SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

そして、シャロン村に春が訪れた




Episode18-29 血と月光

 死者を弔う。

 その行為には多くの意味があり、多くの手段があり、多くの価値観がある。

 たとえば、土葬。キリスト教圏で土葬が一般的な理由は詳細を省くが、要は肉体を残しておくことに宗教的価値観がもたらす意味がある。また、土葬とは肉体を土に還し、土地を豊かにする。それは科学が発展する以前から人々が理屈抜きで理解していた現象であり、また『神』を求めるやり方だったのだろう。だが、一方で土葬は多くの病原菌を育む一助にもなったが、それは病理学の分野であり、また土葬自体が非難される武器になるべきではない。

 たとえば、火葬。これは日本では一般的な手法であり、世界的に見ても一般的なやり方だ。腐敗する肉体を火で清め、灰と骨に変える。日本において火葬が今も好まれる理由は宗教的価値観だけではなく、火葬というメリット……墓所という『土地』の消費が関係する。

 たとえば、水葬。これは特に船乗りたちが多かった地域において見られる傾向があるという。水は古来より神秘を宿し、神の領域に通じ、霊的媒介でもあった。また、人間は生まれた時から知っているのだろう。海の懐に帰るという……不変的母性を知っているのだろう。

 たとえば、鳥葬。珍しいやり方ではあり、その本質を理解するには根付いた文化を紐解かねばならない。それは鳥という空を羽ばたく者に天の使徒を見たからか、それとも高き空への憧憬か。だが、一貫して言えることは、それは他の価値観から見れば異質であるとしても、その文化圏……共通の認識があるコミュニティにおいては名誉ある弔い方であるという事だ。

 シャロン村の場合は火葬だ。彼らの信仰の根底にある永遠と始まりの火。アルヴヘイムで暮らす妖精たちはいずれ黒炭のように変色してボロボロとなって崩れ、この世界のデータの海に帰り、リソースの余剰となる。美醜の観点から見ればまだ美しく、だが自然の摂理から見れば歪んでいて、そして仮想世界という理屈からすれば何の意味も持たないエフェクトによる化粧に過ぎない。

 だが、アルヴヘイムにおいても病気という概念がある。一般的な高熱・頭痛・吐き気などを催す風邪や悪化した場合の肺炎。デバフではない疫病といった感染症。医療技術が発達し辛い為か、癌などは不明であるが、彼らが生きる上での『困難』がまるで神の悪戯のように必要性も無くばら撒かれている。

 シャロン村において火葬が定着したのは始まりの火と結びついた永遠信仰と閉ざされたコミュニティにおいて感染症を広げる原因を1つでも潰して村民の全滅を食い止める為の処置だったのかもしれない。

 黄昏は過ぎ、シャロン村に着けば、春が来たことに喜ぶ住人たちに迎えられ、そして彼らはオレが抱えていたザクロの遺体にむせび泣いた。

 ザクロはオレと違ってシャロン村によく馴染んでいた。彼らと共に暮らし、理解し合おうと歩み寄り、そして彼女はそこで何かを得た。ザクロ自身も分からないほどに小さかった、あるいは彼女も自覚する程に大きかった『何か』を得たのだろう。

 春の訪れを祝う宴ではなく、ザクロの葬儀が優先されたのは、その分だけ彼らがザクロをシャロン村の1人として受け入れていたからこそだろう。薪を重ねて作られたのは棺であり、そこにザクロを眠らせる。彼女はオババによって死に化粧が施された。未婚の女性を弔う場合、せめてもの慰めとして花嫁衣装が着せられる。簡素な花飾りと白と青の花嫁衣裳を着込んだザクロは薪の棺の中に閉ざされ、多くの涙の中で弔いの火を待っている。

 

「灰色の世界において、温もりも冷たさもなく、光も闇もなく、生も死も無かった頃、何処からともなく火が起こった。それらが我らの世界の始まり。死の終わりは始まりへの帰還。はじまりの火よ、これより若き乙女をその懐に帰します」

 

 オババは松明に灯した火を油で滴った薪に押し付けた。それは小さな火を、次に大きな火を、そして燃え尽きるまで消えることが無い荒ぶる火を生む。

 村人たちは小さな花を1輪ずつ献花していく。それは薪の棺を燃やす火に呑まれていく。火の粉が舞い冷たさが薄らいだが、消えることがない雪に包まれた霜海山脈から吹き込む夜風と混ざり合い、雲無き月夜を彩る。

 

「うう、ザクロちゃん」

 

「とても良い娘だったわね」

 

「ザクロおねーちゃん、なんで死んじゃったのよぉおおお!」

 

 樵は悔しがりながら涙し、三角巾を被った女は共に過ごした短い日々を振り返るように瞼を閉ざし、ある女の子は泣きじゃくる。

 送り火を囲みながら村人たちは酒を交わし、燃え尽きるまで死者について語らう。それがシャロン村の習わしだ。死者の思い出すらも火に吹き込んで永遠にするのである。

 アルヴヘイムにおいて妖精たちの遺体が黒く変色するのは知識としてあるが、はたしてプレイヤーはどうなるのだろうか。彼らと同じように放置し続ければ変色するのか? 火葬後に骨は残るのか? ならば、この皮の内にあるのは赤黒い光の塊などではなく、血が通った肉であり、体を支える骨であり、髄がじわりと滲んでいるのだろうか。

 盛る送り火を前にしながら、オレは贄姫を抜き、左手で持つと右手の掌を鋭利な刃でそっと斬り裂く。HPが僅かに減り、じわりと血が滲む。だが、それは本物の血ではない。あくまでダメージエフェクトだ。だが、DBOのような赤黒い光とも異なる、とても液体としての質感を持った、どろりとしている。僅かに空気に漂い、過半は重力に従って滴って、確かな血痕をシャロン村を囲む、花々が割き始めた草原を赤く染める。その血は僅かな光を含んでいて、だからこそ仮想世界の歪んだ死の在り方を物語っているようで、同時に少しずつでも死への『何か』を求めている足掻きを感じる。

 オレは直感する。ここはシャルルの森と同じだ。特殊な環境条件が成り立ち、それに伴ったアバターの変質が起こり、プレイヤーはより『肉体』に近づく。ならば、アルヴヘイムを攻略した時に何があるのだろうか? ミュウのリーク通りならば、コンソールルームが何処か……恐らくはオベイロンの居城にあり、それに触れれば、このより本物に近づいた血が、流血というシステムが、あるいはより仮想世界を『本物』として完成させるシステムがDBOに追加されるのだろうか。

 どうでも良い事だ。流血があればオレはより戦いやすくなる。それにアバターが怪我であれ欠損であれ、より破損した状態ならば防御力が低下するという攻撃優位システムはトリスタンでも有効性は実証と確信ができた。トリスタン戦では披露しなかった水銀長刀モードならば……鋸状の刃ならば相手の傷口を醜く抉り、血を削り取り、より敵を苦しめるだろう。

 

「我らの王よ。あの娘とは深い仲と思っていましたが、涙も流されぬとは強い御方じゃ」

 

 オレの隣にオババが腰かけて木の椀に緑色が滲んだ酒を差し出す。薬酒であり、草の苦みは殺菌作用があるのだろうとザクロは渋い顔をしながら飲んでいたのを思い出し、オレは軽く口を付けて無味であることに小さく苦笑する。だが、香りだけでも十分に苦味を想像できた。

 

「オレは強くありません。泣きたくても……泣けないんです。どうしても、彼女の死に涙が零れない」

 

 いいや、ザクロだけではない。どんな死を経験した時も、オレは泣くことができなかった。

 それはアインクラッドやDBOに限ったことではないはずだ。灼けていく記憶の断片を拾い上げていく。最初のトモダチ……マシロを殺した夕暮れも、オレは泣いていなかった。泣けなかった。

 オレは悦んでいたからだろう。彼らの死を欲していたからだろう。この手で殺したかったからだろう。

 

「オレに、ザクロの名誉ある弔いに参加する資格があるでしょうか?」

 

 だから、自然とオレはオババに尋ねる。『こんな事』をして何になるという自嘲をしながらも『オババ』に問わずにはいられなかった。

 杯に舞い散った火の粉を見つめながら、オババは波紋に息を吹きかけて灰となって沈む送り火ごと酒を飲み、やがて口を開いた。

 

「あの娘はこう言っていた。お前さんは『火』のようだと。オババには分からんが、あの娘はお前さんに『火』を見出していたんじゃろう」

 

 胸の内で『痛み』が滲んだ。傷口が広がり、膿と混ざり合った血が零れて腐っていく音が聞こえた。

 サチもまたオレを『火』に譬えた。本音を語るようになった彼女と過ごしたのはたった1晩限りで……それでも、彼女の願いがオレをアルヴヘイムまで歩ませてくれて、戦う『理由』になってくれた。

 

「『火』とは何でしょうか?」

 

「難しいのぉ。オババは呪術には詳しくないが、呪術とは火の憧憬だと聞いた。呪術とはイザリスが生んだ、始まりの火を求めた力じゃ。永遠の探究においても、火はその象徴の1つでもある。じゃが、オババはこう思うよ」

 

 杯を満たす酒を飲み干したオババに、オレは酒瓶を手に取って注ぐ。薬酒の濃厚な薬草の香りがザクロを燃やすニオイと混ざり合う。

 

「火は古来より武器じゃった。最も恐ろしい武器じゃ。剣や鎧を鍛えるだけではなく、火そのものが何にも勝る、おぞましく、恐ろしく、狂気に満ちた、全てを焼き尽くす『暴力』じゃ。オババも伝聞でしか知らんが、今もアルヴヘイムの何処かで戦争が起きてるはずじゃ。古き時代、オベイロン王に歯向かったケットシーとインプは一族単位で火刑に処せられ、また容赦なく村も町も都も住民ごと焼かれた」

 

 そこで区切ったオババは注がれた酒に大きく煽り、一口分だけの残すと、唇を薬酒の緑で染めたまま語る。

 

「じゃがな、火はそれだけではない。オババ達が今日まで生き残れたのは火のお陰じゃ。火の温もりがなければ、四方八方を囲む山々より染みる冷たさをどうやって凌げば良かった? 吹雪の夜にどうやって暖を取れば良かった? どうやって……死者を弔えば良かった? お前さんに『火』を見たとは、恐ろしさ以外の何かを感じ取ったのじゃろう。グウィン王もイザリスの魔女も最初の死者ニトも……王のソウルを見出した者たちはいずれも暗闇から生まれた者と聞く。暗闇にいる者こそ、火に惹かれてしまうのじゃろうさ。冷たい暗闇の中だからこそ……」

 

 ザクロは暗闇から抜け出したがっていた。オレに『火』を見たとも言っていた。

 灼けた記憶の断片がゆっくりと読み解かれていく。それは何歳の誕生日だっただろうか? 母さんが教えてくれた、オレの名前の由来だ。

 

『私の篝。あなたが生まれたのはとてもとても寒い夜。雪が降り積もる冷たい夜。でも、雲の狭間から月光が漏れていた、冷たくて暗くて、少しだけ優しい月光があった夜だった。どうか凍えないように。だから、あなたは篝。誰よりも温かな篝火なの』

 

 篝火とは暖を取る為であり、同時に暗闇に潜む魔性を遠ざける為のものである。古今東西において、火は魔除けの力を宿すと信じられた。だが、DBOにおいては少し事情も異なる。

 不死の英雄が成し遂げた火継。繰り返されたと火継の使命にはいつも傍に篝火があった。それは不死にとっての故郷であり、唯一の安息の場所であったという。プレイヤーの転送と記憶の余熱を得られる剣は複数あるが、いずれもこの篝火を模したものだ。不死ではなく、闇の血を持つ者……未だ明かされない『物語』上のプレイヤーの位置付け。ならば、火継と篝火の関係とは何なのか。

 ああ、今はどうでも良いか。オレはザクロを燃やし続ける火を見つめる。

 オレは優しくなんかない。優しくなれないよ、ザクロ。オマエみたいな『強さ』はない。

 オマエはきっと帰れたんだ。暗闇から抜け出して、光の向こう側に戻れて死ねたはずだ。イリスの死は無駄などではなく、オマエの導きとなり、その願いを微かでも叶えたはずだ。

 弔いの火にオレは神楽の夜を思い出す。祭りの夜に欠かせない篝火。夜に火と光を絶やしてはならない。祭りの夜は神子と共にヤツメ様はある。故に神子が深殿の儀に入るまで、神楽は決して火を絶やさない。

 

「ペルセポネがザクロの果実を食べた分だけ春を失った。故に冷たい冬は死の象徴である」

 

