SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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いよいよ長かった本エピソードも終わりです。

ダクソ3も大よそ遊んだので、これからは更新ペースも元に戻そうと思います。


Episode16-34 ピリオドの先

 繰り出される触手は曲線を描き、周囲を薙ぎ払って近寄る脅威を薙ぎ払う。

 感染レギオンは時間を経過するほどに強力になっていくらしく、大通りに残された3体は完全変異体より更に一回り大きく、また触手の数も3本に増えていた。攻撃も格闘戦以外にも闇属性らしい黒い球体を浮遊するソウルの塊のように最大で5つ展開し、こちらに低度の追尾攻撃を仕掛けてくる。

 

「冷静に対処するのだ! 無理して手傷を負ってもつまらん! 確実に囲い込め!」

 

 金色のハンドガードが備わったサーベルを手に、聖剣騎士団のナンバー2と名高いアレスは赤い月が浮かぶ頃から着実に合流させ、まとめ上げ、指揮系統を広げた自陣営戦力で、3体の感染レギオンを囲み、射撃攻撃でじわじわとHPを削っていく。

 赤い月が消え去った後も感染レギオンは残り続け、また1度変異したNPCもまた元には戻らなかった。基本的に無抵抗とはいえ、危険の目を摘むべく倒さねばならないのは心苦しいが、貧民プレイヤーの1部は理不尽な境遇をぶつけるようにNPC『狩り』に勤しんでいる。泣き叫ぶNPCを狂乱のままに嬲る様は、もはや尋常な精神状態とは言えないだろう。

 

「くっ! なかなか手強いぞ! コイツ、他の奴らも触手の扱いが上手い!」

 

「本当にどんなAIしてるんだよ。学習能力が半端ないぞ!」

 

 これもレギオンの厄介な部分の1つだ。戦闘を積み重ねれば重ねるほどに、驚異的な速度で戦闘能力が引き上がっていく。特に戦術面では持てる能力の全てを活用するようになり、たとえレベル差があっても高い出血効果が伴う爪牙や見切り辛い触手を前にして踏み込むことができないプレイヤーが大半だ。盾でガードしながら迫ろうとしても、いわゆる『捲り』と呼ばれるガードのバランス崩し技術を入れ込んでくる様はもはや並のプレイヤーよりも遥かに技巧派だ。

 だが、上位プレイヤーからすれば敵ではなく、ダメージ覚悟で突撃すれば中堅プレイヤーでも対応できる。では、何故それをアレスが実行しないかと問われれば、何とか組織的に動かしている戦力の大半が最前線など味わったことが無い中堅であり、そして『今後』を見据えればレギオンは上質な『訓練』の相手になるからだ。

 熟した感染レギオンと1対1で戦えるようになれば、上位プレイヤーになり得る素質がある。そうでなくとも集団戦のいろはや『死』を肌で体感できる。戦闘において1番重要なのは冷静さを失わない事だ。誤解があるが、熱くなることや感情を爆発させることがイコールで冷静の喪失ではない。相手の攻撃を見極め、自身の手札の取捨選択を誤らず、時には撤退も視野に入れて行動し、思考を止めない。

 よくネタにされるが『状況次第で臨機応変に対応しろ』とはある種の真理だ。最低でも隊を率いる指揮官ならば、ある程度の現場判断ができるようにならねば最前線では戦えない。そして、歴史の常でそうであるように、優れた戦士が優れた将とはなり得ないのである。

 聖剣騎士団の幹部、円卓の騎士は『戦士』の素質で選ばれた者ばかりだ。将として兵を率いる以上はDBOにおいては実力もある程度は必要ではあるとアレスも認めるが、これからは指揮官の育成も進めねばならない。『戦争』を視野に入れるとはそういう事である。

 と、アレスが今後を見据えた思考を展開する中で、いよいよ感染レギオンも最後の1体となり、数の不利から逃走を図ろうとする。だが、それを奇跡【フォースの瞬き】が阻む。放つフォースよりも実用性に優れた高速のフォースであり、ダメージは小さいが、相手を吹き飛ばす衝撃と高いスタン蓄積から近距離で活躍するアンバサ戦士にとって頼もしい奇跡である。だが、その分だけ獲得難易度と扱いが難しい。

 

「ご苦労だったね、アレスさん。ここからは俺が引き継ぐよ」

 

「団長がわざわざ出張る事もありませんでしょうに。ジジイでも1晩くらいの徹夜はできますぞ?」

 

 フォースの瞬きでダウンした感染レギオンの頭を踏みつけ、片手剣【聖剣ランハート】で眉間を貫いて撃破したのは、青いサーコートを羽織ったディアベルである。【青の騎士】と呼ばれる聖剣騎士団の長が率いるのは、彼直属の【竜伐隊】である。シャルルの森の事件以降に、これまでは円卓の騎士の合議で方針を決めていたディアベルが、トップダウンで設立した聖剣騎士団内から正規メンバー・待機メンバー・下部組織を問わず、直々に招集をかけた部隊である。

 竜伐隊はその名からもわかるように、サーコートには聖剣騎士団のエンブレムとは別に、竜と槍と剣を組み合わせた独自のエンブレムを採用している。それは聖剣騎士団の節目を示すような威圧感を誇り、アレスは一瞬だけ顔を曇らせた。

 

「ははは。アレスさんなら1晩と言わずに3日くらいなら徹夜できそうだね。でも、そうも言ってられないさ。トップ自身が動いた方が『効果的』な場面もある」

 

 そう、確かに『効果的』だ。遅まきながらもトップが出陣し、我が物顔でレギオン残党を団長直轄部隊で狩り尽くす。それは実に映える光景だろう。だからこそ、アレスはディアベルの変化に戸惑った。

 確かにディアベルは策謀においても相応の才があった。しかし、それを表に出さない高潔さこそがディアベルの『弱点』だったはずだ。なのに、今は善意ではなく演出で以って部隊を送り込むことも厭わない。

 アレスが想像したのは緩やかな下り坂でブレーキをかけないまま放置した自動車だ。若い頃にそれで1度事故を起こしたアレスは、この組織がそんな風にならなければ良いがと内心で憂う。老人として若人に助言すべきかもしれないが、ディアベルの行動に組織的観点から間違いはないので口を挟むこともできない。

 

「……ノイジエルが逝きました」

 

「知っているよ。葬儀は戦死した部隊も含めて来週行う。厳かに、でも盛大に行わなければね。彼らは『英雄』だ」

 

「『英雄』ですか」

 

「そうだよ。便利な称号だ」

 

 小声での応酬の中で、大損失にも関わらずに、悲しげな表情を見せる『だけ』のディアベルの横顔に、アレスは段々と白み始めた空を見上げる。

 太陽の狩猟団はベヒモスを含めた大部隊を同じく失っている。事態を知ったサンライスは即座に部隊編成して『弔い』とばかりに精鋭を率いてナグナへと突進したらしい。ノイジエルとベヒモスの両名が大部隊ごと生きて帰れなかった魔境だが、サンライスならば無事に攻略できるだろう。その一方で、未確認ではあるが、ナグナ自体は攻略され、攻略の鍵となるナグナの感染システムとその対処アイテムのレシピも流布しているとの事だ。それの出所というのが、あの【渡り鳥】であるらしい。

