SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

主人公(白)のインタビューによってユウキの気持ちが上限突破。




Episode17-05 それは仁義なき戦い

 断続的に水面に波紋が生まれるのは、水が滴り落ちているからだ。暗闇の中で静寂を奏でる波紋の音は、蝋燭の火の揺らぎで生じた影を色濃くして、反抗心に満ちた眼に光を差し込んだ。

 そこは某所、クラウドアースが保有する拠点の地下室だ。それ以上の事はゴラムには判断できない。【渡り鳥】に敗れ、殺害されるならばまだしも、捕縛されて仲間の情報を吐かせるべくクラウドアースは尋問と拷問を繰り返していた。

 食事も水も最低限しか与えられず、精神をヤスリで擦られるように削られ続けたゴラムであるが、クラウドアースの執拗な責め苦にも耐え、自分が属する赤砂の旗の情報を守り続けていた。

 伊達にSAOとDBOの両方で生き抜いてきたわけではない。精神的にタフな部類であるゴラムは、何とかして逃げ出すか、自決する手段を探していた。このまま延々と拷問に耐え続けるにしても限度がある。何度か誤情報でクラウドアースを惑わして、激高させて殺させようともしたが、いずれも失敗に終わった。

 

「ゴラム、お前は優秀な戦士だ。クラウドアースとしても……いや、ヴェニデとしてもお前のような存在は惜しい。知っていることを全て言えば、お前に戦士として充実した日々と満足のいく死に場所を与えてやろう」

 

 今日の拷問役はアーロン騎士長装備の男だ。彼は部下を率いてゴラムの両腕を縛って宙吊りにすると、建前のように誘惑する。だが、ゴラムは無言を貫いて拒絶の意思表明をすると、アーロン騎士長装備は嘆息して右腕をあげた。

 部下の拳がゴラムの腹を突く。そう思ったゴラムは無心にして耐えようとするも、意外な事にアーロン騎士長装備の部下は彼を下ろす。

 両腕を拘束されたまま椅子に座らされたゴラムは、アーロン騎士長装備が右手の人差し指を立てる姿を淡々と見つめる。

 

「よく聞け。これは最後のチャンスだ。全ての情報を吐け。これは警告だ」

 

「断る……赤砂の旗は、仲間を、売らない」

 

 どうやら最期の時がようやく来たようだ。情報を漏らさないゴラムに業を煮やしたクラウドアースは、いよいよ処分を決めたという事だろう。

 どうせ【渡り鳥】に殺されるはずだったのだ。生き恥を晒し続けた拷問の日々もようやく終わる。残念そうに首を横に振ったアーロン騎士長装備は、部下たちを地下室から退出させると、ゴラムの両腕から手錠を外した。

 まさか逃がしてくれる、という事ではないだろう。両腕が自由になったゴラムはアーロン騎士長装備が何を考えているか分からず唖然とした。そんな彼の動揺を知ってか知らずか、アーロン騎士長装備はいつの間にか背後に立っているメイドに合図をするように左腕を掲げる。

 

「ブリッツ」

 

「はい、隊長」

 

 恭しく礼を取ったメイドは名前を呼ばれると、光に満ちた地下室の外より1つの人影を招き入れた。

 

「仲間を売らない。その信念には、同じく部下を持つ身として敬意を表する。だが、我が主はレジスタンスのような脆弱な、口ばかりが達者な輩がお嫌いだ。せいぜい扉の外でお前の信念がどれ程のものか、拝見させてもらうとしよう。慈悲だ。扉の外に出ることができれば、救いを約束しよう」

 

 メイドを連れて扉の外に出たアーロン騎士長装備は鉄扉を閉ざす。鍵が施錠される音はない。その気になれば、自力で外に出る事も可能だろう。

 だが、拷問で弱った精神はゴラムを椅子から立たせる気力を奪っている。そして、彼は蝋燭の火が照らさない闇に立つ、メイドが招き入れた人物に焦点を合わせる。

 

「元気そうで何よりです。お久しぶり……という程ではありませんよね、ゴラムさん」

 

 それは死神。ゴラムは皮肉にも安堵した。自分をこの地獄に幽閉した者が、あろうことか救いのように殺しに来てくれた。腰まで伸びた白髪を1本の三つ編みに結った、白の傭兵は慈しむように椅子の上で力なく笑うゴラムの頬に触れた。

 微笑んだ【渡り鳥】は慈しむようにゴラムの頬を数度撫でると、地下室に供えられたもう1つの椅子を引き寄せて腰かける。

 

「お尋ねします。赤砂の旗の構成員と支援者について教えてください」

 

「何も喋る気はない……このバケモノが」

 

 さぁ、早く殺せ。向かい合ったゴラムは挑発するように吐き捨てると、【渡り鳥】は面倒だと言うように嘆息した。早く腰に差したカタナで首を刎ねてもらいたいとゴラムは望むも、【渡り鳥】は腰を上げると拷問に使用された様々な道具が並べられたテーブルに長方形の、やや大きめのケースを置いた。

 

「もう1度だけお尋ねします。知っていることを全て話してください」

 

「何度同じことを訊いても無駄だ。赤砂の旗は……大ギルドによる支配体制を否定する。完全攻略という真に目指すべき解放の道を蔑ろにする大ギルドの支配に、プレイヤーの未来はない。お前もSAOを生き抜いた1人、リターナーならば現状がどれだけ歪んでいるか分かっているはずだ」

 

「確かに、SAOの頃とは雲泥の差ですね。ですが、どちらも健全だったとは思いません」

 

 ケースを開いた【渡り鳥】が悩むような顔をして取り出したのは1本の注射器だ。また毒によるダメージフィードバッグによる拷問か。芸が無いとゴラムは嗤う。針が侵入する異物感と共に注射されたのはレベル2の麻痺薬のようだ。

 どうして麻痺を? 体が痺れて自由を奪われたゴラムの背後に回った【渡り鳥】は優しい手つきでゴラムの右手を取る。

 

