SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

227 / 356
前回のあらすじ

お酒は飲んでも飲まれるな


Episode17-07 妖精の依頼

 恋とは戦争だ。では、愛とは何だろうか? シリカはカーテンを閉ざした自室で裁縫道具を取り出し、衣服を脱いで裸体となる。

 取り出すのは蝋燭の火に揺れる銀の針。繋がっているのは自身の肌の色に合わせた細い糸だ。だが、その実態は弓の弦やワイヤーなどの強化に使用される蜘蛛糸鋼製である。柔軟性と強度を両立しており、本来ならばコートなどの防具の強化に用いるべき加工品だ。

 躊躇なくシリカは針を自分の右腕に突き刺す。まるで破れたハンカチを縫うように、蜘蛛糸鋼製の糸を体に縫い込んでいく。その顔は無表情であるが、実際には生半可ではない痛みが脳に通達されている。少し前の彼女ならば最初の一縫いの段階で悶絶して動けなくなっていただろう。

 痛覚遮断率50パーセント。これでも5割の痛覚再現だ。さすがに耐え切れなくなってきたシリカは唇を噛み、悲鳴を堪えながら、痛覚遮断を復帰させようとする。だが、右腕を縫い続ける自身の左腕を噛み、赤黒い光が零れる自傷行為をしてでも『逃げる』ことを認めない。

 そうして刺繍でもするように右腕を縫い終わったシリカは、一呼吸と共に右手の開閉を行う。その細い肩に幼竜のピナがのり、垂れる脂汗を舐め取るのをシリカは感謝しながら、右手の感覚復帰を確かめて、痛覚遮断を少しずつ回復させていく。

 

(……80パーセント。これ以上遮断したら感覚が鈍る。かなり回復してきたかな)

 

 DBO初期からスタミナ切れ状態でも無理矢理動き回ったツケ。いかにVR適性が高いシリカでも、そのダメージの蓄積からは逃れ切れていなかった。右腕の感覚が鈍くなっているのは数ヶ月前からであり、それを回復させる処置として『刺繍』を思いついたのは単なる閃きだった。

 当初は5割遮断とはいえ、常に右腕で暴れ回る痛みのせいで部屋の外にはとてもではないが出られたものではなかった。だが、それでも『演技』を貫く覚悟を決めたシリカは、自分の後遺症を黙っている。

 個人の戦闘能力で言えば、シリカはSAOで最後まで最前線で粘っていた攻略組でも最低クラスだ。当時も成長したピナがいなければ、とてもではないが、幾多のボス戦で生存することはできなかっただろう。

 それはDBOでも変わらない。彼女単体の実力は上位プレイヤーに数えられても、決してトップクラスではない。そんなシリカが『活動』を続けるには、文字通り身を削る代償を支払わねばならなかった。

 武器系スキルは≪短剣≫のみ。残りは全て補助に費やした。DBOの真実、茅場の後継者の思惑、そしてアスナの救出方法。表立った活躍で広告塔となるUNKNOWNのオペレーターを務めるのも、本来では知り得ない情報も獲得できるチャンスに巡り合えるからだ。

 とはいえ、最近はそこまで無茶していないお陰か、右腕の感覚も随分と取り戻せるようになった。今でも不定期に異様な嘔吐感に襲われるが、それを除けば問題ない。獣狩りの夜は少々死にかけたが、お陰で報酬もあった。

 衣服をシステム画面で装備するのではなく、自身の手を使って着る。システム画面による着脱は便利な機能ではあるが、DBOのプレイヤーの多くは日常でその利便性を捨てる。それはシリカにも理解できる、この世界への適応だ。つまり、『この世界で生きている』という感覚が体に、心に、魂に馴染んできているという事に他ならない。

 

(ラストサンクチュアリもそろそろ『終わり』。鞍替えするなら今がベストなんですけどね)

 

 キバオウの奮闘も虚しく、ラストサンクチュアリの『弱者の庇護者』という大義名分は失われつつある。全ては教会の台頭が原因だ。今もラストサンクチュアリは教会と協定を結び、教会を守る剣にUNKNOWNを派遣する契約を結んでいる。それはキバオウなりに考えたラストサンクチュアリの延命手段であるが、延命とは病巣の摘出ではなく、文字通りの先延ばしに過ぎない。ましてや、その為に使っているのは劇薬だ。

 あの獣狩りの夜、ラストサンクチュアリは何もできなかった。UNKNOWNが活躍したお陰で辛うじての面目は保ち、また教会との協定を結ぶ足がかりも得たが、もはや形骸化した理想を誰も信じてなどいない。

 3大ギルドによって支配された攻略の否定。これはラストサンクチュアリが再三に亘って主張してきた内容であるが、これは他でもない、今まさに『テロリスト』呼ばわりされているレジスタンスの大義そのものだ。そして、最悪な事に、ラストサンクチュアリ内からレジスタンスを支援していた事実まで発覚した。

 富裕のプレイヤーに高いネットワークを持つマダムことリップスワン。彼女自身はプレイヤーとしての実力は下の下であるが、『社会』が形成されているDBOにおいて、彼女はいわば上流階級の大物だ。成金趣味であり、実際に品性はそうだとしても、そのネットワークとコミュニティは侮れない。事実として、マダムのコミュニティは3大ギルドの垣根を超えた繋がりもある。

 そのマダムを狙った卑劣なる暗殺行為。実行犯の赤砂の旗は返り討ちになった挙句に幹部のゴラムは捕縛された。そんな武勇伝をマダムが語らない訳が無い。レジスタンスに同情的だった者たちも口を揃えて『悪逆非道なテロリスト』と言葉を並べ、ゴラムは裏切って仲間の情報を吐いた。それはクラウドアースを中心にした『赤砂の旗壊滅作戦』の発端となった。その会議には有力な中小ギルドだけではなく、犬猿を超えた関係にあるラストサンクチュアリも招かれた。

 その理由は単純明快。ラストサンクチュアリの幹部に複数名も赤砂の旗の支援者が混じっていたのである。彼らはラストサンクチュアリの物資や資金を赤砂の旗に横流していただけではなく、数少ないお抱えの鍛冶屋に武器を鍛えさせて提供までしていたのだ。

 本来ならばクラウドアースがラストサンクチュアリを真っ向から殲滅する絶好の機会だ。だが、マダムのコミュニティにもパイプを持つシリカがマダムの武勇伝に混じっていた情報を精査し、そこからラストサンクチュアリの関与を疑い、首の皮1枚で『自浄作用』を成す機会を得た。UNKNOWNという最強の武力で脅しをかけたキバオウは赤砂の旗の支援を行っていた幹部を捕縛して、ラストサンクチュアリ『全体』の無実を示した。

 クラウドアース単体ならば、お構いなしにラストサンクチュアリの断罪を叫ぶだろうが、会議の調停役は教会が行い、また聖剣騎士団や太陽の狩猟団としてはクラウドアースのリソースを割く足枷になるラストサンクチュアリは擦り切れるまで使い潰したい。複雑に絡み合った政略によってラストサンクチュアリは一命を取り止めたのである。

 だが、これで怒りを覚えたのがラストサンクチュアリを支援していた者たちだ。ラストサンクチュアリの弱者の庇護を支持していた者たちは、自分たちの支援が『テロリスト』に流れていた事に激怒した。当然だ。下手をすれば芋蔓方式で自分たちまで『テロリストの共謀者』とされかねないのだから。

 

『【聖域の英雄】は支持するが、ラストサンクチュアリは権力闘争しか考えていない肥え溜めだ』

 

 これが現在の大よそのラストサンクチュアリに対する世間の評価だ。竜の神と獣狩りの夜の両方で弱者を、その力で守る事を示した【聖域の英雄】を疑う者はいない。だが、相対的にラストサンクチュアリ自体の評判は下がる一方だ。それに今回のテロリスト騒動が更に輪をかけた。

 教会支援も含めてクラウドアースの方が1枚も2枚も上手だ。窮鼠ならば猫を噛めるかもしれないが、今のラストサンクチュアリは掘り返されたミミズである。一思いに喰われるか、それともコンクリートの上でじわじわと照り焼きにされるか。

 もはやUNKNOWNは広告塔どころか大黒柱扱いだ。ラストサンクチュアリの大義を具現しているのはUNKNOWN以外にいないのである。そして、それすらもシリカに言わせれば、妥協と打算から始まった利害関係の延長に過ぎず、大義に酔いしれてなどいない。

