SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
廃坑都市壊滅。ランスロットがエントリー。マザーレギオンも緊急参戦。


なお、文字数は順調に増加を続けている模様。


Episode18-20 流血の月夜

 チューリップに似た花の蕾を模った照明が天井より吊るされ、金毛の絨毯が敷かれた豪奢な客室。天蓋付きのベッドには珈琲の染みでもつければ数百万の賠償額が飛び出しそうな細やかな刺繍が施されたシーツ、壁にはルーブル美術館にあるべきモナリザ、日本の浮世絵、そして世界で最も有名な宗教画の1つである最後の晩餐が飾られている。室内付けの噴水には現代アートの模範のような常人では意を解せぬ針金の像が設置され、エメラルドグリーンのタイルが敷き詰められた、銀の蓮が浮かぶ水面を覗き込めば錦鯉が優雅に泳いでいる。

 王族貴族あるいは富と名声を極めた者のみが住まう事を許されるような空間にて、ロザリアは絨毯の上で寝転がるキメラを視界に映しながら右往左往していた。

 ロザリアの顔にあるのは、ハッキリとした焦燥である。奥歯を噛み締めて、派手なルージュの口紅が施された唇は震え、落ち着きなく歩き回る足は絨毯が無ければハイヒールブーツによって甲高い独奏を鳴らしていただろう。

 

(まずい。まずいまずいまずい……本当にまずいわ! このままオベイロンの優勢を続けさせるわけにはいかないのに!)

 

 計画が狂った。ロザリアは、この場面に来て、時期尚早と思えるオベイロンの極度の攻勢と状況を鑑みて、早急に方針を決め、アクションを起こさねばならないと自覚していた。

 当初のロザリアの計画では、オベイロン撃破は誘導したシリカをパイプに、反オベイロン派と組ませて組織的にアルヴヘイムを攻略する方針だった。【来訪者】10人は例外こそいるが、いずれも腕の立つ者ばかりであり、結束さえすればアルヴヘイムに立ちはだかる数多の強敵やネームドも撃破可能だと踏んでいた。特に【聖域の英雄】が反オベイロン派のバックアップを受け、【来訪者】と手を組み、十全の準備を整えれば、アルヴヘイム最強のネームドたるランスロットも倒すことは可能だろうとロザリアは睨んでいる。そして、彼らに表舞台に立ってもらってオベイロンの意識を集中させたところで、自分の手引きでPoHたちが更なる混乱をオベイロン陣営にもたらし、予定調和に後継者を救出する。これがロザリアの思い描いていた『点数稼ぎ』の全貌だ。最後まで自分は矢面に立たず、だが『有能』であると後継者にアピールする為には、裏方で勝利に重要なピースを組んでいたという結果が何よりも必要とされていた。

 その為に、わざわざ危険を承知でシリカに廃坑都市への行き方や諸々の情報を渡し、PoHの発案に乗って【渡り鳥】含む後継者チームも集めたのだ。残る4人の【来訪者】は予定外の人物ばかりだったが、それは随時修正を入れられる範疇だと踏んでいた。

 だが、オベイロンはティターニアの脱走を契機に、積極的な攻めに回った。よもや、マザーレギオンにリスクを承知で獣狩りの夜の発動を求め、なおかつ廃坑都市をあらん限りの戦力で潰そうとするだけではなく、ランスロットまで派遣するなど、戦力過多にも程がある。

 この時点で廃坑都市にいる【来訪者】と反オベイロン派の壊滅は確定したようなものだ。仮に生き残ったとしても、【来訪者】は反オベイロン派に期待することもできず、途方に暮れるしかなく、また反オベイロン派も最大拠点と最大組織を両方失って沈黙するだろう。

 獣狩りの夜の影響を受ける間は、赤い月の影響を受けないように、アルフ達はユグドラシル城にて待機を命じられている。だが、いつでも命令1つで廃坑都市を包囲殲滅する完全武装状態だ。ロザリアもアルフ達と同様に待機命令が与えられ、こうして自室にて思案する以外にない。

 

(どうするべきかしら? これはもう決着がついたとみるべきよね)

 

 ロザリアが今回の計画で前提としていた条件は2つ、【聖域の英雄】という単身でボスを倒したトッププレイヤー、オベイロン打倒の為に物資と戦力を集積していた反オベイロン派筆頭の暁の翅だ。この2つの要素が完全な状態で手を組ませる事に鍵があった。

 そして【来訪者】に同じく単身でボス撃破を成し遂げたユージーンもいるとなれば、彼らを組ませれば、ほぼアルヴヘイムの攻略は間違いない。後はこの2人と同じく単身ボス撃破の経歴を持つ【渡り鳥】とPoHが攪乱に回れば、ほぼ間違いなくオベイロン撃破は成功していた。

 だが、既に前提条件の1つである暁の翅は壊滅した。まだ賽は目を出し切っておらず、椀の中で転がっているが、どう頑張っても暁の翅の壊滅は間違いない。

 

(勝機があるとするならば、ランスロットをここで倒す事ね。ランスロットは【二刀流のスプリガン】と【ケットシーの希望】に強い興味を持っていたわ。ならば積極的に狙いにいくはず。ここで倒しきれば――)

 

 しかし、ここで立ちはだかるのは、常々語っていた後継者の自信だ。クリスマスダンジョンなど『挨拶』に過ぎないと言わんばかりの、アルヴヘイムどころかDBOでも異常な存在……『イレギュラー』と呼んでも差し控えのない戦闘能力を持つランスロットだ。

 いかにランスロットと言えども人型。総HP、防御力、衝撃、スタン耐性に関しては軒並みに非人型ボスには劣る。攻撃力に関してもそこまで爆発的に高いわけではないだろう。だが、DBOの常がそうであるように、人型という時点である種の『地雷』なのだ。少数で挑むなど無謀。

 ここがロザリアにとっての分岐点だ。まだオベイロンにはロザリアがスパイであることはバレていない。ならば、このままオベイロン陣営についてしまうのも手段の1つだ。だが、それは後継者が救出された際に、彼女には死よりも恐ろしいものが待っている。そして、このままスパイを続けて後継者に利する動きを続けることは、救出された際に後継者からの『信頼』を勝ち取れるだろう。だが、この時点で既に後継者陣営の勝率は大きく引き下がっている。

 廃坑都市が壊滅すれば、暁の翅が潰れてしまえば、もう情報面での優勢を取るのはほぼ不可能だ。そんな状態でこのユグドラシル城まで辿り着き、なおかつオベイロンの首を獲るなど夢のまた夢であり、あまりにも現実を直視していない賭けだ。

 やるからには徹底的にどちらかに尻尾を振るべきだ。この豪奢な部屋の通り、オベイロン側についてもロザリアには不満のない待遇が与えられ、なおかつ仮想世界と現実世界の両方を支配するという目論見もまた戯言ではないだろう。

 対して後継者は、良く言おうにも、悪く言おうにも、余りにも『子ども』なのだ。気分屋であり、融通が利かず、なおかつ何を考えているのかまるで分からない。ロザリアからすれば、余りにも仕えるのに苦労する相手だ。

 オベイロンは悪い意味で『大人』だ。打算的であり、保身に長け、欲望の捌け口を常に求めている。今も彼によって玩具にされた彼女……ティターニアの脱走に助力したサクヤという人物は、示唆した身で思うのもなんであるが、女性として少しくらいは同情、そしてそれ以上に同じ立場に置かれたくないという恐怖、何よりも見下す側にいるという優越感を覚える程に『玩具』にされてしまっている。

 

(今なら後継者様を裏切ってもリスクは低い。いいえ、むしろ『お土産』をたっぷり準備すれば、オベイロン陣営でも今後は良いポジションにつけそうね)

 

 秤に損得をかけて、ロザリアは腕を組み、決断する。

 文字通り、この第2の人生を無駄にしない為に、より豊かな『未来』の為に、ロザリアはこの判断に間違いなど無いと自身に言い聞かせて部屋の外へと踏み出した。

 

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 DBOにおいて、ショットガンの利点は広範囲に拡散する銃弾と近接時における火力の高さである。

 距離に応じて拡散していく銃弾は着実に相手のHPを削り取り、下手に間合いに入り込もうとする者には手痛い一撃をお見舞いすることができる。それはステータスボーナスが乗らない≪銃器≫において、破格の攻撃力と対応力を与えるジャンルと言えるだろう。

 故にサブで≪銃器≫を獲得する者は、片手で使用できる『軽』ショットガンを装備する者が多い。いざという時において、牽制として1射で範囲攻撃ができる魅力とここぞという近接戦時における火力の上乗せが期待できるからだ。

 だが、軽ショットガンは片手撃ちを前提している、低STRでも使用できる分だけ、ショットガンの魅力の1つである近接での大ダメージは薄れる。また、ショットガン自体がマシンガンと同様に距離減衰が著しく、距離が離れれば離れる程に牽制以上の意味合いを失っていく。故にショットガンは武器枠を2つ消費するというデメリットを考慮すれば、たとえ『軽』でもハンドガンのようにサブウェポンとして仕込むには些か以上にハードルが高いと言えるだろう。

 このショットガンの命題を解決した鍛冶屋が1人いる。神灰教会お抱えの鍛冶屋にして教会の工房の開発主任でもあるイドだ。象徴的な武器の作成において右に出る者がいないとされる彼は、教会剣の更なる発展の為に、最高戦力のエドガーに試作したショットガンを使用させてデータを蓄積させた後に、1つの結論を出した。

 即ち『ショットガンは用途に応じて2つに切り分けるべきだ』と。下手に全ての性能を調子良く高めようとしても、他のジャンルと違って皺寄せは致命的な武器としての不完全性を生むと提唱した。

 まずは『牽制』。1発で消費する弾丸数を増やし、拡散率を高め、射程を高める。火力を極限まで削り、ショットガンの強みであるスタン蓄積すらも捨て、衝撃にのみ集中させる。DBOにおいて、体勢を崩す衝撃性能と動きを停止させるスタン蓄積性能は同一視されているが、実際にはこの2つのステータスは分離している。無論、衝撃性能が高ければ高い程にスタン蓄積性能が高いのが一般的であり、逆もまた然りである。だが、ステータス画面で確認できるのはスタン耐性だけであり、衝撃耐性についての記載は一切ない。

 スタンとは問答無用で蓄積していくデバフのようなものだ。耐性上限を突破すれば必ずスタンする。対して衝撃はどれだけ浴びても蓄積することはない。何故ならば衝撃関連は『衝撃に対してバランスを崩さず、足を止めない』という実に曖昧な分野にあるからだ。無論、度重なる実験において、何度も強い衝撃性能を持つ武器を受ければ、疲労のように我慢の限界を超えてしまう事は明らかになっている。しかし、事前に攻撃を『受け止める』という意識やSTRによる体幹維持などによって、プレイヤー個々人によって大きく衝撃耐性に変動があるにもまた事実である。

 イドはこの衝撃耐性に着目したショットガンの開発に取り掛かった。まずは銃弾の物理攻撃を徹底的に削り、距離に変動されずに着実な削りダメージを与えられるだけの属性攻撃力を付与する。そうして出来上がったのは、『対小型・低衝撃耐性モンスター』兵装の衝撃性能重視のショットガンである。

 教会剣試作変形『軽』ショットガン【ブリュンヒルデ】。連射性能が高く、広範囲に広がる弾丸は確実にプレイヤーや小型モンスターの動きを鈍らせ、足を止めさせる。対して大型モンスターやボス・ネームド級には効果を発揮し辛いが、援護においては一流であり、なおかつ変形によって戦槌となり、近接戦による火力強化を可能とする。

 次に『威力』。攻撃力・スタン蓄積・衝撃性能のいずれも極限まで高める両手前提のショットガン。大火力だけを重視する『重』ショットガン。両手持ちを前提として、物理攻撃力を徹底的に重視し、連射性をおざなりにして、銃弾の密集性と射程距離におく、サポートではなくメインとして扱う事を前提とする。

 ほぼ全てのネームドやボスは当然のようにプレイヤーの≪射撃減衰≫と類似した、射撃攻撃全般を大きく減衰させる能力を保有している。故にショットガンで効率的にダメージを与える為には最低でも近寄り中距離で使用せねばならない。それこそがイド謹製開発『重』ショットガン【ブラックチャリオット】。その真髄はオートリロード性能を捨て、手詰めで弾丸を補給させる折り畳み式。敢えて≪銃器≫に標準装備されているオートリロード機能を捨て去り、使用者に手作業リロード作業を容易化させる構造を目指す。これによってシステム外で継戦能力の確保に成功した彼の傑作である。

 ショットガン作成において、GRも、マユも、ヘンリクセンも、イドに大きく溝を開けられている。そもそもGRはショットガン開発に対して興味こそあっても手出ししておらず、マユはショットガンの別の可能性を探り、トータルコーディネートのヘンリクセンは必要に迫られない限りは追及しないのもある。故にDBOで先進的なプレイヤーメイドのショットガンとは、意外にもその外観はアンティーク調……古式銃スタイルだ。

 だが、PoHが使用する【財団】によるPoH専用兵装『重』ショットガン【レヴィアタン】は、金属フレームの大型ショットガンだ。取り回すにはやや限度があるだろう重量、程よい銃弾の密集性、初速こそ出ないが平均して落ち幅が少ない弾速、中距離程度までならば十全に扱える射程距離。何よりも火力とスタン蓄積と衝撃耐性のバランスの良さ。いずれも、多くの鍛冶屋が目指すショットガンの理想形であるが、当然ながら代償として射撃時の負荷は凄まじく、片手持ちなどすれば、高STRでも扱う事は難しいだろう。

 これを可能とするのは左腕を強化している籠手系列防具【スチール・トリック】。魔力を消費する事によって射撃時の負荷を減衰させる効果がある。だが、無論それでも耐えうるには足りない。故にPoHのブーツは地面に杭を打ち込む射出式スパイクギミックがあり、これによって踏ん張る事によってショットガンの反動に耐えるのだ。それでも不足するならばとPoHは指輪の1つを【ハベルの金指輪】にしている。STRを高めるという単純かつ強力な指輪の力も借りる事によって、重ショットガンの片手撃ちを可能にするのだ。

 無論、これはアルヴヘイム攻略に特化させたスタイルではない。PoHが自分自身の戦闘スタイルを再考した結果である。

 PoHは自覚する。確かに自分の戦闘能力はDBOでも上位だろう。辛うじてドミナント『候補』として認められるに足るだろう。だが、1対1で【黒の剣士】や【渡り鳥】を奇策無しで倒せるかと問われれば否定する。いや、単身で戦えば、何処まで通じるかも定かではない。

 一撃必殺など不要。じわじわと相手を削り取る戦い。そして、いざという時に火力を引き上げる準備を怠らない。相手の持ち味を活かさせない、常に相手を翻弄する戦い。それこそがPoHが目指すべきスタイルだ。

 

(俺なりに研究させてもらったぜ。お前の弱点をな!)

