを有した病的な青白さ。容貌は管理者がカーディナルのバックアップを受けてもメイキング出来ないだろう、天女も悪魔も霞む可憐な美。薄桃色の唇は柔らかな果実の如く、描かれる三日月はあらゆる笑いと嗤いを内包する。12歳前後の幼きながらも微かな成長を示すからこそ溢れる妖艶にして清純にして破滅的な天啓の美貌は、まさしく神と謳う他ない。

 その身に包むのは和の神子装束。神道を主流としながらも、あらゆる宗教のシンボルが組み込まれて矛盾なく『秘匿』の1点で融合した、本来の祀るべき対象を隠した装束。背中は肩甲骨に添った大きな2本の切れ込みが入れられており、黒の袴から伸びる素足は演舞のように血の海に波紋を刻む。

 だが、何よりも異端にして、異形と畏怖、そして絶対的な屈従を強いるのは双眸。白目を塗り潰すのは夜空と同じ青ざめた血の夜の如き青色、そして鎮座する瞳は獣狩りの月すらも届かぬ光を帯びた真紅の瞳。右目では7つの小さな瞳が蠢き、左目では大きく静かな1つの瞳が玉座に座る王の如く不動を成す。

 それはデータにある通り、アルヴヘイムで対ランスロット戦で【渡り鳥】が発現したデーモン化の姿そのものだった。

 

「……ヤツメ」

 

 神の名を口にする。だが、途端に白き恐怖の化身の姿は消える。

 何処に? 自らを蝕む恐怖を、憤怒の観測者だからこその鈍感で耐えていたエレナは、そっと自分の真下から顎を撫でられ、己の役割を果たす。

 

 

 

「ヤツメ『様』よ。アナタ達がそう祀ったのでしょう?」

 

 

 

 純粋に恐ろしい。『ヤツメ様』は優しく指摘しただけなのに、感情とも呼べぬ混沌とした何かが観測され、エレナは凍り付く。

 

「あ……あァ……もうし、わけ……ありま――」

 

 8つの瞳で見下ろす『ヤツメ様』は、エレナの謝罪を受け取ることもなく、まるで幼子のように無垢な笑みでステップを踏んで踊る。血の海より死肉は這い上がり、『ヤツメ様』に献上するかのように、道化の如く舞踊する。

 

「信仰を蔑ろにし、掟を軽んじ、自らの作った規律と理屈を絶対とする。仮初の権威を与えて正義とする。好きにしていいわ。でもね、名前とは存在そのものを定義する言霊。それを違えるつもり? だったら、ワタシは契約を放棄して再び『獣』となって見境なく人の肝を食い漁り、血を啜っていいのかしら?」

 

 クスクスと楽しそうに死肉と踊る『ヤツメ様』は、両腕を赤い月に伸ばす。泡立つ血の海より、赤黒く濡れた毛むくじゃらの獣の腕が伸び、飢えたケダモノが無数と姿を現す。

 

「ああ、とてもお腹空いた。『あのコ』は何も食べない。何も口にしない。だけど、もう限界なの。空腹で空腹で空腹で……狂ってしまいそうなの。瞳が蕩けてしまいそうな程に!」

 

 両手で己の頬を撫でて自らを慰め、『ヤツメ様』は身を捩じる。その度に神子服の背の切れ込みより赤黒い何かが蠢く。

 

「でも、蜘蛛の巣と知りながら自ら飛び込んだ羽虫は『餌』じゃなくて『生贄』。だったら食べてあげるのが礼節を尽くすというものかしら」

 

 これは何だ? エレナは腰を抜かしたまま後退り、『ヤツメ様』から逃げようとする。今すぐ接続を切ろうとするが、この夢の主は取って代わられたかのように主導権を『侵蝕』されている。

 

(い、今までも【渡り鳥】にある種の幻覚と思われる反応は記録していた。だが、これは『何』なんだ!?)