「大半のプレイヤーは不用心だと思いませんか? システムウインドウを不可視化して、プレイヤーネームを非表示にして、中途半端な警戒心を持つ一方で、『それ』から目を背けている」

 

 そっとゴラムの指を動かす【渡り鳥】のそれは、システムウインドウを開く動作だ。ゴラムの指の動きに応じてシステムウインドウが表示されるも、それはあくまで彼にだけ目視できる画面である。【渡り鳥】には何も見えていないはずだ。

 そこでゴラムが思い出したのはSAO時代に流行した睡眠PKだ。眠っている相手の指を動かしてデュエルを申し込ませ、レッドになることなくPKするというラフィン・コフィン発祥のPK方法である。

 システム画面が見えていないだろう【渡り鳥】がゴラムの指を動かす動作は精密そのものだ。反復練習とイメージが重なり合っている。瞬時に再装備やアイテム変更を行うのは【渡り鳥】のお家芸であるが、それに通じるものを感じたゴラムは、自分のシステムウインドウがよりメニューの深部へと切り替わっていくことに言い知れない不安と恐怖を募らせた。

 そして、ゴラムは『それ』を目にする。知ってはいたが、意識から逸らしていた最悪の機能を知る。

 

「ここが『痛覚遮断』に関する項目です。パスワード登録、忘れていましたよね? 茅場の後継者の悪意と言いますか、こうした機能はまとめてロックできないようにしてあります。1つ1つ、ちゃんと注意して、ロックしておかないと……ね?」

 

 耳元で甘く囁いた【渡り鳥】は痛覚遮断を0パーセント……すなわち、仮想世界で本物の痛みを完全にゴラムの脳が獲得できるように設定を変更する。

 まだ麻痺が残るゴラムを残し、【渡り鳥】は燭台をテーブルに置いた。そして、ケースの中身が光を浴びてゴラムの視界に入り込む。

 

「拷問による証言に信憑性はない。それは真実です」

 

 ケースの中で整頓されているのは、ペンチ、鋸、剃刀、ハサミ、金槌、釘、ネジ、有刺鉄線、小さな虫が入った瓶などの、いかなる用途の為に揃えられたのか嫌でも想像がつくラインナップだ。

 まるでお菓子に悩む子どのような顔で、【渡り鳥】が手に取ったのは歪曲したフックだ。先端には禍々しい返しがあり、肉に引っかければ簡単には抜けるものではないだろう。

 

 

 

 

「だったら『心』を殺して、人形のように変えてしまいましょう。どんな質問にも素直に応えるぬいぐるみになるまで、アナタを壊します」

 

 

 

 

 天使の笑顔で、【渡り鳥】はおぞましい……およそ人間的な思考では到達できない手法を述べる。

 

「本当はこんな真似したくないんです」

 

 ゴラムの背後に回った【渡り鳥】は囁きながら、大きめの裁縫ハサミの乾いた金属音を奏でる。その鈍い刃で何処の部位を最初に切り落とすか悩んでいるかのように。

 冷たい金属の刃が右耳に触れる。ハサミの刃が皮膚に食い込み、痛みがじわりじわりとゴラムの喉をせり上がってくる恐怖と共に大きくなる。

 麻痺がようやく解除される寸前で、ゴラムの耳はその呟きを聞き取った。

 

「冗談ですよ。さぁ、『遊び』ましょうか」

 

 

▽   ▽    ▽

 

 

「うぁああああああああ! ぎぃ……ぐぎぃ……ぐぎゃぁあああああああああ! あぎゃ、ぐぃ……がぁあああああああああ!」

 

 地下室の扉の両脇を固めるように、アーロン騎士長装備は腕を組み、ブリッツは直立不動の姿勢を保っていた。

 

「その……何だ、まだ怒っているのか?」

 

「いいえ。隊長はお忙しい身です。セサル様に代わり実働部隊を取り仕切らねばなりません。ご多忙である事は承知しています」

 

「本当に悪かったと思っている。間に合わなかっただけだ。断じて、お前との夕食の約束を忘れていたわけではない」

 

「それにしては、ご指摘した際には随分と硬直されていたようですが?」

 

「うぐっ!」

 

 ゴラムの悲鳴をBGMに、アーロン騎士長装備はどうにかしてブリッツの機嫌を直せないものかと悩む。

 確かに仕事でレストランが閉店するまでブリッツを待ちぼうけさせたのは、全面的にアーロン騎士長装備に非がある。

 本音を言えば、忙し過ぎて完全に忘れてしまっていた。新たなコンソールルーム候補も発見され、それのギミック解除方法などでダンジョンに潜っていたのだ。たとえ、約束を憶えていたとしても間に合わなかっただろう。

 だからブリッツが怒っている理由も、約束を破った事ではなく、忘れていた事だとアーロン騎士長装備は理解している。だからこそ、その怒りを鎮める方法が思いつかない。安易に贈り物などで機嫌を取ろうとしても逆鱗に触れるだけだろう。

 

「……隊長」

 

 流し目で『ここで男を見せられないなら関係も終わり』と暗に通告され、アーロン騎士長装備は兜をオミットしてそのスカーフェイスを露出する。顔を隠したままで謝罪の言葉を述べても誠意は伝わらない。

 

「申し訳なかった。この埋め合わせは……どうすれば良い?」

 

「仕方ありませんね。隊長のそうした抜けている部分も含めてお慕いしていますし、デート1回で許して差し上げます。ただし、隊長の考え得る限りで最高のエスコートをお願いしますよ?」

 

「善処しよう」

 

 デートか。いつもブリッツ任せのアーロン騎士長装備は、どうしたものだろうか、と唸る。デートプランを組むとなれば隔週サインズを情報源にすれば何とかなるかもしれないが、ブリッツの求める最高のエスコートとは、アーロン騎士長装備が最大限に自分で練りに練った誠意あるデートの1日を示しているだろう。

 

「あぎゃぁあああ……ぐがぁあ……あぎぃ……うがぁあああああ!」

 

