SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

剣に憑かれた鬼、故に剣鬼である。


Episode18-42 正義の名の下に

 リーファと真紅の女騎士の戦いは膠着状態にあった。

 アルフ達は続々と各所の暴動の対処に追われ、また女騎士の命令で戦闘に加わらなかった事で数の不利が生じなかった事もあるが、2人のハイレベルな空中戦に参加できなかった部分が最大の要因だった。

 ALOでも名の売れた剣士だったリーファにとって空中戦は慣れ親しんだ舞台であり、そのノウハウは今も健在である。対する女騎士は彼女の視点から見れば空中戦に不慣れであるようであるが、秒単位でこちらの動きを『学習』しているように機動が合理的なものになっている。

 

(目的はお兄ちゃんが約束の塔までたどり着くまでの……アスナさんを助け出すまでの時間稼ぎ! だけど……!)

 

 この女騎士……不気味過ぎる! リーファはALOのみならず、DBOでもトップクラスの剣技を誇り、サクヤの方針で『なるべく目立たない』が無ければ大ギルドのスカウトマンが大金と好待遇で引き抜きにかかる程の腕前だ。不足しているのはレベルと最前線の経験だけであり、それを除けば素質・素養共に最高級品である。何よりも彼女はスポーツマンとして、長年に亘って親しんできた剣道においても全国レベルの腕前である。それは少なからずの彼女の土台になっていた。

 そして、そんな彼女だからこそ分かる。女騎士の動きは実に奇妙なのだ。まるで『何か』に『引っ張られている』ような動きが多過ぎる。DBOでも対人戦において偶然的超反応を示せる機会は決して少なくないが、女騎士はリーファが死角を取っても人外級の反応でガード・迎撃してくるのだ。そして、それは女騎士の意図したものではないような雰囲気がある。

 

「もう飛行時間も残り少ないんじゃないかしら? 高度を落とした方が良いわよ」

 

「ご親切にどうも。でも、あなたこそ余裕が無くなってきたみたいね!」

 

 かなりの手練れの女騎士は自分が優勢のはずなのに焦りを滲ませている。リーファは空中戦の醍醐味であるヒット&アウェイによる三次元高速戦闘を展開する。速度は軽装のリーファの方が上であり、DBOでは最高速度はDEXと装備重量の兼ね合いなのか、平均速度は依然としてリーファが上である。本来ならば約束の塔まで振り切るのは難しくないかもしれないが、直線的な軌道を取れば遠巻きで見守るアルフ達の射撃の的になってしまう。

 女騎士の指摘通り、リーファに残された飛行時間は僅かだ。日光を浴びる事によって飛行時間は回復するのだが、この雨天では通常よりも回復速度が大きく落ち込んでおり、大司教領までの移動で使いきっていた。その点で言えば、アルフ達が十分に飛行能力を駆使できるのは何らかのアイテムを保有しているからだろう。

 そして、唯一の切り札になり得る飛行能力というアドバンテージも相手がアルフならば無効化同然だ。

 何よりもALOとは空中戦の意味合いが違う。ALOの主役は魔法であり、接近戦装備は高火力ではあるが、自動ロックオンと高い追尾性能を誇るALO魔法からすればサブウェポンという位置づけが大きい。無論、魔法を駆使してなおかつ接近戦主体で戦うプレイヤーも存在したが、いずれも熟練した、あるいは卓越したプレイヤーばかりだった。その中でも剣を主体にして戦っていたプレイヤーで有名だったのがユージーンである。

 そして、DBOの魔法の過半は自動ロックオン機能はない。たとえば浮遊するソウルの塊のように、自分の周囲に魔法弾を展開し、接近した敵に自動追尾する魔法は存在する。だが、大半の魔法は発動時のフォーカスロックに追尾性は依存する。逆に言えば、発動時を除けばフォーカスロックし続ける必要はないとも言えるが、発動モーション・実際の発動までのラグ・それぞれの魔法の追尾性能の兼ね合いもある。

 基礎的なソウルの矢からして相応の追尾性能を持つものが多い魔法に対し、奇跡は総じて追尾性能は低く、弾速重視だ。特に雷の槍系は追尾性能は低い代わりに速度は凄まじく、距離次第では回避が困難だ。

 奇跡と剣を操るアンバサ戦士のリーファは剣を主体に戦いつつ、奇跡の補助を使う。フェアリーダンスのメンバーで奇跡使いが多いのは生存重視の方針だからであり、攻撃よりも回復・補助が優秀な奇跡は自身と仲間を救うのに有用だ。リーファも例に漏れず、使用する奇跡の大半は補助である。

 攻撃系の奇跡でセットしているのは接近戦で高威力を発揮する雷の杭、パンチにフォースを付与する拳のフォースだ。どちらも近接戦用であり、空中戦前提ならば完全なチョイスミスである。雷の杭も最前線のアンバサ戦士……特に傭兵のグローリーが用いるような雷の槌といった上位版も保持していれば変わったのだろうが、どれだけ実力は高くても中立の『中小ギルド』である以上は得られる機会は無かった。

 市販されている奇跡はどれも初歩なものばかりであり、イベントクリアで得られる奇跡も大ギルド自体がイベントを独占・管理する事によって恩恵は陣営入りしない限り、それこそ大金でも積まないと得られない。横流しの奇跡書は当然のように手が届かぬ高値がつく。

 大ギルドが……いや、全てのプレイヤーが協力し合えば、DBOの攻略はもっと迅速に、犠牲も少なく行われたのでないだろうか? SAOの時と決定的に違う点として、DBOは各VRゲームタイトルのトッププレイヤーの多くが参加していたこと、VR慣れしたプレイヤーが過半であること、そして少数ながらもSAOを生き抜いたリターナーがいること。それらはデスゲームをクリアする上でプレイヤー側に与えられた大きなアドバンテージだったはずだ。

 だが蓋を開けてみればプレイヤー同士で争い、大ギルド内では更に派閥争いが勃発し、設定に過ぎない誓約の違いでいがみ合い、ついには宗教さえも立ち上がる始末だ。

 

『現実の戦争でも国どころか地域共同体1つとして一致団結が稀なんだ。「デスゲームをクリアするために皆で手を繋いで仲良しこよし」なんて土台無理なんだろう。だから、私は中立を目指すよ。欺瞞で幻想に過ぎないかもしれないが、私の守りたい人たちくらいはプレイヤー同士の戦いに巻き込みたくない』

 

 フェアリーダンスが中立を目指すと決定した夜、疑問をぶつけたリーファにサクヤは粛々と告げた。

 それが現実なのだ。『仮想世界』で『現実』を何度も何度も突きつけられる。誰もが夢を見られる魔法の世界で、現実世界以上に『現実』の重みを味わう。

 

(剣技も飛行技術もこっちが上。でも、よくわからないけどこれ以上戦ったら駄目な気がする!)

 

 多少強引でもここは攻め切る! リーファは急反転し、追跡していた女騎士に向き直る。まさかの反転に反応が遅れた女剣士は迎撃の構えを取るが、それこそが狙いだ。

 リーファは女騎士の短剣の連撃を翅を使ったブレーキで間合い外で空振りさせ、急加速しながら右手の剣の連続突きを放つ。女騎士は捌き切れず、胸部に3つの風穴を作り、そこから血を垂らす。1発は左胸……心臓に命中し、クリティカルダメージも入ったはずだ。軽い突きではあったが、ダメージは十分過ぎるほどに叩き出したはずであり、今こそ更なる攻撃を……それこそソードスキルで畳みかけるチャンスだった。

 途端にリーファは体を僅かに硬直させる。激しい雨の中でも易々と洗い流されない血の赤色がこびり付いた自らの剣に怯えてしまう。

 アルフとの戦い。それは限りなくプレイヤー同然の……『人間』との戦いだ。ならば、そのHPを削り尽くすことは『殺人』に他ならない。

 リーファは卓越した剣士である。純粋な技量だけならばDBOでも最上位に食い込める。だが、彼女には経験が足りなかった。モンスターとの死闘はあっても、生死をかけた対人戦の経験が圧倒的に足りなかった。

 それが判断ミスを起こす。同じHPを減らす攻撃でも血を流させて生々しく感触が指に伝わってくる斬撃ではなく、相手を焦がして貫く雷の杭を選択してしまう。そして、雷の杭に対して短剣の方が圧倒的に速度が上であり、また隙が小さいのも当たり前だった。

 本来の雷の杭は攻撃後も地上に接触すれば雷属性の攻撃が付与された余波を放つ事でカウンターの隙を減らすことができる。だが、空中戦において空振りしても、奇跡の設計にそぐわぬ不発で終わる。

 攻撃への恐怖心。それは血という明確な形で精神を変調させたが故の判断ミス。これがDBOの通常ダメージエフェクト……血にこそ似ているが非なる赤黒い光のエフェクトだったならば、まだ彼女にこのような恐怖心が生まれることはなかっただろう。

 

「あら可愛い。殺しの恐怖も知らずに剣を振るっていたのかしら。ちょっとは自覚したらどう? あなたの剣は相手の命を奪うに足る立派な『凶器』なのよ」

 

 雷の杭を外したリーファの背後を取った女騎士が耳元で嘲笑する。短剣は暗器ほどではないが、クリティカル部位に高い補正をかける。リーファが死の恐怖を覚えるより先に、翅の生え際である肩甲骨周辺を荒々しく『削る』連撃がダメージフィードバックと共に襲う。

 

「お兄ちゃん……あたし――」

 

 翅が散っていく。飛行状態を維持できず、リーファから浮遊感が消失し、緩やかに墜落していく。

 無情に見下ろす女騎士を雷雨の中で見つめながらリーファは傷口を刺激する木々の木の葉に衝突し、それがクッションとなって減速しつつ地面に叩きつけられた。

 HPは落下ダメージも合わせて7割減少。黄色のカラーリングに変化したHPバーとアルヴヘイム特有の流血ダメージではあるがHP減少も続いていた。また、落下の衝撃の際に左手首があらぬ方向に捻じ曲がってしまっていた。

 痛覚はない。だが、それでもDBOのダメージフィードバックはプレイヤーの動きを鈍らせる程だ。それは不快感と呼ぶしかない、痛覚の代用として準備された後継者の悪意だ。脳髄と神経をミキサーされるような不快感が背中と手首から広がり、リーファは追撃から逃れるように雨濡れの木々の狭間をフラフラと歩く。だが、女騎士も他のアルフ達も降下してくる様子はない。飛行能力が活かせない森での戦いを躊躇しているのか、手負いのリーファを捨て置いているのかは不明であるが、回復のチャンスは今しかなかった。リーファは折れた手首に唸りながら中回復の発動モーションを起こし、自身を温かな山吹色の光で包んでHPを回復させる。

 負けた。負けてしまった。それ自体は仕方ない事だと割り切れば良い。不敗の最強剣士ではないのだから。

 だが、リーファの震えは止まらない。今まさに自分が死にかけたこと、そして殺人への恐怖が体を震わせていた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ミッションクリア。兜を外したロザリアは、それこそスタミナ切れなのではないかと疑う程に息が荒く、まだ涙目だった。

 慣れない空中戦において、ALOでも実力ある剣士だったリーファを相手取るのは彼女にとって大きな不利だった。また、与えられた新装備についての熟達する暇も無く戦場に出されたのである。彼女からすれば『死んで来い』と命令されたようなものだった。

 だが、それ以上におぞましかったのは自分が装備した甲冑である。見た目は光沢ある金属質であるが、『内側』は違う。イソギンチャクを想像させるような細かい触手が隙間なくびっしりと生えて蠢いているのだ。それは装備者の肌を余すことなく、まるで愛撫するように絡みつく。

 レギオン・アーマー。『装備』として開発されたレギオンである。限りなく純度を落としたレギオンプログラムを搭載し、使用者にシステムアシストという形でレギオン特有の超反応を付与するというものだ。それは敵性対象のデータを蓄積することによって際限なく使用者をサポートする。

 

『グングニルが「影」に殺戮本能を搭載して切り離しているように、これは装備に搭載することによって「人間の使用者」のレギオンプログラムによる汚染を最大限に防ぐことを目的としているわ。王様にお願いされた「人間の軍用モデル」開発のお題目で作ったプロモーション目的のお遊戯品だけど、性能はそれでも破格のはず。ただし、同調すれば汚染が始まる。そうでなくとも、最終的にはレギオン・アーマーの方が「主体」になって使用者を振り回す』

 

 確かに性能は凄まじかった。戦士としての実力は低いロザリアでもリーファと剣戟できたのは、武器の性能のお陰ではない。炎と雷の刀身を形成する2本の短剣……【ML Design Model:N01 Dobule Face】は単体の攻撃力は極めて低い双短剣だ。本体の火力もそうであるが、リーチを伸ばす炎や雷もほとんど見かけだけでダメージは削り程度しか狙えない。クリティカルボーナスも低く、相手の急所を突き刺しても短剣にしては火力が引き出せない。

 ロザリア本来の戦闘スタイルは誰かを戦わせて自分は鞭や投げナイフでじわじわ削り、背後を取って背中を短剣で突き刺す。もしくは策を用いて油断させて急所を貫くといった、正面切った戦いとは無縁のものだ。不得手と言っても良い。戦闘の才覚がないとも言える。

 そんな彼女の為に開発された削り特化の双短剣は使い方次第では強力な武器になるのだろう。だが、彼女の精神さえも削りに来る名称だ。ダブルフェイス……つまりは『裏切者』であり、こんな名前をついた武器を堂々とオベイロンの目前で携帯せねばならないロザリアの心中は察する必要も無いだろう。

 だが、それはこの甲冑に比べれば生温い。レギオン・アーマーは確かに性能『だけ』をみれば傑作だろう。ロザリアのような戦士としての資質が足りない者でもリーファ級とも斬り合える程の補助を与える。レギオン特有の超反応の恩恵はリーファとの剣戟でも十分に発揮された。これがプレイヤー全体に広まれば、それだけで死亡率は大きく引き下がるだろう。

 しかし、内側の触手はともかく、ロザリアは『人間として』こんなものがDBOに……いや、世に広まってはいけないと危惧する。僅かな戦闘の間にレギオン・アーマーはリーファの動きを学習してフィードバックし、ロザリアを半ば『操り人形』にしてしまっていた。

 ロザリアはレギオンプログラムに強い恐怖心を抱いている。故に抗わずに振り回されるままだったが、より効率的に運用しようと意欲的なプレイヤーならば……無知なる人々ならばレギオン・アーマーと同調しようとするだろう。そうなれば、レギオン・アーマーは容易く使用者を汚染し始めるはずだ。レギオン化はさすがに無いはずであるが、それでも暴走状態になって最悪でもなく順当に精神崩壊……などはあり得るかもしれないとロザリアは怯える。それはサクヤ以前の、レギオンプログラムの搭載実験を見続けたロザリアだからこその意見だ。

 オベイロンが手配した、現実世界で調達した数多の『脳』。レギオンプログラムによる汚染が開始されると、まずは第1段階で安定するまでもなく発狂して精神崩壊する。サクヤは並外れた精神力、そして発達した仮想脳が抗体として働き、第1段階から安定期に入ったのだ。

 

(……マザーレギオン様は既にAIやフラクトライト状態の死者たちだけじゃなく、脳を持つ生者さえも『ソフトからのアプローチ』でレギオンプログラムで汚染する事を『可能』とした。オベイロン、この意味が分かっているの!?)

