SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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ついに200話到達してしまいました。
しかも本作の執筆もいよいよ2年目に突入です。
おかしいですね。ブラボ要素を組み込んでも、ストーリーの大筋自体は1年前からほとんど手を加えていないはずなのに。


Episode16-15 罪人の旅路

 さて、どうしたものか。自宅にて煙草を咥えながら、資料を広げるスミスは今後のカリキュラムについて思案を重ねる。

 初日という事もあり、まずは邪魔なプライドを砕く事に執心し、手厳しい言葉を投げ続けたが、実際のところはそこまで筋が悪いわけではない。むしろ、スミスが予想していたよりも遥かに才能と成長性を感じさせられ、内心では驚いていたものである。

 だが、それも当然と言えば当然だ。キリマンジャロの正体は敢えて触れないが、彼の戦闘経験値は一般人の範疇ではない。現在でも最強格の傭兵として名高く、多くの依頼をこなしてきたのだ。シノンも最初期から傭兵として多くの死線を経験している。彼らの実績はそのまま彼らの才覚と能力の高さを表している。

 

(だからこそ、アンバランスと言うべきか。シノンくんはともかく、キリマンジャロくんは矯正が必要だな)

 

 そもそも武道など率先して学ばなければ学校の授業程度しか触れる機会は無いだろうし、そもそも21世紀の若者が喧嘩三昧の日々を送る、暴力的な不良ばかりであるはずもない。故にキリマンジャロに格闘戦の基礎が無い事も重々理解できる。

 

(ソードアート・オンライン。良くも悪くもゲームとしての完成度が高過ぎたと言うわけか。これは大仕事になるな)

 

 対してDBOは『ゲームの皮を被った現実世界の延長となる異世界』と捉えた方が正しいくらいだ。システムは率先して利用すべき要素であり、頭に叩き込まなければならない必須事項であるが、それ以上にプレイヤースキル……いや、戦闘技術が要求される傾向が強過ぎる。

 

(あるいは、それこそが狙いか? やはり茅場の後継者と茅場晶彦の真の目的は……)

 

 どうでも良い事か。すぐにスミスは追究の思考を停止させる。彼らの目的がなんであろうとも、スミスには興味が無い事だ。今の彼が成すべきなのは、キリマンジャロとシノンへのカリキュラムの構築である。

 しばらくは格闘戦のいろはを叩き込むにしても、彼らの成長性は高い。特に元より近接適性が高いキリマンジャロは驚異的な速度でこちらの技術を物にしているようにも思える。現時点でも並以上の相手でも、たとえ肉弾戦でも後れを取ることは無いだろう。だが、癖が強い最上位クラスの傭兵達や各勢力の最高戦力を相手にするとなると不安と課題を感じずにはいられない。

 よく協働する機会に恵まれるので熟知しているが、ユージーンは天賦の才を持つ男だ。剣術・格闘術・戦術眼の全てがハイレベルで纏まっている。加えて、彼は明らかに桁違いとも言うべき何者かによって現在進行で鍛えられているのは間違いない。ややプライドが高過ぎる傾向もあるが、それは弱点というよりも強みだ。

 ランク2のライドウは狂犬という表現が良く似合うバトルジャンキーである。しかも格闘戦のプロフェッショナルである。現時点ではキリマンジャロの天敵とも呼ぶべき相手だ。だが、彼はラストサンクチュアリ壊滅の依頼を受けるような真似をしないだろう。ライドウはクラウドアースの契約傭兵ではあるが、その性質故にコントロールが難しい。先日のシャルルの件に唯一外されていたのは、戦力の温存よりもそちらの性質の方が厄介だったからだろう。

 とりあえず、注意すべきはこの2人だ。ラストサンクチュアリ壊滅作戦で真っ先に候補に挙がるだろう傭兵である。スミスに言わせれば、ユージーンとライドウが組んで襲撃をかけるなど万に1つも無いと思うが、この2人が同時に現れれば、【聖域の英雄】は無残にも敗れ去る確率が高い。

 だが、一方でクラウドアースの最高クラスの傭兵2人を派遣するとなれば、ラストサンクチュアリを裏で支援する聖剣騎士団も黙ってはいないだろう。そうなると、同じ傭兵であり、ライドウと引き分けた経歴を持つグローリーが協働として派遣されるのは確実だ。

 

(ユージーン君とならば現時点でも十分に戦える。問題はやはりケース2の方だな)

 

 ケース2とは最悪のパターンであり、最も確実視される組み合わせ。ユージーンとクゥリによる協働だ。ある意味でストレートな暴力を好むライドウならば、やりようは幾らでもある。馬鹿正直に倒しきる必要はないのだから。

 

(剣術に限ればクゥリ君は敵ではないだろう。だが、それはスポーツマンシップ、騎士道に則った試合ならばの話だ。死合であるならば、その時点でメンタル負けしている)

 

 多様な武具とアイテムを使いこなし、高い回避能力を持ち、なおかつキリマンジャロの癖を知り尽くしているだろうクゥリが彼を殺しにかかるならば、剣の間合い外から嬲り殺しを間違いなく選ぶだろう。傭兵として援護に回り、適度なダメージを与え、デバフを駆使し、クラウドアースの依頼に基づいてユージーンに華を持たせる。そんなところだろうか?

