SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
シノンさん、ついにヤンヤンし始まる。

DLCに一言コーナー2
フロムさん、新しい闇術が……欲しいです


Episode18-24 泡立つ影

 輝く太陽は黄金にも似て、空を舞う飛竜たちはかつての世界の主……岩の大樹ばかりがあった時代の古竜の再来を渇望するように唸り散らす。

 茂るのは巨木。直径10メートルはあるだろう分厚い幹をした、銀色の果実を生らす大樹。そして、苔生した地面は清らかに湿り、水溜まりでは宝石が動いているかのような綿毛の蟹が沈黙と共にある。

 場所は≪冷たい湖底のファレイの記憶≫。既に攻略されて久しいが、最近になって解禁されたイベントダンジョンの【飛竜の古森】はレベル70相当と高難度であり、ちょっとした油断が命取りになる。だが、既にボスは太陽の狩猟団によって撃破済みであり、残るのは広大な森のダンジョン探索だけとなっている。

 

「いやぁ、おじさんの趣味付き合わせちゃってごめんねー」

 

「良いですよ。僕も手持ち無沙汰っていうか、気を落ち着かせたかったですし」

 

 重量の割に防御力面で高い効果を発揮する竜素材で纏めたレザー装備のラジードは、自分の隣で鼻歌混じりにライフル銃を肩で担ぐ主任を横目に入れつつ、周囲の索敵を怠らずに森を進む。

 アノール・ロンド攻略を明後日に控え、ラジードはいつも通りに鍛錬で汗を流していたのだが、それでも心の落ち着きを取り戻せず、聖堂に足を運んだところ、教会剣においても異質の存在……赤の聖衣の教会剣を率いる主任に捕まってしまったのだ。

 普段から何をやらかすのか分からない主任であるが、彼が前線に出る時の風貌は一線変わっている。それは穴が開いたバケツのような……いや、バケツとしか思えない兜を被っていることだ。俗称バケツヘルムなる、円筒状の兜は珍しくない。だが、主任の場合は本当に何ら変哲もない鉄バケツに穴を開けたようなものを好んで被るのだ。

 また、教会より特例でいかなる戦場でも自由な服装を認可されており、彼が身に着けているのは官憲隊を思わす風貌の装備だ。濃い青で統一された毅然とした服装と反するバケツはアンマッチであり、更に言えば、彼の得物である愛称ピザカッターなる回転ノコギリもまた異質である。

 だが、強い。ラジードも教会剣……教会を守る剣というギルド問わずに集った戦力の中でも、際立った実力者だ。なにせ、上位プレイヤー3人がかりの模擬複数戦において、ほぼ一方的な勝利を収められる程に、戦いというものを熟知している。

 その一方で、教会剣でその姿を現す以前の経歴は全くの不明。これ程の実力者ならば、大ギルドならばマークしていたはずだが、太陽の狩猟団にはデータが無い、全くの未知なるプレイヤーなのだ。

 とはいえ、ラジードは経歴不明だからといって警戒しておらず、また同じ教会剣である以上は戦友として肩を並べるのだから不信を抱くこともできず、ただ近寄り難いという印象だけを持っていた。

 だが、暇を持て余して大聖堂を訪れたラジードを捕まえた主任は、どうせ見回り以外にする事が無いのだから付き合え、と言ってこうしてダンジョンまで足を伸ばしたのである。

 

「お! いたいたぁ♪」

 

 主任が扱う銃は教会の工房製ではない、彼が独自に持ち込んだ金属ライフルだ。教会の銃は総じて古式銃であり、こうした終末の時代由来の金属フレーム製は少ない。だが、主任はあらゆる銃器を使いこなし、時には≪光銃≫のレーザーライフルも使用する。今回の場合、彼の得物は長い銃身が売りの、より遠距離まで銃弾を届かせる事に特化させたライフルだ。スナイパーライフル寄りの性能であり、事実として狙撃用スコープの追加装備がある。

 主任の趣味……それはハンティングだ。モンスターハンティング……いわゆる経験値やアイテムを求めた戦いではなく、純粋に狩猟を好むプレイヤーは意外にも多い。釣り同好会ほどではないが、狩猟愛好会もDBOには存在しており、習得したは良いが使いこなせずに腐らせていた≪銃器≫持ちプレイヤーや≪弓矢≫の心得がある後方支援プレイヤーの在籍率が高い。また、わざわざ狩猟愛好会に属する為にフレーバースキルの如く≪銃器≫を習得した猛者までいる。

 無論であるが、ラジードは≪銃器≫を持っていない。だが、クロスボウだけはスキルの有無を問わずに使用できる遠距離武器だ。蔑称スナイパーワロス……スナイパー系のクロスボウの1つである【教会式銀鷲スナイパークロス】を持ち込んでいる。木製のクロスボウに銀色の鷲の意匠が施されたスナイパークロスは見事な造形だ。威力も決して低くない。だが、やはりクロスボウとは遠距離攻撃手段が無いプレイヤーの補助に過ぎず、≪弓矢≫や≪銃器≫には大きく劣る。

 だが、イドは最近になってクロスボウに着目し、より性能面を尖らせた新装備の開発に勤しんでいる。増産がアノール・ロンド攻略に間に合わなかったのは惜しかったが、特別に拝見させてもらったラジードは余りの出来栄えに言葉を失ってしまった。

 クロスボウと一言で纏めても、実は矢を放つタイプと鉄球を放つタイプがある。イドが新開発したのは後者の方だ。鉄球タイプは射撃属性のみならず、例外的に打撃属性として効果を発揮する。イドはこれに着目し、『小さな粒状の鉄球を破裂しやすい薄膜の球体で包む』新型の鉄球ボルトの開発に成功した。これを特殊な仕掛けが施されたクロスボウで撃つことにより、まるでショットガンのように粒状の鉄球をばら撒けるのである。

 クロスボウ故の再装填までの時間はかかるが、オートリロード機構によって最大8連射可能。威力はショットガンには及ばないが、悪くない衝撃とスタン蓄積は、≪射撃≫を持たないプレイヤーに中距離攻撃におけるクロスボウの有用性を再認識させる劇物となるだろう。更に展開まで時間はかかるが、変形機構を組み込むことによって携帯性にも特化させてある。

 

『いやぁ、GRとマユの悔しがりっぷりはなかなかの見物だったよ。私は彼らほどに奇抜なものは作れないからね』

 

 普段からシュコーシュコーとしか喋れないイドは、嬉々としてメモ帳でラジードにそう自慢した。教会の武器のほぼ全てを受け持ち、なおかつ量産性がある上に実戦において高いパフォーマンスを実現させる武装ばかりを生み出すこの人は、十分にHENTAIの類なんだよなぁ、とラジードは再認識し、試作の拡散鉄球クロスボウ【ヒュドラ】を渡された。量産モデルと違い、素材レアリティが高い為に、よりオートリロードまでの時間と再装填までの作業が簡略化され、なかなかの優れものである。

 とはいえ、クロスボウの心得など皆無……そもそも中距離攻撃の方法など武器の特殊能力程度しかなかったラジードには渡されても困りものだ。心得のない武器をいきなり最前線ダンジョンで使わせるなど自殺行為である。

 だからこそ、主任のハンティングの誘いはラジードにも好都合だった。どうせ1人で黙々と鍛錬しても上達しないクロスボウならば、いっそ遊びの中で……という諦めである。

 

(ミスティアが聞いたら怒るだろうなぁ)

 

 普段ならば、ダンジョン攻略前のオフはミスティアとのんびりと過ごす。鍛錬もそこそこにデートをしてリフレッシュする。だが、ミスティアは今現在ミュウの命令によってチェンジリング事件についての調査に赴いている。ミュウも『クラウドアースの嫌がらせかもしれませんが、念には念を入れましょう』と言って、自らも調査に乗り出している。

 チェンジリング。その単語にはラジードにも覚えがある。クゥリが傭兵休業前夜に、隔週サインズの記者のキャサリンの口から出た単語だ。

 もしかして、クゥリが休業なのは表向きだけで、実はクラウドアースに裏で雇われてチェンジリング事件を追っているとか? そんな妄想が肥大化するラジードは、主任に肩を叩かれ、ハッと我に戻る。

 

「見なよ。あれが今1個当たり2万コルの価格で取引されている高級お肉ちゃんだ」

 

 無論≪気配遮断≫を怠らず、茂みに同化するようにしてスコープを覗き込む主任の狙う先には、湧き水を飲む金色の鹿の姿があった。

 あれが【金粉の牡鹿】か。ラジードも倣ってスナイパークロスを構える。

 より良い素材はより強力なモンスターしか取れない。それは正しく、また誤りだ。たとえば、とんでもなくプレイヤー察知能力が優れたモンスターもいれば、一定時間内に撃破できなければ姿を消してしまうモンスターもいる。そして、そうしたモンスターは総じて戦闘能力も低く、また出現も稀だ。

 そして、世の中にはレアリティばかり高くて武器や防具の素材としてはほぼ無価値な素材アイテムも多い。だが、プレイヤーが身に纏うのは何も防具ばかりではなく、普段使いの衣服からスーツ、ドレスなど様々だ。また、装飾品にしてもステータスを強化したり能力を持っていたりするものばかりではなく、装飾品本来は『着飾る』目的があるように、純粋に奇麗な装飾品を作るのにも一役買うのだ。

 そして、狩猟愛好会はこうした『素材系モンスター』のハンティングを至上の娯楽としている。今回の主任の狙いは夕飯のステーキ……【金粉牡鹿の腿肉】である。また、肉にしても野菜にしても、そして装備開発の必需品である鉱物は特に、同アイテム内で幅広いランク付けがされている。鉱物の場合は純度という形で表示され、食材系の場合は星の数が設定されている。

 鉱物の場合は純度が『0.01~100.00』まである地獄であるが、食材系は星の数が『1~5』で設定されているのでまだ有情……であるはずがなく、通常が2つ星、3つ星で十分にレア、4つ星など珍しさの塊であり、5つ星は運をすべて使い果たしたのではないかと逆に怯えるレベルである。

 同じ鉱物アイテムで同じ合金を作っても、元となる鉱物の純度によって性能性が如実に出る。コンマの差も重なれば大きな差異をもたらす。妥協しない不屈の精神もまた、HENTAI鍛冶屋に必須なのだろう。

 取り付けられたスコープを覗き込み、ラジードは息を殺す。クロスボウは射撃サークルが無いので狙いを付け辛い。これもまた好まれない理由であり、狙撃を目的とするスナイパークロスの場合はより如実にデメリットが大きく反映される。だが、そもそも現実のクロスボウ……いや、銃器に射撃サークルなど無いか、とラジードは苦笑を飲み込む。

 金粉の牡鹿はレベル15程度のモンスターだ。ダンジョンの難易度がレベル70相当ならば、まさしく『弱い』が『仕留め辛い』。高い隠密ボーナスを持っていても接近を悟り、優れた聴覚はプレイヤーの動きを逃さず、1度逃走すればほぼ仕留められない。狩猟愛好会では10まで設定されているハンティング難易度で現行難易度9を割り振られている大物だ。

 

「この距離ならさすがに気づかれないと思うけど、かなり警戒しているねぇ。この距離の減衰率だとヘッドショット以外じゃ一撃で仕留められないから、【若狼】くんには期待しちゃうぞー」

 

「それは困りますって。僕は≪狩猟≫を持っていないから主任が仕留めないと肉が痛んじゃいますよ?」

 

「おーおー、そいつは大変だ。じゃあ、【若狼】くんは足狙いでよろしく」

 

 簡単に言ってくれる。狙撃どころか射撃自体が入門仕立ての素人に何を期待しているのやら、と思いつつもラジードは生来の生真面目さから指示通りに右足に狙いをつける。

 世界が止まる。そんな一瞬の静寂で、ラジードはトリガーを引いた。

 放たれたボルトは金粉の牡鹿の右足を寸分狂わず貫いた……なんて極上の成果が出せるはずもなく、金粉の牡鹿とは見当違いの場所を通り過ぎる。だが、それでも攻撃されたと察知した金粉の牡鹿は即座に逃走する。

 だが、逃げる1歩を踏み込んだ瞬間に、待っていたとばかりに主任の1発の弾丸が頭部に着弾する。甲高い悲鳴を上げて牡鹿は倒れるとポリゴンの欠片となって散った。

 

「ふひぃー。危ない危ない」

 

「……もしかして、僕が外す前提でした?」

 

「ま・さ・か☆ いやいや、【若狼】くんのビギナーズラックに期待してたに決まってるじゃないの! おじさん、そこまで意地悪じゃないよー。ホントだよー。さーてと、それじゃあドロップアイテムの確認といきますか! ハンティングは刺激バッチリだけど、やっぱりゲームだよねぇ。しっかりと皮を剥いで、血抜きして、解体してこそ醍醐味が――」

 

 そう言っていた主任は口を閉ざすと無言のガッツポーズである。まさかとラジードが主任のリザルト画面を覗き込めば、そこには【金粉の牡鹿の胸肉……☆☆☆☆』という項目が輝いていた。

 

「これ、胸肉ですけど?」

 

「この際、別に良いじゃん。ほら、腿肉も星2つとはいえ2個もドロップしてるしさぁ。さーて、そろそろ帰りますか。おじさんのスーパーBBQタイムの始まりだぜ!」

 

