SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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ようやくブラボのレベルアップ無し+武器未強化+結晶+アイテム+回復不可+銃不可+バクスタ不可縛りをクリアしました。

筆者、頑張ったよ。ルドさんとローレンスとゴースが辛過ぎたけど、頑張ったよ。

これで心安らかにダクソ3を迎えられます。


Episode16-24 脱出劇

「さすがに4回戦は無いか」

 

 スタミナ切れでバランス感覚を失い、激しい動悸を伴った息苦しさが痛覚遮断の機能不全のせいで、以前よりも遥かに辛く感じるも、オレは深淵殺しにこびり付くザリアの残滓……その体液のような黒い光を、汚らわしいように刀身を振るって払う。

 感染率は98.86パーセント。多少の上昇こそあったが、ザリアに感染攻撃主体のものがなくて助かったな。あるいは、噛みつきでもされていたら爆発的に上昇していたのだろうか? まぁ、鮫も可愛らしいくらいにズラリと並んだ鋭い歯を持っていたザリアに噛まれでもしたら、肉は抉れるだろうし、そもそもオレではHPがフルでも耐えられるかどうかだろう。たとえギリギリでHPを残しても欠損ダメージでお陀仏だっただろうな。

 一呼吸入れて、オレは周囲を見回す。複数の遺品がその場に残り、静かにアイテムドロップの光として墓標の如く床に散らばっている。

 生存者はエドガー、ギンジ、グリセルダさん……そしてギンジくん超えの大馬鹿をやらかしたグリムロックだけか。

 たった4人しか生き残れなかった。あるいは前哨戦とザリアの強さを考えれば4人『も』生き残れたというべきか。

 前者に決まっている。そう言い切りたい。だが、胸の奥底では後者であると即断していた。本来ならば、この場に残れるだけの実力を持っていたのが、せいぜいオレとエドガーくらいであり、残りは運が良かっただけだ。特にギンジはいつ死んでもおかしくなかった。

 

「アンタ……本当にバケモノだな」

 

 4回戦無しの決着だと確信し、スタミナ切れになって大の字になって倒れるギンジは呻きながら、オレに向かって感嘆の声を漏らす。

 

「どうして立ってられるんだよ?」

 

「月並みに言えば、オマエとは潜り抜けた修羅場が違うんだよ。『この程度』は慣れている」

 

 そうさ。オレは前哨戦も、ザリア戦も、最後の変身も、全てにおいて動揺する事無く戦い抜く事が出来た。不愉快ではあるが、オレは『この程度』と言い切れるくらいに、理不尽な戦いを経験し過ぎたのかもしれない。

 ならば、同じくこの場で脱力する事なく立ち続けられるエドガーは? ザリア戦ですら底知れなさを感じさせ続けたエドガーに、オレは既に疑念を通り越して不信を覚えている。

 コイツの狙いが分からない。常に笑みを崩さないが、馬鹿の代名詞であるグローリーとは性質が違う。あの馬鹿はどんな苦境であろうとも揺るがぬ自我と信念の産物として笑顔を崩さない。だが、コイツの場合は神への狂信以外の何かを感じる。

 

「クゥリくん」

 

 と、そこにオレの思考を中断するように、複雑そうな、自分が生きている事の場違い感を滲ませるグリムロックが声をかける。顔面から柱にぶつかったが、特にダメージらしいダメージ表現は無い。鼻が砕けていれば面白かったんだがな。

 続く言葉を述べようとするグリムロックに、オレは深淵殺しを背負って首を横に振る。

 

「謝るような事はしてないだろう。今はグリセルダさんの元に行ってやれ」

 

「……そうだね」

 

 というか、そろそろ痩せ我慢も限界なので、オレも本音ではギンジと同じように腰を下ろしたい。先程から心臓が握り潰されるように痛く、上手く呼吸もできない。一気に後遺症が肥大化したのか、右目の視界もぼやけている。

 ヒートパイルの反動から回復してもなお、動けずにその場で蹲っているグリセルダさんの肩に、グリムロックはそっと触れる。

 

「生きてて……生きてて、本当に良かった」

 

 子どものように涙を流し、目を赤くしたグリセルダさんが片膝をついたグリムロックの胸に縋りつく。その嗚咽はこの場で死んだ全ての者への哀悼であり、自らの弱さの痛恨であり、夫と共に生存を果たした事への安堵に他ならないだろう。

 

「私は罰を求めていた。その為だけに生きて来た。生き恥を晒してきた。だけど――」

 

 泣きじゃくるグリセルダさんを癒すように、彼女の背中を摩り、胸を貸すグリムロックの呟きは、無音のボス部屋に染み込んでいく。

 

「自分の罪には自分で決着を付けなければならない。キミに断罪を求めるべきではなかった。だから……せめて、キミと、皆の、未来への礎になれれば良いと思っていた」

 

「あなたは……あなたは本当に馬鹿よ! 私は! 私は……私は……あなたと会う為に、もう1度出会う為に、この地獄を生き抜いてきたの! 皆を守ろうとか、引っ張っていこうとか、そんな浅ましい義務感や使命感で取り繕って、あなただけを求めて生きてきたの!」

 

 それは誰の目から見ても『強く』見えていたはずのグリセルダさんの内心の吐露だ。

 必死に嘘を吐いて、仮面を被って、本心と本当の願いを隠し続ける。そうしなければ、ナグナという地獄で一致団結してボス攻略を目指すなど夢のまた夢だったのだろう。そして、仮にそれを明かしてしまえば、グリセルダさんはきっと心折れた時に立ち直れなくなってしまうのだろう。

 

「そんなに罰が欲しいならあげるわ! 私の傍にいなさい! ずっと、ずっと、ずっと……私の愛する夫として、私を愛してくれる夫として、私を妻として、あなたの傍に置かせなさい! お願い、私を見捨てないで。本当の私は惨めで、情けなくて、1人じゃ何もできない……小さな存在なのよ」

 