 徹底したビジネスライクのスミスだからこそ、クゥリの依頼達成に関する執着には確信を持てる。

 

(やはり協働相手が肝になるな。私ならばクゥリ君だろうとユージーン君だろうと抑えられるが、彼らを相手取るならば最低でも500万コルは積んでもらわなければならないだろうな)

 

 それに何よりもスミスは独立傭兵だ。大ギルドの揉め事、それも金払いの良いクラウドアースと敵対する側なんて傭兵業に大きな悪影響を持つ依頼などご免被りたい。もちろん、依頼が来れば独立傭兵として一考するが、その後の傭兵業へのマイナスを配慮した報酬を貰わねば釣り合わないのである。

 とはいえ、そんな状況になれば、クラウドアースはそれこそ大金を払ってでも有力な傭兵がラストサンクチュアリに雇用されないように手を打つだろう。そうなると、期待できるのは同じ大ギルドの契約傭兵だけだろう。

 

(これ以上はいくら考えても予想に過ぎないか。何にしても、ラストサンクチュアリ壊滅以前に、あの2人には解決すべき精神的難題がある。先送りにすべき事柄ではないが、未来など誰にも分からない以上は、目前の問題をクリアする事が先か)

 

 そもそもスミスが頭を悩ませて、ラストサンクチュアリVSクラウドアースの因縁の決戦について思案する必要性など何処にも無いのであるが、残念ながらこの場にはそれを指摘する人物はいない。仮にその姿をルシアが見たならば、『ほら、やっぱり世話焼きじゃない』と笑うだろう。

 広々としたリビングにて紫煙を漂わせるスミスは、広げた考案カリキュラムの上にのせられた、白い皿を飾る宝石のようなケーキを突如として目にする。

 

「考え事か?」

 

 いつからそこにいた、とはスミスも言わない。彼が堂々と家に入って来て調理場を使っている姿を直視せずとも認識していたからだ。単に挨拶も不要であり、またこの男とは堅苦しい挨拶が必要な間柄でもないとの判断である。

 

「若人の指南についてね。キミこそ、お店はどうしたんだい?」

 

「今日は休みだ。最近は治安も悪いから、より安全な場所に店舗を移そうかと物件を探していた」

 

 長らく終わりつつある街に店を構えていたテツヤンも、いよいよ移転を視野に入れる程度には、状況は悪化している。スミスは彼の試作だろう、宝石のように赤い果実がのったクリームたっぷりケーキを丁寧にフォークで切り分けながら、新たな局面は近く、傭兵業が再び旺盛になるのも時間の問題だろうと認識する。

 

「……嬉しそうだな」

 

「ああ。他者に指導など柄ではないと分かっているが、存外心躍るものだよ。才能溢れる若者というのは、私のような『おじさん』には些か眩し過ぎるがね」

 

 テツヤンもスミスの事情は把握している。もちろん、【聖域の英雄】と【魔弾の山猫】の2人の事は伏せているが、スミスが他プレイヤーに指導していることはあらかじめ伝達済みだ。秘密とは薄布1枚で覆う程度、布の下の輪郭が見える程度に隠すのが重要だ。完全に隠そうとすれば、余計な詮索の目を増やす事になる。どうせ大ギルドは方々に情報網を広げているのだ。ならば、ある程度は情報を流布してしまえば、興味の優先度が下がり、真実に至られる恐れが減る。

 

「そういえば、スミスは例の噂をどう思う?」

 

「例の噂と言われても、世間は風聞を好むものだ。漠然とし過ぎて、キミの言わんとするものがどれなのか分かりかねるな」

 

「デーモンシステム。スミスも気になるんだろう?」

 

 ああ、その事か。スミスも今現在DBOで最も熱い噂とされる、プレイヤーに与えられるという新能力の事を思い浮かべる。その詳細は不明であるが、大ギルドがこの人手不足と緊迫した状況で動いているところを見ると、噂は真実であると見るべきだろう。

 

「残念ながら、私には依頼が来ていないものでね。どうやら、余程に今後の情勢を左右しかねない能力のようだな」

 

 独立傭兵とは契約傭兵よりも『手駒』として囲い込めていない証左でもある。スミスとしては、現在のスタイルに特に不満もないのでデーモンシステムという未知の能力が既知のものになるまで静観に撤するつもりだ。どうせ正式に把握されれば、情報屋を通して内容が出回る。それを待っても現状では問題ないというのがスミスの方針だ。

 だが、表情が動かないテツヤンの目に、不安のようなものが彩っている事を感じ取り、スミスは煙草を灰皿に押し付けて聞く体勢を整える。

 

「これは噂に過ぎないんだが……客の1人が言っていた。素行の悪い貧民プレイヤーの1人が中堅プレイヤーを強盗で殺したらしい」

 

「特に珍しい事ではないだろう。油断すれば、レベルが20離れていようとも殺される。それがDBOだ」

 

「ああ。だが、どうにも噂では『正面から』倒したらしい」

 

「それも不思議ではない。戦闘技術が備わっていれば……ああ、なるほど、それならば貧民プレイヤーという立場に甘んじているわけもない、というわけか」

 

 確かに妙な噂だ。だが、所詮は噂、作り話も十分にあり得るだろうし、真実だとしても尾ひれがつくものだ。スミスは特に気にした様子も無く、テツヤンの言わんとする事を把握する。

 

「それがデーモンシステムによるものだと? だとするならば、随分とバランスブレイカーのようだな」

 

「ああ。だけど、噂の本番はそこじゃない。貧民プレイヤーは中堅プレイヤーを殺した。だけど、突如として貧民プレイヤーは『怪物』になったらしい」

 

「怪物? それはまた随分と突拍子の無い事だな」

 

 口ではそう言いながらも、テツヤンが根も葉もない、暇潰し以外の価値も無い噂をわざわざスミスに伝えるなど無いだろう。つまり、漠然とではあるが、テツヤンはこの噂に真実性となるものをつかんでいるという事だ。