 こうなれば、恥も外聞もなく他者にアドバイスを求めるのが良いだろう。アーロン騎士長装備は候補者を何人か思い浮かべる。

 まずはセサルだ。ヴェニデのトップとして女性関係も百戦錬磨である。だが、3度の飯よりも戦い好きな主ともなれば、回答は自然と限られる。恐らく、ブリッツとの仲を応援するという主にしては珍しい善意で高難度イベントの攻略命令を通達するだろう。そんな真似をすれば、ブリッツの怒りの笑顔が炸裂して破局どころかアーロン騎士長装備の首が物理的に飛ぶ。

 ならばユージーンはどうだろう? ランク1として夜の相手に事欠かず、また自身がボーカルを務めるバンドも持っているというモテる男の模範のような男だ。当然ながらデート関連も彼に任せれば完璧だろう。だが、彼を頼ればアーロン騎士長装備のデートプランの『色』が失われてしまう。そればブリッツが欲するところではないはずだ。

 レックスと虎丸のコンビはどうだろう? 特にレックスは酒池肉林に興じている。虎丸は当てにならないが、レックスからの意見は大いに参考になるはずだ。

 

「たすしゅけ……助けてくれぇええええ! 殺して! 殺してくれぇえええええ! 何でも話す! 何でも話すからぁああああ!」

 

 根性か、あるいは最後の抵抗か、鉄扉を開けて上半身を外に出したゴラムは、2人に助けを求めて手を伸ばす。その頭皮は剥ぎ取られ、赤黒い光の肉が露になり、瞼は削ぎ落とされ、右目の眼球にはネジが3本突き刺してある。喉は丁寧に声帯に当たる部分が破損しない程度に剃刀で削がれていた。

 だが、肩に引っかけられたワイヤー付きフックが張り、転倒したゴラムは地下室の闇に引きずり込まれていく。爪が剥ぎ取られた指で床をつかむゴラムであるが、そんなものは抵抗の内にも入らなかった。

 再び鉄扉は閉ざされる。もはやゴラムが外に出ることはないだろう。どうでも良いとばかりにアーロン騎士長装備はデートプランの考案に思考を分ける。

 

 

 

 

 

 アヒャ……クヒャ……クヒャヒャヒャヒャ! キヒ……クヒヒヒ! キャハハハハハハハ!

 

 

 

 

 やがて、ゴラムの叫び声は『削がれ』、悦楽に満たされた歓喜の声が地下室で響く。

 それから数十分後、鉄扉が開くと【渡り鳥】が澄ました顔で現れ、アーロン騎士装備に1枚の書類を渡した。

 

「ゴラムさんが知っていた全ての情報です。ご指示通り、ゴラムさんは『生きています』よ。これでミッション完了ですね」

 

 赤黒い光が血のようにべったりと全身を染めた姿で、【渡り鳥】が差し出した書類には赤砂の旗のメンバーと支援者と思われる人物の名前が記載されている。これで次の一掃作戦でクラウドアースは他の大ギルドを出し抜いて成果を上げることができるだろう。

 

「シャワーの準備ができています、【渡り鳥】様」

 

「様付けは止してください。でも、ありがたくシャワーは使わせてもらいますよ」

 

 髪を解いた姿で【渡り鳥】は、丁寧に一礼を取ると去っていく。その後ろ姿に見惚れていると、ブリッツがアーロン騎士長装備の手から書類を奪い取る。

 

「期待していますからね」

 

「ま、任せておけ! 男に二言はない!」

 

 少しだけ機嫌が良くなったらしく、鼻歌交じりで【渡り鳥】を見送りに行ったブリッツに、かつてない程の窮地に陥ったアーロン騎士長装備は溜め息を吐く。とりあえずは隔週サインズでデートプランの骨格だけでも作らねばならない。

 地下室に入ったアーロン騎士長装備は、およそ人間としての原型を留めているとは思えない、止血包帯でぐるぐる巻きにされて命を繋ぎ止めさせられた『ゴラムだった者』を見下ろす。

 せめてもの慈悲だ。アーロン騎士長装備は腰のカタナを抜くと『ゴラムだった者』に振り下ろした。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 グリセルダさんと協議して決めた最初の汚れ仕事が拷問とはな。セサルの屋敷を出たオレは、不慣れではあるが、髪で1本の三つ編みを結うと、指先にこびり付いたゴラムの悲鳴を味わうように右手を握りしめる。

 

『割の合わない仕事はしないわ。だけど、クゥリ君の強みの1つは汚れ仕事も厭わない事よ。やってくれるわね?』

 

 それはグリセルダさんとしても苦渋の判断だっただろう。クラウドアースから打診された『捕縛したゴラムの尋問の助力』は、オレのイメージ戦略を進行するグリセルダさんからすれば、不安要素として引き受けたくない類だったはずだ。

 だが、報酬は相場の倍額だ。しかも依頼の成否は問わない。さすがはクラウドアースだ。オレではなく、グリセルダさんを『試し』にかかった。

 ここでグリセルダさんが却下すれば、オレが今まで証明してきた『有用性』という唯一無二の価値に傷がつく。かといって、この依頼を受託すればオレは復帰後も汚れ仕事を厭わない傭兵であると大ギルドにメッセージを送る事にもなる。なるべく『まとも』な依頼を今後は増やしたいと考えていたグリセルダさんにとって、クラウドアースは悪魔の一手を打ってきたと言わざるを得ない。

 さすが腹黒陣営は伊達ではなかったか。グリセルダさんも今回の1件を通じて、やはり大ギルドは一筋縄ではいかないと再認識したようだ。まぁ、何だかんだ言ってグリセルダさんはDBOの大ギルド支配を肌で感じている時間が短いからな。だが、こうなるとゴミュウがどんな動きをするか気がかりだ。サンライスがトップにいる分だけ総真っ黒なクラウドアースとは謀略の形が違うも、それだけにゴミュウ単体の優秀さと腹黒さが際立つ。