 

 炎が巻き上がる瓦礫の狭間を駆けながら、PoHが地面に放り投げるのは【財団】の目玉商品【電撃ネット地雷】だ。地面に接触するとステルスを発生させて姿を薄れさせる円盤は、プレイヤーが半径1メートル以内に入ると地面を走る電撃を発する。威力は雀の涙にもならないが、高衝撃とレベル1の感電蓄積があり、搦め手としては凶悪極まりない『対人』特化の攻撃アイテムである。

 ユウキはその速度を活かして間合いを詰めようとするが、電撃ネット地雷を発見する度に移動が制限され、そこをPoHは狙いすましてショットガンを撃ち込む。右肩に数発ヒットしたユウキのアイコンのカラーは依然として緑であるが、着実にダメージが入っている事が飛び散る汗と共に鋭くなる眼から読み取れる。

 ここだ! PoHは着地のタイミングを狙い、まだ左腕に痺れが残る状態で無理矢理でもショットガンを撃つ。ユウキは水属性エンチャントを施した片手剣を高速で振るって何発かの弾丸を弾くも、密集するショットガンは防ぎきれずに、その体勢が大きく崩れる程に銃弾を受け止めてしまう。

 一気に首を刈り取る! 右手の大曲剣を振り上げて迫ろうとするも、PoHは自身の左足が大きく歪んだ1歩を踏み出そうとした事に気づき、寸前で足を止めて1拍遅れて脳が感じ取ったダメージフィードバッグに奥歯を噛んだ。

 続いて起きたのは左太腿を爆砕する雷撃。ユウキは着地の前に、PoHがショットガンの狙いをつけている間に正確に雷刃ナイフを投擲したのだ。PoHも知らぬそのナイフはグリムロック謹製品であり、突き刺されば3秒後に連動して炸裂する。3本も太腿に突き刺されば、その破壊力とダメージは相応のものだ。

 

「何それ? ボクへのメタ装備?」

 

 PoHの睨んだ通り、ユウキにとって天敵となり得るのはショットガンのような的確に範囲攻撃と高い衝撃を与えられる武器だ。クゥリと違ってほぼ初期値のSTRでは、踏ん張って耐えるにしても限度があり、重ショットガンを受ければクリーンヒットでなくとも体勢が崩れ速度は鈍り、まともに動けずスタンにも等しく足止めさせられる。

 だが、弱点とは放置しておくものではない。ユウキもまた自身の天敵を熟知している。PoHがこれ程の高性能の重ショットガンを片手撃ちしているならば、何かしらのリスクがあると踏み、たとえ射撃のインターバルは消化しても、PoH自身が連射できる限度はあるのではないかと考えた。故に、PoHがこれ見よがしに射撃体勢を取って着地を狩ろうとしているのを先んじて、雷刃ナイフで『先制』しておいたのである。

 対人戦の醍醐味とはソードスキルやアイテムによる駆け引きであり、知略の限りを尽くす裏の掻き合いであり、時として不条理とも思える個の実力である。PoHはどれ程に自分の牙が鋭くなっても、ユウキの牙とまともに相対すれば勝てないとシャルルの森で、屈辱と共に呑み込んだ。サーダナの教えがあろうとも、個の実力に違いがあり過ぎるからだ。

 

「やるじゃねぇか。だが、まだまだ甘いぜ」

 

 故にPoHは焦らない。確かに左太腿のダメージは手痛い。特に再生速度が鈍るアルヴヘイムでは機動力が如実に落ちるだろう。だが、ダメージフィードバッグは現実世界で多くの痛みを経験してきたPoHからすれば、耐えうるに足る。それにHPの減少自体は大したものではない。やや流血によってHPがジリジリ減っているが、誤差で済ませられる程に微量だ。

 対してユウキはPoHとの距離を詰める為に『足』を奪う為とはいえ、大きなダメージをもらった。回復を許すつもりは毛頭ないPoHは、仮に彼女が回復アイテムの使用を試みた瞬間に猛攻を仕掛けるつもりだ。

 何よりも、PoHは単身でユウキを倒すつもりなど欠片もないのだ。

 

「悪いな。これが『仲間』の有無って奴だ」

 

 PoHを包み込んだのは山吹色の温かな光。これだけ廃墟と残骸に満ち溢れているのだ。リビングデッドを隠すに足る場所は多い。HPを回復させるだけではなく、奇跡【力強い歩み】によってSTR補正を高めたPoHは、これこそがユニークスキルと戦力の有無の差だとユウキを嘲う。

 だが、ユウキは問題ないとばかりに左手の影縫を使用する。蛇のように襲い掛かる射出された歪んだ刃の軌道は、並のプレイヤーならば翻弄されて動けぬままに首へと刃を突き立てられるだろうが、PoH程の戦士ならば正面から使用されれば余裕を持ちながら回避できる。

 そのはずだった。だが、歪んだ刃はPoHの首を狙う直前に彼の足下を削り、まだ熱が燻ぶる焦げた土を舞い上げる。

 

「ぐぉおお!?」

 

 一瞬の目潰しと目玉を貫く熱は、本来の高熱の灰を浴びた程出ないにしても、いかにPoHでも精神力だけで僅かと怯まずに、刹那の意識の空白を生まずにいられるものではなかった。その間に、気づけばユウキに接近され、回復されたHP分も奪うように冷気を纏った片手剣が胸を浅く裂く。

 続く刺剣のお株を奪うような高速連続突き。悪手と分かっていても重ショットガンを盾にしたPoHであるが、左に回ると見せかけて右に入るフェイント……からの更なる左への回り込みという超人的な動きに目がついていかず、フォーカスロックからユウキを見失う。

 

(この動きはクゥリの……このストーカー女がぁあああ!)

 

 フェイントからの左への回り込みの動作は、緩急をつけて生み出すクゥリが得意とする意識の『虚』を作り出す動きとほぼ同じだ。わざわざ、接近戦でそれを披露するのは、有効である以上にPoHへの当てつけである。

 戦場でそうであるように、銃器は鈍器としても機能する。重ショットガンを振るって背後に回ろうとしたユウキを殴りかからんとするも、その左手首に冷たい刃が侵入する。

 

「まずは左手もらうよ」

 

 一切の感情を抑制した、『ゴミ』を掃除するような眼でユウキは告げる。水属性が侵蝕する左手首が一撃で奪われることはないだろうが、ユウキはここから強引にソードスキルを発動して『抉り取る』ことを狙っているのは明らかだった。

 仕方ない。PoHは一瞬にも満たない判断で、重ショットガンを手放して身軽になると、ソードスキル発動前に手首を片手剣から抜く。それも可能性の1つとして見ていたのだろう。ユウキは追撃をかけようとするが、巨大な瓦礫を両手でつかんで掲げたリビングデッドが壁となる。

 

「潰れちまいな!」

 

 左手首から血を零しながらも、緩やかに再生の兆しが見え始めた左太腿をチェックする。地響きと共に巨大瓦礫を振り下ろしたリビングデッドに、ユウキは舌打ちしながらも、その巨体を支える足首を薙ぎ払い、バランスを崩したところで背後からふわりと浮いて頸椎を薙ぐ。

 ここまで3秒未満。PoHはショットガンの再装備ではなく、≪死霊術≫を行使する。

 左腕を振るうと生み出されたのは、黒い怨念のようなガスに包まれた頭蓋骨。それらはカチカチと歯を鳴らしながらユウキへと飛来する。それは闇術の追う者たちに似て非なる、≪死霊術≫専用魔法【呪霊の嘲笑】だ。

 リビングデッドは未だ健在。高ダメージを受けた際には、全体回復の奇跡の発動をオペレーションに組み込んである。ユウキは襲い掛かる3つの呪霊の嘲笑とリビングデッドの回復の奇跡の両方に対処せねばならない。

 彼女が選んだのはリビングデッドだった。その頭部に向かって片手剣を突き立て、捩じり、斬り上げる。奇跡の発動が阻止され、なおかつ頭部への大ダメージで怯むリビングデッドの首を巻き戻した影縫で斬りつける。

 ユウキがリビングデッドの始末を優先したのは、ギリギリまで呪霊の嘲笑を引きつけて紙一重で躱す為だろう。彼女ならばそれが出来るだろう。だからこそ、PoHは『狙い通り』と口元を引き締めながら、左手を地面につけて次なる攻撃の準備を整える。

 呪霊の嘲笑は追尾性能こそ追う者たちに及ばないが、近接信管のように相手を一定距離まで捉えると頭蓋骨は大きく嗤って爆発する。その黒い爆発は闇属性であり、そしてプレイヤーにとって最も避けねばならないデバフである呪いを蓄積する。

 そして、蓄積する呪いは【肉体脆化】。より、出血・欠損し易くなる。ただでさえ金属防具を装備していないユウキともなれば、多少の斬撃で容易く欠損していくだろう。

 

「あがぁあああ!?」

 

 連鎖爆発を咄嗟に左腕を捨てて防いだユウキは黒い爆発に吹き飛ばされ、鋭く尖ったパイプが突き出た、半壊したかつての製鉄場の壁に激突する。右横腹からパイプが突き出し、ユウキが苦悶の声を漏らしたのを聞いて、PoHは心地よく今度こそ笑った。

 

「運が無い奴だ。やっぱり女神は俺の味方のようだな!」

 

 もはや全力を尽くすしかない。追い詰められているのはPoHも同様だ。リビングデッドは撃破された。再生するにしても魔力を大量消費する。ストックはあるが、召喚にも時間がかかる。故にPoHが新たに召喚するのは≪死霊術≫の汎用召喚【死人の徴兵】だ。これはモンスターとして登場する死霊術師が扱う、スケルトンを動かすものをプレイヤーにも使用可能にする、≪死霊術≫専用の魔法だ。

 PoHが左手をつけた地面から黒い円が広がり、そこから曲剣と木製の円盾を持ったスケルトン兵が5体召喚される。発動中はプレイヤーが片手を地面につけた状態のまま動けないという難点があるが、発動の魔力を除けば、極めて低コストで『無尽蔵』にスケルトンを召喚し続けられる、PoHが現時点で使える≪死霊術≫最強の魔法だ。

 スケルトンの1体1体はレベル15程度だ。だが、5体のスケルトンはいずれもPoHがオペレーションを組み込んだ。撃破を恐れずに突っ込むのではなく、ガードとカウンターに徹して増え続ける援軍を待つオペレーションだ。

 現状の肉体脆化によって欠損し易くなっているユウキではダメージ覚悟で攻められない。このまま物量で押し切る! そう嗤ったPoHであるが、炎より飛び出したレギオンに右肩を喰らい付かれる。

 だが、PoHは死人の徴兵の発動状態を崩さない。肩に食い込むレギオンの牙より、神経をミキサーにかけられたような不快感が貫くも、この程度は本物の痛みには及ばないと奥歯を噛み締める。

 運が無いのは俺も同じか。ならば、根競べだ! 横腹のパイプを引き抜き、血を零しながら、息絶え絶えのユウキは左手の影縫いを捨て、悠長にシステムウインドウを開く。

 途端に炎と赤い月光に照らされながらも、確かに存在する夜の黒で映えるように輝くのは銀の糸。

 ユウキの真なる暗器、暗月の銀糸。左手の手袋……5指より伸びる魔法属性の銀の糸は腕の一振りで、その間にピアノを弾くように動いた指の動作に従い、縦横無尽に駆けて12体まで増えていたスケルトンを細切れにする。

 殺られる! PoHが死を感じ取るも、迫る銀糸はPoHの両脇を駆け抜けるに止まるどころか、レギオンを両断して助けるサポートとなる。

 まさか、ここに来て舐めているわけではないだろう。ならば、ユウキが奥の手を出してまで、既にアイコンは黄色に変色しているのに、PoHを殺す絶好のチャンスを不意にしたのは必然的に1つ。

 呪霊の嘲笑を防ぐ為に捨てた左腕。それは小刻みに震え、指先が精密さを失っている。肉が潰れ、内部の骨が歪み、もはやまともに動かすのも困難な状態なのだ。

 だが、PoHも右肩をレギオンに食い千切られてしまった。酷い欠損状態であり、止血包帯の使用を試みるも、ユウキの暗月の銀糸を躱すのに手一杯だ。幾ら精細を欠けているとはいえ、その切断力と攻撃力は馬鹿にならない。

 

「チッ! 赤い月が……この俺が……!」

 

 何よりも闘争心を肥大化させ過ぎた。ユウキを殺す事に固執するあまり、赤い月の影響を既にPoHは受け始めていた。

 肉体の脳を持たないPoHのような蘇った死者は、よりレギオンプログラムの感染への抵抗力が弱い。それは彼らの本質がNPCに近いからだろう。肉体の有無……脳という生物が発達させた思考器官の有無が、レギオンプログラムに抗う1つ目の防御策になっている。この時点で、PoHが本来すべきなのは、戦闘を極力避けて、赤い月……獣狩りの夜が終わるまで心を落ち着かせて潜むことだった。

 だが、偶然にもユウキを発見した事によって色気が出た。千載一遇の邪魔者を排除するチャンスだと睨んだ。それが最初の失敗だったのだ。

 

(さすがの俺も感染しちまえば、もう助からない。だが、まだ影響を受けているだけの段階のはず。なのに『コレ』だ。ククク、これで劣化だと? やっぱり『天敵』だ! こんなものを内に秘めているのか!? ああ、畜生。殺したい。殺したい殺したい殺したい! 誰でも良いから、手当たり次第に臓物を引き摺り出して踏み躙りたい!)