 

「……その貧民プレイヤーは、どうにも熱心に教会に通っていたらしい。元々は卑屈ではあったけど、悪い奴じゃなかったそうだ。でもある日、教会から帰ってきたら人が変わっていたらしいんだ。彼は心配した仲間達にこう言ったそうだ」

 

 そこで1度区切ったテツヤンは、食後の紅茶をスミスに注ぐ。綺麗に平らげられたケーキがのった皿を持ち上げ、背を向けたテツヤンはぼそりと、続きを呟く。

 

 

「『真実』を知った。帰るべき場所など何処にもない」

 

 

 噂と遠回しに言っているが、どうやらある程度は裏が取れている事柄のようだ。スミスは厄介な難題が舞い込んできたと新しい煙草を咥える。

 教会とは、恐らく神灰教会の事だろう。最近になって勢力を拡大しているが、特に大ギルドと衝突しているという話も聞かない。むしろ、街の清掃や治安維持、福祉活動に積極的であり、ギルド関係なく信徒も多く集まっていると聞いている。

 

「プレイヤーが怪物になる、か」

 

 あの茅場の後継者ならば、そのようなリスクを仕込んでも何ら不思議ではない。

 件の貧民プレイヤーが知った真実とは何だったのだろうか? スミスは紅茶を口にしながら、神灰教会の定例ミサが明後日の夜あるはずだ、と思案する。

 個人の信仰に口出しする気はないが、火の粉が降り注ぐ前に消火作業をするのもリスクマネジメントだろう。スミスはこの手のゴシップネタに強いパッチに連絡を取るべく、フレンドメールを開いた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 死神の槍は破損して真っ二つ。再装備したマシンガンはリロード分無し。打剣も修復必須。遺品から回収した銀の両手剣【シルバーティア】は、MYS補正が高過ぎてオレでは火力が出し切れない。

 疲弊しきったベヒモスは無言で両脇をガスマスクの暗色迷彩の兵士に固められ、ボロボロの戦槌を背負って静かに歩んでいる。その顔には戦闘の熱が冷め、直視した仲間達の死を重々しく噛み締めているかのように苦渋に満ちていた。

 オレからすれば既知なのはガスマスクを外したグリセルダさんのみ、ベヒモスからすれば訳も分からぬままに入り組んだ坑道を連行されている事になる。抵抗する気は元より無いが、グリセルダさんを除いてはオレ達にそれなりの警戒心を持っているようだ。

 

「そう、この世界はDBOと言うのね。勘付いていたけど、ソードアート・オンラインとは異なる別のゲームの仮想世界だったなんて」

 

 そして、オレは先頭を行くグリセルダさんの隣を歩く。高まった感染率のせいで高熱を体内に秘めているかのように、意識も呼吸も熱を孕んで意識が薄らぐのだが、なるべくそれを顔に出さないように気を付けつつ、感覚が無い左手の状態をチェックする。

 どうやらシャルルの森と同じように、痛覚はしっかりと残っているようだ。これならば痛覚で擬似的に感覚を取り戻せるだろう。また手の甲に穴をあけるという手もあるが、今度は肘まで異常が広がっている。少し手を考えないといけないだろう。

 幸いにも足に関しては、右足にやや痺れのようなものを感じているだけだ。動く事に障害は無い。これならば深淵の魔物と対峙しても問題ないだろう。視界も数分に1回程度水墨画のように滲むくらいだ。今のところはやや落ち着いている。

 

「グリセルダさんは何年くらい前からここに?」

 

「この世界に来たのは1年くらい前かしら? 黄金林檎の皆から指輪を託されて、それを売却しに行く途中で宿に泊まって……起きたら白い部屋にいたの。真っ白な部屋には私と同じような境遇のプレイヤーが何人もいたわ。そしたら、天使が現れたの」

 

「天使?」

 

 敢えてベヒモスに話が聞かれないように小声でオレとグリセルダさんは会話をしている。さすがにベヒモスを前にしてSAO関連の話はできない、という建前をオレが告げたためだ。そうでなくとも、現状の異常を把握しているグリセルダさんならば、オレがこのような事を言わずとも配慮してくれただろう。

 

「ええ、天使よ。機械の姿をした異形の天使。だけど、何て言うか、話し方が……こう、下品というか、人を小馬鹿にしているというか……」

 

 そう言えば、サチも天使によって想起の神殿の守り人にされたとか言っていたな。だとするならば、グリセルダさんが出会った天使とは恐らくDBOの管理AIと見るべきだろう。

 オレの目を見て、天使に関してはオレが既に納得したと悟ったグリセルダさんは話を先に進めるべく、1度呼吸を挟む。

 

「天使が眩しく光ったかと思えば、私たちはこの世界にいたわ。最初は全てが手探りだった。SAOの隠しエリアだとか、神様に異世界召喚させられたとか、地獄にいるのだとか、色々な意見が飛び交ったけど、結論は出なかった。そんな暇も無く、生きる為の戦いを強いられた」

 

 どれだけの戦いがあったのかは語りたくないのだろう。グリセルダさんは悲しそうに目を細めるだけで、何があったのか語ろうとはしなかった。

 

「ずっと……この1年間ずっとナグナにいたのか?」

 

「……幸いにも、システムはSAOと似通ってたから多くのプレイヤーがギリギリ適応する事が出来たけど、致命的な相違点も多くて、最初の3ヶ月で半数が死んだわ」

 

 最初に何人いたのかは知らないが、それでも同じ境遇の仲間が半分も失われるのは、決して並大抵の恐怖ではなかったはずだ。

 