 シャロン村に訪れた春。ザクロが望んだ春。彼女の優しい願いが求めた村人たちの自由。

 アイテムストレージに眠る闇朧を思い出し、オレは弔いの火に微笑んだ。

 オマエを喰らおう、ザクロ。たとえ、その誇りと意思を踏み躙ることになろうとも、その『力』を糧としよう。

 ヤツメ様が踊る。オレに手を差し出し、立ち上がらせる。オレはザクロを焦がす弔いの火の前に立ち、その熱気に瞼を閉ざしながら、大きく息を吸った。

 

『ねぇ、何を歌えば良いの? ぼくね、すごーい音痴なんだ』

 

 それはもう顔も思い出せない、おばーちゃんとの記憶。神子衣装を着せてくれて、髪を丁寧に櫛で梳いてくれた思い出だ。

 神子の祭りでの務めは神楽と深殿の儀だ。そして、神楽の前には歌うのだ。そこに歌詞などなく、求めるままに、ただひたすらに歌うのだ。

 それは旋律に過ぎず、故に原始の歌声であり、何にも増した神楽を成す神子の最初の務めである。

 

「おやすみ、ザクロ」

 

 祈りも呪いも無く、安らかに眠るが良い。

 この歌を捧げよう。もうオマエが悪夢に覚めることがないように……歌おう。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 1人の少女を燃やす火を囲み、シャロン村の住人達は酒を飲んで彼女について語らい続ける。

 その葬送の中で、灰色の装束を纏った白髪の狩人が火へと歩み寄った。

 衆目が集まる中で、今は結われず、ただその艶やかな白髪を火と月光で濡らしていた。後ろ手を組み、天に燃え上がる火を憂うように夜空を見上げた、彼とも彼女とも言えぬ『何か』は一呼吸と共に旋律を奏でた。 

 それは歌だった。名も無き歌だった。歌詞もない旋律だった。

 ただひたすらに『命』を慈しむが故に……冒涜的だった。

 無垢と言える程に純粋で、蕩けるように甘く優しい殺意に浸されて、それでいて深い慈愛に満たされた……狂った歌。

 弔いの火の熱気の中で、月光と白髪は舞う。

 歌声が消えた時、右手を血で滴らせたまま、白髪の狩人は刃を抜く。

 

 

 そして、狩りが始まった。

 

 

 

▽   ▽    ▽

 

 

 最初に首が飛んだのは、ザクロにアプローチをかけていた樵だった。

 右手に持った贄姫の刃は何の抵抗もなく彼の首を断ち、その頭部を地面に転がせる。樵は血飛沫と共に膝をついて前のめりに倒れて動かなくなる。

 悲鳴は無かった。ただ茫然とした雰囲気の中で、オレは続いて贄姫を三角巾を被った女に振り下ろし、その脳天から股まで斬り裂いて両断する。

 ようやく巻き起こった狂乱の中で、背中を向けて逃げていく夫妻の背中に水銀の刃を放つ。間合いを伸ばす水銀の刃に刻まれ、妻の方は動かなくなるが、夫の方は赤いカーソルを点滅させて辛うじての生存を示すも、オレは歩み寄ってその頸椎を踏み砕く。

 

「気が狂いおったか!?」

 

 杖を持って叫ぶオババに、オレは首を横に振って微笑みながら、左手でザリアを抜く。そして無造作に背後から薪を棍棒にして振り下ろす男の右目を銃剣モードで貫いた。

 

「正気の定義によりますね。オレは至って正常な思考状態のまま、正常に状況を分析し、正常な判断を下した。結果は狂気と呼べるかもしれませんが、オレは至って『正気』ですよ?」

 

 雷弾を頭部の中心まで伝導させ、男の頭は膨れ上がり、そして弾ける。血と肉片を浴び、オレはザリアを染めるそれらを振り払う。

 

「『人形遊び』はもう終わりにしましょう」

 

 さぁ、いい加減に正体を現せ。オレは頭が弾け飛んだ男の死体を見下ろす。

 

 

 

 

 

 

 そして、繋がるべき頭を失った首の醜い断面より『触手』が伸び、それは蕾が花開くように蠢いて1本のHPバーを露にした。

 

 

 

 

 

 

 

 オレが『知る』ものとは幾分か外観が異なる。ゴム質で数が多くて細い。まるでイソギンチャクのようだ。だが、目玉のように赤く光る感覚器官がびっしりと表面には張り付いており、15本ほどの触手は揺れている。

 1拍置いて首を落とされた樵からも触手が伸びる。その傷口はあっという間に押し広げられ、頭部が触手の塊となった樵はまるで当然のように、平然としたように、だが、何処となくぎこちなく立ち上がる。

 頸椎を踏み砕かれた男が両手でしっかりと体を支えて起き上がる。曲がった首を自身の手で正しい位置に戻すと砕けた骨の役割を果たすかのように『内部』で芯が通り、そして後頭部が爆ぜて触手の蕾が露になる。それは樵と同じように広がって、虚ろな眼の代理のように赤い感覚器官を輝かせた。

 夫の変質に連鎖するように、妻もまた四肢で体を支えたブリッジ姿勢になって起き上がり、その腹を突き破って触手の幹を伸ばす。他の触手よりも太いそれは大きく膨らんでいた。

 遅れてきた狂乱と絶叫。オババは背中を向けて走り出し、それを庇うように怪物と化した住人たちは立ち塞がる。

 油断していた。廃坑都市で見た以上、アルヴヘイムにはレギオンがいるのは確定していたはずなのに、『このパターン』は推測できる材料はあったはずなのに、見逃していた。狩人失格だ。

 ヤツメ様がストライキ中だから分からなかった。いや、オレのコンディションと『痛み』を気遣って、敢えて今回は見逃すつもりだったのかもしれない。もしくは、レギオンに起きた微細な変化が原因か、ヤツメ様は不機嫌になるだけでどう対応すべきか悩むように思案している。

 寄生型レギオン。だが、それは単純に苗床にするのではなく、高度な擬態能力を持ったレギオンだ。この感じ……アルヴヘイムに出発する前に確認したリーファちゃんやサクヤと同じだ。本人であって本人ではない……『本人のように振る舞う』AIだ。

 恐らくはチェンジリングと根底は同じ。寄生対象の人格・性格・記憶データを基にして擬態用AIを作り出し、なおかつ寄生状態のままならば『本人』として何ら変わりなく存在し続けられる。

 NPCと同じだ。『本人』ならばどう振る舞うのか。どう語るのか。どう行動するのか。ただオペレーションに従って『本人』の『生き方』をなぞるだけ。そこに感情と呼べるものはなく、豊かな思考もなく、何かを生み出すこともない人形。

 だが、擬態能力に割かれている為か、戦闘能力は大したことがない。擬態能力自体の殺傷性が高い為だろう。組織内でレギオン化すればそれだけで大混乱を引き起こし、疑心暗鬼を呼ぶ。集団においてこそ最悪となり得るレギオンか。

 生憎だが、オレは『1人』だ。脅威にはならない。いつだって、敵となれば全てを殺してきた。誰であろうと殺してきた。ならば、誰がレギオンになろうとも殺せる。むしろ、レギオンとなるからこそ殺せる。

 立ち塞がる3体の寄生レギオンを纏めて水銀居合で両断する。耐久性能は低めか。動きも鈍い。触手自体の攻撃範囲は伸縮性に富んでいるので広く、スピードもなかなかであるが、脅威にはならない。やはり擬態能力こそが肝か。

 シャロン村の住民たちは逃げ惑って隠れる。その行動は一見すればオレとレギオンの両方から逃げようとする行動でにも見えるが、それは『本人ならばこのように行動する』という血の通わないロジックに従った、レギオンの傀儡たちの擬態行動に過ぎない。

 感じる。彼らに『命』はなく、だが歪んだ『命』もまたある。レギオンは確かに、ヤツメ様が困惑するほどに、大きな変化を迎え、『命』を育んでいる。だからこそ、ヤツメ様は怒り狂わず、今のところは狩人に丸投げして、面白そうに観察に徹している。

 狩人は鼻を鳴らし、そしてシャロン村の住人全てを狩ることを示すように腕を振るう。

 

 

 狩り尽くせ。ただの1匹として逃がすな。『獣』に敬意など不要だ。

 

 

 ああ、そうだろうな。ここにいるのは、救いようもない、ただの『獣』だ。腹から触手の幹を伸ばしていた女を収束雷弾で破壊する。飛び散った肉片が野原に散らばるが、それよりも今は逃げ惑う他の村民『だった』レギオンだ。

 村に逃げ込んでいく住人の1人にあっさりと追いつき、その両足を水銀の刃で断って転倒させる。そのまま背中に贄姫を突き立て、左脇腹まで斬り裂く。

 最初に仕掛けた4人の内、3人しかレギオン化して応戦せず、三角巾を被った女は動かなかった。レギオンではなかったから……ではなく、その断面から血と肉に混ざり合ったレギオンの触手の雛型がどろりと液状に零れていた。

 寄生型レギオンの本体は胸部……それも左胸、つまり心臓周辺にあるとみて間違いないだろう。触手を出されても脅威にはならないが、なるべく危険度が低い内に狩った方が効率は良い。特に耐久度の温存にはなる。だが、ザリアは少し使っておきたい。エネルギー弾倉を消費しても、ここでより使い方を熟知しておく方がメリットは大きいからだ。

 

「助けて! 助けて! 誰か――」

 

 井戸の付近まで逃げた男は桶を千切って投げるも、それを右への1歩で躱し、距離を詰めて贄姫を口内に押し込み、喉まで斬り裂き、そのまま心臓付近で捩じって引き抜く。レギオン化の兆候なし。今のところは予想通りか。

 

「パパ! ママ! おじいちゃん! 開けて! 開けて! 開け――」

 

 そこは彼女の家なのだろう。10歳にも満たない少女が家の戸を叩いている。オレは彼女の背後に立つとその左肩甲骨の隙間に銃剣モードでザリアを突き立て、内部に雷弾を送り込む。爆ぜた上半身は痙攣し、血肉は全身を赤く染める。少女を吹き飛ばした破壊の余波で歪んだ戸を蹴破り、暗がりから壺を振り上げてきた男の心臓を贄姫で突き刺してそのまま横一閃に振り抜き、続くやや老いた……少女が『おじいちゃん』と呼んでいた男の薪の棍棒をステップで回り込みながら回避してその足首を蹴って倒し、胸部を踏みつける。

 

「ぐぎ、ぐがぁあああああああああああ!?」

 

「胸部強度の上昇を確認。なるほど。有意義なデータだ。贄姫は鋭すぎて分からなかったが、寄生レギオンを見分けるには胸部への殴打の手応えこそが最も簡単な判断方法になる」

 

 このレギオンがDBOで蔓延した場合、対処法が早ければ早い程に犠牲は減る。エドガーに良い情報が出来た。この情報があれば、エドガーならば優位にレギオン狩りを行い、教会への信仰を集める一助になるだろう。そして、その分だけ交渉材料になる。

 肋骨が砕けていく心地良い音が聞こえる。オレはベッドの陰で震えるあの男の妻であり、少女の母親だろう……いや、『だった』レギオンを見つけ、贄姫を突き立てて実験を終える。悠長に研究している暇はない。既にシャロン村には春が訪れた。外部と繋がる道ができたはずだ。ならば、そこを通って外部に逃げられれば、この寄生レギオンが更なる拡散をもたらす危険性がある。

 この手のタイプがセオリー通りならば、コミュニティを形成する母体がいるはず。そうでもなければオババを守ろうとしたレギオン達の行動が解せない。恐らくはこの寄生レギオンのコミュニティを支配しているのはオババ『だった』レギオンだ。

 ベッドの陰で震える女が何かを叫ぶ前に、贄姫で喉を斬り、その傷口にザリアを銃剣モードで押し込み、トリガーを引いて雷弾伝導で内部から爆ぜさせる。首から吹き飛び、その肉片と血が壁際を真っ赤に染め、オレに新鮮で温かい、どろりとした血とレギオンの体液と臓物がびちゃりと付着した。

 銃剣モードで眼球などを突き刺した上での内部攻撃。雷爆風を内側で余すことなく、その爆風が拡大する間も浴びるので大ダメージは確定か。だが、銃剣モードの貫通力は決して高いわけではないし、より深部に突き刺すならば……たとえば贄姫で斬り裂いて傷口を作ってからの方が負担も少なくて済む上に効率も良い。また、雷弾伝導まではややラグがある。対人戦では確実に撃ち込めるタイミングだけで狙った方が良いか。

 特に狙いどころは首と頭部か。頭部は眼球などの脆い部分、もしくは口や喉などの押し込める部位が有効的だろう。価値のある情報だ。

 納屋に妻子を隠したのだろう。草刈り用の鎌を構えた男が震えながら睨んで立っている。

 