「……それが罰ならば、私は受け入れるよ。この命が終わる日まで、キミと共にあり続ける。決して見捨てたりしない」

 

 グリセルダを強く抱擁し、彼女の頬に両手触れて親指で涙を拭ったグリムロックは、彼女の唇にそっと自分の唇を重ねた。

 ……これ以上はギャラリーは不要だ。つーか、人前でキスとかしてるんじゃねーよ! 頬が熱くなるのを感じながら、オレは遺品を1つ1つ回収しているエドガーの元へと向かう。なお、我らがギンジ君は興奮した様子で、ご夫婦の接吻を観賞しています。コイツも大概なくらいに元気なヤツだな。

 

「どうぞ、丸薬です」

 

「ありがとうって言っておこうか?」

 

 エドガーに近づくとオレの感染率を見越しているかのように丸薬を手渡される。まぁ、良薬で回復しても良いのだが、今は時間経過による感染率上昇の方がネックだからな。丸薬で良いだろう。どうせ95パーセント以下には下がらないだろうしな。

 少しドキドキしながら丸薬を齧って、無事に時間経過による感染率の上昇が停止した事を確認してオレはホッと胸を撫で下ろす。

 

「遺品は全て持って行くことができません。ですが、何かしらの証は必要でしょう。残された者が弔いを成す為にも」

 

「聖職者様らしいありがたいお言葉だな」

 

「このエドガーもまた道半ばの未熟者ですよ。これはベヒモスさんの分です。あなたがお持ちになるのがよろしいかと」

 

 そう言ってエドガーが差し出したのは、ベヒモスが装備していたゴーグル、そしてアイテムストレージの保存されていただろう、わざわざフォトデータをアイテムオブジェクト化した、彼にとって大切な思い出を意味するだろう写真だ。

 写真には太陽の狩猟団の面々が映り込んでいる。皆が笑顔というわけではないが、中心で豪快な笑みを零すサンライスが腕を組み、その周辺には太陽の狩猟団の腕利き達が並んでいる。この様子からするとギルド内の武闘大会の集合写真だろうか。ベヒモスの隣にはラジードの姿もある。

 

「そうだな。これはオレが持っているべきだ」

 

 そして、この遺品を渡すべき人も決まっている。ラジードにはありのままに伝えねばならないだろう。憂鬱ではあるが、ベヒモスはどれだけ惨たらしい死に様であったとしても、勝利に貢献して戦死したのだ。彼の末路をラジードに語り聞かせる義務がオレにはあるのだろう。

 

「たった4人か」

 

 誰も死なせないと誓ったのに、この様とはな。ヤツメ様はオレ以外が生き残った事に不愉快そうにしている。だが、オレも自分自身が情けなくて嫌になる。

 

「4人『も』だろ?」

 

 だが、いつの間に元気になったのか、ギンジがオレ達の元に歩み寄ってくる。彼はぶっきら棒にではあるが、まだ拾っていない、恐らくは太陽の狩猟団のヒーラーだろう女性の遺品を手に取る。

 

「アンタが最後に気張らなかったら、グリムロックさんは死んでたんだ。だったら、アンタは1人救った。命懸けで救った。オレもアンタに何回も助けてもらった。アンタもエドガーさんも、全員救えるスーパーヒーローじゃないんだ。だったら、助けてくれた俺たちを……俺を誇ってくれよ。じゃないと、何もできなかった俺自身が無様を通り越した間抜けじゃないか」

 

 そういうものだろうか。だが、ギンジも1度は救った聖剣騎士団の生き残りをザリアに殺されてしまう様を見せつけられている。ならば、彼の言葉は正しく、また重みが伴う。

 

「それでも、誰も死なせたくなかった」

 

 そう呟いて、オレは改めてボス部屋を見回す。エドガーが回収したとはいえ、全てがアイテムストレージに収納できない以上はここに残していくしかない。せめて、彼らの遺品を有効活用する方法を模索する方が、いずれ時間経過によって消滅する彼らの生きた証への弔いになるだろう。

 

「エドガー、望郷の懐中時計をくれ。グリセルダさんには必要だ」

 

「ええ、構いません」

 

 ユイのケースを考えれば、グリセルダさん達にも想起の神殿とステージを行き来する為のキーアイテムである望郷の懐中時計が必要になる。今から深淵の魔物に殺されたプレイヤー達の分を回収するには遅過ぎるが、ここで死んだ4人分はせめて活用するとしよう。

 さて、そうなると残る問題は3つ。感染の完全回復する為のナグナの万能薬のレシピ、外を徘徊する深淵の魔物、そして『アレ』だ。

 蠍のザリアの遺体、その亡骸の前で光る1つの指輪。再誕のザリアが最終形態で装備し、雷の斧を形成する力を与えていたようにも思えた。ボス撃破ドロップではなく、改めて入手しなければならないという事は、このイベントダンジョンの締め括りを成すものだろう。

 

「ギンジ、生きてくれてありがとう」

 

 指輪に近寄る前に、オレは足を止めてギンジへと振り返って笑いかける。

 オマエの言う通りだ。オレは全ての人を救えるスーパーヒーローじゃない。『アイツ』でさえ月夜の黒猫団を救えなかったのだ。ならば、オレが誰かを救えるなど烏滸がましいにも程がある。だったら、今ある結果を受け入れよう。オレは誰かを殺す事なく、確かに命を奪わずに救えたという事実を見つめよう。

 だが、どういうわけか、オレなりに素直に感謝を告げたのに、ギンジは顔を真っ赤にしてぎょっとした様子でしどろもどろになる。

 

「あ、アンタ、その顔は反則だろ!? 俺にはアニマが……アニマがいるんだぁああああ!? 断じて! 断じて、俺は、特殊な趣向をぉおおおお!?」

 

 ガンガンと柱に額を叩きつけて悶絶しているギンジくんはセルフ発狂して何がしたいのだろうか? そして、エドガーはオレに十字を切って祈る姿勢を取っているのは何なのだろうか。さすがにボス戦のストレスでぶっ壊れたのだろうか?