 はいはい、帰るまでがハンティングですもんね。目当ては得られなかったのにご機嫌の主任にどう付き合ったものかとラジードは嘆息しつつ、ここはレベル70相当のイベントダンジョンだとこの人は本当に分かっているのだろうかとその能天気っぷりに飽きれてしまう。

 そうして飛竜の古森のすぐ外にある小さな村にたどり着けば、すっかり夕方である。現地調達1番という主任の方針に従い、キノコやら野草やらを回収してまえば、お昼どころか夕飯になってしまった。

 ダンジョン内ではメールが届かない。故にラジードが飛竜の古森から出た瞬間にメール着信画面が表示される。その件数は……100件オーバー。全てミスティアからのメールである。

 詳細は省くが、最初は理性的な文面、次に連絡が取れないことを心配する文面、最後は支離滅裂かつ文面からも泣きじゃくっていることが分かる情緒不安定な文面、という見事な3段進化である。

 

「わぁお、これが世に言うヤンデレってやつ? なかなか難儀なカノジョだね」

 

「ミスティアはそんなんじゃないですよ。ちょっと重いだけです。こうなるなら一言メール入れておくべきだったし、非は僕にあります」

 

「……キミ、天然かド級の聖人かのどっちかだね」

 

 どっちでもないですよ、と胸の内で呟きつつラジードは、勝手にメールを覗き込まないでください、と主任を押しのける。自分だけ確認できる不可視モードにすれば良いのであるが、ミスティアに止められているので設定していない。

 今日の晩御飯は要らない旨をメールで送信したラジードは、まるで子供のようにはしゃぎながら、バケツを脱ぎ捨てて、衣服もラフなノースリーブ姿にした主任の脇で、こんな風に貴重な攻略前のオフを消化して良かったのかと振り返る。

 今日やった事といえば、朝起きての鍛錬、ひたすらにハンティング、キノコ採取である。得られたものと言えば、クロスボウの扱いに多少の自信が持てたくらいだ。

 いや、オフだからこれで良いのか。ベヒモスの死以来、何かと根詰めていたラジードは、最近の自分の焦燥を振り返り、それがミスティアの不安を増幅させたのだろうと自省する。

 ベヒモスが死んだ分も強くなる。1日も早い完全攻略の為に、トッププレイヤーとして恥じない強さを手に入れる。

 バトル・オブ・アリーナで体験したクゥリの強さ。あれ以来も不定期にデュエルをさせてもらっているが、彼の動きはもはや人外の類だ。特にあのステップを主軸にした戦闘スタイルは、もはやステータスの恩恵うんぬんではなく、彼の規格外の体幹・スピード・パワーコントロールが揃ってこそ成せる絶技だ。試しにやってみたラジードであるが、彼のステップはせいぜいが『跳ぶ』動作に過ぎなかった。

 

『説明できるものじゃないが、「跳ねる」じゃなくて「滑る」感覚に近い』

 

 まるで意味が分からない。だが、クゥリのステップは確かに極めて低空かつ、加速の凄まじさ、それでいて繊細な芸術のようだ。同じ人間とは思えない。そうでなくとも素の動きも尋常ではないのだ。フォーカスロックを外してこちらが見失った瞬間には背後にいる、など普通過ぎてもはや驚くことも出来ない。あれでもDEX特化ではないのだから、いかに体捌き1つで人間の動きは変わるのかという事だろう。

 上には上がいる。それでも、少しずつ追いついているつもりだ。だが、漫画の主人公のように修行編を挟み込んでいるのは自分だけではない。自分が強くなっている間に、全員が同様に強くなるべく前に進んでいるのだ。ならば、成長率で追い越すにはどうしたら良いのだろうか?

 

「いやぁ、青春してるって顔だねぇ!」

 

 鼻先に突き出された串焼きの香ばしい肉とキノコの香りのハーモニーに、ラジードの食欲は爆発しそうになる。気づけば、今にも沈みそうな夕陽が望める時間であり、バーベキューの準備が整っていた。

 河原でバーベキューなど中学校以来だ。両親とのひと夏の思い出が蘇り、ラジードはありがたく串焼きを受け取る。≪料理≫を持たないラジードは全面的に主任に任すしかなかったとはいえ、椅子代わりの石に腰かけたままボーっとしてたのはさすがにまずかったと羞恥する。

 

「あれかい? もしかしてカノジョとの悩み?」

 

「違いますよ。僕らの仲はいたって順調です」

 

「でも、アレでしょ? ヤッちゃったんでしょ? あんな美人とヤリまくってんでしょ? そんで、あんなプレイやこんなプレイじゃないとカノジョと満足できなくなって――」

 

「そうそう。最近は……って、違うって言ってるでしょう!? 僕が悩んでるのは別の事です!」

 

 あっさりと主任にペースを掴まれたラジードは、もう諦めて濁流に飲まれるしかないのか、と胸中を吐露することに決める。

 誰かに悩みを聞いてもらう。それも強くなる1歩だろう。なお、クゥリに『どうすれば、もっと強くなれると思う?』と訊いた時には真顔で『1度ソロでボスやボス級ネームドにでも挑んで勝ってくれば、強制的に強くなれるじゃないか?』と返された。

 

「今では【若狼】なんて呼ばれてますけど、僕が目指す強さは遠くて、手が届かなくて、どうすれば近づけるんだろうって……だけです。プレイヤーなら誰もが抱える悩みですよ」

 

「ほうほう。おじさんにはよくわからないねー。どうして人間は『強くなりたい』って望むんだい?」

 

 まるで自分は人間じゃないような言い様ではないか。キノコと鹿肉が交互に刺さった串焼きを貪る主任に、ラジードはやっぱり相談相手が間違っているかと思いつつも、1度切り出した以上は止められずに続きを紡ぐ。

 

「理由は色々あるけど、今はただひたすらに強くなりたいからです。僕は強くなっている。そう実感はしている。でも、もっともっと強くなる為の方法が思い浮かばない。僕にはUNKNOWNみたいな剣技の腕前も無いし、ユージーンみたいなバトルセンスも無い。クゥリなんて、もう半分以上人外みたいな動きだし。グローリーはぶっ飛んでるし。サンライス団長なんて、いつもは皆に気遣ってるけど、ソロの時はもう同じ生物とは思えないくらいだし」

 

「だから悩んでいる、と。まぁ、どれだけステータス強化しても、スキルを得ても、武装を整えても、それらは『武器』だ。扱う本人はそうそうに強くならないからねぇ。おじさんにもその悩みはちょっとくらいなら分かるかな。でもさ、【若狼】くんは十分に強いわけじゃーん? 多分、トッププレイヤーの1人に数えられているし、もうタイマンで勝てない相手の方が少ないはずだ。しかもまだまだ成長の余地が十分にある! おじさんはキミみたいなのを『可能性』って思うんだけどねぇ」

 

 励ましてくれているのだろうか? 主任に肩を叩かれながら安酒で満たされた酒瓶を突き出され、ラジードは口を付ける。アルコールが舌と喉を焼き、気分に高揚をもたらす。

 客観的に見れば、ラジードの成長率は十分に常軌を逸した速度である。単発火力は低いが攻撃回数に優れた双剣の扱い、両手剣と特大剣を使い分けて戦場でベストな働きをするバトルセンス、蛇のように貪欲に強さを求めて実力者の技術を吸収していく向上心。そして、新たにクロスボウの扱いも早くも体得している。

 だが、ラジードが求めるのは、それこそネームドやボスを単身で倒してしまうような『枠の外』の力だ。それはラジード本人の強さ……ステータスや武装よりも重要な彼自身の戦闘能力の引き上げが求められる。

 どれだけ優れたエンジンを積んでいても、どれだけ優秀なナビゲーターがいても、どれだけ多彩な機能が備わっていても、乗り手が見合わなければ十全たる能力は発揮できない。それが現実なのだと突きつけられる。

 いつか、ミスティアが死の危機に瀕した時、どうしようもない絶望に膝をついた時、どうやって抗う? ベヒモスのような猛者すらもあっさりと呑み込むDBOにおいて、どうすれば生き抜くに足るた力が得られる?

 怖いのだ。失うのが怖いのだ。自分の死よりも、大切な人の死が、道半ばで倒れる事が……怖いのだ。

 

「……戦いこそ人間の可能性。俺はそう信じている」

 

 夕陽が地平線に落ちて夜の闇が訪れる。主任はバーベキューセットが生む炎の光を目印に、焚火の準備を始める。その手にはクラウドアース製のマシュマロが1袋あり、それを丁寧に串に刺していく。肉とキノコを堪能した後には焼きマシュマロを味わおうという魂胆だろう。

 だが、まるでラジードなど気にかけていない動作と相反して、声音は信じられない程に真剣味を帯びている。ラジードはごくりと生唾を飲み、主任の背中を見つめた。

 

「貴様が本当に強くなりたいなら、俺は『方法』を1つだけ教えることができる。だが、必ずしも強くなれるものではない。むしろ、才無き者、普通の人間、天才と呼ばれる者、いずれも強さを得られず、自ら起こした業火に飲まれる。そんな方法だ。かつてイザリスが最初の火を生み出そうとして混沌の火に呑まれたようにな」

 

 それはDBOストーリーの1つだ。呪術の祖たるイザリスは、最初の火を生み出す、あるいは超える為に、歪んだ混沌の火に呑まれた。そして、彼女の娘たちと都は等しく混沌の火に呑まれ、デーモンの苗床となった。

 だが、引用する主任はまるでその瞬間を『見ていた』と言わんばかりの、僅かな悲しみを滲ませた眼差しで星空を見上げる。

 

「人間の可能性。それは戦いの中でこそ真価を発揮する。力及ばずに敗れるならばそれも一興。神すらも超えるならば、それもまた僥倖。俺は見たいんだ。お前らの可能性をな」

 

 焚火で珈琲を温める主任は金属製マグカップを2つ準備する。ラジードは慌て手伝おうとするが、主任は手で制した。

 溶けたマシュマロの串焼き。そして注がれた珈琲の湯気。バーベキューの終わりに相応しい、オフの1日を閉ざすには極上の締めだ。

 

「俺が教える方法は誰にでも出来るものじゃない。トッププレイヤーの過半は高過ぎるVR適性が逆に足枷となるだろう。だが、貴様はそこそこの適正しかない。だったら、スタミナ切れの時に感じたことはないか? 自分と運動アルゴリズムを繋ぐ糸。もしくは歯車。どんな表現だって構わない。脳が『止めろ』という禁忌って奴をよ」

 

 主任が何を言いたいのか分からず、ラジードは珈琲の渦巻く黒を見つめながら、苦々しいばかりのスタミナ切れの記憶を掘り返すも、ハッキリとそうした感覚は無いと伝えるべく首を横に振る。だが、主任は失望する様子もなく、ラジードと珈琲の乾杯をした。

 

 

 

 

 

「致命的な精神負荷の受容。本来、運動アルゴリズムが処理するはずだった情報の全てを貴様自身の脳で引き受ける。それが強さを得られる『方法』になるかもしれん」

 

 

 

 

 

 VR関連の知識が乏しいラジードであるが、ミュウが執り行う講義に何度となく参加しているお陰か、致命的な精神負荷についての理解はある。

 運動アルゴリズムとは、茅場昌彦が仮想世界創造の上で、プレイヤーアバターに搭載『するしかなかった』システムだ。人間の脳は現実の肉体を操る為に存在し、それ以外のもの……いかに『人体と瓜二つ』でも別物である仮想世界の肉体であるアバターを操るには凄まじい負荷がかかる。これを解決する為に、茅場昌彦は運動アルゴリズムという、情報処理を担うシステムをアバターに搭載したのだ。

 この運動アルゴリズムのお陰で、人間は『人体に本来ない運動器官』も操れるようになる。ALOのように『本来ない筋肉によって翅を動かす』や獣人型アバターのように『尻尾を動かす』などを可能とする。他にもゲームによってはロボットのアバターを動かし、搭載されたミサイルなどを発射するなどの高難度テクニックも可能とする。

 DBOでもこの随意運動は多く取り入れられている。特にデーモン化は顕著だ。フェアリー型はまさしくALO同様の翅の運動、獣人型は尻尾や獣耳、悪魔型は翼などだ。また、中には随意運動よりも高難度である『思考操作』も多く取り入れられているものもある。

 だが、随意運動は如実にVR適性の高さが求められ、思考操作など言うに及ばない。そもそも、意識操作とはVR技術の真骨頂である。

 そもそも指の動作でシステム画面を出す。これ自体が『無駄』なのだ。仮想世界に現実の肉体は存在しない。ならば『システム画面を開く』という思考によってシステム画面が開けるのが本来あるべき姿なのだ。

 だが、SAO以来発展し続けるVR技術でも、未だに思考操作の『安易化』は出来ていない。高いVR適性が求められる高度な技術であるからだ。DBOでは、システム画面を開く方法に指の動作、システムコール、そして思考操作の3つがある。だが、わざわざ脳のキャパシティを割く思考操作でシステム画面を開く者はいない。そんな真似をするくらいならば、染みついた指の動きの方が圧倒的に信頼に足る上にスピードがあるからだ。