 絶対にグリセルダさんとミュウは反りが合わないだろうな。2人が対面した時点でどうなるか大よそ想像がつき、オレは思わず嘆息してしまう。

 まぁ、とりあえずの目的は『使い潰し』からの脱却と大衆イメージの改善だ。元より傭兵には汚れ仕事も付き物である。グリセルダさんも覚悟していた節もあるし、クラウドアースも今回はあくまで『試し』だったはずだ。以前のように10の内の9が真っ黒という比率にはならないだろう。それだけでもグリセルダさんの戦略は効果を発揮していると言えるだろう。それに、転んでもタダでは起き上がらないと言うべきか、この依頼を通してグリセルダさんは何やらクラウドアースと取引したようである。何か恐ろしい事を考えているらしいから、激しく今後が怖い。

 

「…………」

 

 ゴラムを拷問して、オレは悦んでいた。

 もう取り繕う気はない。これがオレの本性だ。他人を傷つけ、また殺す事に悦楽を貪るバケモノの素顔だ。今回は『仕事』という名分で発散したが、黄金林檎やユウキが傍にいるだけでオレの飢えと渇きはどんどん大きくなっていく。

 空腹の獣の前に丸々太った七面鳥をぶら下げればどうなるかなど、考えるまでもないはずだ。オレが『人』としての喜びを得れば得る程に、『獣』としての悦びを得ようとする衝動も強くなる。

 壊れているな。オレは苦笑しながら、気を紛らわせるようにユウキへと短文のメールを送る。

 

<仕事終わった。そっちはどうだ?>

 

<ごめん、ボクはまだお仕事。最近はテロリストに資金提供している店も多いから見回りしているんだ。今日は行けそうにないかも>

 

 ユウキはどうやら今晩は空いてないようだ。暇さえあればオレの家に来て食事を作ってくれるのはありがたいが、たまには1人でゆっくり過ごすのも悪くない。今日の報酬で欲しかった人間失格も地下街で買えるだろう。今夜は濃い味の牛肉の缶詰を食べながら、ゆっくりと読書だな。

 オレはサインズ本部にたどり着くと、妙に背筋を伸ばしたヘカテちゃんに迎えられる。

 

「クゥリさん、お疲れ様でした」

 

 オレは小切手を受け取って額面を確認する。1時間足らずの拷問で30万コル。割の良い仕事だ。

 依頼内容を知らないだろうヘカテちゃんは、いつものようにオレが何をしたのか尋ねない。その権限が無いのだろうし、プロ意識が高い彼女はサインズの規定を順守する。

 

「ヘカテちゃんはオレの担当なんか……したくないよね」

 

 だからだろう。オレは少し感傷的になったのか、ヘカテちゃんの前で内心で収めるべき呟きを漏らしてしまう。

 依頼内容も確認できず、仕事の受理と報酬の受け渡ししか出来ない、不透明の極みのような傭兵の相手などしたくないはずだ。ヘカテちゃんが担当から外れたいならば、オレはそれを応援したい。何ならオレの方から担当の変更申請をしても良い。

 

「クゥリさんは立派な傭兵だと、私は思いますよ」

 

 だが、意外な事に、ヘカテちゃんは今までに見た事も無いくらいに、優しい笑顔を咲かせる。普段の受付嬢としての仕事スマイルとは違う、本当の彼女の気持ちを代弁しているような笑顔だ。

 

「復帰してくれて嬉しいです。傭兵の方はいつ死ぬか分かりません。だからこそ、必ず帰って来るって信じられるクゥリさんの担当で良かったって思います。それだけで、気持ちが楽になりますから」

 

「……そっか」

 

 プロ意識が高いからと言って、心が氷でできているはずもない。常に死地へと傭兵を送るサインズの、それも顔とも言うべき受付嬢であるヘカテちゃんの心労は相当なものだろう。

 

「これからも生きて帰るように、なるべく努力するよ」

 

「期待しています」

 

 うん、やっぱり笑顔が可愛いおんにゃのこは魅力的だな。ヘカテちゃんに癒されたオレは、不機嫌MAXだろうグリセルダさんに何かお土産を買っていこうかと踵を返す。だが、そんなオレの肩を掴んで歩みを止める者がいた。

 

 

 

 

 

「見つけましたよ、ランク41!」

 

 

 

 

 ……うわぁ、会いたくない傭兵ランキングでも最上位のヤツに絡まれてしまった。

 オレを足止めしたのは他でもない、聖剣騎士団が抱えるランク5の専属傭兵。オレも真正面から戦う事は御免被りたい、ふざけた位にバトルセンスの塊である、馬鹿の代名詞であるグローリーだ。今日も今日とてピカピカの鎧姿であり、傭兵というよりも騎士の方が数倍似合う男である。

 

「イメチェンしたんですね。いやぁ、隔週サインズを読んで吃驚しましたよ!」

 

 正直言ってグローリーは苦手だ。裏表のない気持ち良い性格だとは思うが、傭兵としては壊滅的だからだ。というよりも、聖剣騎士団も彼のウザさを持て余して傭兵に転身させたのではないかと傭兵間では噂されているが、それは確実に真実だろう。

 

「騎士として、私も負けていられないと三つ編みを試してみたのですが、まるで似合っていなくて鏡に映った自分を見て吹き出してしまいましたよ!」

 

「それはご愁傷様だな」

 

 オレも似合っている自分がたまに嫌になるよ。というよりも、『似合っている』と諦観してしまっている自分が嫌になる。

 

「用がないなら、もう良いか?」

 

 グローリーの手をやんわりと肩から引き剥がしたオレだが、グローリーは逃がさないとばかりにグーサインをする。

 

「用事ならありますよ! キミに協働をお願いしに来ました!」

 

 協働か。前回断ったロータス農場の襲撃の件だろうか。この様子からすると、まだサインズに協働申請を出していないようだが、ヘカテちゃんの仕事を増やすならば、グローリーとある程度は詰めておくのも悪くないだろう。サインズ経由で正式に協働依頼が来たならばグリセルダさんを通さねばならないが、あくまで傭兵同士の個人間での『話し合い』ならば一々マネージャーを通すのも馬鹿らしいというものだ。