 とはいえ、『彼』の性格を考えれば、利用価値が失われつつあるラストサンクチュアリを捨てることもできないだろう。もはや自立努力もしていない寄生虫とはいえ、弱者は弱者なのだ。かつて見捨てた後悔を持つからこそ、過去の鎖に縛られて『彼』は【聖域の英雄】として、名ばかりの権力欲で太った政治屋たちの『聖域』を守るだろう。自分が守らなければならない人がいるならば、必ず戦うだろう。

 キバオウも本当は分かっている。潔く白旗を掲げて、大義も組織基盤も何もかも教会に譲渡してしまえば良い。それによってラストサンクチュアリは1000人規模の弱者は聖域の外に放り出されるが、そんなものは知った事か。貧民プレイヤーらしく残飯を漁るか、ラストサンクチュアリよりも美味いと評判らしい教会の炊き出しに群がるか、何もできない屑らしくレギオンに食い殺されてしまえば良い。シリカは迷いなく1000人よりも愛する1人の命を想う。秤にかけるまでも無い。

 もはやカウントダウンは始まった。クラウドアースは必ず仕掛けてくる。ラストサンクチュアリに……その象徴たる【聖域の英雄】を潰すべく、最強の戦力を派遣する。聖剣騎士団も非公式で援助は約束しているが、全勢力、全プレイヤーの注目が集まるラストサンクチュアリの息の根を止める作戦に戦力を派遣するとは思えない。

 ユージーンの派遣はほぼ確定だろう。シリカも何度となくユージーンの戦いぶりは見ているし、先のボス・王盾ヴェルスタッドとの一騎討ちの戦闘情報は入手してある。ハッキリ言って、UNKNOWNとユージーンが現段階でぶつかり合えば、どちらが勝つかは分からない。防衛戦というホームで戦えるアドバンテージを含めれば、辛うじてUNKNOWNが優勢といったところか。

 そうなると、やはり問題になるのはユージーンの協働相手だろう。ランク2のライドウは頭がイカれているバトルジャンキーだ。≪格闘≫のみで戦う異常者であり、ランク5の『あの』グローリーと真っ向勝負で互角を演じた。しかも、グローリーと違って奇策を用いる事を厭わず、卑劣な手段も辞さない勝利への執念は、時に武人肌のユージーン以上の脅威となり得る。しかも噂によればライドウもまた『ユニーク持ち』だとされている。真偽は不明だが、その凄まじい戦闘能力はユージーンと同じくボス単独撃破が可能なのではないかと囁かれているほどだ。

 だが、シリカとしてはライドウの方がまだ楽だ。ユージーンとライドウの不仲はDBOでも有名だ。彼らが専属仲間でありながら協働回数が伝説の1回を数えるのみである事こそが事実を物語っている。それに、いざとなれば我流騎士道精神溢れる馬鹿であるグローリーを、女の涙で口説き落としてUNKNOWNの協働に派遣すれば良い。ライドウを確実に足止めできるだろうグローリーならば、UNKNOWNとユージーンの一騎打ちに持ち込める。ここで勝ちさえすれば、DBO最強クラス2人ならばライドウの撃破も可能だろう。

 ならば問題なのはやはり【渡り鳥】だ。アレは何をしでかすか分からない代表格みたいなものであるとシリカは疑わない。最近は何やらイメージ改善に奔走しているようであり、先の赤砂の旗の壊滅作戦にも『作戦責任者』に抜擢されたマダムの護衛として参加した。戦う機会こそなかったが、マダムの信用を勝ち取ったというメッセージ性は強い。何よりもゴラム捕縛は【渡り鳥】の手柄である。クラウドアースの評価も高く、彼をユージーンの協働相手として推している動きもある。

 クゥリならば『彼』に手加減してくれる……なんて甘い幻想をシリカは抱かない。アレはそもそも戦う事以外何も考えていない狂人だと、SAO時代に思い知っている。特に依頼となれば妥協はしないだろう。

 逆に言えば、クゥリがこちら側につくならば、SAO時代に無双の活躍をした、あの魔王ヒースクリフすら倒した英雄と傭兵のコンビが復活する。そうなれば、ユージーンとライドウの2人が相手でも確実に勝てるだろう。

 今の相場で言えば、クゥリをラストサンクチュアリ側に雇うならば最低でも500万コルはいるだろう。とてもではないが、準備しきれる金額ではない。だが、その戦いにさえ勝利すれば良い。どう足掻いてもラストサンクチュアリはクラウドアースが息の根を止めるまでもなく崩壊するのだ。『自壊までの時間稼ぎ』さえできれば良い。そうすれば、【聖域の英雄】はその役目を失う。

 どんな未来が待つとしても、全てを決する戦いに生き残る。その為の策に妥協はしない。

 

「悩みは尽きないね、ピナ」

 

 ベッドに体を倒したシリカは、カーテンから漏れる陽光に目を細める。

 ラストサンクチュアリなんて見捨ててしまえば良い。【聖域の英雄】から【教会の英雄】に鞍替えしても、誰も咎めはしないだろう。むしろ、歓迎されるはずだ。そもそも慣れない傭兵業をやる事自体にシリカは反対だった。だが、少しでも収入源を得る為にも、政治的配慮として聖剣騎士団に利する為にも、目的を果たす為にも、UNKNOWNが傭兵としての利用価値を持たねばならなかったのだ。

 SAOの頃と違って、ギルドによる支配体制が確立しているDBOでは、流浪のソロプレイヤーが最前線で攻略をするなど不可能だ。実力で可能であるとしても『社会』がそれを許さない。それも含めての、考え抜いた末の傭兵デビューだった。

 

(妖精の国。そこにアスナさんが囚われている。行き方も掴んでいる。後は入口を見つけるだけ)

 

 今も『彼』を愛している。一切の裏切りなく、微塵の不純物もなく、シリカは『彼』を愛している。『彼』の目的を果たす手助けをするのも揺らがぬ愛があるからだ。

 シリカはアイテムストレージから1枚の、もはや表面が擦り切れた金貨を取り出す。これこそが妖精の国に通じるアイテムだ。この狂った世界に2人で目的を果たすと誓い、今日まであらゆる情報を精査して洗い出した、目的に届く為の最後の切符だ。

 愛は揺るがない。シリカは『彼』が最も愛する人を取り戻す事に何ら躊躇わずに協力し続ける。その献身は正しく純愛だろう。

 ただし、それは決して健全なるものではない、という注釈が付く。

 他でもないシリカ自身がユウキに語ったように、愛とは自己満足であり、そこには独占欲が付き物だ。たとえ、どす黒くとも、ドロドロしていようとも、愛する者を深く想う。それこそが『彼女たち』の愛なのだ。そして、見返りを求めるのもまた人の愛である。

 

(フフフ! 時間という意味では私と『あの人』はアスナさん以上の長さを得ました。正妻ポジションは元より狙っていません。古今東西、愛されポジションは正室よりも側室! 妻よりも愛人と相場が決まっています! ええ、そうですとも。『良妻』の立場は譲りましょう。でも、私は『永遠の恋人』となります。しかも秘書兼業! 日常ヒロインよりもパートナーヒロインの方が圧倒的人気なのは明白! 人気が出ちゃって番外編をやったら、そちらがアニメ化されちゃったくらいに頑張りました!)

 

 それを思えば、この右手の痛みも愛おしい。彼への愛が痛みとなって溢れている! そう思うだけでシリカは悶絶して顔を真っ赤にしてベッドの上で抱き枕を抱きしめながら転げまわる。もちろん、抱き枕にはUNKNOWNと素顔の『彼』のリバーシブルである。

 

「シリカ、いるか?」

 

「ふぎゃっ!?」

 

 コンコン、という控えめなノック音と共に『彼』の声がして、シリカはベッドから転げ落ちて鼻を床で打つ。痛覚遮断が不十分である為に、微妙な痛みが伝わってシリカは別の意味で転げ回った。

 乙女として隠すべきものは隠す。シリカは抱き枕をベッドの下に蹴飛ばすと、鍵を開けて『彼』を招き入れた。その姿は安物のマントを羽織った姿であり、人目を忍ぶように深くフードを被っているが、常に何かで……仮面やサングラス、包帯といった邪魔物はない、シリカだけが望める彼の素顔がある。

 

「どうしたんですか? まだ依頼時間ではないと思いますが……」

 

 依頼が絶えないUNKNOWNには最前線の厄介なネームドの撃破支援という依頼が入ってきている。攻勢を仕掛ける聖剣騎士団は、ラストサンクチュアリが完全に潰れるより前に、少しでもUNKNOWNを使って利益を得たい腹積もりなのだろう。暇な時間があれば、スミスとの修行、あるいは狩場でレベリング、もしくは気分転換で釣り堀フィーバーだ。シリカが『彼』の部屋に夜な夜な入り込む事はあっても、『彼』が訪ねてくることは滅多になかった。