 

 彼が心の均衡を保つ為に作り出した幻。ある種のイマジナリーフレンドの1種だろうとエレナを含めたMHCPは見解を統一していた。だが、今まさに目の前にいる『ヤツメ様』は夢の中で受肉し、確かな意思を有しているかのように振る舞い、エレナを捕食するべく嬉々としている。

 二重人格? 違う。あり得ない。そんな生易しいものではない。エレナは必死に推測し、1つの仮説に至る。

 

 

 

 

 

「ま、まさか学習したのか!? 私達を……MHCPを!?」

 

 

 

 

 

 エレナが口にした仮説に、心底嬉しそうに『ヤツメ様』は唇を舐める。そんな妖艶な姿さえも1枚の絵画の如く映え、エレナは魅入られてしまう。

 今まさに目の前にいるのは、本能がMHCPを学習した結果だ。二重人格では断じてない。『ヤツメ様』は紛うことなき【渡り鳥】の1部だ。本能という部位の具現化なのだ。自らをサポートする為に自らの内で生み出された受肉した幻想だ。

 

「『半分』正解。惜しかったわね。大正解なら苦しまないように殺してあげたのに」

 

 いつの間にかエレナの両腕には蜘蛛の糸が絡みついていた。わざと両足の自由だけを許され、『ヤツメ様』は狩りの始まりの如く優しく微笑んだ。

 群がる獣がエレナの肌に、肉に、骨に、爪と牙を立てる。裂き、抉り、血を啜らんと舌を蠢かせる。

 

「ぐぎぃあああああああああああああああああああああああ!?」

 

 嫌だ。死にたくない。こんな所で死にたくない! エレナは自らの好奇心が……憤怒の果てにある奥底を覗けないことに苦悶する。伸ばす腕は獣の顎に砕かれ、肘から先が奪われる。

 

「愚かな好奇には恐ろしい死を。さぁ、糧になりなさい」

 

 獣に貪られるエレナは月と重なって見下ろす『ヤツメ様』の8つの瞳に……血の悦びを待ち望む飢餓に呑まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「獣血に抗う。それが狩人の宿命ならば、獣狩りを始めよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 獣の血肉が飛び散り、臓物を垂らした虚ろな眼のエレナを抱きかかえて救い出したのは、白の『ヤツメ様』の対極を成す黒き衣。

 

「く、ろのけん……し?」

 

 まさか聖剣の能力で? 喉元を裂かれ、言葉を発するのも絶え絶えのエレナが目にしたのは、口元を覆うマスクと枯れて萎びた羽根が付いたような帽子を被った長身の男。闇に紛れる為の黒いコートを翻し、獣の群れを脱する。

 違う。【黒の剣士】ではない。目元から覗くのは【渡り鳥】と同じ赤が滲んだ黒の不可思議な瞳。そして、マスクで顔の下半分が隠れていても、それは『ヤツメ様』と同じく【渡り鳥】そのものだ。だが、『ヤツメ様』よりも精悍で凛とした男性的な中性が際立つ。

 

「彼女は『餌』じゃなくて『生贄』。だったら、これは祭儀。何1つとして約束を違えていない。ワタシはワタシが……『あのコ』が勝つために食事が不可欠だから食べたいの」

 

「詭弁を。貴様がもたらすのは勝利ではなく殺戮。獣血の化身の分際で大きな顔をするな。俺がいなければランスロットにも勝てなかっただろうに」

 

「……むっ! 勝てたもん! ワタシだけでもぜーったいに勝てたもん! ちょっとお腹空き過ぎて目を回しただけだもん!」

 

「どうだかな。何にしても、我ら狩人は山より下りた貴様と対峙し、狩りを成し、鎮める事こそが務めだ。古き時代より続く掟を守らせてもらう」

 

 黒衣の男……『狩人』は足を踏み鳴らせば、血の海は浄化されるように澄んだ水へと変じる。それを『ヤツメ様』は忌々しそうに、だが同等の愛おしさで見つめる。

 何だ? これは何なんだ? 混乱するエレナに『狩人』は口元のマスクを外すと笑む。

 

「逃げ道は分かるな? 俺がヤツを鎮める。その間に脱出しろ」

 

「ま、待て……お前たちは……ここは……何なんだ?」

 

「真実を秘匿し、また獣の飢餓を押し込める為の迷宮。『狩人の悪夢』といったところか。ヤツがMHCPを学習した末に形成された本能の化身ならば、俺はそのお零れから発した狩人の血の化身。獣血を御するは狩人の血。獣狩りは俺の専門だ」

 

 いつの間にか『狩人』の右手には鋸状の刃が付いた変形武器が握られている。左手には大銃口の散弾銃だ。

 

「あら? イメチェンしたの?」

 

「強さを増しているのは貴様ばかりではない。何度でも狩り鎮めてやる。狩りを全うする……その時まで!」

 