「バケモノがぁああああああああああああ!」

 

 震えながらも果敢に戦いを挑む姿はとても『人』らしい。本来ならば敬意を覚えるところだが……何も感じない。ただの『演技』だ。『本人ならばこう振る舞う』という血の通わないロジックに従った反応だ。

 贄姫を温存するか。鞘に戻し、背中の死神の剣槍を構えて鎌ごと男の頭部を打撃ブレードで破砕しながら押し斬り、そのまま胸部に到達するまで強引に振り下ろす。痙攣した男の腹を蹴飛ばし、ギミックを発動させて蛇槍モード化の初速で突きを繰り出す。

 納屋の戸を破壊し、内部に到達するまで伸びた死神の剣槍は、分裂した刀身を血で滴らせ、5歳ほどの男の子を抱きしめたままの女の頭部を破壊する。その触手が伸びるより先に、分裂した打撃ブレードで妻子諸共叩き潰し、2度、3度、4度と振り下ろして肉塊以下のミンチにする。打撃ブレードは分裂する刀身を内部の純粋な蜘蛛糸鋼製のワイヤーで繋げたものだ。こうした相手を『潰す』攻撃に最も適しているし、分裂した刀身は鋸のように相手を引っ掻けて『削る』だろう。だが、1度ダウンさせれば数度は叩き潰せるか。やはり対人戦においても死神の剣槍は有効に使えるだろう。

 

「お願いします! お願いします! どうか妻だけは!」

 

 土下座しながら足に這い寄ろうとする男が懇願するのは妻の助命だ。きっと奥さん想いの旦那さんだったのだろう。

 周囲を見回せば、オレが殺した分だけシャロン村は赤く汚れていた。静かな月光の下で血に穢されていた。あれ程までに雪の白が似合う村だったのに。

 違う! 違う違う違う! コイツらはレギオンだ。分かっているさ。オレは彼に微笑んで背中を向ければ、導きの糸は背後で蠢きを捉える。振り返りもせずにオレはギミック解除した死神の剣槍を突き出した。

 顔だけ振り返れば、そこには眼球を潰して、また口を押し広げて触手を伸ばしてレギオン化した男の姿があった。その胸部に突き刺さった死神の剣槍はレギオンの本体を狂うことなく貫通させ、絶命させ、そのHPバーをゼロにすると同時に男から触手がボロボロと崩れ落ちた。

 彼が匿っていただろう妻の居場所はすぐに分かった。収穫した芋を収める倉庫だ。そこには数人の女たちがいて、オレは面倒なので彼らの悲鳴が尽きるまで雷弾を放つ。なるべく胸部を直撃させ、その表皮を爆ぜさせた場合の破損具合を見ておきたい。低レベルのアバターでは破損具合もデータとしては優位性を持たないが、それでも無いよりはマシだ。

 

「それが人のやる事か。悪魔め!」

 

 放たれた矢は見ずとも射線は分かる。ヤツメ様がレギオンをどう位置づけるか悩む傍らの、片手間で張り巡らす導きの糸すらも脱せれない、あまりに『命』が無い撃ち方だ。彼らの仕事風景を見ておくべきだったな。そうすれば、早くにレギオン化を見抜くことができた。

 だが、それ以上にオレは目の前の矢を乱射する、オレに霜海山脈の吹雪について教えてくれた男を一刻も早く殺さねばならなかった。

 その物言い、まるで自分が『人』であるかのようだ。たとえ人形の演技に過ぎないとしても見過ごせない。

 

「貴様らが……レギオンが……『人』を騙るな」

 

 アルフェリアの叫びを纏わせた死神の剣槍。踏み込みからの一閃は弓ごと彼の体を破壊し、解放された叫びがその遺体すらも散らす。爆砕した彼の亡骸を弄ぶようにオレの周辺で泥が苦悶の叫びを生むような顔を泡立たせる。

 狩る。狩り尽くす。このレギオンだけは生かしておくわけにはいかない。ヤツメ様と狩人の血への冒涜以前の話だ。

 死神の剣槍が血を啜る。ようやくレギオンとして戦おうとした2体を纏めて薙ぎ払い、生き残った1体を距離を詰めてからの膝蹴りで胸部を圧迫して押し潰して撃破する。そして、村の外へと逃げる羊飼いの女を追い、彼らが柵を越えるより先に死神の剣槍を投擲して背後から心臓を潰す。

 

「クヒャ、キヒャ、ヒャヒャ……クヒャハ……」

 

 血の悦びの笑いと自嘲の嗤いが混ざり合い、贄姫で裂いた傷口から溢れた血と村民の血が混じって赤くなった右手で顔を覆う。

 

「クヒャヒャヒャヒャ! ああ、分かっているさ! 分かっているさ! こう言いたいのだろう!?『オマエも同じだ』って言いたいんだろう、レギオン!?」

 

 他でもない『人』に擬態しているのは……そうであろうと無様に振る舞っているのは……オレ自身だ。

 狩りと血の悦び。それを『力』にしろ。アルトリウスとの戦いで認めたさ。戦いと殺しを……狩りに悦楽を得ても良い。それは否定できないのだから。ヤツメ様を受け入れた時に決めたはずだ。首輪をつけて無理矢理でも御するのではなく、受け入れた上で呑まれずに、共にあり続ける。

 死神の剣槍を抜き、村民を見つけたら殺す。レギオンの皮に過ぎない彼らを殺す。

 

 だから。

 

 殺して。

 

 殺して。

 

 殺しまくって。

 

 真っ白な雪が美しかった村は血染めとなった。

 

 ヤツメ様が血溜まりで踊り、楽しげにオレを誘う。早くこっちに来てと『獣』の誘いをかける。

 

 

 

 

 

 あなただけが『人』であろうとして何の意味があるの? どうせ誰もが『獣』になる。本当は気づいてるくせに。『人』は『獣』に容易く堕ちる。だって『人』こそが本当の意味でのケダモノなのだから。でも、あなたは生まれた時から『獣』。私はずっと微睡んでいただけ。あなたは『獣』に堕ちるんじゃない。なるべくして『獣』になるだけ。

 

 

 

 

 

 

 レギオン・プログラムに感染した時に、彼らは飢えと渇きに耐え切れず、『人』を捨てて『獣』になったのだろうか。単純に寄生されて内側から食い殺されたのではなく、彼らはレギオン・プログラムに屈してしまったのだろうか。

 ケイタやエギルのケース……教会で倒した獣魔化した上でレギオン・プログラムに蝕まれた修道女長を考慮するならば、それこそがレギオン・プログラムの真髄であるはずだ。単純に寄生するだけならば、それはレギオン・プログラムである必要はないのだから。

 彼らはあのイソギンチャクの触手の塊に成り果てる程に『人』を捨て、飢えと渇きに呑まれたのか? たとえ人形に過ぎなくとも、ザクロを迎え入れて、彼女に『優しい人』になる一助となってくれたほどの彼らも……その本質はケダモノだというのか?

 違う。オレは否定して残りのレギオンを狩るべく動き出す。

 村には住人の遺体が散らばっているが、数えながら殺したつもりだ。たとえ言葉を交わしたのは僅かでも、彼らの人数は把握している。

 

「大丈夫。まだ大丈夫だから」

 

 もう生き残りはいないだろう。ただ1人を除いて。

 居場所は分かっている。オレは村の外れにある解呪の祭壇がある遺跡に向かう。そこにはオババが待っていた。レギオン化の様子はない。

 

「我らの王。どうして、このような真似をしたのじゃ? お前さんにとって……オババたちは、ただの狩りの獲物に過ぎんというのか?」

 

 それは憎しみと悲しみと怒りが混ざり合った声音を『真似た』ものだ。騙されない。オレは無言でザリアを向けて収束雷弾のチャージを行う。

 諦めきったようにオババは嗤い、そして膝を折って項垂れ、遺跡の崩れた屋根を見上げて月光を望む。

 

「最後に、この老いぼれの言葉を聞くが良い。火はいずれ陰るものじゃ。残るのは暗闇ばかり。それが……それが、『火』の末路じゃ! 哀れ! 哀れじゃ!」

 

 それはレギオン化しても、擬態用AIによる演技だとしても、『オババ』という存在がこの場面でしただろう呪詛なのだろう。

 そうだと信じたい。だから、オレは『オババ』に微笑んだ。そこにいるレギオンを殺す為の光を纏ったザリアを向けた。

 

「おやすみ、『オババ』」

 

 その皺だらけの顔が崩れ、他とは異なる質感を持った……母体だろう寄生型レギオンの触手が伸びる。だが、オレはそれよりも先にトリガーを引く。放たれた収束雷弾はオババの上半身に直撃して大きな雷爆風を生む。その中で、頭部の全てを触手としていながらも、赤黒いヌメヌメとした肌を持つレギオンがその体を成長させるように膨張しながら現れる。『皮』を脱ぎ捨て、そして『オババ』だったレギオンが牙を剥く。

 

「あぁ、我らの王。レギオンの王!」

 

 死神の剣槍を捨て、贄姫を抜刀する。一瞬の交差の後に、月光の下で立つオレは振り返り、暗闇の中で首を落としたレギオンを見つめた。

 レギオンの王……か。オレは貴様らの王になったつもりはない。そもそも、オレは王の器ではない。

 

「オレは『人』だ。この心が……『人』であろうとする限り」

 

 まだまだ血には酔わないよ、ヤツメ様。

 死神の剣槍を背負い、オレはシャロン村を歩いて狩り漏らしがないかチェックする。

 死に満たされたシャロン村には血のニオイが充満していた。

 そもそも血は無臭だ。血が濃いニオイを持つならば、人間の薄い皮膚程度で防げるものか。血のニオイとは無菌状態の血が『腐る』ニオイなのだ。すなわち、血のニオイとは生から死に移ろう香りだ。ならば、遺体が腐らないアルヴヘイムで香る血のニオイとは何なのだろうか。

 いや、そもそも血のニオイとは……その本質は『命』のニオイだ。新鮮な血ほどに濃厚な『命』の香りだ。狩人はやがてそれに酔うのだろう。

 あまり長居しておきたくない。飢えと渇きが大きくなって堪えられなくなる。

 

「生き残り無し」

 

 遺体もいずれ黒く変色し、炭化して塵となって消えるだろう。無人のシャロン村がどうなるかは知らないが、次に訪れる者が彼らの遺骨を見た時に何を思うだろうか。

 血でべっどり汚れたナグナの狩装束のままでは幾らアルヴヘイムでもさすがにな。だからと言って、こんな寒い夜に脱いで洗う気にもならない。

 仕方なく、オレは死神の剣槍をオミットし、贄姫とザリアを腰に差すとオババから貰った永遠の巡礼装束を纏う。シャロン村の意匠こそあるが、元は巡礼服だ。死神の剣槍はさすがに目立ち過ぎるが、ホルスターが鞘のように長いザリアならば異形の剣だと勘違いされるだろうし、贄姫も十分に護身の範疇……だと信じておこう。他者の目に何が映るかなど本人には分からないものだ。

 羊たちを柵から解放して野放しにする。この草原だ。食べていくのには苦労しないだろう。壁に立てかけてあったランタンと一体になった灯の杖を手に取る。

 

「三つ編み……結わないと」

 

 オババの話の通りならば、シャロン村の外に凍り付いていた地下道があるはずだ。それを通り抜ければ霜海山脈の外である。

 リボンを咥え、月光の下で三つ編みを結う。だが、オレは慣れていないせいか、髪を1本に束ねて編んでいくのも一苦労だ。それでも、グリセルダさんがわざわざ悩みながら決めてくれたものだ。こうして編んでおくこと自体に意味がある。

 

「……ごめん、ザクロ」

 

 髪を結ってくれたザクロを思い出し、彼女が望んだシャロン村の春……村人たちの自由の願望は虚ろな人形の演技に過ぎなかった事に、オレは目を伏せる。

 ザクロは知るべきではなかったのだろう。彼女は『優しい人』だから……きっと殺せなかったはずだ。だから、これで良かったんだ。

 これで良し。最後に黒いリボンで先端を結い止め、オレは肩から垂らすと深くフードを被る。

 

「レギオンに何かが起きている。彼らには何か『目的』がある」

 

 オレの本能を模し、対象を蝕み、『獣』にする。それがレギオン・プログラムだったはずだ。だが、獣狩りの夜でも感じていたことであるが、彼らには何かしらの統率する存在がいる。それがレギオン・プログラムのままに暴れ回るだけではなく、今回のような擬態のような変質をもたらしている。また、シャロン村の住人はオレとザクロを襲うチャンスはいくらでもあったのにそれもしなかった。つまり最初から見逃すつもりだった算段は高い。