 

「今日は良い天気だし、たまには外で一緒に食べないかと思って」

 

 それは終わりつつある街で買った屋台のハンバーガーだろう。仮面の傭兵が見せたのは、粗びき肉と安物っぽいチーズが挟まったハンバーガーだ。

 またジャンクフードを、とシリカは溜め息を吐く。ハンバーガーが食べたいならば、『特製ソース』入りのスペシャル手作りバーガーを作るというのに。だが、鼻を擽る紙袋からの香りに、シリカは思わず目を見開く。

 

「こ、このニオイって……!」

 

「そう……マッ○だ!」

 

 ○ック!? ついに……ついに、ニオイだけとはいえ、マ○クを再現することができた!? 驚愕するシリカは、思わず零れそうになる唾液を飲み込む。

 

「そ、そうですね! たまには外で食べるのも良いですよね! すぐに準備します!」

 

 シリカは『特製』ハーブティをセットを準備し、すぐに『彼』に付き添って、聖域都市の屋上に向かう。仮面の傭兵が、いかにフードで顔を隠しているとはいえ、素顔を晒している事実に道行くラストサンクチュアリの人々は気づかない。シリカはこんなスリルも悪くないと思いながら、『彼』と共に純白の……湖の上に作られた愚か者の都市を見下ろせる1等地を目指す。

 風が吹き抜ける、1歩足を踏み外せば落下死確実の縁に腰かけ、シリカは『彼』から受け取ったハンバーガーを齧る。再現されたのはニオイだけであり、味は遠く及ばないが、この素朴とも言える味は……無駄に手作り感がある味わいは嫌いではなかった。

 

「いつも迷惑をかけてごめん。俺はシリカに甘えてばかりだから、何かお礼をしたくて」

 

「私は構いませんよ、『UNKNOWNさん』。あなたは【聖域の英雄】。1000人の弱者を守る最後の砦なんですから」

 

 それに、こんな風に一緒に食事ができるだけでも私は幸せです。シリカは細やかな幸せを噛み締めるように、風になびく『彼』の黒髪に触れる。

 

「でも、二兎を追う者は一兎をも得ず。ラストサンクチュアリかアスナさんか、その選択だけは間違えないでください。大切な者の為に他の全てを切り捨てる。そんな非情さを持てない愛など愛ではありません」

 

「…………」

 

「『その時』は、たとえ捨てる側に私が含まれていたとしても迷わないでください」

 

「……無理だよ。俺には選べない。選んだとしても、その時は正しいと信じても、必ず後悔する。だったら、後悔しないように、兎を2匹とも捕まえるピエロになるさ」

 

 ペタンと背中から倒れて空を見上げる『彼』の眼は遠い。青い空に吹く風の色が見えているかのように、その双眸は静かに波打っているようだった。

 簡単に捨てられるはずがない。土壇場に来て捨てる判断をして、そこに後悔を抱かないはずがない。『彼』はそんな男だとシリカはよく知っている。そうでもなければ、今も悪夢にうなされるはずがない。

 

「だったら、最初から兎は1匹しかいなかったと思いましょう。私たちは共犯者。デスゲームが始まると分かっていながら見逃した、大量殺人の片棒を担いだ大罪人。どんなに言い繕っても、私達は善人ではありません。茅場の後継者を責める資格もない極悪人です」

 

「シリカは違う。俺が巻き込んだ。キミの優しさに甘えてしまった。怖かったんだ。1人だけで落ちていくのが……堪らなく怖かったんだ」

 

 目元を腕で覆って震えるUNKNOWNの姿が、戦場で無双の活躍する仮面の剣士と同一人物だと何人が認められるだろうか。シリカはその頬を伝う見えぬ涙を拭うように、親指で丁寧に撫でる。

 

「私には選択の機会がありました。あなたは『付いてくるな』とも突き放してくれました。言っておきますが、私も決して認めているわけではありません。ユイちゃんと同じで『死者が蘇るなんて道理に反している』と思います。でも、たった1つの命を想う……それを愚かとは絶対に誰にも言わせません」

 

 生と死の境界線。それが曖昧になった時、人は何を『終わり』として生きていけば良いのだろう。いや、そもそも生も死もない存在となった時、人は『生物』として数えられるべきなのだろうか。

 

「それに、私達の仮説通りなら、アスナさんは『まだ生きている』とも言えます。要は分類の問題ですよ。ドナー提供でも同じ問題が議論されていますが、『何を以って死を決定づけるか』は重要な要素です」

 

「とんでもない屁理屈さ。自分勝手に都合の良い解釈をしただけの生命論だよ。俺の理屈を認めるのは狂人くらいさ」

 

 その狂人に間違いなくクゥリさんは含まれているんでしょうね、とシリカは内心で嫉妬の炎を燃やす。『彼』の際たる相棒への信頼と信用は崩れない。

 きっとあの戦闘馬鹿ならば『オマエが生きていると思っている限りは生きてるんだろ? 一々あれこれ考えるのもめんどくせーんだよ』と1秒未満で切り返すに違いない。それが堪らなくシリカには羨ましい。

 SAOの最上層での戦いはいつも死闘だった。誰も死なない戦いなど1度としてなかった。何度も心折れそうになった『彼』を奮い立たせたのは自分の言葉ではなく、唯一無二の背中を預けられる相棒だった。

 その相棒がいずれ最悪の敵として立ちはだかる。その未来が間近に迫っている。それを回避するのはシリカの役目だが、果たしてあの戦闘馬鹿にどれだけの交渉が通じるかは定かではない。

 

「それでも『生きている』という事に変わりありません。時代は絶えず進んでいるんです。私達が新たな生死の定義の先駆者となってやりましょう。それに……『魂』の有無こそが生死の境界線を分かつ。私はロマンチックで好きです」

 

 優しく触れるようにシリカは『彼』の額にキスをする。それは祝福であり、彼女の誓いだ。

 この愛は裏切らない。たとえ、『彼』が自分を選ばず、この心臓を冷たい刃で貫いたとしても、最期まで笑って彼を愛そう。そうすれば、優しい『彼』は自分を殺した事を後悔するたびにこの愛を思い出すだろう。愛とは呪いなのだ。自分と想い人にかける、この世で最も恐ろしい狂いの呪詛である。

 どうして? どうしてそこまで愛する必要がある? 愚か。実に愚かな疑問だ。シリカはそんな問いかけをする者に等しくこう答えるだろう。

 

 

 

 

 それはあなた達が愛を知らない蛆虫だから。人の愛とは自己満足の塊であり、横暴であり、他人も世間も無視する狂気だから。

 

 

 

 

 肉欲やら物欲を愛なんて騙る生ゴミと一緒にされては困る。それらは愛を満たす為の手段の1つに過ぎないのだ。それらを通して愛を感じる、愛を得ることこそが肝要なのである。もちろん、これらは愛を彩る重要な装飾である事もシリカは承知している。だからこそ、『彼』を『自分好み』にするのに長い時間をかけているのだ。

 

「そろそろ行きましょう。人目が何処にあるか分かりません」

 

 それに3大ギルドも戦争の機会を狙っているはずだ。最後のトリガーを引くのは誰なのか。何となくであるが、いつもと同じように、白いカラスが災厄を引き起こすような気がする。

 これもある意味で信頼と呼べるのかもしれない、とシリカは唾棄した。

 

 恋とは戦争だ。ならば、愛とは殉教だ。シリカは少しだけ顔を赤くして額を押さえる『彼』に悪戯好きの悪魔のようにウインクした。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「最近なんだかミスティアが変なんだ」

 

 今更だろうに、とオレは思いながら溶けたマシュマロたっぷりのアイスココアを飲みながら、今日も大繁盛のワンモアタイムでラジードから人生相談を受けていた。

 

「何か、こう……『重い』気がするんだ。いや、それは良いんだ! むしろミスティアみたいな美人から束縛されるなんて男冥利に尽きるし!」

 

「だったら何が問題なんだ?」

 

「実は、部隊長として隊員の選抜を行っているんだけど……選んだ女性メンバーが1晩経ったら何故か辞退するんだ。それが口々に『ミスティアさんに申し訳ない』って言ってる姿が、なんかホラーで……」

 