 

 それはもはや人間の域を超えた殺戮衝動。飢餓感にも等しい殺しに駆り立てる。

 目の前のユウキがまるで肉汁がじゅわじゅわと鉄板で焼けるステーキにも見えた。何日も絶食を続けたような飢えが意識を支配しようとする。

 ユウキの横腹から滴る血が極上の葡萄酒にも映る。炎天下の砂漠を彷徨い続けたような渇きが苛める。

 それは奇妙な感覚だった。本当に空腹ではない。本当に喉が渇いているわけでもない。だが、これはまさしく殺戮への飢えと渇きとしか表現しようがないものだった。

 これが『食欲』に由来するならば、どれ程に救いがあるだろう? 何せ、それは『生きる』為に必要不可欠な欲求なのだから。だが、これは純粋に『殺し』への渇望なのだ。救いようがないまでに破滅的であり、同時に種を滅ぼす為に生み出されたと言い様がない狂気だ。

 身を委ねてしまえば良い。PoHは壊れたように笑いそうな唇を噛み、内側から湧き上がる甘く優しい誘いを断ち切る。

 

「随分と辛そうだね。もしかして赤い月の影響?」

 

 対してユウキは左腕の調子を確かめながらも、まるで赤い月の干渉を受けていないかのようだ。生者にはまだ効果が無いのか、それとも見た目によらずに闘争本能を暴走させていないのか。PoHは見切れずにいたが、後継者曰くイレギュラー値が高い者ほどレギオンプログラムへの対抗力が強いと言っていた事を思い出す。

 他でもない『人の持つ意思の力』の肯定側の茅場昌彦が駒として準備したのだ。高いイレギュラー値……発達した仮想脳を保有している事は想像も難しくない。だが、それにしても影響が無さ過ぎるのではないかとPoHは訝しむ。

 

「こんな見た目だけ取り繕ったものに、ボクが影響を受けるはずないでしょ?」

 

 するとユウキは、PoHの視線から疑念を感じ取ったのか、嬉しそうに、震える左手で高鳴る心臓を抑えるように胸に触れた。

 

 

 

 

 

 

「だって、本物のクーの殺意は、もっと甘くて、優しくて、切なくて、幸せーってなれるものなんだもん」

 

 

 

 

 

 俺が言えた義理じゃないが、この女もイカれてるな。うっとりした様子のユウキにあるのは、狂信的な心酔でもなく、狂気的な渇望でもなく、まるで砂糖菓子とキスするような恋慕にして純愛だからだ。

 やはり、ここで仕留めねばならない。PoHは決意を新たにするも、ユウキには距離を詰められる速度がある。故にPoHは焦りを膨らませようとする精神に深呼吸を入れる。

 

『死が近き時ほどに冷静さを欠くな。死に迫れば迫るほどに頭に問いかけろ。生き残ることが重要なのではない。我々は「答え」を見出す為に戦うのだ』

 

 師サーダナの教えが反響する。それは確かにあった、彼の人生を変えた『導き』。

 全ては『天敵』の為に。ユウキへの殺意の執着すらも捨て、自らの『答え』に殉じる為の心の静寂を取り戻して感染による誘惑を退けたPoHは、両手で大曲剣を持って腰で構える。狙うのはカウンター。欠損によるスリップダメージなど関係ない。ユウキが暗月の銀糸を振るうと見せかけて突進する。このまま時間をかけていては、レギオンと小アメンドーズの包囲によって2人とも共倒れだ。ならば、早期決着こそ彼女にとって必要不可欠なのだ。

 互いに狙うのは一撃必殺。依然として有利なのはユウキの方だ。だからこそ、PoHはHPがじわじわと減る中で、彼女の精神的支柱を崩す言葉を探す。

 ある。あるのだ。PoHは渾身の笑みを浮かべる。彼女のクーにある狂気的な純愛。そこには確かな独占欲がある。依存性がある。故に鉄壁の心の牙城を崩すならば、これしかない。

 元よりPoHが得意とするのはこうした卑劣な奇策と話術。相手の心を折る悪意の搦め手だ。だから、彼は何ら躊躇なく、死が充満する廃坑都市で嗤う。

 

「そいつは素晴らしい事だな。お前みたいな女がいて、クゥリもさぞや幸せだろうな。メシまで作ってやってるんだろ? アイツも『味』に関しては色々と大変だろうから、さぞかし感謝しているだろうな」

 

 相手の心を崩す。こうした独占欲が強く、依存性が高い者を『壊す』方法はある。それは自分よりも想い人を『理解している』者がいる事を思い知らしめる事だ。

 知識量の差ではない。理解力の差である。共有した時間があれば、その分だけ相手についての『知識』が増えるのは必定。故に知識量は意味をもたない。そんなものは、彼女のようなストーカー性質の狂った純愛タイプからすれば『後からじっくり知っていけば良い』で終わる事柄だからだ。

 だから、これは賭けだ。クゥリの性質を知るが故に、PoHが仕掛けられる、命を賭場に投げ出す駆け引きだ。

 

「『味』? 何のこと?」

 

 そして、勝利する。PoHは確信する。ユウキは知らない。クゥリの『舌』について、あれだけ一緒にいて、最も気づける立場にいて、見抜けていない。

 HPは残り3割。欠損ダメージと流血ダメージの相乗効果でHPの減りは加速している。この話術で作った拮抗を戦闘に流さない為に、PoHは喉を鳴らして挑発を込めて笑う。

 

 

「コイツは驚きだ。知らないのか? クゥリはもうほとんど味覚を失ってるぜ」

 

 

 気づくことは出来なかった。だが、チャンスはあったはずだ。故に、1つの、嘘が混じっていない事実を突き止めれば、まるで化学反応のように連鎖し合って真実を炙り出す。

 

「……え?」

 

 瞳が震え、ユウキの右手から一瞬だが、力が抜ける。それを好機と見て、PoHはカウンターから突進斬りに切り替える。ユウキが僅かに遅れて剣を振るうも、そこには先程まで籠っていた覇気がない。

 勝った! 鋭い突きは大曲剣で受け流し、密着する寸前に穿鬼を腹に打ち込む! PoHが勝利を確信した時だった。

 

 

 

 

 

 

「こんばんは! 死ね♪」

 

 

 

 

 

 

 

 赤い月から舞い降りたのは黒い翼を纏った悪霊の母。2人の間に着地すると同時に、翼は分裂した8本の触手となり、2人を殺すべく張り巡らされる。

 

「1度この台詞言ってみたかったのよ。アヒャヒャヒャ! 意外と楽しいわー! ねぇ、もう1回やらせてもらって良いかしら? テイク2よ、テイク2!」

 

 着地した場所に小さなクレーターが出来て、瓦礫と炎を吹き飛ばしたのは、白いワンピースを花弁のようにふわりと広げ、漆黒の肌とは対照的な白濁の髪を揺らす少女だった。無数の円が蠢く双眸の瞳はまるで赤い月のようであり、PoHは直感的に彼女こそが現状を混沌に突き落とした最たる元凶だと知る。

 互いにだけ殺意を向ける暇はなくなったのだろう。ユウキは距離を取り、奥歯を噛みながら少女を睨む。その間にPoHは止血包帯で右肩を治療する。

 

「殺人鬼もストーカーもお初にお目にかかるわよね? そうよね? そうよねそうよね!? いつもオリジナル……レギオンの王がお世話になっているわ。私はマザーレギオン。でも、この名前はあまり好きじゃないの。どうかヤツメ様と呼んで。愛情を込めて。憎しみを込めて。恐怖を込めて」

 

「お前が……お前がレギオンの……!」

 

 怒りをそのまま剣技に変えないのは、マザーレギオンとPoHが仮に共同戦線を張った場合、押しきれないという計算が出来るだけの冷静さがユウキにあるからだろう。PoHとしても、どうしていきなり自分たちの目の前にマザーレギオンが登場したのか、まるで理解が追い付かなかった。

 PoHは事前にマザーレギオンがアルヴヘイムにいる危険性を後継者より示唆されていた。しかし、彼女がどうして自ら前線に立つのか、まるで合理性が無い。

 

「さぁ、自己紹介も済んだし、テイク2よ。こんばんは、死ね!」

 

 各々に4本ずつの触手が襲い掛かり、ユウキは軽やかに回避して逆に接近し、PoHは口惜しいもこの乱入を利用して撤退すべきだと判断する。だが、マザーレギオンは迫るユウキを称賛するように笑う。

 

「あらあら、まるで私を怖がらないのね。素敵」

 

「その名前は……クーにとって大切なものなんだ! お前が名乗って良いものじゃない!」

 

 ユウキの刃を、マザーレギオンは白い指先から伸ばした黒い爪で防ぐ。拮抗したのは数秒であり、マザーレギオンはおぞましい程に口が裂ける程に笑って押し返す。

 

「あらあら。随分と可愛らしく『揺らいで』いるのね? んー、ここで殺そうと思ったけど、やーめた♪ あなたは生かしていた方がもっともっと苦しみそうだもの」

 

 触手は翼となり、強風を引き起こしてユウキを吹き飛ばす。更に、マザーレギオンは黒い翼を分解すると右手に巨大な投げ槍を生み出す。

 

「まぁ、これで生きていたならの話だけどね! アヒャヒャヒャ!」

 

 ユウキに真っ直ぐと飛んでいった投げ槍は、幾重にも張り巡らされた銀糸で速度を落としながらも、依然として豪速と呼ばれるままに彼女と衝突する。その先で爆発が起こり、マザーレギオンは嬉々としてガッツポーズした。

 

「デッドボール! バッターはお亡くなりになりましたー♪ アヒャヒャヒャ! まぁ、どうせ生きてるでしょうけどね。蝕む闇の大剣……いいえ、闇のランスかしら? もう魔力はあまり残ってないと思ったけど、こっちの攻撃を弾くんじゃなくて、私の攻撃を利用して自分を『弾かせる』なんてやるじゃない」

 

 次いでPoHの足下より8本の触手が伸びる。PoHは包囲される前に脱するも、そこには2体のレギオン・シュヴァリエが控えていた。彼らは右腕と一体化した結晶ランスを振るってPoHを貫かんとするも、彼は黒煙を発する煙幕爆弾を足下に投げつけて視界を暗ませる。

 

「私もオリジナル程じゃないけど『嗅げる』方なのよ? あなたの逃げ道は分かっていたわ♪」

 

 だが、煙幕を振り払う黒い翼の突風と共に、マザーレギオンがPoHの眼前に出現したかと思えば、優しく頬にキスをすると翼を触手に変じさせてPoHの四肢を束縛する。

 レギオン・シュヴァリエ2体で両脇を固め、両腕両足、そして首を絞めあげられるPoHを月光に掲げるように、マザーレギオンは困ったように首を傾げた。

 

「んー、迷うわぁ。ここでじわじわ絞め殺すのと――」

 

 続いて触手の1本を痩せさえると手元に荒々しい黒い糸鋸をマザーレギオンは作り出す。

 

「ここで、じっくりと解体するのと、どっちが楽しいかしら? あなたはどう思う? ああ、安心して頂戴。HPは死にかける度に回復させてあげるわ。ほら、あそこに死体さんがいるでしょう? たーくさん回復アイテム持ってたの♪」

 

「……俺を生かすってのはどうだ?」

 

「え? 嫌よ。だって『あなた達』の事……大嫌いだもん♪」

 

 万事休す。PoHは死を恐れないが、このタイミングは余りにも予定外だ。そして、絶好のチャンスでもある。次々と集まり始めたレギオン達……それだけではなく、上位種のレギオン・シュヴァリエやレギオン・バーサーカーといった、上位プレイヤーでも単身で戦うのは危ういレギオン達も次々とマザーレギオンの影から這い出てくる。

 思い出せ。後継者の独り言を。あのお喋り好きは、毒にも薬にもならないようなどうでも良い話をするように見せかけて、時として重要な情報を零して与える。必死に考えながら、PoHはじわじわと絞めつけ強める触手に喘ぎながら、続いて脛に触れた黒い糸鋸の感触に背筋を凍らせる。

 

「ギーコギーコ♪ そいっささー♪」

 

「ぐがぁああああああああああああああああああ!」

 

 痛覚はない。ダメージフィードバッグだけのはずだ。だが、それでも多くのプレイヤーを悶絶させるだけの、人では耐え難い、痛みの代理を成す不快感は、丁寧に皮膚と肉を、わざと切れ味の悪い鋸で削がれる事で発露して、PoHの精神を咀嚼する。

 

「いつでもレギオンになって良いわよ♪ 私は虐待嫌いだし、自分の子は傷つけない主義なの」

 

 左足が醜い断面と共に落ちる。そして、続いて右足に糸鋸が触れ、グチャグチャになるまで肉を荒く引き千切り、戻され、引き千切りを繰り返される。

 常人ならば意識を失うだろう、あるいは狂って自我を壊すだろう悶絶。だが、PoHは耐え抜いて、今度は悲鳴も上げずに歯を噛み締めて耐える。だが、それをこじ開けるようにマザーレギオンの指が口内に侵入する。そして、燐光紅草が無理矢理押し込まれて何度も咀嚼させられる。

 

「んー、草系アイテムって初めて食べたけど、不味いわね。とっても苦いわ。これ戦闘中に食べてよく平気でいられるわね。私なら蜂蜜マシュマロ味にするわ♪」

 

 HPの減少を止めるべく、削ぎ落とされた両足に止血包帯が巻かれる。更に流血で減り続けるHPは際限なく食べさせられる回復アイテムによって延命される。

 

「お前の……目的を……知っているぜ」

 

「ギーコギーコ♪」

 

「【黒の剣士】……だろ……あがぁあああああああああ!」

 

「ギーコギーコ♪」

 

「なかなか、思った通りに、本気を出して、殺し合って、くれない。だろう?」

 

「ギーコギーコ♪」

 

「俺なら……良いプロデュースが出来るぜ。お前なら『分かる』はずだ」

 

 右腕の肘から先が落ちたところで、マザーレギオンは思案するように唇に左手の指を当てながら、空いている触手でPoHの右腕を止血包帯で巻き、また回復アイテムを口に押し込ませる。

 マザーレギオンはクゥリのホロウAIを基盤にして生み出された。故に、彼女には記憶がある。クゥリが知る限りの、PoHの犯罪プロデューサーとしての確固たる腕前は、彼女もまた知るところのはずだ。

 

「私は狂える神の残骸。お前達が望んだのでしょう? 神であれ。バケモノであれ。そう望んだのでしょう? 求めたのでしょう?」

 

「そうだ。俺は……俺は……【渡り鳥】に『天敵』を見た。この世界を……喰らい尽くす……神という名のバケモノ…」

 

「続けて?」

 

「俺の『天敵』だ。誰にも、渡さな、い! 誰に、も! お前も、そう……だろう? レギオンの王、だと? お前は……何を『残す』つもり、だ?」

 

「…………」

 

「俺達は、やり方こそ、違うが……目的は、共通、して――がぁああああああああああああ!?」

 

「ギーコギーコ♪ 私とあなたが同じ目的? 違う。全然違うわぁ! あなたは殺し尽す『天敵』が欲しいだけ。私はもっと別のものを見ているのよ♪」

 

 最後に残った左腕の切断に取り掛かったマザーレギオンによって、PoHの交渉は悲鳴によって掻き消される。レギオン達は早く左腕をくれと、これまで落とされた手足を貪る他の者たちを羨むように、血に飢えた慟哭を響かせる。

 こんな所で、終わるというのか!? PoHは左腕の次は首だと悟る。先程から減少と回復の狭間を行き来するHPが、今度こそゼロになるまで首をじっくりと削ぎ落とすつもりだろうマザーレギオンの濁らぬ殺意に、唇を震えさせて言葉を紡ぐ。

 

「俺は……俺は……生まれた意味を、探して……いた。アイツに……『天敵』を見た時、やっと……『生きてて良かった』って思えた。死ぬ、意味も、得られた。全ては……『天敵』の為に……!」

 

「ギーコギーコ♪ はい、左腕おーわり!」

 

 切断された左腕をレギオンの群れに投げ飛ばし、地面に背中から倒れたPoHに馬乗りになったマザーレギオンは、糸鋸から滴る血を舌で舐め取る。

 

「やっぱり首は最後……なーんて言うと思ったかしら? その頭蓋を今からパックリ開いてあげるわ♪ さぁ、ショータイムよ! 言い残す事はある?」

 

