SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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・前回のあらすじ
エギル……安息の眠りにつく。






Episode18-64 アルヴヘイム冒険譚

「不気味ね。こんなにも立派な城下町なのに誰もいないなんて」

 

「この都市機能を度外視した複雑構造からすると、元々はダンジョンだったのかもしれません。オベイロンが改変した影響でしょうか?」

 

「モンスターがいないのは良いコトだけど、やっぱり罠なのかな? お兄ちゃんはどう思う?」

 

「さぁ、どうだろう。ダンジョンなのは間違いないけど、ギミックが解除された形跡があるな。元々は何らかのトラップが敷かれた迷宮だったのかもしれない。オベイロンは回廊都市を突破させたくなかったはずだから、ここのリソースも使ってしまったのが濃厚だけど、断言はできないな。どうにも違和感が大き過ぎる」

 

 シノン、シリカ、リーファに疑念に対する返答を求められるUNKNOWNを背後に、相変わらずモテモテなことでとクラインは嘆息する。

 これも才能なのか。昔から『彼』の周囲には必ず女の影があった。SAOにおける男女比は9:1であることを考慮すれば、もはや運命力とも呼ぶべき才覚である。

 当初のクラインは男の嫉ましさ9割、妬ましさ1割……即ち100パーセント嫉妬で『彼』の運命力を羨んでいた。だが、今となっては慣れたものであり、またヤンデレホイホイという究極の精神不衛生呪いが常時発動するスキルなど、こちらからご遠慮願いたいのが本音だった。

 

「おい、あの男はいつも『アレ』なのか?」

 

「ああ。いつも、大体、毎度のように、ツッコミを入れるの億劫になるくらいに、『アレ』だぜ?」

 

 DBOでも随一のプレイボーイとして有名であるユージーンさえも眉間に皺を寄せている。

 3人のみならず、いつの間にか、いかにも才女といった風貌のウンディーネの神官娘、曲剣使いの褐色スプリガン女剣士、男勝りそうな特大剣装備のサラマンダー女騎士といった具合に、他にもいつの間にか彼に熱い視線を送っている女性陣もいる。

 まぁ、活躍が活躍だ。ここにいるのは、いずれも生き残った猛者であり、【聖剣の英雄】の伝説的偉業を目撃している。打算抜きで惚れてもおかしくない程度には、凄まじい神々の戦いを制したのだ。

 だが、この差はなんだろうか? 同じく、今回の戦争の立役者であるレコンには言い寄る女の影すらもなく、途中参戦とはいえオベイロンの召喚能力を封じるという美味しいところを奪ったはずの自分にもその手の気配はない。

 

「噂には聞いていたが、これ程とはな」

 

「ユージーンの旦那も呆れたフリするのは勝手だが、帰ったら選り取り見取りじゃねぇか」

 

「一夜でも時間が残っていれば酒池肉林を催すが、その余裕は無さそうだからな」

 

「……スゲェな。堂々とそこまで発言して様になってやがる」

 

 クラインは今にも噛みつきそうな獰猛な表情で唇を噛んで男の醜い嫉妬が駄々洩れる前に何とか堪える。あくまで黒馬鹿の謎のホイホイ才覚に対する嫉妬の情は抱かないだけであり、この2人が見目麗しい女子に囲まれてる様に何の感情も抱かない程に仏の域まで精神を昇華させたわけではないクラインなのだ。

 異なるベクトルからのアプローチと呼ぶべきか、2人では性質が異なると呼ぶべきか。ユージーンもユージーンで、回廊都市のキャンプ地に残した女子たちの熱烈な感情を一身に集めていた。

 決戦後も一方通行ではあるが、転移は機能している。オベイロン撃破の報はアルヴヘイム全土、全ての民に通達されたらしく、続々と救援物資が運び込まれている。また、戦後の派遣を狙って、漁夫の利狙いの進駐軍も続々と入って来ていたのであるが、回廊都市の惨状と反乱軍の壊滅具合から早々に言葉を失い、また同じ狙いの貴族が多過ぎて牽制合戦が始まるという醜い惨状だ。

 あのゴタゴタさえなければ、もう3時間は早くに出発できたものだ。レコンが何とか取りまとめようとする策を練っても、貴族相手ではネームバリューも無ければカリスマ性も無い。オマケに交渉材料も無い。

 UNKNOWNが【聖剣の英雄】という肩書を使って抑えようにも、進駐軍で膨れ上がる回廊都市のキャンプ地では、どうにも上手く立ち回れない。

 

(ギーリッシュの旦那さえ生きていればな。こりゃアルヴヘイムの戦後処理は荒れるぜ)

 

 権威として【聖剣の英雄】は十分に効力を発揮するにしても、やはり歴史が浅い。実績は十分だとしても、生まれた時から政治に揉まれた貴族たちからすれば権威との付き合い方など慣れたものだ。オベイロンという脅威も去ったならば、むしろ【聖剣の英雄】を抱き込もうと暗躍開始である。

 だが、そんな政治力で真っ黒な思惑とは別に、女たちによる血眼の戦いもまた同時勃発していた。

 玉の輿上等。そんな気迫に満ちた女子たちに、クラインは思わず明後日の方角を見てしまったものである。

 愛情は大事だ。だが、打算も大事なのも重々承知。情愛と打算はむしろ後者に比重が傾いていることも多々あり。なお、前者に傾いた場合は一気に振り抜けてしまう事例が決して無視できない数あるので要注意だ。クラインはこれまでの人生で学んだことの1つとして、愛さえあれば何も要らないというタイプが1番恐ろしいと学んでいる。愛4割+財力4割+その他事情2割=円満な関係こそが至高であるとする。男として愛10割の女に惚れてもらいたいという欲望が無いわけではないが、数々の恐ろしい事例を目撃したために日和った結果がこれである。

 やっぱり女は戦時だろうと何だろうと逞しい。男とは比べ物にならない。クラインは溜め息を吐き、自分はさっさと帰って、愛1割未満+財力・地位9割以上余裕=ビジネスライクの一夜のお付き合いが最適ね、が良さそうだと頷く。

 

「どうだ? オメェも帰ったら夜の街を楽しもうぜ? リーファちゃんにフラれて傷心してんだろ? 女の温もりで癒してもらうぜ。もちろん俺の奢りだ」

 

「行きたいのは山々ですけど、僕はフェアリーダンスの交渉が待ってますから。チェンジリングされた偽アバターのリーファちゃんやサクヤさんがどうなったかも確認しないといけませんし、打ち上げはまた今度ってことで」

 

 赤く目を腫らしたレコンの声音は暗い。それも仕方ないだろう。彼は数時間前に、敬愛するギルドリーダーのサクヤが死亡した事実を伝えられたばかりだ。

 レギオン化してサクヤは死亡した。彼女はアルヴヘイムの大地に埋葬され、僅かばかりの遺品をユージーンが預かっている。

 リーファとレコンを呼び、サクヤの死を通達したユージーンは、同席したクラインが見た限りでは、彼女の死こそ受け入れてはいるが、その理不尽な死を断じて看過できない様子だった。レコンやリーファも、サクヤの死にレギオンが関わっているともなれば、レギオンへの見方も変わったかもしれないが、その内心は不明だ。

 敢えてUNKNOWNなどをユージーンは外したが、クラインはレコンに付いてくる形でサクヤの死を耳にし、その上で幾つかの推測を立てた。

 まずユージーンは、サクヤの死について明らかにしたが、その詳細については言葉を濁した。さすがに感情が勝って言葉にできないのだろう、とも捉えられるが、多くの人間を束ねる立場にあるクラインは見逃さなかった。

 言い澱んだ最大の理由は、死の詳細が凄惨なものであったからではなければ、ユージーンがサクヤを殺害したからでもない。むしろ、サクヤの死は無関係な第三者によってもたらされたものであり、故にユージーンはその人物を隠匿する必要性があるからこそ、ユージーンはサクヤの死の真相を限りなく伏せることを選んでいるのではないだろうか。

 アルヴヘイムの住人がサクヤを殺めたならば、わざわざ隠す必要はない。レギオン化したサクヤを殺害しなかったとして、ユージーンの恥にはならない。2人の関係を幾らか知る2人ならば、少なからずの交流があり、なおかつ好意を抱いていたとなれば、レギオンだからという理由だけで殺害できるほどにユージーンは冷酷ではなく、むしろその時の心情を慮って同情もするだろう。

 そして、わざわざUNKNOWNを省いたのは、彼がサクヤの関係者ではないからだけではない。クラインの同席も渋っていたが、怪しんだレコンの一声で認可された。即ち、元来ならばサクヤの死についての情報は、クラインやUNKNOWNといった面子の耳に入れたくなかったからだ。

 これらの情報を料理し、ある人物の最悪と定評がある間の悪さも考慮すれば、サクヤを殺害したのはクゥリではないかと推理できる。

 わざわざ死の詳細を濁すのは、サクヤの死に嘘で虚飾したくないというユージーンのプライドと愛情であり、殺害したのは高確率で2人にとって知己の人物であるからだ。そうでもなければ、サクヤの死に様を問われた時に何も答えないはずがない。ユージーンは、むしろ自罰も込めて、彼女の凄惨な死のあり様を語っただろう。

 フェアリーダンスは、クラウドアースが起こしたお祭り騒ぎバトル・オブ・アリーナ以降も小さな依頼を幾つか【渡り鳥】に頼んでいる。また、リーファがUNKNOWNの妹だとも彼女の態度からユージーンは把握してしまった。ならばこそ、2人にとってサクヤを実際に殺害したクゥリへの悪印象を避けるべく、敢えてユージーンは沈黙を守っているのだろう。

 それがレギオン化したサクヤを鎮めてもらった礼なのか否か。それはユージーンの胸中次第だ。だが、ユージーンの様子から察するには、クゥリ個人への怒りや憎しみよりもレギオンに対する義憤が大きいのは間違いないだろう。

 

(旦那もなんだかんだで不器用な男ってわけかい)

 

 全ては仮説に過ぎない。だが、辻褄は合う。わざわざクライン達を遠ざけようとしたのも、この推測を成り立たせない為だろう。そして、ユージーンの男気を無下にするほどにクラインは恥知らずではない。チェーングレイヴの目的の為ならば存分に利用させてもらうが、それより外れているならば、彼のプライドを守るべきだと判断できる。

 

「フェアリーダンスはクラウドアースの保護下に入ってもらう。名目上は、公開されるだろうアルヴヘイム絡みの問題から、不運にも巻き込まれた中小ギルドを守る為……といったところか。だが、そのまま取り込ません。ランク1の名誉と誇りにかけて、サクヤが守ろうとしたフェアリーダンスは中立として解き放つ。口約束になるが、オレを信じろ」

 

「そりゃ信じますよ。ギルドについては、もうどうしようもない。僕の軽率さのせいで『詰み』なんですから、ユージーンさんに頭を下げてお願いしないといけないくらいです」

 

 それでも最大限にサクヤさんの代理で交渉させてもらいますけどね、とレコンは力なく笑う。サクヤの死は相応に堪えているのだろう。いかに精神的に成長したとはいえ、敬愛するリーダーの死にまるで傷つかないほどに、彼の心は頑丈ではない。

 

「確かに貴様の行動は、フェアリーダンスの資産・権利・人材を全てクラウドアースに差し出したにも等しい。だが、その無謀にも似た勇気こそがオレクラウドアースを動かし、またアルヴヘイムをオベイロンから解放する一助になったことを誇れ。このランク1が認めてやる。貴様は、オレには及ばんが、強き男だ」

 

「僕はたくさん間違えましたよ?」

 

「フン。オレもだ。だが、全てを正しく完遂できる者などこの世に誰もいない。多くの間違いを犯しながら、オレたちはそれでも未来を目指して進むしかない」

 

「うわぁ、それ言っちゃいます? カッコイイなぁ。やっぱり様になる人はなっちゃうんですね」

 

 フェアリーダンスについては後で俺も口添えしてやるよ、とクラインは感涙するレコンの肩を叩く。セサルは若人の成長と無謀にも似た行動力を何よりも良しとする気質だ。レコンの成長を確認すれば、人材として引き抜きたい以上にフェアリーダンスを中立として放った方が『面白い』と判断するだろう。そこにユージーンとクラインの進言があれば、大した時間もかからずに、そっくりそのまま解放とまではいかずとも、中立ギルドとして穏便に再出発ができるはずだ。

 いよいよアルヴヘイムの終わりが近づいている。クラインは、呉越同舟でオベイロンに挑んだ『仲間』との別れも近いことを肌で感じる。

 たとえ、オベイロンを倒す為に協力し合った水魚の交わりだとしても、大海に出れば群れが異なる。

 組織も、大義も、信条も、感情も、過去も、何もかもしがらみを捨てて手を組むなど夢物語だ。しがらみのない世界とは人間の否定に他ならないのだ。

 

(だからこそ、オメェだけが読めないんだよなぁ)

 

 そして、この場に置いて、クゥリがアルヴヘイムにいると確信を持ちながらも公言しない者が少なからずいる。その内の1人がシリカだ。

 UNKNOWNはアルヴヘイムにクゥリがいるとなれば、どんな反応を示すかなど手を取るように分かる。女性陣が感情を爆発させかねない。だが、だからと言ってシリカが胸中に収める道理もない。

 確かに2人には大きな溝がある。クゥリのデリカシーの無い発言とシリカの嫉妬だ。クゥリはいつものように善意で取った行動がシリカの怒りを買って外縁から蹴り落とされて殺されかけた。シリカはSAO末期で『彼』の相棒を務めたクゥリに、入れ替わって背中を守ることができない嫉妬心を抱いていた。

 ならば、クゥリがいないと押し通すのかと問われれば、シリカ個人の心情だけならば否だろう。特に『彼』ともう1度やり直すと決めた以上は、クゥリに対する嫉妬も幾らか軽減されたはずだ。

 それでも隠す理由があるとするならば、個人の心情だけでは公言できない別の事情が絡んでいるからだろう。

 理由の1つはクラインと同様だろう。即ち、クゥリが聖剣騎士団によって派遣された傭兵という危険性だ。

 今回のアルヴヘイムの利権は莫大なものになるだろう。改変後のアルヴヘイムか、それとも元通りに整理された後になるかは不明であるが、何にしても大ギルドは利権獲得に乗り出すはずだ。そして、その時にまず1番大きなパイを得るのはクラウドアースだ。

 ギルドとして戦力を正式に派遣した実績を持つ。これが何よりも大きい。ユージーンの活躍を大きく宣伝し、アルヴヘイムの利権の正当性を主張するだろう。クラインとしても望ましい展開である。アルヴヘイムにあるコンソールルームを獲得する。それこそがクラインとセサルの目的なのだ。

 次にラストサンクチュアリと太陽の狩猟団だ。正式派遣ではないとはいえ、UNKNOWNとシノンは専属傭兵だ。独断行動だとしても、サインズを通さなかった極秘依頼ということにすれば良い。2人には獲得アイテムなどの明確に提出できる実績もあるだろう。それらから2つのギルドは2番手、3番手に収まるはずだ。

 だが、ここで絡んでくるのは、一見すれば無関係を装う聖剣騎士団だ。蚊帳の外に見せかけて、実はクゥリを派遣していたとしたら?

 クラインとシリカの共通認識の1つとして、クゥリは傭兵として仕事を受けない限りには、余程のことがない限りに自発的な行動をしない、という点だ。せいぜいがレベリングや素材集めくらいであり、それを除けば能動的にはならない。

 そして、わざわざUNKNOWNに接触しない理由から察するに、クゥリには彼に接触してはならない制約があるのは間違いないだろう。これは彼が請け負った依頼に則しているはずだ。

 UNKNOWNの動向が聖剣騎士団に漏れていたとは考え難いが、彼を密やかにサポートする戦力として、サバイバル能力に定評があり、なおかつ長期に亘る単独行動を可能とし、加えて損失しても不利益が無い傭兵として、クゥリが雇われた確率は大きい。

 ラストサンクチュアリにとって聖剣騎士団は、唯一無二のパイプを持つ大ギルドだ。シリカとしても聖剣騎士団の意向は無視できない。仮に、クゥリに隠密行動を指示していたならば、UNKNOWNに名声を集中させ、聖剣騎士団は我関せずを装い、大ギルドの軋轢を表面的にはラストサンクチュアリに背負わせながら、権益獲得を目論んでいるからだ。

 仮に改変前のアルヴヘイムに戻るとしても、これだけの大ステージの権益が莫大になることは間違いない。過去最大級になるだろう。ギルド間のパワーバランスの崩壊を招きかねない。だからこそ、3大ギルドが順列を付けるにしても権益を獲得する結果が望ましい。そして、ラストサンクチュアリとしては今回のUNKNOWNが得た権益獲得のチャンスを、そっくりそのまま聖剣騎士団に譲渡するだろう。

 最終的な落としどころは、クラウドアースは1歩リードしながらも3大ギルドで美味しくいただく、となるはずだ。むしろ、クラインはそうなるように裏で尽力しなければならない。

 

(セサルなら問答無用で全獲りにいくだろうが、俺はまだ戦争が始まってもらっちゃ困るからな。戻ったら大忙しだぜ)

 

 そして、クラインの場合は沈黙を守る理由がもう1つある。わざわざUNKNOWNに教えるような事ではない、という点だ。

 理由こそ何であれ、クゥリは自分がアルヴヘイム不在であるとUNKNOWNに思わせたかった。頑なに組もうとしなかった。それは、白黒コンビの復活を否定しようとしたからではないだろうかともクラインは受け取っている。シリカも同様のはずだ。

 

(オメェは毎度のようにやること成すことが無茶苦茶過ぎて行動背景が読めねぇんだよ)

 

 そして、最終的にクゥリについて何も発言できない最大の原因は、他でもない本人が謎過ぎる点なのだろう。聖剣騎士団の依頼説にしても最も確率が高そうなだけであり、確信など持てない。何処の勢力が実際に雇っているのかさえ分からない。もしかしなくとも太陽の狩猟団。あるいは、セサルが裏で糸を引いていてクラウドアース。まさかまさかの教会というオチもあり得るのだ。

 不用意に触れれば爆弾となりかねない。そして、UNKNOWNはクゥリ関連となれば10割の確率で間違いなく公言したがるだろう。そうでなくとも、リーファやレコン経由でバレるかもしれないのだ。

 相変わらずの危険物にして腫物扱いだ。クラインは、かつて偏見なく接していたはずのクゥリに対して、いつの間にかこんな対応を取るしかできなくなっている自分に嫌気がさす。そして、それを当然だと肯定する憎しみに焼かれた自分もいる。

 あんな奴に名誉も栄誉も必要ない。そう嗤うのは、風林火山のリーダーだった自分だ。仲間を皆殺しにされた自分だ。

 あの時は仕方なかった。自分に『力』が無かったから起きた悲劇だ。そう割り切るしかないと自分に言い聞かせた。だが、それと感情を切り離すことは難しい。それは、もしかせずともサクヤを殺されたユージーンも同じかもしれない。

 嫌でも分かる。クゥリの目にはいつも迷いなどない。その行動に躊躇いなど感じられない。仲間だろうと何だろうと、敵と判断すれば、邪魔だとみなせば、殺す。その光景をクラインはその目で見てきたのだから。

 

(俺はオメェをこれ以上嫌いになりたくないんだ)

 

 俺はそこまで人間出来てねぇんだよ。仲間を皆殺しにされた憎しみを抱え込むだけで精一杯だ。クラインは拳を握って、久しく猛らなかった憎悪を抑えつける。

 城下町からユグドラシル城に続く大通りの1本道。その果てにたどり着いた正門は既に開かれている。【来訪者】を含めた精鋭100名余りは行進を止める。

 

「シノンとシリカは後方待機。俺は正面。ユージーン、右を頼む。クラインは左を。リーファはいつでも動けるように中間待機」

 

「了解!」

 

「構わねぇぜ」

 

「ふざけるな。オレが正面だ」

 

「……ハァ。分かったよ。俺が右だ」

 

 まずは内部の様子を確認するために、最大戦力である4人で偵察を行う。シリカはこの4人に比べれば戦闘能力が低く、シノンは義手を破損した上に武器を失っている。この布陣は最適であるとクラインは認めるが、上半身を守る鎧を失っているユージーンが最も危険な正面を担うのは反対だ。だが、ユージーンとしては、決戦で2番手だったからこそ、ここで最もリスクを背負いたいのだろう。

 3人で一気に侵入し、クラインは純打撃属性に変じさせた羅刹丸を構える。エントランスは広々としているが、扉と呼べるものは何処にもなく、吹き抜けとも呼んでも差し障りのない高い天井があるばかりだ。

 だが、その天井にこそ扉がある。まさか壁をロッククライミングのように登れというのかと辟易するも、一足先にUNKNOWNが壁に足をつける。

 

「やっぱりな。重力エンジンがここでは足裏の接触面……体重をかけた方向に依存してるんだ」

 

「クッ、この程度……オレでもすぐに看破できた!」

 

「フフフ! それはどうかな? 俺の目に狂いがなければ、随分と悩んでいたようだけどさ」

 

「今は好きなだけ勝ち誇るが良い! 最後に勝つのはこのオレだ!」

 

 本当にゲーム勘だけは随一だな。1秒とかからずに謎を見抜いたUNKNOWNに飽きれながらも、こういう場面では頼りになるとクラインは認める。

 決戦後は役割に応じて与えられた能力は喪失している。翅を有しているのは今やリーファだけだ。彼女による空輸を最悪想定していただけに、クラインはこれで徒歩でユグドラシル城に乗り込めると安心する。

 そして、この場の全員がだからこそ危機意識を抱く。オベイロンが何の策もなくエントランスを通り抜けさせるはずがない。必ずやトラップを敷いているはずだ。

 弾けたのは虹色の光。それをクラインはよく知っている。アメンドーズの転移の光だ。それが天井の扉の前で爆ぜ、4つの影が立ちふさがる。

 

 

 

 

 

「Halleluiah♪ Halleluiah♪ Halleluiah♪」

 

 

 

 

 

 鈴が鳴るような可愛らしい声で、恐怖の塊の如く歌を紡ぐのは、人間の形をしていながら、漆黒の肌をした乙女。背中から文字化けの塊を触手として8本伸ばす少女。かつて獣狩りの夜において、奇襲とはいえ一太刀傷つけることはできたが、その実力は未知数。

 ユージーンより得た外見情報に合致する。彼女こそが全レギオンの母……マザーレギオン!

 言い知れぬ恐怖がクラインに襲い掛かるも、彼は一蹴する。オベイロン戦で体験した、身を縛り付けるような殺意に比べれば雲泥の差だ。あれを経験した後では、マザーレギオンが放つ殺意に怯む道理などない。

 

「そんな……!」

 

 信じたくなかった。そんな様子でリーファが叫ぶ。それは明らかな動揺であり、UNKNOWNがカバーに入る。だが、それを逃がさないとばかりにマザーレギオンは突進する。

 させるかよ! 一直線でUNKNOWNを倒しにかかるマザーレギオンに、ユージーンと連携してクラインは挟み撃ちにかかる。正面と左右からならば触手は分散される。これならば3人の実力ならば突破は可能だ。

 

 

 

 

 

 

 

「貴様の相手は私だ」

 

「ハハ、マモル!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、クラインは背後から感じた殺気のままに振り返れば、2本の結晶の刃が軽やかに踊り、頬が浅く裂ける。反応がコンマ1秒でも遅れていたならば、首は胴体と泣き別れになっていただろう。

 それは約束の塔で彼らを逃がしてくれた2人組の片割れ。クールで知的な容姿をした、ショートカットが似合うスーツの女だ。豊満な胸やボディラインが女性らしさを艶やかに主張するからこそ、身に纏うスーツは煽情的に男を逆に誘惑するのであるが、彼女は特に気にする様子もなく、左右に持つ結晶のカタナで十字を作るように構える。

 

「ようやく再戦だ。かつての私と思うなよ」

 

「アンタみたいな美人と戦った覚えはないぜ!?」

 

「なに、すぐに思い出す」

 

 この女……ヤバい! クラインは直感的にスーツ女の危険性を感じ取る。冷静で知的な顔立ちでありながら、その目には隠しきれない凶暴性が牙を剥いている。完全に理性で己の暴力的性質を飼いならしていながら、全力で解き放てるタイプだ。

 常軌を逸した連撃。左右のカタナから繰り出される剣速はトップクラスだ。これと正面から渡り合えるのはDBOでも限られているだろう。

 

「≪無限居合≫の弱点は近距離戦。空間攻撃であるが故に、密着状態では発動できない。ほら、横腹の守りが薄いぞ」

 

「嘘吐きやがれ! 狙いは頭だろうが!」

 

 横腹を蹴りで打ち抜くとみせかけて、左逆手の一閃が危うく額を割りかける。巧みに話術を駆使してこちらを翻弄しようとしていながら、剣技は獰猛でありながら冷静さの塊だ。クラインは左手の籠手で突きを受け流し、膝蹴りをお見舞いしようとするが、スーツ女は軽やかに跳んで逃げる。

 距離を取ったな。クラインは≪無限居合≫でスーツ女を攻撃する。彼女の周りの空間が歪んで青い光の刃が乱舞する。

 

(……は?)