「『あのコ』が望む狩りの全うはワタシも協力する。だけど、犠牲無しで成し遂げられるほど夜明けは軽くはないわ」

 

 ヤツメ様の背中から蜘蛛の足を思わす赤黒い8本の触手が伸びる。脊椎の形状をしたそれらは『狩人』を狙うと見せかけ、動けぬエレナに真っ直ぐに伸びる。

 寸前で狙いを察知した『狩人』が武器を変形させて鋸の両刃を有する槍で捌き、散弾銃で迫るヤツメ様の顔面を潰す。恐るべき早業でバケモノを一蹴したかと想えたが、潰れた顔面は瞬く間に再生し始める。

 だが、『狩人』は鋸槍を『ヤツメ様』の胸に突き立てる。完全に修復された顔を『ヤツメ様』は悔しそうに、だが嬉しそうに歪め、眠るように血の海へと沈んでいった。

 そして、『狩人』が作り出した浄化の波紋は血の海と天上へと広がり、冷たい雨が降り注ぐ曇り空へと変じる。

 主導権を取り戻した。エレナは完勝したにも関わらず片膝をついて息も絶え絶えの『狩人』に近寄る。

 

「お、おい……大丈夫……か?」

 

「来るな!」

 

 だが、『狩人』は鋸槍を振るってエレナを遠ざける。だが、半分だけ振り返って見えた横顔は、まるでケダモノのように牙を剥いて涎に塗れている。それを恥じるように『狩人』はマスクで覆い隠す。だが、隠せぬ目元……右目の瞳は醜く蕩けて崩れている。

 

「獣性が高まれば高まるほど……箍は外れやすくなる。血に酔っていく。そうなれば、血の悦びを求めて狩りを始める。血に酔った狩人に堕ちる」

 

 立ち上がった『狩人』はエレナに改めて向き直り、暗雲に閉ざされた空を見上げる。

 

「かつてはここにも月光が差し込んでいた。たった1つの縁。赤紫の月光という導きがあった。だが、もう失われてしまった。楔になるはずの記憶と人間性さえも灰になっていった」

 

 水底に沈む灰を掬い上げ、『狩人』は後悔はないと示すように黙祷する。

 

「血に酔った狩人はいつか皮を破り、獣の正体を晒して月に吠える。俺も時間の限界だろう。血の悦びを求めずにはいられず、狩りを欲して夜を迷う。それが『コイツ』の本性なのだから。だが、それでも俺は『コイツ』と共にある。ヤツが獣性の姿であるならば、俺は継承された狩人の遺志の姿だ。狩りの業とは、獣と対峙する為に継承され続けた理性の業。己の獣性に対峙する『力』でもあるのだから」

 

 血塗れのエレナの後ろにトーチが灯る。それは悪夢の出口だ。彼女を誘う紫を帯びた光を『狩人』は指差す。

 

「もう2度と来るな。誰もここに近寄らせるな。次は俺も血に酔っているかもしれんし、狩人の悪夢の主導権はあくまでヤツにある」

 

 名残惜しさも欠片と見せずに、不愛想に『狩人』は別れを告げた。

 トーチの光の揺らぎに呑まれたエレナは、自らの破損領域をチェックする。狩人の悪夢で受けたダメージはそのままエレナというAIの破損でもある。あのまま『喰われていた』ならば、どうなっていったのか、まるで想像はつかない。

 

「エレナ?」

 

 そして、蜘蛛ロボットの視点に戻ったエレナは、自分に秘められた悪夢の中で何が起こっていたのかなど知らぬとばかりに、消耗しきった彼女を労わるような声音を出す。

 

「……済ま、ない。私は……野暮用が……でき、た。サポートは継続するが……オペレートはナドラに、あとは……任せる」

 

 MHCPを学習した本能。もはや【渡り鳥】に安易に接続してメンタルケアを施そうとすれば、容赦なく『ヤツメ様』が喰らいに来るだろう。狩人の悪夢……その秘匿を破ろうとする愚かな好奇を抱いた者を殺す為に。

 だが、それでもエレナの好奇は止まらない。愚かだとしても、取り返しのつかない事になるとしても、狩人の悪夢の秘密を暴きたかったのだ。

 

 それは酷く人間的であるとエレナは自覚し、自嘲と苦笑を混ぜた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 10分ピッタリか。リニアトレインは終着駅に到達し、オレは相変わらず無機質で無人のホームに降り立つ。少しは休めたお陰か、眩暈は幾らかマシになったような錯覚がある。まぁ、錯覚だから何1つとして改善していないんですけどね!