 またも【渡り鳥】だ。シャルルの森から1ヶ月と経っていないのに、こうも災厄を運んでくるとは、アレスも頭痛を覚える。一方で、ラムダではないが、これほどの異常戦力をこのまま放置するのは危うく、また惜しいとも思う。

 

「……ところでユイちゃんは無事かい?」

 

 足を止めて、やや顔を俯けながらディアベルは問う。アレスは思考の海から抜け出し、大聖堂に残ったユイを思い出す。避難してくるプレイヤーの保護に修道会と共に尽力しているはずだ。無事なのは確実だろう。

 ユイの安否を気にするディアベルの目に、かつて自分を聖剣騎士団に誘った、真っ直ぐな眼差しをした好青年の光を感じ取り、アレスは口髭を撫でながら笑った。

 

「ご無事でしょう。大聖堂にはレギオンも近づきませんでしたからな。神の威光とやらは信じませんが、これで神灰教会の宗教性は増した事になりましょう。厄介ですな」

 

「そうだね。教会ともうまく付き合っていかないと。この件が片付いたら円卓会議の招集をかける」

 

「老いぼれの知恵をお貸ししましょう」

 

「期待しているよ」

 

 夜明けは間もなくやって来る。だが、聖剣騎士団は今も月無き夜に囚われているのかもしれない。あるいは、全てのプレイヤーが今も闇夜の牢獄の中にいるのか。アレスは新たなレギオンを見つけると、陣頭指揮を執るディアベルの補佐に回った。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「『終わりつつある街の拡張・カスタマイズ機能の解放』ですか。よろしかったのですか? カーディナルも認可しているとはいえ、これは過負荷実験の――」

 

「イレギュラーとはいえ、イベントには報酬が付き物だからねぇ。相応の見返りがあるべきさ」

 

 終わりつつある街の惨状を尻目に、その男は優雅にNPC経営の宿【3つ首の蛇】で一足早い朝食を取っていた。本来はこの店で食すことができない、たっぷりとバターとジャムがのった分厚いパンケーキである。彼はそれを丁寧にナイフとフォークで切り分けると、ティーカップに紅茶を注ぎ込む淡い金髪の少女……アンビエントを前に嘆息した。

 

「また茅場さんに怒られるなぁ。レギオン・プログラムはそれなりに有用かと思ったんだけどねぇ」

 

 解析不能の『本能』を模したプログラムなど運用した事自体が間違いなのでは? アンビエントは優しさで男にそれを告げるのを喉で止めた。そもそもレギオン・プログラムとは、SAOに残されていたP10042のホロウAIを元に作られたものだ。およそまともな代物ではない事は分かり切っていた事である。

 プロトモデルはクリスマスに撃破され、それを経験にマザーレギオンによって統括されたダウングレード版の開発に成功したは良いが、今度はレギオン・プログラムを支配するマザーレギオン自体が暴走している。これはもはやレギオン・プログラムそのものの欠陥と言えるだろう。

 

「でも、アンビエントが頑張ってくれたお陰でリカバリーが利いたよ」

 

「P00042の介入があり、予定が狂いましたが、セカンドマスターのご指示通りに『狂縛者の譲渡』に成功しました。アンビエントの『演技』は上手くいったでしょうか?」

 

 食べ終わったパンケーキの皿を下げ、ハンカチで男の口元を拭きながらアンビエントは心配そうに尋ねる。それを見た男は手招きして彼女を近寄らせると、いつもと同じように膝の上にのせて背中から抱きしめる。

 

「マザーレギオンに『指示した奴』が騙されていようと、こちらの意図を察していようと関係ないんだよ。大事なのは狂縛者を引き渡したことさ。これでマザーレギオンの『裏』にいる奴の追跡ができる。こういう時にレギオンプログラムの搭載者が生身の人間だと楽だねぇ。『アップグレード』がハード面から可能だ。追跡プログラムの仕込みを直に行うことができる」

 

「これ以上の負荷は搭載者が死亡する恐れもありますが?」

 

「興味ないよ。元々使い潰す予定だったからね。【黒の剣士】を抹殺できればそれで良し。出来なくても精神にダメージは与えられる」

 

「アンビエントにはセカンドマスターのお考えが分かりませんが……もしかして、楽しいですか?」

 

 甘えるようにアンビエントは男の胸の内で丸まろうとする。それを許した男が指を鳴らすと、店番をしていたNPCが硬直し、世界が切り替わる。そこは温かな暖炉の火が灯る、まるで貴族の邸宅のような談話室だ。外は暗闇であり、深々と雪が積もっている。椅子も木製の質素な椅子からアンティーク調の大型の安楽椅子となり、男はアンビエントを抱えながら揺れる。

 

「楽しいわけがないさ。ボクは滅茶苦茶にする側。計画を破綻させられるのは大嫌いだよ。だけど、このゲームで勝つのはボクだ。マザーレギオンはわざわざボクに『狂縛者を狙っている』とリークした」

 

「つまり、マザーレギオンは『裏』の従僕ではなく、利害関係から結託しているに過ぎない。そして、管理者権限を入手した時点で『裏』の価値はマザーレギオンにとって低下した。そういう事ですね?」

 

「『裏』がリークさせたとも考えられるけど、狂縛者に固執する理由は1つしかないからあり得ないだろうねぇ」

 

 やっぱりセカンドマスターには『裏』の正体が大よそ見当ついているのだろう。あるいは、それも含めてマザーレギオンから情報を渡されたのか。何にしても、今回の獣狩りの夜は大きな爪痕を残した。レギオンプログラムはデーモンシステムを汚染し、またレギオンプログラムによる感染の脅威は完全に消え去っていない。今後も終わりつつある街を中心に、レギオンは生まれ続けるだろう。その度に死神部隊を派遣するわけにもいかないならば、駆除はプレイヤー任せにするのが理想だ。

 

「やっぱり楽しんでいると、アンビエントは思います」

 

「そういう事にしておこうか。さてと、もう1つの後始末をしないと茅場さんのお説教が長引いてしまうよ」

 

「エクスシア兄様はどうしますか? 監視を付けるならば、アンビエントが――」

 

「必要ないよ。彼の偽装工作にはボクも協力している。今回の獣狩りの夜にも1枚か2枚は噛んでるだろうけど、しばらくは様子見しようじゃないか。まぁ、しばらくはセラフ君の監視が厳しくなるだろうから、後始末の方を任せておくとしようかね」

 

 絶対に楽しんでいる。そう確信したアンビエントは、これまでは1枚岩でなくとも計画進行の為に統率されていた自分たちが、自我を持つからこそ、計画の主導権争いを始めた事に気づく。それぞれが理想とする『管理』を目指して、家族の中で謀略が張り巡らされる。