ギンジが発狂している間に、夫婦の抱擁と接吻に区切りをつけたらしい、グリムロックとグリセルダさんが、我に返って羞恥したように頬を赤らめて、明らかにオレ達に目を合わせないように視線を傾けながら合流する。

 

「そ、そう言えば、ザリアから貴重なアイテムがドロップしたわよ。純粋な雷帝結晶……確かボールドウィンがずっと探していた素材ね」

 

「良いお土産ができたね。フフフ、これでボールドウィンさんのあの計画も……実に楽しみだ」

 

 グリムロックも調子が戻ったようで何よりだ。いつものように鍛冶屋魂を燃え上がらせ、妖しく眼鏡を光らせている。コイツもギンジも、実は精神的にかなりタフネスな部類なのではないだろうか。案外、グリセルダさんの方が精神面は脆いのかもしれないな。

 恐る恐る、もしかしたらザリアが動き出すかもしれないと注意しながら、オレは指輪に触れる。すると自動的にアイテムが入手された。

 

 

<ウーラシールのレガリア:古き時代、かつて神の膝元にあったとされる魔法国家ウーラシールの王家に伝わる指冠の1つ。太陽の光の王が世界を統べる前から世界にあったとされる聖遺物の1つ。装備者の力を束ねて武具にする事ができる。攻撃の術を魔法に求めなかったウーラシールにとって、この指輪を持つ王は唯一の武力であり、王は騎士たちに力を貸し与えた。これの継承こそが王家たる由縁だった。だが、力に溺れた王はやがて闇の蛇に唆され、古き人の墓を暴いて闇に溶けて消えた>

 

 

 これがウーラシールのレガリアか。エドガーが探し求めていたナグナに眠る聖遺物その物だったとはな。思えば、ボス戦に【聖遺物探索】のグランウィルが参加した時点で、この事は分かっていた事だったかもしれない。

 レガリアの事をエドガーに知らせるよりも先に、オレ達を青い光が包み込む。その浮遊感は慣れ親しんだテレポートのものだ。目が眩むような光が去った時に、オレ達はそれまでのボス部屋から一変した、壁面から亀裂ように露出したクリスタルの青い光だけが光源を成す小部屋に立っていた。人工的に整地されているが、荒れ放題のそこには見るべきものなど1つだけ……人間1人分の石棺だ。

 そういえば、古いナグナは今でこそ研究都市だが、本当の古いナグナは地下遺跡になっているんだったな。ならば、ここはまさに古いナグナの中心部であったボス部屋の更に真下、古いナグナの遺跡の核とも言うべき場所なのかもしれない。

 オレは半開きになった石棺に近づいていく。グリムロック達も続き、まるで死者を悼むように石棺を囲む。

 その中に入っていたのは、ボロボロの黒金糸のローブを着た人骨だ。頭蓋骨から垂れる長い黒髪が辛うじて女性だと教えてくれる。そして、彼女が大事そうに抱きかかえるのは1冊の本だ。

 

「ふむ、魔女ナグナでしょうか?」

 

「そう考えるべきでしょうね。……ごめんなさい、その本をもらうわね」

 

 エドガーの問いにグリセルダさんが同意し、優しい手つきで本を抱きしめるナグナの手を剥いでいく。

 ナグナの本を入手したグリセルダさんは、皆の視線が集まる中で本を捲る。乾いた紙の音がナグナの霊廟に伝播する。

 

「あったわ。ナグナの万能薬のレシピよ。これで感染を完治させられるわ」

 

「やったぞぉおおお! これでアニマを助けられる! 俺はやったんだ!」

 

 グリセルダさんが歓喜の息を漏らし、ギンジが雄叫びを上げる。まったく、浮かれる気持ちは分かるが、まだまだ深淵の魔物という難題が残っているのだ。気を抜いてもらっては困る。

 ナグナの本を入手した事により、オレ達を再びテレポートの光が包み込む。ボス部屋に戻されたオレ達は、シャッターが上がり、ボス部屋の外に出られる事を確認すると、もう1度だけ遺品の整理をする。特にグリセルダさんは脱出組の遺品を丁寧に選別して回収し、1つ1つの思い出を噛み締めているようだった。グリムロックはベヒモスの遺品である6連グレネードをちゃっかり回収した。まぁ、アイテムストレージの消費は半端ないが、アレをこのまま塵芥にするのは勿体ないからな。そういう事にしておこう。

 ボス部屋から出てエレベーターに乗り、オレ達は終始無言で、ボス戦の疲れを癒すように沈黙を保つ。幾らナグナの万能薬のレシピを入手したと言っても、その為に払った犠牲は大き過ぎた。平然と振る舞っているように見えても、ギンジもかなり参っているはずだ。グリセルダさんなど綱渡り状態だろう。エドガーは知らん。

 

「我が同胞よ。上手く聖遺物を回収できたようだな」

 

 エレベーターから下りると、ボス戦に参加してくれたNPCであるグランウィルが出迎える。敵意は無さそうだが、どうにも胡散臭いNPCだ。警戒を怠るべきではなく、また初見らしいグリセルダさんは仲間の遺品の1つであるアサルトライフルを構えて距離を取ろうとする。

 だが、問題はグリセルダさんの反応ではなくエドガーの方だ。彼は『にっこり』と笑ってオレの横顔を見ている。うん、分かっているよ。後でちゃんと話すつもりだった。別にこのまま記憶の隅へとフェードアウトして持ち帰ろうなんて考えていたわけがない。あるはずがない。HAHAHA!