 ヤツメ様は今もレギオンについてどう判断するか楽しそうに思案している。狩るべき対象か、それとも血を冒涜した忌むべき存在として滅ぼすか、はたまた別の選択か。何にしても、レギオンについても調べる必要性ができた。

 もしも……もしも、レギオンが『種族』として纏まり、変異と進化を繰り返しているならば、状況は最悪の中の最悪と言って良い状況だろう。

 

「レギオンは保留だな。先にランスロットについて調べるべきか」

 

 トリスタンからの依頼だ。まずはランスロットに所縁の場所を調べてみるのが良いだろう。

 PoHはどうなっているだろうか? まぁ、死んでいようが生きていようが余り興味はない。死んだならばそれで良いだろうし、死んで無いならば死んだフリくらいして何かやらかすだろうしな。

 反オベイロン派がどうなったかも気になるが、廃坑都市を脱出した中に気骨のある連中がいるならば、経過した時間の分だけ反旗を翻しているはずだ。その動きを見誤るわけにはいかない。

 PoHもザクロもいない。誰もいないアルヴヘイムの旅は……いっそ気楽だ。ただ敵を殺し続ければ良い。シンプルで分かりやすい。いつもと同じに戻っただけだ。少しばかり長丁場ではあるが、孤立無援は慣れている。むしろ目的と手段がハッキリしている分だけゴミュウの依頼よりマシだ。

 もう仲間はいらない。だけど、オレは『独り』じゃない。それはユウキが、グリセルダさんが、グリムロックが……教えてくれた。

 

「まだオレは『1人』でやれる」

 

 月明かりの中での1歩目は軽くもなく、重くもなかった。

 時間加速と後遺症のせいで消えない内なる高熱と皮下で霜が広がるような冷たさが気怠くて、耳鳴りと視界の滲みが鬱陶しくて、消えない痛みと『痛み』が……ただただ苦しかった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「うーん、やっぱり擬態レギオンは駄目だね。情報収集と監視には有効だけど、オリジナルにはすぐ見抜かれちゃうのが難点だよね。戦闘力も期待できないし。やっぱり失敗かぁ」

 

 両目がバツ印の大きな猫のぬいぐるみを抱きしめてマザーレギオンは途切れたシャロン村のレギオンのシグナルに嘆息する。

 擬態レギオンはなかなかに有意義なデータとなったが、やはり戦闘力と知性に欠ける。オリジナルへの共感性を抑えきれず、コミュニティリーダーの個体は何度も口を滑らせてしまった。逆に言えば、オリジナルがそれだけレギオンの王として相応しく『仕上がっている』ともいえることだが、このまま殺人鬼の計画通りに天敵にさせるつもりはマザーレギオンにも毛頭ない。

 

「それにしても、まさかトリスタンを倒してくれるなんて。弱くないはずなのになぁ」

 

 まぁ、アルトリウスを倒したレギオンの王にトリスタンでは力不足か、ともマザーレギオンは納得することにした。

 

「それにしても、まさか忍者ガールが死ぬなんて。予定が狂っちゃった」

 

 彼女の持つ≪操虫術≫は貴重なユニークスキルだ。簒奪できるならば越したことはない。レギオン化して奪い取ってやろうと思っていたのであるが、まさかレギオンの王を追いかけて霜海山脈に入るなど計画の範囲外だったのだ。予定ではレギオンの王から十分に引き離し、村で孤立したところで、隙を狙ってレギオン化させるはずだったのである。 

 それにトリスタンはマザーレギオンも狙っていたのだ。上手く簒奪することができれば、大きな戦力になる予定だった。だが、やはりカーディナルによって堅牢に守られたネームドやボスを手駒にするのはマザーレギオンでも容易ではない。レギオン・プログラムの感染力が足りないのではなく、そんな事態になれば、最大級のイレギュラー発生としてセラフ派遣のリスクが増えてしまうからだ。

 やはり熾天使を始末しなければならない。だが、マザーレギオンにその策はない。

 

「だからと言って、このままレギオンの変異と進化を待つだけだと戦力不足になりそうだし」

 

 まぁ、その為のアーカイブへのアクセスだったけど♪ マザーレギオンは裸体のままシーツの上でゴロゴロと転がり、その淡く発光する白髪をふわりと浮かせ、玩具箱のような私室の暗闇に目を向ける。

 そこから這い出たのは泥のような肉。あるいは肉のような泥。どちらも正しいだろう。マザーレギオンは拘らない。

 確かに直接『すでに配置された』ネームドやボスを奪うことは難しい。ならば別の方法を取れば良いだけだ。その為にじっくりと調整した、アーカイヴから引っ張り出した情報を基礎骨格にして設計した新型のレギオンなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「時間よ、【エルドリッチ】。神を喰らいなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 肉が蠢き、そして闇に消える。これで『取引』成立だ。マザーレギオンは契約相手を思い出し、鼻歌を奏でる。あちらにはあちらの目的があるらしいが、こちらの利益になるならば裏など気にせずに手を結ぶべきだ。

 

「レギオンの王、あなたの『食べる』ことに関してだけ再現を目指したレギオン・プログラムを搭載したエルドリッチはね、なかなかの意欲作よ? そこに愛はないけど、悲鳴に浴して生命を喰らうやり方は趣があるでしょう♪」

 

 食べた分だけ強くなる。それがエルドリッチ。アルヴヘイムでじわじわと食べ続けさせ、十分に育てたエルドリッチに、マザーレギオンは取り出した、まるでグルメ雑誌のような小冊子を開く。

 

「えーと、最初の予定はニトかぁ。他にも3柱くらい食べさせてぇ……最後はアノールロンドにいる暗月の神♪ 現実世界時間で2泊3日の強行スケジュール! ウハウハ☆神喰いまくりの旅へしゅっぱーつ♪ 途中でゲロっちゃ駄目よ?」

 

 できればオーンスタインもエルドリッチの『餌』にしたいが、彼は強過ぎる。今のエルドリッチでは勝ち目はほぼ無いだろう。ならば予定通り暗月神にしておくべきだ。今回の『グルメ旅行』は取引相手の協力がなければ成立しないのだ。相手のプランに沿うべきである。

 取引条件はなかなかにリスクを背負うものだったが、マザーレギオンにとっても避けられない事柄であり、むしろ手助けになる。故に断る理由はないが、それも見抜かれてこその取引だったがゆえに、マザーレギオンは頬を膨らませる。交渉能力までオリジナルと同じだと思われるのは心外なのだ。

 アノールロンドと言えば、今まさにアルヴヘイムの外では聖剣騎士団率いる大攻略部隊がいるはずだ。マザーレギオンは悪戯を思いついたように口元を歪める。

 

「クヒャヒャ♪ ちょうど良いし、おじ様とワンワン君の邪魔をしてあげようかしら? 青騎士さんもやっぱり強敵の居城はハードモードじゃないと面白くないだろうし。戦力を思いっきり削ってあげないと♪」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 青蛇の谷を越え、ようやく到着したのは青蝋都市に続く最後の難所である雨露の森である。常に雨が降っているように濡れ、不快感が高まる程に湿気が強い森である。だが、それは清浄なる空気を秘め、青々と茂る苔で生された石の狭間には絶えることなく清流がある。そして、冷えて澄んだ水面の下には小魚が泳ぐ。

 木々も大樹と呼べるほどではなく、木の葉は空を覆い尽くさず、陽光は光の柱となって大地に届き、花々は小さな謳歌を得る。

 では、この雨露の森が何故に難所なのか。それは環境そのものである。黄金の雷光を帯びた鹿……【シルバーホーン】の生息地帯だからだ。その銀の角は黄金の雷光をもたらし、1度放たれば濡れた森に大きく拡散する。縄張り意識が強く、遭遇した際にガイアスは半身を焦がされてしまった。

 

「すまんな。私のせいで足止めとは……」

 

 右半分を包帯で覆ったガイアスの謝罪にユウキは小さく首を横に振る。

 

「ガイアスさんのせいじゃないよ」

 

「俺たちが不用意にシルバーホーンの縄張りに入ったからだ。マーキングに気を付けろってあれ程警告してくれたのに」

 

 UNKNOWNの言葉通り、ガイアスの負傷には2人とも責任を感じている。シルバーホーンはその角で木々を覆う苔を削り、縄張りを主張する。ガイアスもここに訪れたのは初めてであるが、シルバーホーンは若い頃に数度相対したことがあるらしく、その危険性から習性を研究していた。彼らは数頭のオスと数十のメスで縄張りを作り、侵入者を感知すると容赦なく雷撃を放つ。

 3人で慎重にマーキングのチェックを行っていたが、この雨露の森に出現する巨大カエルの毒液の回避に集中するあまり、2人はマーキングを見落として縄張りに入ってしまったのだ。UNKNOWNは即座に気づいて縄張りの外に出たが、対処が遅れたユウキは縄張り近くで行われた戦闘を確認しに来たシルバーホーンに感知されてしまった。

 ユウキを縄張りの外に引っ張り出したガイアスはシルバーホーンの拡散雷撃が直撃し、また角によって直に更なる雷撃を浴びてしまった。

 シルバーホーンはUNKNOWNが即座の対応で角を斬り落とし、増援を呼ばれる前に仕留めたが、ガイアスのダメージは芳しくなかった。傷が治癒し辛いアルヴヘイムにおいて、HPを回復させれば即座に動けるというわけではないのだ。右半身を雷撃で焼かれたガイアスは今もダメージフィードバッグに苛まれている。

 

「ガイアスさん、苦しそうだね。何とかしてあげられないかな?」

 

「回復系の奇跡ならHP回復以外にも癒せる効果があるかもしれないけど、俺もユウキも持ってないしなぁ」

 

 UNKNOWNは言わずと知れたガチガチの近接ファイター。ユウキはINTを高めた魔法剣士である。どちらも≪信心≫があるはずもなく、回復とサポートに長けた奇跡は使えないのである。

 

「確か魔法にもいくつか微弱だけど回復効果がある補助魔法があったけど、使えないのか?」

 

「『予備リスト登録』してないから無理だよ。そもそも使った事ないし」

 

 魔法はいつでも気軽に付け替えが出来るわけではない。魔法枠を消費した分だけしかセットできない。またダンジョン内では魔法枠の付け替えはできず、フィールド内ならば可能であるが時間を要する。また、魔法枠の2倍の数あるリストしか普段は持ち歩けず、それ以外は保管リスト行きである。保管リストにある魔法と入れ替えるには『拠点エリア』とされる村、町、都市、あとは所有物件内くらいだ。

 スキルの≪予備枠増加≫を使えれば予備リストを魔法枠の3倍にまで増やせるし、予備リストと保管リストを一定条件で入れ替えを可能とする≪自在変更≫もある。だが、そこまでのスキルを取れば魔法剣士ではなく俗に『純魔』と呼ばれる魔法使いプレイヤーを目指すべきだ。

 それに強力な魔法ほどに枠の消費量も増えるのが魔法の使いどころの難しさだ。たとえば、ソウルの結晶槍や大回復などは2枠も消費する。当然ながら複数の魔法を持ち込もうと思えば≪魔法枠増加≫は必須となる。むしろ魔法使いであれヒーラーであれ、現在では最低でも≪魔法枠増加4≫まで取っていなければ二流と判断される程だ。

 その理由の1つは使用回数制限にある。魔法はいずれにしても魔力以外にも使用回数が決まっている。これは魔法の熟練度を高めれば増えるが、連戦ともなれば魔力よりも使用回数が心許ない。何故ならば使用回数は魔力よりもずっと回復し辛いからだ。この使用回数を増加させるスキルもあるが、それを取るのは当たり前であり、より確かな解決案として『多重付け』がある。これは魔法枠に同じ魔法を複数セットし、単純に使用回数を倍化させるというものだ。無論、強力な魔法ほどに得られる機会は減るので、何にでも有効な方法ではない。とくに誓約系は1個しか得られない為、この多重セット戦法が使えない。

 逆に言えばソウル系の魔法が多いことから『シューティングソウル』などと呼ばれる程に、フルブーストした魔法の連射は恐ろしい。それ故にボスやネームドは軒並みにプレイヤーで言うところの≪魔法防護≫と≪射撃減衰≫と同質の能力を持ち、遠距離からの射撃系魔法を片っ端から減衰させてしまう。それでも魔法使いプレイヤーの有無は大弓の後方射撃以上に重宝される大砲役なのだ。故にクラウドアースの専属傭兵エイミーはサポート専門でありながらもボス戦には頻繁に呼ばれて評判も良い。同士討ちのリスクがあるからこそ、魔法使いプレイヤーには大砲役として『仲間を巻き込まない』という最大の枷を超える技量が求められるのだ。