 それは酷く人間的だ。誰よりも人間嫌いの主に、その光景はどのように映っているのだろうか。アンビエントは怖くてそれが問えなかった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 ようやく朝日が昇る。ラジードは特大剣を杖にして、ずるずるとその場にへたり込むと長々と吐息を漏らした。

 欠損状態からも復帰し、スタミナに気を配りながら、休み休みで戦ったとはいえ、一晩中続いたレギオン狩りは精神を擦り減らすには十分だった。ダンジョンとは異なる、常にどこかでレギオンに脅かされる弱き人々がいる。そう思うだけで重圧が肩にのしかかり、胸が圧迫されるかのようだった。

 

「ご苦労様。はい、ラジードくんの分」

 

 同じように1歩も動けないといった様子の教会を守る剣やそれに助力したプレイヤーたち、赤い月が消えてからの途中参加とはいえ応援に来た多数のプレイヤー達に、大聖堂で無事だった修道会の人々が飲食物を配っている。薄いベーコンが挟まれたサンドイッチを差し出したのは、同じく戦い続けていたはずのミスティアだ。

 

「……自己嫌悪に陥りそうだ」

 

「急にどうしたの?」

 

「なんでもないよ」

 

 自分よりもタフなミスティアに、まだまだ彼女には実力も精神力も及ばないかとラジードはサンドイッチを齧る。

 とはいえ、ミスティアも多少の無理はしているのだろう。顔色も悪く、目に力も無い。それも当然だとラジードは彼女の手を引いて、無理矢理でも半壊した噴水の縁に腰かけさせる。普段は水草が浮いている苔生した噴水は、今や中身の水が盛大に零れて排水路まで地面が水浸しになっており、その水面では小さなカエルが跳ねていた。

 決して思い入れのあるような場所ではない。だが、レギオンとの戦いで傷ついた街は、自分たちの死闘を自然と映す。

 

「何人死んだんだろうね? 僕たちは……何人救えなかったんだろうね?」

 

 開かれた右手を見つめて、ラジードは見殺しにした人々の事を思い出そうとするが、彼らの悲鳴こそ脳裏に焼き付いても死の光景は赤い月光に塗り潰されて見えない。

 いや、目を背けているだけか。ラジードは右手で拳を握り、力を渇望する。まだまだ足りない。もっともっと強くならなければ、本当に守りたい人すらも失ってしまう。そんな強迫観念が芽吹き始める。

 だが、ラジードの暗闇を感じ取ったように、ミスティアは両手で彼の右拳を包み込んだ。

 

「何人救えたのか……それが大事だと思うよ」

 

 噴水の縁に腰かけたミスティアは隣に座るように囁くように微笑んだ。ラジードは己の弱さのままに、彼女の優しさに甘えるように左隣に腰かける。崩れた建物の隙間から朝焼けの空に相応しい陽光が差し込み、彼らの生を祝福するように照らす。

 

「きっと感謝する人よりも憎む人の方が多いと思う。都合の良い話かもしれないけど、『助けられて当たり前』って意識を持つ人は一定数いる……ううん、アタシ達が暮らしていた世界はそんな世界だったんだよ。昔から偉い人や賢い人たちが必死になって築き上げてきた、弱い人たちを守るシステムが積み上げられた世界。それが常識の世界」

 

「そうかなぁ」

 

「アタシはそう思うってだけ。ラジードくんにはラジードくんの考えがあるだろうから大切にして」

 

 時々だが、ミスティアは達観した眼でこうした事を語る。それは彼女の少し世間離れしたようにも思えるような、お嬢様育ちのような雰囲気にとても相応しかった。

 

「ここは仮想世界だけど、『世界』の真実を暴いてるんだろうね。どれだけ言い繕っても人間の本質なんて『獣』なんだって……そう茅場の後継者に嗤われているような気がするの。だってそうでしょう? レギオン化しきっていないNPCを嬲って、殺して、それで悦に浸っている人たちが何人いた?」

 

 数えたくないくらいだ。いや、それこそ本当の意味でラジードが目を背けた真実だ。

 赤い月が消えた後も変異したNPCは多数存在した。彼らが時間経過によって元の姿に復元される保証はない。また、同じくらいにレギオン化が進行するか否かも不明だ。ならば、要経過観察こそが感染源の撃破後の筋であるとラジードは考えた。

 だが、実際には各所でNPC狩りが始まっていた。赤い月が消え去り、脅威となるレギオンが減ってからは貧民プレイヤーも数に物を言わせてNPCを囲んでは嬲り殺しにした。いや、率先してNPCを倒して経験値稼ぎしようとする者まで現れた。さすがに得られる量は微々たるものであるが、それでも彼らからすればモンスターと戦うよりも遥かに安全に経験値を稼げる手段だ。そして、レギオン退治の傍らでNPCを惨殺していくプレイヤーの何たる多さか。

 頭では理解しても心が受け入れようとしない。NPCは何処まで行ってもNPCだ。プログラムされた回答を繰り返す人形だ。本質は毎日のように狩っているモンスターと何ら変わらない。

 ……違う。ラジードはいつの間にか震える両手の指に、彼らに『命』を見出している事に気づく。そして、気づきは深奥に導き、殺されていくNPCの幾人かがまるで『本物の人間』と見紛うほどの反応をしていた事を思い出させる。

 時々出会う奇怪な程に柔軟な対応をするモンスターやNPCがいる。彼らは『生きている』存在だったのではないだろうか? たとえば、病み村でボスとして立ちはだかったクラーグなど、とてもではないが、単なるオペレーションに従うだけの存在には思えなかった。

 

「僕は人殺しだ。犯罪プレイヤーだって斬った事がある。でも、それでも……」

 

 いつだって『それが正しい』と信じて戦ってきたんだ。でも、この戦いに『正しさ』が何処まであったのか、ラジードには分からない。

 主任の言葉が蘇る。NPCを殺すのもモンスター狩りと何ら変わらない。そもそも仮想世界における生命の定義がHPの有無ならば、それをゼロにする行為は等しく殺しだ。それは自覚した瞬間にラジードが殺して積み重ねた屍を、自分の力の礎となった数多の死を感じ取らせる。

 途端にラジードは喉をせり上がるものを感じ取る。嘔吐などできるはずがない仮想世界の肉体が恨めしく、彼は自嘲を零した。

 

「……少し、ギルドを離れようか? しばらくはレギオンの残党狩りもしないといけないだろうし、ミュウ副団長の意向もあるから、教会でゆっくりしても誰も責めないよ」

 

「駄目だ。1日も早い完全攻略こそが太陽の狩猟団が掲げる理念にして大義。教会で弱い人々を守るのも、最前線を攻略し続けるのも、蔑ろになんてできない」

 

「二兎を追う者は一兎をも得ず。だけど、ラジードくんらしいね。うん、アタシも協力する。だから……無茶だけはしないで。アタシがラジードくんを守るから」

 