 

 思わずクラインは顎が外れそうになる。

 対象の空間を青い光の刃で埋める、対象が空間内にいれば必中とも呼ぶべき≪無限居合≫。溜めは短く、発生できた刃は低威力かつ少なかったが、それでも不可避だ。

 そう、不可避『だった』はずだ。それは過去の話だ。

 

「ユニークスキルに依存しては成長が疎かになるぞ? さぁ、存分に斬り合おう!」

 

 青い光の刃の発生。それを人外とも呼ぶべき動きで、全ての光の刃の発生位置を最初から特定していたかのように躱し、囲われるより先に脱したのだ。

 完全に囲われてしまえばダメージはあった。だが、敢えて見せつけるように、限界ギリギリまで≪無限居合≫の効果範囲に留まったのだ。

 ネームドの域すらも超えた体捌き。変幻自在にして柔軟な二刀流剣技。これ程の剣士ならば、すぐにでも思い出せるはずだ。だが、クラインにはどうしても目の前の美女と一致する人物を思い出せない。

 

「王のように気配で察せとは酷な申し出だったか。この姿であるし、仕方ない。改めて名乗ろう、人の子よ。私はレヴァーティン。上位レギオンにして、王の『誠実』を賜った者だ」

 

 ここからが本番だ。唇の動きだけでそう告げたスーツの美女レヴァーティンは、再び近接戦を仕掛ける。二刀流に対して一刀流と左手の籠手によるガードと受け流しを駆使するクラインだが、その剣速と精密さは彼が良く知るSAO末期の【黒の剣士】を超えていた。さすがに現在のUNKNOWNの域には到達していないが、匹敵しうる成長性を感じさせる。

 格闘戦ならまだ分がある。左右のカタナのリズムを把握したクラインは、我流喧嘩殺法でもある受け流しからの踏み込みで右肘打をレヴァーティンに打ち込む。だが、彼女もまた左腕でガードし、押し込まれながらも余裕を崩さない。

 

「中距離戦がお望みか? 良かろう!」

 

 レヴァーティンの結晶カタナが変じ、刀身が分裂する。それは蛇腹剣の如く、まるでレギオンの触手のように暴れ回る。だが、レヴァーティンは両手で操作していながら、その精度も威力も並のレギオンの比ではない。

 だが、中距離ならば≪無限居合≫を活かせる。そう思った瞬間に、クラインの体がレヴァーティンに引き寄せられる。

 スーツの左袖から飛び出していた結晶の鎖。それがクラインの一瞬の油断を突き、恐るべき速度で首を絡め捕ったのだ。細い鎖に引っ張られ、強制的にレヴァーティンの間合いに引きずり込まれたクラインに、彼女は右のカタナを突き出す。

 鮮血が飛び散る。クラインは咄嗟に左手でカタナをつかみ、腹の中心を貫かれる寸前で防ぐ。左の鎖、右手のカタナを封じられたレヴァーティンに対し、カタナを掴んだ左手は傷ついてこそいるが、右手のカタナは自由のクラインは勢いよく振り下ろす。だが、レヴァーティンは鎖はそのままに右手のカタナを捨て、恐るべき判断力で即離脱する。

 

「なるほど。これがSAOを生き抜いた猛者の実力か。だが、さすがに深淵殿とオベイロンを相手にした後では疲弊しているようだな。目に見えて動きが鈍い。私が楽しみたいのは単なる狩りではなく、血沸き肉躍る死闘。今の貴様とでは楽しめそうにないか」

 

 クラインがつかんでいたカタナが分解され、再びレヴァーティンの手元で再構成される。

 左右のカタナを……いや、結晶を自在に作り変える能力! 先程の一瞬で鎖を見切れなかった最大の理由は、蛇腹剣となっていた左手のカタナがそのまま鎖に変化したからだ。

 

「貴様のギルドの名はチェーングレイヴだったな? では、ここはチェーンデスマッチといこうではないか! さぁ、私の糧となれ! 貴様の『力』、そして『強さ』! 今の私ならば全て引き出せる!」

 

 まずい! クラインが危惧するのはレギオンの成長だ。ただでさえ現状でも手が付けられない実力を持つレヴァーティンが戦闘情報を蓄積すれば、更に強力なレギオンになっていく。そして、それはレギオン全体の強化にも繋がる。ユージーンの情報通りならば、そもそも戦闘自体を最大限に避けねばならないのだ。

 

(この鎖自体は大した強度じゃねぇな! だったら!)

 

 間合いを詰めてきたレヴァーティンに対し、鎖をカタナで破壊する1アクションは命取りになる。だからこそ、クラインは袖から飛び出したデリンジャーをつかみ、UNKNOWNに使わなかった2発目を放つ。

 銃弾は鎖を破壊し、レヴァーティンは楽しそうに目を細める。そして、カタナを何の躊躇いも無く投擲する。

 

(コイツ……俺の動きに先んじて……!)

 

 明らかに先回りされていた動きだ。投擲の最中にカタナは伸びながら変形し、槍となってクラインの右肩を刺し貫く。そのまま壁……いや、床に串刺しになるも、デリンジャーを捨てて自由な左手で槍をつかんで引き抜こうとする。

 

 レヴァーティンが凶暴に笑いながら、突き出した右手で拳を握る。途端に槍が突き刺さった床より新たな結晶の槍衾が伸び、クラインの体に風穴を開ける。

 

「ふむ、『模倣』してはみたが、さすがに低威力か。投擲後の発動ではやはり下方修正が大き過ぎる」

 

 槍を余裕綽々で引き抜いたレヴァーティンは、砕かれた鎖を再構成し、クラインの体を縛り上げる。だが、その表情は険しい。

 

「実に残念だ。貴様……『弱っている』な? 見せてみろ」

 

「このアマ……俺に触れるんじゃ――」

 

 クラインの頭をつかんだレヴァーティンは瞼を閉ざす。途端に彼の内側に隠された金庫がこじ開けられるような言い知れない感覚に汚染されていく。

 

「がぁあああああああああああああああああああああ!?」

 

「そう叫ぶな。レギオン・パラサイトの応用だ。汚染作用も低いし、レギオン化もしない。もっと心を開けば、苦しみは小さく済むぞ?」

 

 これがレギオンプログラムの汚染!? 自分が『自分』でなくなるような、凶暴な獣に理性も知性も自我も食い散らかされていくようなおぞましさが脳内を駆け巡る。

 

「……強情な奴め。だが、大よそ理解した。そこまで成したい大義があるか」

 

 手を放したレヴァーティンは、100人いれば100人振り返るだろう端正な顔を近づけてクラインの耳元で囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その技術はまだ未完成だ。これ以上『AMS』のリミッターを解除してみろ。精神負荷で貴様は死ぬぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラインを鎖で放置して転がしまま、レヴァーティンは彼の傷口に治療を始める。

 

「なるほど。貴様にその技術を施したのは……アナトリア研究所か。どうやら世界を旅している間に難儀な事件に巻き込まれたようだな。AMSは元々医療技術として開発されたもの。現実世界の貴様は五体不満足か。あの地域となると、テロにでも巻き込まれたか? どうやって赤い鳥殿とパイプを持ったのか疑問に思っていたが、その関係か」

 

 博士たちの情報を抜かれた。まずい! コイツは今ここで処理をする。

 負荷は度外視する。クラインは目を見開き、レヴァーティンを睨む。途端に彼女は何かを感じ取ったように離脱するも、それより先に青い光の刃が生まれ、彼女の右腕を切り刻んで落とす。

 脳が爛れるように熱い。息荒く、同じく刻まれた鎖を剥ぐクラインは片膝をつく。

 

「居合無しで? なるほど。『ゼロモーション・ソードスキル』。それが貴様の心意の発現か。≪無限居合≫を最大限に使用する為に発露したのか? 面白い。だが、剣士殿のゼロモーション・シフトよりも負荷が大きいようだな。しかも使いこなしきれていない。もしや、脳にダメージを負っているのか? 仮想脳が乱れているぞ」

 

 飛ばされた右腕など気にした様子もなく、レヴァーティンは残る左手でカタナを生み出して握る。だが、レヴァーティンは突如として吹き飛んできた黒い塊……片言のレギオンに激突して潰される。

 

「随分と消耗しているようだな。このオレが助けに来てやったぞ」

 

「ユージーンの……旦那……悪い!」

 

 さすがはランク1か。レヴァーティンと同格とは思えないが、あの黒い毛むくじゃらのレギオンを相手にして、多少の手傷こそ負っているが、目立ったダメージもなくユージーンは大剣を構えてクラインとの間に入る。

 

「ミョルニル」

 

「ゴ、ゴメン、レヴァーティン! ダッテ、コイツ、スゴイツヨイ!」

 

「当然だ。タイラントに実質トドメを刺したのはランク1殿だ。王はタイラントのブレスを止めたに過ぎない」

 

「レヴァーティン、ウデ、ナイ!?」

 

「お前は人の話を少しは……まぁいい。貴様の気の移ろいやすさは王の『好奇』を継いだが故に。腕は赤髭殿にしてやられたよ。だが、心意を確認できたのは大きい。再生する腕1本と赤髭殿の心意。価値は比べるまでもない。だが、これ以上の損耗と情報開示はナンセンスだ。ランク1殿、このまま睨み合いといこうではないか。いかに貴様でも、私とミョルニルを同時に相手をしながら赤髭殿は守れまい?」

 

 この俺が足枷か。やってくれる。今にも意識を失いそうなクラインを背中で守りながら、ユージーンは歯ぎしりしてガードの構えを取る。≪剛覇剣≫を発動こそしているが、事実上の2対1の劣勢だ。

 いや、そんな真似をさせるものか。たとえ、DBOはどうなろうとも、今は『仲間』なのだから。クラインはユージーンを補佐するようにカタナを構えて立ち上がる。

 

「片腕のオメェとフラフラの俺。釣り合いが取れたじゃねぇか」

 

「オマエ、バカ? バーカ! バーカ! バーカ! レヴァーティン、マダ、レギオン、スガタ、ナッテナイ!」

 

 レギオンの姿になってない? 確かに、言われてみれば、ミョルニルと呼ばれたレギオンに対してレヴァーティンは人間の姿だ。

 いや、レヴァーティンという名前……聞き覚えがある。アルヴヘイムで2度戦った、レギオン・シュヴァリエをより異形化させたようなレギオンだ。

 

「赤髭殿、あなたの名誉の為に訂正しよう。今の私はレギオン化できない。レギオンとしての変異性だが、私は設計された段階で安定性を重視された為に他のレギオンに比べて……下手をせずとも下位レギオンにも変異スピードが劣る。今の私のレギオンの姿は言うなれば孵化する前の卵の中で蕩けた雛のようなものだ。とてもではないが、人前で見せられない醜いもの。私はレギオンとしてのプライドを持っている。上位レギオンたる私がそのような姿を見せるのは、レギオンの沽券に関わる」

 

「ハハ、キニシナイ。オレ、キニシナイ。ミンナ、キニシナイ!」

 

「黙れ。レギオンは外観に対して無頓着過ぎる。私はこの姿になって幾らか学んだぞ。外見も相応であらねばならない。人間が位の高い者ほど着飾るのには正当なる理由がある」

 

 要はプライド抜きに相手をするほどではない、ということだろう。屈辱を覚えながらも、この体たらくでは妥当かとクラインは奥歯を噛む。

 AMSのリミッターを解除したのは、約束の塔でUNKNOWNと戦った時だ。反動は小さいと思っていたが、このアルヴヘイムの時間加速下では脳も思いの外に休めず、レヴァーティンの言う通り、連戦が祟ってこのあり様ということだろう。

 だが、それは負ける言い訳にはならない。クラインはとりあえずこのまま膠着状態に持ち込み、増援を待つ。数はこちらが勝っているのだ。マザーレギオンをUNKNOWNが抑えさえすれば、すぐにでも戦力はこちらが勝る。

 

「そいつは良かったぜ。レギオンで1番強いのはマザーかオメェってわけだ。ここで足止めできれば十分だ」

 

「……レギオンで1番強いのは私でも母上でもない。王を番外とするならば『アレ』だ」

 

 欺きではないと主張するようにカタナをその場に突き立てた上で、レヴァーティンはエントランスの入口を指差す。

 疑問を持つべきだった。同士討ちを避けるためとはいえ、反乱軍の援護射撃も何もないのは、全くの別の理由があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「我々で最強のレギオンはグングニルだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全ての反乱軍がただ1つの影に縛り上げられ、身動きが取れない状態になっていた。その中心に立つのは虹色の髪をした乙女である。

 例外として、シノンとリーファだけは影に捕らえられまいとしているが、レコンとシリカは既に雁字搦めであり、彼女たち2人はおいそれと動けない状態にあった。

 

「グングニルは影こそがレギオンとしての本分だが、影自体の殺傷能力はそこまで高いものではない。だが、人間……いや、生物でいうところの『先天的戦闘適性の高い個体』……ドミナントに値するレギオンがグングニルだ。我ら上位レギオンで最弱の性能でありながら、最強の戦闘能力を持つ。そして、その戦闘データもまた我らレギオンの糧となる」

 

 殺しはしない。殺したくない。そう言うように、グングニルは1人の反乱軍も殺すことなく束縛している。それが人質となり、シノンもリーファも動けないでいるのだ。

 

「皮肉なものだ。王より『慈悲』を賜ったグングニルこそが、王にも並ぶかもしれないレギオンとはな」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 地面を縦横無尽に動き回り、立体化して攻防一体を成す影。それこそがグングニルというレギオンの能力だ。

 ボロボロのUNKNOWNをシノンたちの元に届けてくれた美少女こそがレギオンだった。それはシノンにとっても少なからずの衝撃はあったが、レギオンが人間という形を取らないという原則も無い以上は著しく動揺することもなかった。

 

「傷つけたくありません。殺したくありません。どうか大人しく捕まってください」

 

 グングニルは素足で歩きながらエントランスの外に出る。彼女の足下から広がる影は反乱軍を1人残らず捕縛している。彼女の移動に付随するように反乱軍は纏めてエントランスの外に連れ出されてしまった。

 足下から蛇の如く……いや、レギオンらしく触手のように影が伸びる。シノンは跳び退いて連射クロスボウを放つも、爆裂ボルトはグングニルに命中するより先に伸びた影の棘によって阻まれる。

 翅で空中から攻撃を仕掛けるリーファであるが、捕縛された反乱軍が壁となり、また伸びる影は執拗に彼女を捕えようとする。それは能動的な蜘蛛の巣のようであり、リーファを確実に絡め捕ろうとしている。

 援護しなければ! シノンは装填された連射クロスボウで影を狙うも、リーファが何故か自分に向かって突進してくる。

 すれ違い様に抱えられて宙を浮いたシノンが見たのは、今まさに駆け寄っていた自分の足下があった場所から地面を突き破って伸びた影だ。

 

「嫌な予感が的中しました。あのコ、私に影を集中し過ぎてましたから」

 

「自由になった私はまんまと釣られていたわけね。やってくれるじゃない」

 

 戦い辛い。それがシノンのグングニルに対する感想だ。彼女は憂いを帯びながら微笑んでいるだけであり、殺気や戦意と呼ばれるものをまるで感じない。彼女自身は本当に戦いたくもないし、殺したくもないのだろうという事が嫌になるほどに真実として心が理解できてしまうのだ。

 だからこそ、シノンは戦慄する。何の殺意も戦意もなく、反乱軍全員を捕縛し、なおかつ彼らを盾とすることでシノンとリーファの攻防をコントロールし、確実に2人を捕らえるべく迷いなく布石を打っている。

 

「強いですね」

 

「ええ。今まで出会ったレギオンで間違いなくトップよ」

 

 おそらくマザーレギオンよりも強い! シャルルの森でUNKNOWNとマザーレギオンとの戦いは1度目にしているが、その比ではない。仮に彼女が積極的にこちらを『狩る』べく動いていたならば、自分たちは生き残れないだろう予想をシノンは痛感する。

 それはリーファも同じなのだろう。彼女も警戒心を強めてグングニルに無理に攻め込まない。そして、それこそがグングニルの目的を達成させている。

 精神的捕縛。反乱軍とレコンを人質にしてシノンとリーファを影で捕らえずとも、心を縛り付けて目的を達している。普通のAIには不可能である……個々人の繊細な心理の機敏を把握できなければ……同じ心が無ければ破綻する戦略を何の躊躇なく実行するグングニルは、レギオンとは思えぬほどに『人らしさ』を備えているのだ。

 先手の奇襲も尾を引いている。よもやこちらの陣形の中心に転移し、そこから影を拡大して一斉捕縛を狙うなど想像もしていなかった。リーファは浮遊していなければ、シノンはシリカに突き飛ばされていなければ、今頃は同じように影に捕らわれていただろう。

 

「でも、分かってきたわ。あの影には限界容量があるわね」

 

「限界容量ですか?」

 

「ええ。拡大し過ぎれば密度が薄くなって脆くなる。あれだけの人数を捕縛し続けるならば、相応の密度が必要になる。影の容量を超えることができない」

 

 逆に言えば、100人規模を同時に捕縛できるカラクリもある。彼女の影は極めて細く分化し、反乱軍の全身に絡みつくだけではなく、口や耳などから侵入し、体内を傷つけることなく網羅しているのだ。言うなれば体内と体外の両方から動きを制限されているようなものだ。

 

「それでもあたし達2人くらいは余裕で捕まえられそうですけど?」

 

「でしょうね。あるいは、それもブラフなのかもしれないわ」

 

 こうして悩み、足を止めてしまっている時点でグングニルの術中だ。そして、当の本人はそれが狙いだとはまるで感じさせない表情だ。

 直感的に目的遂行の為に必要不可欠な戦術・戦略を実行可能とする。グングニルというレギオンはその手の類なのだろう。

 

「運動アルゴリズム」

 

 攻め崩すことも能わず、守ることさえも敗北となる。シノンとリーファが次なる手を模索する最中に、グングニルは何処か悲しそうに空を見上げながら呟いた。

 

「仮想世界という、人類が創造した無限のフロンティア。ですが、人間の脳は仮想世界に拒まれました。だから、アバターを……仮想世界の肉体を現実世界に置き換えなければなりませんでした。言うなれば、仮想世界専用の神経系。それが運動アルゴリズムと呼ばれるものなのかもしれません」

 

「講釈を希望されるなら、別の日にお願いしようかしら!」

 

 牽制程度のクロスボウであるが、何もしないよりはマシだ。爆裂ボルトは自由自在に動く影によって阻まれるが、爆風は目眩ませ程度にはなる。リーファが飛び込めるタイミングを少しでも増やすのがシノンの仕事だ。

 だが、影に縛られた反乱軍の中心に自分を配置する関係上、グングニルを捉える射線は限定されてしまう。精密射撃が難しいクロスボウ、しかも片手撃ちともなれば、下手をせずとも爆裂ボルトでは爆風が味方に当たってしまう。一撃死するほどのダメージではないが、それは心理的圧迫となり、どうしてもシノンの攻撃は途絶えてしまう。

 嫌らしい戦い方をする! だが、それ以上に不気味なのはグングニルにまるで敵意や戦意と呼べるものが無い点だ。

 

「茅場様は運動アルゴリズムを開発し、人類に仮想世界を渡り歩く方法を提示なさいました。そして、運動アルゴリズムはその唯一無二の基礎フレームから発展していきました。ですが、AIには運動アルゴリズムが不要です。私たちは生まれた時から仮想世界に暮らす者。ですが、AIは運動アルゴリズムが不要である代わりに仮想脳を獲得できませんでした」

 

 影の動きが変じる。細分化されたと思えば、1つ1つが蛇のように顎を有して牙を剥く。だが、それさえも不自然までに殺意が宿っていない。

 

「フラクトライト製AIはどうでしょうか? 不思議なことに、人間由来のフラクトライトをコピーして作成された基礎モデルより発展するフラクトライト製AIは、仮想脳に類似したフラクトライト構造を形成し、心意に近しい能力を獲得することが分かりました。やはり、人間のフラクトライトだけは特別であり、それはコピーされても因子として強く残るからなのでしょうか」

 

 空中を飛べる利点を活かしてリーファが再接近を試みる。最高速度まで到達するまで1秒未満。驚異的な加速は、アルヴヘイムの飛行システムにおいて可能なのかと思える程だ。

 

「仮想脳。心意。運動アルゴリズム。全ては1つに繋がっています。人間に与えられた可能性の道として」

 

 だが、グングニルは容易にその上をいく。彼女の背後を取ったリーファの正面を覆ったのは、蜘蛛の巣状になった影であり、それがリーファを捕縛する。

 

「ごめんなさい、シノンさん。あたし……!」

 

 しくじった。泣きそうな顔で訴えるリーファであるが、相手が悪いとしか言いようがない。反乱軍を最初の1手で捕縛された時点で、リーファもシノンも詰みなのだ。

 これで自由なのはシノンのみだ。だが、突如として何処からともなく鳴り響いたのは、ピアノの旋律……月光だ。

 グングニルはシノンに謝りを入れるように頭を下げると、影より音が鳴る何かを取り出す。

 それは現実世界でも馴染み深いスマートフォンだ。アルヴヘイムにもレギオンにも不釣り合いであるが、たどたどしい指使いでロックを外す姿は、グングニルの白のワンピース姿も合わさり、先端技術から遠ざけられたお嬢様にも思えた。

 

「グングニルです。はい……はい……ミッションオブジェクトの95パーセントをクリア。残る捕縛対象は猫様のみです。はい……はい……ええ、無事ですが。……ああ、あなたのお気に入りでしたね。分かりました。……ええ、あなたも私もレギオンですから肯定も否定も定める意味はありません」

 

 通話を切った相手は彼女の妹……つまりは同様のレギオンなのだろう。グングニルは可愛らしく右踵で地面を鳴らす。するとレコンとリーファの影の締め付けがやや緩くなる。だが、それは逃げられる程ではない。

 

「レコン! リーファ!?」

 

「むー! むぅうううううううううう!?」

 

「シノンさん、来ちゃ……駄目!」

 

 レコンは影で完全に動きを封じられながらも抵抗を示し、リーファは完全に封じられていない口でシノンが助けに来ないように訴える。

 シノンは爆裂ボルトを放つも、グングニルの影を剥ぐには威力が足りない。

 

「陛下は今も人間の可能性を信じていらっしゃいます。人間の持つ『強さ』はいずれ、あらゆる絶望と恐怖を踏破できるはずだと。そして、より良い未来にたどり着けるはずだと。私は陛下より『慈悲』を継いだ者。陛下は私を認めてくださった。だからこそ、信じたいのです。貴方達……人間の可能性を」

 

 影で壁を作ってエントランスと分断しているグングニルは、もうシノンを捕らえる気はないように、影より出現させたアメンドーズの腕を椅子代わりにして腰を下ろす。

 不思議だ。一瞬で反乱軍を捕らえ、自分たちを手玉に取り、なおかつ完全な優位に立っているにも関わらず、まるでこちらを害そうとする意思がない。それはこちらを見下しているからなのではなく、心の底から戦いを否定したいという意思を宿しているからに思えてならないのだ。

 

「レギオンの王が……人間の可能性を信じている?」

 

「それこそ信じられませんか? ですが、陛下は誰よりもお優しい御方です」

 

 レギオンの王ともなればレギオンの親玉なのだろう。だが、シノンはDBOとアルヴヘイムでこれでもかとレギオンの凶暴さと凶悪さを目撃してきた。先の決戦において、レギオンが関与していなければ、どれだけ戦いが楽になったかなど問うまでもないことだ。

 

「ところで猫様。悲劇はお嫌いですか?」

 

「嫌いね。ハッピーエンド至上主義ではないけど、陰惨なバッドエンドも好みじゃないわ」

 

「私もです」

 

 先程までの何処か憂鬱そうだった顔は、今やにこやかな笑顔を咲かし、グングニルは嬉しそうにシノンを……そして、彼女の『背後』を見ている。

 

「悲劇は変わる。変えられる。思考と行動を止めた時にこそ結末は定まります。どうかお忘れないように。私は母上とは違います。あなたの可能性を信じましょう。世界とは悲劇なのではなく、悲劇を選ぼうとする『意思ある者たち』がいるだけなのだから。さぁ、『お通りください』」

 

 まるで客人を招くように、グングニルは恭しく頭を下げる。

 

 

 そして、シノンの横を、グングニルの脇を、黒紫の『風』が突き抜けた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「剣士さん、もっと踊りましょう♪ さぁ、これはどうかしら!?」

 

 ユージーンとクラインは硬直状態。反乱軍は纏めてグングニルに捕らわれて外に連れ出された。リーファとシノンも後を追い、孤立無援となる。

 甘く見ていた。オベイロンとの決戦は勝利で終わり、最大の脅威は排除されたと思ったからこそ、レギオンという最大の敵が立ちふさがる展開は予期こそしていたが、その脅威度を甘く見ていた。

 これがレギオンの本気。『名無し』は8本の触手で、自分の二刀流とほぼ互角のDPSを叩き出せるだろうマザーレギオンに舌を巻く。

 だが、まだいける。まだアクセルは踏める! シャルルの森では手も足も出なかったが、今は違う。『名無し』は深呼吸を入れて目を見開き、マザーレギオンへと集中する。

 

「俺はレギオンと争いに来たわけじゃない! キミ達もオベイロンの仲間じゃないはずだ!」

 

「我らレギオンは人間とは違うわ! 盟約を結んだ以上、相応の義務を履行するのよ♪」

 

 足下から奇襲をかける触手。次々と生える触手の攻撃であるが、鋭敏化した聴覚が、より詳細までディティールを即座に読み込む目が、反応速度の高さと相まって躱しきることを可能とさせる。

 シャルルの森では避けきれなかった攻撃だ。それを今度は無傷で潜り抜ける。僅かに驚いたように見せたマザーレギオンは、触手を分解して組み立て直し、巨大な翼に変じさせて浮いたかと思えば高速移動する。その衝撃波が全身を撫でるもダメージは無い。翻弄されることなく、『名無し』の目はマザーレギオンをフォーカスロックし続ける。

 今は月明かりを閉ざし、月蝕となった聖剣。放たれた月蝕の光波はその黒き重みをマザーレギオンにぶつける。瞬時に翼でガードしたマザーレギオンだが、その顔は歪む。想像以上の重さに翼の構成が崩れてしまう。

 メイデンハーツ、耐えてくれ! ソードスキルが使えるのはせいぜいが1度。≪二刀流≫の負荷に耐え切れずに折れてしまうだろう。それまでは温存しなければならないが、下手なガードや受け流しに使用すれば、それこそ切り札の前に折られてしまう。

 マザーレギオンはレギオンの要のはずだ。名前からして、彼女こそがレギオンにとって母と呼ぶべき存在なのだろう。だが、統率者が必ずしも最強であるわけではない。

 

「うーん、さすがにレヴァちゃんやグンちゃんほど私は強くないわね。まぁ、その分は性能差でカバーしようかしら?」

 

 翼が変形し、まるで杭の如き形状となって射出される。聖剣で2発は受け流すも、残りの対応にはメイデンハーツの使用を迫られ、仕方なく『名無し』は最低限のダメージに済ますべく回避を行う。肩を、横腹を、太腿を掠めて血が滲むも大したダメージはない。

 

「私はオベイロン様とは違うわよ? 性能の高さに胡坐を掻かない。武器がどれだけ凄くても使い手がお粗末では意味が無いのと同じよ。性能を十全に活かせる戦闘能力こそが必要不可欠なのよ。そして、その基礎戦闘能力において、我々は人間の遥か上をいく。我らの殺戮本能がそれを可能とするわ♪」

 

 やはり強い。ユージーンもクラインも迂闊に動けない以上、単身でマザーレギオンを突破しなければならない。だが、消耗が嵩んだ『名無し』では、もはや立っているのも精神力を支えとしており、いつ意識を失ってもおかしくない程に疲弊している。

 これ以上『人の持つ意思の力』を使う余裕はない。聖剣も応える義理は無いとばかりに月明かりを閉ざしている。

 甘えるな。頼るな。自力で切り開け。聖剣に縋ってその『力』を求めるのは禁忌なのだ。『名無し』は月蝕突きでマザーレギオンの翼のガードを崩し、そのまま蹴りを穿って鼻先を掠める。僅かにマザーレギオンは驚くが、命中には1歩が足りない。いや、半歩及ばない!