 

 今もオベイロンは精力的にマザーレギオンの実験に協力している。それはアルヴヘイムの住人……フラクトライト製AIの提供に止まらず、現実世界から調達した文字通りの『人的資材』、そして設備にまで及んでいる。それはオベイロンの目的の為でもあるのだろうが、マザーレギオンはそれらを利用して何かを企んでいる。

 実験によるサクヤの……いや、『肉体ある生者』のレギオン化に成功。次いでレギオン・アーマーで『生者の汚染の容易化』したレギオンプログラムの開発に着手し始めた。ロザリアは純粋に『人間として』恐怖を禁じえない。それと同時にレギオン陣営にいるという奇跡的待遇に『人間として』安心感を覚える。

 相反する人間的感情。それは矛盾せずに溶け合っていた。そして、彼女は思考を放棄する。今は死ぬ気で働いて出世せねば明日があるかも不安な毎日なのだ。人間の未来など知ったことか。そんなものは高給取りのお偉いさんや英雄様のお仕事だ。ロザリアに出来るのは、今いるレギオン陣営で四苦八苦して生き延びることである。

 

(翅があれば落下ダメージは大きく軽減されるし、木々がクッションになる地点を選んだから生きてるはず。翅の発生に関与した肩甲骨周辺を抉ったからしばらく飛行不可。生存した状態で戦闘続行困難に追い込んだわ。仕事としては及第点のはず)

 

 何よりもレギオン・アーマーの恩恵があってもリーファに勝利できるはずはない。事実としてロザリアのHPは大きく削られていた。リーファが『殺人』への躊躇と恐怖がなければ、ロザリアはソードスキルを叩き込まれて窮地に、あるいは致死まで追い込まれていただろう。

 だからこそ甘く可愛らしいものだ。どれだけ実力があろうとも、殺し合いの舞台に上がれる精神が出来上がっていない。土壇場で殺す事への恐怖心を抱けば、それは逆に喉元を食らい千切られる隙を生む。事実としてロザリアにはあの局面で翅を抉る『だけ』に止めた。本来ならば片方で心臓を貫き、もう片方で喉を切り裂いていたところである。

 

(見栄えの良いペットの大型犬よりも、野良の小型犬の方が牙の扱いに長けているものよ)

 

 とはいえ、このような命懸けの仕事はなるべく控えたい。あくまで状況的に圧倒的勝利を得られる環境を作った上で仕留めるのがロザリアの好みだ。

 

「ロザリア様、裏切者はいかがなさいますか?」

 

「捨て置きなさい。翅は抉れた。もう飛べぬならば地上の者でも対処は難しくないはず。それよりもお前たちは各所の援護へ。この騒乱、オベイロン陛下への侮辱に他ならない。全力で駆逐せよ!」

 

 命令を求めてきたアルフ達にリーファの追跡は不要と連絡し、各所で起きた混乱……自爆者たちによる爆発騒ぎにアルフを派遣させる。地上の過半の警備隊もこれの対処に追われている。無論、これもマザーレギオンの仕込みだ。正確に言えば、この自爆者達を準備したのはPoHである。

 あの犯罪王は何をしでかしたのかは知らないが、短期間で貧民たちを死を恐れぬ先兵に洗脳した。そして、恐怖を紛らわすために麻薬系アイテムを使わせている。日々の暮らしでも飢える彼らに燻ぶっていた『富める者』への憎悪……それをそのまま反オベイロンに先導した挙句に自爆させるとは、端的に言って非道だ。

 だが、援護してくれるならば猫だろうと犬の手だろうと借りるのがロザリアの生き抜き方だ。プライドを優先して死ぬなど彼女の流儀に反する。相手が善人だろうと悪人だろうと使えるものは使わねば損だ。

 生き抜きたい。少しでも幸せになりたい。たとえ多くの犠牲を生むとしても。それの何が間違っているというのだ? ロザリアはそう唾棄する。自分以外の誰かが誇りなんて曖昧なモノの為に死ぬのは結構であるが、そんなくだらない生死の枠組みに押し込まないでもらいたいのだ。

 

(さて、次はリーファの脱出に手を貸さないと。ボロ雑巾から雑巾にランクアップまでの道のりは遠いわ。明日を生き抜くために、今日も死ぬ気でコツコツと点数稼ぎよ)

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 部隊編成は計画通りにいった。内心で嗤いを禁じえないまま、レコンは自分の思い通りに班分けが成功したことに自尊心を満たした。

 まずはシノン。彼女の能力と性格ならば単独先行を好むはず。特にUNKNOWNに固執する傾向がある今ならば、提示すれば疑問の有無に関わらず飛びつくのは予想がついた。

 次にヴァンハイト。腕の立つ老騎士であり、それ故に経験も豊富であるが、所詮は元敵陣かつ新参者だ。こちらが強く意見すれば『老いぼれ』だからこそ反論しないだろう事はすぐに想像できる。

 そして、実力的には過去の栄光はあっても今では戦績もないロズウィックならば、レベルの高く経験の浅いレコンと組む事は理に適っていると判断するだろう。

 

(戦力の分散は危険だけど、ティターニア奪還の為には隠密性を重視した奇襲こそ有用。ならばこそ、この班分けならば、誰もが本命はシノンさんだと思い込む)

 

 元よりレコンはティターニア奪還には慎重派だった。我が身を犠牲にしてもティターニア奪取を成し遂げねばならない理由はなかった。

 ギーリッシュから預かった戦力、ロズウィック暗殺に使える私兵。ヴァンハイト側に半分つけ、レコンと同行するのは4人だけであるが、ロズウィック相手ならば十分だと判断していた。

 そのはずなのに! レコンは泥塗れの汗だくになり、そして冷たい雨で全身を濡らしながら、差し出されたロズウィックの手を睨む。

 山や森を駆け回った経験などあるはずもなく、DBOの森林や山間フィールドでも基本は重装込みのパーティでのゆっくりとした移動が基本だったレコンからすれば、ロズウィックの軽やかな歩みには追いつく事さえ不十分だった。

 今は参謀役に甘んじていても、かつてはアルヴヘイムでも優れた魔法使いとして数えられ、ランスロット戦を2度も生き延びているのだ。平らな戦場から市街戦、森や砂漠まで経験がある彼からすれば、レコンの森の歩き方は都会的で、あまりにも不慣れで稚拙なものに映るのだろう。

 だが、モノクルをつけた魔法使いの紳士はそれを表面に出さずに、またレコンのプライドをなるべく刺激しないようにと無言で手を差し出している。それが逆に気に障って、レコンもまた無言で立ち上がった。

 

「レコンさんはまだ若い。少しずつ経験を積まれれば、きっと良い戦士になります」

 

 そんなレコンへと気遣いを忘れず、雨具の外套を羽織り直したロズウィックの先導に、レコンは薄暗い……いや、どす黒い感情を沈殿させていく。それは彼の心の水面を濁らせ続けるものであり、まるで重油のように粘り付いて彼の思考さえも深みに引きずり込もうとしている。

 

「そうでしょうかねぇ。僕は……才能が無いですから」

 

 自分の1歩の間に3歩は先に行っているロズウィックの背中を睨みながら、自嘲と共にレコンは吐き捨てた。

 そんなレコンに振り返ったロズウィックは雨でぬれたモノクルをかけ直す。少なからずの死闘を潜り抜けた『戦士』の眼は深い思案の中にあるように静寂だった。

 

「僕は優れた『戦士』になりたいと思いません。なれるはずもない」

 

 最初から自分に武才があると思ってはいなかった。リーファにいつも守られて、そんな彼女を少しでも支えようとして、結局はフェアリーダンスでも中途半端なスタンスだった。

 サポートの為にMYSを高めた。少しでも自他の生存率を高めるために。だが、ヒーラーにはなれなくて、中途半端にポイントを振ったSTRのお陰でアンバサ戦士を気取ろうとしても、リーファの方が近接戦と奇跡の両方をバランスよく調合できる。

 だから『都合の良い』ポジションに甘んじた。修理や生産でサポートできる≪鍛冶≫、味付けは平凡でも台所に立てる≪料理≫、近接戦で敵を怯ませる一撃を生める≪戦槌≫、程よい攻撃からバフ・回復まで立ち回れる≪奇跡≫など、いずれを取っても平凡の域だ。その他大勢。それどころか平均にすら劣るものもある。

 普通のゲームならばコストをかけた分だけ成果は目に見える形で現れるだろう。それがレベルや熟練度だ。確かにレコンのレベルもスキル熟練度も、他の中小ギルドのプレイヤーからすれば恵まれている水準だろう。だが、DBOにおいてはレベルや熟練度は確かに重要であるが、それ以上に個々人の才覚が物を言う。

 たとえば≪鍛冶≫ならば、ひたすらに武器やアイテムを作り続ければ熟練度は上昇していくだろう。だが、鍛冶屋で真に羨望と畏怖を集めるのはHENTAIとさえも揶揄される程の、凡庸の域を大きく駆け抜けた天才たちだ。彼らはその奇抜な発想と常識離れした情熱でDBOに常に革命を起こしていく。

 たとえば≪料理≫ならば、テツヤンのようなスペシャリストがいる。寡黙でコミュ力も無いのに、彼のレベルは差ほど高くないというのに、独自でレシピを開発し続けて、DBOに『美味』という味覚の天変地異を引き起こした。彼ら料理人はある意味でトッププレイヤー以上に貴重な人材であり、大ギルドさえも丁重に扱う。

 どれだけ≪戦槌≫の熟練度が高くてソードスキルが解放されていても、上位プレイヤー達の卓越した武器捌きに追いつけるだろうか? それどころか、自分よりもレベルが大きく低いプレイヤーですらも天地程の力量差を見せつける時がある。

 

「それでも僕には『力』がある。多くの人を意の動かして戦場を操れる『頭脳』だってある。そう『信じるしかない』んですよ。分かりますか? 分からないでしょうねぇ! あなたみたいな『天才』に僕みたいな『凡人』の苦痛は!」

 

 アルヴヘイムでも優秀な魔法使いとして名声を得ていたロズウィックに自分の苦しみが分かるはずもない。レコンは隠密重視という事も忘れて叫び散らす。各所で起こる爆炎、約束の塔の上空だけに生まれた鮮やかな青空……そんな変化など理解せず、理解したくなく、理解することを拒絶し、嵐の雷鳴に身を委ねる。

 殺した。殺しまくった。あの日、あの夜、僕はたくさんの人を殺した。動けない貴族たちを……罪と欲望に肥え太った『豚』共を殺処分した。あれは正当なるアルヴヘイムの為の『正義』であり、自分の行いは紛うことなき『善』なのだ。

 新生暁の翅の為に尽くす。組織を運営し、戦力を整え、オベイロンとの決戦に勝利する。そして、リーファを救い出す。その為の犠牲ならば何だって容認される。いいや、されねばならないのだ。

 その為には有能であらねばならない。自分の価値を得なくてはならない。自分の存在意義を保たねばならない。暁の翅に『レコンという存在は必要なのだ』と『椅子』を死守し続けねばならない。

 ロズウィックに、シノンに、ヴァンハイトに、赤髭に、UNKNOWNに……分かるはずもない! 彼らにはいつだって『椅子』は準備されているのだから!