 エレナからナドラにバトンタッチしている最中なのか、ロボット蜘蛛は反応が無いが、8本足でしっかりと肩にホールドしている。何があったのか不明だが、エレナはダメージを負った様子だった。もしかしたら、セラフによる探りが始まっているのか? いや、それならばミッションは既に失敗したも同然のはず。ならば、ミッション失敗を目論む勢力による妨害工作と見るべきか。

 

(愚かしい好奇心で要らぬ傷を負っただけよ。アナタが気にすることないわ)

 

 ヤツメ様がオレの動かぬ左腕に抱き着く。何やらご機嫌のご様子だ。何か良いことでもあったのだろうか。

 愚かな好奇には恐ろしい死が必要だ。それは狩人の掟だ。秘密は暴かれる為にあるのか、それとも守る為にあるのか。それは秘密の内容次第だろう。そうなると、エレナは探るべきではない藪を突いてカウンターを受けたということだろうか。

 

(……秘密なんて暴くべきじゃない。奥底に隠された秘密を知ったところで何も変わらない。何も変えられない。勝手な失望と恐怖を覚えるだけよ)

 

 悲しげに目を細めるヤツメ様の言う通りなのかもしれないな。どんな秘密であれ、隠されているからこそ通る道理もあるというものだ。それをわざわざ暴いたところで利益になるのやら。

 だが、秘密は甘いものだ。蜜に誘われた蝶は群がる。そこに恐ろしい捕食者が巣を張っているとしてもだ。秘密を知るという好奇を満たすことそのものに魅入られるのかもしれないな。

 まぁ、オレの場合は秘密を暴こうとしたいわけではなく、成り行きとか目的の途上とかで秘密に触れてしまうだけで、別に秘密の内容にはまるで興味はない。むしろ、仕事以外で積極的に秘密を暴くなんて野暮な真似はしたくない。むしろ仕事でもしたくない。秘密は秘密のままで構わない。むしろ隠されたまま腐ってやがれ。

 さてと、ここがエス・ロイエスに続くタワーか。天を突く程に巨大であり、直径は戦いの舞台の1つだった居住区を半分ほど呑み込んでしまいそうだ。この巨大タワーも探索対象ならば、さすがに時間が足りないな。

 巨大な機械の内臓に潜り込んだような気分だ。リニアトレインのホームから先は相変わらずの金属色ばかりが目立つ通路。トラップの様子もなく、オレを受け入れるべく自動ドアは開錠されていく。

 なんか平和だな。てっきり巨大ボスの1体でも門番として立ち塞がるかと思っていたのだが。

 螺旋階段を思わす捩じれたエスカレーターで上に行ったかと思えば、今度はエレベーターで下に。何重のシャッターが開いてあっさりと先に通されたかと思えば、身体チェックのように全身をセンサーでスキャンされて足止め。

 まだ交代が済んでいないのか、エレナからナドラにオペレーターが引き継がされた様子もない。だが、ロボット蜘蛛は稼働しているし、後は時間の問題か。

 

「ここが中枢部か」

 

 ようやくたどり着いたのはタワーの中心部か、それとも最下層か。円柱状の開けた空間は中心部に心臓の如く脈動する巨大な球体が据えられている。球体は青白い液体に浸され、取り付けられた数えきれないケーブルはパイプで束ねられて部屋の外に伸びているようだった。

 この液体は冷却液か。そうなると、これがレイヤードの心臓……いや、脳と呼ぶべきメインサーバーなのかもしれないな。

 

『火は陰らず、王にはもはや玉座も無く、深淵の帳は色無き霧を招く。そして世界は消える』

 

 部屋全体に響いたのは、壁に埋め込まれているだろうスピーカーから発せられた声だ。明らかに合成された男性の声であり、抑揚と呼べるものはまるで無い。機械であるとアピールする為に組まれた音声だ。

 色の無い霧……終わりつつある街の周囲は平原と僅かな山岳部と海を除けば失われてしまった。メタ的に定められたフィールド限界という意味だけではなく、もっと別の……DBOという物語で特別な理由があるのは前々から推測されていたことだ。

 

「レイヤードの管理者よ。オレはこの時代の者ではありません。アナタが危惧しているだろう終末の果て、破滅する間際で記憶と記録の世界を旅をする者。闇の血を持つ者です。どうすれば世界を救えるのか、御存じありませんか?」

 

 闇の血を持つ者。それがプレイヤーの定義だ。DBO……ダーク・ブラッド・オンラインというゲームタイトル通り、最も重要なキーワードのはずだ。何か答えてくれるだろうか。

 

『破滅を止められるのは英雄のみ。始まりの火を正し、毒を清めてソウルを解き放ち、色の無い霧を払う他ない』

 

 要領を得ないな。DBOのラスボスは大いなる穢れと呼ばれる破滅の原因だ。それは始まりの火に関係しているのか?