「私の話は後にしましょう。到着よ。くつろげる保証はしないけど、ひとまずの安全地帯にね」

 

 そう言ってグリセルダさんが立ち止まって示したのは、錆びついた金属製の扉だ。坑道の行き止まりに現れたそれには錠前が取り付けられており、グリセルダさんが取り出した鍵によって開けられると自動的に音を立てて開く。

 と、そこで差し込んで来たのは陽光だった。いや、そう錯覚してしまうほどに温かみを感じる光だった。

 

 

 

「私たちの拠点、【ナグナ地下街】にようこそ」

 

 

 

 オレの目の前に広がっていたのは、巨大な空洞を再利用したかのような駅を中心とした地下街だ。憩いの場のような枯れた噴水、シャッターが破壊された商店、今は何も映さない電子掲示板、天井には煌々と輝く巨大な白のクリスタルが埋め込まれて太陽の代わりを果たしている。

 オレ達が出てきたのは、壁に開いた大穴を塞ぐために取り付けられたような扉である。それを見て、これが地下街側から開けることができるショートカットの類だとぼんやりと感じ取った。

 

「ナグナ地下街は、ナグナと古いナグナを元々繋げていた地下鉄乗り場というコンセプトみたいなの。だけど、あの通り崩落した坑道と繋がってしまって、地下鉄はまるで機能していないどころか、地下道と坑道が入り組んだ迷宮になってしまっているけど」

 

「……NPCが多いな」

 

「ええ。ナグナからの避難民……という設定らしいわ。彼らから情報収集する事で感染を始めとした重要なポイントを把握することができた。それに、この地下街は安全圏ではないけど、外部からモンスターが侵入する事以外では安全よ」

 

 それは安全と呼べないのではないだろうか。モンスターが突然ポップしない時点で出入口に見張りを立てれば安心して眠れるには違いないか。そう納得するオレと違って、カルチャーショックを受けているらしいベヒモスはツッコミを堪えている顔をしている。

 

「ここのNPCのイベントで≪銃器≫は獲得できたし、色々な施設が利用できたから武器や防具を鍛えたり、開発することもできた。拠点として機能すべく準備された事はすぐに分かったわ。でも……たとえ、『誰か』の狙い通りだとしても、ここを利用する以外になかった」

 

 安全地帯に着いたからか、グリセルダさん以外の迷彩兵士たちもガスマスクを外す。汗を垂らした彼らには見覚えが無いが、プレイヤーカーソルを光らせているところを見ると、グリセルダさんと同じ立場、SAOから訳も分からぬままにDBOに放り込まれた人たちなのだろう。

 そして、恐らくはSAOに散った死者達でもある。オレはグリセルダさんに勘付かれないように、内なる黒い靄を握り潰す。

 

「グリセルダさん、ご無事でしたか!」

 

 と、そこに駆け寄ってきたのは、大柄の迷彩服の男……確か聖龍連合の幹部であり、75層以降、血盟騎士団瓦解以降の攻略組がガタガタだった時期に死亡したシュミットだ。オレにそこそこ依頼を出していた客の1人でもある。とはいえ、黄金林檎時代に顔合わせをしている間柄なので、黒い依頼よりも使い走りのアイテム収集などが主な依頼だったが。

 シュミットはすぐにグリセルダさんの隣にいるオレに気づき、露骨に顔を歪める。そういう反応には慣れているので、オレへの対応で右往左往している暇があるならば、さっさと話を進めてもらいたいので、嘆息してオレはホールドアップする。

 

「何もしねーよ。それとも武装解除したら満足か?」

 

「その必要はないわ。シュミット、報告を」

 

 だが、オレの勝手な提案をグリセルダさんは凛とした声音で断つ。黄金林檎のリーダーだった頃よりも更にリーダーシップが増したらしい、正しく女傑として人を惹きつけるオーラがある。

 たった一言でオレに対する悪感情を引っ込め、敬服するようにシュミットは敬礼を取る。指輪絡みのグリセルダさん暗殺事件、それに付随する『アイツ』が解決に導いたらしい通称・圏内事件についての顛末はグリムロックから聞かされているが、この様子だとシュミットはかつての遺恨なくグリセルダさんに従っているようだ。

 だが、そうなると不思議に思うのはグリセルダさんの認識だ。シュミットは当然グリセルダさんより長生きしたわけだ。つまり、グリセルダさんが死亡した事実を把握している。ならば、こうして同じ境遇にいるならば、必然として彼女が死人でありながら、こうして『命』を持っている事に違和感を覚え、そして当然の如く『死者が蘇っている』という真実に到達するはずだ。

 だが、先程のグリセルダさんの弁には、その禁断に触れた様子が無い。もちろん、グリセルダさんが隠したという事も考えられるが、オレは既にSAOはクリアされ、茅場の後継者と名乗る人物がDBOという新たなデスゲームを始めている旨をグリセルダさんに伝えた。つまり、オレはSAOを生き抜いた以上グリセルダさんの死について把握していたと予想でき、聡明な彼女ならば死人であるという嘘を吐くメリットは無いと判断するはずだ。

 ……少し厄介な事になっていそうだな。サチやクラディール、それと死人候補のディアベルなど、どうにも状態が一貫していない。

 

「は、はい! 未確認プレイヤーの保護は無事終了しました。1名極めて感染率が高く、精神が不安定な者もいましたが、【ナグナの丸薬】を投与し、レベル1の睡眠薬で眠らせてあります」

 

「ご苦労でした。こちらはベヒモスさん、『外』にある大ギルドの幹部の方です。彼に食料と水、それと丸薬を。決して失礼の無いように」

 

