SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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狩人よ、光の糸を見たことがあるかね?
とても細く儚い。だがそれは、血と獣の香りの中で、ただ私のよすがだった
真実それが何ものかなど、決して知りたくはなかったのだよ





Episode16-26 善意の所在

 しとしと、と。

 しとしと、と。

 しとしと、と。

 窓の外には黄昏の光を僅かに映す雨雲が天蓋となり、灰色の街を冷たく濡らす。

 皮も肉も腐り果てて目玉と骨だけになった犬が満たされぬ飢えに苦しむように徘徊し、ピエロの人形たちは雨を吸って動けなくなり、赤いハラワタの綿を鼠に貪られている。そして、その鼠たちもまた背中に根を張る頭蓋の寄生花によって搾取されていた。

 

「電車はまだ来ないようですわね」

 

 この曲は何だろうか? ああ、確かな有名なあの曲……『月光』か。それを奏でるのは古めかしいレコードであり、オレが腰掛けるのは街を一望できるガラス張りの喫茶店の窓際の席だ。そして、出入口の向こう側には駅のホームが広がり、スーツを着た首から上が無い猫たちが沈黙の中で電車を待っている。

 

「そうだな。ずっと待っているのに、乗り過ごしてばかりだ」

 

 クリームが渦巻く生温いココアを両手で握り、オレはそっと口元に運ぶ。どろりと甘い黒の液体は逆に渇きを強めるが、その甘さは麻薬のように体が欲して飲むのを止めることができない。

 その姿を面白そうに、オレに対面するように腰かける金髪を結った黒いドレスの女は観察している。

 

「1つ聞いて良いでしょうか?」

 

「お好きにどーぞ」

 

「『仲間』がずっと欲しかった。独りは嫌だった。それがあなたの願いだった。でも、あなたが本当に『仲間』が欲しかったのは、『仲間』を殺すという悦楽を得る為でしたわ。それに気づかないあなたではないはず」

 

「続けてくれ」

 

「では、どうしてあなたは湧き上る欲求を無視し、建て前に固執したのかしら? 憧れや理想があったのは理解できます。ですが、それに縋り続ける愚かしさもまた、あなたは理解していたはずでしょう? あなたは狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺す者。自分自身でそう言い続けたはず。『守る者』ではありませんわ」

 

 反論のしようがない正論だ。オレは苦笑しながら、改めてココアを口にする。それはどろりと甘い。そう……どろりした甘味なる血がオレの口内に染み込んでいく。カップを覗けば、そこには目玉や指が浮かび、今まで殺してきた人々の怨嗟と呪いという隠し味が浮かび上がっていた。

 

「そうしなければ『人』を見失うからだ」

 

「それ程までに『人』であろうとする事は重要でしょうか?」

 

 梟たちが羽ばたき、雷鳴が轟く。オレは金髪の女を隣に、1本の赤い傘の中で彼女と共に墓標が立ち並ぶ霊園を歩く。カタツムリたちが墓に縋りついて涙を零し、故人を偲んでいる。その中で雑草塗れの手入れが行き届いていない、墓標の上に墓標が重なる名も無き死人の墓所の前でオレ達は歩みを止める。

 

「誰もが内側に御する事ができない獣の顔を隠し持っています。人間は欲望に忠実であろうとする存在ですわ。それを律する為に道徳を作り、法で縛り、そして神を求めた。人知を超えた存在への恐怖が人間を『人』という枠に押し固め続けた事は紛う事無き事実ですわ」

 

「そうでもないさ。人間は醜いばかりじゃない。もちろん汚れ1つない綺麗な存在でもない。押し付けられた道徳とか、罰せられるから従う法とか、監視者としての神様への恐怖とか、そんなものが無くても、人間は『人』として生まれ、『人』として死んでいく」

 

「まるで夢想家ですわ。欲求を抑え込み続ける聖者を気取る気ですか? 私には分かる。あなたの『渇望』が見える」

 

 墓標の山から這い出して来るのは、黒い靄を纏った死体達。彼らはお互いの腐った肉を喰らい合い、骨を齧り、まるで蠱毒のように1つへと溶けていく。

 

「殺しなさい。あなたにはそれが許される。強き者は弱き者から簒奪と蹂躙が許される。あなたは蜘蛛。巣で世界を覆い、人類種を喰らい尽くす怪物。満たされぬ飢えと渇きがあなたを苛めているのが分かる。それに抗い続けるのは辛いことでしょう? 身を委ねて良いのです。あなたが尊ぶ『人』とは、己の内側の渇望のままに世界を貪る存在ではないですか。ならば、あなたが我慢する事にどれだけの意味がありますか? 世界には『獣』が満ちている。あなたをバケモノと呼ぶ人たちこそが、自ら『人』の皮を剥いで醜い本性を晒している『獣』です」

 

 そうなのかもしれない。窓の外で目玉と骨の犬が鼠を喰らうも、喉を通らずに死肉がボトボトと零れている。それにカラスが群がり、空から歯車が落ちてくる。

 カップの中身は空となり、お替わりを注ぎに双頭のロバが血煙を上げるポッドを運んでくる。

 

「許すとか許されないとか、そんな話じゃない。オレは『人』でありたい。虚言でも良い。虚飾でも良い。たとえ、殺す事しか出来ないオレでも……殺すという行為に悦楽以外の何かを見出したい」

 

 時間はあまり残されていない。双頭のロバに首を横に振ってカップを下げてもらい、オレは窓の外を改めて眺める。街を染める灰色の雨は海を作り、骨の魚たちが共食いし続ける。肥えた骨の魚は泳げなくなって底に沈んで、やがて稚魚たちの餌となる。

 やがて喫茶店の照明が光度を下げ、映写機を首が折れ曲ったくるみ割り人形の兵隊たちが運んでくる。

 

「昔にも同じことがありましたわね。≪軍≫の依頼で、あなたは5人のプレイヤーを救出にダンジョンへと向かった。ですが、彼らはモンスターハウスの連鎖トラップに引っ掛かって生存は絶望的でした」

 

「懐かしい話だな」

 

 依頼主はキバオウだった。あの男はいけ好かないが、黄金林檎からの仕事が減って来た頃によく仕事を持ち掛けてきた。この仕事もヤツからの斡旋で、あの頃のオレは今ほどに捻くれていなかった気もする。

 映写機が映し出すのは当時の光景だ。多量のモンスターが徘徊するトラップエリアにいる5人を救い出す方法は1つしかなかった。彼らの中から1人を選び、残りの全てを切り捨てる事だ。

 援軍を待つ時間は無い。だからオレは1人を選んだ。救うべき1人を選んで、残りの4人を人柱にして助け出した。

 

「4人を見捨てて助け出した1人は自殺した。あなたの目の前で、呪いと憎しみを吐きかけながら。あなたを『バケモノ』と罵りながら、自ら命を絶った」

 

 救った1人は犠牲にした4人に惚れているヤツがいた。オレがした事は彼の『命』は救えても、『心』を殺す行為だった。

 5人死ぬはずだったところを1人救った。計算上は価値のある犠牲だったはずだ。それが間違いだったんだ。ベストな判断をしたつもりが、最悪の選択をオレは実行しただけだった。

 

「しかも、それで事態は終わらなかった。5人の仲間に逆恨みされたあなたは――」

 

「それ以上は止めろ」

 

 別に過去は捨てた訳ではない。思い出すのが億劫な出来事が多過ぎるだけだ。特にSAO時代は『アイツ』と出会うまでは……いや、出会ってからも色々とあったな。だが、『アイツ』はオレのやること成す事に首を突っ込もうとするから、必然として受ける依頼は『裏』のものが多くなっていた。

 

「安全圏で死すら許されずに、食事も水も与えられず、暗闇の中で、ソードスキルの練習の生きた『的』にされ続けた」

 

「だから止めろと言っただろうが」

 

 他人に言葉にされると情けなくて腹立たしい。

 あの頃はまだ油断も多かったからな。『騙して悪いが』で捕まって、光が届かない地下倉庫で時間感覚が無くなるくらいに嬲られ続けた。両腕は縛られ、吊るされ、安全圏のお陰で死なないのは助かったがな。だが、激しいサウンドエフェクトとノックバッグは決して良い思い出ではない。

 あの時はどうやって逃げ延びたんだったかな? ああ、そうか。オレを私刑にしていた連中が死んで、何日も放置されていた間に爪で時間をかけて縄を削って耐久度ゼロにさせたんだったな。その後キバオウを1発ぶちのめしたっけ? まぁ、ヤツもオレがあんな目に遭っているとは知らなかったみたいだったがな。

 

「1ヶ月も続いた絶食。誰も助けに来ず、暗闇の中に囚われ、ひたすらに『玩具』にされ続けた。それでも心折れぬあなたは精神的怪物なのかもしれませんわね。それとも、それこそがあなたの『強さ』の秘訣なのかしら?」