 ラジードの口ぶりからするに、その女性隊員たちの怯えっぷりはさぞかし酷いものだったのだろう。女の嫉妬とは恐ろしい。

 話を溯れば3日前、オレが寝落ちしてしまったコスプレ☆キャバクラが今回の人生相談……もとい恋愛相談の発端とも言えるだろう。あの時、オレは酒を飲み過ぎた挙句に意識が落ちたという大失態を演じてしまった。どうやら従業員の好意によってサインズまで運んでもらったらしく、サインズの傭兵用の貸し部屋で目覚めた。

 だが、どうやらラジードはミスティアにバレてしまったらしく、『制裁』を受けてしまったようだ。レックス、虎丸、グローリーの3人は裸体でゴミ捨て場にて発見されたと噂されているが、真偽は定かではない。全貌を知るだろう唯一の男であるスミスは口を噤んだままだ。

 

「どうすれば良いと思う!?」

 

 恋人いない歴=年齢のオレに適切なアドバイスなどできるはずがないだろうに。ギンジの時もそうであるが、オレはどうにも他人の恋愛事に振り回される傾向があるようだ。

 獣狩りの夜で被害を受けたワンモアタイムは、新しく2階建てとなった新店オープンである。以前と変わらず移設したサインズ本部の傍に店を構える逞しさは、さすがはイワンナさんといったところか。アイラさん目当ての男もかなりの数いるようである。

 2階にはテラスも設けられて、日々拡張と拡大が続く終わりつつある街を眺めることができる。オレとラジードはそんなテラスの席でお茶をしているわけである。秘密話をするには適さないが、恋愛相談など秘密話に分類すべきかどうかも怪しいものだ。

 

「もう6月で梅雨だな。終わりつつある街は現実の季節を反映させているから――」

 

「頼む、目を背けないでくれ。本当に悩んでるんだ」

 

 贅沢な悩みだ。オレは嘆息を吐きながら頬杖をつく。正直に言えば、ミスティアとはそこまで親しくない。ラジードと付き合っている手前、彼女とは面を合わせる機会も何度かあったが、個人的な距離を詰める機会はほとんどなく、オレと彼女の距離は今も『大ギルドの幹部と傭兵』のままだ。

 だが、ミスティアが『重い』タイプなのは何となくだが想像がついていた。どう見ても恋愛関係に初心だろうし、ああいう真面目な女にこの狂った仮想世界は精神面でもかなりの負担をかけているはずだ。そんな中で、ラジードは頼りになる程に『普通』なのだ。しかも強く、成長性もあり、生真面目で、コミュ力もあり、ちょっとお馬鹿な面も含めて愛嬌もある。

 ……あれ? これ、モテない要素の方が少ないんじゃないか? 爽やか系だし、出会った頃の卑屈さが抜けた分だけラジードの魅力は増したと言える。

 

「そもそも、どうしてオレなんだ? もっと適任者がいるだろう? たとえばサンライスとかなら……」

 

「団長にはもうしたよ。『ベッドインで解決だ!』の即答だった」

 

 ……そうだよな。あの男はそんなヤツだよなぁ。ラジードが爽やか系熱血漢ならば、サンライスは汗だく系熱血漢だ。アドバイスの方向性としては間違っていないのだろうが、あまりにも単刀直入かつ内容が端的過ぎる。まぁ、2人の波長は合うのだろうが、今回は役に立たなかったという事だろう。むしろ、キャバクラ関連でミスティアに問い詰められて団長様も痛い目に遭っているかもしれない危機だ。

 

「教会剣の『彼』にも相談したんだけど、凄い遠い目をされて『受け入れるしかない事も……あると思うよ』って言われてしまったんだ。もう頼れるのはクゥリしかいないんだよ!」

 

 その『彼』が誰かは知らないが、『アイツ』並みに女関係で苦労していそうだな。そして、そこまでのヤツが諦めきった問題をオレに持ち込むラジードは自らの間違いにいい加減に気づくべきだと思うんだ。

 しかし、友人の悩みを解決するのも友人の務めだ。オレは半分ほど減ったアイスココアをストローで渦を作りながら、このバカップルをどうすれば他人に迷惑をかけずにイチャイチャさせられるものだろうかと思案する。

 最善策はラジードが一切の異性と関わらない事だ。これに尽きる。だが、これは根本の解決案にはならない。

 ミスティアみたいなのを何と言うんだったのか……単に重い女というだけではない……こう……適切な名称があった気がする。それこそが解決案に繋がる糸口の気もするのだが、どうにも思い出せない。

 

「そもそもラジードだって今まで女と付き合った経験が無いわけじゃないんだろう?」

 

 ラジードはオレと違って現実世界で男女関係の経験値を蓄積している。だったら、まずは自分自身に回答を求めるのが筋だろう。だが、予想通りと言うべきか、ラジードは首を横に振る。

 

「ミスティアみたいなタイプは初めてだから。それに……本気で付き合った事なんて彼女と出会うまで1度も無かったし」

 

 恥ずかしそうに目線を下げながらラジードは呟いて、オレは笑顔で残りのアイスココアを飲み干した。

 死☆ね。世の中にはオレみたいにおんにゃのこ大好き童貞ボーイでも付き合えないヤツらが山ほどいるんですよ!? それを、この男は少女漫画に登場するヒーロー男子みたいな発言を平然としやがって! オレは少女漫画に登場する3巻あたりで理由なくフェードアウトするヒーロー男子の友達ポジションか!? お似合い過ぎて自分が嫌になる!

 落ち着け。クールダウンだ。ラジードは嫌味で言ったわけではない。そもそもコミュ力が高いラジードからすれば、『本気で付き合った事が無い』程度は日常茶飯事で使っていた枕詞みたいなものだ。そういう事にしておくのだ。

 

「恋の悩み相談ですか。青春ですね」

 

 呼び鈴を鳴らすと注文を取りに来たアイラさんが、オレ達の会話の1部始終から内容を察したのだろう。儚げな美貌だからこそ映える、楽しそうな笑みを披露する。

 そうだ。こういう時は同性からアドバイスを受けるのが適切だ。オレは三つ編みの先端を指で弄りながら方針を決定する。

 

「アイラさんはどう思う? 束縛性が強い女の子との上手い付き合い方についてさ」

 

「う~ん、そうですね……嫉妬深さは愛の深さとも言いますし、まずは彼女にしっかりと『愛している』って気持ちを伝える事が重要だと思いますよ? 言葉にしないと伝わらないし、行動も伴わないと信じてもらえない。その子はきっと心配性なんですよ。だから、気持ちは通じ合っているはずなんて思わないで、真っ白な心になって大事なカノジョさんの為に頑張ってみるのはどうでしょうか? 嫉妬も受け入れられるくらいの余裕さえあれば、束縛も緩むと思いますよ」

 

 簡単なようで難しい。さすがはアイラさん、大人の女だ。注文を取って去っていく彼女の後ろ姿を見送りながら敬礼を取りたくなる。

 

「つまり……デートに誘えって事で良いのかな?」

 

「そうじゃないか? オレにはもう何も言えないさ。でも協力くらいならしてやるよ」

 

 その程度がオレの友人としての限界だ。後はミスティアとよろしくやってもらうしかない。オレは傭兵として依頼があって忙しいんだ。まだまだ依頼は本調子ではない肩透かしばかりであるが、そろそろ太陽の狩猟団から大きな依頼が舞い込みそうなのである。準備しておくに越したことは無い。

 頑張れ、王子様。オレは恋路に迷うラジードを残してワンモアタイムを離れると、今日の依頼内容を確認する。

 正確に言えば、依頼の前準備であり、そしてオレ自身がそろそろアスナ救出のために本腰を入れるべく、接触せねばならない連中との面会だ。

 アルシュナの情報通りならば、アスナは妖精の国に囚われている。DBOにも妖精系モンスターは多く登場するが、それをメインとしたステージは今のところ存在しない。

 

「ギルド【フェアリーダンス】か。有力な中小ギルドの1つと聞いているが、どの程度やら」

 

 ユイが幽閉されていた想起の神殿の地下ダンジョンの発見など、地味に活躍しているギルドらしい。サインズのデータベースで調べた限りでは、メンバーは少数であり、ボス戦などの参加経験は無し。ネームドとの戦闘経験はそれなりにあるようである。

 全員がALO出身者であり、何処の大ギルドにも明確な支持を出していない中立の1つだ。ベクターからも話を聞いていたが、この情勢下でも3大ギルドのいずれにも旗色を示していないのは度胸があると言うべきか、それとも愚か者と言うべきか。

 グリセルダさんは方々のギルドにオレの雇用を持ちかけているらしく、そのターゲットは中小ギルドが中心だ。イメージ戦略の効果を調べる上でも、彼らからの依頼率は良い指標になる。そして、早速食いついてくれたのがフェアリーダンスというわけだ。