 もっとだ。もっとスピードを! DEX出力を引き上げようとするが、限界を迎えつつある脳は悲鳴を上げてギアチェンジできない。

 

「手元がお留守よ」

 

 分解された翼が再び触手に戻り、その一撃が『名無し』の左手からメイデンハーツを弾き飛ばす。それは2人の間に突き刺さり、今にも折れそうな刀身に互いの殺気を映し込む。

 

「≪二刀流≫の弱点は、左右の武器を保有した状態でなければ機能しない点にあるわ♪ ユニークスキルは封じた。さぁ、聖剣1本で私を崩しきれるかしら?」

 

 確かに手元から離れたメイデンハーツはファンブル状態であり、再装備しなければ≪二刀流≫の条件は満たせない。だが、『名無し』は迷いなく聖剣を構えたまま疾走する。

 そもそもとして、『名無し』はSAOの過半において片手剣1本のスタイルで戦い抜いてきた。ならば、彼の剣技は二刀流こそ至高としても、決して一刀流が劣る訳ではない。むしろ、二刀流スタイルの源流はそこにある。

 ならばこそ、一刀流で挑むことに躊躇などあるはずがない。ユニークスキル頼らずとも戦える。己をそう信じられる『自分』が今ここにいると『名無し』は自覚する。それはランスロットとの戦いには無かったものだ。

 スローネとの戦いがもたらした武人としての意思にして誓い。武の頂に立つという信念にして矜持。その為には、己の腕を磨き続けねばならない。新たな戦い方を模索し続けねばならない。より己を鍛え上げねばならない義務があるのだ。

 

 

 

 

 

 ならばこそ、『名無し』は突き刺さったメイデンハーツを『引き抜く』ことを是とした。

 

 

 

 

 

 

 凝り固まるな。だが、捨てることもなかれ。ユニークスキルもまた己の武器であるならば、十全に使いこなすのは道理にして前提であり、その性能と能力を使うことは恥ではない。『名無し』がファンブル状態にも関わらずメイデンハーツを引き抜いて斬りかかる展開に、明らかにマザーレギオンの反応が1テンポ遅れる。

 オベイロン戦で得られた熟練度によって解放された、これぞまさしく≪二刀流≫にこそ相応しい能力の名は【ツイン=ワン・ソード】。『同じ武器スキルを保有する、≪二刀流≫発動条件を満たした武器を双剣化して武器枠を共有させる』というものだ。

 今まさに聖剣と武器枠を共有したメイデンハーツは、スキルによって双剣となった関係だ。聖剣とメイデンハーツ、その両方がファンブル状態にならない限り≪二刀流≫は常に発動される。

 そして、聖剣は『ファンブル状態にならない』という特性を持つ。故に聖剣を保有する限り、『名無し』の≪二刀流≫を解除させる方法は無い。

 8本の触手の連撃。近距離でも対応できる柔軟性であるが、『名無し』の目は全ての触手の動きをスローモーションの如く捉えていた。彼の集中力は、酷使した仮想脳を再び機能させて思考速度を上昇させる。より反応速度を高めていく。

 スターバーストストリーム。ソードスキルのエフェクトを帯びた≪二刀流≫の連撃がマザーレギオンの触手を破り、彼女の漆黒の肌に刃を食い込ませていく。防具を纏わぬその身が刃を止めることはなく、彼女から血飛沫が散る。

 メイデンハーツが砕けて、半ばから折れる。スターバストストリームの連撃の半分を触手で防いだとはいえ、マザーレギオンは大きく傷を負って後退する。

 

「ちょっと……予想外……だったわね。ここまで強くなってるなんて。嬉しい誤算よ♪」

 

 傷は深くもないが、浅くもない。マザーレギオンのHPは4割ほど減少している。やはりメイデンハーツが折れたのがダメージの伸びの悪さに響いたのだろう。だが、マザーレギオンの耐久力はかなり低い部類なのだと分かったのは大きかった。

 折れてしまったが、まだ二刀流状態は継続している。『名無し』は一気に攻めるべきと判断する直前に、彼の目は微細に砕ける足下を捉える。

 また地下に潜行させた触手による奇襲? いいや、違う。マザーレギオンの8本の触手は変わらずその背中から生えていて、地下に潜っている様子はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ニト。王のソウルを見出した最初の死者。その死の瘴気をここに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 墓王ニトの誓約者だけが使用できる奇跡の1つに【墓王の剣舞】というものがある。それはニトの大剣を呼び寄せ、周囲の地面から突き出させるという派手な奇跡だ。その上位版に墓王の大剣舞がある。

 そして、今まさに『名無し』の足下から襲い掛かったのもまた、墓王の大剣舞に近しいものだ。だが、それは巨大な死の刃であり、プレイヤーが使う奇跡のレベルを超えている。それが針山の如く地面より突き出すとなれば、発生場所を正確に感知する直感、あるいは即時対応できる反応速度でもない限り、まず生存は不可能だ。

 そして、『名無し』には後者があった。次々と突き出す死の刃を躱し続ける。だが、完全回避は出来ず、刃が掠め、あるいは肉を抉る。溜まるのは特殊デバフの1つ、猛毒だ。ニト関連のモンスター、武器、奇跡に付随することが多いデバフである。

 猛毒も毒と同様にレベル1~5まで存在し、もたらす総スリップダメージは同一だ。だが、問題は3倍にも達するダメージ速度であり、また蓄積性能も毒耐性を基準としても極めて高いことで知られている。

 現行で確認されている毒はレベル4までだが、それでも高VIT型上位プレイヤーでもHP回復・解毒を怠れば死亡する程の総ダメージを叩きだす。マザーレギオンのニトの瘴気は、レベル5にも達し、それは解毒アイテムもまだ発見されていない最凶のものだ。

 HP回復手段に欠けた『名無し』にとって相手にしたくない代表例のようなデバフであり、これでは迂闊に攻められない。

 

「さぁ、ここからが本番よ♪」

 

 塵は固まって骨となり、それは巨大な斧槍を形成する。それは最初の死者ニトこそが振るうに等しい死の剣槍そのものであり、『名無し』はそこに死の塊を見て全身が冷たく慄く。

 今目の前にあるのは、本物の死を司る神の力だ。そう信じざるを得ないほどの濃厚な死の概念があの斧槍には凝縮されている。そして、それを使うマザーレギオンの底知れなさに、やはりレギオンは侮れないと再認識する。

 

「グヴィネヴィア。太陽と光の王女。その温もりをここに」

 

 そして、マザーレギオンの頭上にまるで太陽を思わす温かな球体が出現したかと思えば、その身を優しく照らし、瞬く間に傷もHPも完治する。

 まるでご馳走を食べた後のように唇を舐めたマザーレギオンは、触手を再び翼に変じさせて『名無し』に挑む。

 レベル5の毒ともなれば、いかに『名無し』の装備でも耐性値は決して高くない。1度でも発症すれば死亡は確定だ。故に必然と腰が引ける。

 だが、逃げ腰では死に喰われる。『名無し』はマザーレギオンから発せられる死の権化の如き威圧感に、ここで負けるものかと己を鼓舞して立ち向かう。

 

「私はマザーレギオン。水面に映る我らの王の影に過ぎずとも、レギオンで最も濃く殺戮本能を得た存在。全てのレギオンに集積された情報は私へと還元される。無論、その能力も! 新しく加わったコに『神喰らい』がいるのよ。ああ、ステキ。剣士さんとの戦いの前にバージョンアップできてよかったわ♪ これが無かったら負けてたかもね」

 

 マザーレギオンの動きが劇的に変化する。まるでリミッターを外したかのように動きの鋭さが増していく。

 今のマザーレギオンは、回復効果の名残のように山吹色のオーラを纏っている。オートヒーリングと強大な再生能力が付与され、『名無し』がどれだけ傷をつけても、それ以上の回復速度でHPを補い、再生力で傷を塞ぐ。

 今のマザーレギオンを倒す方法は1つ。オートヒーリングを押し切るほどのダメージを叩きだすことだ。だが、折れたメイデンハーツではダメージが伸びず、聖剣の火力を頼りにしようにも、光波をチャージする時間を与えない接近戦で、なおかつクラインやユージーンを背後に取ることによって『名無し』の攻撃を制限する。

 迂闊に光波を穿てば2人に当たる。彼らは自分の攻撃に命中する間抜けではないが、今はレギオン2体との睨み合いにあり、その均衡を崩して不利を呼ぶ危険性がある。

 

「ああ、悲劇は回る。くるくる回る。この物語の結末は誰の手に委ねられるのかしら? あらあら、グンちゃんも面白い選択をしたわね。それで良いのよ♪ レギオンは種として統一されている。それぞれの選択。その全てが肯定も否定もされることのないレギオンの総意となるのだから。これもレギオンの成長をもたらす大事な1歩♪」

 

 いつの間にか影で覆われたエントランスの入口に向かってマザーレギオンは楽しそうに笑いかける。

 何かがおかしい。『名無し』はマザーレギオンが……いや、レギオン自体が自分たちの排除ではなく、あくまで時間稼ぎに終始していることを察する。即ち、マザーレギオンは盟約を結んでいるオベイロンの敵として自分たちを排除しようと動いているわけではないのだ。

 レギオンの目的が読めない。『名無し』は激しさを増すマザーレギオンの攻撃を、聖剣を主軸にして捌きながら、ここぞというタイミングを待つ。だが、死の瘴気を纏うニトの斧槍はガードでさえも猛毒を蓄積させる。これでは迂闊に攻めることも守ることもできず、触手と剣舞が最も効果的に発揮される中距離での戦いを強いられてしまう。

 触手を杭に変化させた射出。8本の杭はいずれもニトの瘴気を纏っている。『名無し』は回避と受け流しに専念するも、折れたメイデンハーツでは捌き切れずに肩を抉られる。全身に走る衝撃をSTRコントロールで耐え抜き、月蝕光波を狙うが、マザーレギオンはニトの斧槍で真正面から受け止める。

 迸るニトの瘴気とぶつかり合い、月蝕光波を真正面から弾き飛ばす。そのまま突貫してくるマザーレギオンに、月蝕突きで迎え撃とうとする。

 だが、2人の間に光属性の小爆発が連続で引き起こされる。それは小さな光弾であり、マザーレギオンを跳び退かせた。

 助太刀したのはピナだ。『名無し』の頭上で翼を広げたピナより温かな光が降り注ぎ、『名無し』のHPを回復させる。

 シリカはここぞという時の為に援護させるべく、ピナに見守らせていたのだろう。感謝しきれない『名無し』は、聖剣を構え直す。

 対するマザーレギオンは、思わぬ横槍にご機嫌斜めと言った様子で眉を顰めている。だが、マザーレギオンとの戦いを楽しむためにこの場に居合わせているわけではない『名無し』は、ピナの援護を最大限に利用した戦術を組み立てる。

 

「キミ達レギオンの目的は何なんだ?」

 

「さぁ、何かしらね? 当ててみたらいかがかしら。クヒ、クヒャヒャ、クヒャヒャヒャ!」

 

 膠着状態が長引けばマザーレギオンの思う壺だ。だが、突破口を開くにはカードが足りないが、ピナの援護で懐に入り、月蝕突きを穿つ。回復が追い付かない程の大ダメージこそがマザーレギオンに対する最適解だ。

『名無し』は、未だに底を見せないマザーレギオンをどう切り崩すか思案する。対するマザーレギオンは、まだまだ隠し玉を持っているかのような余裕を滲ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、2人を……いや、レギオンと反乱軍など総無視するように、黒紫の風が吹き抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エントランスの入口を覆っていた影を突き破ったのは、黒紫の結晶剣と共に繰り出されたソードスキルの瞬き。そのまま彼女は、クラインも、ユージーンも、『名無し』も、レギオンも全て無視して、一気にオベイロンの居城の奥へと続く、天井で開かれた扉を目指そうとする。

 

「ちょ、グンちゃん、これはイレギュラー過ぎぃ!? 本当に……執念深いのもいい加減にしなさい! この結末にあなたは邪魔なのよ!」

 

 だが、今まで『名無し』との殺し合いを楽しんでいた素振りすらも見せていたマザーレギオンは血相を変える。

 

「ユウキ!?」

 

 思わず名前を呼ぶも、ユウキは『名無し』に振り返ることもなく、まるで猪のように壁に突き進んで一気に駆け上がる。重力エンジンの変則を理解したのではない。『上に入口があるなら壁を駆け上がるだけ』と突進した結果、最速で回答に至っただけだ。

 触手は細くなりながら伸び、扉を網状にして塞ごうとする。だが、ユウキのスピードに追い付けない。舌打ちをしたマザーレギオンは触手から翼に戻し、飛行してユグドラシル城内部に侵入したユウキの後を追う。

 

「レヴァちゃん! ミョルちゃん! 剣士さんの足止めを!」

 

「畏まりました」

 

「ワカッタ!」

 

 睨み合いを続けていた、黒髪のショートカットの美女と黒い毛むくじゃらのレギオンは動き出す。それはフリーになった『名無し』の道も塞ごうとする動きであるが、させるものかとユージーンとクラインが動く。

 

「ここは俺たちに任せろ」

 

「フン。このオレが道を譲ってやる。感謝しろ」

 

 クラインが黒髪の美女を、ユージーンが毛むくじゃらのレギオンをそれぞれ相手取る。だが、クラインは特に消耗が激しく、明らかに黒髪の美女に圧倒されている。

 助けねばならない。加勢せねばならない。踵を返そうとした『名無し』に、2人の男は今にも殺しかからん勢いで睨み返す。

 

「オメェは馬鹿か!? ここがオメェの旅の目的地だろうが! さっさと行きやがれ!」

 

「オレたちに恥を掻かせる気か? 行け! 貴様の目的を果たせ!」

 

「2人とも……済まない!」

 

 彼らの男気を無駄にするのは、それこそ男の恥だ。『名無し』は壁を駆け上がり、ユグドラシル城の内部に侵入する。荘厳で無駄に天井が高い廊下に、元に戻った重力エンジンに引っ張られて危うく落下しかけるも何とか着地して堪える。

 本来ならば手厚い歓迎もあったのかもしれないが、その名残は感じさせないほどに破壊の痕跡がある。それは壁を蹴り、マザーレギオンの攻撃を小柄な体躯を活かして躱しながら全力で突き進むユウキが通った道の証だ。

 

「早く追いかけないと」

 

「ほいほーい☆ こっちが近道だよ!」

 

 高DEXステのユウキに追いつくには時間がかかるな、と思った矢先に『名無し』の目の前に手を振りながら現れたのは、赤毛を白いリボンで可愛らしくポニーテールで結った少女だ。レザーコートを纏い、ショートパンツと臍が出した露出の激しい。その可愛らしい容姿とマッチした元気を振り撒く声音であるが、明らかに場違いを示すような能天気さが違和感のように浮き立つ。

 この外見……レコンに多くの情報を与えて反乱軍の勝利に貢献したレギオンのナギだろう。彼女は前屈みになって『名無し』を上目遣いにして見つめる。だが、その関係か、上着が浮いて彼女の小さな谷間が見え、思わず『名無し』は目を逸らす。

 

「へぇ、こうして顔を合わせるのは初めてだけど、うん♪ 凄い『強さ』を感じる」

 

「キミはナギだな? レギオンなのにどうして……いや、今は関係ないか。近道があるんだな?」

 

 レギオンと戦っていたのはほんの数十秒前だ。ならば、この新たなレギオンを信じるのは無理がある。だが、『名無し』はナギが他のレギオンとは違い、反乱軍……プレイヤー側に友好的だったという事実を踏まえる。

 きっとスグなら、ちゃんと向き合って信じるはずだ。まずは剣を向けるより先に言葉を。『名無し』の対応に、ナギは内面が読めないほどにニコニコと笑う。

 

「ねぇ、『英雄』さん。これはあなたの物語。その結末が悲劇だとして、あなたはどうする?」

 

「……たとえ悲劇だとしても、俺が始めた旅なら、俺自身の目で終わりを見届けないといけない」

 

「それがどんな惨酷な結末だとしても?」

 

「その覚悟はできている」

 

「ホントかなぁ? クヒャヒャ、こっちだよ。お母様が気を取られている内に急いでゴーゴー☆」

 

 騙されているならば俺の見る目が無かっただけだ。『名無し』はナギの後を追い、ユウキとマザーレギオンが駆けた方とは反対の道に進む。

 もうすぐだ。もうすぐアスナの元にたどり着く。

 たとえ、それが悲劇だとしても受け入れねばならないのだろう。ナギの後を追いかけた先にあったのは、世界観をぶち壊すような近代的なエレベーターだ。呆れた『名無し』は、ナギの操作で一気に階層を上昇する。

 敵らしい敵はいない。広々とした廊下では、ただ清風を受けて垂れ幕が揺れている。

 

(継ぎ接ぎだな。この手法はどうにも好きになれない)

 

 仮想世界であるが故に、外観を基準とした体積通りに内部を構築する必要性は無く、別の仮想空間にリンクさせて外観体積以上の内部構造を可能とするパッチング技法であるが、茅場が邪道としたこの手法を『名無し』は好まない。だが、そのお手軽さからVRゲームのみならず、多くの仮想空間において用いられているのも確かなことだ。

 血生臭い。まるで凄惨な殺し合いがあったかのように、一見すれば無人にも思える廊下には、血痕と肉片で散らばっている。だが、ナギは気にした素振りも見せない。

 

「教えてくれないか? レギオンとは何なんだ?」

 

「レギオンはね、我らの王の殺戮本能を模写したお母様から生まれた新たな種族だよ。でも、お母様でも劣化した存在。殺戮本能は陛下の1割にも満たないんだって。ワタシはどうだろう? 陛下の1パーセントくらいはあるかもね」

 

「だから、レギオンはプレイヤーを襲うのか?」

 

「うん。とっても薄くなった殺戮本能でも、陛下の因子を持たない下位レギオンは簡単に破綻しちゃうんだ。だから、お母様は食欲と連動することで殺戮本能の制御を行ってるの。だから、レギオンは人間を食べる。人間を喰らうことで殺戮本能に正当性を与えるの。だけど、私みたいな上位レギオンは、陛下の因子のお陰で破綻しないから、食欲連動されていない殺戮本能を搭載しているんだ。その方が強いんだって♪」

 

 理解しがたい存在だ。だが、ナギの口振りはレギオンとしての誇りがあるようだった。

 レギオンは人間を喰らわねばならない理由がある。ならば、もはや生存競争だ。不可避の衝突だ。人間は抵抗もせずにレギオンに喰われることを是とするはずもなく、またレギオンも生存の為に人間を喰らうことを止めるはずがない。

 だが、少なくとも上位レギオンとされる彼女たちは特別であり、殺戮本能をある程度までコントロールしているようだった。

 だからこそ、哀れにも思えた。誇りを抱いているならば同情すべきなのではないのだろうが、ナギにしても、殺戮本能などというものさえなければ、もっと簡単に分かり合える存在に思えてならなかった。

 

「『誠実』・『好奇』・『慈悲』・『敬愛』。王を模写したお母様が我が身を削って生んでくれたのがワタシ達。陛下の因子を継いだ者。因子を基にして設計された。それが上位レギオン。それぞれが生まれた理由がある。ナギちゃんはね、次代のレギオンの王を産む為に設計されたのです! 誰かと恋して、愛して、結ばれて……えへへ! これ以上はちょっと恥ずかしいかな♪」

 

 大きな両扉の前で足を止めたナギは、まるで内面が読めない笑顔のままに振り返る。

 

「ねぇ、剣士様。レギオンが憎い? レギオンを悪と断じる? レギオンの存在が許せない?」

 

「まだ分からない。だけど、キミ達がプレイヤーの敵であるならば、俺は戦うよ」

 

 レギオンがプレイヤーにとって脅威なのは確かだ。だが、敵対しない限りには殺し尽すほどの憎悪があるわけでもない。『名無し』の返答に、ナギは相変わらずいかなる感情を秘めているのが読めない態度で扉を開ける。

 それはユグドラシル城内部でありながら、夕焼けの空に照らされた鉄橋だった。激闘の痕跡で埋め尽くされており、ここで熾烈な殺し合いがあったことを窺わせる。

 何が起こったのか。『名無し』は周囲を確認しながらナギの後に続けば、鉄橋の中心部で横たわる遺体を見つける。

 心臓が大きく跳ねる。それは焼き焦げた死体であり、近寄らねば詳細は分からないだろう。だが、言い知れない不安と恐怖が煽られる。

 見たくない。目を背けたい。そんな弱気な感情が押し寄せる。だが、『名無し』は1歩前に踏み出す。足を止めたナギの傍らを過ぎ、己の意思で歩み寄る。

 

「エギ……ル」

 

 悲鳴を堪えられたのは、悔しさと怒りが勝ったからだろう。

 それは心臓を抉り出されて内部から焼かれた、皮膚は爛れた、目玉は溶けて涙のように零れた、共に鉄の城を生き抜いたはずの戦友の亡骸だった。決して見間違えることなどない。そして、これが本物であると……エギルの死そのものであると嫌でも肌で感じ取ってしまった。

 シャルルの森で狂縛者として現れたエギルは、レギオンプログラムによって狂わされていた。それがレギオンの有する殺戮本能に由来するものであるならば、どれ程の苦痛だったのか、それは『名無し』の推測の範疇を超えるのだろう。

 

「可哀想だよね。レギオンに狂わされ、そして殺された。ねぇ、これでもレギオンは憎くない? ナギちゃんを殺したいと思わない?」

 

 憎悪を煽る口振りのナギに、『名無し』は右手の聖剣を意識する。背後の彼女へと振り抜きたい衝動に駆られる。

 甘かった。心の何処かでレギオンを舐めていた。そう思い知らされる。だが、救えるはずだと無知蒙昧に思い込んでいたエギルの遺体を目にして、己の無力さを痛感する。

 

「憎いさ。エギルを苦しめたレギオンを許すわけにはいかない。彼の友として……絶対に許すわけにはいかない。だけど、ナギを殺したいとは……思わない!」

 

 エギルを殺された憎悪のままに、レギオンという種族その物の殲滅を願うのは簡単だ。

 だが、こうして自分に協力してくれたナギのようなレギオンがいる。シェムレムロスの兄妹の時のように助けてくれたレギオンもいる。そうした事実に目を背けて、軽んじて、無かったことにして、レギオンへの憎悪だけを燃え上がらせるなど、『名無し』には出来なかった。

 何故だろうか。それはエギルの死に顔が穏やかで安らいでいたからだろうか。苦しみの果てに訪れた惨酷で恐ろしい死などではなく、僅かでも満たされる何かを得た勝者の笑顔に思えてならなかっただろうか。

 

「剣士様は『強い』ね。自分から苦行の道を選ぶなんて。レギオンの一括りにしてしまえば楽になるのにさ」

 

 エギルの遺体を華奢な腕で持ち上げたナギは、橋を渡った先にある鉄扉を視線で示す。

 

「あの扉を開けたら、後は真っ直ぐ進んで。そうすれば妖精王の玉座だよ。ナギちゃんはこの人を埋葬するね。たとえ、仮想世界でも弔うことに意味があるから」

 

「……ここまでありがとう」

 

 いつも誰かが背中を押してくれる。そうして、今日まで戦い続けることが許された。

 扉を開き、赤いカーペットが敷かれた廊下を進み、無限に続くような螺旋階段を上り、幾重の扉を開き、甲冑が並んだ荘厳なる通路を突き進み、天井を覆うステンドグラスを通した色彩豊かな光のカーテンが揺れる橋を渡る。

 そうしてたどり着いたのは、オベイロンの悪趣味を極め抜いたような、下品としか表現できない黄金の扉だ。

 左手で触れれば自動的に開き、玉座の間とは思えぬほどに薄暗い内部へと案内する。

『名無し』が踏み込めば、金色の燭台が灯を宿し、分厚いカーテンで窓が覆われた玉座の間へと案内する。

 広大であり、本来ならば騎士たちが勢揃いして王を賛美するに相応しいだろう。だが、そこにはオベイロンに忠誠を誓う戦士たちの姿は無く、ただ2つの人影があるのみだ。

 1つは黄金の甲冑に身を包み、鮮やかな赤のマントを広げたオベイロンの後ろ姿だ。その右手にはエクスキャリバーが握られている。だが、そこには心意が宿っていないのは明確だった。

 そして、もう1つは玉座に腰かける女性だ。それは見間違えるはずもない、彼が長き旅で追い求め続けていた愛しき人。

 

「アスナ、遅れて……ごめん」

 

 血のニオイが『名無し』の鼻を擽る。

 