「かしこまりました。ベヒモスさん、どうぞこちらに。お仲間の方々がお待ちです」

 

 背筋を伸ばして敬礼するシュミットに、オレは何処か呆気に取られる。黄金林檎時代も臆病な性格だったが、青竜連合時代はやや傲慢さも備わっていた。だが、今のシュミットはまるで叩き上げの軍人を思わす程に毅然としている。

 まぁ、それも当然か。グリセルダさんの話通りならば、DBOでも屈指のグロ&曲者モンスター揃いのナグナで1年以上も生き抜いているのだ。精神的に成長しない方がおかしい。そして、成長できなかった者は地下街の隅に固まっている者、同じプレイヤーカーソルを光らせながらも、貧民プレイヤー達と同じように、戦う意思が折れて腐っていくだけの目をした連中なのだろう。

 

「【渡り鳥】よ、積もる話もある。後で酒でも一緒にどうだ?」

 

「ああ。敗者らしく反省会でもしよう」

 

「……口の減らない男だ。またな、『クゥリ』」

 

 オレの皮肉にベヒモスは苦笑しながら、シュミットに連れられていく。

 生き抜けただけでも上々だ。オマエが死なないでくれて良かったよ。本当にグリセルダさんには感謝してもしきれない。

 と、そこで迷彩柄の兵士たちのオレを見る目が変わった事に気づく。それは、まるで近寄りがたい怪物を目にしたかのような、オレがよく知る恐怖に怯えた眼だ。

 いや、彼らだけではない。【渡り鳥】という名を聞いたプレイヤー全ての視線がオレに集中している。

 

「【渡り鳥】? あの【渡り鳥】か?」

 

「あんな綺麗な子が災厄を呼ぶ傭兵なんて」

 

「人殺しの殺戮者」

 

「知ってるぞ。救出に行ったはずの軍の部隊を逆に皆殺しにしたとか」

 

「バケモノ」

 

 ぼそぼそと呟く彼らに一々反応するのも面倒だ。無視を決め込もうとするも、突如として鳴り響いた轟音が濁っていく空気を粉々に砕く。

 それはグリセルダさんが頭上にショットガンを撃ち鳴らしたものだった。それは沈黙を呼び寄せ、同時に彼女の静かな怒りが波のように広げていく。

 

 

 

 

「ケツにパイルぶち込まれたいのは誰? 私の客人を侮辱した事、後悔させてやるわ」

 

 

 

 

 ジョークではないと言うように、装備したらしいヒートパイルを見せつけると、オレに侮蔑の言葉を投げていた連中は蜘蛛の子のように散っていく。グリセルダさんの前だからか、オレには視線だけで済ませていた暗色迷彩の兵士たちも同様だ。

 あ、あれ? おかしいなぁ。オレの知っているグリセルダさんは、もっと優しくて、母性に溢れた知的な女性だったのに、このグリセルダさんからは見敵必殺というか血塗れバイオレンスというか、とにかく『この人だけには逆らってはいけない』という本能警告を感じるぞぉ?

 ヤツメ様がガタガタと震えてオレの背後に隠れ、眉間に皴を寄せて周囲を睨みつけるグリセルダさんに威嚇するように唸っている。

 

「ごめんなさいね。こんな状況だから、誰も彼も余裕が無いの。許してあげて。後で私が責任を持ってケツパイルしておくから」

 

「しなくて良い」

 

 全ては幻だったのだろうか? オレに話しかけたグリセルダさんは……うん、オレが良く知る優しそうな母性溢れるグリセルダさんだ。あの般若のようなグリセルダさんは、きっと意識が危ういオレが見た幻覚だったに違いない。そうに違いない!

 

「オレは【渡り鳥】。蔑まれて当然だ。何も気にしないさ」

 

 今まで多くの人を殺してきた。そのことで後悔はしていないし、したいとも思わない。殺した分だけ、喰らった分だけ、オレは強さを手に入れた。彼らの命と血肉を糧にした事を否定するのは、殺してきたすべてに対する侮辱だ。

 だが、そこに付随する善悪という道徳と感情を無視する気はない。オレは蔑まれるべきであり、憎まれて当たり前だ。

 

「クゥリ君」

 

 グリセルダさんはオレの両頬にそっと手を触れる。それが何を意味するのか分からず、オレは不覚にも戸惑って声が出なかった。

 

「次にそんな事言ったら物理的に説教するわよ?」

 

「Sir! Yes,sir!」

 

 そこには悪魔がいました。ああ、なるほどね! 顔を背けさせない為に、ガッチリとホールドする事が目的だったのね! HAHAHA! コイツは驚いたぜ、デイジー! 私もよ、ジョージ! HAHAHA!

 ……さようなら、グリセルダさん。こんにちは、鬼セルダさん。

 

「ネガティブになるなと言わないけど、必要以上に卑下しては駄目よ。あなたは【渡り鳥】。何処にも縛られない、自由に生きる存在。それが許される傭兵。【渡り鳥】は決して忌み名じゃない。あなたの誇り高い『あり方』なのだから」

 

 ああ、そうか。オレの事を最初に【渡り鳥】と呼んでくれたのは、他でもないグリセルダさんだった。

 彼女が名付けてくれたオレの存在を示す名は、今は侮蔑と血と死で汚れてしまった。彼女が知るべきではない程に……醜く穢れてしまった。

 

「善処するさ」

 

