SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

サクヤ死亡、お疲れさまでした。



Episode18-41 約束の塔

 約束の塔。それはかつてオベイロンによって初めて妖精がアルフに召し上げられた場所であり、以来この地は巡礼に欠かされない聖地と化していた。

 地表、そして地下の大部分は崩落した都市であり、由来も知れない古代の妖精たちの名残を覚えることができる。約束の塔の枯れることがない水源の潤沢な恵みを受けて木々は育ち、広大な森を形成した。古大樹の表面は【詩人の苔】と呼ばれる水滴を落とす度にハープのような澄んだ音色を立てる苔に覆われている。そして、鈴蘭のような傘がついた小さなキノコの【暗陽茸】は花にも譬えられる程に美しく、陽光が届かなければ届かない程に明るい光を発する為に、古来より深淵を遠ざけるお守りになると信じられた。

 そして、食においては地下遺跡を中心に巣食う大蠍の肝は珍味とされ、多くの美食家が『入門』として口にする。大蠍は一般人が相手にするならば危険であるが、熟練の戦士ならば手傷も無く仕留められるので市場には常に少数出回るが、東方以外の地で目にするのは稀であり、高値で取引される。

 約束の塔より広がる水流は渓谷を作る。これは約束の塔の森をより入り組んだ土地に変え、複数の橋がかかり、また地下遺跡も合わせればそのルートは無限に等しい。だが、多くの巡礼者が利用するのは整備された巡礼の大道であり、それ以外は森の危険性からも立ち入る者はいない。危険なモンスターは定期的な演習をかねた女王騎士団による討伐によって生息していないとされているが、森の実態は管理者である大司教にも分かっておらず、今も森に踏み入った巡礼者の失踪も珍しくない。また、この森には樹人と呼ばれる魔族……『悪魔の子孫』とさえ呼ばれる怪物が住まう為に近隣の住民は富となる大蠍狩りの為でも巡礼の道から外れようとはしない。

 そして、この嵐の時期……巡礼者すらも約束の塔には近づかないようになる。それは普段ならば穏やかな森の水流は竜が暴れるかのような濁流となり、1歩踏み外せば命が無いと一目で分かるからだ。また、白い約束の塔が映えるのはやはり晴天であり、この時期を狙ってわざわざ巡礼に赴く者はいないのである。

 だが、今は違う。巡礼の大道には騎士たちが整列し、軍旗が靡く槍を掲げる。兵士たちは式典用のマントを羽織り、まるで騎士とも見紛う威風堂々たる姿を振る舞う。普段ならば蝋燭の灯りばかりの暗室から出ることない聖職者たちも式典ようの礼服に着替え、一糸乱れぬ姿で跪いて雨に打たれながら祈りの姿勢を崩さない。

 人々は好奇と興奮と畏怖のままに口にする。『ティターニア様が降臨されたのだ』と。

 ティターニアの横顔を金糸で描いた真紅の軍旗はティターニア教団の守護者、女王騎士団の忠誠の証。聖職者の絶えぬ祈りの言葉は女王の讃美歌。兵士たちの剣はあらゆる外敵からオベイロン王の至高の宝玉を守らんとする決意である。

 

「……うわぁ、ドン引きだね」

 

「そういうこと、言っちゃ駄目だと思うわ」

 

 馬車の外の異常な光景に思わず口が滑ったユウキであるが、咎めるアスナも頬が引き攣っている。

 それもそのはずだ。確かに盛大なパレードが開かれる予定ではあったが、嵐の雷雨にも関わらず、荘厳に巡礼の大道を警備しているのである。楽団などはなく、紙吹雪もなく、無論であるが派手な踊り子もいない。何処までも厳粛にティターニアを讃えんとする教団の本気が伝わってくる。

 とはいえ、これでも予定されていた女王騎士団の動員数の3割程度にしか満たない。ユウキもアスナも詳細を探る時間は無かったが、宗教都市にて大規模な失踪事件、あるいは歴史上類を見ない同時殺人事件が発生したからだ。ティターニアが降臨したこの時期を狙った蛮行に教団は威信をかけて対応しているらしく、女王騎士団の過半はそちらの調査と都市の警備に割り当てられてしまったのだ。

 代理として埋め合わせしているのは大司教領の騎士であり、彼らは女王騎士団のように軍旗こそ掲げることはないが、銀糸が縫い込まれた赤のサーコートを纏い、冷たい雨に打たれながらも全身甲冑姿で毅然と剣や槍を構えている。僅かでも身じろぎすれば雷に撃たれるのではないかと怯えているかのように、石像のように動かない姿にはユウキも恐怖しか覚えなかった。

 やはりと言うべきか、DBOプレイヤーに比べれば装備やレベルでこそ劣っているが、『練度』というシステムもステータスも関係しない個人の力量、その1点においてはアルヴヘイムの騎士や兵士たちの方が圧倒的に上だ。彼らは文字通り人生をかけて修練に費やし、己の武技と精神を鍛え続けたのだ。それはプレイヤーの過半には得られないものである。ユウキは窓から視線を外し、向かいの席でティターニアとしての風格を示す白いドレス姿のアスナに見つめる。

 見惚れる程に美しい。比喩としての妖精がここまで似合う女性もいないだろうと、ユウキは素直に同性として彼女の美貌を評価する。彼女が最前線で戦っていたSAOでは、その美貌と剣技こそが死闘に身を投じるプレイヤー達を鼓舞したのではないだろうかと思えた。

 だからこそ、彼女のハートを射抜いた【黒の剣士】への興味も募る。アスナの視点から彼の話も聞きたかったが、思い出せない以上は語り聞くことは出来ない。それが悔しくもあり、同時に何故か情けない暴露話が連発されそうで密やかな安堵も覚えた。

 

「ねぇ、【黒の剣士】さんってどんな人?」

 

 もしかしてエスパー? 思わずユウキが顔に動揺を浮き上がらせてしまう。するとアスナは面白そうに前髪を垂らしながら小首を傾げつつ笑った。

 

「ユウキちゃんの目、ずっと私を見ているけど、別の誰かに向けられてる感じがしたから。もしかして【黒の剣士】さんかなーって」

 

「鋭いなぁ」

 

「分かるわよ。だって表情にすぐ出るんだもん」

 

 嘘はあまり得意な方じゃないのは確かだけど。ユウキはこれまでチェーングレイヴの様々な……特に緻密な計算が要求される作戦において『お前はいつも通り適当に』やら『馬鹿娘は陽動でもやってろ』やら『ユウキは適当に遊んでれば良いんですよぉ』といった感じで大人たちにあしらわれた苦々しい経験を思い出した。

 

「ボクもそんなによく知らないんだ。アインクラッドならシリカの方が、個人ならリーファの方が詳しいだろうし。だから、ボクに言えることは1つだけ……【黒の剣士】は誰よりもアスナを愛している。それだけは本当だよ」

 

「……そっか」

 

 言い切ったユウキに、アスナは幸せそうに笑いながら、憂いを帯びた眼をゆったりと進む馬車の外、侵入者を許さぬ軍勢に向ける。

 

「このアルヴヘイムに【黒の剣士】さんはいるのよね? 私がこんな真似していると知ったら、きっと――」

 

「【黒の剣士】は必ず助けに来るだろうね。でも、アスナはそれを望まない。そうだね?」

 

 全てを言い切れないアスナの為に、ユウキは続きを紡ぎ、その胸中を察する。

 沈痛な面持ちで瞼を閉じたアスナの両手の拳は固く握られて震えている。怖いのだ。逃げ出したくて堪らない程に恐ろしいのだ。

 

「……きっと、『彼』に私の名前を呼ばれたら、覚悟が崩れてしまう気がするの。私が始めた事なのに、心の何処かで無責任に攫って欲しいって願っている自分がいる。本当に駄目ね」

 

 仕方のないことだ。そう慰めの言葉をユウキは口にすることができなかった。アスナもそんな言葉が聞きたいわけではないのだろう。

 ユウキは雨避け用にしては上等過ぎる、金糸で大鷲が描かれた白のマントのフードを被り直す。マントの下はいつもの戦闘服であり、濃い紫のそれとはカラーリング的にアンマッチであるが、アスナの『ご指名』の護衛として参列するには、顔を隠すのも含めて仕方のない装備だった。

 

「ボクはアスナの騎士。アスナの覚悟はボクが守る。そう誓ったよ」

 

「ありがとう。頼もしい騎士さんね」

 

「あはは~。騎士ってキャラじゃないんだけどね。むしろ悪の女幹部が現職だし!」

 

「ユウキちゃんが犯罪ギルドの幹部なんて今でも信じられないわよ。それ、本当に実在するギルドなの?」

 

 場を和まそうと無い胸を張って自己主張すると、アスナもここは乗っておこうとしたのだろう。右手で頬杖をつき、懐疑の視線を奇異と共に送る。

 

「まだ疑ってるの!? こうなればもう1度自己紹介! フッ! DBOを支配する3大ギルドの1つ、クラウドアースの館でパーフェクトメイドさんに毎日30分以上のお説教を食らう見習いメイドは世を忍ぶ仮の姿! その真実はDBOを震撼させる悪の元締め! 武闘派犯罪ギルド、チェーングレイヴの女幹部のユウキとはボクの事だよ! ちなみに部下には『お嬢』って呼ばれてます!」

 

「まるで極道ね」

 

「だよね~。ボスがなんか『その方がカッコイイだろ』の一言で呼び方が決まっちゃって。実は今でも少し恥ずかしいんだ」

 

 端的かつ冷静なツッコミを入れてくれたアスナに苦笑しながら、ユウキは少しだけ暗く顔を俯かせた。

 きっとアルヴヘイムから戻っても、ボスに、みんなに、今までと同じように接することはできない。顔向けできない。ボスの大義を裏切ってしまったユウキにはその資格がなく、今の彼女には犯罪ギルドとしての仕事を全うできるだけの心は無かった。

 何もかもがどうでも良かった。他人などどうでも良かった。ただ【黒の剣士】を倒せれば良かった。復讐心ですらない欺瞞の目的意識。だからこそ、犯罪ギルドとして日々加担する仕事にも大した意味を持てなかった。

 

(……みんな、不退転の決意で犯罪ギルドとして戦ってたんだ)

 

 嫌になるくらいに能天気だった自分が憎たらしい。ユウキは自嘲したい口を結び、代わりに雷雨の音色に耳を澄ます。

 強い者が生き、弱い者が死ぬ。それがこの世の理屈だ。どれだけ捻じ曲げようとしても、どれだけ覆い隠そうとしても、最後にはこの絶対的な真理が全ての虚飾を剥ぎ取る。その体現者は皮肉にも彼女が最も愛した男だ。

 クゥリはそれが真実だと認めている一方で、それに抗うことこそが尊いと信じているようにも思えた。きっと青臭い精神論や矛盾を孕んだ理想論に、惜しみない称賛を送るのだろう。そして、同時にそうした尊いと信じるものを掲げても敵として立ち塞がるならば、一切の容赦なく叩き潰す『力』で否定するのだろう。

 

「あ、今度は【渡り鳥】くんの事でしょ?」

 

「だから何で分かるの!?」

 

「分かるわよ。本当に素直なんだから」

 

 あっさりとアスナに見破られ、ユウキは頬を赤く染めながらフードの端を引っ張って顔を隠した。

 

(クーも来るのかな? 嫌だなぁ。来て欲しく……無いなぁ)

 

 あんなにも会いたかったクゥリであるが、今だけはユウキも再会を望まない。仮にクゥリが約束の塔に向かっているならば、アスナが鍵のはずだ。このまま見過ごすとは思えず、強奪であれ何であれ、彼女に接触しようとするはずである。

 穢れに塗れた自分を見せたくない。アスナの騎士として敵対したくない。

 あの時のデュエルは……初めて会った雪の日の戦いは本当に楽しかった。一目惚れに近かったクゥリとのデュエルは心躍り、自分の全力を余さず出したいという欲求が溢れそうだった。あのまま戦っていれば『殺し合い』になっていただろう。だが、マクスウェルが止めなかったら、たとえ今の気持ちを抱いたまま過去に戻れるとしても、ユウキは迷わず『殺し合い』を選ぶ。

 彼の殺意は蕩けるように甘くて優しい。まるでふわふわの砂糖菓子のようであり、いつまでも味わいたいようにユウキの胸を締め付ける。誰にも理解されなくても良い。彼に殺意を独り占めできれば、それだけ彼女は一切の嘘偽りなく幸福を得られるだろう。

 だが、今この状況においては違う。ユウキがすべきことはアスナの覚悟を守ることだ。そして、その上で障害となるのはアスナを奪取しようと目論む人物全員である。

 リーファ、ユージーン、シリカは動かないだろう。リーファは腕を折られて幽閉され、ユージーンとシリカはアスナの作戦の詳細こそ知らずとも尊重して次なるアクションに備えているはずだ。他の面々……UNKNOWN、ボス、シノン、レコンについては不明であるが、今回のティターニア騒動を耳にしたとしても物理的な距離によって駆けつけることが出来る確率は低い。だが、決してあり得ないわけではないとユウキは覚悟している。

 そして、読めないのは【来訪者】の残り3人。クゥリ、PoH、そして謎のもう1人だ。PoHに関しては『邪魔をしてやろう』くらいのノリで襲ってくるかもしれない。謎の1人はユウキが廃坑都市で出会った女性かもしれない……推定ザクロであるが、PoHの仲間であるならば同じ行動を取るだろう。クゥリに関してはオベイロンが現れるというだけで『とりあえずぶち殺しに行く』くらいの意気込みでやって来るかもしれないと危惧していた。

 ユウキは2度だが、クゥリと戦闘経験がある。1度目はデュエルの不完全燃焼、2度目はシャルルの森での暴走状態だ。1回目の頃はクゥリが『急変』したとされるクリスマス前であり、2度目は底知れない実力者のスミスと2人がかりで半ば正気を失っていた彼を相手取った。

 今のクゥリはバトル・オブ・アリーナの時に見せた片鱗で全貌を見ることなど出来ない。そして、彼は『敵』ならば誰であろうとも邪魔するならば殺す。そこに貴賤も善悪もなく、たとえ昔の仲間でも親しい友人でも……ユウキが相手でも、慈悲にも等しく最大の敬意と殺意を向けるだろう。

 

(でも、決めたことだから。今この時だけはアスナの騎士だって、ボクが決めたんだ。だから、それを自分から蔑ろにするような真似だけは駄目。そしたら、もうクーに会う資格なんてなくなる。たとえクーに剣を向けることになるとしても、ボクはアスナの覚悟を守る)

 

 暗闇から食む穢れの虫の這う音が聞こえる。それは首筋を、耳を、脳髄を掻き乱す。

 冷静さを取り戻すべく、ユウキは深呼吸を入れ、まずは愛剣のスノウ・ステインの刀身を鞘から覗かせて、その冷えた刃に刃毀れない事を確認する。耐久度回復アイテムも限りは見えているが、それでも目立った破損はない。だが、軽量片手剣は脆い部類であり、カタナ程ではないにしても荒い扱いは出来ない。細心の注意を払わねば、たとえば重量級の武器を相手取った時には一撃で折られかねない。

 投擲用の雷刃ナイフはまだストックにも余裕はある。≪投擲≫のスキル熟練度は高い部類であり、ステータスボーナスもお世辞程度とはいえ実用的と言える程度には乗っている。ユウキの技量とグリムロック謹製も含めれば、十分に対人・対モンスターでもダメージを稼げる攻撃アイテムだ。

 時間稼ぎに終始するならば、投擲攻撃でお茶を濁すのもありである。雷刃ナイフの残数はまだ余裕もあるならば、惜しみなくここで消費してしまうのも方針になるだろう。

 

(でも、クーは≪投擲≫無しでアレだから投げ合いだと勝てないよね)

 

 そもそもフォーカスロックを振り切る事を得意とするクゥリに、フォーカスロック依存の≪投擲≫によるロックオン機能が何処まで通じるのか疑問もある。むしろ下手なロックオンこそが仇となるかもしれない。ユウキは【黒の剣士】と同じ天性の見切りの才覚と高い反応速度を持つが、それでもクゥリを捉え続けられるとは思えなかった。

 何よりもナイフの投擲合戦でも始めた日には、まずは間接各所を正確に貫かれ、動きが鈍ったところに機動力を更に削ぎ落とす為に脚部に集中させ、怯めば喉や目、各急所を狙ってトドメに来るだろう。≪投擲≫のロックオン無しの、純粋な運動予測と直感、そして人外級の投擲技術で正確無比に飛来するクゥリの投げナイフは、地味に彼の戦いを支える絶技だ。むしろ自身の技量だけで補っているせいで、『【渡り鳥】の所有スキルの1つは≪投擲≫だ』や『実は≪投擲≫系のユニークスキルを保有しているのではないか』という見当違いな分析結果が各ギルドで飛び交っている始末である。

 

(動き回ってるプレイヤーの甲冑の隙間や兜の覗き穴すら正確に突き刺してくる投げナイフ。うん、端的に言って恐怖以外の何物でもないよね!)