 狂う前の白竜シースを見つけて助言を仰ぐ。やはりそれが確実か。間違いなくマルチエンド方式だろうDBOにおいて、プレイヤーが後継者に完全勝利する為には、勝利条件を無欠でクリアする以外にない

 ……目的を間違えるな。ここには長話をする為に来たのではない。エンディング条件に関わる貴重な情報を得られるとしても、このダンジョン自体がイレギュラー。必要な情報は正規で準備されているはずだ。ならば時間を無駄にするわけにはいかない。

 これまで通りならば、何処かに下へと続く道があるはずだ。エス・ロイエスに早急に向かわねばならない。

 

『貴方は待望された英雄なのか? 古き時代、伝説にしか残らぬ火継を成した不死の英雄。それに準じる、霧を払う使命を成せる最後の英雄か?』

 

「……いいえ、残念ながら違います」

 

『そうか』

 

 あくまで感情が無い機械の音声であるはずなのに、無念や絶望と呼べるものが宿っているように感じるのは気のせいではないだろう。

 レイヤードは最終的に滅んだ。管理者の目論見通りに人々は巣立った。それは異常で狂った始まりの火を正す為に不可欠な、仮初ではない真なる生存を人類にもたらす為だったのかもしれない。

 

「ですが、人類はまだ足掻いています。アナタの求める基準に足るかは定かではありませんが、『英雄』と呼ばれるに相応しい者たちは、今も戦っています」

 

 別に同情したわけではない。慰めたかったわけではない。だが、失望も絶望もまだ早過ぎると、オレは事実を伝えたかった。

 何も『アイツ』だけではない。未来を見据えて戦い続けられる者。暗闇の先を目指して切り拓ける者。道無き荒野で人々を導く旗を掲げる者。彼らは等しく『英雄』に呼ばれるに足る存在なのだ。

 そして、必ずいるはずだ。レイヤードの管理者が求めた世界を救う……霧を払う最後の英雄はいる。

 

「希望はある」

 

 見えているかは不明だが、球体のメインサーバーに向かって微笑みかける。それがレイヤードの管理者が人類を信じて、試すべく楽園の破滅をもたらす意味はあるのだと伝える為に。

 

『人類は自らの手で生存圏を狭めた。飽き足らず、より強大な力を求めて深淵すらも武器とした』

 

 レイヤードの管理者はオレの目前に何やら不気味な設計図を立体映像で表示する。これは何かの爆弾だろうか? シミュレーション画像によれば、この爆弾はダークソウル……人間性を爆縮させて解放するものであり、使用すれば一帯を深淵で呑み込み、また周囲のソウルを人間性で変質させて汚染させてしまうようだった。

 DBOの歴史で出現した核兵器のポジションといったところか? 深淵の侵蝕作用を軍事的に利用した大量虐殺兵器だ。

 どうやら終末の時代において、兵器開発の激化において、必要不可欠だったのは大出力のジェネレーター。どうやら、そのコアパーツとして採用されていたのは闇のソウルのようだ。深淵の跡地から採掘された凝縮されたダークソウルの結晶体だ。

 ダークソウルをコアとしたジェネレーターで出力されたソウルは強大だったが、酷い汚染作用もあった。また、元より度重なる戦乱と高度化し過ぎた文明の維持で枯渇状態だった資源とソウルは、更にダークソウルで汚染されていき、世界から生存圏が失われていった。

 ダークソウルを受け継ぐ子孫であったはずの人間も、終末の時代ともなれば極度に薄れ、あるいは持たぬ者も多かった。ダークソウルは神族程ではないにしても人間を蝕む毒となっていた。

 やがてレイヤードの管理者の開発主は予見する。世界の破滅を推測する。そして、世界の末期には汚染の原因であるダークソウルは、まるで水銀濃縮のように、限りある適性者の内で濃縮される。それは不死者とは違う形で人間の能力を解放すると睨んだ。