 

「これがウーラシールのレガリアだ」

 

 オレはアイテムストレージから取り出したウーラシールのレガリアを見せる。グランウィルは腕を組み、オレの掌の上にのったレガリアをしばらく眺めていたが、やがて残念そうに首を横に振った。

 

「これは私が探し求めていた聖遺物では無いようだ。聖遺物でも特に力を持つとされる王の証……レガリア。ウーラシールのレガリアこそが【北のレガリア】かと思ったのだが、致し方ない。気長に探すとしよう。人類の破滅が近いとはいえ、思いの外に黄昏は長いものだ」

 

 北のレガリアか。どうやら、レガリア関連の聖遺物はグランウィルの長期キャンペーンイベントの1つのようだ。聖遺物でもレガリア関連を辿っていけば、またグランウィルと再会できるかもしれない。

 

「かつて竜を祀り、そして毒に呑まれたとされる聖壁の都サルヴァ。眠り竜が抱くとされる【サルヴァのレガリア】……それこそが北のレガリアなのか。気を付けろ、我が同胞達よ。サルヴァは猛毒で濡れ、幻影となった騎士たちが都を守護していると聞く。幻影の騎士たちを倒すならば、彼らの本体……棺に納められた遺体を破壊しろ。ザリアとは違う穢れに満ちた都、竜殺しとなる。準備は怠らない事だな。ククク、これは餞別だ。受け取るが良い」

 

 最初に出会った時とは違い、饒舌になってグランウィルはオレ達に、恐らく次に再会できる場所だろう、サルヴァの情報をくれる。なるほど、幻影の騎士か。かなり厄介そうな相手だが、グランウィルの情報さえあればスムーズに撃破できるかもしれない。というか、召喚して彼のイベントを進めた事で好感度が上がり、情報を提供してくれたと見るべきだろう。そうなると、院長室では情報を出し惜しみされたのかもしれないな。糞が! こういう時にNPCからの情報提供を多く得られる≪交渉≫スキルが欲しくなるな。まぁ、得る機会があっても取る気はないが。

 グランウィルは手のひらに2つの指輪をのせて差し出す。イベントクリアの報酬だろう。オレは指輪の1つを受け取る。

 得られたのは【竜殺しの指輪】だ。ドラゴン系への攻撃に特効効果を付けられるらしく、サルヴァの攻略……話しぶりからしてボスとして待ち構える眠り竜との戦いで有利に働くだろう。どうやら、元々は【竜狩り】オーンスタインが率いた竜狩り部隊の証だったらしい。

 だが、グランウィルはオレが指輪を得た後も手を差し出したままだ。当然ながら、指輪はもう1つ残されている。

 

「ククク、我が同胞よ。過ぎた欲は身を滅ぼすぞ?」

 

 もう1つ貰えるのかと思い、手を伸ばすとグランウィルにこう笑われる始末だ。どうしたものかと悩んでいると、グリムロックが脇から手を伸ばして指輪を受け取る。

 

「クゥリ君と同じ物みたいだね」

 

 オレの持つ竜殺しの指輪と見比べたグリムロックの言う通り、グランウィルが差し出した指輪は2つとも同じものだ。

 グランウィルはザリアの遺体を調べたいと言い残し、エレベーターで地下へと消えていく。このまま同行して深淵の魔物戦に参加させてやろうというオレの意図は挫かれたが、お助けNPC1人が加わったところで深淵の魔物戦が劇的に変わるとも思えない。

 何よりも疲弊し過ぎた。深淵殺しは目立った破損こそないが、スパークブレードは半壊である。マシンガンはグリムロックから銃弾を貰って補充したが、致命的な精神負荷を受容した事によって、オレ自身のコンディションが急行落下だ。この状態でヤツとはとてもではないが戦えない。

 

「見て、空が……」

 

 ボス部屋があった古いナグナの内区画のドーム状の研究所から1歩外に出ると、先程まで赤黒い雲で覆われていた空は晴れ、星々と上弦の月が空で輝いている。空気も正常になったかのようであり、ナグナを呪っていた災いが消え去った事が肌で分かった。

 

「駄目ね。深淵の魔物が陣取ってるわ」

 

 後は地下街に帰るだけだ。だが、オレ達は内区画から中区画に抜ける為の門の付近で休息を取りながら、双眼鏡で脱出ルートの確認をしていたグリセルダさんの苦渋の声を耳にする。

 やはり立ち塞がるか。ギンジは拳を握り、グリムロックは天を仰ぎ、グリセルダさんは唇を噛む。ようやく万能薬のレシピを手に入れたというのに、ザリアよりも遥かに厄介だろう深淵の魔物が徘徊しているのだ。

 オレが時間を稼ぐべきだろう。先程のように、深淵の魔物を殺そうとは思わない。回避に撤すれば、こんな状態でもグリセルダさん達が通り抜けるだけの時間は稼げるだろう。

 

「オレが――」

 

「時間稼ぎの役目、このエドガーが請け負いましょう」

 

 だが、オレの発言は1歩前に出てグリセルダさんに進言したエドガーによって掻き消される。

 

「どうやら【渡り鳥】殿は『お疲れ』のご様子。グリムロック殿もグリセルダ殿も深淵の魔物相手に時間稼ぎはできますまい。ギンジ殿は言わずもがな」

 

 不意にオレを貫いたエドガーの視線は、隠し通しているはずの後遺症について見抜いているかのように鋭い。静かにオレは左手の拳を握り、やや霞む右目をエドガーから逸らした。

 グリセルダさんは少しの間だけ口元に手をやり、思案した様子だった。だが、すぐに結論は出たのだろう。

 

「駄目よ。全員で生きて帰るわ。深淵の魔物はビル上に陣取っているし、索敵範囲も広い。だけど、奴は内区画まで入ってこれない。我慢比べは分が悪いけど、だからといってこれ以上の交戦は控えるべきよ。それにエドガーさんも疲弊していないわけではないでしょう? 自分で分からない場所に疲労は溜まっているものよ。自信満々で深淵の魔物の前に飛び出して死なれては『私たち』が困るわ」

 

 だよな。エドガーの申し出を否定し、その上で先に囮を言い出そうとしたオレを睨むグリセルダさんは、何とか精神を持ち直しているようだ。

 

「でも、早くアニマに万能薬を届けないと」

 

「地下街を出発したのが午後11時。今は午前3時半。アニマさんは丸薬の効果も無事に発動したし、午前11時までは感染で死ぬ危険は無いわ。問題はナグナの万能薬に必要な素材ね」