 

 笑顔で『対策は死ぬ気で回避or死ぬ気でガード以外にないんだよね♪』とユウキはどう足掻いても投げナイフの的にされる未来しか見えず、時間稼ぎでも絶対に投げナイフ合戦だけは止めようと固く誓う。

 そして、クゥリ以外にも危険な相手は目白押しだ。たとえば、仮にシノンがアスナ奪取に参加するならば、彼女の狙撃は厄介極まりない。義手化に伴って精度は落ちたとはいえ、それでも他プレイヤーの狙撃を遥かに凌ぐ腕前だ。森ならば隠れる場所も多く、ユウキを排除対象と認定した場合、こちらの認識外から射抜いてくるだろう。通常より距離減衰の影響が大きくなるとはいえ、それでも対象の防御力……装備分だけとはいえ無視してダメージを与えられる≪狙撃≫は脅威だ。

 

(でも、ボクって軽装だから装備面の防御力も高い部類じゃないし、そもそも低VITだから、頭に直撃されたら即死だね♪)

 

 笑顔で『見えない場所から飛来してくる一撃必殺の矢を躱せとかやっぱりムリゲー♪』とユウキはアスナが心配する程に笑顔を咲かせる。

 そして、ある意味でクゥリ以上に危険になるのはUNKNOWNだ。クゥリは極論を言えばユウキが立ち塞がるならば『無駄が増える』とばかりに作戦を変更するだろう。狙いが何であれ、彼はアルヴヘイムに来ている以上はオベイロン抹殺を目論んでいるだろう事は確実であり、その為ならば後々にユグドラシル城を目指しても問題ないからだ。ここで貴重な物資の消耗をするくらいならば撤退を選ぶ。

 対して【黒の剣士】はアスナの奪還こそ目的であり、オベイロンの撃破は過程だった。だが、そのアスナが手の届くところにいるならば……ましてや、再びオベイロンの手元に消えてしまうならば、死の物狂いで奪い取ろうとするはずだ。

 

(ボクは……キミにもこんな形で剣を向けたくないよ)

 

 以前ならば目的の為に、あるいは軽蔑と憎悪のままに刃を向けられただろう。だが、ガイアスとの旅の中で少なからず心を通わせた。彼の複雑な胸中を……限界まで擦り減った精神を……アスナを失った時から続いているだろう自らを焼く自己憎悪を知ってしまった。

 自分のケジメとして勝負を挑むにしても、デュエルという形で、後腐れなく決着を付けたかった。その時が来たならば勝利をもぎ取りにいくつもりでもあるし、全力を振り絞るが、もはやユウキには『殺し合い』という土台で彼に挑む気はなかった。そんな真似をしても穢れは清められない。血塗れの仮想世界最強の華をスリーピングナイツの墓標に捧げても、彼らの生きた意味さえも呪ってしまう。

 孤独のままに呪詛を唱えた。その罪から目を背ける為に墓標に捧げる花を求めた。仲間と姉と自分の生きた意味を捧げようとした。ただ欺瞞のままに。

 

(……ボク、本当に『弱い』なぁ)

 

 思い出したのは、1匹残らず殺すと誓った怪物でありながら、余りにも存在そのものが美しくて、レギオンへの憎悪すらも奪ったグングニルだった。

 彼女は『強い』のだろう。自分が持つレギオンとしての残虐性な側面を認め、それでも心のままにユウキやUNKNOWNを助けた。アスナの危険を伝えた。自分に出来る最善を尽くしたのだろう。

 

(話がしたいよ。レギオンは何を考えてるのか。知らなかったことが知りたいんだ)

 

 今まで嫌悪するだけだったレギオンには目的があるはずだ。マザーレギオンというレギオンの頂点と出会い、グングニルというレギオンとは思えぬ異端に救われた。だからこそ、ユウキは純粋にレギオンへの理解を深めたいと望む。 

 だが、今は何よりもまずアスナを守りきらねばならない。そう魂に誓ったのだ。ユウキは不安を表に出してはアスナの覚悟を汚すだけだと頭を振って意識を切り替える。

 

「アスナ、気休めだけど≪占術≫を発動させるね」

 

「えーと、確か特殊なアイテムを使ってバフを発動させるスキルだったわよね?」

 

「うん。でも、大半は使えないバフばっかりだけど、無いよりマシだから」

 

 アイテムストレージからユウキが取り出したのは≪占術≫用のカードだ。タロットカードに似ているが、その絵柄はDBOの歴史に則ったものである。

 対象はアスナだ。今のユウキの熟練度では最大で1日3人までしか発動できない。だが、1度発動させれば1日中効果が持続するので、良質なバフが付けば有用だ。ただし、効果は使用する≪占術≫用アイテムに依存する上に、高い効果を期待できるものは使用回数も限られている上にアイテムストレージも消費するのでおよそ実用的なスキルではない。

 今回のユウキが持ち込んでいるのはそれなりの効果が望める【アストラの占具】だ。ここぞという戦いの時の為に取って置いたものであり、最大で5回しか使用できないが、今こそ使うべき時だと心を決める。

 カードを馬車の備え付けの折り畳みテーブルの上に並べ、≪占術≫を発動させる。するとユウキの手が滑らかに動いてカードの山をシャッフルし、裏返しにされたカードで円陣を作るように12枚並べ、無作為に3枚を捲った。

 

(太陽と光の王女グヴィネヴィア、罪の女神ベルカ、灰色の大樹かぁ)

 

 このカードにも何らかの法則性があるのだろうが、ユウキは今のところ解析が出来ていない。興味津々のアスナと間にシステムウインドウが表示され、メッセージが並べられてバフの光が彼女を包んだ。

 

「『今日のあなたは七色ドロップ。とても珍しい出会いがあるかも。さぁ、元気いっぱいアイテムハント! ただし、獲物を狩ろうとしている時こそ狩られるピンチ! 背中には十分に気を付けましょう!【効果:ドロップ率アップ+背後からのクリティカルダメージ減少】』。確かに良い効果だけど、理想で言えばデバフ攻撃強化とか欲しかったわね」

 

 有用ではあるが、この局面ではあまり意味がないバフと本命でもある占いの内容にアスナは唸る。ランダムであるが故に欲しいバフが必ず得られるはずもなく、むしろ当たりの部類を引いたアスナは十分に幸運を持っていた方なのかもしれないが、今のアスナにはいずれも効果が薄い。

 続いてユウキ自身に発動するが、出たカードは暗月の『女神』グウィンドリン、【深淵狩り】アルトリウス、最初の火だ。

 

『今日のあなたは真夏の氷。熱くなりすぎないで! 時には恥でも退いて日陰に逃げ込む事も大切です。そうしないと取り返しのつかない事になるかも!? 逃走用アイテムの準備はOK? さぁ、脱兎の時間だ!【効果:非戦闘時にスタミナ回復速度上昇+オートヒーリング】』

 

 ……つ、使えない。どちらも一見すれば効果は絶大に映るが、そもそもスタミナの回復速度がどれだけ上がるにしても戦闘中は効果無しである。戦闘中に発動しないオートヒーリングなど戦闘後の回復アイテムをケチる以外の使い道がない。端的に言えば『字面だけならば当たりに見える大ハズレ』である。

 これだから≪占術≫は役に立たないんだよ! 泣きたくなりながら、女子力を求めてこんなスキルを得てしまった自分が恥ずかしいとユウキはカードをアイテムストレージに収納する。ちょっと気分が欝だった朝に、『そういえば姉ちゃんと一緒によく朝の占い見てたっけ』くらいのノリで入手したものだ。

 だが、スキルとはそういうものだ。全てを実用的なもので埋めようとすれば、必ず何処かで軋轢が生まれる。精神は余裕を欲しがる。だからこそのフレーバースキルであり、プレイヤーは非実用的ではないと分かっていながらも、このデスゲームの中で余暇を求めるようにスキル枠を消耗するのだ。

 

「ごめんね。もっと良い効果が付けばよかったんだけど。それにこの占いも当たった試しがないんだ」

 

「フフフ、占いなんて当たるも八卦当たらぬも八卦よ。良い結果は信じて、悪い結果は信じない。バフが付くだけ実用的じゃない」

 

「そ、そうだよね! でも、このカード5回しか使えないのに5万コルもするんだ。つまり、このバフ1回1万コルです」

 

「やっぱり使えないスキルね」

 

 と、そこで顔を見合わせて、どちらからでもなく笑いだす。この嵐は終わる気配もなく、間もなくアスナは一世一代の大勝負に出るというのに、気が抜ける程に、下品な程に大笑いを重ねる。

 

「良い気分転換になった?」

 

「ええ。ユウキちゃんのお陰で頑張れそう。やっぱり頼もしいナイト様ね」

 

「当然! ボクはアスナの筆頭騎士だもん! でも、近衛騎士の座は【黒の剣士】に譲っておくよ。アスナの本当のナイト様は彼だからね♪」

 

 唇に人差し指を当てて悪戯っぽくウインクしたユウキは、いよいよ止まった馬車の扉が開けられると同時にスカートを翻して雨の中に飛び出す。だが、それは嵐の大雨ではなく、茂る大樹の木の葉の傘が折り重なった天井、そこを抜けてきた雨の雫だ。

 ユウキは騎士から傘を受け取ると左手で差し、毅然と『ティターニア』としての表情で馬車を降りるアスナに右手を差し出す。

 

「『ティターニア様』、お手を」

 

「ありがとうございます」

 

 騎士の軍旗が靡く中で、ユウキはアスナの隣で迫る約束の塔を見つめる。遠くから見た約束の塔は巨大な1本の円塔だった。それは変わりないが、実際には塔の周辺は水没した大小様々な塔が頂点部分を水面から顔を覗かせ、そこに無数の橋が大樹の根や枝が絡み合っている。まさしく天然の迷宮であり要塞だ。

 本来ならば澄んだ水で底まで覗けるとの事であるが、今は泥で染まった濁流となっている。まるで無数の頭を持つ龍を思わす流れは身を投じれば容易な浮上を許さないだろう。

 

「お待ちしておりましたぞ、ティターニア様!」

 

 と、木の葉のトンネルを抜ける直前にて待っていたのは、全身甲冑姿の大男である。フルフェイスの兜のせいで最初は誰か分からなかったユウキであるが、その独特の存在感からアルフのマルチネスであると気づく。

 全身を隠すような巨大な円盾、そして先端が膨れ上がって鈍器としても使える槍を備えたマルチネスは、存在感に圧迫されて危うく『ティターニア』の演技が剥げそうになったアスナの前に跪く。

 

「吾輩、この時をずっとずっと待っておりました! ティターニア様をお守りする! それこそが我が騎士道! このマルチネス、ティターニア様の御髪1本たりとも賊に渡しません! どうかご安心ください!」

 

「は、はい。よろしくお願いしますね、マルチネスさん」

 

「勿体なきお言葉! 賊共よ、我が武勇を恐れぬならばかかってくるが良い! オベイロン陛下より賜った【鈍銀の聖妖精甲冑】はあらゆる攻撃に耐え、【女神の大盾】はあらゆる災厄を弾き、この【信義の槌槍】は邪悪を叩き潰して貫く! 吾輩は要塞! 吾輩は鉄壁! 吾輩は肉盾! 吾輩の忠義に偽り無し!」

 

 ティターニアの横顔が彫り込まれた大盾に恥ずかしさの余りにアスナは顔を背ける。ユウキも1歩どころか10歩は遠ざかりたい狂信であるが、当の本人はユウキにとってアスナ防衛の為にも貴重な戦力だ。

 だが、少なくともオベイロンは彼の事が気にくわなかったことだけは窺える装備であるとすぐに判明する。甲冑は聖騎士のような荘厳なものでありながらもひたすらに重いらしく、飛行能力が制限されてアルフでありながら陸上移動以外できないのだ。

 一方で彼の得物である槌槍は彼が女王騎士団時代に『名前付き』を倒した際に得た武具らしく、槍としてのリーチにスパイクメイスのように歪んで膨らんだ穂先は鈍器として敵を潰し、鋭い先端は敵を刺し貫く。この2つの特性を持つ長物を十全に片手で操るマルチネスが大盾を構えれば、まさしく動く要塞だろう。

 

(でも、どうして要塞からどんどんランクダウンしたんだろう?)

 

 本人の口上にツッコミを入れたいが、もしかしたらマルチネスの中では『要塞<自分という肉壁』なのかもしれないとユウキは勝手に納得しておくことにした。

 ある意味でユウキ達にとっては敵の本陣ともいうべき場所。マルチネスを除くアルフ達も警備についているが、その数は想定よりも少ない。森の外縁と全体に配置されているからだ。飛行して巡回しているアルフも含めれば、多くても30人ほどだろう。

 

「あれが約束の塔」

 

 そう呟いたアスナが見上げる白い塔は森のあらゆる場所から目撃できるだけの高さがある。巨大な円塔の内部の空洞となっており、複数の広間を繋ぐ螺旋階段と昇降機があるばかりらしく、その荘厳な見かけに反して、ひたすらに空を目指したような外観重視の建造物だ。

 はたしてオベイロンがどんな意図であの塔を建造したのか、あるいは滅びた都市の遺物か。何にしても、アスナがオベイロンと待ち合わせしている場所は屋上である。

 確かにこの高さであるならば、オベイロンを確実に落下死させることができるだろう。ユウキも納得の高度である。

 約束の塔に向かうには複数のルートがあるのだが、今回使用するのは巡礼の大道の最後の華、かつては華やかな劇団が拍手を浴びただろう、朽ち果て木々に侵蝕された劇場跡地から繋がれた水門鉄橋だ。

 本来ならば大きく迂回しなければ中心部の約束の塔には近づけない。その為には大小複数の橋、あるいは水面から伸び、滅びた都市を食らう大樹の枝や根を伝って進むしかない。だが、この水門鉄橋はそれぞれの陸地にかかっている跳ね橋を繋げて最短ルートを作り出すというものだ。それは巨大な水門が開く様に似て、壮大な技術の結晶である。

 

「残念ながら、このカラクリを思いついた技師はオベイロン王の法に反したとされて処刑されました。陛下は我らの知恵こそが深淵を呼ぶと危惧されていらっしゃる。吾輩は深淵に関して門外漢ですが、どうしてもこの水門鉄橋を憎むことはできません」

 

 ゆっくりとカラクリが動き、跳ね橋が降りて繋がり合う姿を見守るマルチネスの呟きに、ユウキは人類の英知を示すような水門鉄橋を生み出した名も無き技師に哀れみを覚える。意図的に文明レベルを抑え、なおかつ自分の脅威になる武具を生まないように枷をかけたオベイロンによって、アルヴヘイムに革命を巻き起こすはずだった多くの技術者が亡き者にされたのだろう。

 きっとグリムロックは激昂してオベイロンに宣戦布告するに違いない。普段の温厚な姿から想像もできない程に血管を浮き上がらせて戦槌を背負って決戦に挑む姿を思い浮かべて、ユウキは間違いないはずだと笑う。

 

「手、握ろうか?」

 

 ぼそりとユウキはアスナの隣で呟く。騎士や聖職者が跪いて顔を俯かせる中でアスナは凛として約束の塔を見つめているが、その拳を握った両手は微かに震えていた。傘を差して寄り添うユウキに、アスナは小さく微笑むと首を横に振る。

 1つ目の跳ね橋が繋がり合った時、まるでこの瞬間を待っていたとばかりに約束の塔真下だけに『光』が降り注ぐ。嵐の暗雲が円状に裂けて青空が顔を覗かせ、天使のラッパの幻聴が聞こえてくるように虹の輪が生まれる。

 

「おぉ! オベイロン王の……妖精王の御業だ!」

 

「嵐を打ち払うとは!」

 

「なんと神々しい!」

 

 騎士や聖職者たちが口々に感動するが、ユウキは青空に潜む傲慢さに半ば呆れを覚える。何処までアルヴヘイムの環境を操れるのかは知らないが、わざわざ約束の塔の真下『だけ』を晴天にしたのだ。現にユウキ達がいる『付近』は今も雷雨が容赦なく続いている。

 オベイロンは『自分』だけが雨に打たれずして濡れぬ身であると誇示し、下々は泥に塗れて這いつくばっていろと宣言しているようなものだ。その真意に気づけた者がこの場に何人いるのかも疑わしい。

 

「行きましょう」

 

 そう言ってアスナが1歩前に出る。1つ目の跳ね橋を渡り、女神像が安置された場所に跡地に向かう。橋から見下ろせば、濁った水流は無数の蛇のように絡み合っている。何もない場所で足を踏み外すことはないとは言っても、まるで自分が吸い込まれるのではないだろうかという錯覚がユウキの背筋を駆ける。

 水門鉄橋は全部で3つだ。劇場跡地から女神像跡地、次は神殿跡地、最後は約束の塔までの橋が繋がり合う。

 

(これは罪の女神ベルカ?)