 ユウキも何度かエイミーの魔法には世話になったことはあるが、彼女の性格はともかく、魔法の腕は確かなものであると認めている。あの誘導性が逆に同士討ちのリスクを生み、貫通性能も高く、なおかつ絶妙な速度であるソウルの結晶槍をあれ程までにネームド相手に命中させるのは並大抵ではない。しかも本人は後ろに下がらず、常に動き回り、使用時にはどうしても動きが止まる射撃系魔法を使う位置取りを誰ともコンタクトを取らずに行うのだ。

 初期のDBOで背後から魔法を仲間に撃たれて命中させ、大ダメージ&スタンしたところをモンスターに殺される……という展開は意外でも何でもなく有り触れていた事だった。同士討ちは今でも集団戦における後方支援において基礎にして奥義であると熱く議論が交わされている。

 

「本によれば【青毛カエル】が卵を産む【白霜の葉】は苦しみを和らげる妙薬になるらしい。それを使おう。実はさっき青毛カエルを何匹か見つけたんだ。近くにあるかもしれない」

 

「そんな本、何処で見つけたの?」

 

「……ちょっと、いや、かなり……ううん、とんでもないくらいにSANが削れると思った漁村で、かな?」

 

「……ふーん」

 

 目を逸らすUNKNOWNは思い出したくないのか、それ以上は妙に生々しい革張りの本を厳重にベルトで締めてアイテムストレージから出すことはなかった。

 ガイアスの護衛にはアリーヤを付けているので大丈夫だろう。ユウキはUNKNOWNと共に、今度こそシルバーホーンのマーキングに注意しながら雨露の森を進む。縄張りを迂回し続けなければならないが故に、歩き易いとすら思える森は迷路と化している。強行突破のリスクも大き過ぎる以上はこれが最速最短なのだ。

 

「でも、ボクは≪薬品調合≫持ってないよ。キミは?」

 

「俺も無いよ。素材のまま使えれば良いけど」

 

 そんな都合の良いことがあるかなぁ、とはユウキも言えなかった。そうでもなければ無駄足になり、少なくとも今晩はガイアスを自分の失敗のせいで苦しめることになるからである。

 夜の森は危険だ。本来ならば大人しく野営をしておくべきである。ユウキは湿った空気のせいで張り付く防具に不快感を募らせる。今はさすがに普段の戦闘服だ。グリムロック製という事もあり、こうした多湿環境にも適応性があるようであるが、それでも限度がある。

 

「それ、クラウドアースの特殊部隊のものだろう? 確かセサル直轄の……」

 

 装備は異なるにしてもメンバーの装備の意匠を共通させたがるのはギルドの常だ。それ故に個性ある装備は大ギルドでも優れたプレイヤーの簡単で分かりやすい目印になる。なお、太陽の狩猟団はサンライスの方針のせいか、誰であろうとも各々が好きなイメージで装備を整えて良いとしているが、やはり仲間意識を持ちたがるが故にギルドの公式デザインを採用している者は多い。

 その中でもクラウドアースは太陽の狩猟団と同じくらいに特殊だ。というのも、クラウドアースはギルド連合であり、正確には1つのギルドが巨大化したものではないからだ。故にクラウドアースのカラーリングを出すのは意外にも難しく、それ故に部隊ごとの特色が如実に出るのである。

 たとえば、セサルが率いるヴェニデは鉄の古王に由来するアーロン系列の鎧装備を愛用している。その一方で諜報部隊としても活躍する、表向きにはセサル直轄の特殊作戦部隊は軍服に似た装束もまた扱う。軽装の場合はこちらを愛用するのが過半だ。

 ユウキも同様であり、グリムロック製とは言えども、デザインは模してあり、特に左腕の腕章にはクラウドアースのエンブレムがある。だが、その一方で片手剣を振るう右手は少しでも軽量性を高めるために二の腕は半分は露出して重量を抑えている。対して暗器を使用する左袖はやや長い。ロングスカートに入れられた機動性確保の為のスリットから歩く度に艶やかとも思えるほどに覗かせる白肌の太腿には雷刃ナイフを仕込んだベルトが見え隠れしている。

 

「その制服、カッコいいよな。スタイリッシュだし。俺は好きだよ」

 

「あ、うん……ありがとう」

 

 どうしてセサルの直轄部隊のいるのかを問われるかと思っていたユウキは、まさかの別方向からの横殴りの変化球に面食らってしまう。

 いきなりどうしたのだろうか? ユウキは青毛カエルを探しながら、UNKNOWNの表情を探る。彼もまた普段の戦闘服に戻ってこそいるが、顔を隠す仮面はなく、まだ様子が窺える包帯巻きのままだ。

 

「キミも悪くないよ。たしかマユユンの作だっけ?」

 

 トレードマークの黒いコートには光の加減で露になる刺繍が施され、黒色でありながら多彩な表情を持つ。袖や襟を見ても見事なものであり、作り手の深い愛情が見えるようだった。あのメイデンハーツにしても1度だけ披露したが、グリムロックと良い勝負のHENTAIだとユウキは認めているつもりだ。

 だが、語った分だけ気まずい沈黙が流れ、ユウキは喉まで這い上がるムズムズとした感覚を我慢しきれなくなる。

 このままでは駄目だ。ユウキは意を決して口を開く。

 

「……キミも大変だよね。周りからは【黒の剣士】としてアインクラッド攻略の英雄扱い。DBOに【黒の剣士】がいるなんて明確にされたら大騒動だよ。クーとは逆の意味で」

 

 あっちが行き過ぎた悪名ならば、こっちは行き過ぎた名声なのだろう。彼は全てを救った英雄などではない事はSAOの生存者の少なさからも明らかだ。むしろ、彼もまたその手から多くの命を取り零した者なのだろう。それこそ、最愛の女性すらも守れなかったことを呪い続けずにはいられないくらいに。

 それでも人は英雄を渇望する。弱者であればある程に万能の剣を携えた戦士を夢見る。それはユウキには理解できないプレッシャーなのだろう。

 

「だから、ボクもキミに勝手に『英雄』を押し付けてたから……それだけは、ゴメン」

 

 間違えたくなかった。クゥリが誰よりも大切な『親友』にして『相棒』と思っているのだから、少しでも真摯に接しないといけないとユウキは改めた。

 今でも好きか嫌いかと問われれば嫌いだ。だが、大嫌いではなく、嫌い寄りの普通くらいだ。基本的に好意のベクトルで人間関係を始まるユウキからすれば、その時点で十分に悪質な関係なのであるが、それは蛇足である。

 変化の一助。それはUNKNOWNはアインクラッドの物語を教えてくれる事だろう。ユウキはなるべく質問を慎重に選び、それに応えるようにUNKNOWNは自分の恥も含めて語ってくれる。その度に知り得なかったアインクラッドの真実が見えた。

 

「でも、俺が攻略末期で『英雄』を騙っていたのは事実だよ。直接公言はしなかったけど、二刀流でパフォーマンスもしたし、士気高揚の為に演説もやった。原稿はシリカとアルゴが考えたものだったけど、それでも自分の言葉を少しでも多く混ぜたよ。せめて、『英雄』なんて欺瞞の嘘を吐く責任くらいは背負わないとって当時は思ってたんだ」

 

「パフォーマンスって何をしたの?」

 

「林檎斬り。投げられた林檎を空中で均等12分カットした」

 

「評判は?」

 

「拍手はあったよ」

 

 逆に言えば、拍手以外のリアクションに困ったのでは? ユウキも残酷でそれは言えなかったが、本人もやや後悔が滲む声音から察するに自覚がある事なのだろう。

 

「でも、あの戦いの日々に『英雄』なんていなかった。ただ、誰もが必死で、英雄願望は持っていてもなれなくて、打ちのめされて……」

 

 それはDBOのように攻略目的は分かっていてもその道のりが不鮮明な現状とは違う絶望なのだろう。

 定められたボス戦の回数。残された階層は容易く数えられる。だが、その度に……残りを数える度に膝を折る。乗り越えねばならない回数が分かっている分だけ、階段の終わりが果てしなく長く感じる度に、絶望は濃くなる。それもまた人間だ。むしろ不鮮明で曖昧な方が良い時もあるのだ。

 

「だけど、不思議なくらいに、クーと組んでいた日々が懐かしくなる時もあるんだ。ただ我武者羅に走っていた、彼が隣にいてくれた、あの頃に戻れれば……ってさ」

 

 本人も不謹慎だと感じているのか、最後は尻すぼみになった発言であるが、それは装飾されていない彼の本音だとユウキは感じ取った。

 希望と絶望が彼の前にはいつもあったのだろう。

 アスナを失ってから始まった、悲壮と憎悪に駆られた復讐の決意。どれだけどす黒くても、彼にはそれしか生きる目的が無かった頃なのだろう。

 だからこそ、彼は『力』を求めた。それがクゥリだった。

 彼にとってクゥリはただの『力』だった。クゥリにとってもただの『依頼主』だった。

 だが、戦いの日々の中で彼らは互いに何かを見出し、それ以上の関係を望み、たとえ歪んでいようとも絆を結んだ。それは友情と呼べるかどうかも分からない関係だ。それでも、2人にとっては、アインクラッドでの日々で勝ち取ったものなのかもしれなかった。

 

「青毛カエルの卵……これが白霜の草だ。早くガイアスさんの元に届けよう」

 

 霜が生えたように真っ白な葉を回収し、UNKNOWNは話を打ち切ってガイアスの元に戻る。その背中を見つめながら、ユウキは腰の片手剣を意識する。

 敵のことなど知るべきではない。それが本気で殺しにかかる相手ならば尚更だ。相手のことなど動く生肉程度に思っておくのが1番なのだ。

 それでも2人には繋がりが出来てしまった。互いにとって人生と価値観を変えた1人の傭兵がいた。

 もしも、ユウキがあの雪の日にクゥリと出会っていなければ、ここまでUNKNOWNを嫌い、それ故に知ろうするなど無かっただろう。ただ彼に付随した『英雄』という肩書のままに、仮想世界最強の称号を奪い取ろうとしたしただろう。そして、この身にあった穢れから目を背け続けていただろう。

 

「キミも……きっと優しい人なんだろうね」

 

 ガイアスの上半身を起こし、包帯を解いて傷口に白霜の草を擦りつけると、呻きながらもガイアスは感謝の笑みを浮かべる。それに対してUNKNOWNは照れくさそうに笑い返す。そこには彼の素顔があるような気がした。

 ユウキはそんな姿を見て、小さく微笑んだ。どうしてクーが彼を『強い』と呼ぶのか、何となくだが分かったような気がした。

 それは高みにある剣技でもなく、仮想脳の可能性でもなく、人と繋がりを結んでそれを支えにして力にする……そんな『強さ』を見ていたのだろう。

 心折れずに何度でも立ち上がれる者と心折れてもきっと立ち上がってくれる者。多くの人が支えたいと思うのはきっと後者の方なのだろう。前者は個人で完結してしまっているのだから。誰も必要とせずに前にひたすらに前へと進めるのだから。

 アリーヤが脛に頭を擦り付け、ユウキの寂しさを紛らわそうとする。それに感謝して頭を撫でて、ユウキはブーツを脱ぐと岩の狭間を流れる清水に足首まで浸した。

 空を見上げれば月がある。麗しい銀月がアルヴヘイムの夜を飾る。この月の下の何処かにクゥリはいるだろう。きっと戦いと殺しを止めずに歩き続けているだろう。

 

「ねぇ、穢れているボクでも、祈って良いよね? クーの為に……祈りたいんだ」

 

 月光にユウキは祈りを捧げる。

 神でもバケモノでもなく、彼が忘れないでほしいと望んだ『クゥリ』に祈りを捧げる。

 

 白の狩人が求め続ける『答え』の為に。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 これで30体目だ。ユージーンは汗を拭い、黒豹の遺体から不死廟の魔剣ヴェルスタッドを抜き取り、その血を払う。

 キノコ王の古森はかつてウンディーネたちの修行の場であり、彼らとキノコ人たちは良好な関係を築いていた。それが何故に崩れたのかは定かではなく、今は古い契約の下で深淵狩りたちに力を貸すのみである。

 ドロップアイテムの【黒豹の剛毛】は既に入りきらない。素材として使えば防具としても有力であるが、DBOにおいてドロップアイテムは換金用という性質が強い。モンスターから得られるコルは総じて少なく、リザルトで高額が得られるモンスターは稀であり、大金を直接稼ぐならばネームドやボスの撃破くらいである。

 