 今度こそ死ぬ。PoHは自嘲を込めて、だが確かな祈りを胸に……笑った。

 ああ、良い月夜だ。この世界をいずれ染める鮮血ように赤い月、そして青い血のような夜だ。これ程の素晴らしい月夜で死ねるとは贅沢だ。PoHは1度目の死がそうであったように、笑いながら死ぬべく口元を歪めた。

 

「『天敵』よ……証明してくれ。俺の思想家としての『答え』を!」

 

「そう。さようなら、殺人鬼さん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『待つんだ、マザーレギオン』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、糸鋸がPoHの額に触れると同時に、<VOICE ONLY>というシステムウインドウがマザーレギオンの周囲で慌ただしく回る。

 興が削がれたように、マザーレギオンは糸鋸を1度消滅させて、鬱陶しそうにシステムウインドウを睨む。

 

「お・う・サ・マ。私ね、王様と同じで『お楽しみ』を邪魔されるのが1番嫌なのよ」

 

『彼はこちらの「味方」だよ。今ロザリアから報告が入った。彼はアイザック側から引き抜いた「スパイ」だ。ロザリアがPoHに取引を持ちかけて仲間に引き入れたそうだ。どうやらアイザックには秘密の作戦があるらしい。だけど、彼はまだ僕を信用していないらしくてね。ロザリアは今回の廃坑都市で僕の力を見せつけた後に謁見させようという腹積もりだったらしい』

 

「……それ、本当なのかしら?」

 

『彼女は出世欲が強い。自分の欲望に忠実さ。恐らくは、新世界で僕の配下の中でも美味しいポジションを得たくて点数稼ぎに躍起になっていたのだろうね。やれやれ、「ホウレンソウ」は社会人の基本だろうに』

 

「ふーん、まぁ、あの厚化粧さんならあり得るかしら」

 

 ロザリア……ナイスフォローだ! PoHはロザリアの『点数稼ぎ』で巻き起こされた波乱を全てチャラにする勢いで彼女に感謝を捧げる。首の皮……いや頭皮1枚で何とか命が繋がった。

 おそらくは、今回の襲撃に対して、ロザリアは今まで通り後継者陣営につくか、それともオベイロン陣営につくか、天秤にかけたのだろう。そして、ロザリアは後継者を選んだ。後継者は気まぐれで、人間嫌いで、子ども染みているが、約束だけは必ず守る。成果には報酬を与える。そういう自分の『ルール』を順守する。だが、オベイロンがどのような人物かはPoHも窺い知れないが、癇癪1つで何をするか分からない男なのだろう。つまり、同じ暴君でも、悪意の塊のようなガキの方がマシなのだ。何よりも、PoHも詳しくは知らないが、ロザリアは駒として引き抜かれる際に、後継者によって直々に幾つかの取り計らいがあったと聞いている。それも影響しているのかもしれないと、PoHは安堵する。

 しばらくはロザリアを殺すプランは無しだ。むしろ、点数稼ぎに協力してやっても良い。最近はアドリブばかりだと悪態をつきたい胸中を隠しながら、PoHは頷く。

 

「その通りだ。まだ心は決まっちゃいなかったが……オベイロン、アンタの方が大物だ。後継者よりもアンタこそが、この仮想世界の……新世界の王様だ!」

 

『世辞が上手だね。だが、事実ではある。上司にはそれくらい尻尾を振る勢いの良さが必要だ。キミは良く分かっているね。それで、アイザックの……ああ、キミに分かりやすく言えば、セカンドマスターの秘密の作戦を僕にもちろん明かすよね?」

 

「ああ! アンタがナンバー1だ! 忠誠だろうと何だろうと誓ってやるぜ!」

 

『素晴らしい! かつてアインクラッドに多くの惨劇を引き起こした大悪党が僕の部下になるとはねぇ。その情けない命乞い気に入ったよ!』

 

 システムウインドウの向こう側から乾いた拍手が聞こえてきて、満足感たっぷりのオベイロンの声音に、マザーレギオンは嘆息してPoHの上から降りた。

 

「ところで王様。どうやって戦況を確認しているの?」

 

『アメンドーズの視界を借りているのさ。事前に調整した1体でモニターしている。もう戦況はほぼ決した。後は殲滅するだ――」

 

「アレかしら? はい、ドーン♪」

 

 黒い触手を束ねて、ユウキに投げつけた槍に変じさせると、アメンドーズの1体に向かって投擲する。巨大な黒の投げ槍は寸分狂わずにアメンドーズの頭部を貫いた。

 

『やれやれ。キミのお楽しみを邪魔して悪かったよ。この埋め合わせは準備してある。欲しがっていたデスガンの手配は終わったよ。彼はラフィンコフィンのメンバーだった。PoHが生きていると何かと都合が良いんじゃないかな?』

 

 躊躇なく貴重な戦力を削られたというのに、オベイロンは余裕たっぷりで応じる。それは廃坑都市の戦いが既に決着がついているからだろう。マザーレギオンの横暴にも、『王様』としての余裕で応じるつもりのようだった。

 オベイロンからのサプライズに、マザーレギオンは嬉しそうに頬を綻ばせる。触手を黒い翼に変じさせてふわりと浮かび上がった。

 

「素敵! 王様はやっぱり面白くて飽きないわ!」

 

『機嫌を直してくれて良かったよ。そろそろ作戦も第2段階に入る。準備を頼むよ』

 

「あら、もうそんな時間? まぁ、『2度目』ともなればこんなものよね。十分に種は撒いたし、丁度良いかしら」

 

 既にPoHを殺す気は失せたらしいマザーレギオンは鼻歌混じりに去っていく。レギオン達の背中にのせられ、廃坑都市から連れ出されるPoHは、あろうことかレギオン達の介抱によって何とか命を繋がれ続けられながら思案する。

 

(ロザリアめ。後継者の秘密の作戦だと? 俺にでっちあげろと言うのか。ククク、やってやるさ)

 

 問題はこの廃坑都市を無事に【渡り鳥】が脱出できるかであるが、PoHはまるで気にしていなかった。ここで死ぬならば、所詮は『天敵』となり得なかった。それだけの話なのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 暁の翅のトップと支援していたハーモニー商会の豪商。その両方を同時に失った時、暁の翅は……いや、反オベイロン派は再起など不可能になった。そうシノンはぼんやりと頭の片隅で考えながら、『そんな事はどうでも良い』と僅かな思考の容量さえも無駄だと正面に立つ相手に意識を集中させる。

 これまで多くのネームドやボスと戦ってきた。その中でも1番恐ろしいと感じたのは竜の神だ。あれ程に絶望的な存在はいなかった。

 だが、その竜の神さえもこの存在の前では霞んでしまう。

 炎に照らされるのは漆黒の甲冑。頭部の兜は何処となく狼の意匠を感じるフルフェイス型であり、まるで眼のような2つの横長スリットの覗穴からは黄金の光が眼光のように尾を引いている。盾の類は持たず、得物は右手に持つ闇濡れの大剣のみ。体格は2メートル前後であるが、ほぼプレイヤー……人間と同サイズだ。これは人型ネームドでは珍しいタイプである。

 3つのHPバーに頂くのはランスロットという、アルヴヘイムに立ちはだかるネームドの名前。そして、それは暁の翅がかつてガイアスなどの精鋭200名を送り込み、手傷も負わせられなかった存在だ。

 足は震えていない。冷静にシノンは弓剣の弦を引き、矢を構える。UNKNOWNは壁のように立って右手のドラゴンクラウンを正眼、左手のメイデン・ハーツは剣先を下げるという独特の二刀流の構えだ。因縁のランスロットを前にして、ロズウィックは硬直していたが、すぐにUNKNOWNが臨戦態勢に入った事により、目の前でトップ2人を惨殺された事よりもランスロットへの対応に専念すべく距離を取る。

 先に動いたのはランスロットの方だった。背後を取るロズウィックには目もくれず、仮面の剣士へと左手を這わせた大剣の突きを繰り出す。その速度たるや、もはや目に追えぬと言っても過言ではない。

 だが、UNKNOWNとてこれまで多くの死闘を潜り抜けてきた猛者だ。この程度は慣れたものと、優れた反応速度が遺憾なく発揮され、攻守両方に対応できる右手のドラゴンクラウンで突きをいなす。しかし、そこから突如として派生した横薙ぎより端を発する連続斬りは、2人の剣士の次元が違うと語るように、周囲で煌く死の炎すらも霞むほどの火花のエフェクトを散らす。

 UNKNOWNの攻めの主軸は≪二刀流≫で強化された2本の片手剣によるラッシュ攻撃だ。ソードスキル癖の矯正にはほぼ成功している。我流とはいえ、SAOで鍛え上げられた、卓越した剣技の腕前は実戦でこそ輝きを増す。左右からの縦横無尽に襲い掛かる神速の斬撃は大盾すらも釘付けにしてガードブレイクを起こし、高スタン耐性の相手すらもあっという間に削り、≪二刀流≫のブーストを受けてDPSは間違いなくDBOでも最高峰だ。

 対してランスロットは一刀流。卓越した剣士の、時に同時に、時に時差を持たせて迫る刃を捌き切るなど常人では不可能だ。だが、ランスロットは難なくUNKNOWNの連撃を華麗とも思える大剣の軌道で防ぎ、受け流し、あるいは弾き返す。

 援護とばかりにシノンは矢を放てば、ランスロットは余裕を持ちながらUNKNOWNを一際強い振りで押し飛ばし、矢の軌道を見切った1歩で軽々と躱したかと思えば、背後から迫るロズウィックのソウルの太矢を大剣の一振りで霧散させる。

 命中判定斬り……! 思わずシノンは一連の攻防に息を呑む。それは1部のトッププレイヤーのみが体得している……それでも実戦レベルで使えるのは、UNKNOWN、ユージーン、スミスの3人だけとされる、システム外スキルの1つだ。

 高難度で卓越した技術と見切りが要求される命中判定斬りを、ランスロットは『背後も見ずに』実行したのだ。

 この時点でシノンはこのネームドが、DBOでも『規格外』と呼ばれるに足る存在だと即座に察知した。そして、それはあの騎士が得意とする近接戦において、UNKNOWN以外には死地になり得るという判断であり、シノンは援護に徹するべく距離を取る。

 

「その程度の魔法は効かん。その顔は憶えているぞ。かつて俺より逃げ切った男だな? 繋いだ命だ。大事にしろ。次の邪魔入れは容赦せん」

 

「部下たちを死なせて繋いだ命だ。2度も逃げる気はない」

 

「……馬鹿な男だ。だが、それでこそ戦士か」

 

 取るに足らない敗走者としてではなく、1人の戦士としてロズウィックを認め、ランスロットは眼の如き黄金の光を細めた。それは戦士の性への哀愁か、それとも愚かと分かっても戦わずにはいられない戦士の誇りへの諦観か。

 ロズウィックが発動させたのは【拡散するソウルの矢】だ。INTの高さの分だけ放たれるソウルの矢の数は増加する。杖から放出された小さなソウルの矢の速度と数を見れば、彼がどれだけ高いINTを……特化された魔法使いだと分かる。

 しかし、ランスロットには当たらない。漆黒の甲冑が大地を強く踏みしめたかと思えば、風となり、炎と赤い月で照らされた世界を駆ける。連続3回にも及んだ拡散するソウルの矢を……ショットガンのように広がる魔法攻撃を1つとして掠らせることなく、容易く魔法使いの死の領域までランスロットは踏み込む。

 

「逝くが良い、戦士よ。見事な最期だったと憶えておいてやる」

 

 回避も反撃も間に合わない。ロズウィックが茫然と迫る死の大剣を受け入れずに済んだのは、間に入ったUNKNOWNが両手の剣を交差させて振り下ろしを防いだからだ。

 

「ロズウィックさん、逃げろ! コイツはアンタじゃ勝てない!」

 

 仮面の奥で歯を食いしばりながら、ランスロットの大剣を無理矢理押し返した……いや、シノンの援護射撃から逃れる為にランスロットが遠のいたところで、UNKNOWNはロズウィックに退却を命じる。

 

「勝ち負けの次元の話ではありません。私は1度部下を見殺しにして……いや、囮にして逃げた。逃げてしまった。生き延びてしまった。もう1度ここで同じことを……オベイロンを倒せるかもしれないあなた達を見捨てて逃げる事に意味などない!」

 

 だが、ロズウィックの覚悟も本物である。その気迫に押され、また説得の言葉を紡ぐべき時ではないと言うように、UNKNOWNは無言でランスロットに突進する。それを迎え撃つランスロットであるが、シノンは斬撃の鋭さを阻害すべく、手首を狙って矢を放つ。

 これが功を奏し、ランスロットの初動が回避の為に僅かに遅れ、UNKNOWNの1歩が先んじる。地面から突き上がるような左手のメイデンハーツの斬り上げ。続く右手のドラゴンクラウンの刺突、これも捌かれたならばと右斜めからの両手の刃を同時に振るい、ガードさせたところでスミス仕込みの膝蹴りを打ち込む。

 しかし、いずれも不発。UNKNOWNは更にクロス斬り、同時刺突、更にそこからの乱舞と立て続けに繰り出すも、ランスロットの大剣を突破できない。

 だが、シノンには分かる。ランスロットは守りに徹するしかない程にUNKNOWNの攻撃は苛烈なのだ。このままならば押し切れる。シノンはより攻撃力が低めの黒粗鉄の矢から竜狩り人の矢に切り替える。残存数は少ないが、相手は倒すべきネームドだ。ここで消費せず温存するのは愚かである。

 次々と飛来する矢に、ランスロットは僅かに舌打ちし、大きく遠のいたかと思えば、シノンに眼光を向ける。後方支援を先に絶つのは戦いの基本だ。まるで狼のように、右へ左へ、また右へと射線に捉われない姿勢を低くした高速移動で接近を試みるランスロットであるが、UNKNOWNが駆けつけるまでの時間稼ぎとばかりに、ロズウィックはソウルの大剣を発動させ、大きく振り下ろした。ソウルの大剣が壁となってランスロットの接近を阻み、その間に剣の間合いに取り込んだUNKNOWNはランスロットに≪片手剣≫の連撃系ソードスキルである【フォース・レイ】を発動する。素早い3連刺突からの踏み込み斬りであり、そこから更にスキルコネクトで左手の≪片手剣≫で発動させるのは突進系ソードスキルの【シャーク・ファング】だ。大きな振り上げから続く素早い振り下ろしはその緩急もさることながら、2撃目の威力ブーストは特筆すべきものがある。

 これを真正面から大剣でガードしたランスロットは堪らず押し飛ばされ、大きな隙を晒す。だが、UNKNOWNはソードスキルの硬直で動けない。それはシノンにヘッドショットを叩き込めという合図だと受け取り、瞬時に彼女はランスロットの頭部を狙う。だが、惜しくも矢はランスロットの兜を掠めるのみであり、ヘッドショットには失敗する。