 

 破壊された女神像であるが、微かにある名残にユウキは既視感を覚えて知識を照会して正体を見破る。罪の女神ベルカは謎が多く、全ての咎の定義者であるとも、復讐の肯定者であるとも、そしてグウィンに仇成す暗躍者であるともされている。だが、共通していることがあるとするならば、多くの神々の名が忘れられたDBOの後世においてもその影響力を保っていたことだろう。

 だが、罪を『罪』と定めるのはなんだろうか? ユウキは2つ目の跳ね橋が繋がり合おうとする光景を見守りながら考える。

 人類の英知が培った道徳と法律。それは確かに人間の善悪の指針に多くの影響を与えるだろう。だが、親に教えてもらうまでもなく殺人への禁忌の意識を『人』は持つ。それは生物として同族・同種を攻撃してはならないと本能に書き込まれているからか、それとも『人』は生まれながらに善であろうとも足掻く生物だからか。

 性善説と性悪説。それは好みの問題であり、真実はそこにない。世間を見回せば大多数が善人に見えてもそれは先進国の視点であり、紛争地帯の発展途上国ではモラルに縛られては生きていけない環境がある。

 銃を握らねば生き残れない戦場で育った少年兵は『悪』なのか? 撃った相手の分だけ『罪』は増えるのか? あるいは、そうするしかなかった環境に絶望するのか?

 考えても真実は得られない。富めるも貧しきも善悪の境界線を決定づけるものではない。環境すらも関係ない。罪を定義するのは法であるが、罪を感じるのは己だからだ。

 罪悪感。それこそ万人が得られる唯一無二の正義の所在なのだ。大量虐殺をした狂気の大悪党でも、人々を守った救国の英雄でも、自身の行いにその胸で罪悪感を抱いた時、それは法の有無に関わらず『罪』となり、自らを『悪』とする。

 

(ボクはたくさんの人を傷つけてきた。殺してきた)

 

 胸の奥底に沈むのは確かな罪悪感。それはどんな大悪党だろうと感じずにはいられない禁忌の疼き。それを甘美に味わえるのが大悪党であり、大多数の犯罪者と呼ばれる者たちは悪行を成して笑いながらもそれに苦しむ。PoHなどは前者の代表例だろう。罪悪感すらも御馳走にできる悪党はもはや悟りにも等しい領域にあるのかもしれないとユウキは思う。

 姉とスリーピングナイツに孤独のままに呪詛を吐いた。それは罪となって穢れとなり、彼女をより強く暗闇に縛り付ける。

 どうしてこんな事ばかり考えるようになったのだろうか? 穢れに気づかない頃は……【黒の剣士】を倒す事だけを盲目的に考えて生きていた頃はあり得なかった事だった。

 2番目の跳ね橋を渡り、神殿の跡地にたどり着く。大樹が茂り、濁流に浸りながらも腕を伸ばすように幹や枝を血管のように伸ばしている。幾つもの大樹が結びつき、木の葉は天然の傘となる。

 神殿のかつての名残を示す黄金の鐘は蔦に覆われてもはや鳴り響くことはなく、嵐と濁流の音色さえもが静寂を濃くするばかりだった。

 

「伝令!」

 

 そして、『その時』はやってくる。空を舞って現れたのは警備についていたアルフの1人だ。白銀の甲冑を身に纏った30代半ばほどの男であり、その姿を目撃してマルチネスはフルメイル姿を震わせながら鈍重に振り返る。

 

「むん!? どうした!?」

 

「マルチネス殿、森の各所で正体不明の襲撃犯によって警備隊に損害が出ている! 他のアルフや警備隊も対処しているが森の広域の分散した襲撃で対処しきれん! 貴公はティターニア様を連れて一刻も早く約束の塔へ向かえ!」

 

 アルフたちや騎士たちでも浮足立つのほどの混乱。誰かが仕掛けてきたのだろう。ユウキは瞼を一瞬だけ閉ざして深呼吸を挟む。

 アスナの眉が僅かに跳ねる。このタイミングの襲撃だ。何者かが……高確率で【来訪者】の誰かが自分の救出のために仕掛けてきたのだろうと予想するには十分だ。

 報告に来たアルフが振り返る。約束の塔周辺の水没地帯、遺構を繋げて約束の塔まで一直線の道を作り出す跳ね橋、それに向かって誰かが駆けている。警備の騎士たちが全力で押しとどめているが、ついに間近とまで迫った者を止めることは出来ない。

 その戦いの様は……まさしく鬼。数多の骸を積み上げ、一切の慈悲も無く、鮮血を浴び、こちらへと一直線で駆けてくる。迎撃のために報告に来たアルフが飛行能力を活かして両手剣を振るいながら跳びかかるも、剣戟の最中に腕を、腹を、喉を裂かれ、最後には心臓を潰されて瞬く間に絶命すると濁り水の中に蹴落とされた。

 

「アスナ、振り向かないで。見ちゃいけない。見ちゃ駄目だ。このまま行って」

 

 振り返ろうとするアスナを後ろから抱きしめて、ユウキはその背中に限りなく感情を殺した声で呟く。アスナは肩を震わせ、それでも堂々と前に進むしかないと覚悟を決めて頷き、マルチネスに先導される。 

 

「マルチネスさん、ティターニア様をよろしくお願いします」

 

「うむ。吾輩は最後の砦となり、ティターニア様をお守りしよう。貴公の武運を願っているぞ!」

 

 飛行すればあっという間であるが、アスナは最後まで『ティターニア』として振る舞うつもりなのだろう。自分の足で約束の塔を目指すことを選ぶ。それに同行するマルチネスの後ろ姿を見送り、彼ならばティターニアへの忠誠心で最後まで守ってくれるはずだと信じる。エドガーがそうであるように、狂信とは度し難いが、それ故に裏切りはないものなのだ。

 跳ね橋が動き出す。ゆっくりと再び持ち上がり、その繋がりを断っていく。襲撃者は追い縋る騎士たちの包囲を強引に突破し、上がっていく跳ね橋を駆け抜ける。足りぬ距離は跳躍出稼いで反対側に着地するつもりなのだろう。そうはさせるかとユウキもまた斜面になりつつある跳ね橋を走り、襲撃者と同タイミングで宙を舞い、刃を衝突させてその狙いを潰す

 着地したのは罪の女神ベルカの神殿跡地。ボクに相応しい戦いの場だ。ユウキは自嘲する。

 まだ約束の塔に向かう方法はある。最短ルートの跳ね橋はもう使えないが、大樹の根や枝、各所の遺構を繋ぐ橋を渡れば、遠回りでも約束の塔にたどり着ける。だが、ユウキは最大限にそれを邪魔する所存だ。

 

「ここから先は……通さないよ」

 

 そう襲撃者に宣言する。『誰』であろうとも……アスナの元には行かせないと。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 一足遅かった。シノンは奥歯を噛みながら、木々が生い茂る約束の塔の森を駆ける。巡礼の道は女王騎士団と大司教領の騎士で厳重に警護されている以上、アスナの奪還の為には何とかして敢えて『警備の中心』である約束の塔周辺の水没エリアに向かう必要があった。

 これは元女王騎士団であるヴァンハイトの発案である。巡礼の道で襲撃をかけても警備に阻まれるだけであり、またアルフを引き寄せる。それではシノンという戦力でもアスナを奪還して『逃走』することはできない。

 だが、約束の塔周辺の水没エリアは多くの橋と大樹の枝や根で繋がりあった複雑な土地であり、また地下まで遺構が続いており、アスナを攫って即座に地下へと逃げ込めばまだ成功の目があるとアドバイスしたのだ。

 

『ワシも女王騎士団時代に何度か調査したが、地下は複雑怪奇。迷宮にも等しい。女王騎士団も全容は把握しておらんだろうな。あそこに逃げ込めばアルフの翅は封じられる上に潜伏も容易。まぁ、敢えて問題があるとするならば、大半の出入口は女王騎士団も既知であるが故に袋の鼠になることだが、それは地下の大遺跡。まだ知られていない地上への抜け道も多い』

 

『リスクは大きいですが、「奪還」には「脱出」も含まれている以上、この地下遺跡を利用する以外に方法はないでしょう。そうなると、どうやって約束の塔に近づくかですが、ここは敢えて戦力を分散して限りなく均一化を図るべきですね。それぞれが別ルートで森に侵入し、最短でティターア様に接近する。この発煙筒を利用しましょう。元々は欠月の剣盟が用いていたものを暁の翅がバリエーションを増やして量産したものでして、雨天でも濃い色煙をあげます。誰かがティターニア様に接触できる距離まで近づいたならばこれを使用し、他は陽動役に回ります』

 

 ヴァンハイトの情報を元にレコンが作戦を考えるより先に、より実戦を潜り抜け、また『現地』で常に指揮を執っていたロズウィックの発案は、リスクを取っても作戦の成功を優先するものだった。

 本来ならば戦力が限りあるシノン達が分散して潜入するのは各個撃破の危険性が高まる。無論、人数が増えれば増える程に隠密ボーナスは下がる為に索敵に引っかかる危険性は高まるのであるが、それでも戦力分散は悪手だ。だが、もはや時間との勝負であり、また真っ向から敵軍を戦わずに限りなく奇襲でアスナを奪うことこそが最良と判断したロズウィックの策に反対の声は無かった。

 

『だったら3チームに分けましょう。ヴァンハイトさんのチーム、僕とロズウィックさんのチーム、そして最も隠密性が高いシノンさんは単独で良いですよね?』

 

 最後に口出ししたレコンに異議もなく、シノンは単独で約束の塔の森に潜入した。シノンの発煙筒は赤、ヴァンハイトは緑、レコンは青の煙を上げる。これで誰がアスナの奪取に携わっているか分かる仕組みだ。

 こうして開始された即席仕立てのティターニア奪還作戦であるが、シノンは元より地理を把握しているわけでもなく、地図を眺めていたばかりだったが故に、木々の狭間から見える巨大な約束の塔を目指して駆け続けるしかなかった。幾ら単独行動慣れしているとはいえ、マップ機能が不全状態のアルヴヘイムは常に未知のエリアを探索しているのに等しい。対してヴァンハイトにとってこの森は既知であり、ロズウィックにも憶えがある。その埋め合わせをシノンは自信の力量で行わなければならなかった。

 そして、ここで問題になるのは多くの巡回の騎士や兵士であり、空のアルフであり、そして激流となった川であり、森という地形だった。

 平坦な土地ならばDEX特化のシノンならば最速で約束の塔に近づけるだろう。その速度はアルヴヘイムでもトップクラスに違いない。だが、どれだけ最高速度が群を抜いているとしても、現実でもそうであるように速度を引き上げるのはそう難しいことではなく、より重要になるのは制御技術だ。

 森を走る。その困難さは言うまでもない。どうして過去の偉大なる王たちは、そして現代の権力者たちは街道や交通網の整備に全力を尽くしたのか? それは整備された道路と自然の大地では利便性が圧倒的に違うからだ。

 木々の間を抜ける為には速度を落とさねばならず、凸凹の大地は踏む度にバランスに影響を及ぼす。下手すれば転倒、そうでなくとも失速は間違いなく、体が自由に動かせないような雁字搦めの状態に陥るような気分となる。

 シャルルの森で嫌という程経験した事だ。シノンはまだ十分に速度を出せている方であるが、森の間を縫うような巡礼の道を通り抜けなければならない度に心拍数が上がる。≪気配遮断≫が機能している以上、シノンの隠密ボーナスはアルヴヘイムの住人では≪気配察知≫を持っていても容易に看破できるものではない。だが、数が数なのだ。1度でも発見されればアスナへの接触方法は強行突破しかなくなる。

 

(クールになりなさい。焦ったら負けよ。UNKNOWNも必ず来ているはず。私がすべきことはアスナさんに接近して奪取する事、あるいは『彼』のサポートに徹する事。ここでバレて警戒態勢を引き上げれば勝ち目はなくなるわ)

 

 だが、最悪な事に何処にでも行動力のある狂信者とはいるらしく、熱心なティターニア信徒が妖精の女王を一目見ようと森に忍び込み、各所で捕縛されている。そのせいで森の外縁の警備体制は尋常ではなく、アルフの目も厳しい。

 

(≪狙撃≫でアルフの数さえ減らせれば……なんてね)

 

 変形機構を備えた弓剣は純粋な弓に比べれば射程距離が劣る。また矢に関わらず距離減衰も高めだ。これは仕方のない事である。だからこそ、シノンが装備している指輪の1つは【模された鷹の指輪】だ。これは四騎士の1人に数えられる【鷹の目】ゴーの指輪の希少な『オリジナルに近い』位置付けの模造品だ。

 古竜さえも射抜いて落としたとされる、巨人でありながらも四騎士に列することが許された大英雄のゴー。彼の指輪の模造品であるこれは弓の射程距離を伸ばし、また距離減衰を抑える効果を持つ。残念ながら指輪の効果は弓にしか反映されない為、クロスボウや銃火器には範囲外だ。だが、弓剣を用いるシノンからすればこれ以上とない有用な指輪である。

 義手のせいで精度は落ち込んでいるとはいえ、それでもシノンの狙撃能力は依然として高く、他の追随を許さない。弓剣では限界があるとはいえ、十分に≪狙撃≫を活かすことができるのだ。翅に胡坐を掻いて油断して飛行しているアルフを射抜くくらいは余裕だった。

 逆に言えば、アルフの注意は森の外縁、あるいは更に外に向けられている。どうやら街道の黒獣騒動にも気を配っているらしく、たとえ洗脳されているとしてもオベイロンが深淵と組んでいるなど知る由もないアルフ達は警戒を怠ることができないのだ。そして、件の宗教都市の連続失踪事件によって女王騎士団大部隊が警備についていない事もあり、シノンたちが何とか森を侵入して進む方針が取れる出目となっていた。

 黒獣騒動と連続失踪事件。どちらもアルヴヘイムの住人の不安を煽るものではあるが、ここに来て【来訪者】であるシノンにとって有利に働いている。そのことに感謝しつつ、シノンはこの嵐が物音や足音を隠してくれていると天運さえも自分たちに傾ているように思えた。

 

「……酷い雨」

 

 だが、それでも嵐の中に外を出歩くなど阿呆がすることである。それは仮想世界でも……アルヴヘイムでも変わらない。

 風は幾許か弱まっているが、雨は依然として強く冷たく全身を鞭打つ。木々の木の葉で遮られているとはいえ、それでもシノンは余すことなく濡れていた。

 シャルルの森ほどに広大ではなく、また真性のジャングルだったあちらに比べれば歩みも容易い。額に張り付く髪を掻き上げ、もう半ばまで来れただろうと思いたいシノンは生温い吐息を漏らす。

 体熱が奪われる。寒冷状態にはなっていないが、それでも集中力は陰る。雨の真の恐ろしさとは心身の余力を削り取ることにある。冷えた体は思い通りの動きを生み出さず、濡れた思考はネガティブ方向に傾く。それは負のスパイラルを生み、決定的なミスに繋がる。

 少し休憩しようと、今にも氾濫しそうな川を跳び越えたシノンは数分でも構わないから雨宿りできる場所はないかと探し、逞しい大樹の根元に洞窟の如き洞を見つける。もはや巨大を過ぎた大樹に笑いが零れながらも、その大樹が既に『死んでいる』ことに気づいた。幹は途中から失われて腐り果てていたからだ。

 

「ちょっと失礼するわよ」

 

 そこは神秘的な風景が広がっていた。入り込んだ大樹の洞は地下に繋がっており、そこには澄んだ水で浸されていた。岸は柔らかな苔で覆われている。揺れる水面からは水蓮の如き水草が白い花を咲かせて靡き、太陽の届かぬはずのそこは外の嵐が嘘のような明るく優しい光に満ちている。それは大樹の洞の内側……特に天井からぶら下がるように群生したキノコのお陰だとシノンは全身に、まるで太陽のような温かさを帯びた光を浴びる。

 泥だらけのブーツを脱ぎ、水に足を入れて指で洗う。キノコの熱を帯びた光を浴びながらも心地良い澄んだ冷たさを宿していた。雨で溜まった水ではなく、湧き水なのだろうとシノンは細やかなリフレッシュを終える。