 グローリーに招かれて傭兵用の談話エリアに連れていかれたオレは、放置されている隔週サインズを見て複雑な表情をしてしまう。言われるままにポーズを取った写真が表紙を飾っているのだが、自分で見ても吐き気がしてしまう程に『誰だよ、コイツ』状態だ。似合っていないにも程がある。

 やはり傭兵インタビューなど受けるべきではなかった。グローリーは好意的に受け取っているようだが、コイツは馬鹿だからな。

 

「それで協働の内容は?」

 

「いきなり仕事の話ですか? まずは親睦でも深めましょうよ! 私も最古参の1人ですが、【渡り鳥】とはこうして話をするのは初めてですからね」

 

 お近づきになりたくなかっただけだ。グローリーの噂は嫌程聞いていただけに、なるべく関わり合いになりたくなかったのである。

 奢りだと珈琲を2つ買ってきたグローリーに無言で感謝しながら、オレはほとんどお湯に近い味しかしない珈琲に口をつける。

 

「たくさんの傭兵が亡くなるか、辞めていきましたからねぇ。黎明期からの傭兵といえば、私、スミス、シノン、それに【渡り鳥】くらいしか残っていないのではないですか?」

 

 サインズが発足されるよりも前から傭兵業を営んでいた者たちの名前を呼び、オレは感慨深く目を細める。言われてみれば確かにその通りだ。ランク1として有名なユージーン、傭兵最強と噂されるUNKNOWNの両名はサインズが誕生してから傭兵になっている。

 

「オレは……アナタの仲間を、777や他の聖剣騎士団の専属を殺している。何とも思わないのか?」

 

 だからこそ、オレは能天気なグローリーに尋ねる。彼は仲間意識も高い事で知られる傭兵だ。ならば、専属仲間を殺したオレは彼の怨敵になるのではないだろうか。

 場合によっては復讐で『騙して悪いが』もあり得る。オレは腰の贄姫を意識した。

 

「傭兵は戦場で敵として出会えば、誰が相手であろうと戦わねばならない。ランク41を恨むのは道理じゃありませんよ」

 

 だが、意外な事にグローリーは微塵も敵意も見せずに笑って見せた。

 

「味方なら協力し合い、敵なら全力で決着をつける! それが騎士の覚悟です! もしもランク41と戦う事があるならば、私は全身全霊をかけて戦いましょう。ランクが低いからと侮っていた事もありましたが、私は騎士としてアナタを強者と認めました。我が名にかけて、騎士の栄光を胸に決闘を挑み、そして勝利しましょう!」

 

 ……正真正銘の馬鹿だな。そもそも傭兵なのか騎士なのかハッキリしてもらいたい。

 だが、1つだけ分かった事がある。グローリーは自分で言ったように、黎明期からの傭兵の1人であり、他の生半可な連中よりも血生臭い戦いを切り抜けてきたのだ。彼は自分の美学を『強さ』として生きている。

 馬鹿ではあるが、その誇り高さには敬意を持とう。オレはグローリーに微笑んで、今回の協働依頼はグリセルダさんに頭を下げてでも格安で受けようと心に決めた。

 

「ところで、【渡り鳥】はおっぱい星人なんですか?」

 

 前言は撤回しないが、コイツの事はやっぱり苦手だ。微笑んだまま硬直したオレは、いきなり卑猥なトークを始めだすグローリーに、思わず周囲を確認してしまう。幸いにも何名かの傭兵が食事しているくらいであり、オレ達には気にもかけていないようだ。

 

「ほら、インタビューで答えていたじゃないですか。巨乳好きだって。ちなみに私もスミスもUNKNOWNもおっぱい星人です!」

 

 だろうな。ルシアさんのたゆんたゆんを見ていたら嫌でもスミスの嗜好くらい分かる。それにUNKNOWNも正体が『アイツ』だとすれば納得だ。

 

「アナタは誤解しているよ。好きと言えば好きと答えただけで、別に巨乳派というわけじゃ――」

 

「だったら……まさか、まな板派だというのですか!? おっぱいは怖くありませんよ、ランク41!」

 

 デカいか平たいかのどっちかでしか判断できないのだろうか。オレの肩を掴んでガクガクと揺らし、まるで正気に戻そうとする必死な形相のグローリーを振り払い、オレは乱れた襟を正す。

 

「母性の象徴! 顔を埋めたい柔らかな膨らみ! まさしく巨乳こそが男子にとって栄光の玉座! 騎士として豊満なる胸に包まれて死ねるならば大往生! 騎士としてそれが分からないはずがありません! そうでしょう!?」

 

 オレは傭兵であり、また狩人でもあるが、断じて騎士ではない。騎士という要素を持ち合わせていない、最も程遠い存在だ。

 巨乳ねぇ……確かにヘカテちゃんのような服の上からも分かる自己主張には惹かれるものもあるし、ルシアさんのような谷間も思わず視線が向いてしまうが、それは男の性のようなものであり、オレの嗜好の賜物かと言われれば、どうにも違う気がする。

 いや、昔はやっぱり巨乳派だったのだろうか? 思えば『アイツ』とも熱く語らった事があったような気がする。それでシリカの怒りを買って、危うくフィールドの端から蹴落とされそうになったんだよなぁ。あれ以来シリカのオレに対する態度が更に冷たくなったような気もする。

 血走った眼でオレの回答を待つグローリーに、珈琲を半分ほど飲んで、自分の心の内を覗き込み、答える内容を決める。

 

「……最近は、別に小さくても、良いかなって、気はする」

 

 前ほどに巨乳に惹かれない。おかしいな。久藤家の男は代々巨乳好きのはずなのだが。そして、代々ぺったん娘を嫁にするという謎のジンクスがある。数少ない例外の1人が母さんだ。糞親父は死んで良いと思う。

 