 

 焦りを示すギンジに、グリセルダさんは万能薬のレシピを明かす。万能薬の作成には、まずベースとなるナグナの良薬が必要になる。そこに【月光花の蜜】・【流星の清水】・【ベルカの赤果実】を調合する必要がある。ちなみにオレの≪薬品調合≫の熟練度では、調合道具が無いとはいえ、現時点では素材を集めたとしても成功率は1パーセント未満という超高難度である。

 だが、それだけに効果は絶大だ。使用すれば完治するだけではなく、240時間感染する事も無い。格段にナグナの難易度は下がるだろう。ただし、100パーセントに到達した状態の末期状態は治癒できないようだ。逆に言えば99.99パーセントまでならば治せる。

 

「ヨルコなら作成できるでしょうけど、ベースになるナグナの良薬は在庫が無いのよ。月光草は山ほどあるけど、黒色マンドレイクは【虹マンドレイクの苗】で生産できる中でもレア品なのよ。地底湖の水辺なら幾らか入手できるけど、そこは深淵の魔物の縄張りだし、食人植物が無数といて探索はほぼ絶望的よ」

 

 グリセルダさんの言う通りならば、オレ達は虹色マンドレイクの苗を必死に育ててスーパーレアの黒色マンドレイクがゲットできるまで農民と化すか、深淵の魔物を潜り抜けた挙句に食人植物いっぱいの地下ジャングルに、この戦力不足の状態で突入しなくてはならないのか。考えただけで頭が痛くなる。

 

「他の素材は?」

 

「……せいぜい4、5人分といったところね。それに幾らヨルコでも作成失敗は十分にあり得るわ。なんにしても全員分は無いわね」

 

 悩ましそうにグリセルダさんは腕を組んで唸る。そもそも古いナグナを脱出する時点で深淵の魔物と強制エンカウントのリスクがあるというのに、万能薬自体も作成に難があるとはな。

 

「でも、確か流星の清水とベルカの赤果実はクラウドアース系列で取り扱っていたはずだよな。だったら、誰かが先に万能薬を使って外に出て、材料を買ってくるのはどうなんだ?」

 

「悪くない案ですな。ですが、私も黒色マンドレイクというアイテムが市場に出回っているなど聞いた事もありません」

 

 ギンジの発案は信頼ある人物に任せられるという前提さえクリアできれば、悪く無い策だ。だが、エドガーの言う通り、オレも黒色マンドレイクなんて出回っているなんて聞いた事が無い。そもそも虹マンドレイクの苗なんてアイテムも初耳だ。恐らくナグナで入手できるマンドレイク系生産アイテムなのだろうが、他のマンドレイクはNPC商人か、高難度のそれぞれの色のマンドレイクの苗を育てる他に無い。

 割と≪薬品調合≫でも≪錬金術≫でもマンドレイク系は使うから需要は高いのだが、それに供給が追い付いていないのが現状だ。やはりレアアイテムだからな。どうしたものだろうか。

 

「これでは堂々巡りだね。まずは万能薬を1つ作ってアニマさんを助ける。それで良いんじゃないかな?」

 

 グリムロックの言う通りだ。まずは1番危険なアニマを何とかして助けなくてはならない。全てはそこからだ。まぁ、オレも感染率95パーセント突破でアニマと同じ状態なのだが、それはこの場で言っても仕方のない事だろう。

 いざとなれば、深淵の魔物を潜り抜けてグリセルダさんが言う地底湖に殴り込みをかければ良い。というか、ここまで来たらプランなどそれくらいしかない。

 

「あれこれ先の事を考えるのは止めだ。その前に何とかしてここから脱出する。それに良薬はオレがベヒモスから1つ預かってるから、とにかく地下街に到着すればアニマは助けられる」

 

「ベヒモスさんが? どうして隠して……いえ、死者の胸中なんて誰にも分からないわね」

 

 良薬をどうしてベヒモスが隠していたのか疑問を抱いたグリセルダさんだが、既にその答えを知る機会は無いのだと目を伏せた。

 死者の胸中は誰にも分らない。だが、死人は蘇り、死人だった生者が新たな死人に黙祷を捧げる。

 狂っている。この世界はいつから唯一絶対だった生死の摂理すらもねじ曲がってしまったのだろうか。あるいは、仮想世界によって新しい摂理が生み出されようとしているのだろうか。

 

「……古いナグナからの脱出の方法だけど、1つ腹案があるんだ」

 

 と、そこで勿体ぶったように、グリムロックがやや怪しい笑みを浮かべながら右手の人差し指を立てる。全員がそれに嫌な予感を覚えたはずであるが、敢えて誰も何も言わずに、グリムロックの言葉の続きを待つ。

 ゆっくりと、まるで神の啓示を見つけたかのように、グリムロックは人差し指を中区画のビルの1つに向ける。

 

「『アレ』を使おう」

 

 隻眼のせいで有効視界距離が短いオレは夜間である事も合わさって、グリムロックが何を示したのか分からず、仕方なくグリセルダさんから遠望鏡を借りて確認する。それはスポットライトを浴びて存在を証明している『アレ』の姿だった。

 

「……いや、駄目だろう。ゾンビ展開で『アレ』は駄目だろう」

 

「俺もそう思う。世に言うカ○コン製だと思う」

 

「ですが、賭けに出るにしては悪くないかと」

 

「そうね。このまま時間を浪費するのも惜しいわ。それに、今まで『アレ』にスポットライトなんて当たっていなかったもの。きっとボスを撃破して使えるようになったという合図でしょうね。あなた……『使える』のよね?」

 

 反対はオレとギンジの2名、グリセルダさんとエドガーを合わせれば賛成は3名か。多数決の原理に従い、グリムロックの案が採用される。

 グリムロックが示したビルまで内区画のゲートから直線距離にして100メートルほどか。ビル内部には警備ロボットが配備されているとの事だが、探索済みのグリセルダさん曰く、屋上の1つ下の階までならば直通のエレベーターを探索時に起動させてあるとの事だ。