 

「どうして私を置いて行ったのよ」

 

 だからこそ覚えたのは苛立ちだった。ブーツを履きながらシノンは左手で胸を押さえる。

 UNKNOWNがアリーヤを使って最短ルートで大司教領を目指したと知った時、シノンが感じたのは虚無感だった。共にアルヴヘイムに乗り込み、その胸中を聞き、アスナの救出に尽力すると誓ったはずなのに、ようやく合流できた自分を置き去りにした。

 これ以上は巻き込めないと思ったのか? それとも足手纏いになると切り捨てたのか? どちらだろうとシノンにあるのは、傍にいながらも自分を『選ばなかった』UNKNOWNへの執着心という名の暗い感情だ。

 大樹の洞から再び豪雨の下へ。シノンは嵐の中で異質の音色を耳にする。空を飛行するアルフたちが何処かに急行し、上空からの索敵が緩まる。何事かと思いながらも進むシノンが出くわした巡礼の道で見たのは、およそ尋常ではない光景だった。

 

「貴様、一体何をぉおおおおおおお!?」

 

 それはみすぼらしい姿をした、奴隷風貌の男が騎士に組みついて自爆する姿だった。布で覆って背負っているのは樽であり、雨を浴びても消えぬ油が浸み込んだ松明を手に騎士に突撃すると樽に着火し、自分ごと爆破して騎士を攻撃する。それは確かなダメージを騎士に与えるが、自分の生に対してリターンは少ない。アルヴヘイムの住人にしてはレベルが高く、装備もしっかりと整った騎士たちでは、安物の火薬による突撃はダメージになっても即死級には至らないのだ。

 だが、各所で起こる雷鳴にも似た爆音は騎士や兵士たちに恐怖を刻み込む。まるで死を恐れずに突撃する貧民たちの目はある種の狂乱に満ちていた。シノンはそれが麻薬系アイテムで骨抜きにされた中毒者と同じものに見えて戦慄する。

 何が起きているのか分からない。だが、我を失って無意味に等しい攻撃を続ける貧民たちは、死への恐怖を克服しているようには思えなかった。

 

「あは、あはは……あはははは!?」

 

 唾液を撒き散らして笑いながら3人の貧民が剣と盾を用いた実戦的剣術で相対する騎士に斬られながらも組みついて自爆する。それはダメージこそ細やかであるが、飛び散った肉片と溢れた血、そして死に際の狂乱の笑い声に騎士は錯乱する。

 

「何が起こっているの? これはどういう――」

 

 巡礼の道を横切り、ともかくこの混乱を利用するしかないと森を走り続けるシノンだったが、背後から貫いた衝撃によって吹き飛ばれて地面を転がる。

 背中に満遍なく広がるダメージフィードバッグに唸り、自分を焦がした爆発はバックアタックによってHPを3割ほど削られた攻撃力に襲撃者の危険性を理解し、続く『銃弾』をギリギリで見切って回避する。

 

「……さすがだな、山猫」

 

 小石と泥が混ざった地面を踏みつけて現れたのは、森での戦闘を想定した暗緑色の迷彩マントを身に着けた、金属質の髑髏の仮面をつけた男。その左手に持つのは彼のシンボルであり、また事件名の由来にもなった黒い塗装の……だが、あの時とは違って現実では存在しない規格のハンドガンだった。

 デス・ガン! 自分の背後を察知される事なく取り、先制攻撃を仕掛けてきた敵に、シノンは牙を剥く。

 過去との決着。トラウマの克服。その全ては自分を再び悪夢に突き落とした死銃事件、その主犯たるデス・ガンを倒してこそ得られる。シノンはそう結論付けている。故にこの遭遇は本来ならば喜ばしいことであるが、今はアスナの奪還こそが優先であり、デス・ガンの相手をしている時間は無かった。

 

「随分なご挨拶ね。ここがあなたの言う相応しい戦場なの?」

 

「『大いなる母』の命令だ。だから死んでくれるなよ。貴様はもっと相応しい舞台で処刑するのだからな」

 

「あら、通りでパンチが足りないわけね。でも、2度目はないわ。一撃で殺せなかったことを悔やみなさい」

 

 どうやらデス・ガンもこのタイミングでの戦闘は予定外……渋々というのが本音らしい。『大いなる母』なる人物の命令で立ち塞がるデス・ガンに、この森ではDEXでモノを言わせて逃げることは無理だろうと判断したシノンは、迅速に目の前の障害の排除こそが最速の解決案だと決定する。

シノンは右手で曲剣モードの弓剣を逆手で構える。見たところ、デス・ガンの装備は左手の黒いハンドガン1丁だけである。他にも装備があるのかもしれないが視認はできない。

 

(マントの中に得物を隠しているのだろうけど、長物じゃない。せいぜい短剣クラスが限度のはず。リーチは弓剣の方が上だし、近接なら義手で対処できる。場合によっては『アレ』を使うべきね)

 

 マユが搭載した義手の『切り札』は使用回数に限りがあり、来たるランスロットとの決戦でぶつける予定だった。だが、一刻も早いデス・ガンの処理が急務である以上は解放も視野にいれるべきだとシノンは舌打ちしたい心情になる。

 一方でシノンが安易に間合いを詰められないのは、先程の背後を襲った爆発の正体が読めないからだ。背後からの攻撃だったが故に確認できなかったが、大きな爆発を伴う火炎属性の攻撃だったのは間違いない。だが、デス・ガンの装備は右手のハンドガンのみだ。火炎属性の爆発が伴うとなればグレネードキャノンが定番なのであるが、そのような重量火器をデス・ガンが装備しているようには見えない。

 ハンドガンは種類にもよるが、弾数が多い継戦能力重視ならば牽制がせいぜいのはずだ。弾数が少なく威力が高い攻撃力重視でも同ランクの標準ライフルに届くか否か程度であり、射程距離も短い。例外的に継戦能力を度外視した教会の連装銃はあるが、デス・ガンの黒いハンドガンはその手の類ではないだろう。

 そうなると先程の攻撃は呪術とも考えられるが、シノンの目が狂っていない限り、デス・ガンの両手に呪術の火が仕込まれている様子はない。ならば火炎壺のような投擲系攻撃用アイテムかとも思うか、それにしては直撃とはいえ威力が大き過ぎるようにも思えた。

 踏み込めないでいるシノンに、デス・ガンは嘲うように『無手』の右手を突きつける。

 

「見せてやろう。俺が『大いなる母』より授かった能力を」

 

 能力? 何かしらのスキルだろうか? シノンはいかなる挙動も見過ごさないと注視するも、またも背後から走った衝撃、そして伴った黄金色の雷光に視界が明暗する。

 後ろから吹き飛ばされる形で無理矢理距離を詰めさせられ、同時にHPを減らしたシノンに、デス・ガンは左手のハンドガンを撃つ。飛来する弾丸を咄嗟に義手でガードし、金属同士の衝撃音と火花が散る。

 

「死ね」

 

 端的に殺意を突きつけ、デス・ガンが右手で懐から引き抜いたのは『柄』である。それは円筒に近しく、刀身も鍔も無い。だが、眩い青と赤が入り乱る白光の刃を形成する。それは≪光剣≫……いわゆるレーザーブレードである。魔力を消費して展開される刃は総じて高火力であるが、シノンはコンマの間の視覚から取り入れた情報により、デス・ガンのレーザーブレードは低燃費型の長期戦仕様だと見切る!

 光刃と火花を散らしたのは弓剣の金属の刃であり、その交差がレーザーブレードの密度……ある程度の剣戟に耐えうるものだと悟る。本来、レーザーブレードは斬り合いを想定したものではなく、実体剣と激突すればほぼ素通りさせてしまう。それは相手の攻撃を受け止めすらもせずにカウンターを入れられる利点もあるが、同時に光刃で相手の攻撃を防げないというリスクも伴う。

 だが、長時間の展開を目的とした低燃費型は斬り結ぶことも可能な強度を持ち、実体剣に近しい運用のままレーザーブレードとしてのステータスに依存しない火力という利点を活かせる。

 レーザーブレードは基本的に火炎属性と雷属性の複合である。落ち着いた輝きを秘めた光刃を長めのグリップから発生させながら、デス・ガンは雨を蒸発させて斬撃軌道を彩りながらシノンに斬りかかる。

 1回目の背中への攻撃は火炎属性、2回目は雷属性だった。そして、2回目の雷属性の爆発は低威力ではあったが、吹き飛ばし効果が大きかった事を情報として纏めながら、シノンは頭を混乱から冷静に引き戻し、丁寧に光刃を回避する。

 いかに低燃費型とはいえ、それは通常の高燃費高威力のレーザーブレードと比べた場合に過ぎない。また、展開時間が長引けば長引くほどにレーザーブレードの魔力消耗単位は増加していくので常時展開は難しい。たとえ実体剣に近しくともレーザーブレードである限り、その運用は最難関クラスである。これこそがステータスに依存しない火力を得られながらも、プレイヤーの過半が≪光剣≫を使用しない理由だ。

 現在プレイヤーで最高峰にして最も実用的に使用している≪光剣≫使いは皮肉にも1人だけ。中距離射撃戦メインのスミスだ。彼は依頼に応じて射撃武器を切り替えるが、時には物理攻撃を重視した曲剣や高威力のレーザーブレード、一撃必殺のヒートパイルも用いる。射撃戦を主軸にしつつ、あくまでレーザーブレードをサブの近距離武器に徹底させていた。

 対してデス・ガンはレーザーブレードとハンドガンを使った近接戦闘メインである。威力重視のハンドガンでダメージ稼ぎと牽制を担いつつ、レーザーブレードでトドメを刺すというスタイルなのだろうとシノンは見当をつける。

 ならば、問題となるのは謎の爆発攻撃だ。未知なるスキル……たとえばユニークスキルの類であるならば、まずは分析に徹しなければ敗北する。シノンは弓剣を弓モードに切り替えて貴重な竜狩りの矢を放つ。雷属性の伴った矢を人外の速度で構えて即座に射るも、デス・ガンは往年の剣士であることを証明するようにレーザーブレードで矢を斬り払った。そして、そのまま左手の黒いハンドガンを構え、高いDEXで木々の間を駆け抜けるシノンに正確に銃口を追尾させてトリガーを絞る。

 首を掠めた銃弾に死の悪寒を覚える。あまりにも冷静過ぎる1発はシノンの喉を狙ったものだ。彼女の回避ルートを、重なる木々という障害物がありながら見抜いて撃ち抜くという高い技量を示す。

 

(あの爆発攻撃は手のモーションに依存かしら? だったら、両手に武器を持った今なら使えないはず)

 

 だが、警戒を怠らない。安易な決めつけこそが死を招く。シノンは全身の毛が逆立つほどに周囲に集中し、そして背後から聞こえた空気を焼くような音を耳にすると同時に右へと大きく跳ぶ。そして、そのコンマ数秒後に彼女がいた場所を炎のレーザーが通り抜けた。

 外れたレーザーはデス・ガンの右脇を通り抜け、彼の背後の古木に直撃すると炎の爆発を生む。ダメージこそないが、爆風で迷彩マントを靡かせたデス・ガンが称賛するようにハンドガンを連射する。

 当てが外れた。謎のレーザー攻撃は手のモーションで発動を予測できない。増々奇怪な能力だとシノンは焦るも、連発できない、インターバルを挟まねば使えない能力なのだろうと判断する。

 竜狩りの矢の数はそう多くない。だからといって低級の矢に切り替える時間もなく、そのような生温い攻撃で倒せる相手でもない。温存を考えずに攻撃力を優先し、シノンは増々の窮地に歯を食いしばりながら、跳んで銃弾を躱しつつ1本の矢を咥え、構えた矢を放ってデス・ガンに回避を強いたところで咥えた矢を放してキャッチし、片膝をついて射撃体勢を取ると弦を引いてデス・ガンを射る。迅速な2射目を回避しきれず、デス・ガンはその左肩を射抜かれる。

 ここだ。シノンは弓モードのまま一気に間合いを詰め、左手の義手の爪で斬りかかる。光刃を展開させて応戦するデス・ガンの斬撃を見切り、その脇腹を爪で掠めることに成功し、そのまま密着状態に持ち込む。

 本来ならば股割りから始めねばできないだろう、柔軟な股関節を披露するようなシノンのハイキックがデスガンの側頭部を揺さぶり、体勢が崩れたところで義手の拳を腹に打ち込む。僅かに呻き声を漏らしたデス・ガンは闇雲に光刃を振るってシノンを遠ざけようとする。

 深追いしない。シノンはレーザーブレードに引っかかってダメージを貰ってもつまらないと再度距離を取ろうとした時だった。

 

「やはりな」

 

 その行動を待ってたとばかりに、シノンを追い払おうとレーザーブレードを振り回していたデス・ガンの動きが変わる。シノンならば必ず追撃よりも距離を取って再度の有利な射撃戦に持ち込むと見抜き、デス・ガンは大きく踏み込んでレーザーブレードを縦振りする。

 先程の焦った対応はブラフ。シノンの行動を読んで攻撃を当てる為の策だ。対人戦ならばではの、リアルタイムで変化する攻防の読み合いにおいて、シノンはこの一閃分読み負けたのだと悟る。

 回避行動に重なる完璧な一撃。それは本来ならばシノンの右肩から侵入して大きく体を焼き斬っていくことだろう。だが、シノンの思考はその刃に『追いつく』。瞬間的に左へと半歩だけ体をズラして光刃の一閃をやり過ごし、義手の拳を握って即座に前に出るとデス・ガンの顔面へと振るった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 確実に入ったと思った一撃を躱された。それはデス・ガンにとって純粋に驚きであり、また納得でもあった。

 まだDBOにログインして日が浅いとはいえ、デス・ガンはオベイロンによって時間加速させられた空間でトレーニングを積まされ、現実世界基準では数日にも関わらず、十分にDBOでの戦い方を学習することが出来ていた。そして、同時にマザーレギオン……というよりも、実質的にはレヴァーティンによって様々なVR関連の知識を授けられていた。

 故にデス・ガンはシノンの回避に狼狽えない。知識は精神の動揺を抑える。知っているからこそ、デス・ガンの対応は迅速である。顔面に迫る拳を首を動かして躱し、その顔面に左手のハンドガン……マザーレギオンより与えられた『ML Design model:G03 Black cat』を向ける。装弾数は少なく、オートリロードにも時間を要するが、1発の火力は高い。使用されている銃弾も射程距離を潰して火力に回したものだ。初速こそあるが、弾速の距離減衰が尋常ではなく、実質的に近接戦の補助以上にはならない。

 片手撃ちするだけで高い反動が襲い掛かる。射撃サークルに捉えていても、射撃の瞬間の反動でブレてしまい、思うように命中させられないが、そこは死銃事件の主犯だ。GGOで培った経験と技術をフルに活かし、久々の対人戦の殺し合いの興奮をコントロールしつつ、修正を加えていく。トレーニングでは得られなかった、本気の殺し合いだからこその感覚。それが急速にデス・ガンの修練に血肉を与えていく。

 

(これがランク3【魔弾の山猫】か。レベル3の呪いによって腕の再生不可になり、それに伴ってGGO時代から続いた遠距離狙撃スタイルを捨てざるをえなかった。そこで近・中距離の射撃戦メインにしつつ、近接戦闘をこなす新スタイルに移行。ボス・ネームド戦共に問題なくこなし、実績も挙げているらしいが……俺には分かるぞ。貴様のそのスタイル、まだモノにしていないな? 動きに雑念が多い。慣れ切っていない証拠だ。近接戦闘に少しでも比重が傾けば劣勢の兆候が見られるはず。問題はどうやって天秤を傾けるか)

 

 今回の『大いなる母』……マザーレギオンによる緊急指令は【魔弾の山猫】の足止めだ。彼女曰く『我が子たちが色々画策しているみたいだけど、私は私で「か☆お☆す」を振りまいてやるわ! さぁ、ド級に派手にいきましょう♪』ということだ。

 自分たち……ラフィンコフィンを裏切ったかつての犯罪王。それと肩を並べるなど忌々しいことであるが、デス・ガンはプロフェッショナルに徹することを選んだ。彼もまた悲鳴と殺しの愉悦にどっぷりと浸かった存在であり、それを提供してくれるマザーレギオンの傘下は喜ばしかった。

 死銃事件によって逮捕されたデス・ガンはVR犯罪の有意なモデルケースとして、特別な精神病棟にて隔離され、また研究材料として扱われていた。無論、モルモット扱いといっても非人道的なものではなく、あくまで精神状態や脳波の測定、そして最先端技術であるフラクトライトの解析などに従事させられていた程度である。だが、現実で連続殺人鬼となった彼に外に出られる自由が訪れる日は遠く、あるいは来ないかもしれなかった。