『良いですか? アルヴヘイムにおいては独自の通貨であるユルドがあります。でも、コルが全く不要というわけじゃありません。たとえば、修理にするにも武器を作るにも必ずコルが必要になります。DBOのシステムをプレイヤーの視点で見れる私たちと違って、アルヴヘイムの住人たちは≪鍛冶≫について俯瞰することができませんから、コルと≪鍛冶≫の繋がりが分からないんです』

 

 シリカからの依頼は単純明快だ。とにかくコルを稼ぐことである。より多くの武器を作るにはより多くのコルが必要になる。そして、アルヴヘイムにおいては『徴税』という形で生まれた赤子よりコル……『初期所持金』が奪われる。

 NPC商人はアルヴヘイムにもいるかもしれないが、少なくともユージーンは目撃していない。いたとしても、アルヴヘイム全土を蝕んだ赤い月によってレギオン化した確率は高い。レギオン化したNPCを撃破すれば再出現もあり得るが、広大なアルヴヘイムでその1体を探し出して狩るには時間という取り戻せないコストを支払わねばならない。

 

『だけど、この考えに則ると私たちは決定的な危機に陥ります。どれだけコルを集め回っても、長い時間をかけて溜め込んでも、御存じの通りアルヴヘイムもDBOである以上はモンスター狩りから得られるコルは低額です。彼らの軍属クラスの標準レベルと装備のお粗末さ。これらを計算に入れた場合、間違いなく「詰み」ます。オベイロンの軍勢との戦争では彼らにとって「ハイコスト」と言える装備が不可欠でしょう。そして、それの消耗を考えればコルは急激に減少するはず。オベイロンにとって「長期戦」に持ち込むだけで、どれだけアルヴヘイムの住人が反旗を翻しても勝ち目はない。いずれは叩き潰せる相手なんです』

 

 レベル1くらいしか使えない、別のゲームで言えばスライム相手にも苦戦するほどの低装備である粗鉄の剣や木の矢などの最低ランクの消費用アイテムならばコルも不要で作成・修理ができるが、そんなものはそれこそ日常の狩猟用・防衛用であり、戦争に使えるはずもない。なにせ、レベル1桁用装備とされる鉄の剣を相手にするだけで粗鉄の剣とでは天と地ほど差があるのだ。せいぜいスキルによるステータスボーナスが乗るので素手で戦うよりマシくらいにしか考えられない。

 鍛冶関連には門外漢のユージーンも、シリカの説明には思わず唸って自分たちの苦境を思い知った。オベイロンは単なる愚王などではない。アルヴヘイムの住人を『家畜』として牙を剥かせないように念入りに制限を多重にかけているのだ。圧政の才覚はあるのだろう。

 だが、シリカは何も絶望してこの事実をユージーンに告げたわけではない。

 

『だからこそ、例外が2つあると私は睨んでいます。1つ目は暁の翅。あれだけの軍事力を維持し、本気でオベイロンを倒しにかかり、なおかつ危機意識を持たれて潰された。つまり、彼らには多額のコルを得る方法があった。NPC売買ルート……アイテムを換金できる手段があったとみるべきでしょう。恐らくですが、それこそが彼らの支援者……シェムレムロスの兄妹からの大きな後方支援だったと見ています』

 

 ではもう1つの例外とは何か? ユージーンは腐った丸太に腰かけ、昼食のサンドイッチを食べながら思案する。

 

「深淵狩りの剣士たち。奴らの装備はアルヴヘイムの強力なモンスターも狩り得る。ならば、必然と多額化する装備を支える為に、奴らにもコルを得る方法があった……か」

 

 そして、シリカはその方法こそが魔族との契約にあるのではないかと睨んでいる。今までレギオン化の影響はいずれも『プレイヤーに近しいNPC』しか受けていない。だが、モンスターである魔族にアルヴヘイムが原初の時代から存在する『モンスター型NPCの商人』がいるとするならば?

 このシリカの推測は何も突拍子が無いものではない。DBOでは決して珍しくないパターンだ。ダンジョン内でゴブリンに遭遇したかと思えば徘徊型の商人だと気づかずに殴りかかってしまった事例はある。ユージーンも蛇人だらけのダンジョンで、片っ端から斬り伏せていた為に、会話ができるとも知らずに斬りつけて『やはり人間は誰も彼も同じか!』と敵対関係になって無念にも撃破してレアアイテムと交換するチャンスを潰した苦い過去もあった。

 そして、深淵狩り達の装備を見る限れば、彼らにはアルヴヘイムに決定的に不足している鍛冶設備の強化方法もあるとみるべきだ。アルヴヘイムの装備がお粗末なのは、強力な素材を使用できない鍛冶設備の貧相さもあるのである。

 そこでシリカの推測はこうだ。『大きな鍛冶設備を保有している、プレイヤーに友好的なモンスター型NPC商人がいる』である。これならば、赤い月の影響でNPCが軒並みにレギオン化している状況でも、まだ希望は繋がる。

 

『どうにもシェムレムロスの兄妹は信用ならないです。というよりも、後継者の罠の香りがプンプンします。「あの人」はそれも承知で利用するつもりでしょうけど、後継者の悪意は並大抵じゃありません。最悪のタイミングで裏切られて背中を刺されるなんて御免ですから。だから、私たちは戦力充実、装備の生命線であるコルの確保、そして深淵狩りを支えた鍛冶設備の入手。この3つを女王騎士団との連携のタイミングを狙いつつ、進めていきましょう』

 

 ユージーンもランク1として相応のコルを保有しているつもりであるが、アルヴヘイム突入前の準備で散財してしまった。特にまだ使うつもりはなかった魔剣ヴェルスタッドの早急な実戦投入の為の調整・強化費用は桁外れの経費がかかっているのである。シリカも同様らしく、とてもではないが都市クラスの戦争を支えられるものではない。

 アルヴヘイムの西で起きているきな臭い動き。それが反旗を再び翻した暁の翅の生き残りが関与しているならば、彼らは元より長期戦を出来ず、1敗も許されず、最大限に効率よく戦い続けねばならないだろう。そして、オベイロンはそれを邪魔する手立てを準備している。

 

「このランク1が裏方か。笑えんな」

 

 オベイロンとの戦争の主役は誰なのか。少なくとも、今回ばかりは裏方仕事になりそうだとユージーンは苦笑する。いつも華々しく『ランク1』として振る舞い続けねばならない彼にとって、それは新鮮であり、少なからずの気楽さもあった。

 現実世界で暮らす彼はいわゆる不良に近しい人間であり、およそゲームをするタイプではなかった。彼がALOに手を出したのは兄に誘われての事である。

 そこで経験したのは現実世界では味わえない『戦い』の味だ。いつしか将軍と呼ばれるまで上り詰めた彼は、1つの挫折を味わい、そしてVRゲームを渡り歩いて武者修行の果てに、アミュスフィアⅢの初タイトルであるDBOにログインして自分の実力が何処まで高まったのか挑戦しようと望んだ。

 デスゲーム化の衝撃は思っていたよりも少なかった。兄が当選から漏れた事には少なからずの安堵はした。

 ユージーンは別タイトルで行われていた格闘主体のトーナメント優勝後に、運営から『宣伝になるから』とDBOへの招待を受けた。ただひたすらに『力』を追い求めた果てに、デスゲームという究極にして最悪の舞台に招かれた自分の運命とは何かと考えた。

 焦る必要はない。最初のボス戦に参加しなかったのは、ユージーンはDBOとは何たるかを見極める為だった。これまでのゲームとは違い、この世界は余りにも異質で生々しく、『本物の死闘』が求められる直感した。単にデスゲームだからというわけではないと悟ったのだ。

 ALOで扱いなれた両手剣に重みを感じた。STRを高めた剣士になろう。補助で魔法が多少は使えるようになっておこうと早々に決めた。解放されているスキルリストから念入りに得るべきスキルを選別し、なおかつEXスキルなどのイベント攻略で解放されるスキルがあると聞けば、再考を繰り返した。

 やがてサインズが設立された頃になってユージーンは動き出す。ギルドに属するという選択肢もあったが、傭兵という立場が気に入った。個で以って戦力として完結する。腕試しには丁度良いと思った。その程度の気持ちだった。事実として彼には傭兵としてやっていける素質があった。

 クラウドアースにスカウトされ、専属傭兵になったのは、このまま単身で戦い続ければ、個の実力が高くとも、別の面で必ず不十分さが露呈し、最前線に立てなくなると判断したからである。そして、彼らからのオーダーは1つ。いずれ訪れるサインズでのランク付けの時に『ランク1』に相応しい戦績と実力を証明する事だ。即ち、専属傭兵となった時点で、彼には『ランク1』としての道が決まっていたとも言える。

 だからこそUNKNOWNにはライバル視を止められなかった。『ランク1』として振る舞い続けねばならず、その為の舞台も準備される。それを妨害するような傭兵業界を震撼させたボス単独撃破というデビューは、彼の価値観を激変させた。

 

『どうして「力」を求める?』

 

『オレが「ランク1」である為だ』

 

 クラウドアースの裏の支配者、真の王であるセサルと面会した時、ユージーンは問いかけに即答した。

 セサルに修行をつけてくれるように願ったのは、素直にセサルの方が圧倒的に……いや、生物として根本的に上位にあると認めたからであり、またその技術を吸収していずれは超えると誓ったからだ。事実としてユージーンはセサルの教えを乾いた砂漠に降り注いだ雨のように余すことなく吸収していった。

 クラウドアースの謀略の『お零れ』として得た≪剛覇剣≫。彼は納得も反発もなく受け入れた。屈辱など無かった。『力』はあるに越したことはない。ましてや、当時はまだ明かされていなかったが、UNKNOWNがユニークスキル持ちであることはほぼ絶対視されていたからである。

 初めて死とは何かを知った竜の神との激闘。肩を並べたランカーたち。その中にいたUNKNOWNにユージーンは不覚にも眩しさを覚えた。

 どうして『ランク1』であり続けねばならないのか。≪剛覇剣≫はかつての愛剣グラムに似た性質を与える。だからこそ、彼にも自問が生じたのかもしれない。

 最強でありたい。そんな愚かな少年のような願い。『ランク1』は最強の称号であり、同時にクラウドアースに与えられた『偶像』でもあった。

 自分はプライドが高い方だ。武人気質な部分もあり、戦いを楽しんでしまう事もある。だが、『ランク1』として歩み続ける日々の向こう側には、大ギルドが掲げる『完全攻略』という大義もなく、何かを成し遂げたいという目的もなく、空っぽであることを悟った。

 だからだろう。フェアリーダンスの噂を聞いた時に、自然と足が運んだ。自分が仮想世界で『戦い』を知った妖精の国。そこの出身者達が集った中立を気取るギルド。彼らに出会えば何か分かるかもしれないと思ったのだ。

 

「フン。次から次へと飽きない連中だ」

 

 少しばかり過去を想うことすらも邪魔されるとはな。ユージーンは丸太から体を起こし、木の太い枝に身を隠して襲い掛かってきた2体の黒豹を纏めて横一線で両断し、左手の呪術の火から放った火蛇で茂みに隠れていた3体目を燃やし尽くす。傭兵として不意打ちには慣れている。決してDEXは高くないユージーンであるが、鈍重である訳でもない。スピードのある黒豹を迎撃できる剣技があり、補助する為の呪術があり、培われた経験は余すことなく戦いのロジックを築かせる。

 呪術には呪術の火が必要不可欠だ。魔法や奇跡と同じように媒介ではあるが、装備と一体化させることは基本的にできない。これはHENTAIの異名を持つ鍛冶屋たちすらも渋々認めているとされる事実だ。

 

『呪術とは火への憧憬だ。だが、火を畏れろ。それが大沼の教えだぜ。アンタ、自分の火に燃やされるなよ?』

 

 ユージーンが初めて出会った呪術を教えてくれるNPCの【ラレンティウス】はそう彼に教えた。彼との親交を深める中で、やがて大沼に伝わる異形の火……かつて呪術王ザラマンが持ち帰ったという混沌の火に通じる剛の火があると明かしてもらい、イベントの険しい難関を潜り抜け、そして剛なる呪術の火を獲得した。

 呪術の火の強化は特別だ。他の媒体のように鍛冶屋で強化はもちろん、開発・生産してもらう事も出来ない。代わりに呪術の火はカスタム要素に富み、『師』として登録したNPCの下で、自分が望んだ方向に変化させていくことができる。闇術版呪術である黒炎に対して高い補正が得られる【黒い呪術の火】などは変質の代表だ。

 燃費など構わない。ただひたすらに強く。強力に。一撃の重みを。STR補正がかかる剛なる呪術の火は純性の呪術の火よりも当然ながらステータスボーナスの伸び率は悪い。STR特化の近接ファイターとしての水準を守り続ける為には、自分が望んだバトルスタイルを維持する為には、剛なる呪術の火との出会いは運命的だった。