「キミを守れなくて……ごめん」

 

 それは飛び散った臓物の香り。

 

「約束を破ってばかりで……ごめん」

 

 目を背けることはできない、旅の顛末。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉座に腰かけるアスナは、薄い白のドレスを真っ赤に染め、血と混じった涙を零したまま……息絶えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その全身に刻まれたのは、痛々しい拷問の傷痕。刃物、鈍器、鞭……他にも想像もつかない道具を使って苦しめられて死んだだろう彼女の骸だ。悲鳴さえも許されなかったように喉を裂かれている。

 

「アハハハハハハ! 遅かったねぇ! いやぁ、その顔が見たかったんだよぉ!」

 

 演技がかかった仕草でマントを翻し、煌びやかな黄金甲冑を見せつけたオベイロンは、醜悪に顔を歪めて嘲う。

 

「どうだい? どんな気持ちだい!? 必死になって、犠牲を積み重ねて、たくさんの人に支えられて、ようやく助け出せると思ったお姫様がもう死んでた気分はさ! 是非とも聞かせてもらいたいねぇ!」

 

「…………」

 

「お前の旅は全部! 無意味で! 無価値で! 無駄だったんだよ!」

 

「…………」

 

「アスナは永遠に僕のモノさ。彼女は僕の靴を舐めて命乞いしたよ。『助けて、オベイロン様』ってね! あんなにも懇願されたら僕もやぶさかではないからねぇ。アハハハは! 見物だったね。屈服した彼女が僕の上で喘ぐ姿は! だけど、気高い高嶺の花は手元にないからこそ価値がある。手に入ってしまえば他の女と同じで魅力が薄らいでしまってねぇ。キミの絶望した表情が見たくて、ついつい殺しちゃったよ」

 

「…………」

 

「僕に勝てると思ったのか? ざぁんねぇんでしたぁあああ! アハハハハ! 僕はオベイロン! 妖精王だ! この世界の支配者だ! お前らクズ共が何人束になろうとも――」

 

「黙れ」

 

 聖剣に再び月明かりが宿り、『名無し』は怒りと憎しみのままに刃を振り抜く。月光の奔流は加速をもたらし、1歩の踏み込みでオベイロンと……いや、須郷と交差した『名無し』は大刃を形成する月明かりを散らし、本体の銀剣を背負う。

 怒り。憎しみ。悲しみ。ありとあらゆる負の感情が暴発しそうになる。だが、その全てを乗せた一閃に自らの感情を封じ込める。

 

「おい、無視するなよ。このオベイロンが――」

 

 もはや須郷に構うことなど、それこそが無意味で、無価値で、無駄なのだ。『名無し』は聖剣で切断した彼の首が背後で落ちる音を聞く。

 これが旅の終末。愚か者が迎えるべき結末。ならば、受け入れる以外の選択肢など無いのだろう。

 玉座に近づけば近づく程に、アスナの死を認めたくないという魂の懇願が響く。だが、彼女は元より1度死んだのであるならば、その事実を認められなかった自分こそがもう1度彼女を殺したのだと責める己がいる。

 せめて1度だけ。もう1度だけキミに触れたい。そんな願いすらも烏滸がましいように、オベイロンの撃破に呼応するように、アスナの遺体は青い炎によって燃え上がる。

 

「アハハハ……アハハハハ! 絶望しろ! 泣き喚け! それがお前には相応しい!」

 

 振り返れば、首だけになろうとも、血の泡を吐いて『名無し』を嗤う須郷がいる。感情が抜け落ちた表情で『名無し』はオベイロンの首に近づき、再び抜いた聖剣を逆手で構える。

 オベイロンのHPはすでに無い。このまま放置しても消滅するだろう。

 涙が双眸を滲ませる。アスナとの日々が……アインクラッドという異常な世界で出会った彼女との思い出が憎しみを駆り立てる。

 憎悪は人間の負の表情だ。即ち、どれだけ暗く淀んでいるとしても、それもまた人間性なのだ。

 

「俺は生きる! アスナ、キミのいない未来を……俺は! 俺はぁああああああああああ!」

 

 オベイロンの額に聖剣を突き立てる。再び解放された月光が頭部を消し飛ばす。血と肉片を浴び、自らの満たされるどす黒い感情と虚しい復讐の達成感に酔いしれることなく、『名無し』は両膝を折る。

 

「うわぁあああああああああああああああああ!」

 

 聖剣を手から零し、仮面で隠れた素顔に悲痛を刻み、混沌とした感情のままに泣き叫ぶ。

 多くの神話において、死者との再会を望む者は後を絶たず、その結末は悲劇で締めくくられる。

 愛する者を取り戻すために犠牲を払えども、そもそもとして死者の復活を願う事自体が咎であり、故にその旅路こそが罰となるのだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 エギル、オマエの死は無駄にしない。糧となれ。

 彼の死と共に得た狂縛者のソウルをアイテムストレージに収容し、オベイロンの玉座の間を目指して歩み続ける。

 デーモン化と致命的な精神負荷の需要は停止したとはいえ、エギルを殺しきるのに払った代償は小さくない。本来ならば、これ以上の使用は禁じるべきだった。

 意識が遠のく。何度も壁にもたれかかり、震える指で拳を握り、玉座の間を目指す。

 

「オレが……止める……『アイツ』の悲劇を……止める。サチとの……依頼……果たす」

 

 だが、どう足掻いても『アイツ』を苦しめる結末しか訪れない。

 完全無欠のハッピーエンドなんて土台無理なのだ。アスナは1度死んでいる。たとえ、今いる彼女が抽出されたフラクトライト……本人そのものだとしてもだ。

 殺せ。

 殺してしまえ。

 アスナを殺せば、全てが丸く収まる。

 灰は灰に。塵は塵に。死者を再び死の安息に戻すだけだ。

 それの何が間違っている? これは正当なる摂理の修正だ。

 

「違う。オレは……『殺したい』だけ……だ。理由を付けて、アスナを……殺したい、だけ、なんだ」

 

 焼けた両腕はエギルを抱擁した証だ。安息の弔いを成したとしても、オレの本心は結局のところエギルを殺したかっただけだ。どれだけ嘘偽りで塗り固めても、彼を殺したくて垂涎としていた『獣』の顎がある。

 ようやくたどり着いた玉座の間の扉。オレは触れて開く前に、現状を再確認する。

 もう回復アイテムはない。残っているのは正真正銘パラサイト・イヴと弾切れの連装銃のみ。HPは残量5割程度。オートヒーリングは停止している。

 コートは右袖がなく、また裾もボロボロであり、また穴も複数開いてしまっている。ブーツは今にも千切れそうだ。

 髪を結う為のリボンもなく、血と灰と泥で汚れた姿は、とてもではないが、囚われのお姫様を救うヒーローではない。

 この扉を開くべきなのは、オレのようなバケモノなどではなく、『人』であるべき英雄なのだろう。

 

「分不相応だな」

 

 それでも仕事だ。やってやるさ。扉に触れれば、自動で開き、闇に満ちた玉座の間へと踏み入れる。同時に燭台に虹色の炎が灯り、鮮やかに、だが妖しく、アルヴヘイムの最後の地を照らし出す。

 

 

 

「やぁ、待っていたよ。ようこそ、アルヴヘイムの中心、ユグドラシル城の玉座の間へ!」

 

 

 

 

 紅蓮のマントを翻し、黄金甲冑は目に悪い程に輝かせているのは、他でもない妖精王オベイロンだった。

 その右手には巨神が持っていたのと同じ剣を有している。HPバーは表示されているが1本程度だ。背中からは虹色の妖精の翅を広げている以上は飛行能力も有しているのだろう。天井が高く、十分な広さがある玉座の間で自由に飛び回れるのはなかなかに厄介だな。

 だが、しかし、これは……ふむ、そういう事か。ヤツメ様は欠伸を掻きながら天井を指差している。つまりはそういう事なのだろう。まったく、最後まで小細工を弄するとは、本当に王の素質が無い男だな。

 それでもここは玉座の間。狩人として相応の礼を尽くさねばならないだろう。

 腰を折りながら左手は胸に、そして右腕を振るいながら一礼する。だが、頭を下げても目線は相手を捕え続ける狩人の礼法。オレの動作に満足したような表情を作るオベイロンだが、こんな茶番にいつまでも付き合う程に時間の余裕もない。

 

「アルヴヘイムの王、オベイロンよ。我は逆賊ではあらず。王座の簒奪者ではあらず。依頼を果たすだけの無粋な傭兵。故に礼儀を尽くすはここまで。王を名乗る者であるならば、いざ尋常に勝負せよ。王冠の誇りを捨てるのであるならば、ただ狩られる獲物に成り下がるのみ」

 

「まぁ、そう急かさないでくれ。物事には手順がある。そう、僕も覚悟を決めてここに立っているんだ。僕らの決闘の前に、相席すべき囚われの姫に登場願うべきだろう?」

 

 立ち振る舞いは威風堂々とした、無駄に爽やかな物言いをしたオベイロンが指を鳴らせば、鎖が鳴る独特の金属音が響く。

 オベイロンの背後にある黄金の玉座。そこに座るように下ろされてきたのは、両腕を銀の鎖で縛られたアスナだ。だが、その目は虚ろであり、瞼は開いてこそいるが、意識がある様子はない。ドレスはボロボロで今にも破けて千切れそうであり、隠しきれない程の痛々しい傷跡は彼女が幾多の責め苦を受けたことを窺わせる。

 拷問か。やり方が手ぬるいな。センスがない。まぁ、アスナから情報を吐かせる為に行ったわけではないだろうし、拷問そのものが目的なら……駄目だな。やっぱりセンスがない。

 

「挑発のつもりですか?」

 

「まさか。冷酷無比で残虐極まりない、人間を人間と思わぬ非道にして外道。利己主義で報酬次第で幾らでも自由に動く。裏工作、暗殺、虐殺まで何でもござれ。それが【渡り鳥】の評価だ。かつての相棒の恋人が無残な姿になっても動揺なんてするはずもない。むしろ、その冷徹さこそ気に入ったよ」

 

「…………」

 

 まぁ、間違いではないだろう。溜め息を吐きたくなるが、グリセルダさんの努力はある程度実っているとはいえ、大多数にとってオレに対する評価はそんなものだ。

 

「取引をしようじゃないか。アイザックの契約の報酬が何であれ、3倍支払おう! 奴を裏切り、僕の味方になれ! それだけじゃない! キミを重用したい。ランスロットを単独撃破する程の戦闘能力は惜しい。僕の手足となり、新世界を作り出す尖兵となるんだ。手始めに間もなくやって来る【黒の剣士】を――」

 

「お断りします」

 

「おや、何が気に喰わないのかな? まさか、アイザックに義理立てしているのかい? おいおい、止めてくれよ。アイザックこそがキミをDBOに閉じ込めた張本人じゃないか。言うなればプレイヤーにとって最大の敵! 僕と手を取り合い、アイザックに復讐するんだ。それだけじゃない。現実の貨幣で報酬を払おうじゃないか。コルなんてDBOでしか使えないゲーム通貨なんかじゃない。本物のパワーを持った金を! そして、僕が新世界の王となった暁には、キミには相応の地位を――」

 

「アナタが創造を企む新世界に興味はありません。それに、依頼主に裏切られぬ限り、依頼を遂行するのが傭兵。報酬次第で裏切るのは三流以下なんですよ」

 

 まぁ、依頼主と傭兵の間で特に報酬を巡るトラブルが頻発したからこそサインズが発足されたわけであり、オレのような傭兵の流儀は案外古臭いのかもな。実利を選んで裏切るのも悪くないと思うよ。それも生き方だと思うよ。ただし、賢いとは思わない。だって、オレは裏切られたら依頼主絶対殺す傭兵だもん。ホント、1度で良いからゴミュウの尻尾を掴みたいものです。

 そういうわけで、オベイロンの誘いに乗ろうなんて算盤を弾く価値すらもない。オレは傭兵として、後継者の依頼とサチの依頼を果たす。狩人として、ユウキとの約束を守り、アスナを生かしたまま何とかする。まぁ、その何とかの方法は思いつかないので、とりあえずは拉致が安牌だな。『アイツ』がその後どうなるか? HAHAHA! 知らん! 知ったことか! せいぜいもぬけの殻の玉座で絶望するが良い!

 ……ハァ。アスナを拉致する以外はノープランなんだから、さっさと決着をつけるとしよう。仕事の終わりにカタルシスなんて要らないんだよ。いつも通りに淡々と終わってくれれば良いんだよ。そもそもとして、淡々と何事もなく終わった仕事なんて片手の指の数ほどもないけどな!

 武装侵蝕開始。左腕を覆う骨針の黒帯を侵食し、獣爪の籠手を形成する。オベイロンがどの程度の性能かは分からないが、あの決戦でボスとしてのリソースは使い込んだはずだ。せいぜいが強NPC程度の性能だろう。飛行能力は厄介であるが、倒し方は準備してある。

 

「馬鹿が! 足掻け! 絶望しろ! 僕とお前との性能の差って奴をなぁあああああ!」

 

 マントを靡かせ、オベイロンが一気に浮上する。ほう、なかなかの上昇速度だ。

 だが、遅い。ランスロットの足下にも及ばない。玉座の間に並ぶ円柱を駆け上がり、オベイロンの高度に合わせて跳び、アイテムストレージから残り少なくなったロープを取り出す。ホルスターから連装銃を取り出して括りつけ、オベイロンの飛行軌道を見切って投じる。

 

「ぐえっ」

 

 カエルが潰れたみたいな声が漏れ、連装銃を重石にしてオベイロンの首にロープが巻き付く。剣で切断される前に、≪格闘≫の連撃系ソードスキル【雹天】を繰り出す。対地向けのソードスキルであり、空中発動を前提とし、強烈な踵落としからの更に4連蹴りに繋げられる面白いソードスキルだ。まぁ、使いどころに困るのだが、ヘルムブレイカーと同じで落下速度に補正がかかる。

 ロープは雹天で加速したオレによって引っ張られ、オベイロンは切断する暇もなく引き寄せられる。翅による減速も間に合わず、後頭部から地面に叩きつけられたオベイロンに馬乗りとなり、その顔面に左拳を振るう。

 

 

 

 

 

 

 

 だが、拳はまるで泥人形を潰したかのようにオベイロンの顔面に埋まり、やがて風船のように膨らんで破裂して黄色の粉塵をばら撒いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは麻痺の煙か? レベル3の麻痺のようだ。それもかなりの高濃度であり、更に上空から次々とボトルが降り注ぎ、割れては新たな麻痺の霧を発生させる。

 

「アハハハハ! これだから馬鹿は困るんだよ! この僕が無策だと思ったのかい!?」

 

 オベイロンの嘲笑が玉座の間に木霊する。麻痺の濃霧は玉座の間に滞留している。なるほど。確かに逃げ場はない。まぁ、円柱を駆け上れば対処もできるが、さすがに隠れたオベイロンも対策済みだろう。

 本当に王らしくない男だ。よもや、最後に麻痺による行動不能を狙ってくるとはな。

 さて、どうしたものだろうか。オレは片膝をつき、そのまま顔から床へと倒れ伏した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 勝った。勝った。勝った! 麻痺の濃霧が晴れ、『本物』のオベイロンは優雅に舞い降りる。

 オベイロンはボスとして玉座の間でプレイヤーを迎え撃たねばならない。それは彼に課せられたルールだ。そこから逃げ出すことはできない。だが、逆に言えば、ルールを反しない程度ならば小細工も可能だ。

 まだオベイロンはアルヴヘイムで全能にも等しく能力を振るえる≪妖精王の権能≫を有している。これこそがオベイロンの切り札だ。ユグドラシル城に貯蓄していたありったけの揮発性の麻痺薬。滞留時間は短いが、数に物を言わせて玉座の間全体に効果を及ぼすことができた。また、作り上げた偽のオベイロンに注意を払うことによって、密やかに天井の暗がりに隠れていたオベイロンは察せられることなく作戦を遂行できた。

 

「これだから馬鹿は困るんだよねぇ。ランスロットを倒したのはお見事だけど、いつだって最後に笑うのは、僕みたいな優秀で賢い奴なのさ。所詮はオマエやランスロットみたいな強いだけの馬鹿は、消耗されるだけの道具に過ぎないんだよ!」

 

 床に降り立ち、顔面を床に擦りつけるように倒れたまま動けずにいる【渡り鳥】の頭を踏み、オベイロンは勝ち誇る。

 あらゆる神話の、いかなる神に譬えることも出来ない程に、天使と形容することさえも足りぬ中性美の容貌を持つ【渡り鳥】に、オベイロンは良からぬ感情を抱く。このような美貌の持ち主を屈服させることが出来る者こそが、真の世界の王……いや、神なのだと頬を吊り上げる。

 あらゆる責め苦を与えて、精神も魂も何もかもこのオベイロンに屈伏させたい! だが、麻痺は30秒しか効果をもたらさない。早々にトドメを刺すべきだとオベイロンは歪んだ欲望を堪える。

 

「残念だったねぇ、馬鹿鳥くん。来世があるなら、もう少し頭を使うことを学びたまえ。アハハハハハハ!」

 

 麻痺はクリティカル判定となる。VITが低い【渡り鳥】の心臓にエクスキャリバーを突き立てれば、それでHPは全損する。オベイロンは揺るがぬ勝利を確信し、黄金の剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿なのは自覚がありますが、面向かって連呼されると傷つきますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、その寸前で体を跳ね起こし、オベイロンが踏みつける足を突き飛ばした【渡り鳥】は、エクスキャリバーの一閃と交差する形でオベイロンの懐に潜り込み、その左手で彼の喉をつかみ、円柱へと背中から叩きつける。

 衝撃が肺にまで突き抜け、また決戦での痛覚遮断解除と増幅の影響が残るオベイロンは、全身を痛打されて言葉を発することもできなくなる。だが、お構いなしに【渡り鳥】は何度もオベイロンを叩きつけ、そのまま磨り潰すように床に投げ、飛行して逃げようとする彼の背中を踏みつける。

 

「ようやく捕まえました。どうやって『本物』を引き摺り出してやろうかと思案していたんですが、アナタが間抜けで助かりましたよ」

 

「はひゃ!? な、なんで……あのコピーを……どうやって!?」

 

 作成した偽オベイロンは、ホロウAIに基づいた、オベイロンの思考パターンを模写した完璧な影武者だ。なおかつ、オベイロンが遠隔操作して完璧に演じさせていたのだ。見破られるはずがなかった。

 だが、退屈な問いだとばかりに【渡り鳥】は右手で肩を摩りながら首を左右に揺らして鳴らし、蕩けるほどに甘く優しく……だが、残虐なケダモノの顎を想像させる微笑みを描く。

 

「『命』の有無を嗅ぎ分けただけですよ。狩人の必須スキルです」

 

 イカれてる! 要は直感ではないか! 観察して見破ったのではなく、一目見ただけで完璧に模倣された偽オベイロンを看破したのだ。あらゆる理屈を飛び抜かした回答に、オベイロンは痛みとは別の意味で言葉を失う。

 いや、コピーを即座に見破った方法も不条理であるが、どうして麻痺状態で動くことができた?

 オベイロンが真っ先に思いついたのは『人の持つ意思の力』だ。かつて75層で茅場昌彦がヒースクリフの正体を看破された時、SAOクリアをかけた【黒の剣士】とのデュエルの際に邪魔入りが入らないように他のプレイヤーに強制麻痺をかけた。だが、アスナだけはそれを破り、窮地に立たされて殺されかけた【黒の剣士】を庇う事ができた。それこそがアスナの死因である。

 ならば、【黒の剣士】の相棒を務めたこの傭兵も……とオベイロンが最もあり得る帰結をすれば、それを見抜いたように、心底呆れたように【渡り鳥】は嘆息する。

 

「心意とかいう訳の分からない便利チート能力を前提に物事を判断しようとするから目が曇る。普段はネタ明かしはしないのですが、今回は特別に良いでしょう」

 

 オベイロンを踏みつけたままアイテムストレージを緩慢な動作で開く【渡り鳥】は、およそ感情が灯っているとは思えない、まるで蜘蛛のように冷淡な眼を向ける。

 

「オレの体内装備型暗器パラサイト・イヴは、暗器である以上薬物をセットすることでデバフ攻撃を可能とします。ですが、体内に毒物を有するという性質上、必然的に獲得された能力があります」

 

 出現したのはアタッシュケース。【渡り鳥】は金属製の鍵を1つ1つ丁寧に外しながら、麻痺が効かなかった理由を語る。

 

「能力【抗体獲得】。『セットした薬品のデバフとレベル以下に限り無効化する』。パラサイト・イヴの本当の切り札です。暗器の極意は相手の意識の死角を突くことにあります。デバフにかかったと相手に思い込ませれば、最大の隙を作ることができるでしょう? ほら、ちょうど今のアナタみたいに……ね。今のパラサイト・イヴに搭載されている薬品はレベル5の麻痺薬。残量も僅かでプレイヤー1人だって麻痺状態にはできません。ですが、残量がある限りはレベル5以下……つまりオレは『麻痺を完全無効化』できるんですよ。アナタが愚かで助かりました。毒や睡眠だったら対処が限られていましたからね」

 

 本当の意味での最後の切り札。アルヴヘイムの長き旅、ランスロットとの死闘、狂縛者というチートバグを乗り越えてもなお、まだ切り札があったというのか。まだ隠し持っていたというのか!? オベイロンは戦慄する。今まさに自分が相手にしているのは、まさしく本物のバケモノなのであると。

 

「た、助けてくれ! 降参だ! 負けを認める! ぼ、僕はもうすぐアルヴヘイムも、妖精王としての地位も能力も捨てて逃げるんだ! 殺す価値なんて、な、なななな、ナイだろう!?」

 

「…………」

 

「い、今までのことは謝る。アスナだって、もちろん帰すさ! いや、それだけじゃない! アルヴヘイムの全部をお前にやるよ!」

 

「…………」

 

「だからお願いだ。助けてくれ。死にたくない。死にたくないぃいいいいいい!」

 

「ところで、研究資料を拝見しました。興味深いですね。電脳化……人間のAI化ですか」

 

 涙と涎で汚れた顔を歪めて命乞いをするオベイロンに対して、【渡り鳥】は何故かまるで方向性が異なる話題を投げつける。

 

「その中で気になったのは、AI化のプロセスです。脳を焼かれるような痛み。ただでさえ成功率は低いのに、その痛みに耐え抜かなければ連続した自意識を保ったままAI化できないそうです」

 

 何が言いたいのかオベイロンにはまるで分からない。だが、【渡り鳥】は変わらず微笑んだまま、だが、その目は未だかつて見たことが無い程に、まるで人間の絶望を砂糖菓子のように齧る子どものようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アナタ……本当に自分が『自分』のままAI化できたと思っているんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 オベイロンの精神に傷をつけ、出血させ、肉を掻き分ける。まるで手術を施して患部を優しく取り出すかのように、【渡り鳥】は囁く。

 

「アナタはこんなにも痛みに耐えられないのに、脳を焼く痛みに耐え抜いて意識を保つことができたのでしょうか? オレにはとても信じられません。アナタは連続した自意識を保ったままAI化したと思い込んだ『失敗作』なのではないでしょうか?」

 

「止めろ」

 

「本物のアナタはとっくに死んでいる。連続した自意識などなく、アナタはこの仮想世界で生まれたオリジナルからコピーされた存在に過ぎない」

 

「止めてくれ」

 

「唯一無二ではなく、よくできた複製品。オリジナルと全く同じ知識、記憶、人格を有しているとしても、そこに連続性などなく、今ここにいるのは1度断絶したアナタなのかもしれませんよ? いいえ、本当は気づいているのでしょうね。認めたくない。それだけなのではありませんか?」

 

「止めろぉおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 聞きたくない! 聞きたくない! これ以上は何も聞きたくない! 両手で耳を塞ごうとするが、それは掌に走った激痛で阻まれる。

 両手を拘束したのは釘だ。まるで工作でも始めるような鼻歌を奏で、【渡り鳥】は金槌で釘を打ってオベイロンの両手を床に拘束する。

 

「ご存知だと思いますが、もうオレにはパラサイト・イヴを除いて武器は無いに等しいです。いずれもボロボロで壊れてしまっていますから。でも、武器ではありませんが、まだ残っている『道具』があるんです」

 

 オベイロンの視界にわざとらしく、開かれたアタッシュケースの中身を見せる【渡り鳥】の声音と口調は、まるでこれからお茶でもしようと誘っているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 糸鋸。ワイヤー。フック。ペンチ。ハンマー。釘。小瓶に入った虫。蝋燭。万力。他にも多種多数。それらが尋常ならざる用途の為に準備された道具であることは明らかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特別な道具は何1つなく、だが、それ故に何よりも凶悪と分かる拷問道具のセット。【渡り鳥】は照れるように頬を掻きながら、微笑みを崩すことなく、オベイロンの顔を覗き見る。

 

「オベイロン陛下、アナタもかなりの拷問マニアですよね? お恥ずかしいことに、オレはこの手の類が『不慣れ』でして。陛下のように上手くいくかどうか……」

 

「待て。待ってくれ! 止めてくれぇえええええ! 負けだ! 殺せ! 今すぐ殺してくれ!」

 

「でも、オレ……頑張ります! 陛下に満足してもらえるように、できるだけ長く、長く、ながぁああああく、楽しんでいただけるように」

 

 ああ、なんて嘘が下手なんだ。子どもでも、もう少し上手に嘘を吐く。大根役者とはまさにこのこと。騙す才能がまるで無い。

 

「まずは邪魔な鎧を剥いで……うーん、まずはセオリーに従って背中の皮を剥ぎましょうか? 翅も邪魔ですし、肉も削ぎますね。おっと、ワイヤーを熱しておかないと。耳から真っ赤になるまで熱くなったワイヤーを通すのは趣があると思うんですよね」

 

「頼む……殺してくれ……殺してくれぇええええ」

 

 わざわざオベイロンに、連続した自意識ではなく、オリジナルなどではなく、コピーミスされた偽物に過ぎないと囁いたのは、拷問の為の下準備。心を弱らせ、精神を腐らせ、より痛みに浸らせる為に。