 

「どうして僕の言う事を聞かないんだ!? 今回にしたってそうだ! ティターニアを助ける? 馬鹿か!? こんな大軍勢相手に奪還作戦!? 常識的に考えてくださいよ! 普通に無理でしょ! やる価値無いでしょ! それよりも今回の事件をどう利用するか考えるのが正しいでしょ!? 僕は何か間違ってますか!? 間違っていますかぁ!?」

 

「……キミは正しい。私も本音を言えば、ティターニア奪還の成功の目は低く、貴重な戦力であるシノンさんやヴァンハイトさん、それに『キミ』の損耗になるとも思っている。だが、同時にティターニアの動向次第では新生暁の翅はオベイロン討伐の大義を失う。この局面において、勝率が低い賭けに出るか否か。戦力損失という負の観点から見れば、キミは大いに正しい。そして、同時に間違ってもいる」

 

「……間違っている?」

 

 僕の何処が間違っているのだ!? 是非とも聞かせてもらいたいものだ。レコンは叫び散らして私兵たちを動揺させながら、あくまで穏やかに立ち続けるロズウィックを睨む。

 

「キミは戦力の損耗を恐れているのではない。『自分の損失』を恐れているだけです」

 

「……は?」

 

「私もキミの意見は尊重されるべき価値があると思っています。この作戦は余りにも分が悪い。奇襲をかけ、ティターニア様を攫い、地下遺跡に潜伏した後に脱出して暁の翅と合流など困難極まりない。ですが、私は同時に『やる価値がある』とも判断しました。『この命を使う価値がある』と思えました」

 

 自分の判断を愚かと思うような自嘲と共に、ロズウィックは頭上の雷雲を……終わりの見えぬ嵐の空を見上げる。

 

「ティターニア様の宣言がインプとケットシーの解放ならば暁の翅は大義を失いかねない。戦乱の世は終わり……我々の歩みの結果としてアルヴヘイムが『より良い方向』に変わるならば、それもまた1つの成果として受け入れるべきかもれしれません。ですが、オベイロンが深淵と与していることは許しがたいことであり、いずれはアルヴヘイムに破滅をもたらす。ティターニア様の狙いが何であれ、私達にはそれを知る術がない。ならば『事後に状況を利用する』というのは致命的な後手。戦力温存や作戦の成功率などは除外して、先手を打たねばならない局面だった」

 

「そ、それは……でも、合理的じゃない! 組織を預かる者として、その判断は間違ってると思わないんですか!? ティターニアを攫うなんて最大の謀反。下手したら民衆を敵に回して暁の翅を終わらせかねない!」

 

「『かもしれない』で動かなくて良いのは平時の現状維持だけです。そもそも私たちはオベイロンに敵対して旗を掲げた大謀反人。攫った程度が何ですか? ティターニア信徒は確かに多いですが、だからこそ彼女の一声で彼らを味方に付けられるかもしれない。それに攫っても処刑をする予定はないんです。『オベイロン王を討ち取らん大義はあっても、ティターニア様に罪は無し』と我々が高々に宣言すれば、それだけで『拉致』は『保護』に変わる。愚劣な蛮行は幾らでも美談に変えられる」

 

「それこそ仮定の話だ!」

 

「未来が見えぬ我々にとって1秒先だって仮定ですよ。これ以上は水掛け論。私とキミの『机上の空論』のぶつけ合いにしかなり得ない。もう少し情報と時間と戦力が揃っていれば、また違う結論も出せたのかもしれませんが、私たちは無い無い尽くしだったのだから仕方ない。そうやって諦めた上で行動するのも指揮を執る者に必要な非情さだ」

 

 様子がおかしいロズウィックに、レコンは腰に差したメイスを意識する。それは純粋な恐怖心であるが故に。

 

「私は言ったはずです。キミは『自分の損失』を恐れているだけだと。自分の『有能』を誇示しなければ怖くて堪らない。キミが『憧れて止まない戦士たち』を操って悦に浸る『フリ』をしなければ、キミはもう耐えられない」

 

「な、なにを言って……何を言ってるんですか!? 僕は――」

 

「私も迂闊で愚かでした。キミの心の理解を止めていた。キミが『優秀過ぎた』から、私の助言など必要ないと思い込んでいた。だけど、キミは優しく真っ直ぐだった。『正義』を欲している少年だった」

 

「そうさ! 僕は『正義』を――」

 

「レコンくん! ならばこそ、キミは引き返さねばならない! キミが信じた『正義』はそこにあるのか!? 志したのが『組織に殉じる正義』ならば、どうしてキミは『すぐに私を殺さなかった』んだ!? どうして『大好きな女の子を助け出す』という『私心』を捨てずに武器を握っている!?」

 

 ついに声を荒げたロズウィックの鋭利な刃物のように貫いてくる発言にレコンは狼狽える。

 最初から見抜かれていたのだ。今回の計画、ティターニア騒動以前からロズウィックを亡き者にしようと企んでいるレコンの思惑などお見通しだったのだ。当然だ。彼はオベイロンによって壊滅させられたとはいえ、危機感を抱かせる程に巨大化した旧暁の翅の運営に携わっていた『知略』の大幹部なのだから。

 

「私はこの道中、敢えてキミの前を歩きました。いつでも背中を刺せたはず。だが、キミは実行しなかった。彼らにも命じなかった。機を窺っていたのではなく、キミは心の何処かで『間違っている』と思っていたからのなのではないですか? キミにとって『本当に正しいこと』は何処にありますか!?」

 

 違う。そんな事ない。レコンは濡れて張り付いた前髪を払うこともせず、頭を振りながら後退する。ロズウィックの全てを見抜いた眼が恐ろしかった。姦計を看破した上で、自分に『正しさ』を示そうとするロズウィックがキラキラと輝く宝石に思えた。

 

 ロズウィックの行いは『正しい』だろう。彼は少年を導く為に、敵地のど真ん中で敢えて語り合いに望み、自らの命を懸けて説得しようとした。

 

 それはランスロットに挑んで部下を全滅させた過去を持つからか、ようやく育て上げた暁の翅さえも焦土と共に沈んだからか、盟友だったガイアスの死に様を知ったが故にか。

 

 繰り返すが、ロズウィックは『正しい』行いをした。

 

 だが、それはレコンとの圧倒的な『知略』の差を示す形で成された。たとえ、それが『最善』だとしても、常に同じく『最善』を尽くしたつもりのレコンにはどう映るか?

 

 

 

 

  

 最後の最後に縋っていた『知略』すらも、組織にとって不要となったと評価していた相手にすら圧倒的に及ばなかったという、滑稽な『能無し』という烙印。ただそれだけだ。

 

 

 

 

 

 レコンは普通の少年だった。

 リーファの事が……直葉の事が好きなっただけの、何処にでもいる少年だった。

 その恋心を抱いたままに狂気の世界に囚われ、彼女の為に殺人に手を染めた。夜盗を殺した罪を背負った。

 守ると誓っても守られ、フェアリーダンスでも中途半端な立ち位置しか得られず、それでも抗い続けた。

 リーファの事が好きだった。その為に何かすべきだと志した。努力を諦めなかった。

 ユージーンを動かした。それは彼にとっての初めての成功体験であり、あまりにも甘美過ぎる大成果だった。

 そのはずなのに、アルヴヘイムで味わうのは、ただただ自分の矮小さ。

 そして、廃坑都市という地で、数多の人々が生きたまま嬲られ、焼かれ、死んでいく光景に立った。その中で生き延びた。『弱い』はずの自分が生き延びたと我が身を呪った。

 メノウが示してくれた聖剣の探索。それは彼を戦士と認めるものだった。きっと、彼に誇り高い戦士として生き抜いてほしいという祝福だった。いつか聖剣に見えるに足る戦士になれるはずだという激昂でもあった。

 だが、彼は欲望で肥えた豚だと心を騙して彼らを一方的に虐殺した。犯した罪を後悔すれば、そのまま押し潰れてしまいそうで目を背けた。

 そして、その罪を『正義』の証明にする為に暁の翅に尽くした。暁の翅の優勢の為に非道なる作戦を提案し、多くの村々を滅ぼし、挙句に自分たちが『正義』となるマッチポンプさえも仕込もうとした。結局はギーリッシュに上手く踊らされているだけの道化に過ぎないと心の何処かでは勘付いていた。

 自分の有能さを売り込む為に『正義』を積極的に提案して働く勤労者。それは実に都合が良い『駒』だろう。いつかその『正義』が断罪される『悪』に成った時、全ての責任を背負わす生贄の羊になるのだから。

 

 レコンは普通の少年だった。

 

 彼は……普通の少年『だった』のだ。

 

 

 

 

「殺せぇええええええええええええええええ!」

 

 そして、もはや、そこにいるのはただの『正義の狂人』である。

 レコンの野獣のような叫びの命令に、ロズウィックに気圧されていた4人の私兵たちはそれぞれの得物を抜く。対してモノクルの魔法使いは静かに瞼を閉ざし、唯一の武器である魔法触媒のステッキを振るう。

 1人目の兵士が大きく振りかぶった片手剣。その手首をステッキで突く。正確な打突は片手剣を落とさせ、早々に武器を失った兵士の腹にそのまま連続突きが穿たれる。その間に背後から戦斧を振り下ろす2人目の兵士であるが、ロズウィックはソウルの剣を発動させて反転しながら薙ぎ払う。腹を裂かれながら吹き飛ばされた戦斧持ちと3人目の戦槌持ちが激突し、4人目のハルバート使いの突きは躱しきれずに肩を裂かれるも、ロズウィックは冷静に渦巻くソウルの塊を発動させる。それは魔法を警戒して下がろうとしていたタイミングに重なり、全弾直撃を受けて4人目は悶絶する。

 そうしている間にもロズウィックは動き、浮遊するソウルの塊を展開。それは自動追尾となり、彼が戦斧持ちに接近すると同時に発射され、5発のソウルの塊は余すことなく胴に直撃し、怯んだところで熟練の杖術を指南するように、膝を打って姿勢を崩し、喉を打って怯ませ、トドメとばかりに額を割る。

 背後から突進してきたハルバード持ちの突きに即座にソウルの矢で至近距離からのカウンターを決めたかと思えば、軽やかに踏み込んで左拳を腹に埋め込む勢いで振るい、体をくの字にさせたところでソウルの剣で脳天から斬り裂く。

 戦槌持ちは怯えて武器を捨てて逃げ出し、片手剣の再装備に手間取っていた最後の1人にロズウィックは杖を突きつけるとステッキの連打を浴びせ、全身を滅多打ちにした後に左肩に強烈な振り下ろしを決めて地面に叩きつけるとその背中にソウルの太矢を撃って仕留めた。

 あまりにも流麗な一連の動きにレコンは言葉を失う。レコンの見立てでは、幾らロズウィックが名のある魔法使いだとしても、4人で囲めばレベルが足らずとも『数の利』で十分に追い詰められる。そして、弱ったところで自分が仕留めるという計画だった。

 だが、レコンは根本的に見誤っている。確かにロズウィックは優秀な魔法使いであり、そのステータスもINTとPOWを高めているだろう。だが、彼は『あの』ランスロット相手に2度も生き延びたのだ。それは大きな幸運だけではなく、彼の不足なき鍛錬と『戦士』としての実力の高さがあるからに他ならなかった。

 

「……わざと1人生かしました。無事に森を脱出すれば、彼は今回の失敗をギーリッシュ殿に報告するでしょう。そして、私の口を封じるよりも『キミの権力欲に駆られた暴走』の方が『都合が良い』と判断するはず。彼は躊躇なくキミを軍法会議にかけ、なおかつこれまでの『正義』をテーブルに並べて罪を問い、処刑するはずです。その方が多くの『後腐れ』を心配する必要がありませんから」

 

「違う。ギーリッシュさんは僕の『価値』を認めている。だって、こんなに尽くしたんだ。自分で考えて、発案して、実行に移して……ほら、口だけじゃない。僕は結果を残した。残してきたんだ! そうさ。僕はリーファちゃんを助けるために――」

 

「ガイアスのように上手くはいかない。彼はきっと若者たちの為にその命を懸けて導こうとしたはず。私は彼の言った通り、頭が堅過ぎたようだ。キミの『正義』を……ここで裁くことしかできそうにないとは!」

 

 ステッキを構え、ロズウィックが間合いを詰める。彼の杖術は並外れている。魔法とのコンビネーションも近・中・遠の全てに対応した万能スタイルに仕上げている。それは彼が対ランスロットを諦めずに、このアルヴヘイムで限られた手札でも『勝利』をもぎ取らんとしてきた道のりの証。重みが違い過ぎる。

 どれだけステータスが高くても、武器が優秀でも、レコンの武技は稚拙だった。ただ振り回すだけ。ソードスキルだけが頼りの……ステータスとスキルとアイテムを頼りにした、ゲームに勤しむ『プレイヤー』の動きだ。それは『戦士』の動きとは程遠い。

 殺される。窮地のレコンは……だが、1つの奇跡を思い出す。それはこの場において唯一無二の切り札になり得る。

 

 

 

 

 

 

 それは奇跡【緩やかな平和の歩み】。範囲内の自他を含めたDEXを大幅に引き下げる奇跡だ。

 

 

 

 

 

 

 平和とはそれで良いのだ。お互いの歩みを遅くして傷つけ合わせるだけだと悟らせる。そんな『皮肉』が効いた説明文は、かつてのレコンに僅かな不快感を募らせた。

 だが、今は実に正しいと理解する。平和とは傷つけあいながら『力』が強い者が叩き潰す行為なのだ。動きが鈍ったロズウィックは、DBOプレイヤーならば奇跡の詳細を知り得て即座に決して広くない効果範囲の外に逃げようとするところを、困惑したまま判断が遅れてしまう。