 

「SAOがDBOと違ってメシ抜きしても死なないお陰で助かったな」

 

「それしか感想が出てこない時点で、やはりあなたはバケモノですわ」

 

 どうでも良い過去を今更振り返って感傷に浸るのも馬鹿らしいだけだ。そろそろお暇させてもらうとしよう。オレは席を立ち上がり、片付けられる映写機の脇を抜けて喫茶店の出入口を目指す。

 

「滑稽ですわ。最善を尽くしても最悪が訪れるなんてね」

 

 黒いドレスの女は指を鳴らす。どうやら、彼女もお喋りの時間は終わりのようだ。世界は黒で塗りつぶされ、緑のライトに照らされた誘導灯だけがオレを駅のホームに続くドアへの道を教える。

 

「妹はあなたにご執心のようですが、その気持ちが分かります。あなたはとても面白い存在ですわ。今回はこれくらいにしておきましょう。ですが、忘れないでください。あなたの『渇望』は芽吹いた。大輪を咲かせる日は近い」

 

 ドアを潜り抜ければ、いつものように目覚めるのだろう。ドアノブに手をかけると、黒ドレスの女の笑い声が背中に突き刺さった。

 

「そして、あなたは『獣』になる。必ず『天敵』になる。その時が今から待ち遠しいですわ」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 夜明けとは素晴らしい。涙を流しながら朝日を浴びたシノンは、これまた感涙を流す勢いで朝食の清貧なパンとスープをじっくりと味わい、正常なる日々と清浄なる空気の価値を味わった。

 じっくりねっとりと竜の神戦の事を相部屋の少女に尋ねられ、最低限の守るべき秘密だけは明かさずに済んだが、地平線から太陽が昇る直前まで語る事を半強要されたシノンは、ヤスリで擦られたような精神を睡魔で更に疲弊させながら、今日の『女性プレイヤーの今を考える会』の予定表を見ながら計画を練る。

 昨夜は想定外のアクシデントに見舞われたが、シノンの目的はあくまでマユの捜索だ。彼女は教会の工房にいる確率が高く、そうなると野外での奉仕活動への参加よりも教会内での業務に携わるべきだ。

 

(明日のミサを控えて準備作業があるみたいだけど、私のスキルでは参加できるものが少ないわね。聖歌隊の楽団なら≪演奏≫をアピールすれば可能かとも思ったけど、どうにもこの聖歌隊は名前通りの意味以外もありそうね)

 

 昨日も、何もお遊びでシノンはせっせと野外で奉仕活動を行っていたわけではないのだ。神灰教会の構成員ともそれとなく接触し、教会の実状の調査も並列して進めていた。

 教会を分ける3つの組織、修道会・教会を守る剣・工房。そして、これらから選抜された者たちが実質的な教会の運営に携わっている。組織図を頭の中で展開しながら、シノンは教会という大組織の全貌を少しずつだが把握していく。

 たとえば、大食堂でシノン達が朝食をとる中で、祈りの言葉を発するのは修道会の修道女長だ。【アルビシア】という名前らしい彼女は、修道会から選ばれた上層部の人間であり、同時に聖歌隊にも属している。他にも、情報によれば教会を守る剣や工房から選ばれた人々も等しく聖歌隊に関与している。

 即ち、修道会・教会を守る剣・工房という3組織の上位に聖歌隊が存在すると考えた方が自然だろう。むしろ、本当の意味での聖歌を唱える人々はカモフラージュとして採用されていると見るべきだ。

 

(パッチみたいに潜入を目論んでいるわけじゃないのだから深入りは禁物ね。上手く工房に接触する。今はそれだけで良いわ)

 

 教会内で武器の持ち込みは禁じられている。武装して良いのは教会を守る剣のみだ。修道会で唯一認可されているのは奇跡の触媒だけである。魔法や呪術は攻撃系が多く、また補助系も戦闘関連が多いので慈善活動には役に立たないからという名目だ。だが、これは同時に教会を守る剣以外に武力を認可しないという特権の付与でもある。

 対外的なアピールと組織運営の『手足』は修道会の役割だ。そして、教会の『自衛』武力として教会を守る剣があり、彼らの補佐と教会の独立性を強調する為に工房が存在する。

 

(しかも大ギルドのメンバーでも教会にどっぷり浸かった人は多いし、『お布施』もかなり支払っているって話よね。それも竜の神事件から増額なんて目じゃないくらい倍額は払っているって噂もある)

 

 地雷だ。シノンの傭兵として培った経験が教会への接触は最低限に抑えるべきだと判断する。シノンはあくまで太陽の狩猟団の専属傭兵だ。それ以上もそれ以下も望むべきではなく、大ギルドがどんな狙いを以って教会に関与しようとも我関せずを貫き通すべきだ。

 

(でも、狙いが分からないわ。教会を『権威』に仕立て上げようとする政治的狙いは見える。だけど、武力や武器開発を認可したら『敵』を作り出すようなものよね? つまり、大ギルドの目論みから教会は逸脱した? その割にはノーアクションどころか、むしろ支援を深めている)

 

 戦争を見越した権威による大義名分の獲得こそが教会を成長させる意味にも繋がるだろう。それは聖剣騎士団と太陽の狩猟団という激突必至の勢力からすれば不可欠な要素だ。そして、クラウドアースは教会に肩入れする事で『弱者の味方』……貧民プレイヤーの支持を集めるラストサンクチュアリの存在意義の崩壊を狙える。ここまではシノンも読める。

 地雷は踏みたくない。だが、見誤れば『誰か』が踏み抜いた時の爆風が襲い掛かるかもしれない。その為には多少のリスクは織り込んで、固く閉ざされた重箱をそっと開けて中身を拝見すべきだろうか? 悩ましく、朝食を食べ終わったシノンはテーブルを人差し指で叩きながら思案する。

 

「そうですか。ミスティアさんはラジードさんと合流して工房に行かれるのですね」

 

「師匠は野外で奉仕活動ですよね?」

 

「ボクも別のお仕事だから、また会うのは夜になっちゃうね」

 

 皿を片付ける最中にシノンは仲良さげに語らう3人組の傍を通る。どうにも3人とも聞き覚えのある声だったのだが、この場には同じ格好をした女性プレイヤーが何十人もいる上に、片付けの最中のざわめきのせいで正確に聞き取れなかった。だが、確かにシノンは知人と言う程ではないが、それなりに交流がある人物の名前を耳にする。

 2人の仲間に手を振って別れる女性プレイヤーへと駆け寄り、前面に回り込んだシノンはフードを外して事務的な笑みを浮かべる。

 

「もしかして、ミスティアさんですか? こんな所で偶然ですね」

 

「シノンさんですか。あなたは宗教に興味は無さそうでしたが、本当に奇遇ですね」

 

 やはり当たりだ。太陽の狩猟団の幹部にして【雷光】の異名を持つミスティアである。専属の関係で何度か依頼で共に戦った事があり、また太陽の狩猟団の催し物に招待される事も多いシノンは、DBOでも前線に立ち続ける女性プレイヤー同士のシンパシーとも言うべきもののお陰か、関係はそれなりに良好である。

 

「竜の神戦以来ですね。あの時はアタシもあまりお役に立てませんでしたので心苦しかったのですが、左腕は大丈夫ですか?」

 

「ミスティアさんの戦いっぷりには私も勇気づけられたわ。左腕はこの通り、まだスカスカですけど、近い内に復帰しますので、その時は美味しい依頼をお願いします」

 

 媚び売りではないが、こういったビジネストークができるようになった自分が嫌になる。

 社交辞令終了。シノンは取り繕った表情と態度を崩し、同じくフードを外したミスティアの隣に立つ。

 

「それで、教会にいるのは上からの命令かしら?」

 

「理解が早くて助かります。あなたも神様への祈りに目覚めたわけではなさそうですね。私に接触してきた理由は大よそ把握できました。あなたも太陽の狩猟団からの依頼でここに?」

 

「違うわ。依頼は依頼だけど、サインズを通しての仕事じゃない。むしろ私用よ。だから、ミスティアさんのお手伝いで情報提供くらいは吝かじゃないわ」

 

「良いでしょう。私が手配した護衛という事にしておきます」

 

 話が早くて助かるのはこちらの方だ。これで今日も野外での延々と続く、心が洗われるような慈善活動に参加しないで済む。シノンはミスティアと契約完了の握手をそっと結んだ。

 要は互いの口止め料のようなものだ。ミスティアは建前上でも表立った行動を取りたくない。それを補佐する為にシノンが動く。逆にシノンは得られない自由行動をある程度はミスティアという立場に付随する権力で保証してもらう。