 オレ達がゲートを潜り抜けた瞬間に、深淵の魔物の遠吠えが鳴り響く。ヤツはこちらを見失ってなどいなかった。恐らく、オレ達が内区画を目指している事、そして目的を果たせば再び外区画へと戻る事を読んでいた。どう足掻いても中区画を通り抜けねばならない以上は、ヤツがこちらを諦める道理はない。

 オフィスビルのようなエントランスを通り抜け、グリセルダさんがエレベーターのボタンを押す。どうやらエントランスにはモンスターが配置されていないようだが、エレベーターが降りて来るまでの僅かな時間の間に、深淵の魔物の鳴き声がどんどん近くなる。

 

「早く早く早く早く!」

 

 荒々しくギンジがボタンを連打するも、そんな事をしてもエレベーターが降下する速度は変化しない。オレは深淵殺しの柄を握りながら、もしもに備えてエントランスの入口を睨むも、それよりも早くにエレベーターが到着する。

 

「20階まで5名様ご案内……ってか?」

 

 入口のガラスドアに深淵の魔物の陰が映ったタイミングで、オレはエレベーターが上昇できる限界である20階のボタンを押す。グリセルダさんは胸を撫で下ろしてグリムロックに寄りかかる。ギンジも腰が抜けたように壁にもたれてずるずると腰を下ろそうとするが、オレはそれを許さずに彼の襟をつかむ。

 

「20階到着だ。愛しのアニマちゃんを救うラストランだ。気張っていくぞ」

 

 あっという間にエレベーターは20階に到着し、ドアが開くと同時に浮遊していたボール状の警備ロボットをオレは深淵殺しで叩き落とす。大ダメージで一撃撃破であったようだが、とにかく数が多く、次々とレーザーを撃って来るも、避けるのも面倒なので深淵殺しを盾にして無理矢理ガードする。HPがガリガリ削られていく中で、エドガーが階段のドアを蹴破り、グリムロック達を先導して駆け上る。

 これで最後の白亜草だ。もしゃもしゃと草の味をしっかりと舌で転がしながら、なおも1発の威力は低いが、とにかく数で押してきてレーザーを雨のように撃ってくる警備ロボットから彼らの背中を守るべく、深淵殺しの表面が剥げていく音を聞きながらもガードし続ける。

 そうして屋上に到着すると同時にエドガーが扉を閉める。警備ロボットがレーザーをガンガン撃ち込んできているので長くは持たないだろうが、どちらにしても時間は無い。

 

「深淵の魔物が!」

 

「分かっている! ギンジ、エドガー、先に乗り込め!」

 

 オレ達を迎え入れた、空に近いビルの屋上で待ってくれていたのは、ゾンビゲームの脱出の定番であるヘリコプターだ。この時点でオレもカプ○ン製なのではないかと不安になるが、もはやこれ以外に深淵の魔物を振り切る術は無い。ヤツが追ってこれない空を飛ぶだけだ。それに何より、DBOでは空を飛べる乗り物は基本的にイベント以外では操縦できない。飛竜やペガサスでもプレイヤーが騎乗した状態では高度を上げる事はできず、せいぜい滑空や時間限定の上昇程度だ。

 ならば、このヘリコプターは恐らくボス撃破後に古いナグナの外まで移動できるショートカットの意味があるはずだ。

 

「あなた、操縦できるの!?」

 

「現実ではヘリの免許は持っているんだけど、ここはゲームだからね。システム的には……駄目だ! 熟練度が足りなくて下方修正が!」

 

「少しでも飛べるなら上等だ! さっさと動かせ! ヤツが来る!」

 

 操縦席に乗り込んだグリムロックの発言に、コイツは現実世界でも万能な野郎だなとオレは笑いながらも、首筋をぞくぞくと駆ける闘争心が、ビルの壁面をよじ登っている深淵の魔物の息吹を感じ取る。

 風を巻き起こし、ヘリコプターが起動する。大型の軍用ヘリに近しい外観は物資運搬を目的としたものだろうか。広々とした後部空間に入り込んだエドガーとギンジが手招きし、ギリギリまで深淵の魔物を見張っていたオレを呼ぶ。

 

「【渡り鳥】殿! 急いでください!」

 

 深淵の魔物の異形の左手、その先端がビルの縁にかかる。オレは後ろ髪を引く闘争心を諌め、ヘリコプターへと駆けるが、それよりも先に深淵の魔物が屋上に到着し、空へと逃げようとするオレ達を逃がさないというように右手の大剣を振り上げる。

 このままではヘリコプターごと斬られる! オレは咄嗟に深淵殺しを抜き、真っ向から深淵の魔物に突っ込んだ。オレの存在を目視した深淵の魔物はターゲットを切り替え、こちらに向けて右手の大剣を振るい抜く。それに対して、オレは高く跳躍し、あえて深淵の魔物の正面でふわりと舞う。

 来い。オレは破損覚悟で深淵殺しを盾のように構え、続く右手の大剣の斬り上げを敢えて深淵殺しでガードする。強烈な衝撃と共に亀裂が入った深淵殺しであるが、魔物のパワーがオレを空へと高々と吹き飛ばし、飛翔を開始したヘリコプターの高度まで到達する。

 だが、横の距離が僅かに足りない。1メートルほど足りない。ならばと≪両手剣≫の回転系ソードスキル【バスタード・リング】を発動させる。空中での追撃系ソードスキルであり、2回転斬りを放つ燃費が悪い上に火力ブーストが低いせいで評判が悪いソードスキルだが、その最大の利点は硬直時間が極めて短い点だ。ソードスキルの推力で真横に移動し、そのままヘリコプターの開かれたドアの縁を掴んでオレは乗り込むとさすがに生きた心地がしなかったと息を吐く。悪いが、こんな命懸けの人間花火は2度とご免だ。

 

「本当に無茶苦茶だぁ!? アンタ、いい加減にしないと本当に死ぬぞ!?」

 