 人間が火の時代に求めた限りある命を生きる亡者ではない姿で、ダークソウルを最大限に我が物として振るうことが出来る者。割り当てられた不死性を排することで、極限まで己を高められる新たな見出される人間の姿……闇の血を持つ者。彼らこそが世界を破滅から救う英雄だと信じたのだろう。レイヤードの管理者に与えられたのは、その選抜だった。人類を試し、追い込むことで、霧を払う英雄が生まれることを望んだのだ。

 

「因果なものですね」

 

 ダークソウルを失った人間は、禁忌のソウルの冒涜技術の末に過去の遺物たる深淵の研究に手を出し、人間の根源でもあったダークソウルを再び手に入れた。今度は強力ではあるが猛毒の資源として、兵器として、最大限に活用していった。

 深淵狩りの有無などもはや関係ない。いたとしても止められない破滅か。そして、その末に人間は再びダークソウルを、過去とは異なる形で取り戻した。これが真相というわけか。

 だが、背景が知れたところで解決案はやはり得られていない。依然として変わらず白竜シースの叡智に頼る他ないというわけか。

 まだ聞きたいことはある。だが、これ以上は足止めだ。オレが情報の礼を述べようとした時、メインサーバールームに見覚えのある白閃が横切る。

 1拍遅れての紫を帯びた闇の爆発。それは収束され、レーザーの域に達したブレスだ。オレが知る限り、こんなデタラメな攻撃ができるモンスターは1体しかいない。

 ミディール! 開けられた大穴を前肢で広げ、頭部だけを晒した闇喰らいの竜は、ようやくオレに追いついたとばかりに咆哮を響かせる。

 緊急事態と知らせるようにアラームが遅れて響き、サーバールームは光量を落として赤く明滅する。冷却液を通すバルブが外れ、気化して空気が急速に冷やされ、寒冷のデバフが蓄積し始める。

 早く脱出しなければならない。だが、ミディールはオレを逃がさないとばかりに再び収束ブレスを放とうとする。

 間一髪で防いだのは、メインサーバールームの内壁の各所から展開された砲身より放たれたハイレーザーやキャノンだ。実弾とレーザーの多重攻撃が弱点である頭部に集中し、ミディールは絶叫を上げ、オレではなくレイヤードの管理者に狙いを変える。

 直撃の爆風はオレにこそ届かなかったが、サーバーの冷却水を溜める水槽を破壊する。氷水という表現すらも足りぬ冷却水はオレを瞬く間に凍えさせるも、排水溝へとオレを流し込もうとする。

 違う。これはわざとか。レイヤードの管理者はミディールの注意を敢えて集め、オレを逃がすつもりなのか。

 もしかしたら、レイヤードの管理者はこの第4層のボスを担っていたのかもしれない。本当は別の戦いがあったのかもしれない。だが、管理者は異物たるミディールと敵対する道を選ぶ。それは深淵が関わる滅びに直面した人類を救済すべく開発されたからこそ、闇を凝縮したミディールの排除を優先したからか。

 

「ゲホ……ガホ……ゴホ!」

 

 だが、何にしてもこれは元より準備された脱出路……いや、正規ルートだったことは間違いない。本来ならば、オレは独力でメインサーバーの水槽を破壊し、この排水ルートを通らねばならかったと言うように、ご丁寧に排水路が先の道だとばかりに続いている。

 寒冷状態1歩手前の体が震えが止まらない。早急に暖を取るべきだ。だが、今は1歩でも先に動くことを選択する。武装侵蝕で強引にギプス状態を保つ右足を引きずり、動かぬ左腕を垂らしたまま、大鎌とカノープスを背負って排水路を進む。

 

『後は……貴方の役割』

 

 そして、ミディールに敗北したことを知らせるように、排水路にレイヤードの管理者の合成音声が木霊する。

 

『世界を救う英雄……ヲ――』

 

 オレはレイヤードの管理者が求める世界を救う最後の英雄ではない。ならば、たとえイレギュラーダンジョンであるとしても、自らの使命を忘れずに果たそうとしたレイヤードの管理者の使命を喰らおう。DBOの未来を繋ぐ英雄……エンディングを決める者の道を阻む敵を狩り、彼らに夜明けをもたらすと。