 それはアルヴヘイムでも未知なる奇跡。初歩的な奇跡しかないこの地において、緩やかな平和の歩みは、多くの知識を集積している『知略』に長けたロズウィックでも対策を持ち得ていなかった。

 

「そうさ。『力』は僕の方が上なんだ! いつだって『力』がある方が『正しい』んだ!」

 

 だって、僕には『力』があるんだから。レコンは戦槌を大きく振り下ろす。DEXが落ちて動きが鈍った……ただでさえ魔法使いとしてDEXをギリギリに調整していただろう彼の回避力は大きく落ち込んでいる。受け流そうとステッキを振るうが、武器の差が大き過ぎた。彼の杖術は卓越しているが、それは武人としては一流でも、稀代の天才の域にあるわけでもなく、また主力として鍛え上げたものでもない。

 武具とステータスの差、それがそのまま2人の結末を示した。ロズウィックが杖で連打し、魔法を撃ち込んでもレコンのHPの減少は静かなものであり、対してレコンはどれだけ受け流されようとも振るい続け、それはステッキの限界に至り、ついに破壊し、そのままロズウィックの胴体を右腕ごと打ち払う事に成功する。

 

「うが……っ!?」

 

 茂る草と小石、そして泥水。その中を転がるロズウィックを嘲りながら、レコンは起き上がろうとする……HP残量を示すアイコンが早くも黄色になった彼の胸を踏みつける。

 雨で濡れて冷たく光るメイスを両手で大きく振り上げる。武器も反撃の手段も失ったロズウィックが、モノクルの向こう側で静かに瞼を閉ざした。小さく何かを……レコンに何かを伝えるように呟いたが、それは雷鳴で掻き消された。

 

 

 

 

 

 

「僕は『正しい』んだぁあああああああああああああああああああああああ!」

 

 

 

 

 

 

 

 腐った果実が地面に落ちて、中身が飛び散るような不快な音がした。

 赤く飛び散った『果汁』がメイスを染める。何度も何度も振り下ろすレコンの顔を、体を、余すことなく染め上げていく。

 砕けて飛んだモノクルの破片がポリゴンの欠片となって散っていく。

 原形が残らぬほどに潰れた『果実』は泥水の中で果肉を沈め、草木と泥土に真っ赤な花が咲いていく。

 

「あはははははははは! どうだ!? 僕の方がやっぱり『正しい』じゃないか! 僕は『正しい』から許されるんだ! 許されるべきなんだ! 僕が『悪』? アンタこそが『悪』なんだよぉおおおおお! ほらほらほら、その賢い頭で反論してみなよ! あ、ごめーん! もう『頭』が無いんだったね! あははははははははは!」

 

 腹を抱えて笑ってロズウィックの首から上が潰れた遺体を踏み躙りながら、レコンは血塗れのメイスを掲げて、自身の勝利を賛美するような稲光に身を委ねる。

 DBOはいつだって証明してきた。『力』がある者は何をしても許されるのだと。だから自分は断罪しただけだ。こんなにも『正義』であらんとする自分を『悪』に貶めようとしたロズウィックは処刑されるべきだったのだ。

 

「そもそもアンタのこと嫌いだったんだよ!『弱い』くせに気取ってよぉ! 頭だけじゃん! 僕は頭も良くて『力』もあるんだ! 僕の方が優れてるんだ! アンタに暁の翅に『椅子』が無いのは当然の時流なんだよ!」

 

 損傷が少ない胸部を何度も何度も踏みつければ肋骨が砕ける音が聞こえた。それでも飽き足らず、レコンはサッカーボールのように蹴飛ばしてはメイスを振り下ろし、まるでロズウィックが存在しなかったとするように肉塊に変えていく。

 

「僕は殺して良いんだよ! 僕には『悪』を殺す義務があるんだ! 僕は暁の翅の……アルヴヘイムの未来を守って戦って、リーファちゃんを助け出す『正義のヒーロー』なんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 ああ、汚らわしい。汚らわしい。汚らわしい汚らわしい汚らわしい! こんな『悪党』の血で僕の『正義』が危うく貶められるところだった。レコンはケタケタと顎が外れんばかりに笑いながらメイスを振り回す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何をやってるの、レコン?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、彼の壊れたように繰り返され続けた笑いを止めたのは……ずっとずっと聞きたかった声だった。

 雷を求めるようにメイスを掲げて『肉塊』の上に立っていたレコンは、ゆっくりと顔を下ろす。

 深い森の木々の狭間、そこから顔を覗かせているのは……自分がかつて空を飛び回った、狂笑ではなく笑顔が舞っていた空の下のアルヴヘイムにいた金髪の妖精。

 初めてそのアバターを見た時、あまりにもイメージが変わり過ぎて気づかなかった。だが、手を繋いで飛んだ空で見せてくれた笑顔は……間違いなく彼女だった。

 

「リーファ……ちゃん?」

 

 それはシルフの妖精としてのアバターの姿をしたリーファだった。彼がDBOで見知った現実世界と同じ黒髪のリーファではない。

 これは幻か? 夢なのか? 分からない。だが、レコンを賛美する……いや、嘲笑して呪うような雷光が照らし出すリーファは余りにも生々しく、また怯え、瞳と唇を震わせていた。

 どうしてここにいる? 僕が……僕が育てた暁の翅でオベイロンを倒して救い出すはずだったのに。茫然としながら、レコンは肉塊を邪魔だとばかり踏み潰し、ふらふらと血だらけの姿でリーファに歩み寄る。

 

「リーファちゃん、無事だったんだね? 良かったぁ。もう大丈夫だよ。僕が助けに来た。僕『が』救い出す」

 

「レコン、答えて」

 

「安心して。暁の翅がキミを守る。僕は偉くなったんだ。今では軍師なんだよ? たくさんの部隊を指揮して、幾つも町を落としたんだ」

 

「何をやってるの? その人は誰なの?」

 

「いずれ暁の翅はオベイロンを倒す。そうすれば自由だ。僕たちは帰れるんだよ」

 

「レコン!」

 

 あともう少しで手が届く。リーファは救いの騎士を労うように手を取ってくれる。そう信じて伸ばしたレコンの手は、リーファの悲鳴に似た呼び声で止まる。

 まだ邪魔をするのか。レコンは鬱陶しくロズウィック『だった』肉塊を睨みつける。僕を『悪』にしようとした挙句に、リーファとの再会にも水を差すなど言語道断だ。レコンは牙を剥いて反転し、ロズウィック『だった』モノを右足で何度も何度も踏みつける。

 

「いい! 加減に! 消えろよぉおおおおおおおおお! 僕は『正しい』んだ! 僕が『正しい』んだよぉおおおおおおおおお!」

 

「止めて! レコン、どうしちゃったの!?」

 

 後ろから羽交い絞めにしてレコンを肉塊から引き離そうとするリーファであるが、レコンはそれを暴れるままに振り払い、彼女を泥水まで突き飛ばす。

 

「邪魔しないでよぉ、リーファちゃぁあああん。僕は今『正しい』ことをしている最中なんだ」

 

「正しい……こと?」

 

 泥水を吐き出しながら顔を上げたリーファの呟きに、レコンは嬉々として頷き、憎たらしそうに肉塊を足裏で磨り潰す。

 

「そうさ。コイツはさぁ、頭がちょっと良いだけのくせに威張り散らして、僕を『悪』にしようとしたんだ。僕は暁の翅を結成させ、アルヴヘイムに平和をもたらさんとしている、いわば英雄だよ? オベイロンも恐れる【来訪者】の1人なんだよ? それなのに、少しばかり表現力が大きい『AI』に過ぎないくせいにさぁ! 僕の!『正義』に! 指図するんじゃないんだよぉおおおお!」

 

 ぜーぜーと息を乱したレコンは胸が苦しくて襟を指で引っ張って広げる。木の葉を太鼓のように叩く豪雨が心地良かった。真っ赤に染まった体を洗い流す天の恩恵を知る。そして、歯を鳴らして小動物のように怯えたリーファににじり寄った。

 さすがはリーファちゃんだ。僕が思いつかない方法でオベイロンの元から逃げてきたんだ。だけど、きっとたくさん恐ろしい経験をしたんだ。守ってあげないと。僕『が』守ってあげないと。レコンは自分の心の器が満たされていく感覚に酔いしれる。

 

「……AI? AIに『過ぎない』? 何を言ってるの? アルヴヘイムの人たちは……みんな『生きてる』のよ!?」

 

「あははは。リーファちゃんは面白いなぁ。AIが『生きてる』? そんなの常識的に言ってあり得ないよ。確かにDBOは優れた思考ルーチンを持ったAIばかりだとは思うし、そのせいでプレイヤーはネームドやボス戦で苦境を強いられてる。でも、コイツらは! ただの! 人間のフリが上手い人形なんだよぉ! それなのに人間様を馬鹿にしてさぁ!」

 

 唇を噛み、泥水の中で倒れながら顔を俯かせていたリーファが震えている。ああ、きっとこの雨で寒いのだ。早く連れ出さなければならない。どうせこの作戦も失敗だ。僕の思った通り、ティターニア奪還なんて成功しようがない不毛な作戦だ。レコンは嘲笑しながら『正義のヒーロー』としてリーファに手を差し出す。

 このアルヴヘイムを脱出してみせる。暁の翅の軍勢でオベイロンを倒し、DBOに戻り、またいつものようにフェアリーダンスの皆で暮らすのだ。

 

「触らないで」

 

 だが、リーファは触れようとしたレコンの手を叩き払い除けながら、足を震わせながら立ち上がる。

 

「『人形』? アンタ、本気で言ってるの? このアルヴヘイムで何を見てきたの!? 彼らは一生懸命生きてる!『正義』とか!『悪』とか! そんなの関係なく! 必死に毎日を生きてる! 彼らは私たちと同じ心を持った『人』なのよ! それに気づかないはずないでしょ!?」

 

「リ、リーファちゃん? 声を荒げてどうしたの? 何か気に障ったなら――」

 

 しまった。つい興奮して突き飛ばしてしまった。レコンは泥だらけのリーファに酷いことをしてしまったと慌てる。だが、リーファは手首が折れた左腕を振りながら、涙で双眸を滲ませる。

 

「アンタ、どうしちゃったのよ? あたしが知ってる、泣き虫で、情けなくて、でも頑張り屋で、いつだって気配りを忘れなかった、みんなが『凄い奴』って認めてた『レコン』は何処にいったのよ!? あたしの知ってるレコンはそんな事を言ったりしない! 自分の手を汚した事に怯えて、苦しんで、それでも真っ直ぐ生きようと足掻いていた最高にカッコイイ奴なんだから!」

 

 怒鳴るリーファにレコンは困惑する。何を怒っているのだ? 僕は『正しい』ことを言っているはずだ。彼らはAIだ。ロズウィックも、ヴァンハイトも、ギーリッシュさえも本質はNPCと同じだ。プレイヤーと同じアバターを使っているだけの、アルヴヘイムという『軍略ゲーム』における登場人物だ。自分たち【来訪者】の『駒』として準備された戦力だ。

 喉が渇く。リーファを黙らせたくて正論で圧殺したくても、彼女の真っ直ぐな瞳にロズウィックの面影が重なる。声帯が引き攣ってしまっているように上手く言葉が並べられない。 

 

「……何様だよ。囚われのお姫様だったくせに、僕の苦労も知らないで」

 

 僕がどれだけの犠牲を払ってここに立っていると思ってるんだ?

 

「『殺す』のがそんなに『悪』なのかよ。僕は殺したさ! ああ、そうさ! たくさん殺したよ!」

 

 キミを助け出す為に、どれだけモノを捧げたと思っているんだ?