「あー、ギンジくん、熱血のところ悪いけど、一難去ってまた一難だから衝撃に備えろよ?」

 

 オレの襟をつかんでガクガクと首を揺らすギンジに、とりあえず本能の警告をそのまま伝える。その数秒後に、深淵の魔物が放った黒いレーザーがヘリコプターに直撃し、大穴を開けてポリゴンの欠片が花吹雪のように舞う。

 

「ぐぅううう! コントロールが!?」

 

「そんなもの最初から無いだろうが! 少しでも距離を稼いで不時着しろ!」

 

 グリムロックは元よりフラフラ運転だったので、この程度は誤差でしかない。むしろ、破損している分だけ落下が分かっているので精神衛生上大変よろしい。

 やっぱり○プコン製だったか。崩壊していきながらも、何とか中区画を突破し、外区画にまで到達しながら黒煙を撒き散らしてヘリコプターは公園らしい広々とした場所へと落ちていく。

 地面を抉り、何度も何度もベルトで固定していない体が天井や床に叩き付けられる中で、ヘリコプターは何とか停止し、建物に激突する1メートル前で停止する。その後、何事も無かったようにポリゴンの欠片となって完全に砕けた中では、HPを全員が半分近く減らした状態でぐったりとしていた。さすがのエドガーも尻餅をついている。オレも体を大の字にして空を見上げたまま動くことができない。さすがに全身を毬のように叩き付けられてしまったのだから、痛みで動く気にもならない。

 

「……生きてるか?」

 

 オレの問いに誰も反応しない。エドガーすらも、さすがに笑みを引っ込めてうな垂れている。今回ばかりは全員が三途の川を見たようだ。

 だが、いつまでもグロッキー状態のままへばっている訳にもいかない。立ち上がったオレは周囲を警戒し、ここが最初に3体の強化巨人兵と鉢合わせになった、地下街に続く地下駐車場の近くだとマップデータで判断する。

 数秒遅れで何事もなかったように振る舞いながらもエドガーが、顔面をコンクリートの地面で擦って尻を突きあげた状態のグリムロックを引っ張り起こしながらグリセルダさんが、燃え尽きたように目が虚ろのままへたり込んでいるギンジが最後に立ち上がる。

 

「2度と、ヘリなんて、乗らないわ」

 

 燐光草をもしゃもしゃと食べながら決死の飛行の感想を漏らすグリセルダさんには同意だ。どうせDBOでこの先ヘリに乗るような機会は無いだろうが、仮にあったとしても全力でお断りだ。

 だが、これで中区画を突破する時間すらも短縮できた。深淵の魔物に足止めされた時間を考えれば、結果的にはマイナスであるかもしれないが、このショートカットは大きい。特に想定されていた雑魚との数戦もまとめて吹っ飛ばした。深緑霊水を飲んでHPを回復させながら、オレ達はもはや深淵の魔物も追って来れず、またモンスターと遭遇するリスクも無い地下駐車場……更にその先の地下街へと続く通路へと入り込む。

 

「壊れちゃったな」

 

「いつもの事だ。ボールドウィンに修理してもらうさ」

 

 亀裂が入った深淵殺しを見てギンジがそう零す。雨のようなレーザー攻撃を防いだ直後に深淵の魔物の大剣攻撃だ。幾ら対深淵の魔物を想定していたとしても、頑丈な深淵殺しも耐えきれなかった。だが、この程度ならば修理はできるだろうから問題は無い。むしろ、普通の武器ならば下手をせずとも真っ二つになっていた場面なのだから、ボールドウィンには感謝しきれないくらいだ。

 

「皆に、何て伝えるべきかしらね」

 

「ありのままに言うしかない。勇敢に戦って死んだ。それくらいしか、言いようがない」

 

 古いナグナを突破し、地下街に近づくにつれて明るくなるかと思えば、逆にグリセルダさんの顔は暗くなるばかりだ。それもそうだろう。脱出組はグリセルダさん以外全滅だ。彼らを待っていた人たちもいるはずである。たとえ、万能薬によって感染が癒されても、隣にいてくれる人がいなければ、旅立ちにどれだけの幸福があるだろうか。グリムロックは慰めているが、彼も本心からそれを告げている訳ではない。

 確かに脱出組は勇敢に戦った。だが、その半分近くの命を奪ったのは、DBOの……茅場の後継者の醜悪な罠だ。ならば、情報収集が甘かったのではないかと責められるのはリーダーたるグリセルダさんだ。

 虚言ではないが、真実でもない。ならば、何と答えるのが正しき事なのだろうか。

 

「悩む事などありません。グリセルダさんは立派に役目を果たされました。それはこのエドガーも認めるところです。何1つ恥じる事無く、つかみ取った成果を皆に伝え、勝利を喜びましょう。『我らは勝ったのだ』と」

 

 エドガーにオレも賛成だ。結果で見れば、どれだけ戦死者を出そうとも、当初の目的であった万能薬のレシピは入手できたのだ。ならば、この戦いはグリセルダさんの……いや、脱出組の勝利だ。それは揺らがない真実だ。

 グリセルダさんもエドガーの言葉に納得こそしていないが、現状ではそれが最も適切だと判断したのだろう。小さく頷く。

 

「で、ギンジくんは愛しのアニマちゃんには想いを伝えるのか?」

 

「……言わないよ。アニマが好きなのはリーダーだ。俺はそれで良いんだ」

 

 グリセルダさん側は決着がついたので、オレは生還を成し遂げたギンジに恋心を伝えるのか否か尋ねたが、その回答は想像していたものと違った。

 寂しそうにギンジは自分の右手を見つめている。そこに何を重ねているのかはオレには分からないが、それはこの戦いの中で彼が見出したものだろう。

 

「アニマに振り向いてもらいたいって、ずっと思ってた。でもさ、俺は……リーダーとは違うんだなって分かったんだ」

 

「違う?」

 

「そう、違う」

 

 悔しそうに、でも、何処か清々しそうに、ギンジはオレを横目で見て微笑む。

 