 それが何の前触れもなく、再び殺し合いが『是』とされるデスゲームに……アインクラッドよりも遥かに狂気に満ちた舞台に上ることが許されたのだ。しかもプレイヤーを公然と抹殺できる陣営として! 楽しくないはずがなかった。

 そして、何よりも喜ばしかったのは死銃事件において自分の逮捕に関与した輩がDBOにもいるという事だ。その1人であるシノンへの恨みは相応のものであり、実際に彼を逮捕した【黒の剣士】には復讐の念を抱いている。

 現実世界に興味はない。今はこのデスゲームを思う存分に楽しむ。そして、復讐を果たす。それが今のところのデス・ガンの方針だ。

 

(だが、やはりレベルには不満がある)

 

 しかし、それでもデス・ガンには補えないものがある。それはレベルだ。

 どうしてオベイロンは自分たちの軍勢であるアルフたちを無制限に強化しないのか? それこそレベル100、もしくはそれ以上まで引き上げれば【来訪者】たちへのこれ以上とない即効性の高い戦力に出来たはずだろう。

 理由の1つは純粋なリスク管理だ。オベイロンはボスである以上『攻略水準レベル』が存在する。彼は『まだ』自らをそれ以上高められない。故に仮に高レベルのアルフ達が何らかの手違いやトラブルで敵対した場合、彼は駆逐される危険性があるのだ。

 もう1つは純粋に権限の限界だ。アルヴヘイムの支配者であるオベイロンでもカーディナルに反する行為はできない。レベルを弄って無理矢理引き上げるとは、ゲーム運営を司るカーディナルからすれば最大のタブーであり、それは高位の管理者権限でも可能とされない。

 故に目をつけられているのはアベレージプログラムである。これは本来、死神部隊のような対プレイヤー戦力を想定して準備されたプログラムである。

 マザーレギオンたちは、茅場の後継者の戦力である死神部隊に代表されるように、アベレージプログラム……特定層のプレイヤーのレベルの平均を基準としたステータスに変化するアバターを運用している。これによってレギオンたちは『レベルで圧倒する』という古今東西あらゆるゲームにおける最適解を潰すことに成功しているのだ。

 

『後継者の戦力、死神部隊は対象プレイヤーを強制戦闘イベントによって自身が形成した出入不可の戦闘エリアに幽閉する。これは逃亡を阻止する役目以上に、アベレージプログラムによって抹殺対象プレイヤーの適正レベルにステータスを変更する為でもある。死神部隊の「戦いの楽しみ方」というものらしい』

 

 レヴァーティンが講義中に教えてくれたことであるが、たとえばマザーレギオンはプレイヤーの上位30人のレベルによってそのステータスが変動する。レヴァーティンのような上位レギオンはプレイヤー上位300人、中級のレギオン・シュヴァリエやレギオン・バーサーカーは上位1000人が基準となる。これによって常にプレイヤーにとって脅威であり続けられるのだ。

 

『貴様には今からレベルアップするにしても時間がかかる。ソウルアイテムなどでドーピングする方法もあるが、よりレギオンらしいアプローチをさせてもらう。貴様には管理者たちが緊急時に用いるプレイヤーアバターと同じタイプのアベレージプログラムを使用する。だが、貴様はプレイヤーであるが故にアベレージプログラムは適合しない。故に母上の「作品」を使う』

 

 それはロザリアという女に埋め込まれた遠隔発動式の亜種となるレギオンプログラムだ。デス・ガンは実質的にレギオンによって生死どころか『人』としての尊厳すらも握られた状態だったが、どうでも良かった。たとえ、DBOに骨を埋めることになるとしても、現実の肉体が滅ぶとしても、このデスゲームに参加できないならば退屈で死にそうだった。

 

『母上はボロ雑巾でも千切れるまで利用する主義との事だ。貴様のレベル、成長ポイントはロザリアとシンクロしている。もっとレベルが欲しければロザリアにレベリングさせる事だな。もしくはロザリアが死ねば、レベルはそのままで主導権は貴様に移るだろうが、考えない方が身の為だ。我らレギオンは同朋を裏切らない。我らは人間とは違う。いかなる形式を経たとしても、ロザリアは我らレギオンの陣営。故に私は王より授かった因子にかけて、貴様が「レギオン」を裏切るならば、この身命を賭してあらん限りの絶望を与えて殺す』

 

 ロザリアのレベルは73だ。デス・ガンはどう足掻いてもこれ以上のレベルアップはできない。ロザリアが死ぬ気でレベリングする以外に方法はない。そして、ネームドやボス撃破分の成長ポイントを得られない以上、上位プレイヤーであるシノンと渡り合う為のスペックを手に入れるには、最低でも同等のレベルが必要だった。

 後で尻を蹴ってでもレベリングさせねばなるまい。デス・ガンは冷静にシノンの連射される矢を躱しながら、嵐とジャングルを想定したスパイク付きのブーツで地面を捉えることで滑ることなく駆けまわり、木々を利用して偏差射撃を防ぎ、反撃で左手のハンドガンで足を狙うもシノンは身を屈めながら、彼とは逆に泥の地面を利用して滑りながら回避する。

 

『オートリロード中よ。残り30秒♪』

 

 ハンドガンが弾切れになり、マザーレギオンのアナウンスが流れるハンドガンにデス・ガンはマスクで隠れた顔を顰める。性能には文句こそないが、このアナウンスだけは解除したいのが彼の密やかな望みだ。

 

(だが、DBOはSAOほどにレベルが絶対なるものではない。高レベル帯ほどにその傾向は強まる。俺のレベルは73、対して山猫は高くても80前後。絶対的な差ではない。レベル分以外の成長ポイントを含めれば実質的な差は広がるだろうが、覆せない程ではない。何よりもこちらの『秘密』にまだ気づいてないはず。どう攻めるべきか)

 

 マザーレギオンからのオーダーはシノンの『足止め』だ。故にこのまま長期戦を続ければ問題ないのだが、シノンを釘付けにするには本気の殺し合いを仕掛けるしかない。そして、同時にこのオーダーの肝……オベイロンに事態を察知されてはいけないという注釈もある。故にアルフなどのオベイロンに報告される恐れがある戦力にシノンとの戦闘を目撃させるわけにはいかないという制限があった。

 

(あの反応速度の高さは厄介だ。対【黒の剣士】の予行練習にもなるとは思っていたが、やはり俺では届かない)

 

 クールになれ。アインクラッドでは不足していた『殺人』へのプロ意識。それをデス・ガンは心がける。PoHに裏切られ、死銃事件で人生を失う敗北を味わい、彼もまた成長していた。自分に足りていなかったのは、対象を侮らずに仕留める分析力だと改めていた。殺しは面白いが、それにかまけて負けた挙句に死ぬなど笑い話にもならない。

 シノンの脅威の回避の正体は反応速度。シノンもまたUNKNOWNほどではないが、高いVR適性に裏打ちされた高位の反応速度の持ち主であり、それはデス・ガンより上位だった。本来ならば躱せない状態の攻撃でも、視認してから脳より発せられた回避命令に運動アルゴリズムを通してアバターは素早く反応することができる。俗にいう『見てから回避』が可能である。

 

『現DBOのボス・ネームド戦において、上位プレイヤーとして最前線に立つのに最も「前提」となるプレイヤーの素質は何か? それは剣技でもなく、冷静さでもなく、覚悟でもなく、装備でもなく、スキルでもなく、レベルですらない。高VR適性と反応速度だ』

 

 怪物然とした姿でありながら、余りにも知的かつ理性的な物言いをするレヴァーティンに驚きながらも、デス・ガンはVR適性と反応速度についてもレクチャーを受けていた。

 ただでさえ膨大な情報量がやり取りされるDBOのバトルでも、特に苛烈なのは当然ながらネームドやボス戦だ。遠距離主体ならばまだしも、近接ファイターと中距離シューターは常に動き回り、攻撃・ガード・回避の判断を取捨選択せねばならない。そんな高負荷な環境においては反応速度は命綱だ。情報を脳が入手し、思考であれ反射であれアクションを発令し、それを受け取った運動アルゴリズムを通してアバターに反映する。この一連の流れのスピードこそが反応速度である。

 そして、運動アルゴリズムとの同調性の高さとはVR適性の高さであり、それは情報入手して脳が理解するまでの手順をいかにストレス無くスムーズに行えるかにも通じる。そして、運動アルゴリズムとの同調性が高ければ高いほどに、より精密にアバターを動かすことは可能になる。そうでなくとも、ある程度のVR適性があれば、本来の肉体以上にアバターの方が体を動かしやすくなるだろう。そうして仮想世界のアバターになれた人間ほどに現実の肉体を重く、鈍く、反応速度も遅い。それに不満を抱いて実生活にストレスを覚えるという、仮想空間の蔓延と共に現代人を蝕む『現代病』の1つにもなっていた。

 

『仮想世界では脳はトランス状態になって思考速度が上昇し、更にシステムの補助によって知覚が拡張させられる。そして、高VR適性者のフラクトライトは仮想脳を形成し、その演算能力はより思考速度と反応速度を高める。これこそが上位プレイヤー程に仮想脳の発達が著しい理由だ。既にDBOのネームド・ボス戦の難易度は仮想脳の恩恵無しではクリアが困難なレベルにまで到達している。低VR適性者は「選別」されて脱落する。結果的に上位プレイヤーは高VR適性者ばかりとなるわけだ。これはDBOばかりではなく、他のVRゲームの上位層も同様の傾向がある』

 

 反応速度が高ければ高い程に高速で移動・攻撃・回避・ガードの命令にアバターに反応する。それはデッドラインを引き下げる。低反応速度のプレイヤーならば直撃する攻撃も、高反応速度保有者ならば十分に回避・ガードが間に合う。

 

『復活した死者の過半はフラクトライトだけの状態なのだから、原理は異なるが、思考・反応速度の拡張は確認されている。デス・ガン、貴様のVR適性は判定Aだ。高い部類ではあるが、A+~Sが占める上位プレイヤーでもトップ層には及ばない。だが、憶えておけ。高い反応速度があれば勝てるわけではない。あるに越したことは無いが、それが勝敗を分かつ絶対条件ではない。あくまで要素の1つだ。たとえば「運動速度」は貴様も優秀な部類だ』

 

 反応速度が『初速』ならば、運動速度は『加速』だ。

 アバターは運動アルゴリズムを通して受けた命令の通りに、まるで本物の肉体のようにあらゆるモーションを起こす。だが、人間がはたして100パーセント自分の体を完璧に操れているだろうか? 武の達人とその辺のチンピラが同じ動きをするだろうか? オリンピックの体操選手と同じ動きをテレビの前の素人が出来るだろうか?

 断じて否である。たとえステータス強化による現実世界の肉体を凌駕した身体能力を持っていても操るのは自分自身である。

 プレイヤーの身体能力は大きく分けてSTRとDEXで決定する。その中でも速度はDEXの分野であるが、運動速度……腕や足を『動かす』速度に関してはSTR出力にDEXとTECの補正がかかる形となる。

 特大剣より短剣の方が動きは速い。当然である。重量が違う。では、同じ武器を同じステータス、同じ装備の2人のプレイヤーが振るえばどうなるか? やはり速度が違う。何故? それはまず反応速度という『初速』が違う。次に生み出した軌道に割り当てられる、出力されたエネルギーの『流れ』が違うからだ。

 

『運動速度は戦闘適性の分野だ。VR適性ではない。反応速度は「脳の情報獲得」と「アバターの命令反映」の速度だ。運動速度は「生み出す軌道」や「力の乗せ方と制御」だ。言っただろう? 生き残っているプレイヤーの過半は確かにVR適性が備わった、高い反応速度を保有するプレイヤーが「多い」と。近接プレイヤーでも決して高くないVR適性の者たちも少数存在する。彼らを支えているものこそが様々な戦闘適性だ。私としては戦闘適性の高い者たちの方が好みだ。彼らの方が「戦闘」というものを奥深く理解しているからな。殺し合いの価値がある』

 

 レヴァーティンは【黒の剣士】を高いVR適性と判定SSの反応速度の持ち主であり、また高い戦闘適性を持っていると伝えた。今のデス・ガンではどう逆立ちしても勝ち目は薄い。ならば『やり方』を変えて倒すことを考えねばならない。だが、シノンに関しては、彼女の本来の分野は『狙撃』であり、近接・中距離射撃戦……特に近接戦闘においては本職にはどうしても及ばない。そして、それは運動速度という分野に如実に表れている。

 

『期待しているぞ、デス・ガン。母上を退屈させるな。貴様をAI化させずに迎え入れたのは、その脳に仮想脳の蠢き……イレギュラーの力である「人の持つ意思の力」があるからだ。いずれは覚醒し、母上の為に尽くせ。もう分かっているとは思うが、母上は事態を面白く、また好みの方向にするためならば躊躇なく我が身さえも晒す。危険を冒す。私は他のレギオンを率いる上位レギオンとして母上を無為に失うわけにはいかない。我らの王を迎える日まで、母上を守らねばならない。そして、1つだけ忠告しておこう。我らの王と遭遇したらならば、あらゆるミッションを放棄して「逃げろ」。我らの王は戦闘適性だけでこの仮想世界で戦い続ける者。人類種の天敵。生粋の殺戮の獣。貴様では「餌」になるだけだ』

 

 今回の出動も要はエンターテイメント。レギオンの計画とも関係ない、オベイロンに察知されればレギオン陣営が危うくになるのにも関わらず、事態を愉快にする為だけの派遣だ。デス・ガンは哀愁にも等しい溜め息を吐きつつ、同時に殺しは楽しくなければ損だと舌なめずりしたい気持ちを抑える。

 プロフェッショナルにいこう。クール&ヒート。思考は冷たく、感情は滾らせて。デス・ガンはオートリロードが終わったハンドガンを牽制で撃ちながら、木々の幹を蹴って立体機動を取って頭上を取ったシノンの矢の連射を転がりながら躱し、ハンドガンを連射する。内の1発がシノンの右肩を掠めるが、HPを示すカーソルに変化はない。ダメージはまさしくかすり傷程度だろう。

 だが、命中できた。シノンは空中であろうとも抗う回避モーションを取らなかった。つまり、『避けられなかった』のだとデス・ガンは分析を終える。

 

(反応速度は絶対的な加護ではない。幾らでも打ち破れる。お前の思考が遅れれば対処できない)

 

 たとえば、これもその1つだ。シノンの弓に変形する曲剣の連撃をレーザーブレードで防ぐ。途端にシノンが高いDEXを活かして、水飛沫を置き去りにしてデス・ガンの背後に回り込む。だが、デス・ガンにはその動きが『見えている』のだ。まだシノンが気づいていない仕込み。彼女をここで足止めし、なおかつ絶望を与えるだろう『力』。それがデス・ガンから死角を潰す。

 レーザーブレードもハンドガンも間に合わない。曲剣で背後から一撃を食らうのは必定。背後は例外的にクリティカル補正が入り、ダメージが大きい。シノンは躊躇なく曲剣でデス・ガンの心臓を背中から貫くつもりだろう。

 当初、シノンは『殺人』ができないプレイヤーだと聞かされていた。だが、彼女はもはや人殺しに手を染めた。デス・ガンを殺しきるだろう。

 だからこそ、デス・ガンは快感を覚える。勝利を確信したシノンを欺くように、彼の閃刃がシノンの胸を裂いた。

 

「うぐっ!?」

 

 思わず漏れたシノンの悲鳴は届いたダメージに比例したフィードバックの大きさだ。それが満足感を生み、手元でレーザーブレードを発生させる柄を躍らせ、光り輝く刃で雨を焼き払う。 

 シノンを裂いたのは、レーザーブレードの柄尻、そこから新たに発生した『もう1つの光刃』だ。それはさながら両刃剣のレーザーブレード版であり、我が身さえも斬り裂きかねない危うい武器を操るデス・ガンの力量の高さを示す。

 ツインレーザーブレード【ML Design model:LB01 Fake Smile】。両光刃剣を構えたデス・ガンに、カーソルを黄色に変色させたシノンは、焼き斬れた胸の傷口から赤い血を流し、ダメージフィードバックで顔を歪めながら睨んでいる。

 

「……ここからが本番だ。もっと楽しもう、山猫」

 

「邪魔を……しないで! 私は助けに行かないといけないのよ!」

 

 遥か向こう側、約束の塔の真上だけが青空となり、虹色の帯が舞う。オベイロンの降臨の時。シノンは獣の如く咆え、デス・ガンは冷静に時間稼ぎに徹すると次なる作戦を組み立てた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「やっぱり侵入は容易じゃないみたい。どうする?」