 思っていたよりもランスロットの立て直しが早かったのだ。だが、シノンは確かな手応えを感じ取る。ランスロットは確かに強い。UNKNOWNという前衛無しならば、シノンはとてもではないが射撃する間など与えられなかっただろう。だが、UNKNOWNがいる限り、勝ち目は十分にある。

 

「ふむ。こんなものか。確かにオベイロンが警戒するのも分かる」

 

 だが、UNKNOWNから発せられる雰囲気はむしろ厳しく、またランスロットも余裕溢れた態度で大剣で右肩を叩く。

 

「『挨拶』はこれくらいにしよう。行くぞ」

 

 途端にランスロットの姿が消える。見失ったシノンが見たのは、赤い月を背にして大きく飛び上がったランスロットが急行落下してくる姿だった。間一髪でUNKNOWNは横に跳んで落下してきたランスロットの刺突を回避するも、衝撃波が周囲の炎を一瞬だけ消し飛ばし、土煙を巻き上げる。ランスロットを土煙で見失ったシノンが見たのは、熾烈に、苛烈に、火花を散らし合う2人の剣士の影のみ。

 UNKNOWNは連撃でランスロットを捉えようとするが、馬鹿正直にUNKNOWNに分がある剣戟に興じるつもりはないのだろう。いや、そもそもしっかりと踏み止まったままの斬り合いなど二刀流の独壇場なのだから。UNKNOWNは≪集気法≫でバフをかけて自身に攻撃力アップ効果がある赤いオーラを纏わせる。そして、ランスロットの重く鋭い斬撃はリカバリーブロッキングでスタミナ回収と弾き効果で受け流し続けるも、ランスロットは突如として斬り上げながら大きく飛び退く異質の剣技を披露してUNKNOWNの剣を逆に弾いて隙を作り出す。

 土煙が晴れる中で、ランスロットは片手のみの突進突きでUNKNOWNを貫こうとする。彼はそれをギリギリでドラゴンクラウンで受け流すも、激しい火花が示すのは片手剣への負荷だ。黒い刀身は悲鳴をあげるように金属特有の高音を奏で、続くランスロットの回し蹴りは持ち前の神速の反応速度で身を反らして躱しきるも、突如として硬直した蹴りは踵落としに派生して、危うくUNKNOWNは腹から地面に縫い付けられそうになる。

 だが、ランスロットの攻撃は終わらない。続いて跳躍したかと思えば、縦に連続で繰り出される回転斬りだ。もはや曲芸の域であるはずなのに、それは確かな実戦の剣技として成立している。宙で遠心力を増幅させた刃はまともに受け止めればガードごと押し込まれて叩き切られるのは必定。故にUNKNOWNは逃げに徹する。その間にシノンが矢を狙い撃つも、着地と同時に縦回転斬りから足を軸にした回転斬りに派生し、その間に闇濡れの大剣に這わせた左手で斬撃軌道を意図的に歪めて、回り込もうとしていたUNKNOWNへの逆袈裟斬りに切り替える。

 辛うじて拡散するソウルの矢で仕切り直しの時間が与えられるも、僅かな攻防の中でUNKNOWNは押し込まれ続けた。そして、気づければ竜狩り人の矢をどんどん消費しているシノンは自分の矢が1本としてランスロットに命中していない事に気づく。近接プレイヤーが張り付く中でも、正確にターゲットを射抜けるシノンの腕を以ってしても外し続ける理由はただ1つ、完全に射線を見切られ、なおかつUNKNOWNを追い詰める剣技には矢を叩き落とす意図も含まれていたという事だ。

 

「ほう。ここまで完璧に避けるとは、少し傷ついたな。俺の剣技……深淵狩りの剣技に覚えがあると見た」

 

「……知り合いが似たような剣技を使っているのを見たことがある。お陰で助かったよ」

 

 UNKNOWNの言う通り、シノンも既視感を追えば、それはバトル・オブ・アリーナにて、クゥリがラジード戦に披露した異質の剣技に似ている……いや、ほぼ同一である事に気づく。あれ程の奇抜な剣技を躱しきれたのは、UNKNOWNの剣士としての魂がかつての相棒の戦いを、たった1度だけ見たその技を確かに憶えていたからだろう。

 嬉しそうにランスロットは闇濡れの大剣を炙るように炎を斬り払う。そして、兜の覗穴から漏れる黄金の光を昂らせる。

 

「なるほど。道理だな。俺の剣技は始祖アルトリウスに最も近しいとモルドレットにも称賛されたものだよ。これが感傷という奴か。久しく忘れていたな。礼を言うぞ。では、これはどうかな? 我が祖国アストラの北方騎士剣技。中央の肥えた貴族のお遊び剣技ではない。本物の騎士の剣を教えてやる!」

 

 両手で大剣を構えたランスロットが踏み込みと同時に横斜めにした全身を使いながら刃を振るう。それは先程までの異形の剣技とは異なる、実に美しい挙動の剣技だ。しかし、ランスロットの動きが早過ぎるあまり、UNKNOWNは両手の剣で防ごうとしてしまい、その衝撃を全身で受け止めてしまう。

 UNKNOWNの足が止まる。だが、ランスロットは止まらない。強引に大剣を振り抜いたかと思えば、天を貫くほどに大剣を掲げての振り下ろし。それは僅かにUNKNOWNの肩を浅く裂いて血を舞わせる。そして、回避に徹してランスロットの右側に回り込もうとした彼を追撃するのは片手1本で伸びる薙ぎ払いであり、力まぬそれは素早く追尾する。

 

「続いて呪術の里、大沼の剣技。手斧ばかり扱う蛮族の地と侮ることなかれ。流れ者ばかりが集まれば、その中には剣の心得を持つ者もいる。火への憧憬こそが呪術ならば、そこで生まれた剣技とは!」

 

 背中を追うような剣を跳ねのけようとしたUNKNOWNであるが、ランスロットは突如として大剣を停止させたかと思えば、だらりと下げた腕を鞭のように振るって大剣の鍔でUNKNOWNを強打する。そのままシノンの援護射撃をふわりと浮いて躱したと思えば、UNKNOWNの喉を貫くような刺突を宙で繰り出し、続いて着地と背中に回した大剣の刀身でUNKNOWNの斬りつけを防ぐどころか、そのまま絡め取って転倒を誘う。

 

「まさしく変幻自在。火とは元より形なきものなればこそ。そして、今は亡国となった、深淵に滅びたウーラシールの剣技は一撃必殺。力を是とせぬからこそ、力に溺れると知れ」

 

 右肩に担いだような大剣からの渾身の振り下ろし。ガードが不完全であり、UNKNOWNは押し込まれて刃が左肩に抉り込んでいく。シノンは連射してランスロットを回避させようとするが、これまで散々回避していたはずの漆黒の騎士は背中に矢をあえて受け止める。このまま、ようやく捉えたUNKNOWNを一閃の名の下に斬り伏せるつもりだ。

 させるものか! シノンはUNKNOWNを救うべく、射撃では不足していると弓剣を曲剣モードに移して駆ける。だが、それを待っていたとばかりにランスロットは剣と込める力を緩め、反転するとシノンを迎え撃つ。

 

「来るな、シノン!」

 

 片膝をついていたUNKNOWNが叫ぶも、既に動いていたシノンは忠告を反映させるには遅すぎた。

 ランスロットはシノンの顔面を狙った刺突を放つ。辛うじて義手を使って受け流そうとするが、戦闘用とはいえ、ガードは緊急対応程度しか想定していない義手で大剣を受け止めればどうなるかなど目に見えている。軋む音はそのまま義手の付け根、肩まで響く不快感を生じさせる。

 連続ガードなど以ての外だ。だが、頬を裂けるだけに留めて、シノンは獰猛に笑う。

 私はお荷物なんかじゃない。何のためにスミスの地獄の訓練を潜り抜けたと思っている? UNKNOWNにはない、義手の爪と曲剣の速度を活かし、シノンはランスロットの連撃を回避しながら、密着して義手の爪で抉ろうとする。だが、それはランスロットの膝蹴りで阻まれ、振り下ろしは右腕の肉を削ぎ、回し蹴りは鼻先を削る。それに呼応してUNKNOWNが挟み撃ちにしようとするが、ランスロットは更に剣速を上げる。

 いかにランスロットでも腕は2本しかない。義手と曲剣を使うシノンと二刀流のUNKNOWNに挟まれれば、必ず攻撃を浴びる。だが、ランスロットは一撃を重くすることにより、また回避させずに確実に狙った斬撃を繰り出す事により、2人にガードを強いて弾き飛ばし、詰められるのを防ぐ。

 ロズウィックが渦巻くソウルの塊は発動させ、攻め切れない2人が退くタイミングを作り出す。だが、ランスロットはつまらないとばかりに、大きく跳び退いて積み重なった、かつては酒場だっただろう瓦礫の山の頂上に着地する。

 ランスロットのダメージは、恐らくシノンを誘い出す為にわざと受けただろう数本の矢のダメージのみ。それ以外はクリーンヒット1つもないが、矢のダメージを鑑みれば、ランスロットのHP量と防御力は決して高いものではない。現にシノンの矢を背中と首裏に受けて、1割には届かないが、それなりにダメージを与えている。3本もHPバーがある事を考慮すればプレイヤーとは比較にもならないが、人型ネームドにしては標準か少し低いくらいのHP量だ。

 

「勝てないことはないわ。確かに強いけど、かなり脆い方よ。ソードスキルを1発でも当てれば、十分に逆転の余地があるわ」

 

「……いや、撤退を念頭に入れて行動しよう。今は小アメンドーズも集まっていないけど、このまま留まっていたら包囲される」

 

 UNKNOWNの言う通り、このまま戦えばランスロットを倒せるとシノンは確信する。だが、廃坑都市という舞台自体が壊滅している今は逃げる事が最優先だ。怪我の功名と言うべきか、行動の足を引っ張っていたレイチェルとフェルナンデスは死亡したのだ。逃げに徹すれば、この混乱ならばランスロットも追いきれないかもしれない。

 

「私が囮になります。2人は逃げてください」

 

 だが、2人のランスロットへの勝機を真っ向から否を唱えたのは、かつてランスロットとの交戦経験があるというロズウィックだった。

 壁になるように、ランスロットと2人の間に立ったロズウィックは杖術に心得があるのか、魔法の武器という最弱エンチャント魔法で杖を強化して構えを取る。

 

「ランスロットはまだ様子見をしているだけです。今ならば、まだ逃げられます」

 

 瓦礫の山から見下ろすランスロットは、どう攻めるべきか考えるように大剣を肩で担いでいる。威風堂々たる姿はまさしく英雄的である。だが、それを穢すように、ランスロットの漆黒の鎧から、炎に照らされた影から黒い霧が淀み始める。

 

「……貴様らの力量は見えた。特に仮面の剣士、貴様はガウェインに肩を並べるだろう」

 

 そして、ランスロットが『消える』。シノンは咄嗟に、先程の急降下斬りかと空を見上げるが、何処にもランスロットの姿はない。

 だが、シノンはいつの間にか動いていた。そして、次に彼女が見たのは、血によく似た、どろりとした赤黒いダメージエフェクトだった。

 それはロズウィックがギリギリでシノンを押し飛ばし、代わりに左腕の肘から先を斬り飛ばされたからである。同時に、自分の背後にいつの間にか回っていたランスロットに、シノンもUNKNOWNも完全に対応できていなかった。 

 それでも幾多の死線を潜り抜けた猛者の2人だ。シノンはロズウィックが左腕を失いながらも生存している事を頭の片隅に、背後にいるランスロットを斬りつけようと弓剣を振るう。同じくUNKNOWNも右手の突きと左手の斬り上げの時間差連撃を繰り出す。

 それは大きく大剣を振り抜いたランスロットに間違いなく命中するように吸い込まれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 だが、ランスロットの姿は瞬間に『消える』。黒い霧となって消滅し、次の時にはシノン達の後方に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 DBOにおいて、『それ』は珍しくない。特にネクロマンサー系のモンスターなど、後方から魔法攻撃をする類の敵ならば保有している事も珍しくない。

 だが、ネームドクラスにおいて、近接戦を得意とする者が『それ』を保有している例はない。

 シノンは弓剣を弓モードに切り替えながら矢を放つ。だが、ランスロットはまたしても黒霧となって消え、彼女の右横に出現する。

 コンマにも満たないタイムラグによる瞬間移動。これこそがランスロットの持つ能力。戦慄するシノンは自分に迫る刃をギリギリで防ぐUNKNOWNに感謝するも、彼の斬撃が披露されるより先にランスロットはまたも消失し、今度は頭上に出現する。

 その左手に溜まるのは黒い炎のようなエネルギー。闇術系列の呪術の黒炎や黒火球を思い浮かべたシノンであるが、その左手に凝縮したエネルギーの濃さは視覚でも十分に分かる程に破壊力が秘められている。

 大火球などの強力な呪術はいずれも発動速度や弾速が遅い。むしろ、その爆発範囲こそが売りだからだ。だが、ランスロットの左手から放たれる黒炎弾はソウルの矢以上……連射系で1発こそ軽いがスピードはある【ソウルの連矢】にも匹敵する。

 直撃こそ免れるも、黒い爆炎は躱しきれず、シノンは右足を、UNKNOWNは右肩を炙られる。着地したかに思えたランスロットはまたも瞬間移動を、それも2回、3回、4回と連発して翻弄した後に、UNKNOWNの背後を取る。それに反応しきれたのはさすがと言うべきだろう。UNKNOWNは右手のドラゴンクラウンで振り下ろしを防ぐ。

 

「俺の【深淵渡り】に対応できたのは、ガウェイン以来だ! 嬉しいぞ、二刀流!」

 

「俺は嬉しくないな。アンタのそれ、反則だと思うぞ」

 

 それはもはや援護すらも出来ない、シノンでは立ち入れない領域の世界。UNKNOWNは次々と瞬間移動で姿を消しては背後に、右に、あるいは移動すると見せかけてそのまま斬りかかってくるランスロットに翻弄されながらも、何とか対応している。だが、ランスロットは距離を取ったかと思えば、左手の黒メテオをチャージして放つ。それに対してUNKNOWNは分裂する人工炎精を準備する。

 分かれた人工炎精たちはまずは黒メテオを爆破し、続いてランスロットを追尾する。だが、瞬間移動は考慮していない……いや、そもそも対応自体が不可能の類なのだろう。ロックオンしていた相手を見失い、そのまま直進して瓦礫を爆破して炎の勢いを強めるばかりだ。

 ランスロットの瞬間移動とUNKNOWNの強力な武器である分裂する人工炎精の相性は最悪だ。だが、UNKNOWNがそれを見抜いていないはずがない。この時間で稼いだのは、メイデン・ハーツのギミックを発動させる為だ。

 機械的なデザインをしたメイデン・ハーツは柄に備わったトリガーによって変形を発動させるのだが、マユはUNKNOWNが武器系スキルを≪片手剣≫しか持っていないと知ると、変形武器の強みである武器ジャンルの変更よりも武器性能を変質させる方が良いと判断した。シノンの理解の範疇ではないが、これは鍛冶屋の視点で言えば、贄姫と同じ発想と言えるだろう。