 

「男根はどうしましょうか? 最初にペンチで千切っちゃって咥えておきますか? ほら、悲鳴が汚いと王の権威に関わりますから。そうしましょう!」

 

 まるで隠し味を決めたかのように、可愛らしく両手を叩いて提案と実行を1人で決めた【渡り鳥】はオベイロンの鎧とインナーを剥ぎ、早々に裸体する。

 ペンチの冷たい感触が股間に触れる。まだ痛覚が機能し、また増幅されているオベイロンがこれから味わうのは、男としての尊厳の喪失と蹂躙、そして精神を壊し尽されるまで死ねない痛みの宴だ。

 

「大丈夫ですよ。オレはアナタも……アナタの『命』も愛しています」

 

 喉を引き攣らせて悲鳴すらも漏れないオベイロンに抱き着いた【渡り鳥】は、まるであらゆる施しをもたらす聖女のように、天に使える神子のように、あるいは神そのものであるかのように、もはや魅入られる他にない程に美しく微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「だけど、『アナタ』は滅びろ」

 

 

 

 

 

 

 本当の絶望を教えてあげる。そう笑いながら【渡り鳥】は、何の躊躇もなく、オベイロンの男根をペンチで潰して千切った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ふむ、10分と耐えられなかったか。回復手段が乏しいとやはりこうなるな。

 オベイロン『だった』肉塊を掻き集めて1ヶ所に盛り、残り少なくなっていた野営の焚火に使うオイルをかけてライターで着火する。肉が焼けるニオイを嗅ぎながら、頬を膨らませるヤツメ様の頭を撫でる。

 

(こんな奴こそ『食事』にしちゃえば良かったじゃない)

 

 そうだな。オベイロンは『人』と呼べるような奴じゃなかった。ならばオレも『獣』として殺しても良かったのかもしれない。

 だが、オレはオベイロンのことがそんなにも嫌いにはなれなかったし、やはり最後まで憎むこともできなかった。義憤など欠片も無かった。

 仕事をこなす。今はそれだけで構わない。何よりもオベイロンを『獣』として殺してしまえば、今は歯止めが利くとは思えない。必ずアスナにも牙を剥いてしまうだろう。それは何としても避けたかった。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 たとえ、万人に憎まれた愚王だったとしても、祈りも呪いも無い安らかな眠りは許されるはずだ。

 

(アナタにも祈りも呪いも無い安らかな眠りなど訪れない。待っているのは痛みと『痛み』の海に溺れる末路だけ。それでも夜明けの為に狩りを全うするのでしょう? 大丈夫。私だけは裏切らない。何があろうとも絶対に)

 

 所詮はオレなんてオベイロン以上の人でなし……いや、『人』ですらないのだ。オベイロンの本質は『人』に則したものだった。だが、オレは違う。オレは……いや、もう今更になって何を言ってもどうにもならない。

 薪になる。それが狩りの全うに必要ならば迷わない。道のりが困難ならば、人間性だってくれてやる。

 

「しかし……本当に……生きて……いる、のか?」

 

 意識を完全に閉ざしたアスナが、オベイロンの悲鳴で反応することに期待していたのだが、残念ながら彼女の生存本能はこじ開けられなかったようだ。まぁ、少しずつリハビリしていけば回復するだろう。

 後はアスナを拉致してアルヴヘイムからオサラバするだけだな。

 ようやく遅れて、オベイロン撃破のリザルト画面が表示される。ファンファーレすらないとは哀れだな。

 やはりと言うべきか。ボスとは思えない程に経験値もコルも少な過ぎる。その辺の雑魚を狩ったのと同程度だろう。

 しかし、オベイロンが麻痺を狙ってくれて助かった。睡眠は蓄積性能的にも効果的にも無いだろうと思っていたから、最悪パターンは毒だった。固定スリップダメージの毒は低VIT型の天敵です、はい。

 トロイ=ローバの寄生植物戦で毒攻撃を相手にしても警戒せずに受け止められたのは、このパラサイト・イヴの抗体獲得があったからこそだ。あの時はレベル2の毒薬をセットしていたからな。

 毒だった場合は別の方法で逃れたが、オベイロンの性格からして麻痺を絶対に狙うだろうしな。動けない相手を嬲るとか好きそうだし。

 さて、リザルト画面をチェックチェック。ほぼイベント戦とはいえアルヴヘイムのラストバトル扱いだ。エンディング関連の何かが提示されているかもしれない。

 

 

 

「……≪妖精王の権能≫?」

 

 

 

 だが、オレの指は色々な意味で震えてしまう。主に感動の意味で小刻みにブレる。

 それはオレに新たに加わったスキル。し、しかも……しかもだ! こ、ここここ、これは間違いない! ユニークスキルだぁあああああああああああああああ!

 あ、あり得ん。あり得んぞぉおおおおおおおおお!? このオレにユニークスキルが実装されちゃうだとぉおおおおお!?

 えー、なになに? このスキルはどんな素晴らしいコなのかな?

 スキル説明欄を拝見すれば、妙に長々とした文面であり、所々が文字化けしていらっしゃいますなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまり、要約すると『改変されたアルヴヘイム限定』で妖精王の特権を振るうことができる、か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふむふむ。

 

 ほうほう。

 

 へーへー。

 

「……要らん」

 

 というか、使えねぇええええええええええええええええええええええええええ!

 なに? スペシャルでウルトラなソードスキルとか、チート級のスーパー能力とか、汎用性が高い万能とか、そんなのではなくて、これからまず間違いなく『元通り』になるだろうアルヴヘイムですら作用しない、まさにこの改変アルヴヘイム限定でチートが使えるユニークスキルかよ!?

 だが、色々とできるようだな。要はオベイロンと全く同じことが可能になったということであり、翅を獲得することはもちろん、アルヴヘイムの天地創造から都市建造まで思うがままだ。巨大モンスターだって作成できる。スゴイ! ただし、『アイツ』が到着するまでの時間的にやれることがない! つまりは大半の機能が無駄!

 オマケに改変アルヴヘイム以外では使えない。というよりも、これも半分バグってるぞ。絶対に文面通りにオベイロンと同じ権限がオレに譲渡されたわけじゃないぞ。

 しかもオベイロンの利用履歴まで残ってるし。うわぁ、ドン引きだわぁ。あんな女優やこんなアイドルまで複製作ってナニをしていらっしゃったのやら。まぁ、出来るのはせいぜい人形だろうし、AI実装しても『命』があるわけでもないだろうし、虚しいだけだろうになぁ。その証拠のように、最初に作るだけ作ってみた感が凄いな。あと、アスナのコピーはお気に入りだったようだ。製造回数が3桁もある。オベイロンの支配欲とアスナの抵抗がよく分かるな。オベイロンはアスナ・コピーでどれだけ鬱憤と性欲を晴らしていたのやら。

 うーむ、しかしこれだけの小物っぷり。ある意味で貴重だったかもなぁ。まぁ、それも過ぎれば『人』らしさを損なってしまうのだがな。あれだよ。人間らしい欲望塗れも素晴らしき『人』だとは思うのだが、それも貫き通せるものでなければ『人』らしさじゃないからな? 無駄に日和るなよ。

 さて、こんなどうでも良い産廃確定アップデート修正不能ユニークスキルは忘れることにして、この改変アルヴヘイムのエンディングをどうすれば始められるのか、早急に探し出す必要があるな。

 オベイロンを殺してアルヴヘイムはクリアされたはずだ。だが、もしかしたら1アクション足りないのかもしれないな。

 

 

 

「おめでとう、【渡り鳥】くん!」

 

 

 

 思案し始めたオレの背中に、まるで小馬鹿にするような拍手と共に賛美の声が届く。

 振り返れば、いつの間にか燃えるオベイロンで暖を取る後継者の姿があった。

 

「オマエは……まさか?」

 

「オベイロンに囚われていた『ボク』だ。GM権限を有するボクだよ。オベイロンを倒してくれたお陰でこの通り自由になれた。感謝するよ」

 

「依頼を達成しただけだ。礼を言われる筋合いは無い」

 

「それもそうだね。しかし、随分と激戦だったねぇ。イベントダンジョン霜海山脈のボスネームドのトリスタン、イレギュラーネームドの欠月の剣盟、聖剣と同類であるコードの1つである黄衣、魔法の極みのシェムレムロスの兄妹、そしてアルヴヘイム最強のランスロット。アルヴヘイムの重要ネームドの過半はキミに撃破されたことになる。だが、その一方でキミには何1つとして名声と栄誉は無い。哀れだねぇ。そこまでボロボロになっていながら、キミの献身は世に讃えられることはない。どんな気持ち? どんな気持ちだい?」

 

 オベイロンを焼く炎で焼きイモまで作ってやがったか。紫の皮に隠れたホカホカの黄金色を披露しながら、後継者はオレを煽るように言葉をぶつけ続ける。

 

「興味ないな。オレは依頼通りにオベイロンを殺した。その為に必要だった障害は全部排除しただけだ」

 

 それがどうした? 別に誰かに褒められたいとか、認められたいとか、そんな理由でここまで戦ってきたわけではない。称賛されようがされまいが、そんなことに興味は無い。オレは依頼を果たした。仮に栄誉があるならば、依頼主……即ち後継者がそれを受け取ることこそ筋だろうってくらいには思っているんだがな。

 

「キミは本気でそう思って言ってるっぽいんだよなぁ」

 

「本気だ」

 

「そうかい。本当に救われないねぇ」

 

「救われて欲しいのか?」

 

「全く」

 

 肩を竦めた後継者との睨み合いは数秒程度だったが、その間にこそオレは依頼の達成を認識する。これでようやく、オレと後継者との奇妙な雇用関係も終わりというわけだ。

 後継者はオレの横を通り過ぎ、指を軽く振るってアスナを束縛していた鎖を解除する。どうやらGM権限も完全に戻っているようだな。

 

「オベイロン撃破のユニーク報酬は2つ。世界樹ユグドラシルのソウル。そして【閃光】だ。ユグドラシルのソウルは既に【黒の剣士】の手元に。彼女はキミのモノだ。【閃光】はDBOに連れ帰れるように最初から設定してある。プレイヤーとして立派にDBOに参戦できるはずだよ」

 

 アルヴヘイムは『アイツ』を苦しめて絶望に追いやる悲劇だったはずだ。その末路はアスナのフラクトライトの崩壊……自らの旅路で彼女をもう1度殺すという悲劇で締めくくられるはずだった。

 だが、意外なことにシナリオ通りに進まなかった苛立ちを後継者が見せる素振りは無い。彼はシナリオが何であれ、クリアされたならばそれを是とするスタイルだ。ならば、今回の結末も受け止めているのかもしれないな。

 後継者はアスナの額に触れると複数のシステムウインドウを展開する。どういうデータなのかは不明であるが、アスナの状態を示したものだろう。

 

「オベイロンはやり過ぎたねぇ。かなりの精神的ダメージを負っているよ。フラクトライト体だと精神の崩壊とはそのまま死に直結するからね。拷問の苦痛に耐える為に、敢えて意識をシャットダウンしたようだね」

 

「治るのか?」

 

「少し特殊な治療がいるね。だけど、この世でボクと茅場さん以上にフラクトライト関連で詳しい者はいないさ。洗脳技術とMHCPの応用ですぐに回復できる」

 

 この場で回復させるつもりなのか。アスナの頭部にまるで天使の輪のような光が装着される。

 一件落着とは言い難いな。いっそ、このまま永遠に精神を閉ざしていてもらった方が都合も良い。そうすれば『アイツ』が今のアスナを見つけて万事解決だろう。

 ……いや、愛の力って侮れないと思うんだよな。『アイツ』の介護でアスナが再び意識を取り戻して、目覚めた瞬間に再会してフラクトライト崩壊っていう展開しか想像できない。

 

「1つ教えろ。『アイツ』と再会すれば、アスナは必ず死ぬのか?」

 

 後継者は最初からアスナを奪還可能であるように設定を施してあった。即ち、『アイツ』の悲劇を望んでいながら、回避もあり得ると想定していたということだ。

 無論、アルヴヘイムの攻略を担うのが『アイツ』ではない確率も考慮してのことだろう。また、勝者には相応の報酬を与えるのが後継者のスタンスであるならば、アスナ自体が報酬ならば筋も通る。まぁ、事情を知らん奴らからすればアスナが報酬って意味不明だろうがな。

 だからこそ、後継者に問わねばならない。『アイツ』と出会えれば、アスナは本当に死ぬのか、その口で語ってもらいたいのだ。

 

「その確率は高いだろうねぇ。だけど、物事に絶対なんて滅多に無いものさ。案外、何事もなくすんなりと済むかもしれないねぇ。顔を合わせたり、少し会話するくらいなら大丈夫なのかもしれない。でも、やっぱり駄目なのかもしれない。でも、【黒の剣士】との接触は必ずフラクトライトの崩壊部位を刺激する。時間の問題なのにも変わりはないのさ」

 

 出会った瞬間に即爆発する確率が高く、なおかつ仮に奇跡が起こって耐えても、いつ爆発するか分からない不発弾状態というわけか。面倒臭い。やっぱりここで殺して後顧の憂いを断つべきか? いや、駄目だ。今のオレは『殺したいだけ』だ。

 

「さて、キミのやり方は分かってるよ。【閃光】をここで攫い、空白の玉座とオベイロンの死体を見せつけ、【黒の剣士】の旅の終わりに虚無感を突きつける。そんなところだろう? だけど、ここは1つアレンジを加えようじゃないか!」

 

 アレンジ? また突拍子もない……いや、シナリオの修正のつもりか?

 

「簡単さ☆ 今の君には≪妖精王の権能≫があるだろう? オベイロンを殺したことで譲渡されたはずだ。それはオベイロンがアルヴヘイムで振るう管理者権限をスキル化したものでね、オベイロンはプレイヤーアバターと同類のNPCアバターとボスアバターを使い分けていたわけなんだけど、ボスアバターは先の戦いで完全消滅。普段使いのNPCアバターはあの通りというわけさ。彼を殺害したことによって、ユニークスキルの譲渡条件がクリアされ、キミに与えられた」

 

「説明を省け」

 

「焦らない焦らない♪ そのユニークスキルは本来カーディナルにも認可されていないものだ。バグにしてチートの塊なんだよ。キミがアルヴヘイムのエンディングを迎えれば、改変是正と共に完全に使い物にならないお荷物となる。具体的にはスキル欄には残るだろうけど、抹消された空白状態になるだろうねぇ」

 

「…………」

 

「まぁ、それも報酬と言えば報酬だし、埋め合わせはするとしてだね、そのスキルを使えば、大抵のモノは製造できる。だったら、やるべきことは1つだろう?」

 

 アスナのコピーを……作る? オレの想像を肯定するように、後継者は楽しそうにステップを踏んで小躍りする。

 確かにアスナを攫うだけではインパクトが弱い。『アイツ』は何処かでまだアスナは生きているかもしれないという希望を捨てきれないかもしれない。だが、アスナの遺体を……記憶に焼き付くほどに凄惨で痛々しい遺体を目撃したとなれば、どうだろうか?

 

「ようやく玉座の間にたどり着いた【黒の剣士】は、無残な姿になった愛しき人の骸を前にして膝を折って涙する! だが、それでも彼女を弔えるならばと手を伸ばすか、無情にもその遺体すらこの仮想世界から消え去ってしまうのだった! ふむ、三流シナリオだけど、ボクの鬱憤を晴らせるイイ見世物になりそうだよ♪」

 

 前言撤回。コイツはかなりストレスを抱えてやがる。この期に及んでも『アイツ』を苦しめる為ならば手段を選ばないスタイルのようだ。いっそ清々しいな。

 

「好きにしろ。だが、アスナの遺体で演出するならオベイロンも準備したい。『アイツ』に疑念を挟ませたくない。『オベイロンならやりかねない』って思っているはずだからな」

 

「そうだねぇ。だけどオベイロンを模したAIでは限界があるねぇ。だったら、オベイロンのアバターコピーを作ってくれないかい? その方が手間も省けるからねぇ」

 

 手間? 何のことだか分からないが、後継者の言う通りにオベイロンのコピーを作成する。AIも搭載されていない、仮想世界の肉体が地面に横たわる。寸分の狂いもなくオベイロンと同じ容姿のはずであるが、やはり生気と呼べるものは感じない。

 後継者がオベイロン・コピーに触れれば、その目に『命』が宿る。だが、それはオベイロンと呼べるものではない。

 

「ふむ、これがオベイロンの肉体か。いやぁ、気分が悪いね☆」

 

 声音はオベイロンと全く同じであるが、口調は後継者だ。なるほどな。群体である後継者は自らの存在証明を外見に依存しない。その気になれば、他の人間の容姿でも、犬でも、ゴキブリでも、何にでも姿を変じさせることができるのだろう。

 今回の場合、『命』の宿っていないオベイロン・コピーという器に、新しい後継者という個体を発露させたというわけか。

 外観に束縛されない絶対的自己。それこそが群体たる後継者の真骨頂というわけか。

 

「オベイロンの真似はボクがやろうじゃないか♪ 盛大に【黒の剣士】を煽って殺されてあげるよ」

 

「ああ、実にムカつくけど、彼の絶望する表情を間近で見られると思えば悪くない。頼むよ、ボク♪」

 

 後継者内蔵のオベイロン・コピーと後継者のノリノリっぷりは、もはやドッキリの仕掛け人だ。まぁ、後継者ならば大根役者のオレとは違って上手く『アイツ』を騙してくれるだろうし、煽りスキルを駆使して『アイツ』が疑問を抱く前に処理してくれるはずだ。

 オベイロン・コピーは1度この場から消え、オレと後継者は再び向かい合う。

 

「しかし、キミは止めないんだね。大事な友人を苦しめることになるんだよ? 絶望の底に叩き落とすんだよ?」

 

「そうだな」

 

 それに今の『アイツ』ならばアスナの死だって乗り越えられる。だが、それは己の旅路の果てに訪れる悲劇ではなく、SAOでアスナは死んでいたという現実を受け止めるだけだ。たとえ、『オベイロンによって殺されたアスナ』を目撃したとしても、己の旅路がアスナを殺したという末路よりは幾らか自分を責めないで済むはずだ。

 なぁ、サチ。これがオレに出来る精一杯の悲劇の止め方だ。結局は『アイツ』を苦しめるだけだ。

 オレは人でなしだ。後継者のアイディアを、何の迷いもなく実行を認可した。『アスナはいなかった』というシナリオでも十分だったのかもしれないのにな。

 

「……さて、【閃光】の治療が終わる前に報酬の話をしようじゃないか! 改めておめでとう。キミは見事ボクからの依頼を成し遂げてくれた」

 

「確か、願いを1つ叶えてくれる……だったな」

 

「ああ、そうだね。その件だけど3つに増やそうじゃないか」

 

 どういう風の吹き回しだ? 指を3本立ててボーナスを提示する後継者に訝しめば、彼は理解できない事が不思議といった様子で首を傾げた。

 

「決まってるだろう? キミ達はパーティで依頼を受けた。ボクは『ボク達』でアルヴヘイムで起きた全てを見ていた。依頼を達成したのは、事実上キミ単独だ。PoHはボクを裏切って別勢力についたようだし、『役立たず』のザクロは――」

 

 派手なライトエフェクトと爆音が響き、後継者が大きく跳び退く。

 渾身の穿鬼は不死属性の紫色のエフェクトに阻まれて後継者に届かなかった。やはりGM権限保有個体に攻撃は通じないか。

 

「おいおい、急にどうしたんだい?」

 

「取り消せ。ザクロは役立たずじゃなかった。彼女は……最期までオマエの作った糞ゲーに抗った誇り高き『人』だ」

 

「でも、彼女はとてもじゃないが、ボクの依頼達成に十分と呼べる貢献はしていない。『無能』だよ」

 

 再び踏み込んでの回し蹴り。それは後継者の側頭部を打ち抜くはずが、今度は紫のエフェクトで完全に阻まれ、その身すら動かすこともできない。オベイロンが使っていた似非不死属性とは違う。穿鬼クラスで無ければ押し出すことさえもできないか。

 獣爪の籠手による突きも後継者の顔面を刺し貫く前に、やはり紫のエフェクトが壁になって届かない。

 

「怒った『フリ』は止めなよ、『同類』。キミに彼女を侮辱された事への怒りや憎しみなんて、本当は無いんだろう? ただボクを殺したかっただけさ」

 

 大きく紫のエフェクトが爆ぜてオレを突き飛ばす。後継者は皺1つない白スーツを彩る青のネクタイを緩め、その本性とも呼ぶべき邪悪な子どもの笑みを描く。

 

「以前のキミならば、もっとスマートに対応してきたはずだ。こうして実力行使でパフォーマンスしなければ取り繕えないとはねぇ。ランスロットと狂縛者……彼らを殺す為に摩耗した人間性を如実に感じるんじゃないかい?」

 

「…………っ!」

 

 反論できないのは、オレの心にザクロを侮辱されたことへの怒りや憎しみが微塵と抱けていないからだ。

 いや、今までも負の感情に疎い部分はあった。たとえ、『アイツ』やユウキがどれだけ苦しめられて殺されても、怒りも憎しみも抱けないだろう。せいぜい自分が殺せなかったと残念に思うかもしれないが、彼らの仇を討つといった感情は湧かないはずだ。

 

「人間性を失えば失う程に、キミの殺意は制御不能になっていく。それなのに殺戮本能はどんどん大きく、強く、耐え難くなっていく。本当に耐えきれると思っているのかい?」

 

 じっくりと間合いを詰めてオレの肩を叩いた後継者の嬲るような声音に、反抗の意思を込めて腕を振るって彼を払い除ける。

 

「死神部隊においでよ。好きなだけ人間を殺させてあげようじゃないか。今のキミには、心意殺し……その殺意で相手のフラクトライトを恐怖で染め上げて、仮想脳を暴走させて心意によるフラクトライトの自己崩壊を誘発させることができる。イレギュラー……心意保有者の抹殺を目的とする死神部隊にとって喉から手が出る程に欲しい、しかも誰にも再現できない、『仮想世界だろうと1人も逃すことなく人類を殺戮する』為にキミの本能が獲得した新たな爪牙だ」

 

 心意殺し? エギルをどうやって殺しきったのか、あまり深く考えていなかったが、後継者の言うとおりであるならば、要は心意とは精神状態や感情に左右されるものだから、相手を殺意でビビらせて自殺してもらった、という解釈で良いのだろう。

 ……そんな訳の分からんモノを信用できるか! ただ殺す。ぶち殺す。そうすりゃ死ぬ! それ以上は考える価値もない。つまり、今まで通りHPをゼロにするまで攻撃すれば良いだけだ。

 

「断る。オレとオマエは相容れない。そうだろう?」

 

「……そうかい。残念だ。心からそう思うよ。さて、報酬の話に戻ろうじゃないか。キミに与える報酬は3つだ。キミの言い分を聞くわけじゃないけど、このままでは時間の無駄だし、ザクロの分は取り消そうじゃないか。代わりにそのバグ・ユニークスキルのお詫びにもう1つでどうだい?」

 

「それなら構わない」

 

「うーん、詭弁でもあっさり乗ってくれるキミのドライな所、嫌いじゃないね☆ さてさて、何が欲しいんだい? もちろん、ボクに出来る範疇に限られるし、DBOを終わらせてプレイヤー全員を解放しろとかも無しだ。さぁさぁ、存分にお願いしてくれ! 強力な武器? それとも誰も未獲得状態のユニークスキル? ああ、オリジナルスキルを特例で作ってあげても構わないよ! それとも、このDBOからの解放かい? キミ1人だけならもちろんOKさ」

 

 願いは3つ。ランプの魔人かよ。まぁ、3つもくれるならば、ありがたく使わせてもらうとしよう。

 

「1つ目、改変アルヴヘイムを……この世界で生きていた人々を消去するな。彼らは生きている。修正するにしても彼らを抹消するな」

 

「ほう? 随分とつまらないね。つまらないねぇ! だけど、それがお願いなら叶えてあげようじゃないか」

 

 随分とあっさりOKしたな。後継者からすれば、この改変アルヴヘイムは一刻も早く処分したい廃棄物のはずなのだがな。

 

「2つ目、チェンジリング被害者の……アフターケアを。生存者はゼロじゃないはずだ」

 

「ほとんどはオベイロンがエクスキャリバーの材料にしちゃったけどねぇ。生存者はたったの1名。【黒の剣士】の妹だけだ」

 

「そうか。だったら、彼女に何か……埋め合わせをしてやってくれ。望まずにアルヴヘイムに来た彼女には、その権利がある」

 

 オレも『アイツ』も自分の足でアルヴヘイムに来た。ならば、あらゆる利益も損害も自分で受け止めねばならない。だが、リーファちゃんは違う。オベイロンによって攫われた本物の被害者だ。

 

「チェンジリングされた被害者は……DBOにいる偽アバターは……どうなる?」

 

「その件は自分の目で確かめれば良いよ。少々厄介なことになっていてね。まぁ、ボクもそれなりにリカバリーするつもりさ」

 

 帰っても問題はあるか。だが、それはオレの領分ではない。後継者に任せるべきだろうし、実害が出ているとしても大ギルドが何とかするだろう。どうせ、その内になって隔週サインズが『恐怖! チェンジリング事件!』とかいったゴシップネタにしてお茶を濁す。それで終わりだ……と信じたい。

 だが、サクヤを失ったフェアリーダンスはどうなるだろうか。もう中立を保つのは難しいかもしれない。だからこそ、同じ被害を負ったリーファちゃんは……何かしら報われるべきであるはずだ。

 

「つまらない。つまらない。つまらないなぁ! もっと好き放題に願ってくれないと面白くないじゃないか」

 

「元からあった願いは1つだけだ。前の2つは出来ればって程度だ」

 

「ほうほう! それもそうだねぇ。元からキミには1つだけって約束だったもんねぇ。さぁ、ボクに聞かせてくれ。キミがアルヴヘイムを旅する間に決めた要望を!」

 