 

 幾分か風は弱まったとはいえ、依然として大雨であり、嵐の終わりは見えない。

 何とかアスナがオベイロンの元に去る前に大司教領、約束の塔の森にたどり着いたリーファと仮面の剣士ことネームレス(リーファ命名)であるが、その警備体制は厳重であり、少なくとも巡礼の道を利用することは出来ないと判断するしかなかった。

 無論、ティターニアの警備ともなれば一般の巡礼者が入り込める隙などあるはずもなく、こうしている間にも次々と捕縛された熱狂的ティターニア信者が連行されている。

 

「それでも黒獣警戒と連続失踪事件で警備は半分以下だ。俺はこのまま森を行くよ。最短距離で行けばまだ間に合うはずだ。アリーヤなら森だって一気に駆け抜けられる」

 

 大司教領まで全力疾走し、今はスタミナ切れで雨の当たらぬ物陰でへばっているアリーヤは、ネームレスの無慈悲な一言を耳聡く拾ったのか、心底止めてくれと表情で訴えている。だが、リーファもここまで運んでくれたアリーヤには感謝しているからこそ、もうひと踏ん張りしてほしいエールを送る。

 

「キミは引き返した方が良い。アス――ティターニアが心配なのは分かる。きっと今回の行動も彼女の本意じゃない。何か目的があるとしても、心の底では望んでいない。本当の彼女は自己犠牲なんか大嫌いで、否定して、皆で頑張って生き残ることを1番に考える人だから。だから、これは彼女の苦肉の策のはず。俺は認めない。必ず止めてみせる。必ず救い出す」

 

 黒衣を翻し、背負うのは2本の剣。1本は機械仕掛けの剣メイデンハーツ。もう1本は竜王の剣ドラゴンクラウン。UNKNOWNの象徴となった2本の剣であるが、ドラゴンクラウンには深刻な亀裂や刃毀れも激しい。もはやあと1度の戦いに耐えられるか否かの瀬戸際だった。

 

「あたしも同行するよ。アリーヤくんなら森を駆け抜けられるだろうけど、その分だけ目立つはず。それは最後の距離を詰める切り札。それまでは身を隠して潜入以外にないはずじゃない。だったら、あたしを連れて行った方が有利だと思うよ?」

 

 ウインクしてリーファが使用したのは奇跡の【隠れる平和の霧】だ。一時的に自分の周囲のプレイヤーの隠密ボーナスを大きく高める奇跡であり、アスナとの隠遁生活でも利用していたものである。

 驚きを隠せないネームレスに、リーファはそういえばアルヴヘイムの住人は初歩的な奇跡以外使えないはずだったと自分の失敗に気づき、慌ててどう取り繕うべきか悩む。

 

「じ、実は嘘ついたんだ! あたしね、本当は――」

 

「キミも【来訪者】なのか?」

 

 だが、嘘を並べ立てるより先に、ある意味で順当だろう問いをぶつけるネームレスに、下手に言い訳するよりもこの勘違い……いや、【来訪者】ではないが少なくともアルヴヘイム出身ではないリーファはこの波に乗るしかないと頷く。

 

「隠してたけど、あたしもプレイヤーなんだ。クラウドアースの調査任務に同行してたの。ユージーンさんとかと一緒だったんだ」

 

「ユージーンか。でも、レコンはキミのことを何も言ってなかったけどな」

 

 どうやらレコンはネームレスに自分の事を話す機会を得ていなかったようだ。安心すべきか、あるいはネームレスとレコンは会話も疎かな程に折り合いが悪かったのだろうかとも心配したリーファであるが、今は深く追及すべきではないと頭を切り替える。

 容姿が違う以上、声が似ていても容易には気づけないだろう。リーファは自分の正体に気づく様子がなく、森の向こうにそびえる約束の塔を見つめて決意を込めて拳を握るネームレスに、愛情を込めて苦笑する。

 

(良いんだよ。お兄ちゃんはアスナさんだけ見ていて。あたしは『妹』としてそれを支える。それだけで幸せだもん)

 

 アスナを助け出した暁には正体を堂々と明かして、『スグだったのかぁ!?』と顎が外れんばかりに驚かすことが出来るかもしれない。そして、きっと褒めてくれるはずだ。やっぱり『妹』こそが……たとえ血は繋がっていなくとも最も信頼できると思ってくれるはずだ。

 SAO事件以前より続いた兄妹の溝。数年間の空白の中で育てた想い。デスゲームから帰還した兄との僅かな会話、そして拒絶。

 

(お兄ちゃんは最後に『絶対に諦めるな』って言ってくれた。だから、あたしは諦めない! お兄ちゃんの願いを叶えてみせる!)

 

 そうでしょう、篝さん? リーファはもう1人の兄とも呼べる、このアルヴヘイムの何処かにいるだろう白の傭兵を思い出す。

 諦めなければ、いつかハッピーエンドにたどり着ける。アスナさんを取り戻し、兄妹として肩を並べ、オベイロンを倒してサクヤを救い出す。リーファはそんな夢想を描いて、漆黒の少女から授かった剣を抜いた。

 奇しくもネームレスもリーファも片手剣使いだ。リーファは奇跡とのコンビネーションを用いるが、ネームレスは誉れ高い≪二刀流≫によって片手剣の領域を超えた攻撃力とラッシュ力を獲得していると聞いている。実は生で彼の戦いを見たことが無いリーファは、もしかしたら英雄の剣技を見られるかもしれないと胸を高鳴らせた。

 

「うわっ!? 来てくれ! デカい狼が!」

 

 まずは森の周辺を固める警備兵をアリーヤが囮になって引き離す。中身は臆病でも、見た目は凶暴極まりない、子供の頭をそのまま丸齧りできそうな体格の狼だ。伊達に人間2人を背負える大きさではない。

 無論、内心ではビビっているだろうアリーヤは腰が引けているが、リーファの前で格好悪いことはできないのだろう。精一杯に咆えて警備兵を引きつけた瞬間に、2人は森への潜入に成功する。

 その後、何とか警備兵を撒いてきたらしいアリーヤが不機嫌全開で合流し、ごめんねとリーファは頭を撫で、ネームレスはご褒美の餌だとばかりに骨付きチキンを取り出すも前足で泥をかけられて仮面ごと顔を潰される。

 

「アルフの警戒が厳しいけど、森の中なら隠れて進める。急ごう、リーファ」

 

「うん。でも、足下に気を付けて。また――」

 

 昔みたいに派手に転んじゃうよ? 小さい頃を思い出したリーファは危うく口を滑らせてしまいそうで舌を噛む勢いで閉ざす。幸いにも雷雨のせいか、何か聞き間違いなのだろうと勝手に納得したらしいネームレスの続きの追及はなかった。

 多くの森系ダンジョンに潜った経験があるリーファであるが、それでも約束の塔のような整備されていない『本物の森』はあまり経験が無かった。現実世界……実生活では少なくない回数は山で遊んだ経験もある彼女であるが、その程度では森を『走る』ことはできない。それでも仮想世界ならではの高い身体能力は、常人ならば軽い小走り程度の速度を維持することは難しくない。

 噂に聞くシャルルの森など、まさしくジャングルそのものであり、多くの傭兵がまずその地形に苦しめられたという。リーファは小走りでも本来ならば不可能なのだろうと思いながらも、茂みを掻き分け、泥水の川を跳び越え、時には木々の幹に身を潜めて進む。

 

「1つ訊いて良いか? キミがプレイヤーなら、どうしてティターニアを助けたいんだ?」

 

 出会った頃の嘘が剥げた以上は避けられない質問だ。元よりネームレスはリーファの同行には反対の立場だった。今も傍にいる事を許しているのは、リーファの奇跡が有効だからこそであり、効率性を重視した結果なのだろう。リーファが敵かもしれないリスクを背負ってでもアスナへの接近を優先したのだ。

 ある意味で冷静さを失っている判断だろう。リーファ自身がそう断じられる。今の二刀流使いには往年の剣士としての、そしてゲーマーとしても、リスク管理がしきれていないとも言える。一方で無意識でも自分を『敵じゃないはずだ』と信じているような素振りを見せる兄に、どうやっても、何があっても、性根はそうそうに変わるものではないと愛おしさを募らせる。

 

「あたしはプレイヤーだけど、色々あってオベイロンに幽閉されていたの。その時、一緒に逃げ出したのがティターニア……アスナさんなんだ。アルヴヘイムを一緒に旅して、暮らして、オベイロンに立ち向かおうとしていた。だけど、あたしに何も言わないで……行っちゃった。だから連れ戻すの。『あたしはそんなに頼りなかった?』って訊いてやるんだ。きっと傷つけるだろうけど、今のアスナさんには必要な言葉のはずだから。全部自分で背負い込まないで、皆に重荷を分配して助け合うのが『仲間』のはずだから」

 

 そして、いつかは『家族』にもなって欲しい。リーファは熱い視線を一瞬だけ仮面の剣士に向ける。

 先んじて警戒するネームレスは右手のハンドサインで姿勢を低くするようにと指示を送る。慌てて物音を立てないように身を屈めれば、森の間を無数と縫うように張り巡らされた大小様々な巡礼の道、そこを巡回する兵士の姿があった。

 やはり警備の数が少ない。黒獣騒動の治安維持と警戒で相当数の兵力が割かれているお陰だろう。そして、女王騎士団の本隊がいれば森の突破は不可能だったに違いない。リーファは呼吸を止めて、ネームレスに密着するように寄り添い、兵士をやり過ごす。

 

「……俺はキミの言葉を素直に信じられない。嘘かもしれないと疑っている。騙し騙され、嘘を重ね合う。生き残る為なら何だって許される。それがこの世界だ」

 

 無事に巡礼の道を横切り、地下に陥没した遺構が顔を覗かせる森を進むネームレスは木の葉に隠れながらも頭上に見えるアルフを睨みつけるように、あるいは天空で渦巻く暗雲に叫びたいように顔を上げる。

 今ここで正体を名乗れば、それを信じてもらえれば、懐疑は全て洗い流される。だが、リーファはそれを選ばない。アスナと再会して、ネームレスが肩の荷を下ろし、仮面を外した時にこそ名乗り出るべきだと心に誓っている。

 秘密には理由がある。リーファは自分のことまで兄の背負う重荷になってほしくなかった。きっと兄はリーファが……『泣き虫スグ』がデスゲームにいると知れば、全てを自分で背負い込んで戦おうとするはずだ。危険に近づかせない為に無理をしてしまうはずだ。

 

(アスナさんも同じ。どんな覚悟があるのかは知らないし、分かりたくもない。きっと、あたし達の為の行動でもあるんだとも思う。だけど、だからこそ、ちゃんと相談するべきだったはず。自分1人で悩んで、苦しんで、足掻いて足掻いて出した選択なんて……辛すぎるだけだよ)

 

 理解されるか否か。それはまず話してみなければ分からない。理解し合えないならば、まずは何処かで歩み寄れないかと探してみれば良い。理想論かもしれないが、リーファはそう信じている。それでも、友人であるならば、仲間であるならば、家族であるならば……それを諦めたくない。

 あの憎たらしい、兄とこれでもかと引き離す工作を駆使したシリカとさえ、今回は手を組むことができた。彼女がどれだけ兄に尽くしていたのかも知ることができた。並大抵のことではないだろう。デスゲームだと承知して、アスナを取り戻すなどという自分の利益にもならない、むしろ決して勝てない、恋敵にすらなれない別の女性の為に、全身全霊を1人の男に捧げるなど常人の域を超えている。

 尊敬すら覚える。リーファは顔を合わせれば憎まれ口の叩き合いだったシリカとさえも手を取れたのだからと、誇りを抱いて去り行くアスナを追える。

 

「あたしはキミを信じてるから。だから、信じなくて良いよ。信用も信頼も積み重ね。言葉よりも行動。あたしは全力で援護するから」

 

「……カッコイイな。俺が増々情けない奴みたいじゃないか」

 

 そんなことない。リーファは森を掻き分けて約束の塔を目指して歩きを止めないネームレスの背中に微笑んだ。

 そうやって前に進もうとする姿はいつだってカッコイイ。どれだけ情けなくても、どれだけ膝を折っても、倒れても、必ず立ち上がってくれる。前に進もうと再び歩き出せる。そうやって突き進み続ける姿がカッコイイのだ。誰もが『英雄』を見るのだ。支えたいと望み、追いかけたいと志し、共に駆けると誓うのだ。

 

(……って、ぜーんぶ篝さんの受け売りだった)

 

 そこまで思って、リーファは疲れ切って今にも寝そうな電車の中で肩を貸してくれた、買い物帰りの猫耳パーカー姿のまま、子守歌のようにアインクラッドの『英雄』の物語を聞かせてくれた篝を思い出す。夕暮れの光に染まった篝はとても優しげだった。

 いつか一緒にあの夕日を見たい。自分と兄と2人で……いいや、アスナさんも含めた3人で。たとえ仮想世界の偽りの黄昏でも構わない。それが今のリーファの細やかな願望だ。そして、きっとどこか別の場所で同じ夕日を見ているだろう篝に報告したい。あたしは諦めなかった、と。

 上の空だったのだろう。木の根か何かに躓いたリーファは顔面から転びそうになり、そんな彼女の腕を咄嗟にネームレスがつかむ。雷鳴が響く中で、木の葉の隙間から漏れる雨粒が滴る中で、リーファは永遠の一瞬を切り取る。

 雷光が2人を照らす。近くに落ちた雷が木々を焼いて砕く轟音が聞こえる。頬を朱に染め、唇を震わせてリーファは全てを打ち明かしたい衝動に駆られる。

 

「あ、ありがとう。ごめんね。あたしも気が抜けてたみたいで――」

 

 慌てて姿勢を正したリーファは自分を転ばそうとした根を蹴飛ばそうとして、それが想像とは全く異なるものだと気づく。

 それは腕。それは脚。それは人体の1部。

 だが、いずれも肌色もなく、血の赤もなく、ただただ石の灰色を示すのみ。

 思わず息を呑んだリーファがたじろいで周囲を見回せば、そこには無数の……1人や2人では数の破壊された人間の『石像』があった。

 ただの壊れたオブジェか。安堵しようとしたリーファであるが、ネームレスは片膝をつき、石像の破片を手に取ると全身から威圧感を増す。

 

「石化だ。それもこの恰好、警備についていた騎士と同じだよ。まだそう時間は経っていないはずだ」

 

「じゃあ、これ全員、石化のデバフで?」

 

 一網打尽にされただろう騎士や兵士たち。雨と怯えで体を震わせながら、リーファは解呪石を取り出そうとして、粉々に砕かれた彼らは既に死亡した状態だと手を止める。

 石化はDBOでも脅威とされるデバフの1つだ。それは大半が呪いとセットであり、蓄積速度は鈍いが、1度発動すれば体が鈍くなり、ゆっくりと硬直していき、最後には石になる。最も有名な石化攻撃をしてくるモンスターはバジリスクと呼ばれる通称『糞トカゲ』であり、多くの派生種が存在し、ステージ各所で猛威となっていた。

 石化の最大の恐ろしさは対策を立てていなければ、回復は難しい点だ。完全に石化する前に回復アイテムを使うか、あるいはカウンター回復用のアイテム・指輪をセットしておくしかない。仮に完全に石化した場合、プレイヤーは任意自死を選択するか永遠に石の状態で待機するか、どちらかしかない。

 そして、完全に石化した状態でこのように破壊されれば、HP総量や防御力に関係なく即死である。元よりプレイヤー側が使用する前提ではないデバフとはいえ、極めて凶悪であり、最大の警戒心を持って対応に当たらねばならない類だ。

 ユウキがもたらした貪欲者の金箱によって解呪石を購入済みのリーファであるが、対策も無しに石化攻撃持ちモンスターとの遭遇は避けたい。だが、事態の変化を察知したらしいネームレスの後に続けば、騎士が石化して半ばから折れて真っ二つに折れている姿を発見する。それだけではない。石化こそしていないが、血だまりに沈み、あるいは木に縫い付けられるように全身に矢を突きさした姿で骸を晒している。

 アリーヤが怯えた様子で鼻をヒクヒク動かして遺体を嗅ぎ、耳をしきりに動かして危険を探っている。逆に言えば、アリーヤが感知しない、逃亡しない程度の距離にはこの惨劇を生んだ存在はいないという事だった。

 

「あの時のゴーゴンか。でも、オベイロンの手先のはずなのに、どうして……」

 

 大矢にも匹敵する太い黒矢を地面から引き抜いたネームレスは敵の正体に心当たりがあるらしく、考えるようにしばらく矢を見つめていたが、続いた雷鳴……いや、連続した爆発音に矢を投げ捨てて周囲を警戒する。