 僕こそミスティアを守る。そう言い切れないのは、ラジードが自身の弱さを自覚するが故だろう。項垂れる自分を抱きしめるミスティアの熱が心地よくて、ラジードは静かに瞼を閉ざした。

 

「ベヒモスさん……無事かな?」

 

 最前線に部隊を率いたベヒモスは特殊な任務に就いたようだ。最前線でも未攻略ダンジョンであるナグナに旅立った。彼ならばいかなる敵が現れようとも冷静な判断を下し、場合によっては任務放棄してでも部隊の生存を優先するだろうと元部下であるラジードには確信がある。

 

「…………」

 

「ミスティア?」

 

 何故か押し黙るミスティアの沈痛な面持ちに、ラジードは彼女の抱擁から脱してその美しい双眸を見つめる。それに耐えきれないといった様子のミスティアは顔を背けるも、ラジードは両手で彼女の手にやんわりと触れて自分の方に向かせる。

 視線を迷わせたミスティアだったが、やがて消え入りそうな小声で呟き始める。

 

「さっきね、救援に来たギルドの人たちから聞いたんだけど、サンライス団長が精鋭を率いてナグナに赴いたらしいの。ベヒモスさんが率いる部隊が……全滅したから敵討ちに行ったらしいわ」

 

 全滅? ラジードは数秒、あるいは数十秒、その単語の意味を理解しようとしなかった。

 奥の手であるガトリンググレネードまで持ち出したベヒモスの任務が並々ならぬ難度である事はラジードも想像がついていた。だが、全滅とはどういう事だろうか?

 

 

 

「ベヒモス殿は勇敢に戦われました」

 

 

 

 呆けているラジードに声をかけたのは、神父服を着た短い銀髪をオールバックにした男だった。首から神灰教会のエンブレムをかけ、教会を守る剣を率いるのは、噂に聞くエドガー神父に間違いないと気づき、ラジードは腰を上げる。ミスティアもそれに続くと無言で会釈した。

 

「ラジード殿ですね? 噂はこのエドガーの耳にも届いています。教会を守る剣になったとも報告を受けました。共に教会の為に手を取り合いましょう」

 

「僕の力が何処まで役立つかは分かりませんが」

 

 握手を交わすのもそこそこに、ラジードは先程の言葉に込められた意味を問う。今の物言いは、まるでエドガーがベヒモスの最期を看取ったようにしか思えなかった。

 

「サンライス殿には失礼ですが、無駄足ですな。既にベヒモス殿とそのお仲間の敵も討ち取られました。このエドガーが証人です。残念ながら、形見は別の御方がお持ちになられているのは心苦しいですが、彼の雄姿を語るくらいならば、このエドガーにも出来ましょう。ですが、ここは人目もあります。聖堂にてお話ししましょう。ナグナで何があったのか……彼は何故死んだのか。全てを語ることはできずとも、あなたには知る権利がありましょう」

 

 嘆くようなエドガーの声音に、ラジードはミスティアが語ったのは真実であり、ベヒモスは死んだのだと実感する。

 これまでも仲間の死に立ち会うことは幾度となくあった。その度にラジードは彼らの無念の為にも早期攻略をと我が身に言い聞かせた。それが彼らの供養になると信じていた。

 今回もきっと乗り越えられるだろう。ミスティアが隣にいてくれれば、彼女を死なせないという信念さえあれば、ラジードは前を向いて進めるだろう。

 

「獣狩りの夜は必ず来ます。再び必ず災厄となって我らを襲います。レギオン退治は今後の教会を守る剣の重要な職務となるでしょう。ラジード殿とミスティアさんには期待していますよ」

 

 エドガーはラジードが最も考えたくなかった未来を、まるで過去の日記を読み上げるように告げる。

 歯車が軋む音が聞こえた。自分が『正しい』と思っている道は、果たして万人に望まれる結末なのだろうか。

 ベヒモスは信じていた。いつか必ず現実世界に帰れる日が来ると信じていた。だが、望みは叶わず、彼は志半ばで散った。

 どれだけの犠牲を積み重ねれば良いのだろう? ラジードはもしかしたら明日の墓標に刻まれるのは隣の愛しい人なのではないのかと考えてしまう。

 

 もしもミスティアを失った時に、自分は前を向けるだろうか? 戦い続けられるだろうか? ラジードはそれ以上を考えないようにしながら、エドガーに導かれるままにミスティアと共に大聖堂へと赴いた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「おい、アンタ! 大丈夫か!?」

 

 聞き慣れない声で誰かがオレの肩に触れている。聴覚はまだイカレてないようだな。

 オレは朝陽の温もりを感じ取れるだけの感覚がまだ残っている事を喜びながら、最後のレギオンを殺した路地裏で腰を下ろしていた。

 とりあえず目のつく範囲ではレギオンを殺し尽くしたつもりだが、討ち漏らしがあるだろう。特に地下へと潜られたレギオンは探すだけでも一苦労のはずだ。だが、あの数だ。たった1晩程度で皆殺しにできたとは思えない。

 だが、これ以上の続行はさすがに人目を考えても無理だな。街も混乱から沈静へと少しずつ傾いている。この状態で単独でレギオン狩りはさすがに余計な火種を作りかねない。

 

「大丈夫、だ。少し……眠い……だけ、だ」

 

 声をかけてくれたヤツを安心させるように、喉が痙攣するのを堪えながらオレは立ち上がる。視界はもはや荒いモザイク状態のようなものであり、色の滲みと光量くらいしか判別できない。この状態でもレギオン狩りは非効率でも続けられたが、さすがに上位プレイヤーか、そうでなくとも中堅プレイヤー数人がかりの刺客に襲われるのはまずい。

 

「心配、かけ、たな。ありが――」

 

「ひっ!? わ、【渡り鳥】!?」

 

 だが、オレに声をかけてくれたらしいプレイヤーは礼を言う前に走って逃げていく。そんな真似されるとさすがに傷つくぞ。自業自得だけどさ。

 夜明けまでレギオン殺しを続けたが、なるべく路地裏などの暗がりを中心にして狩り続けたお陰でほかのプレイヤーとの接触は最低限で済んだ。特に大通りは教会やら大ギルドやらがレギオン狩りをしていたらしく、かなり勇ましい声も響いた。他の連中にレギオンを殺された事には多少の苛立ちもあるが、さすがにこの状況で文句は言えないし、そもそもレギオンのモデルであるオレには何も言う資格はないだろう。

 

「でも感染源は誰が倒したんだろうな?」

 

「【聖域の英雄】か【魔弾の山猫】だろ? 2人が戦ってたって聞いたぞ」

 

「うーん、だけどさ、青い光が感染源を撃ち抜いたって噂もあるし、別の奴じゃないのか?」

 

 大通りで1晩の戦いをやり通して寛ぐプレイヤーたちの何気ない会話に、どうやらオレの横槍はバレていないようだと安堵する。ラストアタックを奪ってソウルを得たなんて知れ渡れば、オレの悪名は天井突破だろう。既に上限に達しているのだから気にする必要もないかもしれないが、それでも必要ないヘイトまで集めるのは利益になるはずもない。