 リーダーは【サクヤ】という女だ。DBO初期にALO仲間を集めてギルドを結成し、地道に、着実にギルドを成長させてきたらしい。上手く3大ギルドに取り込まれずに、それなりの有力ギルドとして中立を保っているところを見るに、政略と知略はそれなりに備わっているようだ。

 そんな女が博打に出るようにオレの雇用に動いた魂胆は何処にある? ALOでも名が通ったプレイヤーだったらしく、シルフ領のトップという経歴も確認されている。この辺りはクラウドアースからの情報提供なのでほぼ確定情報だろう。

 普段ならば、これらの情報を元に、フェアリーダンスのメンバー全員の洗い出しを情報屋に依頼するのであるが、パッチは信用ならないし、クラウドアースに情報関連を依存するわけにはいかない。グリセルダさんも情報屋の準備を進めているが、こちらはなかなか上手くいっていないようだ。

 グリセルダさんには悪いが、オレ自身の目で見極めさせてもらう。到着したのは≪古き楽団長カリヴァーナの記憶≫だ。人の時代とは、王が廃れ、魔性が蔓延り始める時代だ。それは人の欲望が際限なく膨れ始める兆しの頃であり、同時に王無き繁栄を得た夢の時間でもあるのだろう。

 カリヴァーナの記憶は人気のあるステージの1つだ。無数の風車が並ぶ草原が広がり、メイン都市はまるで庭園を思わす程に緑に満ちている。だが、このステージの厄介な点は、赤薔薇党・白薔薇党・青薔薇党の3つの勢力が鎬を削っている点だ。プレイヤーはステージに入った時点でいずれかの政党に支持表明をせねばならない。それぞれの政党ごとに得られるアイテムや挑戦できるイベントが決められている。またギルドの場合はギルド単位で選択しなければならないのも厄介な点だ。この支持政党の変更にはこれまた厄介なイベントをこなさねばならないので、初期選択が最重要のステージとも言える。

 オレの場合は青薔薇党だ。イベントで【青薔薇党名誉メンバーのバッチ】も入手済みだ。青薔薇党が支配しているエリアは1部を除いてほぼ全てに立ち入りが許可されている。お陰で都市内のショートカットも使い放題だ。だから何だという話だが。

 このステージのメインダンジョンは通称【風車の丘】と呼ばれる場所だ。この風車は風力発電を思わすが、実際にはNPCの誰もこの風車の意味を知らない。古い時代から残る、かつてこの地で繁栄を築いた王の名残の1つらしい。名も残らぬ【風の王】は誰よりも自由と風を愛した。だが、やがて王は『自由』を求めた民衆の狂熱によって吊るされ、その四肢と首は縄で結ばれ、牝牛の牛歩によってじわじわと引き千切られた。

 その怨霊こそがステージボス・風の王だ。常に実体のない風であり、物理属性の風攻撃で広範囲攻撃を仕掛ける上に、こちらの攻撃は一切通じないという鬼畜ボスだ。撃破する為にはボス部屋にある全ての窓を閉ざして風の流れを途絶えさせる必要があるのだが、その間は無敵状態で暴れ回る。しかも全ての窓を封じて実体化させた瞬間に、【風の騎士団】と呼ばれる軍勢をボス戦参加プレイヤーの数の3倍召喚する。

 だが、事前情報の勝利だ。太陽の狩猟団がボス討伐に1番乗りしたのであるが、サンライスは馬鹿みたいな方法で風の王の攻略を簡易化させた。

 つまり、最初のギミックを『単身』で解除したのである。自分以外の全員をボス部屋の外で待機させ、彼は単独で、一切の攻撃が通じない風の王から逃げ回りながら、全ての窓を閉ざしたのだ。そうして風の王が風の騎士団を召喚してもたったの3体だ。サンライスは余裕を持って合図を送り、待機させていた部隊を呼び込んで風の王を倒したのである。

 茅場の後継者はさぞかし地団駄を踏んだ事だろう。何せ、数の暴力で確実に死者が出るだろうボス戦で死亡数ゼロだ。そして、サンライスの度胸も大したものである。

 さて、このステージについてあれこれ考えている内にフェアリーダンスのホームハウスに到着したのだが、どうしたものだろうか。下見には来たのだが、今は昼間なので出払っているだろう。

 フェアリーダンスはそれなりにコルを溜め込んでいるのか、なかなかに質の良い2階建ての建物を拠点にしている。背の低い柵に覆われた敷地内では栽培もしているらしい。この光景を見ただけでも、彼らが3大ギルドの戦争に関わり合いになりたくないという気持ちが伝わってくるようだ。

 だからこそ、戦争の火種を作ったオレに依頼を出した意味は? どうやらフェアリーダンスの面々はマイホームにいるようだ。窓から人影がチラチラと見えている。このまま監視を続けて情報を集めても良いが、虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。蛇蝎の穴倉かもしれないが、今は正面突破こそ最善だろう。

 覚悟を決めてオレはフェアリーダンスのマイホームの玄関ドアをノックする。警戒されるかとも思ったが、意外にもあっさりとドアは開かれた。

 

「うわぁあああああああああああ!? 嘘!? 本物!? わぁあああああああああああああ!」

 

 そして、この絶叫による大歓迎である。ここが現実世界だったら鼓膜が破れるのではないかという勢いで叫んだのは、やや気弱そうな印象を受ける少年だ。

 途端にドアの向こう側で誰かが臨戦態勢を取って飛び出してくる。なかなかに精悍な顔つきをした、やや目つきが悪い、刈り上げの髪の男が振るったのは曲剣でも大型の大曲剣だ。気弱な少年を軽々と跳び越えてオレに向かって空中回転斬り……悪くない動きだ。オレはどうして毎度のようにこうなるのかと思いながら、身を反らして殺気が鈍い一閃を躱す。

 

「んな!?」

 

 空中回転斬りを避けられると思っていなかったのか、着地した男は大曲剣の重量でバランスを取りながら着地する。左腕の手甲が厚過ぎる……≪盾≫としての性能が備わった装具といったところか。そうなると≪格闘≫持ちは確定だな。大曲剣によるリーチと火力を活かして暴れ回り、攻撃は左腕のガンドレットで防ぎ、ここぞは接近戦で打撃を打ち込む。コイツがメインアタッカーの1人なのは容易に想像がつく。

 次に裏口から庭に出て回り込んできたらしいのは、何処かで見覚えがあるおっさんだ。SAOで見たような、見てないような……どうでも良いか。何にしてもやる気のようだ。両腕に手甲を付けたパワーファイターか? いや、あの構えは……

 

「せい!」

 

 やはりな。やや前髪が後退したおっさんの両手の構えから放出されたのは、通称『波動拳』の愛称で親しまれる≪格闘≫のEXソードスキル【掌波】だ。まぁ、名前を変えただけの波動拳なんだよな。スタミナと魔力の消費のバランスが取れている上に、高い火力とスタン耐性と飛距離が備わっている。獲得条件が≪魔法感性≫必須だからオレには得られないが、かなり使い勝手の良いEXソードスキルとして、獲得方法が分かって以来広く使われている。

 ただ、掌波の弱点はその硬直時間の長さだ。また攻撃速度も決して速い部類ではない。2Dの格闘ゲームならばまだしも、仮想世界慣れしたプレイヤーからすれば遅い。未強化のソウルの矢とほぼ同じ速度だからな。だが、派生のEXソードスキルが多いらしいので、今後の発見に期待が集まっている。

 迫る青い光。それはソウルの矢などの魔法弾と同じだ。贄姫を抜刀して収める。その斬撃は命中判定を斬り、掌波を消失させる。Nとの戦いで得たオレの命中判定斬りは健在だ。ご丁寧に襲撃者の中には掌波を使ってくる連中も多かったお陰で斬り方もマスターしている。

 

「命中判定を斬ったぁあああああ!?」

 

 そして、少年。少し黙ろうか? オレは微笑んで、抵抗の意思はないと示そうとするのだが、今度はバカでかいメイス持ちの女の子の登場だ。屋根から飛び降りたらしい彼女は全身に青緑の鎧を纏い、重量任せにスタンプを決めてくる。

 オレ……何かフェアリーダンスに恨まれるような真似をしただろうか? それとも、依頼を出したのも大ギルドに命令された『騙して悪いが』の類だったのだろうか。素直なメイス攻撃を避けて、土煙の中でショートカットの女の子の首に鞘の一撃を入れる。

 

「あぎぃ!」

 