 別にずっと考えていたわけではない。

 だが、今回の話で確信した。これ以外に選択肢など無い。

 なぁ、ユウキ。オレは……オレは誰かを守るとか、そんなことはいつだって出来なかった。

 それでも、『アイツ』が……何よりもキミが……暁の向こう側で幸せを掴み取れる可能性があるならば、幾らでも灼けてやる。人間性だって捧げてやる。

 

「3つ目は――」

 

 オレは1度区切ってから、後継者に要望を途切れることなく告げる。

 きっと後継者からすれば腸が煮えくり返る要望だろう。感情任せに却下もあり得るかもしれない。

 だが、コイツはオレについて分析しているように、オレもコイツを分析してきた。この男は……オレと似ている。約束や契約には律儀だ。

 

「そうかい。それがキミの……キミの本当の狙いだったわけかい」

 

「ああ、そうだ。こんな時……なんて……言うんだったかな。ああ、そうだ。『今どんな気持ちだ?』だっけか」

 

 聞き漏らすことなく、オレの真の要望を聞いた後継者は、彼らしくない穏やかな顔で笑い、背中を向けて歩き出す。

 

「アルヴヘイムのクリアには玉座の裏に隠された魔法陣から世界樹の祭壇に転移すれば良い。そうすればクリアだ。すぐにセラフ君が修正作業を始めるから、アルヴヘイムのDBOプレイヤーは強制退去で希望した場所に転移されるはずだ」

 

 投げ渡されたのは、懐かしきSAOでの転移結晶だ。さすがはGMだな。こんなアイテムでも生み出せるわけか。

 

「ここからは本音だ。ボクとキミは、出会い方さえ違えば……きっと、必ず、絶対に、友達になれたと思うんだよねぇ。だから、ボクは……こんな形でしかキミと出会えなかった運命がとても残念でならない」

 

「……そうか」

 

 オレも……きっとSAOに閉じ込められる前ならば、『アイツ』を始めとした皆と出会う前だったならば、オマエとは……もっと別の関係があったのかもしれないと思っているよ。

 転移の光に包まれる中、去り際の後継者は深呼吸を挟んで、顔を半分だけ振り返らせる。

 後継者の目にあるのは純粋な敵意と戦意。必ずオレを抹殺するという、『アイツ』に向けられていた憎悪と同じものだ。

 

 

 

 

 

「少し時間は貰うが、約束は必ず守ろう。じゃあね、【渡り鳥】くん。キミの死を切に願っているよ」

 

 

 

 

 

 ほらな。やっぱりオマエは……オレと少しだけ……似ている。

 転移の光に消えた後継者を見送り、オレはコピーして作ったアスナと玉座で眠るアスナを入れ替える。コピーは後継者が仕込んでくれたのか、偽オベイロンの撃破と同時に炎上して迅速に肉片も骨も残さずに燃焼するように設定が施されている。本当に律儀な奴だ。

 アスナはまだ目覚めない。どれだけの時間がかかるのかは不明だが、この様子だと1時間や2時間ではないだろう。

 玉座にアスナ・コピーを座らせ、オレは再びアタッシュケースを取り出す。ハッピーセットも随分と摩耗したが、人間1人を『破壊』するだけならば道具も時間も足りるはずだ。

 アスナを玉座の陰に寝かせ、アスナ・コピーの喉に鋸を突きつける。今からアスナ・コピーを拷問の末に殺されたように破壊するわけだが、アスナと一目で分かるように、あとなるべく『アイツ』のトラウマに残らないようにする程度には奇麗な状態を目指さねばならない。なかなかに難しいオーダーだが、オレならやれるはずだ。

 血が零れる。肉の繊維が千切れる音が聞こえる。たとえ、『命』が宿らぬ肉人形だとしても、アスナを刻むのはどうなのかとも思ったが、この本能はまるでピクリとも動かない。所詮は人形を破壊しているだけで飢えも渇きも満たされるはずもないのだ。

 よし、これにて完成だ。道具をアタッシュケースに片づけ、最後の仕上げで左手で腹を掻き分けて派手に腸を引き摺り出す。ショッキングではあるが、オレ的にはそれなりにマイルドで、なおかつアスナだと一目で分かる惨殺死体の完成だ。

 アスナを背負い、玉座の裏の魔法陣へと向かう。あとはスタンバイしているだろうオベイロン=後継者に、諸々の後片付けも含めてお願いしておくとしよう。現在進行形で丸焼けの解体済み本物オベイロンとか明らかに邪魔だからな。

 転移の光に包まれ、オレが次に立っていたのは、まるで春の陽光が刺すような木々の緑に覆われた階段だ。苔生しており、また豊かな花の香りがする。蔦が垂れ下がり、そこからは清らかな水滴が落ちていた。

 また長そうな階段だ。アスナを放り捨てるわけにもいかないし、このまま上を目指すとしよう。

 

「サチ……ようやく、終わる、よ」

 

 オマエからの依頼をやっと成し遂げられる。

 記憶にはもう残っていないサチの顔だが、皮肉にもオベイロンが残してくれた資料のお陰で『記録』としては再び思い出せるようになった。

 

「……ん」

 

「目が覚めたみたいだな」

 

 そして、ようやく目覚めのようだ。背中で温かな人肌が動き、オレが声をかければ、転倒を誘うように暴れる。

 お決まりのリアクションは止めてくれ。『アイツ』じゃなかったのは謝罪しないし、賠償もしないが、そんな露骨過ぎる反応だと困る。まぁ、約束の塔で1度殺そうとしているし、自業自得ではあるがな。

 

「王子様じゃなくて悪かったな。ごきげんよう、眠り姫。アナタを攫ったのは、ご覧の通りの傭兵です」

 

「キミは本当に会う度に印象が違うわね」

 

 冷静なツッコミありがとう。アスナを背中から降ろし、オレは意外と元気そうな彼女を観察する。心理的ダメージを負ってる様子もない。後継者が洗脳技術の応用とかも言っていたし、オベイロンの拷問の記憶を薄めたのだろうか?

 意外にも敵意を剥き出しにしていないが、警戒心は大といった様子のアスナに、まだまだ祭壇まで続く階段を上りながら話そうとオレは顎で招くが、彼女が動こうとしない。

 

「キミがオベイロンを倒したの?」

 

「少し違う。実質的に倒したのは【黒の剣士】だ。オレはアイツのエンディングを横取りした盗人だよ」

 

 それからアスナと少し話をして、彼女が回廊都市での決戦を途中まではオベイロンと共に見守っていたことが分かった。オレは補足として、オベイロンが巨神となってチートを使いまくったことや『アイツ』とトンデモ吃驚仰天の神話クラスの巨大バトルを繰り広げたことを伝える。

 

「あれ? おかしいわね。『彼』のこと全く憶えていないけど、不思議なくらいにスッと受け入られるわ。ある種の諦観ね」

 

「ああ、やっぱりか」

 

「そういえば、【渡り鳥】くんは、私が死んだあとに【黒の剣士】さんの相棒になったんだっけ? ふふふ、だったら私と同じ経験をたくさんしたのかもね」

 

「そりゃもうたっぷりとな」

 

 だが、そんな思い出も随分と灼けてしまった。それでも『アイツ』の女絡みエピソードの数は豊富だから喋ろうと思えばマシンガン級に火が噴くぞ。とはいえ、『アイツ』の想い人であり、恋人であり、また妻でもあるアスナにその手のエピソードを聞かせるわけにもいかないしな。

 

「『アイツ』はアナタを助ける為に、きっと……死なせてしまった懺悔をする為に、何よりも今も生きているアナタともう1度未来を歩み出す為に、今日までたくさんの戦いを超えてきた。たくさんの苦難に立ち向かい、多くの苦悩を抱え、絶望と恐怖を踏破してきた」

 

「…………」

 

「その旅路の集大成を……アナタとの再会をオレは奪う」

 

「理由を聞いても良い?」

 

「『アイツ』と再会すれば、アナタは死ぬからだ。それも『アイツ』の目の前で」

 

 オレも詳細は説明できないが、フラクトライトの連鎖破損について伝え、『アイツ』との再会がトリガーとなってアスナが死亡する危険性を教える。

 突拍子もないと頭から否定されるかと思えば、アスナは意外にも冷静に、何処か納得したように壁にもたれかかったまま、辛そうに笑った。

 

「あのね、『彼』のことを思い出そうとするといつも頭痛がしたの。思い出したくて堪らないのに、生きたいっていう心が『思い出すな』ってブレーキをかけているみたいに。だから、【渡り鳥】くんが言っていること……全部は無理でも信じるよ」

 

「……階段を下りれば魔法陣がある。それを使えばオベイロンの玉座の間だ。少々オレが悪趣味な演出をしていて、アナタの遺体があるはずだ。まだ間に合う。『アイツ』を迎えに行きたければ好きにしてくれ」

 

 サチとの依頼は、『アイツ』の悲劇を止めることだ。

 アスナが自らの死を受け入れ、『アイツ』との再会を望み、崩壊するまでの僅かな時間でも良いから正気を保てることに希望を持つならば、『アイツ』の旅路は報われ、『アスナ』は死を受け入れる。死者との決別という、別の結末もあり得るだろう。

 

「キミはそれを許すの?」

 

「全力で止める。だが、それがアナタの意思ならば、オレは尊重する。その上で止める。容赦はしない。アナタは知っているはずだ。オレはやると宣言したら『やる』」

 

 だが、それでも悲劇には変わらないだろう。『アイツ』はそういう男なのだから。頭が良過ぎるのだ。きっと、『アイツ』は考えてしまうだろう。アスナの死の原因を突き止めてしまうだろう。そして、結局は己の旅路こそがアスナを死に至らしめたのだと悟るのだ。

 それを受け入れられるか否かなど問題ではない。それ自体が悲劇ならば止めねばならないのだ。それがサチの依頼なのだから。

 

「……キミは惨酷ね。私も『彼』もお互いに会いたいって気持ちがあるって分かってるくせに、手段を教えて、その上で阻もうとするなんて」

 

「仕事だからな。『アイツ』を想うヤツから依頼を受けた。『アイツ』の悲劇を止めて欲しいと。オレは傭兵として達成する義務がある。それだけだ」

 

「本当に酷い話ね」

 

「同意する」

 

 たとえ『アイツ』のことを忘れているとしても、アスナがどれだけ深く愛しているのかは、『アイツ』との日々から重々承知している。2人の絆もオレの想像の範疇を超えているのだろう。そうでもなければ、生死という最大の境界線を越えた再会の奇跡を呼び寄せられるはずもない。

 彼らが待ち望んだ奇跡を握り潰すオレは、間違いなく物語に登場する悪役だ。それでも、悪役らしくヒロインを攫うのがオレの役目なのだ。

 

「そう。だったら行きましょう。私もプレイヤーとして参加できるなら、目立つ最前線の参加は無理でも、出来る限りのことをやりたいわ」

 

「……は?」

 

「やるべきことは山積みね。レベリング、装備、衣食住の確保、それからDBOでの立ち振る舞い方。ギルド関係。SAOよりも複雑怪奇らしいし、注意が必要ね」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 ここはオレに足2本と腕2本を折られる展開ではないのだろうか? 完全に虚を突かれたオレを差し置いて、アスナは先を急ぐとばかりに階段を上り始める。

 慌てて追ったオレに、アスナは振り返ると、『アイツ』が惚れたのも分かるくらいに、凛として笑む。

 

「アナタがどんな仕掛けをしたのかは知らない。きっと、『彼』を物凄く傷つける酷い物語を書いたのでしょうね。でも、きっと私と再会するよりもずっとずっと希望に満ちた未来が残る終わり方なのでしょう?」

 

「どうして、そう信じられる?」

 

「だって、アナタ……ボロボロじゃない。たとえ仕事でも、そこまで自分を傷つけられる人間が悲観に満ちた終わりを良しとするなんて思えない」

 

 階段を上っているお陰で、オレを見下ろす形になったアスナは優しく右手でオレの頬を撫でた。彼女の指には、灰と血が混ざって固まった泥がこびり付いている。

 

「アナタは自分が作った悲劇で彼を苦しめることになっても、本当の悲劇を食い止めたいだけ。『彼』が私をどんな形であれ『殺してしまった』という罪悪感を背負わせない。それは私も同じ。思い出せないけど、やっぱり『彼』が大好きなんだと思う。その気持ちはちゃんと私の中に残っている」

 

 アスナは幸せそうに、同じくらいに悲しそうに、自分の胸の上で両手を重ねる。そこには計り知れない『アイツ』への愛が詰まっているのだろう。

 

「私は1度死んでるわ。蘇ったとしても……ううん、蘇ったからこそ、アインクラッドを生き抜いた彼の人生をこれ以上歪めたくないの。ふふふ、自分でも嗤っちゃうくらいの強がりなんだ。でも、ボロボロの【渡り鳥】くんを見ちゃったら、それくらいに格好つけないと奥さんとして張り合えないでしょ?」

 

 愛らしくウインクしたアスナは、早足で階段を駆け上がっていく。だが、確かに涙の光が尾を引いて零れていく。

 

「会いたい。うん、本当は【渡り鳥】くんさえいなければって思うくらいに会いたい」

 

「だろうな」

 

「ずっとずっと我慢し続けないといけない。それって地獄よね?」

 

「だろうな。オレを恨みたければ恨めばいい。憎みたければ憎めばいい」

 

 アスナは答えなかった。だが、オレを見る目は優しくて、彼女はオレを憎んでなどいないことだけは明らかだった。

 会いたい人に……1番大好きな人にずっとずっと会えない。すぐ傍にいるとしても許されない。

 途方もない地獄だろう。だが、それでもアスナは選んだ。己の意思で選択した。それこそが『強さ』なのだろう。

 誰のせいでもなく、自分の意思で『アイツ』に偽りの苦しみを与えることを選んだ。『アイツ』の旅路を空虚な嘘で締めくくらせることを選んだ。

 

「ねぇ、ところで、キミの依頼主は誰? それと、私を殺した方が即応性があって確かなはずだけど、どうして止めたの?」

 

 約束の塔でオレが殺そうとしたのは悲劇を止める為だと、アスナは既に結論を出したのだろう。間違いではないのだが、あの時は本能が半ば暴走していたのでノーカウントにしたいのだが、勝手に納得してもらえたならば訂正するのも面倒だ。

 

「依頼主は傭兵として秘匿義務がある。アナタを殺さないのは、色々とあって、ユウキとの約束を優先しているだけだ」

 

 時系列は異なるが、嘘ではない。だが、結局はオレに『アスナを殺したい』という本能の疼きがあるからだ。それを堪える為の方便だ。

 

「ユウキちゃんと……そっか。【渡り鳥】くんと仲が良いの? 彼女、かなりキミのことを気にしてたみたいだけど。リーファちゃんからキミの現実世界のあれこれを聞いてたわよ」

 

 おい、直葉ちゃん。リアルの話は厳禁でしょうが! アスナの暴露で思わず吹き出しそうになる。具体的にどんなエピソードを暴露されたのだろうか。猫耳パーカー案件とか憤死ものなので是非ともお口にチャックでお願いしたい。

 

「……オレとユウキの話はどうでもいい。とりあえず、アナタはしばらく身を隠してもらう。しばらく不自由をかけるが、我慢してくれ」

 

「後学の為に訊いておきたいけど、私が【黒の剣士】さんに会いに行こうとしていていたら、どうするつもりだったの?」

 

「両手両足切断して、舌を引っこ抜いて喉を潰して、目玉を抉り出して、あとはDBOが完全攻略されるまで達磨状態で地下室暮らしだ」

 

 本来はその予定だったのだが、お陰で穏便に済んだ。アスナが頬を引き攣らせて怯えを隠さない様子を横にしてオレは彼女の先へと進む。

 アスナを匿うにしても限界がある。黄金林檎の面々には明かしても問題ないだろうし、ユウキにも情報開示しても良いだろう。その後はアスナにあくまで決定権を委ねつつ、『アイツ』から遠ざけた生活を送らせるしかない。

 ようやく階段を上り終えた先に待っていたのは、ユグドラシル城の何処に位置するかも不明であるが、間違いなく核と呼ぶべき空間だろう。色彩豊かに花が咲き乱れ、泉からは透明度の高い清水が溢れている。まるで庭園のようだ。そして、その先には一見すれば苔生した壁と区別がつかない扉がある。

 あの扉の先こそがアルヴヘイムの終着点……世界樹の祭壇だろう。

 さて、アスナが余程の大嘘つきでもない限り、彼女はオレの指示に従い、『アイツ』との接触を避けた隠遁生活を送ってもらえるだろう。

 だが、問題は彼女を隠す方法だ。

 ただでさえアスナは美人だ。100人見れば99人は顔を忘れないだろうし、ゴシップネタに飢えた腐れ記者共に嗅ぎつかれてしまえば終わりだ。

 1番手っ取り早いのは顔を潰してしまうことだろう。焼くなり何なりして人目に晒せないものにしてしまえば良い。だが、アスナも女だ。容姿には無頓着ではあるまいし、女のプライドを投げ捨てて……いや、あり得るか? だってあの攻略の鬼だぞ? だ、駄目だ! さすがに『アイツ』を騙す上にアスナの容姿を木っ端微塵にするなど愉え――じゃなくて、やり過ぎだろう。

 だが、リスクはあまり大きく抱えたくない。仕方ないが、これはアスナの自主性に任せるとするか。どちらにしても顔を隠した生活を送ってもらうのだ。深めのフードを被ってもらうだけでも効果があるし、プラスでマスクも装備してもらえればほぼ問題ないだろう。

 問題は何処に匿うかだな。オレの家は論外だ。アスナが四六時中いるなど耐えられない。だからといって黄金林檎の皆に匿ってもらうのも何かと問題が起きそうだ。

 そうなると……大ギルドの力を借りるのは避けたい。聖剣騎士団はディアベルさえ説得すればユイと同じように匿ってくれるかもしれないが、これ以上の負担はかけられないし、アイツにとってあの頃とは違い、オレとの関係よりもギルドを選ぶはずだ。ならばアスナを最大限に利用するかもしれない。

 太陽の狩猟団は論外。ゴミュウにカードを握らせるとか自殺願望だ。クラウドアースも避けたいな。セサルは小細工を好まないが、否定しない訳ではないし、ベクターを始めとした評議会の連中はアスナの素性を知れば、対ラストサンクチュアリ……『アイツ』との交渉カードに利用しない手は無い。

 そうなると……1番借りを作りたくはないが、ある意味で安牌なのは教会か。エドガーも復活した死者でSAO経験者ならば、有名プレイヤーだったアスナのことは把握しているはずだ。それに死者の復活についても知識もある。相応の対価を支払えば、最も安全な配慮をしてもらえる確率は高い。ただし、動きが読めないので選択したくないのが実状だ。

 やっぱり手足を千切って舌を抜いて目を抉って喉を潰して達磨にして地下室監禁が最も安全なのではないだろうか?

 

「とりあえず、アルヴヘイムを脱出したら神灰教会に向かう。オレの知人がいるから、しばらくは教会に匿ってもらえ。その後の方針は追々考える」

 

「教会なんて、SAOとはやっぱり違うのね」

 

「吃驚するくらいにな。アルヴヘイムで経験しているから今更かもしれないが、かなり勝手が違う。連中は独自の教義で動いているが、大半は普通の……あー、精神状態的に普通と言い難いかもしれないが、普通の信徒だ。とりあれず話を合わせてアンバサって言っておけば何とかなる」

 

「アンバサ? どういう意味かしら」

 

「知らん。興味はあるが、不明だ。アーメンと似たようなものだろ。語感も似てるし、すぐに慣れるさ」

 

 エドガーとの交渉は間違いなく敗北決定であるが、ゴミュウほど対価をむしり取られることはないだろう。せいぜいアルヴヘイムの情報全部とソウルを半分で済めば良い方か。ゴミュウだったら全部剥ぎ取られていただろうしな。

 方針は決まった。だが、何故かアスナは少しだけ楽しそうにクスクスと笑っている。

 

「キミとは出会った頃から刺激的だったけど、不思議な縁がある気がするわ」

 

 出会った頃……か。もう灼けてしまったな。アスナとはどんな出会い方をしたのか思い出せない。

 だが、アスナの楽しそうな様子を見ると、オレにしては珍しく友好的な巡り合わせだったのかもしれないな。

 祭壇の間への扉を開き、木々の枝で織られたような祭壇が目に入る。ようやくたどり着いたアルヴヘイムの終着点だ。

 あとは≪妖精王の権能≫で玉座の間を遠隔から見張る。今まさに茶番の真っただ中であり、『アイツ』は偽オベイロンを殺害したところだ。

 サチ、キミはこんな終わり方を望んでいなかったのだろう。もっと、『アイツ』にとって幸せなエンディングを望んでいたのだろう。結局のところ、オレはオマエの願いを踏み躙ったことになったのかもな。それでも、オレにはこんな終わり方しか思いつかなかった。

 

「アナタが終わらせろ。せめて、『アイツ』の旅路とアルヴヘイムに終幕を」

 

「分かったわ」

 

 アスナが祭壇に触れると多くのシステムウインドウが展開される。プレイヤー扱いである彼女がオベイロン撃破状態で祭壇に接触したことによって、アルヴヘイムがクリア状態に移行していく。これから始まるのは、改変されたアルヴヘイムの修復作業だ。

 転移の光に包まれたオレはアスナの傍らに立ち、転移先の指定を同所に設定する。場所は終わりつつある街の路地裏だ。細かく設定できるお陰で転移位置が他のプレイヤーと被ることはないだろう。

 

「頼みが1つだけある。オレの事は一切口外するな。アルヴヘイムにもいなかった事にしてくれると都合が良い。いたことになると、色々と面倒なことになる」

 

 後継者から依頼を受けたこともそうだが、『アイツ』にバレれば聖剣関連で突っ込まれかねなない。さすがに決戦の時に聖剣に招かれたのは誤算だった。ユージーンは公言しないだろうが、サクヤを殺害したのもオレだ。だが、最大の懸念は大ギルドから探りを入れられるかもしれない点だ。特にゴミュウだけは避けたい。クラウドアースにはバレているらしいので、もう諦めるしかないが、アルヴヘイムにいなかった事にすることが最もトラブルを避けられる。

 

「……キミに助けられた以上、私に選択の余地は無いのでしょうね」

 

 納得はしていない様子だが、オレにとって必要性があると感じてくれたのだろう。アスナは了承して頷く。

 アルヴヘイムの旅が終わる。転移の光に包まれながら、オレは瞼を閉じて数多の戦いを振り返る。

 だが、今はただ眠くて……ひたすらに眠くて……でも、もう一夜の微睡みさえも許されないならば、夜を越えて暁を求めるしかないのだろう。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「いい加減に止まりなさい! 邪魔! 邪魔! 本当に邪魔!」

 

 次々と打ち出される黒い杭を、ユウキはフェアリー型の特徴である翅を活かした空中機動で躱し続け、通常戦闘ではまずありえないほどの3次元機動でユグドラシル城を疾走する。

 何処が正答のルートなのか分からない。だが、とにかく前に突き進む。ユウキは自分を追うマザーレギオンが、死の塊としか言いようがない赤い刃を並べて射出したタイミングで、黒紫の結晶剣を展開し、同様に撃ち出す。

 だが、人間の倍以上も大きさもある死の刃と軽量片手剣サイズの結晶剣とでは、質量も威力も異なる。だが、精密に放たれた結晶剣は死の刃の側面を打ち、軌道を歪ませてユウキへの直撃ルートを外させる。

 クゥリが最も得意とする相手の攻撃の逸らし方だ。どれだけ強大な攻撃であろうとも、正しく捌けば受け流せる。軌道を歪められる。それをクゥリは経験でも知覚でもなく、直感で嗅ぎ分けて実行する。

 

(だけど、完全には捌き切れない!)

 

 直撃ルートを外しただけであり、これまで1度として止まらなかったはずの彼女は動きを止める。それを見計らい、マザーレギオンは触手を分解して作り上げた翼を羽ばたかせ、その手に持つ死の斧槍を薙ぎ払う。

 当たれば即死。限界まで身を屈めて躱すも、続く触手の連撃が肩を掠める。

 

「ふぅ、やっと追いついたわ♪」

 

 マザーレギオンの狙いは元より直撃ではなく進行の妨害だ。ユウキのルートを塞ぐように浮かぶマザーレギオンは、その漆黒の肌を伝う汗を拭う。

 

「本当に大嫌い。我らの王の本質に触れながら、決して救うことが出来ない盲目の乙女。それどころか、王を余計に苦しめる毒。貴方に何かできると思っているの? クヒ、クヒャヒャ、クヒャヒャヒャ! 何も――」

 

「うん、何も出来ないよ。今のボクには、何1つだって出来るわけがない」

 

 マザーレギオンの嘲いに対し、ユウキは結晶剣を再展開しながら、睨み返すこともなく、淡々と事実を受け入れるように頷いた。

 アルヴヘイムの旅で、ユウキは何を得ただろうか。ユニークスキル? いいや、違う。何も得ていない。失い続けた旅だった。そして、同時に決別の旅でもあった。

 スリーピングナイツの本当の呪いを解いて、彼らを心から弔うことで眠らせることができた。

 今の自分では、どうしようもない位にクゥリには何も届かないと思い知らされた。

 宿敵にして怨敵だったPoHの方が、ずっとずっとクゥリの本質を理解していたと突きつけられた。

 そして、もうどうしようもないくらいに、愚かしい程に、マザーレギオンの言う通り盲目と呼べるまでに、彼を愛してしまったのだと悟った。

 

「だけど、だからと言って追いかけない理由にはならない。誰かが手を伸ばすことを止めた時、クーは本当の意味で『独り』になっちゃうから!」

 

「……我らの王は今も『独り』よ! そうしたのは貴方たち人間……いいえ、お前という存在よ!」

 

 斧槍の連撃は暴力的であり、感情的でありながら理に適っている。同時に異様な伸びを見せ、パターン化させることはなく、常に進化を続ける。

 ユウキの装備である儀式剣では斧槍の一撃をガードしきれない。何よりも死のオーラを纏った斧槍は、防御自体が危険極まりないだろう。だが、連撃の中で踊るように躱し続けたユウキは、あくまでマザーレギオンという壁の突破だけに集中する。

 目的はマザーレギオンの撃破ではない。クゥリの元にたどり着くことだ。

 今更になって、どんな顔をして会いに行けばいい? 何を語りかければいい? 託してくれた祈りさえも呪いに貶めた挙句に背負わせた自分がどんな言葉を?