 これで教会内をミスティアに許された範囲ならば歩き回れるようになった。修道女長のアルビシアに話を通しに行ったミスティアを待ちながら、シノンは彼女が仲良さそうに語らっていた他の2人の女性プレイヤーの事を思い返し、何故か頭痛を脳の芯に覚えた。喉元まで嘔吐感が込み上がってきている当たり、かなり胃に悪い出来事が起きたのは間違いないのだろうが、意識がぼやけた映像にピントを合わせる事を拒否しているかのように、彼女達の正体を検索することができない。

 

「同行と武器の携帯許可を貰ってきました。受付で武装をお願いします」

 

 ミスティアの指示通りに、教会の受付倉庫に預けてあるナイフとハンドガンをシノンは受け取る。服装も普段のものにしたかったのだが、教会内を歩き回るのに不適切という理由で免除はされなかった。

 着慣れていない、足首近くまで丈がある教会貸し出しの白ローブは、他者が着ている姿を見て清楚で品があると憧れを覚えた事はあるが、実際に着てみた感想として、ここにデリカシーの欠片も無い白髪傭兵がいたら3秒未満で『馬子にも衣装だな!』と言われそうな程に似合っていない事実に、シノンは呻き声を上げたくなる。対して、ミスティアは普段からの戦闘服も戦乙女をイメージさせる清楚なものである為か、修道会のローブも板についていた。

 幾ら動きやすいとはいえ、ショートパンツ系は控えようかしら。男共の邪な視線に気づかないわけではないシノンは10秒ほどGGO時代から一貫している戦闘服のデザイン見直しを検討したが、100歩譲ってもミスティアのような根っこからお嬢様オーラが出ている人物とは張り合えるはずがないと悟る。

 憧れは何処まで行っても憧れであり、現実を直視すべきだ。シノンは大聖堂の奥にある、中庭で区切られた建物へと案内するミスティアに続く。途中で他の修道会の男女や教会を守る剣とすれ違ったが、いずれもシノン達には気付いたようであるが、穏やかに会釈するだけだ。

 

「なんだか、怖いわね」

 

 仮想世界に神を求め、祈りを捧げ、日々の安寧を得る。混沌と狂気が蔓延するDBOだからこそ、宗教が根付くのは理解できるが、彼らは本当に神がこの仮想世界に存在すると信じているのだろうか?

 神様に祈って秩序が手に入るならば安い買い物だろうか。シノン自身もDBOに囚われてから何度となく神を求めた事があるので真っ向から否定することはできないが、それでも自分自身の力で現状を打破し、現実世界への帰還を目指すしかないという諦観にも似た確信はある。

 だが、そもそも現時点でどれだけの数のプレイヤーが現実世界への未練を残しているだろうか。相部屋の少女は現実世界の自分を忘れたくないと言っていたが、その気持ちをどれだけのプレイヤーが今も抱いているだろうか。

 充実感がある日々に、少なからず満足している自分がいる。シノンはぞわりと首筋に悪寒を覚える。もしかしたら、シノンもまた必死に現実世界への帰還という目的意識を持ち続ける事で、仮想世界に留まり続けたいという欲求を、このどうしようもないくらいに死と狂気が渦巻く世界に愛着を持っている自分を否定したいだけなのかもしれない。

 

「あ、ミスティア」

 

「ラジードく――じゃなくて、ラジード、あなたも今来たところのようですね」

 

 一瞬だが素に戻りそうになったミスティアだが、ラジードを牽引するリロイの姿を見て、綻びかけた口元を引き締め直す。立場がある人間とは大変なものだ、と専属傭兵とはいえ自由気ままに日々を送れる我が身をシノンは改めて喜ぶ事にした。

 

「教会を守る剣として工房を拝見しに来たんだ。ミスティアも後で誘おうかと思ってたけど、2度手間にならなくて良かったよ。こっちはリロイさん……って知っているよね。僕の上司……になるのかな?」

 

 仕事モードで接せられてか、ラジードはやや苦笑したようだが、慣れているのだろう。顔見知りではあるが、リロイの事を紹介する。

 

「教会を守る剣に明確な上下関係は無い。改めまして、【雷光】。こうして戦場以外で顔を合わせるのはいつ以来かな?」

 

「クリスマス以来ですね。共に教会の下でDBOの平和と秩序の為に尽力しましょう」

 

 全面戦争勃発間近と噂されている聖剣騎士団と太陽の狩猟団の幹部同士が、にこやかに平和を誓って握手する。外野から見れば何とも麗しい光景である。リロイもミスティアも穏健派の部類であり、戦争には否定的だ。だからこそ、この光景の虚しさが強調されているのかもしれない。

 だが、そんなことはどうでも良い。シノンがあきれ果てている、もとい心底うんざりした目線を向けているのは、全身を黒で統一し、深めのフードを被った、唇から上の顔面積を包帯で占める『謎の男』である。

 

「ラジード、そちらの御方は?」

 

「新入りのキアヌだよ。僕と同じ教会を守る剣の新参者で、工房の武器に興味があるんだって」

 

 黒づくめで顔を包帯で隠すキアヌに、ミスティアは訝しむような目を向けるが、余計な詮索は藪蛇と判断したのだろう。特に追究しようとする姿勢もない。だが、明らかにキアヌはシノンのどんよりとした眼差しに狼狽えたように顔を背けていた。

 

「……どういうつもり?」

 

 幹部同士らしく、工房までの僅かな道すがらも世間話をして交流……もとい情報交換をする3人から距離を取ってシノンはキアヌと並ぶ。

 教会に侵入する準備があると別れたキリマンジャロであるが、まさかバレバレの変装から不審者にランクアップするとは思っていなかった。顔の半分も隠す大きなサングラス姿だったキリマンジャロ状態に比べれば、まだ変装らしさは幾らか減っているような気もするが、代わりに目立ち過ぎて視線を自然と集めてしまうだろう。

 ひそひそと小声で問いかけるシノンに、1周回って開き直ったのか、キアヌは不敵な笑みを見せる。

 

「シノンは分かってないな。キリマンジャロはUNKNOWNが世を忍ぶ仮の姿なら、キアヌは教会を守る剣としての姿なのさ」

 

「説得力があると思う?」

 

「無いだろうね。でもさ、俺も考え無しでこんな格好している訳じゃない。少なくとも、『呪いで顔に傷がある』奴の素顔を無理矢理でも見ようとする不埒な連中はいないだろう? それが『建前』でも紳士淑女を気取っているなら尚更さ」

 

 そういう設定なのか、とシノンは納得するでもなく、キアヌの足の甲を踏み潰す。悶絶する姿を横目に、たとえバレても他人のフリを貫こうと決心して、その上でそもそもキアヌとはそこまで親しい間柄だっただろうかと一瞬悩んだ。

 いつの間にか自然と組んでいるが、そもそもUNKNOWNはラストサンクチュアリ専属、シノンは太陽の狩猟団専属の傭兵だ。明確な敵対・利害関係があるわけではないが、友好関係でも同盟が結ばれているわけでもないのだ。

 ならば元より他人ではないか。友人と呼べる関係でもなく、戦友と呼べるほどに肩を並べたわけでもない。なのに、自然とキアヌに惹きつけられるように、シノンは彼の隣に馴染んでいる自分に不思議さを覚える。

 

「ここが神灰教会が誇る工房だ。イド開発主任の下で、教会を守るべく強力な武器や防具が開発されている。少々癖が強いのはご愛嬌だがね」

 

 工房は教会の中庭にポツンと立つ塔にあり、その周囲は防壁のように鬱蒼と茂っている。リロイ曰く、正面玄関以外には随時更新されている工房特製のトラップが仕掛けられているらしく、仮に引っ掛かっても『自己責任』という事らしい。

 塔の両扉が開かれると、そこには工房ならではの風景が広がる。煌々と輝く火が揺れる炉、多量の鉱石やクリスタル系の素材アイテムが並んだ棚、試作の武器の数々が壁に立てかけられ、設計図などを保存した記憶クリスタルがガラス棚の向こうで陳列している。

 

「1階から3階までは修理と生産を担っている。試作品の設計などは4階だ」

 

 リロイの説明を横耳に、シノンは並べられた武器の数々に目が奪われる。いずれも3大ギルドとは異なる造形の武器ばかりだ。

 まず目がついたのは大刃が備わった槍である。竜のレリーフが刻まれた刃は教会の武器に相応しく壮麗であるが、先端には無骨と言っても良い程に大口径の砲門が隠されている。

 

「【砲撃槍】だ。教会は特に≪銃器≫との複合を視野に入れて武器開発を進めている。武器枠を2つ埋めてしまう≪銃器≫は扱い辛い。ならば、いっそ他の武器カテゴリーとのキメラウェポン化して汎用性を高めようという試みだ」