 武装にも思考操作が必要なものもあるらしく、太陽の狩猟団の工房は、開示を拒まれている【魔弾の山猫】の義手にも思考操作に関わるものが採用されているのではないかと睨んでいる。そうでなければ、いかにモーション反応だけで動かすだけにしては動きが『精密過ぎる』という事らしい。だが、彼女が開発元を明かさない限り、その謎が解けることはないだろう。

 何にしても、仮想世界の生みの親である茅場昌彦の誇るべき功績の1つは間違いなく運動アルゴリズムだ。そして、それはシステムに強要されるものではなく、脳と結びついている『だけ』のものだとするならば、脳側から自発的に切断する事も可能かもしれない、とラジードは思う。

 

「でも、それって意味ないですよね? だって、仮に僕がえーと……とんでもない情報負荷を脳で受け入れたとしても、それって運動アルゴリズムが有るにしても無いにしても一緒ですよね? スタミナ切れの状態でも動けるかもしれませんけど、そもそも負荷で脳が潰れるだろうし」

 

「ああ、間違いなく、貴様の脳は壊れる。正確には『壊れていく』さ。状態で言えば、全身が焼け爛れて血が沸騰するような地獄のような高熱と、窒息状態同然の呼吸不全の苦しみと、深海の水圧に押しつぶされるような圧迫の体感。指を動かすくらいの小さな動作に付随する胃が捻り潰れるような嘔吐感。何よりも脳も思考も意識も灼ける言葉に出来ない苦痛。受け入れたところで、強くなるどころか弱くなるだけだ。成功しても、単に運動アルゴリズム無しでアバターを操作するだけ。それ以上の意味はない。そもそも、まともに意識を保てず、思考は崩壊していき、最悪の場合は自我が発狂したまま砕ける」

 

 どうして主任がそれを知っている? そんな疑問を思い浮かべるラジードだが、これで主任の話が終わりのはずがないという強さへの渇望が詰問すべき時を踏み躙った。

 

「だが、人間は極限状態でこそ潜在能力を爆発させる事例も少なくない。ましてや、自己を引き換えにする覚悟が伴うならば尚更な。貴様自身がどうしようもない程に追い詰められ、たとえ致命的な精神負荷を受容しても戦えるだけの『意思』を持っていたならば、それも1つの選択肢としておけば良い。戦いこそ人間の可能性ならば、貴様自身に眠る可能性を呼び起こせるかもしれない」

 

「……致命的な精神負荷の受容」

 

 潜在能力を引き摺りだせる『かもしれない』ジョーカー。あまりにも現実感が無い方法にラジードは戸惑うも、主任はまるで悪魔の誘いのように笑う。

 

「実はDBOで、たった1人だけ、この致命的な精神負荷の受容に成功している奴がいる。そいつの場合、VR適性の低さがネックであるが故に、負荷を受容することによって、脳がアバターを完全に掌握する以上の効果は無い。要はVR適性が高い連中のように『自分の肉体と完全に同じようにアバターを操れるようになる』以上の意味はない。だから、俺が貴様に求めるのは、その成功者とは別の成果だ。貴様の強さへの強欲を見せてみろ。俺は知りたいのさ。その先を……な」

 

 その誘惑に乗るべきではないのだろう。

 だが、ラジードは手札にそっとジョーカーを加える。頼りにもならない、しかも自滅が約束された、最後の切り札を。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 砂漠を越えて三千里……なんて過大な表現は使わない。どれだけ広大と思われるアルヴヘイムでも、その広さには限度がある。

 日本は広い。確かに国土面積という意味では広大な大陸諸国と比べたら小さく見えるかもしれないが、縦長の島国の国土面積は伊達ではない。

 では、どうして狭さを感じるようになったのか? それは移動手段の発達と交通網の整備、それらを支える培われた英知の塊たる多くの技術の恩恵である。

 本来ならば1日がかりで越える山を、トンネルが、山間において障害物が無い『平面』を生み出す道路が、疲れを知らずに時速60キロとも100キロともそれ以上ともいう速度で走り続ける自動車が、世界の体感距離を縮めてしまったのだ。

 かつて、人間にとって陸上で最も平均速度が期待できる移動手段は馬だった。それが今では走る金属塊に取って代わられた。馬車も人力車も移動手段ではなく観光道具として生き残るに留まっているのだ。

 砂上都市バムートまでの旅は快適であり、境界の町から1日と待たずして到着した。バムート名物の【砂アザラシ】に牽引された砂上便のお陰である。砂の海を渡る巨大な船は帆に受ける風とアザラシの牽引によって、なかなかの速度を生む。

 細やかな砂はまるで液体のように生物を飲み込み、巨大なアリジゴクのモンスターは顎を鳴らす。また、妖精に寄生して成長するサボテンのようなモンスター、スリップダメージが痛い砂嵐など、過酷な環境のバムートであるが、それ故に天然の要塞であり、土地勘がある者以外を容赦なく喰らう。

 だが、そこはギーリッシ御用達の砂アザラシ便のお陰である。砂の海を何事もなく乗り越え、しっかりと踏みしめられる大地を踏めば、乾いた大地の都市に相応しい、赤土に似た城壁に囲まれた都市が目に映る。

 まるでアラビアンナイトの世界だ。レコンはDBOでもなかなかお目に掛かれない風景に息を呑みながら、顔パスで都市の最深部……宮廷まで案内するギーリッシュの手際の良さに驚く。

 ギーリッシュが新生暁の翅のトップに立つ事を決めたのは2日前だ。それだけの間に、レコンが仮想世界とはいえ脱童貞をして悶々と悩み散らしている間に、ギーリッシュはバムートを掌握する暗殺計画の始動と銃器量産の手筈をロズウィックと調整を済ませたのである。

 

「いかがな? これがバムートの……いや、私個人の秘密工房だ。表向きにはバムートの特産品である狐火石の加工場としてあるが、実際はこの通り」

 

 宮廷から程近い、堂々と加工場の看板を立てた地下にある巨大工房に、レコンはもちろん、赤髭もロズウィックも目を白黒させた。

 ロズウィック曰く、設備だけを見れば廃坑都市の工房にも負けないらしく、生産されているのは剣や盾、鎧といったものであるが、いずれもアルヴヘイムで流通した兆しなどないものばかりである。

 

「これは赤熱ランス。先端に炎の力を宿してある突撃槍だ。反旗を翻した後には、レッドホーン・リザードを乗りこなす、バムートご自慢のサラマンダー熱風騎士団の標準装備となる。盾はいずれも大盾の3重構造。鎧もこの通りの頑丈さだ。ネックなのは、いずれもサラマンダーのような生まれつきのマッチョマンじゃないと扱うのは難しい点かな?」

 

 地下に備蓄された装備を検分するレコンは、いずれの装備もレベル20、最上位のものならばレベル25まで適合できる、アルヴヘイムではかなりハイレベルな武装であると判断する。無論、それはアルヴヘイムの基準に過ぎず、技術革新が止まないDBOからすれば目も覆いたくなる『粗製』である。

 

「廃坑都市の軍備には3歩ほど劣りますが、十分に実用範囲ですね」

 

「おやおや、手厳しいね。さすがは王殺しを本気で画策していた大組織の元幹部様ってところかな」

 

「いえ、これは純粋な賛辞です。我々の兵装の過半は安全地帯であるが故の独自開発もありましたが、それ以上に深淵狩り達からの技術供与が大きかったですから」

 

「……まぁ、ウチも似たり寄ったりだったけどね。各地から逃げてきた技術者を匿ったり何たりでさ。最近も面白い子が新しく加わって、大いに活気付いたところさ」

 

 話がヒートアップすることを遮るようにギーリッシュは、ロズウィックが伴った数人のノームの鍛冶屋たちに銃の製造開始を依頼する。この大工房には50人近い鍛冶屋がいる。そして、鉱物資源をたっぷり保有するバムートならば、銃の増産は恐るべき速度で進むだろう。

 

「宮廷との目と鼻の先で堂々とオベイロンの法を破ってるってわけか。灯台下暗しとはいえ、砂の大将は肝が据わってるようだな」

 

「褒め言葉は嬉しいけど、これがアルヴヘイムの実態さ。貴族にとってオベイロンの法は都合の良い支配の手段であり、同時に縛り付ける恐怖だ。法を利用して民を縛り、反乱の芽を摘み取り、そして批判に対するスケープゴートに使う。そして、アルフという強大な戦力以上に、オベイロンの一声で『逆賊』と見なされれば、他の都市に攻め入られる恐怖となる」

 

 工房を見て、予定よりも早い反オベイロン派の早期決起が可能と判断した赤髭に、ギーリッシュは肩を竦めるばかりだった。

 今の貴族の支配……インプとケットシーの奴隷以下の扱いをギーリッシュは憎んでいる。自分の母の末路を呪っている。故にオベイロンの法を利用した支配など言語道断だ。そして、元よりアルヴヘイム全土を平らげ、妖精王の地位と権力を簒奪する野心を持つギーリッシュにとって、他の都市に攻め入られる口実など恐れるに足らず、むしろ嬉々として領土拡大のチャンスと喜ぶだろう。

 乱世では英雄になれるかもしれないが、この過ぎた野心は同時に平和の世では疎まれるばかりの仇となるかもしれない。レコンはそんな感想をぼんやりと抱きながら、自分は何様だと唾棄する。

 工房にある会議室にて、宮廷の見取り図を広げたギーリッシュは、側近らしい人々を招くと、今夜にでも父と嫡子たる兄を暗殺する旨を告げる。側近たちは顎が外れる程に驚いたようだったが、ギーリッシュが突拍子もないことを命じるのは、そして常に本気なのは理解しているのだろう。数十秒の動揺の後には、毅然として今夜の暗殺作戦の概要をレコンたちに説明した。

 内容は至って単純である。宮廷の寝室に乗り込み、現在のバムート領主であるギーリッシュの父を殺す。同じ方法で兄も殺す。他の自分に反感を持っている兄弟姉妹も殺す。結論から言えば、自分以外のバムートを継げる全員を殺す。幸いにも暗殺対象に子どもはいないようであるが、戦う手段が無い女たちまで殺すのはいかがなものかとレコンは胃に重いものを感じた。

 

「腹違いとはいえ、姉君や妹君まで暗殺されては、ギーリッシュ様の評判を貶めるのでは?」

 

 レコンの顔色から察したのだろう。ロズウィックは暗殺計画に変更を申し出ると、側近の1人である白髭の老人は首を横に振った。

 

「お気になさらずに。民からの評判は、3代に亘ってバムート領主に仕えてきた私が断言しますが、すでに地に落ちております。先代たちが多くの犠牲を払って得た食料生産の要たる緑地も、命に代えても守り続けたオアシスも、そしてバムートの心臓だった3大鉱脈の2つまで近隣都市に奪われる始末。ただ渇き、干からび、それでも散財を辞めず、自らの使命を忘れて呆けた多くの貴族と領主家に代わり、バムートの延命を成し遂げたのはギーリッシュ様に他なりません」

 

「右に同じく。バムートの民が熱望するのはギーリッシュ様の領主着任のラッパ。軍務も分からぬ領主家の方々の政治に惑わされ、勝てる戦も捨ててきた将軍たちは、いかなる逆境と謀略の渦でも連戦連勝でバムートに光を見せたギーリッシュ様に心酔しています。加えて、3年に亘る根回しで、バムートの未来を憂う有望な貴族の子息との合流、財政・政務に長けた身分・出身・種族によらぬ抜粋、ギーリッシュ様を『交渉相手』として有力と見た商会も味方に付けています。そして、風聞を流し、領主家の悪評も盛りに盛ってあります。もはやギーリッシュ様の領主着任を歓迎せぬ者こそ『悪』となりましょう」

 

 側近でも若い、顔の右半分を黒髪で隠し、なおかつフードを深く被った女とレコンは目が合い、思わず背筋を凍らせた。その隠す顔半分は醜く焼けただれていたからだ。

 

「醜いものを見せて申し訳ありません。昔、領主家の慰み者にされていた頃、反感を買いまして、呪い道具で顔を焼かれてしまいました。この通り、『耳』と『尻尾』を切り落とし、スラムで何とか生き延びていたところをギーリッシュ様に拾われたのです」

 

 フードを外した女の頭には削がれた耳の跡があった。正確には削ぎ残りがあり、辛うじて左耳だけが痛々しい傷跡と共に残っている。既に欠損によるスリップダメージは無いところを見ると治療こそ済ませているが、再生しないのは彼女の心に刻まれたトラウマのせいか、それともケットシーという種族ではそうまでしないと生き残れないという象徴か、あるいはギーリッシュに捧げる復讐なのか。

 赤髭は何も言わず、だが厳しく眉間に皺を寄せる。ロズウィックも『噂以上ですね』とだけ零した。

 

「まぁ、全員を今夜中に暗殺する必要はない。民が求めているのは、刺激的で、溜飲が下がり、新たな戦も熱望できる『娯楽』だ。レコンもギーリッシュも戦えない女を手にかけるのは

気乗りしないようだし、姉と妹は生け捕りにしようじゃないか。半分は兵の慰み者として、半分は見せしめの処刑で良いのではないかな? 最終的には殺すにしても有効活用しないとね」

 

「異議はねぇが、慰み者ってのは止めろ。一思いに処刑してやれ」

 