 豪雨に打ち消されながらも上がる黒煙。そして悲鳴。リーファ達が目にしたのは、騎士たちに続々と突撃するみすぼらしい恰好をした人々だった。いずれも大樽を担ぎ、自爆攻撃を仕掛けている。それは騎士たちを殺すことこそ至らせないが、恐怖させ、また錯乱に陥れるには十分過ぎる狂気の沙汰である。

 いずれも目を見開いて血走り、唾液をばら撒きながら舌を突き出して、足取りすらもままならない状態で一心不乱に騎士たちに跳びかかり、我が身ごと爆炎を生む。巡礼の道を巡回中だっただろう騎士たちは対応こそしているが、自爆者たちは剣も槍も恐れることなく攻撃している。

 

「ひっ!?」

 

 茂みからその様子を窺っていたリーファであるが、あまりにも尋常の外にある光景を目撃して小さな……本当に小さな悲鳴が漏れてしまう。それを耳聡く拾ったらしい、騎士に突撃途中だった自爆者の1人は、もはや正気とは思えぬ眼を向ける。

 隠密ボーナスが高まっているので発見される恐れはないはず。普通ならば曖昧になって『視認』すらも難しいはずだ。だが、近距離で、なおかつフォーカスロックで索敵状態に入れば、たとえ≪気配察知≫が無くとも、どれだけ隠密ボーナスが高まろうとも看破されてしまう。

 何よりも自爆者に正気の類は無かった。単に『悲鳴が聞こえた気がした』くらいの反応で、ぶらりと垂れ下げた腕を振るいながら、大樽に着火させて茂みに跳び込んでくる。

 

「リーファ!」

 

 混乱して反応が遅れたリーファを助けるために、ネームレスはその手を掴んで駆け出す。圧倒的にDEXに差があるのだろう。自爆者の足では追い付かず、だがリーファ達に届くまでに自爆の炎の熱気が雨を生ぬるく変える。

 そして、爆炎は自爆者の対処に当たっていた騎士たちの目にも届き、その内の1人がリーファ達の姿を目撃すると腰に下げていたハンドベルを取り出す。咄嗟にネームレスが投げナイフで鳴らされる前に叩き落とそうとするが、騎士の手首に突き刺さるよりも前に、まるで朝を知らせる教会の鐘のような大きな金属音がハンドベルより響いた。

 

「森に逃げ込むんだ!」

 

 我先にと逃げるアリーヤの後を追うネームレスに手を引っ張られ、リーファは道ならぬ森の中を走る。だが、騎士たちが放ったのか、首輪のついた猟犬たちが彼女たちに追いついて牙を剥く。

 咄嗟に反転したネームレスが背中の機械仕掛けの剣を抜いて一閃し、猟犬の首を斬り落とす。追ってきた騎士たちの矢を斬り払うも、そうしている間にもハンドベルの音色を聞いたらしいアルフが急行する様が空に映る。

 あたしのせいだ。あたしが声を出したせいで……! 猟犬たちを次々と斬り払い、DEXの差で追跡の騎士たちを振り払うネームレスであるが、上空より飛んできた雷系の奇跡が近くに着弾し、黄金の雷が弾けて足が止まる。その間にも包囲を進めているらしい騎士たちの足音が聞こえる。

 

「こんな時こそ≪威嚇≫の出番なのに、アリーヤの奴……!」

 

 自分にではなく、もはや姿が見えない程に逃げ出したアリーヤに恨み節を吐くネームレスに、リーファはミスを余計に自覚する。

 このままではアルフを呼び寄せ、また騎士たちに包囲されてしまう。それではネームレスの悲願であるアスナは遠のくばかりだ。

 

「リーファ?」

 

 だから、リーファは足を止めてネームレスの手を振り払う。

 こんな事態になっても、あれ程までに信用しないと言ったリーファを心配する素振りを見せるネームレスに、どれだけ口は達者でも、救いようがないくらいに本当にお人好しなんだからとリーファは嬉しさで零れそうな涙を堪える。

 

「……あたしが囮になる」

 

「駄目だ! 相手は騎士だけじゃない! アルフもいる! キミだけじゃ勝ち目は――」

 

「分かってる! でも、キミの目的は何!? アスナさんを助ける事でしょう!? その為にここにいるんでしょう!?」

 

 本当に馬鹿なんだから。リーファはなおも自分の手を取ろうとするネームレスから遠ざかる。

 リーファは『彼』をよく知っている。ずっと探していた。ずっと会いたかった。ずっとずっとこの時を待っていた。

 だが、ネームレスからすれば、彼女は数時間前に会ったばかりの少女。正体も不信が絡みつき、見捨てても何ら非はないはずだ。

 あるいは、『彼』もまた脳髄で、心の深奥で、魂の繋がりで、自分との絆を感じ取ってくれているのかもしれない。決して切り離せない、血で繋がっていなくとも、確かに結ばれた『兄妹』の縁を覚えているのかもしれない。そう思えればこそ、リーファは決心を固める。

 

「頑張って」

 

 お兄ちゃん。最後の呟きは固く結んだ口の中に秘め、リーファは僅かに回復している飛行時間をフルに活用する方法をALOの経験から最大限にピックアップしながら、虹色に光る翅を展開する。

 このアルヴヘイムにおいて翅を持つのはオベイロンの手先だけだ。だから、見ようによってはネームレスからすれば、土壇場の裏切りにも映るかもしれない。だが、それでも構わないとリーファは涙が零れそうな瞳を兄への愛おしさで染めて舞い上がる。

 

「裏切りの同胞か! アルフの栄誉を得ながらオベイロン陛下に仇成すとは、忠義はないのか!?」

 

 上空から雷系の奇跡を連射していたアルフは白銀の甲冑を稲光で照らしながら、雷雨の空に舞い上がったリーファを怒号と共に迎撃する。右手に片手剣、左手にタリスマンのスタイルはリーファと同類である。

 発動している奇跡は雷の槍の上位版、雷の大槍だ。初歩の雷系の奇跡よりも威力・射程共に優れ、燃費もそれなりと使い勝手の良さに恵まれている。だが、雷系の奇跡は魔法のソウルの矢系とは違ってスピード重視であり、追尾性能に関しては低い。

 つまり空中戦、三次元戦闘においてはトップスピードで動き回っていれば、偏差修正を入れて撃たれなければ余程のことない限り命中しない。そう踏んだリーファは、続々と地上に命中して爆ぜる雷の大槍を見届けながら、アルフに接近して右手の剣を振るう。

 スピードを上乗せした一閃はアルフの剣を弾き、その胴をがら空きにする。お返しとばかりにリーファが発動させたのは奇跡の【雷の杭】だ。雷の槌に比べればマイルドであるが、近接で振るえる多段ヒットが魅力的な奇跡である。

 竜の鱗を砕くならば槍を投げるのではない。直接その鱗に杭を突き立てるのだ。かつて古竜狩りで猛威を振るったという設定の奇跡をまともに直撃を受け、アルフは黄金の雷に痺れながら墜落する。

 翅があるので落下ダメージは幾らか軽減されるだろう。また、幾ら直撃とはいえ殺してはいないはずだ。息荒く、雨を遮るものが無い空で『裏切りのアルフ』を仕留めるべく、続々と他のアルフたちが集まっている事に作戦成功だとリーファは笑う。

 たとえこのまま約束の塔まで飛んでもアスナは助けられない。むしろ、彼が向かう約束の塔の警備を厳重にするだけだ。約束の塔の空、まさにその1部だけ嵐が吹き飛ばされ、青空の陽光と虹色の煌きが目に入り込む。

 オベイロンが降臨したのだ。もはやアスナ救出の時間は残り少ない。ここで1人でも多くのアルフを引き付けることこそが作戦の成功の鍵だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前たちは下がっていなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分を包囲しつつあったアルフ達。それが一斉に動きを止める。何事かとリーファは訝しむより先に、彼女の目の前には現れたのは真紅の騎士だった。

 全身に纏うのは野獣を思わすデザインをした真紅の甲冑。フルフェイスで顔は分からず、声も加工が施されているように曇っているが、イントネーションからして女だろう。兜から漏れる髪色もまた鮮やかな赤であり、まさに真紅の騎士と呼ぶに相応しい。

 だが、対して得物は貧相だ。右手に持つのは大型の片刃ナイフ。左手に持つのは両刃の刺突特化のナイフ。どちらも≪短剣≫であり、騎士然とした姿とはアンマッチだった。

 先手必勝。リーファは一気に加速して真紅の騎士と距離を詰めて右手の剣を振るう。ALOでも指折りの剣士であり、地上・空中のどちらでも高い実力を発揮してきた彼女ならば、翅の随意運動は当然ながらマスターしており、高等テクニックである急加速もまた体得していた。

 対して真紅の騎士は迎撃のように両手のナイフをクロスさせるように振るう。火花が散って刃と刃が衝突し合い、最初の剣戟は両者の力量を確認させ合うには十分だった。

 

「……え?」

 

 そして、リーファは自分を呑み込んだ炎、そして雷撃に目を白黒させ、遅れたように感じ取ったダメージフィードバックに呻く。

 幸いにも雨のお陰ですぐに鎮火するも、雷撃の痺れが残留する中で振り返ったリーファが見たのは、両手の短剣にそれぞれ黄金の雷と猛々しい炎をエンチャントした……いや、それら自体が『刀身』を形成している姿だった。

 

「こちらも仕事よ。地に落ちなさい、リーファ」

 

 まるで『生きている』かのように、真紅の騎士の甲冑が蠢いたような気がした。炎と雷のダメージこそ小さいが、リーチが大きく伸びた短剣を振るう真紅の騎士に、リーファはまず距離を取る。

 飛行技術は自分の方が上だ。リーファは甲冑の重量分も含めて接近できずにいる真紅の騎士にどう対応すべきか悩むが、『学習』したかのように真紅の騎士は先程のリーファのように急加速して距離を詰める。

 再び打ち合う刃と刃。だが、炎と雷はリーファの剣を素通りしてその身を焼き、また痺れさせる。

 

(『刀身』があるわけじゃない!? あくまで実体があるのはナイフだけ……!)

 

 ネタは割れたが、またしてもダメージを浴びたリーファは想像以上に厄介な武器だと舌を巻く。攻撃力こそ低いが、相手の武器を素通りして襲ってくる炎と雷の刃は剣戟において一方的にダメージを重ねられる『削り』系の武器だ。短剣以上のリーチを確保しつつ、本質はあくまで短剣。相手取って立ち回るにはかなりの慣れが必要になる武器だろう。何よりも、一目でわかるほどに扱いが難しいだろう武器を操る真紅の騎士の力量の高さが窺える。

 だが、これほどの相手を引きつけられたならば『囮』としては役だったかもしれない。リーファは強敵たる真紅の騎士に覚悟を決める。

 ここが『妹』としての正念場だ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ずっとずっと無我夢中で走り続けてきた。

 ただキミに会いたくて、あの時の『弱さ』を謝りたくて、走り続けてきた。

 過去を変えられるとまで驕っていない。そんな事はできるはずがない。キミは死んだ。俺の無力さのせいで死んだ。

 ようやく復讐できたと思った。ヒースクリフを……茅場昌彦を倒した時にはどす黒い達成感もあった。

 これまで死んだプレイヤーの無念を……キミの死を償わせることができたと歓喜した。

 待っていたのは、どうしようもない虚無感だけ。復讐したところで、キミが戻るはずもなく、また笑ってくれるはずもない。死んだプレイヤー達が褒めてくれるわけでもない。淡々とした、漠然とした、どうしようもなくらいに平和な現実世界の日常に戻れただけだけだった。

 キミの冷たい墓標に語りかけても何も得られない。自分の心に踏ん切りをつけることさえできない俺の『弱さ』が憎かった。あの日の力不足が憎かった。自分の全てが憎悪の対象にしかならなかった。

 だから、自分がアインクラッドにいた理由を探した。VR犯罪に携わったのも、あの時の戦いの日々が無為なものではないと証明したかったからだ。

 

 そして、キミが『生きている』と知った。

 

 殺したと思った茅場昌彦に伝えられた真実。キミが今も仮想世界の何処かで魂だけとなって縛られている。

 その為に支払う代償は、デスゲームを見逃す事。1万人以上の新たな被害者たちが殺し合いの世界に縛られる様を見届ける事。

 必要な犠牲だと黒い欲望のままに了承した。キミに会えればそれで良かった。それ以外などどうでも良かった。

 そんな子ども染みた固執が生んだのは、どうしようもない罪悪感。阿鼻叫喚の……アインクラッドとは比べ物にならない程の狂気に満ちたDBOという名の地獄の檻。

 覚悟をしていたはずだった。『その他大勢』なんて切り捨てたはずだった。キミを取り戻す為ならば悪魔にもなろうと決心していたはずだった。

 縋る手を振り払えず、『英雄』を渇望する人々。俺は『英雄』なんかじゃない。そのはずだったのに、俺は心に言い訳を求めて、戦えない貧者の……自己満足の『英雄』になった。【聖域の英雄】となった。それが自己肯定の手段に過ぎないと知りながら、その称号に甘んじた。

 誰よりも『英雄』に相応しくない。それでも責任を背負った。喝を入れてくれた大人がいた。せめて、自分で背負った責務くらいは果たさねばならないと『力』を求めた。『英雄』として振る舞えるだけの、もう2度と誰も失わない『力』を欲した。

 

「ティターニア様を害する不届き者が!」

 

 雨音と雷鳴が重なり合い、『彼』は虚ろな思考に方向性を与える。逡巡した想いに繋がった脳を呼び起こし、自分の道を阻む騎士たちの剣を防ぐ。

 約束の塔まであともう少しだ。あともう少しでアスナの元にたどり着ける。そのはずなのに、『彼』の道は騎士たちによって塞がれている。

 どいてくれ。俺はアンタたちに構っている暇なんかない。『彼』は迫る槍を受け流し、腹に蹴りを入れて吹き飛ばすも、加減しているせいか、すぐに立ち上がって騎士たちは『誇り』の為に立ち塞がる。

 

「我ら女王騎士団はティターニア様に身命を捧げた者! ここは死んでも通さん!」

 

 大盾を構えた槍持ちの騎士が木々の間を駆け抜けようとする『彼』を執拗に妨害し、飛来する矢が強引に突破しようとした『彼』の首筋を撫でる。

 このままでは届かない。騎士たちは壁となり、どれだけの実力差があるとしても死ぬ気で通さないつもりだろう。『彼』は奥歯を噛み、どうにかして騎士たちの包囲を突破できないかと思案し、打開策が思い浮かばない現実に打ちのめされる。

 間に合わない。このままでは間に合わない。ようやく届いたアスナの手がすり抜けてしまう。

 もう嫌だ。

 もう失いたくない。

 もうキミを手放したくない。 

 

 

 ずっとずっと走り続けてきた。

 

 ただキミに会いたくて。

 

 ただキミに謝りたくて。

 

 ただキミを取り戻したくて。

 

 身勝手な願いの為に、多くの人が協力してくれた。肯定してくれた。力を貸してくれた。

 死者を取り戻す。1度は反対したにも関わらず、シリカは地獄まで付き合うと、心の底で震えていた俺の手を取ってくれた。

 詳しい事情も知らないはずなのに、誠意を込めて協力してくれたシノンは……無垢なる手を真っ赤に血で染めた。

 信用していないと言って突き放したにも関わらず、アルフ達の囮になってくれたリーファに何も声をかけることができなかった。

 

 

 ずっとずっと走り続けてきた。

 

 その度に思い出すのは、いつも俺の隣にいてくれた『力』だ。

 

 どれだけ絶望的な状況でも、俺が膝を折っても、立ち上がれずに蹲っても、キミはいつだって『いつも通りだ』って言って駆け抜けてしまう。

 

 全てを焼き尽くすような暴力。それが羨ましかった。間違っていると否定したいはずなのに、どうしようもなく焦がれる。

 

 キミはいつだって『強さ』を持っていた。諦めることを知らず、いかなる苦境でも戦いにおいては無類の不屈を誇り、あらゆる犠牲を容認して敵を殺しきる。

 

 その度に自分の矮小さを思い知らされる。自分の『力』の弱々しさに罪悪感を募らせる。あの時アスナを助けられなかった力不足が悪夢となって蘇る。

 

 それでも、キミの友人になりたかった。ただ『力』だけがキミの全てではないと知ったから。いつだって俺に手を差し出してくれるキミに、胸を張って肩を並べるに足る友人になりたかった。

 

「邪魔だ」

 

 道を開けてくれ。アンタ達と戦いたいわけじゃない。傷つけたくない。

 

「邪魔だ」

 

 ここに来る前にたくさんの人たちが手を貸してくれた。それを無駄にするわけにはいかないんだ。

 

「邪魔だ」

 

 やり遂げねばならない。俺が始めたことだから。俺が望んだ事だから。俺が……俺が……俺が……!