 コートのフードを深く被り、死神の槍とザリアをオミットして、レギオンを倒し続けたお陰で傷んだデス・アリゲーターを腰に差してオレは不鮮明な視界の中を歩む。まだ喧騒が続く終わりつつある街だが、ここからの復興は大ギルド主導の仕事だろう。文字もろくに読めないから全文を確認していないが、茅場の後継者は報酬に終わりつつある街のカスタム機能を解放したらしい。それの利権争いも始まるだろうし、これを機に教会は勢力を広げるだろうし、混乱を利用して反大ギルドも動き始めるだろう。サインズも今回の件でダメージを受けただろうから、再稼働には時間がかかるだろうが、始動すれば山のように仕事が待っているに違いない。

 休む暇は無さそうだな。苦笑しながら、オレは街の雰囲気と方向感覚で何とか転送地点まで到着する。ここから想起の神殿に転送して、そこから愛しい我が家を目指すのは骨が折れるな。

 転送の浮遊感覚後にオレはバランスを崩し、想起の神殿の冷たい床に倒れる。起き上がろうとするが、まるで骨が抜けてしまったかのように力が入らず、床に手をついてどれだけ体を起こそうとしても数センチ起き上がっては倒れるを繰り返す。

 まずいな。先ほどから意識が途切れる時間も伸びているような気もする。よりにもよって想起の神殿で力尽きるとか殺してくれと言っているようなものだ。この騒動で想起の神殿にも大ギルドの部隊などが控えているはずである。早めに移動しなければならない。

 

「ああ……糞が……眠い、なぁ……」

 

 まだだ。まだ眠れない。とりあえず家に帰って、装備を整えたらサインズに行かないと。それにエドガーの紹介で教会に新しい武器を仕立ててもらわないとな。やる事が山積みなんだよ。まだまだ眠るには……ああ、でもこれ以上は不眠のデバフがあるか。少しくらいは寝ないとな。メシも食わないと。

 いや、確かパランドマ侯爵の栄養薬があったはずだ。注射器タイプなので使わずに取って置いたものが自宅にある。あれを打てばメシも睡眠も要らない。

 

「戦わない、と、な。まだ、まだ……オレは……」

 

 レギオン狩りは今夜も行われるだろう。オレの責任だ。オレがレギオンを生み出した。

 ヤツメ様への冒涜。狩人の血への侮辱。それこそがレギオンだ。殺せ。殺せ殺せ殺せ。オレが殺さなければならない。他の誰でもなく、オレの手で殺さねばならない。

 滲む視界の中で白い手を見た気がした。誰かがオレに手を伸ばしてくれている。ああ、分かっている。きっとヤツメ様だ。狩人がそんな優しい真似をしてくれるはずがない。この手に少しだけ甘えよう。きっと立ち上がれるはずだから。

 震える右手でヤツメ様の手を握り、オレは体を引き上げてもらう。倒れそうになるオレを支えてくれる。

 

「ヤツメ、様……オレ、まだ……戦え……る、よ?」

 

 右足が上手く動かない。左足で引っ張るようにして、ヤツメ様に支えられながら、オレは我が家を目指す。トリニティタウンの記録に転送し、またも倒れそうになるオレを今度はしっかりとヤツメ様が押さえてくれる。

 

「変わり、たかった……んだ」

 

 ヤツメ様が家は何処と訊いている。オレは左手で道を示し、ヤツメ様に体を預けるようにして1歩ずつ踏みしめる。

 

「アルト、リウス、が、教え、て、くれ、たんだ。戦い、の、外に、『答え』を、見つけ、る、鍵が……あ、る、ってさ」

 

 もう少しだけ。あともう少しだけ。そうやって意識を繋ぎ止める。細い糸で何重にも縫い合わせて意識が暗闇に落ちるのを堪える。

 

「でも、『答え』を、見つけて、変われる、のか、不安、なんだ」

 

 アルトリウスは『答え』を見つけた。だけど、『答え』と『変わる』はきっと同じではない。オレの『答え』がどんなものなのか、それは今以って暗闇の中だ。

 感覚を頼りに帰路を辿る。何度か膝をつくが、その度にヤツメ様がオレの腕を首に回して引き摺ってくれる。その数秒のお陰でオレは再び歩みを取り戻せる。

 ようやくたどり着いた我が家の前で、オレは多重ロックを解除する。鍵をアイテムストレージから取り出すも、震えが止まらない右手で取りこぼし、感覚が死んだ左手で痛覚を頼りに拾い上げようとするも、ヤツメ様が先んじて鍵を手に取ると開錠してくれた。

 淀んでいるような空気が安心感をもたらす。ようやく我が家にたどり着いた。インテリアにもこだわりなく、グリムロックにそれとなく改装すべきだと言われた、元が倉庫だけに味気の無い、鉄網に覆われた大型ファンが壁に埋め込まれた我が家の素っ気なさに、ヤツメ様が心底呆れたような気がした。

 

「装備を、整え、ない、と。あの、引き出しに、パランドマ、侯爵の、栄養薬、が、ある。取って、来て、くれ」

 

 ヤツメ様はオレをベッドに下ろして横にさせる。駄目だよ。まだ戦える。まだ戦わないといけないんだ。それだけがオレの価値なんだ。

 ああ、そうか。戦いの外にある鍵の探し方がオレには分からないのか。これは嗤えるな。アルトリウスはどうやって鍵を見つけたのだろう? 

 

「ねぇ……ヤツメ、様。揺れて、いるのは、『誰』? 思い、出せ、ない……んだ。大切な、人、だった、気が、する、んだ。でも、灼けて、しまった、んだ」

 

 灼けた『誰か』の為にも戦わないといけないんだ。

 

「オレさ、マシロを、殺した、かった、のかな? 殺し、たかった、んだろう、なぁ……」

 

 ヤツメ様がオレの頭を撫でている。髪を手で梳いて、もう眠って良いんだよって囁いている。

 そうなのかな? 少しだけ休んで良いのかな?

 分からない。何もわからない。でも、さすがに……眠い、かな?