「こ、こここここ、これはいけませんね! おのれ、まな板派! ランク41をいつの間に洗脳したのですか!? 仕方ありません! 騎士のスペシャルコレクション! この巨乳乱舞写真集ですぐに洗脳解除を――」

 

 あわわわわ、と慌てるグローリーは常に持ち歩ているのか、グラビア雑誌のように際どい水着姿のおねーさんが表紙を飾る本をアイテムストレージから取り出す。まぁ、貰えるならば貰っておくとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「巨乳派……殺すべし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、グローリーの巨乳コレクションは目にも止まらぬ高速の刃によってバラバラにされ、紙吹雪のように舞ってポリゴンの欠片となって散る。オレの目でも捉えきれなかった高速斬撃を放ったのは、談話室で呑気にうどんを食べていた1人だ。

 その身にまとうのは和服に似た防具。右手に抜いたのは錫杖の類だ。本来は打撃属性の≪戦槌≫であるが、周囲に青の光が散っているのを見るに、ソウルの剣の類を発動させたのだろう。そうなると魔法触媒を兼ねたタイプか。

 冷静に分析しなければならないのは、コイツの乱入が理解できない……というより理解したくなかったからだ。

 

「誤解していたよ、【渡り鳥】。まさかキミが同志だったとはね」

 

 眼鏡をキラリと輝かせ、DEXの出力が9割突破したのではないかとも思う動きを披露したのは、竜虎コンビの片割れ。

 

「巨乳派の数は多い。だが、共に殲滅しようではないか。真に素晴らしきは貧乳! 先に言っておくが、ロリが良いのではない! 貧乳が良いのだ! 微乳が良いのだ! 何でもかんでもデカければ良いと思っている阿呆が多過ぎる」

 

 その名は虎丸。腕は立つが、考え無しだったレックスの実力を引き出した傭兵でも1、2を争う頭脳派である。だが、今はその知性の象徴である眼鏡を光らせてキリッとしているが、発言はどう考えても馬鹿の類だ。

 

「クッ! やはりキミですか! まさかランク41を惑わしたのも!?」

 

「これだから巨乳派は愚かで困る。人は真理に到達すると自然と貧乳派になるんですよ」

 

 オレの肩をがっちりホールドする虎丸に、グローリーは悲しそうに首を横に振る。

 

「まな板は悲劇しか生まない。胸囲格差がどれだけの涙を生んだのか、分からないキミではないでしょう!?」

 

「それは巨乳派が貧乳派を弾圧したからだ! 歴史上貧乳派は常に敗者として蔑まれ、少しでも自己主張すれば『ロリコンの変態』という汚名を着せられてきた! 先も言った通り、我々はロリが好きなのではない! ぺったん娘が好きなのだ! 発育すらしていないロリなど興味も無いわ!」

 

「ならば合法ロリはどうなのですか!? ヘカテ嬢のような合法ロリは!?」

 

「合法ならばロリではないだろう? ゆえに合法ロリは許される!」

 

「それは詭弁です!」

 

「巨乳派がそれを言うか!?」

 

 醜い上に、方向性が全く理解できない言い争いをするグローリーと虎丸のヒートアップ具合に置いて行かれたオレは、そもそも胸の大小程度で何を言い争いしているのやらと嘆息したくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「及ばずながら助力するぞ、グローリー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サインズ本部の2階、吹き抜けから飛び降りてきたのは、この馬鹿2人の会話を聞いていたらしい2人の男だ。

 

「いい加減に目を覚ませてやるぜ、虎丸! おっぱいの素晴らしさをお前に教えてやる!」

 

 1人は言わずと知れた竜虎コンビの馬鹿の方であるレックスだ。相変わらずの派手なファーが付いたレーザーコート姿であり、野性味溢れるワイルドな男として傭兵の中でもモテる部類だ。それに毎度の如く小言を漏らすのが虎丸の役目であるが、今回はそのストッパーが壊れている。

 

「レックス、君は良い友人であり、最高の相棒だ。だけど、僕にも譲れないものはあるんだ。巨乳派……殺すべし! たとえ親友であるとしても!」

 

 涙を流し、まるで裏切った友人を倒すと誓った主人公張りに宣言をする虎丸に、レックスもまた、闇堕ちした友人を助ける不良系主人公のように中指を立てる。

 

「上等だ! まな板しか愛せないお前に、おっぱいで得られる男の悦びって奴を教えてやるぜ! 行くぞ、グローリー! それに、えと……」

 

 レックスはたじろぎながら、自分と一緒に舞い降りてきた、上半身裸のムキムキマッチョマンのずた袋装備に目を向ける。

 

「通りすがりのダンベル愛好家だ。巨乳こそがジャスティス。そこに顔を埋もれ、揉んで愛を得る事こそが男の到達点」

 

 多勢に無勢か。グローリー、レックス、謎のダンベル愛好家に囲まれ、虎丸は歯を食いしばって自分の苦境を分析し、打開策を編み出すように眼鏡のブリッジを押し上げる。

 

「ここでは包囲殲滅されるのは必定! 逃げるよ、【渡り鳥】!」

 

 だからオレを巻き込まないで欲しいのだが。もう半ば諦めているオレは、虎丸に襟を掴まれて引き摺られながらサインズ本部の外に連れ出される。面した大通りには通行人のNPCの中にもチラホラとプレイヤーも混ざっており、何事かと目を丸くしている。

 

「ランク41は洗脳されているだけです! 騎士としてお任せを!」

 

「ああ、頼んだぜ! 虎丸の目は俺が覚まさせる!」

 

「俺は援護に徹しよう。この筋肉パワー……伊達ではあるが、まるで役には立たない訳ではない!」

 

 同じくサインズ本部から飛び出してきたグローリー、レックス、ダンベル愛好家は並び立ち、それぞれが戦隊のようにポーズを取る。コイツら、アドリブでやっているはずだよな? どうしてタイミングがそんなにもバッチリ合うんだよ。それとも、オレが知らないだけで、DBOの水面下では巨乳派と貧乳派の熾烈な攻防が繰り広げられていたのだろうか。