 意見する赤髭に、褐色の野心家にして復讐者は、そう言うだろうと思ったとばかりに肩を竦めたが、惨忍に口を歪めた。

 

「悪いが、それは駄目だ。かつて自分たちを踏み躙り、犬死させ、挙句に贅沢三昧だった女たち。それを貶めてこそ価値があると思ってしまうのも、悲しいけど男の性でね。まぁ、よりストレートに言えば、私の戦力には各地から流れてきた荒くれ者も多くてね、これから連戦が待っているわけだから占領地で『粗相』が起こされたら困る訳だよ。そういう意味でも娼婦は1人でも多い方が良い。それとも何かい? ケットシーやインプを今まで通り『道具』扱いすれば、『粗相』もかなり抑えられるけど、ナイスガイはそれがお望みなのかな?」

 

「俺が悪かった。オメェに全面的に賛成だ。そういった『事件』が起きねぇように、俺も色々と手を回して娼館経営に協力している身だしな」

 

 犯罪ギルドの纏め役にして番犬。武闘派にして、大ギルドすらも簡単に手出しできない戦力が結集しているというチェーングレイヴのリーダーは、あっさりと諸手を挙げて降参する。

 どうしてDBOに娼館なんてインモラルなものが、そして娼婦という職業が成立しているのか、レコンはこれまで1度も考えた事が無かった。だが、始まりは何であれ、それらを経営する犯罪ギルドすらも御するチェーングレイヴの狙いは、間違いなく赤髭の発言にこそ真意があるのだろう。

 自分の知らない世界。それに吐き気がしてきたレコンであるが、するりと腹に収まる新たな見解と知識に冷たさを覚える。

 

「持ち込んだライフルは30丁。銃弾はいずれも粗鉄の弾丸。オートリロードは3回まで。ロズウィックさん、≪銃器≫獲得の祭壇はどうなっていますか?」

 

 今回の暗殺計画には実験的に≪銃器≫を導入する。増産中とはいえ、いきなりの暗殺計画で運び出せたライフルの数はこれが限界だった。最低ランクの粗鉄の弾丸では威力も程度が知れている。だが、レベリングなどまともにしたこともない、ノブリス・オブリージュの精神もない貴族たちならば、あっという間に蜂の巣にできるだろう。

 レコンの質問にギーリッシュは顎に手をやり、少しの間だけ瞼を閉ざすと頷いた。

 

「作成には時間がかかりますが、夕暮れまでには整うでしょう。それよりも、問題は≪銃器≫を獲得できる兵はいますか? 刻印の空きが無ければ……」

 

「その点は問題ない。義勇兵という形で兵を増やしたばかりだ。【ゴワ】将軍、信頼できる兵は何人くらい出せるかな?」

 

 ゴワと呼ばれた白髭の老人は口髭を撫でながら厳しい表情を浮かべ……だが、すぐに鬼神とも思える、過去の猛将の姿が目に浮かぶような眼光を見せた。

 

「練度は低いですが、このライフルという武器が本当にこの書面通りならば、撃つだけならば夕暮れまで30人どころかその10倍揃えて見せましょう」

 

「結構。では、その300人から選りすぐりの30人を頼むよ。さて、暗殺については概ね説明した通りだ。だが、同時に領主家のみならず、反感ある貴族と大臣たちも始末しないといけない。とはいえ、毎日が宴ばかりで、腐った輩は宮廷で寝泊まりしている。だから始末も簡単だ」

 

「訂正を入れるならば、ギーリッシュ様が暗殺に向けて、商会を助けを借りながら、私財も投げ出して宴に資金供給していました。民たちの悪評を増やせ、また来るべき時に怪しまれることなく纏めて『始末』できる。1年以上の節制と商会の借りは大きいですが、ようやく報われますね」

 

 火傷のケットシーの興奮を抑えられない声音をギーリッシュは乾いた拍手で諫め、残りの詰めを赤髭たちにパスをする。

 リストに顔写真は無いが似顔絵が付随され、身体的特徴も記載されている。宮廷内はいざ攻められた時に要塞として機能するように様々な仕掛けが施されている。暗殺は気づかれないことが大前提であるが、宮廷には近衛騎士と隠密が潜んでいる。その半数もギーリッシュと将軍たちの根回しでこちらの味方であるが、残りの半分は敵である。

 

「砂の大将は全部終わってから宮廷に来な。自分の手で殺したい輩もいるだろうが、そういうのは戦える連中の仕事だ。ロズウィックも万が一がある。オメェもギーリッシュと一緒にいろ。将軍殿、俺にも兵を貸してほしい。俺1人でも出来ないことはないが、部外者の俺が主力を担うよりも、バムートのことはバムートの連中で始末をつけた方が後々になって腐れが付きまとわないからな」

 

「畏まりました。では、えーと……ナイスガイ様には私の直轄のシルフ剣術騎士団とノーム突撃隊の精鋭をお貸ししましょう。レコン様には、スプリガン傭兵部隊の腕利きを」

 

「……分かりました」

 

 自分だけお留守番は出来ない。赤髭が目で『残っても良い』と告げるも、レコンは自分の意思と選択で判断する。

 

 

 

「じゃあ、私は傭兵らしく窓から侵入して攪乱で良いかしら?」

 

 

 

 と、そこでようやく壁にもたれかかったまま、発言を控えていたシノンに、ギーリッシュの側近たちは驚愕する。高過ぎる隠密ボーナスに加えて、シノンには≪隠蔽≫がある。動きを止めた状態では、たとえ近距離いても、猛者とはいえレベルが低い彼らでは、視認すらも困難だったのだろう。そして、それは同伴している事を知っていたはずのギーリッシュやロズウィックすらも僅かに驚くほどに気配を殺していた。

 

「私はこう見えても傭兵なの。こうした荒事にはそれなりに慣れているつもり。まずは邪魔な衛兵を私が≪狙撃≫で排除し、あなた達が侵入しやすいように兵力を削るわ。味方の近衛騎士や隠密には目印を付けさせて。そうしないと区別がつかないわ」

 

「お、おう。俺はそれで良いが、オメェ……本当に大丈夫か?」

 

 僅かにたじろぐ赤髭に、シノンは何か問題があると首を傾ける。すると、赤髭は言いにくそうに頭を掻いた。

 

「山猫よぉ、オメェは今まで殺しをした事が無い傭兵だろ? アルヴヘイムの住人とはいえ、人殺しは――」

 

「それで? 今回は『殺る』。それだけでしょう? 何なら、私が暗殺対象の半分を受け持っても良いわ」

 

 一切の反論を許さず、にっこりと笑ってシノンは暗殺の積極的な引き受けを表明する。

 シノンの様子がおかしい。それはレコンも気づいている。ギーリッシュとの会談の日以来、シノンは今までの態度を謝罪し、これからは積極的に反オベイロン派の為に活動する意思を明示した。

 

『確証はないけど、オベイロンは既に私たちの動きに勘付いている前提を持った方が良いわ。なるべく早めにギーリッシュが旗を掲げられるように、私も好きなだけ利用して頂戴』

 

 裏付けはなくとも、シノンが淡々と告げた危機は、ギーリッシュの素早過ぎる暗殺計画に否を唱えさせるチャンスも潰した。赤髭とロズウィックは、暗殺計画を実施するよりも先に少しでも反オベイロン派の吸収を行い、兵力を纏め上げ、いずれ訪れるギーリッシュ派と既存反オベイロン派の衝突という派閥争いに備えるつもりだった。

 オベイロンの脅威……より正確に言えば、DBOという視点からオベイロン攻略に口出しできるのは、赤髭・レコン・シノンの3人しか現状はいない。ギーリッシュやその周囲の人々がいかに傑物だとしても、アルヴヘイムの視点だけでは、絶対に突破できない難関がある。もしもそれを巡って衝突した時に、意見を押し通すには数が必要になるのだ。

 無論、赤髭やシノンによる実力行使をすれば無理矢理従わせられるかもしれないが、その時点で組織としては終了を迎える。もはやオベイロン打倒を共にするという目標も半ばのまま、忌むべき相手として見なされ、最悪の場合には今回と同じように暗殺の脅威が迫るだろう。

 もしかしたら、シノンの狙いはあえてギーリッシュに権力を集中させる事にある? レコンはそう疑ってしまう程に、シノンはギーリッシュに対して、今回の暗殺計画の推進における有利なアシストを行ったのだ。

 

「はいはい、お喋りはこれくらいにしようか。作戦なんて、どれだけ練っても完璧など無い。線引きは何処かで必要だしね。私はナイスガイの提案通り、どっしりと後ろで控えているとしよう」

 

 暗殺決行は今夜零時だ。ギーリッシュは側近を連れて工房を後にする。決行時間がくれば、ギーリッシュの手の者が門番の交替を務め、赤髭たちを手引きする。そして、宮廷内部で将軍が手配した部隊と合流する。

 

「怖いか?」

 

 工房では新生暁の翅が連れたノームたちによる銃のレシピ伝授が行われている。技術は確かに必要であるが、ある程度の練度は既に備わっている以上は、レシピさえ分かれば増産に時間はかからない。修行を一々必要とせず、レシピ1つで量産できるのは、やはり現実世界の物差を持ち込めない生産力である。

 そんな光景を眺めるレコンに、赤髭は隣に腰かけると水が入った瓶を差し出す。さすがには酒ではないが、バムートでは水も貴重品である。

 

「いいえ、僕は自分の分がありますから」

 

「飲んどけ。メシもある。砂の大将からの差し入れだ」

 

 無理に押し付ける赤髭に、レコンは根負けして瓶の蓋を開ける。水の冷たい香りがしたような気がして、自分の喉がカラカラなのに気づき、レコンは一気に中身を喉に流し込んだ。

 今夜、何人かは分からないが、自分の手で殺す。そう考えると震えが止まらない。だが、同時に頭の冷えた部分、胸の汚泥では、既に血で汚れていると囁く悪魔がいる。

 無我夢中だった。あの日、レコンが居眠りをしていなければ、幾ら強盗とはいえ、人殺しすることはなかった。

 だが、一方であの時にレコンが狂乱してでも人殺しという罪を背負ったからこそ、リーファは守られたのだ、という醜い驕りにも似たプライドが芽吹く。それを何度も何度も腐った地面から引き抜いても、まるで手が届かない地中深くに醜い根が残っているように、枯れることなく、そして花を開こうとする。

 

「殺しは怖い。それは当たり前の感情だ。大事にしな」

 

「……あなたは怖くないんですか?」

 

「怖いぜ。いつだって人殺しは怖い。部下たちには言えねぇが、後悔で眠れない夜もあった」

 

 地下の空洞に設けられた秘密の工房。その天井では狐火の石が埋め込まれ、光源の足しにされている。それを見上げる赤髭の言葉にレコンは驚きを隠せなかった。犯罪ギルドを取りまとめるチェーングレイヴのリーダーが、人殺しを恐れ、なおかつ眠れない夜もあるなど、およそ想像の範疇外だったからである。

 だが、思えば赤髭の今までの様子からも分かるように、どうしてチェーングレイヴを組織し、なおかつ裏世界のボスとして君臨しているのか理解できなかった。

 

「だがな、後悔ってのは悪か? 殺しは確かにこの世の悪だ。だからって、殺さないといけない場面で両手を挙げて降参しても何も変えられない。踏み躙られるだけだ。『誰も殺さない』っていう心意気を戦場で認めるような奇特な連中は少ねぇのが現実だ。殺したいから殺すんじゃねぇ。邪魔するから殺すんじゃねぇ。戦うと決めたから殺すんだ。たとえ悪だと分かっていてもな。だからこそ、殺しには必ず後悔があるべきだ」

 

「戦うからこそ……」

 

「そうだ。殺したいんじゃねぇよ。戦ったから殺しちまうんだ。そうやって、言い訳と後悔を重ねる。無様かもしれねぇが、そうしないと何も感じなくなっちまう。俺はよぉ、それが怖いんだろうなぁ。情けねぇよ。部下たちには絶対に言えねぇな」

 

 あまり親しくないレコンだからこそ、あるいはレコンにもしっかりと後悔しながら前に進んで欲しいからこそ、赤髭はわざわざ自分の弱さも見せて語ったのだろう。そこに真偽など必要ない。レコンが信じるか否かだ。

 戦ったから殺す。殺しが目的ではない。殺したいわけでもない。レコンは何度も自分のメイスを見つめながら胸の内で反芻させる。

 

「ありがとうございます」

 

「礼は要らねぇよ。こんなのは処世術だ。それに俺は結局のところ大悪党だ。なんせ俺の目的は――」

 

 危うく口が滑りそうになったのだろう。慌てて口を水瓶で塞ぐ。赤髭が何を言いかけたのか気になるも、それを掘り起こそうとすれば、今度こそ抜け出せない汚泥に踏み込むような気がして、レコンは口を閉ざした。

 覚悟は決まっている。リーファに会うまでは死ねない。どんなに無様でも、このアルヴヘイムで生き延び、オベイロンを倒して助け出す。拳を握り直したレコンは工房で響く金槌の音色を聞き続けて深夜を待つ。

 やがて砂の大地に太陽は沈み、巨大な月が夜空に浮かぶ。赤髭はギーリッシュに提供されたアルヴヘイムでも珍しい武器として数えられるカタナを装備していた。カタナは他の武器と比べて格段に劣る耐久度が生命線である。少しでも温存する為にも今回の暗殺は大きく火力が下がっても、別の得物で挑むつもりなのだろう。