 

「少し、だけ……少し……だ、け……」

 

 ほんの少しだけだ。瞼を閉ざして意識を切ろう。数秒だ。それで構わない。すぐに切り替えられるさ。

 オレは意識を繋げる糸を解く。ヤツメ様がおやすみと言ってくれた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しとしと、と。

 しとしと、と。

 しとしと、と。

 

 暗闇の中で雨が降る音が聞こえた。

 古ぼけたバス停でオレは本を捲る。今日は森鴎外の舞姫だ。日本文学の代表的古典の1冊である。まぁ、個人的な感想であるが、これは読書感想文の指定図書にすべきようなものではないと思う。どう取り繕っても男女のドロドロ話だぞ。

 屋根に穴が開いたバスの停留場で、オレはバスの排気音を耳にする。赤い光の尾を引いて、オレの前に錆び付いた車体を擦り切れそうなタイヤで動かすバスが止まる。骸骨運転手が帽子を脱いで挨拶し、軋ませながらドアを開いた。

 ようやくバスが来たようだ。まだ読みかけの舞姫に名残惜しさを覚えながらオレは文庫本を閉ざすとベンチに置いて、バスへと足をかける。

 

「あなたが乗るバスは本当にそれですか?」

 

 だが、体をバスに入れる1歩を踏み出す前に、オレを呼び止める声がした。振り返れば、憂鬱そうに長い前髪で顔を隠した女が立っていた。

 

「ずっとバスを待っていたんだ」

 

「でも、あなたは1度見送ったはずです」

 

「そうだな。だから、2度目は乗らないと」

 

「駄目です。それに乗ってはいけません」

 

 黒髪を雨で濡らしながら、女はオレの袖をつかむ。骸骨運転手が帽子を深く被り直し、呆れたようにカチカチと顎を鳴らす。早く決めろとオレに催促している。

 女と骸骨運転手に挟まれたオレは、数秒の沈黙の後に嘆息して1歩退く。骸骨運転手はドアを閉ざし、排気ガスを撒き散らしながら、泥道の先の木々が茂る暗闇の中に、赤のテールライトの残光で線を引きながら消えていった。

 

「申し訳ありません。ですが、あなたはあのバスに乗ってはいけません。まだその時ではありません」

 

「……でも、いつかは乗らないといけないんだろ?」

 

 分かっている。あのバスの行き先が何処なのか、弱々しい心臓の拍動が教えてくれる。

 ギンジも、ベヒモスも、ノイジエルも、きっとあのバスに乗ったはずだ。いや、乗るしかなかったはずだ。ならば、乗るか乗らないか選べるオレのなんと贅沢な事だろうか。

 

「それは贅沢ではありません。あなたが戦い続けて勝ち取った権利です」

 

 レストランで蜘蛛の楽団が演奏し、蜥蜴の給仕がオレ達のテーブルに料理を運ぶ。それはデザートなのか、青紫の甘酸っぱそうなソースに浸されたチーズケーキだ。シャンパンを揺らす女は気泡で満ちた黄色味のかかった半透明の液体越しでオレを見つめている。

 

「そうなのかな?」

 

「ええ。あなたは少々……いいえ、大いに自分に厳し過ぎる面がありますね」

 

「オレほどに自分にドロドロの蜂蜜くらいに甘い男もいないと思うぞ?」

 

「では、人類の大多数は過労死するまで働く自虐者と言う事になりますね。これは驚きです」

 

 ……コイツ、何か怒ってないか? 普段は淡々と会話を重ねていくはずなのであるが、今日の黒髪の女はどうにも感情的になっているような気がした。

 いや、そもそもコイツは何者なのだろうか? オレの夢の中の存在だと認めるには異質だ。

 

「オレは『独り』で戦える。戦わないといけないんだ」

 

「はたしてそうでしょうか? あなたは本当に『独り』で戦うのですか?」

 

 今日は本当に突っかかって来るな。雨が滴るバスの停留所で、オレは改めて舞姫を開こうとするが、黒髪の女はオレから文庫本を取り上げる。

 黒髪のカーテンに隠された女の真剣な眼差しに、さすがのオレもたじろぐ。これは夢だ。さっさと覚めろと願うも、彼女の視線がそれを許さない

 

「もう……仲間は殺したくないんだ。殺したいからこそ、殺したくないんだ。だから『独り』で戦う。それが間違いなのか?」

 

「諦観ではなく信念。あなたが自分自身を理解したからこその結論。ですが、私は否定します。あなたは『独り』ではない。私があなたを見守り続けます。この命がある限り、迷い続けるあなたがいつか『答え』にたどり着く日まで祈ります」

 

 女はベンチから立ち上がると雨に濡れるのも厭わずに停留所の屋根の外に出た。柔らかな雨の中で女は黄金の燐光となって散っていく。

 

「此度は姉妹がご迷惑をおかけしました。彼女たちも役割故にあなたに関心があるのでしょう。ですが、どうか惑わされないでください。あなたは『人』です。『人』であろうとする限り」

 

 燐光は黄金の蝶となり、女は消えていく。いつも月光と同じように、傍にいてくれた黄金の蝶の輝きが目に焼き付く。

 

「もしかして、オマエ……」

 

 彼女が誰なのか分かりそうな気がする。思い出すのを拒むような霧の壁を取り払おうとする。

 

「また会いましょう、クゥリ。あなたに次はどんな本を差し入れするのか、それも私の楽しみなのですよ」

 

 だが、それを拒むように黄金の蝶の羽ばたきが光となってオレを包む。

 目も眩むような、東の地平線から昇る太陽の輝きにも似た閃光の果てに、オレは淀んだ空気の流れを感じ取る。

 ああ、我が家の空気だ。寝て、食って、装備を整えて、あとはトレーニングするだけの、寂れたマイホーム。そのはずなのに、今日はいつもと違うニオイが混じっている。とても懐かしい……これは味噌汁のニオイか?

 やや視界を把握するのに目を凝らす必要はあるが、回復率は悪くないか。数秒の眠りでこれとは我ながら驚きだな。夢の続きと言われても信じてしまうほどに体の疲労感も抜け落ちている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『おはよう』、クー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うん、やっぱり夢の続きのようだ。オレに膝枕してにっこりと笑うユウキが視界に映り、オレはもぞもぞと布団の中に潜り込む。どうにも視覚とか聴覚とか四肢の回復量がおかしいと思ったんだよなぁ。ユウキがオレのマイホームにいるはずがないもんなぁ。

 

「えへへ。今度こそ先に言ってやったもんね。クーが起きたら絶対に先に言うって決めてたんだ」

 

 だが、ユウキは布団の中で繭で羽化を待つ幼虫のように丸まったオレを追うように布団の中に潜り込んでくる。赤紫の踊るような双眸の光に、オレはこれが夢の世界ではないと強制的に自覚する。

 布団を払い除けて、オレはベッドの上で正座し、同じく正座してニコニコと笑っているユウキに何と語り掛けるべきか悩む。

 

「……オレの家だよな?」

 

「うん、クーの家だよ」

 

 とりあえず現在地は間違いないようだ。実はオレの家にそっくりな別所とか、そんな都合の良いオチではないようだ。ぐりぐりと額を左手の人差し指で押して、針帯を装着したままだったので痛みが走って背筋が伸びる。やっぱり夢じゃない。絶対に夢じゃない。

 

「どうしてここにいるのか簡潔に」

 

「ボクがクーを運んだから。憶えてないの?」

 

 可愛らしく小首を傾げるユウキに、オレはダラダラと汗を垂らして、想起の神殿で差し出されたヤツメ様の手を思い出す……というか、アレは本当にヤツメ様だっただろうか? オレが思い込んでいただけだった気もしなくもない。

 