 怯んだ間に女の子の首をつかんで、背後から突進する目つきが悪い男に投げ飛ばす。衝突して派手に転倒したところで、奇跡か魔法の触媒だろう杖を取り出す少年とおっさんが並ぶ。そして、おっさんが担いでいるのは……グレネードか。コイツは厄介だな。

 まぁ、自業自得だ。オレは連装銃を撃ち、グレネードの射出タイミングを狙ってその大きな砲口に弾丸を吸い込ませる。誘爆したグレネードの爆風でおっさんと少年が吹き飛ぶも、ダメージは大したものではないようだ。やはり牽制用の低威力型か。

 いつも厄日だが、今日もなかなかハードそうだ。背中を狙った一撃。オレは右手で腕をつかみ取る。それはいつの間にかこの乱戦に紛れ込んでいたらしい、盗人フードのような口元を隠す覆い布を装備した革装備の女だ。鋭い≪短剣≫から単発ソードスキルのキラービーか。まさしくシーフの戦い方だ。だが、殺気を隠しきれていない。たとえ隠密ボーナスが高くとも、本能から……ヤツメ様の導きから逃れることはできない。

 キラービーの出力を利用して投げ飛ばし、復帰しようとしていたおっさんと激突させてシーフ女をダウンさせる。

 

「レコン、伏せて!」

 

 と、そこに遅れて登場したらしいのは、マイホームから飛び出した女剣士だ。銀色の剣……片手剣か? かなりの速度と体捌き……戦い慣れているな。揺れる金髪はまるで残光のようであり、その動きは何処か『アイツ』に似ているような気もする。

 舐めたら斬られるか。殺気は不足しているが、申し分ない斬撃だ。贄姫を抜いて腹を狙った一閃を弾き上げる。奇襲の一閃を防がれると思っていなかったらしい女剣士の双眸が見開く。

 これで打ち止めか、とも思ったオレはどうしたものかと悩み、改めて女剣士の顔を見て……気づく。

 揺れる金髪ポニーテールを黒髪に変えれば、活発そうな顔立ちはオレがこのDBOで1番出会いたくなかった彼女と重なる。そして、どうやら彼女も同様らしく、オレの顔を見て、唇を震わせ、ダラダラと汗を流す。

 そんなオレ達の硬直を戦士の間合いの取り合いと勘違いしたらしいフェアリーダンスの面々もまた距離を取ってオレを囲い込んでいる。いざとなれば贄姫の水銀の刃で纏めて真っ二つにもできるのだが、さすがに『彼女』のお知り合い以上のお仲間を両断したいとは……ああ、それなりにしたいかもしれない。泣き顔になった『彼女』を見たい気もする。その後に復讐心とか持って、挑んできた『彼女』を返り討ちにして死ぬまで拷も……って、いかんいかん。このままでは顔がニヤけてしまう。

 

「皆さん、何をしていらっしゃるのですか?」

 

 そして、オレにとって救世主かどうかは分からないが、どうやら暴れん坊たちの主のお帰りのようだ。振り返れば、買い物帰りらしい、グリセルダさんとは違う、笑顔に怒りを顰めた鬼……フェアリーダンスのリーダーであるサクヤが立っていた。

 

「【リーファ】、説明を」

 

「サクヤさん、違うの。レコンの叫びが聞こえて、それで――」

 

「私は弁明しろとは言ってないわよ? 説明をお願いしたのよ」

 

 うむ、鬼セルダさんと同族ではないが、同類のニオイがするな。だが、名前はリーファか。さすがにリアルネームで呼ぶわけにもいかないからな。

 

「初めまして、サクヤさん。この度、ご依頼を受けましたサインズ傭兵ランク41のクゥリです。アポイントメントを取っていなかったのはオレの落ち度です。まずはご挨拶にと思っていたのですが、無遠慮過ぎたようですね」

 

「いえ、これは全面的に私たちに非がある事。フェアリーダンスの代表として、謹んでお詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした」

 

 腰を折るサクヤに、オレは気にしていないと言うように左胸に手を当てて頷く。

 

「リーファ、同席をお願いします。残りの皆さんは少し頭を冷やすのがよろしいかと」

 

 オレをマイホームに招き入れたサクヤは、怯えるリーファちゃんを伴いながら、青い顔をしたフェアリーダンスの面々を一瞥する。う~む、笑っているのに怖い。鬼セルダさんとは違った系統の怖さだが、やはり同類だな。

 フェアリーダンスのマイホームの応接間に通されたオレは、飾られた写真の数々を見て、DBOでも健全に立ち回り続けたフェアリーダンスの歴史を垣間見る。そして、オレを取り囲んだメンバーにいない、3人の男の写真を目にして、それが遺影なのだと気づいた。

 何も失っていなかったわけではない。このDBOで、何1つ欠ける事無く生きてこられた者が何人いるだろうか? 準備された味のしない紅茶を飲みながら、オレは並んで横長のソファに座るサクヤとリーファちゃんに笑む。

 

「どうやらフェアリーダンスは何かに警戒していたようですね。よろしければ、お聞かせ願えないでしょうか?」

 

「……大した事ではありません。中立を気取るのは決して気楽な事ではありませんから。大ギルドからの嫌がらせも多いのですよ。特に地下ダンジョンの1件は、彼らの不評を買ってしまったようですね」

 

「サクヤさんは何も悪くありません! だって、そもそもダンジョンを占有して『領地』なんて主張している方がおかしいんです! DBOはALOと違って領地支配なんてシステムにないのに! 皆で協力すれば、もっと攻略は捗っているはずなのに……っ!」

 

 声を荒げるリーファちゃんに、感謝するようにサクヤは頷く。どうやら2人の信頼関係は潜り抜けた死線の分はあるようだ。

 だが、これで対応に納得がいったな。恐らく、レコンとかいう少年の叫びを聞いて、いよいよ大ギルドが刺客を差し向けてきたと勘違いしたのだろう。それでも殺す気が無かった辺りが彼らの善性を示しているだろう。

 しかし、リーファちゃんの発言はDBOの本質を見抜けていない。ダンジョンに設置されたギルド拠点、明らかに拠点防衛を意識したゴーレム、そして戦力や労働力を確保できるギルドNPC、いずれも明らかなGvG……デスゲーム化前提と考えれば、プレイヤーによる国盗り合戦のようなものを想定した設計だ。

 つまり、戦争すらも茅場の後継者の予定の内という事になる。それを知って踊っているのは何人いるのやら。セサルは後継者の目的を抜きにしても戦争を挑むつもりだろうし、聖剣騎士団の狙いも最近は不透明だ。太陽の狩猟団はゴミュウの時点で割愛する。

 サクヤの方は表情から察するに、どうやらDBOの設計について把握しているようだな。まぁ、そうでもないと少数精鋭と言っても中小ギルドが大ギルド相手に『嫌がらせ』程度で済んでいるはずがないか。

 

「【渡り鳥】さんの噂は以前よりリーファからも聞いていました。他言していませんが、2人はDBO以前からの関係だとか。補足しますが、この件を知っているのは私とレコンだけです。レコンは気弱ですが、口も義理も堅いのでご安心ください」

 

「別に構いませんよ。オレがリターナーである事は周知の事実。仮にそのような情報が流れてもオレには痛手はありません。むしろ、アナタ達に被害が及びます」

 

「話が早くて助かります」

 

 オレは残虐非道な【渡り鳥】。知人だろうと友人だろうとぶった斬る殺人狂の虐殺者というイメージがある。今更リーファちゃんを人質に取って何とかなるなんて思う輩はいないだろう。うん……ゴミュウ以外は。内心では、オレはかなり冷や汗を流している。リーファちゃんの件がゴミュウに知られてしまったら、心臓とは言わずとも、肝臓辺りを握られてしまったようなものだ。

 

「あなたの訪問の理由は察しています。私達が……いえ、私がどうして【渡り鳥】の雇用に踏み切ったのか、ですね?」

 

「ええ。お恥ずかしい事に、オレは自分の評判が決してよろしくないと自覚していますから」

 

「理由その1、私はマダムと交流があります。マダムのお話は過分に盛られているでしょうが、それを抜きにしても、あなたが噂以上に誠意ある人間、そして『依頼主』という観点から見れば最も信用に足る傭兵だと判断しました」

 

 なるほど、マダム経由か。グリセルダさんの狙い通りだな。

 マダムは自身のコミュニティを持つ富豪プレイヤーだ。彼女のコミュニティは大ギルドの派閥も超える。それは情報収集などの意味も込められており、マダムのコミュニティに参加できるのは1種のステータスなのだ。サクヤの中小ギルドのリーダーとしての立ち回りの上手さを理解できる発言でもある。