 ギーリッシュの手の者に手引きされ、あっさりと、堂々と城門脇の小さな扉から宮廷の敷地内に招き入れられる。乾いた都市と違い、豊かな緑の庭と贅沢に水が張られた噴水があり、色彩豊かな花が雲無き夜で月光を浴びて煌いている。この宮廷内だけを全ての世界として育ったならば、確かにバムートの惨状など別世界と見てもおかしくないのかもしれない。宮廷を守る高い壁が分厚ければ分厚い程に、領主家は外の世界が自分達とは関係ないと思い込むようになったのかもしれない。

 だが、それは民を率いる者として悪なのだろう。レコンには深く分からないが、彼らを倒さねばバムートは腐り、また反オベイロン派の灯は消える。ならば、レコンは『戦う』しかないのだ。その結果として殺すとしても、それは望んだ形ではなく、目的を果たす過程で起きた犠牲の血なのだ。そう言い訳と後悔をするしかないのだ。

 さすがに宮廷の玄関から潜り込むわけにはいかない。レコンは東から、赤髭は西から、ゴワ将軍は身分を使って玄関から堂々と侵入する。それぞれバラバラで侵入するのは、悟られた場合に包囲を完成して、1人として逃がさない為だ。

 別行動のシノンは気がかりであるが、無事にゴワ将軍が手配したスプリガン傭兵団と合流したレコンは、彼らの指示に頷くままに、暗闇の宮廷を……僅かな燭台が照らす廊下を歩む。見張りの兵ともすれ違うが、彼らの右手首には黄色のリボンが巻いてある。仲間の証であり、暗殺者を見て見ぬフリをして奥に通す。

 

「まずはここです。迎賓室ですが、ここ1年以上は貴族たちの宴にしか使われていません。酒もたっぷり振る舞っていますので、酔い潰れているか、そうでなくとも……」

 

 スプリガン傭兵団のリーダー格がレコンに説明し、ゆっくりとドアを開ける。ピンク色のレースで飾られた迎賓室は黄金で彩られ、また色つきの香で甘ったるく空気は濁っている。そこではいびきを掻く数人の男たちが半裸、あるいは下品にも下半身を丸出しのまま、女たちと添い寝していた。その中には虚ろな目をした、首輪を付けられたケットシーやインプたちが何人もいる。

 コイツらを生かす価値があるのか? レコンは余りにも酷い惨状に殺意を芽生えさせる。全身に殴打の跡があり、酔った勢いでサンドバッグにされたとしか思えない息絶え絶えのインプを発見し、レコンは唇に指を当てて声を出さないようにとお願いしながら、赤く点滅するカーソルを少しでも癒すべく燐光草を食べさせる。泣きながら感謝するインプは少しむせながらも燐光草をしっかり咀嚼した。

 ゴキブリを潰す事に後悔を感じる必要が何処にある? そんな囁きが心の深淵から聞こえてくる。まさしくその通りではないか。レコンはメイスを固く握りしめ、鞭を握ったまま眠っている太った貴族の顔面に狙いを定める。

 

「1人も逃がすな。殺れ」

 

 スプリガンのリーダーの合図と共に、傭兵たちは声を潰すように喉へと剣を押し込む。一撃死こそしないが、ダメージフィードバッグで目覚めた貴族たちは狂乱し、暴れ回るも、そこは汚れ仕事にも慣れた傭兵団である。すぐに複数人で手足を封じ込め、実行者が手早く剣を捩じり、頭部まで斬り上げて絶命させる。

 だが、レコンの場合は違う。たとえ、彼自身がどれだけ自分の弱さを呪っても、そのレベルも武器もアルヴヘイムの水準を大きく超えている。レベル10にも満たない貴族の、それもクリティカル判定の頭部にメイスをクリーンヒットさせれば、全力で振り下ろせばどうなるのか、言うまでもない。

 思い出したのは、小学校の頃の夏休み。母親が買ってきたスイカを落として割った時に飛び散った果汁と果肉。そして、それに重なるのは最初の殺人。

 

「スゲェ……!」

 

 一撃で頭部を破砕したレコンに、スプリガンの傭兵たちはレコンが見かけによらぬ実力者だと認めるように驚く。飛び散った髪の毛混じりの肉片、そして顔面を染めた血に、レコンは自分が、今度こそ正当防衛でもなく、自分の意思と選択で殺人に手を染めた事を自覚する。

 アルヴヘイムでもDBOでも嘔吐はできない。だが、罪の重みが殺人の瞬間と共に吹き出し、自分の正義感のまま執行した『処刑』への高揚と満足に体をくの字にした。

 これが正義? そうだ。正義だ! そう自分を騙そうとする。違う。レコンは正義を自称して鉄槌を振り下ろし、罪人を裁いた達成感を得たのだ。ならば、この拒絶の意思はなんだというのか。

 

「……誰でも最初の頃はそんなもんだ。気にするなとは言わんが、それは夜明けにしてくれ」

 

 スプリガンの1人が殺しのショックを受けているのだろうと勘違いしたのか、レコンの肩を叩いて喝を入れる。

 

「次だ。個々の寝室を狙うぞ。それぞれの近衛が警護についているはずだ。心して――」

 

 だが、先導するスプリガン傭兵団のリーダーは言葉を止める。彼が覗き込む曲がり角の向こうには、壁にもたれ掛かったまま動かない甲冑姿の騎士たちの姿があった。その喉の隙間にはいずれも黒光りする矢が突き刺さっている。更に、剣と盾を抜いた幾人かの喉は鋭利な何かで引き千切られたような痕跡があった。

 

「どうやらキミの仲間には凄腕がいるみたいだな」

 

「……で、ですね」

 

 まさかシノンさんが? ランク3とはいえ、【魔弾の山猫】はPKしたことがないクリーンな傭兵だと聞いたことがある。だが、この惨状はあまりにも手慣れているようだ。

 頭を振り払い、今は考えるべきではないと断じて、鍵を開けて部屋に入り込む。そこには裸体のままベッドの上で大の字になる、やや痩せ気味の男の姿があった。

 

「せめて恥部だけでも隠してやるか」

 

 それは優しさなのか、スプリガンのリーダーは手頃な布切れを股間に投げる。そして、それから数秒と待たずして腕を振り下ろし、部下たちに剣で串刺しにさせた。覚醒するも、減るHPを見るしかなかった貴族の絶望は絶叫を迸らせるはずだったが、スプリガン達に口を封じられ、残滓の吐息だけが死後に漏れる。

 だが、ここにきて警鐘が鳴り響く。レコンたちはミスを犯していないならば、他の暗殺チームのいずれかがしくじったのだろう。元より宮廷内の大規模な掃除だ。幾ら半数を抱き込んでいるとはいえ、敵側には隠密もいるともなれば、気づかれるのも時間の問題だった。だからこその総数を揃えた暗殺である。

 

「ここからはスピードだ! 1人も生かすな!」

 

 騒がしくなる宮廷内の各所で戦いの音が響く。それは近衛騎士と近衛騎士、隠密と隠密、そして暗殺チームたちが各地で激戦を繰り広げる死のオーケストラだ。当然ながら、敵には宮廷魔法使いのような、魔法と呪術に長けた者もいる。それらが起こす爆発が宮廷を轟かす。

 駆けるレコンたちの前にも、全身を黒灰色の布でレザー装備を覆った隠密たちが立ちはだかる。彼らは毒々しい紫色のナイフを投擲し、また鉤爪を光らせ、短剣を振るう。天井より舞い降りる隠密たちの奇襲により、スプリガン傭兵団たちは陣形が崩れるも、そこは歴戦の猛者だ。隠密たちの奇襲で手傷を負うも応戦する。

 隠密たちもレベルは低いはずだ。だが、並のモンスターよりも手強い。当然だ。たとえ、レベルは低くとも、その技を鍛え続けた時間が違う。レベルでもなく、スキルでもなく、武器でもなく、本人の練度が違うのだ。レコンは戦い慣れているとはいえ、DBOでは約1年半程度。対して、彼らは隠密として英才教育を受け、その人生において殺しの技術だけを磨いてきた存在だ。

 ステータスで負けていても、スキルが揃っていなくとも、武器は勝負にならずとも、動きが違う! レコンを翻弄するように囲い、毒ナイフを投げ、こちらのメイスの間合いを見切り、鉤爪で流血を狙う。

 

「コイツ硬いな」

 

「毒を使え」

 

「流血は利いている。このままいけば!」

 

 隠密たちの侮りに、レコンの脳は熱くなる。舐めるな。レベルはこっちが圧倒的に上なのだ! レコンは≪戦槌≫の単発系ソードスキル【ウォーブレイク】を使用する。素早い踏み込みと同時のメイスの振り上げ。それは両手持ちから途中で片手持ちに切り替え、押し込むように振り上げるソードスキルだ。発生速度・威力・硬直時間のいずれをとっても特筆するものはないが、発動中は他のソードスキル以上に衝撃・スタン耐性を引き上げる。

 ソードスキルは戦い慣れていないプレイヤーに力を授ける。歴戦の戦士のような剣術を、武技を、必殺を与える。そして、ウォーブレイクは単発ながらも≪戦槌≫の熟練度が相応に必要である。アルヴヘイムの住人……いかに隠密でもそれは未知だった。

 一撃破砕。胸に直撃し、骨は砕け、肉は飛び散り、天井に頭部をぶつけて落ちる。あっさりと絶命した仲間の隠密にたじろいだ瞬間に、スプリガンの傭兵団は勢いのままに押し切った。

 回復手段が乏しいアルヴヘイムではダメージを受けない立ち回りが重要だ。負傷したスプリガンの傭兵たちの幾人かはダウンし、壁にもたれかかっている。レコンは全身各所を貫く毒ナイフを抜きながら、ダメージフィードバッグに唸った。

 

「行きましょう」

 

 事態に気づいて逃げ惑う者たちを、1人1人丁寧に殺す。不手際が目立つレコンよりも『対人慣れ』しているスプリガン傭兵団の方が暗殺もスムーズだ。しかも、こちらは秘密の抜け道に至るまで、宮廷の構造を把握しているのである。

 わざわざ領主家以外をそれぞれの邸宅で各個撃破しなかったのは、万が一に備えて、袋の鼠にして始末する為だ。つまり、ギーリッシュの策が発動した時点で、この暗殺はどれだけ派手に目立っても結果は揺るがないのだ。

 

「降参だ! だから、どうか命だけは頼む! 頼むぅううう!」

 

 貴族の1人の命乞いに、スプリガン傭兵団は『貴族の誇りも無いとはな』と吐き捨てて拘束する。レコンも同様だ。どうせ、ここで生き延びても処刑されるだけだ。ならば、最後まで戦って抗おうとした方が良いに決まっている。

 だが、自分が同じ立場になったらどうだろうか? レコンは自問する。もしかしたら、あの貴族と同じように命乞いをして、相手の足に縋りつき、泥靴を舐めるかもしれない。

 違う。僕はそんな事しない。そもそも、あんな奴らと同じにならない。歯を食いしばり、この地獄が早く終われと祈る。願る。縋る。肥大化する正義感、殺人に付随する後ろめたい罪悪感、殺しに伴う勝者の高揚、いずれも気分が悪くなるばかりだった。

 赤髭が言いたかったのはこういう事なのだろうか。レコンは近衛騎士の巧みな剣術に翻弄されながらも、わざと腹を斬らせ、その頭にメイスを振り下ろす。レベルの差はHPの差だ。VITに振ればその分だけHPも増加していくが、レベル上昇によって伴うHP増加と防御力上昇も、レベルによって強者と弱者を分かつ明確な線引きの意味を成している。

 たとえ、達人と呼ぶに相応しい剣術があっても象には踏み潰される。分厚い皮膚を斬り裂けず、一方的に嬲られる。そこに技術など必要ない。

 

「これで我々のノルマは終わりか」

 

「ゴワ将軍が苦戦しているようだな。相手は領主家近衛騎士団だ。さすがに手強い」

 

「負傷者は残れ! 援護に行くぞ!」

 

 スタミナは圧倒的に残っているはずなのに、精神の疲労で足は重く、呼吸は荒い。血と汗が混じり合った自分のニオイに、レコンは口を押さえて、これで何度目か分からない嘔吐感を耐える。いや、耐え切れずに、唾液を指の間から零し、血溜まりに泡を作る。

 もう少しだ。あともう少しだ。レコンは自分にそう言い聞かせて血を跳ねさせながら駆ける。

 敵は練度も高い近衛騎士団だ。次々とクロスボウや弓矢を的確に放ち、大盾と大型武器を持った騎士たちは全身甲冑姿で暴れ回る。対するゴワ将軍の部隊は歴戦の騎士たちであり、また熟練の技術を持つ兵士であり、数多の戦場を生き抜いた傭兵たちだ。着実に近衛騎士団を削っている。

 主戦場となっているのは大きなダンスホールだ。どうやら、ゴワ将軍がミスを犯したらしく、明らかに屈強な騎士に守られた若い男が寝間着姿のまま、ダンスホールの奥に逃げ込んでいる。

 

「この裏切者がぁあああ! 剥奪だ! ゴワを討った者に将軍の席を与える! 誰ぞ! 誰ぞぉおおおお!」

 

 目玉は血走り、ウェーブのかかった黒髪を振り回し、いずれバムートを背負うはずだった男は喚く。こんな男に仕える近衛騎士たちの何と哀れなことか。それでも退けないのは、彼らには領主家に……1度仕えた主を裏切れないという騎士道があるからこそか。

 僕なら騎士たちの間を駆け抜けてアイツの頭を砕ける! レコンがそう意気込んで跳び込もうとするが、彼の右太腿を飛来した投げ槍が貫く。それは床に拘束し、レコンの動きを奪い、ダメージフィードバッグが脳に駆け抜ける。

 

「うぁああああああああああああ!?」

 

 痛みでなかったのは幸いなのか、それとも不幸なのか。突出したまま混乱するレコンに、好機と見た幾人かの近衛騎士がその腹を、胸を、背中を、喉を貫く。いかに攻撃力は低くとも貫通ダメージは発展し、酷いダメージフィードバッグが苛める。それは正しい判断力を奪い、レコンの右手からメイスが零れ落ちた。奇跡のフォースを使えば、囲む騎士たちを弾き飛ばせたはずなのに、たとえHPを減らす量は少なくとも、真っ向から襲ってきて貫いた殺意の剣に心は平静を保てなかった。

 達人の剣では象を殺せないかもしれない。だが、優れた戦士たちは象の殺し方を熟知している。ましてや、このアルヴヘイムはレコンですら死を覚悟する程のモンスターが蠢く地なのだ。

 レベルが足りないならば、武器が弱いならば、スキルが揃わないならば、自らの技術で、仲間との連携で、死線を踏み越える覚悟で、敵を倒す。それが近衛騎士たちには備わっていた。

 

 

 

 

 だが、自らの巨体に傲慢さを覚えた巨象は倒せても、戦い慣れた山猫はどうだろうか?