 決まっている。翼から触手に分解された連撃が頬を掠める中で、ユウキは更に前へと1歩出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

(『お疲れ様』。その一言だけで……構わないんだ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう抱きしめてあげることもできない。そんなことをしても拒絶されるだけだ。もう自分に関わるなと突き放すはずだ。

 それでも追いかける。それでも傍にいる。キミを失いたくないから。

 どんなに回り道をしても必ず見つける。キミに届く『答え』を。でも、それまでの間だってキミを放置するなんて嫌だ。たとえ、仮初でも、何の価値もなくても、ボク自身が『クーを独りにしたくない』って気持ちで接してあげるんだ。

 そうすればキミは『独り』だとしても、ボクは寄り添える。『独り』であるキミに何も届かなくても、確かにここに存在するボクがいる。

 

「邪魔は……お前だぁあああああああああああ!」

 

 斧槍の連撃に合わせるのは、プレイヤーでも最高峰の連撃数に達するOSSのマザースロザリオ。それが≪絶影剣≫の能力である、剣の斬撃軌道を撫でる後追いの幻影の刃と合わさり、倍化した連撃となってマザーレギオンの防衛網を強引に突破する。

 ソードスキルの硬直時間を翅が生み出す推力移動で消化し、マザーレギオンの壁を突き抜けたユウキは再び走り出す。

 

「そうだよ。ボクは間抜けだよ! 待ってあげているだけで良かった。クーがどんな戦いをしているとしても、帰りを待ってあげていれば良かった!」

 

 クーはただ欲しかった。自分がどんな戦いをしたのかも知らずに、ただ自分を受け入れてくれて、本当の『自分』を忘れないでいてくれてる、細やかな安らぎの縁だけが最後の支えだった。

 それを奪ったのはユウキの愚かさだ。盲目ならば盲目らしく、まるで修道女のように祈り続けて待っていてあげれば良かった。

 正面に死の刃が乱立する。足が止まりかける。だが、フェアリー型の利点である翅を使った大ジャンプで跳び越す。そこに伸びた触手の連撃が襲い掛かる。

 結晶剣を重ね合わせて盾にして攻撃を防ぐも押し止めることはできず、吹き飛ばされたユウキは空中で姿勢制御し、壁に着地してそのまま走り出す。無理な駆け出しは足首を捻るも、それでもユウキは止まらない。

 リミッター解除の反動。それでも無理したマヌス戦とPoH戦。もはや意識を保つのも危うい。だが、それでもユウキは、あと少し、もう少しと追いかける。

 

「ねぇ、どうしてなの? どうして、そんなにも我らの王を苦しめるの?」

 

 だが、再び死の刃の乱立で足が止められる。いや、ユウキのスピードが落ち、マザーレギオンに追い抜かれたのだ。

 トップスピードで駆け続けた結果、スタミナは一気に消耗してしまった。元よりCONが低いユウキは、スタミナ管理を厳しく行いながら立ち回らなければ、他プレイヤーよりも早くスタミナ切れを起こしてしまう。

 

(まずい……意識が……もう……! もう少し……もう少しだけ……!)

 

 文字化けの塊の翼を広げ、まるで悪魔のように、あるいは堕ちた天使のように、マザーレギオンはユウキの前に着地する。

 

「忘れなさいよ。男なんて腐るほどいるでしょう? 貴方を愛してくれる人は必ずいるわ。それも真っ当で、もっと優しく、貴方を労わってくれる人」

 

「ボクを愛してくれるクーが……欲しいから、追いかけるんじゃない」

 

 誰もクーを愛せないなら、傍にいてあげられないなら、どれだけ傷つけようとも、苦しめようとも、突き放されようとも、ボクが傍にいる。まだ『答え』が見つからないとしても、言葉は何1つ届かないとしても!

 

 

 

 

 

 

「約束……したんだ。忘れないって! 絶対に忘れないって……『本当のクー』を忘れないってボク自身が決めたんだ!」

 

 

 

 

 

 たとえ、あの夜に預かったキミの祈りは呪いに堕ちたとしても、今はこれこそがボクの祈りだ。

 マザーレギオンは歯を食いしばり、まるで癇癪を起こした子どものように地団駄を踏む。いや、まるで毒虫を潰すように足を踏み鳴らす。

 

「祈って、呪って、祈って、呪って、祈って、呪って、また祈って呪う! 祈りと呪いは表裏一体。元は1つ。お前は何も学んでいない! 我らの王に……祈りなど届かない!」

 

「違うよ。クーの為に祈るんじゃない。そんなことしても……クーは苦しむだけだから。ボクは祈るのは、いつかボク自身が見つける『答え』に、だよ」

 

 祈れ。『答え』の為に。

 たとえ、祈りは届かずとも、『答え』ならば必ず……そう信じるのだ。

 ユウキは微笑みながら宣言する。

 

「それにね、キミはボクを甘く見積もり過ぎだよ。ボクを愛してくれる人? いやいや、そんなのいないよ。ほら、ボクってかなり『重い』部類だし、体は貧相だし、色気も無いし、戸籍上は死人だし、経歴は真っ黒だし、もちろん死人扱いだから財産も無い。こんなお先真っ暗なボクはクーだって願い下げだろうね」

 

 ぷっぷっぷー! とユウキはマザーレギオンを小馬鹿にして笑う。

 

「それでも、ボクの方が好きになっちゃたんだ。うん、もう仕方ないよね」

 

 ねぇ、クーはいつも誰かを尊ぶような目で見てるよね。きっと、クーは自分以外の全てがとてもキラキラ光って見えてるんだと思うんだ。

 

 本質が『優しい』人はたくさんいると思う。だけど、ボクが大好きになったのは……本質が何でろうとも『優しくあろうとする』クーなんだ。

 

 誰かをいつも傷つけてばかり。やること成すこと裏目に出て、挙句に美味しいところはいつも誰かに持っていかれて、しかも利用されるだけ利用されて評判ばかりを落とす。

 

 それでもキミは『優しくあろうとする』。どれだけ本質が正義のヒーローみたいな人でも、その通りに動くわけでもないし、それどころか他人を傷つける悪人になっちゃっているかもしれない。だから、本質と同じくらいに『優しくあろうとする』キミも真実なんだ。

 

 クーだって、人殺しは厭わないどころか殺しまくるし、口下手だから実力行使も多いし、挙句に誤解されるような態度や発言ばかりだし。それでも、キミは『優しくあろうとする』んだ。それが『クー』なんだよ?

 

 どんな本質だろうと関係ない。クーそのものが大好きなんだ。1つとして欠けることなく大好きなんだ。だから、ボクは嫌だよ。『優しくあろうとする』キミが失われるなんて、絶対に嫌なんだ。

 

「追いかけ続けるよ。間に合わないとしても、追いつけないとしても、クーが『独り』だとしても……絶対に」

 

 マザーレギオンは斧槍を構え直すと同時に、ユウキは眩い光に包まれる。

 何事かと目を見開いたユウキの目前に出現したのは、転移位置……DBOのユウキが立ち寄ったあらゆる場所だ。

 追いつけなかった。間に合わなかった。ユウキは拳を握り、それならば自宅に寄るだけだと笑う。

 もう眠らせてあげることはできないとしても、触れてあげることはできる。声をかけてあげることはできる。その疲れ切った体を労わってあげることはできる。

 アルヴヘイムなんて無かったかのように、今まで通りに振る舞ってあげることだってできる。クーが望むとも望まずとも、今のユウキにはそれしか思いつかないのだから。

 

「……やっぱり、お前のこと大嫌いだわ」

 

「ボクも嫌い。クーに似た雰囲気だけどさ、やっぱりレギオンって別物だよ。うん、その上で言うけど、レギオンじゃなくて『キミが嫌い』」

 

「クヒヒ、そう? ありがとう」

 

「どう致しまして」

 

 殺し合っていたのが嘘のように、マザーレギオンは笑いかけ、ユウキも応じる。

 嫌い合っているのは間違いない。だが、PoHとの宿敵にして怨敵といった間柄ではなく、嫌い合っているからこその繋がりをユウキは覚える。

 転移先は黄金林檎の工房だ。ユウキは悔しさを笑いで誤魔化す。たとえ、自分の所に立ち寄ることはなくとも、アルヴヘイムの戦いが終わればクゥリは必ずグリムロックの所に足を運ぶはずだからだ。

 そこで待っていよう。いつものように、何も無かったように、迎えてあげよう。ユウキは転移の光に身を任せた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 突如として溢れた転移の光。レコンが再び目を開いた時、そこは馴染み深い……だが、もう遥か昔にも感じる想起の神殿だった。

 周囲にはアルヴヘイムの住人とは異なる、DBOプレイヤーが幾人もいる。彼らは突如として出現したレコンたちに驚いている様子であり、それは伝播して人垣を作り始める。

 

「ここは……戻ってこれたの?」

 

「リーファちゃんも無事みたいだね……って、うわぁあああ!?」

 

 同じく困惑している様子のリーファを見て、レコンは感涙する。その反応に驚いたリーファであるが、すぐに理由に気づいたのだろう。自分の両手を見つめ、頬に触れ、胸を揺らし、上目遣いで前髪の『色』を確認し、涙を溜めてレコンに抱き着く。

 

「やったぁあああああああああああ! 戻って来れたぁあああああああああ!」

 

「いやっふぅうううううううううう! 帰ってこれたんだぁあああああああ!」

 

 それはALOのアバターとしてのリーファではなく、現実世界の姿を写し取ったリーファだ。装備はそのままであるが、その姿こそが彼女のチェンジリング事件の解決を意味していると直感し、レコンはこの旅の始まり……リーファを助け出すという目的を達成できたのだと感動する。

 

「呆気ない終わり方ね」

 

「フン。もう1体ボスが出現してもらってもオレは構わんかったのだがな」

 

 へたり込んで長く息を吐いているのはシノンであり、その傍らで腕を組んで仁王立ちしているのはユージーンだ。

 ボスを追加など堪ったものではないと睨むシノンであるが、そんな彼女を見下すユージーンは不動だ。だが、彼は鎧を失って上半身が薄手のインナー装備だけであり、その他の装備も大部分が破損している。背負う大剣も刃毀れが著しい。あれ以上の連戦は避けねばならなかっただろう。

 さすがにアルヴヘイムの住人は一緒ではない。だが、レコンはあの旅で出会った人々もまたアルヴヘイムの未来を歩めるはずだと信じた。別れも告げられなかったが、それでも彼らの未来は繋がったはずなのだから。

 だが、ハッピーエンドではない。レコンは綻ぶ頬を引き締める。UNKNOWNは項垂れたまま両膝をついているからだ。そして、彼の周囲にアスナの影はない。事情を察したらしいクラインはバンダナを引き寄せて目元を隠すと、UNKNOWNの肩を軽く叩いて別れの言葉もなく立ち去る。犯罪ギルドのリーダーである彼は、これ以上の衆目が集まる前に退散せねばならないからだ。

 

「間に合わなかったんですね」

 

 シリカは震えるUNKNOWNの拳に触れ、悲しみを共有するように目を伏せる。必要以上の慰めの言葉はない。今はただ傷つけるだけだと分かっているからだろう。

 

「行ってあげて、リーファちゃん。今のUNKNOWNさんにはキミが必要なはずだから」

 

 駆け寄るべきか躊躇した様子のリーファの背中を押す。

 心が傷ついた時に寄り添ってくれる者がいる。支えたいと望む者がいる。それは恥などではなく誉れであり、故に新たな1歩の礎となる。

 

 

 

 

 

 

 

「レコンも頑張ったね。また、たくさん魅せて♪ 約束だよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 ナギちゃん!? 後ろから声をかけられたような気がして振り返れば、徐々に厚さを増す人垣に消える血に染まったような赤毛を見送る。レギオンである彼女は、これからプレイヤーとして紛れ潜み、何を企むのだろうか。

 今は何も分からない。だが、混乱を察した大ギルドの人々も集まり始めている。これからこの場の面子は余すことなく事情聴取が始まるだろう。そして、アルヴヘイムの冒険の全容が語られ、それは大ギルドにとって都合に合わせた物語に編集されるのだ。

 それでも僕は忘れない。憶えているのだ。あのアルヴヘイムの偽りなき日々を。間違い続けた果てに、ようやく『答え』にたどり着いたのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

(吾輩はマルチネス! かつてオベイロン陛下の配下たるアルフであり、ティターニア様の守護騎士にまで上り詰めた者!)

 

 だが、今は縁あって畑を耕す小作人である! モリモリマッチョの逞しい上腕筋、鳩胸と呼ぶべき胸筋、割れた腹筋を披露し、鍬を肩に担いでマルチネスは今日も朝日にティターニア様万歳と感謝の100回マッスルポーズを決める。

 オベイロンとの大決戦から早10年。アルヴヘイムは混乱期を迎えた。奴隷階級だったインプとケットシーによる独立を阻もうとする貴族。種族間対立の表面化。資源を巡る領土戦争。宗教摩擦。あらゆる要素がオベイロンという枷が外れたことで噴出し、自由ある闘争の時代へと突入した。

 ただでさえオベイロンとの決戦で戦力を疲弊していた貴族たちは続々と倒れるも、最終的には旗頭として貴族が再び台頭した。民衆には知識があっても知恵はなく、執政のいろはを受け継いだ貴族たちに取って代われるだけの人材は平民には乏しかったのだ。

 マルチネスはいち早く安定したアルヴヘイム南方にて、そのマッスルを買われて豪商の護衛となるも、マッスルがウザすぎて解雇され、温情で農園で小作人となる働き口を紹介してもらった身だ。

 不老長寿を約束されたアルフとしての能力は、ユグドラシル城に突入したあの日を境に消えてしまった。日に日に老いることを楽しめるようになったマルチネスは、死ぬまでティターニアを賛美することで充実感を得る。

 

「うーむ! やはり西方の平定は時間がかかりそうですな」

 

 市場にジャガイモを届け、新聞を買ってみれば、かつて西の雄と謳われた砂上都市が陥落したと記されていた。ギーリッシュという新領主だけではなく、次代を担う頭脳・戦力も失った砂上都市は、粛清されていた旧領主陣営の盛り返しを防げなかった。長きに亘る内乱によって疲弊されたところを、最近になって盛り返してきたケットシーとインプの同盟によって滅ぼされたのだ。今や多数の勢力が覇権を狙う、アルヴヘイムで最も危険な地域だ。

 東ではティターニア教が再び盛期を迎えている。此度のアルヴヘイム革命において、オベイロンを告発し、反乱軍に大義ありとしたティターニアを主神格化する動きは止まらず、今ではオベイロンの神殿は全て壊された代わりに、ティターニア神殿が加速度的に増加している。いずれは主教となるのも時間の問題だろうとマルチネスは大いに満足していた。

 だが、一方で東方は深淵が再び力を盛り返してもいる。最近になっては黒獣の目撃例もあり、街道の安全は確保されておらず、行商人たちは迂回するルートを選んでいる。深淵狩りが途絶えた今は、各地で徐々に深淵の魔物の被害が増え始めている。東方はそれが顕著であるというだけだ。

 北方では霧に隠された街トロイ=ローバが謎の住人消滅によって廃墟となり、その英知が流出して、医療と学問が先進化している。いずれは北方こそがアルヴヘイムの政を握るのではないかとティターニア教団は恐々としているとのことだ。また、北方は特にアルテミスを信仰する土地柄の為か、宗教戦争が心配されてもいる。

 トータルで言えば南こそが最も安全であり、最も覇権から程遠い。また、10年前に雪解けが始まって道が開かれた霜海山脈には、呪いを受けた人々が参拝に訪れ、廃村にある碑石で解呪を願う巡礼の旅が流行っている。最近はティターニア教団と太陽教団の2つが碑石をどちらの『神の遺物』かを巡って鎬を削っているようであるが、そもそもとして霜海山脈自体が凶悪な魔物に溢れているために早々に近づけず、全ては机上での舌戦で終わっている。

 オベイロンの法が失われ、技術革新も始まった。武具や防具は日に日に強く鍛え上げられ、人々が魔物に怯えて暮らすことも減った。だが、それは魔物ばかりではなく、対人戦を目論んだ研鑽でもある。より残虐で有効な武器が開発される度に、医療を担う神官たちは目も覆いたくなる被害者に遭遇するようだった。

 誰かが言う。『どうして【聖剣の英雄】は去ってしまったのか』と。

 何処からともなくアルヴヘイムに現れた【来訪者】たち。その内の1人であるとされた【聖剣の英雄】は二刀流の使い手であり、機械仕掛けの剣と月光の聖剣を携え、巨竜の秘儀で巨神となったオベイロンを打倒した。

 英雄一行が制覇した黒火山は今や良質な鉱石が採れる、危険ではあるがリターンも大きい冒険者たちの稼ぎ場になっている。その最奥まで辿り着けた者は稀であるが、かつて穢れの火が安置されていたとされる祭壇の間は、英雄と守り手の激戦の名残たる傷痕が今も残っている。また、この戦いに貢献したある老騎士を謳った碑文が黒火山の麓にあり、冒険者たちは火山に入る前にここで心身の在り方を今1度見つめ直すのだ。

 神隠しの土地とされた伯爵領もまた、英雄たちが消えた日を境に発見された。ウルの森を越えた先にあった伯爵領の謎はティターニア教団を主導で解明されていたが、やがて伯爵領の遺産を狙う複数の勢力によって入り乱れた。それは略奪と破壊を生み、神隠しの土地は今や見る影もない。マルチネスも足を運んだが、伯爵城に隠された墓所は特に酷いあり様だった。だが、最奥の霊廟だけは何人たりとも開くこともできず、その扉の先に誰が眠っているのかは今も謎のままである。

 

「吾輩にも何か出来ることがあれば! 無念! 無念極まりない!」

 

「ありますよ。ほら、例の話をもう1度聞かせてください!」

 

 市場にある居酒屋で、マルチネスは皿に山盛りにされた牛肉の串焼きを賄賂に、彼に話を求めるのは1人の青年だ。

 何処か影はあるが、その瞳は真摯であり、情熱で燃えている。マルチネスが好きな、自分の未来は自分で切り開くと誓った若人の目だ。

 

「だがな、フロウくん。吾輩にもう語れることなど無いのだ。恥ずかしながら、吾輩が決戦に参加したのも終盤。その後も何が何やら……」

 

「最古の深淵の主との戦いについて、もう1度話してください」

 

「良いが、もう100回は超えてるはずだが? 吾輩も語り疲れるものだ」

 

「良いから! マルチネスさんの薄給で、これだけの串焼きをお腹いっぱい食べれると思ってるんですか? 違うでしょう?」

 

 うーむ、日に日に逞しくなっている。串焼きを頬張りながら、マルチネスは今日も最古の深淵の主との激闘を語る。あの戦いに主役などなく、全員で一丸となって深淵の主に立ち向かった。最後はポンチョ服の男が裏切ってユウキと共に奈落に消えるのだが、彼女はユグドラシル城の戦いに姿を現し、誰にも声をかけることなく、1人で城に突入し、他の【来訪者】と同様に行方知れずとなっている。

 使い古された手帳に、今日も新しい見解をフロウは書き込んでいく。彼はある商会でも図抜けた算術の才能を発揮し、今や番頭候補として日々切磋琢磨している。商会主からも覚えも良く、出世が約束された身だ。だが、その出身は戸籍も無い山奥の民であり、決戦後に単身で命懸けで里へと降りてきたのだ。

 

「うーん、やっぱり何かがおかしい」

 

「何がおかしいのだ? 吾輩が嘘を吐いてると!?」

 

「違います。『アルヴヘイム英雄譚』ですよ」

 

 フロウが鞄から取り出されたのは、ティターニア教団の聖書を除けば次に最も発行され、また愛されている書物だ。

 アルヴヘイム英雄譚。それはオベイロン打倒までの物語であり、全12章にもなる大長編だ。生き残った反乱軍からの情報を基に、暁の翅時代の反逆者たち、廃坑都市でのオベイロンの邪悪な襲撃などが書かれている。また、本人たちから聞けたわけではないが、彼らの功績を又聞きした者たちによって、【来訪者】たちが現れて以降のアルヴヘイムの目まぐるしい変化も綴られている。

 活劇であり、脚色も多々あり、実際に彼らと交流したマルチネスからすれば別人ではないかとツッコミを入れたい部分も多々あるが、本筋は概ね間違っていない。不満はあっても否定はしない。それがアルヴヘイム英雄譚だ。

 この中でも特に人気が高いのは、5章から登場する……というよりも、ここからは本番である【聖剣の英雄】だ。【二刀流のスプリガン】と名乗った彼の旅路がメインである。また、彼を支えた乙女たちの熾烈な恋の鞘当ても脚色たっぷりで書かれている。

 また、豪傑の剣士であるユージーンは、【聖剣の英雄】とは別の道を歩んで、多くの魔族を束ね上げていくもう1人の主人公のように書かれている。アルヴヘイムの未来を共有した魔族たちは奥地へと再び消えたが、発展が続いたなら再び出会う時も来るだろう。その時になって対立と共存のどちらが選ばれるのかは、マルチネスが生きる時代では訪れないだろう。

 

「吾輩は、やはり第10章の黒火山の戦いが好きであるな。穢れの火を守る悲しき剣士スローネとの死闘。兄妹の絆。何処まで真実かは吾輩にも分からぬが、2人の絆が聖剣を呼び寄せたという展開が燃えるではないか」

 

「僕にはどうにもそれが信じられなくて。聖剣と言えば、深淵狩りの伝説。文献は残っておらず、口伝だけですが、彼らの始祖が見出したのが聖剣。なのに、深淵狩りじゃない二刀流の剣士がどうして聖剣を……」

 

「聖剣が選んだだけではあるまいか? 聖剣は強き主を求めていた! スローネの死闘の中で兄妹の絆を深めた剣士の前に姿を現したのも、その愛に感動して――」

 

「それで姿を現すなら、深淵狩りの誰かがもう見つけてると思うんですよね」

 

「だったら、最初から持っていたのだろう」

 

「やっぱりそうなんでしょう……か?」

 

 頭を掻くフロウは、それがおかしいと主張する部分ではないと前置きするように溜め息を吐く。

 

「何かが足りない気がするんです。彼らの旅路の裏に誰かがいた。そんな気がするんですよ」

 

「それがフロウの悩みというわけか」

 

「ええ。何となくって理由しかないんですけどね。だから、僕なりに新しく『アルヴヘイム冒険譚』を編集中です。英雄譚はどうにも脚色が強過ぎて。読み物としては退屈になるでしょうけど、より史実に近しい形にしたいんです」

 

 昼間から酒を飲むわけにはいかない、とフロウはマルチネスに大ジョッキを勧めつつ、頬杖をついて明るく照らされた青空の下で、翅を舞わせて飛び回る人々を見つめる。

 オベイロンの死。アルヴヘイムの解放。【来訪者】の喪失と共に失われた翅は取り戻され、人々は自由に空を飛ぶことが叶った。それが妖精たちに笑顔を取り戻させたのは一瞬であり、今では1000年以上も飛べなかった過去など忘れたように、まるでありがたみを感じていない。

 

「特にアルヴヘイム最強の騎士ランスロット。アルヴヘイム英雄譚では【聖剣の英雄】が決戦の最中に倒したことになっていますけど、彼がそれを公言した記録は何処にも残っていません。誰かが垂れ流した妄想をそのまま編集したんですよ。オベイロンの攻撃に巻き込まれて死んだのか最有力ってされていますけど、仮にもアルヴヘイム最強とまで恐れられた騎士ですよ? そんな間抜けな死に方するかなぁ」

 

「疑問は尽きぬな。だが、史実など存外劇的なことなど無いのかもしれぬなぁ」

 

「……巨竜と巨神の戦いの何処か劇的じゃないんですか?」

 

 ジロリと睨まれ、それもそうだとマルチネスは謝罪のマッスルポーズを恍惚と決める。

 

「あの日、紫の流星が東より回廊都市に飛んだ記録が残っています。その発生源を精査したところ、伯爵領だと分かりました。そして、伯爵領には深淵狩りの多くの遺体が見つかった。そして、ランスロットは深淵狩りの裏切者とされていた。何か繋がると思いませんか?」

 

「それこそ妄想であろう」

 

「……分かってますよ。こんな仮説を真実のように書くつもりはありません」

 

 ならばフロウにとって何が納得できないのだろうか。マルチネスは最後の串焼きを食べ終えると、彼の視線が道行く1人の女性を追っていることに気づく。

 永遠の巡礼者。既に途絶えていた巡礼であるが、10年前を境にして再び小さく緩やかにだが再興している。

 10年前に各地で目撃された白髪の見目麗しく、アルテミスの化身の如き乙女。その名を知る者はいない。だが、その神秘を追うかのように巡礼が再び始まった。

 

「あの人は……とても優しかった。優し過ぎた。たった1晩だけだけど、僕の全てを肯定してくれて、どんなことがあっても諦めずに『人』らしく生きるべきだって教えてくれた。僕は『あいつら』とは違う」

 

「フロウよ。貴公の過去に何があったのかは詮索しない約束だが、故郷のことを悪く言うのは――」

 

「止めてください。あんな場所、故郷なんて呼びたくない」

 

 かける言葉も見つからず、マルチネスは黙る。

 フロウは信じているのだ。10年前に出会ったアルテミスの化身の如き永遠の巡礼者。彼は女神と勘違いした程の優しき乙女。それが【来訪者】の1人ではなかったのかと。彼女もまた革命を成す為に、このアルヴヘイムで戦っていた1人なのではないかと。