「あの後クーを追いかけたんだけど、見つけられなかったから逆転の発想してみたんだ。クーを追いかけるんじゃなくて待ち伏せする。どれだけ戦おうとも、必ず装備を整えに家に戻ると思ったから神殿で待ってたんだ」

 

 それで倒れたオレを支えて、家まで運んでくれたと。道理で家の場所を訊いてきたはずだ。そして、ご丁寧にもオレは隠匿すべきマイホームの道順をヤツメ様と勘違いしたユウキに教えた挙句に、家に招き入れてしまったわけか。

 

「本当に重かったよ。やっぱり少しくらいSTR上げようかな? クーはどう思う?」

 

「今更上げてもと思うぞ? 付け焼刃にしかならねーから、いっそ捨てた方が良いんじゃねーか?」

 

「だよねー。でも良かった。もうちゃんと喋れるみたいだね」

 

 世間話でもするように自然とステータス関連の話題を差し込んできたと思えば、オレの言語能力の回復チェックだったか。確かに喋り辛さは抜けているな。まだ連続して言葉を発するとなんか声が遅れるような、鈍る感覚があるが、それを除けば問題ない。

 

「目も大丈夫みたいだね。うん、良かった。『1週間』も寝ればさすがに回復したみたいだね」

 

「……1週間?」

 

「ぴったり1週間」

 

 1週間ってことは7日間? 168時間? オレはそんなに寝ていたのか? 爆睡のレベルを超えているだろう。いや、シャルルの森の後は10日間も眠っていたのだから、それに比べれば幾分かマシか? 思えば、ベッドの隣には水が張ってある桶とかタオルが置いてある。防具もいつの間にかオミットされているし、どうやらユウキに世話をかけてしまったようだ。

 

「レギオンは?」

 

「獣狩りの夜から3日間くらいは巡回とレギオン狩りが行われたけど、今は教会の巡回だけだよ。終わりつつある街もカスタム機能で随分と様変わりしてるけどね。サインズも本部を移転して稼働するのはもう少し先かな?」

 

 オレの知りたい情報を先んじて開示してくれるユウキには感謝するが、とてもではないが1週間も眠ったままが許される情勢ではないだろう。

 やってしまった。エドガーには1週間も連絡を取っていないから、すぐにでも教会に赴かねばならない。装備は傭兵業でも生命線なのだ。多少の無茶を飲む覚悟で謝りに行くしかないだろう。それに溜まった依頼も今から受託できるか確認しないとな。

 

「まだ眠い? それともご飯にする?」

 

 だが、オレの焦りなど知る由もないユウキが覗き込んでくる。

 今更慌てて行動しても遅いと言えば遅いか。エドガーには何か詫びの品を提供しないといけないだろう。オレは諦めて、改めてユウキをどうしたものかと睨む。マイホームにご招待してしまったのはオレのミスであるが、このまま彼女を放置する事はできない。

 

「どうして平然としていられるんだよ? オレは……オマエを置いて行ったんだぞ?」

 

 両腕が潰れて、足も動かないユウキを大聖堂に残してオレはレギオン狩りを選んだ。普通ならば愛想を尽かして顔も見たくないと思うはずだ。

 だが、オレの質問に対してユウキは微笑んでオレの頬を右手で撫でた。

 

「キミの傍にいる。ずっとずっと傍にいる。それがボクの選んだ道だから。それ以上の理由はないよ」

 

 オレは微笑んでいるだけのユウキに気圧されて喉を引き攣らせて彼女の真意を問うことができなかった。

 

「眠って良んだよ。休んで良いんだよ。クーは甘え方を知らない人だから、ボクが教えてあげる。クーを眠らせてあげる」

 

 無い胸を張って偉そうにユウキは宣言する。どうしたものかとオレは頭を掻く。コイツがそこまでしてオレに固執する理由はなんだ? ヤツメ様も狩人も教えてくれない。

 何とかしてユウキを引き離さなければならない。だけど、どれだけ言葉を探しても、優し気に微笑むユウキを崩せるロジックが思い浮かばない。コイツ、こんな面倒なヤツだっただろうか?

 

「あー、もう良い! 好きにしろ!」

 

「うん、好きにするね。あ、それと合鍵も作ったけど、良かったよね? 他のロックの解除方法も憶えてるから安心してね」

 

 事後承認ですか? 銀色のカギを見せつけるユウキに、オレは何かがおかしい気がして腕を組んで唸る。勝手に合鍵作られて何処に安心できる要素があるのだろうか? そもそも合鍵を作ったのは誰だ?

 駄目だ。さすがに腹が減って頭が回らない。睡眠は十分に取ったのだから食事にするとしよう。

 

「メシにしよう。座ってろ。ホストとしてお客様をもてなしてやるよ。サンドイッチくらいなら≪料理≫無しでも作れる」

 

「ご飯にするんだね? うん、グッドタイミング!」

 

 嬉しそうに頷いたユウキは、台所に向かってステップを踏んで消えていく。そういえば、先程から良いニオイがするな。これは味噌汁だろうか? 勝手に台所を使われたとはな。まぁ、1週間も面倒見てもらったのだ。それくらいは別に良いし、誰が使っても気にしない。どうせオレは≪料理≫を持ってないしな。

 テーブルの席につくと見覚えのない青と白のチェックのテーブルクロスが敷かれている事に気づく。インテリアまで弄りやがったのか? そういえば、殺風景だった我が家にいつの間にか家具が増えている気がする。並べられた食器も、普段使いの味気の無い銀色の金属製のフォークとナイフではなく、少しオシャレな木製だ。

 

「少し……戦い過ぎたかもな」

 

 右目も万全とは言い難いし、左手の感覚は相変わらず痛覚を代用しなければ失われたままだ。右手の指の動きもぎこちない。歩行には問題ないが、戦闘のような激しい動きをすればすぐに綻びが露になるだろう。確かに休息は必要だったかもしれない。

 次の戦いの為にも、今は休むべき時か。グリセルダさんは救い出した。次はアスナだ。茅場の後継者が目論む『アイツ』の悲劇のトリガーはアスナだ。アルシュナは計画の全貌を知るからこそ、それの回避方法としてオレが先にアスナを見つけ出す必要性を教えてくれた。

 そろそろ『アイツ』もアスナの居場所の情報の断片くらいはつかんでいる頃だろう。何とかして先回りしなければならない。

 

「考え事かい? 少しくらい戦いを忘れてゆっくりした方が良い。休むことも仕事の内だよ」

 

「だな。確かに幾ら考えても解決しない事柄は――」

 

 グツグツに煮込まれたスープ鍋を持ってきたヤツに、自然と話しかけられて応じてしまったが、どう考えてもこの場にいる事が似つかわしくないだろう2号に、オレは頬をヒクヒクと痙攣させて、ゆっくりと見上げる。

 何事もないように台所から次々と料理を運んでいるのは、エプロン姿のグリムロックだ。たっぷり10秒ほどオレは言葉を失って硬直し、その間に面倒そうにビール瓶を手にして煙草を咥えたヨルコが席について酒を煽りだす姿を目に映す。

 