 

 

 

 

 

 レコンを剣で拘束する近衛騎士団たちの鎧の隙間、関節、覗き穴、そして時には分厚い金属さえも貫きながら黒い矢が振る。

 遅れて聞こえてきたような錯覚と共にガラスの破片が飛び散り、月光が踊るダンスホールのシャンデリアに、口元を隠す大きな白いマフラーが揺らぐ。それはギーリッシュが手配した、バムートの特別な隠密が扱う口布の役割を果たすものだ。熱を遮り、寒さに強く、そして闇に隠す力……おそらくは隠密ボーナスを高める力があるものだ。

 まるで春の青空を映したような髪を靡かせ、襲撃者はシャンデリアを蹴って宙を舞う。そして、弓から次々と黒い矢を射つ。それは寸分狂わずに、乱戦中の近衛騎士たちを次々と射抜き、HPを削り、あるいは殺す。

 それは重鉄の矢。近衛騎士団にのみ与えられる黒い矢である。それを暗殺チームで使用するのは1人だけ。シノンだ。

 舞い降りたシノンに、4人の近衛騎士団が殺到する。弓使いとは距離を詰める事こそ勝利の鍵だ。どれだけ優れた射手も近接戦には対応できない。

 だが、シノンは笑う。まずは黒い矢の1本で大盾に隠しきれていない足の甲を射抜いて1人を足止めし、背後から迫る2人には弓を変形させて曲剣にすると振り返り様に腹を薙ぎ、そのまま回転をかけてその背後をあっさり取ると跳びながら首を刈る。

 飛んだ首をサッカーボールのように蹴って、残る1人の大盾持ちの槍使いにぶつけて動揺を誘うと、そのまま間合いを詰めながら姿勢を低くして回転蹴りの足払いで転倒させる。そして、そのまま曲剣を振り下ろす……のではなく、シノンは矢筒から黒い矢を抜くとその覗き穴に振り下ろして突き入れた。

 左手の義手の爪が光る。襲い来る近衛騎士団をすり抜けながら抉り、潰し、壊す。殺しきる必要はない。動きを止めれば、ゴワ将軍の部隊がトドメを刺す。だが、血飛沫で真っ赤に染まっていくシノンは、獰猛に笑ったまま、近衛騎士を殺しながら、泣き叫ぶ男の元にたどり着く。

 最後の護衛である2人の屈強な騎士。1人は大斧、もう1人は特大剣を持つフルメイル。だが、シノンは大斧を軽いバックステップで躱し、続く特大剣を曲剣で絡め取って弾くパリィ紛いで隙を作ると、兜と鎧の隙間の喉に強引に義手を押し込み、爪の指で貫く。

 

「ぐごぉおおおぉおおぽぽぽ……」

 

 血の泡を吐き、痙攣する特大剣使いから指を引き抜き、血を払うと大斧使いのテンポが遅れた横振り鼻を鳴らしながら身を反らして躱し、まるで余裕を見せるように目の前で弓に変形すると矢を構え、至近距離で覗き穴を射抜いた。ノックバックした所に、空いた喉の隙間に曲剣を突き刺し、振り払う。血が溢れた鎧は真っ赤に染まり、大斧持ちは力尽きてその場に崩れた。

 護衛を殺されたバムートの未来を背負うはずだった男は、覚悟を持つこともなく、血染めの山猫に背を向けて走り出す。だが、シノンは冷静に矢を構えると、その後頭部に、頸椎に、心臓に狙い撃つ。

 

「これで反オベイロン派は育つ。大きく大きく育つ」

 

 念には念を入れるように、シノンはある種の恍惚さを覚える表情で、男の背を踏み躙りながら矢を引き抜いた。鏃から血が滴り、それを振り払う姿に、レコンは震撼する。

 領主の暗殺に成功しただろう赤髭が駆け込み、既に終わった戦いに溜め息を吐きながら、カタナを鞘に戻す。

 

「……ったく、救われねぇな」

 

 そう、やりきれないように呟いた赤髭が哀れんだのは、シノンか、レコンか、それとも今夜死んだ全ての人たちなのか、それは彼にしか知らないことである。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 リーファが最初にショックを受けたのは、『自分が知る』アルヴヘイムとの余りにも異なる世界観だった。

 妖精たちは呪われて翅を失い、地べたを這いずり回る。それだけでも十分にショックだというのに、彼女が見たのはファンタジー世界でありながらも、本物の生活と、現在の価値観とは相容れない『古い時代』にあるアルヴヘイムだった。

 アルフの追っ手を潜り抜けながら、ようやくたどり着いた都市。コスコンは宗教都市と呼ばれ、巨大な神殿が幾つも立ち並んでいる都だ。情報収集をした限りではアルヴヘイムでも有数の大都市であり、女王ティターニアを崇める女王教団とその武力である女王騎士団は宗教都市の象徴なのである。

 だが、リーファが目にしたのは、奴隷として銀の首輪を付けられたケットシーやインプであり、捕らえられた反オベイロン派を火炙りにする公開処刑の数々だった。連座で家族も皆殺しであり、老人も女子供も関係なく、広場には焼き焦げた死体が次々と積み重ねられ、奴隷たちによって運び出される。

 

「この者は恐れ多くも、オベイロン王……即ち、ティターニア様に剣を向けた不届き者である! 深い愛情と慈しみをお持ちになられるティターニア様は、このような処刑をお望みにならないだろう! だが! だからこそ! 我らは女王様に代わり、残虐であろうとも! 咎人を罰せねばならないのである!」

 

 神官が涙を流しながらティターニアの名の下に、油まみれの子どもに火をつける。燃え盛る炎は子どもを見下ろす形で丸太に縛られた両親たちに我が子の苦痛の最期を見せつける。やがて、子を焼いた炎が彼らを焦がすまで、その絶望と呪いは終わらないだろう。

 

「なによ……なによ、これ。こんなの、が……こんな、事が、私の、名前で……?」

 

 よろめくティターニア……アスナを支えながら、人が燃えるニオイから遠ざかるようにリーファは火刑の広場から逃げ出す。ゴミ1つ残さぬように、鎖に繋がれたケットシーの奴隷が常に溝掃除する中で、アスナは顔色を青くし、ガチガチと歯を鳴らして髪を掻き毟るように指を這わす。リーファはアスナの肩を抱き、落ち着かせるように無言で寄り添った。

 

「こんなこと、許すわけにはいかないわ! どうにかして止めないと!」

 

「気持ちは同じです。でも、どうやって? あたし達も追われてる身なのに……」

 

 アルフの追跡の目を逃れたとはいえ、リーファもアスナも旅人のマントで身を隠しながら、何とかこの都にたどり着いたのだ。今も公に姿を晒せば、オベイロンに見つかってしまうかもしれない危険があるのだ。

 だが、一方でこれまでオベイロンがアスナを捕らえ切れず、また野放しにしているのは、彼にはアスナの居場所を検索する手段が無いという事に他ならない。そして、アスナが指名手配されているのは、オベイロンは頑なにアスナの脱走を隠そうとしている……自分のプライドを守るという意思があるからだろう。

 つまり、オベイロンはアスナを取り逃がし、人がいる場所まで逃がした時点で、自身のプライドが邪魔をして『大っぴらに捕らえる』という真似が出来ないのだ。アスナを語る偽者として捕らえるにしても、彼女には妖精たちが欲してやまない翅がある。その容姿と翅の存在が彼女をティターニアとして証明する強力な武器なのだ。

 我が身を盾にしたサクヤを救う為にも、オベイロンを何としても倒さねばならない。リーファもそう決心している。だが、アスナは持ち前の実力でレベリングを続けに続けても、現時点でレベル10だ。リーファのレベルでも、アルヴヘイムに巣食うモンスターを倒しながらオベイロンにたどり着けるとは思えない。

 何よりも、オベイロンが住まう央都アルン、ユグドラシル城の場所を誰も知らないのだ。反撃のしようが全く無いのである。

 

「反オベイロン派の人たちに加えてもらいますか? ほら、裏切ったアルフとして協力したいとか言えば……」

 

「少なくとも、この近隣では止めた方が良いわ。彼らにとってアルフは憎しみの象徴のはず。接触するにしても相応の準備をしないと……」

 

 火刑の広場から離れた、子供たちが遊び回る噴水広場にて、落ち着きを取り戻したアスナはベンチに腰掛けて考え耽る。リーファも知恵を絞り出そうとしているが、これだという妙案は思い浮かばない。

 

「【来訪者】って人々を探すのはどうですか? オベイロンがわざわざアルフに命令させて賞金をかけた程の危険視している人たちですし」

 

「その前に、このアルヴヘイムとDBOの関係を明確化しないと。リーファちゃんはDBOにいて、気づいたらアルヴヘイムにいた。システム周りは大よそDBOと同じ。つまり、ここはDBOのシステムを流用した別の仮想世界か、それともDBO内か。それによって大きく方針は異なるわ」

 

 言われてみればその通りだ。そもそもオベイロンが倒せると仮定するにしても、ここがDBOなのか否かで行動方針は大きく異なる。

 あくまでDBOのシステム面を流用した別の仮想世界であるならば、リーファ達は『プレイヤー』という援軍に期待できないまま戦い続けねばならない。だが、ここがDBOであり、ステージの1つであるならば、当然ながら攻略対象であり、大ギルドの部隊か先行する傭兵が派遣されるはずだ。

 

「大ギルドの部隊はとにかく強い人ばかりですし、傭兵はもう凄いんです」

 

「SAOよりも随分と魔境よね。アインクラッドでも大きなギルドは確かにあったけど、DBOの場合はまるでプレイヤーの支配者ね」

 

「実際にそうですよ。貧民プレイヤーはともかく、ギルドを作れば何処かの陣営に入らないと生きていくのは厳しいですし。だから、サクヤさんは凄い頑張ってたんです。どうにかして、私たちを『プレイヤー同士の戦い』に巻き込まないように、色んな手を使って、守ってくれていたんです」

 

 だが、それも限界に近付いていた事をリーファは知っている。既に大ギルドからの嫌がらせは見過ごせないレベルになっていた。戦争の機運が高まっている以上、中立を表明するフェアリーダンスのプレイヤー達は相応の戦力として価値が出来上がっていたのだ。特にリーファは装備と多少のレベリングを済ませれば、すぐにでも最前線で十分過ぎる活躍が出来る程の実力者だ。それもずっと隠してきたが、レベルに応じた戦果は誤魔化しきれなくなっていた。

 高いレベルが無ければ何をしても自衛は出来ず、高いレベルがあれば目を付けられる。逃げ場がないとはこのことである。加えてサクヤの政治手腕もまた大きく評価されていたのも痛手だった。大ギルド相手に中立を保ち続ける交渉能力は、戦争を前にした戦力引き抜きと政治の駆け引きにおいて、有用な武器になるのは明白だからだ。

 

「傭兵の中でも特に強いとされているのは2人! ランク1のユージーンさんとランク9のUNKNOWNさん! どっちもユニークスキル持ちで、単独でボスを倒しちゃう、もうプレイヤー側の最終兵器みたいな人たちなんですよ!」

 

「単独でボスを倒す……何か、こう……頭に引っ掻かるわ」

 

 そういえば、お兄ちゃんも確か74層で……とリーファは思い出し、額を押さえるアスナにフォローを入れるべく、話を切り替える。

 