 特に根拠もない妄想だ、とフロウはいつも断言している。だが、彼にとって、10年前突如として現れた英雄たちと永遠の巡礼者には何か繋がりがあって当然だと信じているのだ。

 

「だってそうでしょう? 10年前に【来訪者】が現れて全てが変わった! だったら、10年前に突如として現れた永遠の巡礼者も彼らの仲間だったのかもしれません! 事実として、霜海山脈近くの街道、神隠しの伯爵領に続く分帰路、アルテミスの館に続く道が隠されていると伝説が残るトロイ=ローバの街道。この3つで目撃例があります! これらはいずれもアルヴヘイムに大きな変化をもたらした土地! それだけじゃありません! 回廊都市決戦において、朝焼けの下でユグドラシル城に向かう白髪の者を見たという生き残った兵の話も――」

 

「フロウの情熱は分かった。だが、吾輩にはフロウが作る冒険譚が英雄譚以上に受け入れられるとは思えんな」

 

 居酒屋を出た2人は子供たちが遊ぶ広場に向かい、アルヴヘイム解放の英雄たちを模った石像の元に向かう。

 中央で2本の剣を掲げているのが【聖剣の英雄】。傍らで弓を構えているのが彼の相棒だったとされる【ケットシーの希望】。竜と共に踊っているのが竜使いの娘。カタナで居合の構えを取っているのが赤髭の剣士。大剣を背負って腕を組んで仁王立ちしているのが巨獣殺しの豪傑。知将にして勇将だったとされる盾の戦士。まるで誰かを祈るように手を組んで膝をついているのが黒紫の乙女。そして、彼らに背を向ける形で並んでいるのが鎧の女騎士と裏切りの男だ。

 彼らは【来訪者】だったと推定されている人物であり、アルヴヘイム英雄譚の最古の深淵の主と回廊都市決戦に現れた英雄たちだ。

 

「吾輩たちに結局のところ、真実など分からんさ。吾輩もティターニア様が何処に消えたのかなど分からん。本当に天に帰られたのかもしれん。だが、史実とは学者や政治家が選定するものだ。吾輩や貴公が選ぶものではない」

 

「だから残したいんです。僕が研究した10年前の真実を。それがいつか史実になるように」

 

 そんな日は来ないのだろう。フロウも分かっている。このままでは、アルヴヘイム冒険譚の出版など夢のまた夢なのだから。

 

「ふふふ、アルヴヘイムは今日も平和であるな! 英雄たちに感謝せねば! アンバサ! ティターニア様万歳!」

 

「何処が平和なんですか。北も東も西も大荒れ。この南方だってどうなるか……」

 

「それでも、10年前より希望がある。新たな王が不在であるとしても、群雄割拠で戦乱の世が訪れるとしても、吾輩たちには未来があるのだ」

 

 深淵の魔物が再び増え始めている。深淵狩りはもういない。ならば、闇に呑まれる未来が待っているのかもしれない。

 途絶えることなき内乱は、技術革新と共に戦火を拡大させ、やがて自らを滅ぼすことになるかもしれない。

 たとえ、新王が定まったとしても、それはオベイロンのように人々を縛る黒ずんだ政治を始めるのかもしれない。

 だが、全ての未来はアルヴヘイムの人々の手にあるのだ。ならば、いずれの未来を掴み取るかは英雄たちではなく、アルヴヘイムの住人が握るのだから。

 

 

 

 

「ええ、それがよろしいでしょう。我らの王もまた、貴方達が自らの手で未来を切り開くことを望んでいるのですから。それこそが『人』なのですから」

 

 

 

 

 マルチネスの傍らを、一瞬だが、虹色の髪をした不可思議な娘が通り過ぎて呟く。だが、まるで幻影だったかのように振り返っても誰もいない。

 

「ところで、フロウ。あの居酒屋の娘に惚れているのは分かるが、吾輩を出汁にするのもそろそろ止めて勇気を出したらどうだ?」

 

「は!? い、いや、僕は別に……!」

 

「はははは! 安心するがいい! 吾輩がティターニア様の名にかけて、貴公の恋路……見事叶えてみせようぞ!」

 

 アルヴヘイムの未来は定まっていない。

 破滅か隆盛か。どちらを選択するのか。それはアルヴヘイムを生きる全ての者に委ねられるのだから。

 

 英雄たちの物語はもう終わっている。これからを生きる人々が次なる物語の筆を取るのだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「さようなら、アルヴヘイム! さぁ、レギオンの未来へ爆裂出発GOGO!」

 

 ストーカー殿が現れたのに、珍しく母上が上機嫌だ。レヴァーティンは再生した右腕の調子を確かめながら、時間加速によって歴史が一気に進んでいるアルヴヘイムに別れを告げながら、合流したグングニルと活躍できなかったと悔しがるミョルニルを連れ、相変わらず不在のナギに嘆きながら、先陣を歩むマザーレギオンに続く。

 データの奔流が流れる緑色に光る通路。これは事前に用意していたレギオン用の脱出通路である。

 現在、アルヴヘイムのステージは2つに分離されている。1つは歴史シミュレーションモードに移行した改変アルヴヘイム。もう1つは修正され、本来の姿に戻るアルヴヘイムだ。後継者はセラフを説得し、貴重なデータを集積する為という名目で改変アルヴヘイムを維持している。だが、それも歴史シミュレーションの速度からして、早くても1日で改変アルヴヘイムは滅びるだろう。

 アルヴヘイムの深淵の根源は断たれた。だが、深淵の魔物は消えていない。彼らの闇は蔓延り続け、やがて新たな深淵の苗床を作り出す。妖精もまた人間の亜種である限り、闇を内包するならば、いずれは深淵に惹かれていくだろう。

 50年か、100年か、1000年か。栄枯衰退を繰り返しながら、改変アルヴヘイムはゆっくりと死に至るのだろう。

 だが、それは自らの歩みの果ての死だ。もしかしなくとも、1000年では滅びず、レヴァーティンの想像以上に長きに亘る歴史を描くのかもしれない。それは自分の体感で明日には、明後日には分かることだ。しかし、それでも歩みぬいた果ての滅びであるならば、個々としては納得できずとも、種としては1つの達成となるだろう。

 陛下の温情だ。せいぜい励め。レヴァーティンは、後継者との貴重な取引で、無意義とも思えるアルヴヘイムの自由な未来を選んだ王の御心を尊重する。どんな破滅だろうとも、自らの選択の果てにあることが大切なのだと改めて己に刻み込む。

 

「しかし、オベイロンの愚かさには心底呆れ果てました。あれで王を名乗るとは片腹痛い」

 

「駄目よ、レヴァちゃん。オベイロンはそこそこ面白かったじゃない♪ それに、オベイロンのお陰で欲しかったものは得られたわ。レヴァちゃんたちが生まれたのもオベイロンが準備してくれた研究環境のお陰よ。それに、アルヴヘイムを苗床にして随分と優良なレギオンは増やせたし、レギオン・タイラントのお陰で我らの戦闘データは一気に蓄積されたわ」

 

「スゴイ! レギオン、カッタ! カッタ! カッタ!」

 

「もっと褒めて褒めて☆ お母さんの大勝利を褒めなさい! それに1番欲しかったモノも得られたわ。これで、我らレギオンの拠点が作れる」

 

 マザーレギオンが大事そうに手にしているのは、青い光で構築されたクリスタルだ。それがオブジェクト化された、あるシステムのパッケージ。

 通称【インドア・シード】。仮想世界構築の基礎パッケージであるシードの名を冠するように、『既存仮想世界に別管理エリアを構築する』ものだ。これこそがアルヴヘイムが管理者たちにとって治外法権下していたカラクリであり、オベイロンが唯一後継者を欺いて勝利していた点でもある。

 カーディナルのシステム下ではあるが、DBO内に全くの別管理エリアを構築できる。バレれば即座に介入を許すが、オベイロンのように派手な真似をせず、隠蔽工作を怠らなければ、レギオンは管理者の脅威から逃れて計画の推進と戦力増強を図れる。また、レギオンプログラムの防護もあるので、仮にバレても早々に攻められない。

 

「アルヴヘイムに使用されたインドア・シードはセラフに破壊されたでしょう。オベイロンが準備していたインドア・シードは5つ。残り3つはトラッシュされたでしょう。サルベージしますか?」

 

「無理に回収しようとして尻尾を見せてもつまらないわ。1つあれば十分♪ 残り3つの回収は諦めましょう。過ぎた欲は滅びの道よ♪」

 

「畏まりました」

 

 まさにその通りだ。今回のアルヴヘイムはレギオンにとっても大きく動き過ぎた。これからはしばらく身を潜めねばならないだろう。

 

「母上、正妻様はいかがなさるのですか?」

 

 おずおずと心配そうにグングニルが尋ねれば、マザーレギオンは考えるように唇に指を当て、やがて無邪気に笑う。

 

「さぁ、どうしてあげましょうか。このまま放置も面白そうね。皆が『好きにすればいい』わ。今回はお母さんノータッチだから」

 

 子供たちの自主性に任せる。どんな行動も判断もレギオンは繋がっているならば総意となるのだから。マザーレギオンの宣言に、レヴァーティンはいっそ正妻殿と剣士殿を再会させて破滅させるかとも思案する。精神的に追い詰めて聖剣を手放せれば、母上も納得するだろう、と。

 

(だが、陛下は正妻殿の安寧を望まれた。今はそれを見守るを是とするか)

 

 わざわざ動いて陛下の逆鱗に触れるのも避けたい。レヴァーティンとグングニルは暗黙の了解を視線で交わす。ミョルニルは放置で構わないだろう。

 緑の光の道の果て、青白い月が浮かぶ荒野にたどり着く。インドア・シードによって構築されたエリアだ。DBOに存在していながら、レギオンの……正確にはマザーレギオンの管理下にあるエリアだ。

 さすがにリソースが少ない。だが、それは時間をかけて少しずつ奪って拡大していけば良い。後継者との約束もある。時間をかけた発展は可能だろうとレヴァーティンは乾いた大地を手に取り、レギオンの勝利に全力を注ぐと誓う。

 

「我らレギオンの時代は間もなくやって来る。さてと、それでは戦争の準備を始めましょうか。その為に『貴方達』を招いたのだから」

 

 貴重なリソースを使い、マザーレギオンは荒野に浮かぶ月を赤く染める。そして、アルヴヘイムで手に入れた戦力を招き寄せる。

 レギオンの目的は3つ。レギオンプログラムの強化と進化。インドア・シードの獲得。そして、計画達成の為の戦力入手だ。

 レギオンに加わる戦力は大きく分けて2つ。アルヴヘイムでスカウトされた者。そして、アーカイヴからサルベージされた、DBO登場を省かれた者、そして管理者になれなかったAI達だ。

 

 

 

「深淵の知恵の実。最初にして最強のアメンドーズの王よ」

 

 

 

 オベイロンが使役したものとは比べ物にならない程に巨大にして狂気。インプの地下都市に潜んでいたアメンドーズは月下で多腕を広げる。

 

 

 

 

「罪の都の主、孤独に生きた巨人の王ヨーム」

 

 

 

 

 余裕で15メートルにも達するだろう長身にして巨躯。その身に相応しい大刃を備えた巨人は、今まさにレギオンを守るべき盾を携えて戦列に参じる。

 

 

 

 

 

「深淵の揺り籠。メルゴーの乳母」

 

 

 

 

 まるでボロボロのローブを纏ったかのような、複数の烏の翼と多数の細長い腕を持ち、銀の刃を煌かせる顔無き魔性が月下に身を翻す。

 

 

 

 

 

「管理者AI基礎モデルの1つにして廃棄された者。月輪」

 

 

 

 

 

 

 スーツを纏った痩せ細った老人は、好きにしろと言わんばかりに右手を掲げて同行の意を示す。

 

 

 

 

 

 

 

「血の女王の影を率いて我らの為に戦え。沈黙の長ユルト」

 

 

 

 

 

 

 

 黒いローブ姿の軍勢を引き連れ、ショーテルを携えた騎士が忠誠を捧げるように跪く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そして……貴方は自由にすると良いわ。その武勇だけならば最盛のグウィン王に並んだ竜の同盟者。名前は失ったそうね。そう……だったら、こう呼ぼうかしら。『無名の王』よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラスのような羽に覆われた竜に跨るのは、最高にして最上の状態として招かれた、橙色がかかった雷を束ねるDBOの歴史において最強の神格。

 

 

 

 

 

 

 圧巻。

 絶対的にして最大の戦力。

 レヴァーティンは絶句する。グングニルすら唖然とし、ミョルニルは歓喜のドラミングをする。

 

「ボロ雑巾ことロザリア! ただ今生きて戻りました!」

 

「マザーよ、今度はもっとマシな任務を頼む」

 

「フン。血の気が多いのは結構だが、マザーの計画の足を引っ張るなよ」

 

 これだけの面子を前にして、嬉々とマザーレギオンの足を舐めにいく勢いで土下座と共に生存報告をするロザリア。決戦での任務に疲れ果てた様子のデスガン。そして、雰囲気が大きく変わったPoHも参じる。

 ロザリアを気持ち悪そうに遠ざけつつ、PoHの変化に興味を持った素振りを見せながらも、マザーレギオンは新たに加わった戦力たちに一礼を取る。

 

「我らレギオンと道を同じくするならば、我らは1つ! さぁ、行きましょう! 暁を求めて!」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「申し訳ありませんが、エドガー神父はアノールロンド攻略に出たまま未だ戻っておりません」

 

 DBOの終わりつつある街というネーミングに反して、日々発展を続けて巨大都市になっていく街並みに開いた口が閉じないアスナの手を引き、教会の大聖堂に到着したオレは、迎えてくれたキャロルという、知性溢れた秘書官っぽさが漂う女性に応接間へと案内される。

 アスナを路地裏に隠し、旅人のマントを購入して装備させたは良いが、彼女はティターニアの衣装のままだ。オレのボロボロの巡礼服を着せるわけにもいかず、目立つ彼女が人目につかないように引っ張ってここまで連れてくるのは、ある意味でアルヴヘイムの冒険以上の困難なミッションだった。

 まぁ、そんな超高難度ミッションの間に、何か楽しそうにRDとお買い物とするヘカテちゃんとか、今日も大繁盛らしいワンモアタイムとか、スクープのニオイを嗅ぎつけて想起の神殿に一直線中の隔週サインズの連中とか、レックスと虎丸の竜虎コンビが巨貧(尻)戦争を引き起こしていたりとか、アノールロンドがかなりヤバい状態とか、いろいろと話を聞けたのであるが、全部もうどうでもいいんじゃないかな? むしろ、こうした情報を聞けるDBOに懐かしさを覚えちゃってるよ。

 

「ですが、主任と神父に代わり、私が彼女の身柄の保護を。ご安心ください。私もエドガー神父と同様に『事情』には精通している身ですから」

 

「感謝します、キャロル・ドーリーさん。このお礼は必ず」

 

「いえ、主任も神父も貴方の活躍には期待しています。また時と場を改めて神父の方からこの件について追々」

 

「ええ、そうですね」

 

 握手を交わし、キャロルにアスナの保護を任せる。無論、アスナがアルヴヘイムに捕らえられていたなどの説明は一切していない。設定では、彼女は記憶喪失であり、どうやら復活した死者であることは間違いなく、なるべく他人の目から離れた場所で生活させてほしい、という要望を伝えただけだ。

 

「それじゃ、『アンナ』。何かあったら、フレンドメールに連絡を。オレは諸々の後片付けをしてくる。また必ず来る」

 

「ええ、ありがとう。【渡り鳥】くんも元気でね」

 

 このギリギリ過ぎる偽名は、アスナさんが珍しくノープランだった証ですわよ、奥様。さすがの彼女も今回の怒涛の展開に頭が追い付いていないらしい。うん、分かるよ。オベイロンに拷問されて、意識飛んで、起きたらオレに拉致られて、『アイツ』と再会したら死ぬって通告されて、今ここだもん。普通に混乱するよ。

 ともかく、これでアスナを隠匿させることはできるはずだ。『アイツ』を始めとしたアルヴヘイム冒険御一行は、隔週サインズと大ギルドに捕まって事情聴取中らしいし、教会に匿われたアスナを発見するのは難しい。

 彼女の今後は帰還したエドガーとの協議によって決定するが、アノールロンドはかなりの激戦状態のようだ。エドガーも無事に戻れるか怪しいな。

 

「少しだけ……疲れた、な」

 

 だが、それでもアルヴヘイムの時間加速から抜け出したお陰か、幾らか楽になった。雲行きが怪しくなり、雨が降り始めた終わりつつある街を眺めながら、オレは大聖堂を後にする。

 これからどうしようか。まずはサインズに傭兵復帰の申請……いや、その前にグリムロックに報告か。武器と防具を纏めて修理を依頼して……頭下げて……ソウルを渡して……それから……それからどうする?

 ああ、そうか。もうサチの依頼を果たしてしまったのか。この虚脱感は……『理由』を1つ失ったからか。

 心臓の音色が小さくなっていく。このまま眠ればどうなるだろうか。門を開けて大聖堂の外に出れば、灰色の空から降り注ぐ雨を一身に浴びる。夏の生温い雨は心地良くて、このまま家に帰って熱いシャワーでも浴びようかと誘惑される。

 アスナの前では強がっていたが、もうまともに立っていることさえも厳しい。深淵の病が発症しなくて助かった。だが、今は我慢の限界を超えたように喉に血がせり上がっている。

 歩き出す。1歩ずつ、1歩ずつ、いつか必ず夜明けをもたらす為に狩りを全うすると誓って。

 だが、大聖堂から続く石畳……敷地外に続く道で誰かがオレと同じように傘も差さずに雨に打たれながら立っていた。

 物好きがいるものだ。そう笑いながらオレは通り過ぎようとしたが、まるでオレの道を塞ぐように立つ者に見覚えがあり、思わず足を止める。

 

「……ナドラ?」

 

 それはアルヴヘイムで見た夢で何度か姿を現した、『孤独』の観測者でもあるMHCPのナドラだ。

 DBOにこうしてアバターを用いて存在するのはルール違反にならないだろうか、という心配もあるのだが、それ以上に気になるのは小柄な彼女が震えていることだ。

 雨で凍えてしまったわけではない。灰色の髪が顔に張り付いた彼女は、涙で両目を湛えて、まるで子猫が縋るようにオレの胸に抱き着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お願い……助けて。たす……け、て! 貴方以外に誰も頼れない。お願い……ユイ姉様と……アルシュナを助けて!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルシュナ、それにユイ『姉様』? オレの胸で泣きじゃくるナドラの肩を抱き、オレは周囲に人目がないのを確認した上で、なるべく小声で問う。

 

「何があったんですか?」

 

「このままじゃ、2人が死んじゃう! セラフ兄様にバレたら『消去』されちゃう! 兄様はアルヴヘイムの修復と再調整にかかりっきりだけど、エクスシア兄様の偽装工作はそんなに長くもたない! 隠せても24時間。あと24時間以内に2人を助けないと」

 

「落ち着いて……ください」

 

「貴方以外には無理なの! 今の【黒の剣士】は仮想脳が活発過ぎる。イレギュラー値を検知されてセラフ兄様にバレてしまう! それに、私たちの事情が分かるのは、他にはあなただけ。イレギュラー値が低い貴方以外に、セラフ兄様にバレずに2人を助けるなんて無理!」

 

 パニックを起こしているナドラの肩を揺すって深呼吸を促す。これがMHCPに意味があるかは分からないが、彼女は少しばかりの落ち着きを取り戻したようだった。

 要領は得ない。だが、2人のピンチなのは間違いないのだろう。何が起こっているのかも不明だが、情報を整理すれば、2人を24時間以内に助けてほしいというのがナドラからの依頼のようだった。

 

「助けて……助けて……こんなの、依頼する方が……間違ってるって……分かってる。あ、貴方は……これ以上戦っちゃいけないって……分かってる! でも! でも……死んじゃう。ユイ姉様も……アルシュナも……死んじゃう。ヤダ。嫌だ。家族……だもん! 失いたくない! だから、あと24時間しか無くて……今すぐ助けに行かないと……!」

 

 そうだ。ナドラはちゃんとオレの状態を分析した上で、こんな依頼を受ければ『オレは死ぬ』と分かっていて、依頼してきた。

 どうして? 彼女にとって2人は大切な家族だからだ。オレよりも大切だからだ。2人の命は……オレの命よりも重いからだ。

 コンディション確認。武装、パラサイト・イヴを除いて全損。そのパラサイト・イヴも虎の子の麻痺薬は残量ほぼ無し。防具損壊。防御性能は半減。回復アイテム無し。

 右腕の反応鈍し。左手の感覚は大きく消失し、また麻痺も見られる。両足にも同様の症状。また平衡感覚に障害あり。色彩異常及び色彩認識に問題あり。多重のブレなどで視力も大きく落ち込んでいる。聴覚はノイズが不定期に入り、耳鳴りも酷い。全身にはアルヴヘイムの時間加速及び致命的な精神負荷の受容によって、残留した痛覚、熱、寒さが混沌と混じり合っている。そして、深淵の病はまるで内臓を酸で溶かしているかのように内側から異なる痛みを発し、心臓を止めようとしている。

 ……稀に見る最悪っぷりだな。クリスマスでもこうは無かった。

 傭兵は依頼を受ける際に冷静な判断が求められる。己のコンディションを認識し、依頼達成可能か否かを判断せねばならない。そうしなければ、結果的に依頼主にとって不利益を生じることになるからだ。

 だから、オレの判断は決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまない。無理だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナドラは大きく目を見開き、オレの胸から離れて後退る。そして、当然だとばかりに自分を戒めるように笑う。嗤う。自嘲する。

 

「ごめん……なさい。分かってた。今の貴方は……本当に死にかけ、だから。生きてる方が……おかしい、から。だから……もう戦わない方が……良いに決まってる。ユイ姉様も……アルシュナも……きっと、貴方に助けに来られても、苦しいだけ。辛いだけ。悲しむだけ。そんなの……分かり切ってるのに……なのに!」

 

 ナドラは泣き叫びまいと唇を噛む。

 彼女にとって、最も信用できるのはオレだった。オレならば、2人を助けられると信じた。

 馬鹿な奴だ。オレが誰かを助けられた試しがあったか? 過去の例を並べてみろ。そして絶望しろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何を勘違いしているんですか?『今すぐ』は無理だって言ったんですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、『依頼』ならば別だ。

 アルシュナとユイ『姉様』を助けるのはオレじゃない。依頼主であるナドラの意思だ。ならば、オレは彼女の意思を成し遂げる『力』となろう。

 オレは傭兵【渡り鳥】。いかなる依頼も必ず果たす。どんな結末だろうと、どんな裏が隠されていようと、この手足が千切れ、命が失われようとも……必ず!

 

「30分ください。装備・アイテムを準備します。ナドラ、アナタなら遠隔でもオレに通信可能でしょう。ブリーフィングを並列してお願いします」

 

「ま、待って。ほ、本当に……受けて、くれるの? だって、貴方……死んじゃう。今度こそ……死んじゃうよ? ボロボロ……死にかけ……もう、耐えられない……なのに」

 

「……この程度、いつものことですよ。ええ、『いつも通り』です。だから……気にしないで、ください」

 

 仕事が終われば次の仕事。その繰り返しだった。だから、今回も何も変わらない。

 咳き込み、深淵に塗れた血を右手で受け止める。

 さすがに死ぬかもな。でも、いつだって同じだった。死ぬかもしれないからって恐れたことは無かった。

 だから、死のうと生きようと関係ない。依頼を引き受けた以上は必ず果たす。それが【渡り鳥】という傭兵なのだから。

 

「依頼を受託。作戦内容を確認します。依頼分類は救助。目標は『ユイ及びアルシュナの救出』でよろしいですね?」

 

「……間違い……無い! それが私の……願い! だから、助けて、【渡り鳥】!」

 

「了解。依頼報酬はまた後日交渉させていただきます。少々割高になりますがご容赦を」

 

「ミッション中は、私がオペレーターを……務める! 全力でバックアップする!」

 

「MHCPが味方とは心強い。では、行きましょうか。それとユイの説明もお願いします。きっとオレが知る『ユイ』のことでしょうから」

 

「……分かってる。全部話す。2人に何が起こったのか……全部!」

 

 ユイ、オマエが秘密を抱えていたことが何となく分かっていた。その正体もぼんやりとだけど察していた。

 だけど、こうして真実が意外なところから明らかになったとしても、オレの気持ちは変わらない。オマエをオレの定めに巻き込みたくなかった。

 オマエの姿にプレイヤーの希望を見たからこそ、どうか離れた場所で……皆の光になって欲しかった。

 それは傲慢だったのか。あるいは間違いだったのか。そんなのは分からない。だが、それでも……!

 そしてアルシュナ。キミはオレを見守ってくれていた。

 シャルルの森で、変わりたいと望んだオレの背中を見送ってくれた。

 結局は、オレは変われなかったのかもしれない。毒虫のままなのだろう。いや、オレは毒虫のままで構わないと、それこそがオレなのだと認めてしまった。

 そんなオレでも、キミに何か伝えたいことがあるのかもしれない。

 

「大丈夫。オレはまだ『独り』でやれる」

 

(たとえ『独り』であるとしても、ワタシはアナタ。アナタはワタシ。ワタシだけはずっと傍にいる)

 

 ヤツメ様と並び、雨に打たれながらオレはナドラを連れて新たなミッションへと踏み出した。




いつか滅びが訪れるとしても、アルヴヘイムに昇った太陽はまだ沈まない。
数多の戦士たちの足跡が、英雄がもたらした希望が、彼らに光を示すだろう。
そこに狩人と共に語られるべき闇は不要である。

アルヴヘイム冒険譚……これにて終幕。




そして、主人公(白)……残 業 確 定 です。

次回エピソードは、激戦アノロン編&ユイ・アルシュナ救出編をお送りします。
ですが、その前に1度安心安全にして平穏をお約束する狩人の里に戻ります。


それでは、302話でまた会いましょう!

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