 

「それとも何か? 僕だけが『悪』なのか? ふざけるなよなぁ! リーファちゃんが大好きな……僕よりもずっとずっと信用している【渡り鳥】なんか何百人殺してるじゃないか! 僕たちと同じ『人』を何百人も殺した挙句に平然としているアイツは何なんだよぉ!?」

 

「それ以上は止めて」

 

「しかもアイツはキミを見捨てたんだよ? 助けを求めたのに。キミを助けるために協力してくれってお願いしたのに、聞く耳も貸さなかったアイツは『正しい』のかよ!? キミを助ける為に頑張った僕は否定されるのかよ!?」

 

「止めて」

 

 雷鳴が止まらない。握られたリーファの右拳に、その眼差しに、レコンは自分の内側、沈殿した心の汚物、そこから吐き出される熱と泡立ちのままに叫び散らす。ただ怖くて怖くて怖くて、リーファの口を閉ざしたくて叫ぶ。

 

「僕が『悪』なら、アイツはそれ以下だ! 血も心もない『バケモノ』じゃないか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当の『バケモノ』はアンタの方よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはレコンが今まで聞いたことが無い程に怒りが滲んだ……いや、怒りで爛れた声だった。

 

「あの人を出汁にして自己肯定しないで。最低よ。あの人がどれだけ苦しんでいたのか、知りもしないくせに。あの人が……どれだけ『普通』って生き方の為に努力してたのか、知らないくせに!」

 

「そう言うキミはどうなんだよぉ!? 僕がキミの為にどれだけ戦ったのか、知ろうともしないじゃないか!」

 

「だったら誇りなさいよ! あたしを助ける為に戦ったんだって……本気で! 胸を張って! 宣言してみなさいよ! 今ここで!」

 

 僕は誇っているさ! キミを助ける為にこの手を真っ赤に染めたんだ! そう言い返そうとして、レコンは自分の舌が動かない事に気づく。

 声が出ない。どうして? レコンは喉を押さえて、潰す勢いで揉んで、リーファを反論で押し潰そうとするが、どうしても言葉が出てこない。

 喉が渇く。珈琲が欲しい。心を落ち着ける為に……冷静さを取り戻すために……現実世界の味が欲しい! レコンは頬を引き攣らせ、睨むリーファに歯を食いしばり、胸の奥から湧き上がる感情のままにメイスを振り上げ、そして投げた。

 狙いも付けずに放られたメイスは、避けようともしなかったリーファの顔のすぐ右を通り抜け、茂みに音を立てて消える。その様を見送ったリーファは瞼を閉ざし、金髪のポニーテールを揺らしながら背中を向けた。

 

「さようなら、レコン」

 

「……ッ! ま、待って、リーファちゃん! これは……これは違うんだ! 違うんだよぉ!?」

 

 我に返ったレコンは追い縋ろうとするも、ロズウィックの遺品……折れたステッキに足を引っ掻けて顔面から泥水に転倒する。その音色にリーファは数秒だけ足を止めたが、振り返ることなく森の陰りへと消え去った。

 残されたレコンは泥土を掴みながら拳を握り、野獣の如く咆えた。あれ程までに自分を祝福していると思っていた雷雨は虚しさばかりで、冷たい喪失感に浸す。

 

「ふざけるなよ! 僕は報われるべきだろ!? キミの為に頑張ったんだ! キミの為に殺したんだ! キミの為に、キミの為にキミの為にキミの為にぃいいいいい!」

 

 拳を地面に叩きつけ、その度に跳ねる泥水を顔に浴びながらレコンは蹲って嗚咽する。

 だが、誰もレコンの肩を優しく叩いてくれる人々はいない。

 

「くそぉ。くそぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 蹲ったまま動けなくなったレコンは何秒、何十秒、何百秒とそうしていただろう。

 頭の中に残っていた理性的な……いや、自分の生命と継ぎ接ぎのプライドを守らんとする醜い打算的な思考が動き出す。

 このまま森に残っていても無駄死にするだけだ。今は撤退して状況を見極めるべきだ。ロズウィックを殺害した以上、暁の翅に……ギーリッシュにいくらでも弁明はできる。僕はまだまだ『有能』だと示すことができる。そう自分に言い聞かせる。

 震える膝で立ち上がったレコンは唾棄して、自分の中からリーファを消し去ろうとする。あんな女に惚れていたのは過去の過ちだ。汚点だったのだ。身勝手で、ワガママで、救いようのない阿呆な女だったのだ。そう切り捨てようとしても、頭の隅からじわりじわりと白紙を染める墨にように広がるのはリーファの笑顔だ。

 ただ、あの笑顔が見たかっただけだなのだ。自分だけにあの笑顔を、たった1度で良いから向けて欲しかっただけなのだ。

 

「……王子様になりたかったなぁ」

 

 結局はそういう事だ。レコンは冷笑する。リーファを助けたいという意思はあった。だが、同じくらいに、あるいはそれ以上に、リーファを助け出すという行為……彼女のヒーローになれるかもしれないチャンスに酔っていたのだ。

 それの何が悪いのだ? そう開き直れれば、レコンはもっと気楽に生きられただろう。だが、どれだけそのように振る舞おうとしても、彼は小心者であり、どうしても彼女を救いたいという真っ直ぐな志もまた捨てきれなかった。そして、それもまた正しきあり方だったのだろう。それはバランスの問題なのだから。

 リーファを救いたい、王子様になりたい、といった気持ちを抱き続けていたならば、何かしら結果は変わったのかもしれない。リーファの背中を見送ることは無かったのかもしれない。

 悦に浸って潰した……メイスで人間としての造形すら失う程に肉塊となったロズウィックに、レコンは胸に吐瀉のせり上がりを感じるも、アルヴヘイムの……仮想世界の常として嘔吐はなく、ただ唾液と突き出された舌の震えだけがある。

 気づきたくない。気づきたくない! レコンは必死に頭を振って、嘔吐感と共に脳髄で蠢く思考が……殺人の狂熱で焦げ付いていた思考が雨とリーファの眼差しで冷えて、彼に真実を突きつけようとしている。

 それからさえも逃げようと立ち上がったレコンの前に立っていたのは、逃げ出したはずの私兵だった。レコンは口元を袖で拭い、逃げた兵士に当たり散らそうとする。お前たちが役立たずだから自分がロズウィックを殺すことになったのだと喚こうとする。

 

「……た、すけ……て――」

 

 だが、レコンが口を開いた瞬間に、兵士が漏らしたのは死への恐怖と生への懇願だった。

 同時に兵士が『崩れる』。それは胸を貫いた何かであり、人肉とは思えぬほどに硬質化したその肉体がまるで石のように破砕される様だった。

 いや、実際に兵士の体はほとんど石に近しい質感と外観になっていた。茫然としたレコンが足下まで転がった兵士の破片を拾い上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

『レイフォックスさん……何処……何処にいるの? みんな、何処に行っちゃったの?』

 

 

 

 

 

 

 

 それは轟雷の中でも不思議なくらいにハッキリと聞こえる、脳によく響く、すすり泣く少女の声だった。

 膝が笑うレコンが目にしたのは、砕けた兵士の遺体……その後ろの森の陰りから蛇が這いずるような物音を立てて現れた少女だった。

 だが、その外見は余りにも弱々しい泣き声とは正反対の狂気のような異常。下半身は正しく大蛇であり、上半身は人間の女性。髪は蛇となって蠢き、左腕には何処か安っぽさが目立つほどに純金の輝きを秘めた弓を持ち、3本の右腕には黒、冷気、熱の矢を持っていた。

 メドゥーサ。あるいはゴーゴン。何でも構わないだろう。レコンはそうした伝説の怪物を想像し、同時に兵士の死に様にその直感は正しい事を理解してしまった。

 

『お腹……空いたぁ。ねぇ、みんな、ご飯……食べよう? 私、作る、から。みんな、頑張れるように、作る……から。ああ……ああ! あぁああああああ! 怖いぃいいいい! 来る! 殺される!? 嫌だ! ヤだぁああああああ! クスリ! クスリ! ぜーんぶ忘れられるから! 怖いのよぉおおおおおおおおおおおお!』

 

 逃げなくては。そんな当然の思考が実るより先にメドゥーサは黄金の双眸を輝かせる。同時に自分にレベル1の呪い……それも最悪のデバフである石化との複合が蓄積し始める。数秒遅れで背中を向けて逃げ出そうとしたレコンであるが、狂気のまま泣き続けるメドゥーサは射手としての腕前まで狂っていないと証明するように、レコンの右膝を正確に後ろから射抜いた。

 慣れないダメージフィードバックに喉は痙攣し、駆けて前進しようとした分だけ頬を地面で擦る。口内にまたしても入った泥水も気にならずに、レコンはガチガチと歯を鳴らした。

 

『ごぉはぁん! お腹が空いたのぉおおおお! おクスリ! みんなぁあああ! 私をひとりにしないでぇえええええええええええええ! 怖いの! 死にたくない! 殺されたくない! 来る!「アイツ」が来る! あのバケモノが来るぅううううううううううう!?』

 

 どうしようもない飢餓感と何かに怯えるような恐怖。それがメドゥーサを狂わせている。レコンがそう漠然と感じ取れたからといって何かが好転するはずもなく、また怒りのままに投げたメイスは手元に戻らない。戦う手段もなく、抗う方法もなく、逃走すらもまともにできない。

 

(レベル1の石化の呪い! 嫌だ! このまま石にされるなんて嫌だ!)

 

 メドゥーサは攻撃を畳みかけて来ない。このままレコンを石化させるつもりだろう。あるいは、石になる途中で『食べる』つもりなのかもしれない。自分がバラバラに刻まれ、メドゥーサの胃袋に収まっていく様を想像し、レコンは腹の奥から湧き出す生理的恐怖心を抑えきることができなかった。

 そして、余りにも軽い……『軍師』として振る舞うようになってから外した、クラウドアースのメイドが準備してくれたバックパックを思い出す。あの中には有用なアイテムがたくさんあったはずだ。石化対策、呪い対策、逃亡用アイテム、ありとあらゆる状況を打破するための『サポート』に徹することができる為のアイテムが詰め込まれていたはずだ。

 思い出したのはガウェインとの戦い。トッププレイヤーが複数人で囲んでもなお攻めきれなかったネームド。それを倒した切っ掛けになったのは、間違いなくレコンのサポートだったはずだ。

 あの時の行動を誰が『無能』と嗤って辱めるだろうか? 彼こそが最大の貢献者だと褒めるだろう。

 それで良かったというのか? 強者の後ろを金魚のフンのようについて回り、彼らが活躍する為の縁の下の力持ちとして陰日向でひっそりと息を潜めていれば良かったというのか。

 

 そうしていれば、こんな風に死ぬ事も無かったというのか? リーファに見捨てられる事も無かったというのか?

 

 全ては過去にあり、またレコンの選択である。彼はクラウドアースが準備してくれた『役割』を捨てたのだから。

 

「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だぁあああ」

 

 呪いが溜まり続ける中で泥を掴んで這い回る。生存本能のままにメドゥーサから逃げようとする。それが抗いにすらもならないと知りながらも無様に這い続ける。

 

「誰か助けて。助けてよぉ! 僕は報われるべきだろ!? こんなにも頑張ったんだ! こんなにも苦しんだんだ!」

 

 雨音と雷鳴がレコンの悲鳴を掻き消す。誰にも聞かせるわけにはいかない。慈悲など必要ないと神が嘲うように、レコンの叫びを受け取ってくれる人はいない。

 

「嫌だ。死にたくない! 死にたくないぃいいいいいいいいいい!」

 

 呪いが蓄積限界に達し、ついに石化が始まる。四肢の動きが鈍り始め、レコンは自分が緩やかに石になっていくことを感じる。

 

『ごはん。ごはぁあん。食べる。私、大好き。ごはん、ぜんぶ、忘れられる。クスリ、要らない。要らないの。血よ。血の悦びが……コワイの、忘れさせてくれるのぉ!』

 

 このまま食い殺されるのか。もう叫ぶことすらもままならないレコンは迫る死の中で我が身を見つめ直す。

 汚濁となった心の底、沈殿したどす黒い感情に埋もれた亀裂。そこから悲鳴の泡が漏れ出して、上澄みの水面で弾ける。

 

 いい加減に気づくべきだった。殺した罪に怯えて、耐え切れなくて、それを隠す為の言い訳が欲しかった。だから、より多くの血を流すことで罪悪感を隠そうとした。

 

 自分自身で吐露していた。アルヴヘイムの人々はただのAIではない。何度も何度も彼らを『殺した』と告げた。殺せるのは命ある者たちだけだ。レコン自身が肯定していたのだ。アルヴヘイムの人々は確かに『生きている』のだと。

 罪悪感。殺人への罪の意識。それから逃げようとして、背負う事も出来なくて、後悔できる程に強くもなくて、新しい血で洗い続けることを選んだ。

 罪に怯えるからこそ自己を確立させねばならず、故に組織に居場所を求めて有能であらねばならなかった。そう示す必要があった。誰も彼もが自分より先に進めるから。自分よりも場数を踏んでいて、度胸もあって、実力もあった。覚悟も、矜持も、信念も、何もかも彼には眩しく見えた。

 いつかの赤髭の言葉が蘇る。最後の選択を誤るなと彼は告げた。今がその時だったのだろうか? あの時、リーファに全ての罪を告白し、許しを請うべきだったのだろうか? 彼女を理不尽になじらなければ、あるいは別の結果が待っていたのだろうか?