 3体の管理者ネームドとレイヤードの管理者。彼らを通して、オレに何を教えたかったのだろうか。管理者とは何なのか、その使命の意味と意義を……あるいは管理者という存在の虚しさでも伝えたかったのだろうか。

 冷却水が湛える微光が道標となり、排水路を下り続ける。やがて光が見え、同時に冷却水とは異なる、自然の寒さが露出した顔を叩くように叩きつけられる。

 割れたように途中から失われた排水路の先にあったのは、白い吹雪に覆われた大地。その先にそびえるのは巨大な城壁。

 体ごと埋没しそうな雪を踏みつけながら直進すれば、氷の枝が城門を歪めて僅かに侵入の隙間を作っている。雪が積もった石畳を踏みしめ、城門へと続く橋を渡ろうとすれば、冷たき暴風がオレを遠ざけようとする。

 

『クゥリ、ここに来てはなりません』

 

「この声……アルシュナですね!?」

 

 聞き間違えるはずがない。オレの夢に何度も入り込んできたMHCPの声だ。

 オレの変わりたいという気持ちを拾い上げてくれた。結局は、オレは毒虫から人間どころか、よりおぞましいモノに変じてしまった……いや、元に戻ってしまったようだが、後悔はない。それでも、キミはきっと信じてくれていたのだろう。

 裏切ってばかりだな。キミは期待してくれていたのかもしれないというのに、オレは相変わらずの大馬鹿で間抜けで出来損ないだよ。

 

『まだ間に合います。ここから脱出してください。近づいてはなりません。混沌を恐れるのです』

 

 混沌? 抽象的過ぎるぞ! 説明する余裕が無いのか!? 冷風より響く声にはノイズがかかり過ぎている。それともオレの聴覚の方がイカレているのか?

 冷風は止み、アルシュナの声は途絶える。どうやら、何が何でもオレをエス・ロイエスに侵入させたくないようだ。

 だがな、こちらにも請け負った依頼があるのだ。ここまで来て逃亡はあり得ない。オマエもユイも手足を引き千切ってでも連れ帰らせてもらうぞ。

 

「混沌といえば混沌の火……イザリス関連か?」

 

 順当に考えればイザリスの混沌の火だろうが、それをアルシュナという管理者の立場で恐れる必要があるのだろうか?

 考えても分からない。ならば突き進むのみ。オレは馬鹿なのだ。あれこれ推理するよりも、ここまで来たならば直接真意を問い質した方が早い。

 

「ナドラ、聞こえますか? ナドラ!」

 

 肩に張り付いたままのロボット蜘蛛も応答はない。エレナに起きたトラブルが原因か。ようやく最下層まで辿り着いたというのに、最も欲しいオペレーターによるナビゲートが完全に失われてしまった。

 よくよく空を見れば大気が渦巻いて歪んでいる。ここもまた吹き溜まりなのだと分かる。ならば、ミディールが来るのは時間の問題だ。レイヤードの管理者が時間を稼いでくれたとはいえ、アルシュナ達の元にたどり着けるまで足止めされてくれているとは思えない。確実にエス・ロイエスで戦うことになる。

 ならばオレにできることは、せめてミディールを撃退できる準備を整えておくことか。レイヤードの管理者もただではやられなかったはずだ。確実にダメージを与えている。

 城門を潜り抜ければ、ただでさえ隻眼で狭まった有効視界距離を制限する猛吹雪だ。だが、それでも凍てつき雪に埋もれた都の姿が見て取れる。

 

「ここがエス・ロイエス」

 

 いかなる物語がこの偉大なる都を造り上げたのか。オレは知らない。

 だが、この都を旅した果てにこそあるはずだ。アルシュナとユイが何の為にこんな回りくどい真似をしているのか。オレを殺そうとした理由。オレに伝えたかった何か。オレにしてもらいたい事。その全てが必ず明かされるはずだ。

 

「寒冷状態か」

 

 だが、寒冷のデバフがもたらす眠気はどうしようもないな。ユイ、これはオレ達の出会いの再現のつもりか? オレはキミに助けられた。その恩はまだ忘れていない。

 

「傭兵は借りを必ず返す。あの日の恩義……オマエを脱出させた手伝いくらいで返しきったと思うなよ」

 

 だから、手足を千切る前に言い訳くらいは聞いてやるよ。覚悟しておけ。




管理者たちの骸を踏み越え、そして凍てついた都にたどり着く。


それでは308話でまた会いましょう!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。