 そう言ってオレは彼女の後に続き、案内された地下街の奥地、裏方だろう鈍い灰色の通路が張り巡らされた区画に通される。そこは地下街の管理区画なのか、全体を監視できるモニタールームや多量の資材を置いた保管庫などあった。いずれにも迷彩柄の兵士が実直に職務に励んでいたが、グリセルダさんに気づくと軍隊のように、心酔しきった……というよりも、えと、何だろう、これは? まるで『調教』されて従順になった犬にしか見えないのだが。

 鬼セルダさんは本物のグリセルダさんとは異なる、サチのようなオリジナルに近しいコピー体なのではないかとも疑ってはみたが、どうにも違うように思える。そうなると、グリセルダさんが持っていた内面の1つが開花した結果なのか、それともナグナで生き抜いてこうなったのか、判断できない。できれば後者であってほしい。

 そうして到着したのは、ややスッキリとした、小奇麗な会議室だ。何も映さぬモニターが設置され、本物同然でありながらも贋物と分かる観葉植物が四方に設置されている。いや、そもそも仮想世界の産物なのだから嘘も本当も無いのだとは思うのだが、それを言い出したら切りが無い。

 会議室には既知の人物が3人ほど控えていた。

 1人はオレの中で殺意度ランキング急上昇中ながらも、本人の意図が分からな過ぎて対応に困っているエドガー。

 1人は見ただけで胸の内に安心感を覚え、彼の悲願をようやく達成させることができたと満足感を抱けるグリムロック。

 1人は名が通っていたソロプレイヤーの1人だった【アシッドレイン】だ。『アイツ』と同じくソロでかなり粘っていたのだが、PoHに目を付けられて、罠に嵌められて色々と罪をなすりつけられた挙句に、アインクラッド解放戦線と聖龍連合の合同部隊によって襲撃され、秘密裏に『処刑』された可哀想な御方だ。まぁ、後からそれに気づいた連中が『冤罪』なんていう最悪が表沙汰にならないように隠蔽工作をオレに依頼してきたからこそ事情を知ってるんだがな。あの時は口封じで『騙して悪いが』をされて、本当に大変だった。

 

「おお、【渡り鳥】殿! ご無事だったのですね!」

 

 席を立ち、両腕を広げて喜びを大袈裟に表現するエドガーに無言でオレは軽く頭を下げる。コイツには色々と思う事もあるが、こうしてグリムロックが生き残っている点を見れば、彼が弱き人々の護衛という役目に尽力したのは間違いない。

 

「キミの噂は聞いていたが、こうして顔を合わせるのは初めてだな」

 

 対して、アシッドレインは髭を生やしたダンディなおじさんであり、葉巻が似合いそうなギャングのボスみたいな顔だ。『アイツ』ほどではないが、ソロとして名が通っていただけあって実力は疑いようがない。ソロだったのは元々率いていたギルドが壊滅してしまったせいだと聞いているので、1匹狼気質でもない。

 

「我々の状況はグリセルダから聞いているだろう? 余計な言葉を積み重ねるよりも、実りある議論こそが肝要だ。着席を願おう」

 

 逆に言えば、個人的にオレとは話をしたくないって事か。どちらかと言えば、アシッドレインの眼にあるのは軽蔑だ。これも見慣れた眼差しである。頭を掻き、オレは不思議なくらいに無言を貫くグリムロックの隣に腰かける。

 長テーブルを挟み、右奥からエドガー、グリムロック、オレという順番の席順である。中央にグリムロックが位置するのは、相対する形で中央に陣取るグリセルダさんと対面させるべく行ったオレとエドガーの阿吽のコンビネーションの賜物である。

 

「改めて挨拶を。私は『ナグナ脱出』を最終計画として、生存者を取りまとめている【脱出組】のリーダーのグリセルダです」

 

「副リーダーのアシッドレインだ」

 

「神灰教会のエドガーです。皆にはエドガー神父と呼ばれております」

 

「サインズ独立傭兵ランク41のクゥリだ」

 

「……クゥリ君の専属鍛冶屋のグリムロックと言います」

 

 眼鏡越しでグリムロックは潤んだ眼差しでグリセルダさんを見つめている。対するグリセルダさんも感極まるといった表情であるが、行動に移るのを責任で押し堪えているようにも思える。

 この様子からすると、グリセルダさんはグリムロックの所業について無知のようだ。確か話によればグリセルダさんは睡眠PKで殺されたはずだ。ならば、死の瞬間は夢の中であり、またグリムロックの妻殺しについて情報を得るタイミングも無かったわけだ。

 だが、事情を知るはずのシュミットと1年以上も共に活動していて、1度としてグリセルダさん殺害について触れなかったと考えるのは無理がある。そうなると、やはり事態はややこしいを通り越して厄介なのかもしれない。

 見つめ合うグリムロックとグリセルダさんの間に、咳を挟み入れたのはアシッドレインだ。2人は互いに視線を落とし、個人感情を呑み込む。

 

「外の情報について、エドガーさんとグリムロックさんから聴取させてもらったが、我々もあり得るケースの1つとして考えていた。SAOを土台とした別のデスゲームの世界、ダークブラッド・オンライン。我々がここにいるのも、茅場晶彦と言うよりも茅場の後継者による計画的犯行と判断すべきだろう事は間違いない」

 

「私もクゥリ君から聞いたけど、考えていた中で下から3番目くらいに最悪なケースね」

 

 悩ましいという表情をするグリセルダさんを見て、オレは逆に真実よりも更に悪い予想があったのかと興味を抱く。だが、敢えて突っ込んで尋ねる事でもない。

 