「これグリセルダさんが考えたメニューなの?」

 

「そうよ。うふふ、後でユウキさんにも教えてあげるわね」

 

 そして、オレが眠っている1週間の重みのように、グリセルダさんとユウキが仲良さそうにしている。その光景にどうして肌寒さを覚えるのでしょうね? まるで大阪夏の陣を前にして堀を埋められている大阪城を見ているような気分だ。

 焼き魚や白ご飯、それにスープ鍋にたっぷり入った味噌汁。純和風の朝食といったメニューが並べられ、必死にこの状況を解析しようとするオレを無視するように、全員が席に着く。

 

「それじゃあ、いただこうか」

 

「ちょっと待て! 少し待て!」

 

「ああ、ごめんね。家主はクゥリ君だし、いただきますはキミが最初に言うべきかな?」

 

「そうじゃねーよ! ボケは要らねーよ! どうしてここにいる!? オマエはもうオレの専属でも何でもないだろうが!」

 

 グリムロックの襟首をつかんで鼻っ面に拳を打ち込みたい欲求を堪えて、オレはグリムロックに問う。椅子に腰かけた彼は両手を組んで笑った。

 

「私はこの家の合鍵を持っているんだ。入れて当然だろう?」

 

 仰る通りだ。グリムロックと別れ際に合鍵を回収するのを忘れたオレのミスだ。いや、そうじゃない! そういう問題ではない! 鍵の有無の話ではない! つーか、ユウキに合鍵を複製して渡したのはグリムロックか!?

 

「良いか? オマエはようやくグリセルダさんを取り戻したんだ。もうオレとの契約は終わったんだ。もう関わる必要なんてないんだ。その腕を活かして、もっとまともなヤツの専属になって、悩んで悩んで悩んで、次の『答え』を見つけないといけないんだ! その道にオレは要らないんだ!」

 

 このまま一緒にいれば、グリムロックはオレの因果に巻き込まれてしまう。【渡り鳥】として積み重ねた多くの屍に押し潰されてしまう。オレを焼こうとする業火に呑まれてしまう。それが分からない程にグリムロックは客観視できない男ではない。

 息荒いオレに、グリムロックは目を伏せる。だが、すぐにオレに向き直ると、たじろぐ程に真っ直ぐな視線でこちらを射抜く。

 

「キミの信念を汚すつもりはないよ。だけど、これが私の出した冴えない回答だ」

 

 それはきっと、オレが断罪の旅でグリムロックと別れる事を決めていたのと同じように、グリムロックもまたあの別れ際に出した1つの回答なのだろう。

 

「確かにキミは強い。単身で戦っている時が何よりも強い。『1人』でキミは戦える。でも、その為の武器を仕立てるのは? 防具は? 情報は? 一体誰が準備するんだい?」

 

「屁理屈だな」

 

「そうだね。でも、真実のはずだ。キミは『独り』じゃない。『1人』で戦えるだろうけど、『独り』ではない。私が武器を鍛えよう。キミが戦い続けられる為に。キミが私の断罪の旅の終わりを見たかったように、私もキミの旅の果てが見たいんだ。キミの戦いの先に、何があるのかを見届けたいんだ」

 

 そこで、グリムロックは話を引き継がせるようにグリセルダさんにアイコンタクトを送る。

 

「改めて、『はじめまして』。工房【黄金林檎】代表のグリセルダよ。あなたに我が工房のテスター契約を申請するわ。契約は2年更新。期間中、あなたは素材を我々に提供し、我々は新技術の『実験』としてあなたに専用武装を提供する。その間は私が責任としてあなたのオペレーターを務めます。大事なテスター傭兵だもの。あなたの評価と戦績は我が工房の評価に直結するわ。当然よね?」

 

 そして、差し出された右手は新たな契約のつもりか。オレは反射的に握りそうになる右手を押し止めて奥歯を食いしばる。

 駄目だ。この手を取ってはならない。確かに、グリムロックの言う通り、冴えない回答だ。屁理屈の極みだ。オレに傭兵として新たな契約を持ちかけるなど、頭がおかしいにも程があるではないか。

 

「ボクは賛成かな? 教会よりもずっとクーの力になってくれると思うよ? HENTAIなのはいただけないけどね」

 

 絶対零度の眼光でユウキはグリムロックを貫くも、彼はにこやかに笑んでそれを受け流す。

 

「それよりも早くご飯にしましょうよ。ビールだけでお腹がいっぱいになりそうだわ」

 

 そして、オレにとって最重要案件など路傍の石以下だと言わんばかりに、ビール瓶を3本も空にして顔を赤くしたヨルコが早急な決断を促す。

 あり得ない。こんなのあり得ない。

 ユウキが目覚めたら傍にいてくれて、道が分かれたと思っていたグリムロックがいて、こんなのオレらしいとは言えない。

 

「……『また』な、か」

 

「『また』だよ」

 

 随分と早い再会になってしまったではないか。オレはグリムロックに呆れたように笑いかけ、降参してグリセルダさんの手を握る。

 

「馬鹿ばかりだな」

 

「あなたが1番の大馬鹿者よ。私の旦那様を舐めないでね?」

 

 ウインクしたグリセルダさんの言う通りだとオレは苦笑した。グリムロックの鍛冶屋魂……その執念は十分に思い知っていたはずだ。舐めていたのは他でもないオレだったか。

 DBOのヘイトが集中しているオレに関われば、黄金林檎の皆に危険が及ぶ。だけど、彼らに言わせれば『それがどうした?』という話なのかもしれない。オレがそうであったように、彼らもまた自分で自分の道を選んだけだ。

 

「さぁ、食事にしようか」

 

「そうだな。いただきますっと」

 

 グリムロックに言われるままに、オレは味噌汁を手に取ると口につける。見た目の濃さに相反してかなりの薄口であるが、悪くない味だ。うん、嫌いじゃない。

 

 

 

 

「やっぱりグリセルダの味噌汁は濃いね」

 

「あら? あなたが濃いのが好きだったから合わせているんじゃない」

 

「ボクもこれくらい濃いくらいが好きかな?」

 

「私はもう少し薄い方が好みね」

 

 

 

 

 それは小さなズレ。口々に味噌汁の感想をにこやかに言い合う、ありふれた幸福の食卓だ。

 オレは焼き魚を箸で分けて肉を口に運ぶ。淡白な……ほとんど味がしない、肉の触感だけが舌に広がった。

 

「クー、どうしたの? 顔色が悪いよ?」

 

 目ざとく気づいたユウキに問われ、オレは微笑んだ。悟られるな。ようやく、少しだけ得られたんだ。戦いの外にあった『答え』に至る鍵を。今は手放したくないんだ。彼らの笑顔を曇らせたくないんだ。

 

「少し疲れているだけだ」




かくして鍛冶屋はエピローグに『次回に続く』と書き加えた。


これにて、エピソード16は終わりとなります。
次回は現実世界編です。そして、エピソード17は息抜きエピソードにする予定です。

それでは220話でまた会いましょう。

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