 どうでも良い。これ以上は付き合いきれない。多勢に無勢。戦略的撤退こそ勝利の道だ。そもそもオレは虎丸の仲間でもない。

 

「君達、何をやっているんだ!?」

 

 と、そこに現れたのは、教会の聖衣が板についたラジードだ。どうやら教会剣の見回り活動の最中らしい。背負うのは特大剣であり、腰には双剣型の片手剣。どちらも彼が確立したバトルスタイルをよく表している。

 ラジードは治安維持活動と最前線攻略の両方で活躍し、全層のプレイヤーから着実に信頼を勝ち取っている。それはミュウの策略だけではなく、彼の努力と人徳の賜物だろう。オレには決して歩めない道を、彼は真っ直ぐと突き進んでいる。それは彼の成長を知る者として嬉しい限りだ。

 

「……クゥリ」

 

「久しぶり。元気そうだな」

 

 こうして顔を合わせたのはベヒモスの遺品を渡しに行った時以来だ。オレはベヒモスの死に様を偽ることなく伝え、また同じくらいに彼がどれだけ勇敢に、仲間の為に戦ったかも教えた。ラジードは何も言わず、またオレを責めなかった。だが、ベヒモスの最期を伝えた事が彼に何かしらの転機を与えたらしく、今まで以上に戦果を積み上げているのは、まるで自分の限界を知ろうとしているようで少し不安を覚える。

 まぁ、ミスティアという恋人がいるのだ。頭がキレる女だし、ラジードが無理し過ぎて潰れるような真似はさせないだろう。それに、男は多少の無理をしないと我慢ならない生き物だ。ならば、ラジードも今は成長期という事だろう。

 

「何て言うか、イメチェン……凄いね」

 

「オレは『オレ』だよ。そういうラジードもすっかり英雄だな」

 

「1人でも多く助けたい。僕はそれだけだよ。英雄なんて程遠いさ」

 

 その志が歪むことなく、心折れる事無く持ち続けていられる時点で十分に英雄だ。オレは彼の肩を叩き、この場は任せたと去ろうとする。

 

「これは【若狼】じゃありませんか! もちろん、キミは巨乳派ですよね! 同じ騎士として巨乳派に決まってますよね!?」

 

「【渡り鳥】、援護してくれ! まな板派は精鋭揃いだが、数が少ない! このままでは押し切られてしまう!」

 

 完全に展開の流れについていけないラジードを生贄にする事には成功したが、オレも回り込まれてしまう。糞が。このままラジードをデコイにしてフェードアウトする作戦が大失敗である。というよりも、コイツの騎士認定は何処を基準にしているのだろうか? ラジードは勇者系ではあるが、騎士スタイルではないと思うのだが。

 

「えと、何だって?」

 

 表情を硬直させて尋ねるラジードに、グローリーは全身でYというポーズを作りながら再度問いかける。

 

「だから、【若狼】は巨乳派ですよね!? ボインボインのバイーンが好きなおっぱい星人ですよね!?」

 

 公衆の面前でこの騎士か傭兵かハッキリしない、聖剣騎士団最高位ランカーは何を問いかけているのだろうか。ラジード先生、もうバッサリと斬ってやってください。その特大剣の一撃を浴びた程度ではグローリーは死なないからご安心ください。

 だが、ラジードは神妙な顔をして、まるで瞑想するように瞼を閉ざすと、最高に良い笑顔でグーサインした。

 

「僕もおっぱい星人! ナカーマ!」

 

「キミ、ナカーマ?」

 

「ナカーマ! ミカータ!」

 

「ミカータ? ミカータ!」

 

「「イエイ!」」

 

 そういえば、ラジードってそこそこノリが良い男だったな。グローリーとハイタッチをして場の流れを瞬時につかみ取ったラジードのコミュ力に驚かされたオレは、いよいよ虎丸と一括り扱いで巨乳派に包囲されてしまっている現実を直視する。

 どうやらイメージ戦略以前に、新しくオレには『貧乳派と豪語するHENTAI』という汚名が追加されてしまいそうだ。もうどうにでもなれ。

 

「くっ! せめて……せめて、もう1人仲間がいれば!」

 

 いつの間にかボロボロになった虎丸は悔しそうに唸る。というか、HPがまるで減っていないのに、どうしてそんなにも傷だらけなのだろうか? これも仮想世界の過剰演出の1つなのだろうか? 茅場の後継者よ、教えてくれ。あと、オレはツッコミキャラじゃないから、早急にツッコミ担当の派遣を要請する。

 

「もう死んでしまえ」

 

「諦めるな、【渡り鳥】! 僕が囮になる! その内に救援を呼んでくれ。頼んだよ……ヴァルハラで会おう」

 

 まぁ、確かにランク5、猪突猛進の戦闘特化のレックス、上位プレイヤーでもトップクラス級に成長してきたラジード、そして謎のマッスル男。これだけを1人で相手にすれば、竜虎コンビの頭脳労働担当である虎丸ではどう足掻いても敗北だろう。というよりも、さっさと負けてオレを解放してくれ。

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ。若者は元気なのが1番だとは思うが、大通りの真ん中を占拠するのは些か迷惑ではないかな?」

 

 

 

 

 

 

 茅場の後継者よ、ナイスだ。この展開を纏めて押し付けられる最高の人物を派遣してくれた。煙草を咥えたスミスに、オレは期待を込めて視線で縋る。途端に、スミスは笑いを堪えるようにオレから目を逸らした。

 ……そうだよなぁ。あのインタビュー記事はオレの事を何も知らない人々だけではなく、スミスを始めとした付き合いのある連中にも読まれてるに決まってるよなぁ。オレ自身も読んで『誰だよ、コイツ』って思わず呟いてしまったよ。

 

「邪魔しないでください、スミス! これはおっぱい星人としての責務! まな板派を救うという使命です! 騎士として! 騎 士 と し て! 騎 士 と し て!」

 