 

 シノンの好奇心を察知したのだろう。リロイは丁寧に説明してくれる。試しに装備してシノンは、自分のSTR不足を痛感するようにまるで持ち上がらない砲撃槍に溜め息を吐く。この重みから察するに、複合されているのはグレネードキャノンの類だろう。柄に仕込まれたトリガーを引けば、大刃に隠された砲門が露わになる変形と共にグレネードを吐き出す恐るべき変形武器だ。

 

(深く刃を突き刺して逃げられない状態でグレネードを撃ち込む。ぞっとするわね)

 

 爆風による自傷は免れないだろうが、そんな真似をされた相手はVITと防御力が高く無ければ即死は免れないのではないだろうか? 連射性や装弾性はかなり犠牲にしているようであるが、ハンドガン系列以外は武器枠を2つ消耗してしまう≪銃器≫の解決案としては成功ケースと言えるだろう。

 そして、砲撃槍の銀色の柄には、製作者だろう『M.Y.』というサインが金文字で書きこまれている。

 

「≪銃器≫かぁ。僕は要らないかな? 余り多くの武器スキルを持っても活かしきれないだろうし、それなら他の補助スキルを取って今のスタイルを補強した方が強くなれるだろうし」

 

「アタシも同意見です。武器の性能は重要だと思いますが、自分自身の実力がまず備わっていなければ武器に足下を掬われます。武器に自分を合わせるのではなく、自分に合わせた武器こそが必要不可欠ではないかと」

 

 ラジードとミスティアの意見は尤もだ。≪銃器≫は多くのプレイヤーが興味本位で獲得して痛い目に遭ったスキルの1つである。ハンドガンなどのサブウェポンを仕込むという意味では有効的であるが、その為に貴重なスキル枠の1つを消耗するのは馬鹿らしいというものだ。それならば、ラジードの言う通り補助スキルを取って現在のスタイルを補完していく方がずっと強くなる近道になるだろう。

 その一方で、これらの変形武器には現在のスタイルを捻じ曲げてでも使いたいという甘い誘惑が備わっている。

 

「片手剣の変形武器は無いのか?」

 

 まるでカブトムシを発見した小学生のように目を輝かせるキアヌは、並べられた武器を見回して、そこに片手剣関連の変形武器が無い事をリロイに尋ねる。

 

「ここはあくまで工房だからな。武器保管庫ではない。後でそちらにも案内するから、じっくりと自分の新しい得物を探してくれたまえ。だが、キアヌは腕も立つし、ラジードも先の意見通りならば量産武器をカスタムした程度では満足できまい? ならば、いっそオーダーメイドを仕立ててもらうのはどうだ?」

 

 塔の上層へと運ぶ木製のエレベーターに皆を案内したリロイは4階のボタンを押す。金網が閉じてゆっくりと4人を上へと運ぶ中で、シノンはいよいよかと気を引き締める。隣のキアヌも、幾ら新しい武器の魔力にどっぷりと染まっているとはいえ、本命を忘れたわけではない。

 4階に到着すると、そこは1階とは悪い意味で異なっていた。とにかく乱雑に物が散らばり、整頓の欠片も無い程に汚いのである。だが、それ以上にシノンの意識を奪い取ったのは、まるでABC防護服のような黄色いゴム製スーツを着て、更に重厚なガスマスクを装着した、プレイヤーカーソルが無ければモンスターと勘違いされてもおかしくない姿の人物だった。

 

「シュコー……シュコー……シュコー……」

 

 ガスマスクのせいで何を喋っているのか分からないが、ゴムスーツ姿の男(だとシノンはとりあえず判別する事にした)は身振り手振りで、好意的に歓迎している事は分かる。その姿に精神を明後日までホームランされたのか、ラジードとミスティアは大口を開けて呆然としている。

 

「歓迎……しているんだよな?」

 

 さすがのキアヌも自信無さげに小声で同意を求めてくるが、シノンにはテレパシー能力は備わっていないので、この男のボディランゲージが何を意味するのか確信など持てるはずがない。だが、慌てた素振りでテーブルに山積みにされた記憶クリスタルや設計図を腕で床に落とし、お茶の準備を進めているところを見るに、ゴムスーツは応接するつもりのようだ。

 

「彼はイド。工房の武器開発主任だ」

 

 リロイの紹介に、照れるようにイドは頭を掻く。どうやら恰好はともかく、性格・人格はヘンリクセン程に捻くれていないようだ、とシノンは安心するも、どちらにしても格好の時点でHENTAI勢だと断定する。

 

「シュコー……シュコーシュコー……シュココー……」

 

「ふむふむ。シュコーという事らしいぞ」

 

 そしてリロイも渾身のボケで通訳してくれるが、シノンは善意で無視する事にした。

 と、そこにカランカランという気持ち良い、下駄の音が響いた。まるで縁日の祭りを思わす足音に、思わずシノンは……いや、その場の全員が誘われるように工房の奥、本の山が積まれた向こう側へと目を向ける。

 現れたのは品が良さそうな、黒百合が描かれた緋色の着物を纏った、艶やかな黒髪と赤い彼岸花の髪飾りが映える少女だった。

 思わず見惚れてしまったらしいラジードの隣で、彼と着物少女を交互に見ながら、あわわわわとミスティアが狼狽える。だが、ラジードが目を奪われても仕方が無い。着物少女はまるで日本人形のような、和のミステリアスさを雰囲気として醸し出している。現代日本でも滅多にお目にかかれない純正和風美少女だ。さすがのキアヌも、口をパクパクして言葉を失っているようである。

 

 

 

 

 

 

「は~い☆ 全世界待望の新次元アイドル、マユユンだよ~ん! ごめんねごめんね♪ イドさんは昔デバフでDEATHしかけちゃったトラウマでそんな姿になってるけど、中身はマジで善人だから気にしないであげちゃって! マユユンからの、お・ね・が・い・ね?」

 

 

 

 

 

 

 だが、そんな純正和風美少女は月に彗星が激突して木っ端微塵になった挙句に地球落下した瓦礫がビックウェーブを引き起こして、命知らずのサーファー達がヒャッハーしている光景を作り出すように、両頬に人差し指を当てて、アイドル級の笑顔と甘ったるい声音を披露する。

 

 

「「や、やっぱりマユユンだぁあああああああああああ!」」

 

 

 と、何故か興奮した勢いで着物少女へと野郎2人は駆け寄る。

 これはどういう事かしら? そう思ったシノンであるが、現実世界で鬱屈した日々を送っていた中に流れる情報……テレビやポスター、ネット広告などの無駄情報が脳裏で駆け巡る。

 

「えと、マユユンって誰なの?」

 

「なんと、マユユンをご存じないのか!?」

 

 話についていけないらしいミスティアに、いつの間にか『マユユン&神灰教会☆命☆』と大きく背中に書かれた陣羽織を着たリロイがポーズを取る。

 

「マユユンとは! VRゲーム界を代表するアイドル四天王の1人!」

 

 親指と小指を立てて両腕をクロスさせたラジードが咆える。

 

「まさかの素顔アバターであらゆるゲームに殴り込み!」

 

 キアヌが右手で額を押さえながら左腕を天へと掲げながら屈むという妙に様になったポーズを取る。

 

「だけど、いつも負けちゃうのはご愛嬌!」

 

 陣羽織と同じ文句が書かれた団扇を振るうリロイが叫ぶ。

 

「「「歌って踊れて戦えちゃうスーパー和風アイドル、それがマユユンだぁああああ!」」」

 

「いや~ん☆ マユユン照れちゃう! でも、ホントの事だし仕方ないよね? よねよね♪」

 

 ウインクしながら指で銃を作ってシノン達を撃つマユユンことマユに、シノンは『今日の晩御飯何かしら? 昨日はカレーライスだったし、今日はサッパリとしたものが良いわね』と、無駄に青い空を映す窓へと視線を逃がす。

 

「えと、つまり人気アイドル、なの?」

 

「シュコー……シュコー……」

 

 ノリについていけないらしいミスティアに、イドは椅子へと案内して腰掛けさせて紅茶を振る舞う。

 とりあえず席に着こう。そうしよう。シノンはこの騒動の中で黙々とお茶の準備をしてくれていたイドこそが、恰好はともかく、1番まともなのだろうと諦めた。

 

「ネット広告とかで見たことはあるわね」

 

「マユの知名度もまだまだかぁ。これでもセカンドシングル『マユユン☆ラブハーツ』は10万DL突破したんだけどね」

 

 キアヌとラジードも腰を下ろし、陣羽織と団扇をオミットしたリロイも何事も無かったようにお茶の席に加わる。全てが幻の嵐だったかのようだ。

 