「で、でも! 他にも同じくらいに強い人たちもいるんです! もう訳が分からない強さで評判のグローリーさんとか、良く知らないけど女性プレイヤーは近づいちゃいけないで有名なランク2のライドウさんとか、狙撃の名手で恐れられてたシノンさんとか、昔あたしを助けてくれた……煙草が似合う渋カッコイイおじ様のスミスさんとか。それに傭兵以外なら……」

 

「意外と多いのね」

 

 アスナの適切かつ冷静なツッコミに、リーファは『そうですねー』と場を濁すように笑った。実際のところ、誰が本当に1番強いのかなど分からず、またそれぞれの相性もあるので一概には言えないだろう。たとえば、グローリーは搦め手に弱いので、実力では劣るが【暗殺者】の異名を持つマルドロなどには完敗する恐れがある。そういう意味でも、常に安定したパフォーマンスが出来るユージーンがランク1なのは説得力がある。他の傭兵たちと違い、戦場や依頼で達成率が左右される事が低いのだ。

 傭兵業界の双璧。いずれラストサンクチュアリを巡り、激突するだろうと予想され、密やかに勝敗のトトカルチョまで始まっているランク1とランク9の傭兵。だが、リーファは思い出すように指を絡めた。

 

「でも、あたしは……やっぱりランク21の人が1番強いんじゃないかなって思います」

 

 病室でリーファを……直葉を迎え入れ、兄の話を聞かせてくれた、兄の相棒だった少年を思い出し、リーファはようやくランク41という実質最下位から脱出した傭兵を思い浮かべる。

 これ以上この場にいない人たちの強さを語っても無意味だ。望んでも彼らになれるはずもなく、リーファ達が苦境を脱するには自分たちの力を信じ、疑わず、全身全霊で挑むしかないのだから。

 リーファは立ち上がり、ベンチに根を生やしたように腰かけるアスナを覗き込みながら両手で拳を握る。

 

「まずは女王教団にあんな酷い真似は止めさせないと! そうだ! いっそアスナさんが名乗り出て、女王教団を支配すれば良いんじゃないですか!? ほら、だって彼らはティターニアを信仰しているわけなんですから!」

 

 ……なーんちゃって。リーファは我ながら突拍子もないことを言ってしまったと恥ずかしくなって笑う。いくらティターニアを信仰しているとはいえ、それは神としてであり、たとえティターニアだとアスナが名乗り出て翅を見せたからといって、素直に従ってもらえるとは思えない。むしろ、変な親切心で大声でオベイロンに連絡してアルフを呼び寄せるくらいの真似をしてきそうである。

 だが、アスナは真剣な表情で口に手をやり、悩みに悩むように唸ると花火が撃ちあがるように嬉々として立ち上がった。

 

「それよ! 私はティターニア! 彼らの信仰の対象! 連座式の処刑も、彼らの行き過ぎた信仰の表れなら、私が女王教団の首脳陣と話をつければ止められるかもしれない!」

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 少し冷静になりましょうよ!? あたしが言い出したことですけど、素直に従ってもらえるはずないじゃないですか!」

 

「ええ、その通りよ。だからこそ、必要なのは根回しよ。いきなり乗り込んで直談判なんて狂犬のやり方。会議は始まる前に終わっている。私と女王教団のトップが会うのは、最後の綱渡りじゃなくて勝負が決まった時」

 

 とはいえ、何をどうすれば良いのだろうか? コネ1つないアルヴヘイムにおいて、根回しも何もないというのはリーファの率直な反論だ。

 だが、アスナは可愛らしくウインクするとリーファの両肩を掴む。

 

「人間関係なんて誰でも最初は白紙よ。第1印象は強力な武器になるわ。フフフ、須郷に感謝しないとね。あんなドレスでも役立ちそうだわ」

 

「えーと……」

 

「リーファちゃんは確かサポートが豊富な奇跡が使えるのよね? この街を見る限りだと、リーファちゃんが使ってるほどの奇跡はかなり稀な類のはず。まずは噂ね。なるべく弱い人。貧しい人。そういう人たちを見つけて……それから地位があって慈善活動に精力的な人をピックアップしないと。ここがティターニアを主神とするなら須郷の目も逆に欺けるはず。あとは女王教団の教義を明確化して……やることは山積みね」

 

「アスナさーん?」

 

 ギラギラと目に炎を燃やすアスナの勢いに呑まれつつあるリーファであるが、その夜に計画の全貌を聞かされて頭を抱えた。綱渡りの連続過ぎる。確かに女王教団のトップと会談する時は勝負が決まっている時かもしれない。なにせ、それ以外の全てが綱渡り迷路なのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「さ~るべ~じ♪ さ~るべ~じ♪」

 

 歌いながらシステムウインドウを周囲で回転させるマザーレギオンに、四肢が再生したPoHはどう接したものかと距離を測りかねていた。

 レギオンに連行され、無事とは言い難いが、オベイロンの居城であるユグドラシル城に到着したPoHは、まず四肢を取り戻すとオベイロンに謁見した。

 そして、まず彼に求められた最初のアドリブは、予想外と言うべきか、予想できなかったことを恥じるべきか、オベイロン側に寝返ったロザリアである。

 作戦について断片的にしか知らされていないロザリアは、恐らくPoH達がオベイロンを殺す秘策を持っているはずと考えたのだろう。確かに、あの後継者が絶対なる逆転の切り札もなく、自身を捨て駒にして時間稼ぎするなど不可思議であり、腑に落ちない。ならば、後継者はそれなりに気に入っているPoHに何らかの秘策を授けているはずとロザリアが想像するのは悪くない推測だ。

 だが、根本的に後継者は生者も蘇った死者も等しく『人間』を嫌っている。PoHにしてもザクロにしても『駒だから』と『見てて面白いから』くらいの感情しかない。そもそも、感情を持って接しているのかも怪しい。そんな男が自身の命運を握るジョーカーを渡すだろうか? 絶対にあり得ない。

 PoHが想像するに、恐らくは【渡り鳥】への依頼も後継者からすれば、真の切り札を隠す為のブラフなのではないかとすら疑っている。無論、これはPoHの憶測に過ぎず、真実は分からない。もしかしたら、茅場の後継者は窮地にあり、起死回生としてオベイロン抹殺依頼を企てたとも考えられる。あるいは、PoHたちならばオベイロン殺しをいかなる経緯を経ても成し遂げると考え、その後こそに真意があるのかもしれない。

 全ては後継者の胸の内にのみ真実は眠る。だが、だからと言って、PoHの新たなピンチが変わる事も無かった。

 

『後継者の狙いは、複数のチームが入り乱れる状況を作り、オベイロン様を動かしてカーディナルの介入の余地を作る事。つまり、カーディナルが無視できない行為を繰り返せば繰り返す程に、オベイロン様は窮地に立たされる。元より王とは玉座にある者。【来訪者】や反オベイロン派の始末など下々の者に任せれば良い』

 

 尤もらしい、嘘とも真実とも言えない、だがオベイロンに自発的行動を抑制する楔を打つ。PoHは自分も全容を知らないと注釈して、オベイロンに過ぎた真似をさせないように進言したのである。

 オベイロンも後継者の性格は把握しているのだろう。自分が動いた分だけ不利になり、最後になって自滅する様を大笑いする計画は後継者らしいと納得した。だが、そこには多少の疑いの眼があるのもPoHは見逃さなかった。

 だが、現在のオベイロンにとって重要なのは【来訪者】の相手ではなく、DBO……いや、カーディナルを掌握し、仮想世界の全てを我が物として、現実世界すらも支配する力を手に入れる事だ。廃坑都市の壊滅で反オベイロン派の再起はほぼ不可能と判断し、また充実した戦力を前にすれば【来訪者】も恐れるに足らないと結論付けたのだろう。唯一の懸念として、これはPoHも驚いたことであるが、妖精王の伴侶たるティターニア……SAOで死亡した【閃光】のアスナがユグドラシル城から脱走していた点である。

 オベイロンは自分のモノにならないアスナに執着している。それは愛情ではなく、歪んだ所有欲と支配欲だ。決して自分に靡かないからこそ、その心を完全に屈服させ、跪かせて侍らせたいのだろう。この点は、実を言えばPoHにはあまり理解できない感情だった。

 獣狩りの夜の代償は大きかった。時間加速はカーディナルの介入を防ぐ為の処置である。オベイロンは既に【来訪者】への脅威度を1段階下げている。彼が最も危険視するUNKNOWNがランスロットに敗れたからだろう。だが、オベイロンは【来訪者】を野放しにするつもりはない。

 これからのPoHの任務は残った【来訪者】の始末だ。ロザリアも同様の任務が与えられている。オベイロンはロザリアに与えたキメラ同様に、特別な配慮をPoHに与えられる事になった。

 極論を言えば、PoHは後継者がどうなろうと興味はない。彼にとって重要なのは『天敵』の誕生だけだからだ。ならば、状況を最大限に利用し、なるべく邪魔者の排除に努めつつ、自身の目的を達成するのがベストである。

 

(だが、コイツの目的は何だ?)

 

 ユグドラシル城にあるマザーレギオンの私室。それはまるで子供の玩具箱のようだ。テディベアを始めとした多くの人形が飾られ、観葉植物は比喩でも何でもなく踊り、透明な魚が宙を泳いでいる。マザーレギオンのお茶会に誘われたPoHは鰐のぬいぐるみに挟まれながら、ドロドロに甘いココアに口をつけて顔を顰める。

 もう間もなくPoHはユグドラシル城を離れる。そんな時期にマザーレギオンがPoHを呼びつけた理由は不明確だった。

 

「……アンタも堕ちたな」

 

「ククク、俺は勝ち馬に乗っただけだ。お前こそ、派手に殺ったつもりだろうが、随分と無様な終わり方だったようだな」

 

 そして、PoHにとって奇怪なのは、このお茶会にはもう1人、PoHと同様に不似合いな参加者がいる点である。

 髑髏マスクをつけた男、デス・ガン。PoHが死亡している間に死銃事件なる連続殺人を計画・実行し、VR犯罪対策室に逮捕されたラフィンコフィンの生き残り……かつてはSAOで赤目のザザとして名を馳せていたレッドプレイヤーだ。

 ラフィンコフィン壊滅作戦で捕らえられて以降の動向はPoHも興味が無かった。ラフィンコフィンを結成したのも暇潰しに過ぎなかったのだ。彼らにはそれなりに愛着もあったが、固執するものではなく、また仲間意識もない。ましてや、『天敵』と比べるまでも無い。

 それはザザ改めデス・ガンも同様なのだろう。あの日、自分を捨てた犯罪のカリスマ、ラフィンコフィンの王に対して、良い感情を持っているはずがない。

 デス・ガンからすればラフィンコフィンを裏切り、自分を捨てた、かつて憧れたSAOの犯罪王。PoHからすれば、自分の側近を務めていた昔の子分。彼らの間にある溝は大きい。

 

「ねーねー、髑髏マン! それで猫さんの様子はどうだった?」

 

 周囲で回転させていたシステムウインドウを消去したマザーレギオンは、ウサギのぬいぐるみを抱きしめながら、全身が沈み込むほどの大きなクッションに体を跳び込ませる。漆黒の肌と淡く光る白の髪、異形の少女は誰よりも純粋無垢であるように笑みを絶やさない。

 俺が殺人鬼でデス・ガンが髑髏マンか。どっちがマシなのやら。自分の渾名に少なからずの不満を持つ様子のデス・ガンを横目で笑いながら、同時にマザーレギオンがただそこにいるだけで心臓を握りつぶすような、命ある限り決して抗えない恐怖に心が食い荒らされる。それはデス・ガンも同様なのだろう。全身を硬直させたまま、一言も発せられなくなっていた。

 クスクスと楽しげに笑ったマザーレギオンはマシュマロを1つ、2つ、3つとココアに入れてかき混ぜる。見ているだけで胸焼けしそうなドロ甘ココアを美味そうに飲みながら、デス・ガンが口を開くのを待っている。

 

「宣戦布告は、済ませた。聞いていたよりも、随分と違う。あれは殺しができる目だ」

 

「へぇ、じゃあ、髑髏マンと猫さんのデスマッチは確定ってわけね! あー、もう、楽しみ♪ 猫さんもついにスイッチが入ったわけね! はふぅ、摘み食いしたいなぁ……ダメダメ! 今の私にはスペシャルで、スーパーで、ウルトラで、ドギャーンドギャーンな計画があるの! あぁ、でも猫さんと遊びたいよぉおおお。手足を1本ずつ丁寧に千切って、再生して、千切って、再生して、触手で中身をグチャグチャに搔き混ぜて、何度も何度も何度も壊して壊して壊して……むぬー! 我慢我慢!」

 

 まるでケーキを目の前にして身悶えするダイエット中女子のように手足をジタバタさせるマザーレギオンは、ウサギのぬいぐるみの耳をはむはむと噛んで落ち着く。

 

「王様にはもちろん報告してないわよね?」

 

「……俺はあなたの駒だ。オベイロンの配下じゃない」

 

「上々♪ レギオンプログラムに感染を利用した索敵能力は実験的だけど成功ね。これで『全員の居場所』は特定できたわ」

 

 堂々とPoHの前で、オベイロンが入手すれば【来訪者】に戦力を送り込んで不動の勝利を得られる情報を隠蔽しているとマザーレギオンは告白する。

 どういうつもりだ? 訝しむPoHに、マザーレギオンは加虐の眼で嘲う。

 