「私たち脱出組の至上の目的は、感染を完全回復させ、この地を脱出する事。ご存知とは思いますが、1度感染するとナグナを脱出することはできません。そこで、脱出組は感染を完全回復させる唯一のアイテムであるナグナの万能薬を求め、この先にある古いナグナのボス撃破に向けて、これまで情報とアイテムの蓄積、そしてレベリングや戦闘経験の蓄積に励んできました」

 

「だが、計画を進行するには戦力が不足していた。元々は300人以上いたはずの生存者も今では僅か41名だ。内の28名は非戦闘要員。戦力は僅か13名。いずれも今日まで生き抜いた猛者だが、1度のチャンスにかけるには不安が残る」

 

「そこで、こちらから提案します。あなた達『外部』から来たプレイヤーもまた、感染した以上はナグナに囚われた身。言うなれば運命共同体です。我々はこの拠点・情報・アイテムの全てを融通する事を条件に、ボス撃破に協力してください」

 

 交渉ですらないな。あくまでこれは協力関係を結ぶ儀式でしかない。まぁ、何事にも手順というのは大切だ。これを蔑ろにすると痛い目に遭うものである。

 

「オレは傭兵だ。物資と情報という『報酬』に対して、オレという商品を提供する事をここに契約する。契約書は後で作成して渡してくれれば良い」

 

「了解した。簡易的なもので構わないか?」

 

「ああ。だが、しっかりと仕事内容と報酬の明記を頼む」

 

 契約成立の握手をグリセルダさん、続いてアシッドレインと交わす。

 続くエドガーは思案する『フリ』を数秒だけ見せ、やがて仰々しく頷いた。

 

「このエドガー、神灰教会の神父としてこの苦難を神より与えられた試練とし、この身が灰となるまで皆様に力をお貸しする事をお約束しましょう」

 

 エドガーとして欲しいのは情報だろう。感染している以上はグリセルダさんに協力するのは必然。だが、それ以上に喉から手が出るほどに欲しているのは、1年以上もこの地に住まう彼らから聖遺物……ウーラシールのレガリアについて聞き出す事だろう。

 

「私は先に申し上げました通り、クゥリくんの専属鍛冶屋です。彼が依頼を受け、協力する事を表明した以上は、皆様にサポートは惜しまない所存です」

 

 背筋を伸ばして、揺るがぬ眼で表明するグリムロックに、一瞬だがグリセルダさんは気圧されたようだが、すぐに嬉しそうに口元を綻ばせた。

 

「あなた達の協力に感謝します。共にこのナグナを生きて脱出しましょう」

 

 そう言ってグリセルダさんは締めの言葉を述べると、きっちり10秒後に腰を曲げて顎をテーブルにのせた。

 

「はぁ、こんなもので良いでしょう? アシッド、皆に彼らの協力について通達して頂戴」

 

「ふむ。でしたら私も同行しましょう。この場に同席していない聖剣騎士団と太陽の狩猟団の生き残りの方々も志は同じはず。私の口から先の約定を説明し、名を連ねるか否かの選択を聞いておきます」

 

 見え透いた建前だ。生き残りが何人この地下街に到着したのか知らんが、彼らも協力する以外に選択肢は無いのだから。むしろ、それ以外の何を選ぶのか聞きたいくらいである。

 だから、エドガーの真の狙いは、グリムロックとグリセルダを2人っきりにさせる事だろう。オレも彼に倣って、ここは席を立つとしよう。

 会議室から出て行ったエドガー達の後を追おうと立ち上がろうとするが、グリムロックの視線がまず突き刺さり、続いてグリセルダさんの待ったをかける眼力によって半強制的に席に残される。

 いやね、夫婦水入らずでお話しする中で、オレみたいな無粋な傭兵は不要だと思うんですけどね。

 

「……久しぶりね、あなた。1年ぶりかしら?」

 

 さて、まずは先制打だ。グリムロックからすれば1年どころの話ではない。タイムラグはそのまま彼女の意識が死後に凍結されていた事に気づくだろう。そして、これまでの反応からグリセルダさんどころか、アシッドレインも含めて、自分たちの死について無知であると判別できているはずだ。

 グリムロックの目的はグリセルダさんに断罪される事だ。だが、肝心要のグリセルダさんには死の認識が無い。つまり、グリムロックがたとえ彼女の死にまつわる罪を告白しようとも実感が持てないのだ。というか、そもそも睡眠PKされたのだから、彼女は死を自覚できる状態で死んですらいない。

 

「ああ、久しぶりだね」

 

 良し、まずは無難な返答だ。数秒の間もなく、感慨深そうな態度だけを見せてグリムロックは頷く。

 

「少し老けたかしら? でも、以前のあなたよりもずっと目が活き活きしているわ。まるで出会った頃みたい」

 

「キミも前にも増してバイタリティ溢れているようだね」

 

「……そうね。あなたは出会った頃に戻ったようだけど、私は随分と変わってしまったわ。それがすれ違いにもなった。黄金林檎を率いることばかりに心血を注いで、いつの間にかあなたとは表面的に取り繕うばかりになっていた」

 

「あれは私が悪かったんだ。デスゲームに怯えて、安全な場所で情けない姿を見せるしかない私自身が、キミの眩しさに嫉妬していたんだ。変わっていくキミに耐えられなかったんだ」

 

「だとしても、私は妻として、あなたをもっと顧みるべきだった」

 

 ……オレって増々不要なのではないだろうか? 見つめ合い、言葉を重ね合い、夫婦の絆を自動修復されていらっしゃるこの2人を直視させられるのは、些か以上に場違い感溢れて胸に苦しいものがある。