 

「理由その2、リーファはあなたを高く評価し、また信頼しています。噂よりも実際に交流があった人物の言葉を信用するのは当然の事です。風聞は風聞に過ぎませんから」

 

 そうなのか? オレの視線に、リーファちゃんは可愛らしく顔を背ける。あ、照れてる照れてる。

 

「理由その3、我々は早急に戦力を保有せねばならない理由があります」

 

 傭兵の雇用には相応のコストがかかる。それでもサクヤがオレを雇用した理由がある。

 実を言えば、まだ依頼内容についてオレもグリセルダさんから連絡を受けていなかったのだ。今回はフェアリーダンスが依頼主という事もあって、オレが逸って接触しただけだ。グリセルダさんに知られれば雷が落ちそうだな。

 

「【渡り鳥】さんはご存知でしょうか? 来週開かれるクラウドアース主催の【バトル・オブ・アリーナ】を」

 

「……いいえ」

 

「私もマダムのコミュニティから仕入れた情報なのですが、どうやらクラウドアースはサインズ全面協力の上で奇怪な催し物を計画しているようなのです。我々はその大会で何としても勝利し、優勝賞品を手に入れねばならないのです」

 

 なるほど。クラウドアースが主催するともなれば、優勝商品は中小ギルドからすれば手に入れる事は不可能に近しいレアアイテムに違いない。そして、今は『嫌がらせ』で済んでいるが、いつ『警告』になるか分からない以上、強力なアイテムという武器、もしくは交渉の道具を確保したいわけか。

 さすがはリーファちゃんが属しているギルドのリーダーだ。よく考えている。そして、オレを雇用する思い切りの良さも評価できる。

 

「その優勝賞品とは?」

 

 だが、そうなると気になるのはクラウドアースだ。この様子からすると、聖剣騎士団や太陽の狩猟団も参加予定だろう。わざわざ敵対ギルドに利するような優勝賞品を準備するとは思えない。とはいえ、大会の優勝賞品が貧相では格好がつかない。クラウドアースが絶対に優勝するという確信があるなら別だが、ユージーンとて万能ではない。ランク1とはいえ、正面からの戦闘ならばグローリーのようなネジが外れた規格外もいる。

 サクヤとリーファちゃんは何故か顔を俯ける。しかも、その顔は少しだけ赤い。まるで言うのを恥じらっているような……

 

「…………う、です」

 

 ぼそぼそとサクヤは呟くが、オレの耳は残念ながら聞き取る事が出来なかった。≪聞き耳≫は持っていないのだ。ハッキリと言ってもらわねば困る。

 観念したのか、サクヤは意を決したように、大きく息を吸い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨年のクリスマスの……ミニスカサンタ過激写真集…………です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………はい?

 

「そんな顔しないで、かが……じゃなくて、クゥリさん! これはあたし達にとって死活問題なの! 乙女の大問題なの!」

 

「そうです! あんなものが世に流出したら、もう外を歩けません!」

 

 ……今日は本当に良い天気だな。顔を真っ赤にして必死に頼み込むサクヤとリーファちゃんを横目に、オレは窓の外を眺める。拝啓、祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠っているだろう人々よ。今日のDBOは案外平和です。

 現実逃避したオレは深呼吸し、紅茶を飲み干し、やや引き攣っていると分かっていながらもサクヤ達に笑いかける。

 

「つまり、アナタ達の依頼というのは……オレに優勝して、その写真集を葬り去れ、と?」

 

「まさしくその通りです。お願いです、【渡り鳥】さん! あの男は……あの卑劣外道最低の自意識過剰ランク1のユージーンは、私にわざわざ『貴様の破廉恥な姿、このオレが独占してやろう!』と宣戦布告を……それもキメ顔でしてきたんです! このまま放置はできません!」

 

「お願い、クゥリさん! お兄ちゃんにはともかく、あんな姿を他の人に見られるなんて絶対に嫌! サクヤさんが持って帰ってきた模写サンプルだけでも……本当に酷いの! パンチラどころじゃないの!」

 

 オレも男なんだから興味があるんだけどなぁ……2人はオレを男として見ていないのかなぁ……凄い微妙な気分だなぁ……。まぁ、依頼なら受けるけどさ。そして、ユージーンは何をやっているのだ?

 しかし、クリスマスのミニスカサンタ過激写真集か。記念すべきミニスカサンタ写真集は隔週サインズによって発売されたが、過分に選別されたものらしい。それでもDBOの男プレイヤーたちは悶絶歓喜したらしいが、それを上回る過激写真集が存在したらしいのだ。

 残念ながら、写真データは撮影者がフルボッコにされた挙句に消去されたらしく、世には残っていない。だが、撮影者が消去前に作成した、たった1冊の過激写真集が存在しているという噂は耳にしていた。それは街の何処かに捨てられていたのを貧民プレイヤーが地下市場に流したものとも言われ、複製不可のこの世で唯一残された女性プレイヤー羞恥の1品だ。

 伝説に過ぎないと思っていたが、まさかクラウドアースが確保していたとはな。さすがと言うべきか、何をやっているんだと言うべきか、本当に悩む。そして、そんな垂涎のお宝を優勝賞品として提供する意味は? 何が狙いなんだ、クラウドアース!?

 

「ギルドのメンバー数に応じて出場枠が決められています。教会はギルドではありませんが、例外的に出場できるとも。【渡り鳥】さんにはフェアリーダンスの代表として出場していただきたいのです。報酬は副賞を【渡り鳥】さんの総取りでいかがでしょうか?」

 

 サクヤが渡したのはマダムから得たバトル・オブ・アリーナの優勝副賞リストだろう。なるほど、レアアイテムがそれなりに揃っているな。これを目当てにした出場者も多そうだ。報酬としては申し分はないが、前金は貰わねばならないだろう。まぁ、その辺りはグリセルダさんを交えての話になるだろうが……こんなふざけた依頼に何十万コルも欲しいとは思わない。せいぜいもらって前金で3万から5万だな。

 

「お受け致します。依頼主のオーダーを最大限に実現するのは傭兵の務めです。その写真集、必ず処分致しましょう」

 

「感謝します。リーファ、【渡り鳥】さんのお見送りをお願いします。2人には積もる話もあるでしょうしね。私は皆にたっぷりお灸を据えてきます」

 

 気を利かせてか、サクヤはマイホームの外で一列に並んで正座している面々を完全無視して、オレとリーファを送り出した。

 さて、依頼は受けるにしても、目下解決せねばならない問題は真横にいるわけだが、どう対応したら良いだろうか。並んで歩くリーファちゃんは話し辛そうに顔を俯けている。

 この1年間、オレからの接触は無理でも、リーファちゃんからは可能だったはずだ。何せ、オレは悪名高い【渡り鳥】だ。サインズで張り込みしていれば、嫌でも遭遇できたはずである。だが、リーファちゃんは敢えてそれをしなかった。つまり、オレと会いたくなかったわけだ。

 

「……怒ってますよね」

 

「怒ってないよ。安心しているだけだ」

 

 これは本音だ。オレは怒ってなどいない。リーファちゃんが……いや、直葉ちゃんが無事だった。他の誰にも殺されていなかった……それだけで安堵したよ。

 

「先に確認しておきたい。直葉ちゃんは、オレにDBOを送ってないよね?」

 

「え? も、もちろんです。だって、篝さんは仮想世界が嫌いだし……もう関わりたくないって言ってたから、冗談でもそんな真似しません!」

 

 だよな。そうなると、オレをDBOに誘ったリーファちゃんを騙ったプレゼントと手紙はやはり茅場の後継者のフェイクか? だが、筆跡は間違いなく直葉ちゃんのものだった。

 筆跡を真似るくらい、プロならば簡単だろう。だが、あの手紙に浸み込んでいた情念とも言うべきものは本物だった。ならば、直葉ちゃんが嘘を吐いているとも考えられるが、この場面でわざわざ虚言で惑わす理由はない。まぁ、彼女が茅場の後継者サイドならば話は別だが。

 

「篝さんの話はサインズができてしばらくした頃に耳にしました。とても怖い傭兵だって……」

 

 カークを倒した頃か? それよりも少し前か。オレの傭兵としての悪名が本格的に広まってきた頃だろうな。さすがにサインズ設立以前だとアンダーグラウンドだったから、せいぜいが腐敗コボルド王戦での殺しが広まった程度の噂レベルだったはずだ。

 

「怖いから、近寄りたくなかった?」

 