「アニマは怖がりで、寂しがりで、ずっと傍にいてくれる人こそ好きなんだ。頼れる人でも、守ってくれる人でもない、傍にいてくれる人がね」

 

「…………」

 

「チクショウ。気づきたくなかったなぁ! 俺にも勝ち目があるかなぁって思ったんだけどな!」

 

 涙を零しながらも、ギンジは晴れ晴れとしている。アニマへの気持ちは嘘偽りなく、また断ち切る気もないのだろう。それは、愛に殉じてこの死闘に赴いた彼の信念なのだから。

 だが、どれだけ1人の女性の為に戦おうとも、その胸の内にある最も愛する人の席は奪い取れない。『それはそれ、これはこれ』なのだ。

 

「だったら、オマエも傍にいる人になってやれ」

 

「でも、俺はアニマを――」

 

「力を蓄えて愛しいアニマちゃんを守る? その為に上位プレイヤー級の力を求めるのか? 今のオマエならできるだろうさ。だがな、オマエが欲しいのはアニマの心だろ? だったら迷うな。まだマックスレイも告白してないだろうし、アニマも奥手っぽいからな。ガンガン攻めればオマエにも勝ち目があるさ。だけど、略奪愛だけはするなよ。面倒な暗殺依頼がオレに舞い込む事になるからな」

 

 最後だけはジョークで付け加えたが、ギンジはその部分を本気にしたらしく、頬を引き攣らせながらオレから1歩距離を取る。……これは本当にオレの悪評が何処まで嘘と真実が混ざり合っているのか調査する必要があるな。

 間もなく地下街に到着だ。分厚い金属製の扉で封鎖されているが、更にバリケードのようなものも複数ある。戦闘要員が全員出払っているので、自衛手段としてバリケードの増設を行っているのだ。とはいえ、こちらからのモンスターの侵入はほぼ無いので保険に過ぎない。

 乱暴ではあるが、深淵殺しでバリケードを破壊していき、扉の前に到着するとグリセルダさんが鍵を差し込む。そして、重々しい黒塗りの金属扉を押し開けた。

 ようやく戻って来れたナグナは夜も深い事もあってか、すっかり寝静まっているようだ。とはいえ、地下街なので昼も夜も無いんだがな。

 

「疲れたな。さっさとヨルコに万能薬を伝えて――」

 

 休もう。そう言い終えるより先に、本能が、ヤツメ様が、深淵殺しを抜剣して振るう。それは頭上から急行落下していた何かを両断する。

 それは巨大な蚤のようなモンスターだった。縦に割れた蚤は手足をヒクヒクさせ、数秒後に赤黒い光となって爆散する。

 

「モンスター!? まさか侵入されたの!?」

 

 アサルトライフルを構え、グリセルダさんが周囲を警戒し、それに続くようにグリムロックも強化警棒を構える。ギンジも緊張した面持ちでアニマの病室に駆けたいのを堪えるようにデス・アリゲーターを抜いた。

 だが、蚤はオレが切断した1匹だけらしく、戦闘の騒動が起きても地下街に人影は無く、静寂に包まれている。

 いいや、違う。ペタペタと、素足で何かが角の向こうから歩いて来る音が聞こえた。オレは深淵殺しを肩にのせながら、ゆっくりと足音の方へと近づく。

 角から現れたのは、いかにも頑固面のジジイにして、深淵殺しの生みの親であるボールドウィンだ。

 

「ボールドウィン、一体何があったの? どうしてモンスターが――」

 

「グリセルダさん……逃げるんじゃ」

 

 詰め寄ろうとしたグリセルダさんに、ボールドウィンは震える唇で警告する。

 

 

 

 そして、ボールドウィンの体から腹より真っ二つに割れ、ずるりとズレ落ちた。

 

 

 

 赤黒い光が飛び散り、上半身を痙攣させるボールドウィンの背中を『彼』が踏みつけ、その後頭部に向けて刃を振り上げる。

 そして、オレは気づく。地下街の各所に、特に隅っこに、『まるで何かから逃げた跡のように』遺品たるアイテムドロップが集中している事に気づく。

 

「嫌よ……嫌ぁあああああああああああ!」

 

 必死に繋ぎ合わせていたグリセルダさんの心が再び壊れる音が聞こえる。それを庇うように、グリムロックはせめてボールドウィンの最期を見せまいと、グリセルダさんを抱き寄せて自分の胸に顔を埋めさせる。

 ああ、どうしてこうなったのだろう。オレは間に合わないと分かっていながらも、深淵殺しを担いで突進する。

 だが、どうやっても間に合わず、分厚い『戦斧』がボールドウィンの頭を叩き割り、赤黒い光を飛び散らせる。それは死を呼ぶ一撃となり、彼の体が赤黒い光となって爆散する。溢れた血潮のような赤黒い光の中で、オレは『彼』に深淵殺しを振るい、『彼』はそれに応じて戦斧を薙ぐ。

 火花が散り、STR負けしたオレが弾き飛ばされ、だが体勢を崩さずに床を滑り、右手の指で床をつかんでブレーキをかけたオレは『彼』を睨む。その全身から、薄っすらとだが、黒い霧のようなものを撒き散らす……名高き騎士であり、気高き戦士だったはずの男を見据える。

 

 

 

「時間が……無イんだ。私に、時間ヲくれ。必ズ万能薬を見つけテくる。だから……だから、時間をクれぇええええ!」

 

 

 その全身に纏うのは、銀色の雄々しき甲冑。

 右手に握るのは、数多の強敵を屠り、多くの者に勇気を与え続けた大斧。

 左手にあるのは、自分と仲間を守るためにかざされ続けた円盾。

 

 聖剣騎士団幹部、円卓の騎士の1人、ノイジエルが獣のように咆えた。まるで……消えかけの蝋燭に縋りつく赤子のように。




一体いつから、深淵の魔物しか脅威が無いと錯覚していた?


それでは、210話でまた会いましょう。

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