 全ては仮定の話だ。レコンを塗り潰すのは、もはや『正義』でもなく、リーファへの恋心でもなく、生物に組み込まれた原始的で、人間が自我を持つが故に昇華させてしまった、死への恐怖なのだから。

 

「死に……たく……ない……死にたく、ない……よぉ……リーファちゃん、助け……て」

 

 いつものように、『情けない』レコンのように、この狂気に満ちたDBOで常に隣にいてくれた大好きだった女の子の名前を呼ぶ。それに応えるように、大蛇の這いずる足音と共にメドゥーサの影が彼に重なった。

 それは空腹の顎。あるいは恐怖を忘れる為の悦楽の獲得。それは目前の動けぬ餌に対してする事は1つだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「言われないでも、いつだって助けてあげてるじゃない、馬鹿レコン!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 故に怪物の牙から救うのは剣士の剣。

 流麗なる剣技の一閃は森の陰りより忍び寄り、疾風となって蛇の牙を弾く。

 雷光を浴びるのは金髪であり、それは尾の如く靡き、故に眼光は気高き獣の如きでありながらもその眼差しは人間にのみ許された揺らぎを秘める。

 

「直……葉ちゃ、ん?」

 

 頬から伝うのは雨? それとも涙? 体がほとんど動かなくなったレコンは彼女の本当の名前を呼ぶ。するとリーファは顔半分だけ振り返って苦笑した。

 

「リアルネーム禁止! マナー違反よ」

 

 そう切り返してきたリーファに、レコンは今度こそ涙を流していると自覚した。泣いて良いのだとが許された気がした。

 王子様になりたかったはずなのに、これでは僕の方がお姫様じゃないか。そんな温かな自嘲と共に。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 呪いの蓄積。リーファは1個だけ持つ解呪石をどのタイミングで使うかと考えながらも、今のレコンの状態では自主使用は難しいと判断する。

 DBOにおいて呪いは最も危険なデバフだ。いずれも何かしらの別のデバフとの複合であり、時間経過で回復することもない、特定の手段でしか有効にならないのだ。

 故にプレイヤー側は基本的に呪いのデバフを使用することは出来ない。噂によれば、かつて聖剣騎士団の円卓の騎士のメンバーだった裏切者、【棘の騎士】カークは破格の呪い付与装備を持っていたとされている。それは【渡り鳥】から左目を奪い取った。それはまるで英雄譚のように語られる噂だ。

 

(解呪石は即効性のアイテムじゃない。使用しても回復まで時間がかかる。レコンに使ってあげる時間の余裕はない)

 

 ユウキのもたらした貪欲者の金箱のお陰で解呪石を1個保有しているのは幸いであるが、目前のメドゥーサが安易に使用を許すはずもない。レコンを仕留めるのに邪魔をしたリーファに、胸が締め付けられるくらいに泣き続けるメドゥーサは、一切の淀みも無く弓を引いた。

 射撃させるものか! リーファは跳び込んで阻止しようとするが、メドゥーサは大蛇の下半身を鞭の如く振るう。だが、それは丸太のような太さを持つ。その破壊力は脅威であり、リーファは間合いに入りきれず、1射目を許してしまう。

 それは豪速で迫る大矢。プレイヤーならばアンカーを突きささねばまず使用できないだろう、強力な矢である。黒光りする大矢は真っ直ぐにリーファの胸を狙って放たれるが、彼女は正確にその軌道を見切り、剣をタイミングよく振るって弾く。だが、その重みに思わず歯を食いしばる。

 だが、対応できる! そう思った矢先にリーファに飛来していたのは冷気を帯びた矢だ。瞬く間に2射目、そして3射目の熱を帯びた矢を構えているメドゥーサに、リーファは舌を巻く。あまりにも正確無比な射撃もそうであるが、再射撃までのインターバルの短さは凶悪だ。

 次々と飛来する矢を駆けて躱そうとするが、冷気の矢が地面に突き刺されば凍り付いて滑り、熱気の矢は雨水を蒸発させる。破壊力特化の黒い矢の一撃はレコンの膝が砕けている様を見れば、鎧装備ではないリーファではまず耐え切れずに部位破壊されてしまうだろう。

 それでもリーファ1人ならば、メドゥーサとも十分以上に戦うことは出来ただろう。だが、手強い相手と判断したリーファよりもレコンを先に仕留めることにしたのか、メドゥーサは黄金の眼を輝かせたままレコンに向き直り、黒い矢を引き絞る。

 させるものか! リーファはレコンを守るように立ち、次々と飛来する矢を弾き続ける。だが、同時にメドゥーサの視界に収まることで否応なく蓄積するレベル1の呪いが焦りを生む。また、止まることない矢の射撃はその精度とスピードを増していた。

 そして、リーファという防衛網を熱気の矢が抜けそうになる。咄嗟にフォースの拳で打ち払うも、奇跡のモーションはあまりにも隙が大きく、それを見逃すことなく、メドゥーサは冷気の矢を撃つ。それはリーファの右肩に突き刺さり、その衝撃とダメージフィードバックで彼女の手から剣が零れ落ちそうになる。

 

「まず――っ!」

 

 咄嗟に右手の指先まで神経を通す勢いで集中し、武器を手放すという最悪の事態は免れたが、射抜かれた右肩から先……右腕全体がまるで痺れたように動かない。ダメージフィードバックで麻痺してしまったのか、それとも肩の破損の影響か。レベル1の氷結のデバフも蓄積し、リーファは呻く。

 視界に入るだけで蓄積する呪い。正確かつ連射が利く大矢。そして大蛇の下半身による薙ぎ払い。この中でも特に凶悪なのは1番目であり、これのせいで短期決戦を仕掛けるしかなくなる。逆に言えば、視界に入らない状況ならば脅威ではない。幸いにもここは森であり、視界から逃れる手段は多い。

 リーファは何ら迷いなく『逃走』を選択する。最優先にすべきはレコンの救出であり、メドゥーサの撃破ではないからだ。リーファは奇跡の雷の杭をわざとメドゥーサの前面に穿ち、地面を爆ぜさせ、雷光で眩ませた隙に、石化が進行しているレコンを担いで走り出す。

 STR特化ではないとはいえ、それなりにポイントを振っているリーファならば、鎧装備でもないレコンを担ぐことは無理な話ではない。だが、それは軽々と行えるものでもない。ましてや、石化によって疑似的に重量が増加している彼は相応の負荷となり、自然と走りは鈍る。

 それでもメドゥーサの視界から1回は逃れる事に成功したリーファは、このままとにかく約束の塔の森の外を目指すしかない……最悪の場合は警備隊にでも諸手を挙げて投降し、追ってきたメドゥーサとぶつけるしかないとトレイン染みた考えを抱く。

 だが、走れば走る程に目に映るのはメドゥーサの被害に遭った騎士や兵士たちの亡骸だ。この一帯は既に彼女によって壊滅させられてしまったのだろう。

 

「リーファ……ちゃん……僕を……置いて……逃げ、て」

 

「はぁ? そんな真似できるわけないでしょ」

 

「無理……だよ。僕を……庇いながら……戦え……ない、でしょ? 逃げ……き……れない、よ」

 

 石化が進んで表情も作れなくなったレコンであるが、その目からは絶えずに涙が流れていた。そして、涙で浸された眼には先程までの狂気はない。

 

(あたしは馬鹿だ! 大馬鹿だ!)

 

 レコンがどうしてあんな風になったのかは分からない。だが、少なくとも彼は自らの凶行によって狂い、また自らの心を守る為に詭弁とも呼べぬ言葉を並べ立て、最後にはリーファにさえ罵倒を浴びせた。そして、自らの『殺人』という罪悪感を握り潰す為に篝を引き合いに出した。

 許せなかった。リーファは……直葉は知っていたからこそ、レコンが自分の罪悪感から……殺人を犯したという恐怖心から逃げる為だけに【渡り鳥】という名前を利用されるのが許されなかった。

 それは兄を支えてくれた傭兵の呼び名だ。誰もが狂った鉄の城で、兄の隣に最後まで立ってくれた恩人だ。

 たとえ、何百人も殺したという凶行は真実であるとしても、篝はそれを否定することもなく、淡々と受け入れていた。そして、だからこそ自分と兄はこれ以上関わるべきではないとも考えていた。

 誰もが彼のことを『バケモノ』と呼ぶ。だが、リーファにはどうしてもそう思えなかった。

 強過ぎるから『バケモノ』なのか? たくさんの人を殺しているから『バケモノ』なのか? リーファからすれば、DBOの篝を……クゥリの戦いの足跡を少しでも知った程度ではあるとしても、誰もが恐れる怪物には思えなかった。

 ぶっきら棒で、言葉足らずで、恥ずかしがり屋で、世話焼きで、優しい人。必死になってリーファの言葉を信じて『普通』の生き方を目指していた人だ。そうであろうと頑張った先で確かに1度はつかみ取っていた努力の人だ。

 彼を『バケモノ』と呼ぶレコンこそが怪物に見えた。心無い言葉を浴びせ続ける……本当の『バケモノ』に見えたのだ。

 メドゥーサの矢が飛来する。それが逃げるリーファの背中を狙う。木々を盾にして躱し続けるも、隙間を縫うような正確な射撃によって徐々に追い詰められていく。

 心の隅で『弱さ』が囁く。レコンを捨てれば良い。この場に放り捨て、囮にすれば逃げられる。そうでなくとも庇わなければ、メドゥーサと戦える手段は増える。それは合理的で冷たい判断だ。

 だからこそリーファは拒絶する。間違っているとしても、ここでレコンを見捨てることだけは出来なかった。

 分かっていたはずだ。レコンを『バケモノ』呼ばわりするなど、それこそ篝を『バケモノ』呼ばわりしていた人たちと同じだ。心を傷つける言葉の刃だ。それなのに、リーファは怒りに駆られてレコンを余計に追い詰めた。

 

「うぐ……っ!」

 

 横腹を熱気の矢が抉る。血が飛び散り、リーファの動きが鈍る。巧みに森を移動するメドゥーサの視界にはまだ完全に入り切ってはいないが、このままでは追い付かれるのは時間の問題だろう。

 大雨が流れ込む、かつては礼拝堂だったのか、地下から露出した都市の遺構、木々の侵蝕を受けてもなお神聖さを残す跡地にて、リーファは何処か隠れる場所は無いかと探すが、それよりも先に呪いの蓄積が始まる。

 飛来する黒い矢を片手剣で弾き続けるが、動きが鈍った右腕で防ぎきれるものではなく、1本が脇腹に突き刺さる。その衝撃で吹き飛ばされ、レコンが砕けないように抱きしめて転倒したことによって受け身が取れず、衝撃が全身を突き抜けて咳き込んだ。

 

「逃げ……て……リーファ、ちゃ……ん」

 

「絶対に嫌!」

 

 石化が進み、もはや体の自由が奪われ、いずれは言葉を失うだろう。それでもレコンはリーファに逃げろと囁く。自分のせいで死なないで願う。

 やっぱり、あたしは大馬鹿者だ。リーファは自嘲し、レコンを守るように彼に覆い被さる。

 

「ごめんね。ごめんね……レコン」

 

 諦めないと誓ったのに。そのはずなのに、友人であるレコンを1度は見限ってしまった。リーファはそれをひたすら悔やみ、また罪の意識を覚える。

 真紅の女騎士との戦いの中で、リーファは『殺し』の恐怖を知った。自分もまた命を奪える『力』を持っているのだと怯えた。それは途方もない罪の重荷であり、永遠に心と魂を束縛する呪いとなるだろう。

 それでもレコンは戦ったのだ。殺したのだ。たくさんの人たちを……たとえ自己弁護の為に重ねた屍だとしても、その始まりは確かにリーファを助けようとした旅の先にあったのだ。

 

 

「ごめんね。あたしだけは『助けに来てくれてありがとう』って言ってあげないといけなかったのに。本当にごめんね……レコン」

 

 

 自分だけは与えるべきだったのだ。レコンの罪に許しを与えるべきだったのだ。たとえ小さく細やかな光だとしても、それが彼の心を救うと信じて与えるべき名誉だったのだ。

 リーファは後悔する。レコンに背を向けた選択を悔やむ。

 だが、時は戻らない。非情にもメドゥーサの矢が引き絞られた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 怖かった。人殺しの手がおぞましかった。

 恐ろしかった。自分の心を押し潰そうとする罪の意識が重かった。

 何処で間違えたのか? きっと最初からなのだろう。【渡り鳥】に依頼を蹴られた時に、布団を被って誰かが事態を解決するまで震えているべきだったのだろう。あれこれ見当違いな対策を立てて無意味な奔走をすべきだったのだろう。

 

(泣かないで、リーファちゃん。僕が悪いんだ。僕が間違ってたんだ。僕が……僕が……『悪』だったんだ)

 

 ようやくレコンは認めることができた。自分の罪悪感と向き合うことができた。メドゥーサから守ろうとするリーファの涙によって、レコンは己を恥じる。

 ロズウィックは死の間際まで自分を案じてくれていたはずなのに、耳を貸さずに、罪悪感から逃れるための『正義』に酔って殺してしまった。挙句に骸を辱めるように潰し続けた。とてもではないが、『人』の所業とは呼べるものではないだろう。『バケモノ』呼ばわりされて当然だった。

 リーファに問われた時に、彼女を助ける為に殺し続けたのだと誇れなかった。あれこそが全てなのだ。殺しに怯えたが故に殺しを重ね、それどころか卑劣な手段を繰り返した。今にして思えば、そんな自分の浅はかさをギーリッシュには見抜かれていて、利用され、誘導され、使い捨てられていたのだろう。

 たとえ血塗れであろうとも、助ける為に戦い続けたと恥じることなく胸を張れたならば、リーファは感謝を述べただろう。

 この最期は自業自得だ。受け入れるべき末路だ。だが、そこにリーファを巻き込むわけにはいかない。

 来いよ、聖剣! 今こそ出番だろう!? レコンは自分にはない『力』を求めて聖剣を呼ぶも、彼に応えるはずもなく、故に乾いた絶望だけが浸らせる。そして、それが彼に諦観ではなく覚悟を決めさせる。

 赤髭の言った最後の選択。それが『まだ』であるならば、ここで誤るわけにはいかない。レコンは石化で固まった体を震わせる。せめて少しでも良いから動けと心で咆える。そして、それは微かに、だが確かなエネルギーとなり、石化で固まり切っていなかった肘で地面を打つことでリーファと立場を逆転……彼女を覆い被さる形に成り代わることを可能とした。

 

「レコン!?」

 

 逆にレコンに守られる形になったリーファは驚きで目を見開かせる。

 心配いらない。必ず守ってみせる。最期くらいはヒーローらしい真似をさせて欲しいと笑いかけようとするが、今度こそ体は石化しきって表情も完全に動かなくなり、言葉も発せられなくなる。

 石の檻となった体の中でレコンはリーファの叫びを聞く。馬鹿な真似をしないでと泣き叫ぶ姿に心を痛める。それでも、殺した罪に目を背けて後悔することを恐れ続けた自分には、これくらいしか彼女に報いる方法は思いつかなかった。

 

(直葉ちゃん、キミの事が好きだよ。友人としても、女の子としても……好きだよ)