「だけど、まさかマユユンがDBOにいたなんて。噂すら聞かなかったよ」

 

 まだ興奮した口振りのラジードの隣で、ミスティアが頬を膨らませる。

 するとマユはシステムウインドウを開き、全身を光らせると、そこには前髪を垂らして恰好も地味になった、先程の和風少女と同一人物とは思えない、山育ちのようなもっさりとした姿に変わる。

 

「同じ事務所の先輩から教えてもらったんだぁ♪ 変装するなら地味地味もっさりが1番だって。兄さ――マネージャーがマユの知名度だとパニックになるかもしれないからって、ずっと変装してたんだ。ごめ~んね☆」

 

 とてもではないが、今のマユは先程と同一人物とは思えない。というよりも、ヘンリクセンは兄なのに妹のマネージャーをしていたのか。あるいは、闇の芸能界から妹を守るためにマネージャーになったのか。どちらにしても、敵に回したくないシスコンっぷりである。

 しかし、キアヌにもこの変装っぷりは見慣らってもらいたいものである。シノンもヒントさえ掴めばキリマンジャロ=UNKNOWNと簡単に看破する事が出来たのだ。なにかの拍子でキアヌの正体が露呈する事は十分にあり得るのである。

 

「はい、というわけで、アイドルモード疲れたんでそろそろ素に戻りますね。改めまして、マユです」

 

 途端に先程とは一変して、どんよりとしたやる気のない声でマユは礼儀正しく頭を下げる。さすがに、あのテンションは素では無かったかとシノンは安堵する。

 

「「で、出たぁああああ! マユユンのダウナー素モードだぁああああ!」」

 

 だが、野郎2人はそれすらも感激の対象らしい。シノンは笑顔で窓の向こう側に1発だけならば誤射だとハンドガンを発砲する。

 

「黙れ」

 

「「はい」」

 

 凍り付いた空気の中で、シノンの笑みがラジードとキアヌの興奮を永久凍土に封じ込める。ようやく話がまともに進みそうな雰囲気になったのだから、このチャンスを逃すわけにはいかない。シノンはようやく黙らせた2人に満足する。

 

「それで、マユりんとイドたんに何の御用ですか? ハッキリ言って滅茶苦茶忙しいので特に御用が無いなら茶を飲んでさっさとゴーホームしてください」

 

「ちょっと待ちなさい。あなた、素に戻ったのよね? アイドルモードは終わったのよね?」

 

「あんなハイテンション維持できるわけないじゃないですか。それとも何ですか? あなたも『マユりん』が1人称はナシナシな人ですか? うわー、思いっきり灰色ワールドに魂縛らてる人ですねー」

 

 可哀想な人を見る目したマユに、シノンは確信する。この人を馬鹿にする事に微塵も躊躇わない態度、間違いなくヘンリクセンの妹だ。

 その後、リロイが間に入って新武器開発の件を伝える。イドはどうやら身振り手振りからしてノリ気のようであるが、頬杖をついたマユの方はヘンリクセンと酷いくらいに似た値踏みするような視線のまま沈黙を保っていた。

 

「片手剣の変形武器ですか。マユりんの本領にして美学は変形機構なので臨むところですが、ワンオフを仕立てるだけの価値があなたにあるんですか?」

 

「マユユンもそこを何とか。彼はなかなかの有望株だ。教会を守る剣としてもキアヌには万全の力を得てもらいたい」

 

「『万全』ねぇ。マユりんは教会の戦力増強とか心底どうでも良いんですよ。エドガー神父に借りはありますが、変形武器10種のプロトタイプ設計でイーヴンどころか報酬もらっても良いくらいですしね。エドガー神父にはいつ出て行っても良いって言われてますし。まぁ、イドたんと作っている『アレ』はそれなりに愛着がありますけど、マユりんが目指すのはあくまで1人のプレイヤーの武器としての変形機構であって、『アレ』は専門外ですから」

 

 リロイの説得に対して譲歩を見せる様子も無いマユに、イドは席を立つとマユを手招きする。そして、工房の隅に移動すると何やら丸聞こえの秘密話を始める。

 

「シュコー……シュコー……」

 

「え!? でも、『あのコ』は使いこなせないでしょう?」

 

「シュコー……シュココー……」

 

「なぁるほどねぇ。イドたんも悪よのう」

 

 振り返ったマユは心底面倒といった表情を浮かべて、指を立てた。

 

「だったら、こうしましょう。武器を作るなら戦い方を知らなければなりません。包帯男と【若狼】でデュエルをお願いします」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 そこまで武器が欲しい訳じゃないのに。工房の前で鍛冶屋たちがギャラリーのように湧く中で、ラジードは片手剣と両手剣を装備して、片手剣二刀流で立つキアヌとデュエルの準備を進める。

 

「ルールは安全重視で『ファースト・ヒット』・『チキン』、それと『スキル・アウト』で良いかな?」

 

「俺はそれで良いよ」

 

 1発でも攻撃が命中すれば敗北する『ファースト・ヒット』とクリティカル判定を無しにする『チキン』、それにソードスキルの使用を禁じる『スキル・アウト』ならば、余程のレベルと装備差が無い限りは万が一の死亡も無いだろう。

 だが、このファースト・ヒットの曲者なところは、どんな攻撃でも1発でも命中すれば良い代わりに『クリーンヒット』で無ければ命中と判定されない事だ。つまり、掠った程度では勝者判定をもらえないのである。

 ラジードは双剣型片手剣であるアヌビスの審判剣を構え、同じく二刀流でキアヌに対する。お古しか持っていないという事らしいキアヌの装備は、教会の工房が作っている護身用の銀の片手剣だ。スピード重視で単発火力は無いが、それ故にクリーンヒットを狙いやすいのでファースト・ヒットでは有利に働くだろう。だが、それは軽量武器であるアヌビスの審判剣も同じだ。

 

「ラジードくん、無理しないでね。デュエルで死んだ人もいるんだから、気を抜かないで」

 

「分かってる。でも、負ける気で戦うつもりもないよ」

 

 ミスティアに心配されるも、ラジードはリラックスして頷く。これまでデュエルは星の数ほどしてきたのだ。『ファースト・ヒット』と『チキン』の組み合わせも慣れ親しんだルールである。

 一方のキアヌはシノンと交流があったのか、隻腕の彼女と何やら話し込んでいるようである。キアヌが適当に頷き、シノンが呆れたような表情をしている所を見ただけで、彼らの微笑ましい関係が何となく想像できた。

 

「それでは、これよりデュエルを執り行う! 双方、互いのHPには気を配れよ。戦場以外で死んでも肥しにもならん」

 

 審判であるリロイの宣誓に伴い、デュエル申請を互いに飛ばす。待機時間の15秒の中で、戦意高揚と共に心拍数が上昇する。

 

「デュエル開始!」

 

 15秒ピッタリにリロイが宣言し、2人の間にデュエル開始のシステムメッセージが表示される。だが、ラジードは双剣を構えたまま時計回りに、じりじりと距離にして5メートルほどあるキアヌと共に回り合う。

 ルールが『ファースト・ヒット』である以上は無理に攻めてカウンターを喰らうわけにはいかない。必然として慎重な攻めが要求される。ダメージを受けながら反撃しても勝者にはなれないのだ。

 決定的な隙を突く。求められるのはその一瞬の切り取りだ。その為に必要なのは、相手の攻撃を見極める事である。

 キアヌもルールを理解しているのだろう。二刀流の構えのまま、安易に攻め込もうとはしない。だが、こちらが隙を見せれば即座に斬りかかるだけの絶えぬ気迫を感じる。

 

(無理して攻めるべきじゃないだろうけど、このまま睨み合いでも勝てない)

 

 集中力の根競べも悪くないが、それではギャラリーに申し訳ないだろうし、時間は有限なのだから早めに決着を付けたい。何よりも、本人たちからすれば真剣勝負でも、イドやマユがデュエルを要求したのは、2人の戦い方を間近で見る為だ。ならば、その意図を察して強引に攻め入るのも悪くない。

 何よりもキアヌの二刀流の構えを不思議な程に崩せる自信が湧かない。まるで巣から飛び立ったばかりの若鳥が歴戦の猛禽と出会ったかのように、包帯に隠されたキアヌの双眸からは強い意志を感じる。

 やはり攻め入るべきだ。そう判断したラジードは、あくまで『待ち』によるカウンター狙いのキアヌの間合いへと踏み入る。途端に、かつて体験した事が無い程の、剣の軌跡を追うのでやっとの左手の剣の斬撃がラジードの腹を狙って放たれる。

 

(速い!?)