 だが、これもまたオレの見届けたかった光景でもある。そして、こうした絆の再構成の先にこそ、グリムロックの追い求めた断罪があるのだろう。

 どれだけ2人の間に『今』の愛があろうとも、それは既にグリムロック自身の凶行によって『過去』に途切れた。ここにあるのは残骸の夫婦愛だ。

 覚悟を決めたのだろう。何はともあれ、真実を告げねば何も始まらない。グリムロックはテーブルの下で拳を握り、グリセルダを見据える。

 

「ユウコに言わないといけない事がある。キミ自身がこの場所に……こんな地獄に囚われているのは、全て私の責任なんだ」

 

 首を傾げ、グリセルダさんは思案するように唇に手をやり、やがて苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしかして、それって私を『殺した』事かしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あっさりと、酷くあっさりと、まるで何でもない事のように、グリセルダさんは唖然とするグリムロックを置いてきぼりにして、真実を告げる。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。情報を整理させてくれ」

 

 完全硬直するグリムロックの代理として、同じく混乱するオレは殺意も怒りも見せないグリセルダさんに問うべく、ぐるぐると回る頭から言葉を捻り出す。

 

「グリセルダさんは認識しているんだな? 自分が死人って分かってるんだな?」

 

「いいえ。今この瞬間まで、あり得る予想の1つとして見ていたに過ぎなかったわ。『最も確率が高い』予想の1つとしてね」

 

 だとするならば、何故? まだフリーズしたまま動かないグリムロックの肩を揺さぶって再起動を促しながら、オレはグリセルダさんの話の続きを待つ。

 

「長い話になるから省くけど、『破綻』したプレイヤーが何人もいたの。彼らは何かをトリガーにして精神が壊れ、発狂したわ。そこには自分自身の死にまつわる言動がいつも含まれていた。だからね、私はずっとこう考えていたの。今ここにいるプレイヤーは……全員がSAOで死んだプレイヤーであり、全員が自身の死にまつわる記憶を欠損しているのではないのか、とね」

 

 ふぅ、と長く息を吐きながら、グリセルダさんは背もたれに倒れて天を仰ぐ。地下世界から太陽を、月を、星を求めるように、切なそうに目を細める。

 

「嫌な予感はあったの。あの日、指輪を売る為に皆と別れたあの日、私を送り出したあなたの目には殺意があった。だから……だから、今日まで考えないようにしていたの。もしかしたら、私はあなたによって殺されたのではないのか、なんて考えたくなかったの」

 

 その苦悩は恐らく彼女の中では真実として不動のものだったのだろう。だからこそ、否定したかったのかもしれない。

 

「私はキミに裁かれる為に、死んだキミに罰を受ける為に、今日まで生きて来た。たとえ寄生虫のようだとしても、クゥリ君の力を借りて、キミの元にたどり着いた」

 

 許しは請わない。怒りのままに、憎しみのままに、愛のままに、下された罰を受け入れる。グリムロックは僅かとして逃げる事を否定するように告げる。

 

「……ハッキリ言って、私には実感が無いわ。殺された感覚すらも無いのだから当然よね。だから、まずは話して。どうして私を殺したのか。そして、あなたはどのように今日まで生きて来たのか。その全てを私に話して」

 

 全てはそこから始まる、か。オレは何となくだが、この2人の顛末が見えたような気がして、微かに笑む。

 そもそも、グリムロックの断罪の旅は土台から破綻していたのだ。グリセルダさん自身に蓄えられた、培われた怒りも憎しみも無いのならば、出会って即座に罰を下すことなどできるはずがないのだ。

 

 

 

 ああ、つまらない。だったら代わりに処刑してあげよう。グリムロックの首を斬り落としてあげよう。ヤツメ様が……オレの耳元で囁く。

 

 

 

 グリムロックの処刑は、悪いがオレの役目ではない。ヤツメ様に微笑んで、そうオレは心に刻む。

 ぼそりぼそりと自分の犯した罪、その顛末、そしてグリセルダさんとの再会と断罪を誓った日々を、グリムロックは紡いでいく。それをグリセルダさんは静かに、全ての感情を押し殺して聞いている。

 もはや、この場にオレは不要だ。きっとグリムロックは自分の断罪を見届けて欲しかったのだろう。逃げ出さないように見張ってもらいたかったのだろう。だが、グリセルダさんの場合はきっと……

 

「殺してるんだ。殺されもするさ」

 

 だから、グリムロックはグリセルダさんに斬られる理由がある。だが、この言葉にはもう1つの意味がある。

 殺してるから殺される。それは因果だ。だが、それを成すのは常に人の心だ。物理法則ではない。変動する人の想いだ。

 グリセルダさんは全ての罪を聞いた時にどのような罰を下すのだろうか? 何となくだが、それはグリムロックが追い求めた苦痛に満ちた罪の洗礼ではなく、今日まで苦しみ抜いた彼への救済に思えてならない。

 

「グリムロック、手を伸ばせ。オマエにはその資格がある」

 

 扉が閉ざされた会議室を見つめながら、オレは灰色のコンクリートが剥き出しのような廊下を歩む。

 茅場の後継者、見ているか? オマエがどんな悲劇を望んでいたのか知らないが、オマエが思っている以上に人の心というのは摩訶不思議で、奇天烈で、理解し難い深淵が広がっているんだ。

 

「……腹減ったな」

 

 やるべき事はたくさんあるが、まずは腹ごしらえだな。不満そうなヤツメ様の手を引き、オレは飯を食える場所を探そうとして、そう言えばベヒモスという先客があったと思い出した。




……そうか。宇宙は空にあったのか。
筆者には瞳が足りなかったのですね!


それでは、201話でまた会いましょう。

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