 

 レコンには足りなかった。この世界に抗う『力』は無かった。たった1人の女の子の笑顔を守り切ることさえできなかった。それでも、その『命』を使ってでも、この世界の理不尽に……自分も行使した『力』という全てを踏み躙る真理に背きたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 故に全てを焼き尽くす暴力とさえ恐れられた『力』は、レコンに死をもたらす『力』を捻じ伏せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が起こったのか、レコンには理解できなかった。石化して動かぬ体、僅かな視界で見えたのは白い巡礼服。

 メドゥーサを横殴りにしたのは投擲された黒塗りの棺だろうか。それは重量で以って蛇女を揺らがして射撃を逸らし、黒い大矢はレコンの右脇に突き刺さる。

 何が起こった? 死を覚悟したレコンのみならず、リーファも混乱する中で彼らを守るような白の巡礼者は背中をこちらに向けたままだ。何かに怯えるような素振りを見せたメドゥーサであるが、すぐに弓を弦を引き、黒い矢を放つ。対して白の巡礼者は右手に持っていた黒い剣を背負うと、フリーにした両手で次々と飛来する矢を『掴む』。

 は? リーファに引きずられるレコンは唖然とする。弾くでもなく、防ぐでもなく、『掴む』とは何事だ? そして、そのまま我が武器のように2本の大矢で自分の心臓を、四肢を、頭部を狙う矢を弾き続けた挙句、微かなインターバルを狙って右手に握った矢を投擲する。それは寸分狂わずにメドゥーサの喉を貫き、ノックバックした瞬間には左手に持つ矢を投げていた。それは腹の中心に突き刺さり、メドゥーサは悲鳴を上げる。

 狼狽えたメドゥーサはまず喉の矢を引き抜こうとするが、それよりも先に巡礼者は人間とは思えぬほどの動きで迫る。大蛇の下半身の一撃を難なく……まるで霧か霞で体が出来ているのではないかと思う程に容易に潜り抜け、その懐に入り込む。

 右手で突き手の構えを取り、一切の容赦なく巡礼者はメドゥーサの双眸に指を『突き入れる』。

 何ら珍しくない目潰し。それを速攻で行い、なおかつ顔をつかんでメドゥーサを後頭部から地面に叩きつけ、磨り潰す勢いで引き摺り、そのまま森に向かって投げる。まるで油と火をかけられた蛇のようにのたうち回り、両目からどす黒い血を流すメドゥーサは泣き叫ぶ。

 確かにそれは視界……眼球による視認によって呪いの蓄積を行うメドゥーサの撃破方法としては最良かつ最短、最も効果的だろう。だが、それを思いついたからといって、わざわざ懐に入り、素手で目潰しした挙句に投げ捨てるなど尋常の判断力ではない。

 

『ヒッ! ヒィイイイイイイイイイイイイイ! こっちに来ないで! バケモノ! バケモノォオオオオオオオオオオオ!』

 

 目を失ったメドゥーサにはもう射撃能力は失われていると言っても等しいだろう。先程までの圧倒的優勢が瞬く間に霧散し、逃げ惑うしかないメドゥーサの追跡を開始する白の巡礼者はこちらを振り返ることは無かった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 どうしてリーファちゃんがここにいるのか? どうしてレコンがいるのか? 疑問は山ほどあるが、あれこれ尋ねるよりも先にすべき事はある。

 まるでメドゥーサのような外見をしたモンスター。レギオンの気配を感じるのであるが、それにしては混ざりものというか……何とも言えない人工臭がする。恐らくであるが、何かしらのデザインが先にあって、そこからレギオン化したような印象だ。

 ならばこそ、彼女の身に何が起こったのか。オレはまだ灼けきっていない記憶、薄っすらとぼやけ始めている過去から彼女の姿を引っ張り出す。

 いつも怯えている姿は人一倍に怖がりだったからだろうか。彼女の前で起きた惨劇にその心は耐えきれず、やがて狂い果てたのならば、それは正しくオレの責任なのだろう。

 リーファちゃん達とは十分に距離は取れた。ここならば戦いの邪魔にならない。森の木々は射撃の邪魔になるが、大矢にも匹敵した破壊力は木を貫通しかねない。立ち回りには注意が必要だろう。

 

「久しぶりだね、ツバメちゃん」

 

 黒く濁った……まるで深淵のような血を潰れた両目から流すメドゥーサ、その容姿は……顔は間違いなく、腐敗コボルド王の撃破に貢献したギルドにして、このDBOに『攻略は可能だ』という光を注ぎ込んだ英雄たち、ZOOの生き残りだったツバメちゃんだ。

 オレへの復讐を果たした後、生きて帰ったオレにもう1度殺しにかかるかとも思っていたのであるが、その後は音沙汰もなく、また足取りもつかめていなかった。まさかこんな形での再会になるとは思ってもいなかったな。

 

『怖い……怖いよぉ……来ないで! あっち行って! レイフォックスさん、何処にいるの!? みんなは何処!? お腹減った! 怖いの、消さないと! 血だけが私を助けてくれるの! 私の恐怖を消してくれるのよぉ!』

 

 レギオンプログラムの狂気とオレへの恐怖心、それが混ざり合って狂乱状態にあるツバメちゃんに言葉が届くことはないだろう。また、オレが何を語りかけたとしても、それは恐怖の対象の囁きに過ぎないだろう。

 

「アナタ達は英雄だった。全プレイヤーにとって確かに光となった戦士たちだった」

 

 彼らがいなければ、プレイヤーが完全攻略に向けて立ち上がるのは大きく遅れていただろう。

 そして、オレは英雄殺しだ。彼女の仲間を殺した。名前は……まだ憶えている。グリズリーだ。熊みたいな男で、オレを女の子と最初は間違えて……キレたっけ? 今ではとても懐かしくて、灼けそうで、思い出せなくなる前にキミに会えて良かった。

 

「殺してるんだ。殺されもするさ」

 

 だからツバメちゃん。オレを恨む権利がキミにはある。復讐する資格もある。実際に殺されかけたしな。

 あの時の判断に今も後悔はない。あの時、オレは腐敗コボルド王を倒す為に最速最短の手段を取った。寄生状態のプレイヤーの四肢を奪う事を選んだ。結果としてプレイヤーは死に、挙句にボス戦終了後は【渡り鳥】とバラされた挙句に復讐ショーの開演だ。

 我ながら酷い顛末だ。何が最善だろうか? 最悪の間違いだろう。もっとマシな方法は思いつかなかったのだろうか? だが、今振り返ってみても、やはりオレは当時と同じ手段を迷いなく実行するのだろう。たとえ、寄生されていたのがディアベルやシノンだとしても、彼らの腕や足を斬り落とし、その上で死んだとしても後悔していないのだろう。

 オレは殺せる。そこに罪悪感は無い。サチを殺した時も、どれだけ理由を並べても、偽ろうとしても、この胸にあったのは血の悦びであり、本能の慟哭だった。それが本質だった。

 スミスは言った。あの時の判断はしょうがないものだと。だが、仲間を殺されたツバメちゃんにとってそれは『しょうがない』で済ませられる事だろうか? 

 風林火山にしてもそうだ。99層でオレは彼の仲間を皆殺しにした。今でも後悔はない。だが、それは『しょうがない』で終わらせていい事ではないだろう。

 彼らには等しく憎悪を抱き、復讐を志す権利と資格がある。そして、オレは殺した者としてそれを受け入れる責務がある。

 

「オレは狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺す者」

 

 所詮は感傷か。結局、オレは心の何処かで復讐される事を望んでいるのかもしれない。そうすれば『獲物』は増えるのだから。だとしても、オレは狩人としてツバメちゃんを狩る。殺しきる。左手に死神の剣槍を構え、その鋭い先端を殺意と共に向ける。

 矢の精度は大きく落ちていた。目が再生されるまでは一方的に攻撃できるはずだ。ツバメちゃんは音を頼りに狙いをつけているが、この雨がオレに味方している。

 雨音に、相手の音に、足音を紛れ込ませる。その呼吸に割り込み、1歩の度に意識の死角に滑り込む。振り回される大蛇の尾を躱し、背後を取ると右手で抜いた贄姫で深く斬りつける。どす黒い血が飛沫となって茂る草を染める。

 

『うぎぃいいいいいいいいいい!? 来ないでよぉおおおおおおおおお!』

 

 叫ぶツバメちゃんの背中が膨れる。それは膨張した肉であり、触手の芽生え。現れたのは大蛇の顎であり、その先端は人間の……女の上半身を形作る。

 それはレイフォックスに似ていた。多腕を持ち、骨の剣を握った姿で、視界を失ったツバメちゃんの代わりに黄金の眼を宿す。それは新たな視界を彼女にもたらし、オレには呪いを蓄積させる。

 

「……そうか。『食べた』のか」

 

 どんな形だったのかは分からない。だが、ツバメちゃんはレイフォックスを『食べた』のだろう。それはレギオンプログラムとして、血肉に飢えた結果か、あるいは恐怖で混乱し、レイフォックスを求めたが故に喰らったのか。

 もしかしたらツバメちゃんは殺してなどいないのかもしれない。死んだレイフォックスに縋る気持ちがレギオンの触手をあのような異形として花開かせたのかもしれない。

 だが、背中から大蛇の胴を持つレイフォックスを生やしたツバメちゃんの姿は……いつかの腐敗コボルド王を思い出させた。彼女にとって悲劇であり、全てを失い、恐怖に狂い果てた物語を蘇らせた。

 死神の剣槍を背負い、右手に贄姫、左手にザリアを選択。雷弾は温存するつもりだったが、早急に仕留める。再び精度を取り戻した矢を回避しながら、雷弾を浴びせていく。躱そうと動くツバメちゃんだが、ラミアと化した肉体と速度では雷弾のプラズマ爆発まで回避できていない。体は焦がされていき、着実にダメージが蓄積していく。

 触手のレイフォックスが迫る。多腕に持った骨の剣は斬撃の檻を作り出すが、その間合いに入り込まなければ脅威にはなり得ない。剣技でもない振り回しなど恐れるに足らない。

 直上から飛来した冷気の矢をバックステップで躱す。レイフォックスに気を取らせて曲射で上空から攻撃。悪くない。精神はどうであれ、弓矢の技術……戦士の素質は間違いなく一流になれたものだ。

 だが、戦い続けたシノンと比べれば遥かに見劣りする。彼女は片腕を失おうとも諦めなかった戦士であり、ツバメちゃんは恐怖に屈した。その差は大きい。

 それで良かったのだろう。戦わねば生き残れない。だとしても、ツバメちゃんが戦うべき理由にはならない。誰かが守ってあげればよかっただけだ。それを許容としない状況だったと言えばそれまでであるが、それでも……いや、それこそ愚かな事か。こうしてオレが殺しにかかっている時点で……実に滑稽な仮定だ。

 ザリア、行くぞ。触手のレイフォックスが再度迫った瞬間、刃の檻を作り出す挙動、その出鼻に贄姫の一閃を潜り込ませる。それはレイフォックスの頭部を縦割りにし、攻撃を遅れさせ、その瞬間に左手に持つザリアを銃剣モードにして突き刺す。

 雷弾伝導。傷口から潜り込んだ、2本のレールが合わさり、鋭い先端によって異形の槍と化したザリアによって内側に雷弾を流し込まれ、レイフォックスを模っていた触手の先端が爆ぜる。

 その爆発に紛れて飛んできた熱気の矢と冷気の矢を贄姫を振るって軌道を逸らし、オレの左右に突き刺らせる。トリスタンと比べるまでもない手緩い弓術。この程度、奇策を弄しても勝利に全力を尽くした彼に及ぶまでも無い。

 再び視界を失ったツバメちゃんは弓と矢を捨て身軽になって逃げだそうとするが、それを許すつもりはない。ザリアをホルスターに戻し、背中の死神の剣槍を引き抜くとミラージュ・ランで距離を詰めて背中に蹴りを浴びせる。胸から地面に倒れたツバメちゃんに、オレは両手で死神の剣槍を握ると宙を舞いながら縦回転する。

 アルトリウス、借りるぞ。原初の深淵狩りの剣技、その内の1つである彼の獰猛なる闘志を具現化したような連続縦回転斬り。彼は左腕を負傷していたが故に右腕のみで行っていたが、恐らくこの剣技は『両手』で行ってこそ真価を発揮する。

 グウィン王の四騎士【深淵歩き】のアルトリウスは大盾と大剣を得物とした。故に片手での使用を想定した剣技は多いが、真なる強敵を前にした時には盾を背負って両手で縦横無尽に大剣を操ったことは想像も難しくない。

 故にこれは筋力を重視した深淵狩りの剣技においても特に暴力的だ。

 潰れるまで叩き斬る。死神の剣槍の打撃ブレードならば、その意味はより研ぎ澄まされる。オレは終わることなく、そのHPを削り潰すまで、彼女の背中に縦回転斬りを浴びせ続ける。敢えて潰された打撃ブレードが肉を潰して抉り斬る度に、どす黒い深淵の血が飛び散り、白の巡礼服を染めていく。

 肉片が飛び散る。骨の破片が散る。痙攣しながら磨り潰されていくツバメちゃんを淡々と見つめて、そのHPが尽きるのを待つ。

 

『ヤだぁああああ! 死にたくない! 殺さないで! お願い! 怖いよ! 怖いよ! みんな、助けて!』

 