 

 寸前で右腹を大きく薙ぐはずだった斬撃を右手の剣で防ぐも、当然ながら二刀流であるキアヌはガードした衝撃と高速斬撃で揺れるラジードの胸に右手の剣を突き出す。

 初速……反応速度が違い過ぎる! 寸前で胸を反らして刺突を躱すも、僅かに斬られて赤黒い光が飛び散る。ミスティアの悲鳴にも似た小さな叫びが聞こえるが、ラジードの脳髄を焼くのはかつてない強敵と剣を交えられるという戦士としての喜びだった。

 クリーンヒットの判定は無し。ならば、とラジードはお返しとばかりにアヌビスの審判剣による連撃を浴びせる。だが、全ての斬撃軌道を丁寧にキアヌは迎撃し、あろうことか攻撃の合間にカウンター狙いの一閃を組み込んでくる。

 危うかった。同じ片手剣使いだから分かる。もしも『スキル・アウト』が無ければ、キアヌは余裕を持ちながら今の刹那に≪片手剣≫の単発系の基本的ソードスキルであるレイジスパイクを使用してラジードの胸の中心を穿っていただろう。そして、同じ真似をラジードにはとてもではないが実行できない。

 強引にクロス斬りを差し込んでキアヌを弾き飛ばして仕切り直しに持ち込もうとしたラジードだが、それを許さないとばかりに数メートルなど距離にもならないようにキアヌが姿勢を低くして地面を擦るようにラジードの間合いに潜り込みながら右手の剣で斬り上げる。それは咄嗟にクロスさせてガードしたアヌビスの審判剣を押し上げ、ラジードにがら空きの隙を作る。

 させるものか! 双剣を手放し、両手剣を抜いて力任せに振り下ろす。即座の武器放棄による攻撃手段の切り替えはキアヌも予想外だったのか、地面を抉るほどの強烈な縦斬りから逃れるように間合いを取り直す。

 

(悔しいけど、同じ土台では勝てない。キアヌの方が二刀流の扱いは僕よりもずっと上だ)

 

 リーチで勝る両手剣による一閃ならば、とラジードは安易に考えるも、それではキアヌの絶対的な二刀流の剣戟には勝てないだろうと判断する。剣士としての実力で、2人の間には決定的な差があるのだ。『剣術』同士では今のラジードに勝ち目はない。

 

(こういう時にキミなら、どんな策を用いるのかな?)

 

 キアヌは決して慢心していない。両手剣に切り替えた事により、ラジードの間合いが伸びた事を警戒している。だが、この睨み合いもあと数秒の事だろう。故に思い返したのは、白髪の傭兵ならば、これが『殺し合い』ならばいかにしてキアヌを崩すだろうかという事だった。

 

(きっと、クゥリなら……)

 

 思い出せ。クゥリとカークの『殺し合い』をラジードは見ている。あの時の苛烈なまでの攻めは今も脳裏に焼き付いている。対人戦の極意はそこにある。

 恐らくだが、ラジードとキアヌのステータスは似通っている。DEXはラジードの方が劣るようだが、その分だけSTRが僅かに上といったところだろうか。だが、その程度の差は『出力強化』と言われるステータスポテンシャルを引き出すプレイヤースキルが発見されているので覆されかねない。

 ラジードも出力強化のトレーニングは積んでいるが、何をどうすればリミッターを外していけるのか、まるでコツがつかめていない。団長のサンライスは『頭の中で爆発をイメージしろ!』という抽象的なアドバイスを放るしか出来ない程にあっさりと体得してしまった。だが、アレは例外中の例外であり、野性に生きるサンライスだからこそ心理に届いたというべきだろう。

 キアヌが動く。ラジードが深呼吸を挟もうとした刹那を狙い、右手の剣は斬り上げを、左手の剣は横薙ぎを繰り出そうとする。両手剣による一刀流に切り替えたラジードに、それを防ぎきるだけの実力は未だ備わっていない。

 だから、ラジードは両手剣を『捨てる』。白髪の傭兵ならば、そうするだろうと信じて、両手剣を力いっぱいキアヌに投擲する。それを左手の剣で弾く間に、身を投げるように突進してキアヌの顔面へと拳を振るった。

 

「おぉおおおおおおおお!」

 

 1発入れば良い! 攻撃のガードなど考えずに、ラジードはキアヌの顔面へと全力で右ストレートを打ち込む。それはキアヌの鼻先に触れ、更に奥へと潜り込もうとするも、キアヌは持ち前の驚異的な反応速度でクリーンヒット直前で顔を逸らす。

 ああ、届かなかったか。ラジードは横腹を深く薙ぎながら自分の脇を駆け抜けるキアヌを見送り、表示された<Lose>というシステムメッセージを噛み締めた。

 敗北感が呼吸の度に体内で渦巻き、僅かな戦いの中での膨大な集中力の消耗を示すように、汗が滝のように流れ出ていた。

 

「凄いや。最後の剣は見切れなかったよ」

 

「お互い様さ。まさか武器を捨てて殴り掛かってくるなんて予想外だったよ」

 

 互いに誠意を尽くして戦い合った事を認めるように、ラジードとキアヌは握手を交わす。どっと沸き上がるギャラリーの歓声は、手に汗握る攻防の興奮を示しているかのようだったが、ミスティアだけはへなへなとラジードの敗北よりも生存に安堵したように腰を下ろしている。

 勝てなかった。清々しさはあるが、これが『殺し合い』だったならば、たとえ武器を捨てて1発を入れられても、手痛い反撃でラジードは殺されていただろう。

 

(大丈夫。僕はまだまだ強くなれる。その実感があった。これを糧にすれば良いんだ)

 

 敗北にうな垂れて立ち止まる事は誰でもできる。これはデュエルなのだ。『殺し合い』ではないのだ。ならば、この経験を武器にして更に強くなれば良い。

 腰を折ったミスティアへと歩み寄ったラジードは、絶対に彼女を守るという誓いと共に手を差し出した。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「う~ん、そこそこ良いデータが取れたわね。マユりん的には【若狼】の武器開発はイドたんに任せて、キアヌんの担当かな?」

 

 キアヌの片手剣から戦闘ログを抽出して上機嫌らしいマユに対し、シノンはデュエルを終えても汗1つ流れていないキアヌに驚いていた。

 現在、工房4階にはシノン、キアヌ、マユの3人しかいない。ラジード達はイドとリロイに案内され、武器庫の方へと向かった。シノンも同行すべきかと思ったが、ミスティアは同伴する必要はない……もといクレイジーなマユを見張っていろという意味でキアヌと残す事を決めた。

 

「手を抜いたの?」

 

「まさか。剣士として本気で戦ったよ」

 

 壁にもたれて戦いの満足感を味わっているようなキアヌは、心成しか晴れやかだ。どうしても『殺し合い』ばかりであるDBOにおいて、健全に、互いの技と技を競い合える試合の機会はなかなか存在しない。練習試合とは異なる真剣勝負のデュエルは、それこそ大ギルドが催す武芸大会くらいしか機会も無いだろう。そして、それが弱者の集まりであるラストサンクチュアリで開催されているとは思えない。

 相手を殺す必要が無い上で全力を尽くす。それこそがキアヌの求めている戦いなのかもしれない。それを思えば思う程に、シノンは彼の覚悟を少しだけ理解できた。

 

「マユさん、実を言うと私たちが教会にいるのはあなたが目的なの」

 

 早めに目的を果たそう。上機嫌で早速開発に取り掛かっているマユにシノンは話しかける。キョトンとした様子のマユであるが、やがて何かを察したように鼻を鳴らす。

 

「もしかして、兄さん?」

 

「かなり心配してたわ。もしも教会に囚われているなら、脱出の協力をするけど……」

 

 先の言動通りならば、マユは既に自由意思で教会を抜けられるようである。だからと言って、マユは教会に心酔しているわけでも無いようである。ならば、イドのように切磋琢磨できる相手と共に武器開発できるのが楽しいのだろうか? ならば、無理を言って教会から抜けさせるのは逆に彼女の意に反する行いである。

 だが、その一方でこのまま兄妹が不仲のまま、いつ死ぬか分からないDBOで離れ離れで暮らしてもらいたくない、というシノンの身勝手な想いもある。

 

「う~ん、『アレ』の開発はイドたん1人でも大丈夫だろうし、マユりん的には未練も無いのよね。でもさ、マユりんが教会に留まってるのは、兄さんを見返すだけの実力を付けたかった事もあるけど、もう1つ……変な噂を聞いたからなのよ」

 

 変な噂? シノンはどうしても嫌な予感を募らせながら、やや身を乗り出して詳しく話を聞こうとするキアヌと並ぶ。

 

「ねぇ、デーモンシステムって知ってる?」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 生存者は僅か2名。散らばる遺品の数々が夥しい死の痕跡を残す。