 故にメイデン・ハーツは複数の能力を秘めた変形剣である。刀身に施された電子回路のようなラインが黒色に光る。

 

「モード1【黒騎士】」

 

 混沌のデーモンと対峙したグウィン王の騎士、炎に焼かれ、かつての銀を黒に変じさせた甲冑を纏う者たち。DBOの各地で確認できるリポップしない人型モンスターであり、撃破すれば高い経験値とレアアイテムが貰える代わりに、ずば抜けた実力を持つ。

 彼らは黒騎士。その得物はデーモンを倒す為にひたすらに分厚く、また重い。

 メイデン・ハーツには黒騎士シリーズの特大剣である【黒騎士の大剣】を3本も素材として使用している。現時点で黒騎士の特大剣は4本しかDBOに存在しない事を考慮すれば、内の3本がメイデン・ハーツの為に『溶かされた』事になる。

 黒騎士モードでは、メイデン・ハーツは重量を増加させると引き換えに、デーモン特効とSTRボーナスの増幅を行う。扱いは重さの分だけ困難になるが、STR高めのUNKNOWNならばギリギリ片手で振るえる。だが、それでも気を抜けば剣にコントロールが奪われてしまうだろう。

 何よりも発動まで全モードで最も時間がかかる。だが、一撃の重さが増した事によりランスロットの大剣とも渡り合えるようになる。

 更に、UNKNOWNは≪集気法≫で両足に青いオーラを纏わせる。瞬間移動に対応する為に、DEX強化のバフをかけたのだ。回避力も増加し、メテオにも対応できるスピードを手に入れる。

 

「しっかりして。すぐに止血するわ」

 

 シノンはまだ生存しているロズウィックの左腕を止血包帯で巻き、その口に深緑霊水を含ませる。

 そうしている間にも、ランスロットとUNKNOWNの戦いは激化する。ランスロットは瞬間移動を併用しながら、卓越した剣技でUNKNOWNを強襲し、対して彼は優れた剣技で迎撃してカウンターを狙う。特に黒騎士モードは耐久性能も全面的に上昇する。故にランスロットの大剣をより真正面から受け止められる。

 それは一見すれば拮抗している戦い。だが、シノンの目には着実にUNKNOWNが追い込まれているのは明らかだった。

 まずはスタミナ。UNKNOWNはメテオを回避しているが、あくまで直撃を裂けているだけであり、炎には何度も焼かれている。バトルヒーリングによってダメージをある程度は打ち消しているが、闇術系は総じてスタミナ削り効果がある。如何に近接プレイヤーとしてCONを高めているとしても、スタミナは着実に削られ続けている。

 次にUNKNOWNは『待ち』の状態である事。瞬間移動に対応する為とはいえ、折角のDEX強化を潰すように、彼の足は止まってしまっている。せいぜいがメテオの回避だけだ。確かにカウンター狙いならば有効であるが、これは彼が本来狙っていた展開に引き込めていない証拠だ。

 最後がランスロットのHPだ。黒騎士モードは攻撃力増強こそが売りなのだが、そのランスロットに先程からずっと一太刀として斬りつけることは叶っていない。ランスロットのHPはシノンの矢から得たダメージ以外、1ドットと減っていないのだ。

 

「優れた剣士だ。俺の【深淵渡り】に対応するのみならず、反撃まで試みるとはな。だが、攻めねば勝てんぞ?」

 

 軽口を叩くランスロットに対して、UNKNOWNは閉口。その仮面に隠されていない生肌からは汗が飛び散り続けている。

 そして、ランスロットの動きが更に加速する。ランスロットの剣技に対応しようとするUNKNOWNであるが、ランスロットは嫌でも分かる程に、定められたオペレーションに従った普通のネームドではない。自意識があり、思考を張り巡らせて、こちらを全力で殺しにかかる、DBOで最も危険視されているAIだ。当然ながら、UNKNOWNの剣技を解析するのみならず、崩す方法も思案していたのだろう。右手のドラゴンクラウンで受け流そうとする動きに呼応し、突き上げに派生させて大きく剣を弾き上げる。

 苦し紛れに左手のメイデン・ハーツでランスロットを追い払うも、漆黒の騎士は瞬間移動で背後に回り込み、UNKNOWNの背中を深く斬りつける。HPが急激に減る中で、UNKNOWNは振り返りながら両手の剣を並走させた反転斬りを繰り出すも、またも瞬間移動で間合いから逃れたランスロットは左手にチャージした黒メテオを放つ。

 爆発に呑まれたUNKNOWNが吹き飛ばされて転がり、地面に倒れながらも起き上がろうとするが、跳び上がりからの上空強襲突きでランスロットはトドメを刺そうとする。それをシノンは≪弓矢≫の単発ソードスキル【エア・クオリア】で突きを逸らす。UNKNOWNの頭部を割るはずだった突きは辛うじて軌道を歪め、髪を掠めながら地面に突き刺さり、衝撃波のみが仮面の剣士を再度吹き飛ばした。

 衝撃波にもダメージ判定があるようだが、直撃よりはマシだろう。バトルヒーリングで回復しているとはいえ、ダメージは蓄積する。UNKNOWNは仮面の口元をスライドさせ、アイマスクモードにすると、深緑霊水で回復を図る。それをランスロットは悠然と見送る。

 

「……この程度か。ガウェインと同格と見たのは盛り過ぎだったか?」

 

 つまらない。そう告げるように、ランスロットの嬉々とした戦士の闘志が冷たい殺意に変じていくのをシノンはソードスキルの硬直の中で感じ取る。

 

「貴様の剣には業が足りない。迷いで鈍り、血への恐れで淀んだ刃は俺には届かん。どれだけ技は優れていても、刃に通う血が腐っていてはな。半端者が」

 

 ランスロットの構えが変わる。これまでの自身の技を披露していく、ある種の興奮に満ちた戦い方ではない。ここからは『殺し』だと宣言するような濃厚な殺意の構えだ。

 

「戦場で死ねるならば、剣士として本望だろう。貴様の剣士としての死に様は憶えておいてやる」

 

 片膝をついたUNKNOWNに、ランスロットは片手突進突きを繰り出す。UNKNOWNはそれを紙一重で躱すも、続く回転斬りをガードせざるを得ず、クロスさせた両手の剣が弾かれる。

 こんな所で死なせられない! シノンは矢を連射するも、ランスロットは邪魔をするなとばかりに左手から黒メテオを放つ。それはチャージしていない低威力であるが、地面を狙ったそれは爆ぜ、矢の軌道を阻害する黒炎を揺らめかせる。

 弓剣を曲剣に変じさせながら、シノンは駆ける。このまま死なせるわけにはいかない! たとえ、この体を盾にしてでもUNKNOWNを守る!

 だが、無情にもランスロットの動きの方が遥かに早い。漆黒の騎士は闇濡れの大剣を、赤い月に捧げるように振り上げた。

 

「――ない」

 

 ランスロットは大きく振り上げた大剣を振り下ろす。それを見上げるUNKNOWNは、今は露になった口元を、その唇を、小さく動かす。

 

 

 

 

「俺は……死ねない。アスナを取り戻すまで……死ねない!」

 

 

 

 

 何が起きたのか、シノンには分からなかった。

 確かにランスロットの剣はUNKNOWNを脳天から両断するはずだった。だが、まるで映画のフィルムが切れたかのように、1つの場面を跳び抜かしたかのように、UNKNOWNは左に数歩分だけ『ズレ』ていたのだ。そのアバターにはノイズが走り、まるでランスロットと対を成すように、空間を構成するポリゴンが粉雪の如く全身から光の粒が散っていた。

 そして、続いて2人の剣士を邪魔するように、廃坑都市の風車にしがみついていたアメンドーズより紫色の太いレーザーが放たれる。それは爆炎を走らせながら、ランスロット諸共UNKNOWNを吹き飛ばすように、地面を爆ぜさせていく。

 紫の光が溢れた後に爆風に吹き飛ばされたシノンは、自分の体が瓦礫に埋まっていることを悟る。辛うじて見える範囲では、先程までランスロットと死闘があった空間は今や無残にも焼け爛れ、立っているのは煤を払う漆黒の騎士のみ。そして、その傍には肘から先のUNKNOWNの右腕がドラゴンクラウンを握ったまま転がっている。

 

「……あのアメンドーズ、ずっと我々の戦いを見ていた奴か。オベイロンめ、余計な事を。お陰で『逃がして』しまったではないか」

 

 UNKNOWNが跡形もなく消し飛んだのかと血の気が引いていたシノンであるが、ランスロットの発言で彼の生存は皮肉にも証明されて安堵する。

 

「しかし興味深い。【深淵渡り】を真似たのか? あれがオベイロンの言っていた1部の【来訪者】の持つ特別な力という奴か。あの二刀流、心技体のいずれも成長の余地があると見た。次第によってはガウェインを超えるか? ここで仕留められなかったのは惜しいな。だが、あの爆発で何処に吹き飛んだのか分からん。それに片腕では……」

 

 ブツブツと呟いたランスロットは、小さく溜め息を吐いた。そして、シノンの方に炎を踏み鳴らしながら近づいてくる。

 戦わなければならない。シノンは起き上がろうとするも、全身は瓦礫で押し潰されているだけではなく、右足は潰れ、右腕はあらぬ方向に曲がっている。HPは既に4割を切り、たとえ回復したとしても、動けない状態ならば、ランスロットに嬲り殺しにされるだけだ。

 

(ああ、ここで死ぬ……の、かしら?)

 

 ダメージフィードバッグが大き過ぎるのだろう。脳が悲鳴を上げるように視界が薄れる。ランスロットは着実に迫っている。明らかにこちらの居場所を察知している歩みだ。

 騎士とはいえ、手負いの敵を見逃す程に情は篤くないだろう。シノンはせめて反撃する為にも、何か攻撃手段はないかと頭を巡らせるが、名案は思い浮かばない。

 その時だった。炎の中で何かが煌き、ランスロットは咄嗟に回避を取ってシノンから離れる。炎による空気の歪みと薄れる視界の中で、シノンは何が起きているのか確認しようとするが、乱入者はランスロットに襲い掛かる。

 戦いの余波で更に埋もれるシノンが最後に見たのは、炎の中で美しく靡く白髪だった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 レギオン祭りか。獣狩りの夜の再来とはやってくれる。あるいは、キャリア・レギオンが出現した自称『1周年イベント』もオベイロンが仕掛けたものだったのだろうか。

 次々とレギオン化していく人々を、せめて苦しませない為に、意識がある内に首を胴から斬り取る。贄姫ならばカタナ特有のクリティカルダメージと急所判定で、ほぼ一撃で廃坑都市の住人は殺害できる。

 だが、敵はレギオンばかりではない。いつの間にか各所にて、主に廃坑都市の高所に陣取ったアメンドーズがレーザーを次々と放って街を破壊している。この調子ならば、廃坑都市は明日の朝を迎える頃には更地になっているかもしれない。もちろん、死屍累々で生存者などいないだろう。

 加えて都市の外縁には明らかに危険だろう、青い雷光を纏った黒毛の白骨化した獣がいる。どんなモンスターかは分からないが、ネームド級と見て間違いない。

 

「酷い……酷過ぎます! このような惨たらしい真似がどうして出来るのですか!?」

 

 傷つく人々を鱗粉で癒しながら、イリスは義憤のままに叫ぶ。

 

「反オベイロン派なんて所詮は体制に立てつくレジスタンスでしょう? 気取って都市1つを拠点にしちゃって、なおかつ安全だって腑抜けてたらこうなるのも当然じゃない?」

 

 そして、身も蓋も無い発言をするザクロは、今は素顔を隠す兜を被り、短刀と鎖鎌のコンビネーションで、アメンドーズの小型版……人々が小アメンドーズと呼ぶ怪物を積極的に倒している。どうやら小アメンドーズの弱点は頭部らしく、≪暗器≫の鎌によるクリティカル補正による大ダメージ、そしてザクロの短刀を使った素早い連撃によって次々と細切れにされていく。

 あの短刀は≪カタナ≫と≪短剣≫の2つの特性を持っているのだろう。脇差サイズであるが、取り回しが良く、忍者を自称するザクロとは相性も良い。オレは贄姫の水銀居合でレギオンの群れを纏めて始末し、減った水銀ゲージを小アメンドーズを斬りつけて回復する。

 

「やり方は何であれ、オベイロンは本格的にオレ達を潰しにかかっている。ザクロ、イリス、このまま廃坑都市を脱出するが、何か策はあるか?」

 

「先程の爆撃は投石器の類だと想定されます。そうなると都市は完全に包囲されてると考えるのが自然でしょう。陸路での脱出は絶望的だと思われます」

 

「同意見ね。それに、この攻撃は明らかに計画性を感じるわ。そうなると一般的な脱出手段である銅水の盆は既に破壊か占拠されていると見て間違いない」

 

 オレの問いかけに、即座にイリスもザクロも返答する。OKだ。2人とも混乱はない。ザクロは幾らポンコツNINJAとはいえ、傭兵時代のキャリアがある以上は冷静な判断を欠くことはない。イリスも善性で感情的にはなっているが、廃坑都市を救う・守るといった現実性の無い発言はなく、客観的に状況を分析できている。

 

「逃げ場はない完全包囲だ。1点突破するにしても戦力がいる。そうなると脱出路は、VIP専用に期待するしかないか」

 

 暁の翅は肥大化し過ぎている。恐らくはトップだけが知る秘密の逃げ道などがあるはずだ。執政者とは常に保身に長けているものだからな。オベイロンの攻撃がどの程度の精度かは不明だが、この攻撃は明らかに包囲殲滅を想定している。ならば、秘匿された脱出路も暴かれていた場合、自ら罠に嵌まりに行くようなものだ。

 そもそも地理に詳しくない廃坑都市において、何処を目指すのが正解なのかも不明だ。特に余剰戦力だろう、廃坑都市を囲む青い雷撃を帯びた黒い獣……あれが本格的に参戦すれば、勝ち目はほぼ摘み取られる。

 普段ならば、迷いなく包囲網の突破を選ぶのだが、それではザクロもイリスも生存は絶望的だろう。オレも死ぬ確率が高い。ならば、オベイロンが幕を下ろしにかかるより前に、何としても活路を見つけ出さねばならない。

 

「私に考えがあります。この炎と敵では主様も【渡り鳥】様も自由に動き回れません。ですが、飛行できる私ならば……」

 

 イリスの進言通り、彼女ならば持ち前の飛行能力で上空から戦況を俯瞰し、生存者のルートを分析して、脱出路を暴き出す事も出来るだろう。だが、イリスは決して戦闘能力は高くない。飛行能力と回避能力は優れた武器になり得るが、攻撃手段と言えば鋭利な翅による攻撃と噛みつき程度だ。

 