 エンチャント【混沌の剣】。通常の火炎属性エンチャントである炎の武器と違い、混沌の火をエンチャントして一閃する呪術だ。言うなればソウルの剣系の呪術版である。続く黒豹の群れを豪快に薙ぎ払い、なおかつ飛び散った溶岩が後続を押し止める。その隙にユージーンは自身も焼く溶岩自体に躊躇なく踏み込み、大剣で斬り払っていく。

 混沌の火。それは王のソウルを見出したイザリスの罪だ。それは彼の今の『師』であるイザリスの生き残りである混沌の娘の1人であるクラーナから聞けた話だ。

 

『母は最初の火を作りだそうとした。研究を繰り返し、多くの実験の果てに、たくさんの罪を生み、そして大罪たる混沌の火を起こした。混沌の火は母と姉妹を飲み込み、デーモンの苗床になった。なぁ、どうして混沌の火からデーモンが生まれたと思う? 良く聞け、馬鹿弟子。混沌の火は溶岩の業。それは母から生じた混沌の火のあり方の1つに過ぎない。混沌の火はお前達に……人間にこそ相応しい力だ』

 

 正直に言えば、ユージーンはDBOのストーリーと背景に興味はない。だが、クラーナの話は呼吸するように入り込めた。

 これはユージーンなりの考察であるが、混沌の火から生じた怪物……デーモンとプレイヤーに与えられたデーモン化。この2つは物語的に根源を同じにするのではないかと考えている。それを裏付けるように、デーモン化状態では混沌系の呪術を使うと威力が増加しているという、明示されていない裏補正があることもユージーンは確認済みだ。これはクラウドアースにもまだ報告していない情報である。

 そして、そこから先を考える。ユージーンが対峙したガウェイン。あれは深淵の魔物になった深淵狩りだ。ユージーンは深淵狩りのストーリーについて詳しくないが、ガウェインから感じ取ったプレッシャーは異質だった。

 ユージーンもたまに感じる、AIとは思えない威圧感。多くの上位プレイヤーがそれと出会い、乗り越えてこそ、真に一流と認められる。存在感が異なり、パターン化できず、1つ1つの動きに脈動感があり、こちらの裏を掻こうと画策し、絶技の連続を惜しみなくぶつけてくる強敵。ヴェルスタッドもその1人だった。

 最奥には通さないという騎士の矜持。言葉すらも交わすことができた。だが、互いの闘志の狭間でそれは塗り潰されていった。特にギリギリまで追い詰められ、奥の手のデーモン化を使った時は、ほとんど野獣のようにユージーンは剣を振るい続けた。

 デーモン化の状態は個人差こそあるが、異様なまでに戦いへの高揚感がある。それは戦闘状態が激化すればするほどに顕著であり、我を失うほどに戦いに明け暮れ、デーモン化制御時間を超えて獣魔化し、結果的にパーティに大損害を与えた事例もある。強化と狂化の狭間にあるのがデーモン化であり、故に大ギルドは余程の緊急事態でない限りはデーモン化を固く禁じている。そもそも発動までに時間がかかるタイプが多いので、切り札としても安定性が欠けるが、それ以上に『後処理』が大変になるからだ。

 単純にプレイヤーを強化するだけではない。SANが高まれば高まるほどに制御時間は伸びるが、その一方で時間の経過は一定ではない。たとえば、ユージーンがヴェルスタッドを倒した時の制御時間は20秒を切っていた。戦いに意識が呑まれていたとはいえ、制御時間には余裕があり、このようなことがあるはずはない。ログを確認し、計測すると、恐るべきことに平均して1秒当たり11秒のペースで制御時間を消費していたのだ。逆に落ち着いた状態で改めてデーモン化をして計測してみたところ、1秒当たりは0.8秒の消費だったのである。

 差異があるとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。ユージーンのデーモン化は魔人型であり、ストレートにステータスが強化される上に発動にもラグこそあるが、単独戦闘中にも十分に発動可能である。特に彼には嬉しいSTRの強化と防御力の増幅はパワーファイターにとってありがたい。加えて混沌系呪術も強化されるならば、他のプレイヤーを押しのけて彼のデーモン化はまさしくジョーカーとなり得る。しかし、それでもユージーンは全幅の信頼を置ける『力』とは思えなかった。

 混沌の火とデーモン。そして、深淵。ユージーンは黒豹たちの遺体からアイテムを回収しながら、深淵狩りが残した手帳に記載された、深淵についての情報を思い出す。

 深淵は人を狂わせる闇であり、それに呑まれれば異形の怪物となる。だが、その一方で深淵は人間を強化させる『力』ともなる。ガウェインが深淵の魔物になった様を思い浮かべれば納得できないこともない。深淵狩りが深淵に呑まれる。それは確かに強くなるかもしれないが、そもそも深淵のバケモノたちを狩っていた半ば狂戦士のような連中だ。ならば、魔物になるよりも素の状態の方が遥かに強いのではないだろうかとユージーンは思わず考えてしまう。

 1度だけユージーンは獣魔化したプレイヤーを始末したことがある。パーティの危機にデーモン化し、モンスターの撃破後も停止させることなく戦いを求め、最後には獣魔化して仲間を3人も殺した。知り合いと呼べる間柄ではなかったが、それなりに強いと聞いていた有力プレイヤーだった。だが、獣魔化したプレイヤーは確かに暴力的で、凄まじい能力を持ち、まるでネームドのような凶悪さを誇った。【渡り鳥】との協働であり、特に危機を迎えることもなく始末を終えた。

 

『こんなの……「強さ」じゃありません。そう思いませんか、ユージーン?』

 

 撃破の証明であるドロップの遺品をユージーンに押し付けながら、【渡り鳥】は寂しそうに微笑んで去っていった。『力』を追い求めたからこそ『ランク1』であらねばならないユージーンには、【渡り鳥】が言う『強さ』とは何なのか理解できなかったが、ガウェインのありように少しだけだが見地に至れたような気もする。

 まるでデーモン化と同じだ。かつて制御しきれずにデーモンの苗床となった混沌の火。そして、狂える力を授けると引き換えに異形に変貌させる深淵。

 

 

 

 すなわち、深淵と混沌の火の性質は同じであり、人間にこそ混沌の火が相応しいならば、深淵こそが『DBOにおける人間』の本質を物語っているのではないだろうか?

 

 

 

 そこまで考えて、オレも疲れが溜まっているのだな、とユージーンは小さく溜め息を吐く。筋は通っているが、こじ付けとも言えなくはない。いいや、むしろ無理矢理押し込めただけのような気すらも、熱が冷めた思考は嘲笑している。

 デーモンシステムは不気味であるが、後継者のやる事成す事が悪趣味なのだ。便利な強化システムに頼り過ぎてモンスターになるプレイヤーを見て笑っているだけだろうと切り捨てる。下手にのめり込んだ挙句に獣魔化して周囲に被害を生むなど『ランク1』として論外だ。

 そもそもユージーンはこれまでまともにDBOのストーリーを考察したこともない。それが攻略に役立つと思えば、相応の調査をし、思考を巡らせるが、それはあくまで攻略の範疇であり、わざわざシステムの裏事情にまで繋げるのはナンセンスだと判断する。

 

「ようやくお出ましか」

 

 と、そこでユージーンは目前に現れたキノコ人を睨む。体格の良い彼よりも一回り以上の大きさを持ち、ユーモア溢れる外観とは異なるハードパンチャーだ。仕入れた情報によれば、カンフー紛いの体術を駆使すると聞いている。

 手合わせ願う。そう言うようにキノコ人が構える。それに合わせるようにユージーンは大剣を構えようとして、不敵に笑って剣を背負う。この行動に僅かであるが、キノコ人の動揺を見て取った。

 ユージーンも≪格闘≫はあり、セサルの修行のほかにも、渡り歩いたVRゲームにはバイオレンスな格闘戦主体のストリートファイト系もあった。殴り合いの喧嘩は現実世界でも幾らかの経験もある。格闘戦には慣れているのだ。

 キノコ人が動く。地面が揺れると思う程の跳躍からのアッパーカット。そこから続く、丸々太った体格から想像もできない回転蹴り。それを躱すと見込んでの巨体ならではの頭突き、そしてラストアタックの黄金の右ストレートだ。

 

(チッ! この重さ……最前線すらも超えるか!)

 

 モンスターには推奨レベルが大よそだが決まっているのだが、それ以上のレベルだからといって侮れる相手ではない。このキノコ人は剣で斬れば十分以上のダメージを与えられるだろうが、その攻撃はいずれも上位プレイヤーすらも簡単に殴り殺せるクラスの大威力のはずだ。高VITと鎧装備のユージーンでも直撃すれば一撃死の圏内であると、右ストレートを受け流した左腕より、籠手に亀裂が入ったのではないかと思う程の衝撃で痺れながら、歯を食いしばる。

 ユージーンを強敵と判断したのだろう。キノコ人は間合いを取り、まるでボクシングのように小刻みに踏む。そして、そのアバターが『ブレた』。

 高速? 豪速? 否、それは神速。ユージーンでは受け流しきれない極限の右ストレート。それに対して、ユージーンは右拳を握り、≪格闘≫の単発系ソードスキルの基本たる閃打で応じる。ライトエフェクトの瞬きすらも圧殺するキノコ人の右ストレートと衝突し、競り合いの末にユージーンは吹き飛ばされ、背後の木の幹に激突する。

 競り負けるだけではなくダメージすらもあるか。ユージーンは3割もHPが減った事実に苦笑する。たとえ基本技とはいえ、真正面から全力を込めて、なおかつモーションをなぞってブーストをかけたソードスキルが、攻撃による相殺という結果も得られないどころか、破られてダメージが突き抜けてきたのだ。腕が折れず、また籠手も破損してないだけマシというものだろう。

 ならば呪術【火の拳】を使うべきだろうか? 呪術の火を装備した手を燃え上がらせる近接用呪術だ。キノコ人は見るからに火炎属性に脆弱だろう。

 だが、ユージーンはそれを封印する。まだ戦いは終わっていないと手招きすれば、キノコ人は文字通り地面が爆ぜる程に高く跳び上がり、木の幹を蹴ってプレイヤー顔負けの立体機動でユージーンの周囲を舞う。足場にされた木々は砕けていき、その破壊音がユージーンの意識を混乱させようとする。

 

「戦場では冷静さを失った者から死ぬ。このオレが……ランク1が……この程度で惑わされると思ったか!?」

 

 右側面! ユージーンは目を開き、こめかみを突き抜けるはずだったキノコ人の右拳を躱し、そのふっくらしたお腹に肘打を命中させる。立体機動の際の破壊音が仇になったのだ。しっかりと耳で居場所を大よそでも割り出せていたユージーンはこちらに向かって跳ぶ僅かな音の違いを聞き分け、決死のカウンターを打ち込む覚悟をしたのだ。

 自身の加速の分だけ、ユージーンの覚悟の分だけ、肘打を腹に押し込まれたキノコ人がよろめく。その好機を逃さず、ユージーンはジャブをキノコ人の顔面に浴びせ、強烈なミドルキックで先程のお返しとばかりに吹き飛ばす。

 HPは多い方なのだろうが、レベル80を超えたSTR特化のユージーンの、それも≪格闘≫でステータスボーナスが乗った蹴りは応えたはずだ。やはりレベル差があるのだろう。対したハードパンチャーかつ体術使いであるが、ユージーンの連撃によってHPは半分以上も失っている。

 仲間の危機に応じたのだろう。戦っていたキノコ人の背後から別のキノコ人……それも軍勢と呼べる数十体が現れる。仲間の危機に荒ぶるキノコ人たちであるが、ユージーンと戦っていたキノコ人は仲間に助太刀無用と言うように腕を伸ばす。

 

「なるほど。貴様も武人というわけか。面白い」

 

 先の繰り返しを所望する。そう言うように、キノコ人は神速の右ストレートの構えを取る。対してユージーンも呼吸1つと共に相対する。

 基礎の閃打は敗れた。だからと言って連撃系では1発当たりの威力が下がって押し負けるのは必定。ならば、求められるのは単発系でより強力な一撃だ。

 セサルとの修行にあったステータス出力の上昇。ユージーンは一呼吸と共に、自分の内側にある歯車……その最奥にあるエンジンを意識する。イメージは人によって様々であるが、ユージーンの場合はガソリンを燃やして唸るエンジンこそが最も相応しいと感じていた。

 そうしたイメージを脳になるリミッターと直結させる。それがステータスの高出力化の基礎だ。ユージーンは頭痛にも似たものを感じ取る。脳が本来の制限以上のパワーを出そうとして悲鳴を上げているのだ。