 眠っていたのはせいぜい数分といったところだろう。地下街はもはやモンスターの侵入を防ぐだけの戦力は残されていない。遠からずに破棄して脱出しなければ、いずれ流れ込むモンスターに狩り殺されるだろう。

 それでも休息と準備の時間は必要だ。枯れた噴水の縁に腰かけて少しでも眠ろうとしたが、脳を休めるどころか夢の中で精神を擦り減らすだけだった。

 誰かがオレの脳に介入してきている。それは何となくだが分かっている。だが、今までと違うのは、あの黄金の蝶が誘う穏やかな夢ではなく、明らかな悪意を感じる者が夢に侵入してきている点だろう。

 いっそ夢すらも見ない程に眠りを貪ればとも思うが、微睡が精一杯のオレでは満足に睡眠を取るなど無理だろう。まぁ、シャルルの森の後に10日間も眠っていたのだ。しばらくは何とかなるだろう。というか、アレだけ熟睡できる機会が今後訪れるとは思わない方が良い。

 遺品の回収は大方エドガーが行ってくれたが、ギンジたち晴天の花とノイジエルだけはオレ自身の手で彼らの生きた証を手にしたかった。

 たとえば、マックスレイの遺書。弱気ではあったが、リーダーとして皆を引っ張ろうとしていた彼もまた、今回の仕事に思うところがあったのだろう。自分の不甲斐なさと晴天の花の行く末の心配する文面がそこにはあった。

 たとえば、アニマが所持していたギルドのエンブレムだろう、氷の結晶にも思える、青いクリスタルの6角の花飾りだ。小さなイヤリングであり、特別な効果は無いが、送り主の名前が記載されており、ギンジが彼女へのアピールで贈ったものであろう事が分かった。彼女もまたギンジの気持ちに気づき、受け止め、それでも今の関係を崩したくなかったからこそ、このイヤリングを装備することなく、ひっそりとアイテムストレージに保管し続けていたのだろうか?

 ギンジの遺品からは、約束通りデス・アリゲーターを貰う。アニマを殺したオレに使う資格は無いのかもしれない。それでも、彼の死を糧にするとオレは約束した以上は、受け継がねばならないだろう。

 

「……ノイジエル」

 

 そして、オレは最後にノイジエルの遺品を眺める。その中に奇妙なアイテムを見つけ、確認し……彼の遺志を受け取る。どう解釈すべきか分からないし、またノイジエルの本心が何処にあるのかも不明だ。それでも、それは彼なりの全身全霊をかけたメッセージなのだろう。

 フラフラとオレは枯れた噴水から立ち上がり、深淵殺しを扱う練習をした崖際へと向かう。別に自殺をしようとかそういう考えではない。そこに行けば、きっと『彼女』がいるはずだという確信があったからだ。

 予想通り、崖際では煙草の紫煙を揺らすヨルコが、まるで死者を悼むように積み重ねた石の墓標へと酒を零していた。

 

「やっぱり、あなたは生き残ったわけね。何となくだけど、分かってたわ」

 

「そっちは良く生き残れたな」

 

「伊達にサポートスキル専門でナグナを生き抜いてないわ。卑怯と罵られようとも、隠れて、耳を塞いで、皆が死んでも知らんぷり。そうやって、私も生き延びた。今までも、今回も、生き延びた」

 

 振り返りもしないヨルコの隣に立ち、酒で濡れた墓標へとオレは右膝だけついて跪き、右手を左胸に当てて軽く頭を垂らす。

 どうか彼らに安息の眠りがあらん事を。願わくば、2度と目覚めぬ死の抱擁が彼らの救いとならん事を。

 彼らの御霊はここに無く、祈りも呪いも届かない死の眠りがあるはずだ。だが、茅場の後継者は守られるべき生と死の境界線を破壊し、棺から骸を暴いた。ならば、オレの祈りなど無力な自己満足なのだろう。

 それでも、祈るという行為は心の所作だ。『人』だからこそ祈るのだ。戦いと死に悦びを感じるオレだからこそ、誰よりも『人』としての礼節と様式を忘れてはならない。

 

「ナグナの万能薬のレシピは聞いたわ。皮肉だけど、材料は黒色マンドレイクを除けば『人数分』揃ってる」

 

「逆に言えば、黒色マンドレイクが無いせいで詰んでいる。そうだろう?」

 

 もはや地下街の安全は数日と守られないだろう。モンスターの流入によって破滅するのは目に見えている。ならば、必要なのは地底湖に赴いて黒色マンドレイクを入手する事だ。だが、その為には確実視される深淵の魔物との対決、そして食人植物のジャングルに挑まねばならない。

 

「ここにナグナの良薬が1つある。万能薬は1人分だけなら準備できるはずだ」

 

「たった1人だけ救うために、他全員は死ねって事? 全滅するよりはマシかもね」

 

 自嘲するように、オレが見せた良薬に視線を釘づけにしながら嗤う。

 ああ、そうだろうな。ヨルコがそう思うのも仕方ない。どう考えても詰んでいる。ならば、たった1つの万能薬で以って1人を救うのが正しい選択だろう。以前のオレならば、それを迷わずに実行したはずだ。

 

「何を寝惚けた事を言ってやがる。勝手に死んだ気になってるんじゃねーよ。この薬はオレが使う。深淵の魔物を殺す為にな」

 

「は? 寝惚けてるのはどっちよ?」

 

 唖然とするヨルコだが、オレは無言で彼女の動揺する眼を直視する。

 殺す。深淵の魔物を今度こそ殺す。息の根を止める。ヤツは救われるべき戦士であり、それは死で以ってしか成し遂げられない。もはや迷いはない。だが、それを成すのに『仲間』は要らない。

 

「ヤツを殺す。『独り』でな」

 

「本気みたいね」

 

「この状況でジョークを言う程に悪趣味じゃないさ」

 

 オレの自殺願望に付き合うくらいならば、クジで1人を選定してナグナから脱出させた方が有意義だ。そう言いたいそうなヨルコだったが、やがて苦笑して良薬をオレから受け取る。

 

「すぐに準備するわ」

 

「感謝する」

 

 ヨルコは数秒だけ墓標へと黙祷を捧げると、良薬を手に医務室へと向かって去っていく。彼女が自分に万能薬を使用して逃げ出す事も十分に考えられるが、戦闘能力が無い彼女では土台として単独でナグナ脱出は不可能だ。ならば、言葉通り、オレの策に乗ってくれるだろう。

 続いてオレはグリセルダさんの部屋に向かう。精神的ショックが大き過ぎたグリセルダさんは、今は自室のベッドで横になって眠っている。正確に言えば、ヨルコが処方したレベル1の睡眠薬で無理矢理眠らされたとも言うべきだろうか。

 

「グリムロック、話がある」

 

 ドアを開けてからノックして、グリセルダさんを介抱するグリムロックを呼びつける。彼は何か慄くようにオレを見て、グリセルダさんを一瞥してから廊下に出た。

 壁にもたれて腕を組むオレは、グリセルダさんの容態を訊こうとして、そんな行為は無意味だと切り捨てる。もはや彼女の精神は限界だ。グリムロック無しでは崩壊してしまうだろう。だが、逆に言えばギリギリの一線でグリムロックが持ち堪えさせている。ならば必ず再起はできるはずだ。オレはそれを信じて、彼女が成し遂げようとしたナグナ脱出、その最後のピースを埋めるべく行動せねばならない。

 

「ギンジ君とアニマさんの事は聞いた。キミが気に病む事じゃ――」

 

「そんな事は『どうでも良い』。今必要なのは武器だ。深淵殺しの修理を頼む。すぐにでも出発したい」

 

「出発? どういう意味だい?」

 

 戸惑うグリムロックに、オレは作戦なんて大層なものではない、力押しの正面突破の内容を伝える。

 まずオレが深淵の魔物に発見される。ヤツと交戦している間にエドガーを地底湖に先行させ、無理にでも黒色マンドレイクを3人分入手してきてもらう。ヤツが成し遂げられずに死んだならば、深淵の魔物を殺した後にオレが黒色マンドレイクを入手しに地底湖に向かう。

 シンプルかつ分かり易い。要はオレが餌になって深淵の魔物を釣り上げ、そして殺す。その間にエドガーが目的を成し遂げるという作戦だ。

 

「……キミはいつも無茶ばかり言うね」

 

「無理と無茶と無謀はオレの代名詞だ。だが、もうそれ以外に手段は無い」

 

「キミならば私たちを見捨てて、万能薬を使って逃げ延びる事もできるだろう?」

 

 むしろ、それを勧めるようにグリムロックは問いかけてくる。彼の目にあるのは静かな哀れみの眼光だ。どうして、そんなものをオレに向けるのか分からないが、問われたならば答えねばならないだろう。

 