 終わりつつある街に到着したオレは見送りも十分だと言おうとしたが、直葉ちゃんも話したい事が積もっているのだろう。屋台で飲み物とハンバーガーを買うと、オレを誘うように黒鉄宮跡地に向かう。

 2回のデスゲームの始まりの場所。SAOとDBO、そのどちらのプレイヤーにとっても忘れられない忌まわしい地だ。あの日、あの時、直葉ちゃんもここにいたのだ。オレは自分の無能さを嗤いたくなる。

 直葉ちゃんはきっとログインしていない。オレをDBOに誘い込むための茅場の後継者の罠だった。そう思い込みたかった。だが、『アイツ』を仕留める上での餌に直葉ちゃんを利用しないわけがない。茅場の後継者の計画は念入りだ。ならば、オレは最悪の展開から目を背けていただけか。

 死者の碑石が安置されている黒鉄宮跡地前の石階段に腰かけた直葉ちゃんは、遠い目をして雨雲が少しだけ広がっている夕焼けの空を見つめている。オレは無言でコーラだろう黒い液体を飲む。炭酸が弾ける感覚以外はないが、炭酸水のようなものだと割り切れば飲めないものではない。

 

「少しだけ。でも、篝さんがDBOにいるのはお兄ちゃんの『大切な人』を取り戻す為でしょう? 秘密には理由がある。あたしはそれを無理に暴くべきじゃないって思うんです。だから……」

 

「直葉ちゃんは本当にお兄ちゃん想いだね」

 

 涙を溜めた直葉の頭を撫でて、オレは安心させるように笑いかける。

 そういう事か。直葉ちゃんにとって、オレは今も『大好きなお兄ちゃんの相棒』なのだ。だから、オレが嫌っていた仮想世界にいるのは『アイツ』と共にアスナを取り戻す為と思い込んでいたのだ。

 そして、そこには悪意のナイフが仕込まれている。直葉ちゃんは『アイツ』の目的を少なからず察している。妹の直感とかではなくて、それをリークした存在がいるはずだ。

 それは後から聞き出すとして、ともかく直葉ちゃんが慎重派で助かったな。下手に『アイツ』と接触していれば、茅場の後継者がどれだけハッスルしたか分かったものではない。あるいは、この危うい綱渡りこそヤツが作り出したかった状況か?

 予断は許さない、か。直葉ちゃんとはなるべく距離を置くべきだろうが、そうも言ってられないだろう。

 

「だけど、無用な気遣いだよ。オレは『置いてきぼり』にされた相棒失格さ」

 

「それって……」

 

「そういう事。でも、オレも『アイツ』の目的には薄々勘付いてはいた。『だから「アイツ」の手助けをしようと思ってDBOにログインしたんだ』よ」

 

 これで良い。直葉ちゃんが自分の名前を使われて、オレがDBOにログインして、またデスゲームに囚われたと知ったら苦しむはずだ。彼女は『アイツ』に似て、優し過ぎるお人よしだ。

 騙しきれ。嘘は下手だが、この仮面だけは剥がれるわけにはいかない。表情を無にして、オレはジッとこちらを見つめる直葉ちゃんの視線に喉を鳴らしそうになる。

 

「嘘。篝さんって本当に嘘が下手ですよね」

 

「……直葉ちゃんはやっぱり凄いな」

 

「だけど、秘密には理由がある。だから、何も聞きません。でも、良かった。色々酷い噂ばかりだったけど、篝さんはやっぱり篝さんだね。とても優しい篝さん。あたしが知っている篝さん。うん……本当に良かった」

 

 スキルで≪虚言≫とかないだろうか? ねーちゃんを見習って、もう少しは演技の練習をすべきだろうか。前髪をくしゃりと握り、嬉しそうに笑う直葉ちゃんを見て、少しだけDBOにログインする前の……『普通の人生』を求めていた頃を思い出せたような気がした。

 大学時代の記憶は随分と灼けてしまった。それでも、あの時間がオレを『人』という型に押し込めてくれていた事は間違いない。SAOで歯止めが利かなくなっていたオレに、『普通の人生』を教えてくれた直葉ちゃんのお陰だ。

 

「でも、篝さんの雰囲気、少し変わったかも。大人っぽくなって、落ち着いた気がする。それに……とっても奇麗」

 

「男に奇麗はないだろう?」

 

「そんな事ないですよ! カレシにしたら絶対に自慢しちゃいますもん!」

 

「だったらオレのカノジョになってくれる?」

 

「あ、それは結構です。あたし、お兄ちゃん一筋なんで。それに篝さんの恋人とか色々と『重い』人じゃないと絶対に務まらないと思うんで。あたしは友人ポジション以上になりたくないです」

 

「ははは、泣いちゃうよ?」

 

「篝さんのマジ泣き……少し見たいかも! もっと酷い事言っていいですか!?」

 

「前々から思ってたけど直葉ちゃんってサディスト気質だよね」

 

 このやり取り、本当に懐かしいなぁ。オレも本気じゃないし、直葉ちゃんもジョークとして受け取っている。

 オレにとって、直葉ちゃんは魅力的なおんにゃのこだけど、やっぱり『アイツの妹』以上にはならない。まぁ、その胸部装甲には惹かれるがな!

 直葉ちゃんにとっても、オレは『お兄ちゃんの相棒』以上にはならない。きっと『兄』を中心とした信頼関係から繋がった男友達程度だろう。

 これがオレ達の距離だ。『アイツ』を中心して繋がった関係だ。

 

「写真は任せておきなさい。オレが必ず処分してあげる」

 

「髪グシャグシャにしないでください! そういう意地悪なところも本当に変わってませんね!」

 

 力の限りで右手で直葉ちゃんの頭を撫で、直葉ちゃんの悲鳴が人影少ない黒鉄宮跡地に木霊した。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 そして、新たな戦いの火蓋が上がる。

 

 

 

 

『あの写真集は真なる漢を求めている。すなわち、有象無象の手に余る王冠! このオレにこそ相応しい!』

 

 気高きランク1は誇りの為に。 

 

 

 

 

 

『写真集、燃やすべし』

 

 義手の山猫は恥ずべき過去を葬る為に。

 

 

 

 

 

『諸君、私は【渡り鳥】ちゃんが好きだ

 諸君、私は【渡り鳥】ちゃんが好きだ

 諸君、私は【渡り鳥】ちゃんが大好きだ』

 

 YARCAの体現者は仲間の意思を成す為に。

 

 

 

 

『そんなに……そんなに、他の女のミニスカサンタのパンチラが見たいの!? 答えてよ!』

 

 戦乙女は愛の居場所を問う為に。

 

 

 

 

 

『 騎 士 の 盾 は 砕 け な い』

 

 ナイトオブナイツは騎士道を貫く為に。

 

 

 

 

 

『笑止』

 

 影が薄すぎる人は決死のキャラ付けの為に。

 

 

 

 

 

『通りすがりのツインテール美少女です』

 

 謎のドラゴンライダーガールは怨敵を滅ぼす為に。

 

 

 

 

 

『俺はエロい女の子が見たい! この煩悩に迷い無し!』

 

 太陽の名を冠する者は全ての男の夢を叶える為に。

 

 

 

 

 

『妥協と納得は違う。妥協したら男は終わりだ』

 

 狼は『強さ』を求める為に。

 

 

 

 

 

『ゲームの勝ち方……教えてやるッスよ!』

 

 臆病な『特別』はようやく持った自分の意思を見失わない為に。

 

 

 

 

 

『私のメイド力は53万です。あと2回変身を残しています。この意味が分かりますね?』

 

 メイドは怒りに燃える鉄拳制裁の為に。

 

 

 

 

 

『知らなかったのかい? 国家公務員からは逃げられない』

 

 酒と煙草と賭博を愛する駄目傭兵は戯れの為に。

 

 

 

 

 

 

 

『我が天啓、ここに証明されたり』

 

 神父は神の善性を示す為に。

 

 

 

 

『あなたにはここで果ててもらいます。理由はお分かりですね?』

 

 あるAIは主に報いる為に。

 

 

 

 

『1万回手伸ばしても届かないからって、1万と1回目を諦めるか? 俺は嫌だよ』

 

 仮面の英雄は失われた宝物を取り戻す為に。

 

 

 

 

 

 

 

『潰す……潰す……潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰すぅうううううう!』

 

 黒紫の少女は幼き恋心の為に。

 

 

 

 

 

 

 そして、災厄が鐘の音と共に目を覚ます。




リーファ、参戦です。

ヤンデレブラコンが本格登場だよ! やったね、主人公(黒)!

それでは、228話でまた会いましょう!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。