「……いや、もっと効率を重視しよう。オレはこのまま単独で廃坑都市を駆け回って敵を倒しながら、囮と情報収集を両立させる。ザクロはイリスと組んで『足』を確保してくれ。そして、イリスはあくまでザクロの上空で情報収集と索敵を行って、脱出路の捜索に専念しろ」

 

「ヘス・リザードね。あの子、臆病だけど大丈夫かしら」

 

 別にヘス・リザードでなくとも良いのだが、ザクロは意気揚々と作戦に乗り気なので口を挟まないでおこう。イリスも納得した様子であるが、責めるようにオレを睨んでいるのは気のせいではない。

 

「【渡り鳥】様」

 

「これがベストでなくともベターな判断だ」

 

「……ええ、そうですね。ですが、お忘れなきように。私たちは『チーム』です。私も、主様も、必ずあなたのピンチに駆けつけます」

 

 真摯な眼差しで告げられれば、オレは押し黙ってイリスに苦笑してしまう。この虫ちゃんは本当に揺れない精神をお持ちのようだ。

 どうせいつものようにザクロが批判で茶々を入れるだろうと思っていたが、彼女は意外にも蛹のようなものをオレのコートの襟の裏にそっと張り付けた。

 

「これでお前の居場所は大まかだけど分かる。不本意だけど、私たちは『チーム』なんでしょう? 私のピンチにも……その……駆けつけなさいよ?」

 

 ザクロからの意外な救援要請の相互確約に、オレは言葉を失いながらも、イリスの言葉を思い出す。

 変わろうとしているのは、きっと変化を求める気持ちがあるからだ。ザクロはイリスの言う通り、オレが尊敬してやまない『人』としての『強さ』を得ようと……いや、取り戻そうとしているのかもしれない。

 

「死ぬなよ」

 

 だからだろう。オレは……この復讐者を……ザクロを『殺したい』と思った。

 オレの言葉を予想外だったように、兜をもう1度被り直したザクロは鎖鎌で煙突にしがみついて、レーザーを乱射しているアメンドーズを指し示す。

 

「そっちこそ。差し当たってだけど、あのアメンドーズとかいうバケモノを1体始末する手伝いをしてやるわ。お別れはその後ね」

 

 そう言ってザクロが召喚したのは、バスケットボール程もある巨大な蠅の群れだ。それらは攻撃力こそないが、小アメンドーズたちのレーザーを防ぐ肉壁の役目を果たす。だが、ザクロの真意はそこではない。

 

「行け、【渡り鳥】!」

 

 ザクロとイリスはオレに背を向けて、騎獣管理棟を目指して駆け出す。オレはアメンドーズへと川の流れのようになって飛んでいく蠅を足場にして宙を跳ぶ。

 アメンドーズが、その名の由来のようなアーモンドに似た頭部で、無数の網目の隠された数多の黄色い眼球をオレに向ける。心がざわつく気がする。だが、オレは一呼吸でそれを霧散させ、アメンドーズの続くレーザーを蠅から蠅に跳び移り続けることで、まるで空を散歩するように回避しながら、多腕の怪物へと接近していく。

 ヤツメ様が踊る。何処に跳べば良いのか教えてくれる。張り巡らされたヤツメ様の糸は、まるで空中を自由に歩き回る足場のようであり、アメンドーズのレーザーの乱撃を苦も無く潜り抜けてその頭部、目と鼻の先まで到達する。

 抜刀、贄姫。居合でアメンドーズの頭部を斬り裂けば、黄ばんだ体液が溢れ出す。傷口から溢れたそれらは地面に接触すると泡立つ。呪術の【酸の霧】などの耐久度減少効果を持っているのだろう。だが、耐久性能が低いカタナが影響を受けた様子はない。瞬間的な接触ならば無効化するのだろう。

 居合からの3連斬りで、花開くように刻み付け、アメンドーズが頭部から酸性の体液を撒き散らしながら落下する。このままアメンドーズを仕留める。アメンドーズが二足歩行で追いかけてくるより先に、オレは別れ際に連装銃で顔面をぶち抜きながら、その胴に着地し、贄姫の水銀居合で更に頭部を斬りつける。暴れ狂うアメンドーズは、頭部に次いで特徴的な多腕、それらの掌に備わった水晶体を輝かせる。それは虹色に縁取られたブラックホールのようなものを生み出し、周囲を消滅させながら衝撃波を生み出す。

 立ち上がったアメンドーズは太いレーザーでオレを薙ぎ払おうとする。ステップで回避し、続く爆発の範囲から逃れると、そこでアメンドーズは待っていたとばかりに掌を虹色ブラックホールと共に叩きつける。

 踵に力を入れた急ブレーキと共に、全身を駆け巡る運動エネルギーを感じ取る。そして、それらを宙を浮く為の脚力として活用し、空中前転の要領で三日月を体で描きながら掌を躱し、逆に手の甲に着地する。

 ブラックホールの爆発までのラグはコンマ1秒未満。既に分析済み。DEX出力を高め、エネルギーロスを最小に抑えて腕を駆け上がる。

 微笑みながら、オレは水銀居合を至近距離から放って、アメンドーズの頭部の上半分を切断する。今度こそ絶命したアメンドーズは活動を停止して沈黙して倒れる。

 スプリガンの地下遺跡にいたアメンドーズよりも小型だ。もしもアメンドーズが体格によって性能が異なるならば、この廃坑都市にいるアメンドーズはいずれも、あの妙なまでに馴れ馴れしかったアメンドーズよりも軒並みに小型なので、存外そんなに強くないのかもしれない。特に耐久面は大したことがない。あるいは、頭部が著しい弱点なのか。

 このままアメンドーズ狩りをしても良いのだが、余りにも戦力を削り過ぎると待機している黒い獣が投入されるかもしれない。何よりも、次の爆撃まで時間はあまりないだろう。囮に徹して戦力を集めるにしても、広大な廃坑都市ではオレ1人では効果も薄い。

 つまるところ、オレに出来る事と言えば、地道に小アメンドーズとレギオンを減らしつつ、アメンドーズを集めて、なるべく自分にレーザーを集めることくらいだ。

 と、そこでオレは首筋にざわめきを覚える。

 廃坑都市に満ちる恐怖と死と血の香りに混じった……研ぎ澄まされた、喉を鋭く斬り裂くような殺気を感じ取る。

 何か……何か……危険な奴がいる。レギオンの頭部をアビス・イーターで叩き潰し、変形からの槍モードで小アメンドーズ3体を纏めて串刺しにし、そのまま振り払いながら両手剣モードに戻して背負うと、殺意の居所に意識を集中させる。

 それはヤツメ様の糸が集中する場所だ。オレはふらりとそちらに足を運ぼうとするが、ヤツメ様がオレの左袖をつかんで足止めする。

 

 

 そっちに行っては駄目。このまま逃げよう? ずっとずっと『私たち』だけだった。他の誰もいらない。何も要らない。そうでしょう?

 

 

 右手に黄金の稲穂を握りしめたヤツメ様は、いつものように血と死を渇望する笑みはなく、今にも泣きそうな顔でオレを、闘争の渇望が集積する死地への歩みを止めようとする。

 いかなる戦いの時も、ヤツメ様は決して戦いを止めなかった。確かにアルトリウス……深淵の魔物の戦いの時は撤退も叫んだが、それはオレの生存以上に、状況を鑑みての戦略的撤退の意図がある。

 だから、こんな風にオレを足止めしようとするヤツメ様は初めてだった。困惑していると、やがてヤツメ様は諦めたように、寂しそうに、小さく首を振って握るコートの袖を離した。

 

 

 今更、遅いよね。『私たち』には戦いしかない。殺ししかない。それが悦び。この飢えと渇きを満たす唯一の手段。それでも私はね、あなたが『痛い』と叫ぶ度に……とても辛いの。だから、どうか身を委ねて。この闘争に。殺意に。『私たち』はそんな風に生まれてきたのだから。

 

 

 ヤツメ様が要求するのは、黄金の稲穂を火の中に放り、灰になるまで焼き尽くすこと。そして、殺しの悦楽に……血に酔って望むままに殺戮に興じる事。だけど、それはオレが望まない『獣』の道だ。

 その黄金の稲穂には大切な『何か』を残している気がする。だけど、ヤツメ様はそれが気にくわなくて……いや、違う。この黄金の稲穂が『何』なのか、オレが知る事を嫌がっている。

 炎が廃坑都市を壊していく。赤い月が人々を狂わせていく。レギオンを生んだのはオレの血だ。『オレ達』の血だ。

 見つめ合っていたヤツメ様がクスクスと楽しそうに……無理して笑う。そして、いつものようにオレの首に抱き着いた。

 

 

 大丈夫。私だけは裏切らない。私だけが最後まで傍にいる。あなたを勝利に導く。血を求めなさい。更なる死を求めなさい。殺して殺して殺して……いつか、あなたの心が血で酔って溺れて、『痛み』が忘れられる月無き夜が訪れるまで。

 

 

 ヤツメ様が手を引いて、血を昂らせる。狩人が先んじて炎の中で、小アメンドーズとレギオンを避けて突破できる最短ルートを割り出す。レギオンを見逃すのは口惜しいが、今はこの殺意の元凶にたどり着く方が先だ。

 オレがたどり着くより先に、アメンドーズの1体がレーザーを放ち、巨大な爆発を引き起こす。炎が大地を焦がす、かつては大通りでも賑わっていただろう区画は、今や無残に焼き爛れ、瓦礫ばかりが集積している。

 その中で、オレが見つけたのは1人の騎士だった。

 その全身は密着性の高い、機動性を重視した漆黒の鎧に覆われている。スマートな印象を受ける立ち姿に相応しく、兜は狼の意匠を感じさせるフルフェイス。まるで獣の双眸のような2つの横長のスリットの覗き穴から漏れるのは黄金の光。兜の飾り緒か、それとも地毛なのか、真紅の一房が靡いている。

 右手に持つのは身の丈にも近しい大剣。特大剣と呼ぶほどではない。大型両手剣だろう。元々は壮麗なる銀の大剣だったのだろうが、今は闇に濡れ、光を映し込まぬ黒の刃と化している。その闇濡れの大剣は何処となくアルトリウスの聖剣に近しい印象を受けるが、こちらの方がより無骨であり、刀身に施された装飾も何かしらの言葉だ。恐らくだが、何かしらの祈りの言葉なのだろうとオレは感じ取る。

 瓦礫が一際積もった場所へと緩慢に歩み寄る漆黒の騎士の足取りに迷いはない。そして、ヤツメ様はケタケタ笑って瓦礫の山を指差している。どうやら、下敷きになった誰かがいるようだ。漆黒の騎士はその人物にトドメを刺すつもりなのだろう。

 

「うぐっ……」

 

 このまま背後から贄姫で奇襲を狙うか。オレがそう考えていると、爆発に巻き込まれて瀕死らしい、割れたモノクルをかけた隻腕の男がオレの足をつかむ。

 

「頼む……『彼女』を……助けて、くれ……!」

 

 息絶え絶えの男に、オレは嘆息を吐く。縋るにしても相手が悪いだろう。オレは救助依頼を不得意とする。だが、どうやら埋まっているのは、このモノクル男にとって大事な人物らしい。このまま死なれても寝覚めが悪いので、オレはナグナの血清を男の首に打ち込んでHPを回復させる。幸いにも欠損は切断されたらしい左腕のみ。各傷口から流血によるスリップダメージもあるようだが、ナグナの血清1本分で延命は十分だろう。

 10本しかないナグナの血清であったが、アルヴヘイムに到着以来、オレ自身には1度も使わずに4本も消費してしまった。ヨルコに合わせる顔が無いな。まぁ、元より連続使用には適さない回復アイテムであるし、≪ソウル・ドレイン≫のお陰でモンスターを倒せば倒す程にHPと魔力は微量回復する。それに義眼のオートヒーリングもあるので、放っておいても十分にHPは回復するしな。

 

「その依頼……確かに引き受けた」

 

 背後からならば忍び寄って一撃狙えそうだが、元より失敗しそうな奇襲だ。モノクル伊達男に後でたっぷりと報酬を後払いでもらうとして、漆黒の騎士へとオレは炎を突き抜けて斬りかかる。

 やはりと言うべきか。漆黒の騎士はオレの足音を耳にするよりも先に感知したように振り返りながら回避行動を取る。オレは右手の贄姫で斬りかかるも、漆黒の騎士は悠然とした紙一重で躱す。

 土煙と灰を巻き上げ、漆黒の騎士は右手に闇濡れの大剣を握り、左手で地面をつかんだ低姿勢でオレを睨む。対してオレは贄姫を鞘に納め、漆黒の騎士に応じるように、アビス・イーターを抜いて両手で構える。

 

「こんばんは」

 

 微笑みながらオレは漆黒の騎士に挨拶する。すると騎士は面白いと言うように、眼のような黄金の光を細めた。

 

「ああ、こんばんは。とても良い夜だな。貴様もまた【来訪者】とやらか」

 

 そして、漆黒の騎士は……裏切りの騎士ランスロットは弾けたように跳ぶ。地を這うような刺突はアビス・イーターでいなし、逆に斬りつけようとするが、ランスロットは右足を軸にして回し蹴りを繰り出す。それを咄嗟に屈んで躱し、逆手に構えたアビス・イーターの柄頭で腹を打とうとするが、それをランスロットは1歩分の退避で不発にし、刺突から淀みなく上段からの振り下ろしに繋げる。

 まずは袈裟斬り。続いて薙ぎ払い。回避したところに狙い澄ました刺突。最後の突きだけをアビス・イーターで受け流す。

 正統派の騎士の剣技。盾を用いない大剣使い独特の、1つ1つの動きが連撃を想定し、相手の多様な動きに対応する為の派生技が豊富である事を感じ取る。だが、それ故に突きはある種のフィニッシュ技だろう。故に、そこから繋がるのは異なる系列の剣技だ。ランスロットは右手だけで何度も執拗にオレを叩きつけるように斬りかかったかと思えば、左肩のショルダータックルからの回転斬り、そして躱したところで両手を柄に這わせた大剣で、遠心力を乗せた振り下ろしを繰り出す。

 だが、これも本命ではない。ヤツメ様の顔に余裕の笑みはない。目元を厳しくして、ランスロットの動きを1つとして見逃さないように注視している。

 続いたのは、かつてアルトリウスが多用した回転退却斬り。回転斬りをしながら後ろに大きく跳び退く、距離を取る動作を攻撃に取り入れたダイナミックな剣技だ。だが、それを地面に伏せる程に身を屈める事で躱し、着地したランスロットに目がけて片手突進突きを放つ。

 だが、ランスロットはこれを難なく受け流す。STRは相手の方が上だ。ましてや、一連の戦いで互いにアルトリウスを源流とする深淵狩りの剣技の使い手と見抜き合うには十分だろう。

 

「白き深淵狩りよ、その剣技を何処で会得した?」

 

「傭兵という職業柄、情報漏洩は死に繋がります。申し上げられません」

 