「誰でも彼でも救おうとしていた。生かして、守って、少しでも皆に役立ってるって褒められたかった。だけどな、オレは『守る者』じゃない。戦って殺す。それしか出来ない。だから、殺す事で救う。オレが深淵の魔物を殺して、オマエらの命を繋ぐ」

 

「もうベヒモスさんもノイジエルさんもいないんだよ? たとえエドガーさんが加わっても、深淵の魔物に勝てるはずがない」

 

「勘違いするな。言っただろう? オレはヤツと『独り』で戦う。反対なら別に良い。好きにやらせてもらう。オマエがいなくても、ボールドウィンの工房で適当な武器を探して挑むだけさ」

 

 グリムロックに背を向けて、オレはボールドウィンの工房に向かおうとする。だが、グリムロックの震える手がオレの右肩をつかんだ。振り払おうとも思ったが、彼の指に籠る力はオレを引き留めるためものではないと感じ取って振り返る。

 顔を俯かせ、歯を食いしばった様子のグリムロックは、今にも泣きだしそうな顔をしていた。だが、その目には鍛冶屋としての闘志の炎が宿っている。

 

「12時間……いや、8時間だけ私にくれ! キミに今できる最高の武器を準備する! してみせる! だから……だから……!」

 

「そうか。じゃあ、頼むぞ。安心しろ、グリムロック。言っただろう?」

 

 やんわりとオレの肩を握る彼の手を解いて微笑んだ。

 

「怖いものは全部オレが食べてあげる。オレが『独り』で食べ尽くす。だから、オマエは何も心配せずに帰りを待ってろ」

 

 深淵殺しをグリムロックに預け、オレは最後にエドガーの元へと向かう。ヤツは何処にいるのか見当もつかなかったが、十数分も探していると、ヨルコが作った墓標の前で祈りを捧げている姿を見つけることができた。

 オレの接近に気づいたらしいエドガーは振り返り、いつもと同じように『にっこり』と笑う。だが、それは心なしか、僅かに曇っているようにも思えた。

 

「エドガー、これが最後の作戦になる。オレが深淵の魔物の相手をする。その間に、オマエには単身で黒色マンドレイクを入手してもらう。無理なら辞退しろ。ヤツを殺した後にオレがその足で地底湖に行く。作戦決行は8時間後だ」

 

「【渡り鳥】殿がお決めになられたならば、このエドガーは従いましょう」

 

 やはりな。コイツは絶対にオレの作戦を否定するような真似はしないだろう事は想像できた。

 絶対的な余裕を持つエドガーの自信の源。それを暴こうとは思わないが、コイツにも『独り』で戦える舞台を準備してやったのだ。これならば、オレの想定は杞憂のように、黒色マンドレイクを入手してくれるだろう。

 だが、作戦を決行する前に1つだけ明らかにしておかねばならない事がある。

 

「エドガー、オマエは善人だ。狂信者だが、善を貫こうとする者だ」

 

 だからこそ、答え合わせをしておかなければならない。

 エドガーは奥の手こそ隠していたが、あらゆる戦いで万全を尽くし、人々を救おうとした。その行いは尊く、また聖職者として恥じるべきものは1つとして無い。ならば、エドガーには切り札を人前では使えない理由があったと考えた方が適切だろう。

 ならば、残る疑問はただ1つ。それを解消せねばならない。

 

「都合の良いヒーローなんて現れたりしない。絶対にな。だから、オマエがどうしてオレ達を……いいや、オレを助けたのか、ずっと疑問に思っていた」

 

 てっきり銀のペンダントが狙いかとも思っていたが、それでは方程式が成り立たない。『偶然』エドガーがナグナにいて、『偶然』オレ達を発見してわざわざ爆走した救急車に追いつき、『偶然』ヒーローのように救い出した? 余りにも出来過ぎている。

 そして、1番のヒントになったのはグランウィルだ。どうしてヤツは2つの全く同じ指輪を差し出したのか。そして、グランウィルの言動にあった小さな違和感。まるで同胞と認めた『複数人』に話しかけるような態度。てっきりグリムロックなどをカウントしてのものかと思ったが、それよりも適切な回答はあった。

 

「オマエは召喚できたにも関わらず、敢えてグランウィルのサインを無視した。全ては計画が露呈するリスクを避ける為だ。だが、オレがフラグ立てしていたのはオマエにとっても想定の範囲外だった。そうだろう?」

 

「…………」

 

 沈黙を貫くエドガーは相変わらず『にっこり』笑ったままだ。その笑顔の向こうで、彼はいかなる胸中で神の下で善意を貫こうと決めたのか。それは知ろうとも思わないし、知りたくも無い。だが、1つ言える事があるとするならば、どれだけ秘密を隠し持っていようとも、エドガーは皆を救うべく戦ってくれた。その事実は揺るがない。

 

 

 

「オマエは最初からオレと合流する手筈だった。知ってたんだろう? 聖剣騎士団に晴天の花が生贄にされた事も、感染システムの詳細も、グリセルダさん達の事もな。だって、オマエこそがクラウドアースにグリセルダさん生存の情報を流した張本人なんだからな」

 

 

 

 あるいは、最初からクラウドアースと手を組んでいたのか。

 だが、もっと早くに気づくべきだった。そもそもクラウドアースがどうしてグリセルダさん生存の情報を得られていたのか。『偶然』グリセルダさんに助けられて感染を逃れて戻った生存者なんていなかった。それはオレとグリセルダさんが合流した時の会話……ナグナがDBOの1部だという『推測』をようやく立証する事が出来たという言動からも明らかだ。つまり、彼女はナグナ外部のプレイヤーと接触した経験は無かった。

 ヨルコの話を聞いて気になっていた。感染システムには区切りが存在する。即ち、20、50、80、95だ。これらを突破したらそれ以下には減少しない。

 ならば『20以下で治療した場合はどうなるのだろうか?』という疑問が必然として湧き上る。恐らくだが、グリセルダさん達にはそれを探るだけの余力は無かったはずだ。なにせ毎日のように人が死んでいく。当然ながら感染率も日に日に膨れ上がり、誰もがすぐに20を突破したはずだ。だが、最初から感染システムの詳細を、事前のレガリア関連のイベント進行で友好を深め、対策アイテムを譲り受けていたエドガー程の猛者ならば、戦闘を最小限に抑えてナグナ深部まで潜り込めたはずだ。そこでグリセルダさん達を発見した彼は何を思ったのか。何を企んのだか。

 そして、その情報をクラウドアースに流したエドガーは、どんな気持ちでオレがナグナに来るのを待ちわびていたのだろうか。

 

「ウーラシールのレガリアだ。聖遺物を探してたんだろう? くれてやるよ」

 

 どうでも良いことだ。アイテムストレージから取り出したウーラシールのレガリアを、オレはエドガーに投げ渡す。だが、それを受け取った彼は緩慢とも言える動作でオレに近づき、跪くとオレの手に握らせる。

 

「このエドガー、確かに聖遺物を求めてナグナの地に参りました。ですが、この『力』はあなたにこそ相応しい。血塗れの聖女よ」

 

「……ふざけてるのか?」

 

「残念ながら、冗談は苦手なものでして。ですが、あなたはまさしく私が求める聖女そのもの。ならば、あなたが聖遺物を使う事にこのエドガーは何ら不満などありません。いえ、むしろ、このナグナで散った者達の無念が詰まったこの聖遺物は、あなたの手にこそ相応しい。どうか、その力で以って、狂える魔物を……深淵に呑まれた偉大なる騎士の魂を御慰めください」

 

 託すようにエドガーはそう唱えた。

 コイツが何を言いたいのか分からない。だが、ウーラシールのレガリアに未練が無いならば使わせてもらうとしよう。深淵の魔物を討つのに力は1つでも必要だ。

 

「……ノイジエルは死に際に言ってたよ。『こんな任務はしたくなかった』ってな」

 

 きっと、ノイジエルこそがいざという時に晴天の花を始末する役目を負った『刺客』だったのだろう。

 高潔な騎士であろうとした彼はどんな気持ちで信じた聖剣騎士団の所業を知らされたのだろうか? そして、どんな想いで、まるで贖罪でもするかのように、リーダーであるマックスレイを保護したのだろうか? そして、ひと時の善意に身を任せて、どんな結末で物語を終わらせるつもりだったのだろうか?

 全ての脚本はナグナを呑み込む暴力によって噛み砕かれたのか、あるいは『誰か』の手の内なのか。

 

「善意を示せ、エドガー。オマエが『人』であるならば」

 

 何であれ、もはや選択の余地は無い。8時間後に全てを決める戦いが始まるのだから。




<対戦カード公開>
お独り様VS深淵の魔物
ただし、今回いつもと違うのは自らの意思で独りで戦おうとする点です。


それでは、212話でまた会いましょう。

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