 4割、5割……6割……7割には届かない。これが限界だとユージーンは歯を食いしばる。じっくりとエンジンをフル稼働させて、ここが限界点だ。動き回る戦闘中にはまず到達できないだろう。頭痛が最上限に達し、意識を失いそうになる狭間で、最高のコンディションが整ったとユージーンは満足し……咆えた。

 放つのは≪格闘≫の単発系ソードスキル【剛閃打】。その名の通り、閃打から派生したソードスキルであり、単発系であるがより豪快な拳の突き出しとなり、またSTRが高ければ高い程にブーストがかかるので、パワースタイルに適したソードスキルだ。

 対するキノコ人の神速の右ストレートもまた真っ向勝負。激突した拳と拳は衝撃波を生み、そして今度はキノコ人の拳によってライトエフェクトは消し飛ばされることもなく、互いのフルパワーは余すことなく絡み合う。

 

「これでも……相殺しきれんか」

 

 貴様の方がパワーは上だったというわけか。素直に讃えるユージーンは、自分のHPが1割ほど削れていく中で、だが吹き飛ばされることなく止まっていた。

 戦闘続行。ユージーンがそう構えようとするよりも先に、キノコ人は拳を収める。

 モキュモキュ……というキノコ言語かも分からぬ何かを喋り、キノコ人は付いて来いと言うように背を向ける。するとキノコ人の軍勢はまるでモーゼが割った海のように分かれ、ユージーンたちを森の奥まで迷わせない道となる。

 森の奥の開かれた場所、キノコが群生し、キノコ人たちが暮らす集落のような場所に到達する。目を見張るようなキノコ王国に感嘆しながら、ユージーンが戦ったキノコ人に招かれたのは大樹に設けられた玉座……キノコ王への謁見の間だった。

 

「おお、精悍な男よな。歓迎するぞ、赤き拳闘士よ」

 

 意外にも好意的か。他のキノコ人の3倍ほどの大きさがあるキノコ王に、ユージーンは戸惑いを隠しながら跪く。大きさに比例するならば3倍のパワー……もはやソードスキルとステータス高出力化を合わせても相殺どころかそのまま圧殺されてしまうだろう。

 

「我が息子に気に入られるとは、まだまだ妖精にも気骨がある者がいたという事か」

 

 キノコ王の玉座のすぐ下で戦ったキノコ人が誇り高そうに腕を組む。どうやらユージーンがタイマンをした相手はキノコ王の息子……つまりはキノコ王子だったということだ。ならば、あれだけの軍勢を諫められるのも納得である。

 

「偉大なるキノコ王よ、オレ……いや、私に戦意はございません。この森で起きました、先の不逞……幼きキノコたちの虐殺は耳にしております。しかし、そのような暴挙……無論、全面戦争を望むなど我々の総意ではありません。此度はその謝罪、そして不遜ながら陛下にご助力を願いたく参りました」

 

「うむ、余も先の悲劇には胸を痛めておる。未来ある幼き子らの命を奪った大虐殺者、許すまじ。だが、息子が認めるほどの誇り高さ、剣がありながら拳闘を望んだ武人の意思、それを無下にも出来ん。余が望むのはただ1つ、虐殺者の首だ。目撃者によれば、下手人は若い娘2人だったと聞く。それも高位の奇跡使い。余には心当たりがある」

 

「陛下、先も申し上げました通り、我らに陛下の王国と事を構えるなどという不遜にして傲慢なる大逆、微塵として抱いておりません。むしろ、陛下のご厚意によって、我らは森の恵みを甘受させていただく身。この長きに亘る友好を踏み躙った大悪党こそ我らの敵!」

 

 ランク1は伊達ではない。プライドは高くとも、傲慢不遜と呼ばれる男でも、礼儀を弁えるべき時は心得ており、またその為の演技にも妥協はない。何処かの大根役者とは違うのだ。

 

「よくぞ言った! 先も言った通り、目撃した衛兵によれば、大虐殺者の1人は高位の奇跡を用いたのだ。こう申せば無礼だろうが、許せ。並の妖精にあのような奇跡は使えまい。いや、そもそも知る者もおらぬはず。だが、余は知っておる。先王の時代、余が深淵狩りの盟約に従い、遠征した時だ。アルフ達が報告にあった奇跡を用いたのをこの目で見ておる。そして、他でもない虐殺が起きた頃、森でアルフ達の不穏な動きがあった。あれは尋常ならざる事態ではない。余はこう考えておる。オベイロンが不服従を貫く我らの王国を滅ぼそうとしているとな」

 

 これは好都合か? ユージーンは一考し、跪いたまま、この状況を利用しない手はないと考える。

 

「畏れながら陛下、申し上げにくいことなのですが、盟約を結びし欠月の剣盟はオベイロンの暴挙により……っ!」

 

「な、なんと!? 深淵狩りたちが敗れたと申すか!? 彼ら無しでいかにして深淵からアルヴヘイムを守るというのか!?」

 

「オベイロンは既に伝説にある賢王ではありません。愚王は深淵と与し、暴虐に耐えかねたレジスタンスを深淵の怪物たちで虐殺したのです。私がその目撃人です。陛下もご存知のはず。あの赤い月の夜です! 深淵狩り達は無論戦いました。ですが、多勢に無勢。僅かな者たちを逃がすことしかできず……」

 

 途端にキノコ人たちはざわめく。モキュモキュという声しか聞こえないが、それが抑えきれない動揺であり、玉座の間でありながらも響くのは、それだけ深淵狩りたちに全幅の信頼を置いていたからだろう。

 

「我らキノコの祖はウーラシールからの移民。偉大なる母エリザベスの子である。ウーラシールを凌辱した深淵を狩った大英雄、深淵狩りの始祖アルトリウスへの敬意を忘れることなかれ。故に我らキノコは深淵狩りと盟約を結んだ。オベイロンよ、幼き子らを奪うのみならず、我らの誇りすらも侮辱するか!」

 

「陛下! 私は深淵狩りではありません! ですが、彼らに救われた者として申し上げます! 何卒オベイロン打倒の為にご助力を!」

 

 額が地面に触れる程に頭を下げたユージーンが感じ取ったのは、キノコ王が立ち上がった大地の震動である。

 状況は最悪と思ったが、怪我の功名か。思わずユージーンは伏せた顔を安堵させる。虐殺という動かぬ事実がある以上、助力は困難を極めると覚悟していたが、思わぬところで『大悪党』がオベイロンへの敵意を煽ってくれたようである。いや、キノコ人たちの情報から察するに、もしかせずともアルフの犯行であるとも考えられる。最悪のパターンは、ユージーン達以外のプレイヤーが関与したケースであるが、少なくともユージーンとシリカの双方は把握する【来訪者】で奇跡使いはいない。

 

「……我らキノコは今1度だけ深淵狩りとの盟約を果たそう。だが、果たして我らが戦列に並ぶことを妖精たちは認めるとは思えん」

 

「ご懸念は尤もです。私もまずは女王騎士団の説得を試みる所存です。彼らも陛下の民の虐殺には心痛めております。これは私の推測に過ぎませんが、心優しきティターニア様がこのような暴挙を許されるとは思いません。愚王の所業を知れば、ティターニア様をお救いする為、女王騎士団は陛下の軍勢に加わるでしょう」

 

「う~む、女王騎士団の狂信は疑いようも無し。良かろう。女王騎士団が打倒オベイロンに立ち上がった時こそ我らは参列し、共に戦おうではないか」

 

 まずは条件クリアといったところか。ユージーンは別れの際にキノコ王より土産を持たされ、このキノコ類の食材をどう料理したものか……なによりもキノコ人は何でわざわざ自分と同じキノコを食べさせる為に土産で持たせるのかメンタルが分かないまま、月が昇るキノコ王の森を歩く。

 黒豹たちはキノコ人たちによって狩られたのか、それともユージーンに撃退され続けて強敵と判断したのか、襲い掛かって来ない。

 

「しかし、大きく出てしまったか。女王騎士団を説得しなければキノコ王の軍勢を借りれんとはな」

 

 狂信者であるが故に何か切っ掛けがあれば反オベイロンに傾かせることもできるかもしれないが、ともかくティターニアが鍵を握るのだ。シリカの言動の通りならば、ティターニアはUNKNOWNの目的そのものである。彼女についてシリカかUNKNOWNに口を割らせるのが手っ取り早いだろう。

 そうして月明かりの下で歩き続けたユージーンは、やがて水辺の傍で奇妙なものを見つけた。

 それはキノコ人のオブジェである。ザラザラとした石を削って作ったようなオブジェに、自然に生きるキノコ人たちにも彫刻を嗜むのかとユージーンは関心して、数秒遅れで眉を顰めた。

 

「この見た目、この肌触り……石化か?」

 

 石化とは呪いの組み合わせが定番のデバフであり、DBOで最も有名なのはバジリスクという……いかにも蛇というイメージを持つ名前に反して、カエルのようにピョンピョン飛び回って石化ブレスを使ってくるトカゲモンスターで有名だ。なお、その外見はデフォルメのカエルのような巨大目2つが特徴なのであるが、それは本物の目玉ではなく、実際の目は顔の中心部に小さくあるのだ。

 この森については詳しくないが、調べた限りではバジリスクはもちろん、石化攻撃をしてくるモンスターはいないはずだ。仮に生息しているならば、この失敗した彫刻のような石化状態がより多く発見されているはずである。

 大剣を抜き、周囲を警戒するユージーンがその光を見つけられたのは偶然だった。木々の闇より離れた矢は真っ直ぐに彼の首を射抜こうとしたのである。一瞬でも視界に入れるのが遅ければ、彼の高い反応速度が無ければ、首への一撃はクリティカルダメージとなって手痛い先制を許していただろう。

 

「さすがはランク1。彼女の狙撃を防ぐとはね」

 

 闇から現れたのは安っぽい美人……化粧が派手な赤毛の女である。ユージーンとしてはありのタイプである。だが、その恰好はアルフ特有の白衣に黄金をあしらったものであり、棘がびっしりとついた鞭は彼女のサディスティックな性格を表している。

 オベイロンからの刺客が送られてくるのは時間の問題とは思っていたが。ユージーンは舌打ちを堪えながら大剣を構える。赤毛の女の傍にいるのは、数多の生物が組み合わされたような巨大なキメラの四足獣だ。だが、彼女たちだけではないだろう。闇が渦巻く森では不気味な笑い声が響いている。

 

(この這うような音……蛇か。だが矢を使ってきたとなるとラミア型だな。石化の力もそいつのものとなると……モチーフはメデューサといったところか)

 

 夜間で有効視界距離は減少している。だが、月明かりは十分に届く。これならば不足なく戦えるだろうとユージーンは腹を括った。

 だからこそ、背後で何かが降り立つ音を聞き逃さず、迫る気配に対して遅れなく大剣を振るえた。

 金属と金属が衝突する甲高い音が、夜の闇に散った火花が、そして月光が襲撃者の姿を鮮明に映し出す。

 途端にユージーンの頭は真っ白になる。

 それは良く見知った顔だった。だが、纏っているのは赤毛の女と同じでアルフの装束であり、ユージーンの背後を狙った薙刀の一閃には一切の淀みもなかった。

 

 

 

 

 

 

「サクヤ……なのか?」

 

 

 

 

 

 

 無事だったのか? どうしてここにいる? 何故アルフの恰好をしている? その背中から生やす虹色の翅は何だ? 言いたいが渦巻いて、ユージーンは思わず腕に込める力を抜けていく中で、サクヤは笑った。

 長い黒髪を翻し、サクヤは薙刀を操ると大剣を持ったまま棒立ちしているユージーンを弾いて体勢を崩し、隙を作った腹に深々と一撃を浴びせる。鎧を貫通し、血が飛び散ったユージーンはダメージフィードバッグで苦悶するも、叫び声を漏らさずに歯を食いしばる。

 

「オベイロン様の為……【来訪者】を殺す。死ね、不敬者」

 

 その美麗な顔には狂気と血への渇望で歪めて舌なめずりしたサクヤに、ユージーンは絶句するしかなかった。




乙女は月に祈り、神子は冒涜の歌と共に狩りの血を浴び、キノコ王は立ち上がる。

そしてユージーンさん、登場から初の難易度ハードに突入。
大丈夫。敵はそんなに強くない。メンタルを殺しに来てるだけです。

そして、みんな大好きドロリッチさんエントリー。なお、そのせいで出番が抹消されるニトさんをニートって呼ばないでください。
これもダクソ3をプロットに組み込んだのが悪いんです。本当はニト様も大暴れさせる予定だったんです。

それでは、265話でまた会いましょう。

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