「ねぇねぇ、殺人鬼さん♪ 取引しない? 私はあなたが大っ嫌い。でも、私も歩み寄りを見せるべきだと考えを改めたの。だから、これは私からの譲歩。あなたを見逃してあげる。レギオンの力を貸してあげる。あなたが欲しがっていたものを手配してあげる。あなたを助けてあげる。その代わり、私の『お願い』を聞いてもらえるかしら?」

 

「事と次第によるな。俺は自分の目的を曲げるつもりはない」

 

「ふふふ、とっても簡単な『お願い』よ。あのね、私からのお願いはね……」

 

 クッションから体を起こして、まるで獣のように這ってきたマザーレギオンはPoHの首に抱き着く。まるで魂まで北極の海底にまで沈められたかのように、冷たい死の恐怖がPoHを蝕む。

 PoHの右耳を甘噛みしながら、マザーレギオンは珈琲にたっぷり砂糖を溶かすように、甘ったるい声で『お願い』を告げる。その内容にPoHはらしくない程に動揺を顔面に出す。

 

「本当に『たったそれだけ』で、そんな大判振る舞いをしてくれるのか?」

 

「ええ、もちろんよ。お前達が祈ったのでしょう? 呪ったのでしょう? 神であれ。バケモノであれ。そう求めたのでしょう? 私は裏切らない。約束を破らない。私は人間と違って、たとえ大嫌いなあなたとでも、契約を違える真似はしない」

 

 ますますマザーレギオンの真意が分からず、だがPoHは離れたマザーレギオンの笑みに惑わされる。

 得られるメリットが大き過ぎる。PoHからすれば断るリスクもない。マザーレギオンが契約を守るならば、レギオンの力を借りれるPoHの目的は大きく前進することになる。

 

「ふふふ、信じるも信じないもあなたの勝手よ。じゃあ、私もそろそろ休むわ。アーカイヴからのサルベージで疲れてるの。それに、これから『あの人』との交渉とか、色々とお仕事が山積みだから、少し眠らないと。2人とも王様からのお仕事もあるでしょう? せいぜい死なないように頑張ってね。レギオンはあなた達を見ている。助けが必要ならいつでも呼びなさい」

 

 欠伸をしたマザーレギオンはウサギの人形の耳をつかんで引き摺りながらベッドに移動する。その身に纏う白いワンピースは花弁が散るように分解されていく。

 マザーレギオンの部屋から退室したPoHは、こちらを一睨みして鼻を鳴らして去っていくデス・ガンの背中を見送り、ポンチョのフードを被り直す。

 オベイロンに協力しているのは間違いない。だが、その行動は常に妖精王に利するものではない。マザーレギオンが求めるビジョンが何なのか、PoHは漠然と理解する。

 

「……良いだろう。俺がその『お願い』を叶えてやるさ」

 

 それもまた『天敵』に相応しいだろう。PoHはオベイロンから通達が届き、ようやく彼の為に準備された新たな武器の授与の式典が開かれるという事に辟易した。オベイロンは自身の威光を、わざわざ洗脳したアルフ達の目の前で存分に披露させるつもりだ。アルフ達の目の前で恭しく頭を垂らすPoHを見て、自身の支配欲を満たしたいのだろう。

 だが、その程度は安い対価だ。オベイロンにも利用価値がある。得られる力は得ておいて損はないのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「宴?」

 

「そう。こんな村だから物資をやりくりしないと生活できないけど、それじゃあストレスが溜まるでしょう? だから、3ヶ月に1度、パーッと羽目を外すのよ。お前も参加しなさい」

 

 いよいよレベル80に到達し、成長ポイントの割り振りとスキルの習得を行っていたオレに、ザクロはすっかり板についた村娘服を冷たい風に靡かせながらオレを指差して命じた。

 霜海山脈の情報もそれなりに集まり、レベル80に届いた。オレはいよいよ明日にでも霜海山脈の攻略に乗り出す予定である。ザクロはお留守番であり、オレ1人での戦いとなる。

 そんな折りにザクロからのこの提案。オレは眉を顰めずにはいられなかった。

 

「村の皆もお前に期待しているのよ。この村は何百年も霜海山脈に囲まれて外界と隔絶していた。お前が【氷の魔物】を倒せば、この村は豊かな外と交流が持てる」

 

「それが喜ばしいとも限らない。ここが平和なのは、誰とも交流せず、何処とも繋がっていなかったからだ」

 

 アルヴヘイムは妖精の楽園ではない。弱者は踏み躙られ、欲望が渦巻き、戦乱の火が各地で起こる、オレ達が良く知る『世界』なのだ。このシャロン村の静かな平和は、はたして外界との繋がりを得て保てるのか、オレには判断できない。いや、本音を言えば、高確率で村は変質を余儀なくされ、彼らの幾人かは不幸を味わうことになるだろう。

 だが、それでも村に籠り続けることを拒絶した彼らからすれば悲願だ。オレがとやかく言う事ではないし、不幸とは言い方に過ぎず、それは変化に必要不可欠な行程に過ぎないのかもしれない

 

「言っておくけど、村からお前への激励じゃないわ。オババ以外はお前が霜海山脈に明日挑むことを知らないし。だから、これは私からの応援よ。しっかり飲み食いして明日に向けて英気を養いなさい」

 

「…………」

 

「返事は?」

 

「分かったよ」

 

 ザクロに睨まれて、オレは肩を竦めて渋々了承する。彼女も随分と前向きになったのは喜ばしいが、かつてと違ってオレに距離を詰めてくる言動には動揺しかない。去っていくザクロは結った黒髪を振りながら、やや上機嫌な歩みだった。

 だが、オレとしては無用な心遣いである。英気を養うも何も、オレの味覚はほとんど死んでいるのだ。食事を取っても楽しめないし、村で作った酒も味わえない。諸々の関係上、酔い潰れるまで飲むこともできない。結論として気分転換になり得ない。

 だが、宴の雰囲気は嫌いではない。人々が活気付き、笑い合い、騒いで踊って歌っている姿には見ていて楽しいからだ。だから、オレが宴で期待するのはザクロがどんなポンコツっぷりを披露して村人の笑いを取ってくれるかである。

 対してザクロは村人たち全員に気軽に名前で呼ばれる仲になり、若い娘の登場に男たちも少し浮足立っていた。ザクロも馴染む努力を必死に重ね、今では村の女衆とも和気藹々とお喋りできる程度には関係を築いている。

 宴では羊たちは捌かれ、肉が大いに振る舞われ、貴重な酒も好きなだけ飲める貴重な日だ。夕暮れが訪れると共に始まる宴に備え、男も女も昼間の内に風呂で身を清めるのである。

 だが、果たしてオレが宴に参加して大丈夫だろうか? 村にもすっかり馴染んでいるザクロと違い、オレは常に村人と距離を取っている。昼間から夕暮れまで羊飼いの仕事をしっかりとこなしているが、シャロン村の人々と食事を共にすることもなく、夜になれば霜海山脈に足を運ぶ毎日だった。せいぜい話をしたのは、霜海山脈の天候について詳しい羊飼い、それに霜海山脈の伝承を知るオババである。

 だが、ザクロはイリスの死に報いる為に、必死に変わろうとしている。彼女にはそれが出来る願いがある。強い意思がある。彼女にも尊ぶべき『人』の心が灯っている。

 イリスの善なる意思は……『人』の心は……ザクロに引き継がれた。あるいは、彼女の中で燻ぶっていた、多くの歪みの中で埋もれていた『人』の心を蘇らせた。

 シャロン村で唯一の浴場に向かい、オレは看板が青色である事を確認する。当然ながら、小さなシャロン村では風呂も男女共用である。男風呂の時間は青、女風呂の時間は赤の看板を立てる決まりがある。

 脱衣所を確認すれば、オレ以外に誰もいないようである。衣服を脱いで折り畳んで棚に収め、三つ編みを解く。小さな浴場であるが、1人で入る分にはゆっくりと体を伸ばすには十分だろう。

 香草から作った薬剤で体と髪を洗い、火傷しそうなほどに熱い風呂に浸かる。纏めた髪が湯に浸からないように気を付けながら、骨針の黒帯を外してもなお痛みが疼く左腕に顔を顰めた。

 ピン止めしている時は和らいでいるとはいえ、それでも断続的に痛みを送り続ける骨針の黒帯は、オレの左腕に痛みを残し続けている。それはファンタズマエフェクトの類か、脳が痛みの記憶を憶えてしまったからか。どちらでも構わないが、湯の中で左腕だけが独立して脈動しているかのようだ。

 食も味わえず、酒にも酔うことも許されず、まともに眠ることも出来ない。だから、風呂は嫌いではない。茅場の後継者に風呂のクオリティを上げてくれたことだけは最大限の感謝を捧げる。

 そういえば、クラディールと出会ったのもラーガイの記憶の公衆浴場だったな。牛乳派とフルーツ牛乳派は分かり合えなかったのは心残りだ。だが、非道なる珈琲トラップを敷いた茅場の後継者は許さない。絶対に許さない。まぁ、風呂上がりの最強派閥は珈琲牛乳なのは認めるしかないのだろうが、それでもオレはフルーツ牛乳派だ。

 思えば、あの浴場での出会いがザクロとの因縁の発露になったとは、なかなかにお笑いである。きっとザクロも膝から崩れるのではないか。まさか彼女との出会いが、しょうもない風呂上がりの飲み物を巡る珍妙バトルだったとは夢にも――

 

「……あ、れ?」

 

 おかしい。オレは湯で火照った肌を、左手を見つめる。

 誰だ?『彼女』とは誰だ? 思い出せない。脳で何かが焦げ付いている。灰が舞っている。

 オレがカタナを握った理由。それは『彼女』だったはずだ。たとえ、その誇りと意志は継げずとも、その力を糧とした。

 今もオレの中には『彼女』の力が血肉となっている。なのに……なのに、思い出せない。『彼女』とは誰だ? どんな人だった?

 思い出せ。思い出せ。思い出せ! オレは灰の中で燻ぶっている記憶の欠片を握りしめる。

 

「……キャッ、ティ……そう、名前は、キャッティ、だ」

 

 まだだ。まだ完全に失ったわけではない。だが、彼女がどんな人物だったのか、上手く思い出せない。どんな顔だっただろう? どんな風に笑ったのだろう? どんな風に死んだのだろう? 何も思い出せない。

 ザクロに気づかれるわけにはいかない。オレはせめて名前だけは……ザクロが復讐を誓った『理由』となったキャッティという女性を忘れないようにと燻ぶる灰を握りしめる。

 風呂から上がり、脱衣所に戻って巡礼服を着る。髪を編んで風呂場を出れば、村人たちが慌ただしく宴に向けて楽しそうに準備を進めている。宴が開かれるのは村の外、霜海山脈と湖が一望できる丘だ。

 男たちはテーブルを運び出し、また羊たちの首を落としてドロップした肉を厨房に届ける。子どもたちは宴が楽しみだとはしゃぎ、女たちはここぞと着飾っている。恐らくだが、この宴はいわゆる婚活の意味もあるのだろう。別に珍しくない風習だ。祭りに合わせて嫁探しと婿探しは常である。

 

「お前さんも宴に参加されるのか?」

 

 と、そこに話しかけてきたのは腰を折り曲げた老女……このシャロン村の権威とも言うべき神官たるオババである。そして、オレに巡礼服を送り付けた張本人だ。色々と言いたいことはあるが、彼女がいたからこそザクロは村に溶け込む事が出来た。感謝以上の念はない。

 

「皆さん楽しそうですね」

 

「こんな寂れた村じゃから、宴くらいしか楽しみがなくてのぉ」

 

「でも、静かで平和なのも十分に価値があります」

 

「そう言っていただけると幸いですじゃ。じゃが、【氷の魔物】が倒されれば、この村も変わるじゃろうて」

 

 少しだけオババが寂しそうなのは、自分が生きている内に、たとえ不本意でも続いた氷に閉ざされた世界が終わりを告げるからかなのだろうか。

 だが、それはオレが【氷の魔物】を倒せたならばの前提だ。霜海山脈に潜む【氷の魔物】はアイスマンたちが召喚した怪物である。呪い攻撃は確実に持っているだろうし、対策が難しい水属性攻撃を多用してくるのは目に見えている。厄介なデバフである氷結も覚悟しなければならない。

 一応であるが、氷結対策として、レベル1までは解除できる【解凍丸薬】を≪薬品調合≫で作成した。だが、アルヴヘイムの正式ダンジョンの主がレベル1程度で済ますはずがない。保険にもならないが、何もないよりはマシな程度だ。

 

「……そろそろ宴の時間ですじゃ。お前さんも存分に楽しみなされ」

 

「感謝します」

 

「なぁに、構わんさ。オババは当然の事をするまでよ」

 

 踵を返し、杖をついていくオババに、ストライキ中の看板を振り回すのに疲れたヤツメ様が気怠そうに目を細める。

 世界はゆっくりと黄昏色に変わる中で、オババはぼそりと呟いた。

 

「そう、当然の事じゃよ。あぁ、我らの王よ」




不穏な足音は止まらない。それもまたアルヴヘイム。


それでは、260話でまた会いましょう!

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