 だが、ツバメちゃんは3本の右腕を振るい、死神の剣槍の縦回転斬りを受け止める。その3本腕は醜く裂けながらも、HPは赤く点滅した状態で連続攻撃から脱することに成功する。

 

「もう誰もいない。誰もいなんだよ、ツバメちゃん。皆……死んだんだ」

 

 なかなかにガッツはある。だが、それは死の恐怖からの逃避がもたらすものだ。オレはもはや動けぬ身であり、矢を射ることもできなくなったツバメちゃんに歩み寄る。

 

『助けて! 助けて! 誰か! 誰かぁああああああ!』

 

 ああ、彼女は救われるべきなのだろう。

 悲劇のヒロインとして、『アイツ』のようなヒーローに救われるべきなのだろう。

 だが、ここにいるのはオレだ。『アイツ』じゃないんだ。だから、オレは何ら迷いなく1つのソードスキルを発動させる。

 デーモンスキル≪ソウル・ドレイン≫がもたらす≪格闘≫のEXソードスキル【エナジー・ドレイン】。フリーにした左手に禍々しい赤黒いライトエフェクトが生じ、そのまま掴み攻撃に派生する。発動後はある程度モーションの自由も利くのだが、とにかく発動の隙が大きく、なおかつ攻撃を命中させ辛い上に、ソードスキル特有のロックオン機能も極めて弱いと使い辛いことこの上ない。

 似たような性質を持つ誓約ダークレイスの誓約スキル≪ダークハンド≫はその点で言えば使い勝手が良いらしい。≪盾≫を持っていれば力場の盾が作れるし、同じドレイン攻撃でも命中した時点で大ダメージを与えられる。他にも色々あるらしいが、誓約ダークレイスを結んだ時点で『PKする気満々』とみなされるのでオレも持とうとは思わない。これ以上のヘイト管理したらグリセルダさんが過労死してしまうし、今の深淵狩りは気に入っているので破棄する予定もない。

 弱って命乞いするツバメちゃんの喉をエナジー・ドレインで掴み、そのまま締め上げて持ち上げる。途端にツバメちゃんの体から溢れ出たのはソウルの輝き。それはオレに吸い込まれていく。

 エナジー・ドレインの効果は『対象からの魔力吸収』だ。まさしく≪ソウル・ドレイン≫という名のデーモンスキルに相応しいEXソードスキルだ。正確には相手の魔力を減少させ、それに応じてオレの魔力が回復する仕組みだ。

 対象は捕縛状態になり、≪鞭≫の相手を捕縛する特殊ソードスキルのようにSTRに下方修正が入る。長引けば長引くほどに下方修正効果は小さくなるのだが、振り払われない限り吸収は続行される。STRが高いモンスターには使い辛く、無論ネームドやボス相手には当てることも困難ならば持続させる事はもっと難題だ。そもそも相手の首を掴まねばならない関係上、巨人とか異形とかには使えない。そして、対象がプレイヤーでも高身長だと当たらないこともある。つまりはオレの身長の問題。即ち茅場殺す。

 一思いに殺すべきかもしれないが、この先に約束の塔が控えている。灰色の狼の召喚で魔力は枯渇し、今も回復しきっていない。最大限にその『命』を使わせてもらうのが狩人としての礼儀だ。

 

 

 本当に? 違うでしょう。あなたは彼女をもっともっと苦しめたいだけ。恐怖で歪めて染め上げて、その死に様に愉悦する。血に酔って悦びを求め、それで以って飢えと渇きを癒す。ああ、満たされない飢餓。『殺す』という行為そのものを欲してしまう。だからこそ『食事』は美味しい方が『長持ち』する。あなた好みに心も体も蹂躙して、その上で殺す。それが本音でしょう?

 

 

 

 後ろから首に腕を回して抱き着くヤツメ様の囁きは耳を食む甘噛みとなり、オレを『獣』に誘い、内なる嗜虐を引き出そうとする。

 そうだね。オレはそういう最低最悪な……『人』とは縁遠い嗜好と本質を持つ。今も『人』でありたいはずの心はツバメちゃんの苦しむ姿に愉悦を感じている。

 だからこそ、狩人であらんとするのだろう? 狩人たる者、礼節を心得て全ての『命』に敬意を持ち、その上で狩り、奪い、喰らう。

 だが、一方でこの様はなんだろうか? デーモンスキルはセレクトとランダムの2つがある。セレクトで選んだのは≪幻燐≫であり、ミラージュ・ランという狩人の業を補完するEXソードスキルを得た。対してランダムで得た≪ソウル・ドレイン≫はまるでオレがあるべき姿を示すような嘲笑を感じる。

 ダメージエフェクトを浴び続けることでHPと魔力を回復させ、攻撃力を僅かに引き上げるリゲイン。

 対象を捕獲状態にして魔力を吸収するエナジー・ドレイン。これのHP吸収版である【ライフ・ドレイン】。

 2つのドレイン攻撃は捕縛状態ではスタミナ回復速度が飛躍的上昇する。≪ソウル・ドレイン≫自体の効果によって、敵を殺せば殺した分だけHPと魔力は回復する。≪ソウル・ドレイン≫がもたらす3つのEXソードスキルはいずれも使い辛い。むしろ、こんなにも扱いが困難だからこそ3つのEXソードスキルの実装が行われているとみるべきだろう。

 だが、このデーモンスキルはオレに相応しいだろう。言うなれば『戦い続ける』……『血と死で自らを満たす』スキルだ。その気になれば敵も味方も関係なく、全てが『獲物』になるデーモンスキルなのだから。

 魔力回復完了。流血ダメージで瀕死状態の上に体の肉と骨格を潰されたツバメちゃんに抗える道理はなかった。オレは瞼を閉ざしてツバメちゃんを喉を掴んだ左手を放し、彼女を地面に落とす。

 もう終わりだ。死神の剣槍を背負い、贄姫を抜く。その首を落とす為に。

 本能の顎が涎で滴っている。この『殺し』を欲している。耐えろ。狩人として殺すのだ。血の悦びを得たとしても、オレは『オレ』としてツバメちゃんを狩る。いつだって誇りにしていた、先祖たちがそうであろうとしたように。

 

『……呪われろ』

 

 だから、これは当然の呪詛だ。オレが受け入れねばならない呪いだ。

 ようやく再生した右目、その黄金の眼はオレにレベル1の呪いを蓄積しながら、涙で憎悪と怒りを湛えたツバメちゃんの瞳をオレに見せる。

 

『呪われてしまえ、バケモノ。アンタなんかに生きる価値もない。いつか「英雄」がアンタを殺すんだ。あは……あハはハ……アハハハハハハハハハハ!』

 

「……そうだね。そうかもしれないね」

 

 バケモノ退治は『英雄』の華だ。そういう結末もあるかもしれない。

 そうだとしても、オレは戦い続けるさ。殺し続けるさ。糧にした全ての『命』を無駄にしない。そこだけは決して狩人にも『獣』にも垣根は無いだろう。オレを殺しに来る万人に望まれた『英雄』だって殺して喰らい続ける。そうだろう、ヤツメ様?

 

『私はお前を許さない』

 

「許さなくて構わない」

 

 だが、どうかキミ自身を呪わないでくれ。オレは好きなだけ呪えば良い。だから……!

 壊れて、恐怖に狂い果てて、かつて英雄だった1人の少女にオレはかつての神子の名を冠する刃を向ける。

 

「祈りもなく、呪いもなく、安らかに眠れ」

 

 贄姫を躊躇なく振るい、ツバメちゃんの首を断つ。転がった頭部は泥水の中を跳ね、やがてどす黒い血を溢れさせた。

 

「その呪い……確かに喰らった」

 

 これからも殺し続けるさ。キミの誇りも願いも信念も踏み躙り、その遺志を……『力』を受け継ごう。オレを憎んだ呪詛と『命』と共に血肉としよう。

 慣れてるさ。誰かに憎まれるも、怖がられるのも、もう慣れてしまった。そこにあった『痛み』だけは……確かにこの胸で疼くというのにな。

 嗤えよ、ヤツメ様。狩人としても二流で、『獣』にもなりきれない、醜く愚かなオレを嗤ってくれ。

 ツバメちゃんの血でべっとり汚れた頬を袖で拭い、贄姫を鞘に収める。そして、最後に彼女の遺体を一瞥するとリーファちゃんを見つけた場所に戻る。既に立ち去った後なのだろう。棺を回収されていないかと少し心配だったが、特に何事もなくその場に落ちたままだった。

 

「ご苦労だったわね、【渡り鳥】」

 

 と、そこに舞い降りたのは今回の『協力者』である赤毛の女だ。アルフの装束に身を包んだその姿は何処か見覚えがあるが、随分と記憶が灼けたせいか、どうしても靄がかかって思い出せない。そして、もうそれ以上は決して掘り返せないのだろう。だが、声から判別できることは1つ、PoHの協力者としてやり取りしたオベイロン陣営にスパイとして潜り込んでいるロザリアだ。

 リーファちゃんとレコンをグッドタイミングで助けられた? 馬鹿を言え。オレはいつだって真意を理解した時には手遅れで、肝心な時には間に合わず、何もかも台無しにすることに定評のある傭兵なのだ。オレが居合わせるのはバッドタイミングと相場が決まっている。ただ1つ、誰かの『思惑』に踊らされない限りには。

 約束の塔を目指すオレに接触してきたロザリアは、今まさに約束の塔の森の各所で起こっている自爆暴動はPoHの仕込みであること、そしてこの先でトラブルを抱えて難儀している旨を早口で伝えた。その身からは微かにレギオンの残り香のようなものをヤツメ様は嗅ぎ取ったようであるが、追及する場面でもなく、オレは彼女に言われるままに誘導されたのだ。どうせ通り道だくらいに思っていたらこの様である。

 

「お陰で助かったわ。あのメドゥーサには私も手を焼いていたのよ。それに仕事上リーファをここで死なせられない。でも堂々と助けに入ると色々問題がある。その点で言えば、貴方なら確実に仕留められる。フフフ、オーダー通り……いえ、それ以上に残虐無比な仕事ぶりだったわ。本当に『恐ろしい』傭兵ね。そうそう、これは報酬よ」

 

 そう言って投げ渡されたのは情報媒体であるクリスタルだ。正8面体の紫色のクリスタルの中身はまだ確認していないが、彼女が差し出す予定だったのはオベイロンの居城、ユグドラシル城とそれを頂く央都アルンの『地図』である。

 ここでオベイロンを仮に仕留めたとしても、月明かりの墓所のようにリカバリーによって別のアルヴヘイムのラスボスが準備されるパターンもあり得る。その場合はこのマップデータは極めて有効に立ち回れる情報となるだろう。そして、ここでオベイロンを倒しきれずとも、彼の居城を丸裸にできるこの情報はやはり強力な武器だ。

 

「さっさと失せろ。レギオン臭いんだよ」

 

「……く、クサい!? ちょっと、レディに対してその言い方は――」

 

「繰り言はあまりしない主義だ。失せろ、貴様には雑巾臭がお似合いだ」

 

「雑巾!?」

 

 良く分からんが、このロザリアという女からはヤツメ様も顔を顰めるほどのレギオンとは違う悪臭が漂っている。何というか、こう、腐っているというか、とにかくそんな感じのニオイだ。まぁ、実際の嗅覚として感じているわけではなく、本能として得たものをニオイとして譬えているだけなのであるが、何かボロボロの雑巾っぽい感じのニオイとイメージが合致するのだ。

 だが、そっちの雑巾臭は不思議と嫌な感じはしない。こう、生き汚いというか、何が何でも生き延びてやるという感じだ。それもまた『人』としての在り方の1つなのだろう。

 ロザリアは後継者陣営のはずだ。ならば後継者から依頼を受けている以上殺す気はないが、レギオンと組んでいるならば殺さねばならないだろう。まぁ、オベイロンにはレギオンが味方しているからその関係かもしれないが、何にしてもレギオン臭と彼女の悪臭が混ざって嫌になる。

 何故か今にも泣きだしそうな顔で去っていくロザリアを見送り、オレは嘆息する。リーファちゃん達の様子も気になるが、ここから探し出して合流するのは大きなタイムロスだ。ロザリアの動向は気になるが、リーファちゃんならばあの程度に後れを取るとは思えない。レコンが足枷になるかとも思ったが、石化した彼の眼には確かな『人』の灯を見た。あれならば問題ないだろう。いざとなれば我が身を犠牲しても彼女を守る道を選べる男と見た。

 ……羨ましいな。誰かを守るなど、オレには無縁の事だ。どうしてアルヴヘイムにいるのか、サインズでのオレの行動がまとめて無駄になった顛末は大いに興味もあるが、それはレコンの物語であり、あれこれオレが介入すれば余計に滅茶苦茶になるのは目に見えている。

 結局はぼっちこそがお似合いという事だ。気楽だよ、ザクロ。いつものようにソロで、傭兵として、狩人として、戦って殺して戦って殺しての繰り返し。それで構わない。

 悠長に正面突破している時間は無い。多少強引であるが、約束の塔の頂上を目指す方法には当てがある。魔力も補充できたのは大きい。雷弾の消耗は予定外だが、問題ないだろう。

 

「少し急ぐか」

 

 予定外は増えるのは旅の醍醐味だが、こんな時くらいは計画通りに進んでもらいたいものだ。棺を背負い直し、オレは約束の塔を目指して駆け出した。




レコン、生存。それは彼を焦がした狂気の終わり。

そして、狩人は呪いと共に命を糧とした。


それでは、278話でまた会いましょう。

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