 

『貴様の剣には業が足りない。迷いで鈍り、血への恐れで淀んだ刃は俺には届かん。どれだけ技は優れていても、刃に通う血が腐っていてはな。半端者が』

 

 最後に木霊したのは、自分を繋ぎ止めていた剣士の誇り、それさえも容易く砕き散らしたランスロットの、哀れみと失望の言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔だぁああああああああああああああああああああああああ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 舞ったのは血風。

 機械仕掛けの剣は鮮血を啜り、『彼』の殺意に満ちた一撃は相手の剣をへし折り、そのまま袈裟斬りにする。そして、左手に持つ竜王の剣は騎士の首を刎ね飛ばす。

 

「俺の道を阻むなぁああああああああああ!」

 

 それは≪二刀流≫の真骨頂にして本分。圧倒的な手数による間合いの制圧力。神速の剣技によって繰り出される、これまでの『手加減』が抜けた純然たる殺意に浸された斬撃の数々に騎士たちは対応しきれず、一方的に斬り刻まれ、骸を撒き散らす。

 仮面の剣士の変質に、溢れんばかりの憎悪に怖気づいたように後退る大盾持ちの騎士であるが、すぐにティターニアへの信仰心で壁となる。だが、『彼』は対ヒースクリフ戦で鍛え上げた大盾を相手にする、そのガードを崩す捩じれを加えたメイデンハーツの下段からの振り上げで大盾を弾き、その心臓にドラゴンクラウンを突き立てる。

 

「うごっ!?」

 

 邪魔だ。邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ……邪魔だ!

 ただ殺意のままに心臓に突き刺した剣を捩じり、腹を乱暴に蹴飛ばして倒す。痙攣する騎士の額に機械仕掛けの剣を振り下ろして血飛沫と肉片を浴び、黒衣を赤く染め、だがそれすらも洗い流そうとする雨が鬱陶しく、『彼』はまるで野獣を前にしたように怯える騎士や兵士たちを睨む。

 こんなにもシンプルだったのだ。最も簡単な方法があったではないか! 剣を振るって血を払いながら、『彼』は咆えた。

 

 

『敵』は殺し尽せば良い。邪魔な連中は皆殺しにすれば良い。ただ、それだけで手は届くのだから。

 

 

 剣の脈動が聞こえた気がした。

 鉄の城を経て、生き血が通わずに腐るばかりだった剣技が再び鼓動を始めた気がした。

 だが、それはかつて求めた、ひたすらに追い求めた剣の高みだっただろうか?

 

 

 

 

 どうでも良いことだ。誇りが何の役に立った? 志した剣が何を導いた? 何も与えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 施されたのは無力さばかり。力不足の嘲笑だけだ。

 ならば要らない。そんなものは要らない。必要なのは誇りでもなく、志でもなく、単純なまでに全てを打ち払う『力』なのだから。

 それを示せ。俺ならばそれができるはずだ。かつて白き相棒が示した……どうしようもなく渇望した『力』の極致、隣にいたからこそ理想とした暴力の化身となれ。

 

 もはやそれは『鬼』。剣に憑かれ、『力』への渇望の果てにたどり着いた、ただ1つの願いの為に戦場の刃を振るう剣の鬼。

 

 巡礼の道を駆ける。邪魔する騎士も兵士も聖職者も、何の隔たりも無く、邪魔する全てを斬り払う。その度に血飛沫を浴び、暗い渇望が満たされる。

 来たれ。聖剣よ、来たれ! 俺に『力』を貸せ! この一瞬の願いを叶えるために! 彼女をこの理不尽な世界から……嘲笑の神から奪い返す為に! 2本の剣を泣き叫びながら武器も持たずに両腕を広げて壁となる聖職者の胸に突き立て、そのまま左右に斬り払う。血が飛び散り、胸から割れた『中身』が黒衣に付着する。

 囲まれて槍が次々と突き出される。脇腹を刺し抜かれるも、ダメージフィードバックに脳を焦がされながらも剣を振り回して騎士たちを遠ざける。

 雑魚がわらわらと。邪魔だ。邪魔だ邪魔だ邪魔だ! 横腹から溢れた血を拭いながら、≪集気法≫の特殊ソードスキル【治癒剄】を発動させる。途端に『彼』を奇跡に似た山吹色のオーラが包み込む。それはオートヒーリングとアバター修繕加速の付与であり、HPが減少すればするほどに回復量は増加する。代償としてスタミナ消費量は増えるが、流血があるアルヴヘイムにおいて、それは如実に、絶大に、効果を発揮する。

 そして、スタミナの消費量増加というプレイヤーにとって安くないデメリットもリカバリーブロッキングで解決してしまう。『彼』にかかれば、怖気づいたアルヴヘイムの戦士たちの攻撃はもはやカモに等しく、好みの攻撃をリカバリーブロッキングで弾き、スタミナを回復していく。

 槍に刺されようとも、矢に貫かれようとも、いずれも攻撃力不足だ。じわじわとHPは治癒剄と≪バトルヒーリング≫で回復し、またアバターは修復速度が鈍いアルヴヘイムではあり得ない速度で塞がっていく。多少の傷を受けたところで何ら問題はない。

 それは単純に敵対する者に恐怖を刻み込む。どれだけ矢を浴びても、傷を負っても、跳び込んで剣を振るい、新たな傷をつけるより前に回復されてしまうのだから。

 もはや雨ですら洗い流しきれぬほどの夥しい血。右手の一閃を大きく踏み込みながら振るえば、3人の騎士が斬り飛ばされる。死んだのか死んで無いのか、そんなことは『彼』の意識には欠片も入っていなかった。

 約束の塔の周辺、地図で確認していた水没地帯が見えた。最後の防衛網。だが、彼は躊躇なく≪二刀流≫の突進系ソードスキル、ブレイヴクロスを発動させる。突進系においては強ジャンルのソードスキルが揃った≪槍≫にも匹敵する、あるいは超えるほどの突破力を与えるこのソードスキルは間合いを詰めた斬り込みに最適だ。そして、それをレベルや装備が低いアルヴヘイムの住人に使用すればどうなるか?

 騎士たちが盾を弾かれ、鎧ごと一撃で切断されながら吹き飛ばされ、黒衣が翻る頃には雨の如く屍は落ちる。

 

「アスナ……アスナ……もう少しだ……もう少しだから……だから!」

 

 心の奥の『何か』が軋んでいる。止めろと叫んでいる。だが、『彼』はそれを奥歯で咀嚼し、渇望と願望のままに剣を振るい続ける。そして、ゆっくりと上がり始め、繋がりを切り離す跳ね橋を駆ける。最後の最後まで邪魔しようとする世界を呪う。

 アルフが立ちはだかる。オベイロンへの忠誠を長々と語っている気がしたが、『彼』には雑音以外に何も聞こえなかった。流麗とさえ思える大剣の動きを見切り、二刀流の手数で翻弄し、その腕を、腹を、足を斬りつけ、怯んだところで胸を突き刺し、捻じ込み、抉り、ゴミのように橋の外……落ちれば命が無いだろう濁流に蹴落とす。

 手間を取らせるな。唾棄する勢いで醜く血に汚れたメイデンハーツを振り払い、もはや障害物がない一直線を見据える。

 

「アスナァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 ようやく届いた! ようやく届いたのだ! ずっとずっと探していた!

 見間違えるはずのない後ろ姿。愛おしい栗色の髪。血肉と死を啜った剣風と共に『彼』は叫ぶ。

 どうか振り返ってくれ。そう望んだ絶叫のままに斜面となっていく跳ね橋の縁より高々と跳ぶ。もはや自分を阻む者などいないのだから!

 舞った空を跳んだ時、自分にも翅が生えたような気がした。

 何処までも飛んでいけるような気がした。

 この手は必ずアスナに届くはずだと無垢に信じられた。

 

 

 だが、それは黒紫の風、赤紫の瞳を湛える剣士によって阻まれる。

 

 

 咄嗟に剣を交差させてガードの構えを取り、一撃は重くない軽量型片手剣の渾身の縦一閃を防ぐ。それ自体は容易かったが、ジャンプで稼ぐはずだった距離を潰され、落下して着地した『彼』は歯を食いしばりながら『邪魔者』を睨む。

 白いマントを脱ぎ棄て、濃い紫の戦闘服を翻し、道を阻む『敵』の名前はユウキ。『彼』はゆらりと着地姿勢から体を起こし、ぶらりと垂れ下げていた両手の剣を震えさせる。

 

「ここから先は……通さないよ」

 

 雨に打たれながら、ユウキは確かに芯の通った……決して幻影や偽者ではないと主張するような声で告げる。

 どうしてユウキが俺の邪魔をする? 彼女は知っているはずだ。俺の願いを知っているはずだ。何のためにDBOにログインしたのかも、アルヴヘイムに来た理由も、これまで戦い続けたのはアスナを取り戻す為だと知っているはずだ! 声にならない叫びが喉の内側で反響する。

 裏切られた? いいや、違う。彼女は最初から『敵』だった。殺し合いが所望だった。だからここぞという絶好の機会で『邪魔』することを選んだ『敵』だ。『彼』はユウキに憤怒を、アスナに手が届かなかった己の無力に憎悪を募らせる。

 

「そこをどいてくれ」

 

「どかない」

 

「どけよ」

 

「どかないよ」

 

 ああ、そうか。そうだろう。そうなのだろう! 最後の理性を振り絞った、彼女との旅路……確かに通わせたと思った心、ガイアスへの義理立て、その全てが豪雨と雷鳴の中に溶けていく。『彼』はゆらりと剣を構える。

 

「もしかしたら、キミかもしれないって思った。最初にアスナの所に来るのは……キミのはずだって、信じてたのかもしれない。もしかしたら、アスナの望むヒーローなら、彼女の決意と覚悟を全部不意にしても受け入られる『アスナの英雄』だったなら、ボクも通しちゃってたかもしれない」

 

 どうしてそんな悲しそうな目をする? 裏切者のくせに。裏切者のくせに! 裏切者のくせに! 俺の願いを踏みにじる『敵』のくせに! ユウキへの憤怒と自己憎悪を糧として、それは殺意となる。

 

「でも、今のキミはアスナが好きだった【黒の剣士】じゃない。欺瞞でも演じようとした『英雄』でもない。クーが愛した『親友』ですらない。だから、ボクはキミと戦うよ。ガイアスさんの為にも、キミが『キミ』を『捨てない』為に。それが、穢れたボクにできる……最後の洗礼だから」

 

 聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない! ユウキの慈愛に満ちたと分かってしまう優しい言葉に、自分の足下に纏わりつくおぞましいモノに、必死に駆け抜けて振り払おうとするモノに触れそうになって、『彼』は剣に意識を没頭させる。そこに矜持はなく、ただ『力』への渇望と求めた願望だけに集中する。

 赤紫の瞳に仮面の剣士は死を求める。そうであらんとした剣鬼の姿のままに。いつも理想だった、嫉妬すら覚えた、そして誰よりも追いつきたかった、白髪を靡かせる『親友』の背中を虚無に感じる。

 

「俺の邪魔を……するなぁああああああああああああああああ!」

 

「そうさ。ボクはキミの『邪魔者』だよ。ここは……今のキミだけは! 絶対に通さない! スリーピングナイツ最後の1人として、誇りにかけて! ボクが生き残った意味を! 彼らが生きた証を! ここで示す為にも……絶対に!」

 

 そして、剣鬼と【絶剣】の刃が交差する。

 

 

 

 この戦いはどちらかの剣が『敵』の死を啜るまで終わらない。殺意の諦観に満ちた殺し合いが始まる。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「無事だったんですね、巡礼さん!」

 

 予定の宿泊地の近くで馬車を休ませていたマウロと合流し、オレは道中で着替えた巡礼服の姿で彼に微笑む。

 どうやら鉄兜はマウロを無事に届けると後金も貰わずに去っていったらしい。彼のことだ。今回のティターニア騒動の中心、約束の塔に向かったのだろう。どのようなアクションを起こすかは分からないが、そのスタンスが謎である以上、再会するまでは注意しておこう。

 

「商人マウロ、アナタも無事で何よりです。ですが、今は再会を喜ぶべき時ではありません。失礼ながら、少々私用がありまして。荷物を受け取りたいのですが」

 

「あ、荷物ですね。こちらにちゃんと……」

 

 さすがは屋根付きの馬車だ。雨に濡れることなく黒塗りの棺が置かれている。中には必要な道具とクレイモアを始めとした武器を詰めてある。縄で縛るとオレの体格を上回る棺を背中で担ぐ。死神の剣槍は左手に持ち、右手で棺の縄を持つという強引なスタイルであるが、問題は無いだろう。

 困惑するマウロを置いてきぼりに、オレは騒乱の気配に満ちた約束の塔の森に視線を運ぶ。どうやらかなり出遅れてしまったようであるが、好ましい事に警備体制は大きく崩れてしまっているようだ。

 

「ど、何処に行くんですか!? 今、森の近くはヤバいですって! なんかラリった連中が跳び込んで、騎士も兵士も火薬でブッ飛ばしてるって話ですよ!?」

 

「……そうですか。良い塩梅ですね」

 

 何が起こってるのか知らんが、混乱の真っただ中であるならば、警備も杜撰になっているはずだ。強引に突破するならばむしろ有利に働く。

 ここから約束の塔まで結構な距離があるな。もう魔力切れで灰色の狼は召喚できないが、幸いにもオレには『アレ』があるのでいざとなれば補充も出来るが、交戦最低限で行こう。下手に消耗しても困るだけだし、ここでオベイロンを仕留めきれない場合もある。

 あくまで今回の最優先事項はオベイロンの情報収集とアスナの調査だ。場合によっては両者の殺害を決行する。包囲殲滅されるより前に脱出しなければならない以上、タイムアタックだな。面倒臭い。

 

「まぁ、シャルルの森ほどでもないか」

 

 森を走るのは慣れている。ヤツメ様の森が庭だったオレからすれば、純ジャングルだったシャルルの森クラスでもない限り、さほどの減速はないだろう。狩人たる者、森だろうと山間だろうと十全に動き回れねば務められない。

 

 

 

 そして私が導く以上、あなたに森で勝てる者はいない。『獣』の本領を見せてあげましょう?

 

 

 

 何故か楽しそうなヤツメ様は既に森で漂う血のニオイを嗅ぎ取っているのだろう。頬が紅潮して細やかに興奮している。

 ……少しばかり気合を入れていくか。サクヤを殺したばかりで本能が疼いている。飢えと渇きが大きくなっている。それを止める為に血の悦びを欲している。ヤツメ様が頬を膨らませてオレの袖を引っ張って自己主張しているが、悪いがサクヤを殺した手前、ここで『獣』になるなど言語道断だ。空気を読んでください、ヤツメ様。

 そうさ。茶化すくらいの気持ちでいかなければまずい。いい加減に限界が近づいているのだ。殺しても殺さなくても箍は外れそうになっているのだから。

 

「ちょっと待ってくださいよ! 巡礼さん、何をするつもりですか!?」

 

 追い縋るマウロは本当に良い奴だ。まぁ、色々とゲスな部分もあるだろうが、そうした良心的な部分をもっと活かせば良い商人になれるだろう。少しくらいは殺したいと思える程度には好感を持っているので近づかないでもらいたいが、どちらにしても彼にはここで待機以外の選択肢はない。

 オレは巡礼服のフードを被り直しながら、オベイロンを『殺す』切り札たる棺を背負い直しつつ、死神の剣槍を握りしめながら振り返る。

 

「少しばかりオベイロンに喧嘩を売りに」

 

 作戦目標を再確認。最優先ターゲットはオベイロン、第2候補はアスナ。

 オベイロンからの情報収集を優先しつつ、殺害できるならば決行。アスナは状態を確認し、迅速に判断を下すべし。場合によっては対オベイロン準備で拉致することも視野に入れる。

 作戦目標を阻む者は全て敵性対象と認定。撃破を推奨。

 

「ミッション開始」

 

 いつもならばグリセルダさんが言ってくれる作戦決行の合図を呟く。傭兵として、今にも溢れそうな『獣』の顎を御する為に。




戦闘状況一覧

因縁の対決
シノンVSデスガン(ダースモール級のダブルライトセイバーモード搭載)

本作初の空中戦
リーファVS謎の真紅のボロ雑巾女騎士

避けられない死闘
剣鬼VS絶剣


謎・思惑・欲望・意志・信念が激突するアルヴヘイム中編のラストスパートです。


それでは、277話でまた会いましょう!

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