「だからキミは傭兵だろうと何度言えば私は報われるのだろうね」

 

 その意気だ、スミス! この馬鹿共を御することができるのは、大人の男であるスミス以外にいるはずもない! 良し! プランB発動! オレはこのまま≪気配遮断≫を発動して路地裏に逃走を――

 

「おっと、逃がさないよ」

 

 だが、鼻先を弾丸が掠めて、オレは恐る恐る弾道の起点へと目を向ける。そこには、グローリー達の側についた事を証明するような、護身用のハンドガンを抜いたスミスが非情なる眼を向けていた。

 

「まな板派は殺す。それはおっぱい星人の義務だ。その点で私とグローリー君の目的は一致している」

 

 嘘つけ! どう考えても面倒だから、多勢に協力して自分に被害が及ばないようにしようって目が語ってるぞ! まぁ、それを抜きにしてもスミスは巨乳好きだろうけどな。ルシアさんを見ていれば嫌でも気づくさ!

 さて、増々以ってどうしたものだろうか。4対2から5対2……しかもスミスが追加された事によって戦力差は絶望的だ。いや、そもそもオレは巨乳派にも貧乳派にも与していないのだから、完全に巻き込まれた無関係者のはずだ! どうしてオレは自分を虎丸側にカウントしてしまっているんだ!?

 ま、まずい! オレも確実にこの訳が分からんノリに汚染され始めている! 下手をせずともキャリア・レギオンよりも恐ろしい感染力だ! この謎のおっぱい戦争時空から脱出する方法はないのか!?

 

「ここまで……か! 無念!」

 

 そして、いつの間にか吐血して虎丸が撃破されている!? 倒れた彼を拘束したレックスとマッスルマンは勝利を分かち合うように握手を交わした。

 

「スミス、捕虜の扱いはどうしますか?」

 

 もう何もかも諦めたオレの両腕を縛り上げたグローリーは、オレと気絶している虎丸の処断をスミスに委ねる。

 

「まな板派も哀れな存在だ。彼らに巨乳の如き慈悲で更生のチャンスを与えるのもおっぱい星人の役目だ」

 

「一理ある。僕も彼らには猶予が必要だと思います」

 

 ラジードよ、一理も何もないと思うぞ。もっとこの展開にツッコミを入れて良いんだぞ? どうして、そんなにも純粋無垢な、まるで流星を見つけた少年のようなキラキラした目で、この阿呆な流れにノリノリなんだよ。

 

「そうだな。では、彼らを『あそこ』に連れて行こうではないか」

 

 邪悪な笑みを浮かべたオレ達をスミスが連行する。それはまるで重罪人を移送しているかのような異常な光景のはずであるが、異常に慣れ過ぎたらしいDBOで暮らすプレイヤー達は見向きもしない。

 ああ、もう夕暮れか。今日は家でゆっくりと1人で濃い目の缶詰を食べながら人間失格を読んで夜更かしを楽しもうと思っていたのに。オレは地平線に沈んでいく夕陽を悲しく見つめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、スミスが連れてきたのは、派手なネオンが煌く夜のお店だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「報酬で黒字が多く出たものでね。私の奢りだ。諸君、好きなだけ遊びたまえ」

 

「「「「「さすがスミス、分かってるぅうううう!」」」」」

 

 それは犯罪ギルドでも娯楽関係を中心に幅広く扱っている、表のプレイヤーも多く利用しているグレー色の施設を運営しているフォックス・ネストの店。

 単刀直入に言えば、キャバクラである。しかもコスプレ系だ。DBO自体がダークファンタジーの為か、現実色の強いナースやら学生服やらミニスカポリスやらを着たおねーさん達がオレ達をウェルカムする。

 

「ま、待て待て待て! こういう店はアウトだから! オレ、入ったことが無くて、それで――!」

 

 確かに可愛いおんにゃのこは好きだが、お金を払ってまでお酒を飲みながらお話ししたいとか思わないから! そ、それに、こういう店はやっぱり……!

 

「顔を真っ赤にして何を恥ずかしがっているのかね? キミも傭兵ならば週1で娼館に通っているだろうに。まぁ、私は娼館でも構わないが、今から店を変えるかね?」

 

 行くわけないだろう!? そもそも、おんにゃのことまともに付き合ったこともないオレには娼館なんてハードルが高すぎるんだよ! それ以前にわざわざ行きたいと思わないよ!

 

「僕はカノジョがいるので、さすがに娼館はちょっと……」

 

 いやいやいやいや! ラジードさん、キャバクラも十分に駄目でしょう!? 何だよ、その男の欲望には勝てなかったよ的な目は!? アナタはもっと真面目な男だったはずだろうに!? そこはノリで許すべきじゃないぞ! 後々になってカノジョにバレて要案件にされてしまう致命的なミスだぞ!?

 

「フッ! 騎士として、スミスだけに良い恰好をさせるわけにはいきませんね! 私も払いましょう! お酒のランクに糸目はつけませんよ!」

 

 そこは騎士として自重してください。騎士なら、こういう店は駄目だと物申すべきだと思います。

 

「へっ! ランク5とランク8にカッコイイ真似された以上は、俺も男の背中って奴を見せないとな。オーナー、この店で最高に可愛い子を全員連れて来い!」

 

 そしてレックスの兄貴は何やっていらっしゃるの!? 小切手丸ごと渡さなくて良いから! それ、確実に相棒と折半しないといけないだろう報酬だろう!? 勝手に使って良いお金じゃないだろう!? もっと装備とかアイテムとかに費やすお金だろう!?

 オレがおかしいのか? オレがおかしいのだろうか? 頭がクラクラしてきたオレは、彼らに両腕をガッシリ掴まれてコスプレ☆キャバクラの深奥へと引きずり込まれていった。




スミスたち巨乳派に拉致された主人公(白)と虎丸の運命はいかに!?

次回、禁断のコスプレ☆キャバクラ編。

……そろそろR18タグを覚悟し始めた筆者です。


それでは、226話でまた会いましょう!

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