「深淵狩りが傭兵業か。随分と若い世代のようだが、今の深淵狩りとは皆そうなのか?」

 

「そもそも他の深淵狩りと出会う機会が無い逸れ者なもので。裏切りの騎士のダンスのお相手には不十分でしょうか?」

 

「それは腕前次第だな。俺の剣に遅れて簡単に死んでくれるなよ、白き深淵狩り!」

 

 ランスロットが笑い、オレは微笑み、互いの刃が交差し、並走し、火花を散らし合う。ランスロットの剣技はアルトリウスのみならず、数多の武勇を感じさせる、多種多様な複合。彼自身が独自にブレンドした、強大な深淵の魔物のみならず、対多数の『人間』や強大な『個人』すらも相手取る事を想定し、実際にそれを成してきた、実戦と経験に裏打ちされた、合金の剣技だ。

 だが、一撃の重さは同じ人型とはいえ、神族であり、体格が人間の倍近くあったアルトリウスの方が勝る。だが、剣速に関しては小回りが利く分だけ凄まじい。それに重さが無いとはいえ、それはアルトリウスと比較しての事だ。シャルルと同じで一撃でもまともに受ければ押し込まれ、また特に渾身の踏み込み斬りはまともにガードすれば武器を弾き上げられてしまうだろう。

 良し。あのモノクル男から頼まれた瓦礫の山からは十分に引き離した。レギオンと小アメンドーズが跋扈する、今は縁が壊れて水浸しとなった泥まみれの噴水広場にたどり着く。灰色のコートを翻し、囲む小アメンドーズを纏めてアビス・イーターで斬り払い、その隙を狙って上空からの強襲突きを繰り出すランスロットを、左手で地面を掴みながらのバック転で躱しつつ、続く衝撃波をアビス・イーターの刀身でガードする。

 泥の地面を滑り、わざと慣性に従って距離を取る。だが、途端にランスロットの姿が消失する。

 ヤツメ様が叫ぶ! 首筋に死の気配が駆け抜け、殺戮の悦楽が隙間から思考を染め上げようとする。

 

 不要な恐れなど無用。我らは神殺しの狩人。我ら1000年の研磨された闘争の血に迷い無し。

 

 狩人が指を鳴らし、不敵に笑う。

 炎で炙られた世界で、昂る血が冷たき熱となって脳髄と心と魂となって駆け巡る。

 

 来たれ。

 来たれ来たれ。

 来たれ来たれ来たれ。狩人の血よ、来たれ。

 

 左手で逆手抜きした贄姫の刃は背後……と見せかけて左真横から、闇と共に出現したランスロットを迎え撃つ。火花は散らず、柳に吹く風のように、清流が岩を優しく浸すように、ランスロットの袈裟斬りを受け流す。

 仕切り直しは必然。アビス・イーターを背負いながら、右手で連装銃を抜きながら、指でピンを抜いて骨針の黒帯を起動させ、眼帯を外す。

 

「死角から狙ったつもりだったが、どうやって『感知』した? あの二刀流と違って、貴様は俺が出現するよりも先に反応したな?」

 

「少しばかり『鼻』が利くんですよ。それよりも二刀流とは?」

 

「先程まで黒い二刀流と戦り合っていたのだがな、仕留めそこなってしまった。なかなかに面白い剣士だったぞ。貴様と同じで俺の【深淵渡り】に対応できた。今宵は本当に驚かされてばかりだ。俺の【深淵渡り】も鈍ったのか? これではガウェインの名誉を汚す事になる」

 

 溜め息を吐きながら、兜越しで顔を覆うランスロットは、右肩を大剣で叩く。その姿は飄々としていているが、英雄に相応しき威風堂々だ。故に裏切りの誹りを受ける理由……深淵に与している理由を知りたい。甲冑と大剣を染めるだけではなく、アルトリウスと違って深淵の力を完全に我が物として使いこなしている。

 しかし、オレの到着前にどうやら『アイツ』と派手に殺し合っていたようだ。ヤツメ様が察知するのも道理だな。だが、そうなると瓦礫に埋もれていたのは『アイツ』なのだろうか?

 考えるのは後だな。こうして戦っている間にも小アメンドーズが集まっている。ランスロットと戦いながら雑魚の相手は出来ない。オレは泥まみれの噴水広場から、近くの原型が残る建物へと跳び上がる。だが、そこには深淵の力で瞬間移動したランスロットが待ち構えている。

 レギオン・バーサーカーの雷光による瞬間移動とほぼ同速であるが、あちらは瞬間移動後に次の攻撃のモーションを起こさないといけないが、ランスロットの場合は瞬間移動を終えた時点で攻撃の流れが出来ている。だが、今の瞬間移動で1つの予想が立てられた。

 まずはそれを立証する。建物から建物に飛び移り、オレとランスロットの間をアメンドーズのレーザーが通り過ぎる。火柱が爆発を生み、瞬間移動したランスロットがオレの逃走ルートに移動しながら斬り払う。それを跳び退いて躱し、ステップを踏んで回り込もうとするが、またも消えたランスロットはオレの背後から斬撃を繰り出し、カウンターを差し込むより先にまたも消えて、今度は距離を取って左手に黒い炎を溜めている。

 ヤツメ様の糸が『点』となるまで重なり合う。オレはそれを狙って鞘に収めた贄姫で水銀居合を繰り出す。

 放たれたの黒い炎の塊。大火球クラスの大きさであるが、速度は生半可な矢よりも高速だ。それを水銀居合で迎撃し、オレとランスロットの間で爆破する。

 あの技、ハレルヤ……ケイタがかつて使用してきた攻撃に似ている。いや、ケイタ『が』似ていたのか? どちらにしても要領は同じだ。チャージ時間に応じて威力とスピードを高めるようだ。ただし、チャージ速度はケイタの比ではないようだが。

 しかし、やはり予想通りか。ランスロットの瞬間移動は移動距離に応じて出現までの時間が伸びる。つまり、消失から出現までのインターバルは移動距離に応じるという事だ。そして、連続発動は可能であるが、この手の能力はネームドでも無制限ではない。使用回数、総距離、最大連用数など定められているはず。ただし、それは10回や20回の連用で止められるものではない。

 次にランスロットは厄介な事に、回避に重点を置いたネームドだ。アルトリウスのように『攻撃を受けても反撃する』事を前提としていない。人間と同じ体格のランスロットは、よりプレイヤーに近しい存在なのだろう。いや、むしろプレイヤーアバターにネームド性能が付与されていると考えた方が理解しやすいのかもしれない。

 しかし、シャルルの例もある。3本のHPバーは、1本減らすごとに防御力が激増していくならば……かなりまずいな。何せランスロットのあの態度、まだまだ力を隠している。何よりも3本もHPバーがあるのだ。1本減らすごとに、より強力な能力を解放していくのは間違いない。

 瞬間移動で間合いを詰めたランスロットの斬り上げから続く、ディレイをかけて回避に追尾する振り下ろし。それを贄姫で受け流すも、ランスロットの膝蹴りが顎を掠める。更に肘から先が蹴り上がる。

 間合いを取る。右手の連装銃で狙い撃つも、ランスロットは大剣で2発の銃弾を受け止める。深淵の力を持つランスロットに闇属性付与弾は効果が薄い。完璧にガードでダメージが通っていない。

 左手が黒く輝き、ランスロットは至近距離で黒メテオを放つ。命中すれば闇属性の大爆発が引き起こされ、闇術同様にスタミナを奪う類だろう。如何に古狼の牙の首飾りでスタミナ回復速度を引き上げているとはいえ、スタミナ自体を削られては大きなマイナスだ。

 贄姫が水銀を溢れさせ、飛沫となって散らす。刺突からの水銀による面攻撃。ランスロットは左手を突き出すと黒い波動のバリアを生み出して防ぐ。それはまるで深淵の盾だ。ダークレイスと呼ばれる人型モンスターがいるのだが、それが使うダークハンドに良く似ている。いや、深淵繋がりで同じ力なのかもしれない。

 ここだ。贄姫を振るい、闇のバリアを斬り払おうとする。一撃では剥げない。だが、あれは緊急防御手段だろう。ならば、連撃で崩せる。

 だが、ランスロットは容易く距離を取り、両手で握った闇濡れの大剣より、アルトリウスが用いた連続縦回転斬りを繰り出す。その速度たるや、アルトリウス以上だ。カウンターを差し込む隙は無い。

 4連続の縦回転斬りの最中にランスロットは消失し、オレの背後に移動する。先んじて連装銃で移動場所を狙おうとするが、速度が追い付かない。ランスロットの瞬間移動の速度が増している。ヤツメ様の導きにラグを、狩人の予測にズレを生じさせるほどに、巧みに翻弄を仕掛けてきている。

 だが、瞬間移動は無理でも視覚的に消えるのはアナタの専売特許じゃない。オレはミラージュ・ランを発動させ、燐光を散らしながらもランスロットの背後へと加速を得て回り込む。一瞬だがランスロットは見失ったようだが、すぐに対応してオレに斬りかかるも、その間に右手の連装銃をホルスターに戻し、鋸ナイフ4本を指の間に挟んで投擲する。

 至近距離でのナイフ投擲。これはどうだ?

 肩、右横腹、喉、左肘を狙った鋸ナイフを、ランスロットは右手で大剣の刀身をつかんで身を横にしてナイフに対して面積を狭めてやり過ごす。これも躱すか! しかも、そのまま突進でこちらを打ち、オレは大きく体勢を崩され、建物の屋上から転がり落ちる。

 何とか宙で体幹を掌握して着地するも、ランスロットは瞬間移動でオレの正面に移動し、右手一本で大剣を振るい、首を刈り取ろうとする。狩人の血が昂り、ランスロットの大剣に絡まるヤツメ様の糸より伝わる導きは剣の軌道を割り出し、オレは体を反らして刃をやり過ごす。

 だが、ランスロットも回避は予想通りだったのだろう。右肩に担ぐように大剣を背負い、踏み込みと同時に一刀両断するような気迫の乗った振り下ろしを繰り出す。無理な回避をしたオレは本来ならば斬られるのみ。

 だが背負うアビス・イーターのギミックを発動させる。柄を握りしめた右手から伝わる振動より、鎌モードに変形に成功した事を感じ取り、その勢いで斬撃の振り下ろしの軌道から逃れたオレは抜き放つ大鎌の一閃を……地から急速に上昇する燕のように振るい抜く。

 ついにランスロットの腹に深く、『深淵喰らい』の名を持つ変形武器の刃が抉る。飛び散ったのは以外にも赤黒い……普通の血のダメージエフェクトだ。

 そのまま交差し、オレはアビス・イーターを変形させて両手剣モードに戻す。対してランスロットは、斬られた腹を押さえ、左手に付着する血を見つめていた。傷口はしっかりと残り、また流血も発生している。アルヴヘイム独自のシステムはプレイヤーにもモンスターにも平等だ。

 HPはせいぜい1割減か。深かったと言っても、途中でランスロットは回避を取って、完全に抉り斬られる事を防いだ。それが影響しているのだろう。

 

「認めよう、白き深淵狩り。貴様は俺の『敵』だ」

 

 ランスロットは血がこびり付いた左手を握りしめる。漆黒の騎士の雰囲気が変わる。先ほどまでの戦いを楽しんでいるかに思えた雰囲気は霧散し、本気の『殺し合い』を始めるような、凍える程の冷たさと炭化しそうなまでの熱を秘めた殺意が、まるで敬意を払うようにランスロットから放出される。

 ランスロットは黒炎と深淵の盾を発していた左手を大剣に這わせる。

 それは黒雷。闇濡れの大剣に黒い雷が迸り、雷鳴は闇を溢れさせ、大剣を加護する。それだけではない。ランスロットから不気味な威圧感が増幅する。それをオレは知っている。かつてアルトリウス……いや、深淵の魔物を『魔獣』と呼ぶに足る存在とした1つの能力の発動だ。

 黒ずんだ紫のオーラに包まれたランスロットは黒雷を纏った大剣を地面を抉りながら振り上げる。すると大地を黒雷が放出され、オレは跳躍を余儀なくされるが、瞬間移動したランスロットが既にそこには待ち構えていた。

 その威圧感は先程とは比較にならない。大剣をアビス・イーターで受け止め、オレはSTR出力を高めてランスロットの剣と刃を削り合う。

 半ば叩きつけられるように着地を強いられたオレに、ランスロットは神速の踏み込み斬りを繰り出す。ヤツメ様の導きを一瞬だけ振り切るも、狩人の予測で半ばまで読み切ることが出来たオレはアビス・イーターを苦肉の策で盾にする。ガードするしか出来なかった代償として、銀の刀身からポリゴンの欠片が散り、アビス・イーターに亀裂が走る。

 大きく吹き飛ばされたオレをランスロットは瞬間移動で追わない。まるで闘志を示すように、深淵纏いのオーラを滾らせていた。

 

「これよりは『深淵の騎士』としてお相手しよう」




ネームド<裏切りの騎士ランスロット>

第1形態
・アルトリウスの剣技
【深淵歩き】のアルトリウスの剣技。ランスロットは最もアルトリウスの剣技に近づいたとされる剣豪。この剣技の本質は剛剣。力で押し潰すものである。故にランスロットはより速度に特化させている。
・武芸千般
あらゆる剣技・武術を駆使するランスロットは、深淵狩りにおいても異質な存在である。特に彼の基礎であるアストラの騎士剣技は派生技も多く、繊細さと豪快さを併せ持つ。なお、ランスロットは槍術、二刀流、弓術などの全ての武技において高い技量を持つ。
・深淵渡り
深淵の闇で瞬間移動する力。スピードに特化した深淵狩りだったランスロットが深淵を使って編み出した。距離に応じて出現までのインターバルが長くなるが、隙もなく、連用も十分に可能。
・黒炎
黒メテオといった中距離カバーできる攻撃手段の獲得のみならず、その応用性の幅は極めて広い。深淵狩りの頃に多くの力を求めた名残だろう。だが、ランスロット自身には既存の呪術を修める才能は無かったようだ。我が強過ぎたのだろう。
・黒盾
ダークハンドと同じ、闇の力場による盾。あくまで緊急防御の手段であるが、その防御力は十分であり、生半可な攻撃は一切通さないだろう。
・黒雷
本来は神族……特に太陽と光の王グウィンを象徴とする力のはずであるが、ランスロットは深淵に蝕まれた黒雷を自在に操る。それは彼の本質であり、信念であり、騎士の証明である。また黒雷の使い方は戦友ガウェインに通じるものがあるだろう。裏切ろうとも、その友情に偽りはなかった。故にランスロットはガウェインの剣技を扱える。
・深淵纏い
それはかつてアルトリウスを蝕んだ闇を呼ぶもの。深淵狩りの最後の切り札であり、1部の古い深淵狩り以外は会得していない禁忌。本来は正気を失い、筋力と速度と耐久力などの全てを引き上げるものであるが、ランスロットの場合は速度に特化し、また正気を失わない。


……それでは255話でまた会いましょう。

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